マグマグ君へ、一言。  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 824()110543 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

少し前の投稿であるが少々気になっていたので、ここで破折します。
―――――――――――
久しぶりマグマグ君、大笑いである。
貴公の浅識を呵責して置きましょう。
(因みに、貴公の”遁走 ”Vol1がなかなかUPできずに申し訳ない。少々お待ち下さい)
―――――――――――
華蓮さま、誤解なさってはいけませんですよ、、、Re: マグマグさま  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 8月21日(月)01時24分18秒 west74-p142.eaccess.hi-ho.ne.jp   引用

  華蓮さま

> 私の『仏法の正邪を「世間の常識や定説」などで判定してはいけない、
> 仏説によらなければいけない』という投稿に対する貴方の反論が、
> 「世法即仏法」ですか?

反論?いいえ、反論でも何でもございません。あなたが御書をお読みになったことがないから、お勉強のために転記させて頂いたまでです。

この御書の御文があなたにも「世法即仏法」とお分かりになるのであれば話しは早いわけで、その逆もしかりであるとお分かりでしょう。

―――実に世法と仏法は相互に疎通している。或いは、実は仏法に世法が内包されている、ともとれる。

御文の通りで『法華経はしか(然)らず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候』。また『法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり』です。

―――大聖人の仏法は非常に奥深い哲理性を包含しております。
―――――――――――
●ここで、まず貴公が大聖人の仏法を如何に浅薄に捉えているかが如実に分かるところである。

当該御文の御心は、一念三千の法義を顕されたところである。
貴公はこの御文の「世間の法」との語を軽率に「世間的な常識や定説」と読み違えているが故にこの御文の真意が全く理解できていない。

当方が云々する前に、まず仏哲の記述を見てみようか。
マグマグ君の「怪釈」とは全く違う。
―――――――――――
はくまいいっぴょうごしょ 【白米一俵御書】

本書は日蓮大聖人身延在山中の御述作で御正筆は大石寺にある。
富士方面の純真な信者に宛てられた御返事であると推定される。
ただしその著作年月ならびに対告衆の氏名は明らかでない。
別名を事理供養御書というように、供養に事供養と理供養の二つがあることを明かされ、人の生命をつなぐ白米を供養することは生命を捨てると同じであると一貫して御供養のあり方が説かれているが、平易な御文の中にも、きわめて重要な法門が明かされた御消息文である。
本書の大意は、人には二つの財、衣と食があり、とくに人は食によって生命をつなぐ。
生命は一切の財にすぐれた第一の財であり、われわれが成仏をとげるには、まずこの生命を仏にたてまつることが肝要である。
古の聖賢は生命を仏にささげて成仏した。
雪山童子は鬼人に身を投げ、薬王菩薩は肘を焼き、わが朝の聖徳太子や天智天皇等も、身をもって法華経に供養した。
すなわちこれらの聖人、賢人の供養は事供養である。
われわれ凡夫には、とても真似のできない振舞いである。
しかしわれわれは、志、すなわち信心によって成仏することができるのである。
御本尊に自分が着ているものを御供養申しあげることが、身の皮をはいだり、命を投げ出すのと同じ供養になるのであり、昔の聖賢の事供養に少しも劣らないばかりか、大功徳を受けられるのである。これを理供養という。
また爾前経においては、心は大地であり草木は方法のごとしと相対的に説いているが、法華経においては、心即大地であり、大地即草木である。
すなわち、依正不二、墳智冥合、一念三千の哲理を説き明かしているのである。
ゆえに白米の供養は、単に白米を供養したのではなく、白米即生命・生命即白米の原理によって、自分の生命を供養したことになるのである。
まして食の乏しい法華経の行者に真心をもって供養されたことは、ただごとではないと、けなげな志をはめられるとともに指導激励を与えられている。
―――――――――――
●実にマグマグ君、貴公の尊敬する池田センセ〜〜も貴公の説は否定されている。素直に反省し謝罪し訂正すべきであろう。
(当方は別に池田さんを尊敬はしていないが、この↑白米一俵御書に対する記述はほぼ正解であるが故に引用しただけである。)

