中野対決 「三箇が二箇になる」文は似てても義は全く違う 010
この論師の根拠は、おそらく以下の学会邪難文書であろう。
<日玄『得意之記』>
▼「享保年中・要法寺末であった仙台仏眼寺の住持日玄の得意之記の文を紹介しておこう。
「但し三大秘法の時は久遠の釈尊を以て本尊とする也、法の本尊を以て事行の南無妙法蓮華経と名るが故也云々、報恩抄之を思へ、一向法の本尊と計り屈する、則(※しか?)れば三大秘法の時は二箇に一箇を失する也」」
そしその邪難文書によれば
▼「実は、これと全く同じ論が要法寺系では度々主張されている。」そうである。
「要法寺末寺の住職」が主張するのであるから、その本家本元要法寺の“思想的大家”であった日辰も同じ主張をしている。と判断しているのであろう。
また事実、日辰がそのような主張をどこぞでしているかも知れぬが、当方は謗法者の日辰の邪論など百万年研鑽しても即身成仏は絶対にできないので、時間が勿体ないから膨大な書物の中から敢えて探索はしないが、問題はこの主張の中身なのである。
日辰が本尊を「久遠実成の釈尊」と規定していることは既に証拠を提示したが、その主張の延長線上で出てくる、この
▼「則(※しか?)れば三大秘法の時は二箇に一箇を失する也」
との箇所が、学会論師が言っている、
「日精上人と同じ主張を日辰もしている。だから、日精上人は日辰と同じ教義解釈であり、だからこそ、日亨上人が頭注をつけて破折されたのだ」
という主張の根拠としている(であろう)ところである。
さて、果たしてそうなるのであろうか?
ここで日辰の主張を明示してみよう。
▼日辰『開迹顕本法華二論義得意抄』/日蓮宗宗学全書3-294頁)
第一に本尊とは久成の釈尊也。
第二に戒壇とは、佐渡の国より人々の中に給える一書の中に「天台伝教はこれを宣べて本門の本尊と四菩薩の戒壇と南無妙法蓮華経の五字これを残し給う。一には仏授与せざるゆえに、二には時機未熟の故なり。文」若しこの文に拠る時は四菩薩造立をもって戒壇と名づくか、此の外に事の戒壇これ有り。
第三に本門事行の南無妙法蓮華経なり、是は曼陀羅の中央の七字なり」
●第26世日寛上人『観心本尊抄文段』242頁
辰抄に云く
「本尊に総体・別体あり。
総体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり。即ち当文是れなり。
別体の本尊に亦二義あり。
一には人本尊。謂く、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文是なり。
二には法の本尊。即ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。
これを図式してみる。
<日辰の三大秘法義>
1.本尊
a.総体の本尊→曼荼羅(『観心本尊抄見聞』)
b.別体の本尊
b1. 人本尊(文証:『報恩抄』『三大秘法抄』『佐渡抄』『観心本尊抄』)→久成の釈尊(『開迹顕本法華二論義得意抄』)
b2. 法本尊(文証: 『本尊問答抄』)→事行の南無妙法蓮華経=曼陀羅の中央の七字(『開迹顕本法華二論義得意抄』)
2.戒壇
a.理の戒壇→四菩薩造立(『法華取要抄見聞』)
b.事の戒壇→富士の戒壇(『法華取要抄見聞』)
3.題目→事行の南無妙法蓮華経=曼陀羅の中央の七字(『開迹顕本法華二論義得意抄』)
日精上人が仰せの
■「三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり」(富要5・118)
という「三箇」とは当然至極であるが、
「本門の本尊」
「本門の戒壇」
「本門の題目」
の三大秘法のことである。
この三大秘法に配した時「或る抄」の立てる本尊・戒壇・題目義では「本門の題目」が欠けているというということを
「二箇となるの失」
となる。と指弾しているのである。
一方『得意之記』に現わされる日辰の主張(という)
▼「二箇に一箇を失する」
の「二箇」とは「人本尊」と「法本尊」の2つである。
▼「一箇を失する」
とは法本尊ばかりを標榜するのは、別体の「人本尊」「法本尊」のうちの1つである「人本尊」が欠けているという批判である。
日精上人が仰せの
■三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり
と
日辰の主張(という)
▼三大秘法の時は二箇に一箇を失する也
では、そもそもの両者の三秘の立て方が違うが故に、双方の批判の対象が全く異なるのである。
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中野対決 学会「木を見て森を見ず」011
日精上人は、まず
●一、佐渡国より弟子共に内々申す法門とは何等の法門ぞや。
と問いを出して、次にまず報恩抄の一文を引かれる。
● 報恩抄に云く、問ふて云く天台伝教の弘通し給ざる正法ありや、答へて云くあり、求めて云く何物ぞや、答て云く三つあり末法のために仏留め置き給ふ、迦葉、阿難等、馬鳴竜樹等、天台伝教等、の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其ノ形貌如何、答へて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝外の諸仏并に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮花経と唱ふべし、此の事いまだひろまらず閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱へず日蓮一人南無妙法蓮華経々々々々々々々等と声もをしまず唱ふるなり文、
