文書対論
【経緯】今般、創価学会員『中田成樹』と名乗る者から、公開文書対論の申し出があり、当方は快諾した。
3月29日をもって中田氏は完全な反論不能状態になり、今に至っても何ら返信はない。
ここに、中田氏の敗北は確定し、ここに双方の往還全文を発表し、読者諸兄の御高覧を仰ぎ、以って勝敗を如何を創価学会・法華講双方に問うものである。感想は に送付していただき、ある程度まとまった時点でそちらも発表したいと考える。
【本編】
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▼ 2004年12月13日 3:45
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こんばんは。中谷こと中田成樹です。
先日の別れ際にお話しした通り、実名を使わなかったことについては、ご理解頂き、ご容赦頂ければ幸いです。
さて、創価学会での役職ですが、世田谷太陽区玉川本部玉川部という会員数50名の組織で部長をさせて頂いております。
テーマについての提案ですが、「血脈」で如何でしょうか?返信を楽しみにしております。
尚、明日から泊まりの出張となるため、返信が遅れる事を予めご容赦下さい。
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● 2004年12月13日
23:16
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「血脈」でいいですよ。ではまず、定石から。
■「百六箇抄「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
との御文からすれば、未来永劫に御法主上人を大聖人が御存命時のごとく、拝し尊仰していくべきと考えますが、貴殿らはこの御文に反している大謗法の方々であると思いますが、如何か?
「後加文だから云々」との反論では、直ぐ論破されるので御注意を。
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▼ 2004年12月15日
4:13
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何か逸ってませんか?
まず、組織の役職を明記することが約束になっていましたね。
単純な漏れだと思いますが、次回の投稿に明記をお願いします。
さて、いきなり先手必勝よろしく論難とは貴方らしいやり口です。まあ、いいでしょう。
貴方は、百六箇抄の御加文をもって「未来永劫に御法主上人を大聖人が御存命時のごとく、拝し尊仰していくべきであり、貴殿らはこの御文に反している大謗法の方々」と直ちに結論していますが、もともと要法寺の主張だったはずです。これを日蓮正宗の「唯授一人血脈相承」の文証と受け取ってよろしいのですか?
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● 2004年12月15日
8:56
▼まず、組織の役職を明記することが約束になっていましたね。単純な漏れだと思いますが、次回の投稿に明記をお願いします。
●そうでしたね。
私は妙相寺の副壮年部長です。複数名いる同役職中の一人です。あと、地区もひとつ受け持っています。
所帯は約15ほどです。
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▼さて、いきなり先手必勝よろしく論難とは貴方らしいやり口です。まあ、いいでしょう。
●『血脈』という貴殿からの論題を当方が了承したのだから、次の提案は当方からするのが順序ではないでしょうか?
何も形式のやり取りを繰り返して、貴重な時間を無駄に使うこともないでしょう。
何か御不満ならこの百六箇抄の問題がきちんと決着がついたら、貴殿からの論難の提示で結構ですよ。
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▼貴方は、百六箇抄の御加文をもって「未来永劫に御法主上人を大聖人が御存命時のごとく、拝し尊仰していくべきであり、貴殿らはこの御文に反している大謗法の方々」と 直ちに結論していますが、もともと要法寺の主張だったはずです。これを日蓮正宗の
「唯授一人血脈相承」の文証と受け取ってよろしいのですか?
●1、”要法寺の主張だったはず”=これを具体的な根拠を以って、立証してください。
2、”これを日蓮正宗の「唯授一人血脈相承」の文証と受け取ってよろしいのですか?” =「唯授一人血脈相承」そのものの文証ではないが、その存在の傍証となる文証です。
何か問題でも?貴殿の反論が楽しみです。どの角度から来るのかと。では。
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▼ 2004年12月20日
1:26
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●『血脈』という貴殿からの論題を当方が了承したのだから、次の提案は当方からするのが順序ではないでしょうか?何も形式のやり取りを繰り返して、貴重な時間を無駄に使うこともないでしょう。
何か御不満ならこの百六箇抄の問題がきちんと決着がついたら、貴殿からの論難の提示で結構ですよ。
▼そのようにお願いします。
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●“要法寺の主張だったはず”これを具体的な根拠を以って、立証してください。
▼正確ではありませんでしたね。百六箇抄・本因妙抄をもって「直ちに」師資相伝・唯授一人の血脈であるとするのは、要法寺の主張であるという事です。〜全国教師指導会の砌・平成四年八月二十八日〜 言い掛かりの部分は直ちに引用したのに、結局、百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。
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▼“これを日蓮正宗の「唯授一人血脈相承」の文証と受け取ってよろしいのですか?”
●=「唯授一人血脈相承」そのものの文証ではないが、その存在の傍証となる文証です。
▼出だしが勇ましかっただけにトーンダウンの感は否めませんね。大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証をご教示下さい。
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● 2004年12月20日 9:05
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▼正確ではありませんでしたね。百六箇抄・本因妙抄をもって「直ちに」師資相伝・唯授一人の血脈であるとするのは、要法寺の主張であるという事です。〜全国教師指導会の砌・平成四年八月二十八日〜
●貴殿が引かれた猊下の御指南は以下の部分ですね。
■「さて、『弁惑観心抄』は富士学林研究科の時にも拝読しておりますが、そのあとの第六章に「当家相承を論ず」という所があります。これは、『百六箇抄』と『本因妙抄』の二つが師資相伝・唯授一人の血脈であるとする、要法寺側の主張に対する日応上人の破折でありますが、ここに、
「何となれば唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付とは則ち法体相承
にして惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正
嫡血脈附法の大導師と云ふべし。又法門惣付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人と
して之これを受けざるはなし」(弁惑観心抄二一一�)
と示されております。
そして、その法門を受けた者のなかにおいて、別付の法体を信解できない者は我見に堕ちておるということをこの次に仰せであります。
「遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、例せば宗祖御
在世に数多の弟子ありと雖ども独吾開山のみ法体別付の相承を受け玉ひ其他は法門惣
付の相承のみ受けしが故に宗祖滅後各々己義を捏造し像仏等を建立し以て本尊とした
るが如し。今亦要法寺も斯くの如し法門惣付は受くると雖ども法体別付の相承なきが
故に云云」(同�)
また、
「吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今
日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし」(同二一二�)
と仰せであります。代々の上人能化とともに、ここにおいでになる皆さんは、この正しい立場をしっかりと信解なさっていると思います。
そして、
「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同�)
と示された上で、
「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を
受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず云云」(同�)
とお示しになり、さらに、
「今更に論歩を進め本因妙百六箇両抄は正に法門惣付の相承なる道理文証を列挙し日
守等が迷夢を警醒せしむべし」(同�)
と、『本因妙抄』と『百六箇抄』をもって相承のすべてとする邪義を、道理、文証の上から破折されるわけです。
つまり、『本因妙抄』『百六箇抄』の書き加えには、この書が日興上人から日目上人というように、ただ一人に宛てて相承されたものではなく、実質上、そのほかの器用の弟子等にもこれを披見せしめていることが明らかです。これについては、皆さんも御承知と思います。したがって、『本因妙抄』『百六箇抄』が直ちに唯授一人の相承の内容であるということはいえないのであります。
さて、ここに「金口相承」ということが示されておりました。ここでは、驥尾日守のような者に対して、そのような大事について懇切丁寧にお説きになる必要はありませんから、法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。
この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、 身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」
通読すれば誰でも分かるでしょうが、ここの意味は、貴殿も自ら認めているように「百六箇抄・本因妙抄をもって「直ちに」師資相伝・唯 授一人の血脈であるとするのは、要法寺の主張であるという事」であり、「『本因妙抄』『百六箇抄』それ自体が直ちに金口相承の全てではない。」
ということであって、当方が引文した御文
■百六箇抄「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
に説かれている「義」
「未来永劫に御法主上人を大聖人が御存命時のごとく、拝し尊仰すべきである。」
という信仰姿勢に対する教戒を何ら否定する御指南ではありませんね。
義に於いて正しいが故に、日亨上人もこの箇所を貴殿らが現在使用している御書全集にも掲載された訳です。
であるならば、当初の当方からの破折
「貴殿らはこの御文に反している大謗法の方々であると思いますが、如何か?」
に対して、
「百六箇抄・本因妙抄をもって「直ちに」師資相伝・唯 授一人の血脈であるとするのは、要法寺の主張であるという事です。」
という貴殿の言は明確な反論になっていません。
が故に、「貴殿らが大謗法の者たちである」との破折はそのまま貴殿に当てはまるのですが、如何か?
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▼言い掛かりの部分は直ちに引用したのに、結局、百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?
ここの箇所は、誤字があるだけでなく、主張したいことに対しての用語や用法も適切でなく、全く意味不明で、日本語の体をなしていません。
これが、常に公表されているということを考えて、きちんとした日本語に直してから、再度送付してください。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。
このような、幼児的で的外れな邪難をしてくるということは、つまりは、貴殿は仏宝と僧宝の違いというこんな初歩的な三宝のたてわけも分からないのですね。
また、更に言えば、法体の折伏、と化儀の折伏、という法門の筋目も何も分かっていないということですかね。
この箇所について、更に一言だけ言っておくとすれば、
■「凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」
この御文からしても貴殿らは「謗法者」であることは明確でしょう。
いずれにせよ、このような何の文証も示せない邪難を書く前に、もう一度、当方からの百六箇抄の引文について、きちんとした「文証」によって、反論”すべきでしょう。”お待ちしております。
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▼出だしが勇ましかっただけにトーンダウンの感は否めませんね。大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」の直接の文証をご教示下さい。
まずは、ちょうどいいタイミングで貴殿が指し示してくれた上掲の日顕猊下の御指南全体を、「大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」の直接の文証」として「ご教示」しましょう。
貴殿こそ、”「大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」が存在しない”という文証による根拠があるのなら、それを明示してください。
それが出来なければ、貴殿は「唯授一人血脈相承」を受ける立場ではないのだから、「「唯授一人血脈相承」などない。」と断定できないと思うが、如何か?
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2004年12月23日 19:26
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●貴殿が引かれた猊下の御指南は以下の部分ですね。
・・・中略 ・・・
「未来永劫に御法主上人を大聖人が御存命時のごとく、拝し尊仰すべきである。」という信仰姿勢に対する教戒を何ら否定する御指南ではありませんね。義に於いて正しいが故に、日亨上人もこの箇所を貴殿らが現在使用している御書全集にも掲載された訳です。であるならば、当初の当方からの破折「貴殿らはこの御文に反している大謗法の方々であると思いますが、如何か?」に対して、▼「百六箇抄・本因妙抄をもって「直ちに」師資相伝・唯
授一人の血脈であるとするのは、要法寺の主張であるという事です。」という貴殿の言は明確な反論になっていません。が故に、「貴殿らが大謗法の者たちである」との破折はそのまま貴殿に当てはまるのですが、如何か?
◆まだ逸ってますね。貴方達と私達は別の団体です。だからこそ、第三者の為に主張の違いを明確にする事が肝要であると思っています。下の投稿をご確認下さい。
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◆ 言い掛かりの部分は直ちに引用したのに、結局、百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?
●ここの箇所は、誤字があるだけでなく、主張したいことに対しての用語や用法も適切でなく、全く意味不明で、日本語の体をなしていません。これが、常に公表されているということを考えて、きちんとした日本語に直してから、再度送付してください。
◆日本語の雅な表現が分からない方のようです。もちろん、私も公表します。
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◆「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。
●このような、幼児的で的外れな邪難をしてくるということは、つまりは、貴殿は仏宝と僧宝の違いというこんな初歩的な三宝のたてわけも分からないのですね。また、更に言えば、法体の折伏、と化儀の折伏、という法門の筋目も何も分かっていないということですかね。この箇所について、更に一言だけ言っておくとすれば、「凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」この御文からしても貴殿らは「謗法
者」であることは明確でしょう。いずれにせよ、このような何の文証も示せない邪難を書く前に、もう一度、当方からの百六箇抄の引文について、きちんとした「文証」によって、反論”すべきでしょう。”お待ちしております。
◆魚は頭から腐るものです。
傍証を引用して「在世の如く敬え」というので「在世の如く戦ったという事実」の提示を求めただけで、「幼児的で的外れな邪難」ですか?学会員と法華講員とどちらでもない方々に評価を求めるにあたって重要な発言です。
貴方の主張をまとめると、
「日顕さんが在世の如く戦った事実はない。」しかし「在世の如く敬え」
これが日蓮正宗の教義であると認識してよいでしょうか?
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●まずは、ちょうどいいタイミングで貴殿が指し示してくれた上掲の日顕猊下の御指南全体を、「大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証」として「ご教示」しましょう。貴殿こそ、”「大石寺正統化の根拠
である「唯授一人血脈相承」が存在しない”という文証による根拠があるのなら、それを明示してください。それが出来なければ、貴殿は「唯授一人血脈相承」を受ける立場ではないのだから、「「唯授一人血脈相承」などない。」と断定できないと思うが、如何か?
◆つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
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ところで、話を進めるにあたって、貴方の投稿と私の投稿とが分かりやすいようにルールを決めませんか?
例えば、貴方の投稿=●、私の投稿=◆、あとは見やすいように行間をあけながらという事で如何でしょうか?
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2004年12月25日 0:53
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◆まだ逸ってますね。貴方達と私達は別の団体です。だからこそ、第三者の為に主張の違いを明確にする事が肝要であると思っています。下の投稿をご確認下さい。
●下記のどの内容を見てもきちんとした文証においての明確な反論になっていません。
なので、もう一度、上記のポイントを再度明瞭にし、貴殿を破折します。
そもそも法義論争において反証すべき文証を明示できなければ、その時点で反論不能と断定されるのですよ。そういう法義論争の大前提すら、把握していないで、
貴殿は”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”と主張していますが、この設問自体が、全くの的外れ、論外の疑難です。
その後に続く、当方からの反証の意味すら理解できなかったようですね。
あの程度のヒントをあげたらどのくらいの反論が来るか楽しみしていたのに、時間をかけた割には、低劣な内容で、正直がっかりしました。残念!です。
大聖人は仏宝であり、そのお立場から「法体の折伏」をなされたのであり、その後、日興上人以下の御歴代上人は僧宝であり、「化儀の折伏」を期しての伝持のお役目です。しかして内体に約せば三宝一体であり、その辺に於いて、「予(日蓮大聖人)が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」なのです。
ですから、仏宝と僧宝では、外用の辺では、自ずからお役目と、お立場が違うのであり、百六箇抄の文は内証の辺における意義を仰せになっているのです。
そういう筋目を惑乱して、
”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”とは全く、噴飯ものの、”幼稚な”邪難です。
もう少し、仏法のイロハを勉強してから、当方に臨んだ方が良いのではないですか?
―――――――――――――――――――――――――――――
◆日本語の雅な表現が分からない方のようです。
●ほ〜〜〜〜ぉ!!! ? これは、面白いことを言いますね。
1、「言い掛かり」とは、 1 口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。との意ですが、
百六箇抄の文の何がどう、”言いがかり=口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。”なのでしょうか?”雅な”言語表現で、上手に反論してください。明確に。
2、”直ちに引用した”ここの表現もかなり変です。
文章の冒頭から使用する語句が不適切なので、変に変を重ねて、もはや主張したい意図が不明瞭です。
もし、”雅びな表現”というなら、その表現を書き下して意味明瞭にしてみてください。
その内容がどういう表現になるのか、興味津々です。その表現を見てからこの文章が果たして“雅”だったのか、厳しく検証しましょう。
3、「百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?」????????
ここは致命的です。この箇所が、誤字でなく、”雅な表現”ならば、貴殿の言語感覚は、破綻しています。
「百六箇抄が、「唯授一人血脈相承」の 傍ら 」??????? 何ですか?これは?どう読んでも意味不明です。ここの明確な解説もよろしくお願いします。その解説文を見てから、更に追求しましょう。
自らの非を素直に認めないとこのように徹底した反撃に合うことを知るべきです。
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▼もちろん、私も公表します。
●当方は、既にHPを立ち上げています。このやり取りは、全国の皆様が楽しく読んでくれることでしょう。
決着がついたら、対論ものとして、実名入りで上梓します。
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◆魚は頭から腐るものです。
●この隠喩もいまいち不的確ですね。何が魚で、何が頭なのでしょうか?明確な説明を求めます。
こんな、意味不明な暗喩を書いている暇に、文証において反論したらいかがか?
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▼傍証を引用して「在世の如く敬え」というので「在世の如く戦ったという事実」の提示を求めただけで、「幼児的で的外れな邪難」ですか?学会員と法華講員とどちらで
もない方々に評価を求めるにあたって重要な発言です。
●上記の反論をよく読んでから、もう一度この箇所を読んでみてくださいませ。
貴殿が、仏宝、僧宝の筋目を理解しておらず、法体の折伏と化儀の折伏の違いも分かっていないで、問難してきた「幼児的で的外れな邪難」の稚拙さが鮮明になったことでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼貴方の主張をまとめると、「日顕さんが在世の如く戦った事実はない。」しかし「在世の如く敬え」これが日蓮正宗の教義であると認識してよいでしょうか?
●よくこのように、頑迷な愚問を繰り返せますね。貴殿の厚顔無恥さ加減に、敬服します。
上記で破折済み。
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◆つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
●貴殿は当方に質問する前に、当方からの反論に答えなさい。再度、詰問します。
「貴殿こそ、”「大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」が存在しない”という文証による根拠があるのなら、それを明示してください。それが出来なければ、貴殿は「唯授一人血脈相承」を受ける立場ではないのだから、「「唯授一人血脈相承」などない。」と断定できないと思うが、如何か?」
まず、これに文証を用い、論旨明快に反論してから、当方に問難し給え。それが法義論争の順序次第というものです。
更に親切に一言加えて貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?
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▼ところで、話を進めるにあたって、貴方の投稿と私の投稿とが分かりやすいように
ルールを決めませんか?例えば、貴方の投稿=●、私の投稿=◆、あとは見やすいように行間をあけながらという事で如何でしょうか?
●当方は、自分なりに見易さを追及してそのスタイルで返信しています。
当方の決まりごとでは、当方は● 貴殿は▼としています。
行間は貴殿の感性と少し違うようなので、当方は当方の空け方でいきます。
この問題は、双方それほどこだわらなくても宜しいかと思われます。
では、今回は、更に貴殿に対しての”宿題”が追加されました。
毎回きちんとした文証で反論し、問題点をきれいに片付けていかないと、後々大変なことになりますよ。
読者も、テンポのある、爽やかな対論を期待していると思います。その旨、よろしくお願いしますよ。
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2004年12月31日 0:30
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●下記のどの内容を見てもきちんとした文証においての明確な反論になっていません。なので、もう一度、上記のポイントを再度明瞭にし、貴殿を破折します。そもそも法義論争において反証すべき文証を明示できなければ、その時点で反論不能と断定されるのですよ。
そういう法義論争の大前提すら、把握していないで、貴殿は”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”と主張していますが、この設問自体が、全くの的外れ、論外の疑難です。その後に続く、当方からの反証の意味すら理解できなかったようですね。あの程度のヒントをあげたらどのくらいの反論が来るか楽しみしていたのに、時間をかけた割には、低劣な内容で、正直がっかりしました。残念!です。
大聖人は仏宝であり、そのお立場から「法体の折伏」をなされたのであり、その後、日興上人以下の御歴代上人は僧宝であり、「化儀の折伏」を期しての伝持のお役目です。しかして内体に約せば三宝一体であり、その辺に於いて、「予(日蓮大聖人)が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」なのです。ですから、仏宝と僧宝では、外用の辺では、自ずからお役目と、お立場が違うのであり、百六箇抄の文は内証の辺における意義を仰せになっているのです。そういう筋目を惑乱して、”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”とは全く、噴飯ものの、”幼稚な”邪難です。もう少し、仏法のイロハを勉強してから、当方に臨んだ方が良いのではないですか?
◆「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜
貴方が麓をうろついたおかげで、仏法のイロハから「実践」を削除するという、貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。
そのような主張は、山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だと知るべきでしょう。実践のない日顕さんを神格化する根拠として「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用することも明らかになりました。
貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。
虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。
「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云〜上野殿御返事〜
「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?
まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
それにより、第三者の方々にも、お互いの主張の違いが分かりやすくなるでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆日本語の雅な表現が分からない方のようです。
●ほ〜〜〜〜ぉ!!! ?これは、面白いことを言いますね。
1、「言い掛かり」とは、1 口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。との意ですが、
百六箇抄の文の何がどう、”言いがかり=口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。”なのでしょうか?”雅な”言語表現で、上手に反論してください。明確に。
2、”直ちに引用した”ここの表現もかなり変です。文章の冒頭から使用する語句が不適切なので、変に変を重ねて、もはや主張したい意図が不明瞭です。
もし、”雅びな表現”というなら、その表現を書き下して意味明瞭にしてみてください。その内容がどういう表現になるのか、興味津々です。その表現を見てからこの文章が果たして“雅”だったのか、厳しく検証しましょう。
3、「百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?」???????
ここは致命的です。この箇所が、誤字でなく、”雅な表現”ならば、貴殿の言語感覚は、破綻していま
す。「百六箇抄が、「唯授一人血脈相承」の 傍ら 」???????何ですか?これは?どう読んでも意味不明です。
ここの明確な解説もよろしくお願いします。その解説文を見てから、更に追求しましょう。自らの非を素直に認めないとこのように徹底した反撃に合うことを知るべきです。
◆道理につまると話をすり替えて個人攻撃とは、実に貴方らしい。性格とはいえ、どうでもいい瑣末な事実を、あふれんばかりに伝えながら「肝心な事」を答えない姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。
貴方が「御在世の如く敬っている」日顕さんの実践を確認しているだけです。一貫してね。
「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜
日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?
速やかに「はい」か「いいえ」で答えましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
●当方は、既にHPを立ち上げています。このやり取りは、全国の皆様が楽しく読んでくれることでしょう。決着がついたら、対論ものとして、実名入りで上梓します。
◆承知のうえで始まったやりとりを、ここでわざとらしく咬ますところが貴方らしい。相変わらず芝居がかったユニークな方です。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆
魚は頭から腐るものです。
●この隠喩もいまいち不的確ですね。何が魚で、何が頭なのでしょうか?明確な説明を求めます。こんな、意味不明な暗喩を書いている暇に、文証において反論したらいかがか?
◆ 頭=日顕さん、魚=貴方達。類推すると、個人についても同じ事が言えるであろう。頭から腐るとね。
一貫して実践の有無を問う相手に明確な答えをせず、敬う事だけを強いる文を投げつけて「私は答えている」とは、笑止。
「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜
大聖人は「私に続け」と叱咤されている。
遠慮はいりません。速やかに、御在世の如き日顕さんの実践を挙げて自宗の正統性を論証してみたまえ。
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◆
貴方の主張をまとめると、「日顕さんが在世の如く戦った事実はない。」しかし「在世の如く敬え」
これが日蓮正宗の教義であると認識してよいでしょうか?
● よくこのように、頑迷な愚問を繰り返せますね。貴殿の厚顔無恥さ加減に、敬服します。上記で破折済み。
◆質問に対する答えになっていないものを破折といって恥じない厚顔無恥さに敬服します。引き続き詰問します。日顕さんに御在世の如き実践は、ありや?なしや?なしなら、なしと速やかに答えるべきであろう。
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◆つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
●貴殿は当方に質問する前に、当方からの反論に答えなさい。再度、詰問します。「貴殿こそ、”「大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」が存在しない”という文証による根拠があるのなら、それを明示してください。それが出来なければ、貴殿は「唯授一人血脈相承」を受ける立場ではないのだから、「「唯授一人血脈相承」などない。」と断定できないと思うが、如何か?」
まず、これに文証を用い、論旨明快に反論してから、当方に問難し給え。それが法義論争の順序次第というものです。
◆確認しただけだが、妙に過剰反応である。
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
「過去の生死現在の生死未来の生死三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」
「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」〜生死一大事血脈抄〜
釈尊をはじめ、歴史に登場した実践の人々が叡智の限りを尽くし、体得しようと取り組んだ「生死」という問題。八万四千の法蔵も、大地微塵ほどの論釈も、「生死」という一つのモチーフをめぐって展開されたものと言えるであろう。この生死という問題を大聖人が直ちに取り上げられたのが本抄である。ならば、貴方の主張する「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだが、如何か?
そして聞こう。
実践とは関係なく、自己申告の「唯授一人血脈相承」をもって、「日顕さんを大聖人の如く敬え」というのが貴方の主張ということでよいか?答えは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
「はい」というなら、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずるが、如何か?
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●更に親切に一言加えて貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?
◆麓をうろつくのが本当に好きなようである。それとも話題をすり替えたいだけか?
何れにしても、「読者の皆さん、乞うご期待」というところでしょう。
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●当方は、自分なりに見易さを追及してそのスタイルで返信しています。当方の決まりごとでは、当方は● 貴殿は▼としています。行間は貴殿の感性と少し違うようなので、当方は当方の空け方でいきます。この問題は、双方それほどこだわらなくても宜しいかと思われます。
◆では、そのように進めましょう。
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●では、今回は、更に貴殿に対しての”宿題”が追加されました。毎回きちんとした文証で反論し、問題点をきれいに片付けていかないと、後々大変なことになりますよ。読者も、テンポのある、爽やかな対論を期待していると思います。その旨、よろしくお願いしますよ。
◆「日顕さんの実践」というテーマを徒に広げて宿題とは随分一方的で貴方らしい。相手にレッテルを貼り付けて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。
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2005年1月1日 21:50
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◆「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜 貴方が麓をうろついたおかげで、仏法のイロハから「実践」を削除するという、貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。
●貴殿は、仏法の「麓」も「頂上」も「裾野」も区別がつかない段階のようですね。
仏宝であらせられる御本仏日蓮大聖人と、僧宝であられる日興上人を随一とするところの御歴代御法主上人を同列に考え、同等の「実践」がなければ尊仰できないとは、正に、「貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。」
末法の御本仏の一期御弘通の出世の本懐は、本門戒壇の大御本尊の御顕示であり、仏宝の日蓮大聖人様のみがなされるお役目です。そのために三類の強敵を扣発される御「戦い」であったわけです。
日興上人以下御歴代上人は、この本門戒壇の大御本尊の御法体を御内証に伝持され広宣流布を期されるお立場であり、そこに、仏宝と僧宝とでは、自ずから「実践」の仕方が違うのは理の当然です。
「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」
仏宝は僧宝のお立場からすれば、当然「師」にあたるのであり、「針」としての「実践」と「糸」としての「実践」を同じでなければならないと考える貴殿の思考は、針と糸を混同する、大いなる僻見です。
更に、貴殿ら新興宗教「創価学会」が勝手にプリントして掛け軸様にして「本尊」と称する「魔」を拝んでいる、その基の一機一縁のご本尊を御書写された、貴殿らの宗派とは全く何の関係もない、当宗二十六世日寛上人も、また、貴殿ら創価学会が好んで担ぎ出す、やはり、貴殿らの宗派と全く関係のない、当宗五十九世日亨上人も、大聖人と同じ「本門戒壇の大御本尊を顕示」するための仏宝と同じ「実践」をされましたか?竜の口の法難に遭われて発迹顕本されたのですか?
”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”という貴殿の論法で言えば、大聖人と同じ「実践」をされなければ、日寛上人も日亨上人も、みな尊仰できないということになるでしょう。
「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と仰せのごとくに尊仰してもいない日寛上人の御書写された御本尊を何故拝むのですか?
日寛上人は尊仰して、日顕上人は尊仰出来ないとすれば、その違いは具体的にどこにあるのでしょうか。
明示すべきでしょう。勿論文証を以ってです。でなければ論は破綻しています。
貴殿は、この至極当然な道理が分からないだけであり、その道理に曚い、頑迷な執情を基に、我見を展開している姿は、正に、◆「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜 ですね。
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▼そのような主張は、山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だと知るべきでしょう。
●はい、ではその根拠を文証を以って明確に提示してください。
貴殿が「山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だ」と思い込むのは自由ですが、何度も言わないと分からないようだから何度でも確認しますが、法義論争とは、明確な文証・道理を指し示して破折・反論・論破するものです。
相手に相手の主張が「稚拙な論理」と分からせるには、それなりの文証を根拠とした論理明晰な反論が必要です。ので、ここは、やり直しですね。宿題です。
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▼ 実践のない日顕さんを神格化する根拠として「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用することも明らかになりました。
●「実践」云々については上記で破折済み。
「「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用」して、何か問題でも?
だから、なんなんでしょうか?
ここは、全くの反論になっていません。ので、ここもやり直しです。
「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等の御法門を例示することがどこがどのように問題なのか、明確に文証で以って反論してください。
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▼> 貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。
●はい、ここも、貴殿の何の根拠も明示できない盲断ですね。文証を挙げて反論してください。
■「文無く義無きは信受すべからず」
■「文証無きは悉く是邪謂なり」
貴殿の思い込みでいうと
■「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」との大聖人御自らの御言葉も「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」となりませんかね。
■「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」
この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。呵々。
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▼虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。
●そのように、邪網に覆われ道理に曚い妄執の根性で、三宝を誹謗すると、必ずや、
■「今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕ち給ふべし」となり、更に詳しくは
■「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。是の故に普賢、若し是の経典を受持する者を見ては、当に起って遠く迎ふべきこと、当に仏を敬ふが如くすべし」
過悪-------過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等。
白癩---皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種。
手脚繚戻→手足が曲がり自由に伸びない状態。
眼目角らい---瞳の方角が偏り、正常に者を見る事が出来ない事。
悪瘡---------悪性のできもの、腫れ物。
水腹---------腹部に濁水が充満する病気。
短気------息が詰まり呼吸が困難になること。
このような姿になりますよ。恐るべし、慎むべし。
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▼「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云〜上野殿御返事〜
●一体、この御書は何のために、何を立証せんとして引かれたのか。貴殿の引文は全く的外れです。
何故かというその答えを言う前に、貴殿の教学力の程度を知るため、また読者の皆さんにも知っていただくために、貴殿に訊くが、「願くは我が弟子等大願ををこせ」の「大願」とは何を仰っているのか分かりますか?その答えを本当に理解しているなら、こういう一節を、
「▼虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。」と言う主張の後に挿入できるはずもないのですがね。まずは、貴殿の回答を聞いてみましょうか?
その答えを見てからじっくりと貴殿の法門未熟さを破折しましょう。
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▼「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。それにより、第三者の方々にも、お互いの主張の違いが分かりやすくなるでしょう。
●こういう姿は、まさに痴犬が吠えるがごとくです。上記で破折済み。
道理が理解できない痴れ者が、馬鹿の一つ覚えのごとく吠えたくっているだけ。
前回の説明で理解が出来ないとはよほど謗法による三毒強盛が進んでいると見えますね。
今回の上記の解説をよく読んで仏宝と僧宝の違いをよく知るべきです。
更に言うならば、「大聖人と同じ実践がなければ、尊仰してはならない」との、明確な文証を提示してください。
その提示もなくただ吠えかかっているのは、愚かを通り越して、惨めですよ。
貴殿が「百六箇抄」の御文に対して、この程度の「言いがかり」しかできないとは、ちょっと、残念ですね。もう少し、知的な反論が返って来るのではと期待した当方が、貴殿を買いかぶっていたようです。
こんな癡犬の吠え声にいつまでも付き合っていられませんから、次に進みます。
貴殿は、的確な文証を根拠としての反論は全く不能であった。という事実が残ったわけです。
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◆道理につまると話をすり替えて個人攻撃とは、実に貴方らしい。性格とはいえ、どうでもいい瑣末な事実を、あふれんばかりに伝えながら「肝心な事」を答えない姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。
●1、「道理に詰まる」?
当方のどこがどのように「道理に詰まって」いるのでしょうか?きちんと例示してみてください。
このような、根拠もない強がりを言いたくなる貴殿の心情を慮ると同情を禁じえないのですが、貴殿が仏宝と僧宝の立場や役目を混同して、痴犬が吠えるがごとく
▼「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
と幼稚な設問を凝りもせず繰り返している姿こそ、「道理に詰まって」いる醜態ではないでしょうか?
2、「話をすり替えて」?
どの論題をどのようにすり替えました?当方は貴殿が書いてあることが全く意味不明であるから、それを貴殿が言う「雅な」表現で、もう少し分かりやすく、再度書き送って欲しいと言っているだけですが?
貴殿こそ、当方からの、何点かの論駁に明確に答えもせず、「どうでもいい瑣末な事実」ということに「すり替えて」当方の「性格」を云々するとは、まさに、「道理につまると話をすり替えて個人攻撃」という、「実に貴方らしい」「性格」ではありませんか。そういう「姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。」
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▼貴方が「御在世の如く敬っている」日顕さんの実践を確認しているだけです。一貫してね。
●はい、ここも痴犬の馬鹿吠え。
上記の破折を再度心してお読みください。
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▼> 「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜 日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?速やかに「はい」か「いいえ」で答えましょう。
●ここまで貴殿が頑迷だと読者に対して失礼でしょう。
まず、ここの引文ですが、これは、信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。(創価学会は別の宗派ですから特にこの御文とは関係はありませんが)
この実践は各個々人が自ら大聖人・日興上人・御歴代上人に対し奉り、我が身を誡めるためのものであって、他人が人の信仰姿勢を云々するために持ち出す御文ではありません。ましてや、「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との文意を否定する御文には全くなりません。貴殿の引文はここでも全くの的外れです。貴殿は仏法の初歩に暗いだけでなく、日本語の使われ方の意義を読み取る能力にも欠けているようです。もう少し、勉強してから挑んできたほうが貴殿の名誉のためにも、いいのでは?
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◆承知のうえで始まったやりとりを、ここでわざとらしく咬ますところが貴方らしい。相変わらず芝居がかったユニークな方です。
●貴殿が的確な文証も提示できずに余りに恥ずかしいことを書き連ねているので、この対論を発表すると言う約束を失念しているのではと心配になって警告したのです。大勢の読者から失笑を買わないように今後は的確な文証を引文してください。
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◆頭=日顕さん、魚=貴方達。類推すると、個人についても同じ事が言えるであろう。頭から腐るとね。一貫して実践の有無を問う相手に明確な答えをせず、敬う事だけを強いる文を投げつけて「私は答えている」とは、笑止。
●貴殿がいう「一貫して実践の有無を問う」とは正しい法義から見ると「仏法の道理が分からずしてただ頑迷に妄執に取り付かれ、馬鹿の一つ覚えのように吠えている。」という姿です。
更に「敬う事だけを強いる文」と言う表現からして、すると貴殿は百六箇抄の御文を否定するのですね?
貴殿はここでも仏教のイロハに曚い醜態を晒しています。
再掲しますが
■「文無く義無きは信受すべからず」
■「文証無きは悉く是邪謂なり」
貴殿の妄執は、邪な考えということです。
更に
■「仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専(もっぱ)ら経文を詮とせん。」
文証を根拠としないで何をどう主張しても、全く論外です。法論にはなりません。
顔を洗って出直してきなさい。
■「自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。」
貴殿は正に「三悪道に堕つべし。」の姿そのままです。
■「種々に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。」
貴殿は「非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。」もはや、何を基にどう考えていいか、分からなくなっているのです。
■「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」
謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ哀れ。
御書の御文を指して、「敬う事だけを強いる文」と言い切るとは、もはや完全に仏教外の人です。外道ですね。
貴殿ら新興宗教団体の長である方の発言の通り「信仰は自由」ですから、何を信仰しても自由ですが、仏教をやっていると思っているとしたら、嗚呼、勘違い!ですね。ましていわんや大聖人の仏法とは全く程遠いものです。貪・瞋・癡を表す三色の旗でも高々と掲げて世間の嘲笑でも浴びるんですな。
凡そ仏教を名乗るからには、三宝が整足していなければならないことはご存知ですよね。
貴殿らが外道であるその証拠に、では、現在血脈付法の日顕上人を否定したら、僧宝は誰ですか?明確にお答えください。
貴殿は馬鹿の一つ覚えを繰り返している暇はないんですよ。どんどんこうして宿題が増えているではないですか。頑張って、今までの問題を解きましょうね。
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▼「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜 大聖人は「私に続け」と叱咤されている。遠慮はいりません。速やかに、御在世の如き日顕さんの実践を挙げて自宗の正統性を論証してみたまえ。
●ここまで来ると、本当に貴殿はもはや知能が低いとしか思えませんね。
この引文も全く不適格です。
この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。
上記でも説明したことの復習ですが
1、では、僧俗全員が大聖人のように竜の口法難を受けて、発迹顕本するのですか?
2、僧俗全員が、大聖人のように戒壇の大御本尊を顕すのですか?
「はい」か「いいえ」で明確にお答えください。
更に、この御文の次上に
■「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」
的確な文証も出せないで、自分の妄執で何を主張しても、貴殿の頭には天魔波旬が入っていて、人も自分も無間地獄に堕ちますよ。全く、幼稚ですね。未熟ですね。ということです。
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◆質問に対する答えになっていないものを破折といって恥じない厚顔無恥さに敬服します。引き続き詰問します。日顕さんに御在世の如き実践は、ありや?なしや?なしなら、なしと速やかに答えるべきであろう。
●○○に付ける薬なし。○○は死ななきゃ治らない、的な領域に入っていますね。貴殿は。最早。
上記の破折文を読んで全く分からないのなら、■「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」これ以上丁寧に教えてあげる必要はないでしょう。なので、次の破折に入ります。
百六箇抄の文意を更に的確に表された御文。
■「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
この御文は
「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と同義であると思いますが、いかがか?であるならば、この御文の通り、やはり、御歴代御法主上人を深く尊信すべきでしょう。
貴殿に忠告するが、このような内容は基本中の基本のやり取りなので、貴殿ももう少し価値的な反論をしていただきたいのですが?無理なら学会内でもう少しまともな反論が出来る方に交代してもらってもいいし、そういう方に良く教わってから返信してください。貴殿の、迷妄な変質的で頑迷な反論では、当方は聊かもの足りないのですが。もう少し知的で変化に富んだ反論を期待します。
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◆確認しただけだが、妙に過剰反応である。
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」「過去の生死現在の生死未来の生死三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」
「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」〜生死一大事血脈抄〜
釈尊をはじめ、歴史に登場した実践の人々が叡智の限りを尽くし、体得しようと取り組んだ「生死」という問題。八万四千の法蔵も、大地微塵ほどの論釈も、「生死」という一つのモチーフをめぐって展開されたものと言えるであろう。この生死という問題を大聖人が直ちに取り上げられたのが本抄である。ならば、貴方の主張する「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだが、如何か?
●残念ながら、この引文も大外れです。今時少し勉強している学会員なら、「唯授一人の血脈相承」を論じるときに、決して出してきませんけどね。この御書は。恥かくのが分かりきっているから。
しかも「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだ」などと、こういう重大な御法門のことを憶測でものをいってはいけないね。貴殿の類推は全くピントが外れていました。
下記の文章をよく読んで、赤面してください。(貴殿の教学力で理解できたらの話だけど。)
☆『大白蓮華』
「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述べになったものと拝される。(中略)ゆえに『法体の血脈』と『信心の血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年三月号六九�)
☆『日蓮大聖人御書講義』創価学会版
「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・30上132)
☆ 「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。(中略)『総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じての『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�)
☆『大白蓮華』
「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(昭和四一年九月号三五�)
☆『特別学習会テキスト』創価学会発行
「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います」(二七�)
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▼そして聞こう。
●こんな粋がってもぜんぜんだめ。こんな芝居がかったせりふ回ししてこちらが赤面しますよ。
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▼実践とは関係なく、自己申告の「唯授一人血脈相承」をもって、「日顕さんを大聖人の如く敬え」というのが貴方の主張ということでよいか?答えは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
●1、貴殿の「実践」云々については既に詳細に破折済み。
2、猊下の「自己申告」以外に誰が御相承の事実を証明できるのか?明示せよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼「はい」というなら、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずるが、如何か?
●貴殿は国語が苦手のみならず、数学的な論理にも疎いようですね。学生時代少しまじめに勉強してきていれば、こういう知性のない話にはならないはずなんですがね。
1、貴殿がこだわる「実践」など、上記に破折してきた法門の筋目により、僧宝として尊信することを否定する何ら根拠になりえないことを、今回のメールで貴殿が理解できなければ、貴殿の脳髄は、この法論を継続できるレベルになっていないのですが?どうします?
2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。
次回、今回のように盲滅法に乱引する引文ではなく、法門の筋目に則った引文が出来なければ、貴殿はこの段階でまず、反論不能と「断ずるが、如何か?」
もう少し勉強しなさい。次回にはもう少し先へ踏み込んだ反論しなさい。お互い貴重な時間の中で対論しているのだから。
同じ学会員でももう少しまともな反論できる人はたくさんいますよ。貴殿は、自分の思い込みだけで言いがかりをつけているだけのただの酔漢と同レベルですね。
―――――――――――――――――――――――――――――
●こんな簡単なヒントも理解できないとは!貴殿が本当に通常の知能を有しているのか甚だ疑問なところだ。
まず貴殿からの
▼大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証をご教示下さい。
に対し当方からは
●上掲の日顕猊下の御指南全体を、「大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証」として「ご教示」しましょう。
すると貴殿は
▼つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
という日本語すらまともに読めないらしい真に不勉強な反問がきたので
●更に親切に一言加えて貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?
と、ここまで親切にヒントを与えてあげたのに、今回の上記の反論は何ですか?
知性ある読者は法論内容以前に貴殿の理解力の乏しい頭脳に苛立ちを覚えるのではないかと、心配です。
「読者の皆さん、乞うご期待」このような、とってつけたような台詞は、貴殿の妄想の中だけでは吐いても勝手ですが、公にするにはあまりに無様ですね。
以下の文証は誰の言か?しかもまさしく唯授一人の血脈相承の御文証ではないか。
理解できませんかね?貴殿には無理か。現代語すら覚束ないのに、古文は無理ですかね?
「麓をうろつくのが本当に好きなようである。それとも話題をすり替えたいだけか?」などと強がっている間に、少しは現国の読解の勉強でもし直したら如何か。
■「何となれば唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付とは則ち法体相承にして惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふべし。又法門惣付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之これを受けざるはなし」(弁惑観心抄二一一�)
■「遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、例せば宗祖御在世に数多の弟子ありと雖ども独吾開山のみ法体別付の相承を受け玉ひ其他は法門惣付の相承のみ受けしが故に宗祖滅後各々己義を捏造し像仏等を建立し以て本尊としたるが如し。今亦要法寺も斯くの如し法門惣付は受くると雖ども法体別付の相承なきが故に云云」(同�)
■「吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし」(同二一二�)
■「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同�)
■「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず云云」(同�)
■「今更に論歩を進め本因妙百六箇両抄は正に法門惣付の相承なる道理文証を列挙し日守等が迷夢を警醒せしむべし」(同�)
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◆「日顕さんの実践」というテーマを徒に広げて宿題とは随分一方的で貴方らしい。
相手にレッテルを貼り付けて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。
●「「日顕さんの実践」というテーマ」だなんて、いつからすり替えたのですか?
テーマは「血脈」でしょう?頭破七分で、もう忘れましたか?
「勝手にテーマをすり替えて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。」正に、正論。呵々。
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2005年1月9日 2:32
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●貴殿は、仏法の「麓」も「頂上」も「裾野」も区別がつかない段階のようですね。仏宝であらせられる御本仏日蓮大聖人と、僧宝であられる日興上人を随一とするところの御歴代御法主上人を同列に考え、同等の「実践」がなければ尊仰できないとは、正に、「貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。」
◆貴方の勇気ある回答で、私達との違いが鮮明になりました。
日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」これが貴方の主張する「教義」なのですね。
ギャラリーには十分すぎる回答、誠に有り難うございました。
さて、双方、準備運動も終わった事ですし、大いに語りましょう。
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◆私の主張している実践とは折伏・弘教です。
貴方の投稿に合わせて考察してみます。
針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。
「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜
行動を起こせば三類の強敵が喚起します。三類の強敵を顕さなければ仏説を信受する事は出来ません。
「当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」〜開目抄〜
創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。
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●更に、貴殿ら新興宗教「創価学会」が勝手にプリントして掛け軸様にして「本尊」と称する「魔」を拝んでいる、その基の一機一縁のご本尊を御書写された、貴殿らの宗派とは全く何の関係もない、当宗二十六世日寛上人も、また、貴殿ら創価学会が好んで担ぎ出す、やはり、貴殿らの宗派と全く関係のない、当宗五十九世日亨上人も、大聖人と同じ「本門戒壇の大御本尊を顕示」するための仏宝と同じ「実践」をされましたか?竜の口の法難に遭われて発迹顕本されたのですか?
◆大聖人も同じ類の論難を受けました。
「求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり汝は四百余年の年紀をへだてたり如何」〜妙一女御返事〜
お互いが大聖人仏法を源としている以上、上記の主張は貴方達の正統性を証明しているとは言えないと考えます。実践については上記で述べましたので、そこで反駁して下さい。
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●”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”という貴殿の論法で言えば、大聖人と同じ「実践」をされなければ、日寛上人も日亨上人も、みな尊仰できないということになるでしょう。
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◆大聖人の如く実践していない人を、大聖人の如くに尊仰しないのは当然だと考えます。分分に尊敬するのが道理でしょう。
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●「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と仰せのごとくに尊仰してもいない日寛上人の御書写された御本尊を何故拝むのですか?日寛上人は尊仰して、日顕上人は尊仰出来ないとすれば、その違いは具体的にどこにあるのでしょうか。明示すべきでしょう。勿論文証を以ってです。でなければ論は破綻しています。貴殿は、この至極当然な道理が分からないだけであり、その道理に曚い、頑迷な執情を基に、我見を展開している姿は、正に、「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜 ですね。
◆大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。創価学会の御本尊は、大聖人が御図顕されたものを、後世に日寛上人が書写されたものです。それを和合僧団がこれでいくと決めたのです。
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・「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ」
・「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」〜生死一大事血脈抄〜
大聖人は、ここで生死の一大事の血脈をつまびらかにし、「此より外に求めるな」といわれています。貴方は「生死一大事血脈抄」に含まれないとして百六箇抄の御加文を引用して「此より外」の血脈を求めています。成仏の根元でない血脈で論難しているというのが、私の主張です。
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜
大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は和合僧団の確立であり、三大秘法の明示など、大事の法門を多くの門下の法門信解により御教示されている事からも、和合僧団による令法久住を期されていた事が拝されます。
つまり、特定の個人のみに法門の総てを説示するという考えがなかった。
創価学会は大聖人の説の如く修行した。現証として
「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜
との御聖訓通り、広宣流布は未曾有の広がりをみせた。
故に「生死の一大事」の血脈が流れる和合僧団であると自負するものです。そして三類の強敵が喚起した。これも御聖訓どおりです。
貴方の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
真の和合僧団であることが証明されれば、御本尊の権能は創価学会にあるといえます。
・「創価の潮流は、世界に類を見ない力強さがあります。そして、高い見識をもっています」
・「創価学会のような団体が各国に広がっていくことでしか、地球は救えません。私は創価学会に大きな希望をかけているのです」〜セレブロフ博士〜
・「素晴らしい生徒さんに出会いました。情熱を感じました。希望を感じました。高い水準を感じました。“この人達だ。この人達になら世界の運命をまかせられる”本当にそう思ったのです」〜マリノフ博士〜
・「すなわち彼は審理とか、そのことの正しさとかを自分が享受している名誉や名声その他のものによって証明はしない。正にその反対である。」〜キルケゴール〜
実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。
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●はい、ではその根拠を文証を以って明確に提示してください。
貴殿が「山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だ」と思い込むのは自由ですが、何度も言わないと分からないようだから何度でも確認しますが、法義論争とは、明確な文証・道理を指し示して破折・反論・論破するものです。相手に相手の主張が「稚拙な論理」と分からせるには、それなりの文証を根拠とした論理明晰な反論が必要です。ので、ここは、やり直しですね。宿題です。
◆実践のない日顕さんを神格化する根拠として「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用することも明らかになりました。
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●「実践」云々については上記で破折済み。「「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用」して、何か問題でも?だから、なんなんでしょうか?ここは、全くの反論になっていません。ので、ここもやり直しです。「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等の御法門を例示することがどこがどのように問題なのか、明確に文証で以って反論してください。
◆神格化の根拠として引用する姿勢を否としているのです。上記の血脈・三類の強敵・和合僧団、下記の三宝等のところで反駁して下さい。
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◆貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。
●はい、ここも、貴殿の何の根拠も明示できない盲断ですね。文証を挙げて反論してください。
■「文無く義無きは信受すべからず」■「文証無きは悉く是邪謂なり」貴殿の思い込みでいうと■「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」との大聖人御自らの御言葉も「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」となりませんかね。
◆末法万年にわたる尊信の対象の三宝を定めたものです。我々も実践により僧宝になりうるので、「隷属させるもの」にはなりません。下記の三宝などを参照下さい。
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●■「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。呵々。
◆民衆を隷属させる教義が「仏法に相違」していると主張している相手に、この引用は意味がないでしょう。準備運動のひとつと捉えておきます。
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●そのように、邪網に覆われ道理に曚い妄執の根性で、三宝を誹謗すると、必ずや、■「今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕ち給ふべし」となり、更に詳しくは
■「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。是の故に普賢、若し是の経典を受持する者を見ては、当に起って遠く迎ふべきこと、当に仏を敬ふが如くすべし」
過悪-------過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等。
白癩---皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種。手脚繚戻→手足が曲がり自由に伸びない状態。
眼目角らい---瞳の方角が偏り、正常に者を見る事が出来ない事。
悪瘡---------悪性のできもの、腫れ物。
水腹---------腹部に濁水が充満する病気。
短気------息が詰まり呼吸が困難になること。
このような姿になりますよ。恐るべし、慎むべし。
◆身延相承書・池上相承書にあるように、末法万年にわたる尊信の対象として僧宝を日興上人としたのは明らかです。三宝一体の法義からも正しい。
そのうえで、
・「御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」〜御義口伝〜
戦い続けている学会員も僧宝であり、釈迦一代五時継図の御聖訓には該当しません。私はもちろん、貴方に対して「恐るべし、慎むべし。」と主張します。
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◆「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云 〜上野殿御返事〜
●一体、この御書は何のために、何を立証せんとして引かれたのか。貴殿の引文は全く的外れです。何故かというその答えを言う前に、貴殿の教学力の程度を知るため、また読者の皆さんにも知っていただくために、貴殿に訊くが、「願くは我が弟子等大願ををこせ」の「大願」とは何を仰っているのか分かりますか?その答えを本当に理解しているなら、こういう一節を、虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。」と言う主張の後に挿入できるはずもないのですがね。まずは、貴殿の回答を聞いてみましょうか?その答えを見てからじっくりと貴殿の法門未熟さを破折しましょう。
◆・「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故・法師品十六箇の大事とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
法師品には、法師とは在家・出家の法華経を説いた者として説かれています。(深く見れば法華経全体が滅後末法の為ですが)、大聖人は、薬王品得意抄で
・「法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」
といわれています。在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量です。
この仏の大慈悲を一身に体して行動する人が法師です。この五品の中に、「猶多怨嫉況滅度後」「三類の強敵」が説かれており、法主もこの修行をすべき対象に含まれると考えます。
・「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
無名の庶民である学会員が今も昔も広布の実証を示している姿こそ愍衆生故の姿です。自ら望んで業を背負って生まれて来たのです。妙楽大師はこれを願兼於業と説きました。法を説くために庶民の中へ。仏意仏勅であるが故に三類の強敵を顕した。つまり法師の中の大法師です。
さて、日顕さんにこの教文通りの実践があるのか?ないのか?必要ないのか?
教文通りの難はあるのか?ないのか?これらを踏まえ反駁して下さい。
尚、一番最初の項目と内容が重複する箇所は、そこで反駁して下さい。
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●こういう姿は、まさに痴犬が吠えるがごとくです。上記で破折済み。道理が理解できない痴れ者が、馬鹿の一つ覚えのごとく吠えたくっているだけ。前回の説明で理解が出来ないとはよほど謗法による三毒強盛が進んでいると見えますね。今回の上記の解説をよく読んで仏宝と僧宝の違いをよく知るべきです。更に言うならば、「大聖人と同じ実践がなければ、尊仰してはならない」との、明確な文証を提示してください。その提示もなくただ吠えかかっているのは、愚かを通り越して、惨めですよ。貴殿が「百六箇抄」の御文に対して、この程度の「言いがかり」しかできないとは、ちょっと、残念ですね。もう少し、知的な反論が返って来るのではと期待した当方が、貴殿を買いかぶっていたようです。こんな癡犬の吠え声にい
つまでも付き合っていられませんから、次に進みます。貴殿は、的確な文証を根拠としての反論は全く不能であった。という事実が残ったわけです。
◆他の箇所と重複する内容なので、ここでは触れません。
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●1、「道理に詰まる」?当方のどこがどのように「道理に詰まって」いるのでしょうか?きちんと例示してみてください。このような、根拠もない強がりを言いたくなる貴殿の心情を慮ると同情を禁じえないのですが、貴殿が仏宝と僧宝の立場や役目を混同して、痴犬が吠えるがごとく「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。と幼稚な設問を凝りもせず繰り返している姿こそ、「道理に詰まって」いる醜態ではないでしょうか?
2、「話をすり替えて」?どの論題をどのようにすり替えました?当方は貴殿が書いてあることが全く意味不明であるから、それを貴殿が言う「雅な」表現で、もう少し分かりやすく、再度書き送って欲しいと言っているだけですが?貴殿こそ、当方からの、何点かの論駁に明確に答えもせず、「どうでもいい瑣末な事実」ということに「すり替えて」当方の「性格」を云々するとは、まさに、「道理につまると話をすり替えて個人攻撃」という、「実に貴方らしい」「性格」ではありませんか。そういう「姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。」
◆ここも準備運動の一つと捉えておきます。
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◆「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜
日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?速やかに「はい」か「いいえ」で答えましょう。
●ここまで貴殿が頑迷だと読者に対して失礼でしょう。まず、ここの引文ですが、これは、信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。(創価学会は別の宗派ですから特にこの御文とは関係はありませんが)
この実践は各個々人が自ら大聖人・日興上人・御歴代上人に対し奉り、我が身を誡めるためのものであって、他人が人の信仰姿勢を云々するために持ち出す御文ではありません。ましてや、「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との文意を否定する御文には全くなりません。貴殿の引文はここでも全くの的外れです。貴殿は仏法の初歩に暗いだけでなく、日本語の使われ方の意義を読み取る能力にも欠けているようです。もう少し、勉強してから挑んできたほうが貴殿の名誉のためにも、いいのでは?
◆私「確認しているのです」
貴方「答えになっていない」
私「お互いの主張を明確にするために確認しているのです」
貴方「反論になっていない」
これでは噛み合いませんね。他の箇所と重複する内容なので、ここも触れません。
―――――――――――――――――――――――――――――
● 貴殿が的確な文証も提示できずに余りに恥ずかしいことを書き連ねているので、この対論を発表すると言う約束を失念しているのではと心配になって警告したのです。大勢の読者から失笑を買わないように今後は的確な文証を引文してください。
◆では、双方承知ということで。
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿がいう「一貫して実践の有無を問う」とは正しい法義から見ると「仏法の道理が分からずしてただ頑迷に妄執に取り付かれ、馬鹿の一つ覚えのように吠えている。」という姿です。更に「敬う事だけを強いる文」と言う表現からして、すると貴殿は百六箇抄の御文を否定するのですね?貴殿はここでも仏教のイロハに曚い醜態を晒しています。
◆ここも一区切りします。他の箇所を参照下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●再掲しますが「文無く義無きは信受すべからず」「文証無きは悉く是邪謂なり」貴殿の妄執は、邪な考えということです。更に「仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専(もっぱ)ら経文を詮とせん。」文証を根拠としないで何をどう主張しても、全く論外です。法論にはなりません。顔を洗って出直してきなさい。「自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。」貴殿は正に「三悪道に堕つべし。」の姿そのままです。「種々に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。」貴殿は「非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。」もはや、何を基にどう考えていいか、分からなくなっているのです。
「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ哀れ。御書の御文を指して、「敬う事だけを強いる文」と言い切るとは、もはや完全に仏教外の人です。外道ですね。貴殿ら新興宗教団体の長である方の発言の通り「信仰は自由」ですから、何を信仰しても自由ですが、仏教をやっていると思っているとしたら、嗚呼、勘違い!ですね。ましていわんや大聖人の仏法とは全く程遠いものです。貪・瞋・癡を表す三色の旗でも高々と掲げて世間の嘲笑でも浴びるんですな。凡そ仏教を名乗るからには、三宝が整足していなければならないことはご存知ですよね。貴殿らが外道であるその証拠に、では、現在血脈付法の日顕上人を否定したら、僧宝は誰ですか?明確にお答えください。貴殿は馬鹿の一つ覚えを繰り返している暇はないんですよ。どんどんこうして宿題が増えているではないですか。頑張って、今までの問題を解きましょうね。
◆ここも、上記の三宝についての箇所で進めたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここまで来ると、本当に貴殿はもはや知能が低いとしか思えませんね。この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。
上記でも説明したことの復習ですが
1、では、僧俗全員が大聖人のように竜の口法難を受けて、発迹顕本するのですか?
2、僧俗全員が、大聖人のように戒壇の大御本尊を顕すのですか?
「はい」か「いいえ」で明確にお答えください。
◆重複する内容なので上記を参照し反駁して下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●更に、この御文の次上に
「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」
的確な文証も出せないで、自分の妄執で何を主張しても、貴殿の頭には天魔波旬が入っていて、人も自分も無間地獄に堕ちますよ。全く、幼稚ですね。未熟ですね。ということです。
◆天魔は何れか、これから明らかにしていきましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
●○○に付ける薬なし。○○は死ななきゃ治らない、的な領域に入っていますね。貴殿は。最早。上記の破折文を読んで全く分からないのなら、
「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」これ以上丁寧に教えてあげる必要はないでしょう。なので、次の破折に入ります。百六箇抄の文意を更に的確に表された御文。
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」この御文は「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と同義であると思いますが、いかがか?
であるならば、この御文の通り、やはり、御歴代御法主上人を深く尊信すべきでしょう。
貴殿に忠告するが、このような内容は基本中の基本のやり取りなので、貴殿ももう少し価値的な反論をしていただきたいのですが?
無理なら学会内でもう少しまともな反論が出来る方に交代してもらってもいいし、そういう方に良く教わってから返信してください。貴殿の、迷妄な変質的で頑迷な反論では、当方は聊かもの足りないのですが。もう少し知的で変化に富んだ反論を期待します。
◆御本尊七ヶ相承ですね。
提案ですが、他の箇所で話しの流れに沿って提示して頂けないでしょうか?
その方が見る人にも分かりやすいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆残念ながら、この引文も大外れです。今時少し勉強している学会員なら、「唯授一人の血脈相承」を論じるときに、決して出してきませんけどね。この御書は。恥かくのが分かりきっているから。しかも「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだ」などと、こういう重大な御法門のことを憶測でものをいってはいけないね。貴殿の類推は全くピントが外れていました。下記の文章をよく読んで、赤面してください。(貴殿の教学力で理解できたらの話だけど。)
『大白蓮華』「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述べになったものと拝される。(中略)ゆえに『法体の血脈』と『信心の血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年三月号六九�)
『日蓮大聖人御書講義』創価学会版「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・30上132)
「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。(中略)『総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じての『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�)
『大白蓮華』
「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(昭和四一年九月号三五�)
『特別学習会テキスト』創価学会発行
「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがある
ことを確認しておきたいと思います」(二七�)
◆迹門だと思って下さい。
変わることが、直ちに謗法であるとは考えておりません。
「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」〜顕仏未来記など〜 この御聖訓と同じ原理です。
750年前から何れが変わったかを論じるべきであり、生死一大事血脈抄の御聖訓に対して、大聖人の御聖訓で反駁を試みて下さい。
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◆そして聞こう。
●こんな粋がってもぜんぜんだめ。こんな芝居がかったせりふ回ししてこちらが赤面しますよ。
◆これも準備運動ですね。
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●貴殿は国語が苦手のみならず、数学的な論理にも疎いようですね。学生時代少しまじめに勉強してきていれば、こういう知性のない話にはならないはずなんですがね。
1、貴殿がこだわる「実践」など、上記に破折してきた法門の筋目により、僧宝として尊信することを否定する何ら根拠になりえないことを、今回のメールで貴殿が理解できなければ、貴殿の脳髄は、この法論を継続できるレベルになっていないのですが?どうします?
2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。
◆ここも、重複する内容なので、他の箇所で話を進めたいと思います。
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●次回、今回のように盲滅法に乱引する引文ではなく、法門の筋目に則った引文が出来なければ、貴殿はこの段階でまず、反論不能と「断ずるが、如何か?」もう少し勉強しなさい。次回にはもう少し先へ踏み込んだ反論しなさい。お互い貴重な時間の中で対論しているのだから。同じ学会員でももう少しまともな反論できる人はたくさんいますよ。貴殿は、自分の思い込みだけで言いがかりをつけているだけのただの酔漢と同レベルですね。
◆噛み合わない事も上記しました。ここも他の箇所を参照下さい。
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●こんな簡単なヒントも理解できないとは!貴殿が本当に通常の知能を有しているのか甚だ疑問なところだ。まず貴殿からの大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証をご教示下さい。に対し当方からは上掲の日顕猊下の御指南全体を、「大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証」として「ご教示」しましょう。すると貴殿は
▼つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
という日本語すらまともに読めないらしい真に不勉強な反問がきたので更に親切に一言加えて貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?と、ここまで親切にヒントを与えてあげたのに、今回の上記の反論は何ですか?知性ある読者は法論内容以前に貴殿の理解力の乏しい頭脳に苛立ちを覚えるのではないかと、心配です。「読者の皆さん、乞うご期待」このような、とってつけたような台詞は、貴殿の妄想の中だけでは吐いても勝手ですが、公にするにはあまりに無様ですね。以下の文証は誰の言か?しかもまさしく唯授一人の血脈相承の御文証ではないか。理解できませんかね?貴殿には無理か。現代語すら覚束
ないのに、古文は無理ですかね?
「麓をうろつくのが本当に好きなようである。それとも話題をすり替えたいだけか?」などと強がっている間に、少しは現国の読解の勉強でもし直したら如何か。
■「何となれば唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付とは則ち法体相承にして惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふべし。又法門惣付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之これを受けざるはなし」(弁惑観心抄二一一�)
■「遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、例せば宗祖御在世に数多の弟子ありと雖ども独吾開山のみ法体別付の相承を受け玉ひ其他は法門惣付の相承のみ受けしが故に宗祖滅後各々己義を捏造し像仏等を建立し以て本尊としたるが如し。今亦要法寺も斯くの如し法門惣付は受くると雖ども法体別付の相承なきが故に云云」(同�)
■「吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし」(同二一二�)
■「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同�)
■「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず云云」(同�)
■「今更に論歩を進め本因妙百六箇両抄は正に法門惣付の相承なる道理文証を列挙し日守等が迷夢を警醒せしむべし」(同�)
◆大石寺教学は信じていません。
双方が大聖人の御聖訓と認めているものを提示して下さい。
反駁の内容により、重複する場合は、そこでどうぞ。
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●「「日顕さんの実践」というテーマ」だなんて、いつからすり替えたのですか?テーマは「血脈」でしょう?頭破七分で、もう忘れましたか?「勝手にテーマをすり替えて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。」正に、正論。呵々。
◆内容が錯綜しています。ここも、他の箇所で確認下さい。
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2005年1月14日 0:07
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◆貴方の勇気ある回答で、私達との違いが鮮明になりました。日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」これが貴方の主張する「教義」なのですね。ギャラリーには十分すぎる回答、誠に有り難うございました。さて、双方、準備運動も終わった事ですし、大いに語りましょう。
●貴殿がこれほど簡明で初歩的な道理が理解できない脳髄の所有者であることが、当方にも「ギャラリーにも十分すぎる」ほど分かりました。「誠に有り難うございました。」
今後貴殿の知能レベルに向かって法を説く難しさを当方は修行させていただきます。
さて、いつ「準備運動・本運動」などいう縦分けを設定しましたかね?
当方の破折は第一回目のメールから既に始まっているのであり、貴殿が明確な三宝の役割における法門を全く理解できない、その醜態を晒している状況にあることすら理解できないのですね。哀れ哀れ。
「準備運動」などと、問題の本質を貶める言い方をして、論に詰まっている惨めさをCamouflageしたいのでしょうが、かえってその虚勢を張って強がっている様は、名聞名利の風に侵されている姿であり、正しい仏法を実践していないが故の現証そのままです。もっと、潔く、爽やかにいきましょう。
しかも、今回十分すぎるほど時間をとって(時間がかかって)返信が来て、更には「大いに語りましょう。」などと強がりを言っている割には、内容が乏しくて、貴殿の教学力の浅さがますます露見しましたね。
では、一つ一つ検証していきましょう。
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◆私の主張している実践とは折伏・弘教です。
●その「折伏・弘教」に、様々な、筋目による役割があることを知らないのでしょうか?
まことに、「拙いかな成公(貴殿のことですよ)、汝は是れ誰が弟子ぞや、苟しくも門葉に隠れて将に其の根を伐らんとするや、且つ其の流れを汲んで正に其の源を壅がんとするや、是れ愚癡の山高く聳えて東天の月を見ざるに由るが故なり、方に今一指を下して成公が癡山をつんざくべし」
貴殿にはこの御文の破折の矛先が貴殿の蒙昧さに向けられているということが理解できるかな?
もし、理解できたのなら、鋭く反駁してみたまえ。楽しみに待っているよ。
■1「折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。」
■2「本尊書写豈化他に非ずや。」
1の御文は、大聖人の「折伏」を表わし、2の御文は御歴代御法主上人の「折伏」を表わす、ということぐらい、この御文を拝して理解できますよね?
貴殿は、三毒強盛の身でありながら、自らを省みず、妄執に取り付かれた浅智恵によって、「折伏・弘教」ということを、浅薄に捉えているが故に、法門の筋目に全く曚く、迷妄を起こして、邪難を吐いているだけです。
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▼貴方の投稿に合わせて考察してみます。
針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。
●貴殿の反論の文意は、例のごとく、日本語の表現方式に疎いが故に、まことに”雅で”且つまた”雅”であるが故にまことに不明瞭で、法論の前提である論理の構築が不鮮明です。
1、貴殿は立場役割そのものが同一なものと考えているのか、
2、立場や、役割は別のものとするのか、
ここの辺を再度明確にしてください。
▼「針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。」
との表現からは1の文意を読み取れるし、
▼「針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。」
との表現からは2の文意となるし、貴殿の主張の基本線が明確ではありません。
どちらですか?1か2でお答えください。
更に、上記の反問に答え如何に拘わらず、全体の云わんとしている内容は、またしても、拙いかな成公、■「何んぞ明文を曲げて強いて己情に会すや。」というべき体たらくです。
■「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」
これほど明らかな御文の理を無理やり捻じ曲げて自分の拙い我見で解釈する無様さを露呈しています。
■「小(すこ)し自義に違(たが)ふ文有れば理を曲げて会通(えつう)を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ。」貴殿は理解能力の不足を通り越して、もはや狂人か?
1、針と糸の違う役割を全うするからこそ、目的を成就できるのではないか。
”違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。”というのは、
「車(例えば、ハンドルとエンジン)。違う物が《前進する》という同じ目的を持てば、ハンドルとエンジンなどの個々のパーツは一つとなる。」といっているのと同じ、狂気の言であります。
こういうことを平気で言える者を「愚癡・馬鹿者の頭破作七分」と称するのです。
2、”針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。”
ここの意味を教学的に明確にしてください。
仏法は日蓮大聖人=針、僧宝は日興上人=糸、という解釈でいいのですか?はいかいいえでどうぞ。
また、その義を立証しうる文証を挙げてください。
違うのなら、針と糸に即して、日蓮大聖人と日興上人の関係を説明してください。
また、僧宝は日興上人に限るということですか?はいかいいえでお答えください。
3、”その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。”
と主張しえる文証により裏づけを明証してください。
次に
�「縫う」とは具体的には何か?
�”精神”とは具体的に何か?
�”行動”とは具体的に何か?
�”縫う”という目的の為に、では御法主は具体的にどのような”行動を起こすべき”なのか明示されたし。
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▼「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜
●前回の破折が理解できずに、またこの御文ですか。
自分が破折され切っていることに気がつかないほど貴殿の教学力は低劣なレベルです。
蒙昧な貴殿の脳に再度念告します。
「この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。」
では今回のお題、この御文に「総じて」とあるが、では「別して」はどういう「行動」をするべきなのですか?文証を挙げて明示してください。
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▼行動を起こせば三類の強敵が喚起します。
三類の強敵を顕さなければ仏説を信受する事は出来ません。
「当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」〜開目抄〜
●はい、ここも貴殿の法門未熟さ丸出しの箇所ですね。
開目抄は、別名どういう御書か知っていますか?
人本尊開顕の御書ですね?この辺ぐらいは大丈夫ですよね?
ですから、この御文は日蓮大聖人が下種の御本仏として、脱益の教主釈尊の法華経の予証を証明された文意であり、この御文をそのまま日興上人を随一とするところの僧宝であらせられる御歴代上人当て嵌めること自体が、法門の筋目に曚いと破折しておきます。(理解できますかね?貴殿には無理かな?)
■「諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」
貴殿は、こういった教学の基本すらまるで理解できないで、所対が奈辺にあるのかも分からずに法門の筋目けじめを弁えず盲滅法に御文を振り回すから、このような大恥をかくのです。
貴殿のような未熟者を「盲法門の徒」というのですよ。よくよく心しなさい。恥ずべし恥ずべし。
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▼創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
●ここが貴殿の迷妄の核心部分ですね。
1、創価学会が喚起した「三類の強敵」とは何か?