更に、少し詳しく論じれば、この■「世間の法が仏法の全体」との御文は、法界一切の事々物々・森羅万象の全てが、三身如来(または総じてその本体であられる戒壇の大御本尊へ境智冥合する我等)の一念に包含される働き・存在である、との御心と拝し、また、■「法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」との御文は、法界の存在・事象一切を、三身如来(及び戒壇の大御本尊を信ずる我々)の一念に具えている、との御心と拝するのである。

であるから、以下の貴公の邪言↓はとんだ的外れの恥論、愚論、邪論であり、全く不可である。

▼―――仏法の正邪は「世間の常識や定説」を含めた「仏説」によって判断することである、ではないでしょうか?まあ、これも一つの表現に過ぎません。また、別の表現をとれば、正邪の正しい判断は世法、仏法双方の角度からなされるべきであり、そのいずれかが欠けても正しい判断とはなり得ない、こう言ったところではないでしょうか。
―――――――――――
●↑これについて更に破折すれば、世法と仏法の関係で言えば、
■「金光明経には若し深く世法を識るは即ち是仏法なりととかれ、涅槃経には一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ずと仰せられて候を、妙楽大師法華経の第六の巻の一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せずの経文に、引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深山の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候」。
とあり、貴公が恥論をはく根拠としている節も見られるが、実はそれは貴公の浅識からの妄断なのである。

 金光明経の■「若し深く世法を識るは即ち是仏法なり」という文は、智慧のある人が世間の全体を総合的に広く深く見ていくと、因果の理法によるところの明確な筋道が存するということである。
つまり、世法を深く探っていくならば、結局、仏法の理に帰着するのであるということを説いた文である。
 しかしこれは、世法から入っていくと仏法に到達するということであるから、この段階では実はまだ仏法それ自体の深く勝れた意義を明らかに示していない。

 次の、涅槃経に説かれる■「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」とは、世間において、外道の説、孔子・孟子等の倫理道徳、哲学等、色々な教えがあるが、結局、それらは仏法の教えのなかの一分に含まれるということである。
したがって、世間における一切の教えの内容というものは、仏様の教えのなかに包含されているのであるから、異なる教えのように見えても、所詮は仏説なのである。(もちろん、外道、その他の説をそのまま首肯するという事ではない。その義を法華経から開会して読んだ時、それが仏法の一分の理を顕している、という意味である。)

 しかし、この両文とも方便の義を交えており、これらの文では、直ちには妙義・妙理に欠ける点があるのである。
 したがって大聖人様は、妙楽大師が、これらの経文を法師功徳品の■「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」の文と引き合わせて、法華経に及ばないことを釈された、と述べ給うたのである。

 この文に「実相」とあるが、実はこの”実相”ということが問題なのである。
これについて、竜樹菩薩は
■「諸法実相を除ひて余は皆魔事と名づく」と示されている。
竜樹菩薩は、貴公も知っているように、法華経以外の権大乗の教えについて非常にたくさんの書を残されており、特に『大智度論』等において般若経の空の法門を徹底して説いておるにもかかわらず、結局、最後のところでは法華経に帰して、このような言葉を示されている。

 この言葉は、法華経の諸法実相の法門、その妙義というものを中心とした教えでないものは、すべて不完全で一切衆生を真に救うところの道ではなく、むしろ悪道に落とし入れる魔の所為となる教えであるということを示されたものである。

・・・マグマグ君の浅い”怪釈”では到底人を救うべき”指南”とはなりえない。むしろ人を惑わす魔説である。(当然御自分も大いに迷い惑っているのであるが)
まっ、所詮戒壇の大御本尊から離れた謗法者がどのように御書を読んでも、堕獄の業因となるだけであり、全く有害極まりない愚行である。
以後重々に謹慎すべきであろう。

 

樋田君よ  投稿者:沖浦克治  投稿日: 824()121427 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 他人に愚論を撒き散らすヒマがあるならね、早く創価学会とリターンマッチをやりなさい。

 いいね!