つまり、この御文は三大秘法は明示されているのである。
日精上人は大聖人が龍ノ口で発迹顕本された後、佐渡に渡ってから弟子達に内々に三大秘法を明かされたと仰せなのである。
この御文の、
●一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝外の諸仏并に上行等の四菩薩脇士となるべし、
とは、「本門の本尊」
●二には本門の戒壇、とは、そのまま「本門の戒壇」
●三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてゝ南無妙法蓮花経と唱ふべし、
ここが、「本門の題目」である。
そこで、この当時、要法寺の日辰などが提唱するところの久遠実成の釈尊を「本門の本尊」とする邪義が横行しており、要法寺との通用によって本宗の僧俗にも大なり小なり影響を与えていたので、この際、この問題を詳らかにして、正義を鮮明にされようとしたのである。
これは、例えば立正安国論で、数ある邪宗の中でもその時に法華最第一の正義を覆い隠す最有力の謗法であった法然の念仏宗を中心に破折されたこと。
また、現在では世にあまたある邪宗の中でも、一番強大かつ強力に正法を誹謗している「現代の一凶」である創価学会を第一番に破折する。
この原理と同じであると拝する。
そこで次に出てくる御指南が、
●此の文に本門の教主釈尊を本尊とすべし等と云へり常途の本尊に違せり、
と、問いを立てて、当家の相伝を知らない幼学・浅学の者が陥り易い落とし穴を切り出して下さるのである。
つまり、
「この報恩抄の文には「教主釈尊を本尊としなさい。」とあるが、それは当家の文字曼荼羅御本尊と違うではないか。」
と、当宗以外の大概の者達が陥る妄執をまず挙げているのである。
その上で、
●其ノ上或抄に本尊問答抄を引き法華経を以て本尊と為す可しと此の相違はいかんが心得可きや、
つまり、今回問題になっている「或る抄」という書物には、本尊問答抄の文を根拠に「法華経を本尊とすべき」とも書いてある。
かたや、「教主釈尊を本尊とすべき」とあり、その一方で「法華経を本尊とすべし」ともある。
この矛盾はどうなってるんですか?ということである。
因みに本尊問答抄の文は、
■問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。(1274)
である。
そこで、日精上人がその問いに
●答へて云はく此の或る抄を見るに一偏にかける故に諸御書一貫せず、其の上三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり今便に因みて略して之を出さん、其ノ中に
つまり、
この「或る抄」を検分すると、大聖人の御本尊に関しての御指南の片一方・またもう片一方に偏った解釈をしているから、全ての御書の仰せに対して一貫した整合性がない。
その上、三大秘法として見た時には、ただ二大秘法だけになってしまう不備な法門である。
今、話しの流れだから分りやすいように、その「或る抄」の概略を紹介してみましょう。その中に、
というところまでが日精上人のお言葉であり、この段の流れである。
であるから、これは高校生以上の古文読解力があれば誰がどう読んでもこの「或る抄」とは日精上人以外の当宗の法門に暗い者が書いた書物のことであり、日精上人はその内容を提示しつつ、破折を加えられているのということが分るのである。
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中野対決 あ〜あ、斉藤教学部長サマの説を否定しちゃった学会論師 012
日寛上人は、この箇所に
●「精師且(しばら)く他解を述ぶ。是れ即ち日辰の意なり。故に本意に非ざるなり。」(抜書雑雑集)
と、仰せられているのである。
つまり、
「日精上人は、一時的に、かりそめに、本宗の教義でないものを述べている。これは、日辰の説である。であるから、この部分は日精上人の御本意ではないのである。」
ということである。
しかも、創価学会の斉藤克司教学部長サマ(当時)も「日精問題を質す」において、
▼「日精は「或る抄」なるものを引いて、富士の立義とは異なる要法寺流の邪義を延々と紹介して注釈しているのである。確かに日精は、この書(※年譜)では一応、「或る抄」の誤りを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない。」
▼「日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである。」
と、明確に「或る抄」が要法寺流の邪義の引用であると、認めているではないか。
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中野対決 抜書雑雑集 013 精師且く他解(日辰説)を述ぶ。
日寛上人の代表著作である観心本尊抄文段に、
● 辰抄に云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり。即ち当文是れなり。別体の本尊に亦二義あり。一には人本尊。謂く、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文是なり。二には法の本尊。即ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。(第26世日寛上人『観心本尊抄文段集』242頁)