まず、この答えを見てみましょう。それからゆっくり摧破します。
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▼現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
●勿論です。池田大作らがまさしく「三類の強敵」です。
■「仏の遺言に依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば、何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」(新編二二五�)
貴殿のような仏説に則らずに我意我見を臆面もなく開陳できる会員の集まりである組織を統率しているのはまさに池田ですから、仏教を「経の如くに説かざる」張本人は池田ということになりましょう。そんな男を信用してはいけませんね。
■「仏教には経論にはなれたるをば外道と云ふ。」(蓮盛抄 新編二八頁)
池田のスピーチなどことごとく経論から離れているではないですか。
試しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?
いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。
■今(いま)仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す。知んぬ、此の仏は涅槃経に出だす所の滅後の魔仏(まぶつ)なり。之を信用すべからず。(守護国家論 159)
法華経=戒壇の大御本尊
池田発言
「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7日・本部幹部会)
この発言は明らかに戒壇の大御本尊の否定です。が故に、上記の「法華経(=大御本尊)を末代不相応と」言って憚らない無慙な姿です。ですから、池田はまさに「滅後の魔仏」です。
■「法華経を捨てヽ但観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)なることを。」立正観抄
文永一二年二月 五四歳 766
ここの御文も上記と同じ。
法華経=戒壇の大御本尊
「己心に仏界はある!」だの、(それは確かにそうだが、しかし理論上であって、実際には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊に境智冥合しなくては顕現しない)
「宇宙の根源の法の南無妙法蓮華経に冥合する!」だの、(これも具体的には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊にしか冥合しない)まさしく、「観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)」ですね。
大体にして貴殿は本門戒壇の大御本尊を拝したことがあるのですか?
その求道心なくしていくら大聖人の仏法を声高に叫んでも全然だめだめ。
■「在家の諸人にあふ(仰)がれて、一言を吐(は)けば如来の金言のごとくおもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向かひ奉りて、此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむ(疎)るなり。」(唱法華題目抄 222)
おお、まさに池田ら創賊の姿。
■「若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、
心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。
若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に過咎多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。」(立正安国論 244)
本当、池田の姿そのままではないですか。
■「法華経は一文一句なれども耳にふるゝ者は既に仏になるべき」と思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思ふ故に方便(てだて)をまはして留難(るなん)をなし、経を信ずる心をすてしめんとたばかる。」(四恩抄 265)
会則改悪
弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊→一閻浮提総与の大御本尊 と言い換え、「経(=法華経=大御本尊)を信ずる心をすてしめんとたばかる。」
上出「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7日・本部幹部会)
■「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」
仏と自らが不二であることのみを強調して、自己正当化し、而して二であり、厳然と差異があることを知らない。
自ら仏と等しとの大増上慢の者。
池田狂気の発言
法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ!総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の教えです。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
■「我が宗を厳(かざ)るとも、皆是妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり。」 真言見聞 文永九年七月 五一歳 610
いくら池田自身や創価学会を褒めちぎって自画自賛しても、それはみな嘘・根拠のない戯言。独りよがりの思い込みのたわごとであって、仏法とはかけ離れた我意我見をさも尤もらしく喚いているだけのこと。
■「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」P1370
自分勝手に仏法を邪まに解釈し言い広める者は、天魔が入っている者であり、多くの人も共に自分自身が堕ちる無間地獄に引き擦り込む者である。
■「濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわ(破)るべし」 国府尼御前御書
文永一一年六月一六日 五三歳 739
日顕上人を呼び捨てにする池田を筆頭とする創価学会員らは頭破七分間違いなし。
■「万人には諸天の帝釈をうやま(敬)ふよりもうやまはれて、釈迦仏、法華経に「不思議なり提婆がごとし」とおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろしおそろし。」1123
いくら創価学会員らにちやほやされても、後生はおそろし。
■「愚癡(ぐち)無懺(むざん)の心を以て「即心即仏」と立つ。豈(あに)未だ得ざるを得たりと謂(おも)ひ、未だ証せざるを証せりと謂(おも)ふ人に非ずや。」(蓮盛抄 建長七年三四歳 26
強欲、愚癡(ぐち)無懺(むざん)の根性の癖に、「我れ仏なり」などと馬鹿思いしている。これ、未得謂得、未証謂証の大慢心の者。
■「門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらる、事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失(とが)なり自身の謗法より堅く誡(いまし)むべきなり」(富要一―六八�)
と示されている。この意味について、日達上人は、
■「本宗の僧俗の中で、他の信者を教唆して、本宗の宗綱に違背せしめることは、謗法であります。五逆罪の内破和合僧(和合僧団を妨害し破壊すること)の罪を犯すことであって、自分が直接謗法することよりも、他人を教唆した謗法は重罪ですから、よく誡心しなくてはなりません」(略解化儀抄六四�)
●お守り御本尊模刻の謗法
添付画像の通り、池田はかつて本来不特定多数の人に拝ませることのないお守り御本尊を日達上人に全く無断で、勝手に板本尊に刻ませた。こんな大謗法者はその反省懺悔を反故にしたのならば破門になって当然。
▼ 『広布と人生を語る』池田大作
「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未だ得ざるを為れ得たりと謂い』との慢心であり、増上慢である」(三―四二�)
おお、正に池田本人のことを予言している。さすが!偉いわ。
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▼比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。
●はい、では大謗法団体創価学会の不当性を明示します。
■【開目抄】(554)
諸宗は本尊にまどえり
血脈正しい本尊が何か分からなくなっている哀れな盲目集団、創価学会。
■世間の道俗亦無智の故に理非を弁(わきま)へず。但人に依って法に依らず。設ひ悪法たりと雖も多人の邪義に随って一人の実説に依らず。(守護国家論 127)
池田なんて大俗物に従って、正しい仏法の相伝に依らない。云々。
■悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言(ことば)を巧(たく)みにして愚癡(ぐち)の人の心を取って善心を破るといふ事なり。(唱法華題目抄 224)
池田狂気の発言
心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!!顔色がいい。ね。もう少し景気良く振ればねェ、福運つくんだけど...。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ねェ。朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
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サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました。と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
すごい時代に入りました、ね!そのうちデェジン(大臣)も何人か出るでしょう。もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さんの部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。(平成5年8月8日・第69回本部幹部会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。...ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまり受けない)...駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私の話が高尚で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと、追っついていけないんです。そいで、行き詰まったところで、コーラスやって、みんなでウップン晴らしをすると、それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ニューヨーク!ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(日本人以外には全く受けない)(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ハワイ!(中略)マハロー!マハロー!バカヤロー!バッハロー!(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。二つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首のこと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんなもんじゃない、先入観がよくない。一番バカなのは日顕(上人)!(平成4年4月26日・第8回中部総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
皆さん方もねェ。もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あの−、まぁ日顕(上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)。(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
●いやはや、お見事。
■僅(わず)かに法華経に結縁しぬるをも翻(ひるがえ)し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶(とも)に謗法の者となる。(唱法華題目抄 224)
せっかく大御本尊に出会えたのにねぇ〜。あ、貴殿は拝することも出来なかかったか?
■或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。
何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだりに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。
若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん。(立正安国論 249)
有為の郷→娑婆世界
創価学会員は無間地獄まっさかさまです。
■「百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや」 (御書二四一頁)
もし、創価学会が正しいなら、今日本で一番人数の多い宗教団体が創価学会なのに、何故このように三災七難が起こっているのか?全世界に186?カ国に広まっている?では何故、世界中に災難が増え続けているのか?
■悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。
愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱(つな)に懸(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網(あみ)に纏(まつ)はる。
此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。(立正安国論 250)
■持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。
「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」
人此の理をしらず見ずして、名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり。(持妙法華問答抄 297)
三大秘法の御法体を所持されている日顕上人が「一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」との道理が分からずいる貴殿らは堕獄必定。
■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん」
法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん。其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり。
大聖の金言誰か是を恐れざらんや。
人皆経文に背き、世悉く法理に迷へり。汝何ぞ悪友の教へに随はんや。
「邪師の法を信じ受くる者を名づけて毒を飲む者なり」
汝能く是を慎むべし、是を慎むべし。
倩世間を見るに法をば貴しと申せども、其の人をば万人是を悪む。汝能く能く法の源に迷へり。
一切の仏法も又人によりて弘まるべし。
「仏世すら猶人を以て法を顕はす。末代いづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんや」
よくよく拝し給え。
■されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり。
其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。
当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈冥の照覧恥づかしからざらんや。
地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。(持妙法華問答抄 297)
■仏教をもて仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思ひて、又そばの人も善と打ち思ひてある程に、思はざる外に悪道に堕つる事の出で来候なり。(題目弥陀名号勝劣事 331)
■今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知って、邪悪の師を遠離(おんり)し、正善の師に親近(しんごん)すべきなり。設(たと)ひ徳は四海に斉(ひと)しく、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師・邪師と知って、是に親近(しんごん)すべからざる者なり。
「若し誹謗の者には共に住すべからず、若し親近し共に住せば即ち阿鼻獄に趣(おもむ)かん」
いかに我が身は正直にして、世間出世の賢人の名をと(取)らんと存ずれども、悪人に親近すれば、自然に十度に二度三度其の教へに随ひ以て行くほどに、終(つい)に悪人になるなり。
「若し人本(もと)悪無きも、悪人に親近すれば後必ず悪人と成り、悪名天下に遍(あまね)からん」
邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり。(最蓮房御返事 文永九年四月一三日 五一歳 585 )
■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐(いだ)かん。此の人の罪報を汝今復(また)聴(き)け、其の人命終して阿鼻獄に入らん」594
■法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉(ねた)み、戯(たわむれ)れにも・(そし)る程ならば、経にて無けれども、法華経に名を寄せたる人を軽(かろ)しめぬれば、上の一劫を重ねて無数劫(むしゅこう)、無間地獄に堕ち候と見えて候。(呵責謗法滅罪抄
文永一〇年 五二歳 711)
■法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶ(戯)れての(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈(めり)し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況(いわ)んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱(きにく)・嫉妬・打擲(ちょうちゃく)・讒死(ざんし)・歿死(ぼっし)に当てんをや。810
■法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは、三世の諸仏を敵とするになるべし。815
■犬は師子(しし)をほ(吠)うれば腸(はらわた)くさる。修羅(しゅら)は日輪を射(い)奉れば頭(こうべ)七分に破(わ)る。(乙御前御消息
建治元年八月四日 五四歳 895)
■始めは信じてありしかども、世間のをそ(恐)ろしさにす(捨)つる人々かず(数)をし(知)らず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそし(謗)る人々又あまた(数多)あり。在世にも善星比丘(ぜんしょうびく)等は始めは信じてありしかども、後にす(捨)つるのみならず、返って仏をぼう(謗)じ奉りしゆへ(故)に、仏も叶ひ給はず、無間地獄にを(堕)ちにき。987
■法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡(とんじんち)により、或は世間の事により、或はしなじな(品品)のふるまひ(振舞)によって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほ(蒙)るなり。1232
■設(たと)ひ法華経をもって行なふとも験(しるし)なし。経は勝れてをはしませども、行者僻見(びゃっけん)の者なる故なり。(治病大小権実違目 弘安元年六月二六日 五七歳 1236
■宿習の至り正師に遇ふと雖も伝持の人自他弁じ難し。「能く是の法を聴く者此の人亦復難し」と。1881
■三惑未断の凡夫の語録を用ひて、四智円明(しちえんみょう)の如来の言教を軽んずる、返す返す過(あやま)てる者かな。疾(やまい)の前に薬なし、29
■善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。(立正安国論 242)
『種々御振舞御書』
■ 「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(新編一〇六六�)
■仏説大五濁経 末法法滅の相
その一「当末の世、白衣に従って学法せん世の一の乱なり」(白衣→俗人)
■65六十五世日淳上人も
「御戒壇様や御法主上人を信じないから仏法が分らない。(乃至)大聖人を信ずる事を知って大聖人のお定めになった法主を�あれは凡夫じや�と云って信じない、それでいながら凡夫のエライ先生にハマリ込んでその先生の言う事は雪も墨と信じ切ってしまう」
謗法与同
▼『大白蓮華』
「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」(平成八年一月号五〇�)
■相構へ相構へて、とわり(遊女)を我家へよ(寄)せたくもなき様に、謗法の者をせ(塞)かせ給ふべし。「悪知識を捨て善友に親近(しんごん)せよ」とは是なり 日女御前御返事
弘安二年八月二三日 五
八歳 1388
広宣流布
■『日達上人全集』
「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(二―六―二九五�)
貴殿らが仏法に迷える大謗法集団であることは明々赫々です。
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◆大聖人も同じ類の論難を受けました。
「求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり汝は四百余年の年紀をへだてたり如何」〜妙一女御返事〜
お互いが大聖人仏法を源としている以上、上記の主張は貴方達の正統性を証明しているとは言えないと考えます。実践については上記で述べましたので、そこで反駁して下さい。
●はい、ここでもまたもや貴殿の法門未熟さが露見しました。
貴殿が引用した当該御書は下記の一節ですが、ここは、法華と真言とを対して正義を論じた権実相対のけじめを述べられおられる箇所です。伝教大師の釈に対して慈覚大師が、権実相対して明らかに間違っているが故の文であって、三大秘法の口伝と同列に論じることは出来ない御文です。
■「求めて云はく、慈覚大師は伝教大師に値ひ奉りて習ひ相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答へて云はく、師の口より伝ふる人必ずあやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてゝ口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用なり、慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかゝれて、次下に「当に知るべし、此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕はすなり、乃至当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し」等@云云@。此の釈を背きて、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。」
しかも、貴殿は「創価学会の精神が大聖人に直結しているが故に、別に口伝による血脈相承など関係なく、創価学会がどの御法主のどの御本尊をどのように改竄・印刷・大量販売しても許される」と主張したいのでしょうが、これは全くの邪義・邪説・盲信・邪信です。
■『佐渡国法華講衆御返事』日興上人
「この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」(歴全一―一八三〜一八四�)
貴殿の考えでは間違いなく無間地獄まっしぐらです。しかも、貴殿の読解能力の低さは群を抜いているらしく、今回の反問の主意が理解できなかったようで、まるで筋違いの回答でした。ご苦労様。諧謔を混ぜ、すこし複雑な構文にしたのですが、貴殿にはやはり読み解くことが無理だったようですね。貴殿の国語能力に合わせ、もう少し分かりやすいく説明しますね。
●貴殿は■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文を根拠に「大聖人と同じ”実践”がなければ尊仰できない」と主張している。であるならば、日寛上人・日亨上人は「大聖人と同じ「本門戒壇の大御本尊を顕示」するための仏宝と同じ「実践」をされましたか?竜の口の法難に遭われて発迹顕本されたのですか?」と訊いているのであります。”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”という貴殿の論法で言えば、大聖人と同じ「実践」をされなければ、日寛上人も日亨上人も、みな尊仰できないということになるでしょう。
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◆大聖人の如く実践していない人を、大聖人の如くに尊仰しないのは当然だと考えます。分分に尊敬するのが道理でしょう。
●ほ〜〜〜〜、すると、貴殿は日寛上人・日亨上人をどのように”尊敬”しているのですか?”分分に”だなんてあいまいな表現でなく、教学的に明確にその尊敬のしかたを表示してください。といっても貴殿にはその回答すら難しいでしょうから、下記の設問にはいかいいえでお答えください。
1、本尊とは我々が成仏を遂げるために、根本尊仰して、帰命依止する対象ですが、日蓮大聖人のようにではなく、”分分に”尊敬している=大聖人よりは尊敬していない、日寛上人の御本尊を(勝手に改竄・大量印刷して)拝んでも成仏するのですか?
2、大聖人直筆御本尊と、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、尊さに勝劣があるのでしょうか?
3、大聖人直筆御本尊と、、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、我々の成仏の仕方に”分分の”差が生じるのでしょうか?
4、日寛上人と日亨上人とに”分分に”尊敬すべき程度の差があるのですか?
5、日寛上人の御本尊と、日亨上人の御本尊では”分分”の差があるのでしょうか?どっちの御本尊の方が功徳があるのですか?
6、日寛上人は僧宝ですか?違うのですか?もし、僧宝でないのなら、何というお立場ですか?もし、僧宝ならば、僧宝の定義を文証を挙げて明示してください。
7、日興上人の御本尊と日寛上人の御本尊では優劣があるのですか?
8、御歴代上人を、貴殿の基準で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文を根拠に、”分分に”順列をつけてください。貴殿の論理からすると大聖人のお振る舞いに近かった方から尊敬する程度の差が生じることになりますよね。何を基準に一生のお振る舞いを大聖人に近いとか遠いとか判定するのですか?また、その御歴代上人の御本尊にも”分分に”功徳の浅深があるのですか?ないとするならば、どういう理由でないのか、明証してください。
これらの反問に逃げずに明確にお答えください。ここは貴殿の仏法理解の未熟さがはっきり露呈した箇所ですから、実に重要なポイントですからね。楽しみに待ってますよ。
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◆大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。創価学会の御本尊は、大聖人が御図顕されたものを、後世に日寛上人が書写され>
たものです。それを和合僧団がこれでいくと決めたのです。
●いよいよ貴殿の拙い信仰の正体が現れてきましたね。
1、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」すると、大聖人以外で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文のごとくに大聖人と同じ”実践”をされた人はいないってことですよね?
貴殿の最初の主張▼「在世の如く(※御歴代上人を)敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。」
=大聖人の如くの実践がない。在世の如く戦ったという事実が示せなければ、尊敬に値しない。
=日興上人を始め全ての御歴代上人は、「御図顕」ではなく「御書写」ですから、「日蓮が如くにし候へ」とはならない。
=日顕上人に限らず、全ての御歴代御法主上人は「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができない。
=「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができないから、日顕上人を尊敬できない、との論拠は完全に崩れましたね。理解できますか?
2、日寛上人は何故書写できるのでしょうか?また、なぜ、御図顕できないのでしょうか?貴殿は、日蓮正宗とは別の宗教団体でありながら、、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と勝手に人の宗派の化儀を云々していますが、その根拠は一体どこから来ているのですか?明示し給え。
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▼・「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ」>>
・「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」>> 〜生死一大事血脈抄〜>>>> 大聖人は、ここで生死の一大事の血脈をつまびらかにし、「此より外に求めるな」といわれています。貴方は「生死一大事血脈抄」に含まれないと>
して百六箇抄の御加文を引用して「此より外」の血脈を求めています。成仏の根元でない血脈で論難しているというのが、私の主張です。
●貴殿は何宗の教祖ですか?「私の主張です。」などと、貴殿独自の主張など、まるで問題になりません。
貴殿は仏でない、ただの謗法者ですから。
「生死一大事血脈抄」については、前回「創価学会の見解」で破折完了済み。
この御書は別しての血脈を根底においた上での総じての血脈を説いている御書。
仏法の初門にすらまるで達していない謗法者の貴殿が、「生死一大事血脈抄」の表面上の御文に執着して、いかに頑迷な主張を繰り返しても、読者のお笑い者。
学会内部からも、溜息が漏れてくるでしょう。曰く「馬鹿なやつだな〜〜。その御書を持ち出すのは止めてくれよ。学会の恥を晒すことになるからさぁ〜・・・」
後半に、「学会のかつての主張は、迹門だった。」との趣旨があるが、これは、抱腹絶倒、一読噴飯、再読嘆息、空前絶後の駄説であるから、当該箇所で徹底的に摧破します。お楽しみ。
では、成仏の根源、三大秘法が、唯授一人、血脈相承に依って伝持されている文証を挙げ、それらが「生死一大事血脈抄」の御文を血脈の一切と考えた時に、真っ向から矛盾を起こす故に、貴殿の”主張”は、浅識、不信、不解の14誹謗であり、やはり堕獄必定であることを論証します。
■次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。269 四恩抄 弘長二年一月一六日 四一歳
■但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
■日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興 1675
■身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
池上 日蓮花押 1675
■『本因妙抄』
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�)
■『産湯相承事』 「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ」(新編一七一〇�)
■2『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九�)
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
■59『有師化儀抄註解』日亨上人信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通う有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云うが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにはあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経ても正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云えば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違えぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違う時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり。(富要一―一七六�)
■9三世諸仏高祖開山も当住持の所もたげられたる所なる故に・事に仏法の志を高祖開山日目上人受け給ふ姿なり。1-144
有師化儀抄註解本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふが故に供養の一切の酒を当住持が始らるゝは勿論の事にて・即宗開三祖が自ら受け給ふ姿なり 1-145
先師先師は過去して残る所は当住持計なる故なり、住持の見玉ふ処が諸仏聖者の見玉ふ所なり。1-146
住持の上人は高開三祖等次第に過去し給へる後の現存者なるを以て・現住即高開三の代表にして・現住の見る(施物を)所は仏聖人の見給ふ処なる故云々 1-146
■17「当家甚深之相承之事。全く余仁に一言半句も申し聞かすこと之れなく、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(略)又本尊相伝唯授一人の相承の故に代々一人の外書写之れなし」
■17「当家相承の事、全く他家に於て知らざる法門なり。大聖人より相伝の分は日興一人なり。之に依って今に相伝絶えず、然るに当時悪僧出来して残らず相承の由申す云々。斯の如き悪侶未来は弥々出来すべきが故に斯の如く書き置く所なり。今時平僧所化衆多し以て書写する故に此の如く書き置く所なり。延宝九年八月十二日 日精花押」
■17『富士門家中見聞』日精上人「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(聖典六九五�)
■26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし云々。
■26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
■26『撰時抄愚記』日寛上人「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」(文段集二七一�)
■26『文底秘沈抄』日寛上人「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや」(六巻抄六六�)
■26『三宝抄』日寛上人「付属伝授は即ち是れ僧宝なり。世人此の宝を知らざること譬えば卞(べん)和らか璞(あらたま)の如し云々。(夜光の珠は磨かざれば 石瓦なり磨は珠なり。歴全4-365)
■26 金言とは金口相承即是れ僧宝なり 三宝抄 歴全4-372
■「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄 三二三�)
■26『三宝抄』日寛上人「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇�)
(※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)
【関連】▼※ 『特別学習会テキスト』創価学会発行「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであります」(四一�)
■26久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり、仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ比の大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや、然れば則ち末法出現の三宝は其の体最も明らかなり」(聖典九五〇頁)『当流行事抄』
■「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」
■65日淳上人「仏教は必ず相伝による」(日淳上人全集七四四�)
■66日達上人昭和三十八年5月「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」
■ 所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。富要10−254 寿量品
■26『三宝抄』日寛上人「問う、三宝に勝劣有りや。「答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三�)
■26『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師「類聚翰集私」・富要二―三〇九頁の文を引用)
「日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、」尋いで便(すなわ)ち来り帰って咸(ことごと)く之に見(まみ)え使(し)む
■26「此の経は相伝に有らざれば知り難し」文。また云く「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」如説修行抄筆記
■31『日因上人御消息』「日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり」(妙喜寺文書)
■48『続家中抄』日量上人「晨朝密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺托す」(聖典七七四�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、
★池田大作指導
(a) 熊本・城北圏自由勤行会(阿蘇)
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓を引く行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(広布と人生を語る二―三七)
(b) イタリア広布二十周年記念勤行会(フィレンツェ)
「三座は、御本仏日蓮大聖人に対する御報恩感謝、ならびに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた第二祖日興上人に対する御報恩感謝である。さらには、第三祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈をうけられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げるのである。現在においては、ご存じの通り第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられる」(広布と人生を語る二―八三)
(c) 富山県記念支部長会(富山文化会館)
「この法、すなわち末法の大白法は、唯授一人、血脈付法の御歴代の御法主上人御一人が、お伝えあそばされているのであり、そのうえからわれわれ信徒のために御本尊をお認めくださっているのである。ここに、令法久住があることを知らねばならない。したがって、われわれは総本山を外護申し上げ、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、僧俗和合の道を歩みゆくことが正しいのである」(広布と人生を語る四―六七)
今回はこの位にしておきますか。
貴殿が執着する生死一大事血脈抄の貴殿流の解釈では、上記の全ての文証と整合性がなくなります。
つまり、貴殿の自分勝手な珍釈は明らかに間違っていると断じます。もし反論があるならどうぞ。ただし正しい文証を以ってしてください。
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▼「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も>
今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜
▼大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は和合僧団の確立であり、
●貴殿は生死一大事血脈抄の御文の付文の辺だけに囚われているから御仏の元意の辺が分からないのです。
”大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は”三大秘法の確立=本門戒壇の大御本尊の御図顕であり、そこの根本の御法体の末法万年にわたるところの令法久住をなしうる”和合僧団の確立であり”ます。
■「去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」聖人御難事
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▼三大秘法の明示など、大事の法門を多くの門下の法門信解により御教示されている事からも、和合僧団による令法久住を期されていた事が拝されます。
●さあ、ここでもまたもや貴殿の拙い教学力が露呈しましたね。
その根本の御法体から離れての”和合僧団による令法久住”などありえないのであり、貴殿らの集団は、正に、ただの邪教・謗法の集まりに過ぎません。その根本の御法体は、血脈相承・唯授一人において富士大石寺に伝持されていることは、上記の膨大な文証で明らかです。もし、異議があるなら、上記の御文証に全て明確な文証を以って反論してください。が、しかし、貴殿の力では(貴殿でなくても)絶対無理でしょうね。もし、反証できないときには、貴殿は反論不能と断じ改宗を要求します。
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▼つまり、特定の個人のみに法門の総てを説示するという考えがなかった。
●この二箇の相承をどう読むんですか?貴殿は。本当に大丈夫?一度病院に行って診てもらったほうがいいのでは?
そんな様子では職場での貴殿の行動も心配です。とにかく、こんな戯言には上記で完全に破摧済み。異議あれば反証を待つ。出来なければ、反論不能で改宗。
■日蓮一期弘法付嘱書
弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興 1675
■身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
池上 日蓮花押 1675
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▼創価学会は大聖人の説の如く修行した。現証として「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜>>
との御聖訓通り、広宣流布は未曾有の広がりをみせた。
●自分勝手に本尊のニセモノを改竄・印刷・大量販売しても、それを「広宣流布」とは呼ばないのであります。ご愁傷様。
貴殿らのニセ本尊は、身延のおみやげ物売り場で販売されている大聖人御真筆ご本尊のコピーものと何ら違いませんね。
貴殿らのしていることは、その堕獄必定の魔物を世界中にばら撒いているのです。
既述したが、今世界中にこれほど酷い三災七難が興盛しているのも、貴殿らの魔物によるところが大であります。貴殿らが自慢するが如く世界中に広まった創価学会がもし真の正法ならば、何故、以前より今が更に悪くなっているのか?その理由を、文証において証明してください。
異議があるなら文証で反論を。待ってます。
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▼故に「生死の一大事」の血脈が流れる和合僧団であると自負するものです。
●以上の論証から言って、この言の根拠は総崩れ。ただの独りよがり、慢心・驕慢謗法です。愚かで哀れです。
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▼そして三類の強敵が喚起した。これも御聖訓どおりです。
●上記で詰問済み。貴殿らの言う”三類の強敵”を例示せよ。それからぎっちり破折します。
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▼貴方の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
●まことにこれは貴殿に対しての言辞ですね。今正に貴殿に言おうと思っていた通りです。
■「正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。」
■「今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」@云々@。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等@云々@。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。」
まさしく、根源=主 枝葉=従 貴殿の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
■「既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給
ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。(中略)法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
貴殿は総じての血脈の文を以って別しての血脈の意を理解できていない。拙い頑迷なだけであります。「成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」その浅い教学では今世は間違いなく解脱は無理。悪道を輪廻することでしょう。
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▼真の和合僧団であることが証明されれば、御本尊の権能は創価学会にあるといえます。
●証明など全くされていないので、この設問は全く不可ですね。
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▼・「創価の潮流は、世界に類を見ない力強さがあります。そして、高い見識をもっています」
・「創価学会のような団体が各国に広がっていくことでしか、地球は救えません。私は創価学会に大きな希望をかけているのです」〜セレブロフ博> 士〜
・「素晴らしい生徒さんに出会いました。情熱を感じました。希望を感じました。高い水準を感じました。“この人達だ。この人達になら世界の運> 命をまかせられる”本当にそう思ったのです」〜マリノフ博士〜
・「すなわち彼は審理とか、そのことの正しさとかを自分が享受している名誉や名声その他のものによって証明はしない。正にその反対であ> る。」〜キルケゴール〜
実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。
●また何を根拠にするかと思えば、そんな学者の言を持ち出してもぜんぜんだめ。
この方々は、成仏の法を御存知なのですか?三大秘法の法体を知っているのですか?
貴殿が引文するの”文証”とはまさか、この方々の”お言葉”ではないでしょうね?
仏法の奥義を相伝されてない方々に人を成仏させる法を知っているわけがないじゃないですか?
貴殿はそんなことも分からないのですか?
こんな言辞を根拠として、”実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。”だなんて結論付けても全く意味を成しません。
思わず噴出しましたよ。貴殿のレベルの低さにはほとほと感心させられますね。
もう少し法義論争の基本を学んでからにした方がいいのでは?
はい、やり直し。もっと、まともな仏法の文証に於いて反駁し給え。
貴殿の言葉で言えば”準備運動”にすらなっていませんね。
”運動”する前に、目が覚めるように、おうちでまず”洗顔”からやり直したら?
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◆神格化の根拠として引用する姿勢を否としているのです。上記の血脈・三類の強敵・和合僧団、下記の三宝等のところで反駁して下さい。
●反駁も何も、貴殿はこの設問において全く何の反証も出来なかったのであり、この科段では貴殿の反証不能で終了と言う事実が残ったということです。こんな状態が続くようでしたら、真に改宗を要求します。
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◆末法万年にわたる尊信の対象の三宝を定めたものです。我々も実践により僧宝になりうるので、「隷属させるもの」にはなりません。下記の三宝>
などを参照下さい。
●この箇所も矛盾だらけです。
1、”末法万年にわたる尊信の対象の三宝”とはどなたを指すのか?その答えを見てからしっかりと破折します。
2、「我々も実践により僧宝になりうる」その根拠を文証により明示してください。
3、1の「三宝」と貴殿らが成りうる”僧宝”との関係を文証により説示してください。
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◆民衆を隷属させる教義が「仏法に相違」していると主張している相手に、この引用は意味がないでしょう。準備運動のひとつと捉えておきます。
●? 貴殿は本当に日本語が読めないようですね。
当方からは■「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との御文を提示して、日顕上人を尊仰すべきである。と主張し、
それに対し貴殿が、▼”貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。”と難じてきたのでしょう?
そこで、●「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。と破折をしたのであって、貴殿の論法から言えば、”貫主お一人が大人数の衆義を一方的に摧く”ということは、まさに”民衆を隷属させる教義”であり、そのことは貴殿が解釈している”仏法”に”相違”しているのではないか。
当方が引文した文証に通底している義はまさに同義であり、貴殿の珍釈こそこれらの御文へ無知が故とはいえ唾を吐きかけているのですよ。恐れるべし。誡しむべし。
反論に窮したからといって”準備運動のひとつと捉えておきます。”などと、強がってしらばっくれるものではありませんよ。
まっ、読者は、正確に見抜いてますけどね。貴殿の知能程度と、捻じ曲がった性格が顕著に現れた箇所として貴重な場面でした。
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◆身延相承書・池上相承書にあるように、末法万年にわたる尊信の対象として僧宝を日興上人としたのは明らかです。三宝一体の法義からも正しい。
●ここも貴殿の”怪釈”はハズレでした。
僧宝とは、日興上人を随一とする末法万年の御歴代御法主上人です。
上掲した御文中貴殿にも理解しやすいだろう御文を再掲する。
もし、異議があるのならば、文証に於いて反論してください。
■『本因妙抄』
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�)
■『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九�)
■一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
■26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし云々。
■26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
■亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。
■59『有師化儀抄註解』日亨上人
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、
(因みにここなども、貴殿の論から言えば、”庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである”となりますね。貴殿は日亨上人にも唾を吐きかけるんですね。恐ろし、恐ろし。)
―――――――――――――――――――――――――――――
▼そのうえで、・「御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の>
類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧> とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」〜御義口伝〜 戦い続けている学会員も僧宝であり、釈迦一代五時継図の御聖訓には該当しません。
●また何を言い出すかと思えば。貴殿の引文は全くお門違いばかりですね。しかも、自分等の謗法の咎を表示している箇所を敢えて引証してくるとは。「盲法門・もぐら法門・ミミズ法門」ですね。
では、いきますか。貴殿は後半部分を根拠に”創価学会を僧宝”と馬鹿げたことを言いたいのでしょう?
この御文は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御事をお示しなのです。決して貴殿ら三宝誹謗の大謗法者たちのことではありません。
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。法とは題目なり。僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
まさに、この御文のとおりで、解釈をする必要もないほど明瞭ですが、理解力の欠乏した貴殿に対して敢えて説明するならば、
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」
ここは、このまま、末法御出現の御本仏は、三十二相色相荘厳の迹仏の姿ではなく、凡夫、なかんずく凡夫僧の姿である。ということです。
■「僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
ですから、再度釈されて、凡夫僧とは末法の法華経の行者=本仏である。それは、僧形ではあるけれども、内証は御本仏であり、外用は凡夫僧である。
■「深覚円理名之為仏の故なり。円理とは法華経なり」
ここで決着ですね。ここの意味を知っていて引文したとすれば貴殿はほとんど日本語を知らない外国人か、はたまた狂人ですね。
ではいきます。
「深く円理を覚る。之を名づけて仏と為す。円理とは法華経(=戒壇の大御本尊) なり。」
ここにまさに、御本仏の御境地がはっきり現れているではないですか。
貴殿らは、”深く円理=戒壇の大御本尊 を覚”っているのですか?まっさか!
こういう法門の筋目を分からずして、乱引するから、こうして恥をかくのですよ。
”戦い続けている学会員も僧宝”ですって?呵々。一体何と戦っている事やら。
■「今末法に入つて日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事彼に過ぎたり。」
貴殿らのやっていることはまさにこれではないですか。
御法主日顕上人猊下も我々法華講もみな戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して、”南無妙法蓮華経と唱え奉”っているのですよ。
■「不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受く」
■「彼は千劫此れは至無数劫なり」
この御文のとおり、貴殿らは間違いなく、まさにほとんど無限に近い時間ほど地獄に堕ちますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼私はもちろん、貴方に対して「恐るべし、慎むべし。」と主張します。
●上記の破折をよく読んでから、もう一度出直して来なさい。
■「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。」
この観発品の御文は、まさに貴殿らの行く末を明示している御文ですよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆・「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故・法師品十六箇の大事とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南>
閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
●まず、御文を改めます。平成版では以下になっています。
「第二 成就大願 愍衆生故○生於悪世 広演此経の事
御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類なり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり。」
古文献の研究は後年に於いてものが正確である事は古文書研究の常識であるが故に、平成版の表現を用います。
法華=戒壇の大御本尊であることは異論がないと思いますが、では、貴殿らは何を広めているのですか?
■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 993
■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
■『本尊問答抄』
「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(新編一二七五�)
■22『本門如来寿量品廿三座』日俊上人
「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」(歴全三―三�)
■31『日因上人御消息』
「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是れ也」
■56『法之道』日応上人
「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四�)
貴殿らが販売している掛け軸様のものは、開眼のない魔であり、鬼であり、国を滅ぼす基ではないですか。
そんなものを広めている者たちに「大願とは法華弘通なり」の御文を云々する資格は全くありませんね。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼法師品には、法師とは在家・出家の法華経を説いた者として説かれています。(深く見れば法華経全体が滅後末法の為ですが)、大聖人は、薬王品>
得意抄で
・「法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」
といわれています。在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量です。
この仏の大慈悲を一身に体して行動する人が法師です。
この五品の中に、「猶多怨嫉況滅度後」「三類の強敵」が説かれており、法主もこの修行を> すべき対象に含まれると考えます。
●全く貴殿は法門の筋目が分かってないですね。
まず、この御書は文永二年の御作ですから、佐前であります。
■「又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。」
との御指南の如く、文底下種の御法門から開いて拝読しなくてはいけません。
■「方便品より人記品に至るまでの八品には、正には二乗作仏を明かし、
傍には菩薩・凡夫の作仏を明かす。法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は、上の八品を末代の凡夫の修行すべき様を説くなり。又、涌出品は寿量品の序なり。分別功徳品より十二品は、正には寿量品を末代の凡夫の行ずべき様、傍には方便品等の八品を修行すべき様を説くなり。然れば此の薬王品は方便品等の八品、並びに寿量品を修行すべき様を説きし品なり。」
その上で拝していくと、この御書が権実相対・本迹相対の辺で説かれている事が分かります。
ですから、当該箇所は、迹門の正と傍の意義を明かし、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品に、権実相対しての末代の修行の様を説かれていると御教示なのです。この御文を、直ちに文底下種の三大秘法を御所持される御法主上人に当て嵌める事自体、法門の所対に曚い盲狂学の浅はかさが暴露されてしまいましたね。貴殿の引文が不適格なその証拠に、五品の中に安楽行品も含まれていますが、貴殿ら創価学会は末法に四安楽を説く安楽行品の修行するのですか?あっ、池田はそうかもしれませんね。納得。呵々。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼・「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
●南無妙法蓮華経を唱えているものは別に貴殿らだけじゃないですよ。
顕正会だって唱えています。当方も唱えています。貴殿らとの違いを明確に説明してください。出来なければ、反論不能で脱会。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼無名の庶民である学会員が今も昔も広布の実証を示している姿こそ愍衆生故の姿です。
●上記の通り、開眼のない魔物を販売してあるくことは、どう間違っても広布ではありませんので。悪しからず。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼自ら望んで業を背負って生まれて来たのです。
●全く、悪業の深い連中ですね。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼妙楽大師はこれを願兼於業と説きました。法を説くために庶民の中へ。仏意仏勅であるが故に三類の強敵を顕した。つまり法師の中の大法師です。
●貴殿の妄想に獲り付かれたたわごとです。
魔物を大量販売しているが故に、”願兼於業”でもなければ、”仏意仏勅”であろうはずもない。ましてや、”三類の強敵”だなんて大噴飯ものです。
貴殿ら創価学会の度重なる反社会的行為によって世間から何度も何度も厳しく糾弾されただけのことではないですか。
日蓮正宗からは、貴殿らの度重なる大謗法によって、当然の如く破門されただけの事。
「法師の中の大法師」だなんて、とんだお門違い。ブラックジョークですか?
魔物を作成・印刷・販売する者たちは、「魔師の中でも大魔師」でしょう。今生には自らも家族も滅ぼし、後生は無間地獄間違いないですよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼さて、日顕さんにこの教文通りの実践があるのか?ないのか?必要ないのか?教文通りの難はあるのか?ないのか?これらを踏まえ反駁して下さい。尚、一番最初の項目と内容が重複する箇所は、そこで反駁して下さい。
●上記の如く、大魔物販売集団から、日顕上人が経文(”教文”ではないと思いますよ)通りの実践があるのか、ないのか。だなんて言われる筋合いは毛筋ほどもないですね。
むしろ、貴殿らのような大謗法団体をきっちり破折し破門した事自体、まさに経文通りの実践ではないですか。だから貴殿らの汚れきった邪難を一身にお受けになっているではないか。これまさに三類の強敵の大難を受けているお姿そのものです。
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◆他の箇所と重複する内容なので、ここでは触れません。
●自分から吠え掛かっておいてこれですからね。
ここも、とうとう反論不能ということですね。お疲れさん。
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◆ここも準備運動の一つと捉えておきます。
●はい、反論不能。結局、貴殿は書き間違えたことを素直に認めないからこのような無様な終わり方になりますね。今後、もっと潔くなりなさい。
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◆私「確認しているのです」貴方「答えになっていない」私「お互いの主張を明確にするために確認しているのです」貴方「反論になっていない」これでは噛み合いませんね。他の箇所と重複する内容なので、ここも触れません。
●貴殿が真から低レベルの教学しかないということが明確になりましたね。
貴殿は破折されつくされていることすら気がついていない。
貴殿に比べれば、まだ○藤氏や、○階氏の方がレベルは上でしたね。貴殿ほど無知ではなかったですね。
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●貴殿がいう「一貫して実践の有無を問う」とは正しい法義から見ると「仏法の道理が分からずしてただ頑迷に妄執に取り付かれ、馬鹿の一つ覚えのように吠えている。」という姿です。更に「敬う事だけを強いる文」と言う表現からして、すると貴殿は百六箇抄の御文を否定するのですね?貴殿はここでも仏教のイロハに曚い醜態を晒しています。
◆ここも一区切りします。他の箇所を参照下さい。
●はい、ここも貴殿の敗走とういうことで。
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◆ここも、上記の三宝についての箇所で進めたいと思います。
●ここでも貴殿は反論不能で暗礁に乗り上げたということですね。
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◆重複する内容なので上記を参照し反駁して下さい。
●大体貴殿から言い出した段なのですよ。こっちの反問に全く答えてないではないですか。貴殿は根性が捻じ曲がっているだけでなく、卑怯者ですね。はい。ここも反論不能。もう貴殿は脱会すべきでは?ここまで返答できないとなれば。
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●更に、この御文の次上に「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」的確な文証も出せないで、自分の妄執で何を主張しても、貴殿の頭には天魔波旬が入っていて、人も自分も無間地獄に堕ちますよ。全く、幼稚ですね。未熟ですね。ということです。
◆天魔は何れか、これから明らかにしていきましょう。
●誰が「私ならざる法門を僻案」しました?良く全体の文意を弁えてから偉そうなことを言いなさいね。
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◆御本尊七ヶ相承ですね。提案ですが、他の箇所で話しの流れに沿って提示して頂けないでしょうか?その方が見る人にも分かりやすいと思います。
●既に提示済み。ここも、結局貴殿は反論不能。全く情けない体たらくですね。
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◆迹門だと思って下さい。変わることが、直ちに謗法であるとは考えておりません。「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」〜顕仏未来記など〜 この御聖訓と同じ原理です。750年前から何れが変わったかを論じるべきであり、生死一大事血脈抄の御聖訓に対して、大聖人の御聖訓で反駁を試みて下さい。
●とうとう出ましたね。まさに馬鹿丸出しの教学。ここまで浅はかとは思いませんでした。はっきり言って相手にするにはあまりに貴殿はレベルが低すぎます。残念ですね。まっ、しかし貴殿の迷妄を完膚なきまで摧伏しぬきましょう。全国の読者の為にも。
では、破折いきましょう。
1、創価学会は末法適時の仏法である、文底下種本門の仏法をしてなかったのですね。貴殿の論でいけばまさに仏法修行の時を失う邪教だったわけです。末法今時に法華経迹門の理の一念三千をしていたとは!
�かつて上記の論説が公になった頃、創価学会は日蓮正宗の事の一念三千の御本尊に唱題していたが、それを”迹門”であったとは、一体どういうことになるのですか?教学的に明快に説明してください。出来なければ貴殿は反論不能で敗北。改宗を要求します。
2、いつまで、迹門だったのですか?明確な日時を表示してください。明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
3、どんな現象を以って「本門」に入ったのですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
4、文底にはいつ、どんなきっかけで入って来るんでしょう?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
5、迹門の前は爾前権教ですが、それはいつからいつまでですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
6、外道だった時はいつからいつまで?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
早めによろしく頼みますよ。楽しみに待っています。
貴殿が引用した御文は下記の通り。
■「伝教大師云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等@云云@。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号づく。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」
ここに明らかな如く、貴殿が依文とした箇所は伝教大師の言葉ですね。
ですから、この御文は五重相対でも権実相対の辺までの教判です。
末法適時の文底下種仏法が顕然した後に当て嵌める御文ではありません。
文義共に不可です。勉強不足の惨めな様に、全国の法華講のみならず創価学会の少し気の利いた方たちの間でも失笑を買う椿事です。
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◆これも準備運動ですね。
●困ったところは”準備運動”などと言う、一段貶めた言い方でかわそうとする貴殿の不正直な心根の卑しさが良く見て取れますね。
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●貴殿は国語が苦手のみならず、数学的な論理にも疎いようですね。学生時代少しまじめに勉強してきていれば、こういう知性のない話にはならな>
いはずなんですがね。
1、貴殿がこだわる「実践」など、上記に破折してきた法門の筋目により、僧宝として尊信することを否定する何ら根拠になりえないことを、今回のメールで貴殿が理解できなければ、貴殿の脳髄は、この法論を継続できるレベルになっていないのですが?どうします?
2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角> く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。
◆ここも、重複する内容なので、他の箇所で話を進めたいと思います。
●自分から邪難を吐いておいて、逃げ出すと言うことは、ここでも貴殿は反論不能の醜態を晒したと言う事実が残りました。ご苦労様。
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◆噛み合わない事も上記しました。ここも他の箇所を参照下さい。
●噛み合わないのではなくて、貴殿が正当な法義論争から逃避しているか、正確な御文が理解できないだけですが?偉そうに言い取り繕って、論点を誤魔化さないでくださいね。
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◆大石寺教学は信じていません。双方が大聖人の御聖訓と認めているものを提示して下さい。反駁の内容により、重複する場合は、そこでどうぞ。
●ここも貴殿の無智蒙昧さが如実に現れた箇所で実に面白い今回のエポック。
1、貴殿が信用できない大石寺教学でないものとは、大聖人の御書だけでいいのか?他にあるのか?明示せよ。
2、貴殿らは日寛上人御書写の御本尊を勝手に改竄複製印刷して堕獄行きの題目を唱えているようだが、日寛上人の書籍は貴殿が信用できない大石寺教学なのか、否か?
3、もし、否ならば、大石寺教学でないとする根拠を挙げよ。
4、日亨上人はどうか?
5、貴殿は今回「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と言っているが、これは御書に載っているのか?
載っていないとすれば、大石寺教学を抜きにどこで誰から学んだのか?
ここも、絶対逃げずに明確に返答してください。今後の展開に実に重要な貴殿の発言ですからね。
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●「「日顕さんの実践」というテーマ」だなんて、いつからすり替えたのですか?テーマは「血脈」でしょう?頭破七分で、もう忘れましたか?>
「勝手にテーマをすり替えて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよい> でしょう。」>>正に、正論。呵々。
◆内容が錯綜しています。ここも、他の箇所で確認下さい。
●はい、ここも、自分から言いがかりをつけてきて、結局、尻尾を巻いて遁走という図。お疲れ様。
2005年1月15日 5:30
こちらの主張を要約できませんか?
要約しないから、いつも自分の主張が重複するのですよ。
こちらは、その趣旨で重複する内容を控えたのですが、、、やはり自身の優位性を保つために悪用しましたね。
それと、引用元を明記して下さい。最低限、それぐらいのマナーは大人として守って下さいね。
そういうと、この指摘すら自身の優位性を保つために利用するでしょうね。
ま、それは我慢しましょう。
再度、要約して投稿して下さい。
Naruki Nakata
email(PC) n-naruki@fc4.so-net.ne.jp
i-mode naruki2001shinseiki@docomo.ne.jp
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2005年1月15日 17:19
何を寝ぼけた事を言っているのかな?
貴殿が馬鹿の一つ覚えで「日顕上人の実践はありや否や」などと、低劣な教学力を恥ずかしげもなく振りかざし、繰り返し、偏執的に問いかけてきたが故に、その一々に丁寧に応対したのではないですか。
その反問にはそれぞれ、貴殿に対し重大な宿題が課せられています。
今になって反論不能になったからといって、”要約”などと言う言辞を弄して、逃げるものではありません。
今回の当方からのメール全文に対しその全てに反論し給え。
出来なければ、貴殿の反論不能は確定的であり、脱会・改宗を要求する。
しかも可能な限り早急に反論せよ。
その反論にかかる時間も重要なポイントである。
次に、引用元について。
文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。
故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりません。
それを”マナー”などという言葉で、さも当方に非があるような言いがかりは慎んでいただきましょう。
にわかに引用文の所出を発見できない自分の教学力の不備を棚に挙げて、その作業を法論相手に依存すべきではないでしょう。
当方は文証として依用出来ないような文献からは引用しておりません。
貴殿の教学力を総動員して探索し反論すべきでしょう。
ただし、貴殿には少し難解に過ぎるようですから、次回からは所出を明記してあげましょう。
とにかく、今回の当方からのメールに、速やかに反論を企つべし。
あまりに返答が遅れる場合には遁走とみなし貴殿の敗北を宣言するのみ。
以上。
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2005年1月28日
4:28
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◆そうですか。
では、それなりの対応をするしかありません。まず、貴方の行体について少々検証してみます。
・「読者に対して失礼でしょう。」=【読者への配慮を伺わせる過去の文面】
・「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりません。」=【読者を無視している今回の文面】
自己保身の為なら、コロコロ変節する幼児性。そのくせ「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。実に貴方らしい。もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。
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●貴殿がこれほど簡明で初歩的な道理が理解できない脳髄の所有者であることが、当方にも「ギャラリーにも十分すぎる」ほど分かりました。「誠に有り難うございました。」今後貴殿の知能レベルに向かって法を説く難しさを当方は修行させていただきます。
さて、いつ「準備運動・本運動」などいう縦分けを設定しましたかね?
◆瑣末な事にこだわる幼児性が伺える食い付きですね。大人の皮を被った「おぼっちゃん」の本地を顕したというところか。あまりに予想通りすぎ
て、、、笑い死にさせる作戦ですか?
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●当方の破折は第一回目のメールから既に始まっているのであり、貴殿が明確な三宝の役割における法門を全く理解できない、その醜態を晒している状況にあることすら理解できないのですね。
◆日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」
との貴方達の法門解釈の事ですね。易きに阿る臆病な貴方の心が垣間見える。大聖人仏法を、今、生きてる人間「日顕」を祭り上げる下等宗教に貶めていると自覚すべきです。何より、貴方自身が貴方自身を小さな存在に貶めている事に気付くべきでしょう。
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● 哀れ哀れ。「準備運動」などと、問題の本質を貶める言い方をして、論に詰まっている惨めさをCamouflageしたいのでしょうが、かえってその虚勢を張って強がっている様は、名聞名利の風に侵されている姿であり、正しい仏法を実践していないが故の現証そのままです。もっと、潔く、爽やかにいきましょう。
◆虚勢だと思わないと安心出来ないようです。
さて、何を指して「名聞名利」としているのか具体的に提示して下さい。
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●しかも、今回十分すぎるほど時間をとって(時間がかかって)返信が来て、更には「大いに語りましょう。」などと強がりを言っている割には、内容が乏しくて、貴殿の教学力の浅さがますます露見しましたね。では、一つ一つ検証していきましょう。
◆貴方に対する反駁に時間が掛かっていると勘違いしてるのですね。これを世間では独りよがりと言います。創価学会の部長は忙しいのです(苦笑)
しかし、大石寺教学で検証するとは強気ですね。こちらの主張を要約するくらいの余裕を身に付けてから、こういう言葉を吐きましょう。
こちらの主張を自分の都合の良いところで区切り、その故に自分の反駁が重複してしまい、挙げ句の果てに「ここも○○だ」と勝手に舞い上がる癖がありますね。もう少し大人になりなさい。
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●その「折伏・弘教」に、様々な、筋目による役割があることを知らないのでしょうか?まことに、「拙いかな成公(貴殿のことですよ)、汝は是れ誰が弟子ぞや、苟しくも門葉に隠れて将に其の根を伐らんとするや、且つ其の流れを汲んで正に其の源を壅がんとするや、是れ愚癡の山高く聳えて東天の月を見ざるに由るが故なり、方に今一指を下して成公が癡山をつんざくべし」
貴殿にはこの御文の破折の矛先が貴殿の蒙昧さに向けられているということが理解できるかな?もし、理解できたのなら、鋭く反駁してみたまえ。楽しみに待っているよ。
■1「折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。」
■2「本尊書写豈化他に非ずや。」
1の御文は、大聖人の「折伏」を表わし、2の御文は御歴代御法主上人の「折伏」を表わす、ということぐらい、この御文を拝して理解できますよね?
―――――――――――――――――――――――――――――
◆観心本尊抄文段ですか。また麓をうろついてますね。
●1「折伏に二義あり。」
ありません。
●2、「本尊書写豈化他に非ずや。」
違います。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」〜御義口伝〜
活動している学会員は各々の地域でリーダーとして、ミクロの目線とマクロの目線を持ちながら、一歩前進の指揮をとる事の労苦を熟知している。
日顕が教学部長時代、作成した「戒壇論」にあるように、日寛上人が登座した当時、他門流の考えが宗門に入ってきていた。その中で指揮をとらなければならない状況を、実践のある学会員だからこそ許容出来るのです。つまり、主従が逆なのです。許容してあげてたのに、牙を剥いたから日顕を責めているのです。麓をうろつくのが好きなようなので、極一部の実証と共に少々つき合いましょう。
■1996年(H6.10.1)ブラジル・リオデジャネイロ州のドゥッケ・デ・カシアス市議会から、池田先生を「平和の英雄」と称える顕彰の証書が贈られた。その推挙の辞に、-「SGI会長は、平和を成し遂げることが可能であるということを教えてくれた《希望の光》です。創価学会よ、前進せよ。大きくなれ。この庶
民の町カシアスの大地を光と希望で埋め尽くしていただきたい」
■AP通信(1975年1月18日)
池田先生がアメリカのキッシンジャー国務長官、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理らと、相次いで会見したことなどに触れ、グアムでSGI発足の会議が行われることに言及している。記事は著しい経済成長を遂げた日本のイメージを反映して次のような書き出しで始まる。
「かつてのトランジスタの国のセールスマンの国、日本が、世界で最も数少なく、最も貴重な商品の一つ《平和》を売るスーパーセールスマンを生み出した。その人は日本に公称1000万の会員を、また海外に41万4000人の会員を持つ仏教徒団体である創価学会会長、池田大作氏である」更に「池田氏は、核廃絶及び戦争反対の民衆の民衆運動を主唱しているが、より長期的には各国間の教育・文化交流に平和への望みを託している。同時に池田氏は、外交政策の手段としての戦争を、憲法により禁止している唯一の国である日本が平和運動に、深く関与するよう主張している」「2万人もの会員による会合を、幾度となく主催する一方、創価学会の運営や宗教・文化活動にもたずさわる池田氏は、見たところ、疲れを知らないようだ」
AP通信の記事は、小説「人間革命」の英語版の冒頭にトインビー博士が寄せて下さった前書きを引用して結ばれている。「絶望と幻滅の社会の中で、小さな組織であった創価学会は高い理念を掲げ、理念達成に強い確信を持っていた。これを裏づけるように、戦後30年で、創価学会は現在の組織へと大きく発展したのである。」
これが四菩薩の振る舞いによる実証の極一部です。
■「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」〜観心本尊抄〜
「四菩薩が出現する」ということをどう考えるか、貴方達は、すぐに生まれ変わりの如き発想にしかならない。重要なのは、大聖人の仰せの通り実践して、一切衆生を利益することであり、一切衆生が地涌の菩薩となっていくことである。
■「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(御講聞書)
■「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。(略)末法にして妙法蓮華経の五字弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし」(諸法実相抄)
では、貴方に機会を与えますので、「正本堂を壊した」「大客殿を壊した」等々、日顕の実績を挙げて下さい。実績を比較すると、「創価学会」と「宗門」の違いが、ぐっと鮮明になりますよ。
遠慮せず、誤魔化さず、「俺たちの師はこれだけの事をやった」と実証を語ってみなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆貴方の投稿に合わせて考察してみます。
針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきで
す。
●貴殿の反論の文意は、例のごとく、日本語の表現方式に疎いが故に、まことに”雅で”且つまた”雅”であるが故にまことに不明瞭で、法論の前提である論理の構築が不鮮明です。
1、貴殿は立場役割そのものが同一なものと考えているのか、
2、立場や、役割は別のものとするのか、
ここの辺を再度明確にしてください。
◆ 不鮮明なのは貴方の思考です。
1、立場=大聖人が仏法。日興上人が僧宝。役割=民衆救済、つまり折伏弘教
2、立場は違う。(但し三宝体一との意からすると同じ)。役割は同じ。
さて、今度は、貴方自身の質問に、貴方自身が答える番ですよ。
1、立場役割そのものが同一なものと考えているのか、
2、立場や、役割は別のものとするのか。
も一つおまけに
3、御在世当時、すでに三宝は揃っていたか、揃っていないか。
―――――――――――――――――――――――――――――
●「針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。」との表現からは1の文意を読み取れるし、「針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。」との表現からは2の文意となるし、貴殿の主張の基本線が明確ではありません。どちらですか?1か2でお答えください。
更に、上記の反問に答え如何に拘わらず、全体の云わんとしている内容は、またしても、拙いかな成公、■「何んぞ明文を曲げて強いて己情に会すや。」というべき体たらくです。
◆? 貴方は、私の基本線が理解できず、理解できないまま「上記の反問に(ママ)答え如何に拘わらず」と言い、「全体の云わんとしている内容が分かる」として「体たらく」との結論に導いています。
また、この部分は引用元を明かさずに《明らかな文証》と言い、引用元を明かす義務はないと開き直り、大石寺教学を信用しないとしている私を引用元未提示のまま「拙い」と結論している。
まともな思考をお持ちとは考えられませんが、イっちゃいましたか?
ま、御書のどこにあるかを明記したらイジッてあげます。
―――――――――――――――――――――――――――――
●■「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」これほど明らかな御文の理を無理やり捻じ曲げて自分の拙い我見で解釈する無様さを露呈しています。
■「小(すこ)し自義に違(たが)ふ文有れば理を曲げて会通(えつう)を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ。」貴殿は理解能力の不足を通り越して、もはや狂人か?
◆「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」について
これほど明らかな御文と言いながら、他の箇所と違い、ここでは引用元を明示していない。(前回の投稿で明示する義務などないと開き直った)
御書でないなら、意図的に明示しなかったと非難されるでしょう。さて、身の潔白を証明する機会を与えてあげます。御書のどこにあるか明示しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●1、針と糸の違う役割を全うするからこそ、目的を成就できるのではないか。
2、”違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。”というのは、「車(例えば、ハンドルとエンジン)。違う物が《前進する》という同じ目的を持てば、ハンドルとエンジンなどの個々のパーツは一つとなる。」といっているのと同じ、狂気の言であります。こういうことを平気で言える者を「愚癡・馬鹿者の頭破作七分」と称するのです。
◆《同じ目的を持てば一つとなる》とは、貴方がこの引用に「法」を観ようとしている前提での表現でしたが、思いの外、唯物的に見ていたようです。これからも貴方に法を説く事の難しさを学ばせて頂きますよ。(苦笑)
―――――――――――――――――――――――――――――
●2、”針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。”ここの意味を教学的に明確にしてください。仏法は日蓮大聖人=針、僧宝は日興上人=糸、という解釈でいいのですか?はいかいいえでどうぞ。
◆噛み合ってませんね。「仏法は日蓮大聖人=針、僧宝は日興上人=糸」という前提で考察したのですよ。
「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」を《これほど明らかな御文》と言っているのですから、まず御書のどこにあるのか明示すべきでしょう。それから、切り刻んであげます。
―――――――――――――――――――――――――――――
●3、また、その義を立証しうる文証を挙げてください。違うのなら、針と糸に即して、日蓮大聖人と日興上人の関係を説明してください。また、僧宝は日興上人に限るということですか?
4、はいかいいえでお答えください。
◆これも貴方のピントはずれの邪難です。また、僧宝については他の箇所に答えがあるでしょ。また混乱させるつもりですね。単純に忘れただけかな?そこまで面倒見切れません。自分で探すべし。
―――――――――――――――――――――――――――――
●5、その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。”と主張しえる文証により裏づけを明証してください。
◆我こそ僧宝なりと主張するより、御在世の広宣流布への精神を継承して、折伏弘教の行動を起こすべきだということ。
この意が分かれば、文証は生死一大事血脈抄はじめ、御書のあらゆるところにあります。それぐらいの基礎教学力はお持ちですよね?この程度は理解していると思うので割愛しますが、講義が必要ならその旨明示して下さい。
さて、上記の御文を再度明記します。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」〜御義口伝〜
法主は「大聖人と違って宣説すべきである」とする大聖人の御金言を提示して下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●次に、�「縫う」とは具体的には何か?
◆広宣流布。
●�”精神”とは具体的に何か?
◆御在世と同じ折伏弘教の精神。「自他彼此の心なく水魚の思を成して」つまり、あれはあれ、これはこれというような区別なく、大聖人の時代と同じ戦う精神。
●�”行動”とは具体的に何か?
◆折伏弘教
●�”縫う”という目的の為に、では御法主は具体的にどのような”行動を起こすべき”なのか明示されたし。
◆先陣切って知人を折伏しなさい。すべてやり切りなさい。
では、私からの質問です。
具体的に起こしてしまった日顕の折伏?を提示します。
「文部大臣の権限を行使して、裁判所に創価学会の解散手続きを取ることを求める意見書を提出致しました。」〜平成8年11月26日付け大白法号外〜
この具体的な行為を、大聖人の御金言に照らして正しい折伏であることを明示しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜
●前回の破折が理解できずに、またこの御文ですか。自分が破折され切っていることに気がつかないほど貴殿の教学力は低劣なレベルです。蒙昧な貴殿の脳に再度念告します。
「この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。」
◆分からない人ですね。貴方の言う通り、「大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべき」なのだから、法主も漏れ無く「知人を折伏しなさい」と言っているのです。法主を除くなら、「信者は知人を折伏しなさい。法主は知人を折伏しなくてもよいのだ」という御金言を提示しなさいと言っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●では今回のお題、この御文に「総じて」とあるが、では「別して」はどういう「行動」をするべきなのですか?文証を挙げて明示してください。
◆はい。また出ました。閉鎖された山寺のみに通用する消極的解釈。
「総て」だから、当然、法主も含めて、すべての弟子を指して、「私に続け」と言われているのです。ここに「別して」などありません。
この御文に別してが存在するという文証を示しなさい。
御金言の「総じて」には、すべて「別して」があると解釈しているならその文証を挙げなさい。
あるもの、ないものが混在するなら、それを正確無比に判断できる人間とは法主ですよね。
そうすると
法主自身が折伏弘教しなくてよい解釈が自在に出来るということになります。
この論法が世界に通用すると思っているお目出たい貴方に質問です。
正確無比な解釈ができるはずの法主対して、日興上人が遺誡置文で「貫首が仏法に相違する可能性」を指摘されているのは誤りですか?
玉虫色の解釈でなく、明快な答えを期待してますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆行動を起こせば三類の強敵が喚起します。三類の強敵を顕さなければ仏説を信受する事は出来ません。
「当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」〜開目抄〜
●はい、ここも貴殿の法門未熟さ丸出しの箇所ですね。
開目抄は、別名どういう御書か知っていますか?
人本尊開顕の御書ですね?この辺ぐらいは大丈夫ですよね?
ですから、この御文は日蓮大聖人が下種の御本仏として、脱益の教主釈尊の法華経の予証を証明された文意であり、この御文をそのまま日興上人を随一とするところの僧宝であらせられる御歴代上人当て嵌めること自体が、法門の筋目に曚いと破折しておきます。(理解できますかね?貴殿には無理かな?)
■「諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」
貴殿は、こういった教学の基本すらまるで理解できないで、所対が奈辺にあるのかも分からずに法門の筋目けじめを弁えず盲滅法に御文を振り回すから、このような大恥をかくのです。貴殿のような未熟者を「盲法門の徒」というのですよ。よくよく心しなさい。恥ずべし恥ずべし。
◆またまた、山寺の消極的論理で恥の上塗りです。
大聖人は「法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん」と言われているように、折伏弘教して法の正しさを宣揚しました。正法が存在するだけでは、信心していない人に伝わらないのです。
だから、私達が「仏説」としている大聖人仏法の正しさも、人本尊開顕の書である開目抄の重要性も、折伏しなければ衆生に伝わらない。折伏弘教をして、三類の強敵を顕わして、はじめて仏説、つまり私達が信じている大聖人仏法が「信受」できると拝すのです。行動がなければ、学者が一番偉いことになる。そんなのは大聖人仏法でもなんでもありません。
折伏できない坊さんの言い訳的な講釈を根本にするから恥をかくのです。
何度も確認しましたね?
貴方達の教義解釈は
日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」これが大石寺教学の根本なのです。
正しく解釈できるのは法主のみ。根拠となる金口の相承は自己申請。
さて、そこで、「この御文をそのまま日興上人を随一とするところの僧宝であらせられる御歴代上人(ママ)当て嵌めること自体が、法門の筋目に曚い」との貴方の主張を御書で明示しなさい。
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◆創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
●ここが貴殿の迷妄の核心部分ですね。
1、創価学会が喚起した「三類の強敵」とは何か?まず、この答えを見てみましょう。それからゆっくり摧破します。
◆ 俗衆増上慢=週刊誌などの報道に紛動されて学会を誤解している民衆
道門増上慢=狸祭り事件、妙信講問題(顕正会)・正信会など
僭聖増上慢=阿部日顕
さて、貴方レベルでも理解できるようにしておきましょう。
俗衆の刀杖にこだわると、現代では、ほとんど起こりえない現象となる。御在世の刀杖は日常茶飯事であるが、現代に「刀」や「杖」を武器として保有するものは極端に少ない。銃の類なら、藤原の暗殺計画やオウムの襲撃計画などがある。一般には報道や噂話による悪口が手法。権力者が用いる武力(刀杖)は謀略という形に変化している。
さて、貴方の示した「三類の強敵」についての答えは、池田先生を「三類」とだけ言い、三類の中の何にあたるかがぼやけています。
いつまでも質問返しは通用しませんよ。比較する対象が創価学会であること踏まえて、以下の問いに答えなさい。切り刻んであげましょう。
俗衆増上慢=
道門増上慢=
僭聖増上慢=
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◆現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
●勿論です。池田大作らがまさしく「三類の強敵」です。
■「仏の遺言に依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば、何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」(新編二二五�)
貴殿のような仏説に則らずに我意我見を臆面もなく開陳できる会員の集まりである組織を統率しているのはまさに池田ですから、仏教を「経の如くに説かざる」張本人は池田ということになりましょう。そんな男を信用してはいけませんね。
■「仏教には経論にはなれたるをば外道と云ふ。」(蓮盛抄 新編二八頁)池田のスピーチなどことごとく経論から離れているではないですか。試しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。
◆こんなにレベルの低い感情論を書き連ねる人だとは思いませんでした。「残念!」です。「切腹!」ものですよ。
「久本雅美さんは学会員だった」と週刊誌ネタになっても、
「久本雅美さんは日蓮正宗だった」ではネタにならないの。
1、日顕さんが信心していない人をどのように折伏しているか示しなさい。比較しないとやりとりになりませんよ。
2、先生は「三類の強敵」の中の何にあたるのか明記しなさい。その後、しっかりイジッてあげましょう。
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●3、「試しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。」
◆これは貴方の思考回路を観る上でかなり重要な発言です。引用元がないのに「切り刻む」との結論が先にある。
「貴方は間違っている。何故なら私が正しいからだ」という論理です。
実証の話しに及んでから、感情をコントロールできない幼児性が露わになってきました。日顕の実証を示せば良いだけです。判定はこのやりとりを見る方々が下すのですから。
まだ、一つしか実績を提示してないのですよ。
1、学会の破門 他には? 皆さんが首を長くして待ってます。
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●■今(いま)仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す。知んぬ、此の仏は涅槃経に出だす所の滅後の魔仏(まぶつ)なり。之を信用すべからず。(守護国家論 159)
法華経=戒壇の大御本尊
池田発言
「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7日・本部幹部会)
この発言は明らかに戒壇の大御本尊の否定です。が故に、上記の「法華経(=大御本尊)を末代不相応と」言って憚らない無慙な姿です。ですから、池田はまさに「滅後の魔仏」です。
◆信心なければただの物です。
大御本尊に法の永遠性を観ている私達。目に見える存在として唯物論的な解釈しかできない貴方達。これでギャラリーには十分です。
例」、「ある時姉崎博士それから國柱會の山川長瀧等の諸先生が登山されたことがあつた。上人の御導師で戒壇の大御本尊の御開扉、終りて徐ろに參詣者に向直られたる上人(五十五世・日布)は、『各々ヨウコソの御登山、佛祖*三寶も御滿悦のことゝ存ずる。』」〜大日蓮・S10〜
姉崎博士、それから國柱會の山川長瀧等にとっては「ただの物」です。
さて、貴方達にとって、日布の行動は謗法や否や?簡単明瞭に答えなさい。
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●「法華経を捨てヽ但観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)なることを。」立正観抄
文永一二年二月 五四歳 766
ここの御文も上記と同じ。
法華経=戒壇の大御本尊
「己心に仏界はある!」だの、(それは確かにそうだが、しかし理論上であって、実際には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊に境智冥合しなくては顕現しない)
「宇宙の根源の法の南無妙法蓮華経に冥合する!」だの、(これも具体的には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊にしか冥合しない)まさしく、「観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)」ですね。大体にして貴殿は本門戒壇の大御本尊を拝したことがあるのですか?その求道心なくしていくら大聖人の仏法を声高に叫んでも全然だめだめ。
◆はい。ここも唯物論的発想ですね。物と見ているのが貴方だと言うことが鮮明になっただけです。
・「『ファラオは生きた神』とか、『神に授けられた国王の権利』とか『アフリカ原往民は生まれながらの奴隷』などといった言葉は、過去いかに不条理な人間観が時代を支配してきたかを如実に物語っている。しかし、人々は一般に、自らがその中に生きている時代の人間観に対しては、驚くほど批判を持たない」と。--〜ジョン・C・エックルス博士〜
《現代の迷信》が、ことごとく人間を小さな存在に開じこめる方向になっている事が問題である。-『アフリカ原往民は生まれながらの奴隷』とは、《大御本尊まします拠に悪呂が存在するわけがない》という宗門の聖地思想に通ずる。-大聖人仏法を下等宗教に貶めていると気付きなさい。
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●「在家の諸人にあふ(仰)がれて、一言を吐(は)けば如来の金言のごとくおもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向かひ奉りて、此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむ(疎)るなり。」(唱法華題目抄 222)
おお、まさに池田ら創賊の姿。
◆「文部大臣の権限を行使して、裁判所に創価学会の解散手続きを取る」という姿そのものですね。
少しは恥じ入りなさい。
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●「若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に過咎多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。」(立正安国論 244)
本当、池田の姿そのままではないですか。
◆はいはい。単なる思い込みで、これも引用が不適切。故に見にくくなって混乱するだけ。
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●「法華経は一文一句なれども耳にふるゝ者は既に仏になるべき」と思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思ふ故に方便(てだて)をまはして留難(るなん)をなし、経を信ずる心をすてしめんとたばかる。」(四恩抄 265)
◆勧誘が進まない言い訳とは情けない。恥の上塗り。
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●会則改悪
弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊→一閻浮提総与の大御本尊 と言い換え、「経(=法華経=大御本尊)を信ずる心をすてしめんとたばかる。」
上出「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7日・本部幹部会)
◆他の団体の会則を勝手に解釈して悪口並べる程度の御仁だったのですね。貴方は。
目に見える存在としての表現から、その奥底にある法を観る表現に変わった誇りある会則。「信心の中」云々は上記で指摘済み。
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●「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」
仏と自らが不二であることのみを強調して、自己正当化し、而して二であり、厳然と差異があることを知らない。自ら仏と等しとの大増上慢の者。
◆また恥掻きましたね。
聖愚問答抄は貴方達に該当する。引用箇所のあとに
「諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁えずして而も男女尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらずと云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべし」とある。
1、「学や徳があろうとなかろうと、どんな僧でも相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮であるから、誹謗すると地獄に落ちる」(平成9年8月28日 全国教師講習会)
2、「本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証は大聖人様と拝することが、信仰上大切であります」
(平成9年8月 全国教師講習会)
3、「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯一授一人血脈付法の御法主上人であります。・・・なぜならば、唯一授人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(平成3年7月
宗門能化から学会への文書)
《法主は教義的解釈の誤りを犯さない。》
《折伏はできないが不二の御尊体だ。》
《日顕の正統性は自己申請の金口である。》
《日顕の折伏弘教の行動を未だ示せない。》
折伏弘教しない坊さんなど、瞑想しているようなものです。何のことはない、禅宗の教外別伝と同じ論理の「金口」を主張している貴方達を破折している御文を自ら引用するとは大失態です。
「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」とは日顕ですね。
1〜3を御金言で証明しなさい。
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●池田狂気の発言
法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ!総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の教えです。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
◆学会員は法華経の行者である。その和合僧団のリーダーが別して法華経の行者であることは当然です。総別を自分達の専有物だと勘違いしているうえでの醜い嫉妬である。他の団体にとやかく言われる筋合いなし。
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●「我が宗を厳(かざ)るとも、皆是妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり。」 真言見聞 文永九年七月 五一歳 610
いくら池田自身や創価学会を褒めちぎって自画自賛しても、それはみな嘘・根拠のない戯言。独りよがりの思い込みのたわごとであって、仏法とはかけ離れた我意我見をさも尤もらしく喚いているだけのこと。
◆自画自賛でない客観的なものを明記していますが、盲目の人には見えないようです。
貴方のいう金口とは「自己申請」だとすでに認めてるのですから、「自画自賛」との貴方の表現も、この御文も、自分を切り刻んでます。
『「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ哀れ。』
これも自分で投稿してたでしょ?思い付きで不適切な引用をするから、恥をかくのです。
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●「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」P1370
自分勝手に仏法を邪まに解釈し言い広める者は、天魔が入っている者であり、多くの人も共に自分自身が堕ちる無間地獄に引き擦り込む者である。
◆〔現代における大聖人様である御当代の猊下様を否定することにより・・・〕〔御当代の猊下様を悪口、罵詈するということは、末法の御本仏日蓮大聖人様を悪口、罵詈するということと全く同じということを(創価学会員が)了解できる筈がないのでございます〕〜『大日蓮』(平成3年6月号)〜
さて御書に依り、この文章の正統性を証明しなさい。
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●「濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわ(破)るべし」 国府尼御前御書
文永一一年六月一六日 五三歳 739
日顕上人を呼び捨てにする池田を筆頭とする創価学会員らは頭破七分間違いなし。
◆折伏弘教できない日顕が「法華経の行者」であることを御書に依って説明しなさい。
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●「万人には諸天の帝釈をうやま(敬)ふよりもうやまはれて、釈迦仏、法華経に「不思議なり提婆がごとし」とおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろしおそろし。」1123
いくら創価学会員らにちやほやされても、後生はおそろし。
◆今度は「上野殿御返事」まで不適切に引用ですか。ここまでくると病気ですね。
貴方が引用した御文の前には難について
「大難をもちてこそ法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南三北七南都七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず万民つるぎをにぎらず一国悪口をはかず」と説かれています。
「阿部日顕」が民衆から認知されていないのに、どうやって「万民がつるぎをにぎって、一国が悪口をはく」状態になっているのか明示しなさい。
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●「愚癡(ぐち)無懺(むざん)の心を以て「即心即仏」と立つ。豈(あに)未だ得ざるを得たりと謂(おも)ひ、未だ証せざるを証せりと謂(おも)ふ人に非ずや。」(蓮盛抄 建長七年三四歳 26
強欲、愚癡(ぐち)無懺(むざん)の根性の癖に、「我れ仏なり」などと馬鹿思いしている。これ、未得謂得、未証謂証の大慢心の者。
◆それ、折伏できない「生身の釈迦日蓮」の日顕でしょ?