 

沖浦老醜・老残君へ  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 824()193629 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

日寛上人様から、浅ましい=1 品性が卑しい。さもしい。下劣だ。 2 見苦しく情けない。嘆かわしい。 3 身分や姿形が卑しい。等と厳しい叱責を蒙っている沖浦老耄老醜には、無間地獄へ堕ちる土産に以下の御文をよくよく心腑に染めておくべきであろう。
―――――――――――
東春に云はく「問ふ、何が故ぞ経を謗じて無間に入るや。答ふ、一乗は是極楽の経なり。極妙の法を謗る故に極苦の処を感ずるなり。

戒壇の大御本尊は極尊の御尊体である。
その戒壇の大御本尊を軽々しく考えている沖浦臭人は、死して後、「極苦の処を感ずる」であろう。
しかもその先兆は今世にも現われてくる可能性は大きい。
―――――――――――
初めには極法及以尊人を謗ずる故に賤獣の報を受く。

賎しい獣となって生まれてくるであろう。
―――――――――――
二には平等大慧の経を謗ずる故に愚獣の報を受く。

愚かな獣となって生まれる。
―――――――――――
三には仏に権実の二教有り、権に執して而も実を破る故に一目の報を得。

片目が失われた形で生まれるか、生きている最中に何らかの理由で、片目が失われるであろう。
―――――――――――
四には法を謗り人を毀るの時、心に瞋恚を生ずる故に蛇身の報を受く。

蛇となって生まれる。
沖浦臭人の今現在のこの偏執狂状態の執拗さは、まさに「蛇身」のしつこさと言えるかもしれない。既に前世の悪因縁の報いが生じている惨めな姿であろう。
―――――――――――
経に其の形長大とは大法を瞋る故に大苦の身報を受く。

台風の時に形大きい物がその強い風圧を受けるが如く、地獄の大苦を長大の体一杯に受け切っていくであろう。
―――――――――――
対(むか)って法を聞かざる故に聾病の報を受く。

聾者となるであろう。今また、正法の言が全く耳に入らない姿が既に「聾病」と言えるかもしれない。
―――――――――――
行法を受けざる故に無足の報を受く。

足が無く生まれるか、足を失うであろう。
沖浦痴犬が受けた、「内足靱帯断裂、後十字靱帯部分断裂、前十字靱帯損傷、皿の骨が欠けて筋肉に刺さっています。サラが少しシフトしています。」という状況などは、この無足の報いの先兆であろうか。
―――――――――――
愚癡にして経を謗ずる故に暗鈍の報を得。

暗鈍=道理に暗く鈍いこと。きわめて愚かなこと。また、そのさま。
であるから、ここも沖浦愚醜人、既にこの報いを十分に発揮していると言えるであろう。惨めである。
―――――――――――
憍慢の心にして謗ずる故に矬陋の報を得。

矬=背が短い。陋=みずぼらしい。心、知識が狭い。身長が短い。卑しい。身分・地位が低い。品が悪い。粗悪である。醜い。いやらしい。・・・などの意味がある。・・・来世と言わず、これも既に沖浦醜人、かなりの部分で体現しているか。
―――――――――――
微妙の法を謗ずる故に醜陋の報を得。

醜陋=みにくく卑しいこと。また、そのさま。 ・・・ここも、やはり、沖浦老醜、今世で既に体現しているか。
―――――――――――
正直の経を謗ずる故に背傴の報を得。

背骨が曲がって傴(せむし)のような状態になる。既に足に「現症」が出てきているのであるから、よくよく気をつけるべきであろう。
―――――――――――
経に貧窮下賤為人所使とは、経に万徳を備ふるを福貴と為す。富貴の経を謗ずる故に貧賤の報を得。

貧しく、賎しい身になろう。
―――――――――――
一乗に乗じて四方に遊び大自在を得。今自在の経を謗ずる故に不自在の報を得。故に人の為に使はるゝと云ふ。

他人に酷使される身分となるでありましょう。
―――――――――――
此の経は能く凡夫・二乗・菩薩の病を破る。下の経に若人有病病即消滅と云ふ。無病の経を謗ずる故に多病の報を得」と。