と、書かれ、この『年譜』の
● 今便に因(ちな)みて略して之を出さん、其の中に
「初には本尊に二あり先づは惣躰の本尊、謂く一幅の大曼荼羅なり、次には別躰の本尊なり、別体に付いて又二つあり人の本尊と法の本尊となり、初に人の本尊とは右の報恩抄の文是なり類文あり。観心本尊抄に云く、(中略)此れ等の仏をば正像に造画すれども未だ寿量品の仏有まさず、末法の初に来入して此の仏像出現せしめたまふ可きか文。
又云く、此の時地涌千界出現し本門の釈尊を脇士と為して一閻浮提第一の本尊を此の国に立つ可し文。
(中略)
此れ等は人の本尊の証なりさて法の本尊は。
本尊問答抄に云く問ふ末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定む可きや、答へて云く法華経の題目を以て本尊とすべき也文。」
との文の、まさに「其の中に」以下の文意がそのまま引用されているのである。
つまり、日寛上人は、まさにこの「或る抄」を日辰の邪義と特定されており、「年譜」のその前段の
●「此の或る抄を見るに一偏にかける故に諸御書一貫せず、其の上三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり今便に因みて略して之を出さん、」
との箇所は日辰の邪義として含んでおられない。
またこの「抜書雑雑集」は総本山所蔵の文献ではあるけれども、正規の筋道からは出版されていないものであり、完全に整足された文献とは言えない一面もあるのでその引用には注意を要するものである。
しかも、補足であるが、この抜書雑雑集の記述には日辰の説として
●「凡そ本尊に二有り。先は惣体の本尊、謂く一幅の大曼荼羅なり。次には別体の本尊、是れまた二あり。一には人の本尊、即ち報恩抄及び本尊抄の、云云」
とあり、
「年譜」の
●「初には本尊に二あり先づは惣躰の本尊、謂く一幅の大曼荼羅なり、次には別躰の本尊なり、別体に付いて又二つあり人の本尊と法の本尊となり、初に人の本尊とは右の報恩抄の文是なり類文あり。」
全く同義である。
ここで注目すべきことは、学会側が、
「もし「或る抄」が日辰の説の引用ならば、その文中に、「右の報恩抄の文是なり類文あり」
との記述は、すぐ前に日精上人が自分で引用した報恩抄の文を指しているのであるから、矛盾するではないか。やはり、日精上人自身の文章と読まないと不自然ではないか。」
と主張していたが、その根拠は総崩れである。
つまり、日寛上人は、その同じ箇所を
● 「即ち報恩抄及び本尊抄の、云々」
と、報恩抄の引用は既に冒頭に出ているので省いている。。
日精上人はその報恩抄の引用部分を「右の報恩抄の文是なり」と分りやすく説明をされ、
日寛上人はそこは普通に読めば当然分りきったことだから敢えて詳細に触れずに書き進んだ。
ということである。
であるから、或る抄の引用の中に
「右の報恩抄の文是なり」
という日精上人が説明した挿入部分があるからと言って、この引用文全体が日精上人の文章と見る学会論師は、まさに日寛上人が
「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。」
(賢い者は、道理や論理性を重要視するが、愚かな者はその皮相的な文に囚われる。)
とお叱りされる、文意の読めぬ「闇者」ということであろう。
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中野対決 014 研究教学書 日亨上人・頭注
「精師且(しばら)く他解を述ぶ。是れ即ち日辰の意なり。故に本意に非ざるなり。」
の頭注として、日亨上人が書かれた本文は、
「此下本師之与尺也」
「此の下、本師の与尺なり」
この下の文は、日寛上人が、日精上人に対して与えて言った場合での解釈である。
という文である。
与奪の法門とは
与とは容与の義 しばらく自己の本意を隠し、相手の主張を容れるという寛容、随他意の立場。
奪とは斥奪の義、直ちに自己の真実を明らかにし、妥協せず相手の主張を斥ける随自意の立場。
ということであるが、しかし、学会論師が言うような、
「日寛上人が日精上人をかばって言ったのだ」
という珍怪釈にはならない。
それはあまりにも曲解し過ぎである。
その上で、確かに日亨上人が日精上人に対して大変厳しい批判的な目を向けておられたことは事実である。
しかしそれは、先に論究した日仁(日舒)の百六箇対見記・付録の記述をそのまま受け取られて、「日精上人は造仏をした」という先入観からの判断の上から「年譜」の記述などに対せられたからと拝するのである。
(この百六箇対見記・付録については既に詳細に解明した如く、造読家として大石寺を憎悪する要法寺31代貫首・日舒の記述であるから、その内容をそのまま歴史的事実として採用できるものではない。)
その観点からすれば、先の日寛上人の
「精師且(しばら)く他解を述ぶ。是れ即ち日辰の意なり。故に本意に非ざるなり。」
とのお言葉は、日亨上人の 日精上人=造読家 との思い込みからすれば納得できない見解であり、上記の頭注の如くの解釈をせざるを得ない。ということであろう。
日精上人が造読思想家ではなかった傍証を提示
<『秘釈独見(ひしゃくどっけん)』>