自己申告の金口相承を主張している貴方達が引用できる御文ではないのですよ。壊れたラジオ君。
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●「門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらる、事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失(とが)なり自身の謗法より堅く誡(いまし)むべきなり」(富要一―六八�)と示されている。この意味について、日達上人は、
■「本宗の僧俗の中で、他の信者を教唆して、本宗の宗綱に違背せしめることは、謗法であります。五逆罪の内破和合僧(和合僧団を妨害し破壊すること)の罪を犯すことであって、自分が直接謗法することよりも、他人を教唆した謗法は重罪ですから、よく誡心しなくてはなりません」(略解化儀抄六四�)
◆和合僧団は今も昔も創価学会である。
・「心の中では互いに憎しみ、互いにスキをうかがいながら、あたかも猫が鼠をねらうが如き姿を持ちながら、形の上において法衣をまとうといえども僧とは私は認めない!!
今、学会の組長、班長、地区部長、支部長が、自弁でもって、泣きの涙で一切の人のために働いている姿こそ僧なのですよ!!(大拍手)この結合を破る者は必ず罰あるのです。やってごらんなさい!!!
それじゃ、やってみれば一番先にわかる!!学会に反対し、学会の悪口をいいたけれゃ、どんどん言ってごらんなさい!!君らが、ここに集まった人が全部言ったかって、そんなことに驚く戸田じゃありませんから!!!(大拍手)そんな弱い心でもって広宣流布の誓いは戸田は絶対立てておりません!!
破和合僧とは、仏法上の哲理においていえば、学会をもっていうことができるんですよ!!坊主じゃないですよ!!」〜昭和28年11月22日 第9回本部総会・戸田先生〜
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●お守り御本尊模刻の謗法
添付画像の通り、池田はかつて本来不特定多数の人に拝ませることのないお守り御本尊を日達上人に全く無断で、勝手に板本尊に刻ませた。こんな大謗法者はその反省懺悔を反故にしたのならば破門になって当然。
◆漫才ですね。では、このお守り御本尊が許可された瞬間から本物になることを、許可前と許可後の御本尊の違いを含め、道理に照らして説明しなさい。世界に通用する論理でね。
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●『広布と人生を語る』池田大作
「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未だ得ざるを為れ得たりと謂い』との慢心であり、増上慢である」(三―四二�)
おお、正に池田本人のことを予言している。さすが!偉いわ。
◆同じ仲間の時にお互いを守ることは当然。
・ 「つい最近の宗門の情勢のなかでも一部の僧侶の者どもが、仏法の流布の深い因縁も知らずに総本山に背き、また、このように日本ないし世界に大法を広宣流布してくださったところの創価学会の方々に怨嫉を生じて様々な悪口雑言を唱え、そして宗門の僧侶にあるまじき姿をもつに至りました。これらの者どもについて、いかに諭しても改めることがありませんので、ついにその者どもを破門にしたのでございます。」(昭和六十一年十月八日・本種山徳成寺落慶入仏法要)〜日顕説法〜
離婚する相手に「結婚する前は好きだといったじゃないか」と文句をつける行為に等しい。
このレベルなら分かるかな?
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◆比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。
●はい、では大謗法団体創価学会の不当性を明示します。
■【開目抄】(554)
諸宗は本尊にまどえり
血脈正しい本尊が何か分からなくなっている哀れな盲目集団、創価学会。
◆『白蓮華』第8巻第3号などに、達磨の絵が書いてある広告がでている。「般若心経」「仏像」の宣伝まで載っている。日蓮正宗の機関誌で宣伝することはあるまいに。これも「法主の許可があったからよし」とするのでしょう?
「諸宗は本尊にまどえり」とはよく言えます。漫才です。
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●世間の道俗亦無智の故に理非を弁(わきま)へず。但人に依って法に依らず。設ひ悪法たりと雖も多人の邪義に随って一人の実説に依らず。(守護国家論 127)
池田なんて大俗物に従って、正しい仏法の相伝に依らない。云々。
■悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言(ことば)を巧(たく)みにして愚癡(ぐち)の人の心を取って善心を破るといふ事なり。(唱法華題目抄 224)
◆見にく〜。いい加減、要約するぐらいの力を付けなさい。
戦後、創価学会・ホケコ・顕正会(妙信講)を含め、日本の宗教団体は、同じスタートラインなのですよ。
その事実に目を瞑り、御在世と混同して広布が進まない言い訳に「多人の邪義に随って一人の実説に依らず」と引用しても意味がないでしょう。「義に依つて語に依らざれ」です。
実証の示せないことの言い訳に御金言を引用するなどお笑いぐさです。
「創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。」
さて、もともと、上記の質問だったものを切り取ったから見にくくもなり、恥の上塗りになったのです。
ちゃんと答えなさい。日顕の修行によって顕れた三類をですよ。
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●池田狂気の発言
心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!!顔色がいい。ね。もう少し景気良く振ればねェ、福運つくんだけど...。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
ねェ。朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました。と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
すごい時代に入りました、ね!そのうちデェジン(大臣)も何人か出るでしょう。もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さんの部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。(平成5年8月8日・第69回本部幹部会)
「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。...ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまり受けない)...駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
私の話が高尚で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと、追っついていけないんです。そいで、行き詰まったところで、コーラスやって、みんなでウップン晴らしをすると、それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
ニューヨーク!ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(日本人以外には全く受けない)(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
ハワイ!(中略)マハロー!マハロー!バカヤロー!バッハロー!(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。二つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首のこと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんなもんじゃない、先入観がよくない。一番バカなのは日顕(上人)!(平成4年4月26日・第8回中部総会)
皆さん方もねェ。もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
あの−、まぁ日顕(上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)。(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
◆TPOに即して正しい。この時の学会員の明るい笑顔が目に浮かびます。歴史に残る大偉業を残しながら、しかも人間らしい先生の魅力が再確認できて、多くの学会員が貴方の投稿に感謝することでしょう。学会員が先生を尊敬し、慕うのは「実績と人間性」なのです。
貴方達が教条主義的に日顕を見る奴隷の眼とは違うのです。
貴方の境涯に合わして、日顕説法を示してあげよう。ご堪能あれ。
■「小学生から中学生、高校生、大学生になってくるにしたがって、この燃え盛って、へへへ、色身の働きが活発になってくる…たとえば、若い青年期の男女が、何か夜中にからだがほてって、それでもう、眠れないなんてよく言っているでしょう。あれはみんな五陰盛苦なんです」(平成3年2月16日、三重・本慧寺)
■「人間は生まれる前は何もない。お父さん、お母さんの、”ある行為”によって、初めてそこにきたと。へっふっ……」(平成7年6月18日、夏期講習会登山)
■「『妙の字は若き女の乱れ髪。結う(言う)に結われず、解く(説く)に解かれず』という、ね、ですから、このー、説こうと思っても説けない」(平成9年7月6日、夏期講習会登山)
■「『求不得苦』ってのは、あのー、何でも欲しいんだ。欲しいんだけども、それを求めて得られない。ね、男が女を欲しいと思って、女は男が欲しいよって、エヘっ」(同年7月13日、同)
■「すべすべした肌に、こう、こう手でなでたい、なんていう若い男の人は思う場合もあるんです」
(同年7月27日、同)
■「女人の欲を断て。うーん、難しいですね、これは。皆さん方ね、えへへ。えー、女人、女人はいいんだから、そう、いいんだ」「やっぱり女人に対する欲想もいいけれども、やはり、そこにですね、このお題目をしっかり唱えていく中において、正しい女人に対する欲想を持った方がいいですね」(平成11年6月20日、夏期講習会登山)
―――――――――――――――――――――――――――――
●いやはや、お見事。
■僅(わず)かに法華経に結縁しぬるをも翻(ひるがえ)し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶(とも)に謗法の者となる。(唱法華題目抄 224)
せっかく大御本尊に出会えたのにねぇ〜。あ、貴殿は拝することも出来なかかったか?
■或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。
何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだりに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。
若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん。(立正安国論 249)有為の郷→娑婆世界
創価学会員は無間地獄まっさかさまです。
◆いやはや、お見事!
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■「百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや」 (御書二四一頁)
もし、創価学会が正しいなら、今日本で一番人数の多い宗教団体が創価学会なのに、何故このように三災七難が起こっているのか?全世界に186?カ国に広まっている?では何故、世界中に災難が増え続けているのか?
◆未だ他の世界宗教から見れば、広宣流布は途上の段階であり、私達への苦言として受け止めておきましょう。
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●悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。
愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱(つな)に懸(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網(あみ)に纏(まつ)はる。此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。(立正安国論 250)
■持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」人此の理をしらず見ずして、名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり。(持妙法華問答抄 297)
三大秘法の御法体を所持されている日顕上人が「一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」との道理が分からずいる貴殿らは堕獄必定。
■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん」
法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん。其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり。大聖の金言誰か是を恐れざらんや。人皆経文に背き、世悉く法理に迷へり。汝何ぞ悪友の教へに随はんや。「邪師の法を信じ受くる者を名づけて毒を飲む者なり」汝能く是を慎むべし、是を慎むべし。倩世間を見るに法をば貴しと申せども、其の人をば万人是を悪む。汝能く能く法の源に迷へり。一切の仏法も又人によりて弘まるべし。「仏世すら猶人を以て法を顕はす。末代いづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんや」
よくよく拝し給え。
■されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり。其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。
当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈冥の照覧恥づかしからざらんや。地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。(持妙法華問答抄 297)
■仏教をもて仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思ひて、又そばの人も善と打ち思ひてある程に、思はざる外に悪道に堕つる事の出で来候なり。(題目弥陀名号勝劣事 331)
■今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知って、邪悪の師を遠離(おんり)し、正善の師に親近(しんごん)すべきなり。設(たと)ひ徳は四海に斉(ひと)しく、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師・邪師と知って、是に親近(しんごん)すべからざる者なり。
「若し誹謗の者には共に住すべからず、若し親近し共に住せば即ち阿鼻獄に趣(おもむ)かん」
いかに我が身は正直にして、世間出世の賢人の名をと(取)らんと存ずれども、悪人に親近すれば、自然に十度に二度三度其の教へに随ひ以て行くほどに、終(つい)に悪人になるなり。
「若し人本(もと)悪無きも、悪人に親近すれば後必ず悪人と成り、悪名天下に遍(あまね)からん」
邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり。(最蓮房御返事 文永九年四月一三日 五一歳 585 )
■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐(いだ)かん。此の人の罪報を汝今復(また)聴(き)け、其の人命終して阿鼻獄に入らん」594
■法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉(ねた)み、戯(たわむれ)れにも・(そし)る程ならば、経にて無けれども、法華経に名を寄せたる人を軽(かろ)しめぬれば、上の一劫を重ねて無数劫(むしゅこう)、無間地獄に堕ち候と見えて候。(呵責謗法滅罪抄
文永一〇年 五二歳 711)
■法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶ(戯)れての(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈(めり)し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況(いわ)んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱(きにく)・嫉妬・打擲(ちょうちゃく)・讒死(ざんし)・歿死(ぼっし)に当てんをや。810
■法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは、三世の諸仏を敵とするになるべし。815
■犬は師子(しし)をほ(吠)うれば腸(はらわた)くさる。修羅(しゅら)は日輪を射(い)奉れば頭(こうべ)七分に破(わ)る。(乙御前御消息
建治元年八月四日 五四歳 895)
■始めは信じてありしかども、世間のをそ(恐)ろしさにす(捨)つる人々かず(数)をし(知)らず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそし(謗)る人々又あまた(数多)あり。在世にも善星比丘(ぜんしょうびく)等は始めは信じてありしかども、後にす(捨)つるのみならず、返って仏をぼう(謗)じ奉りしゆへ(故)に、仏も叶ひ給はず、無間地獄にを(堕)ちにき。987
■法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡(とんじんち)により、或は世間の事により、或はしなじな(品品)のふるまひ(振舞)によって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほ(蒙)るなり。1232
■設(たと)ひ法華経をもって行なふとも験(しるし)なし。経は勝れてをはしませども、行者僻見(びゃっけん)の者なる故なり。(治病大小権実違目 弘安元年六月二六日 五七歳 1236
■宿習の至り正師に遇ふと雖も伝持の人自他弁じ難し。「能く是の法を聴く者此の人亦復難し」と。1881
■三惑未断の凡夫の語録を用ひて、四智円明(しちえんみょう)の如来の言教を軽んずる、返す返す過(あやま)てる者かな。疾(やまい)の前に薬なし、29
■善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。(立正安国論 242)
『種々御振舞御書』■ 「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(新編一〇六六�)
■仏説大五濁経 末法法滅の相
その一「当末の世、白衣に従って学法せん世の一の乱なり」(白衣→俗人)
■65六十五世日淳上人も
「御戒壇様や御法主上人を信じないから仏法が分らない。(乃至)大聖人を信ずる事を知って大聖人のお定めになった法主を�あれは凡夫じや�と云って信じない、それでいながら凡夫のエライ先生にハマリ込んでその先生の言う事は雪も墨と信じ切ってしまう」
▼『大白蓮華』
「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」(平成八年一月号五〇�)
■相構へ相構へて、とわり(遊女)を我家へよ(寄)せたくもなき様に、謗法の者をせ(塞)かせ給ふべし。「悪知識を捨て善友に親近(しんごん)せよ」とは是なり 日女御前御返事
弘安二年八月二三日 五八歳 1388
広宣流布
■『日達上人全集』「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(二―六―二九五�)
貴殿らが仏法に迷える大謗法集団であることは明々赫々です。
◆さて、貴方の教条主義について少々考察してみます。
「人類社会の本源的救済」というのは、原理的・比喩的にのみ叙述することが可能なユートピア世界であって、それが達成されるかどうかは「いま現実に勝利する」ことと比べれば、副次的な意味しかもっていないと思われる。
なぜなら、現実社会とは「仏」と「魔」とが「とられじ・うばわん」と互いに争う、動的世界だからです。「魔」が消滅しユートピア(静的世界、世界の終り)が出現すると考えることは、大聖人仏法の世界観の本質と相容れない。
また、「夫れ仏法と申すは勝負を先とし」とか、仏の別号が「世雄」といわれることを前提にしても、「広宣流布を現実に推進し、勝利してこそ仏法である」と言えるのであって、反対に、いかに「正しい教えだ」と主張しても、広宣流布を推進できないなら、そこに「仏法」は存在していないという解釈が成り立ちます。
要するに、貴方達がいくら「正しい仏法でないから『広宣流布』ではない」といっても、逆に「現実に勝利しているからこそ仏法的に『正しい』と言えるのだ」と反論されるでしょう。
「正しい仏法でないと人類社会の本源的救済ができない」とする、原理的アプローチをするのもよいが、信心していない第三者から「じゃあ、貴方達の仏教は、なぜ学会のように拡大していないの?」と聞かれた時にどう説明するのか、ということです。
それに対して「原理的にはウチの方が正しいんだ!」といっても、議論的に苦しい。
原理的な視点だけに着目し、現実的な視点を欠いては、「事の仏法」と言われる大聖人仏法の醍醐味はどこにあるのか、少しは真面目に考えてみてはどうかな。
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●はい、ここでもまたもや貴殿の法門未熟さが露見しました。
貴殿が引用した当該御書は下記の一節ですが、ここは、法華と真言とを対して正義を論じた権実相対のけじめを述べられおられる箇所です。伝教大師の釈に対して慈覚大師が、権実相対して明らかに間違っているが故の文であって、三大秘法の口伝と同列に論じることは出来ない御文です。
■「求めて云はく、慈覚大師は伝教大師に値ひ奉りて習ひ相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答へて云はく、師の口より伝ふる人必ずあやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてゝ口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用なり、慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかゝれて、次下に「当に知るべし、此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕はすなり、乃至当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し」等@云云@。此の釈を背きて、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。」
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◆貴方の「貴殿らの宗派と全く関係のない」との主張に対し、「汝は四百余年の年紀をへだてたり」との反駁の意味は理解できましたか?
67人で伝言ゲームをやってみましょう。60人目の言葉を根拠にするより、1人目の言葉を根拠にすべきなのは道理なのです。
大石寺の消極的且つ矮小した解釈がまた露見しました。恥の上塗りです。
さて「師の口により伝わったものでなく経文を本とする」との御金言が普遍的な道理を述べられたものではなく、「権実相対」だけに矮小解釈するのが貴方の解釈なのですね。また一つ、山寺の矮小解釈が明らかになりました。ここも強調文字または、フォントを大きくするなどして目立つようにします。
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●しかも、貴殿は「創価学会の精神が大聖人に直結しているが故に、別に口伝による血脈相承など関係なく、創価学会がどの御法主のどの御本尊をどのように改竄・印刷・大量販売しても許される」と主張したいのでしょうが、これは全くの邪義・邪説・盲信・邪信です。
■『佐渡国法華講衆御返事』日興上人
「この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」(歴全一―一八三〜一八四�)
貴殿の考えでは間違いなく無間地獄まっしぐらです。しかも、貴殿の読解能力の低さは群を抜いているらしく、今回の反問の主意が理解できなかったようで、まるで筋違いの回答でした。ご苦労様。諧謔を混ぜ、すこし複雑な構文にしたのですが、貴殿にはやはり読み解くことが無理だったようですね。貴殿の国語能力に合わせ、もう少し分かりやすいく説明しますね。
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◆真偽未決のものを他の団体に押しつけても無理があるますよ。
『経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。』〜御義口伝〜
仏語を「信受」とある通り、大聖人の御金言を「信受」すべきなのです。
折伏弘教しない日顕に三類の強敵は喚起しない。つまり「仏語を信受」できないと言ってるのですが、自ら混乱を招き、頭も混乱してませんか?
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●ほ〜〜〜〜、すると、貴殿は日寛上人・日亨上人をどのように”尊敬”しているのですか?”分分に”だなんてあいまいな表現でなく、教学的に明確にその尊敬のしかたを表示してください。といっても貴殿にはその回答すら難しいでしょうから、下記の設問にはいかいいえでお答えください。
1、本尊とは我々が成仏を遂げるために、根本尊仰して、帰命依止する対象ですが、日蓮大聖人のようにではなく、”分分に”尊敬している=大聖人よりは尊敬していない、日寛上人の御本尊を(勝手に改竄・大量印刷して)拝んでも成仏するのですか?
◆もちろん。和合僧団が決めた御本尊ですから。あとは信力行力によるのです。さて、否とするなら、日顕を大聖人と同じように尊仰するという御金言を提示してもらいましょう。真偽未決のものや御加文でなくね。
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●2、大聖人直筆御本尊と、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、尊さに勝劣があるのでしょうか?
◆はいはい。御本尊自体に勝劣はない。和合僧団が決めるのです。それ以外に真実はない。
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●3、大聖人直筆御本尊と、、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、我々の成仏の仕方に”分分の”差が生じるのでしょうか?
◆大事な質問です。和合僧団が決めた御本尊であれ、成仏に差が生じるとしたら、自身の信力行力によるのです。自分以外に原因はない。
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●4、日寛上人と日亨上人とに”分分に”尊敬すべき程度の差があるのですか?
◆何れの上人も、和合僧団の創価学会を誹謗中傷していないという一点において、日顕などより尊敬すべきは明らか。
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●5、日寛上人の御本尊と、日亨上人の御本尊では”分分”の差があるのでしょうか?どっちの御本尊の方が功徳があるのですか?
◆はいはい。自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。
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●6、日寛上人は僧宝ですか?違うのですか?もし、僧宝でないのなら、何というお立場ですか?もし、僧宝ならば、僧宝の定義を文証を挙げて明示してください。
◆「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」〜御義口伝〜
貴方は大聖人お一人の事と珍解釈をしましたが、ここでは置きましょう。
貴方は仏法を静的なものと観るから、このような愚かな質問をするのです。
「行者」である事実とセットなので、日寛上人が僧宝でもいいのです。与えて言うなら、日顕が真の和合僧団のリーダーなら、日顕はもちろん、貴方達も僧宝でいいのです。
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。「幼稚の頚に懸けさしめ」の意、正しく此に在り。故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ云云。」〜観心本尊抄文段〜
御金言に基づいている日寛上人の上記御指南は尊敬に値するでしょう。
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。」〜御義口伝〜
大聖人の生命が瞬間瞬間に顕れるとあるとおり、固定化された立場や地位に正統性などなく、実践の中にこそ仏法は脈動しているのです。
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●7、日興上人の御本尊と日寛上人の御本尊では優劣があるのですか?
◆自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。低レベルな質問です。
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●8、御歴代上人を、貴殿の基準で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文を根拠に、”分分に”順列をつけてください。貴殿の論理からすると大聖人のお振る舞いに近かった方から尊敬する程度の差が生じることになりますよね。何を基準に一生のお振る舞いを大聖人に近いとか遠いとか判定するのですか?また、その御歴代上人の御本尊にも”分分に”功徳の浅深があるのですか?ないとするならば、どういう理由でないのか、明証してください。
これらの反問に逃げずに明確にお答えください。ここは貴殿の仏法理解の未熟さがはっきり露呈した箇所ですから、実に重要なポイントですからね。楽しみに待ってますよ。
◆山寺の論理で当てはめるから、このような稚拙な独りよがりに陥るのです。ここまでレベルの低い人だとは、、、
和合僧団が決める。祈る側が決める。それ以外に真実はない。自分以外に原因はない。
どの団体が和合僧団か、
1、御金言通り折伏弘教する
2、多くの人に認知される
3、人数が増える
4、三類の強敵が喚起する
これぐらいの基本は押さえといて下さい。
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●いよいよ貴殿の拙い信仰の正体が現れてきましたね。
1、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」すると、大聖人以外で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文のごとくに大聖人と同じ”実践”をされた人はいないってことですよね?
貴殿の最初の主張▼「在世の如く(※御歴代上人を)敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。」
=大聖人の如くの実践がない。在世の如く戦ったという事実が示せなければ、尊敬に値しない。
=日興上人を始め全ての御歴代上人は、「御図顕」ではなく「御書写」ですから、「日蓮が如くにし候へ」とはならない。
=日顕上人に限らず、全ての御歴代御法主上人は「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができない。
=「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができないから、日顕上人を尊敬できない、との論拠は完全に崩れましたね。理解できますか?
◆理解力がないのか、自分の混乱した投稿で頭も混乱しているのか知りませんが、
未曾有の拡大をした創価学会という和合僧団が御本尊をこれでいくと決めた。
和合僧団である創価学会が許容してあげてたのに、我に正義ありとして日顕が牙を剥いた。だから、「和合僧団に対して我に正義ありと言えるほど折伏弘教したのか」と問い詰めているのです。つまり、主従が逆だと言っているのです。
では、和合僧団の条件は?
さて、他のところに答えがあるから自分で探しなさい。
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●2、日寛上人は何故書写できるのでしょうか?また、なぜ、御図顕できないのでしょうか?貴殿は、日蓮正宗とは別の宗教団体でありながら、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と勝手に人の宗派の化儀を云々していますが、その根拠は一体どこから来ているのですか?明示し給え。
◆御図顕=出生の本懐。これは御書にある通り。
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」〜聖人御難事〜
つまり、君達の解釈など不要。
そして、書写した御本尊が事実として存在する。あとは和合僧団が「これ」と決めればそれでいいのです。
主従が逆だということですよ。よく覚えておきましょう。
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◆「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ」・「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」〜生死一大事血脈抄〜 大聖人は、ここで生死の一大事の血脈をつまびらかにし、「此より外に求めるな」といわれています。貴方は「生死一大事血脈抄」に含まれないと>
して百六箇抄の御加文を引用して「此より外」の血脈を求めています。成仏の根元でない血脈で論難しているというのが、私の主張です。
●貴殿は何宗の教祖ですか?「私の主張です。」などと、貴殿独自の主張など、まるで問題になりません。
貴殿は仏でない、ただの謗法者ですから。「生死一大事血脈抄」については、前回「創価学会の見解」で破折完了済み。
◆今も昔も創価学会に頼らないと何も出来ないのですね。いい加減、自立しなさい。
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●この御書は別しての血脈を根底においた上での総じての血脈を説いている御書。
仏法の初門にすらまるで達していない謗法者の貴殿が、「生死一大事血脈抄」の表面上の御文に執着して、いかに頑迷な主張を繰り返しても、読者のお笑い者。
学会内部からも、溜息が漏れてくるでしょう。曰く「馬鹿なやつだな〜〜。その御書を持ち出すのは止めてくれよ。学会の恥を晒すことになるからさぁ〜・・・」
◆・「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」〜生死一大事血脈抄〜
総じての「妙法蓮華経」とはどのようにとらえてますか?明瞭に答えなさい。
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●後半に、「学会のかつての主張は、迹門だった。」との趣旨があるが、これは、抱腹絶倒、一読噴飯、再読嘆息、空前絶後の駄説であるから、当該箇所で徹底的に摧破します。お楽しみ。
では、成仏の根源、三大秘法が、唯授一人、血脈相承に依って伝持されている文証を挙げ、それらが「生死一大事血脈抄」の御文を血脈の一切と考えた時に、真っ向から矛盾を起こす故に、貴殿の”主張”は、浅識、不信、不解の14誹謗であり、やはり堕獄必定であることを論証します。
◆日顕が生死一大事は「すべてを含む」と説法をしていた。つまり、「堕獄必定」
「その仏法において仏様は色々な教えを説かれるけれども、そのうち最も大事とするころ、『一大事』の『一』というのは最高のことである。全部を含んでおるから一なのです。だから、それはまた全部を含んだ真実の道ということなのです。皆さんがいつも読まれておる法華経の『諸法実相』ということは、教学的に論ずれば非常に難しいけれども、宇宙法界のすべての道をことごとく網羅し、それをそなえて、そしてその真実のところを示すということである。だから、その一の最も大事なことを仏様は、一大事としてこの世に御出現あそばされて、生死に迷う世間の人々を救おうとされる。それが「生死一大事」という、生死に対する一大事の法義ということです。」〜昭和63年9月29日 護念寺移転新築落慶法要の砌〜
これでも別しては含まれないと主張しますか?
まずは、私と同じ「御金言根本」という土俵に上がりなさい。
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●次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。269 四恩抄 弘長二年一月一六日 四一歳
◆「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門」とは誰の事を指してますか?
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●■但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
◆御金言に対して、御加文で邪難するとは、もはや、悩乱の極み。
「生死一大事の血脈」に入らない血脈は、成仏に関係ない。あろうがなかろうがどっちでもいい。すべて信心が根本であり、信心に関係のない秘密の血脈などない。他の箇所で破折済み
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●■日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 血脈の次第 日蓮日興 1675
■身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
池上 日蓮花押 1675
◆この引用も間違い。これが「信心が根本である」との主張を破折してますか?儚し儚し。
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●『本因妙抄』 「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�)
◆他の箇所で指摘済み。御加文から御金言に訂正した根拠となる古文献を提示しなさい。それから切り刻んであげます。
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●『産湯相承事』 「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ」(新編一七一〇�)
◆信心を根本とする事への破折になっていません。ので、引用が不適切。やり直し。
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●『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九�)
◆真偽未決のものを他の団体に押しつけても意味がないでしょう。「生死一大事」とは成仏の事ですよ。成仏の根元を無視して「こんなんあるぞ」と言っても意味がない。やり直し。
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●■一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
■59『有師化儀抄註解』日亨上人信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通う有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云うが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにはあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経ても正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云えば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清ら
かなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違えぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違う時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり。(富要一―一七六�)
■9「三世諸仏高祖開山も当住持の所もたげられたる所なる故に・事に仏法の志を高祖開山日目上人受け給ふ姿なり。」1-144
■有師化儀抄註解「本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふが故に供養の一切の酒を当住持が始らるゝは勿論の事にて・即宗開三祖が自ら受け給ふ姿なり」1-145
■「先師先師は過去して残る所は当住持計なる故なり、住持の見玉ふ処が諸仏聖者の見玉ふ所なり。」1-146
■「住持の上人は高開三祖等次第に過去し給へる後の現存者なるを以て・現住即高開三の代表にして・現住の見る(施物を)所は仏聖人の見給ふ処なる故云々」 1-146
■17「当家甚深之相承之事。全く余仁に一言半句も申し聞かすこと之れなく、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(略)又本尊相伝唯授一人の相承の故に代々一人の外書写之れなし」
■17「当家相承の事、全く他家に於て知らざる法門なり。大聖人より相伝の分は日興一人なり。之に依って今に相伝絶えず、然るに当時悪僧出来して残らず相承の由申す云々。斯の如き悪侶未来は弥々出来すべきが故に斯の如く書き置く所なり。今時平僧所化衆多し以て書写する故に此の如く書き置く所なり。延宝九年八月十二日 日精花押」
■17『富士門家中見聞』日精上人「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(聖典六九五�)
■26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし云々。
■26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
■26『撰時抄愚記』日寛上人「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」(文段集二七一�)
■26『文底秘沈抄』日寛上人「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや」(六巻抄六六�)
■26『三宝抄』日寛上人「付属伝授は即ち是れ僧宝なり。世人此の宝を知らざること譬えば卞(べん)和らか璞(あらたま)の如し云々。(夜光の珠は磨かざれば 石瓦なり磨は珠なり。歴全4-365)
■26 金言とは金口相承即是れ僧宝なり 三宝抄 歴全4-372
■「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄 三二三�)
■26『三宝抄』日寛上人「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇�)
(※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)
【関連】▼※ 『特別学習会テキスト』創価学会発行「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであります」(四一�)
■26「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり、仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ比の大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや、然れば則ち末法出現の三宝は其の体最も明らかなり」(聖典九五〇頁)『当流行事抄』
■「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」
■65日淳上人「仏教は必ず相伝による」(日淳上人全集七四四�)
■66日達上人昭和三十八年5月「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」
■ 「所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。」富要10−254 寿量品談義 日寛上人
■26『三宝抄』日寛上人「問う、三宝に勝劣有りや。「答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三�)
■26『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師「類聚翰集私」・富要二―三〇九頁の文を引用)
「日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、」尋いで便(すなわ)ち来り帰って咸(ことごと)く之に見(まみ)え使(し)む」
■26「此の経は相伝に有らざれば知り難し」文。また云く「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」如説修行抄筆記
■31『日因上人御消息』「日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり」(妙喜寺文書)
■48『続家中抄』日量上人「晨朝密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺托す」(聖典七七四�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、」
★池田大作指導
(a)
熊本・城北圏自由勤行会(阿蘇)
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓を引く行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(広布と人生を語る二―三七)
(b) イタリア広布二十周年記念勤行会(フィレンツェ)
「三座は、御本仏日蓮大聖人に対する御報恩感謝、ならびに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた第二祖日興上人に対する御報恩感謝である。さらには、第三祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈をうけられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げるのである。現在においては、ご存じの通り第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられる」(広布と人生を語る二―八三)
(c) 富山県記念支部長会(富山文化会館)
「この法、すなわち末法の大白法は、唯授一人、血脈付法の御歴代の御法主上人御一人が、お伝えあそばされているのであり、そのうえからわれわれ信徒のために御本尊をお認めくださっているのである。ここに、令法久住があることを知らねばならない。したがって、われわれは総本山を外護申し上げ、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、僧俗和合の道を歩みゆくことが正しいのである」(広布と人生を語る四―六七)
今回はこの位にしておきますか。
貴殿が執着する生死一大事血脈抄の貴殿流の解釈では、上記の全ての文証と整合性がなくなります。
つまり、貴殿の自分勝手な珍釈は明らかに間違っていると断じます。もし反論があるならどうぞ。ただし正しい文証を以ってしてください。
◆数打ちゃ当たるじゃないでしょうに。32もの文献の中に御金言なし。
この数の多さをもって、双方が御金言と観ている「生死一大事血脈抄」との整合性を云々するとは、混乱させようとしたら自分の頭が混乱したのか? 血脈は他の箇所で破折済み。
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▼「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も> 今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜
大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は和合僧団の確立であり、
●貴殿は生死一大事血脈抄の御文の付文の辺だけに囚われているから御仏の元意の辺が分からないのです。
”大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は”三大秘法の確立=本門戒壇の大御本尊の御図顕であり、そこの根本の御法体の末法万年にわたるところの令法久住をなしうる”和合僧団の確立であり”ます。
■「去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日
本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、
弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。
先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」聖人御難事
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▼三大秘法の明示など、大事の法門を多くの門下の法門信解により御教示されている事からも、和合僧団による令法久住を期されていた事が拝されます。
●さあ、ここでもまたもや貴殿の拙い教学力が露呈しましたね。
その根本の御法体から離れての”和合僧団による令法久住”などありえないのであり、貴殿らの集団は、正に、ただの邪教・謗法の集まりに過ぎません。その根本の御法体は、血脈相承・唯授一人において富士大石寺に伝持されていることは、上記の膨大な文証で明らかです。もし、異議があるなら、上記の御文証に全て明確な文証を以って反論してください。が、しかし、貴殿の力では(貴殿でなくても)絶対無理でしょうね。もし、反証できないときには、貴殿は反論不能と断じ改宗を要求します。
◆これ破折ですか?
御金言でないものを示して、数の多い文献を出した方が正しい?そんなアホな。恥の上塗りですよ。
大御本尊が我々のところに存在するから正しいなんて、そんな程度だったのですか。貴方も。
愚かですね。大御本尊を「法」と観れず、物と見てるのは貴方達だということが明らかになりました。
こんなに低レベルだとは思いませんでしたよ。正直。そんなカルト宗教からは脱講しなさい。
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◆つまり、特定の個人のみに法門の総てを説示するという考えがなかった。
●この二箇の相承をどう読むんですか?貴殿は。本当に大丈夫?一度病院に行って診てもらったほうがいいのでは?
そんな様子では職場での貴殿の行動も心配です。とにかく、こんな戯言には上記で完全に破摧済み。異議あれば反証を待つ。出来なければ、反論不能で改宗。
■日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興 1675
■身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
池上 日蓮花押 1675
◆又、自分で混乱させて相手の主張が分からなくなってる。本気で笑い死にさせるつもりかいな。
そこまで面倒見切れません。自分でお探し。
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◆創価学会は大聖人の説の如く修行した。現証として「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜>> との御聖訓通り、広宣流布は未曾有の広がりをみせた。
●自分勝手に本尊のニセモノを改竄・印刷・大量販売しても、それを「広宣流布」とは呼ばないのであります。ご愁傷様。貴殿らのニセ本尊は、身延のおみやげ物売り場で販売されている大聖人御真筆ご本尊のコピーものと何ら違いませんね。貴殿らのしていることは、その堕獄必定の魔物を世界中にばら撒いているのです。既述したが、今世界中にこれほど酷い三災七難が興盛しているのも、貴殿らの魔物によるところが大であります。貴殿らが自慢するが如く世界中に広まった創価学会がもし真の正法ならば、何故、以前より今が更に悪くなっているのか?その理由を、文証において証明してください。
異議があるなら文証で反論を。待ってます。
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▼故に「生死の一大事」の血脈が流れる和合僧団であると自負するものです。
●以上の論証から言って、この言の根拠は総崩れ。ただの独りよがり、慢心・驕慢謗法です。愚かで哀れです。
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▼そして三類の強敵が喚起した。これも御聖訓どおりです。
●上記で詰問済み。貴殿らの言う”三類の強敵”を例示せよ。それからぎっちり破折します。
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▼貴方の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
●まことにこれは貴殿に対しての言辞ですね。今正に貴殿に言おうと思っていた通りです。
■「正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。」
■「今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」@云々@。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等@云々@。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。」
まさしく、根源=主 枝葉=従 貴殿の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
■「既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。(中略)法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
貴殿は総じての血脈の文を以って別しての血脈の意を理解できていない。拙い頑迷なだけであります。「成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」その浅い教学では今世は間違いなく解脱は無理。悪道を輪廻することでしょう。
◆はいはい。次下に「但し師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理によるべきなり」と続きます。つまり、滅後に別しての血脈が存在して、それが法主無謬論の根拠になるという解釈は破綻しました。また恥をさらしましたね。儚し儚し。
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◆ 真の和合僧団であることが証明されれば、御本尊の権能は創価学会にあるといえます。
●証明など全くされていないので、この設問は全く不可ですね。
◆証明済み。難がなく、身から出たサビしかない日顕に権能などない、残念。
*「創価の潮流は、世界に類を見ない力強さがあります。そして、高い見識をもっています」
*「創価学会のような団体が各国に広がっていくことでしか、地球は救えません。私は創価学会に大きな希望をかけているのです」〜セレブロフ博士〜
* 「素晴らしい生徒さんに出会いました。情熱を感じました。希望を感じました。高い水準を感じました。“この人達だ。この人達になら世界の運命をまかせられる”本当にそう思ったのです」〜マリノフ博士〜
* 「すなわち彼は審理とか、そのことの正しさとかを自分が享受している名誉や名声その他のものによって証明はしない。正にその反対である。」〜キルケゴール〜
実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。
● また何を根拠にするかと思えば、そんな学者の言を持ち出してもぜんぜんだめ。この方々は、成仏の法を御存知なのですか?三大秘法の法体を知っているのですか?貴殿が引文するの”文証”とはまさか、この方々の”お言葉”ではないでしょうね?仏法の奥義を相伝されてない方々に人を成仏させる法を知っているわけがないじゃないですか?貴殿はそんなことも分からないのですか?こんな言辞を根拠として、”実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。”だなんて結論付けても全く意味を成しません。思わず噴出しましたよ。貴殿のレベルの低さにはほとほと感心させられますね。もう少し法義論争の基本を学んでからにした方がいいのでは?はい、やり直し。もっと、まともな仏法の文証に於いて反駁し給え。貴殿の言葉で言えば”準備運動”にすらなっていませんね。”運動”する前に、目が覚めるように、おうちでまず”洗顔”からやり直したら?
◆貴方も日顕と同レベル
社会から遊離した弱小教団らしい発想です。これらの方々や、その他、数多くの識者の方が、創価学会の存在に希望を見出している言葉を「レベルが低い」としか見れない貴方は日顕宗のサンプルです。
カルトの証明として、この投稿を強調文字または、フォントを大きくするなどして目立つ処置をして公表します。
もうひとつ、こちらは極一部ですが、結果を示しました。貴方も宗門の結果を示しなさい。これだけ実証を示しているという結果を。正本堂壊したとか。その他にも壊してるでしょ?楽しみにしてます。
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◆そのような主張は、山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だと知るべきでしょう。
●はい、ではその根拠を文証を以って明確に提示してください。貴殿が「山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だ」と思い込むのは自由ですが、何度も言わないと分からないようだから何度でも確認しますが、法義論争とは、明確な文証・道理を指し示して破折・反論・論破するものです。相手に相手の主張が「稚拙な論理」と分からせるには、それなりの文証を根拠とした論理明晰な反論が必要です。ので、ここは、やり直しですね。宿題です。
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◆実践のない日顕さんを神格化する根拠として「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用することも明らかになりました。
●「実践」云々については上記で破折済み。「「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用」して、何か問題でも?だから、なんなんでしょうか?ここは、全くの反論になっていません。ので、ここもやり直しです。「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等の御法門を例示することがどこがどのように問題なのか、明確に文証で以って反論してください。
◆神格化の根拠として引用する姿勢を否としているのです。上記の血脈・三類の強敵・和合僧団、下記の三宝等のところで反駁して下さい。
●反駁も何も、貴殿はこの設問において全く何の反証も出来なかったのであり、この科段では貴殿の反証不能で終了と言う事実が残ったということです。こんな状態が続くようでしたら、真に改宗を要求します。
◆もともと実践の有無を確認されて、「はい」か「いいえ」で答えればいいものを、答えないまま徒に論点を広げて、要約もできず、一つに繋がっていた文を切って、反駁して、勝手に混乱して、「反証不能」とは笑える。ホケコのサンプル君。
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◆貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。
●はい、ここも、貴殿の何の根拠も明示できない盲断ですね。文証を挙げて反論してください。
「文無く義無きは信受すべからず」「文証無きは悉く是邪謂なり」
貴殿の思い込みでいうと「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山> 久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」との大聖人御自らの御言葉も「庶民を「宗教的権威」に隷属させるも>
のである。」となりませんかね。
◆末法万年にわたる尊信の対象の三宝を定めたものです。我々も実践により僧宝になりうるので、「隷属させるもの」にはなりません。下記の三宝などを参照下さい。
●この箇所も矛盾だらけです。
1、”末法万年にわたる尊信の対象の三宝”とはどなたを指すのか?その答えを見てからしっかりと破折します。
2、「我々も実践により僧宝になりうる」その根拠を文証により明示してください。
3、1の「三宝」と貴殿らが成りうる”僧宝”との関係を文証により説示してください。
◆他の箇所に全て答えがあります。自分でお探しなさい。
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●「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。呵々。
◆民衆を隷属させる教義が「仏法に相違」していると主張している相手に、この引用は意味がないでしょう。準備運動のひとつと捉えておきます。
●? 貴殿は本当に日本語が読めないようですね。
当方からは■「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との御文を提示して、日顕上人を尊仰すべきである。と主張し、それに対し貴殿が、▼”貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。”と難じてきたのでしょう?そこで、●「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。と破折をしたのであって、貴殿の論法から言えば、”貫主お一人が大人数の衆義を一方的に摧く”ということは、まさに”民衆を隷属させる教義”であり、そのことは貴殿が解釈している”仏法”に”相違”しているのではないか。
当方が引文した文証に通底している義はまさに同義であり、貴殿の珍釈こそこれらの御文へ無知が故とはいえ唾を吐きかけているのですよ。恐れるべし。誡しむべし。
反論に窮したからといって”準備運動のひとつと捉えておきます。”などと、強がってしらばっくれるものではありませんよ。
まっ、読者は、正確に見抜いてますけどね。貴殿の知能程度と、捻じ曲がった性格が顕著に現れた箇所として貴重な場面でした。
◆悔しかった様子が文の長さに表れてます。案外正直な一面もあるようです。『「仏法に相違しているか否か」の論争が継続中にこの引用は不適切でした。ごめん』ぐらい爽やかにいきなさい。言行不一致は信用を失いますよ。
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◆虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。
●そのように、邪網に覆われ道理に曚い妄執の根性で、三宝を誹謗すると、必ずや、「今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕ち給ふべし」となり、
更に詳しくは
「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。是の故に普賢、若し是の経典を受持する者を見ては、当に起って遠く迎ふべきこと、当に仏を敬ふが如くすべし」
過悪-------過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等。
白癩---皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種。手脚繚戻→手足が曲がり自由に伸びない状態。
眼目角らい---瞳の方角が偏り、正常に者を見る事が出来ない事。
悪瘡---------悪性のできもの、腫れ物。
水腹---------腹部に濁水が充満する病気。
短気------息が詰まり呼吸が困難になること。>> このような姿になりますよ。
恐るべし、慎むべし。
◆を日興上人としたのは明らかです。三宝一体の法義からも正しい。
●ここも貴殿の”怪釈”はハズレでした。
僧宝とは、日興上人を随一とする末法万年の御歴代御法主上人です。上掲した御文中貴殿にも理解しやすいだろう御文を再掲する。もし、異議があるのならば、文証に於いて反論してください。
■『本因妙抄』 「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�)
■『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九�)
■一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
■26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし云々。
■26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
■亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。
■59『有師化儀抄註解』日亨上人
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
■59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
「貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、」
(因みにここなども、貴殿の論から言えば、”庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである”となりますね。貴殿は日亨上人にも唾を吐きかけるんですね。恐ろし、恐ろし。)
◆真偽未決のものや、御金言でないのもばかりですね。また混乱させる狙いですか。
本因妙抄・百六箇抄は破折&指摘済み。自分で探しなさい。子守は疲れました(笑)
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◆そのうえで、
・「御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」〜御義口伝〜 戦い続けている学会員も僧宝であり、釈迦一代五時継図の御聖訓には該当しません。
●また何を言い出すかと思えば。貴殿の引文は全くお門違いばかりですね。しかも、自分等の謗法の咎を表示している箇所を敢えて引証してくるとは。「盲法門・もぐら法門・ミミズ法門」ですね。
では、いきますか。貴殿は後半部分を根拠に”創価学会を僧宝”と馬鹿げたことを言いたいのでしょう?
この御文は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御事をお示しなのです。決して貴殿ら三宝誹謗の大謗法者たちのことではありません。
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。法とは題目なり。僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
まさに、この御文のとおりで、解釈をする必要もないほど明瞭ですが、理解力の欠乏した貴殿に対して敢えて説明するならば、
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」
ここは、このまま、末法御出現の御本仏は、三十二相色相荘厳の迹仏の姿ではなく、凡夫、なかんずく凡夫僧の姿である。ということです。
■「僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
ですから、再度釈されて、凡夫僧とは末法の法華経の行者=本仏である。それは、僧形ではあるけれども、内証は御本仏であり、外用は凡夫僧である。
◆「僧とは我等行者なり」の文は、大聖人より嫡々代々、清浄な法を持つ現日蓮正宗の僧俗に当たる、と呵責しておくものであります。」〜平成9年8月28日全国教師講習会〜
私の引用に文句をつける以前の問題です。
日顕はこの御文の「僧」を複数の「僧俗」とし三宝の御文として講義してますが、貴方は大聖人の事に限ると言います。
まず、この問題をクリアにしないと、私と話をできる土俵にすら上がってない事になります。その上で、切り刻んであげましょう。
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●「深覚円理名之為仏の故なり。円理とは法華経なり」ここで決着ですね。ここの意味を知っていて引文したとすれば貴殿はほとんど日本語を知らない外国人か、はたまた狂人ですね。
ではいきます。
「深く円理を覚る。之を名づけて仏と為す。円理とは法華経(=戒壇の大御本尊) なり。」
ここにまさに、御本仏の御境地がはっきり現れているではないですか。
貴殿らは、”深く円理=戒壇の大御本尊 を覚”っているのですか?まっさか!
こういう法門の筋目を分からずして、乱引するから、こうして恥をかくのですよ。
◆出ました。山寺の論理。大御本尊に法の永遠性を観ている私達。目に見える存在として唯物論的な解釈で自宗の正当化に利用する貴方達。これで決着です。
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●”戦い続けている学会員も僧宝”ですって?呵々。一体何と戦っている事やら。
■「今末法に入つて日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事彼に過ぎたり。」
貴殿らのやっていることはまさにこれではないですか。
御法主日顕上人猊下も我々法華講もみな戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して、”南無妙法蓮華経と唱え奉”っているのですよ。
■「不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受く」
■「彼は千劫此れは至無数劫なり」
この御文のとおり、貴殿らは間違いなく、まさにほとんど無限に近い時間ほど地獄に堕ちますよ。
◆また出ました。山寺の稚拙な論理。「戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して」との表現からは、「権力者が作った現法律において、大御本尊が我が宗派の持ち物である」という物質的側面からしか大御本尊を見ていない事がよく分かります。「深覚円理名之為仏」とはほど遠い「唯物論者」に成り下がった自身の拙い信仰姿勢を恥じ入りなさい。
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◆私はもちろん、貴方に対して「恐るべし、慎むべし。」と主張します。
●上記の破折をよく読んでから、もう一度出直して来なさい。
■「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。」
この観発品の御文は、まさに貴殿らの行く末を明示している御文ですよ。
◆無意味な感情論は混乱させるだけですよ。少しは大人になりなさい。
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◆「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云〜上野殿御返事〜
●一体、この御書は何のために、何を立証せんとして引かれたのか。貴殿の引文は全く的外れです。何故かというその答えを言う前に、貴殿の教学力の程度を知るため、また読者の皆さんにも知っていただくために、貴殿に訊くが、「願くは我が弟子等大願ををこせ」の「大願」とは何を仰っているのか分かりますか?その答えを本当に理解しているなら、こういう一節を、「虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。」と言う主張の後に挿入できるはずもないのですがね。まずは、貴殿の回答を聞いてみましょうか?その答えを見てからじっくりと貴殿の法門未熟さを破折しましょう。
◆「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故・法師品十六箇の大事とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
●まず、御文を改めます。平成版では以下になっています。
「第二 成就大願 愍衆生故○生於悪世 広演此経の事
御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類なり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり。」
古文献の研究は後年に於いてものが正確である事は古文書研究の常識であるが故に、平成版の表現を用います。
◆本因妙抄の御加文の部分が「平成版」では、御金言となっています。「正確」なんですね。御金言に変更した根拠となる新たで正確な「古文献」を提示しなさい。
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●法華=戒壇の大御本尊であることは異論がないと思いますが、では、貴殿らは何を広めているのですか?
■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事
建治二年七月一五日 五五歳 993
■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
■『本尊問答抄』「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(新編一二七五�)
■22『本門如来寿量品廿三座』日俊上人
「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」(歴全三―三�)
■31『日因上人御消息』
「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是れ也」
■56『法之道』日応上人
「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四�)
貴殿らが販売している掛け軸様のものは、開眼のない魔であり、鬼であり、国を滅ぼす基ではないですか。そんなものを広めている者たちに「大願とは法華弘通なり」の御文を云々する資格は全くありませんね。
◆教条主義的な解釈しかできない貴方には分からないようです。別な角度から話しましょう。
開眼なき御本尊を授与することが謗法なら、それを許可する事も謗法ですね。はいか、いいえでどうぞ。
また、
・法主の許可があればいいとするなら、許可した瞬間、その御本尊に何が起こるのかを論証して下さい。
(例)1月23日、開眼していないが法主から許可をもらっている御本尊を法道院から授与された。実は、許可されたものとは違う御本尊だったことが1月24日のPM4:30に分かった。1月24日のPM5:00に法主の許可が下った。
・1月24日のPM5:00に本物になるのですね。この時、御本尊に何が起こるのか具体的に論証しなさい。
世界に通用する弁舌期待してますよ。
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◆ 法師品には、法師とは在家・出家の法華経を説いた者として説かれています。(深く見れば法華経全体が滅後末法の為ですが)、大聖人は、薬王品得意抄で
・「法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」といわれています。在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量です。
この仏の大慈悲を一身に体して行動する人が法師です。
この五品の中に、「猶多怨嫉況滅度後」「三類の強敵」が説かれており、法主もこの修行をすべき対象に含まれると考えます。
●全く貴殿は法門の筋目が分かってないですね。
まず、この御書は文永二年の御作ですから、佐前であります。
■「又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。」
との御指南の如く、文底下種の御法門から開いて拝読しなくてはいけません。
■「方便品より人記品に至るまでの八品には、正には二乗作仏を明かし、傍には菩薩・凡夫の作仏を明かす。法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は、上の八品を末代の凡夫の修行すべき様を説くなり。又、涌出品は寿量品の序なり。分別功徳品より十二品は、正には寿量品を末代の凡夫の行ずべき様、傍には方便品等の八品を修行すべき様を説くなり。然れば此の薬王品は方便品等の八品、並びに寿量品を修行すべき様を説きし品なり。」
その上で拝していくと、この御書が権実相対・本迹相対の辺で説かれている事が分かります。ですから、当該箇所は、迹門の正と傍の意義を明かし、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品に、権実相対しての末代の修行の様を説かれていると御教示なのです。この御文を、直ちに文底下種の三大秘法を御所持される御法主上人に当て嵌める事自体、法門の所対に曚い盲狂学の浅はかさが暴露されてしまいましたね。
◆「生於悪世の人とは日蓮等の類いなり」を無視してますが、日顕に当て嵌まらない?
つまり、日顕は法師ではないということ?簡単明瞭に答えなさい。
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●貴殿の引文が不適格なその証拠に、五品の中に安楽行品も含まれていますが、貴殿ら創価学会は末法に四安楽を説く安楽行品の修行するのですか? あっ、池田はそうかもしれませんね。納得。呵々。
◆大聖人仏法は難即安楽です。そのぐらいは、学びましょう。
・「妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。」〜御義口伝〜
難と戦う事が安楽であると仰せです。
何の苦労もない事が安楽ではない。何があっても揺るがない大境界をつくるのが安楽行品の根本である。
さて、日顕の「難」を。
そうそう、その前に日顕がどういう戦いをして「難」を呼び起こしているか、ですね。
それがなければ、「難」ではなく、「身から出たサビ」ですよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼・「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
●南無妙法蓮華経を唱えているものは別に貴殿らだけじゃないですよ。
顕正会だって唱えています。当方も唱えています。貴殿らとの違いを明確に説明してください。出来なければ、反論不能で脱会。
◆本当に分かりませんか?「人数」・「実績」です。戦後、日本の宗教団体は、同じスタートラインでした。
もちろん、創価学会・ホケコ・顕正会(妙信講)もです。
・「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし」〜王舎城事〜
少しは恥を知りなさい。
創価学会・ホケコ・妙信講(顕正会)、どの団体が真の大聖人門下であるか、一目瞭然でしょう。だから、生死一大事の血脈が流れるのです。
同じ質問を自分で答えなさい。私達との違いを世界に通じる論理で明確に説明しなさい。
唯物論的な発想や教条主義でないことを期待してます。出来なければ末法万年尽未来際、針金宗決定。脱講しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼無名の庶民である学会員が今も昔も広布の実証を示している姿こそ愍衆生故の姿です。
●上記の通り、開眼のない魔物を販売してあるくことは、どう間違っても広布ではありませんので。悪しからず。
▼自ら望んで業を背負って生まれて来たのです。
●全く、悪業の深い連中ですね。
▼妙楽大師はこれを願兼於業と説きました。法を説くために庶民の中へ。仏意仏勅であるが故に三類の強敵を顕した。つまり法師の中の大法師です。
●貴殿の妄想に獲り付かれたたわごとです。
魔物を大量販売しているが故に、”願兼於業”でもなければ、”仏意仏勅”であろうはずもない。ましてや、”三類の強敵”だなんて大噴飯ものです。
貴殿ら創価学会の度重なる反社会的行為によって世間から何度も何度も厳しく糾弾されただけのことではないですか。
日蓮正宗からは、貴殿らの度重なる大謗法によって、当然の如く破門されただけの事。
「法師の中の大法師」だなんて、とんだお門違い。ブラックジョークですか?
魔物を作成・印刷・販売する者たちは、「魔師の中でも大魔師」でしょう。今生には自らも家族も滅ぼし、後生は無間地獄間違いないですよ。
▼さて、日顕さんにこの教文通りの実践があるのか?ないのか?必要ないのか?教文通りの難はあるのか?ないのか?これらを踏まえ反駁して下さい。尚、一番最初の項目と内容が重複する箇所は、そこで反駁して下さい。
●上記の如く、大魔物販売集団から、日顕上人が経文(”教文”ではないと思いますよ)通りの実践があるのか、ないのか。だなんて言われる筋合いは毛筋ほどもないですね。
むしろ、貴殿らのような大謗法団体をきっちり破折し破門した事自体、まさに経文通りの実践ではないですか。だから貴殿らの汚れきった邪難を一身にお受けになっているではないか。これまさに三類の強敵の大難を受けているお姿そのものです。
◆実証すら学会頼みなのですね。「破門した事が経文通りの実践である」のだそうです。他には?
―――――――――――――――――――――――――――――
◆「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。それにより、第三者の方々にも、お互いの主張の違いが分かりやすくなるでしょう。
●こういう姿は、まさに痴犬が吠えるがごとくです。上記で破折済み。道理が理解できない痴れ者が、馬鹿の一つ覚えのごとく吠えたくっているだけ。前回の説明で理解が出来ないとはよほど謗法による三毒強盛が進んでいると見えますね。今回の上記の解説をよく読んで仏宝と僧宝の違いをよく知るべきです。更に言うならば、「大聖人と同じ実践がなければ、尊仰してはならない」との、明確な文証を提示してください。その提示もなくただ吠えかかっているのは、愚かを通り越して、惨めですよ。貴殿が「百六箇抄」の御文に対して、この程度の「言いがかり」しかできないとは、ちょっと、残念ですね。もう少し、知的な反論が返って来るのではと期待した当方が、貴殿を買いかぶっていたようです。こんな癡犬の吠え声にいつまでも付き合っていられませんから、次に進みます。貴殿は、的確な文証を根拠としての反論は全く不能であった。という事実が残ったわけです。
◆他の箇所と重複する内容なので、ここでは触れません。
●自分から吠え掛かっておいてこれですからね。
ここも、とうとう反論不能ということですね。お疲れさん。
◆「日顕に折伏弘教の実践は必要ない」ここでの確認がやっと完結したということ。こちらの簡単な質問に「吠え掛かってきた」と過剰反応し、論を混乱させたという心情が伺えて笑える。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆日本語の雅な表現が分からない方のようです。
●ほ〜〜〜〜ぉ!!! ?これは、面白いことを言いますね。
1、「言い掛かり」とは、口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。との意ですが、百六箇抄の文の何がどう、”言いがかり=口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。”なのでしょうか? ”雅な”言語表現で、上手に反論してください。明確に。
2、”直ちに引用した”ここの表現もかなり変です。文章の冒頭から使用する語句が不適切なので、変に変を重ねて、もはや主張したい意図が不明瞭です。もし、”雅びな表現”というなら、その表現を書き下して意味明瞭にしてみてください。その内容がどういう表現になるのか、興味津々です。その表現を見てからこの文章が果たして“雅”だったのか、厳しく検証しましょう。
3、「百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?」???????ここは致命的です。この箇所が、誤字でなく、”雅な表現”ならば、貴殿の言語感覚は、破綻しています。「百六箇抄が、「唯授一人血脈相承」の> 傍ら 」???????何ですか?これは?どう読んでも意味不明です。ここの明確な解説もよろしくお願いします。その解説文を見てから、更に追求しましょう。自らの非を素直に認めないとこのように徹底した反撃に合うことを知るべきです。
◆道理につまると話をすり替えて個人攻撃とは、実に貴方らしい。性格とはいえ、どうでもいい瑣末な事実を、あふれんばかりに伝えながら「肝心な事」を答えない姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。
●1、「道理に詰まる」?当方のどこがどのように「道理に詰まって」いるのでしょうか?きちんと例示してみてください。このような、根拠もない強がりを言いたくなる貴殿の心情を慮ると同情を禁じえないのですが、貴殿が仏宝と僧宝の立場や役目を混同して、痴犬が吠えるがごとく「「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。」と幼稚な設問を凝りもせず繰り返している姿こそ、「道理に詰まって」いる醜態ではないでしょうか?
2、「話をすり替えて」?どの論題をどのようにすり替えました?当方は貴殿が書いてあることが全く意味不明であるから、それを貴殿が言う「雅な」表現で、もう少し分かりやすく、再度書き送って欲しいと言っているだけですが?貴殿こそ、当方からの、何点かの論駁に明確に答えもせず、「どうでもいい瑣末な事実」ということに「すり替えて」当方の「性格」を云々するとは、まさに、「道理につまると話をすり替えて個人攻撃」という、「実に貴方らしい」「性格」ではありませんか。そういう「姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。」
◆ここも準備運動の一つと捉えておきます。
●はい、反論不能。結局、貴殿は書き間違えたことを素直に認めないからこのような無様な終わり方になりますね。今後、もっと潔くなりなさい。
◆貴方が「御在世の如く敬っている」日顕さんの実践を確認しているだけです。一貫してね。
●はい、ここも痴犬の馬鹿吠え。上記の破折を再度心してお読みください。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜 日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?速やかに「はい」か「いいえ」で答えましょう。
●ここまで貴殿が頑迷だと読者に対して失礼でしょう。まず、ここの引文ですが、これは、信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。(創価学会は別の宗派ですから特にこの御文とは関係はありませんが)この実践は各個々人が自ら大聖人・日興上人・御歴代上人に対し奉り、我が身を誡めるためのものであって、他人が人の信仰姿勢を云々するために持ち出す御文ではありません。ましてや、「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との文意を否定する御文には全くなりません。貴殿の引文はここでも全くの的外れです。貴殿は仏法の初歩に暗いだけでなく、日本語の使われ方の意義を読み取る能力にも欠けているようです。もう少し、勉強してから挑んできたほうが貴殿の名誉のためにも、いいのでは?
◆私「確認しているのです」
貴方「答えになっていない」
私「お互いの主張を明確にするために確認しているのです」
貴方「反論になっていない」
これでは噛み合いませんね。他の箇所と重複する内容なので、ここも触れません。
●貴殿が真から低レベルの教学しかないということが明確になりましたね。
貴殿は破折されつくされていることすら気がついていない。
貴殿に比べれば、まだ○藤氏や、○階氏の方がレベルは上でしたね。貴殿ほど無知ではなかったですね。
◆はいはい。そうでしょうね。では重複しますが、敢えて質問しますよ。
貴方は日顕さんが「三類の強敵」を顕したといってますね。
「信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。」とも主張してますね。
課題のまま三類の強敵が顕れるという事を文証で示しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆もちろん、私も公表します。
●当方は、既にHPを立ち上げています。このやり取りは、全国の皆様が楽しく読んでくれることでしょう。決着がついたら、対論ものとして、実名入りで上梓します。
◆承知のうえで始まったやりとりを、ここでわざとらしく咬ますところが貴方らしい。相変わらず芝居がかったユニークな方です。
●貴殿が的確な文証も提示できずに余りに恥ずかしいことを書き連ねているので、この対論を発表すると言う約束を失念しているのではと心配になって警告したのです。大勢の読者から失笑を買わないように今後は的確な文証を引文してください。
◆では、双方承知ということで。
●結構ですね。早々にリアルタイムでアップする予定です。ライブ感あっていいですよね。全国の読者の感想なども実に楽しみです。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。
●このような、幼児的で的外れな邪難をしてくるということは、つまりは、貴殿は仏宝と僧宝の違いというこんな初歩的な三宝のたてわけも分からないのですね。また、更に言えば、法体の折伏、と化儀の折伏、という法門の筋目も何も分かっていないということですかね。この箇所について、更に一言だけ言っておくとすれば、「凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」この御文からしても貴殿らは「謗法者」であることは明>確でしょう。いずれにせよ、このような何の文証も示せない邪難を書く前に、もう一度、当方からの百六箇抄の引文について、きちんとした「文証」によって、反論”すべきでしょう。”お待ちしております。
◆魚は頭から腐るものです。
●この隠喩もいまいち不的確ですね。何が魚で、何が頭なのでしょうか?明確な説明を求めます。こんな、意味不明な暗喩を書いている暇に、文証において反論したらいかがか?
◆頭=日顕さん、魚=貴方達。類推すると、個人についても同じ事が言えるであろう。頭から腐るとね。一貫して実践の有無を問う相手に明確な答えをせず、敬う事だけを強いる文を投げつけて「私は答えている」とは、笑止。
●貴殿がいう「一貫して実践の有無を問う」とは正しい法義から見ると「仏法の道理が分からずしてただ頑迷に妄執に取り付かれ、馬鹿の一つ覚えのように吠えている。」という姿です。更に「敬う事だけを強いる文」と言う表現からして、すると貴殿は百六箇抄の御文を否定するのですね?
貴殿はここでも仏教のイロハに曚い醜態を晒しています。
◆ここも一区切りします。他の箇所を参照下さい。
●はい、ここも貴殿の敗走とういうことで。
◆「折伏弘教の実践は必要ない」と貴方は「名言」した。それでお腹一杯です。笑いすぎで顎が痛いわ。
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●再掲しますが
■「文無く義無きは信受すべからず」
■「文証無きは悉く是邪謂なり」貴殿の妄執は、邪な考えということです。
更に■「仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専(もっぱ)ら経文を詮とせん。」文証を根拠としないで何をどう主張しても、全く論外です。法論にはなりません。顔を洗って出直してきなさい。
■「自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。」貴殿は正に「三悪道に堕つべし。」の姿そのままです。
■「種々に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。」貴殿は「非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。」もはや、何を基にどう考えていいか、分からなくなっているのです。
■「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」
謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ哀れ。御書の御文を指して、「敬う事だけを強いる文」と言い切るとは、もはや完全に仏教外の人です。外道ですね。貴殿ら新興宗教団体の長である方の発言の通り「信仰は自由」ですから、何を信仰しても自由ですが、仏教をやっていると思っているとしたら、嗚呼、勘違い!ですね。ましていわんや大聖人の仏法とは全く程遠いものです。貪・瞋・癡を表す三色の旗でも高々と掲げて世間の嘲笑でも浴びるんですな。凡そ仏教を名乗るからには、三宝が整足していなければならないことはご存知ですよね。貴殿らが外道であるその証拠に、では、現在血脈付法の日顕上人を否定したら、僧宝は誰ですか?明確にお答えください。貴殿は馬鹿の一つ覚えを繰り返している暇はないんですよ。どんどんこうして宿題が増えているではない> ですか。頑張って、今までの問題を解きましょうね。
◆ここも、上記の三宝についての箇所で進めたいと思います。
●ここでも貴殿は反論不能で暗礁に乗り上げたということですね。
◆三宝は御在世当時で既に整足してるの。自分で混乱させて、勝手に分からなくなってる姿がサンプルとして貴重です。
「文無く義無きは信受すべからず」
「文証無きは悉く是邪謂なり」
「仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん。」
文証とは大聖人の御金言のですが、貴方は違うのですね。
「汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か将た又漢土日本の人師の書か本を捨て末を尋ね体を離れて影を求め源を忘れて流を貴ぶ分明なる経文を閣いて論釈を請い尋ぬ本経に相違する末釈有らば本経を捨てて末釈に付く可きか」〜四信五品抄〜
他の投稿に垣間見えるように、貴方の源は日蓮正宗の教義ということでよいようです。
ここも大聖人に違背しています。
山寺の論理で、大聖人の御金言が普遍的ではないと主張して失笑を買わないように頑張んなさい。
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◆「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」〜四菩薩造立抄〜
大聖人は「私に続け」と叱咤されている。遠慮はいりません。速やかに、御在世の如き日顕さんの実践を挙げて自宗の正統性を論証してみたまえ。
●ここまで来ると、本当に貴殿はもはや知能が低いとしか思えませんね。この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。上記でも説明したことの復習ですが
1、では、僧俗全員が大聖人のように竜の口法難を受けて、発迹顕本するのですか?