多病で悩み苦しむみとなることでしょう。
―――――――――――

沖浦謗者が現にしている戒壇の大御本尊の軽侮・三宝誹謗・ニセ本尊への信仰は、今世・来世へ向かって、間違いなく斯様な姿となるでありましょう。
実に恐ろしいことです。
それこそ、「他人に愚論を撒き散らすヒマがあるなら」一刻も早く改心し懺悔滅罪しなければ手遅れになるでしょう。

 

樋田さん  投稿者:沖浦克治  投稿日: 825()073447 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 先ず、創価学会とのリターンマッチをおやりなさい。
 負け犬では誰も相手にはしませんよ。

 いいですね!

 

また沖浦残醜人の  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 8月25日(金)14時44分9秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp   引用
  反論不能・遁走記録がひとつ更新されました。

http://toyoda.tv/okiura.tonso6.htm

馬鹿のひとつ覚えの繰り返ししかできない、ほとほと愚昧な老人ですね。
いいサンプルがまた採集できました。

樋田さん  投稿者:沖浦克治  投稿日: 8月25日(金)15時10分41秒 softbank221104080129.bbtec.net   引用
   そのまま敗残者で満足ですか?
 創価学会員はね、口ほどにも輩。と、蔑んでいますよ。
 私を攻撃する気力があるならね、創価学会に向けなさい。

 大負けに負けて慰謝料までとられ、口をつぐんで下を向いたままで何故満足が出来るのですか?

 法華講とはそのような集団でしょうか?

 先日私に創価学会の方から情報が入りました。
 和解の条件として、

 樋田氏が二度と創価学会の中傷批判を行わない。との約束をし、その上慰謝料まで払った。

 本当ですか?
 嘘ならね、これは創価学会による貴方への名誉毀損です。
 黙ってはいられませんよね、当然。
 本当なら貴方、最低の男です。
 そんな約束は。

 どっちなんですか。
 はっきり表明をして下さい。

 いいですね!

http://http:/ /

沖浦老醜・老残君へ.2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 8月25日(金)16時22分47秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp   引用
  沖浦老醜は、本物の『馬鹿』なんですね。

この件についてはとうの昔に反論し尽くしている。

http://toyoda.tv/wakai.htm
―――――――――――
聖教新聞の記事において、
     事実に反する内容に対する反論

平成18年3月11日聖教新聞に以下の記事が掲載された。

『名誉毀損のデマビラ訴訟で日顕宗檀徒が全面敗北
今後、学会員への中傷を禁止

日顕宗檀徒の陰湿な不法行為が、裁判で厳しく裁かれた。
日顕宗・妙相寺(長野市)の檀徒・樋田昌志らが作成・配布した、学会中傷のデマビラをめぐる裁判で8日、被告・樋田側の実質、全面敗訴の内容で和解が成立した。
樋田ら檀徒数人は一昨年、長野県の学会員(故人)を中傷する悪辣なデマ記事を載せたビラを長野県飯山市内などで多数配布。学会員の遺族5人が「悪質なプライバシーの侵害であり、名誉毀損」として樋田ら檀徒6人を長野地裁に提訴した。厳正な審理の結果、今回、裁判長の勧告により、原告側の主張が全面的に認められる形で和解手続きが成立。
和解内容によれば
@檀徒側が遺族全員に賠償金を支払う
A樋田らは、ビラの記事の主要な部分が事実に反することを認め、公式に謝罪する
B「今後、創価学会会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしない」と確約することとなった。
檀徒側の全面敗北である。
そもそも樋田なる男は日顕直属の謀略組織の一味と結託しており、これまでも、学会を怨嫉して薄汚い姑息な謀略を繰り返してきた。
しかし今回の敗北により、樋田らは、そうした邪悪な動きを厳しく封じられることとなったのである。
日顕宗といえば、初代ニセ法主・日顕が自らのデマ発言で最高裁から断罪されたほか、悪質なデマビラ事件で坊主や檀徒に賠償命令が下るなど、続々と司法の追及を受けている。.』

