真言宗信者(?)からの邪難を破折
▼@釈尊直説はパーり語経典と阿含経典しかない事は学問上の定説です。
[大集経]も中期大乗経典であり、当然ながら釈尊直接ではなく創作経典です。その創作経典に[法華経こそが最高]と書かれていることが何の根拠になるのですか?貴方が無知から何を信じようと個人の自由だがその信仰を他人に強制するのはやめなさい。真言宗が嫌いならここに来なければいいのです。少しは他の読者の迷惑を考えなさい。
● 大乗非仏説はただの仮説に過ぎない。
■ 1 「法華経の成立」 ■
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説@
「岩波仏教辞典」→「法華経は、第一期、初期大乗経典に属し、紀元五〇年から一五〇年あたりにかけて成立した」
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説A
「法華経経題」
法華思想の成立と特徴、「法華経」は、紀元前一OO年頃から数百年という長い時間をかけて成立し、インドにおける仏教思想の大きな転換点となった
新国訳大蔵経 法華部1−24 大正大学教授 多田孝文氏
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法華経の経典化の開始年代を紀元前へと繰り上げたもの
法華経の内容から、より釈尊に近い時代にその原型が存するとする考察
→ 法華経成立年代が完全に特定されている訳ではない。
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■ 2、「原始仏教聖典」だけが仏説ではない ■
▼ 中村元氏、田村芳朗氏らが監修「岩波仏教辞典」
→ インド仏教史の通説 仏滅後一OO年頃・教団に戒律上の異議 → 第二回結集。
中村氏らの説
▼ 釈尊入滅の年 第一回仏典結集 〜 根本分裂までの仏滅後一OO年間 原始仏教の時代
この時期に成立した経典 → 原始仏教聖典 → 四阿含経。→ 釈尊の直説
● 反論
◎ 根本分裂の時 上座部の結集とは別に、大衆部においても、より多数の比丘により大結集が行われた。
(宇井伯壽著・「仏教経典史」五O頁)。
◎ 大乗経典はこの大衆部系統において発達したものと考えられる点が多くある
(宇井氏 同書(八七頁)
◎ 他に同様の見解を表明している仏教学者もいる。
◎ 「岩波仏教辞典」における中村元氏等の解説には、根本分裂時における
「大衆部による大結集、及びその後の大乗仏教との関連」
についてまったく言及されていない。
◎ 仏教経典は釈尊入滅の年に第一回の結集か行われたとされるが、広大なインド各地において釈尊が比丘や信徒に対して一代五O年の間に説かれ、しかも記憶のみによって伝承された膨大な教法を、釈尊入滅の年に行われたと伝えられる第一回の結集の折に収集することは、その一部にせよ非常に困難であったと考えられる。
→ 初期阿含経は釈尊の説法の全てであるとは断定できない。
仏滅後一OO年の根本分裂時における結集でさえも教法全体のごく一部に過ぎず、
その後、数百年間において、インド各地に伝えられている膨大な経典の収集作業がなされたと考察される。
その記憶暗唱により伝承された経典の収録という困難な任に携わったのが、
仏滅後一OO年以後の 部派時代 における
●上座部系統の比丘
●大衆部系統の比丘と在家信徒
ではなかったかと推定される。
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考察
● 阿含経系が初期に成立した理由
経典収集の上で、
小乗阿含経は教理的にも比較的整理の容易な経典であり、
反対に膨大にして甚深微妙な教理の主要大乗経典の整理には多大な歳月を必要とした。
● 経典の文字化
具体的な小乗経典の文字による文献化の最初の記録としては、紀元前八九年にセイロンで三蔵が書写
時代的には概ねこの前後の時代が文字化の時期とされる。
それに対して、法華経、般若経、華厳経、浄土教等の大乗の主要な文字経典成立の時機は、概ね一世紀頃と推定されているが、
中国における仏典の翻訳は紀元前後から始まっており、
西暦一OO年代 般若経 漢訳 (※→ 経典成立を一世紀頃とすれば余りに近時過ぎるのではないか。)
二OO年代 法華経 漢訳が開始。
インドにおいて大乗経典の文字による文献化がなされた年代は、もう少し遡り、先の多田氏の説のごとく、紀元前一世紀から紀元後一世紀前後の頃と考えられるのではないか。
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前出 説A
「法華経経題」
法華思想の成立と特徴、「法華経」は、紀元前一OO年頃から数百年という長い時間をかけて成立し、インドにおける仏教思想の大きな転換点となった
新国訳大蔵経 法華部1−24 大正大学教授 多田孝文氏
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→ 小乗経典と大乗経典とには、その文字化の時期にそれほど大きな年代的な差異が存在しない。
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▼中村氏らは釈尊滅後数百年間にわたる経典の記憶による暗唱と伝承に関して小乗仏教についてのみ論じている
反論
● 同様のことが大乗経典の伝承の上においても当然考察されてしかるべきではないか。
複雑な教義思想を含むところの膨大な大乗経典群が,中村氏等のいう紀元後一世紀頃の時期に、それまでの記憶による暗唱と伝承もなく、すべてが突如、文字経典として成立したとは到底考えられない。
今日歴史上に伝えられる四回の結集以外にも、釈尊の五十年間の説法を根本として、滅後数百年間にわたる記憶による経典の暗唱と伝承の期間においては、大衆部系統をはじめ、インド各地の部派仏教において長期的な教法の整理収集作業が行われ、これらの大規模な結集を経て、法華経を始めとする大乗経典群が成立したと仮定しても、何ら矛盾はない。