2、僧俗全員が、大聖人のように戒壇の大御本尊を顕すのですか?「はい」か「いいえ」で明確にお答えください。
◆重複する内容なので上記を参照し反駁して下さい。
●大体貴殿から言い出した段なのですよ。こっちの反問に全く答えてないではないですか。貴殿は根性が捻じ曲がっているだけでなく、卑怯者ですね。はい。ここも反論不能。もう貴殿は脱会すべきでは?ここまで返答できないとなれば。
◆これも混乱目的か。答えは自分でお探し。
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●更に、この御文の次上に「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」的確な文証も出せないで、自分の妄執で何を主張しても、貴殿の頭には天魔波旬が入っていて、人も自分も無間地獄に堕ちますよ。全く、幼稚ですね。未熟ですね。ということです。
◆天魔は何れか、これから明らかにしていきましょう。
●誰が「私ならざる法門を僻案」しました?良く全体の文意を弁えてから偉そうなことを言いなさいね。
◆傍証を引用して「在世の如く敬え」というので「在世の如く戦ったという事実」の提示を求めただけで、「幼児的で的外れな邪難」ですか?学会員と法華講員とどちらでもない方々に評価を求めるにあたって重要な発言です。
●上記の反論をよく読んでから、もう一度この箇所を読んでみてくださいませ。貴殿が、仏宝、僧宝の筋目を理解しておらず、法体の折伏と化儀の折伏の違いも分かっていないのに“「日顕さんが在世の如く戦った事実はない。」しかし「在世の如く敬え」これが日蓮正宗の教義であると認識してよいでしょうか?”
よくこのように、頑迷な愚問を繰り返せますね。貴殿の厚顔無恥さ加減に、敬服します。上記で破折済み。
◆質問に対する答えになっていないものを破折といって恥じない厚顔無恥さに敬服します。引き続き詰問します。日顕さんに御在世の如き実践は、ありや?なしや?なしなら、なしと速やかに答えるべきであろう。
●○○に付ける薬なし。○○は死ななきゃ治らない、的な領域に入っていますね。貴殿は。最早。上記の破折文を読んで全く分からないのなら、■「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」これ以上丁寧に教えてあげる必要はないでしょう。なので、次の破折に入ります。百六箇抄の文意を更に的確に表された御文。■「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」この御文は「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と同義であると思いますが、いかがか?であるならば、この御文の通り、やはり、御歴代御法主上人を深く尊信すべきでしょう。貴殿に忠告するが、このような内容は基本中の基本のやり取りなので、貴殿ももう少し価値的な反論をしていただきたいのですが?無理なら学会内でもう少しまともな反論が出来る方に交代してもらってもいいし、そういう方に良く教わってから返信してください。貴殿の、迷妄な変質的で頑迷な反論では、当方は聊かもの足りないのですが。もう少し知的で変化に富んだ反論を期待します。
◆御本尊七ヶ相承ですね。提案ですが、他の箇所で話しの流れに沿って提示して頂けないでしょうか?その方が見る人にも分かりやすいと思います。
●既に提示済み。ここも、結局貴殿は反論不能。全く情けない体たらくですね。
◆混乱目的の投稿にはもう乗っかりません。悪しからず。
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◆迹門だと思って下さい。
変わることが、直ちに謗法であるとは考えておりません。
「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」〜顕仏未来記など〜 この御聖訓と同じ原理です。
750年前から何れが変わったかを論じるべきであり、生死一大事血脈抄の御聖訓に対して、大聖人の御聖訓で反駁を試みて下さい。
●とうとう出ましたね。まさに馬鹿丸出しの教学。ここまで浅はかとは思いませんでした。はっきり言って相手にするにはあまりに貴殿はレベルが低すぎます。残念ですね。まっ、しかし貴殿の迷妄を完膚なきまで摧伏しぬきましょう。全国の読者の為にも。
では、破折いきましょう。
1、創価学会は末法適時の仏法である、文底下種本門の仏法をしてなかったのですね。貴殿の論でいけばまさに仏法修行の時を失う邪教だったわけです。末法今時に法華経迹門の理の一念三千をしていたとは!
�かつて上記の論説が公になった頃、創価学会は日蓮正宗の事の一念三千の御本尊に唱題していたが、それを”迹門”であったとは、一体どういうことになるのですか?教学的に明快に説明してください。出来なければ貴殿は反論不能で敗北。改宗を要求します。
2、いつまで、迹門だったのですか?明確な日時を表示してください。明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
3、どんな現象を以って「本門」に入ったのですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
4、文底にはいつ、どんなきっかけで入って来るんでしょう?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
5、迹門の前は爾前権教ですが、それはいつからいつまでですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
6、外道だった時はいつからいつまで?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
早めによろしく頼みますよ。楽しみに待っています。
◆「創価学会の迹門」です。
自宗の論理をこじつけても意味がないでしょう。
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●貴殿が引用した御文は下記の通り。
■「伝教大師云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等@云云@。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号づく。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」
ここに明らかな如く、貴殿が依文とした箇所は伝教大師の言葉ですね。
ですから、この御文は五重相対でも権実相対の辺までの教判です。
末法適時の文底下種仏法が顕然した後に当て嵌める御文ではありません。
文義共に不可です。勉強不足の惨めな様に、全国の法華講のみならず創価学会の少し気の利いた方たちの間でも失笑を買う椿事です。
◆大聖人が引用されたこの御文の原理に普遍性がなく、歴史を振り返るだけのものとしたのは誰の解釈でしょう?簡単明瞭にどうぞ。
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●困ったところは”準備運動”などと言う、一段貶めた言い方でかわそうとする貴殿の不正直な心根の卑しさが良く見て取れますね。
◆実践とは関係なく、自己申告の「唯授一人血脈相承」をもって、「日顕さんを大聖人の如く敬え」というのが貴方の主張ということでよいか?答えは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
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●貴殿は国語が苦手のみならず、数学的な論理にも疎いようですね。学生時代少しまじめに勉強してきていれば、こういう知性のない話にはならないはずなんですがね。
1、貴殿がこだわる「実践」など、上記に破折してきた法門の筋目により、僧宝として尊信することを否定する何ら根拠になりえないことを、今回のメールで貴殿が理解できなければ、貴殿の脳髄は、この法論を継続できるレベルになっていないのですが?どうします?
2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角> く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。
◆ここも、重複する内容なので、他の箇所で話を進めたいと思います。
●自分から邪難を吐いておいて、逃げ出すと言うことは、ここでも貴殿は反論不能の醜態を晒したと言う事実が残りました。ご苦労様。
◆混乱目的の重複投稿にはつき合い切れませんね。悩乱した人に法を説くことの難しさを痛感する今日この頃。ま、一つだけ質問に答えなさい。
「日顕に相承ありと証明出来るのは、日顕だけ」ということですね。次も明瞭な答えがない場合は、認定事実として、強調文字またはフォントのサイズ調整しますよ。
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●次回、今回のように盲滅法に乱引する引文ではなく、法門の筋目に則った引文が出来なければ、貴殿はこの段階でまず、反論不能と「断ずるが、如何か?」もう少し勉強しなさい。次回にはもう少し先へ踏み込んだ反論しなさい。お互い貴重な時間の中で対論しているのだから。同じ学会員でももう少しまともな反論できる人はたくさんいますよ。貴殿は、自分の思い込みだけで言いがかりをつけているだけのただの酔漢と同レベルですね。
◆噛み合わない事も上記しました。ここも他の箇所を参照下さい。
●噛み合わないのではなくて、貴殿が正当な法義論争から逃避しているか、正確な御文が理解できないだけですが?偉そうに言い取り繕って、論点を誤魔化さないでくださいね。
◆はいはい。徒に混乱させずに頑張りなさい。
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◆大石寺教学は信じていません。双方が大聖人の御聖訓と認めているものを提示して下さい。反駁の内容により、重複する場合は、そこでどうぞ。
●ここも貴殿の無智蒙昧さが如実に現れた箇所で実に面白い今回のエポック。
1、貴殿が信用できない大石寺教学でないものとは、大聖人の御書だけでいいのか?他にあるのか?明示せよ。
◆いつものやつですね。レベル低い。もちろん根本は大聖人の御書だけ。
で、貴方達は、御書と大石寺教学の関係をどのように位置づけしているのか明示しなさい。
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●2、貴殿らは日寛上人御書写の御本尊を勝手に改竄複製印刷して堕獄行きの題目を唱えているようだが、日寛上人の書籍は貴殿が信用できない大石寺教学なのか、否か?
◆極端ですね。当然、無条件に信じる書籍ではない。日寛上人宗と改名するつもりもない。
つまり、主従が逆だと言っているのです。自分で混乱させるから相手の主張が分からなくなるのです。
世話の焼ける人ですね。答えは自分で探しなさい。
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●3、もし、否ならば、大石寺教学でないとする根拠を挙げよ。
◆否でないので意味なし。貴方達は仏語を「信受」する資格がないのです。詳細は別のところにあるから自分でお探し。
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●4、日亨上人はどうか?
◆レベル低いね。日寛上人と同じ位置づけ。
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●5、貴殿は今回「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と言っているが、これは御書に載っているのか?載っていないとすれば、大石寺教学を抜きにどこで誰から学んだのか?
ここも、絶対逃げずに明確に返答してください。今後の展開に実に重要な貴殿の発言ですからね。
◆はいはい。主従が逆だということ。答えはこの投稿の中にある。自分で探しなさい。
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●「「日顕さんの実践」というテーマ」だなんて、いつからすり替えたのですか?テーマは「血脈」でしょう?頭破七分で、もう忘れましたか?「勝手にテーマをすり替えて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。」正に、正論。呵々。
◆内容が錯綜しています。ここも、他の箇所で確認下さい。
●はい、ここも、自分から言いがかりをつけてきて、結局、尻尾を巻いて遁走という図。お疲れ様。
◆ また、虚しい独りよがりですか。貴方の勇気ある回答で、はっきりしたからいいのです。つまり、日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」これが貴方の主張する「教義」。
生きてる日顕が間違えないなどとは、大聖人仏法を貶めるにもほどがある。恐ろし恐ろし。
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2005年1月29日 23:54
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◆そうですか。では、それなりの対応をするしかありません。まず、貴方の行体について少々検証してみます。
・「読者に対して失礼でしょう。」=【読者への配慮を伺わせる過去の文面】
・「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりません。」=【読者を無視している今回の文面】
自己保身の為なら、コロコロ変節する幼児性。そのくせ「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。実に貴方らしい。もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。
●相変わらず、自らの異常な思い込みから物事を歪めてしか見れない貴殿の屈折した性格と非論理性がまた遺憾なく露見した箇所として興がそそられたので、本題ではないが一筆起こし、貴殿の捻じ曲がった心根を弾呵します。
この捩れた性分は、貴殿の生来のものか(とすればよほど因業な生まれであろうし)、生い立ちによるものか(だとすればよほど貧弱で屈折した教育環境であっただろうし)、それともニセ本尊による人格破壊か。それともその全てが総合しての結果か。
代表的な学会員の思考回路の壊れぶりが如実に顕れていて、謗法の果報を知る上では実に貴重な資料となりました。
1、自分が引用元を探索できない未熟さを「読者」にかこつけて当方を非難する貴殿の卑劣さ。
2、「読者に対して失礼でしょう。」との文言と「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりません。」とを列示し、それを直ちに【読者を無視している今回の文面】と断じ、他を誹謗する、論理性を欠いた我田引水の論の展開の仕方。
3、読者にとっては、対論者のやりとり自体に興味が喚起されるのであって、事更に引用元を明示を希求する方は稀でしょう。むしろ、敢えて引用元を伏せて提示された文証を速やかに索見し鮮やかに反問することを期待していることでしょう。その点では、貴殿は全くの無智なるが故の無様さを惜しげもなく晒して、読者の期待を裏切り、まさに「読者に対して失礼でしょう。」
4、「自己保身の為なら、コロコロ変節する幼児性。そのくせ「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。実に貴方らしい。もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。」
この文言には貴殿のえも言えぬ口惜しさが漏顕していて、心和む拙い表現ですね。
�「自己保身」=当方のどこがどのように自己保身なのでしょうかね。貴殿の知的程度では使い切れいない単語を持ち出すと、このように正鵠を得ることが出来ず、的外れでしかも滑っています。(今年は雪が多くてこちらでは難渋していますが、滑って転ぶのは、雪国の道の上だけにしていただきたいものです。)
�「コロコロ変節する幼児性」=貴殿の屈折した視点からそう見えているだけで、既述の如く論理性がなく闇雲にそう思い込んでいるだけであり、貴殿の一人相撲ですね。柳の枝に向かってその亡霊と一人戯れていてください。
�「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。=前段の当方の文言がどう「ペテン師」という犯罪的職業の形容と結びつくのか、貴殿の教育レベルが聞きたくなる箇所ですね。人を非難するならそれなりにもう少し知的な論理を以って詰めたら如何か?こんな妄執に汚染された脳髄を生活の主軸としているとすれば、貴殿の社会的な一般良識人からの評価を推察するに、実に・・・哀れを誘います。誠に社会人として拙い人格ですね。
�「もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。」=貴殿が今回当方を「徹底的に追撃」したのかどうか、今回の貴殿の浅薄なメールの内容をじっくり拝見させていただきますか。ざっと一読した限りでは、全く「徹底的な追撃」にはなっていないのですがね。この言はまさに、「自己保身」ためにしてみせた、貴殿の空威張り、虚勢、強がり、で、さもなくても寒い冬なのに、お寒い風が脇を吹き抜けるような空虚さです。
では本論に入り、良識ある読者の判断を聞いてみましょう。
尚、今回の貴殿の返信にはあまりにも時間を費やしすぎています。元々、今回の文書対論は貴殿からの申し入れであるのだから、
「▼「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜>> 日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?速やかに
「はい」か「いいえ」で答えましょう。」
とのたまう貴殿であるのだから「止暇断眠の戦い」をして、もっと速やかに返書をよこすべし。
とはいえ、微力な教学力の貴殿には高度で難解な要求は不憫であるから、貴殿に考える時間を供与するために、今回からは細分化して返信するので、日々当方からの宿題に対する反論を怠らず勤しみ給え。
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2005年1月30日 1:51
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◆ おいおい。
「●「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりません。」」
と言い出した舌の根も乾かないうちに、もう前言撤回ですか。
「●「読者にとっては、対論者のやりとり自体に興味が喚起されるのであって、事更に引用元を明示を(ママ)希求する方は稀でしょう。」」
興味が喚起したら学ぼうとするのが自然であり、自己中心的にそれを無視する事を正当化するする言い逃れは見苦しいからやめなさい。
読者をバカにするにもほどがある。慎みなさい。
やりとりが前後したり重複して混乱することは容易に想像がつく。
それ自体が読者を無視した行為でしょう。
初めの勢いはどうした?そんな弱腰でどうする?
混乱目的で、読者を無視して、新たな約定を突きつけるより、一回の投稿で、本題を的確に要約して送信しなさい。
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2005年1月30日 23:18
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●貴殿がこれほど簡明で初歩的な道理が理解できない脳髄の所有者であることが、当方にも「ギャラリーにも十分すぎる」ほど分かりました。「誠に有り難うございました。」今後貴殿の知能レベルに向かって法を説く難しさを当方は修行させていただきます。
さて、いつ「準備運動・本運動」などいう縦分けを設定しましたかね?
▼瑣末な事にこだわる幼児性が伺える食い付きですね。大人の皮を被った「おぼっちゃん」の本地を顕したというところか。あまりに予想通りすぎて、、、笑い死にさせる作戦ですか?
●本題に入りたいのだがここでも実に興味深い貴殿の思考の破綻が観察されるので、貴殿の成長の為に二、三指摘しておこう。
1、正当な法義に対し、論に於いて一言だにも回答できないその醜態を覆い隠さんとして「準備運動」などと論の本質を貶める言辞で遁走を決め込む貴殿の卑劣で醜怪な根性。
2、その貴殿の卑劣な根性を一言で突いたのが痛かったのであろう。
腐臭を放つ貴殿の根性が発する今回の恥の上塗りの言辞。
�「瑣末な事」=「準備運動」と同様、論の本質から回避したい本音が更に露見した表現。
�「幼児性」=肺腑を突かれたが、さりとて正統法門では反論できず、しかも何としても相手を貶めたい修羅根性から、脈絡も裏づけもなく発した言辞。しかも当方からの指摘で痛打だった言葉をそのまま使用したか。
当方は貴殿の論駁があまりに頑迷で稚拙なので貴殿に対してその「幼児性」を指弾しているのであって、貴殿ほど教学未熟の者が当方に対して発するには少し不適切に過ぎる言辞であろう。
�「大人の皮を被った「おぼっちゃん」」=ここも�と同轍であるが、さらにそこに貴殿の怨念が看取され、貴殿の「仏道修行の果報」とやらの浅ましさが露呈している箇所。
�「あまりに予想通りすぎて、、、笑い死にさせる作戦ですか?」=ここは文言とは正反対の貴殿の心理が漏洩していて微笑ましい箇所。
あまりの悔しさと苛立たしさを押し隠して、強がってさも動揺していない体を装って「あまりに予想通りすぎて」との表現となり、憎悪、怨念を痩せ我慢して裏返しの「笑い死」という表現となっている。
その証拠として、こんな箇所でもし「笑い死」ぬるほど貴殿が笑っていたとしたら、それは貴殿が精神薄弱なのか、もはや狂人の類であろう。笑えもしない箇所で「笑い死」などという表現を用いたのは、まさに貴殿の悔しさの屈折した表現に他ならない。
人の「幼児性」を云々する前に、もっと頑張って「止暇断眠の戦いをして」ニセ本尊にガンガン血脈の断絶した題目をあげて、「民衆の中に飛び込んで」ニセ本尊を配って歩いて、「人間革命」したらいかがか?貴殿の人間性では創価学会の「法を下げる」だけで、「広宣流布」の足を引っ張っているのでは?
では、この段の本来の論を再究します。
貴殿は日本語の「雅な表現」には極度に理解度が低いので、分かりやすい設問にします。
1、大聖人が「法体の折伏」をした。○か×か。法体の折伏とは何か。
2、仏宝と僧宝の違いは何か?そもそも仏法の定義と、僧宝の定義を述べよ。
3、三宝一体の意義を簡潔に説明せよ。
4、外用と内証の定義を述べよ。
5、「化儀の折伏」とはどういうことか。
貴殿はこういう初歩からはじめないと無理なようですね。
今回は細かく詳細に破折するから、貴殿にも十分時間があります。しっかりこの宿題を解きましょう。
尚、前回の、今回の返信のPROLOGUEをみて過剰反応した返信が来ているようだが、安心し給え。当方から今回の全ての返信がなされるまでは、貴殿から返さなくても結構です。勿論分かる問題から返してもらっても結構ですし。が、当方は「混乱を避けるため」今回の返信を仕切るまでは、それ以後の貴殿からのメールには返書は送信しませんので。
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● 2005年1月31日
22:55
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▼日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」との貴方達の法門解釈の事ですね。易きに阿る臆病な貴方の心が垣間見える。大聖人仏法を、今、生きてる人間「日顕」を祭り上げる下等宗教に貶めていると自覚すべきです。何より、貴方自身が貴方自身を小さな存在に貶めている事に気付くべきでしょう。
●ここはまたしても貴殿の頭破作七分の悩乱ぶり、もしくは貴殿の日本語による表現能力の欠如が露見した箇所ですね。一体何が言いたいのかさえ不明瞭です。
�◆「日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」」=この愚問は、貴殿の病的な偏執狂的拘りからくるところの反復痙攣であり、当方からの正統な法門上の破折に依って、もはや空滑りしているうわ言です。以下の当該箇所で更に詳細に摧破しましょう。
�「易きに阿る臆病な貴方の心が垣間見える。」=全く意味不明。いよいよ貴殿の偏向し狭窄した思考回路の歪みが露呈。
1、「易き」とは何か?
2、「阿る」とは具体的に当方のどのような言動を指すのか?
3、「臆病」とは何に対してのどのような姿勢を指すのか?
文証と客観的事実を根拠に明示せよ。
�「大聖人仏法を、今、生きてる人間「日顕」を祭り上げる下等宗教に貶めている」=ここは貴殿の一方的で幼稚で独善的な思い込みであって、その主張に客観的ななんらの根拠もなく、こんな戯言を並べ立てるしか能のない貴殿の知能程度が知れる箇所です。
頑強に執情に凝り固まった貴殿の脳髄には何度でも言い聞かせてあげなくては沁みていかないようですから念告します。
■「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」法華真言勝劣事 文永元年七月二九日 四三歳
貴殿の言の大半はまさにこの御文のごとくの確たる道理に則った文証の裏づけが全くない貴殿の自分勝手な”怪釈”による、戯言です。貴殿の言など全く用いるに及びません。
�「貴方自身が貴方自身を小さな存在に貶めている事」=いよいよもって意味不明の”怪文章”ですね。では具体的に例証していただきましょうか?当方自身がどのような根拠をもって当方自身を小さな存在に貶めていているのか。
法門上ではまともな道理に則った反論が出来ないものだから、何でもいいから難解ぶったことを書き殴ってとにかく当方をやり込めたいとの貴殿の幼児性心理がそのまま露見しています。
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● 哀れ哀れ。「準備運動」などと、問題の本質を貶める言い方をして、論に詰まっている惨めさをCamouflageしたいのでしょうが、かえってその虚勢を張って強がっている様は、名聞名利の風に侵されている姿であり、正しい仏法を実践していないが故の現証そのままです。もっと、潔く、爽やかにいきましょう。
▼虚勢だと思わないと安心出来ないようです。
さて、何を指して「名聞名利」としているのか具体的に提示して下さい。
●やはりよほど貴殿は教育水準が低かったと見えて、このような簡明な論理の筋書きも理解できませんか・・・全くこの先が思いやられますね。よくそのような低水準で当方に文書対論を挑んでこれましたね。貴殿の蛮勇にはある意味敬意を表しますよ。
�当方はこのような貴殿程度のレベルを相手に、特に貴殿が虚勢を張っていると思い込む事で安心する必要は全くないんですが。少し自分を買いかぶっていませんか?そんなにNARCISTになれるほど貴殿は知的レベルも話法も特に秀でてはいないと存じますが?
�。今回の対論は当初より当方からの本格的な論及が始まっており、ここにきて貴殿は「準備運動」などと当方からの破折の本質を貶める言い方をして、論に詰まっている惨めさをカモフラージュしている。
=それはまさに虚勢を張って強がっている様である。
=虚勢を張るとはまさに名聞名利の風に侵されている姿であり、正しい仏法を実践していないが故の現証そのままです。
このように解説してあげないと貴殿には「名聞名利」の意味すら分からないようですね。
■「只須く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこをたをし、忿りの杖をすてゝ偏に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。」持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳
因みに
一乗=戒壇の大御本尊。貴殿らは御戒壇様に帰していないが故に、成仏は出来ません。
■「何に賎しき者なりとも、少し我より勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問ひ尋ね給ふべ
し。然るに悪世の衆生は、我慢偏執・名聞名利に著して、彼が弟子と成るべきか、彼に物を習はゞ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。法師品には「人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して、後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり。無智の者は此の経を説く者に使はれて功徳をうべし。」松野殿御返事 建治二年一二月九日 五五歳
「法華経を説かん僧」とは誰のことか?(ただし法華経=戒壇の大御本尊という教学の基本は外さないで答えてくださいね)
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● しかも、今回十分すぎるほど時間をとって(時間がかかって)返信が来て、更には「大いに語りましょう。」などと強がりを言っている割には、内容が乏しくて、貴殿の教学力の浅さがますます露見しましたね。では、一つ一つ検証していきましょう。
▼貴方に対する反駁に時間が掛かっていると勘違いしてるのですね。これを世間では独りよがりと言います。創価学会の部長は忙しいのです(苦笑)
●ニセ本尊を配って歩いている大謗法団体での自分の役職の忙しさをさも自慢げに持ち出して、更にそれを反論が遅延している理由にするとは!
あれ?「止暇断眠の戦い」をしているのではなかったのですか?人に偉そうなことを要求しておいて、まさか自分がその「実践」をしていないとはおかしいですよね。
貴殿に貴殿の言葉で尋問します。
「貴殿に御在世の如き実践はありや、なきや」はいかいいえでお答えください。
しかも繰り返すが今回の文書対論は貴殿からの申し出を当方が快諾したのですよ。自分から申し込んだ案件は礼儀として最優先で処理し給え。「創価学会の部長」様はその程度の良識すら持ち合わせていないのですか?そういう自分勝手な価値観を「これを世間では独りよがりと言います。」呵々
以上の常識的な筋目から言って、貴殿が返信に時間が掛かるとすれば、反論に呻吟しているということに他ならない。が、しかし、貴殿から言い出したことだ。せいぜい頑張って速やかに返信し給え。
ただ、今回からはこうして丁寧に切り刻んで徹底的に粉砕していく過程をそのまま貴殿に送付してあげているので、貴殿にも考える時間が十分に与えられることになる。当方の反論が終了次第、速やかに返信することができるでしょう。
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▼ 2005年2月1日
0:24
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●では、この段の本来の論を再究します。
貴殿は日本語の「雅な表現」には極度に理解度が低いので、分かりやすい設問にします。
1、大聖人が「法体の折伏」をした。○か×か。法体の折伏とは何か。
2、仏宝と僧宝の違いは何か?そもそも仏法の定義と、僧宝の定義を述べよ。
3、三宝一体の意義を簡潔に説明せよ。
4、外用と内証の定義を述べよ。
5、「化儀の折伏」とはどういうことか。
貴殿はこういう初歩からはじめないと無理なようですね。
今回は細かく詳細に破折するから、貴殿にも十分時間があります。しっかりこの宿題を解きましょう。
尚、前回の、今回の返信のPROLOGUEをみて過剰反応した返信が来ているようだが、安心し給え。当方から今回の全ての返信がなされるまでは、貴殿から返さなくても結構です。勿論分かる問題から返してもらっても結構ですし。が、当方は「混乱を避けるため」今回の返信を仕切るまでは、それ以後の貴殿からのメールには返書は送信しませんので。
▼時間が欲しいなら、強がりや回りくどい言い方などせず、簡単にそう言えばいいものを。
「今回は細かく詳細に破折する」のはいいけど、瑣末な事にこだわって本質を見落とさないよう励みなさい。読者の為にも、貴方の返信がすべて揃ってから返信することにしましょう。
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● 2005年2月1日 23:21
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▼しかし、大石寺教学で検証するとは強気ですね。こちらの主張を要約するくらいの余裕を身に付けてから、こういう言葉を吐きましょう。
●これから貴殿の言う「大石寺教学」とやらいうものが如何に貴殿の妄想の産物であるかを徹底的に検証して行きます。楽しみに、そして戦々恐々としてお待ちください。
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▼こちらの主張を自分の都合の良いところで区切り、その故に自分の反駁が重複してしまい、挙げ句の果てに「ここも○○だ」と勝手に舞い上がる癖がありますね。もう少し大人になりなさい。
●区切られる箇所がそんなに気になりますか?
当方は貴殿にどのような箇所で区切られて反論されても全く平気ですが?
そんなに貴殿の主張には突かれては不味いWeak−Pointが散在するのですか?
とにかく今回からは貴殿の主張の細部に亘って破折し、ROLLER車の如く、なめし尽くすので、今回のような貴殿からの切羽詰った言い訳が楽しみで仕様がありません。
今日は1日。正統な化儀に於いての先祖供養の日で、貴殿ら謗法者にとっては全くその恩恵に浴することは出来得ない事ですが、大聖人の仏法の正統な後継者、法華講にとっては真に意義深い日であるから、貴殿には恩赦として貴殿が発する邪義に対する追求は今日は本題に入らず許してあげましょう。
昨日までの破折論文を熟読して、気の利いた反駁を精一杯考えていることですね。
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● 2005年2月3日 1:09
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●末法の御本仏の一期御弘通の出世の本懐は、本門戒壇の大御本尊の御顕示であり、仏宝の日蓮大聖人様のみがなされるお役目です。そのためにる御「戦い」であったわけです。日興上人以下御歴代上人は、この本門戒壇の大御本尊の御法体を御内証に伝持され広宣流布を期されるお立場であり、そこに、仏宝と僧宝とでは、自ずから「実践」の仕方が違うのは理の当然です。「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」仏宝は僧宝のお立場からすれば、当然「師」にあたるのであり、「針」としての「実践」と「糸」としての「実践」を同じでなければならないと考える貴殿の思考は、針と糸を混同する、大いなる僻見です。
◆私の主張している実践とは折伏・弘教です。
●その「折伏・弘教」に、様々な、筋目による役割があることを知らないのでしょうか?まことに、「拙いかな成公(貴殿のことですよ)、汝は是れ誰が弟子ぞや、苟しくも門葉に隠れて将に其の根を伐らんとするや、且つ其の流れを汲んで正に其の源を壅がんとするや、是れ愚癡の山高く聳えて東天の月を見ざるに由るが故なり、方に今一指を下して成公が癡山をつんざくべし」
貴殿にはこの御文の破折の矛先が貴殿の蒙昧さに向けられているということが理解できるかな?もし、理解できたのなら、鋭く反駁してみたまえ。楽しみに待っているよ。
●やはり、貴殿には難しくて理解不能で反駁は不可能だったようですね。残念、残念。
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■1「折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。」
■2「本尊書写豈化他に非ずや。」
1の御文は、大聖人の「折伏」を表わし、2の御文は御歴代御法主上人の「折伏」を表わす、ということぐらい、この御文を拝して理解できますよね?
▼観心本尊抄文段ですか。また麓をうろついてますね。
●この段でも貴殿は全く支離滅裂ですね。いよいよニセ本尊の害毒が脳に回ってきているとしか思えない状況です。まず、「観心本尊抄文段」を「麓」と下せる、貴殿の資格及び立場は?貴殿は一体何様ですか?
■「未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ我慢の心充満せん」災難対治抄 正元二年二月 三九歳
貴殿は日寛上人の御著作を下せるほどの悟りをお持ちなのか?大慢心の大馬鹿者ですね。
貴殿は十四誹謗のうちの?慢・計我・浅識・不解・不信・疑惑・誹謗・軽善・憎善・嫉善・恨善などに見事に当て嵌まり、
■「謗法あらば必ず地獄にをつべし。」曾谷殿御返事〔成仏用心抄〕 でこのままでは間違いなく地獄行きですよ。
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●1「折伏に二義あり。」
▼ありません。
●2、「本尊書写豈化他に非ずや。」
▼違います。
●このようにはっきり日寛上人の御指南を否定するとはもはや貴殿は狂人の類です。でなければ貴殿は外道の輩であって仏法を語る資格はありません。
ここは、法華講員により、むしろ学会員に見せたい箇所です。
少しまともな創価学会員ならば、この箇所を読んだら、貴殿をもはや同士としては認めたくないでしょう。
そして、自ら御指南を否定している、その御法主上人が書写した御本尊の複製掛け軸を、根本尊仰・帰命依止の対象として合掌礼拝できるなんて、やはり狂人です。まさに頭破七分の現証です。
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▼「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」 〜御義口伝〜
●この御文を根拠に日寛上人の御指南を否定したいのでしょうが、ここでも貴殿のあまりの教学未熟さが露見しました。全く、人事ながら情けなくて溜息が出ますよ。
貴殿は法義上の解釈はもとより、それ以前にやはり日本語の読解力が著しく欠如しているのですね。
■「第二 若不違我 当為宣説の事
御義口伝に云はく、妙法蓮華経を宣説する事、汝は我に違はずして宣説すべしと云ふ事なり。若の字は汝なり。天台の云はく「法を受けて奉行す」と。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、日蓮に違はず宣説すべきなり。阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり@云云@。」
この御文の意は、三大秘法の妙法蓮華経を宣べ説く時には、大聖人の文底深秘の御法門の御義に違わず広めなくてはならない、との文意であり、「大聖人と同じ行動をせよ。」ということではありません。
こんなところで滑って蹴躓いているようでは、前にも言ったように、貴殿はまずもう少し国語の勉強をし直してから御書を読んだほうがいいですよ。
では貴殿には理解不能かもしれませんが、読者のためにも文段の当該箇所を詳述し、貴殿の破仏法ぶりを鮮明に浮き彫りにしましょう。
この日寛上人の御文は観心本尊抄の
■「此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。」に対しての解釈の段です。
文段の当該箇所の全文です。
■「問う、応に「四菩薩、折伏を現ずる時は、聖僧と成って」というべし。即ち蓮祖の如し。何ぞ賢王というや。
答う、折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。二には化儀の折伏。謂く、涅槃経に云く「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」等云云。仙予国王等これなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍摂受と名づくるなり。或はまた兼ねて順縁広布の時を判ずるか云云。」
【略解】
問い 「四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、」の御文は大聖人のことであり、僧形であられたのに、なんで「賢王」というお言葉を使われるのか?
答え それは折伏に二重の意義があるからである。その一つは法体の折伏であり、戒壇の大御本尊を顕発される事である。それはまさに本因妙の御本仏日蓮大聖人の御修行である。二つには、化儀の折伏であり、大乗経典を誹謗した五百人の婆羅門を殺した釈尊の過去世の姿である仙予国王の如くに、大聖人が顕発された大御本尊を広めることである。この「化儀の折伏」という時相に対すれば、大聖人の「法体の折伏」をもってしてもなお”摂受”と仰せである。あるいはその意義は広宣流布の時の姿のことを仰せであろうか」となり、文・義・意においてまさに尊い御指南と拝する。
中田君などの謗法者など足元にも及ばない完璧な御指南ではありませんか。それを、ここまではっきり否定するとは!八大地獄はまさに貴殿の為にばっくりと口を開けて待っていることでしょう。
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●2、「本尊書写豈化他に非ずや。」
▼違います。
●ここなども上述の如く、貴殿が日本語を読めないで全国に恥を晒しただけの独りよがりの根拠は全く崩れ去り、ただ日寛上人の御指南を思いっきり否定するという大謗法の言だけが鮮明に残り、億劫かかっても拭い難い謗法の罪障が貴殿の命に確実に刻まれたのです。なんて恐ろしいことでしょう。
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▼活動している学会員は各々の地域でリーダーとして、ミクロの目線とマクロの目線を持ちながら、一歩前進の指揮をとる事の労苦を熟知している。日顕が教学部長時代、作成した「戒壇論」にあるように、日寛上人が登座した当時、他門流の考えが宗門に入ってきていた。その中で指揮をとらなければならない状況を、実践のある学会員だからこそ許容出来るのです。つまり、主従が逆なのです。
許容してあげてたのに、牙を剥いたから日顕を責めているのです。
●ここなどはまさに上記の謗法の果報として惑乱の故か、全く支離滅裂で論を成しておりません。
再度文章を構築しなおして出直して来なさい。
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2005年2月3日 23:06
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▼麓をうろつくのが好きなようなので、極一部の実証と共に少々つき合いましょう。
■1996年(H6.10.1)ブラジル・リオデジャネイロ州のドゥッケ・デ・カシアス市議会から、池田先生を「平和の英雄」と称える顕彰の証書が贈られた。その推挙の辞に、-「SGI会長は、平和を成し遂げることが可能であるということを教えてくれた《希望の光》です。創価学会よ、前進せよ。大きくなれ。この庶民の町カシアスの大地を光と希望で埋め尽くしていただきたい」
■AP通信(1975年1月18日)
池田先生がアメリカのキッシンジャー国務長官、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理らと、相次いで会見したことなどに触れ、グアムでSGI発足の会議が行われることに言及している。記事は著しい経済成長を遂げた日本のイメージを反映して次のような書き出しで始まる。
「かつてのトランジスタの国のセールスマンの国、日本が、世界で最も数少なく、最も貴重な商品の一つ《平和》を売るスーパーセールスマンを生み出した。その人は日本に公称1000万の会員を、また海外に41万4000人の会員を持つ仏教徒団体である創価学会会長、池田大作氏である」更に「池田氏は、核廃絶及び戦争反対の民衆の民衆運動を主唱しているが、より長期的には各国間の教育・文化交流に平和への望みを託している。同時に池田氏は、外交政策の手段としての戦争を、憲法により禁止している唯一の国である日本が平和運動に、深く関与するよう主張している」「2万人もの会員による会合を、幾度となく主催する一方、創価学会の運営や宗教・文化活動にもたずさわる池田氏は、見たところ、疲れを知らないようだ」
AP通信の記事は、小説「人間革命」の英語版の冒頭にトインビー博士が寄せて下さった前書きを引用して結ばれている。「絶望と幻滅の社会の中で、小さな組織であった創価学会は高い理念を掲げ、理念達成に強い確信を持っていた。これを裏づけるように、戦後30年で、創価学会は現在の組織へと大きく発展したのである。」
これが四菩薩の振る舞いによる実証の極一部です。
●ま、貴殿の引く”文証・現証”など所詮この程度のものでしょうね。しかもこの文献も「麓をうろつく」程度の価値内容であると自ら宣言して書き出すとは。ほとほと貴殿の悩乱ぶりには呆れさせられます。
真の「広宣流布」とは成仏する法を広めているかどうかです。その見極めも出来ない海外の方々の”賛辞(お世辞)”を幾つ拾い上げてみても全く無意味ですね。現在、世界中にニセ本尊をばら撒いて、一体誰が「成仏」しているというのですかね。
以前にも指摘したが、学会のニセ本尊が世界中に広まりだしているが故に、現在世界規模での三災七難が興起しているのではないか。創価学会が正しいのなら
■「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ」如説修行抄 文永一〇年五月 五二歳 との姿に近づいてくるはずではないか。
再掲
■『日達上人全集』
「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(二―六―二九五�)
貴殿らが三大秘法の下種仏法から転げ落ちた大謗法集団であることは明々赫々です。(尚、この御指南に対しての後出の貴殿からの愚昧な反論には当該箇所で徹底的に摧破します)
更に
■「愚人にほめられたるは第一のはぢなり。」
大乗仏教に無縁もしくは縁の希薄な地域は無智悪国です。そこの衆生は三大秘法の仏法に曚い、仏法上でいうところの”愚人”です。そういう仏法の正邪を弁えない人々に幾らお世辞を言われてもそれは恥でこそあっても、決して大聖人門下としての誉れではありません。
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▼■「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」〜観心本尊抄〜
「四菩薩が出現する」ということをどう考えるか、貴方達は、すぐに生まれ変わりの如き発想にしかならない。重要なのは、大聖人の仰せの通り実践して、一切衆生を利益することであり、一切衆生が地涌の菩薩となっていくことである。
●学会の愚かな一部の方々が引く御書ですね。
天と地が逆になることはあっても、日が西から昇る事があろうとも、池田さんなどが賢王でない事はあらゆる角度から論証できるが、まず、根本の問題。ニセ本尊を幾らばら撒いても三大秘法を広める「折伏」にはなりません。が故に創価学会員は上から下まで全員に「賢王」の資格は全くありません。であるから、この御文を池田さんにこじつける事は文義共に不可です。
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▼■「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(御講聞書)
●はい、ここも、創価学会に我田引水して無理やり嵌めこもうとしても全く文義共に不可です。
この御文中の「広宣流布」とは三大秘法が整足された御本尊を弘宣することであり、繰り返すが貴殿ら創価学会が勝手に大量印刷している魔物を広める事ではありません。ですから以下の御文とは貴殿らは全く無関係です。ご苦労様。
更に付け加えると、この御文の中の「広宣流布」とはまさに広布達成の事相を指す意義であり、今現在の、貴殿ら創価学会を筆頭として、これほど謗法者の多い事相へそのまま当て嵌めようとしても駄目ですね。
同様の邪義は○階文書にありましたが、ぜんぜん駄目です。貴殿も彼の論文などを参考にしていると恥をかきますよ。
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▼■ 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。(略)末法にして妙法蓮華経の五字弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし」(諸法実相抄)
●またしても貴殿の行解の未熟さが露呈しましたね。本当に恥ずかしくないんですかね。このように盲滅法に御書を乱引して。まるで、英語を知らない小学生が大人ぶって滅茶苦茶な語法で英語を喚いているのと同様ですね。小学生なら可愛げがあるが、貴殿のようにいい大人では、みっともないだけですね。醜悪ですね。
「日蓮と同意ならば」=大聖人の仏法の一切、就中、大聖人の一期の御化導中の御本懐中の御本懐である本門戒壇の大御本尊は日興上人以下御歴代上人に伝持されている。
■「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」経王殿御返事 文永一〇年八月一五日 五二歳
大聖人の「意」とはまさに戒壇の大御本尊であり、その御法体を承継遊ばされている御歴代上人を離れて「日蓮と同意」はありえない。が故に貴殿らは間違いなく「地涌の菩薩」ではない。であるから以下の御文は貴殿らには当て嵌まらず全く関係のない御義である。
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▼では、貴方に機会を与えますので、「正本堂を壊した」「大客殿を壊した」等々、日顕の実績を挙げて下さい。実績を比較すると、「創価学会」と「宗門」の違いが、ぐっと鮮明になりますよ。
遠慮せず、誤魔化さず、「俺たちの師はこれだけの事をやった」と実証を語ってみなさい。
●ニセ本尊を魔物とも気がつかないで有り難がって拝んでいる、日本語もろくに読めず使いこなせない頭破七分の謗法者の分際で、少し礼儀に欠けてはいませんかね。あっ、そうか、頭破七分だから礼儀が分からないのか。じゃ無理もないですね。
今現在、御本尊は誰が書写できるのか?学会の中で書写できる者がいたら挙げて御覧なさい。
「では貴殿に機会を与えますので、貴殿ら単なる在家新興宗教団体創価学会の御本尊書写に関する資格を挙げて下さい。御本尊書写が出来るか出来ないかを比較すると、「創価学会」と「宗門」の違いが、ぐっと鮮明になりますよ。遠慮せず、誤魔化さず、「俺たちの師=池田さんは御本尊書写が出来るのか出来ないのか」を語ってみなさい。」
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2005年2月4日 15:24
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● 貴殿は、三毒強盛の身でありながら、自らを省みず、妄執に取り付かれた浅智恵によって、「折伏・弘教」ということを、浅薄に捉えているが故に、法門の筋目に全く曚く、迷妄を起こして、邪難を吐いているだけです。
▼日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」との貴方達の法門解釈は、実践なき山寺の消極的解釈なのです。御金言により「折伏・弘教」の節目とやらを提示しなさい。世界に通じる論理で明瞭に。
●馬鹿の一つ覚えで頑迷に吠えている、日本語が読めない愚か者には理解できないらしいが、繰り返し示します。
1、大聖人は仏宝であり、日興上人以下御歴代上人は僧宝。ここに当然ながら仏宝・僧宝の「筋目」が存し、行法にも自ずから差異が生ずるのは自明の理。
再掲
「■1「折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。」
■2「本尊書写豈化他に非ずや。」
1の御文は、大聖人の「折伏」を表わし、
2の御文は御歴代御法主上人の「折伏」を表わす」
●この日寛上人の御指南を、貴殿が真っ向から否認した事については既に摧破済み。
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●2、僧・俗には能所の「筋目」が存し、広宣流布に対して僧分と在家分との役割があり、ここにも行法に差異が存するのは自明の理。
■「涅槃経に云はく「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」曽谷入道殿許御書
1、御本尊書写は誰が出来るのか?
2、御授戒は誰がするのか?
この二点こそ、在俗の者には絶対にできない大聖人の仏法の基本ではないか。
この二点のない”宗教”がどう広まってみても、それはただの邪教・謗法であり、大聖人の仏法ではない。
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◆貴方の投稿に合わせて考察してみます。針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。
●貴殿の反論の文意は、例のごとく、日本語の表現方式に疎いが故に、まことに”雅で”且つまた”雅”であるが故にまことに不明瞭で、法論の前提である論理の構築が不鮮明です。
1、貴殿は立場役割そのものが同一なものと考えているのか、
2、立場や、役割は別のものとするのか、
ここの辺を再度明確にしてください。
▼不鮮明なのは貴方の思考です。
1、立場=大聖人が仏法。日興上人が僧宝。
●はい、貴殿の浅識がまた爆裂しました。
■「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」四恩抄〔伊豆御勘気抄〕
僧宝を日興上人のみに限定すると、日興上人御遷化を以って仏宝・法宝が消滅したことになり、ましてや今時、現時点には仏宝・法宝が伝持されていないことになるが、この矛盾はどうするのか。
因みに次下の御文
■「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」
貴殿らはまさにこの経文の如くの振る舞いであり、堕獄必定であることを申し添えておく。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼役割=民衆救済、つまり折伏弘教
●ここも、全く以って具体性を欠いた御返答。こんな答えでは落第です。
どうすることが「民衆救済」になるのか?「折伏弘教」とは何を広めることか?
少なくとも貴殿らが配っているニセ本尊では「民衆」は「救済」されない事は確か。
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▼2、立場は違う。(但し三宝体一との意からすると同じ)。役割は同じ。
●ここでも貴殿が全く法門を領解していない馬鹿さ加減が丸出しです。
1、「立場が違う」というのなら、それぞれどのような立場で具体的にどのような行動をとられるのか、明示されたし。
2、「三宝体一」という貴殿の解釈は具体的にはどのような事を以って言うのか?
3、「立場が違」って、「役割が同じ」とは、具体的にどのような振る舞いをいうのか?
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▼さて、今度は、貴方自身の質問に、貴方自身が答える番ですよ。
1、立場役割そのものが同一なものと考えているのか、
2、立場や、役割は別のものとするのか。
も一つおまけに
3、御在世当時、すでに三宝は揃っていたか、揃っていないか。
●この回答は単純明快。実に明確であるが、上記で貴殿に課題の再提出を課したので、こちらが回答してしまえば貴殿へのヒントになってしまうが故に、貴殿の再提出を採点してから正解を教えてあげましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
●▼「針と糸。違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。個々の役割は違っても、目的から針と糸をみると一つでしょう。」との表現からは1の文意を読み取れるし、「針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。」との表現からは2の文意となるし、貴殿の主張の基本線が明確ではありません。どちらですか?1か2でお答えください。
更に、上記の反問に答え如何に拘わらず、全体の云わんとしている内容は、またしても、拙いかな成公、■「何んぞ明文を曲げて強いて己情に会すや。」というべき体たらくです。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼?
貴方は、私の基本線が理解できず、理解できないまま「上記の反問に(ママ)答え如何に拘わらず」と言い、「全体の云わんとしている内容が分かる」として「体たらく」との結論に導いています。
また、この部分は引用元を明かさずに《明らかな文証》と言い、引用元を明かす義務はないと開き直り、大石寺教学を信用しないとしている私を引用元未提示のまま「拙い」と結論している。
まともな思考をお持ちとは考えられませんが、イっちゃいましたか?
ま、御書のどこにあるかを明記したらイジッてあげます。
―――――――――――――――――――――――――――――
●こんな有名な御指南も発見できませんでしたか・・・貴殿のその不勉強ぶりではニセ本尊を魔物と見抜けないわけですね。
■「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。」もっとしかっりやんなさいよ。そんなことだから貴殿らのやっていることは仏法じゃないんですね。
がしかし、魔物からの害毒は確実に貴殿の脳神経を冒しているようです。よくよく早めに考え直したまえよ。
この御指南は寛師の「臨終用心抄」ですよ。
あと、大石寺教学を信用しない云々という矛盾は当該箇所で微塵切りにします。
さて、貴殿の浅はかな”学解”で存分に”イジッて”いただきましょう。(こういう表現にも貴殿がまじめな仏道修行者でない事が如実に顕れていますね。)
―――――――――――――――――――――――――――――
●■「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」これほど明らかな御文の理を無理やり捻じ曲げて自分の拙い我見で解釈する無様さを露呈しています。
■「小(すこ)し自義に違(たが)ふ文有れば理を曲げて会通(えつう)を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ。」
貴殿は理解能力の不足を通り越して、もはや狂人か?
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▼> ◆「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」について
これほど明らかな御文と言いながら、他の箇所と違い、ここでは引用元を明示していない。(前回の投稿で明示する義務などないと開き直った)
御書でないなら、意図的に明示しなかったと非難されるでしょう。さて、身の潔白を証明する機会を与えてあげます。御書のどこにあるか明示しなさい。
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●上記の通り。
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●1、針と糸の違う役割を全うするからこそ、目的を成就できるのではないか。
2、”違う物が《縫う》という同じ目的を持てば一つとなる。”というのは、「車(例えば、ハンドルとエンジン)。違う物が《前進する》という同じ目的を持てば、ハンドルとエンジンなどの個々のパーツは一つとなる。」といっているのと同じ、狂気の言であります。こういうことを平気で言える者を「愚癡・馬鹿者の頭破作七分」と称するのです。
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▼《同じ目的を持てば一つとなる》とは、貴方がこの引用に「法」を観ようとしている前提での表現でしたが、思いの外、唯物的に見ていたようです。これからも貴方に法を説く事の難しさを学ばせて頂きますよ。(苦笑)
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●おやおや。反駁不能ですね。自分の珍釈の非論理性を突かれて、この程度の反論ですか?
これでは、負け犬の遠吠え。曳かれ者の小唄。程度の呟きですね。
■「月水と申す物は外より来たれる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理にや。又長病の様なる物なり。例せば屎尿なんどは人の身より出づれども能く浄くなしぬれば別にいみもなし。」月水御書 文永元年四月一七日 四三歳
道理を具体的な事物で説明された大聖人のこの御文なども、貴殿の言い草では「唯物的に見ていたようです。」と批判することになりますね。
正しい血脈のない魔仏を拝んで人にも広めているから、そのような自己中心的な外道義に陥って大恥をかくという見本ですね。
本当に心底貴殿の、職場をはじめとする様々な人間関係を心配しますよ。
今でも相当壊れていますが、この辺で気がつかないと貴殿の人格はニセ本尊によって完全に壊されてしまいしますよ。
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●2、”針と糸は、大聖人、日興上人として、すでに揃っています。”ここの意味を教学的に明確にしてください。仏法は日蓮大聖人=針、僧宝は日興上人=糸、という解釈でいいのですか?はいかいいえでどうぞ。
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▼噛み合ってませんね。「仏法は日蓮大聖人=針、僧宝は日興上人=糸」という前提で考察したのですよ。「師は是針の如し弟子檀那は糸の如し。」を《これほど明らかな御文》と言っているのですから、まず御書のどこにあるのか明示すべきでしょう。それから、切り刻んであげます。
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●そうですね。確かに繰り返しになってますね。ここも上記で破折済み。
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●3、また、その義を立証しうる文証を挙げてください。違うのなら、針と糸に即して、日蓮大聖人と日興上人の関係を説明してください。また、僧宝は日興上人に限るということですか?
4、はいかいいえでお答えください。
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▼これも貴方のピントはずれの邪難です。また、僧宝については他の箇所に答えがあるでしょ。また混乱させるつもりですね。単純に忘れただけかな?そこまで面倒見切れません。自分で探すべし。
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●そうですね。ここも、確かに繰り返しに過ぎません。上記で破折済みです。
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●5、その後は、「法主は糸である」と主張するより、「縫う」という精神を継承して、行動を起こすべきです。”と主張しえる文証により裏づけを明証してください。
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◆我こそ僧宝なりと主張するより、御在世の広宣流布への精神を継承して、折伏弘教の行動を起こすべきだということ。この意が分かれば、文証は生死一大事血脈抄はじめ、御書のあらゆるところにあります。それぐらいの基礎教学力はお持ちですよね?この程度は理解していると思うので割愛しますが、講義が必要ならその旨明示して下さい。
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●ほんと〜〜〜〜に、愚かですね。暗愚ですね。頑迷ですね。
仏宝・僧宝の縦分けは既に破折した通り。明確な文証を以っての反論をせよ。
貴殿の自分勝手な妄執による思い込みでの言などはまるで認めません。
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▼さて、上記の御文を再度明記します。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」
〜御義口伝〜
法主は「大聖人と違って宣説すべきである」とする大聖人の御金言を提示して下さい。
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●ここは既に送付した中で完砕しております。
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2005年2月5日 22:27
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●次に �「縫う」とは具体的には何か?
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▼広宣流布。
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●くどいようだが、ニセ本尊では「広宣流布」になりません。猛毒を垂れ流しているだけです。
>
>
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● �”精神”とは具体的に何か?
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▼御在世と同じ折伏弘教の精神。「自他彼此の心なく水魚の思を成して」つまり、あれはあれ、これはこれというような区別なく、大聖人の時代と同じ戦う精神。
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●大聖人が遺された三大秘法を弘宣してこそ大聖人の”精神”を継承しているといえるのであって、ニセ本尊ではまるで駄目です。どんなに力んでも全然駄目。顕正会と同じですね。異流義同士で。
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●�”行動”とは具体的に何か?
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◆折伏弘教
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●全然駄目。ニセ本尊ではね。
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● �”縫う”という目的の為に、では御法主は具体的にどのような”行動を起こすべき”なのか明示されたし。
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▼先陣切って知人を折伏しなさい。すべてやり切りなさい。
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●ここがまた馬鹿の見本のような答え。
三宝一体の御法主の御内証から、日々の丑寅勤行。御本尊の御開眼。御本尊書写。
貫主のお立場から、各地への御親教。総本山での古来からの法要。一宗を御教導されるための様々な機会での御指南。宗内僧俗への血脈相伝の上からの甚深の育成。
官長のお立場からは日蓮正宗発展のための様々な決済。等々。
貴殿が何億万回生まれ変わっても出来ようもない、一切衆生成仏への最重要の御役目を果たされているではないか。
ニセ本尊を拝む堕地獄決定の哀れな境涯で尊極の御尊体を誹謗すると、本当に気が狂うぞ。今でもかなり危ないと思うが。慎むべし。恐るべし。
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▼では、私からの質問です。具体的に起こしてしまった日顕の折伏?を提示します。
「文部大臣の権限を行使して、裁判所に創価学会の解散手続きを取ることを求める意見書を提出致しました。」〜平成8年11月26日付け大白法号外〜
この具体的な行為を、大聖人の御金言に照らして正しい折伏であることを明示しなさい。
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●簡単ではないか。血脈の無い、ニセ本尊を大量印刷販売をした大謗法団体創価学会を解散、粉砕、する事はまさに大折伏でしょう。
■「涅槃経に云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是我が弟子、真の声聞なり」と。」立正安国論 まさにこの御文の如くのお振る舞いですね。
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◆「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」 〜四菩薩造立抄〜
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●前回の破折が理解できずに、またこの御文ですか。自分が破折され切っていることに気がつかないほど貴殿の教学力は低劣なレベルです。
蒙昧な貴殿の脳に再度念告します。
「この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。」
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▼分からない人ですね。貴方の言う通り、「大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべき」なのだから、法主も漏れ無く「知人を折伏しなさい」と言っているのです。法主を除くなら、「信者は知人を折伏しなさい。法主は知人を折伏しなくてもよいのだ」という御金言を提示しなさいと言っているのです。
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●■「本尊書写豈化他に非ずや。」(貴殿がこの御指南を真っ向から否認している馬鹿さ加減は既に破折済み。)これ正しく御法主の折伏行です。
大体にして御本尊がなくてどうやって「折伏」するんです?
別しての法体の書写があるから、総じての折伏・弘教ができるのではないですか。
それこそ総別の筋目が全く分かっていない貴殿は初門以下、外道です。
それと、
あれ?池田さんが紹介者となっている入信者って誰ですか?
池田さんの実家はまだ真言宗ですが?(添付ファイル参照)
では貴殿に宿題です。
「分からない人ですね。「大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべき」なのだから、池田さんも勲章ばかり漁って得意然として聖教新聞の一面に妙な格好で写真掲載されているんじゃなくて、漏れ無く「知人や海外要人、何より実家を折伏しなさい」と言っているのです。池田さんを除くなら、「池田さんだけは知人を折伏しなくてもよいのだ」という御金言を提示しなさいと言っているのです。」
さあ、やっていただきましょう。
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●では今回のお題、この御文に「総じて」とあるが、では「別して」はどういう「行動」をするべきなのですか?文証を挙げて明示してください。
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▼はい。また出ました。閉鎖された山寺のみに通用する消極的解釈。
「総て」だから、当然、法主も含めて、すべての弟子を指して、「私に続け」と言われているのです。ここに「別して」などありません。
この御文に別してが存在するという文証を示しなさい。
御金言の「総じて」には、すべて「別して」があると解釈しているならその文証を挙げなさい。
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●貴殿のような根性からしてねじ曲がっている者には御書の解釈は大聖人に申し訳無いと恐懼するが、貴殿の浅薄な解釈を破す為にこの段を全文掲載します。
■「一、御状に云はく、太田方の人々、一向に迹門に得道あるべからずと申され候由、其の聞こえ候と。
是は以ての外の謬りなり。御得意候へ。本迹二門の浅深・勝劣・与奪・傍正は時と機とに依るべし。一代聖教を弘むべき時に三つあり。機もて爾なり。仏滅後正法の始めの五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等なり。末法の始めには一向に本門なり。一向に本門の時なればとて迹門を捨つべきにあらず。法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之無し。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前迹門は正法像法、末法は本門の弘まらせ給ふべき時なり。今の時は正には本門、傍には迹門なり。迹門無得道と云ひて、迹門を捨てゝ一向本門に心を入れさせ給ふ人々は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ、以ての外の僻見なり。
私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。此の法門は年来貴辺に申し含めたる様に人々にも披露あるべき者なり。総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はゞ、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。其れさへ尚人々の御心中は量りがたし。」
一読して分かることですが、この段は、門下で「迹門に得道はない」と言っている者がいるとの御報告に対しての大聖人の破折から始まり勝手な法門を言い出すことは天魔であると指弾され、それに続く当該御文「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。」に続く流れです。ですから当該文の分意は「総じて言えば、今の時、大聖人門下として法華経を修行する者は、正には本門、傍には迹門とする法門をはじめあらゆる法門に於いて大聖人が御立てになった御法門を大聖人のお心の如くに修行せよ。」ということであります。
決して貴殿が手前勝手に思い込んでいる意味ではないですね。
もし、そう読めないとすれば、それは貴殿が日本語が判らないか、教学が未熟過ぎるのか、根性が狐疑偏執に凝り固まっているか、はたまた知能が低いのか、その何れかでしょう。
次に総別について。
御文の文上にのみ囚われる者を”守文の徒”といい、仏法の真髄には到達できぬ者として古来から呵責されています。
仏法は文→義→意へと通じていかなければ御仏の真意には到底到達できません。
「義に依って語に依らざれ」(一代五時鶏図他多数)とのごとくであります。
さて、凡そ仏法の教義は総別の二義を有するのであり、それは、文上・文底 付文・元意 教相・勧心 一応・再応 なども同様です。
御文上に「総」が説かれている場合は(仮に文上に「総」という御文字がないとしても)意義として「別」の義が内包されているのであり、それは経文判釈の初歩的な常識です。貴殿はこういう基本を習得していないで、歪んだ己義による自己中心的な読み方しか出来ていないから、一文の一面の義を楯に取ってゴリ押しするから、御書全体の義に幾つもの矛盾点が発生します。身延をはじめ他門流・異流義はみな同様です。
ではこの御文では総別はどういう意義に配当されるかといいますと、総じての辺ではまさに上述の如くであります。
では別してはどうかというに、まず第一に挙げられるのは御本尊御図顕です。ここが能所の縦分けであり、貴殿はここにも惑乱しています。
「▼法主も含めて、すべての弟子を指して、「私に続け」と言われているのです。」という貴殿の説だと、一切弟子檀那が大聖人と同様にしなければいけないということであり、すると各人も御本尊を図顕して良い事になってしまいますね。ここの矛盾を御金言を示し、説明してください。事ほど左様に貴殿の教義理解は幼稚で話にならないほどです。
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2005年2月6日 23:41
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▼あるもの、ないものが混在するなら、それを正確無比に判断できる人間とは法主ですよね。そうすると法主自身が折伏弘教しなくてよい解釈が自在に出来るということになります。この論法が世界に通用すると思っているお目出たい貴方に質問です。正確無比な解釈ができるはずの法主対して、日興上人が遺誡置文で「貫首が仏法に相違する可能性」を指摘されているのは誤りですか?玉虫色の解釈でなく、明快な答えを期待してますよ。
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●まるで勉強不足ですね。では定石からいきますか。
■一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
■一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。
この段は既に宗内御僧侶から破折論文が出ており、十分意を尽くされているので転載します。
『貴殿は、『日興遺誡置文』の、
■時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(新編一八八五頁)
の御文について、�日興上人が「遺誡置文」で仰せのとおり、法主も己義を構え謗法を犯すことがある�と言うが、それは大いなる欺瞞(ぎまん)である。
では反対に聞くが、その『日興遺誡置文』の次の、
■衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(同頁)
との御文を、どのように拝するのか。摧く主体を貫首とお示しではないか。数を頼んで血脈を冒涜(ぼうとく)する創価学会こそ、「摧くべき衆義」に当たるのである。
この『日興遺誡置文』は、その最後に、
■右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢へて疑惑を生ずること勿れ。(同頁)
と仰せのごとく、総じては末代の弟子一同に賜った御遺誡であるが、別しては唯授一人の御法主上人に宛てられた御遺誡である。故に、邪教徒にして門外漢の貴殿にはそもそも『日興遺誡置文』の御真意など拝せるはずがないのである。
要するに、外用僧宝・内証三宝一体の意義より拝しても、貫首たる御法主上人こそが仏法伝持の主体者なのである。その仏法伝持の主体者である御法主上人に、本来己義など存在するはずがない。仮に、万万が一、貫首が己義を構えたとすれば、それが仏法に相違した己義であるか否かを誰が判定するのか。それを判定できるのは貫首以外にはいないのである。故に、�法主も己義を構え謗法を犯す�などということは、絶対にあり得ないことである。
御先師日達上人は、
■「日蓮正宗宗規」に、�管長は法門の正邪を決定する�という意味のことが明らかに載っております。そのとおりであります。血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けていない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから。(日達上人全集第二輯七―三四二頁)
と、貴殿の邪義とは正反対の御正意を仰せであるが、貴殿はこの日達上人の「貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です」との御指南を否定するのか。まさか大恩ある御先師日達上人まで愚弄(ぐろう)することはないと思うが、どうか。
ところで、貴殿に聞きたいのだが、貴殿ら創価学会は、あたかも日顕上人が�法に背く僧�であり、仏法に相違して己義を構えたかのように言うが、では日顕上人は仏法上どのような誤りを犯し、己義を構えたと言うのか。よもや異流義と化した池田創価学会の邪義を、正法正義の上から徹底して破折遊ばされたのが仏法上の誤り、己義だと言うのではあるまい。もしそうであれば、貴殿の頭は既に救いようのない毒気に犯されており、まさに「頭破作七分」と言うほかはないが、どうやら貴殿は確実に顛倒(てんどう)しているように見受けられるから教えよう。�法に背く僧�とは、創価学会の大謗法を破折することもできず、貴殿らに諂(へつら)い、その走狗となっている離脱僧らのことを言うのである。
日顕上人が創価学会の謗法を大慈悲の上から折伏遊ばされる御姿こそ、真の護法の僧の姿であり、真正なる血脈付法の大導師すなわち僧宝であらせられることの証拠である。したがって、御歴代上人を誹謗し、御当代日顕上人へのあくなき誹謗を行う創価学会は、三宝一体の御法主上人の御内証を拝すれば、まさしく「文底下種三宝」に背く仏法破壊の大謗法であり、無間大城、疑いなしと告げておく。』
―――――――――――――――――――――――――――――
◆行動を起こせば三類の強敵が喚起します。三類の強敵を顕さなければ仏説を信受する事は出来ません。「当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」〜開目抄〜
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● はい、ここも貴殿の法門未熟さ丸出しの箇所ですね。開目抄は、別名どういう御書か知っていますか?人本尊開顕の御書ですね?この辺ぐらいは大丈夫ですよね?ですから、この御文は日蓮大聖人が下種の御本仏として、脱益の教主釈尊の法華経の予証を証明された文意であり、この御文をそのまま日興上人を随一とするところの僧宝であらせられる御歴代上人当て嵌めること自体が、法門の筋目に曚いと破折しておきます。(理解できますかね?貴殿には無理かな?)
■「諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」
貴殿は、こういった教学の基本すらまるで理解できないで、所対が奈辺にあるのかも分からずに法門の筋目けじめを弁えず盲滅法に御文を振り回すから、このような大恥をかくのです。貴殿のような未熟者を「盲法門の徒」というのですよ。よくよく心しなさい。恥ずべし恥ずべし。
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◆またまた、山寺の消極的論理で恥の上塗りです。大聖人は「法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん」と言われているように、折伏弘教して法の正しさを宣揚しました。正法が存在するだけでは、信心していない人に伝わらないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●本当に貴殿は不勉強の輩ですね。自分自身が「法門の筋目に曚い」ということが、予想通りでしたがやはり理解できないのですね。貴殿は近視眼的に目先の御文の元意も索究せずただ自分の頑迷な主張を通すことの為に担ぎ出すから、他の御文と矛盾を引き起こすことばかりで恥をかくのです。貴殿のレベルでは、あまりにも拙い教学なので自分が笑いものになっているということすら気がつかないかも知れませんね。貴殿のような妄執固陋の者には微に入り細を穿つ破折をしないと分からないようです。もう少し正統な教義論争をしたかったですが貴殿相手では無理のようですね。貴殿のお粗末さが情けないですよ。
では、開目抄御著述の直接の由来は何か知ってますか?
貴殿相手ではまともな答えが返ってくるはずもないので、どんどん進めましょうか。
■「我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑ひは此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑ひを強くして答へをかまうべし。」
とあるように、大聖人が真の法華経の行者なのか?という■「世間の疑ひ」に対するお答えとしての書です。
その答えとして当該御文の
■「当世、法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。」と御示しなのです。」
これは御本仏が末法の法華経の行者としての三類の強敵に遭われる姿を以ってまさしく法華経の予証の通りのお振る舞いであり、またそのお振る舞いがなければ迹仏である釈尊の教説は妄語になってしまう、とまで仰せであり、ここに迹仏の釈尊と本地自受用身の大聖人との能所のけじめも仰せられているのです。
末法出現の法華経の行者=本地自受用身如来=上首上行菩薩=日蓮大聖人は末法にはただお一人のみ現れるのあり、この御文はまさにその御本仏御出現の御ことを仰せであります。ですから■「当世」と鎌倉時代の時を限定されたお言葉を用いられていると拝します。
そのことは、この御文の数行前に
■「法華経の第五の巻、勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずば、ほとをど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし。経に云はく「有諸無智人、悪口罵詈等」「加刀杖瓦石」等@云云@。今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加へらるゝ者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。「悪世中比丘邪智心諂曲」と。又云はく「与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢」と。此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。「常在大衆中、乃至向国王大臣婆羅門居士」等、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし。又云はく「数々見擯出」等@云云@、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数々の二字いかんがせん。此の二字は、天台・伝教もいまだよみ給はず。況んや余人をや。末法の始めのしるし「恐怖悪世中」の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。」
とあることからも明確です。
貴殿に理解できるように、御本仏の御事を指されている御文を提示します。
■日蓮だにも此の国に生まれずば
■今の世を見るに、日蓮より外の諸僧
■日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ
■今の世の僧等、日蓮を讒奏して
■日蓮法華経のゆへに度々ながされずば
■末法の始めのしるし
■但日蓮一人これをよめり
ですから、上記の貴殿の邪説
「▼大聖人は「法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん」と言われているように、折伏弘教して法の正しさを宣揚しました。正法が存在するだけでは、信心していない人に伝わらないのです。」
は全く的外れの自己の妄想による邪論を展開しているに過ぎません。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼だから、私達が「仏説」としている大聖人仏法の正しさも、人本尊開顕の書である開目抄の重要性も、折伏しなければ衆生に伝わらない。
―――――――――――――――――――――――――――――
●最初から開目抄の当該御文の御正意を読み誤っているが故に論の展開が全く滑って的はずれであるから、ここなどは全く話にならない体たらくです。
「大聖人仏法の正しさ」は三大秘法に尽きるのであり、それ以外には何もありません。
また「人本尊開顕の書である開目抄の重要性」は末法出現の日蓮大聖人が正しく久遠元初の自受用報身如来・本因妙の下種の御本仏である、という御顕示であり、それが故に大聖人が御所持の三大秘法が如何に尊いかということへ繋がっていくのであります。
我々は開目抄の重要性を「衆生」に知らせるために「折伏」するのではなく、折伏して広める法体が如何に尊極であるかを開目抄他数々の御書によって学ぶのです。
因みに貴殿らが「折伏」と称して広めている物は三大秘法の法体ではありません。
貴殿は二重三重に惑乱してまさに■「仏教に依って邪見を起こす。目の転ずる者、大山転ずと欲ふ。」という状態です。速やかにニセ本尊を破却して正法に帰依しないと大変な事になりますよ。
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▼折伏弘教をして、三類の強敵を顕わして、はじめて仏説、つまり私達が信じている大聖人仏法が「信受」できると拝すのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここも、御文の意を全く曲げています。しかもまたまたでましたね。正確な日本語になっていません。いい加減に成長していただきたいものです。法義論争になりませんよ。日本語が不正確だと主張が曖昧で。
しかも、貴殿は本当に開目抄を心肝に染めて読んでいるんですか?甚だ疑問ですね。まっ、本当に聖意に通じる読み方をしていれば、ニセ本尊など絶対に拝めませんけどね。
この御文でいうところの「仏説」とは釈尊の法華経の事であり、大聖人が御自らの御指南を「仏説」とは仰せではありません。また当該箇所ではそのように拝さないと大聖人が仰せの意義が理解できません。
貴殿の説は、我々が「折伏弘教」をして「三類の強敵を顕わ」さなければ、「私達が信じている大聖人仏法」を誰が「信受」できないと「拝す」というのですか?