●精師御教語に曰く、今世の愚昧の人を教化して受法せしめん此の功徳は八万四千体の白仏を造て供養し給仕する功徳よりも勝れたる也云々。一人受法するときは八万四千の煩悩即菩提となる。何んそ木仏八万四千体造立するとも此の功徳に及ぶ事を得んや。(金沢信徒・福原式治『秘釈独見』金沢妙喜寺蔵)
「日精上人の御教えのお言葉に次のように仰せられていた。今世の愚昧(愚かで仏法に昧(くら)い)の人を教化して御授戒を受けさせて信仰させる此の功徳は八万四千体の白仏(仏像)を造って供養し給仕する功徳よりも勝れている。一人が信仰受法する時は八万四千の煩悩即菩提となる。たとえ木の仏像などを八万四千体も造立しても此の功徳に及ぶ事はない」
日精上人が、御自分が教化折伏した金沢の信徒に対して、造仏の修行よりも折伏の功徳が勝れていることを、はっきりと御教示されている。
それはつまり折伏を勧めることによって、造仏を制止されていることにも通じる。
この文書により、日精上人の実際の御化導の姿から、造仏を勧められていなかったことが明白であり、折伏を強く推進されていたことが分るのである。
また、日亨上人をことさらに持ち上げる学会側には、「大学匠であられた日亨上人に文献の読み違いなどあるはずがない!」と妄執する御仁も多いであろうからその点についても指摘しておく。
一例を挙げれば、熱原法難で三烈士が命を落とした年月日を、『富士日興上人詳伝』には、
●神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する。(同書91頁)
とあり、日亨上人は弘安3年4月としている。
しかし『富士年表』では種々検討した結果、弘安2年10月15日としてきた。
創価学会の『仏教哲学大辞典』(第3版)の「熱原法難」の項にも、
◆(※弘安二年)10月15日、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人は事件の発頭人というかどで斬罪に処せられ(同書33頁)
と、日亨上人の説ではない、その後の宗門の説を踏襲している。
『大白蓮華』昭和53年12月号・池田大作の言
◆かつての堀日亨上人の文献によれば、三烈士の刑死の日は、熱原法難の翌年にあたる弘安3年4月8日であるとの説であったが、猊下(※日達上人)の御説法によって示された弘安2年10月15日というのが、私達も本当にその通りであると思う。
いくら大学匠・日亨上人でも勘違いや誤解くらいはあるのであり、学会も自分たちに被害がないものに関しては平気で訂正してきたのである。
更に、日精上人が造読家であったとして批判的であった日亨上人は、歴代上人の血脈について以下の如くお考えだった。
●此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人・有師化儀抄註解『富士宗学要集』1巻116・117頁)
仏と云っても、菩薩と云っても、これは共に久遠元初の仏・菩薩 同体の、名字即の御本仏である。それは末法に御出現された日蓮大聖人の御本体である。尚更に一層それを端的に言えば、日蓮大聖人・第二祖日興上人以来の血脈相承を承けられた歴代の御法主上人のことである。歴代の上人こそが血脈の直系の伝承者であるからである。
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中野対決 015 三箇が二箇に 言葉は同じでも中身は全然違う
既に会通を試みたが、日精上人の見解と日辰の教義解釈は全く違うのである。
日辰 開迹顕本法華二論議(以下二論議)には
▼ 三大秘法は二大秘法也、人法一体の故也(宗全3・294)
▼ 三大秘法は只二大秘法歟の事(中略)妙経の外に本尊まします事を観心抄に事行の南無妙法蓮華経並びに本尊文、若し妙経即本尊ならば並の字剰(あま)れる也、又本尊戒壇妙経と別別に之を判ずる故に三大秘法の義分明なる者也。(宗全3・296)
とある。
これは、日辰が、観心本尊抄(660)の
■ 但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く之を行ぜす。
の御文について、三大秘法の「本門の題目」であるところの
■ 事行の南無妙法蓮華経の五字
つまり“事において行ずるところの題目”を「本門の本尊」と読み違えたが故に、次下の
■ 並びに本門の本尊
との御文との整合性が取れなくなって混乱してしまったのである。
日辰は同じく二論議に
▼ 第一に本尊とは久成の釈尊也。
第二に戒壇とは、(中略)
第三に本門事行の南無妙法蓮華経なり、是は曼陀羅の中央の七字なり(宗全3-294)
と明示しているから、本門の本尊を「久遠実成の釈尊」としている。
であるから“大石寺で立てる「本門の本尊」義では、日辰が言う「本門の本尊=久遠実成の釈尊」が欠けることになり、三大秘法ではなく二大秘法になってしまうではないか。”
と邪難しているのである。
一方「年譜」で日精上人が言われる
● 其の上三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり今便に因みて略して之を出さん、其の中に……
と、”三大秘法が一法足りなくて二大秘法になってしまうではないか。”
と指摘しているのは、先の日辰の三秘の立て方では、当家の正当な三大秘法
一、本門の本尊=人法一箇の本尊=久遠元初の人本尊と法本尊がそのまま一体不二。
二、本門の戒壇
三、本門の題目=実際の信行の実践による自行化他にわたっての南無妙法蓮華経