では、この記事の事実に反する内容に対して反駁する。

聖教新聞掲載記事内の事実と反する部分への反論

1、そもそも「和解」においては「勝訴」「敗訴」もない。であるから、
▼「被告・樋田側の実質、全面敗訴の内容で和解が成立した。」
との表現はまずもって不当である。

裁判所の判断

2、当該記事には
▼「学会員の遺族5人が「悪質なプライバシーの侵害であり、名誉毀損」として樋田ら檀徒6人を長野地裁に提訴した。」とあるが、和解文には、
●『遺族である原告らの故人に対する敬愛追慕の情が侵害』とだけあり、
@プライバシーの侵害、
A名誉毀損、
については認定されていない。

3、▼「ビラの記事の主要な部分が事実に反することを認め、」
について。
和解文には
●「配布したビラの中の「熱心な創価学会会員で若い頃から男子部長,青年部長を歴任してきたW副圏長は事業の資金繰りに行き詰まり自殺」との記載のうち,「若い頃から男子部長,青年部長を歴任してきた」の部分及び「事業の資金繰りに行き詰まり」の部分が事実に反し,」
とあり、「W副圏長は自殺」との”主要部分”は事実と反していない。

4、であるから、
▼「原告側の主張が全面的に認められる形で和解手続きが成立。」
とは、全くの事実に反した記載である。

賠償金について

5、当該記事には
▼「@檀徒側が遺族全員に賠償金を支払う」
とあるが、そもそも原告側の請求金額は原告一人につき300万円で総額1500万円であり、裁判所が示した「本件解決金」は原告一人につき5万円で総額25万円である。この金額の歴然たる差額を見れば、本件の和解内容が、
▼「原告側の主張が全面的に認められる形で和解手続きが成立。」
でないことは明白である。

6、▼「B今後、創価学会会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしない」
ことなどは、殊更に「創価学会員個人」に限定しなくとも、「名誉、プライバシーを侵害する言論をしない」ことなど、思想・信条・信仰を問わず、社会人として当然のことである。
また、この和解条項に本項が付加されていても、本件において原告らが主張した「プライバシーの侵害であり、名誉毀損」との内容が裁判所に認定された訳ではない。

7、以上の事実からいって、
▼「檀徒側の全面敗北である。」との内容も、全く事実と反する記述である。

追記

8、▼「そもそも樋田なる男は日顕直属の謀略組織の一味と結託しており、これまでも、学会を怨嫉して薄汚い姑息な謀略を繰り返してきた。」
との記述には全く具体的・客観的な内容がなく、単に感情的に怨念を持って一方的に述べているだけであり、およそ”公の新聞の公平な論評”とは言えない。

―――――――――――
これほど単純且つ明快な反論を、貴公が未だ読んでないのか、さもなくば貴公の愚鈍な頭で理解できないだけであろう。
または、例のパラノイア=偏執狂特有の症状であろうか。

パラノイア=精神病の一型。偏執的になり妄想がみられるが、その論理は一貫しており、行動・思考などの秩序が保たれているもの。妄想の内容には、血統・発明・宗教・嫉妬(しっと)・恋愛・心気などが含まれ、持続する。偏執病。妄想症。四〇歳以上の男性に多い。

いずれにせよ、この件に貴公がいくら偏執して拘ってみても、貴公が当方からの痛烈な破折に一言も返せない事実の言い訳、理由付けには全くならない。
貴公が反論不能で遁走しているその無能ぶりが更に鮮明に浮き彫りになるだけである。

言い換えれば、貴公は教義的には全く反論できないが故に、この件に執拗に拘って矛先を変えようと必死なのである。
まことに惨め極まりない醜態である。
例えていえば、カメレオンの保護色・昆虫の擬態・トカゲの尾を切っての遁走・・・・などに極めて類似した行動様式である。

先日の破折内容にある、

■初めには極法及以尊人を謗ずる故に賤獣の報を受く。
■二には平等大慧の経を謗ずる故に愚獣の報を受く。

沖浦老残人は人間の姿でいるとはいえ、この賎しい獣・愚かな獣そのままの姿ではないか。

更に、
■四には法を謗り人を毀るの時、心に瞋恚を生ずる故に蛇身の報を受く。

●蛇となって生まれる。
沖浦臭人の今現在のこの偏執狂状態の執拗さは、まさに「蛇身」のしつこさと言えるかもしれない。既に前世の悪因縁の報いが生じている惨めな姿であろう。
―――――――――――
■対(むか)って法を聞かざる故に聾病の報を受く。