1、衆生・一般人?
2、我々修行者?
どっちか明確ではありませんね。しかも答えがどちらでも意味が変です。
どちらにしろ、三類の強敵が顕れなければ「大聖人仏法」は「信受」できないのですね?これまた主体と客体が顛倒してますね。
今時においては、信行の浅深により信行者に分々応じての三類の強敵の働きは顕れてくるであろうが、その顕れ方如何で「大聖人仏法」が信受出来るとか出来ないとか判定するなど以ての外の僻見です。大聖人の三大秘法は何がどう顕れようと、顕れなくても絶対に正しいことは決定している事ではないですか。そんなことも貴殿は分からないのですか?やはり貴殿は外道義に堕ちてますね。
同じ開目抄に
■「法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下し、理深解微と立て、未有一人得者千中無一等とすかしゝものに、無量生が間、恒
河沙の度すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけり」
と説かれる姿そのままですね。早く改心しなさい。取り返しがつかないことになって後悔してもしきれませんぞ。
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▼行動がなければ、学者が一番偉いことになる。そんなのは大聖人仏法でもなんでもありません。
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●まあ、ここもなんて幼稚で貧困な発想でしょう!
「行動がなければ、学者が一番偉いことになる。」???
そうか、貴殿は体育会系なんですね?とにかく猪突猛進していればそれが地獄に向かっていようが何でもいいから尊い。その程度の頭なんでしょうかね?
その「行動」が本当に御聖意に叶っているのかどうか、少し「行動」を止めて、真剣に考え直さないとほんと酷い事になりますよ。
■「仁王経に云はく「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天竜も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。」立正安国論
■「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」同
■「涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。」同
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▼折伏できない坊さんの言い訳的な講釈を根本にするから恥をかくのです。
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●「折伏」については完破済み。反論を待つのみ。
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▼何度も確認しましたね?貴方達の教義解釈は日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」これが大石寺教学の根本なのです。正しく解釈できるのは法主のみ。根拠となる金口の相承は自己申請。
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●はい、馬鹿の繰り返し。論に詰まったものがする所作。枢要については完砕済み。反論を待つのみ。
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▼さて、そこで、「この御文をそのまま日興上人を随一とするところの僧宝であらせられる御歴代上人(ママ)当て嵌めること自体が、法門の筋目に曚い」との貴方の主張を御書で明示しなさい。
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●法門の道理として、貴殿の引文自体がまるで見当はずれである事は既折した。
更に、既に貴殿に質問しているが貴殿らが拝んでいるニセ本尊のその写真撮影した元の御本尊を書写された日寛上人は、「折伏」をして大聖人と同様の「三類の強敵」を喚起されたのか否か?明示せよ。それに明快に答えを出してから、この段の貴殿からの質問に応じる。それが法義論争の順番としてのルールではないか。
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2005年2月7日 23:11
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◆創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
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●ここが貴殿の迷妄の核心部分ですね。
1、創価学会が喚起した「三類の強敵」とは何か?まず、この答えを見てみましょう。それからゆっくり摧破します。
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▼俗衆増上慢=週刊誌などの報道に紛動されて学会を誤解している民衆
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●思わず噴出してしまうほどの幼稚な御回答。予想はしていたが、まさか本当にその通り答えてくるとは!貴殿は本当に心底学会の毒気げ深入しているようですね。
� 言論出版問題及び月刊ペン裁判
慧妙記事から。(創価学会員の一部の者は慧妙が貴殿らの知らない創価学会の恥部を痛烈に抉るが故に、「聖教新聞と比較して発行部数が少ない」などという論点のすり替えをして破折から遁走を決め込んでいるが、もし、真実創価学会及び池田大作の正当性を証明したいのならば、つまり、世間の創価学会に対する批判が「俗衆増上慢=週刊誌などの報道に紛動されて学会を誤解している民衆」と証明したいのならば、下記の記事に対して客観的事実を以って明確に反証すべきであろう。)
『池田の女性にまつわる痴態について、今まで種々見てきたが、その集大成ともいうべき『月刊ペン裁判』の樣子を見てみよう。
この裁判は、最終的に、被告・隈部大蔵氏に対する有罪判決(罰金刑二十万円)で終わり、学会側は「大勝利」を報じた。しかし、そこに至る経緯(いきさつ)は複雑怪奇なものであった。
今回は、この裁判の経過を通し、学会が、池田の下ネタ隠しにいかなる手口を使ったかを明らかにし、これにより、学会が関わる裁判の異常さを浮彫りにしたい。
この『月刊ペン裁判』とは、昭和五十一年当時、『月刊ペン』の編集局長であった隈部大蔵氏執筆による「四重五重の大罪を犯す創価学会」の記事中に、池田スキャンダルを暴いた記述があったことから、学会が刑事告訴した裁判である。
学会側が問題とした記事は、
「池田大作の金脈もさることながら、とくに女性関係において、彼がきわめて華やかで、しかも、その雑多な関係が病的であり、色情狂的でさえあるという情報が、有力筋から執拗に流れてくるのは、いったいどういうことか、ということである。こうした池田大作の女性関係は、何度も疑ってみたけれども、どうも事実のようである。」
「ところで、そもそも池田好みの女性のタイプというのは�やせがたで�プロポーションがよく�インテリ風――のタイプだとされている。なるほど、そういわれてみると、お手付き情婦として、二人とも公明党議員として国会に送りこんだというT子とM子も、こういうタイプの女性である」
というものであった。
さて、当の隈部氏は、なに故に、このような批判活動を思いついたのであろうか。『月刊ペン裁判』を語るにはここから始めなければ、この裁判の意味はわからない。
読者は隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という書籍を御存知であろうか。
おそらく、ほとんどの方はその署名すら聞いたことはないであろう。それもそのはず、この書籍は出版後、すぐに創価学会による「言論出版妨害」の被害に遭い、初版即絶版となったのであるから。
この事件について、昭和四十三年当時、隈部大蔵氏(当時は西日本新聞社の論説委員)は、北条浩公明党副委員長(参議院議員=当時。後の創価学会第四代会長)が隈部氏を次のように恫喝(どうかつ)したことを明かしている(以下は、北条氏の発言内容)。
「隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。
まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を探し出すのに予想外に時間がかかってしまったが……(中略) しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国にめぐらされている学会の情報網にひっかからない『虫けら』はいないのだ。わかったか。
よく聞いたがよい。たとえていえば。創価学会は『象』それも巨象だ。これにくらべてお前は一匹の『蟻』だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ。」
(石井照次郎(隈部大蔵)著『もうだめだ! 池田大作・創価学会』)
恫喝はさらに続いた。
「そこで最後に三つだけ、しかと言っておく。第一は、論説委員という者は、新聞社全体の見識を代表する、いわば新聞社のフェイスだ。それに西日本新聞社とは今年の始めころ、西日本地域の聖教新聞の印刷・発送などの面で、創価学会との間に業務提携の契約が結ばれ、友好関係が生じている。
そういう新聞社の論説委員が、世界一の仏法である日蓮大聖人の仏法を信仰し、全力をもって広宣流布している創価学会を批判する、それも一般的な批判でなく、生半可な知識で仏法を批判するということは、絶対に許すべからざることだということだ。
第二は創価学会青年部を見よ、ということだ。学会の青年部は純真で、情熱的で、行動力に富んでいる。したがって創価学会を批判するような不心得者に対しては、最高幹部の命令とあれば、命令一下、どんなことでも実行する信念と行動力を持っていることを、よく覚えておけ。
最後にしかと付け加えておくが、学会の情報によれば、隅田洋は性こりもなく第二の学会教義批判書を執筆中とのことだが、そうはさせない。事実とすれば即刻、執筆を中止せよ、ということだ」(同書)
北条氏はこのように隈部氏を恫喝し、出版を差し止めようとしたという。
ここで長々と引用文を用いたのは、単に恫喝の凄まじさを紹介するためだけではない。北条氏が挙げた三つの内容自体が、現今においても生きていることを明かしたいが故である。
すなわち、第一の「新聞社との間で業務提携をなし学会批判を封じ込めること」
は、現在でも、毎日新聞、読売新聞などの印刷業務提携を通じて行なおうとしているし、その他の新聞でも、全面を使った広告による新聞社懐柔策は、しばしば見聞することである。
第二の「学会青年部による実力行使」は、まさに恫喝であるが、かつて、法華講員ならびに有志による学会批判パンフレット配布の際に、どこから湧いて出てきたのか、薮蚊(やぶか)のごとく配布者の周囲に群がり、「配るな」「帰れ」等の罵声を浴びせられた経験のある方は多数いよう。
第三の「学会の情報網は細部にまではりめぐらされていること」は、いうまでもない。学会の機関紙誌を見れば一目瞭然。隠し撮りされた御僧侶の姿や法華講員、さらにはジャーナリストや国会議員の姿すら、そうした雑誌や新聞に掲載されているのである。
「学会の情報網」というのは、尾行・張込み・追跡といった反社会的活動を駆使し、情報収集を行なっているものである、ということが、理解できよう。
いわば、北条氏の恫喝は、現在も、日本社会に生きているといえるのである。
もちろん、学会による「言論出版妨害事件」の被害者は隈部大蔵氏だけではない。『創価学会を斬る』で有名な藤原弘達氏、学会批判の急先鋒として活躍している内藤國夫氏などを筆頭に、その被害にあった人は数知れない。それゆえに、学会ものを扱うこと自体をさして「黒い鶴のタブー」と評された(黒い鶴とは、日蓮正宗の紋が鶴であり、それを踏襲して学会が鶴丸の紋を使用していたため、学会をさして『黒い鶴』と称された)。
「言論出版妨害事件」自体、大変のものであるが、項を改めて別の機会に述べることにする。
さて、その後、学会の「言論出版妨害事件」が社会問題化し、池田の「国会喚問」というところまで進んだため、池田は形式的な釈明ならびに謝罪を表明した。昭和四十五年五月三日のことである。
「言論出版妨害事件については――正しく理解してほしいという、きわめて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかった。(中略)今後は二度と同じ轍を踏んではならぬと猛省したいのであります。私は、私の良心として、いかなる理由や言い分があったにせよ、関係者をはじめ国民の皆さんに多大のご迷惑をお掛けしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方にお詫びしたい気持であります」
と。
ちなみに、妨害を受けた被害者によると、池田自らが「関係者の方にお詫び」に来たことなど一度もないそうだから、池田の「猛省」ほど当てにならぬものはない。もっとも、池田自身は、その陰で
「今度の事件(※言論出版妨害事件)で、とにかく(学会の名が)日本中に浸透した。有名になった。本当は政教分離どころか、聖教一致で私が指揮をとりたいよ。ほっておけない」
「たいした妨害ではないよ。どこでもやっている事だよ」(第三十二回社長会記録)
などと語っていたそうだから、最初から「猛省」するつもりなどなかったというべきである。
さて、西日本新聞社から『月刊ペン社』に移り、学会の危険性について社会に警鐘をならすべく、執筆活動を続けていた隈部氏は、氏執筆による『月刊ペン』の「四重五重の大罪を犯す創価学会」の記事の件で、警視庁から取り調べられたが、その際、ほとんど事情聴取もないまま、いきなり逮捕された。容疑は「名誉毀損」である。昭和五十一年五月二十一日のことであった。
しかも、逮捕したのは、なぜか警視庁第四課(通常、暴力団を担当する課)。
隈部氏によれば、「同意するまで二、三十分も腕組みをしてにらみつけ、『お前みたいのがよく編集長として勤まったもんだね、編集長としてはクズじゃないか』『ここへ入ってきたら、どんなヤクザの親分でも覚悟を決めて腹を割るもんだ。神妙にしたらどうだ。どんなに抵抗してもムダだ』」などと嫌味を並べたてた」というから、暴力団担当の刑事が名誉毀損事件を取り調べるなど、最初から無理だったというべきであろう。
さて、名誉毀損事件という知能犯的事件を、暴力団担当の第四課が担当する――何とも不可解な逮捕劇であるが、こういうところにも学会の謀略が渦巻いている。というのも、この逮捕自体が、創価学会のお膳立ての結果だったからである。
この当時、学会側で『月刊ペン裁判』を担当していた山崎正友氏(当時=創価学会顧問弁護士)は、造反後、以下のような「上申書」を裁判所に提出している。
「隈部氏を告訴するに当っては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷野三郎弁護士、龍年光、藤井富男、大川清幸東京都議会議員らが法務省幹部、検察幹部、警視庁幹部と、綿密な打ち合せをしました。衆・参議院法務委員長の権限を背景に、法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスチングボートをにぎる与党としての力、すなわち警視庁予算を左右する力を背景に、警視庁に圧力をかけたのであります。ことに当時の警視庁捜査四課の幹部とは学会側も、小谷野弁護士も特別懇意な関係にあり、従って告訴は四課で処理されました。」
(溝口敦著『池田大作 創価学会の野望』)
つまり学会は持てる政治力を背景にして警察を動かし、暴力団担当の四課に隈部氏を逮捕させた、というのである。
まさに、公正たるべき法務省や警察、検察が学会の意のままに動かされているという実例である。池田の「天下盗り構想」を語る時、これを信じない人も多いが、現実に、こうした形で極秘裡に、そして公然と行なわれていることを、我々は知っておかねばならない。
『月刊ペン裁判』は、スタート時から、全てが異常であった。
まずは告訴状。
最初に、創価学会による告訴状(昭和五十一年四月十二日)が、次いで、多田時子・渡部通子両氏の告訴状(同年四月二十四日)が出され、そして、どういうわけか、一番名誉を毀損されたハズの池田大作の告訴状(同年六月八日)が出されたのは、一番最後あった。
もちろん、告訴状はどのような順序で出されようとも、問題ではない。しかし、ここに扱っている「告訴の順序」は、裏工作が、表に染み出てきた結果だったのである。
前号でも紹介した「山崎上申書」(山崎正友氏が最高裁判所に提出した上申書)によれば、
「当初、出した方針では、
『経済問題に関する部分に絞り、告訴人は創価学会だけとする。女性問題は取り上げず、池田氏や女性たちを告訴人にしない』
というものだった。しかし、伊達弁護士らの意向で、告訴の内容に女性問題を加えた方がやりやすいということになり、結局、女性問題と金銭問題の両方を含む、しかも告訴人は創価学会だけになっている告訴状を作り、警視庁に打診した。
警視庁首脳の根回しは大野潔代議士が担当していたが、小谷野弁護士と親しい幹部がいるということで、この種の事件としては異例のことであるが、通常は暴力団捜査が専門といわれる捜査四課で取り扱ってもらうことになった。
その捜査四課は、第一次告訴状を検討した結果、
『告訴事実は女性問題だけに絞ってほしい。現場を見られていないかぎり、本人が否定すれば、まず心配ない。面倒な資料を出してもらわなくて済むし、それが一番簡単だ』
との意向を学会側に伝えてきた。(中略)
さらに、その後、捜査の進展とともに警視庁からは、
『少なくとも、女性二名(多田時子氏、渡部通子氏)の告訴状は追加してほしい』
との要請が出され、それにも従わざるをえなかった」
という。
つまり、当初の予定では、告訴人は「創価学会」だけであったが、警視庁側の意見に従った結果、女性二名の告訴状を追加で出すことになったというのである。
それにしても、昭和五十年台初頭にして、すでに、公明党議員と警視庁との癒着、さらに、警視庁の積極的な学会側への加担など、本来、中立であるべき組織が、このような形で学会に侵されていることに慄然(りつぜん)とせざるをえない。
また、「山崎上申書」は、池田の告訴状提出の理由を次のように語っている。
「警視庁には、大野潔代議士や都議会議員を通じて密接なコンタクトをとり続ける一方、検察庁には、矢野絢也書記長が、法務省筋や検事正に会って陳情し、�創価学会の立場をよく理解して厳重に捜査する�ということになっている、との報告が会議のたびになされた。
ところが拘留期間満了の一週間くらい前から、検察官が『池田大作氏の告訴状も出してほしい。それがなければ、処分保留のまま隈部を釈放する』といってきたので、私たちは大変驚いた。(中略)
私たちは池田氏の告訴状提出に反対した。
折から、隈部氏の弁護人が、起訴前に示談にしたい、本人を謝らせるから告訴を取り下げてほしい、と和解の打診をしてきていた。
私は、会議の席で、池田氏が告訴状を提出することの愚を説き、今がチャンスであるから、謝罪広告でも出させて和解すべきだ、と主張した。
だが、公明党関係者がこの意見に難色を示した。
『警視庁がこれだけやってくれたのに、肩スカシを食わせてはまずい。四課では�ここで取り下げなどされたら、今後、学会さんとはつき合えない�といっている。警視庁との仲がまずくなったら、選挙のときに戸別訪問を大目に見てもらえなくなり、えらいことになる。ここは池田先生の告訴に踏み切るべきだ。』
両者の意見の対立の中で、思いあぐねた北条浩理事長は、伊達、小谷野両弁護士に直接会って念を押した。すると、
『こんな事件で、起訴後に相手とうまく和解がまとめられないようでは三流弁護士ですよ。池田さんを法廷に立たせるようなことは、我々が絶対にさせません』
との大変勇ましい話に北条氏はすっかり強気になり、その旨、池田氏に報告した。当の池田氏は、北条氏と違って、我が身のことだから、非常に慎重だったが、とうとう、この話に乗ってしまい、矢野書記長に、
『俺を法廷に立たせるようなことはしないだろうな』
と念を押した上で、告訴状を提出してしまった。」
池田が、遅ればせながら告訴状を提出した理由は以上のとおりであり、学会の裏工作の反作用ともいうべき結果であった。
さらに、この告訴が、学会の戸別訪問等の選挙違反を取り引き材料にした結果であることを考えれば、その選挙違反による被害、あるいは、国政・地方自治を問わず、当選した議員たちの専横による被害を直接に被(こうむ)るのは、我々一般市民だということになる。
にもかかわらず、こうした裏取り引きが公然と行なわれていること自体、確実に創価学会によって我が国の民主主義が破壊されつつあることの、実証のひとつといえる。
ついでながら、こうした学会による行政機構への不当な介入についても触れておこう。
このような介入は、昭和五十年代以前からも、当然のごとく行なわれていた。そして、それを指図していたのは、まぎれもなく池田大作である。その証拠ともいうべき『社長会記録』の池田の言動を紹介しよう。
「警察だって、動かしているのは竹入、井上だよ。竜なんかおどすだけで味方にならない。竹入の一声だよ。」(昭和四十三年七月八日・第十三回社長会)
このことについて、山崎正友氏は、
「都議会副議長を務める公明党議員の重要な仕事は、築地の料亭『河庄』で、昼間から警視庁幹部と碁を打ちながら、スキンシップをはかることであった。警察幹部の辞令が発せられるたび、誰よりも早く公明党議員が、�お祝儀�をもってかけつけた。
警察OB、出入りの御用ジャーナリストの面倒も見るし�警察対策�は、公明党の主要任務 だったのである。
その結果、�竹入と総監はふんけいの友�といわれたし、事件のもみ消しや交通事故のもらい下げは、自民党より公明党の方が上、といわれるようになった。
創価学会にとって、集団戸別訪問や違法な布教方法などを、警察に厳しく取り締まられては、教団は崩壊しかねない。創価学会・公明党は、警察の�お目こぼし�と協力によって勢力を拡大できた、といって過言ではない。
一方、警察も実際、自民党の一党独裁で好き放題にされるより、警察与党の公明党がいて、与野党のバランスが取れた方がやりやすい」(山崎正友著・『池田大作 日本経済乗っ取りの野望』一)
と語っている。
このことからもわかるように、創価学会は、確実に、そして深く、日本の行政機構に浸透し、これらの機構を己れの勢力拡大のために利用してきたのである。
このことを考えるならば、日本の民主制度を守るためにも、学会による政教一致活動を阻止することが、緊要な課題であることが理解できよう。
さて、本題に戻ろう。
隈部大蔵氏の異常な逮捕劇と不可解な告訴順序という、異常づくめで始まった『月刊ペン裁判』であったが、その後もまた、異常な展開が待っていた。
なんと、原告として訴えていた学会が、被告である『月刊ペン』社に対して、池田の出廷阻止のために、二千万円とも三千万円ともいわれる巨額の金を支払い、裏工作をしたというのである。
池田の出廷回避を前提として始まった裁判であったが、警視庁の「逮捕までさせておいて起訴前の和解は絶対こまる」との意見に押され、「最初に池田さんに証人に出てもらいたい」という状況になった。
それからが、まさに�蜂の巣をつついた�状況そのもの。「山崎上申書」を続けよう。
「この段階で私は学会首脳に泣きつかれ、池田氏の証人出廷を防ぐための裏工作に入りました。数人の情報マンをつかって綿密に調査した結果、仲介人として笹川陽平氏に白羽の矢を立て、北条浩氏が父親の笹川良一氏に依頼して承諾を得た上で、陽平氏が動きました。笹川陽平氏は人を介して『月刊ペン社』の取締役であった栗原一夫氏にわたりをつけ、栗原氏から原田倉治社長そして重富弁護士(月刊ペン社監査役)にわたりをつけて、和解の話し合いに入りました。十一月三十日、私と笹川陽平氏はホテルニューオータニ内さざんか荘において、栗原氏、重富氏と会い、話し合った結果、和解についての基本的な合意をしました。その後、学会側は北条氏も加わり、何回か具体的な話し合いをしました。最大のネックは、隈部氏自身が和解には反対で、話し合いにのらないことでした。結局本人には知らさないで、弁護士の裁量で池田氏を法廷に出さないような弁護活動をすることにより、目的を達することとなりました。」(同上申書)
つまり、『月刊ペン裁判』の中心者ともいうべき隈部氏の頭越しに、学会側首脳と『月刊ペン』社側首脳が話し合い、取り引きを進めた、というのである。
さて、ここで問題となるのが、「二千万円」とも「三千万円」ともいわれる裏工作の金である。
山崎氏はいう。
「その示談金として、栗原氏は、はじめ五千万円を要求しましたが、笹川氏が値切り、結局二千万円におちつきました。その金は昭和五十二年三月頃、北条氏から私が受け取り、笹川氏を経由して、重富弁護人にわたり、さらに原田氏にわたったものと思われます。私は笹川氏から重富氏の名前の受領証を受け取りました。その後、隈部大蔵氏の弁護人は、池田氏の証人要求に固執せず、また、公益性の主張、立証も充分なさないまま、第一審が終わりました。」(同上申書)
隈部氏にしてみれば、味方であったハズの社長や弁護士までもが学会に懐柔され、敵にまわってしまったも同然。まさに孤立無縁の状況に置かれたのである。
敵に大金を支払ってでも己れの都合に従わせる――この、常識では考えられないような無節操さが、学会の裁判戦略である。
ちなみに、学会の元顧問弁護士としてこれらの裏工作に従事してきた山崎正友氏は、学会絡みの裁判を俯瞰(ふかん)して
「公平無私と思われている司法の�奥の院�によこたわる�黒い蛇の道�について、隈部裁判や妙信講裁判で、私は創価学会顧問弁護士の立場で利用した経験があるし、私の�恐喝裁判�では創価学会に�利用された�と思われるふしがある」
と感想を述べて、学会の裁判戦略におどらされた裁判が、必ずしも不偏不党・公平に行なわれていないことを指摘している。
こうした学会の裁判戦略の有り様を見るならば、近年、「池田による信平信子さんレイプ裁判」で裁判官が見せた�挙動不審�もまた、その戦略の成果なのか、との思いを抱かざるをえない。
さて、学会では山崎氏のいう「二千万円」「三千万円」についても、疑義を呈しているようだが、これについては、四代会長北条浩氏(故人)も別の裁判で、その事実があった旨を証言しており、池田もまた、『月刊ペン裁判』でその事実を認めているのであるから、今さら否定のしようのない事実である。
なお、「二千万円」「三千万円」と、その額に開きがあることについても、学会は云々しているが、山崎氏は、近年になって、その内訳を
「私は、友人の笹川陽平氏(笹川良一氏三男、現船舶振興会理事長)に相談し、同氏は数日間の調査ののち、引き受けてくれた。北条浩氏が笹川良一氏の自宅へ正式に依頼に行き、私と笹川陽平氏がことに当たった。遠矢直輝氏(内外タイムス社長)らの協力で、『月刊ペン』社社長・原田倉治氏、取締役・栗原某氏及び隈部大蔵氏の弁護人らと交渉が始まった。原田氏らは当初、多額の金を要求したが、笹川陽平氏の折衝の結果、二千万円(その他に、諸費用として一千万円ばかりかかった)で折り合いがついた」
(山崎正友著『懺悔の告発』)
と明かしている。
ともあれ、学会が絡む裁判は、いつも謀略が絡んでいる、といっても過言ではなさそうである。
●次に実際の法廷における学会の謀略ぶりを検証する。
『月刊ペン裁判』の内容に入る前に、触れておきたいことがある。
この裁判の告訴自体が謀略に満ちたものであったことは既に述べたとおりであるが、その謀略を糊塗するために、さらに謀略を仕掛けるのが学会の手口である。その実例を紹介しよう。
告訴にあたって学会は、最初に「創価学会」の名で告訴状を警視庁に提出したが、それに加えて北条浩と池田大作が「上申書」を警視庁警視総監に宛てて出している。その文面には、次のような不可解な�事実�が記載されているのである。
「(一)実は昨年四月二十日付(消印同二十一日)で、私宛に差出人『東京都千代田区紀尾井町一番地、赤坂プリンスホテル内大谷康蔵』なる者からの一通の手紙が来たのであります。その文面は面談の日時と方法を指定しつつ、『第二代戸田会長、池田会長のスキャンダルを知っており、これについて北条と面談したい、もし面談に応じないというのであるならば、学会の組織はどうなるかわからず、そうなってもその責任は北条にあること』などが記されており、更に暗号文らしきもの、それを解読したらしきもの、男女の性交場面の写真のコピーが同封され、それらすべてが戸田前会長に関するものであることが述べられていました。
(二)私は他の最高幹部にも相談しましたが、内容が全くのデタラメであり、所詮はタカリ屋の巧妙に考えた仕掛である、との結論に達したのであります。私は代表役員であり、理事長でありますから、申し入れをそのまま受けて面談をしたのでは�本当に何かあるのではないか�と思われかねませんし、又会えば何かとからんで金銭的要求をしてくることは明らかでありましたので、敢えて無視することにしました。(中略)
(四)すると今度は同人から(消印二十五日)都内中央区勝どき九ー十三ー二勝どきハイツ一三一九号の差出人住所で、池田会長宛に直接手紙が来ました。内容は『北条に対して忠告をしたけれども聞き容れようとはしなかった。こうなれば池田会長に対し直接連絡をするよう申し入れる。もしこれを聞き入れなければ学会はどうなるかわからない。故戸田前会長と現会長とにまつわる女性問題をショッキングに扱った出版物が作られ、やがて社会問題となる。又正本堂建立の御供養金として集められた三五五億円……』などというものです。
(五)以上のやりとりをもって手紙の件は一応の終了はしているわけですが、私としてはこの時の手紙の内容からして、この月刊ペンの前記の各記事はこの『大谷』なる者から何らかの形で情報を得て書かれたものに相違ないような気がしてなりません。右(一)に述べた暗号文、解読文が最近発表された同誌五月号六八頁〈戸田甚一のC・I・Cに対する供述調査書〉なる記事に符合していることも、このことを裏付けて余りあると思います。」
(「石井照次郎〈=隈部大蔵〉著「もうダメだ! 池田大作・創価学会」)
つまり、隈部氏の情報源となった「大谷」は、学会を脅迫して金をせしめようとした「タカリ屋」であり、隈部氏はその「タカリ屋」の一味である、というのである。
しかし、これが、池田が警視総監宛に提出した「上申書」になると、「大谷」=隈部氏、となる。
「右『大谷』の手紙の内容と『月刊ペン』の特集記事とを読み比べて、その『大谷』なる人物が前記隈部と同一人物か、そうでないとしても、前記記事はいずれも『大谷』なる人物が背後にあって、その執筆に協力しているに相違ない、と推測する次第です。(中略)
かかる悪意に満ちた捏造記事を社会に流布されたまま黙過することは、私の人格と名誉が毀損されたことをそのまま放置することとなり、それはひいては創価学会の歴史に、拭いさることのできない汚点を残し、かつ学会員にとっても耐え難い屈辱感を残すことになってしまうのではないかと考え、私としても『月刊ペン』の前記特集記事の執筆者および編集者の厳重処罰を望まずにはおられません。」
(同書)
要するに、隈部氏は恐喝犯であり、池田の名誉を毀損した犯人であるから「厳重処罰」しろ、と言っているのである。
もとより、隈部氏は、昭和四十年代から創価学会の危険な体質について警鐘を鳴らしており、それ故に、学会から「言論出版妨害」の被害を受け、さらに北条浩(故人・第四代会長)からの恫喝を受けたのである。したがって、北条や池田がいう�脅迫の失敗による醜聞執筆�など、時期的にもありうべくがない。
さらに、北条氏の恫喝については、山崎正友氏も
「『こんなけしからん本の出版は許さん。象は、蟻を退治するにも全力で当たる(日蓮大聖人の御書には、�師子は、蟻をとるにも全力を出す�と書かれており、北条氏はこのとき、興奮して師子を象と言い間違えた、と笑いながら話していた)。創価学会は巨象だ。お前は蟻のようなものだ。どうしてもやるというなら、我々はお前をふみつぶすぞ!』
と恫喝した」(山崎正友著『池田大作 日本経済乗っ取りの野望』二)
と証言しているように、まぎれもない事実である。
では、池田らは、何ゆえにこのような捏造の「上申書」を作成・提出したのであろうか。
隈部氏自身は、
「隈部氏の名誉毀損を『恐喝つき名誉毀損』の方向へ悪質化し、また暴力化することにより、学会と因縁浅からぬ関係があるといわれている、暴力担当の警視庁捜査四課の告訴受理を容易にするものである」
(『もうダメだ! 池田大作創価学会』)
と分析しているが、それだけとも思えない節がある。
隈部氏は、はじめに経済企画庁調査部に勤務し、後に西日本新聞社の経済担当論説委員を務め、その後は『月刊ペン』の編集長として健筆を奮っていた。つまり、社会的に信用を得ている人物であり、それに対して学会は、言論出版妨害事件を起こして社会から指弾を受けた団体である。
また、警視庁に告訴しても、事情聴取から逮捕まで時間がかかり、その間に隈部氏のマスコミにおける反論を許してしまうことになってしまう。そうすれば、告訴したこと自体が学会にとって裏目に出て、かえって恥を世間にまき散らすことにもなりかねない。
さらに、このような上申書を提出することで、�隈部は学会に対して恐喝をはたらき、それに失敗したから『月刊ペン』誌上で学会批判を行なった�と印象づけ、隈部氏をダーティな存在として世間にアピールすることができる――そのようなしたたかな計算が、学会内部に存在していたといえよう。
ともあれ、池田らの「上申書」は右に見てきたように、謀略そのものである。そして、このような手口はその後も繰り返し用いられている。
すなわち、脱会者に対して「役職を望んで得られなかったから堕落し退転した」等々と中傷し、学会を正当化する手口である。
このような手口は、最近の事例では、信平信子さん夫妻への執拗なネガティブキャンペーン、朝木明代東村山市議への窃盗疑惑キャンペーンなどが挙げられよう。
『月刊ペン裁判』一審は、学会の裏工作が功を奏し、隈部氏に対し「執行猶予一年、実刑一年」の有罪判決が下された。その後、は控訴したが、二審は一審判決を支持し控訴は棄却された。
ところが、この時、創価学会の顧問弁護士であった山崎正友氏が、「『月刊ペン裁判』には裏工作があった」とする「上申書」を最高裁判所に提出したことで、旧一審・二審判決を破棄し、裁判のやり直しが命じられることとなったのである。
ちなみに、この裁判の一審で北条浩副会長(当時=後に第四代会長)が出廷した時、�北条の次は自分の出廷�と恐れおののいた池田は、居並ぶ公明党議員を怒鳴りつけた、というエピソードも残っている。
「もしものことがあれば公(※公明党)を血まつりにする。北条裁判(※月刊ペン裁判で北条が出廷したこと)のことは何だ。一切信用しない。……渡部(一郎)はフザケ半分ではいけない。たたき出すぞ! 渡部、矢野(絢也)はふざけ半分では許さない。……北条を法廷に出せとは何事だ。北条を法廷に出したことの罪は大きいよ。……公がどうかでなく師弟の道でいけ。……師匠(※池田)が弟子を甘やかすわけがない。私はバカではないよ。……学会のことはつべこべいうな。」(内部文書)
小心翼々(しょうしんよくよく)たる池田の姿を彷彿(ほうふつ)とさせるとともに、公僕たる国会議員すらも己れの恥部隠しに利用する、政教一致の実態を伝えるエピソードである。
さて、このような経過をたどって始まった、『月刊ペン裁判』の第二ラウンドともいうべき差し戻し一審では、池田と女性達との行状について具体的な審理が進められた。
その中でも圧巻は、池田大作と渡部通子氏の�仲�であろう。
渡部氏は、『月刊ペン』誌上で次のように紹介された女性である。
「そもそも池田好みの女性のタイプというのは�やせがたで�プロポーションがよく�インテリ風――のタイプだとされている。なるほど、そういわれてみると、お手付き情婦として、二人とも公明党議員として国会に送り込んだというT子(※多田時子)とM子(※渡部通子)も、こういうタイプの女性である。(中略)しかも、念のいったことには、この国会議員であった情婦のうちの一人を�会長命令�(!?)かなんかで、現公明党国会議員のWの正妻に下しおかれているというのであるから、この種の話は、話半分のたぐいとして聞いても、恐れ入るほかあるまい。」(『月刊ペン』昭和五十一年四月号)
学会側は、このような記述による事実の暴露を恐れ、名誉毀損の裁判を起こし、隈部氏の筆を折ろうと法廷に望んだ。しかし、当時の種々の状況や関係者の証言から判断すれば、隈部氏の記述は、あながち否定できない内容である。
まず、池田と渡部氏の関係を、実姉・藤原郁子氏に語ってもらおう。
「池田が松島家に出入りするようになったのは、翌昭和二十八年頃のことです。
戸田先生が経営する街金融『大蔵商事』の営業部長だった二十五、六歳の池田が、我が家に出資金をつのりに来たのが最初です。(中略)
背が低くて、色の青白い、そして口のまがった青年だな、というのが当時の池田の印象です。池田はそれをきっかけに、松島家によく出入りするようになりました。(中略)
池田と通子の関係がおかしい、と最初に思ったのは、私が結婚した当時のことです。(中略)
親と別れることが辛かった私は家を出る時、通子に、
『あとのことは頼むわね』
と、くれぐれも頼みました。通子は気軽に、
『いいわよ』
と言ったのに、なんと私が松島の家を出てすぐ、私に黙って家を出てしまっていたのです。
私は、アパートの住所すら教えない通子を探しあて、問い質しました。
のらりくらりと言い逃がれていた通子は、最後に、
『(アパートを借りるのは)池田さんのご意見ですもの』
と、白状したのです。
その時、二人はそういう関係だったのか、と初めて知りました。
それからは、二人が特別の関係であることがわかるシーンに何度も出くわしました。
池田が三代会長に就任した昭和三十五年以降は、特に露骨になりました。
ある日、きれいなネックレスをしていたので、
『それ、どうしたの』
と、聞くと、
『先生にいただいたの』
と嬉しそうに言うし、また、突然アパートに電話が入っているので聞いてみると、
『先生が入れてくださったの』
と言う。
そして、なにより池田が、
『通子、通子』
と、まるで自分の女房に対するように身の回りの世話を命じていたんです。
それは誰が見ても、普通の関係でないことが分かるものでした。」(『週刊新潮』平成八年三月十四日号・藤原郁子氏手記)
この当時、通子氏は早大法学部二部の学生であり、実家から通えるにも拘わらず、わざわざ一人暮らしをする必要があったとは思えないし、その余裕さえもなかったのではないだろうか。事実、当時の『聖教新聞』は通子氏のことを次のように伝えている。
「例えば、あちこちの会合によく自動車で走り回られるので、さぞかしお金が泉の如く涌き出るのかしらと想像していると、お財布代わりのポケットは五円玉、十円玉の住家である時が多い。時々、あっと目をみはるような新調された服装をして来られる。学生であるという観点から推測すれば、新調するまでの段階には並々ならぬ苦心談もあろうが、非常に巧みな戦術? が秘められているらしい。無から有を生ずる……私も大いに学びたいところ?」(『聖教新聞』昭和三十一年一月二十二日)
「ポケットは五円玉、十円玉の住家」といった状況で「あっと目をみはるような新調された服装」をすることは容易なことではない。しかし、そんな通子氏に、池田はアパート暮らしを勧めている。されば、何らかの経済的援助があったことは、想像に難くない。
当然、このことについても、法廷で争われた。
「弁護側 通子さんの早稲田時代の生活ぶりは?
池田 アルバイトをやりながら勉強していたと思う。
弁護側 かなり貧乏な学生か。
池田 そのように考えられる。
弁護側 通子さんは苦学しながらやっていた。が、いつもきれいな洋服を着てくる。どこで新調してくるのか。
池田 私は関係ありません。うちも大変な家。とても面倒見られない。
弁護側 昭和二十七年当時、二十万円の月給をかせいでいたのか。
池田 そのぐらい稼いでいたことはあったでしょう。
弁護側 今の金額でいうと大変な額だが。
池田 そうですね。
弁護側 あなたは苦しくなかったのでは。
池田 私が貰ったものを下で働いている部下にやらなければならない。
弁護側 部下の人は会社から給料をもらっていないのか。
池田 歩合制だから固定給だけ。
弁護側 気前がいいですね。
池田 江戸っ子なもんで、確かに気前がいいんです。あとで苦労する。
弁護側 通子さんに洋服をプレゼントしたことは?
池田 ありません。」(溝口敦著『創価王国の野望』)
池田の給料がいくらであったか、学会の内部文書によれば、
「私は、四年で重役だ。給料は、まもなく社長を抜いた。私は、当時で、二十万円とっていた。社長は四万八千円だ。(中略)北条、森田、竜、原島、小泉、辻――全部、おごってあげたんだ」(四十八年十月初旬の池田発言)
というから、かなりの高給とりである。
当時の池田の給料が二十万円だとしたら、大変な金額である。何しろ、大学卒の初任給が一万円弱の当時であるから、現在に換算すれば、ひと月に三百万円から四百万円はとっていた計算になる。それのほとんどを部下に回したとしても、通子氏には回さなかった、などとは考えられない。何せ、通子氏にアパート生活を勧めたのは池田なのだから。
さて、こんな池田と通子氏の関係について、法廷では、「渡部通子の実家の三畳間で、素っ裸の池田大作が通子の前に立っていた」という証言まで飛び出した。
証言をした小沢よね氏の証言を見てみよう。
「弁護士(佐瀬昌三氏) 池田大作を見たのはいつですか。
証人(小沢よね氏) 二十九年秋だと思います。
弁護士 場所はどこですか。
証人 松島家です。
弁護士 (松島家の見取図を示しながら)玄関から入って入口に近い左が三畳間ですね。
(中略)
弁護士 池田に会ったというのは、どの部屋ですか。
証人 三畳間です。
弁護士 目撃したという場面を詳しく話して下さい。
証人 折伏か何かの帰りに、飯野さんと二人で松島家によりました。その日は会合はなかったのですが、飯野さんが松島家の台所の手伝いをしていたし、私も誰かが飛び込んでくるかもしれないとおもって、行ってみました。
玄関を入ったところのすぐ左手に三畳間があって、そこに荷物を置きました。私は着物でしたので、上に羽織るものとバッグを、飯野さんは袋を置きました。それから六畳間に行きました。
誰もいないし、家に帰ってご飯の支度をしなきゃならないので、じゃあ帰ろうかと、いつものように三畳間のふすまをガラッと開けたところ、池田大作さんが真っ裸ですぐ前にぬっと立っていました。通子さんは立て膝のようなかっこうで、バスタオル様のものを持っていました。私はもうびっくりして、こうやって廊下へ腰をついちゃって(註=尻もちをついて)倒れちゃったんです。
飯野さんはもと看護婦をしているから落ち着いた方だから、私の荷物をパッと手で押して廊下のほうへ、それでドアを飯野さんが閉めました。それでこれは大変なことになったとおもって、二人で大変だ、大変だ、といって帰りました。
弁護士 一糸まとわずですか。
証人 はい、その通りです。」
この「三畳間」の隣はお風呂であったというから、池田大作はまさにお風呂上がりのくつろいだひと時であった。
あまり想像したくはないが、想像してみよう。池田大作は素っ裸のまま仁王立ちで、通子氏はその前で立て膝をついている――どう見ても、通子氏が池田の下半身をバスタオルで拭いている図ではないか。
この証言は池田ら学会側によほど堪(こた)えたのであろう、学会側はこの証言に対し、全面否定を試みたである。
裁判の記録を見てみよう。
「検察官 証人(池田)の女性関係は、華やかとか、色情狂とか、病的との記載があるが。
池田 まったくありません。
検察官 松島家で風呂に入ったことは。
池田 絶対ない。
検察官 小沢よね、飯野なみの『三畳間証言』について、その事実はどうか。
池田 まったくない。私を陥れるための作り話でしょう。」(『もうダメだ! 池田大作創価学会』)
池田は三畳間での事件を否定しているが、学会側証人は、さらに「三畳間が増築されたのは三十年三月、二十九年には三畳間はなかった」とまで主張した。
このことについて、野崎勲(副会長)は次のような弁護を試みている。
「当時、松島家に彼女たち(小沢よね・飯野なみの両氏)のいう三畳間すらなかったことが、当時の松島家の住人や家族、また昭和三十年度の『大宮市政要覧』の中に移されていた航空写真等から裏付けられて、まったく信憑性のないものであることが判明している」
(野崎勲著『創価学会の真実』)
「大宮市政要覧」の航空写真まで持ち出してくるとは念のいったことだが、そのような航空写真に写った一軒家など米粒程度の大きさであって三畳間の有無を確認できるものではない。事実、裁判所でも「ほとんど証拠的価値はない」と一蹴されている。
学会側は、通子氏の兄弟(学会員)や、当時の松島家に住み込みで働いていた住人を登場させて、この三畳間証言を覆(くつがえ)そうとしたが、裁判ではどれも成功していない。
さて、学会側は「三畳間がなかったから、事件はなかった」というのであるから、「三畳間」が存在していたのであれば、この主張自体がウソだということになる。
「三畳間」は本当にあったのか、なかったのか、通子氏の実姉・藤原郁子氏に聞いてみよう。
「後に月刊ペン事件で、池田と通子の関係が争点となった時、学会は私を裁判に出廷させないため必死でした。
私が出廷すれば、どんな証言が飛び出すかわからない。
それで、松島家にいたお手伝いさんに何度もリハーサルさせた上で出廷させ、二人の関係がなかったように証言させました。
裁判では、松島家の三畳間で風呂上がりの裸の池田を通子がタオルで拭いていた、という証言まで出ましたが、学会側は、その三畳間自体がなかったというようなことまで主張したそうです。そういう、嘘に嘘を重ねる学会の体質というのは、今も昔も全く変わっていないように思います。」(『週刊新潮』平成八年三月十四日号)
要するに、「三畳間はなかった」とする学会側の証言は「ウソ」だというのである。これで、池田と通子氏との�不適切な関係�は確定的である。
月刊ペン裁判
−−学会報道の裏側
池田大作をして、感情むき出しに「もしものことがあれば公(※公明党のこと)を血祭りにする。……渡部はフザケ半分ではいけない。たたき出すぞ! 矢野はふざけ半分では許さない。北条を法廷に出せとは何事だ。北条を法廷に出した罪は重いよ。……公がどうかでなく師弟の道でいけ」と言わしめた「月刊ペン裁判」。
華々しい学会報道とは裏腹に、オドロオドロしいまでの謀略(ぼうりゃく)が渦巻いていた! その真実をお知らせしよう。
最初に−−池田の素顔−−
「飾り気のない」「江戸っ子」を自認する池田の�本音�を見てみよう。月刊『宝石』に掲載された、青島幸男氏と池田の対談である。
青島 一夫一婦制の問題ですけれども、私はやはり、男性というのは本来の生理からいっても、どうしても一夫一婦制の枠内に入りきれない場合ができてくると思うんです。そういう行為をお認めになりますか?
池田 法律的にいうと、日本は一夫一婦制に定められているからよくない。(中略)ただし−−ただしですよ〈笑い〉もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも、私は男性として認めます。(月刊『宝石』昭和四十四年一月号)
池田に言わせると、男女関係は「理由」と「力」があれば、夫婦の枠外でも自由なものらしい。
この意見の可否は別として、とりあえず、池田の信条はこういうものだ、ということである。
そして、この信条をそのまま実践したのか、池田の周囲には男女関係の醜聞(しゅうぶん)が各所から聞こえてくる。「月刊ペン裁判」も、その醜聞の結果の一つである。
この「月刊ペン裁判」は、「創価学会解散勧告書」の中にも「本宗七百年の清浄な宗風に泥を塗り、また本宗の社会的信用に大きく傷を付け、正法の広布進展に著しい妨げ」となった一例として挙げられている。
これに対し学会は「この件は学会側から名誉毀損で訴えた事件です。
裁判の結果、相手が有罪になったのです。何が宗風を傷つけたというのですか」と開き直っているが、実はこの裁判、被害者であるはずの創価学会が、加害者であるはずの「月刊ペン社」に示談金を払ってカタをつけた裁判である。
そしてそれは、裁判所をして「不明朗」「不可解」とまで言わしめた、裁判史上類例を見ない、奇怪な不祥事だったのである。 これを「宗風を傷つけた」と言わずして何と言おうか。無反省、非常識はいい加減にしろと言いたい。
■ 月刊ペン裁判の概要 この一連の事件は、『月刊ペン』誌編集長・隈部大蔵が、「池田の下半身スキャンダル」を月刊ペン誌上に公表したため、創価学会並びに池田をはじめとする女性幹部数名から告訴されたことより始まる。
そして、隈部は告訴後、ただちに逮捕拘留されてしまっている。
その『月刊ペン』の記事の内容は、池田にはT子、M子、あるいは芸者妾というような、六件にものぼる多彩な女性関係がある、というもの。
ここに紹介されたT子とは国会議員の多田時子、M子とは同じく国会議員の渡部通子とされる(いずれも当時)。
一審では隈部側は、「創価学会は日本最大の宗教団体であり、その責任者たる池田大作の行動は社会に重要な影響を及ぼすものである。
したがって池田個人の行動ではあっても、公共の利害に関することである故に、記事は専ら公益を図る目的で記載したもので、記事の真実性が立証されれば名誉毀損にはあたらない」と主張。
裁判所は、「創価学会は日本最大の宗教団体とはいえ、池田個人の私生活上の男女関係を侮辱的・嘲笑的に取り上げた記事は、公共の利害に関するものとは言えない」と、隈部側の主張を退け、事実審理に立ち入らずに有罪判決を下した。
結果的に隈部は謝罪文を書き、学会より「寛大な処置を」との上申書が裁判所へ出されている。
しかし、隈部側はこの一審判決を不満として控訴(こうそ)。
控訴審(二審)でも一審を支持して隈部の控訴を棄却(ききゃく)し、これで一切が終わったかに見えたが、隈部はこれも不服として、最高裁へ上告したのである。
ここにおいて最高裁は、事件が「公共の利害に関する事項」であることを認め、東京地裁に裁判を差し戻し、やり直しを命じた。
差し戻し審では、池田の女性スキャンダルが黒に近い灰色であること、また旧一審の最中、学会より被告側の月刊ペン社に対し、二千万とも三千万円ともいわれる大金を池田出廷回避工作費として渡した事実が明らかにされたことで、判決は隈部を有罪とはしたものの、学会側の求刑を大幅に下回る極めて微罪となったのである。
●「山崎上申書」 右の経過には、非常に不審に思われる点がいくつかある。
一つには、告訴後、直ちに隈部が逮捕されてしまっていること、そして一つには、隈部が「謝罪文」を書いたにも拘らず、隈部側から控訴していること、そして学会から「裏工作費の二、三千万円」が出ていること、等である。
これらの疑問を解くカギの一つがいわゆる「山崎上申書」である。
これは元創価学会顧問弁護士・山崎正友が上告審たる最高裁へ提出した上申書で、概(おおむ)ね次のようなことが記載されている。
�学会が公明党を使い、法務省、警視庁に圧力をかけた結果、警視庁捜査四課(暴力担当の課。通常、名誉毀損など知能犯は二課で処理される)の担当となり、告訴後、隈部は直ちに逮捕拘留(こうりゅう)された。
�「月刊ペン社」社長・原田倉治氏並びに隈部の弁護人である重富弁護士に示談金を払い、池田の証人出廷を阻止した。…等々。 学会側はこの「山崎上申書」に対し、歯牙(しが)にもかけない態度をとっているが、この「上申書」を通して旧一審の経過を見ると、妙に納得できるのである。
そして、「裏工作費」に関しては、「山崎上申書」と同趣旨のことを、北条前会長が別の裁判(山崎正友三億円恐喝事件)でも証言しており、また、秋谷もこの「ペン裁判」で証言しているのである。
さらに、後に隈部自らが明らかにしているように、この裏工作によって隈部は、雇主である「ペン社」原田社長と自分の弁護人である重富弁護士の強引な説得によって、一度は「謝罪文」を書かされたのである。
●『創価学会の真実』の真実 この裁判について、野崎勲副会長(当時総務)が書いた『創価学会の真実』という本がある。副題が「崩壊(ほうかい)した山崎、隈部の陰謀」となっている。
つまり学会からみた「ペン裁判」とでもいうべきもので、現今でもみられる学会流のスリカエの羅列(られつ)である。
ここにある内容と裁判の記録を照らし合せると、それこそ謀略教団「創価学会の真実」の一分が明らかになる。
裁判の争点の一つに『裸の三畳間』というものがある。
松島通子(旧姓・現在は渡部姓)宅の三畳間で、裸の池田大作が松島通子の前に立っていたというもので、証人として「小沢よね」「飯野なみ」の二人が出ている。
両人とも元創価学会員で、当時松島宅を拠点として活動していた婦人である。
『弁護士 池田に会ったというのは、どの部屋ですか。
小沢 三畳間です。
弁護士 目撃したという場面を詳しく話して下さい。
小沢 折伏か何かの帰りに、飯野さんと二人で松島家に寄りました。
その日は会合がなかったのですが、飯野さんが松島家の台所の手伝いをしていたし、私も誰かが飛び込んで来ているかもしれないと思って、行ってみました。
玄関を入ったところのすぐ左手に三畳間があって、そこに荷物を置きました。
私は着物でしたので、上に羽織るものとバッグを、飯野さんは袋を置きました。
それから六畳間に行きました。
誰もいないし、家に帰ってご飯の支度(したく)をしなきゃならないので、じゃあ帰ろうかといつものように三畳間のふすまをガラッと開けたところ、池田大作さんが真っ裸ですぐ前にぬっと立っていました。 通子さんは立て膝のようなかっこうで、バスタオルの様なものを持っていました。
私はもうびっくりして、こうやって廊下へ腰をついちゃって、倒れちゃったんです。
飯野さんは元看護婦をしているから落ち着いた方だから、私の荷物をパッと手で押して廊下のほうへ、それでドアを飯野さんが閉めました。
それでこれは大変なことになったと思って、二人で、大変 だ、大変だ、といって帰りました。
弁護士 一糸まとわずですか。
小沢 はい、その通りです。』
これに対し、学会側・野崎はこう反論する。
▲「当時、松島家に彼女たちのいう三畳間すらなかったことが、当時の松島家の住人や家族、また昭和三十年度の『大宮市市政要覧』の中に写されていた航空写真等から裏付けられて、全く信憑性(しんぴょうせい)のないものであることが判明している。」(野崎勲・「創価学会の真実」七十四頁)
だが、この野崎の威勢のいい反論も、次の判決文を見ると興冷めしてしまう。
●●「また、一見客観的な証拠であるかのように思われる当時の市勢要覧『おヽみや』中の航空写真は、問題の部分が余りにも小さすぎて細かい点を見分けることは困難である上、最も大切な撮影時期のデ−タがあいまいなため、ほとんど証拠的価値はない。」
このように「航空写真等から裏付けられて、全く信憑性のないものであることが判明し」たとする野崎の主張は、あいまいすぎて「ほとんど証拠的価値はない」とまで言われている。
それにこの航空写真も拡大してはあるが、ピンボケで、その解析(かいせき)図も創価学会の建設局職員の作成である。
さらに、野崎のいう「松島家の住人や家族」の証言も、裁判では、逆に疑問視されているのである。
その「住人」・高根美枝の証言を再現すると、
『高根証人 ずっと以前のことですので、松島規さんと松島家の間取りについて確認しました。
裁判長 どういうふうに確認しましたか。高根 ここに玄関があって、ここに「三畳間」があって ……。裁判長 ちょっと待って下さい。その三畳間がまさに問題になっているんですよ。』と、「三畳間」を否定するために証言台に立ちながら、ポロッと「三畳間」の存在を認め、裁判長にその不自然さを指摘されているのだ。
これが単なる言い間違いかどうか、確かめる術(すべ)はないが、裁判所は見逃(のが)さなかった。 判決文は述べている。
●●「同居していたという高根は、三畳間の存在を否定する一方で、逆に三畳間の存在を認めるようなことも口走っており、同女が正にこの点を主たる立証趣旨とする証人であったことを前提にすると、これを単なる言い間違いに過ぎないものとして軽視してよいか、問題なしとしないようにも感ぜられるのである。」
さらに、この「松島家の同居人・高根」自体も、本当に同居していたかどうかさえ疑問である。
つまり学会側の「偽証」のための証人、との疑いがあるのだ。
次のやりとりを見ていただきたい。
『弁護人 あなたが当時寝ていた部屋は?
高根 六畳の間です。
弁護人 その部屋では誰と一緒に寝ていましたか?
高根 わかりません。覚えていません。
弁護人 風呂は誰が焚(た)いていましたか。
高根 私がいたときは私の仕事でした。
弁護人 当時、風呂は(燃料は)何で焚いていましたか?
高根 わかりません。』
こんな「わかりません」の連続でしびれをきらした裁判長が質問した。
『裁判長 自分で焚いていたんでしょ? わからないというのはおかしいじゃないですか?
高根 ……わかりません。
裁判長 誰と一緒に寝ていたかも、すんなり出てこないのはおかしいでしょう。
高根 ……裁判長 当時あなたはおいくつでした?
高根 二十八歳でした。』
当時二十八にもなる者が、これほど記憶が不鮮明であろうか。自分で焚いた風呂の燃料が答えられないとは…。 これでは、この証人自体が「同居」を偽証しているとしか言いようがない。
さらに、この高根証人は大正十年生まれで、当時は三十三歳のはずなのである。
かくて、「三畳間」を否定するために出廷した高根証人は、「三畳間」については明確に答えるが、他のことには一切「わかりません」としか答えられない無様(ぶざま)さ。
このような「証人」の証言をまともに信ずることができようか?
野崎が「(なかったことが)判明している」と言い切る三畳間の存在についてまで、裁判所では疑問視された。 そして、第三者が見ても信用できない証言の数々に、野崎の論法がいかに欺瞞に満ちたものであるかが手に取るようにわかる。 (以下 今後に続く)
★ 検証!誰もが知りたい『月刊ペン裁判』(下)
前回、争点の一つとなった「裸の三畳間」について述べた。
これで学会側の証言あるいは反論が、いかに信用できないか、誰の目にも一目瞭然であろう(反論のある方は、まず野崎の反論を援護してみよ)。
じつは、学会側の反論は、裁判所でも「信憑(しんぴょう)性が薄い」とされたのである。
一つ具体例を挙げる。『月刊ペン』がスッパ抜いた「芸者めかけ」の件である。
「身請けしよう、外国へ連れて行こう、ダイヤを買ってあげよう」……
『ペン』誌上では、 「彼(※池田)にはれっきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。これは外国の公的調査機関も確認しているところである。さらにT子のほかに、もう一人の芸者のめかけC子が、これも赤坂にいるようである」と紹介されている(T子とは石川孝子氏だとされている)。
そして、三菱銀行主催の宴席で、池田が石川氏に「身請けしよう」「外国へ連れていってあげよう」「ダイヤを買ってあげよう」等と語ったとされている。
これに対し、池田は証言に立って、「私は(酒席に芸者を置くことが)嫌いです。宗教者ですから」等と明確に否定した。
しかし、裁判所では、■「池田は、当公判廷において、石川ら芸者に対して身請け云々の話をしたことなどは全くないと証言するが、石川は、創価学会は嫌いであるとしながらも、学会側、反学会側のいずれにもくみしない立場にあると考えられるところ、同人が池田との妾関係を否定する点についてだけ虚言を述べているとは考え難く、酒席であってみれば、その程度の話が座興に出ても格別おかしくないと見られるのであって、全体として石川の供述は十分措信するに足るものと考えられる。 右石川の供述に比べれば、池田の供述は石川との関係を否定しようとするあまり、酒席の模様を一律に否定しすぎているとの印象を拭うことができず、少なくとも池田の右証言をそのままに受け取ることは難しいと感じられる」 と、池田の証言を全面的には用いていない。むしろ、石川孝子氏の言を信用し、池田が石川氏に「身請けしよう、外国へ連れて行こう、ダイヤを買ってやろう」と語ったことについては信を措(お)いているのである。 池田の証言が、裁判所で、いとも簡単に破棄(はき)されているのがよくわかる。
最近、何を血迷ったか、学会が御当代日顕上人猊下に対し奉り、芸者との関係を捏造しているが、その捏造の原型はここにあったというべきである。
自分が受けた非難の数々を御法主上人猊下に転嫁したわけであるが、その一つ一つは、このような形で蓄積されたノウハウであることを、学会員は早く知らなければならない。
この裁判で論議されたのはこれだけにとどまらず、数々のスキャンダルが摘出された。
たとえば、
�渡部通子同様、池田の�お手付き情婦�と書かれた湊時子(旧姓・現在は多田姓※既に死亡)のこと
�池田大作が渡米の際に買った、あてがわれたという金髪コールガールのこと
�女狂いの池田大作が、ソ連訪問旅行のさいに、K・G・B(ソ連秘密情報機関)の手によって仕組まれた女性関係、等々。
裁判での証言はなかったが、池田に自ら�奉仕�したという寺田某の生々しい手記も残されている。
これらの一つ一つは、裁判上、双方にとって�決め手を欠く�ということで、用いられなかったが、池田にそれらしい行動が見え隠れしたことは裁判所も否定はしていない。
このことについては最後に述べる。
●
これでも「正々堂々」と言えるか?