から見れば、与えて言えば日辰の言う「本門の本尊」に当家の「人法一箇の本尊」を配するとしても、日辰の立てる「本門の題目」とは、当家の「本門の本尊」の一分であり、実際に「事を事で行ずるところの南無妙法蓮華経」である当家所立の「本門の題目」ではない。
が故に、
● 三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり
なのである。
日辰は、当流の人法一箇の深旨が理解出来ないが故に、大石寺の三大秘法では「本門の本尊(のうちの人本尊)」が欠けるではないか。と邪難し、日精上人は、日辰の説では、法本尊と題目が等同で差異がなく、これでは「本門の題目」にならんぞ。欠けているぞ。と指弾しているのである。
同じ言葉を用いても内容をよく吟味すれば、全く違う意である。
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中野対決 016 日寛上人と日精上人は同意
日寛上人・観心本尊抄文段
「問う、辰抄に云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり。即ち当文是れなり。別体の本尊に亦二義あり。一には人本尊。謂く、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文是なり。二には法の本尊。即ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。この義如何。
答う、これはこれ文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い、但在世脱益・教相の本尊に執して以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずる能わず。恣に総体、別体の名目を立て、曲げて諸文を会し、宗祖の意を失うなり。」
ここにまさに日精上人と同意の破折が顕然ではないか。
日辰
▼「別体の本尊にはまた二義がある。一には人本尊である。これは、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、などに、またこの観心本尊抄の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字、「並びに」“本門の本尊”(法本尊の他に人本尊がある)』等の文で示されている本尊のことである。」
との迷見に対して日寛上人は、
「日辰は文底の大事を知らない。大曼荼羅御本尊こそが事の一念三千の法本尊であり、それはそのまま自受用報身如来であり、人本尊である日蓮大聖人である。日辰はこの深い意義が全く分っておらず、ただ釈尊の脱益仏教の、経文の表面上の、久遠実成の釈尊を本尊と執着して、末法の一切衆生が成仏できる下種の本尊と思い込んでいる。
であるから、大聖人の御文のあらゆる御指南と、一貫した整合性を取ることができない。我見に任せて好き勝手に「総体の本尊」だの「別体の本尊」だのと勝手な標題を作って、御書の御文を自分で曲げて解釈し、結局、日蓮大聖人の本当の御心を見失って、曲げた本尊義に陥っている。」
と痛烈に破折されている。
この中の、
● 但在世脱益・教相の本尊に執して以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずる能わず。
とは
日精上人「年譜」中の
● 然るに或抄の意は一偏の書の故に諸抄に一貫せず、
との破折とまさに同意ではないか。
詳しく見てみよう。
この中で、
●「在世脱益・教相の本尊に執して」(観心本尊抄文段)
との箇所で日寛上人は、「日辰は、久遠実成の釈尊を本尊と思い込んでいる。」と指弾されている。
一方、日精上人は「年譜」で
●「一偏の書の故に」
と破折されている。
つまり、人法一箇という大聖人の本因妙の深旨が分らないが故に、どうしても人本尊として久遠実成の釈尊を立てる。それが人法体一の法義からすれば、一方に偏っている。ということであり、まさに日寛上人と同意である。
また、次下の
日寛上人 「故に諸抄の意に通ずる能わず」
日精上人 「故に諸抄に一貫せず」
も、全く同意である。
日精上人が「年譜」で「或る抄」として引用した内容と、日寛上人が観心本尊抄文段で日辰の説として引用した文章の内容がほぼ同じであり、それに対しての破折の観点が、上記の如くこうまで一致している以上、これはどこからどう見ても、「或る抄」とは日精上人が、日辰の偏った本尊義を破折するために引用した文である。
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中野対決 017 我田引水は学会幹部
抜書雑雑集の引用元である「年譜」を再度詳細に検証。
年譜・本文
● 此の文(※報恩抄)に本門の教主釈尊を本尊とすべし等と云へり常途の本尊に違せり、
もう既にこの一文に結論は出ているのである。
報恩抄では本門の本尊として
■「本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝外の諸仏并に上行等の四菩薩脇士となるべし」
とあり、このまま読めば、三大秘法の本門の本尊とは、中央に寿量品の久遠実成の釈尊像。その左右に釈尊像と多宝如来他諸仏。更にそのまた脇に四菩薩が立ち並ぶ。。。
という本尊である。
ところがその次下に、日精上人は
● (※これは)常途の本尊に違せり
と明言されている。
つまり、そのような本尊は通常の本尊とは違う。と仰せである。
では通常の本尊とはどういう姿か?