●聾者となるであろう。今また、正法の言が全く耳に入らない姿が既に「聾病」と言えるかもしれない。
また、同じこと何度聞いても理解できない、その暗愚な姿も「聾病」と言えるかもしれない。
―――――――――――
■行法を受けざる故に無足の報を受く。

●足が無く生まれるか、足を失うであろう。
沖浦痴犬が受けた、「内足靱帯断裂、後十字靱帯部分断裂、前十字靱帯損傷、皿の骨が欠けて筋肉に刺さっています。サラが少しシフトしています。」という状況などは、この無足の報いの先兆であろうか。
―――――――――――
■愚癡にして経を謗ずる故に暗鈍の報を得。

●暗鈍=道理に暗く鈍いこと。きわめて愚かなこと。また、そのさま。
であるから、ここも沖浦愚醜人、既にこの報いを十分に発揮していると言えるであろう。惨めである。

→就労時間内に虚偽を用いて、スキー大会?

腰痛で欠勤…でもスキー大会は優勝
―神戸市 2職員、停職―
―雑誌に載り公に―
―「仕事は無理だが、スキーならできた」―

(『毎日新聞』040718東京朝刊)

 病欠として仕事を休んでスキー大会出場を繰り返していたとして、神戸市が市環境局の50代と30代の男性職員2人を懲戒処分(停職)にしていたことが17日、分かった。スキー大会のホームページ(HP)や専門雑誌に2人の成績が紹介されていたため発覚。30代の職員は「仕事はできなかったが、スキーならできた」、50代の職員は「問題ないと思った」と話しているという。
 同市によると、02年11月〜04年3月に50代の職員は計22日、30代の職員は計7日、腰などの痛みを理由に診断書を提出して欠勤。兵庫、長野、新潟各県のスキー大会に出場していたという。
 2人は市役所スキー部員。「さぼってスキーをしている」という情報があり、市が調べたところ、病欠の日にあった大会で50代の職員がシニア部門で優勝するなど2人が好成績を収め、大会HPやスキー雑誌などに名前や写真が掲載されていたことが分かった。
 処分は6月30日付で、50代の職員が停職6カ月、30代の職員が停職1カ月。

↑こういうことを平気で出来る者を、『暗鈍』という。まさに法華誹謗の罪報である。
―――――――――――
■?慢の心にして謗ずる故に?陋の報を得。

●?=背が短い。陋=みずぼらしい。心、知識が狭い。身長が短い。卑しい。身分・地位が低い。品が悪い。粗悪である。醜い。いやらしい。・・・などの意味がある。・・・来世と言わず、これも既に沖浦醜人、かなりの部分で体現しているか。
―――――――――――
■微妙の法を謗ずる故に醜陋の報を得。

●醜陋=みにくく卑しいこと。また、そのさま。 ・・・ここも、やはり、沖浦老醜、今世で既に体現しているか。
―――――――――――
■正直の経を謗ずる故に背傴の報を得。

●背骨が曲がって傴(せむし)のような状態になる。既に足に「現症」が出てきているのであるから、よくよく気をつけるべきであろう。
―――――――――――
等々、貴公が、身に体現している醜い姿は既に三宝誹謗・法華経誹謗の極悪果の現われであり、死後無間地獄に堕ちる先兆である。
しかしまた、貴公が当方に絡み付いてくればくるほどに斯様に強い破折の鉄槌を下され、それが為に心に強い瞋恚を生じ、その逆縁によって、永劫の未来世に於いて正法へ帰依すべき因を積むことにもなるのであるから大いに喜ばしいことでもある。

今後も、せいぜい絡み付いてきたまえ。
貴公の為に大いにその肺腑に呵責の矢を突き刺しましょう。
今は苦痛かもしれないが、それが後の薬となることでしょう。