・・裏工作 裁判所から数々の疑問を提示される形となったこの裁判であるが、この裏には、もっと重要な、社会正義を真っ向から崩すような行動が、学会によって行なわれていたのである。
それが前回の冒頭に記した「三千万円」あるいは「二千万円」といわれる�裏工作�金である。
これは「山崎上申書」にも述べられているが、その内容は、池田の証人出廷を防ぐために(山崎が)大金を使って裏工作した、というものである。
野崎(※先日死亡。61歳)はこの事実を強く否定し、「(金は)山崎が北条会長を言いくるめて右翼対策費として出させたもの(趣意)」と論陣を張っているが、野崎にとっては残念なことに、「山崎上申書」の以前に、それと同じような趣旨のことを、北条が「山崎三億円裁判」の中で、また秋谷が「ペン裁判」の中で証言しているのである。
北条の証言を見ると、 「私は極力池田会長の証人出廷を回避し、さらし者にならないようにしたかったので、『じゃ話をしてみてくれ』と頼み、山崎弁護士の出番を作ってしまったのです。 山崎弁護士が、笹川陽平や原田、隈部らと話をつけたらしく、(中略)三〇〇〇万円を出してくれるように言うので、会から正式に出せる金ではありませんから、ある学会員に事情を話し、個人的に現金三〇〇〇万円を出してもらい、五十二年二月末から三月初ころ一〇〇〇万円、四月初ころ二〇〇〇万円をそれぞれ本部で山崎弁護士に渡しました。 結局、隈部の(注・代理人の)方からは一応形式的には池田会長の証人申請をするが、採用されなくとも結構だという消極的な態度に出たようで、池田会長も証人に出なくて済むようになったのです」
野崎の主張には、すでに明らかになっていることまで言い繕(つくろ)い、真実を隠そうとする学会の体質が、滲(にじ)み出ているではないか。
学会員を愚弄(ぐろう)するのもほどほどにしろ!と言いたい。
この大金の授受は裁判の一つの争点ともなっており、重要証人である池田も、渡部通子も、裁判官の質問にしどろもどろとなった。
● 裁判長も呆れる「知らぬ存ぜぬ」池田証言
秋山裁判長 三千万円は結局、どこへ渡したのですか。
池田 山崎に渡しました。
裁判長 そこからどこに流れたのですか。
池田 わからないのです。
裁判長 そんなことはおかしい。どこに流れるか、調べもしないのですか。流れがわからなければ、カネを渡した趣旨が一貫しないでしょう。
池田 右翼に、つまり笹川さんに渡ったと思っていました。
裁判長 その先をどうして確かめないのですか。
池田 わからないです。山崎を信頼しているというか、依存するしか仕方のない状況でした。 この「知らぬ存ぜぬ」は学会の最初からの戦術だったらしく、渡部通子も同じように「知らぬ存ぜぬ」で、裁判官より「はなはだ解せない」とまで言われている。
● 裁判長 「納得できない!」
裁判長 しかし、被害については強い証言がある割に、納め方は、はなはだ解せない納め方ですね。
渡部 そうですね。 私もそう思います。
裁判長 ところが、 そのまま放っておられる点が、私は納得できない。
渡部 放ってあるわけではないんです。今も申し上げましたように、キツネにつままれたような話ですね。
裁判長 ところが、それならば内部の然るべき機関で、あれはどうなっているのか、どういう趣旨なのかということをはっきりさせる手続きがあって、初めて納得してない、ということが言えるんじゃないですか。
この裁判長の言こそ常識的な判断と言うべきである。常識が通用しない学会ならではの珍問答というところだろうか。 さて、引用文が長くなってしまったが、話を元に戻して、この裁判については野崎の主張が全く通用していなかったことを、判決文から拾ってみよう。
■ 「更に考慮を要すると思われるのは、本件が旧第一審継続中の時期に、被害者である学会側と加害者である被告人側との間で話し合いがもたれた結果、被告人が詫び状を差し入れ、学会側が告訴取下げ手続を取ることとなったほかに、被告人側からの池田に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者側(創価学会側)から加害者側(被告人側)へ二〇〇〇万円、三〇〇〇万円とも言われる高額の金員が支払われるという、本件の具体的な訴訟手続と絡ませた取引がなされた事実が認められる点である。(右金員支払の趣旨を右のようなものではなく、一般的な右翼対策費であるかのごとく言う者もあるが、右交渉の学会側責任者で金員捻出の衝にも当たった北条浩が、検察官調書謄本中で、前記認定通り供述していること、更に右金員交付の時期と旧第一審訴訟手続進行段階との関連や、右金員が月刊ペン社側に支払われ、引き替えに同社側弁護士の領収書が差し入れられたという山崎正友証言に対し、見るべき反証が提出されていないこと、その他関係証拠の現状に照らすと、前記のとおり、認定するほかない)。」
この判決文を見るだけでも、「右翼対策費」云々などという野崎のウソはすでに粉々に砕かれている。 裏工作をしなければならなかった本当の理由、それは、当時の学会首脳が、池田の下半身の行状に責任が持てなかった、信用できなかった、ということである。
さらに「もしものことがあれば公(※公明党のこと)を血祭りにする。……渡部はフザケ半分ではいけない。矢野はふざけ半分では許さない。北条を法廷に出せとは何事だ」と、公僕たる国会議員にまでハッパをかけた池田には、身に覚えというか、やましさがあったと考えるべきであろう。
もしなかったというならば、裏工作など必要ないし、仮に「池田会長に出廷の労をとらせたくなかった」からとしても、裁判の裏工作はあまりにも卑劣であり、金額も大きすぎる。それこそ宗教者として糾弾されるべきではないか。
最後に、裁判所がこの事件にどういう結論を下したか、判決文に見てみよう。
■ 「本件証拠中でたびたび指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書的事務を担当する部局には常に妙齢の女性がいて、出張先にも同行の上、身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実状にあることは、いかに宗教団体内部のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないように見えるし、(中略)やはりそうであったかと思わせる素地につながっていることを否定し難いのである。(中略)こうして見ると、本件は何の根拠もなく事実を全面的に捏造・摘示したのとは事情を異にしており、そこには量刑上酌量の余地があると考えられる」
裁判所は、誰がみても怪しい池田の行動を�潔白�とは断定し難く、やむを得ず隈部側を有罪とし、およそ考えられない、罰金二十万円という微罪の判決となったのである。
すなわち池田自身の怪しげな行動ゆえに、身の潔白も立証できず、結局は完全な�白�ではなく、限りなく�黒�に近い�灰色�と認定された・・これが本裁判の結論である。
● 言論弾圧の反動
なお裁判所は、なぜ隈部が学会批判をなさねばならなかったのか? そこにも触れる。
■ 「主として当審における審理によって初めて明らかになった事情のほか、従前から指摘されていた諸事情、すなわち、被告人は過去において創価学会批判書の出版を同会から組織ぐるみで妨害されたことがあり、これに対する不快感のあったことが本件犯行の一動機となっていないとは言えない。」
すなわち、学会が言論弾圧を行なったことを公(おおやけ)に明らかにし、この言論弾圧が『月刊ペン』掲載の執筆の動機になった一因であると認定しているのである。
● 世界はこんな 破廉恥男を
「永遠にノー!」
この裁判のさなか、海外でも池田の話題が世界を駆け駆け巡った。 「日伯毎日(ブラジルの日系紙)」は池田大作について、次のように語っている。
▲
「腰から下のスキャンダルで裁判になっている、日本の新興宗教団体の名誉会長」
▲
「頭が宗教屋で、胴体が政治家、そして腰から下が漁色家という、ヌエのような人物」 (一九八二年六月九日付)と。まさに池田の素顔を語って余りない表現である。このような人物が世界を渡り歩くことにより、日本の恥を世界にまき散らすのみならず、日蓮正宗の宗風を傷つけ、威信さえも地に落としてくれた。 このような男は、世界から「永遠にノー」と言われても仕方があるまい。
● 最後に
この裁判経過中での問題点はあまりにも多く、そしてあまりにも大きすぎ、とうてい本紙の紙面では書ききれないものである。」
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●まあ、ざっと以上だが、重複する箇所がある事と文頭の記号の約束事が若干乱れていることは御容赦願って、しみじみ読み込んでいただいて、貴殿の「▼俗衆増上慢=週刊誌などの報道に紛動されて学会を誤解している民衆」との主張が成立するのか否か、とくと熟考していただきましょう。
また、反論があるのなら、明確な反証を挙げてして下さいね。
次は共産党宮本委員長宅盗聴事件でもいきましょうかね。乞う御期待。
本当は法門上の事で徹底的に破折したいのですが、貴殿の研鑚の程度が低すぎて正統教学が理解できないようなのと、今回の貴殿の噴飯ものの”御迷答”の”お陰”で、不本意ですが、暫くこの種のお題でいきますね。その次はルノワール脱税疑惑1億7千万金庫事件投票替え玉事件などなどが続きます。
お楽しみに。
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2005年2月8日 23:31
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特集 携帯電話通話記録窃盗事件と創価学会の盗聴体質
乙骨正生(ジャーナリスト)(※ここも反学会ジャーナリストの名前を見ただけで過剰反応せず、まず内容を熟読し、もし異議があるなら客観的な事実を以って反証してください。)
尚、昨日のメールもそうでしたが、ソフトの不具合でしょうか。後半改行なしのベタ打ち状態になってしまっていますが、お許しください。
九月十三日に発覚した、創価学会幹部で創価大学の職員・OBらによるNTTドコモからの携帯電話の通信記録の盗み出し事件は、共産党宮本委員長宅盗聴事件に象徴される創価学会の盗聴体質をあらためて浮き彫りにするとともに、そのような盗聴体質がいまもなお、創価学会の組織内で脈々と受け継がれていることを窺わせるものとなった。
事件は、創価大学剣道部監督で八王子地域の創価学会組織の男子部主任部長である田島稔容疑者の男女関係のもつれに起因する色恋沙汰とされているが、通信記録の盗み出しは田島容疑者の元不倫交際の相手だけにとどまらず、創価学会と対立する関係にある人物や団体の周辺にも及んでいるとの情報もある。
本誌先号の「特報」や今号の特集記事にもあるように、田島容疑者の依頼を受けて創価大学の後輩である嘉村英二容疑者に通信記録の盗み出しを指示し、逮捕された創価大学学生課副課長の根津丈伸容疑者は、創価学会の全国副青年部長という要職にあったばかりか、「広宣部」という創価学会に対立する人物や団体の情報収集や攻撃に従事する組織に所属していた。
そうした立場の根津容疑者が、嘉村容疑者を使嗾して犯した通信記録の盗み出しに、仮に創価学会と対立する関係にある人物や団体の関係者が含まれていたとなれば、これはもう単なる色恋沙汰の事件ではなく、創価学会が対立者の情報を収集するために行った組織的犯罪という様相を帯びてくる。それだけに事件の全容解明、事件の背景についての今後の捜査結果が注目される。
それにしても、副青年部長という中枢幹部の立場にあった人物を含む幹部会員が、通信記録を盗み出すという人権侵害甚だしい犯罪を犯したにもかかわらず、創価学会はこの事件ついてなんら言及していない。
創価学会は日頃、機関紙「聖教新聞」紙上に、秋谷栄之助会長や森田一哉理事長などの首脳幹部による座談会記事「人権と平和と社会を語る」を掲載、しきりに人権の尊重をアピールしている。だが、現役の創価学会幹部である根津容疑者らが犯した人権侵害を伴う犯罪行為については、謝罪どころか、事件そのものにもいまだに一言も触れないのである。
もっとも創価学会は、東京地裁、東京高裁が北条浩会長の承認を含む創価学会の組織的犯行と認定した共産党宮本委員長宅盗聴事件についてすら、判決で命じられた百万円の損害賠償こそ宮本氏側に振り込んできたものの、今日にいたるまでただの一言も宮本氏や共産党側に謝罪していない。そうした無反省の体質だけに今回の事件についても創価学会は、知らぬ顔の半兵衛を決め込むつもりのようだ。
ところで、前出の宮本盗聴事件をはじめ創価学会は、過去に複数の盗聴事件を起こしていることが山崎正友元創価学会顧問弁護士の告発によって明らかになっている。
"虚偽"だった「事実無根」の池田発言
昭和五十五年六月に創価学会から造反した山崎氏は、創価学会には宮本盗聴事件をはじめとする数々の社会的不正行為があることを明らかにした。これに対して創価学会は、山崎氏の造反とほぼ同時期に、山崎氏を三億円の恐喝ならびに五億円の恐喝未遂容疑で刑事告訴するとともに、山崎氏の告発した内容は、すべて「事実無根のデッチ上げ」だと反論した。
例えば、昭和五十六年四月
に発刊された「週刊朝日」のインタビューの中で、創価学会の池田大作名誉会長は、山崎氏の告発について次のように発言している。
「一切デッチあげで、事実無根」 同様に秋谷栄之助会長も、同年十一月に発刊された「サンデー毎日」のインタビューにおいて池田氏同様、山崎氏の告発について次のように全否定している。
「創価学会に、いわれるような不正はない。山崎らが、ためにするためにつくりあげたものだ」
だが、池田名誉会長が「一切デッチ上げで、事実無根」とした盗聴事件などの違法行為、社会的不正がすべて事実だったことは、他ならぬ創価学会の首脳幹部の発言によって裏付けられている。
というのも、創価学会は対外的には山崎氏の告発をすべて「事実無根」としているが、山崎氏の恐喝を立証し事件化するためには、恐喝によって金を出さざるを得ない"畏怖すべき事実"があったことを認めざるを得ず、検察の取り調べや恐喝裁判の過程で、北条会長(昭和五十六年七月死去)や秋谷栄之助会長、八尋頼雄副会長(弁護士)などの首脳幹部が、やむなく盗聴事件等の社会的不正の事実を相次いで認めているからである。
では、創価学会の首脳らはどのような社会的不正を認めたのだろうか。昭和五十六年二月二日・三日付の北条会長の検察官面前調書(検面調書)には、創価学会が畏怖した事実十一項目が次のように記載されている。
�宮本盗聴事件(共産党宮本委員長宅に盗聴器を仕掛け電話盗聴を行った事件)
�池田大作女性スキャンダル
�新宿替え玉投票事件(新宿の創価学会組織が組織ぐるみでアパートの投票入場券などを盗み出し、年格好の似た学会員を替え玉に仕立てて投票した事件)
�月刊ペン事件裏工作(池田氏の女性スキャンダルが審理された月刊ペン裁判で、池田氏の証人出廷を防ぐために、被告の隈部大蔵氏側の代理人に二千万円を渡す裏工作を行った事件)
�立正佼成会分断作戦(立正佼成会の元理事を使嗾して立正佼成会の組織的分断を図った事件)
�保田妙本寺情報収集(日蓮正宗の本山だった千葉県保田町にある妙本寺に対する盗聴等の情報収集活動)
�妙信講盗聴事件(日蓮正宗の講中の一つで創価学会と教義的に対立した妙信講と細井日達日蓮正宗法主との話し合いを盗聴した事件)
�千里ニュータウン問題(公明党の白木義一郎・田代冨士男の両参議院議員が、一般公募の千里ニュータウンの分譲住宅を創価学会の会合拠点として使用するために、議員特権を利用して裏口分譲してもらった事件)
�公明協会問題(公明党が払い下げてもらった国有地を聖教新聞社と交換した問題)
�119番事件(大阪府豊中市の小学校体育館で行われていた共産党の政談演説会を妨害するために、学会員が小学校が火事だとのニセ119番電話をし、消防車十台を出動させ妨害した事件)
�北条報告書問題(日蓮正宗を誹謗中傷し、日蓮正宗を創価学会の支配下に置くことを画策した文書)
同様に山崎氏の恐喝容疑を審理する裁判の過程で、秋谷会長や八尋副会長は、千里ニュータウン問題や宮本盗聴事件、月刊ペン事件裏工作、妙信講盗聴事件をはじめ、富士宮市での農地不正、富士宮市や静岡県での政治的裏工作などについて、その事実を認めている。
もっとも検面調書での北条発言をはじめ、裁判での秋谷発言など、学会側証人の発言は、いずれも山崎氏を罪に陥れることを目的としているだけに、違法行為等についての創価学会の責任についてはさまざまな予防線が張られている。それらを系統別に列記すると次のようになる。
�沙�造惑Г瓩襪�△垢戮討六該蟷瓩�笋辰燭發里箸垢襦諜榾榲霙飴�錙⇔�妓鸚�駟�悩鄒��錫鮠
�算�造惑Г瓩襪��慍駛槁瑤篩浪然慍顱Ω�静涸反イ隆慷燭鰲箴�修垢襦朕圭病悗╋姪衂嫉�錙��清┣駝簑蝓�銅錣療霙飴���錫鮠
�嫉�造惑Г瓩襪�△△訥�戮�蘋茲六該蟷瓩砲笋蕕擦討い燭里巴里蕕覆い箸垢襦跳邊�撻鷸�鑪����錫鮠
�汁缶姪�鉾歡蠅鯊海韻襦帖鎮單鳥瓩僚��好�礇鵐瀬��錫鮠
錫鮠
このように予防線を張りながらも、創価学会の首脳幹部が宮本盗聴事件をはじめとする社会的不正の事実を相次いで認めたことから、山崎氏の告発は「一切デッチ上げ、事実無根」とした池田発言は、まったくの虚偽であったことが明らかになった。
山崎元顧問弁護士の「独断専行」としたが…… これらの社会的不正のうち、宮本委員長宅盗聴事件について北条会長は、検面調書において次のように発言している。
「次に学会にとって怖ろしかったのは、日本共産党委員長宮本顕治氏宅の電話盗聴事件でした。
この件については、山崎弁護士は脅迫文言の中に明示してはおりませんが、事件の名前を挙げたのに続いて、『事態の深刻さが分かっているのは北条会長だ。ミサイルを二、三発ぶち込む』などと言っていることからして、場合によってはこのいわゆる宮本盗聴事件も事実を歪曲して公表するのではないかと大変怖れたのです。
山崎弁護士は、その著書である『盗聴教団』の中で、あたかも当時副理事長であった私が関与したとか、行動資金を出したなど、まるで学会の承認の下で実行したかのごとく述べていますが、これは真っ赤な嘘です。(中略)
その年(昭和四十五年)の三月から言論問題、学会と公明党の政教分離問題を衆議院予算委員会で共産党議員から追及され、頭が痛い思いをしていたのが、徐々におさまった時期でもあり、主義主張は違っていても、共産党とは話し合い路線で進もうとしていた時でしたから、軽率なことをしてしまった山崎弁護士には、正直なところ大変腹が立ったのです。それで、私は同弁護士に、
えらいことをしてくれたな。
と文句を言ったのです。そしたら同弁護士は、
いずれにしても私が独断でやったことですから、私が責任をとってちゃんとします。勘弁して下さい。
と詫びを言いました。
同弁護士は、盗聴した理由として『共産党としては、学会との関係をどうしようとしているのか知っておいた方がいいと思って、学生部の者を使ってやった』などと、くどくど弁解していました。私は内心山崎弁護士ら学会員がやったことがバレないで済めばいいがなあと思っていました。
そんなことで、山崎弁護士の告白で初めて内情を知った次第です」
山崎氏を恐喝容疑で逮捕、起訴することを目的とした検面調書だけに、宮本盗聴事件はあくまでも山崎氏の独断専行と主張する北条会長だが、創価学会と妙信講(浅井昭衛講頭)が昭和四十七年に日蓮正宗の総本山・大石寺に建立された正本堂(注・平成十年に解体=本誌創刊号グラビア参照)の意義について対立、細井日達日蓮正宗法主が調停に立った妙信講問題に関して実行された盗聴事件については、渋々ながらも山崎氏に盗聴の了解を与えた事実を次のように述べている。
「ところが、山崎弁護士が私に、
浅井が、猊下がこう言った、ああ言ったと言って猊下を利用すると困ります。だから猊下と浅井の話の内容をきちんとテープに取っておかなければいけません。
と盗聴することを言い出したので、私は、
その必要はない。そんなことまでしなくていい。
と言っていさめたのですが、同弁護士は、
そんな大事な場面は絶対とっておかなければいけません。それは僕の方でやります。
と言い、何としてでもやると言い張るので、その強引さに押し切られ、とうとう了解を与えてしまったのです。そして、七月六日、山崎弁護士は猊下と浅井親子の会談を盗聴して、テープにとってしまったのです。同弁護士の話によると、会談が行われると思われる一番良い部屋に、事前に発信器を隠して備えつけ、当日屋外で受信器により受信して会談内容を録音テープに収録したということでした」
「創価学会の犯行」と認定した裁判所
昭和五十五年八月、山崎氏の告発を受けて宮本氏は、東京地裁に北条会長や山崎氏、そして実行犯であった廣野輝夫(元創価学会学生部主任部長)、竹岡誠治(元創価学会副男子部長・創価班全国委員長)、北林芳典(元学生部常任幹事)の各氏らを相手取って一千万円の損害賠償請求訴訟を提起した。裁判は五年の審理を経て昭和六十年四月に判決が言い渡されたが、判決の中で裁判所は、宮本委員長宅盗聴事件は北条会長の承認のもと、創価学会が行った組織的犯行だと認定した。
その判決文には、北条氏の関与及び創価学会が行った数多くの盗聴行為が次のように認定されている。
「被告山崎は、昭和四七年以降、学会ないし北条から資金等の提供を受け、被告廣野、同竹岡、同北林らを指揮して、少なくとも次の様な情報収集活動を行った。
(ア)日達上人と浅井父子との、妙縁寺における会談の盗聴
(イ)秋谷、原島、被告山崎と浅井父子らとの、常泉寺における七回にわたる対決討論の盗聴
(ウ)妙信講に対する内部情報収集活動
(エ)立正佼成会に対する内部情報収集活動
(オ)学会と対立関係にあった松本勝彌に対する内部情報収集活動
(カ)学会批判者の拠点である妙本寺おける内部情報収集活動
(二) 仮に本件(宮本)電話盗聴が、被告山崎の独断によるものであるとすれば、北条ないし学会は、被告山崎に対し不信感を持つのが自然であると思われるのに、逆に本件電話盗聴発覚後も被告山崎の学会内部における活動を認め、情報収集、分析にあたらせていることは、北条ないし学会が被告山崎の本件電話盗聴を積極的に評価していたことを裏付けるに足りるものである」
この判決を不服とした北条氏側は東京高裁に控訴したが、昭和六十三年四月、東京高裁は北条氏側の控訴を棄却。あらためて北条会長の関与を認定した。判決文には次のようにある。
「本件電話盗聴が『寝耳に水』であったとの北条供述は、その際の北条の反応、事後処理の方法からしても、その後の山崎に対する扱い、処遇からしても、措信することができず、却って、北条の態度は、山崎から本件電話盗聴を事前に知らされ、これを了解していた者のそれとしてしか理解することができない」
「北条以外の首脳が本件電話盗聴に関与したか否かはともあれ、北条が本件電話盗聴に関与したとの山崎供述の信用性は妨げられず、他に、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない」
創価学会は、この東京高裁の判決を不服として最高裁に上告したが、週刊誌等の締め切りが終了した同年末、密かに上告を取り下げたため判決は確定した。だが、自ら上告を取り下げ、損害賠償を支払っておきながら、今日に至るも宮本氏、共産党側に謝罪していないことは前述のとおり。
東京地裁、東京高裁の判決が認定しているように、創価学会は対立する人物や団体に対して、違法な盗聴行為を含む、さまざまな情報収集活動を続けてきたことは動かし難い歴史的事実なのである。
今回、明らかにとなったNTTドコモの携帯電話の通信記録の盗み出しにいかなる背景があるかは、今後の捜査結果をまつしかないが、少なくとも自らを「人権と平和を世界精神にまで高める宗教団体」(平成十四年月二十九日/原田稔副理事長証言)とする創価学会には「盗聴」の二文字が色濃くつきまとっていることを、今回の事件はあらためて示したといえるだろう。
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!!
盗聴現場写真 (添付)
ジャーナリスト 段 勲
共産党・宮本議長宅電話盗聴事件を検証する(第1回)
電話盗聴――。通信の秘密、プライバシーの権利の侵害でもある。まして被害者が公党の最高幹部なら、政治活動の自由を侵害するという憲法違反がこれに加わる。 これまでも公的機関による電話盗聴は、
何件か発覚し、裁判沙汰にもなった。あるいは、仕事熱心な新聞記者による盗聴取材もあった。
しかし、平和と人権を強調し、社会の模範となるべき大宗教法人が、電話盗聴で裁判に訴えられ、しかも、その事実が認定されたケースは、わが国の歴史上で一件しかない。創価学会である。
その創価学会の最高指導者・池田大作名誉会長は、世界諸国を歴訪し、自らの信仰を広める一方で、平和の大切さ、人権の重要性を説いて歩く。でも、電話盗聴を行なった被害者に対
し、一言のお詫びもなければ、
反省の色さえ見せることはない。
真に池田氏が、平和主義者、人権派を標榜(ひょうぼう)するなら、被害者に丁重にお詫びしてこそ本物である。他国から人権賞などの勲章を貰う前に―。 だが不幸にして、これが創価学会の救い難
い体質である。創価学会の行動はすべて正しい、池田先生に間違いはない、というのだ。極端な話、いまだに学会員の間に 「電話盗聴は、反学会グループの謀略。日本共産党の作り
話」 と、信じて疑わない人々も存在する。
しかし事実、創価学会の手によって、「日本共産党・宮本顕治(現・中央委員会議長)宅電話盗聴事件」が起こされた。
公党の最高幹部宅に電話盗聴機を仕掛けるなど、あまりにも大それた行動である。それも、�公安�がやった、というならまだしも、歴とした宗教法人の仕業 (しわざ)である。さらにはその後、電話盗
聴を仕掛けた日本共産党を相手に、創価学会は和気あいあいと「創共十年協定」まで結んでいるのだ。
後に真相がわかってみれば、日本共産党にとっては怒髪(どはつ)天を突く思いだろうが、信仰の看板に隠れたこのしたたかさと陰湿さが、創価学会のもう一つの顔である。
昨年一年間は、オウム真理教事件
に開けて、創価学会問題で閉じるという、いわば宗教の年であった。 その結果、普段は宗教に関心を抱かない国民も、大いに興味を持つようになった。今年一年、オウム事件は、進行する裁判経過の中で真相がさらに明らかにされよう。しかし、昨年に増して国会の焦点になる、宗教と政治の主人公・創価学会については、まだまだ未知の部分が多い。
いまあらためて、学会が起こした前代未聞の「電話盗聴」という事件を題材にし、信仰の美名に隠された創価学会の謀略性について検証する――。(使用した参考資料は連載終了後に掲載します)
創価学会はなぜ、「日
本共産党・宮本顕治書記長(当時)宅」を電話盗聴したのか。動機は、同会が起こした昭和四十五年前後の「言論出版妨害事件」である。以下、まず電話盗聴に至る経過を、日を追って簡単に説明しておこう。
昭和四十四年十二月十三日、日本共産党の松本善明衆院議員が、NHKの討論会で創価学会の「言論出版妨害事件」を指摘。 同事件とは、明治大学の教授であった藤原弘達氏
(現・政
治評論家)が、『創価学会を斬る』(日新報道刊)を刊行した。当時、創価学会を表面切って批判する本は少なく、社会から注目される。その一方、これは後に発覚するが、同著の刊行に対して創価学会
は、公明党議員を使っ
て著者に圧力。さらに出版後も、各書店に「同本を扱わないように」等、圧力をかけていたのである。 こうした事実関係はすでに週刊誌等で報じられていたが、先の松本議員
がNHKで指摘したことから、問題は一挙に表面化した。以来、同事件に対する共産党の追及は激しく、創価学会は防戦に追われることになる。 同年十二月十七日、藤原弘達氏が『赤旗』紙に、
言論出版事件に田中角栄自民党幹事長(当時)が介入していたことを暴露。さらに、事件は国会に飛び火する。 昭和四十五年一月五日、公明党の竹入義勝委員長 (当時)が、言論
出版の妨害を全面否定。
同年一月六日、田中角栄幹事長、言論出版妨害に関与した事実を認める。 同年一月十一日、創価学会の学生部幹部会に登壇した渡部一郎公明党国対委員長(当時)が、言論出版妨害問題を「バカバカしい話」との暴言をもって否定。
同
年二月十八日、国会で共産党の米原衆院議員が代表質問に立ち、言論出版妨害問題を言及。この頃、「言論・出版の自由に関する懇談会」が結成され、�言論・出版の自由に関する大集会�などが開催される。同事件は全国的に知られ、社会の衆目を集めるようになる。
同年二月二十七日、渡部一郎氏が前記暴言の責任を追及され、国対委員長を辞任。
週刊誌、新聞、テレビがこの問題について報道する中で、創価学会が実際に行なってきた「言論出版妨害」が次々と明るみに出され た。 妨害を受けた著作物をざっと列記してみると、『公
明党の素顔』(内藤國夫)、『これが創価学会だ』(植村左内)、『創価学会・公明党の解明』(福島泰照)、『創価学会』(竹中信常)、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(隅田洋)、『公明党を折伏しよう』(塚本三郎)、『小説・創価学会』(梶山季之)などである。
これら創価学会批判の各著作に対し、同会は「一切の批判を許
さない」という態度で、金や組織の力で懐柔・脅迫・弾圧を加えた。あるいは時の権力者である自民党幹事長や右翼まで使い、出版物を闇から闇に葬(ほうむ)ろうとしたのである。
むろん公明党議員も、創価学会
の一兵になって言論弾圧に奔走(ほんそう)した。ほんの一例を紹介しよう。 『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の著者・隅田洋氏とは、当時、西日本新聞東京支社・論説委員の隈部大蔵氏のペンネームである。隈部氏は、その後、『月刊ペン』の編集長になり、いわゆる月刊ペン裁判の原告になった人物だ。
その隅田氏こと隈部大蔵氏が、著書の中でこう記述している。 昭和四十三年九月十一日午後一時、東京赤坂プリンスホテル新館の一室。同室に隈部氏は、公明党副委員長・参議院議員北条浩氏(後の創価学会四代会長=故人)から呼び出される。以下、二人の一問一答。
北条 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。
しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
隈部 ......。
北条 よく聞いたがよ い。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども、象は全力をもって踏みつぶすのだ。
隈部 ......。
国会議員とも思えぬ暴言のオンパレードだが、この当時、創価学会は万事この調子であった。 昭和四十五年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された創価学会第三十
三会本部総会で、池田大作会長は、 「結果として......言論妨害と受け取られ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」 と、反省とお詫びをした。この時、政教分離の宣言も行なって
いる。 だが、池田氏が世間に向けて謝罪をする一方で、創価学会は、同事件追及の急先鋒にいた共産党・宮本書記長宅の電話盗聴作戦を密(ひそ)かに進めていたのである。
同年五月十四日、創価学会の盗聴
実行グループが、宮本宅電話盗聴の拠点として、「青木高井戸マンション」を賃借。
同年五月下旬、盗聴実行グループが宮本宅の電話線に盗聴機を設置し、盗聴を開始する。
同年六月十八、十九日、宮本書記長の秘書が、電信柱に付いていた盗聴機を発見。日本共産党は犯人不明のまま盗聴犯人を告訴し た。 なお、創価学会の盗聴実行グループはその後、当
時、敵対していた「妙信講」(現・顕正会)をはじめ、六件に及ぶ盗聴を実行した。
ところで、宮本宅の盗聴機が発見されたとき、犯行者としてもっとも疑われた機関は公安であった。むろん確証など何一つないが、被害者の日本共産党や一般世間もまた、犯人・公安説を信じて疑わなかったのである。
やがて歳月の流れとともに、社会から宮本宅電話盗聴事件は風化し、迷宮入りかと思われた。
ところが、事件から十年の時が過ぎた昭和五十五年六月、『週刊ポスト』誌が、
「宮本宅盗聴は創価学会がやった、との内部証言」 (六月十三日号)
と、報じるのである。
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第2回)
北条浩4代会長(当時福会長)が直接指示!
実行犯は学会男子幹部、事件の詳細な全容も露呈
盗聴裁判記録 昭和五十五年六月、『週刊ポスト』(六月十三日号)誌が、�宮本宅盗聴は創価学会がやったとの内部証言�のタイトルで、衝撃のスクープを放った。 昭和四十五年六月、日本共産党・宮
本顕治書記長宅(当時)の盗聴事件が発覚以来、ちょうど十年目にして、犯行グループが浮上したのである。 当時、共産党は、犯人不明のまま盗聴犯人を告訴していたが、同党
は犯行グループを、おおむね�公安�か�公調�あたりと目星をつけていたようだ。むろん、このとき、創価学会が犯行者などとは思いもついていない。
これより二ヶ月前、�ポスト誌記者は、宮本宅盗聴は創価学会�説の情報を得て、潜かに取材に入った。他のマスコミに知られないように、隠密取材である。
当時の事件資料を収集する一方で、犯行に加わったと見られる創価学会幹部の自宅を、一軒一軒訪ね歩いた。しかし、訪ねた先の主要幹部の自宅はいつも留守。そのうち、自宅から幹部達が家族ごと消えたのである。
ポスト誌の記
事〆切り間際、被害者の日本共産党関係者にも非公式に取材を申し入れた。くだんの相手は、創価学会の犯行と聞いて、半信半疑。�動かぬ証拠でもあるのか�と、声を荒立てた。ある程度の事情関係を説明すると、ショックのあまり、声も出せなかったという。
やがてポスト誌の記事が出て、他のマスコミも取材に動き出した。 だが、これほど大きい事件なのに、新聞社など大手マスコミは沈黙。沈黙したのは大手マスコミに限らない。ことマスコミ、わけても雑誌報道に�厳重抗議�が好きな創価学会本部も、この一件には、貝のように口を閉ざし沈黙した。
事の重大さに、同本部はどのように対応してよいの
か、わからなかったらしい。
その一方、被害者である日本共産党の行動は素早かった。『赤旗』社会部切っての敏腕記者達がチームを結成して取材をスタート。それこそ地を這(は)うような取材を展開し、早くも、宮本宅盗聴の際、創価学会の実行部隊が使用した根城をつかんだ。
こうした調査も踏まえ昭和五十五年六月十八 日、創価学会に対し、日本共産党中央委員会は、次のような「公開質問状」を送付する。以下、盗聴に関する部分だけを紹介しよう。
「わが等が貴会のこうした『政教一致』の活動に重大な関心をもって注目しているときに、憲法の規定する基本的人権、自由と民主主義を真っ向から蹂躪(じゅうりん)する、貴会にかかわる一連の破廉恥な事件が国民の前に明らかにされた。このなかには、わが党の宮本顕治幹部会委員長宅への電話盗聴器取り付け事件や、野坂参三議長の参加するわが党の演説会妨害を狙った『一一九番ニセ電話事件』など、わが党とその指揮者を直接対象とした犯罪事件もあり、わが党としてはなおさら黙過できない。
ここに、これらに関連して貴会に対し、次の質問を提出する。事柄はすべて国民の大きな関心をよんでいる問題であり、明確な回答を求める。 ......最近発表された月刊雑誌『現代』(七月
号)は内藤國夫氏(毎日新聞記者)のレポート(『池田大作名誉会長復権にうごめく怪情報』)を掲載しているが、そのなかで内藤氏は、一九七〇年におきたわが党の宮本顕治委員長宅への『電話盗聴器取付け事件』、一九七七年の参院選のさなか大阪府豊中市で発生したわが党の演説会にたいする『ニセ電話による消防車出動事件』、一九六六年の参院において東京新宿区で行なわれた大がかりな『投票替え玉事件』のいずれも、創価学会・公明党が深く関わっていたと、重大な指摘を行なっている。
すなわち、宮本委員長宅、正確には宮本宅の前の電柱に仕掛けられた電話盗聴器事件について、内藤氏のレポートは、『この事件の犯人が創価学会であった、というのである。電話盗聴作戦を担当した関係者周辺の一人が、内部告発するのだから、まずは信じてよさそうだ』と述べ、創価学会・公明党による言論出版妨害事件が日本共産党によって摘発され、糾弾された直後だけに、表では『猛省』を表明しながら、日本共産党に対して、『電話盗聴でまきかえしを策動しようとでも、したのであろうか』と、その背景を述べている。
この事件については、すでにわが党も独自の調査によって、貴会の北条浩副会長(現会長)の指示のもとに、貴会の当時の法律顧問、学生部主任部長、あるいは現副男子部長、現公明党中野区議らをふくむ八人の貴会関係者を実行グループとして行なわれた事実、その八名中には、その二年前の替え玉投票事件の犯人も含まれている事実、当時の宮本宅から約二百メートル離れた青木高井戸マンションで通信傍受を行なった事実、米国製盗聴器部品、航空機の交信用の特殊受信機等々、当時としては最新の機械が使用された事実、それらの機械および盗聴作戦専用の乗用車(新車)の購入費などあわせて約一千万円が、北条浩副会長から実行グループに渡された事実など、事件の全容を掌握している。
......これらの事件は
有線電気通信法、消防法、公選法などに違反するものであることはもとよ り、憲法に規定する通信の秘密をはじめ、基本的人権、自由と民主主義を蹂躪(じゅうりん)する明確な違法行為であり、仮りに時効が成立している場合でも、その社会的道義的責任は重大であ
る。『公明新聞』や『聖教新聞』では、これらの事件を報じたレポートの
筆者と掲載誌、報道誌の編集発行人に対して、貴会が抗議したとの報道もあるが、筆者、発行人が取り消したという報道はまったくない。
以上のような諸事件 は、貴会が宗教団体であるにもかかわらず、特定政党(公明党)支持を組織決定して会員に押しつけている活動のなかから発生しているものもあるが、わが党の指導者を直接対象にした二件をふくめて、事実を明らかにすることは、貴会の回避できない社会的責務であ
る。よって、左記の二点について回答されたい。
�右の三つの事件について、貴会はその事実を率直に明らかにする意思はあるかどうか。
�有罪あるいは時効にかかわりなく、貴会としていかなる反省をし、いかなる措置(そち)をとったのか。」 だが、この共産党の「公開質問状」に対し、創価学会は無視。回
答を拒否した。
その「公開質問状」が出されてから三日後の六月二十一日、NHKの番組で政党討論会が行なわれた。席上、共産党の不破哲三書記長(当時)が、宮本宅盗聴を指摘したとき、公明党の矢野絢也書記長(当時)が、こう答えたのである。
「公明党、創価学会は一切関係ない。」 このセリフ、どこかで聞いたかと思ったら、昭和四十五年の「言論出版妨害事件」の時もそうであった。創価学会に代わって公明党が、言論の妨害を全否定したのであ
る。
救い難い体質という か、創価学会も公明党にしてもいつもそうだ。確たる証拠が突きつけられないかぎり、非を一切認めようとしない。
そのうえ、なお始末が悪いのは、非が逃げ切れないと判断するや、これの弁明に務め、責任を他に転化する。一億七千万円入り古金庫捨て事件がそうであったし、古くは練馬区内の投票所襲撃事件もしかりである。
およそ尊い信仰組織とも思えぬ集団だが、この体質が時に、墓穴を自ら掘り下げる結果を招く。
宮本宅盗聴事件がそうである。仮りに創価学会が、先の公開質問状に対し誠意をもって回答し、深く罪を認め、被害者に謝罪をしていたらどうであったろうか。
「日本の将来のため、世界平和のため、そしてなによりも大切な日本の民衆、人民のため」という高い精神を基盤に「創共協定」(昭和四十九年)を結んでいた双方の団体である。太いパイプはあるし、一方が謝罪したら、被害者が振り上げた拳
も、あるいはそっと降ろしたかもしれない。
ところが創価学会は例のごとく、事件を否定し、開き直り、水面下ではもみ消し工作に走った。自らの手で、墓穴を広げたのである。
昭和五十五年八月二十六日、共産党の宮本顕治幹部会委員長は、創価学会による電話盗聴事件に関し、同会の北条浩会長(当時)ら五人を相手取り、通信の秘密、政治活動の自由およびプライバシーの権利を侵害した不法行為等の損害賠償を請求する民事訴訟を提起した。
同日、同党中央委員会の小林栄三氏(法規対策部長)は記者会見でこう述べた。
「......本件盗聴という問題を広く社会的、政治的、道義的視野でみるならば、損害賠償は責任追及の一部である。国民の民主的常識というレベルからいえば、この訴訟の被害はもとより、創価学会指導部、同会の最高指導者たる池田大作名誉会長らが、それぞれ率直に事実を明らかにし、この行為の、重大な反社会的、半民主主義的性質を認
め、自らの責任を深く反省し、直接
の被害者である宮本委員長や日本共産党をはじめ国民の前に謝罪し、かかる行為がくりかえされない保障が、強固な民主主義的な国民世論を基礎に確立されることこそが、本件盗聴事件の真の正当な決着である......。」
こうして、宗教
団体が政党最高幹部宅を電話盗聴するという、前代未聞の「日本共産党・宮本委員長宅電話盗聴事件」裁判が開廷する――。
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第3回)
共産党が北条浩(創価学会4代会長)らを訴えた「訴状」
「反対者に対する報復」として盗聴を計画
昭和五十五年八月二十六日、日本共産党は、宮本顕治氏(同党中央委員会幹部会委員長=当時)が原告になり、創価学会の北条浩会長(当時)以下、山崎正友、広野輝夫、竹岡誠治、北林芳典の各氏を被告として、民事訴訟に踏み切った。
この提訴以前、日本共産党は創価学会に対し公開質問状を提出しているが、学会は回答拒否。ほか同事件が二、三のマスコミでも報じられたが、これも無視していた。
ところが、提訴によって一般紙が報道したことか ら、創価学会も沈黙できず、山崎尚見副会長が次のようなコメントを発表する。
「なんら関知していない」――。 だがその一方で、山崎副会長自身が、被告人の一人、竹岡誠治被告と面談し、事情聴取(昭和五十五年六月末)を行なっていたことも、裁判の中で明らかにされている。
では、解説を加えながら訴状を紹介しよう。
「請求の原因
第一、
告は現在、日本共産党中央委員会幹部会委員長の職にあるものであり、被告らによる原告宅電話盗聴(本件不法行為)が開始された一九七〇年六月当時は、日本共産党中央委員会書記長(同年七月七日以降同中央委員会幹部会委員長)の職にあったものである。
二、被告北条浩は、現在創価学会会長であり、本件不法行為当時は、創価学会副会長・参議院議員の職にあったものである。
被告山崎正友は、東京弁護士会所属の弁護士であるが、本件不法行為当時は、創価学会顧問弁護士であったほか、創価学会副理事長・青年部常任参謀、および学生部主任部長の職にあったものである。
被告広野輝夫は、本件不法行為当時、創価学会主任部長の職にあったものである。
被告竹岡誠治は、最近まで、創価学会副男子部長・創価班全国委員長・第四東京青年部長の職にあり、本件不法行為当時は、創価学会学生部の幹部だったものである。
被告北林芳典は、本件不法行為当時、創価学会学生部の幹部だったものであ る。」
以上が被告五人の創価学会経歴。このうち、北条浩被告は、提訴を受けてからほぼ一年後の昭和五十六年七月十八日、自宅風呂場で倒れ、急死する。
「第二、本件不法行為の内容――被告らによる原告に対する電話盗聴
被告らは、共謀のうえ、一九七〇年六月十日頃より、本件犯行が発覚したことを知って被告らが盗聴発信器(以下単に本件盗聴器という)を撤去した同年七月九日ころまでの間、東京都杉並区高井戸○○○所在の、当時の原告宅に設置された原告加入の東京三三二局○○○○番の電話(以下単位本件電話という)による電話交信を不法に盗聴し、もって原告の権利を侵害するという不法行為を行なっ
た。」
「一、本件不法行為の動機
(一)言論出版妨害事件と日本共産党の活動 創価学会と公明党は、一九六七年頃から、一体となって、創価学会および公明党について第三者が論評した出版物について、自らの意に添わない場合、著者や出版社、さらに取次店、小売店にまで圧力を加え、その出版や販売を妨害する行為を重ねてきた。
こうした一連の言論出版妨害事件は長く隠蔽(いんぺい)されてきたが、一九六九年十二月に至り、藤原弘達著『創価学会を斬る』(日新報道刊)の出版妨害事件が明らかとなり、日本共産党不破哲三衆議院議員が、民主主義の根本をおかす重大な事件として国会質問で追及したことなどを契機に、大きな社会問題として発展してきた。
日本共産党は、この事件が、憲法と基本的人権、民主主義の根本に関わる問題であることを、広く国民に訴え、真相の解明と責任の追及に大きな役割を果たした。
創価学会幹部らと公明党幹部らは、当時、『言論出版妨害は事実無根である』と事実を偽わり、事態を乗り切る方針を決め、それを実行してきた。
しかし、この問題の真相が次々に明らかとなり、創価学会ならびに公明党の責任を追及する広範な世論 は、いっそう盛り上がり、厳しさを増すにいたった。
このような状況を見て、創価学会・公明党幹部らは、一定の謝罪をして体をかわす方が得策と判断し、この結果、池田大作会長は、一九七〇年五月三日の創価学会三十三回本部幹部会での講演のなかで、『今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う』『今後は、二度と同じ轍(てつ)を踏んではならぬと、猛省したいのであります』と述べ、謝罪と「猛省」の意を表明したのであった。
(二)日本共産党への逆うらみと報復のための盗聴計画
しかし、こうした『謝罪』や『猛省』も、じつは、単に世論の批判をかわすことを目的とした、言葉だけのものにすぎなかった。
二度と同じ轍を踏まぬ、などという言葉とはうらはらに、実際には、創価学会幹部らは、言論出版妨害事件で一貫して厳しい批判を行なった日本共産党を逆うらみして、同党に報復しようと企て、そのためには、同党の『内部情報』を入手しなければならないと考え、あえて、不法な電話盗聴まで計画するに至った。
なお、この計画は同時に、言論出版妨害問題につい て、今後、日本共産党がどこまでどのように追及してくるかを探り、その対策をたてることを目的にするものであった。」
昭和四十五年を前後し て、創価学会によるさまざまな言論出版妨害が明らかにされ、同会は世論の集中砲火を浴びた。
学会批判の作家・ライター・出版社等に対する圧力、妨害、嫌がらせの数々。
学会のやることはすべて正しく、ほかは全部だめ、という排他主義の論理。そこには、憲法で定めた言論の自由などない。
平成三年前後から生じている、脱会者に対する学会の組織ぐるみの嫌がらせも、先の論理と全く同じ。信教の自由など認めない。
こうした反社会的行為 を、一度ならず、何度も繰り返す。これはもはや、体質といってよい。
しかも、いくら批判されようとも、反省の色などなく�法難�と捉えて組織結束の糧(かて)にする。 だが、批判が拡大し、形勢不利と判断するや、首を引っ込めて嵐の過ぎ去るのを待つか、表向きの謝罪で逃げる。言論問題事件がそうであったし、昭和五十二、三年のvs宗門紛争も、また同じパターンであった。しおらしく謝罪しながら、陰で舌を出し、やられた報復のチャンスを待つのであ る。
言論問題の事件でも、先の訴状どおり、池田氏は頭を下げた。が、この当時の内部発言記録や元幹部たちの証言を聞くと、池田氏には反省のカケラもない。むしろ、�仇(かたき)を取れ�と号令しているのだ。
教団トップの、こうした救い難い精神構造が、やがて、盗聴という卑劣な犯罪を起こさせることになる。
訴状を続けよう。
「本件 電話盗聴の準備
(一)被告山崎正友弁護士、同広野輝夫による実行計画立案と、被告北条浩副会長らとの共謀ならびに資金供与
前記の動機にもとづき、一九七〇年四月上旬ころ、被告山崎正友弁護士、同広野輝夫らとの間で日本共産党の『内部情報』をひそかに入手するために、電話盗聴を行なうことが技術的に可能かどうか、まず検討された。 被告山崎正友弁護士は、東京都新宿区三二番地所在の創価学会本部の真裏に当時あった創価学会本部別館『五月荘』において、東海大学理工学部を卒業し、オーディオマニアで電波、電気関係の専門的知識をもっている被告広野輝夫らと相談し、同人から『盗聴技術はどんどん進んでいる』『電話盗聴の方法がいい』『いい機械をつかえば十分やれる』『自分でそのための機械をつくれる』という回答を得、電話盗聴が技術的に可能であることに確信を持つに至った。
そして、その後、被告山崎正友弁護士は、創価学会本部に被告北条浩副会長をたずね、日本共産党の『内部情報』入手のために電話盗聴を行なう計画を詳しく話し『やる以上はきちっとやります。本格的な手段でやらないとしくじるので、中途半端はだめです』と述べ、大がかりな作戦に出るので資金として一、〇〇〇万円くらいかかることも伝えたうえで、計画実行について許可を求めた。
被告北条浩副会長は被告山崎正友弁護士の右の提案について賛意を表したが、『重大なことであり、自分の一存だけでも決めかねるので、結論は少し待ってくれ』と述べた。
同年四月二〇日すぎ頃、被告北条浩副会長は東京都新宿区信濃町三二番地所在文化会館内副会長室わきの小会議室に被告山崎正友弁護士を呼び、計画をすすめるように話し、その場で活動資金の一部として三〇〇万円の現金を手渡した。
なお、活動資金はその後、同年五月末までの間に、二回目二〇〇万円、三回目五〇〇万円と二回に分けて、いずれも前記文化会館副会長室わき小会議室におい
て、被告北条浩副会長から直接、被告山崎正友弁護士に手渡された。」 (以下次号)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第4回)
明らかにされた盗聴の模様 「成功喜び指示重ねる北条(4代会長)
前号に続き、昭和五十五年八月二十六日、日本共産党が創価学会に対して提訴した民事訴訟の訴状を、解説を加えながら紹介する。
これまで同訴状の中から、請求の原因、動機、電話盗聴の準備、実行グループの編成について、記してきた。
続いて、創価学会による宮本議長宅の盗聴がいかにして発覚し、さらに同会はどのようにしてその犯罪の証拠隠滅を図ろうとしたか――訴状にはこう明記されている。
「四、盗聴の発覚による中止と被告らによる組織的な証拠隠滅
同年(一九七〇年)六月十九日ころ、原告及び日本共産党側は、本件電話交信の際、雑音が入ることから、何者かによって本件電話が盗聴されているのではないか、と疑念をいだくにいたった
が、被告・山崎正友弁護士、同広野輝夫らも、同年七月五日頃になって、本件電話の盗聴内容等を分析し、原告らが盗聴に気がついたことを察知した。
被告・山崎正友弁護士、同広野輝夫ら実行グループは、被告らが共謀して本件盗聴を行なったことを知られることを防ぐために、証拠を隠滅した。
同年七月九日午前零時頃、被告・広野輝夫の指揮のもとに、被告・竹岡誠治、同北林芳典らが現場に出動し、本件盗聴器をひそかに撤去した。これによって、本件盗聴は終了した。
なお、本件盗聴発覚直後、被告・北条浩副会長ら創価学会幹部と被告・山崎正友弁護士は、事後対策について協議し、その結果、被告・山崎正友弁護士が被告・広野輝夫らを指揮して証拠を隠滅し、真相を隠蔽する工作を行なうことを合意し、これを実行した。
右合意にもとづき被告・山崎正友弁護士は、被告・広野輝夫、同竹岡誠治、同北林芳典を呼び出し、直ちに前記マンション屋上に設置された盗聴用アンテナを取り去り、同マンション四階D室のアジトに持ち込まれた受信機、録音機等を引きあげることを指示し、実行させた。
また、被告・広野輝夫、同竹岡誠治、同北林芳典らを潜伏させるなどして組織的に庇護(ひご)し、こうして実行行為者グループが察知されたり、彼らの口から事実が明らかになることを防止することにつとめた。
被告・北条浩副会長をふくむ創価学会幹部らは、彼らが本件盗聴の実行者であることを熟知しながら、真相を隠したまま本件盗聴の犯人らを引き続いて重用した。」
犯罪者をいさめるのが宗教家の道である。それが、あろうことか自ら犯罪を起こし、しかも組織でかくまう。信仰組織どころか、これはヤクザ世界の論理である。
さらに、同盗聴犯罪は、創価学会の最高指導者、池田大作・名誉会長(当時、会長)も知っていたようで、訴状はこう続く。
「本件盗聴が発覚した後、池田大作会長は、被告・山崎正友弁護士に対し、『後始末をしっかりやれ』と命じ、証拠隠滅活動を行なわせただけでなく、その後も引き続き同人を創価学会副理事
長、創価学会本部の法律顧問の地位にとどめ、創価学会顧問弁護団の事実上の最高責任者として同弁護団や関連法律家組織を指揮させ、一九七六年には創価学会総務に任ずるなど、創価学会内の要職を歴任させた。
それだけではなく、池田大作会長、被告・北条浩副会長ら創価学会首脳は、被告・山崎正友弁護士を、学会内で『山崎師団』と称せられた謀略や盗聴活動を行なう特別の組織の責任者において重用し、妙本寺、松本勝弥、妙信講、立正佼成会、日蓮正宗総本山故・細井日達上人などに対する、盗聴や分裂工作などの活動を行なわせた。
これらの活動のための巨額な資金もまた、被告・北条浩副会長を通じて、被告・山崎正友弁護士に渡された。
池田大作会長は、『山崎師団』の活動を高く評価し、『山崎はたいしたやつだ』『私は太陽の帝王だが山崎は闇の帝王だ』など大いにほめたたえていたのである。」
池田氏が山崎弁護士をいかに頼りとしていたか。盗聴事件が表面化する二年前の昭和五十三年五月三日、こんな�俳句�を贈っている。
�四面楚歌、君がおわせば王の道 大作� 盗聴首謀者がいれば、恐れるものなし、という池田氏の心境を歌ったものだ。訴状を続けよう。
「以上のように本件盗聴の発覚以後、池田大作会長、同北条浩副会長など創価学会首脳は真実を隠蔽(いんぺい)し、実行行為グループをそれぞれ創価学会内外の要職に配置して、ひきつづいて手厚く庇護し、しかも右実行グループの中枢メンバーである被告・山崎正友弁護士、同広野輝夫、同竹岡誠治、同北林芳典らをして、さらに新たに盗聴や謀略活動を行なわしめていたことは、本件盗聴が文字どおり創価学会首脳が関与した組織的犯行であることを物語るものにほかならない。」
続いて訴状は、創価学会が犯した盗聴の法的責任について言及する。
「第三 被告らの不法行為責任 本件電話盗聴は、その被侵害法益、侵害態様、およびその目的、動機の、いずれの点をとっても悪質きわまりないものであり、明白かつ重大な不法行為である。共謀の上、右不法行為を行なった被告らの不法行為責任は、厳しく追及されなければならない。
一、本件電話盗聴は、原告の通信の秘密、政治活動の自由、およびプライバシーの権利を侵害している。 (一)通信の秘密の侵害
通信の秘密は、個人が自己の意見や思想、あるいは情報を他の何人にも、その意に反して知られることなく、相手方当事者との間で自由に伝達し通信する権利として、憲法二一条二項後段により保障された、国民の基本的人権である。国民が、その思想、良心の自由(憲法第一九条)を保持しつつ、他人と意見を交わし、生活するためには、個人の意見や思想および情報の伝達が、その意に反して第三者に察知されることなく行なわれることが不可欠なのであって、通信の秘密は、この意味において、すぐれて民主主義の根幹に関わる権利である。
この通信の秘密は、国家権力による侵害から保障されるばかりでなく、憲法上私人間においても保障される権利として、もしくは憲法の精神を具現する民事諸法規(民法第九〇条、第七〇九条等)により保護される権利として、何人による侵害も許されないものである。
本件盗聴が本訴状第二において詳述したとおり、原告およびその秘書らの電話交信を盗聴し、もって有線電気通信において、原告の意に反して第三者に盗聴録音されることのない権利(原告の通信の秘密)を侵害したものであることは明らかである。
(二)政治活動の自由の侵害 主権者たるすべての国民は一人の市民として、あるいは結社(政党等)の一員として政治活動の自由をもつが、通信の秘密はこの政治活動の自由の一つの重要な要素である。
本件不法行為のなされた当時、原告は日本共産党中央委員会の書記長、また同中央委員会幹部会委員長として同党の最高責任者の地位にあり、国民の生活や、言論出版の自由をはじめとする民主的諸権利を擁護するなどの、政治活動に専念していたのであるが、各級機関との連絡や指示など、自宅からの本件電話を使用した連絡は、原告の政治活動になくてはならないものであった。
したがってこの種の指示、連絡を対象とし、その通信の秘密を侵す本件盗聴が、原告の政治活動の自由そのものを著しく侵害し、ひいては公党の活動をも妨害し、わが国の民主主義の根本を侵害する重大な権利侵害であることは明白である。
(三)プライバシーの権利の侵害 個人が私生活上の秘密を他人に知られず、自分自身でその内容、および公表の可否などを、自由に選択し管理することのできる情報や、自らの考え、さらには行動計画などを、本人の意志に反して第三者に察知されたり、利用されたり流布されることなどのない自由は、プライバシーの権利として、現代社会生活上の基本的権利として保障されなければならない。
この個人プライバシーは、第三者が、正当な理由なく電話による通信を盗聴、録音することを許さないものである。
この権利は、憲法第一三条(個人の尊厳、幸福追求の権利)に基礎をおくものであって、民法第九〇条のいう公序良俗を形成するものとして、何人による侵害からも保護されるべき民法上の権利である。
本件盗聴が、原告のプライバシーを侵害したものであることも、また明白である。
二、本件行為は犯罪行為を手段とするものであって、その侵害態様に照らしても、明白かつ重大な不法行為である。
被告らの本件電話盗聴行為は、本来有線電気通信法第二一条(『有線電気通信設備を損害し、これに物品を接触し、その他有線電気通信設備の機能に障害を与えて有線電気通信を妨害した者は、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処す
る』)および、公衆電気通信法第一一二条第一項(『公社又は会社の取扱中に係わる通信の秘密を侵した者は、一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する』)に該当する犯罪行為にほかならない。
このように犯罪として刑罰に処せらるべき違法な手段で、故意に他人の権利、利益を侵害した者は、もっとも重大かつ明白な不法行為を行なった者として、民事上の損害賠償の責任を負わなければならないというのは、確立された法理に他ならないのであって、被告らが、本件についてその不法行為責任を問われるべきことは、その侵害態様に照らしても明らかである。」
通信の秘密、政治活動の自由、プライバシーの権利等を侵害した創価学会による盗聴事件――。法的にどんな断罪を受けるべきなのか。 (以下次号)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第6回) 第4代会長北条浩(当時副会長)の盗聴事件関与を認定 消えぬ犯罪体質−指示者・北条は犯行後4代会長に 昭和五十五年八月二十六日、日本共産党が提訴した「創価学会による日本共産党宮本顕治氏宅電話盗聴事件に関する訴
状」の紹介を続ける。
これまで、電話盗聴犯の当事者、動機、実行、発覚後の証拠隠滅、そして被告らの不法行為の責任について、訴状を順次紹介してきた。
今回は当訴状の本文「三、被告らの行為は、その目的、動機においても許し難いものがあり、その責任は厳しく問われなければならない」
とする「罰則」に関し、解説を加えながら紹介する。
「前記のとおり被告らは、公明党・創価学会による言論出版妨害事件に対して、民主主義を守り言論出版・思想表現の自由を擁護するために行なった、日本共産党の正当な活動に敵意と憎悪を抱き、これに対する報復を企て、日本共産党に打撃を与える目的で、同党の最高幹部である原告(注宮本議長)の自宅の盗聴を実行したのであり、その動機はまことに卑劣なものである。」
ここに記されている「公明党・創価学会による言論出版妨害事件」とは、昭和四十五年、藤原弘達氏著『創価学会を斬る』(同四十四年刊)等に対し、公明党及び学会が、すさまじい言論出版妨害を行なった事件を指す。
同事件は当時、国会にまで飛び火し、池田大作会長(当時)の証人喚問の声まで高まった大事件である。 ところが、最新号の『聖教新聞』を読んでいて、創価学会があのときの妨害事件を、少しも反省していないことが明らかになった。
たとえば、『週刊新潮』誌が、池田レイプを報じたことに端を発し、聖教新聞による週刊誌攻撃が続いている。
その一連の攻撃記事の中で、同紙は、 「戦後以来、言論の自由を守ってきたのは創価学会が一番である」 などといった内容の記事を書いているのだ。
この厚顔無恥ぶり。大笑いの記事でもある。
戦後、言論出版妨害の事例はいくつかあるが、その筆頭が、創価学会による妨害事件であった。これは、消すことのできない歴史的事実である。
それを、聖教紙は、白を黒と言って恥じないのである。創価学会の救い難い体質がここにある。
訴状を続ける。
「国民主権と議会制民主主義、そして結社の自由などの基本的人権の尊重は、憲法に明記されているところであり、こうして合法政党の政治活動は、憲法上、公権力の侵害・介入から擁護されている。
この政党の政治活動 が、公権力のみならず、私人や私的団体による違法な介入・干渉から保護されなければならないのは、いうまでもない。ところが被告らは、こともあろうに犯罪行為を手段として、合法政党の政治活動に打撃を与えようとしたのである。
言論出版の自由を擁護するための公正な批判を逆怨みし、表向きは『猛省の意』を表しながら、言論の敵対物としての�電話盗聴�という犯罪手段で、合法政党に打撃を与えようとする、このような行為を放置するな
ら、わが国の議会制民主主義と基本的人権が危うくなり、ひいては民主主義が根本からおびやかされることは明らかであ り、断じて許されるべきではない。」
昭和四十五年五月三 日、池田大作会長(当時)は、第三十三回本部総会で、学会が起こした言論妨害に対し、「猛省」し、「謝罪」した。
その直後、創価学会は、宮本議長宅に、電話盗聴を仕掛けるのである。
先の聖教新聞の記事が好例のように、創価学会に「反省」の二文字はない。創価学会、ひいては池田大作氏を守るためなら、何をやってもよい、という恐るべき宗教組織である。
「一九七二年アメリカ合衆国で発生した『ウォーターゲート』事件は、共和党の『ニクソン再選委員会』と大統領高官らが共謀し、民主党全国委員長室の電話に盗聴器をしかけた犯罪の発覚が発端となったことは、周知の事実である。
そしてこの事件はまれにみる一大スキャンダルへと発展、盗聴器の設置とその証拠隠滅、偽証、盗聴費用への不正支出などで、政府高官が多数逮捕され、ニクソン大統領が下院の弾劾で辞職に追い込まれたことは、なお記憶に新しい。
議会制民主主義の国家では、盗聴器犯罪は、強大な権力をもつアメリカ大統領さえ、糾弾され退陣を余儀なくされる、大犯罪なのである。
被告らの行為は、その動機・目的においても、卑劣であり、社会正義と民主主義の根本に敵対するものであることは疑問の余地がないのであっ
て、その不法行為責任はまことに重大である。」
常に平和を祈り、その見本となるべき宗教法人が、他人宅を盗聴するといった大犯罪を起こす。しかも、組織ぐるみである。それでいて、反省の色を見せることはない。
まさに、訴状が示すとおり、社会正義と民主主義の根本に敵対する教団組織なのだ。
「四、被告らは共同不法行為者である。
被告らは、前記第三に詳しく述べたとおり、共謀のうえ本件盗聴行為に及んだ。 本件電話盗聴の計画を知り、これを認め、巨額の資金を与えてこれを実行せしめた被告・北条浩副会長、盗聴を直接指揮した被告・山崎正友弁護士、及び右指揮の下に実行行為にあたった被告・広野輝夫、同・竹岡誠治、同・北林芳典らは、いずれも共同して本件不法行為を行なったものであ
り、被告らは共同不法行為者(民法第七一九条)として、それにより生じた損害につき、連帯して賠償する責任に任ずべきものである。」 被告側の一人、北条浩副会長は、提訴を受けた当時、創価学会第四代会長という同会の最高責任者であった。
要するに同会は、盗聴犯罪者の一人を、信仰組織のトップに置いていたのである。これは何を物語るか。 これほど重大な犯罪を起こしながら、全く反省のカケラもないこと。
むしろ、�敵�のトップ自宅を盗聴する行為 は、創価学会にとっては�正義�なのである。
同会による選挙活動もそうだが、創価学会が勝つことが正義なのだ。勝つためには、違法も問わない。�法難賞�の存在がその証拠であろう(※学会員が選挙違反を犯 し、警察から取り調べを受けたりすると、かつての学会ではその会員に、�法難賞�を贈ったことがある)。
民主主義を根本から覆す選挙違反者に賞を贈 る。民主主義の国家で、こんな例は皆無だが、創価学会ではこの非常識がまかりとおるのだ。
およそ犯罪者に、なにがしかの賞を与えて称えるなど、まるでヤクザの世界である。
さすが現在では、選挙違反者に法難賞を贈るようなことはなくなった。しかし、創価学会にはいまなお、組織を守るためなら、あえて法を犯しても、という姿勢が残されている。
宮本宅盗聴事件も、学会組織を守るという、その一点が目的で遂行された。
そこには、犯罪が悪いという罪悪感はない。その証拠に、犯行後、北条浩は副会長から会長職に昇格し、山崎正友氏は相変わらず学会の顧問弁護士として活動していたのだ。
訴状はこう請求して終わっている。
「五、被告らの本件不法行為により、原告は一市民として、また公党の最高幹部として、通信の秘密を侵され、政治活動の自由ならびにプライバシーの権利を侵害され、重大な精神的侵害(民法第七〇九条、同七一〇条)を蒙った。
違法な動機、目的にもとづき、犯罪手段を用いて、原告にこの損害を与えた被告らは、少なくとも金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を原告に支払うべきである。
六、よって、原告は、被告らに対し、共同不法行為による損害賠償請求として金一〇、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを求めるとともに、本件不法行為時以後である昭和四十五年七月九日より支払い済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、本訴に及ぶものである。 一九八〇年八月二十六日
東京地方裁判所民事部 御中 」
提訴してから、約五年間に及ぶ裁判の末、昭和六十年四月二十二日、第一審の判決が下った。
原告側の勝訴だが、第一審判決の中で、もっとも注目されたのは、裁判所が、北条浩副会長の盗聴犯罪の関与を認定したことである。
昭和五十四年四月二十四日、北条氏は副会長職から第四代会長に就任しているが、その創価学会会長の盗聴関与が認められたのだ。ただ、同判決が下る四年前の五十六年七月十八日、北条氏が急死。その後、北条浩承継人として、被告席に妻の北条弘子、以下、三人の子供が座わった。
この判決を不服として創価学会側が控訴する。北条氏の盗聴関与をどうしても裁判所に認めさせたくなかったのだ。 次回から、盗聴裁判をめぐる日本共産党と創価学会の攻防戦に、スポットを当てる。
(つづく)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第7回) 犯行の動機は共産党への報復と逆襲
「猛省・陳謝」の後に犯行を企図、実行 昭和五十五年八月二十六日、日本共産党が創価学会に対して提訴した、 「創価学会による日本共産党宮本顕治氏宅電話盗聴事件に関する訴状」
を、六回に分けて紹介してきた。北条浩被告(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会関係者四人を被告とする同裁判は、第二審判決が下る六十三年五月二十六日までの八年間続いた。
判決は一審二審とも被告側の全面敗訴となったが、どのような裁判経過になったのか。
原告・宮本顕治氏弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月二十一日)を見てみよう。 同書面は、通信の秘密の保障(憲法上の保障・条約、諸外国の法制等)。盗聴による権利侵害(表現の自由に対する侵害、私生活の自由――プライバシーの侵害、政治活動の自由の侵害) を述べ、
「三、本件加害の特徴とその違法性」 と題し、「動機の不当性」について触れている。以下、解説を加えながら「第一審最終準備書面」を紹介しよう。
「被告山崎正友本人は次のようにいう(昭和五十六年十一月四日、第七回口頭弁論)。
『当時は言論出版問題で、創価学会は非常に窮地に陥っておりました。まさに存亡の危機という認識を持っておりまし
た。その中で創価学会攻撃の急先鋒であった日本共産党に対してどう対処するか、そのことに苦慮いたしました。何としてもその出方をさぐり、その意図を知るダイレクトな情報がほしい、というのが首脳した気持ちでした。そういう状況下で、それを受けて、私はこういう計画を実行しました。』
ここでいう言論出版問題とは、一九六九年十二月、藤原弘達著『創価学会を斬る』に対する創価学会による出版妨害問題が明るみに出たことに端を発し、ほかにも数冊の創価学会批判の著作に対し、出版、流通を妨害する行為が行なわれていたことが判明し、これに対する社会的批判がまきおこったことを指してい
る。日本共産党はこれらの批判をもっとも厳しく行なっていた。
創価学会・公明党は、当初は、本件訴訟における被告広野・被告竹岡の応訴態度と共通して、「事実無根である」と否定していたが、批判の声の拡がりと、妨害の事実がいっそう明らかになるとともに、その態度をあらため、ついに一九七〇年五月三日、池田大作会長は「猛省」と「陳謝」の意を表明するにいたった。」 山崎正友被告等、創価学会関係者による宮本議長宅の盗聴が告発されたとき、同会は一貫して無関係を力説した。 言論出版妨害事件もまたそうである。創価学会と公明党が一緒になっ
て、言論出版の妨害を事実無根と言い続けてきたのである。
ところが動かぬ証拠 と、マスコミの追及によって、その事実をようやく認め、陳謝した。
「この問題をめぐる創価学会批判の焦点は、学会が、あるいは出版前にゲラ刷りを入手して、著者と出版社に圧力をかけて出版を断念させようとし、あるいは取次店や小売店に圧力を加えてこれらの書籍の取扱いをやめさせ、ときには自民党田中角栄幹事長(当時)の力をも借りて著者に執筆中止や、出版後の全部数買取りを申し入れた事実などが、憲法二十一条の言論・出版などの表現の自由を侵害するものである、という一点にあり、ここでの理非曲直は、憲法に照らして一点の疑いもなかった。つまり、創価学会は明らかに誤っており、間違っていたのである。
ところが被告らは、これらの誤りを批判した日本共産党を逆うらみし、かえって、日本共産党に逆襲するために、必要な情報を得ようとして、本件盗聴の挙に出たのである。
原告らは、自己の認めた誤りを指摘した日本共産党に報復するために、再び本件不法行為をおかした、という意味で、その動機の不当性は著しいものがある、といわなければならない。」
昭和四十五年五月三 日、池田大作会長(当時)は、同会が行なった言論出版妨害について、その事実を認め、猛省し陳謝した。
しかし、猛省と陳謝したその直後から、宮本議長宅の盗聴の計画に入るのである。
二枚舌どころか、これほど国民を愚弄した話もない。
「2、被告らが宗教団体幹部であること 被告らが本件当時、宗教団体・創価学会の幹部であったことは、被告らも争わないところであ
る。 創価学会は、日蓮正宗の信徒団体(※平成三年に破門)である、といわれている。被告らは、その幹部として、日蓮正宗の信仰を説き、善行の勧めを説いてきたであろう。被告らは宗教者として振舞う陰で、本件のような陰湿な不法行為を敢行した。よこしまな目的のために、違法な手段を行なった被告らは、宗教者として社会的信頼を裏切ったことにおいて、いっそう強い非難を受けるべきであろう。このことも本件不法行為の違法性を強めるものといえよ
う。」
人の道、平和を説くのが宗教者である。現に創価学会はいまなお、�世界平和�を説いている。
しかし同会が説く世界平和について、ほとんど信用できないのは、こうした過去の事件を引きずっているからだ。
「四、組織的不法行為の社会的責任
1、本件訴訟を必要とした経緯 本件訴訟の意義を考えるにあたって、なぜ原告が本件提訴にいたったかの経緯を見ておかなければならない。
原告宮本顕治を幹部会委員長とする日本共産党中央委員会は、昭和五十五年六月、本件盗聴行為が創価学会幹部による組織的不法行為であることが明らかになった直後、創価学会に対して公開質問状を発し、
「日本共産党と創価学会との合意についての協定」の@文化や創価学会員への公明党支持おしつけ等の問題等への質問と合わせ、本件盗聴等について、「その事実を率直に明らかにする意思があるのかどうか」「有罪あるいは時効にかかわりなく貴会としていかなる反省をし、いかなる措置をとったか」と質問した。
訴外池田大作(名誉会長)を事実上の指導者とし、被告北条浩を会長とする創価学会は、右の公開質問状に何ら省みるところなく、一切回答を行なうことがなかった。
被害者と国民に陳謝しなかったばかりか、機関紙やマスコミという場において、正々堂々と事実を明らかにし、国民世論の判断を仰ぐ、という機会すらも自ら放棄したのである。」
昭和四十五年五月三 日、池田大作氏が言論出版妨害事件で猛省したときも、 「関係者にお詫びしたい」 と、約束した。しかし、この約束も、いまだに実現していない。その場の体裁だけをつくろう、という創価学会の救いようのない体質。 第一審最終準備書面はこう続けている。
「また、そもそも本件盗聴行為は、本来、被告らに対して刑事責任が追及されるべき犯罪であった。 第一、......被告らの行為は、公衆電気通信法五条一項違反、有線電気通信法二十一条等に該当する犯罪行為であることは明らかである。
ところが、被告らは、創価学会の組織ぐるみの隠蔽工作等によって、時効により、刑事責任の追及を免れてしまった。 つまり被告らの行為の真実の解明とその責任の追及は、被告らを含む創価学会によって、公の論争で国民の判断にゆだねる道はとざされ、刑事責任については時効で追及不能となったのである。」 宮本宅電話盗聴事件が公になったのは、犯行時から十年も経過してからである。
創価学会首脳陣は、当然この犯行グループを知っていながら、組織ぐるみで匿い、刑事責任の追及を免れたのだ。
平和を説く宗教団体 が、身内の犯罪を隠して恥じることがない。このような宗教団体が唱える平和とはどんな平和なのか。そういえば、あのオウム真理教も、世界平和を訴えていた宗教団体であった。
組織ぐるみで犯罪者を匿い、刑事責任から逃げる。創価学会による、かつての投票所襲撃事件もまたそうであった。
「したがって原告は、残された最後の手段として、真相の解明と正邪の判断、および損害の回復の道を民事裁判の場に求めることとしたのであ
る。
このような経緯と事情は、事態の重大性と合わせて、社会正義の観点から、本件訴訟における被告らの責任に、相当程度加味されるべきであると信ずる。」
(つづく)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第8回) 日蓮正宗六十六世日達上人への盗聴は池田が承認! 共産党へは言論問題の報復で盗聴
北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会関係者四人を被告とする「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。
一審・二審とも、判決は被告側の全面敗訴だが、前回に引き続き、宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。
前回、同準備書面の中から「三、本件加害の特徴とその違法性」を記した。今回は、「2、池田大作、創価学会の社会的責任」からスタートする。
「本訴訟においては、盗聴に関する不法行為責任の構成上、被告は北条浩以下五名にとどめられた。 しかし、後に詳述するように、本件盗聴行為は、宗教団体創価学会の業務と別個に行なわれたものでな
く、創価学会の業務として、その組織を使って行なわれたもので、被告らはその不法行為において中心的役割をになったものとして追及されているのである。
したがって、本件盗聴行為の全体を考察するにあたっては、訴外ではあるが、当時の創価学会会長池田大作、および宗教団体創価学会の果たした役割を見ることが不可欠である」
とし、池田および創価学会の社会的責任を、次のように追及している。
「池田大作会長(現・名誉会長)は、創価学会の最高指導者として、同会の主要業務の最高決裁者・指揮者であり、かつ同会の行動はそうとう細部にいたるまで『報告書』によって池田会長まで集約されるシステムが確立されていた。 本件盗聴の動機をなす言論出版妨害問題への対処においても、対策会議を行ない、陣頭指揮をとっている。盗聴という行為について
も、法主である日達上人に対する盗聴では、池田会長が了解のうえ盗聴が行なわれており、日本共産党に対する盗聴についても了解していることが示されてい る。」
ここに記されている「日達上人に対する盗聴」とは、昭和五十三年、創価学会が当時、信仰の対象にしていた総本山・日蓮正宗(静岡県富士宮市)の六十六世・細井日達上人(=故人)の会話を同会が盗聴したというもの。盗聴の現場は、「大石寺時局懇談会」の会場である。
昭和五年以来、半世紀にも及んで信仰の対象にしてきた総本山のトップの会話を、密かに盗聴する。創価学会とは、いったい、どんな信仰団体なのか。その最高指導者が、池田大作氏である。準備書面は、こう断じている。 「しかも、本件盗聴行為には、創価学会組織の指揮命令系統のもとに幾多の最高幹部にいたるまでが関与しており、創価学会の責任、およびその最高責任者である池田大作の責任が社会的に問われなければならないことは明らかである。」
たしかに、池田大作の責任は免れない。まして同氏は、世界平和、人権の重要さを世界中に訴えている�平和主義者�だ。その人物が指揮する組織が、悪質極まりない電話盗聴とは、もはやジョーク以外、何ものでもない。
まともな神経の持ち主なら、すみやかに謝罪し、即、引退するのが、宗教家として残された道である。 それが現在なお、一言の謝罪もなく、相変わらず「世界平和だ、人権」だと訴えている。救いがたい人物だ。 準備書面を続けよう。
同書面は、「ウォーターゲート事件と今日の法的確信」について記述した後、第二・本件電話盗聴の実態と各被告の関与と、本題に入っている。
「背景および動機――言論出版妨害事件と創価学会らの対応
1、言論出版妨害事件とその経過 総選挙を控えた一九六九年(昭和四十四年)暮、創価学会批判の出版物に対する学会の一連の出版妨害が明るみに出、いわゆる言論出版妨害事件として、一大政治問題となった。
発端は、同年十二月十三日夜放映されたNHKの総選挙特集番組、二党間討論「日本の進路」(共産党―公明党)で、共産党側が、『創価学会を斬る』(藤原弘達著・日新報道出版部刊)、『公明党の素顔』(内藤國夫著・エール出版社刊)などの出版に際し、創価学会・公明党が著者や出版社に圧力・妨害を加えた問題を追及したことに始まる。
著者藤原弘達に対して は、公明党都議や創価学会幹部、さらには、田中角栄(自民党幹事長・当時)までが、出版をやめさせるために動いたほか、電話、ハガキによる脅迫が集中し
た。
出版元の日新報道出版部は、大手取次には配本を拒否され、新聞各社からは広告掲載を断わられるなど、大がかりな出版妨害にあったという問題である。
この討論での日本共産党の追及に対し、公明党正木良明(衆議院候補・当時)は、『すべてウソである』と公言。以後、日本共産党と公明党および創価学会の間で、言論の自由に関する激しい応酬が続けられることになる。
これを契機に、かつて、同様の言論出版妨害を受けた著者・出版社等が、続々その被害の事実を明らかにし、創価学会の体質ともいうべき出版妨害の実態が厳しく追及されていく。」
創価学会の驕(おご)りというか、同会の悪質な体質が、この言論出版妨害事件を端緒として、一挙に吹き出した。
創価学会だけがすべて正しい、とする排他主義。そのため、批判する者は、力ずくでも押さえ込もう、というファシズム。そのうえ、責任を追及されても、最後までしらを切ろうとする、高慢かつ無責任さ。 「当時、日本共産党機関紙『赤旗』がとりあげた、同様の言論出版妨害を受けた出版物は、主なものだけでも次のとおりである。
○『これが創価学会だ』(植村左内著・しなの出版社)に対する同様の妨害
○『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』(隅田洋著・東北出版社)
○『公明党を折伏しよう』(塚本三郎著・自費出版)
○『創価学会・公明党の解明』(福島泰照著・展望社)
○『創価学会――その性格と行動』(竹中信常著・労働法学出版) その他、悪質な言論出版妨害は多数の出版物に及んだ。 翌一九七〇年一月五日、公明党竹入委員長は記者会見で『創価学会を斬る』『公明党の素顔』問題について、�事実無根の中傷�と全面否定の発言を行な
い、この発言は創価学会・公明党に対する社会批判の火に油を注いだ結果となった。
国会では全野党からの追及を受け、労働団体・宗教団体・学者・文化人などから一斉に批判と抗議の声が挙がり、新聞各紙もキャンペーンを開始したのである。」 以下、準備書面は、言論妨害事件に対する共産党の追及と、創価学会の反撃の模様について触れた後に、こう記述している。
「創価学会の対応の変化とその本質――策動的謝罪 (一)一九七〇年(昭和四十五年)五月三日、池田大作創価学会会長(当時)は、第三十三回創価学会本部総会で講演を行ない、その中で、言論出版妨害問題について、『言論妨害というような陰険な意図は全くなかった』と言いつつ、『言論妨害と受け取られ、関係者に圧力を感じさせ、世間に迷惑をかけたことについて』『二度と同じ轍を踏まぬと猛省する』『民衆の権利である、言論の自由を守りぬくことを学会の総意として確認したい』と、いわゆる『謝罪講演』を行なった。また、共産党に対する態度として、『現在、共産党と学会が常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えているのは、共産党の創価学会に対する攻撃から、防衛のため、こちらとしても反撃せざるをえなかったから』などと弁解しつつ、『我々はかたくなな反共主義を掲げるものではない』『私どもの意向としては、こうした無益な争いは絶対にやめるべきである』などと、宗教の次元に立つ学会が、政党と同次元で争うことをすべきでないという態度表明を行なっ
た。
これらの意思表明は、文字どおり受け取るなら、政教分離の方向とともに、創価学会の『反省』の表明としては、それまでの姿勢から一歩を前に進めたものであった。
しかし、その『謝罪』講演は、その言葉とは裏腹の、策動的『謝罪』ともいうべきものであった。このことは、その後の公明党・創価学会の政教一致の実態や、変わらぬ反共主義を見るまでもなく、当時この『謝罪』講演への方針変更、そして講演原稿の作成に深く関わった被告山崎正友自身の供述が、そのいきさつを明らかにしている」
とし、当裁判の山崎正友被告尋問によると、池田の「謝罪」は、 「日本共産党の徹底した追及や野党・労働団体や民主団体、広範な国民の高まる批判に、逃がれようもなく追い詰められ、『たまらない』『思い切って頭を下げる方が得策』と選んだ方策でしかなかったのである」
と、断じている。
国民をなめきった池田の「謝罪」だが、 「このような状況の中で、本件原告宅電話盗聴の謀議計画・準備が進められたのである」
と、準備書面が続いている。 (以下次号)
証明済みの創価学会の謀略体質�共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第9回) 学会の盗聴資金は1000万円 盗聴実行犯なども詳細に把握
平和・人権を標榜(ひょうぼう)する宗教団体・創価学会が、公党の議長宅を盗聴するという、前代未聞の謀略事件。前回に引き続き、原告・宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。
同書面の中から、前号では「池田大作・創価学会の社会的責任」を引用した。
今回は、同事件の実行犯として、当時、どのような人物が加わったのか、を見ることにしよう。書面では、以下のように記している。
「二、当時の各被告の創価学会での地位
1、被告 北条浩 被告北条浩は、創価学会理事長、副会長であり、池田会長に次ぐナンバー2、公明党参議院議員(元公明党副委員長)でもあった。
被告北条の言論出版妨害問題で果たした役割は、証書で見るかぎりでも重大である。
内藤國夫著『公明党の素顔』について、無断でゲラを入手し、事前検閲したうえ、出版中止を求めた事実(事前のゲラ入手の事実については、矢野公明党書記長が認め、大問題となっ
た)。
昭和四十三年九月、仏教評論家・福島泰照(本名・隈部大蔵)の創価学会批判出版の原稿を事前に察知して、被告北条は、赤坂プリンスホテルで著者に面会をし、『創価学会の青年部の情勢は、人間革命闘争に燃えている』『アリの一匹でも象は全力をもって踏みつぶす』と脅迫し、出版妨害を行なった事実が、著者によって暴露されているな
ど、被告北条自身が、公明党・創価学会の言論出版妨害行為に直接手を染め、その中心メンバーの一人であった。また、前記のように、この言論出版妨害問題の対策の中心であった。」 北条浩氏は、学習院から海軍兵学校(七十三期)に進み、敗戦時は中尉のパイロットであったという。
家柄がまたいい。北条子爵につながる華族の出身である。
公明党・参議院議員、創価学会副会長などを歴任した後、昭和五十四年四月、池田大作氏の会長辞任を受けて、創価学会の第四代会長に就任した。
実直な性格で、会員の評判も良かったが、盗聴裁判の渦中である昭和五十五年七月に急死した。
元・創価学会顧問弁護士、山崎正友氏は、生前の北条氏を、命がけで義経を守った「弁慶」に譬えている。ここでいう「義経」とは池田大作氏のことだが、「弁慶」の北条氏の葬儀において、「義経」の池田氏が、 「暑い日に死なれちゃ困る」
と、毒づいた話は有名である。
書面を続ける。
「2、被告山崎正友 被告山崎正友は、京都大学在学中、創価学会学生部出身で初の司法試験合格者(昭和三十六年)となり、池田会長の厚い信任を得て異例の抜擢をされ、言論出版妨害事件当時、すでに創価学会副理事長・同顧問弁護士・法学委員会委員長・学生部主任部長の要職にあった(法学委員会とは、創価学会に所属する判事・検事・弁護士・司法修習生・国家公務員などの組織)。
言論出版妨害問題では、被告山崎自身、数々の裏工作に関与したが、その追及が始まった後の昭和四十五年一月中旬以降、山崎は、前記のとおり公明党・創価学会の幹部中枢のメンバーとなり、連日、被告北条、秋谷、山崎(尚見)、竹入、矢野ら幹部との、言論出版問題に対する対策会議に出席するようになった。 これは池田会長から、被告山崎に対し、『北条から離れるな。彼は疲れているし、判断を間違わないように、いつもついていろ』との指示によるものであっ
た。」
昭和五十三年、宗門VS学会第一次紛争が引き金になって、山崎氏が造反。打倒・池田氏の矢面に立った。山崎氏は、週刊誌などのマスコミを舞台に学会告発を続け、学会組織による各種の盗聴行為も暴露。現在なお、山崎氏のVS池田の姿勢は変わっていない。
「3、被告広野輝夫 被告広野輝夫は、当時、学生部主任部長としての被告山崎の下で学生部副学生部長、機関紙局長(昭和四十五年六月以降は学生部主任部長)の職にあった。
被告山崎とは、昭和四十年ころから、創価学会学生部の先輩・後輩の間柄にあった。
広野は、当時の被告山崎について、『学生部初の弁護士であったということもあったし、才気煥発の人、(他の)学会幹部とは、ちょっと違ったタイプの人だということで、魅かれるものがあった』『抹香くさくなく、社会的問題についても鋭い問題意識をつけ、すぐ反応の返ってくる、安心して問題をぶつけられる人であった』と評している(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。」
「4、被告竹岡誠治 被告竹岡誠治は、山崎主任部長、広野副学生部長(第五総合本部担当)の下で、学生部常任幹事の地位にあった。
言論出版妨害事件当時、被告竹岡は、機関紙局次長として、事件に対処するための資料収集や、学生部機関紙『大学新報』で反共キャンペーンの執筆などを、精力的に行なっていた(昭和五八・一〇・二一、竹岡本人尋問)。」
「5、被告北林芳典 被告北林芳典も同様、学生部常任幹事であったが、本件電話盗聴当時は執行猶予中の身であった。これは昭和四十三年に行なわれた参議院議員選挙における、いわゆる『新宿替玉投票事件(住民移動の激しい新宿区で、他人の投票権を大量に盗み、公明党のために組織的な替玉投票を行なった事件)』の主犯の一人として逮捕、起訴され、有罪となったものである(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。当時すでに、とくに共産党の情報収集には執念を燃やし、その知識、分析に『優れて』いた(同)。」 広野、竹岡、北林の三被告は、ともに創価学会学生部幹部出身。�山崎師団�といわれ、対学会工作グループとして、種々の活動を行なってきた。
「6、各被告の序列 ここで重要な事実は、当時班長であった松本篤が甲第一二四号証の速記録三六頁以下で述べているよう
に、 『山崎さんは雲の上の人、広野さんは口をきける人ではなかった......』 と表現している、創価学会内の特殊な組織と序列である。松本にとって被告広野が、
『口をきけない人』 であったように、被告、広野、同竹岡、あるいは北林にとって、学生部主任部長としての被告山崎は、学生部の系列としては直接の身近な上級者であっても、『法学委員会委員長』『創価学会顧問弁護士』『創価学会副理事長』としての被告山崎は、広野らの活動とはレベルを異にした、創価学会・公明党幹部中枢の世界に身を置いていた事実である。
また被告竹岡は、本件盗聴以後、被告山崎、同広野の下で、数多くの盗聴謀略活動に参加する中で、その後昭和五十三年七月、創価班全国委員長、昭和五十四年夏、創価学会副男子部長と、異例の抜擢の常任幹事にすぎず、被告広野との間ですら、明白に序列上の差のある立場であった。」 ここに登場してくる松本篤とは、盗聴器を作成した人物である。
書面は、右のとおり、被告者たちの創価学会での地位を明らかにした後、盗聴の実行を前にして、どのような謀議が行なわれたかを記している。
「対日本共産党電話盗聴計画――最初の謀議
1、切実だった日本共産党情報の入手 前記のとおり言論出版妨害事件は、創価学会を窮地に立たせ、池田大作会長をはじめ創価学会・公明党幹部らは、まさに『存亡の危機』ともいうべき認識をもっていた。
なかでも、創価学会批判の急先鋒であった日本共産党に対して、どう対処するか苦慮し、 『その出方をさぐり、その意図を知るダイレクトな情報がほしい』 というのが、学会首脳の一致した気持ちであった(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。他の党とは一定の『約束』をして、追及をやめてもらう繋がりはあったが、日本共産党とは『不倶戴天(ふぐたいてん)の敵』の関係であり、そういうパイプもなかった(同)。 日本共産党対策の会議では、共産党情報について収集していたが、うまくいってなかった(同)。
昭和四十五年二月二十四日『赤旗』が、公明党渡部一郎国対委員長演説を暴露した際には、皆『日本共産党による盗聴』だと怒り、池田会長は『敵ながらあっぱれだ』『後手をふんでる』と幹部を叱咤(しった)していた(同)。
被告広野は、渡部演説暴露の直後、被告山崎と『日本共産党による盗聴の可能性について話し、盗聴の技術や受信器を使っての発見の仕方など電話で話した(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。』」
公明党の渡部一郎・衆議院議員(現・引退)の問題発言とは、こうである。
昭和四十五年一月十一 日、渡部議員が創価学会学生部幹部会に出席し、渦中の言論出版妨害事件に関 し、 「バカバカしい話」
等と発言。同事件の存在を否定し、なおかつ、追及する日本共産党などの公党を中傷した。
その十日ほど過ぎた二十二日、「言論出版の自由に関する懇談会」の記者会見で、渡部講演の全文が発表され、翌日の『赤旗』紙に掲載された。
五日後の二十七日、渡部氏が先の暴言について責任を取り、公明党・国対委員長を辞任する。
創価学会内部の渡部発言が、外に漏れたのも、同会は日本共産党の仕業(しわざ)と恨みを持ったようだ。 こうした日本共産党への敵対心が、やがて盗聴へとエスカレートしていく。
(以下次号)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第10回) 被告はいずれも学会大幹部の地位 対立団体盗聴への最初の謀議
北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会関係者四人を被告とする「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。
一審・二審とも、判決は被告・学会側の全面敗訴だが、前回に続き、宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。
「2、被告・山崎と同・広野の謀議 (一)被告・山崎と被告・広野が、日本共産党に対する電話盗聴の謀議を行なったのは、一九七〇年(昭和四十五年)三月末か四月初め頃、創価学会本部周辺においてであった。
二人は、前年秋までは、新学生同盟結成などの活動で毎日一緒にいる、という間柄であったが、その後山崎は、前述のとおり言論問題を契機に、公明党・創価学会の幹部中枢の仲間入りをし、活動の場を異にするようになっていったが、『共産党情報』の打ち合わせのため、当時はひんぱんに連絡を取り合っていた(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。
被告・広野は、電話盗聴の話に積極的であった。被告・広野は、山崎から『一方的に押しつけられた』(昭和57・11・17、広野本人尋問)と供述しているが、他方、電話盗聴をやろうと決意したときの気持ちについて、次のように供述している。
『山崎(被告)の話を聞いて、創価学会の言論問題対策はよほど手づまりなんだな、と感じた』『もう一つは、日共からガタガタいわれて何やっているんだということで、学会のためになることがあれば、役に立ちたいという気持ちがあった』『(渡部演説)ともかく(日共は)とんでもない連中だという気持ちだった』(昭和57・11・17、広野本人尋問)。
二人は、日本共産党の電話盗聴の可能性について具体的に検討することにし、山崎は、使用する機械などの技術的問題・経費・人数・対象・場所等、直ちに調査するように広野に指示した(昭和56・11・4、山崎本人尋問)。」
山崎とは山崎正友・創価学会顧問弁護士、広野とは学生部幹部だった広野輝夫である。 山崎の意を受けて、広野は、綿密な調査活動に着手した。
「(二)広野は、これらの問題について調査を行なった。
電話盗聴の技術的知識を仕入れるために、山崎が北部方面(練馬、板橋、北区)の電電公社の職員で学会青年部の幹部に話を通じ、広野らが、電話局と電話についての技術や制度的調査を行なった(同)。
機械について広野は、オーディオの専門知識はあったが、無線については不得手であったため、松本篤ら無線に詳しい学生部員の協力を得た(同)。
広野は、三、四日後、『技術的には全く問題ない、資金は半年間のプロジェクトとして五〇〇万円、長期だともっとかかる』旨回答してきた(同)。」
ここに「電電公社の職員」が登場してくるが、創価学会員である電電公社(現・NTT)の職員は、�選挙活動時�にも活躍した、という事例がある。
昭和四十年代、九州・熊本県下での話だが、こんな�活躍�だ。 熊本県下の学会員が、公明党支持の�F取り�(浮動票)のため、東京在住の友人に電話をかける。長距離電話のため、電話料金がバカにならない。 そのため、学会員が、熊本県下の電電公社に勤める学会員に事前に話をつけ、�無料�で電話線を東京につなぐ、という行為である。すでに時効だが、学会員である電電公社の職員は、このような不正行為もしていたのだ。
準備書面を続けよう。
「3、被告・北条と山崎の謀議 広野の報告を受けて、被告・山崎は、創価学会本部・文化会館二階の副会長室わきの会議室で被告・北条と会い、電話盗聴計画についての打ち合わせをした。山崎は広野のレポートを見せ、『共産党の今後の出方について情報をとる手段としては最高である』と北条に話し、北条の質問に答え、機械・人・費用などについて説明した。
山崎は費用として 『一〇〇〇万円ぐらい用意していただけないか』 と話した。北条は、 『やれるものならやりたい』『ただ、これはたいへんなことだから、私の一存ではいかない。二、三日待ってくれ』
と、回答した。 (山崎は、これを池田会長、そして二、三の副会長に相談する趣旨と理解し た)(昭和五七・四・七、同)。
四、被告・北条の了解と資金提供
1、被告・北条の了解と資金提供 被告・山崎が、被告・北条に日本共産党電話盗聴の話をして二、三日後、北条は前記会議室で山崎に対して 『やろう』
『絶対に失敗しないようにやってくれ』 と、電話盗聴の実行を指示し、資金として現金三〇〇万円を山崎に手渡した (同)。現金の帯がついたまま、シブ封筒に入っていた。 山崎は、広野に会い、 『やることになった』
『すぐ準備にかかれ』 と指示し、北条より手渡された三〇〇万円の帯封をはずし、その中から二五〇万円を広野に手渡した(昭和五六・一一・四、山崎本人尋問)。
山崎は、その後、北条より前記三〇〇万円のほか に、五月十日すぎころ二〇〇万円、五月末ころ五〇〇万円の合計一〇〇〇万円を受け取った。場所はいずれも創価学会本部・文化会館二階の副会長室わきの小会議室であった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 二度目の二〇〇万円は、全額広野に渡し、最後の五〇〇万円は山崎がもち、事後処理等の経費として使った(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。」 北条が電話盗聴工作費として、山崎に手渡した総額一千万円は、どこから捻出(ねんしゅつ)したのか。
「2、被告・広野、被告・竹岡の供述は信用できない 資金問題については、後に詳述するとおり、被告・山崎と被告・広野、竹岡との間で、供述が大きく対立している。
すなわち被告・広野は、被告・山崎から右のような全額(合計四五〇万円)を受け取ったことを否認し(昭和五八・一・二七、広野本人尋問)、被告・山崎から受け取ったのは合計金七十七万円にすぎず、被告・竹岡が新学同の資金から流用した金五十ないし六十万円を加えて、本件盗聴に使用した金額はせいぜい金百三十万余円であったと主張する。
しかし、広野、竹岡らの供述には、後に詳しく検討するように、証拠の偽造をも含む重大な疑義が多数存在するほか、例えば、青木高井戸マンションの保証金を、ニュー外苑ハイツの解約金(たまたま後にガス事故を理由に全額返済され
た)によって、まかなうよう、被告・山崎が指示したなどという、矛盾に満ち信用できないものである。 五、実行メンバーの人選と実行の指示
1、実行メンバーの選抜と構成 被告・北条より三〇〇万円の資金を手渡された後、被告・山崎と同・広野は、実行メンバーの人選を行なった。人選は学生部の幹部カードを使った。
すでに、広野のほか、竹岡、北林が準備で働いており、さらに機械づくりのメンバーに松本篤らが加わっていた。そのほかに江口済三郎、奈良憲一ら総勢十数名を選んだ(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 古川文雄、内田某(同第五総合本部長・内田ゼンリン公明党参議院議員の息
子)、氏名不詳(同杉並区の公明党区議の息子)、氏名不詳(東北の病院でレントゲン技師になった者)、同(大手の電子関係に就職した者)などが、実行部隊にいた(昭和五七・六・二七、山崎本人尋問)
古川文雄、内田らは、これら実行部隊の人を動かすにあたって組織的なバックアップの役割を果たした。 右の人選に際し、被告・北林は、日本共産党の情報収集の中心者であったが、前記のとおり、新宿区の替え玉投票事件の主犯の一人で、執行猶予中の身であったため、山崎は、『現場に出さないで、後ろで動くよう』指示した。
松本については、役職が班長でしかなかったため、山崎は広野にクレームをつけたが、広野は、松本について、 『電波高校出身で、無線のメカについてはオーソリティである』
『班長ではあるが、忠誠度では非常に信頼できる』 と説明したため、山崎は了解した。
2、被告・北林らの否認は信用できない なお、被告・北林の本件盗聴への関与については、被告・北林自身、否認し、被告・広野、同・竹岡もこれを否認し、『(山崎が)あいつは絶対に使うな』というので『一切関与させていない』と供述している(昭和57・11・17、広野本人尋問)。 しかし、被告・北林は、すでに本件盗聴前に、前記のとおり替え玉投票という汚れた仕事に実行力を発揮して、逮捕され、警察に指紋をとられ、執行猶予中とはあっても、当時の言論出版妨害事件の中で、対日本共産党情報に情熱を燃やし、その知識、分析においても『優れて』いた男であり、被告・広野も、被告・山崎と盗聴の話をしたとき、直ちに
『竹岡君、北林君と相談してやります』 と名を挙げたほどの『適任者』である。
また、被告・北林が、本件盗聴後の数々の盗聴謀略事件の中心メンバーの一人であることを、被告・広野、同・竹岡もこれを認めている。
同・被告が、山崎の指示どおり、少なくとも後方で動いていたことは、疑いを入れない。
なお、被告・北林の『全面否認』が崩壊していることについては、後に詳述する。」 (以下次号)
証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第11回) 宮本氏宅のみならず 共産党本部まで狙われた!
