■ 関連年表(『富士年表』ほか)

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慶長5年(1600)
日精上人ご生誕

元和9(1623)年
・敬台院、法詔寺建立
 
元和10(1624)年 24才
・法詔寺に仏像安置
◆予 法詔寺建立の翌年、仏像を造立す(『富士宗学要集』第9巻69頁)
 
寛永8(1631)年
・新寺建立の禁止 以後度々発令(『日寛上人と興学』)
 
寛永9(1632)年 32才
1 月 日就 江戸法詔寺において法を日精に付す(聖753)
  2.21 16世日就寂66(大過去帳)
   ○ 日精大坊に入る(9―87)
 11.15 敬台院殿日詔 大石寺御影堂〔14間に13間〕を寄進(棟札・5―322)
・第17世日精上人、御登座
・本末帳の作成(本末制度) 以後何度も実施。各宗派の本寺は末寺を支配するために様々な権利を有するという、寺院の厳格な上下関係が築かれた。(『日寛上人と興学』)
 
寛永10(1633)年
・第18世日盈上人、御登座
・日精上人、『随宜論』を著す(『富士宗学要集』第9巻69頁)
 
寛永12(1635)年
・寺社奉行設置
 
寛永14(1637)年
・春 日精上人、江戸より帰山(石文)
(※この件については「精師舜師矛盾書付」なるものには全く触れていない。
学会邪難:寛永八年の諸堂焼失は(石文)が根拠でありそれは書付である主張するが、それが書付の存在の証明にはならない。「石文」は膨大に存在するのである。現にこのように書付とは別の「石文」から史実を示挙してあるのであるから、学会側の言い分は根拠総崩れである)(再住)
・日俊上人、御誕生
・日精上人、敬台院の推挙により公儀の年賀に乗輿を免許せらる
 
寛永15(1638)年
・日精上人の教化を受け、常泉寺は大石寺の末寺に移り、常泉寺の末寺である下総国(千葉県)中田真光寺が大石寺の孫末寺となった(『新版仏教大辞典』初版)
・日精上人、隠居して江戸に出られ、常在寺を再建(同)

1638 寛永15 戊寅
  3. 7 18世日盈 会津実成寺に寂45(大過去帳)
  6.24 敬台院殿日詔 大石寺基金として741両寄進(8―56)
 12 月 本行院日優 江戸常泉寺境内に本行坊を創す(寺誌)
   ○ 日精 大石寺中門[二天門]を建立し総門を再建す(明誌)
   ○ 日精 江戸下谷常在寺を再建す(縁起)
   ▽ 日精 本行院日優を化し、江戸常泉寺・同塔中真光坊大石寺末寺となる(聖761・寺院本末記)
 
寛永17(1640)年
・この頃、日精上人と敬台院の間に隙(げき)が生じる(『続家中抄』)
・幕府は、寺請制度を設けて、宗門改役を設置。 
宗門改役は、絵踏などをさせて、キリシタンや日蓮宗不受不施派かどうかを取り調べた。
これを宗門改めという。キリシタンでないことが証明されると、宗門改帳(宗旨人別帳)に記載された。
一度定められた寺院を変更することは出来ない。
定められた寺院を檀那寺といい、記載された人を檀家とか檀徒(施主)という。こうした制度を寺請制度と言う。(<エピソード高校日本史>WS)

1641 寛永18 辛巳
 春   日舜 朱印改めにて出府し下谷常在寺にて日精と師資の契りを結ぶ(聖763)
 
1645 正保2 乙酉
 10.27 日精 法を日舜に付す(聖763)
   ○ 敬台院殿日詔 江戸法詔寺を阿波徳島に移し敬台寺を創す(寺誌)
 
慶安3(1650)年
・日永上人、富士上条に御誕生

1657 明暦3 丁酉
  5. 8 日精 富士門家中見聞[家中抄]中巻を草す(石蔵)
 
1659 万治2 己亥
8.12 日精 大石寺持仏堂六壷本尊を刻す(本尊裏書)
 
万治3(1660)年
 4・8日精上人、大石寺客殿安置日興上人御影を造立(像銘)
  7. 8 江戸常泉寺本尊造立、願主本行院日優(妙光寺本尊裏書)
  9.20 三浦志摩守 下野小金井蓮行寺に20石を寄す(8―51)
  9.28 日舜 富士上井出に本証寺を創す(寺誌)
 10 月 日精 大石寺客殿安置大聖人御影を造立す(像銘)
 
寛文2(1662)年
・富士門家中見聞『家中抄』3巻を著す
 
寛文3(1663)年
・日蓮宗への自讃毀他の禁止(『日寛上人と興学』)
 
寛文6(1666)年
・敬台院殿妙法日詔卒
 
寛文8(1668)年
・3.17 壱部頓写千部読誦・色袈裟衣着用の儀について大石寺の法式として奉行所に報告(北山文書)

1669 寛文9 己酉
 11.12 19世日舜寂60(大過去帳)
   〇 日精 寺社奉行の召により京本圀寺と越後本成寺の本末争いを決着す(聖761)

寛文11(1671)年
・この頃『日蓮聖人年譜』を著す

1676 延宝4 丙辰
  2.17 日精 宝物散逸につき保田妙本寺に書を呈す(歴全2―319)

1677 延宝5 丁巳
  2.27 阿波敬台寺開基智見院日重寂57(過)

1678 延宝6 戊午
 10 月 日精 細草遠霑寺常住本尊〔宗祖本尊模刻〕造立(本尊裏書)
   〇 耶蘇教厳禁の令を下す(徳紀)

1679 延宝7 己未
  2.13 日精 大石寺御影堂本尊〔宗祖本尊模刻〕造立(本尊裏書)
 
延宝8(1680)年
・第22世日俊上人、御登座
・日精上人、甲斐杉山有明寺安置日有上人御影を造立
 
1683 天和3 癸亥
 夏   日精 江戸下谷常在寺を日永に付す(聖762)
 11. 5 17世日精寂84(大過去帳)
 12月下旬 日寛 江戸下谷常在寺日永の室に入る19歳(聖774)
 
貞享4(1687)年
・日因上人、御誕生
 
貞享5(1688)年
・第23世日啓上人、御登座(日宗年表・『大日蓮』H18.12)
 
元禄2(1689)年
・3.3 日東上人、御誕生
・3.6 日俊上人、弁破日要義を著す
・3月 大石寺、北山(重須)本門寺と宗論して出訴
・7.5 北山僧日要、大石寺を寺社奉行に訴う
・11.16 北山本門寺より大石寺を寺社奉行に訴う
 
元禄3(1690)年
・2.18 日俊上人、寺社奉行に返答書を出す
・3.27 大石寺・北山本門寺両寺出訴を取下ぐ
 
元禄4(1691)年
・日俊上人、御遷化(※日因上人5歳)
 
享保3(1718)年
・第26世日寛上人、御登座
 
享保10(1725)年
・日寛上人、『六巻抄』を再治