当然、文字曼荼羅本尊ということである。
(ここは学会論師も認めたところである)
もうここで釈尊像は本尊とはなり得ないということをはっきり指摘しているのである。
であるから日精上人は、当宗の常の御本尊は文字曼荼羅本尊であることを前提に以下を記されているのである。
報恩抄の御文は一見、本門の釈尊像を本尊としてしまうという誤解が生じるので敢えてここの部分を詳細に切り出して解説して下さっているのである。
また事実この御文を読み誤った日辰などが本尊を久遠実成の釈尊と立てていたが故に(二論義)、その迷妄を明確に破す為に敢えて問いを立ててその正しい答えに導かれているのである。
その前提の上で次下を拝してみよう。
● 其ノ上或抄に本尊問答抄を引き法華経を以て本尊と為す可しと此の相違はいかんが心得可きや、
(前段では"本門の釈尊を本尊としなさい。"とあるが、それは当流の文字曼荼羅本尊とは違う。)
しかし更にその上に「或る抄」には本尊問答抄の「法華経の題目を以て本尊と為すべし」との御文を依り所にして法華経(の題目)を本尊とすべき。と書いてある。
これも常の文字曼荼羅本尊と違うが、その違いはどう考えたらいいのか?
という問いである。
つまり、
一に、本門の釈尊を本尊と立てることは、当宗の文字曼荼羅本尊と違う。
二に、法華経の題目を本尊と立てることも当宗の文字曼荼羅本尊と違う。
このどちらも当宗の文字曼荼羅本尊正意とは違うがこの違いはどう考えたらいいのでしょうか?
という文意の流れである。
既に先に報恩抄の御文を曲解して久遠実成の釈尊を本尊と立てる日辰流の邪義を示している。
であるから、前半の主語は省略されているが、この文意はこうなる。
(日辰は或る抄で、)報恩抄を依文にして久遠実成の釈尊を本尊と立てる。(その同じ)或る抄では本尊問答抄を依文にして法華経の題目を本尊と立てる。
この偏りは、どちらも当宗の文字曼荼羅本尊と違う。この違いをどう考えたらいいのか?
という文意である。
その上で、次に進んでみよう。
● 「答へて云はく此の或る抄を見るに一偏にかける故に諸御書一貫せず、其の上三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり今便に因みて略して之を出さん、其ノ中に」
「この「或る抄」は一つの偏った執着によって人本尊や法本尊を立てるから、全ての御書と整合性が取れない。
その上に、三大秘法と配した時、信行の題目義が表わされていないから、二大秘法となってしまう。
今、流れに沿ってちょうど良いからこの或る抄の邪義を略して示してみよう。その中に。。。」
となり、実にスムーズに文意が流れる。
学会論師の読み方では、結局「或る抄」とは一体誰のどんな説で、何で今、唐突に引用する必要性があるのか?
という矛盾が絶対に解けない。
つまり、学会論師の読み方がまさに我田引水。非合理極まりない。
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中野対決 019 要法寺に弟子入りするか?
学会論師が引用した 日玄『得意之記』では、
▼ 三大秘法の時は久遠の釈尊を以て本尊とする也
という執着から、大石寺の立てる、自受用身即一念三千・一念三千即自受用身の人法一箇の本尊では、人本尊である久遠の釈尊が欠ける。だから要山系は
▼三大秘法の時は二箇に一箇を失する也
と大石寺を批判しているのである。
しかし、
日精上人が仰せの
■「三箇の秘法の時は唯二箇となるの失あり」(富要5・118)
とは、「或る抄」では本門の題目を「事行の南無妙法蓮華経=曼陀羅の中央の七字。」と定義するが故に、それは法体の一部であるから、信じ唱え行ずるところの「本門の題目」になっていない。が故に三箇から一箇が欠けている、と破折しているのである。
大石寺と要山では、そもそも三秘の立て方が違うのである。
学会論師は、この両文の言葉が似通っていることを以て、喰いついてきたようだが、双方の批判の対象が異なっており、それを以て、日辰と日精上人が同じ見解だった。などというこじつけは通用しない。
しかも前回でも解説したが、日精上人は、
● 此の文(※報恩抄)に本門の教主釈尊を本尊とすべし等と云へり常途の本尊に違せり、
と明確に、久遠実成の釈尊を本尊とすることは、当流の通常、当たり前に決まり切った本尊とは違う。と断言されているのである。
ここでも日精上人に釈尊像を本尊とする意志がなかったことは明白であり、であるならば日辰流の本尊義と同意であるわけがない。
およそ常識的に考えても、それまで大聖人以来、文字曼荼羅本尊正意を約400年近くも厳として伝えてきた宗門において、いきなりある一人の僧侶が唐突に本尊を釈尊像に変更などできるはずもないではないか。
また、そのような人が何で御先師第16世日就上人から、次期法主としての大任を任されるというのか。
こういった当たり前の道理を当たり前に受け取れないのが、まことに困りモンである。
まさに目先の礫に囚われて大山の偉容が見れぬ者である。
中野対決 020 後段の「或る抄」について
後段「或る抄」について
この後段の「或る抄」は、神力品を主軸に本門の題目を論じている。
日辰は
▼「通じて本尊を明す時は八品所顕の本尊也。今の文に「但八品」と云う故也。別名本尊の時は寿量所顕の本尊也。」(観心本尊抄見聞)
というごとく、以下の立場である。