人道と人権を説く宗教団体が、公党代表者の自宅を電話盗聴する。北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会幹部四人を被告とする、いわゆる「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。 一審、二審とも、判決は被告側の全面敗訴で終わったが、前回に引き続き、原告・宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。 同準備書面は、宮本宅盗聴以外に、日本共産党本部についても盗聴の計画があったことに触れている。 「1、拠点の確保(ニュー外苑ハイツ)
共産党本部盗聴を準備、実行するための拠点とし て、警視庁原宿警察署隣りのマンション・ニュー外苑ハイツの七階を借りた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
同マンションは、首都高速道路をはさんで日本共産党本部の向かい側に位置 し、部屋の前の通路付近から、日本共産党本部を見ることができた(昭和五八・三・一一、広野本人尋問)。 広野供述によれば、渋谷区の地図を買い、日本共産党本部から一〇〇メート
ル、二〇〇メートルと同心円を描き、その範囲内でできるだけ高いところ、電波の届きそうなところと、いろいろ捜し、四月一〇日前後に借りたという(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。 部屋の間取りは、風呂トイレのついた二DKであった(昭和五八・七・一五、広野本人尋問)。
2、拠点での実行行為者らの準備活動 広野・竹岡らは、ニュー外苑ハイツを拠点に日本共産党本部周辺の調査を行なった。
党本部周辺の電話線の状況と電話盗聴の技術的問 題、車や人通りの量の時間の割り出しなどの調査であった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問、昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。広野の供述によれば、調査は一週間続けられたという。
このような調査と並行してニュー外苑ハイツの拠点で、松本篤らは盗聴器の制作を行なっていた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。
松本篤が、ほぼ毎日欠かさず来ていて、盗聴器(発信機)作成の仕事をしていたことは、被告・広野もこれを認めている(昭和五八・七・一五、広野本人尋問)。被告・竹岡は、この拠点にほとんど寝泊まりし、被告・広野も、ときどき泊まった(同広野本人尋問、昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。」
盗聴という謀略活動の本拠地まで用意し、盗聴器まで作成しながら、党本部の盗聴を中止している。次のような理由からだ。
「3、党本部盗聴の中止 調査の結果、四月二十五、六日ころ、広野から山崎に『残念ながら、不可能に近い』との連絡が入った。 理由は、党本部周辺の警戒が非常に厳重であるこ
と、および電話線がまとめて地下に入っていて、技術的に困難であるということであった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 この点については、被告・広野はほぼ同旨の詳細な証言をしている。一週間くらいの調査の結果、人通り、車の絶える時間帯がなく、実行は『ちょっと危ない』と思い、実行不可能と山崎に報告したという(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。 (略)
七、原告宅盗聴への計画変更と準備
1、北林情報と計画の変更 被告・広野から、日本共産党本部の盗聴は不可能との報告を聞いた被告・山崎は、被告・北条には可能だという前提で話をしていたこともあり、ショックを受けたが、諦めず次のターゲットについての検討を、被告・広野、被告・北林と行なった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 共産党の幹部、議員等、いろいろな名前が出たが、被告・北林が、公安筋の情報として、日本共産党では、原告が自宅から電話で直接いろんなことを支持し、運営されているとの情報をもたらした(同)。 その結果、被告・山崎は、原告宅周辺の調査をするよう広野に指示した。 被告・広野は数日後、山崎に対し、『意外と手薄で、非常に有望である』と連絡してきた。 山崎は、創価学会の場合は、本部より池田会長のいる場所の方が、数十人、時には数百人という警備の青年がつき、厳重な警戒をしていることから、原告の場合も、表向きはそう見えなくとも、実際には厳重な警戒をしている可能性があると思い、さらに注意して調べるよう、指示した。 調査の内容としては、ほかに、電話線の状況、周囲の交通状況、警察の場所や見回り状況等であった(同、昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。 このころ被告・山崎自身、現場へ行き、点検をし、たしかに広野のいうとおり、原告が「ノーガード」に近いと確認している。 2、被告・北条との再度の意思統一 五月十日すぎ、被告・山崎は、創価学会本部副会長室わきの会議室で、被告・北条と会い、電話盗聴の目標を共産党本部から原告宅に変更する旨伝えた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 被告・北条は、これを聞き、山崎被告と同様、警護の固さを心配したが、被告・山崎が、『本当にノーガードに近い状態なんです』と、調査の結果を説明したところ、被告・北条は、『わかった』『やってみよう』と目標変更を了解した(同)。 このころ、前記のとおり被告・山崎は被告・北条より、二度目の二〇〇万円の資金を受け取り、これを被告・広野に手渡している(同)。」 こうした綿密な調査のもとに、原告・宮本宅の盗聴が実行に移される。総指揮官は当時・副会長の北条浩、現場指揮官は山崎正友という図式である。 「3、拠点の確保(青木高井戸マンション)
原告宅電話盗聴の準備、および盗聴録音のための拠点として、被告らは、昭和四十五年五月一四日、杉並区高井戸東三丁目二四番九号所在、青木高井戸マンション四階D号室を賃貸し
た。 訴状末尾添付の図面が示すとおり、同マンションは、原告宅から約二〇〇メートルの地点、道路をはさんだ反対側に位置していた。その屋上からは、原告宅の屋根を見ることができた(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 被告・山崎は、この拠点を借りることについては広野を通じて指示し、賃貸契約は被告・竹岡が偽名を使って行なった、と供述した。そのことは、後に、被告・山崎が撤退作業のときに一つひとつの行動を点検した際、確認したという(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 被告・山崎の供述どおり、甲一一六号証(青木高井戸マンション賃貸契約書)を証言台で示された被告・広野、同・竹岡は、『高橋義夫』名の賃貸人は被告・竹岡の使った偽名であることを認めた(昭和五六・七・一五、広野本人尋問)。
さらに被告・竹岡は、連帯保証人欄の『佐藤功』の署名は、江口済三郎が、偽名で署名したものであることも認めた(昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。」 盗聴実行の本拠地を借りた実行グループは、再び、原告・宮本宅周辺の調査を開始する。 「4、調査活動
宮本宅周辺の調査活動 は、特に念入りに行なわれた。 周辺の家の、共産党か学会員かの色分けや、周辺の時間帯別の交通量の調査、原告宅の米や牛乳などの消費量を調べるため、米屋や牛乳屋に学会員を住み込ませ調査した。盗聴器を取り付ける電柱や、原告宅の構造などは写真を撮り検討した(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。 被告・竹岡は、盗聴器を取り付ける原告宅の電柱
に、下見としてよじ登り、(端子函の)状況などを調査した(昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。 創価学会学生部の幹部であった奈良憲一は、他の学生部員らとともに、原告宅周辺の事前の調査活動に主に関与した。古川文隆、内田らは、これら学生部員らを動かすための組織的バックアップした(昭和五九・六・二七、山崎本人尋問)。奈良、古川、内田らの関与については、後に詳論す
る。」 ここに登場する古川文隆は、宮本宅電話盗聴事件がマスコミによって公にされたとき、創価学会本部の広報室に籍を置いていた。 職務はマスコミ対策だ が、皮肉にも、その古川が逆に、マスコミから取材の対象にされてしまう。 やがて、突然、都内の自宅マンションから姿を消
し、本部勤務を退職した。創価学会による�犠牲者�の一人といえよう――。 (以下次号)証明済みの創価学会の謀略体質 �共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!! (第12回) 周到なる機材の作製・調達の後、盗聴を決行 実行の最終決定には秋谷(現会長)も関与�共産党・宮本議長宅電話盗聴事件�を検証する!!
第十二回 四代会長、北条浩(故人)以下、創価学会幹部四人を被告とする「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。 この間の一審、二審とも、判決は被告側の敗訴だが、前回に引き続き、宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。
先号では、同準備書面の中から、創価学会はどのようにして盗聴の準備をしていったか、そのアジトなどについて触れた。 今回は、盗聴の機材についてである。 「5、機材の調達・制作
被告らは、盗聴に必要な機材を購入、あるいは制作した。盗聴器(発信機)、受信機数台、オープンリール式テープレコーダーほかテープレコーダー数台、音声誘導装置、アンテナなど付随装置、自動車等であった(昭和五六・一二・九、山崎本人尋問)。注山崎=山崎正友元創価学会顧問弁護士。 (一)盗聴器
盗聴器は前記のとおり、ニュー外苑ハイツの拠点に松本篤らが毎日のように詰め、作製した(昭和五八・七・一五、広野本人尋問)。注広野=広野輝夫学生部副学生部長。 被告・広野は、松本篤が盗聴器の作製の仕事を、広野の自宅でやったこともある、と供述し、また、松本に対する技術的協力を行なった者が、他に一、二名いたことを認めている。 実際に原告宅盗聴に使用したのは二台の盗聴器であることは、被告・山崎と被告・広野、同・竹岡(注竹岡=竹岡誠治学生部常任幹事)の間で一致しているが、その具体的内容については、次のような食い違いがある。 山崎供述では、昭和五六年九月ころ、松本篤に山崎が聞いたところ、二台とも松本篤の作製した、電話線の電流を電源とする発信機で、最初に取り付けた一台は八〇センチ位の長いアンテナがついていたため、発見される危機があり、短いものに付け替えた、という。 ただ、昭和四十五年七月の本件盗聴発見直後の、被告・山崎に対する被告・広野の報告では、『一号機は雑音が多いため、付け替えた』ということであった。 広野供述によれば、一号機は広野自身の作った電池式で、二、三日で電池がなくなるもの、二号機は松本篤の作った電話線の電流を電源とするもの、であったという。 しかし、電柱に深夜、よじ登って盗聴器を設置す
る、という危険きわまりない行為をする際、一方で長期間使用できる盗聴器を作製しながら(広野の供述によれば、松本が作製していた盗聴器は今日完成するか、明日かというところまで進んでいたという。昭和五八・一・二八、広野本人尋問)、あえて、二、三日で使えなくなってしまう電池式を取り付けるようなことをするのは、不自然きわまりない行為である。 (二)受信機
受信機は当初二台購入し、その後さらに購入して、本件電話盗聴の終わりころには、六、七台となった。バンドが多数ある特殊な受信機で、エアバンド(航空機の交信する波長帯)も入るものであった。 当初、使用していた受信機に加え、エアバンド等も受信できる特殊な受信機五台を、本件盗聴の途中で、購入した事実は、購入のいきさつ、値段等は別にして、被告・広野、同・竹岡も認めている。 (三)テープレコーダー
テープレコーダーは、オープンリール式一台、およびカセット式を数台、購入した。テープレコーダーについて被告・広野はカセット式ではないとしながら、二台購入したと供述している。 (四)音声誘導装置
電話交信が始まると、自動的にテープレコーダーをスタートさせる装置=音声誘導装置を作製したが、これはうまく作動しなかった。 「この装置を作るために、既製品をぶっ壊してコピーするというようなことをいろいろやったが、うまく作動しなかった(昭和五七・一一・一七、広野本人尋問)。」「そのため必要な測定機も含め、十五万から二十万かかった(昭和五八・一〇・二一、竹岡本人尋問)。」 (五)乗用車
車は、創価学会幹部であり、板橋区の公明党区議であった西山某(旧特務機関員で、当時板橋区で西山電工という電気工場を経営していた)より車を譲り受けて使用したほか、レンタカーを利用した。この車は、後記のとおり、被告・竹岡が近くのガソリンスタンドでチケットで給油したた
め、大きな問題にとなる。」 こうした用意周到な機材の調達、作製のうえ、いよいよ学会グループは、宮本宅の電話盗聴の実行に移 す。 「八、宮本宅電話盗聴の実行 1、実行まで
昭和四十五年五月三日の池田『謝罪』講演を機に、創価学会側は、それまでの強烈な反共キャンペーンを停止した。 しかし、『赤旗』はその後も公明党・創価学会批判の連載『黒い鶴のタブー』を継続していた。 五月十九日、右連載は『第三部終わり』と連載のくぎりをつけた。 甲大九一号証(昭和四十五年五月十九日付『赤旗』)は、『まだ反共怪文書』『公明党は�猛省�していない?』と題して、池田講演に対する世間の評価は楽観的ではないこと、相変わらずの公明党・創価学会の反共パンフレットや怪文書が各地でばらまかれていることなどを報じ、『国民は、重大な関心をもって公明党の一挙一動を見つめています』と結んでいた。
被告・山崎は、連載がこれで終わるのか、第四部があるのか、仮に第三部で終わっても原告宅電話盗聴を実行すべきか迷い、広野ら実行部隊には『ちょっと待て』と止めておいて被告・北条と相談した(昭和五六・一二・九、山崎本人尋
問)。 被告・山崎は被告・北条に、『私としてはやるべきだと思うが、こういう状況にあるので、一度検討したい』と話したところ、北条も同意見で『何人かの人と相談しよう』ということになった。 (二)五月二〇日すぎ、創価学会本部の副会長室わき会議室で、被告・北条、被告・山崎、秋谷栄之助、原島嵩、中西治雄の五人が集まり会議を行なった。
被告・山崎が状況説明を行ない、『準備もできており、決行したい』と意見を述べ討論になった。 秋谷栄之助、原島は消極的で、被告・北条は迷っていたが、中西が『太平洋戦争に負けたのは、日本は情報戦に負けたのだ』との趣旨で被告・山崎を強く支持したため、結論は、絶対に事故を起こさないように、との注意のもとに決行が決まった。 被告・山崎は、その直後、被告・広野に対し、『やることに決定したから、全力をあげてやろう』と指示した。」 現・五代目の会長の秋谷栄之助氏も、宮本宅電話盗聴に関与していたことが、この準備書面で明らかにされている。その秋谷氏が現在、連日の聖教新聞紙上で�人権�を訴えている。 「2、盗聴器の設置
昭和四十五年五月下旬 (二十五日から三十一日の間)の深夜、被告・竹岡は、原告宅前の路上の電柱によじ登ったうえ、柱上に設置されていた端子函のふたをはずし、原告宅への電話線に接続している端子に発信機を接続させて設置した。 被告・竹岡は、取り付け方法について広野の指示を受けたうえ、頭部にはベルト付きの懐中電灯、体を支える紐、ドライバー、ライターなどを道具として所持し、また見つかった時のための『護身用』バットを携帯し、電柱に登った(昭和五八・一二・二一、竹岡本人尋問)。 右決行の当日、被告・山崎は、被告・広野より『今夜やります』との報告を受け被告・北条に電話で『やります』『しばらく自宅で、こちらに専念します』と報告した。 翌朝三時ころ、広野は、山崎宅に電話で、『異常ありません』『朝になったら録音受信が始まると思うので、また報告します』との連絡をした。
翌朝、広野は『うまくいっているようです』と報告を入れてきた。 盗聴器設置の時期については、後述のとおり、被告らの間にくい違いがある が、設置の翌朝、広野が山崎に電話で報告したこと
は、被告・広野もこれを認めている。 これによれば、設置の翌朝午前十時ころ、第一声を受信し、すぐ山崎に報告した。山崎は大喜びし、『そうか、注意してやれ』と話した。 山崎は、設置後約一週間、自宅で待機し、非常に緊張し、神経をはりめぐらす思いで過ごした。 (二)なお被告・広野、同・竹岡は、盗聴器を設置した時期について、五月二十五日から末日の間ではなく、五月八日の深夜(九日未明)であると主張し、そのもっともらしい裏付けとして『週刊朝日』の対談の話などを供述しているが、この点については、後に詳論する。」 こうして創価学会は、宮本宅電話盗聴を実行に移した――。 (以下次号)>
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2005年2月9日 23:20
替 え 玉 投 票 事 件
昭和43年の参議院選挙の際、組織ぐるみで他人の投票入場券を盗み集め、
本人になりすまして公明党に投票した事件で、
なんと新宿区を中心に10万通もの投票入場券が消えています。
この事件では、学会学生部の北林芳典、宮本孝史、砂川昭夫ら八人が有罪判決を受けました。
当時,私も学生部に所属していました。北林芳典は常任幹事 宮本孝史は公明党本部に勤務していて副学生部長の役職でした。彼は,釧路出身で苦学しながら早稲田大学第二文学部から第一文学部へ転部した努力家です。砂川昭夫は宮本の親戚でその後、ドイツの炭坑へいきました。東京都内に関しては組織ぐるみで投票したことを覚えています。
彼らは,高田馬場の安兵衛湯の近所のアパ−トにすんでいました。中野第五本部を中心として活動する仲間が,宮本他、10名が逮捕されました。参考人の中に私もいて全員が口裏を合わせ不当逮捕を主張。さらに市川雄一や杉本新宿長の指示のしたで徹底した証拠隠滅を大ブロック単位でやりました。宮本は,完全黙秘を貫き,池田大作がある大学会でしょうさんしました。これらの仲間が核となって東海大の広野輝夫、北林芳典,中央大の竹岡誠二が,宮本共産党委員長の盗聴事件を起こしたのは有名な事実です。
自由の砦 8月10日号 第103号
参院選、違反続出で得た公明票800万
しかも、ようやく現有議席数を維持
これで「大勝利」とは子供騙しもいいところ!!
創価学会・公明党の違反を見逃すな
選挙史上類例のない投票干渉罪
選挙人の自由意志奪い公明票獲得
参院選終了直後から、各地の警察は、選挙違反の摘発に乗り出した。
違反容疑で逮捕された運動員等の記事が、連日、新聞の社会面を賑(にぎ)わしたが、その中でも、創価学会幹部や会員が、悪質な違反行為により続々と摘発されていることが報道され、注目を集めている。
七月二十一日付の『北日本新聞』は、富山県警が、公明党運動員の主婦・山内悦子容疑者(学会員)を公職選挙法違反(投票干渉罪)で摘発した、と報道した。
山内容疑者は、参院選公示後の十五日、公明党の比例代表候補者を当選させる目的で、不在者投票をする高岡市の知人男性を高岡市役所まで送り、車中で「頼む」と言って、支持する候補者名を書いたメモを持たせて投票所に入場させ、投票に干渉した。
学会員による、これと全く同じ手口の選挙違反事件が、各地で多発している。
佐賀県では、木庭健太郎候補の運動員が、徳島では、創価学会支部長・田中豊繁(会社員・53)が不在投票者を連れ出し、メモに候補者の名前を書いたものを持たせて投票所に送り込み、投票させた、として逮捕された。
埼玉県羽生市では、なんと、老人介護施設に勤めている介護福祉士の学会幹部が、介護施設利用者の老人にメモ用紙を持たせて投票させた、として逮捕された。
投票者に持たせたメモ用紙は、細長く、手の平に隠れる大きさで、手書きではなく、ワープロで印字されたものであった。
いずれも、余罪や組織的な犯行の疑いが大きいとして、警察は家宅捜査を行ない、関係書類を押収するなどして、さらに追及している。
公職選挙法違反のうち、「投票干渉罪」というのは、まことに奇異な事件である。
日本の選挙違反の歴史上、初めてこの事件が表われたのは、昭和四十三年頃で、やはり創価学会員による犯行であった。 この時は、投票所に連れ出した�F�(フレンド=学会員以
外のシンパ)が投票用紙に名前を書くのを、学会員が、横に並んで投票しながら監視していた。そして、そのFが他の候補者の名前を書いたものを見て逆上し、投票用紙を取り上げて破り、やり直しをさせようとしたという。まさに、�狂信的な学会員�ならではの犯行だった。
この頃の選挙から、すでに、創価学会では�当日の連れ出し�が常套(じょうとう)手段となっていた。
運動員は、頼んだF名簿をもとに投票所へ何度もピストン輸送し、その上で、自分は最後に、しかも必ず一人か二人、Fを一緒に引きつれて投票し、Fがちゃんと公明党候補の名前を書くかどうか確認する、というのが、お決まりの戦術だった。
そして運動員は、そのつど、拠点に報告することを義務づけられていた。
これらの行為自体、�当日運動�として歴とした選挙違反である。
警察が、これをちゃんと検挙していたら、創価学会の組織は壊滅し、公明党はこの世から消滅したに違いない。
しかし、創価学会員は、これを当たり前のことと考えて、上からの命令で、これまで公然と行なってきたのだ。
投票所での投票干渉行為も、もちろん、当たり前のように行なわれてきた。
歩けない老人を背負って投票所に入り、投票させていた創価学会員が、ひょいと覗(のぞ)いてみると、その老人が他の候補の名前を書いていたので、学会員は怒って、背負っていた老人を落としてしまった、などという笑い話のような事件が現実に起こり、党本部で首脳達が笑い転げた、ということもあったのだ。
今回の選挙で、創価学会において、こうした組織的な選挙違反が、今日もなお、当然のように繰り返されていることがはっきりしたのである。
�投票干渉罪�というのは、創価学会員以外に犯す者はない。
自由であるべき他人の投票を、力づくでも奪って公明党に投票させようという、創価学会の、非民主的な暴力的体質を、如実(にょじつ)に表わす犯罪行為といえよう。
不在投票利用し悪らつに投票干渉
裏で公明議員が不正行為のお膳立て
今回の摘発で、注目すべきことは、
�投票干渉行為�が、不在者投票の場で多く行なわれているという点である。
今回の選挙では、不在投票者が倍増し、七百万票を越えた。
その多くが、公明党支持者によるものと考えられる
。 なぜなら、最も熱心に不在者投票をすすめたのが、創価学会だったからである。遊びに出かける人達の票を確保するということだけでなく、投票日当日の連れ出しの負担を軽くするために、�F�に前もって不在者投票させることも、創価学会の重要な戦術なのである。
投票当日よりは、警察等の監視の目が届かないという見込みもあるし、何よりも、Fの一人一人の投票を、しっかりと確認し管理できる、という利点がある。
選挙のたびに不在者投票のマニュアルが徹底され、投票所の役所では、公明党議員が世話を焼き、便宜を図るのだ。
今日、不在者投票において多数の違反が検挙されるのも、むべなるかなである。
このように、選挙人の自由意思を奪って、むりやり公明党に投票させようという、およそ民主主義と選挙制度を根底から否定する思想は、創価学会独特のものであり、池田大作の
�勝つためには何でもやれ�
�バレなければよい� という考え方と指導によって、会内に�体質�として定着したものである。
見よ、この選挙違反事件の数々
警察は巨悪を見逃さず徹底追及を!
この、�他人の自由意思を奪って�という考え方と�不在者投票�という手段の結びつきから、私達がすぐに思い起こすのは、�新宿区集団替え玉不在投票事件�である。
やはり昭和四十五年に、創価学会によって惹起(じゃっき)したこの事件は、 選管から郵送される投票用紙を学会員がアパートやマンションの郵便受けから盗み、これをもとに公明党区議が選挙人名簿で年齢等を照会、確認し、その年齢に近い年齢の学会員に、その投票用紙で�不在投票�させたという、選挙史上、空前絶後の悪質な違反であった。
この替え玉行為は、新宿区の総責任者である区司令の八矢英世(総務=当時、外郭建築設計会社・創造社社長)、松山久夫(新宿区男子部長、青年部常任参議)らの指揮のもと、組織が一体となって行なったもので、その票数は、数千票に及んだ。
たまたま投票用紙を盗まれた人物が、当日、投票に行って、すでに何者かによって自分の名前で不在投票されていることを知り、訴え出たことから事件が発覚、捜査の結果、付近の学会員が逮捕され、そこから芋づる式に幹部が次から次へと逮捕された。
検事は、�空前絶後�の違反事件の全容をつかみ、張り切ったが、当時の竹入委員長が警視総監秦野章に泣きつき、また、次席検事等に泣きついて、お目こぼしを願い、何とか部分的な摘発で収めてもらったのだ。
池田大作は、この時、公明党の崩壊と、創価学会への打撃の深刻さを認識し、
「一から出直すつもりでやろう」 と、檄(げき)を飛ばした。
この時、検察や警察が、法に従って厳正に取り締まりを行なっていたら、創価学会も公明党も、今日、存在しなかっただろう。
検察や警察が、巨悪を見て見ぬふりをし、目こぼししたことによって、創価学会と公明党は生き延び、今日のように政治を混乱させ、国と国民に多大な損害を与える原因となったのだ。
『社長会記録』には、池田大作がこの事件について、八矢英世を総括した言葉が残されている。
また、竹入義勝氏が、平成十年に朝日新聞に発表した回想録の中にも、竹入氏自身がこの事件について、次席検事にお目こぼしを頼みに行った時のことが述べられている。
この時、竹入氏は、
「もう二度とやりません」 と約束したのだが、しかし、同じような違法選挙の伝統が引き継がれていることが、今回の事件で明らかになった。
他人の投票用紙を盗んで行なう替え玉投票、投票者の自由意志を奪う�投票干渉�そして�不在者投票制度の悪用�、大々的な当日運動、組織的な戸別訪問、買収。
創価学会が行なう政教一致の選挙戦は、今日でも、こうした不正行為を厳格に取り締まられては成り立たないのだ。
さらに創価学会による国法軽視と�私物化�の思想が、こうした行為に拍車をかける。
やはり、昭和四十四年に起こった、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者とする練馬区投票所襲撃事件も、こうした創価学会の犯罪体質に起因した事件といってよい。
学会員が投票所まで連れ出して来た有権者が、定刻を過ぎている、として投票を断わられたことで、学会員達が騒ぎ出し、市川雄一氏らがかけつけてブチ切れ、選管の職員達に殴る蹴(け)るの暴行を加えたこの事件は、およそ社会の秩序など無視し、なめ切った�創価学会至上主義�が生んだ悪質な事件の一つである。
この事件も、警視庁となれあって、もみ消されたのだ。
今回、多数の�投票干渉�による学会員の逮捕者が出て摘発に踏みきったことは、創価学会員の違反行為のあまりの多さと悪質さを見るに見かねて、ということだろう。警察の、自らの過去を反省する姿の表われでもあろうか。
だが、これを機会に、さらなる組織犯罪の実態、背後の巨悪の摘発を全うしてこそ、警察の信用回復が得られようというものだ。
それを行なわずして、再び創価学会と取り引きし、お目こぼしするようなら、地におちた選挙の権威は、永久に回復することはないであろう。
今後の、捜査の進展を注意深く見守りたい。
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2005年2月10日 22:31
ルノアール絵画取引脱税疑惑
密室で消えた十五億円のナゾ
「ルノワール絵画疑惑」事件
平成三年三月、創価学会に関わる奇妙な事件が露見した。
ルノワールの絵画、「浴後の女」と「読書する女性」の二点が、帝国ホテル「桂の間」という密室で取り引きされ、十五億円が忽然(こつぜん)と消えてしまったのである。
もちろん、それは紛失でも消滅でもなく、売り主側は二十一億円で売却し、買い主側は三十六億円の代金を出した、というだけのこと。
当然、売主側は二十一億円のみを受け取ったのであるから、その差額十五億円はどこかに消えてしま
った、いうことになる。
なにも、支払いの振込先が間違っていたとか、複雑な過程を経て、このような事態になったというわけではない。「桂の間」という密室で、わずか二時間たらずの間に起きた消失事件なのである。
密室であれば、当時、取り引きに関わった関係者に聴取すれば簡単に解決しそうなのだが、その関係者の証言が二転三転したことで、なおさらナゾが深まってしまった。
また、後に創価学会の関与が明らかとなり、不明朗な取り引きに加え、巨額の不明金が出たことから、「創価学会の集金作りでは」との憶測も飛び交った。
まず、事件の概略を記す。
平成三年、国税局が大手商社である三菱商事の税務調査をしていると、奇妙な事実が浮かび上がった。
ルノワールの絵画二点の売買に、フランス人の介在を装った架空取り引きが行なわれ、十五億円が行方不明になったことを突き止めたのだ。
この「フランス人の介在を装った」とは、当初、三菱側は、「二人のフランス人からルノワールの絵画二点を購入し、代金として三十六億円を支払った」と説明していたが、後の調査で、そのフランス人が存在していないことが判明したことをいう。つまり、「二人のフランス人」との取り引きは架空取り引きだったのである。
この不正な取り引きについて、三菱商事側は沈黙を守り、なぜか、国税局の調査に非協力的であった。それどころか、この十五億円について「使途不明金として処理して結構です」などとする上申書を国税局に提出までしている。
−―何かを隠している。
三菱側の対応は、そんなことを疑わせるに十分であった。
では、何を隠していたのか?
この事件をスクープした【朝日新開】は、三菱側とのインタビューを次のように載せている。
「――九八九年三月二十八日に購入された絵画の取り引きの経過について、詳しく教えてください。
野口秀雄常務取締役 取り引きの守秘義務というのがございまして、どういう形で売買したかは申し上げられない。
―――どのような方が絵を買われたのですか。
野口常務 ルノワールと聞いています.二枚でした.
―――三菱商事が三十六億円をどなたかに支払われたということですが。
野口常務 はい、それはもう間違いありません。
―――直前の売り主とみられる【アート・フランス】は二十一億円余りで売ったと言っていますが。
野口常務 三十六億円は絵をお持ちの実在の方にお支払いしたわけで、架空などということは一切ございません。
小野和彦・ディベロッパー事業部長代理 売り主さんに間違いなくお支払いしました。
―――フランス人に支払ったといわれていますが。
野口常務 そのことも、申し上げられません。
―――それでは、売った側との差額約十五億円の行き先は。
野口常務 それはご説明できませんが、私どもは違法行為はしておりません.
―――約十五億円もの行き先がわからない取り引きをされたのですか。
野口常務 私どもはそういう取り引きはしていません。
―――昨年秋に東京富士美術館に売却した、と承知していますが。
野ロ常務 売り先は言えませんけど、その後、売却したことは事実です。通常の絵画取引だと思っています。」 (【朝日新聞】平成三年三月三十日付)
インタビューの最後に「東京富士美術館」の名が出てくるが、これが創価学会系列の美術館であることはいうまでもない。
そして事実、取引後、絵画二点は富士美術館に搬送され、その約一年後に三菱商事に支払いが行なわれている。
このことから、この時点で三菱商事側が隠そうとしていたのが、創価学会との取り引きのことだったことがわかる。
このように、取り引きの当事者自らがあやふやな説明をする有様だから、調査は難航した。
ところで、さきにも記したように、十五億円という巨額の金が消えたことと、この取り引き自体に創価学会が絡んでいることから「創価学会の裏金づくりにされたのでは」との憶測も噂され、一部の週刊誌も「裏金では」と報じるに至った。
さて、世論がここまでくると、世間を欺(あざむ)き、なんとか保身を図ろう、とするのが創価学会である。さっそく次のようなコメントを出した。
「昭和六十三年十二月中旬か下旬ころ、企業コンサルタント会社社長から、弁護士で学会副会長である八尋頼雄氏に対し、ルノワールの絵を学会か美術館に紹介したいとの話があった。
その説明では、スイス在住のフランス人が売却を希望し、画商アート・フランス】の石原優社長が売却の委託を受けて保管しているもので、価格は、【浴後の女』と【読書する女】の二点で合計三十六億円で、権威ある鑑定もあるので心配ない。投資顧問会社社長と美術陶器店の女性経営者から持ち込まれた話である、とのことであった。
八尋氏は、美術品の話であるので、これを東京富士美術館の高倉達夫副館長に紹介した。
同美術館は、検討の結果、ルノワールの大型作品は数少ないものであり、館蔵品として直ぐほしいが、すぐには資金のメドがつかない、一、二年のうちには予算措置を講じられると思うので、その間この絵を押さえておけないか、また、美術館としては、社会的信用のある業者から購入したい、しかるべきところを紹介してほしい、との意向であった。
そこで、八尋氏は、信用と資金力のある業者に買ってもらえはよいのではないかと考え、三菱商事なら適当だと思い、高倉副館長とともに、知り合いの三菱商事社員に話したところ、同社は、検討の上、これを購入することとなった。
その結果、売り主側の指定に従い、平成元年三月二十八日、帝国ホテル桂の間において、売主側の石原氏、企業コンサルタント会社社長、投資顧問会社社長、美術陶器店経営者ら数名、買い主の三菱商事の社員、それに紹介者の八尋氏、専門家の高倉副館長が立ち会った。
その場で絵を確認した上、三菱商事は用意した預金小切手三十六枚(三十六億円)を、紹介者である八尋氏を介して投資顧問会社社長に渡した。
そして三菱商事は、美術陶器店経営者から、同様に八尋氏を介して外国人の書名のある領収書と鑑定書を受領し、絵画二点を引き取った。
この後、三菱商事社員と高倉副館長との間で、将来、この二点の絵を、東京富士美術館が購入する予定であったことや、保管施設もあるので、同社から同美術館に寄託する旨の書類の交換を行ない、運送業者が直接搬送した。
その後、東京富士美術館として、購入の準備を進めた結果、学会から所要資金の寄附を受け、平成二年九月十八日、【浴後の女】を三十四億円、「読書する女』を七億円で三菱商事から購入し、最終的にその所有権を取得した。この価格は、三菱商事の適正な利潤を考慮して決められた。
以上の経過に明らかなとおり、三菱商事が支払った代金がその後どのように処理されたかは、同社杜員も八尋氏も、高倉副館長もまったく関与しておらず、一切わからない。八尋氏は紹介者として立ち会っただけで、仲介料等は一切受け取っていない。したがって、一部マスコミが喧伝(けんでん)するように、学会の裏金作りなどということは、まったく事実無根のことであり、学会の名誉を毀損する悪質な行為である。」(【聖教新聞】平成三年四月六日付)
非常に長い引用で恐縮だが、この「ルノワール絵画事件」は複雑な経過をたどっており、その意味で、学会側の主張のウソを暴く上で、その貴重なたたき台となるものである。
以下、次号において逐条的に破折していくことにする。
「ルノワール絵画疑惑」事件
全号でも記したように、「ルノワール絵画疑惑」は非常に不可解で、事実、事件から十年近い歳月を経た今日でも、真相が鮮明されたとは言い難い。
しかも、前号に紹介した創価学会側の当時の説明は、その後に明らかとなった事実と相違しており、創価学会の欺瞞ぶりがいっそう浮き彫りにされている。
今回は、創価学会の言い分と、その後の調査結果とを対比させつつ、創価学会のウソを暴いていく。
創価学会では「昭和六十三年中旬か上 旬、企業コンサルタント会社社長から八尋頼雄に、ルノワールの絵を学会か美術館に紹介したい、と話があったという。
つまり、ルノワールの絵画二点の売買は、よそから持ちかけられた話であり、創価学会が裏金作りのために購入したものではない、と言いたいのである。
しかし、ここに一つの証言がある。【朝日新聞』の取材を受けた画商「アート・フランス」社長・石原優氏のインタビュー記事である。
―――ルノワールの『浴後の女】と「読書をする女性』はどちらに売ったのですか。
石原優社長 名前は申し上げられませんが、ある団体と関係のあるグループ.グループというよりある団体に売ったんだと思っていました。バタバタと決まった話です。
−――売値は二十一億二千五百万円ですね。
石原社長 よくご存知ですね。
―――同じ日に同じ場所で、その同じ二枚の絵がご三十六億円で買われているのですが。
石原社長 そんな額で売ったことはない。数字を聞いて仰天してます。だけど、その絵が三十六億円もする品なのでしょうか。
−――どういうグループに売ったのですか。
石原社長 いろんな事情があるんだろうとは思っていましたが、最後まで、ある団体と関係のあるグループだと信じていました。とにかくルノワールを探していた。それも、まとめて何点もほしい、ということでした。あの当時は絵画ブームで、地上げのように動いた時代ですから。
−――三菱商事に売ったという認識はあるんですか?
石原社長 まったくございません。うちのお客さんではありませんから、はっきり言えます。
―――絵を受け取ったのはグループの方ですね。
石原社長 そうでしょうね。現実に私にお金を持ってきたんですから。
―――取り引きのどのくらい前に話は決まったのですか。
石原社長 ものすごいスピードでしたよ。一日か二日前でした。電話で取り引き場所も指定されたと思います。これは最初から巧みに仕組まれた話です。(『朝日新聞』平成三年三月三十日付)
ここでいう「ある団体】とは創価学会であり、「あるグループ」とは富土美術館のことである。
その創価学会が、「まとめて何点も」 「ルノワールの絵を探していた」というのだから、先の学会側説明は「ウソ」ということになろう。
また、画商が「最初から巧みに仕組まれた話」と断言していることからも、創価学会が何らかの意図をもって、このような不明朗な取り引きを持ち込んだことを窺(うかが)わせる。
創価学会のウソはそれだけではない。
事件の最初から実在が疑われた「売り手側のフランス人二名」についても、創価学会は次のように説明していた。
「企業コンサルタントの話では、スイス在住のフランス人が売却を希望し、画商『アート・フランス』の石原優社長が売却の委託を受けて保管している(略)。」
つまり、「フランス人二名」が実在していないという事実を取り繕おうとして、創価学会は、あくまでも「フランス人二名が売却を希望しているとの説明を聞いた」だけのことで、その「フランス人」については何も知らない、と言っているわけだ。
しかし、これについても、三菱商事の社長自らが、株主総会の席上で、これをくつがえす説明をした。
すなわち、
「諸橋社長によると、売買は一九八九年三月、創価学会の八尋副会長から『フランス人所有のルノワール絵画二点を三十六億円で代理購入してほしい−との依頼があったという.(中略)『指定された額面一億円の無記名、無横線の預金小切手三十六枚を同副会長にお渡しし、引き換えに、絵画二点とフランス人名の領収書受け取りました』と明らかにした。」(「朝日新聞」平成三年六月二十七日付)
読んでわかるとおり、フランス人二名」の話を三菱商事側に持ち込んだのは創価学会側で、しかも、絵画の取り引きの際には、その「フランス人」名で領収書まで三菱側に渡しているのである。
ということは、その架空(かくう)の「フランス人」の正体は、他ならぬ創価学会ということになる……?
そう考えざるをえないが、捜査はそこまでは及ばず、結局、不明のままとなった。
ともあれ、これで「フランス人など知らない」で通るわけがない。創価学会の胡散(うさん)具さがわかろうというものである。
ところで、この説明にあるとおり、売却先への支払いは、額面一億円の小切手三十六枚(計三十六億円)、しかも無横線小切手である。
無横線小切手とは、支払い先確認が不用で、偽名で裏書きされても現金化できる小切手である。通常の取り引きでは、およそ考えられない取り扱いといわざるをえない。
そして、事実、その小切手の大半が、「フランス人名」等をはじめとする架空名義で裏書きされ、現金化されている。
この「無横線、額面一億円の小切手で三十六枚」が創価学会側の指定であったことを考えれば、こうした奇妙な金の流れは、創価学会の掌(たなごころ)の上で行なわれた、と考えるべきであろう。
さて、次に、創価学会は、さりげなく
「三菱商事は用意した預金小切手三十六枚(三十六億円)を、紹介者である八尋氏を介して顧問会社
社長に渡した」と説明している。
そして、その後の金の行く方については、
「三菱商事が支払った代金がその後このように処理されたかは、同社社員も八尋氏も、高倉副館長もまったく関与しておらず、一切わからない。(中略)
学会の裏金作りなどということは、まったく事実無根のことであり、学会の名誉を毀損する悪質な行為である」などと開き直っている。
しかし、取り引きの仲介に当たった陶磁器販売会社「立花」社長・立花玲子氏が次のように証言した、と「週刊新潮」は報じている。
「私が真実を言ったら、八尋だって大作だって、大変なことになるでしょう。(中略)だから、私の一言が恐いのよ。でも、そんなことしたら私も命が危ない。(中略)ロシアへの裏金はね、ゴルバチョフへよ。大作とゴルバチョフは会食しているの.その場に裏金も用意して渡しているわ。」(「週刊新潮」平成五年五月六日・十三日号)
取り引きに深く関わった人物の証言である。
「裏金」であったかどうかは、捜査が途中で終了してしまったために断定はできないが、こうした、ウソを交えた奇妙な取り引きであれば、十分に疑わしい、というよりも、ほとんと真っ黒だ。
繰り返しになるが、創価学会はこうした不明朗な取り引きと、その後の金の行く方について「まったく関与しておらず、裏金作りなどしていない」旨を宜言している。
しかし、右に見てきたように、数々の状況証拠や証言は、創価学会が限りなく黒に近いことを示している。
この事件はついに全容解明はされなかったが、そのこと自体、創価学会が関わる事件の不可解さを示して余りある。
全容解明されない不可解な事件を抱える創価学会――
−それは、国家権力と強力に結びついた学会ならではの不可解さ、と呼ぶべきかもしれない.
ルノワール疑惑も“広宣流布”のため?