▼「(※日辰の立てる本尊義は)一往は八品所顕の三大秘法であるが、再往は寿量所顕の法体である」(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1364頁)
更にもう少し詳しく、日辰の考える、寿量と、神力品を含む八品との位置付けを表わす文を挙げてみよう。
▼「問う、上行出世の本意に約する時は本門八品上行要付と云うべき也。謂わく只八品を説いて之を付属すと云へり。今何ぞ傍付正付に約して本門八品上行要付と云は不るや。
答う。諸文に任せば只寿量の妙法を以て上行弘通と見えたり。
(中略)
若し諸文に依って寿量の妙法上行所伝と云うべし。何ぞ諸文に違背して本門八品上行要付の新語を宣べて愚痴の男女を惑乱せんや。」
▼「末法の良薬は寿量の妙経也。然れば則ち一帋(紙)曼荼羅中央の七字は是れ上行所伝の良薬の妙法也。此の良薬をば神力品の時、十神力を示現して四大菩薩に付す。」
これらの文義を見るに、この後段の「或る抄」の文
▼「本門題目とあるを見て寿量品に限ると思はゞ誤の甚しきなるべし」
との文義は、確かに上記の日辰の説と馴染まないようである。
ここは、前段の日辰の説である「或る抄」とは別の、あるいは八品派の説を挙げて、「これもまた、謗法の邪義である。」と日精上人が破折された。と見る方が自然と考える。
この後段の「或る抄」は、それが誰の説でも特段問題はないのである。
日亨上人は、ここには頭注を附されて日精上人を批判されていないし、日精上人も後段「或る抄」引用後、明確に
● 此の三義を出せるは祖師日蓮大聖人を破り奉らんところの謗法の書なり、全く之を信ず可からず
と破折されているが故に、日精上人の説と見誤ることもない。
であるから、「日精上人に造仏思想があった」と非難する根拠には端から全くならない箇所なのである。
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中野対決 021 後段「或る抄」へ日精上人は正当な破折
既に論じたとおり、この後段の「或る抄」は、確かに八品派の主張に近い、と言える。
日隆門流「八品正意」は本門八品を選び、
「この八品に顕れた神力付嘱・上行所伝の妙法のみが、久遠の本仏の正意であり、宗祖の正意である」
また、「寿量品と神力品に勝劣を立て、寿量品を中心とした一品二半を「在世本果脱益の迹」とし、神力品において結要付嘱された「上行所伝の南無妙法蓮華経を本」として、「神力付嘱・本因下種の妙法」を最勝である」
と主張しているところからみると、後段「或る抄」の文義に通じることは確かである。
だが、学会論師が主張するように、「日精上人が日辰と同意であるから、その観点から、八品派を破折している。。」と取るのは、根拠のない邪推である。
当流の正当な三大秘法義から見ても八品派の主張は十分に邪義であるからである。
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中野対決 022 年譜を精査・前段「或る抄」は精師の説に非ず
「日蓮聖人年譜」をここで終えるので、新しい観点を含め、最後にまとめてみよう。
日精上人が曼荼羅正意に立たれていたことは、以下の文に既に明白なのである。
年譜
● 此の文(※報恩抄)に本門の教主釈尊を本尊とすべし等と云へり常途の本尊に違せり、
報恩抄では本門の本尊として
■「本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の中の釈迦多宝外の諸仏并に上行等の四菩薩脇士となるべし」
とあり、このまま読めば、三大秘法の本門の本尊とは、中央に寿量品の久遠実成の釈尊像。その左右に釈尊像と多宝如来他諸仏。更にそのまた脇に四菩薩が立ち並ぶ。。。
という本尊である、ように思える。
事実日辰などはこのような本尊義に囚われていた。
現時でも、中央に久遠実成の釈尊を立て、その左右に四菩薩を立てる「一尊四師」とか、中央に釈迦・多宝を立て、その両脇に四菩薩を立てる「二尊四師」などの本尊式は、まさにこの御文の真意を領解できない他門が立てる本尊である。
だが、その次下に、日精上人は
● (※これは)常途の本尊に違せり
と明言され、そのような本尊式は通常の本尊とは違う、つまり当宗の通常の文字曼荼羅本尊とは違う、ということを既定の事実として述べておられる。
● 違せり
との意をよくよく味わうべきである。
「異せり」ではなく「違せり」なのである。
つまり、ただ単に「異なっている」ではなくて、「違反・違背している」という語を用いられている。
日精上人がまさか、報恩抄の御文そのものを「違せり=違背している」などと間違っても否定するはずもなく、つまりこの箇所は、報恩抄のこの御文の真意を理解出来ずに、上記のような久遠実成の釈尊を本尊と立てる者達への破折の意が既に込められているのである。
その前提の上で次下を拝してみよう。
● 其ノ上或抄に本尊問答抄を引き法華経を以て本尊と為す可しと此の相違はいかんが心得可きや、
これは前文において、ある者達(それは結局日辰等であるが)は報恩抄などの御文を根拠として本門の釈尊を本尊としている。
その上「或る抄」には本尊問答抄の「法華経の題目を以て本尊と為すべし」との御文を依り所にして「法華経の題目」を本尊とすべき。と書いてある。
これは両方とも当宗の正規の常の文字曼荼羅本尊と違背しているが、その違いはどう考えたらいいのか?
という意になるのである。
報恩抄などの御文を依文として久遠実成の釈尊を本尊と立てる義も、法華経の題目を本尊と立てる義も、日寛上人が観心本尊抄文段などに指摘されている「辰抄」にある義である。
この「辰抄」と、この後に日精上人が引かれる「或る抄」とは同義同意であるから、
「或る抄」とは「日辰」説である。
であるから、この「或る抄」の前の文の主語は省略されているが、この文意はこうなる。
『(日辰等は「或る抄」で、)報恩抄を依文にして久遠実成の釈尊を本尊と立てる。
(その同じ)「或る抄」」では本尊問答抄を依文にして法華経の題目を本尊と立てる。
この偏りは、どちらも当宗の正規の文字曼荼羅本尊と違って正当な本尊義ではない。
この両義の違いに対する会釈はどう考えたらいいのか?』
という文意である。
しかも、以下に引用される「或る抄」で説かれる本尊義は、大石寺での正規・通規の十界文字曼荼羅本尊とは違背していることは文義明白である。
ということは日精上人が●「常途の本尊に違せり」と明確に指摘している内容が書かれている「或る抄」の義に同意している訳がないではないか。
しかも、この「或る抄」を引用されたその後に
● 然るに三大秘法の義を取ること偏に取るが故に相違甚多なり此ノ故に今之レを挙ケて以て支証とするなり。
と重要な文があり、この文も精査すると学会論師の主張がいかに的外れ・勘違いであるか明白である。
「然るに」=それなのに、けれども、ところが
「支証」=事実を裏付けるに足る証拠。争論の時に出す証拠。
で、この文を普通に読めば
「今ここまで「或る抄」の三大秘法の義を挙げてきたが、「それなのに、けれども、ところが」これでは三大秘法の正意から見れば偏って取っているが故に、間違いが甚だ多い。であるからこの文義を引用して、もって「事実を裏付けるに足る証拠。争論の時に出す証拠」としよう。」
となる。
学会論師の説だと、この文は、日精上人が日辰と同意であって「大石寺の人法一箇の本尊の立て方自体が偏っていて、人本尊が欠けている」と指摘した文証。となるはずだが、果たして本当にそう読めるのか?
以下、論証してみよう。
● 然るに三大秘法の義を取ること偏に取るが故に相違甚多なり此ノ故に今之レを挙ケて以て支証とするなり。
との文に、
1、学会側の解釈では、この文で批判する対象である「大石寺流の三大秘法」の論がどこにも出ていない。学会流の読み方では、どこがどう三大秘法を偏に取っているのか、大石寺流の三大秘法がどう間違っているのか、読む者には全く分らない。
2,日精上人が「或る抄」に説かれる日辰の三大秘法義を破折している、と読めば、既に、釈尊像は
●「常途の本尊に違せり」
と結論を明示しているのであるから、その日辰の説が、いかにどう間違っているのか全文を挙げて、
● 然るに=けれども、ところが、
これでは三大秘法の正意から見れば偏って取っているが故に、間違っている点が非常に多い。云云。
となり、実に文脈が自然である。
3,● 偏に取るが故に相違甚多なり此ノ故に今之レを挙ケて以て支証とするなり。
この文で、文法上でも、文脈の上からも、
● 今之レを挙げて
の「之レ」とは、すぐ前の“「相違甚多」である文”を指すことは常識である。であるから、この文は
「偏って解釈しているから間違いが多い。だから、今その間違いが多い文をここに引用明示して、間違っていることを裏付けるに足る証拠としよう。」
となり、実に自然である。
ところが学会論師流に読めば
「大石寺が偏って解釈しているから間違いが多い。であるから今その間違いが多い文をここに引用明示して、間違っていることを裏付けるに足る証拠としよう。」
となり、前段の引用文は、大石寺の三大秘法義を挙げているのではないから、全く文意がつながらない。どころか、文脈として大矛盾を起こしている。
学会論師は、これほど文意・文脈、明々白々の文章が全く読めないとは!
まさに、「偏に取るが故に相違甚多なり」である。
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