バブルの最中、ルノワールの絵が海外から輸入され、富士美術館が最終購入者となった。画商が何人か仲介し、三菱商
事が介在したこの取引は、後に税務署の調査で十億円をはるかに超える“使途不明金”のあることが発覚した。 実質
上の購入者である創価学会の担当者は、池田大作の懐刀の一人・八尋頼雄弁護士(副会長、事務総長)であった。
その金は、前述のとおり、ゴルバチョフ氏に提供された、などとマスコミにさわがれたが、結局、ウヤムヤのまま、画
商が“脱税”の汚名を一人で引っかぶった。 時価より何十億円も高い金を支出した創価学会、そして汚ない取引を
仲介した大商社三菱商事には何のおとがめもなかった。一人罪をかぶった画商は、関係者から、 「これで、あいつ
は学会に恩を売って、一生喰いはぐれがないぞ!」 と噂された。 この事件の解明を担当した当時の警視庁幹部は、
その後退職し、国会議員となったが、選挙にあたって 「俺に、公明党候補がたてつくなら、えらいことが明るみに
出るぞ」 と、ぶっそうな独り言を言っていたそうである。 本体の創価学会同様、これら外郭公益法人もまた、ダー
ティーな事件にまみれているのである。 この事件については、国会でも疑惑追及がなされている。 少し長いが、
事件の核心を突いているので引用する。
2 平成六年十月十八日 楢崎泰昌(自民)参議院予算委員会 ・
○楢崎泰昌君 さて、本題に戻らせていただきますが、先ほど申し上げましたように、税につき・・ましては課税の公
平、課税の適正な執行というのが重要でございますが、その一端として実は三・・年ほど前に世間を騒がせましたルノ
ワール絵画疑惑事件というのがございます。
御存じだというぐあいに思っておりますが、この事件は、平成元年ごろ三菱商事が画商の立花・・というところからル
ノワールの絵画二点を三十六億円で買い付けた。しかし、その三十六億円の・・行方について疑惑が持たれ、脱税が生
じたということで検察庁がお調べになり、かつ起訴をさ・・れ、最近判決が出ているように伺っておりますが、その概
要についてお話をいただきたい。
○国務大臣(前田勲男君) 刑事局長よりお答え申し上げます。
○政府委員(則定衛君) お答えいたします。 いわゆるルノワール絵
画取引等をめぐります事案につきまして、検察当局が国税当局からの告・・発を受け
た上、平成五年六月十六日に、
美術品の販売等を目的とする株式会社立花ほか一社の二・・法人及び両法人の役員それぞれ一名を法人税法違反により
、また絵画取引の仲介に関与しました会社役員ら三名を所得税法違反により、いずれも東京地方裁判所に公判請求して
おります。
法人税法違反で起訴されました二法人及び二名につきまして一審で有罪判決が確定しておりますけれども、所得
税法違反の被告人らにつきましては、裁判中死亡しました一名を除きまして、一審で有罪判決が出されたものの、被告
人側の控訴により現在控訴審係属中でこざいます。
○楢崎泰昌君 三菱商事が三十六億円で立花から絵画を購入したということで、今おっしゃった・・のは訴訟の概要で
ございますが、資金の流れについて詳細な御説明をお願いしたい。
○政府委員(則定衛君) 検察当局が捜査をいたしまして公訴を提起し、かつ裁判所が有罪認定・・をしたという事実
につきまして私どもとしては御報告申し上げられるかと思います。
既に、先ほど申しました公判請求事件の中で株式会社立花に係ります法人税法違反事件が確定しておりまして、その公
判におきまして検察当局は、株式会社立花がルノワールの絵画二点を約二十五億円で仕入れて商事会社に三十六億円で
売却したこと、それから株式会社立花はこの売買で生じた差益約十一億円のうち八億円を立花及び関係した仲介人の間
で分配したことを主張、立証しておるものと承知しております。
○楢崎泰昌君 要するに、三菱商事から立花に三十六億円の金が渡った、そのうちいろんな使途・・が判決 等を通じ
て明らかになっているわけですけれども、三億円の不明金があるという事実がご・・ざいます。この三億円の不明金に
ついて世間を騒がせたわけですが、これについての法務省の御・・認識はいかがでしょうか。
○政府委員(則定衛君) 御指摘のように、これらの脱税事件ではルノワールの絵画の取引をめ・・ぐります所得の隠
匿工作が公判におきます審理の対象になっておるわけでございますが、御指摘のように、絵画取引で生じました全体の
差益の一部につきましては、検察官が、起訴された被告人らの収入とは主張していない部分があるわけでございます。
ただ、これらのお尋ねの点につきまして法務当局から、御指摘のような報道の真偽はどうか、それらにつきましてコメ
ントするのは起訴していない事実について言及するということになりますので、詳しいことについてはお答えいたしか
ねるわけでございます。
○楢崎泰昌君 いずれにしても、検察当局の調査では三億円は未解明であった、少なくとも起訴事実の中にない とい
うことを確認したいと思いますが、いかがですか。
○政府委員(則定衛君) 問題となっております脱税事件の対象にはなっていない、こういう点は御指摘のとおりでご
ざいます。
○楢崎泰昌君 御答弁によれば、三億円は未解明であると、我が国検察当局というのは最強の調・・査能力を持った役
所でございますが、三億円についてはわからないよというぐあいにおっしゃった。
ところで、私の手元に今、三菱商事株式会社の平成三年度株主総会で株主に配布した資料がご・・
ざいます。これは、本日の株主総会において絵画取引について御説明をしますというフレーズのもとに「事実関係」は
次の通りでございます。平成元年三月、当社は、創価学会の八尋副会長から、「フランス人所有のルノワール絵画一点
を、三十六億円で代理購入して欲しい」という依頼を受けました。取引当日は、決済条件として指定された額面一億円
の無記名、無線預手三十六枚を、同副会長にお渡しし 、」同副会長というのは創価学会の八尋副会長を指していると
も思われ・・ますが、「引換えに、絵画二点と、フランス人名の領収書を受け取りました。」要するに、創価・・学会
の八尋さんと相対して三十六億円の預手をお渡しし、そして絵画を受け取りました。これ、だれから受け取ったか書い
てないんですけれども、状況的にはどうも想像ができます。「絵画はその場で、東京富士美術館にお預けし、高倉副館
長から寄託品預り証書を受け取りました。」。その場ですぐ東京富士美術館にお渡ししたわけですね。「絵画は当初の
約束通り、一年半後の平・・成二年九月、金利と手数料を含めた四十一億円で、」、すなわち五億円の手数料というこ
とで、・・「東京富士美術館に売却致しました。以上が絵画取引の事実関係であります。」とこういうのを株主総会で
御配付になった。
この御配付になったのは、極めて三菱商事としては重要に考えられて、副社長を委員長とする・・常務以上の委員会に
おいて事実解明をした結果を御報告申し上げます、こういう文書が株主総会で配付されました。
この事実は法務当局は御存じですか。
○政府委員(則定衛君) 御指摘のような報道がなされておりますことは承知しておるわけでございますけれども、先
ほど申しましたように、関連する事件がいまだ公判係属中のものもございますし、またどのような事実について検察当
局が捜査過程で掌握しておるかということにつきましては、捜査の秘密でもございますので、今のお尋ねの点について
直接にお答えするのは差し控えるべきであろうと思っております。
○楢崎泰昌君 捜査の秘密で個別の問題はなかなか難しいというお話でございますが、これについて関心をお持ちでし
ょうか。
○政府委員(則定衛君) 検察当局といたしましては、事件捜査に関連いたしますもろもろの事・・象について関心を
持って通常捜査を進めてきたということでありますし、またなお公判も係属しておるということでありますので、それ
な りの関心を持っているものと承知しております。
○楢崎泰昌君 実はここは重要な問題を含んでいるというぐあいに思います。 すなわち、三菱商事の御説明によれば
、これは繰り返して申し上げますけれども、常務以上の委員会をこしらえて事実関係をきちっと御説明なさったんだと
思います。信用ある会社ですから、恐らく信用ある事実関係の解明を行ったんだというぐあいに存じますけれども、も
しそうであるとすれば、実はこのルノワール絵画疑惑事件というのは、この説明によれば三菱商事と創価学会の八尋副
会長との取引になってくる。
しかも、記しておりますように、三十六枚の預手ですね、これは一億円の預手を創価学会側の御指定によって用意し
たというぐあいに述べられておりますけれども、その三十六枚の預手を創・・価学会の八尋さんにお渡しになった。そ
して、ここから先は想像でございますけれども、普通常識的に考えますれば、八尋さんが三十六枚の預手をどういう形
か知りませんけれども御処分なさったというぐあいに思われるんです。そうなってくる
と、三億円の使途不明金とい
うのは実は預手が三枚分について解明できなかったんですね。ということは、どうもそこら辺に本当は問題があるんだ
なと。 判決はそうじゃなくて、三菱商事が立花に
三十六億円渡したというような前提のもとに書いて・・いますけれども、この前提は少し違うんじゃないでしょうか。
法務省、いかがでしょうか。
○政府委員(則定衛君) 検察当局は、法人税法違反あるいは所得税法違反ということで、それ・・ぞれの金の動きに
つきまして、その金額、日時、それから性格等について捜査を尽くしたわけで・・ございまして、検察の認定といたし
ましては、それぞれが売却代金ということでそれぞれの売り主に帰属したという認定のもとに起訴したものと承知して
おるわけでございまして、そこは御指摘のようなお考え方を検察当局としてはとっていなかったというふうに御理解い
ただければと思います。
○楢崎泰昌君 法務大臣、ルノワールの疑惑をめぐっては、そ もそも相当多額の脱税事件がもとになって判決が下っ
たわけですけれども、さらになお三億円の疑惑が残っている。その疑惑につ・・いてはどうなっているのか。最強の調
査機関である検察庁が調査なさってもなかなかわからなかったということでありますが、私は何らかの意味の壁があっ
たのかなという印象も持っております。
本件についてなおこういう疑惑が持たれている以上、法務御当局としてはなおいろいろ考えるべきところがあるんじ
ゃないかというぐあいに思いますが、大臣の御所見いかがでしょうか。
○国務大臣(前田勲男君) 先生お尋ねの件でございますが、別個事件の捜査処理につきましては法務大臣として所見
を述べることは差し控えなければなりませんが、一般論として申し上げれば、脱税事件というものは国家の租税収入を
害し、税負担の公平、また健全な納税意識を大変損なうものでございますから、検察当局はこれまで国税当局と密接に
連携をとりつつ厳正に対処してまいったところでございまして、今後とも厳正に対処するものと思っ ております。
○楢崎泰昌君 ぜひ、税制改革の法律案が出てくるというときでございますので、税の執行については適正かつ国民の
納得のいくような措置がとられなければならないと思います。
なお私は、宗教団体が、宗教目的のためあるいは信徒の情操育成のために、美術館をつくったりあるいは絵画を購入し
たりすることを何ら問題視しているわけではございません。しかし、宗教活動の一環として行われているとしても、疑
惑が残っていることについては極めて残念に思っておるわけでございます。 また、若干蛇足ではございま
すけれども、この二枚の絵画が富士美術館により購入されておりますけれども、まだ展示がないということも残念に思
っていることをつけ加えさせていただきたいと思っております。
元警察幹部著書出版妨害
削除部分に“公明党・創価学会と警察の関係”
2000年1月1日「しんぶん赤旗」
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15億円消えたルノワール疑惑捜査で…
”池田大作名誉会長にパトカーつけろ”
元警察幹部、平沢勝栄・自民党衆院議員の著書のゲラ刷りが外部にもれて脅迫を受
け、著書の一部が削除された問題(本紙連載「政教一体 公明党・創価学会」昨年十
二月一日付で報道)で、この削除部分の内容が関係者の話でわかりました。そこに
は、創価学会にかかわる使途不明金事件として注目された「ルノワール事件」の捜査
体験や、池田大作・創価学会名誉会長に必要でないパトカーをつけよ、と公明党が要
求したことなどが書かれていました。この新たな言論出版妨害の真相と背景、公明党
と警察の関係などの解明が重要になっています。
平沢氏は、警視庁防犯部長、岡山県警本部長、警察庁官房審議官などをへて、九六
年に衆院議員となった元警察幹部。
昨年三月に出版した著書『警察官僚が見た「日本の警察」』(講談社刊)のなか
で、みずからの体験を踏まえて、警察と公明党・創価学会との関係の問題点にふれよ
うとしました。
その内容のひとつが九一年に表面化した「ルノワール事件」。平沢氏が警視庁防犯
部長として、捜査を指揮していました。
この事件では、三菱商事が一九八九年三月に創価学会幹部の依頼を受けて、フラン
ス印象派の巨匠、ルノワールの絵画二点(「浴後の女」「読書をする女」)を都内の
画商から買い、創価学会系の東京富士美術館に売りました。
三菱商事は創価学会の「代理役」。しかも、画商からの購入価格は三十六億円とさ
れているのに、画商に渡されたのは約二十一億円でした。その差額、約十五億円のゆ
くえが大問題になり、「創価学会の裏金づくりか」とマスコミでも報道されました。
警視庁が脱税などの容疑で捜査に乗り出し、金の流れの解明につとめました。絵画
代金の預金小切手を発行したのは創価学会と取引の深い三菱銀行で、同行の協力も必
要でした。
関係者によると、平沢氏は、当初のゲラ刷りで、三菱銀行という名前はあげないも
のの、創価学会と深い取引関係にある「大手銀行」が捜査に協力しなかった、と指
摘。こうしたことも、ひとつの障害となって捜査がゆきづまったのはまったく残念だ
った、と当時の心情をのべていました。
さらに著書とは別に、警察関係者が「ルノワール事件の捜査について公明党議員か
ら働きかけがあった」と語っていたことも本紙の調べでわかりました。
また、ゲラ刷りの削除部分では、東京都議会で「キャスチングボート」を握った公
明党が、警視庁と特殊な関係になった歴史などを具体的に指摘。さらに、警察が必要
と判断していないのに、池田大作・名誉会長にパトカーをつけるよう公明党が警察に
要求してきたことも明らかにしていました。
警察幹部の体験にもとづく記述にたいし、ゲラ刷りを入手した勢力は、「私の先生
を侮辱するのか」「仏罰があたる」「次の総選挙では、総力をあげて落選させる」と
いった脅迫のファクスや無言電話を同氏事務所などに集中。このなかで、同氏は、さ
まざまな判断から問題部分を削除する結果になりました。
一連の経過について、平沢氏は「いまは何もコメントできない」と語っています
が、昨年九月に放映されたテレビ討論番組「朝まで生テレビ」では、公明党からの池
田氏へのパトカー警備要求にもふれ、「創価学会の事件で警察に飛んでくるのは公明
党議員」と発言していました。
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2005年2月11日 11:42
「一億七千万円金庫事件」
創価学会の邪教たる所以(ゆえん)の一つとして、「金」にまつわるスキャンダルが挙げられる。
証券業界に吹き荒れた損失補填問題の時にも創価学会の名が挙がったし、ルノアール絵画疑惑でも学会の名が挙がった。また、巨大墓園についても、脱税事件として大きく報じられた。
今回は、その金銭スキャンダルの事例の一つとして、有名な「一億七千万円金庫事件」を紹介する。
平成元年六月三十日の こと。神奈川県横浜市旭区の廃棄物処理場で、回収されてきたゴミの中に一台の古金庫があった。廃棄物処理場では、この古ぼけた金庫を開けるため、クレーンで吊り上げて、高所から地面に叩きつけてみた。すると、落ちた金庫の中から、数えきれないほどの万札が飛び散ったのだから、業者も驚いたに違いない。
その額、一億七千万円。
当時の一般紙の報道を見てみよう。
「現金はすべて旧一万円札で、使い古されたものと手つかずのものが半々。一千万円ごとに紫色のパラフィン紙で包んだ数束などのほかは、金庫が壊れた時のショックでバラバラになっていた。
しかし、周辺には、大手デパートや有力菓子店の包装紙、都市銀行など数行の金融機関名の入った帯封が散らばっており、現金は一千万円単位のほか百万円単位でこれらの帯封で束ねられていたものと見られる。また、帯封の日付の大半は昭和四十年代だった。」 (『日本経済新聞』平成元年七月一日付)
ご記憶の方も多いと思うが、この古金庫事件の三ケ月前の四月にも、竹やぶから二億三千五百万円が見つかった事件もあり、バブル経済の象徴的な事件として、この金庫事件も世間の耳目を驚かせた。
驚いたのは世間だけではなく、創価学会も驚いたらしい。『聖教新聞】は金庫が見つかった日の翌日、七月一日付に、コラム「寸鉄」欄にこう書いた。
「今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か。」
一億七千五百万円を捨てるなど、たしかに「欲ポケ社会の戯画・縮図」といえようが、その「欲ボケ社会」が、じつは創価学会そのものであったことが、数日後に判明した。
「創価学会の裏会長」とも「池田大作の金庫番」とも称される中西治雄氏が、「あの金庫は私のもの」と名乗りを上げたのだ。
中西氏は、七月三日、記者会見を開き、次のように述べた。
「昭和四十六年頃から三年間、総本山大石寺で「金杯」の売却で二億円の売り上げがあり、予想外にうまくいって、一億七千万円の利益を得た金」
「金はすぐ使うつもりはなかったので金庫に入れておいたが、そのらち忘れてしまった」
「その金庫は、学会の知人から譲り受け、自宅が狭いので、聖教新聞社の地下倉庫に置いた」
「法人登記はせず、個人で商売したもので、脱税の金」
「(一億七千万円は、帯封が複数の金融機関に亘っている、という質問に)金の管理は他人に任せていたのでわからない」等々。・
一読してウソとわかる弁解である。
こうした説明に、一般紙すらも、こう疑問を投げかけた。
「中西氏が記者会見で語った『札束入り金庫のことは、おいて五、六年たち、用事に追われて忘れていた』との内容も、一般人の感覚からはかけ離れている。また、中西氏は『七月一日に気付いた』と話しているが、届け出たのは三日で、この二日間の空白にも疑問がつきまとう。
さらに、売上金のはずなのに、大蔵省印刷局の帯封のついた未使用の札が含まれていた点も、疑問点の一つとなっている。」 (『読売新聞』平成元年七月四日付)
この新聞記事を読んでも、中西氏の説明は、およそ一般人を納得させるものでなかったことがわかる。
この記者会見の後、「聖教新聞」は、事件に関して「調査報告書」を発表している。
「中西は、昭和四十五年ごろから、業者が総本山大石寺に建設中の正本堂に関連する記念品、土産品を勝手に製作して、次々と持ち込んできたことへの対応を担当していたところ、その立場を利用して、将来の生活の保全、個人の事業欲などの動機から、金杯、扇、楯、額、メダル等を自ら販売して利益を得ることを図り、約四年間にわたって実行して現金を蓄積した。
(中略)
銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え、当初、現金のまま身の回りに置いていたが、そのままにしておくわけにもいかず、その後、(聖教新聞社の)第九倉庫に運び込んだ金庫の中に入れてひそかに保管していた。」(『聖教新聞』平成元年十月十七日付)
さきの中西氏の記者会見発表とも矛盾する、なんとも胡散(うさん)臭い説明である。
細かい詮議は置くとして、誰もが壊(いだ)く不審点を列挙してみよう。
まず第一に、金庫から出てきた札束には銀行の帯封が付けられていた点。しかも、その中には大蔵省印刷局の封緘(ふうかん)印付きの帯封でくるまれた札束もあった。
しかし、『聖教新聞』の弁解を振り返ってみると、「銀行には預けていない」とある。
銀行を通していない札束に鈍行の帯封がついている???
この点について、一般紙も疑問を投げかける。
「札束の帯封には数行の金融機関名が記されていたが、このうち同署(神奈川県警旭署)は『大蔵省
印刷局封緘』印のある札束を、持ち主特定の有力な手がかりとしている。この札束は一度も市中に出回っていない未使用のもので、日銀から割り当てを受けた銀行でも、得意先など限られたケースでしか使っていないという」 (『日本経済新聞』平成元年七月一日付)
市中に出回るはずのない「大蔵省印刷局封緘」印付きの帯封がついた札束(つまり未使用の札束)を、銀行には預けなかった中西氏が持っている??? 常識で考えれば、極めておかしな話である。
次に、中西氏が「個人的な事業」として土産物屋を営み、その利益として莫大(ばくだい)な収益を上げていた、という点。
というのも、同じ記者会見の席上、青木亨聖教新聞社代表理事(当時)は
「聖教新聞社では兼職を禁じている。(個人的な商売は)明らかに違反行為で、処分する」(『読売新聞』平成元年七月四日付)
と述べているが、聖教新聞社の職員であった中西氏が、創価学会本部に内緒でアルバイトをしていた、とは考えられないからである。
しかも、その禁じられていたアルバイトで得た大金を、わぎわざ他の社員の目につきそうな聖教新聞社の地下倉庫に置いていた?‥
まったくもって不自然な話ではないか。
最後に、もっとも奇妙なのが、「金庫に入れたまま忘れていた」という弁解。
当時、中西氏は自分の土地を担保に銀行から三百五十万円の融資を受けており、一億七千五百万円を所有しながら、わざわざ銀行から三百五十万円を借り入れる、などということがありえるだろうか?
以上、簡単に疑問点を列挙してみたが、どう見ても、中西氏ならびに創価学会の弁明は弁明になっていない。ほかに真犯人、すなわち、一億七千万円の真の持ち主がいる、と考えた方がよさそうである。
では、その「真犯人」とは誰か−。
かつて池田大作の側近として活躍した元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏は、この事件の真相を次のように解説している。
「八王子市の土地売買で、ある業者からのリベートが中西治雄氏経由で池田大作に渡った。しかし、その土地についてトラブルが生じたため、このリベートをどう処理したものかと思案中、会長専用室の金庫に風呂敷包みのまま入れておいた。
(中略)会長専用室を恩師記念室に作りかえるカムフラージュ作業の際、この金庫も持ち出され、長い間、聖教新聞社地下の倉庫に眠っていた。
月日が経ち、担当者が代わり、この金庫も粗大ゴミとして投棄された(直接係わったのは、池田大作の妻の弟の白木管理局長といわれる)。扱ったのは、創価学会外郭企業会社で、聖教新聞の輸送、車両管理、廃棄物処理などを行なう『日本図書輸送株式会社』であった。
この金庫が、横浜市のゴミ捨て場で発見され、中から一億七千万円の入った風呂敷が出てきて、大騒ぎとなった。平成元年のことである。(中略)
結局、すでに現役を退いた中西治雄氏に、因果をふくめて一切をかぶせ、”中西氏が、外郭会社の本山売店の売り上げをくすね、へそくって貯めた金である”ということにして、クサイものにフタをした。」(山崎正友著【日本経済乗っ取りの野望』第四巻)
つまり、一億七千万円の本当の持ち主は池田大作であり、中西氏は、池田創価学会の罪を一身にかぶったスケープゴート(いけにえ)にすぎなかった、というのだ。これほど理不尽な処置もあるまい。
その後、中西氏は学会の表舞台から完全に姿を消したが、事件が起きるたびにスケープゴートを仕立て上げて延命を図る体質−池田創価学会が続くかぎり、この構図は変わることはない。
学会の金権体質示す大事件
創価学会が起こした脱税の事例
前号では、「一億七千万円入り金庫投棄事件」が世間を驚かせたのみならず、創価学会をも驚かせたことを記した。
この、惜しげもなく捨てられた大金入り金庫の持ち主として、中西治雄氏(創価学会総務=当時)が名乗りを上げたが、この時、記者会見に応じた中西氏は、苦渋(くじゅう)に満ちた顔で、こう言った。
「(金庫の金は)脱税の金です。」
脱税! この言葉に驚いたのは税務署であろう。
国民の義務として、誰もが税金を収めているにもかかわらず、この学会幹部は「脱税していた」などと、のうのうと言い放ったのだから驚かない方がどうかしている。
しかも、宗教法人は、布施・供養等への課税は免税され、土地・建物等の固定資産税も免除されており、さらに、教団の収益部門から上がる収益についても、大幅な減税特典が与えられているのである。
その恩典に守られた宗教法人創価学会の金庫の中から「脱税の金」が出てきた−これはどういうこと
か。
これを機に、平成二年初夏、国税庁は創価学会の税務調査を開始した。
しかし、宗教法人法第八四条に「宗教法人に関して、法令の規定による正当の権限に基づく調査、検査その他の行為をする場合においては、宗教法人の宗教上の特性および慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように、特に留意しなければならない」と定めるように、税務調査といえども厳しい制限が加えられているのである。いかに脱税の容疑があるとはいえ、創価学会への税務調査は、通常の個人・法人に対するよりも、慎重さが要求された。
その上、創価学会の態度は非常に非協力的であった。
その非協力ぷりを一般紙から拾ってみよう.
「学会は今回の調査に対し、きちんとした学会財産目録はない、と答えて(国税庁から)指導を受けるなど、税務調査への抵抗とも、不透明ともとれる対応をしており、第二次調査への猛反発は必至だ」 (『読売新聞』平成三年五月八日付)
「学会側は『何ら不明な部分はない』と主張し、帳簿を開示するだけで数ケ月もかかったという。」(『読売新聞』平成三年五月八日付)
「『その帳簿は出せません』 『第一庶務の人に聞いてみないと、何とも答えられません』 −。七三年以来十八年ぷりの調査は、初めから難航した。第一庶務とは池田大作・名誉会長に直結する秘書グループを指すともいわれている。」(『毎日新聞』平成三年五月八日付)
「税務調査への抵抗」「帳簿を開示するだけで数ケ月」 「帳簿を出さない」等々、国税側の苦労がありありと見えるようだが、それにもまして、創価学会の、国税調査への非協力ぶりは、国税庁をなめきった横柄ささえ感じさせる。というより、この非協力ぶりこそ、学会がもつ後ろめたさの証明、というべきではないだろうか。
創価学会が税務調査に非協力的であった背景には、もちろん、脱税の事実が挙げられる.
たとえは、週刊誌は次のような事例を紹介している。
「聖教新聞社の地下に社員食堂があるが、この食堂部の仕入れ帳簿に『高級イクラ十人分』という項目があるのを目ざとく見つけた調査員が、鋭く突っ込んできた。
『普通、社員食堂ではこんなものは出さないでしょう。それに、全員に出すには量が少なすぎますね。これは何ですか。』
学会側はしどろもどろになったが、これは、もちろん、池田センセーの食事に供したもの。
『じつは、池田家の食事材料の仕入れは、全部、聖教新聞社の食堂部がやっているんですよ。つまり、大作さんが公私混同しているんです。それがはかなくもバレてしまったわけです。』(本部関係者証言)(中略)証拠隠滅をはかる学会幹部は、『第一庶務にある書類を全部焼き捨てろ』と指令を出した。国税の目を逃がれる書類が、宇都宮にある千丁宣揚焼却場に、次々と運び込まれている (『週刊文春』平成二年九月二十日号)
池田家の食費(それも「イクラ」という高級食材)まで創価学会から支出されていた。しかも、その金は「脱税」に当たる。
それのみならず、調査の対象となる帳簿類を、焼却場に運び込んで国税庁の目から隠したというのだから、なおさら悪質であり、不透明そのものであろう。
しかし、この不透明さの中でも、調査は、いちおう、終結した。
結果は、創価学会が経営する墓園の墓石にかかるべき税金、二十三億八千万円の修正申告であった。
これは、墓園に据え付けた墓石で得た収入を、墓地と同様に「永代使用料」として公益会計(税金が免除される)に入れ、法人税として申告していなかったことによる修正である。
「修正」と聞くと、単に帳簿の書き入れミスのごとく誤解しそうだが、要は脱税である。すなわち、創価学会は、申告すペき収益をいつわって別会計で処理し、脱税していたのであった。
これが明らかにされるや、創価学会は、泥の上塗りを避けたかったのであろう。これにかかる税額ならびに追徴課税合わせて六億四千万円を、即日納付した。
創価学会は、この調査が終了し、墓石に関する脱税が明らかにされた後、「経理には不明な部分はないことが証明され、調査はすべて終わった」と公言したが、この調査では次のような点も指摘されている。
「このほか、同国税局は、本来、公益部門が負担すべき人件費や設備使用料など三億円あまりを、収益部門である聖教新聞社から支払って同社の経費扱いにしていた点なども指摘しており、この部分も今回の修正申告に含まれているものと見られる。」(『朝日新聞』平成三年五月八日付)
この記事に見られるように、どうやら、創価学会はあちこちで脱税を働いていたらしい。
ちなみに、創価学会の脱税に関して、後年、故・渡辺美智雄元大蔵大臣は、次のような秘話を明かしている。
「記者 自民党がかつて国会で法案を通すために創価学会の脱税をもみ消したと、講演でいいましたね。
渡辺氏 時の権力者が何もしないで(創価学会が)国税Gメンをフリーパスできますか。国税庁側に歯ぎしりしている人がいっばいいる。(時の権力者は)何代もある.知っているんだから。」 (『朝日新聞』平成五年十二月八日付)
このインタビューに先立ち、渡辺氏は講演の中で、湾岸戦争への九十億ドル支出の際、公明党を抱き込むために脱税をもみ消した、ということも明かしている。
つまり、創価学会は、脱税をもみ消すために「時の権力者」に頼み込んで、公明党を「九十億ドル支援」賛成に動かしたのだ。
宗教者として、世俗の物欲から離れ世の模範として生活すべき集団が、自ら脱税し、その脱税を隠すために「時の権力者」に媚(こ)びて裏取引をはかる−創価学会が、いかにどす黒く世俗にまみれているか、一目瞭然ではないか。
※ 参考までに今日は何点か興味深い記事を載せましょう。
96.02.04作成
[被告・池田大作を追いつめた]
五年間に及ぶ「宗門戦争」、その驚くべき実態
日蓮正宗弁護団長 小長井良浩
宗門との約束
十一・一六池田スピーチ
池田除名の意味
僧侶への暴力事件
「右翼団体の皆様」
公明党議員の関与
セックススキャンダル
学会弁護士の謀議
池田が証言台に立つ日
私は、平成三年に宗教法人「日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)」の顧問弁護士に就任し、その後創価学会破門、池
田大作信徒除名を経て五年間にわたり宗門弁護団長を務めて参りました。当初は弁護士は私一人でしたが、現在では弁
護団の総数は全国で六十五人を数え、アメリカやブラジルにも事件があります。
よく知られているように、平成二年末に池田大作創価学会名誉会長が日蓮正宗の信徒代表である総講頭の資格を喪失
したことが端緒となって、創価学会による執拗な宗門攻撃が開始されました。
以来、宗門への学会員らによる組織的な訴訟攻勢に止まらず、法廷外での様々な嫌がもせや脅迫、暴行、あるいは監
視、尾行、法要妨害など、創価学会が行ってきた有形無形に及ぶ反社会的行為の実態を私は弁護士としてつぶさに見て
きました。
もちろん、宗門との全面的な争いが勃発すろはるか以前より、創価学会の反社会性については私も一弁護士として十
分に認識していたつもりです。藤原弘達氏や内藤国夫氏ヘの出版妨害事件、宮本顕治共産党委員長宅盗聴事件、月刊ペ
ン事件、一億七千万円もの現金が入った古金庫投棄事件・・・。このように、池田大作というカリスマに指導された創
価学会が引さ起こした社会問題は枚挙にいとまがありません。
だが、実際にこの巨大な組織と対峙してみると、これは反社会的という生易しい言葉ではとても言い尽くせない。こ
の団体は破門された現在、オウム真理教で知られたカルトの集団であり、民主主義国家においては到底許すことができ
ない存在であると認識を新たにした次第です。ましてや、宗教法人法の保護のもとに建設された宗教施設を使って教団
全体で公然と選挙運動を行い、政治に大きな影響力を及ぼし続けているのですから、現在でも社会に与えているマイナ
スは計り知れないものがあります。これまで法主(ほっす)に信伏随従(しんぷくずいじゅう)していた何百万人の信
徒が、池田大作というカりスマの意一つで、一斉に宗門に牙を剥き始め、違法行為すら厭わなくなるのです。「池田先
生は絶対」という妄信のもとに一致団結して行動する団体が創価学会なのです。
先の国会で宗教法人法改正案が紆余曲折の末に成立しましたが、創価学会を支持母体とする新進党はこの改正を宗教
弾圧だと称して徹底して反対の立場をとってきました。ですが、私の経験に照らしてみれば、創価学会による宗門攻撃
こそがあからさまな宗教弾圧なのです。一連の宗門攻撃の中には現職の公明の地方議員が関与しているものが多数あり
ます。詳細は後述しますが、これこそ政治権力が宗教に介入する「政教一致」の典型例ではないでしょうか。
また、創価学会が宗教法人法改正に反対の立場であるならば、その実質的指導者である池田大作氏はどうして堂々と
国会に出て意見を表明しないのでしょうか。
池田氏の参考人招致を巡って、新進党などは宗教法人に関する特別委員会の佐々木満委員長を委員長室に閉じ込め、
審議を再開させようとしませんでした。このとき、国会議員やその秘書たち約三百人が、池田大作という男一人を守る
ためだけに、国会内の狭い廊下に五時間以上に亘って陣取ったというのです。
これは何という異常さでしょうか。卑しくも選挙で選ばれた国民の代表たる国会議員が、カルト集団の゛教祖゛の意
のままに動いてしまうという懸念を図らずも露呈してしまったのです。思えば、細川連立政権の組閣前夜、池田氏は学
会員を前に次のようなスピーチを行いました。「すごい時代に入りました、ね! そのうちデージンも何人か出るでし
ょう。ね、もうじきです。まァ、明日あたりですから。{みんな、みなさん方の部下だから}、そのつもりで。日本一
の創価学会ですよ。明日の新聞楽しみに」(傍点筆者、以下同)@※掲載者注{}部分が傍点、以下同@この発言こそ
、学会の政教一致体質を如実に現しています。それにもかかわらず、この人物をあくまで守ろうとする新進党議員はや
はり池田氏の部下なのでしょうか。
これは日本政治の歴史の中でも前代未聞の愚行として後世の歴史家が振り返ることになると私は思います。
そうならないとすれば、つまり、二十一世紀になっても創価学会がいまのままの勢力を維持しているとしたら、日本
社会に健全な未来はやってこない。戦後日本が五十年かけて築き上げてきた民主主義の精神を我々の子孫に伝えていく
には、いまここで立ち上がらなければ間に合わなくなってしまうかもしれない。
創価学会は、日蓮正宗という伝統宗教の信徒団体であって新興宗教ではない、と言って教勢を広げてきました。それ
が、平成三年には宗門からも破門され、学会の違法行為を重ねる常習性は、歯止めがなくなりつつあります。この社会
的に重大な問題に中心的に携わってきた者として、私は敢えてここにこの五年間を子細に語ることにしました。日蓮正
宗の信徒を指導(マインド、コントロ−ル)し、思いのままに操る池田大作氏の虚像をここに明らかにする次第です。
宗門との約束
そもそも、創価学会という団体は真の意味で宗教団体だといえるのでしょうか。いわんや、宗教法人として優遇税制
その他の国家からの保護を受けるに値する団体なのでしょうか。私は日蓮正宗弁護団長という立場でこの五年間活動し
てきたわけですが、その答は否と言わざるをえません。時として目的のためには手段を選ばない、謀略団体と言うベき
でしょう。
もっとも、世間的には創価学会=日蓮正宗というイメージがいまだに強く残っていることも拭いがたい事実でしょう
。宗門が学会を破門したという程度の知識はあっても、それが具体的にどういう意味を持つことなのかといえば、ほと
んどの国民は知らないのではないでしょうか。同じ信仰を持つ団体同士が内輪もめをしている、あるいは派閥争いをし
ているというふうに考えている方もなかにはあるかと思います。または、いまの争いは一時的なものであって、いずれ
将来は仲直りするのだろうと言う人もいます。
そういった誤解を解くために、改めて宗門と学会の関係をおさらいさせて頂きたいと思います。
日蓮正宗では、古来から日蓮大聖人の法体を継承したすべての歴代御法主上人を正法の正師として拝してきました。
現在の法主、日顕上人は、日蓮大聖人から数えて六十七代目の法主になります。
日蓮大聖人が一二八二年の入滅の際に、その後継として日興上人を選んで、所弘の仏法の奥義を余すところなく口決
相承(くけつそうじょう)により伝授したと言われています。これを日蓮正宗では「唯授一人血脈相承(ゆいじゅいち
にんけちみゃくそうじょう)」と称していますが、つまり日顕上人に至るまでの七百年余りの間、一器の水を一器にそ
そぐように六十七代にわたって日蓮大聖人の教えが後継の法主を中心に受け継がれてきたわけです。
日蓮正宗の総本山である大石寺(たいせきじ)も含め、全国にある日蓮正宗に属する六百以上の末寺はそのほとんど
が各都道府県知事が認証した宗教法人でもあります。それらを包括するのが日蓮正宗であり、包括宗教法人として文部
大臣に認証されています。
一方の創価学会は、昭和五年に牧口常三郎を会長とする創価教育学会として発足したのちに、日蓮正宗の信徒団体と
なりました。牧口会長が亡くなり、昭和二十年に創価学会として再建、戸田城聖氏が二代会長に就任していますが、以
後一貫して日蓮正宗を外護(げご)し、広宣流布へと挺身すべき信徒団体という立場にあったのです。
宗教法人法第二条に、「宗教団体」とは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主
たる目的とする」団体とあります。この法律が施行された翌年の昭和二十七年に、創価学会は東京都知事から宗教法人
として認証されたわけですが、このとき、当時の戸田会長は、宗門外護と折伏(しゃくぶく)活動の便宜の上から法人
格が必要として、宗門に許可を請うたのです。
宗門側は、学会の申し出に対して厳重に、次の三つを守ることを提示し、学会側もこの遵守を約束いたしました。
�折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
�当山の教義を守ること。
�仏、法、僧の三宝を守ること。
この三原則は当時、既に学会が発行していた聖教新聞にも大きく書かれています。「仏、法、僧の三宝」とは、「仏宝
」が宗祖である日蓮大聖人をさし、「法宝」は大石寺の正本堂に安置されている大御本尊です。これは日蓮大聖人直筆
のもので、「南無妙法蓮華経」の七文字を中心に菩薩や仏の名が書き連ねられています。「僧宝」は、開祖である日興
上人を随一として、唯授一人血脈相承の歴代上人全てにわたります。
また、宗教法人「創価学会」の規則第三条にも団体の目的をこう定めてあります。
<この法人は、{日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正
宗の教義に基づき}、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立
をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献す
ることを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を
行なうものとする>
この規則は平成三年十一月に宗門が学会を破門したのちも創価学会の規則として現存しているものです。
秋谷栄之助創価学会会長は昨年末、国会での参考人招致で、「大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義というならば、
それを正しく堅持し伝えているのは、むしろ創価学会である。したがって、日蓮正宗の教義ということについて、変更
する必要はないと考えている」と答弁しましたが、宗教法人認証の際の三原則に照らしてみれば、これが強弁に過ぎな
いことはすぐにわかるでしょう。
現在、日本には十八万を超える宗教法人が設立されていますが、単なる信徒団体が宗教法人として認められているケ
ースは創価学会以外には一つとしてありません。おそらく、世界中を見てもこれは極めて異例なケースでしょう。それ
が何故、宗教法人として認証を受けることができたかといえば、先に述べたような日蓮正宗宗門に確約した三原則の経
緯があり、これを東京都が認証したからです。
そして、いまや創価学会は宗門から破門された信徒団体なのですから、広めるベき教義も御本尊もあるはずがありま
せん。それでも、宗教団体だというのであれば、いったい、創価学会はどんな教義を持ち出し何を信仰しているという
のでしょうか。
十一・一六池田スピーチ
私が見たこのカルト化した集団の実態と宗門攻撃の手口を明らかにする前に、この組織を指導している池田大作とい
う人物が宗教上、実際にどんな位置づけにあるかということを述べさせて頂きます。
全国の何百万人という信者が「池田先生」と崇めている男には、実は宗教的指導を行う資格も能力もまったく備わっ
ていないのです。これは、週刊誌などで度々指摘されてきた池田大作氏の人間性や品性の問題だけではなく、日蓮大聖
人の教えを実践するという根元的な意味において明白なことなのです。
まず、最初に述ベたように池田大作氏が総講頭の資格を喪失したのが平成二年十二月二十七日です。この総講頭とい
う地位は日蓮正宗の何百万人という信徒の総代表という資格です。
この資格喪失の直接のきっかけは、その年の十一月十六日に行われた創価学会第三十五回本部幹部会における池田大
作名誉会長の発言にありました。いわゆる「十一・一六スピーチ」と呼ばれるものです。
このなかで池田名誉会長が日蓮正宗の御法主である阿部日顕上人に対して、信徒にあるまじき発言を繰り返したので
す。以下にその中の問題部分を列挙します。「猊下(げいか)というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力
じゃありません」「全然、また難しい教義、聞いたって解んないもの。誰も解んねえ。ドイツ語聞いているみたいにね
。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者』って。そんなのありませんよ、この時代に。時代ととも歩
まなきゃいけませんよ」「あくまで御書です。御本尊です、仏法は。これだけ解ればいい。あと、ちゃんと日淳上人、
それから堀猊下、全部日達上人、きちーっと学会を守って下さる」
この発言は明らかに学会が宗教法人設立時に宗門に約束した三原則を踏みにじるものなのです。つまり、学会が守ら
なくてはならない三宝の一つ「僧」を蔑視、軽視した発言だからです。堀猊下、日淳上人、日達上人というのは順次、
日顕上人以前の歴代の法主のことです。
この暴言について、宗門は学会に真意を尋ねましたが、納得のいく説明がなかったばかりか、新たに日顕上人を俎上
にあげた詰問状を宗門に送りつけてきました。
それらの詳細な経緯は割愛しますが、結局、そのやりとりの後、平成二年十二月二十七日に池田名誉会長は総講頭の
資格を喪失することになります。そして、年を改めて学会から宗門への全面的な攻撃が開始されたというわけです。
池田除名の意味
私は、この状勢が急展開を見せた最中に宗門からの依頼により、日顕上人とお会いした上で宗門の弁護をお引き受け
したわけです。私自身は、他の宗派に属している者でもあり、学会とも宗門とも何の利害関係も持っておりません。
しかし、八百万人のマンモス団体が、一転して、総勢で千人の僧侶を殲滅しようという異常な事態を目の前にして、
社会正義と人権を守るという弁護士法の精神に従えば、この仕事は引き受けざるをえない性質のものでした。
こうして大役を仰せつかったわけですが、それまでの宗門の法律関連の処理は、全て創価学会員の弁護士軍団が仕切
っていました。過去の大事な裁判の記録や必要な書類などはほとんど学会側が保管しているという散々な状況からのス
タートでした。
しかし、日顕上人の類い稀な決断力と統率力、教義と伝統のお陰で、私が当初懸念していた学会側の宗門僧侶の切り
崩しは効果をあげず、平成三年秋には創価学会への解散勧告、そして破門宣告を行うことができました。
なおかつ、平成四年八月には、池田大作名誉会長を信徒除名処分にいたしました。
その除名処分の際の通告書は次のようなものです。
< 通告書
日蓮正宗大願寺信徒
池田大作
今般、日蓮正宗宗規に基づき、貴殿を信徒除名処分に付したので、ここに通
告する。
貴殿は、東京第二布教区管内の大願寺信徒であったが、最近の各種会合にお
ける貴殿の発言を調査したところ、本宗宗規第二二九条及び第二三〇条に基づ
き、貴殿を信徒除名処分に付すべきが相当と判断した。
そこで、貴殿に対して、七月四日付で通知書を送付し、通知書到着後三〇日
以内に、当職宛に弁疏の書面を提出するよう通知した。
しかるに、期日(八月三日)を経過した八月四日に至るも、貴殿からは、弁
疏の書面の提出がなく、何らの意思表示もなかった。
よって、貴殿には、自己の行為についての指摘事実を全面的に認め、何らの
弁疏を申し立てる意思もないものと判断し、所定の手続きを経て、貴殿を信徒
除名処分に付し、本通告に及ぶものである。
これにより、貴殿は日蓮正宗信徒の地位を喪失し、今後信徒としての一切の
権利を行使できなくなったことを念告する。
平成四年八月十一日
日蓮正宗佛乗寺
東京第二布教区宗務支院長
高橋信興 >
先の三原則にもある通り、学会員が折伏した人たちはまず信徒として各寺院に所属しなければなりません。入信の際
には、寺院で僧侶からご本尊を受け、そのときに御授戒という儀式が執り行われます。これで初めて日蓮正宗信徒にな
るわけです。創価学会名誉会長という肩書を持つ池田大作氏もこと信仰の面では、一般の学会員と同じく一信徒として
日蓮正宗の末寺に所属していたわけです。
そしてこの除名処分を受けているのは、八百万人の創価学会員のなかで池田大作氏ただ一人なのです。ですから、こ
の池田除名が持つ意味は、非常に大きいのです。創価学会という{団体}は宗門から破門されましたが、池田氏以外の
学会員は寺院に願い出ればいつでも本山に登山して御本尊を拝むことができるのです。つまり、個々の会員は創価学会
員である前に日蓮正宗の信徒であるということです。もちろん、秋谷会長以下の学会幹邦も日蓮正宗の信徒としての地
位をいまだに保持しています。池田大作氏だけが、永久に日蓮大聖人の御本尊と相対することができないわけです。
学会員の皆さん、これが池田大作氏の宗教的な立場なのです。これ以上でもなければ以下でもありません。日蓮正宗
の教義を信仰する資格すら彼は持っていないのです。創価学会員から「池田先生」、「名誉会長」と呼ばれていても、
実体は学会員のなかで創価学会の設立目的である「大聖人の仏法」から完全に棄てられた人なのです。創価学会は学会
員に対して平成三年の破門通告の時点で宗門とは一切無関係になったと説明していますが、個々の学会員はいまだに日
蓮正宗の信徒であることを再度自覚していただきたいと思います。無関係なのは池田大作氏ただ一人なのです。従って
、池田大作氏は日蓮大聖人の教えからは最も外れた人物なのであり、何百万人という学会員はいわば池田大作氏に騙さ
れているようなものです。彼はオウム真理教の麻原彰晃のようにその宗教を興した教祖ですらありません。日蓮正宗の
教えを都合のいいように改変して、自らのカリスマを維持するために利用しているに過ぎないのです。
もちろん、将来的にかつて信徒団体だった創価学会の破門を解くことは宗門としてはあり得ないことです。たとえ、
池田氏を排除して学会が本来の信仰心を取り戻したとしても、創価学会という組織はもとより解散して出直さなければ
ならないでしょう。しかし、池田氏ただ一人に、解散後でも宗門に戻る権利が、永久にないのです。要するに、信徒を
除名された彼は日蓮正宗とは何の関係もないただの一私人であり、宗教家ともいえないのです。
宗門が元信徒団体である創価学会の解散という強い要求を引き続きしていくことには明確な理由があります。この五
年間にわたる組織ぐるみの宗門攻撃のなかで、創価学会は日蓮正宗の教義をあまりにも逸脱した活動を推進し続けてき
たからです。
平成三年からは僧侶を排した「学会葬」を執り行うようになり、塔婆や戒名をも否定するようになりました。
そればかりか、一昨年には、これまで宗門から末寺を通して各信徒に渡していた御本尊の代わりに、学会が新たにコ
ピーの御本尊を渡すようになりました。御本尊とは、総本山大石寺にある大御本尊を法主が書き写し、開眼して信徒に
授与するものであり、信徒は仏壇にそれを納め、朝夕の勤(ごんぎょう)行の際に拝するのです。この御本尊は信徒に
とって「三宝」を具する最も大事な信仰の対象であります。法主に破門されて困り果てた創価学会は、平成五年からこ
れを七百年の間大石寺に安置されてきた大御本尊とはまったく別のものからコピーし、御本尊と称して学会員に渡して
いるのです。いわば「ニセ本尊」を堂々と学会員に売りつけているわけです。
いま学会が各地の会館で行っている「御本尊のお取り替え」は、日蓮大聖人の教えに対する最大の冒涜であり謗法な
のです。創価学会はもはや、信徒団体という立場を失い、本物の池田教になりつつあるのです。
僧侶への暴力事件
一口に「宗門戦争」と言いましても、平成三年初頭から始まった宗門と創価学会との対立には、具体的には様々な側
面があります。五年間に及ぶ執拗な宗門攻撃の中身は大まかに分けると三つになります。
一つは、法主である日顕上人並びに総本山大石寺に対するもの、二つ目が全国の寺院や僧侶への攻撃、三つ目が脱講
運動と呼ばれる末寺の信徒に対するものです。本来、日蓮正宗の信徒は末寺の法華講と呼ばれる信徒団体に所属するこ
とになっていますが、創価学会を脱会した信徒もその後は法華講に所属することになります「これらの信徒を宗門から
奪い去って学会に取り戻そうというのが脱講運動です。
池田氏の総講頭資格喪失直後の平成三年初め、まずは全国各地の寺院への法要妨害が起こりました。資格喪失を受け
て、早いところでは元旦から法要妨害か始まりました。宗祖日蓮大聖人の命日である毎月十三日に各寺院で行われる法
要の場にも、学会員か多数押し寄せて法要の進行を妨げました。通常は、住職がお経も唱えたあとに説法をするわけで
すが、学会員がその話をさせまいと、「質問ッ、質問ッ!」と割リ込んでくる。これは株主総会の総会屋の手口とまっ
たく同じです。
また、法要に出ようとする学会員がいると、お寺の前で学会幹部がカメラやビデオを持って監視を行い、誰が出入り
するのかチェックします。「池田先生を罷免した宗門側の説法を聞いてはいけない」「お寺には行ってはいけない」と
いうことを学会員に周知徹底させるわけです。
平成三年四月には、法要妨害が僧侶らへの暴行事件にまで発展しました。福岡の開信寺に、法要が始まる時間を見計
らって約三百人の学会員が押し寄せ、住職の袈裟衣を引っ張って足を数十回にわたって蹴りつけるなどの暴行に及んだ
のです。また、それを止めに入った法華講の信徒は首を締め上げられ、長期入院したほどの凄まじさだったと言います
。
これらの法要妨害は、非常に綿密に計画が練られ、組織だって行われています。京都の亀岡市にある本感寺で起きた
暴行事件では、学会が作成した法要妨害の予定表が現場に残されていました。それを見ると、何時何十分に誰々、その
何十分後に誰々という”突撃時間”までが予め決められていました。
また、この年は創価学会の絵画売買を巡るルノアール事件が明るみになり、証券会社の損失補填リストに学会の名前
が登場、さらに学会の墓地事業で二十三億円余りの申告漏れが発覚した年でもありました。そうした創価学会の反社会
性や経理の不透明性が露になったこともあり、宗門は十一月七日学会への解散勧告通知を出すに至ったのです。
秋谷会長は即日記者会見を開いて、「我々は独立した宗教団体であり、宗門から解散を勧告されるいわれはない」と
開き直りましたが、解散勧告が学会に与えた影響は相当なものだったはずです。宗門に学会との六十年にも及ぶ関係の
中で、何度も学会による教義逸脱が起き、その都度宗門が戒めてきた歴史がありましたが、解散勧告はこれ以上はない
という厳しい処断だったからです。学会員のなかには、「宗門戦争」が終れば、再び御本尊のある大石寺に登山出来る
と思っていた人もいたでしょうが、寺院に帰属しない学会員である限りそれは叶わなくなってしまったのです。
解散勧告からわずか十日後、政治団体「武士(、もののふ)の会」が街宣車十台以上を連ねて大石寺に押し掛けてき
ました。
その日のことは決して忘れません。秋晴れの日曜日で、ちょうど大石寺の方向には富士山の雄大な姿がくっきりと見
えていました。そのとき、私はタクシーで大石寺に向かう途中で、右翼の街宣活動に遭遇したのです。
私は、解散勧告に対する創価学会の開き直りにどう対応するか、つまり解散勧告に次ぐ破門宣告の準備のために連日
、大石寺に出向いて宗門側と協議を重ねていたのです。そんな最中に、右翼が突然やって来て「無慈悲に信者を切り捨
てるような僧侶が、宗教者と言えるのか!」などと大音量でがなり立て始めたのです。
右翼の行動は街宣に止まらず、迷彩が施された戦闘服に身を包んだ何人かがドーベルマン二匹を引き連れて境内に侵
入し、僧侶や職員を威嚇するなどの行為にも出ました。彼らの街宣活動には、地元の創価学会男子部員や学会の富士宮
センター職員が同行していたことが確認されています。また、柳楽和善創価学会副会長がなぜか現場に居合わせて、右
翼の街宣活動を写真におさめるなどしていました。
その日から、彼らは創価学会系の民宿「こくさい」に泊り込み、正月も含めて連日、大石寺の周辺道路をぐるぐる走
り回り、他宗のお経を流してみたり、軍歌を流したりという行為を続けました。「武士の会」以外の右翼も翌日から姿
を見せ、彼らは「日顕出ていけ」等の演説を繰り返して、僧侶の修行や職員の業務に多大な影響を及ぼし続けました。
まさしく、大石寺周辺は”戦争”さながらだったのです。
そんな異常な雰囲気の中で、宗門は断固として怯まず、日顕上人の決意のもとに十一月二十八日には創価学会への破
門宣告を出すに至りました。
その翌日の二十九日には。街宣車の一台が境内に侵入し、それを阻止しようとした僧侶に対して、右翼が胸ぐらをつ
かみ、ナイフを突きつけたりの暴行脅迫を加えるという事件が起きています。その後も僧侶に対する暴行は頻発しまし
た。
さらに、ペンキで路上に「天誅日顕死ね、すけべ坊主日顕、天誅タコ坊主日顕天誅」などと落書きされたり、あるい
は大石寺の敷地にペンキ入りのビンが投げ込まれたり、境内近くの杉林で不審火が発生したこもあります。
これらの右翼の活動に対して、弁護団は平成四年二月十二日に静岡地裁富土支部に宗教活動等妨害禁止の仮処分命令
を求める申し立てを行い、二十六日には仮処分決定が出されました。
「右翼団体の皆様」
右翼の街宣活動が創価学会に依頼、あるいは指示されたものであると推定できる根拠として、現場で目撃された学会
員の存在以外に、地元住民が裁判所に提出した嘆願書なるものがあります。
以下がその嘆願書です。
< 嘆願書
今回の大石寺と創価学会の分裂騒動において商売の低迷及び生活苦に脅かされ
ております。その為に{地元住民側に立って大石寺に抗議街宣を行っている右
翼団体の皆様の抗議街宣は、尤もであり}私達住民か心に思っていても、大石
寺側の圧力により仕方なく従っているために、常日頃の大石寺の在り方を問う
ことも出来ず、{右翼団体の皆様による私達の心に思っている代弁だけが、私
達の頼りのするところ}でございます。この度の裁判所の右翼の方々に対する
仮処分決定は誠に不満に思っております。中立的立場に立った裁判所の決定も
望むべく署名捺印し裁判所に提出致します。
平成四年 月 日
署名
住所
静岡地方裁判所
富士市支部 御中 >
おかしな話ですが、街宣車から垂れ流される騒音に対して「地元住民」が頼りにしているという町です。
この嘆願書は百通以上も裁判所に提出されたものですが、これを書いた「地元住民」は全て創価学会員です。大石寺
の周辺で商店や民宿などを経営したり、そこに商品を卸したりする業者さんがほとんどです。彼らは宗門と学会の対立
が起こる以前は、学会員の総本山への登山の際に学会員相手の商売をしていました。この嘆願書を右翼の代埋人が取り
まとめて裁判所に提出したわけです。
仮処分命令後も街宣活動は続き、三月末には、日顕上人に宛てて、差出人不明の実弾入りの脅迫状が届きました。便
箋一枚に「実弾を送ります。これで死になさい」と書かれていました。その後も、大石寺の施設に短銃で七発の実弾が
撃ち込まれた事件、大石寺の警備員の宿舎に火炎瓶が投げつけられた事件などが続出していきます。
四月二十日には、「ダイナマイト爆破予告事件」が起きました。これは創価学会員(当時高松本部婦人部副本部長)
が大石寺に二十数回にわたって電話をかけて、御影堂と客殿及び大坊に時限爆弾をセットした。猊下に取り次がなけれ
ぱ爆発させる」などと脅迫し、更には三億円を用意するようにと要求した事件でした。このときは警察が電話を逆探知
して彼女を発見、現行犯逮捕し、ことなきを得ました。
これら一連の流れのなかで、私は右翼の街宣活動に対しては仮処分命令だけでは不十分だと判断し、静岡地裁富士支
部に間接強制の申し立てを行い、五月二十一日、演説や音楽などで妨害した場合には一日につき三十万円の制裁金の支
払いを命じる間接強制の決定を勝ち取ることができました。
これでようやく大石寺周辺に静かな環境が戻ってきたのですが、この年の九月、「武士の会」の代表幹事長で、僧侶
への暴行で逮捕されたこともある橋本剛氏が東京、赤坂の雑居ビルから不審な転落死をしているのです。
この右翼の脅威にさらされた時期は、今から振り返れぱ、創価学会の宗門攻撃の方法が大きく変化していった時期に
も重なります。平成三年は、全国の末寺に対する攻撃だったものが、平成四年になると総本山である大石寺、ならびに
日顕上人に強烈に向けられるようになったのです。学会機関紙の聖教新聞では連日、日顕上人を誹謗する記事が載せら
れるようになります。それだけ、解散勧告と破門宣告の影響が大きく、学会の動揺も激しかったのでしょう。
もちろん、末寺への攻撃が止むどころか、後に述ベる末寺への訴訟攻勢が平成四年に頻発するようになり、創価学会
を脱会した信徒に対する「脱講運動」も各地でトラブルを続出させました。脱講運動とは、創価学会を脱会した信徒の
自宅などに学会員が連日連夜押しかけて、学会に戻るように説得するものです。いくら信徒が断っても、なかなか帰ら
ず、「池田先生を裏切るのか」「日顕宗とは手を切れ」と迫るわけです。
あらゆる手段を使って宗門を攻撃する創価学会の体買は、法廷の場でより明らかになります。私が最初、一人で始め
た宗門弁護が、この五年間で六十五人もの大弁護団になった所以です。
この五年間に起きた訴訟や告発は全国で併せて百九十七件にものぼります。
そのなかには、当たり前ですが学会側が原告となっているものと、宗門側が原告になっているものの二種類がありま
す。もっとも、問題の発端は常に学会にあり、宗門が原告になっていても、それは到底見過ごすことのできない学会の
不法行為に限って告訴しているものです。
例えば、聖教新聞や創価新報などの学会機関紙が報じた日顕上人のスキャンダル報道に対して宗門が訴えた名誉毀損
訴訟があります。このスキャンダル報道がいかに創価学会の謀略的体質を示しているかは、後に詳しく述べます。それ
と、いわゆる「学会僧」と呼ばれる宗門を離脱した僧侶が不法に占拠する寺院の明け渡し、返還を求める訴訟も進めて
います。
反対に学会が原告となっているものが圧倒的な数で、日顕上人や各寺院に対して起こされた様々な事由による慰謝料
請求等の民事訴訟と、墓地埋葬法違反の事由で寺院を刑事告発したものです。
民事訴訟では、お寺に預けた遺骨を返してほしいというものや、日顕上人やその他の僧侶の言動を捉えて名誉毀損と
して訴えたもの、あるいは寺院会計の開示や寺院の代表役員職務執行停止の申し立てなどで、これが平成三年から、百
三件(平成七年十二月現在)も起こっています。
刑事告発は七十四件(平成七年十二月現在)になります。告発はすべて、寺院が経営許可を取らずに納骨堂や墓地を
経営していたという墓地埋葬法第十条違反の事由で各地の警察に告発されたものです。
まず、民事訴訟の例をいくつかご紹介しましょう
宗門戦争初期に起きた「感応寺事件」は、明石市にある感応寺の住職が、感応寺の受け持つ管内で行われた「学会葬
」の誤りを指摘した「葬儀報告書」を頒布したことに対して、創価学会員遺族らが名誉を毀損されたとして住職を訴え
たものです。
平成三年二月から奄美大島の名瀬市で始まった「学会葬」は僧侶を排除し、亡くなった人に戒名も与えないという、
教義的にはまったく許されないものでした。僧侶の代わりに学会幹部が「導師」として儀式を執り行うのです。この頃
から、聖教新聞などで「葬儀は、僧侶不要でよい」「戒名は不要」と宣伝し始め、学会は信者たちに葬儀を同志葬、友
人葬、家族葬などと称して行わせようとしてきました。それでも、僧侶がいないという異常な葬式に学会員たちの動揺
は収まらなかったのでしょう。
感応寺のケースでは、「感応寺に葬儀を依頼したら断られたから自分たちで勝手にした」とか「葬儀をお願いしたら
、五十万円請求されたから断って学会葬でした」というような噂が創価学会から流され、葬儀に僧侶がいない責任を感
応寺に転嫁しようという動きがありました。
それらの経緯を踏まえて、感応寺の住職が創価学会は「大幹部が率先してウソをつき弱者を苛めるヤクザ教団と化し
てしまった」と、その報告書のなかで学会葬を痛烈に批判したのですが、それらの文言が名誉を毀損したとして訴えら
れたわけです。
平成三年に提訴されたこの事件は、平成五年に神戸地裁明石支部で判決が言い渡され、宗門側が全面勝訴しました。
裁判所は、原告の名誉はなんら毀損されておらず、住職の行為は正当な布教活勧であると判断し、原告の請求を棄却し
ました。
また、同種の裁判は千葉県の遠霑寺・仏心寺についても起きていますが、裁判所は感応寺のケースよりさらに踏み込
んだ判断をしています。千葉地裁八日市場支部の裁判長は、日蓮正宗では「僧が導師を務めず、位牌に俗名を記載して
葬儀を執行する創価学会葬は、日蓮正宗正統の化儀(けぎ)に反する、信徒としては許されない教義上の謬見(びゅう
けん)であるということになる」と認定し、ゆえに住職らは「日蓮正宗末寺の住職として創価学会葬を日蓮正宗の教義
に反する異端(謗法)である」としたのであって、僧侶として正当な教義からの逸脱を諌める趣旨でなされた布教活勧
の一環である、と判断したのです。
学会側はすぐさま控訴しましたが、東京高裁でも控訴人の主張をことごとく「筋違い」「理由がない」として退けて
、控訴棄却の判決を言い渡しています。
こういった訴訟を利用して創価学会側の宗門と信徒を切り離そうとする例は他にも数多くありますが、多くが学会幹
部に”指導”された末端学会員が同じ趣旨の申し立てを全国各地で起こすという図式になっています。
公明党議員の関与
そのなかで最も多発したのが遺骨返還訴訟でした。創価学会は以前から、「お墓のない人は遺骨をお寺に預けましょ
う」と学会員らに勧めてきました。それが、突如、「学会員はお寺に行ってはいけない」ことになったのです。
その結果、寺院にお墓がある学会員はお墓参りもできなくなった。葬式の問題と同じく、これは信徒にとって極めて
重要な問題でしょう。学会はあくまでも寺院の存在を否定しようと躍起になって、墓参りすら許さなかった。そして、
お寺にある遺骨は返してもらうようにと”指導”したわけです。
もっとも、常識的に考えれば、遺族がお寺に遺骨を返してほしいというのなら、お寺はその理由を聞いて納得すれば
当然返還しています。それがどうして裁判になってしまうのかといえば、学会幹部が裁判に持ち込むように様々な工作
を行っているからにほかなりません。しかも、その訴訟に至るまでの経緯が非常に周到でした。
例えば、学会員は事前に何の連絡もなく、決まってお寺の忙しい時期を見計らってやってきます。多くは地域の学会
幹部が同行します。そして、「いますぐ遺骨を返してほしい」と迫るのです。「事前に連絡をしてから来れば返還しま
す」と言っても「どうしていま返さないのか」とケンカ腰に迫ってくる。 つまり、僧侶の「返さない」という失言を
誘い出そうとしているのでしょう。そして、その失言を証拠として、裁判に訴えようというわけです。あるいは、遺族
の申し出により遺骨を寺院が返却しても、いったんは納得して引き取ったのに、再び寺院にやってきて「この遺骨は違
う、本物の遺骨を返してほしい」と言いがかりをつけてくるケースもありました。
また、墓地埋葬法違反による刑事告発とも関連しますが、遺骨を預けていた寺院が納骨堂の経営許可を取っていなか
ったことを理由に、それまでの保管料を騙取されたとして保管料の返還と慰謝料を請求するケースもありました。
墓地埋葬法の第十条に「墓地・納骨堂又は火葬揚を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければなら
ない」という条文があります。日蓮正宗に限らず、日本の多くの寺院が経営許可を取ることをしてこなかったことは事
実です。しかし、各寺院における納骨行為は、営利を目的として行っているのではなく、あくまでも教義に基づく純粋
な宗教行為の一環として行っていることなのです。
しかも、この墓地埋葬法は宗教的感情や公衆衛生を保護するために作られたものですから、お寺が保健所の手続きを
取っていなかったことだけを殊更に取り上げるのは法律の精神と合致しません。また、学会側はこの問題を民事で取り
上げる一方で、同時に七十四件もの刑事告発を各都道府県警にしてきたわけですが、もちろん、この七十四件は全て不
起訴処分になっています。
この問題に関しては、寺院側が経営許可を取ることを創価学会が妨害しているという見逃せない事実もあります。墓
地の経営許可については近隣の同意が必要なのですが、「あそこのお寺の墓地の経営許可には賛成しないでください」
と選挙運動よろしくお寺の近所を学会員が戸別訪門するわけです。つまり、経営許可を取っていないからけしからんと
言いながら、その違法状態を継続させているのが創価学会なのです。
さらに問題なのは、いったん住民が同意をしてもそれを公明党議員が運動して同意を撤回させている例があります。
香川県の琴平町にある福成寺では、損害賠償請求を起こした原告でもある西浦猛という町会議員が、墓地の近隣を回っ
て同意を撤回させており、実際に住民の半数がその同意を撤回しているのです。
また、山口県岩国市の弘法寺の場合は、当時公明党の市議会議員だった反田福三氏が原告の学会員の依頼で、弘法寺
の納骨堂経営許可取得の有無の確認をしているという事実があります。
総本山の大石寺に対して起こされた、やはり墓地埋葬法違反に基づく民事訴訟では、現職代議士の近江巳記夫氏が原
告に名を連ねています。近江氏は、提訴をした二カ月後には、細川内閣の誕生で科学技術庁長官に就任しています。
このような公明党議員の関与は明白な政治による宗教弾圧です。こうまでして、学会員を寺院から遠ざけなくてはな
らないのは、それだけ日蓮正宗では末寺と信徒の関係が信仰の面で深く繁がっているからです。それを断ち切るために
学会は「ニセ本尊」を作り、学会葬を執り行い、戒名を否定して、お寺を学会員の目に入らないようにしているのです
。
セックススキャンダル
これらの学会の重大な教義違反、訴訟攻勢はもちろん、池田大作名誉会長の指導、指示によって行われています。と
ころが、こと裁判になると、それらの訴訟は全て学会員個人が原告になっている。池田大作氏個人や創価学会が法人と
して原告になったものは不思議に一つとしてありません。池田氏は、女性スキャンダルを雑誌に書かれた「月刊ぺン事
件」で、自ら警視庁に告訴状を提出したために証人として出廷せざるをえなかったことを余程後悔しているのではない
でしょうか。
その池田氏が最も執拗に行った宗門攻撃が日顕上人への女性スキャンダル報道だったことは、彼の辛い過去へのこだ
わりが尾を引いているのかもしれません。
右翼の街宣活動がようやく止まったあと一息ついていたところに湧き起こったのが、日顕上人の買春疑惑報道でした
。
平成四年六月十七日、学会の機関紙である創価新報が一面の全面を使って、三十年も昔に起きたという日顕上人の買
春疑惑が発覚したと大々的に報じたのです。
その記事の見出しは、
<日顕、アメリカの歓楽街で大破廉恥行為深夜のシアトルで警察沙汰にああ!
この聖職者失格の卑猥な人格 売春婦と金銭めぐりトラブル>
というものでした。以下、記事を引用します。
<一九六三年(昭和三十八年)三月、当時、教学部長だった日顕は、海外出張
御授戒のために、アメリカの各都市を訪問した。
ところが、記念すべきこの出張御授戒が、実はとんだ”買春ツアー”であった
ことが発覚した。日顕は深夜に単身で歓楽街に繰り出し、売春婦とトラブルを起
こし、果ては警察の厄介にまでなっていたのである>
出張御授戒とは、海外に在住する日蓮正宗の信徒に対して僧侶が御本尊を授けるための儀式に日本から出向いていく
ものです。当時はまだ海外には寺院がなく、授戒を行なう僧侶もいない状態でした。
創価学会が中心となって海外への広宣流布を進めていたこの時期、いわば記念すべき第一回海外出張御授戒の際に、
日顕上人が買春行為をしていたというのですから、日蓮正宗の信徒にとってみればショックを受けるどころではありま
せん。
一方では宗門を「日顕宗」と称して法主攻撃を繰り返してもなかなか成果が上がらない学会にとってみれば、これほ
ど効果が期待できるスキャンダルはありません。全国各地で脱講運動を繰り広げている末端の学会員にしても、法華講
から信徒を取り戻す説得材料が増えるわけです。
もっとも、これは私自身も後になってみて気がついたことですが、この時期の学会員は脱講運動に構っている暇はな
かったのです。というのは、この創価新報の報道から一カ月後には破門後初めての国勢選挙となる参議院選挙が控えて
いたからです。
選挙が近づくと、なぜか寺院や元学会員への嫌がらせ電話が激減したり、脱講運動が収まっていくのです。つまり、
創価新報が報じた「シアトル事件」なるものは、宗門との長引く対立で学会員が動揺し、選挙で公明党が惨敗するので
はないかと危惧した創価学会が放った最大級の「怪文書」だったわけです。
宗門への執拗な攻撃に疑問を持っている学会員を引き締めるための最終兵器のようなものだったのでしょう。六月十
七日の第一報から、連日のように聖教新聞や創価新報などの機関紙を使ってこの「シアトル事件」を繰り返し、大々的
に取り上げたのです。事実、選挙前は劣勢を伝えられていた公明党はこの参議院選挙で改選議席数の十を一挙に十四に
伸ばす大勝をしています。
ともあれ、選挙運動の最大効果を狙ったのでしょう、七月二十六日の投票日直前になって、聖教新聞は「シアトル事
件新段階へ 現場に立ち会った婦人が真実を証言」(七月二十三日付)という記事を掲載、ようやく「シアトル事件」
の証言者を実名で引っ張り出してきました。
ヒロエ・クロウ(白木宏枝)なる人物が登場して三十年前の「真実」と称する話を語り始めたのです。現在はカリフ
ォルニア州に在住し、アメリカSGI(創価学会インターナショナル)の婦人部に属している彼女は、当時シアトルの
中心幹部であり、日顕上人の出張御授戒の案内役をしていたとのことです。曰く、「私は、シアトル市の警察官から『
売春宿と思われる建物の前で、日本人男性が売春婦とトラブルを起こしたようだ。本人に事情を聞いても、英語が通じ
なくて要領を得ない。彼があなたの電話番号を持っていたので連絡した。すぐにきてくれ』との通報を受けました」『
その警察官が言うには、あなたは、売春宿から飛び出してきて、それを追いかけるように売春婦が二人、大声で叫びな
がら出てきたとのことでした。そして、あなたは手に持っていたカメラを振り回してその女たちを追い払おうとしてい
たとのことでした」「警察官によると、シアトル警察での事情聴取に対して、二人の売春婦の一人は、あなたから『金
を払うから、是非ともヌード写真を撮らせてくれ』と頼まれたと供述し、もう一人は実際にあなたと性行為をし、その
料金についてトラブルが起こったと供述しているとのことでした」
言うまでもなく、これらの「証言」はまったくの捏造であり、日顕上人がシアトルで売春婦と言葉を交わしたという
事実すらないのです。確かめるまでもないことですが、私は当時、日顕上人とも直接お会いして、三十年前の行動を思
い起してもらい、この報道がまったくの作り話であることを確信して宗門の機関紙である『大白法(だいびゃくほう)
』に反論記事を掲載してもらいました。
すると。今度はヒロエ・クロウがロサンゼルス上級裁判所に「日顕に嘘つき呼ばわりされて名誉を毀損された」とし
て、日顕上人個人を被告とする六十億円の損害賠償請求の訴えを起こしました。
学会弁護士の謀議
宗門はロサンゼルスでも学会と争わなくてはならなくなったのです。原告はヒロエ・クロウ個人ですが、これが創価
学会による組織ぐるみの訴訟であることは言うまでもありません。その点をロサンゼルス上級裁判所は非常によく考慮
して、次のように断じ、訴えを退けています。「本件で証拠として提出された創価学会の出版物にある記事の中には、
創価学会がクロウ婦人の阿部師に対するカリフォルニアでの訴訟を鼓舞し、財政的に援助をした事実が認められる。宣
誓供述書および書証の中には、原告の訴訟が、日本在住者十万人以上からの寄付金によって財政的に賄われていること
を示す十分な証拠が存し、これらの証拠の多くは原告によって論破されていない。
これらの供述書と書証は、公けの場で演出された数々のイベントを示しており、それらのイベントが、本件訴訟の根
拠とされている意見表明や、名誉毀損に当たると主張されている行為を誘発したことを示している。原告クロウが積極
的に阿部とのある種の公けの対決を求めていたこと、そして実際上原告が『誘い出す』("baid")ことを試みていたこ
とを示す十分過ぎる証拠がある。」
結局、平成四年九月に提訴されたこの訴訟は翌年の十一月に訴えを却下する決定が下っています。
つまり、「クロウ夫人は名目上の原告に過ぎず、宗門と学会の争いは日本でやりなさい」ということなのですが、ク
ロウ夫人はそれでも控訴しました。学会は、この裁判は「正義の戦いだ」と宣伝して全国の学会員から十億円ものカン
パを集めたといいますから、あくまでもロサンゼルスで裁判を行い、クロウ夫人に悲劇のヒロインを演じ続けさせなけ
ればならないのでしょう。
加えて、創価学会はこの「シアトル事件」について平成七年になってあらたに「決定的証拠」なるものを持ち出して
、さらに大々的に報道を始めました。
<日顕の『シアトル事件』に決定的証拠 1963年3月 シアトル市警察の
取調べの事実全面否認の日顕最大の窮地に>
これは昨年一月八日に聖教新聞で報道された際の見出しですが、要は学会側があるルートを通して調査した結果、ア
メリカ連邦政府内に、日顕上人についての『売春勧誘の嫌疑 シアトル市警 一九六三年三月』なる記録が存在するこ
とが判明したというのです。ところが、その情報源についてはまったく明示されていません。
しかも、学会側の弁護士はこの報道の後になって、連邦政府の資料明示請求の窓口である司法省情報・プライバシー
局に対し、この記録を調べるように二度も嘆願書を送っているのです。決定的な証拠を見つけた後にどうして、記録を
調べてほしいと嘆願しなければならないのでしょうか。
その後、昨年の七月になって、司法省は、
<FBIも連邦検事事務総局も、貴殿の申請の範囲に属するような記録は何も
持っていないし、そのような記録を過去に保有していたことを示す証拠は何も
ない>
という公式回答を出しています。結局、学会側が、「決定的証拠」と大宣伝した記録なるものはどこにもなかった。
ありもしないものをでっち上げて、それを機関紙で大々的に報道し、事実が判明してもそれを謝罪しないばかりか、一
切続報載せないのです。これでは、自分に都合のいいことだけを能弁にしゃべるオウム真理教のあの上祐外報部長のよ
うなものです。
このような体質を持っているのが創価学会という宗教法人の実態です。しかも、機関紙とはいえ、聖教新聞は毎日新
聞をも上回る五百五十万部という大部数を誇る日刊新聞です。これほどの大媒体が「新聞」の名で捏造記事を垂れ流し
続けていることを果たして看過していいのでしょうか。
さらに、このクロウ事件の背景には重大な疑惑が存在するのです。「シアトル事件」が大々的に報道され始めた平成
四年六月の一年以上も前に、アメリカにおいて創価学会の弁護士が秘密会合を持ち、日顕上人のセックススキャンダル
の可能性についてその効果を含めて論じあっていたのです。
ちょうど、日本では学会による末寺への法要妨害や僧侶への暴行事件が多発している最中の平成三年四月、カリフォ
ルニア州のサンタモニカに日米七人の学会弁護士が集まり、宗門攻撃のあらゆる可能性を探った謀議を開いていたので
す。
しかも、この謀議にはカリフォルニア州司法長官室の現職検事であるリンダ・ジョンソン女史も加わっていました、
職務上中立であるべき立場の検事までもが、創価学会創価学会側に与している事実はまったく驚くほかありません。
そして、その集まりに参加した学会員の大塚章男弁護士が、七人の座長であるジョージ小田野弁護士(SGI−US
A法務部長、ワシントンDC弁護士)に対して次のような報告をしています。「アメリカにおいては、特に宗教関係者
のスキャンダルは致命的であり(二年前のベーカー事件においては、脱税及びスキャンダルの発覚によりマスコミにた
たかれ、それまでテレビ放映による布教で人気のあったベーカーは、そのすべてを失った)、この種の情報をえられれ
ばこちらに有利である」
このベーカー事件とは、一九八九年、テレビ伝導師としてアメリカで有名だったジム・ベーカー牧師が売春婦の密告
によって、宗教家としての地位から追われた事件です。つまり、学会が日本で宗門攻撃を開始した直後にすでに日顕上
人のセックススキャンダルを仕掛けることを想定していたわけです。
要するに、「シアトル事件」は三十年前に起きた事件ではなく、宗門と学会が全面戦争に入ってから”起こされた”
事件なのです。「仏法は勝負です」が口癖の池田大作氏の”指導”によって、平成三年から4年にかけてじっくりと練
り上げられた結果、参議院選挙の直前という最も効果的な時期にヒロエ・クロウなる女性を日本の「新聞」にデビュー
させ、国勢に大きな影響を与えた。「クロウ事件」と呼ぶ方が正しいのです。
池田が証言台に立つ日
セックススキャンダルを使っての日顕上人攻撃が参議院選挙で絶大な効果を示したためか、池田大作氏はさらなる日
顕上人の醜聞を作り上げてきました。平成四年十一月に起きた「偽造写真報道」です。
<日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道まだ信伏随従するのか 芸者の世界
は日顕の”心の故郷”!?>
十一月四日付の創価新報において、右のような見出しを掲げ、日顕上人が狭い和室の中で芸者と酒を飲みながら遊興
しているような写真を大きく掲載したのです。報道はその写真の撮影者や撮影日時、場所などをまったく明らかにして
おらず、やはり日顕上人には身に覚えのないことでした。
まさか、写真を偽造するとまでは考えてなく、年を越して三ヵ月以上もかけて延々と調べた結果、これは昭和六十一
年に日蓮正宗僧侶の古稀記念祝賀会に日顕上人が夫人同伴で招待された際に撮影されたスナップ写真から作られたこと
がわかりました。実際の写真と報道された写真を見比べてみると、本物には写っている他の僧侶が報道では抹消されて
おり、しかも背景がぬりつぶされたり、新たに存在しないものが画き加えられたりしていました。故に我々は「写真偽
造事件」と呼んでいるのです。
そして、池田大作氏は報道の十日後に行われたSGI総会で、その偽造写真を掲げて次のようなスピーチをしていま
す。「そのうち、また、あの、あれ出ますけどネ。これ、持っていいかな、これ、ちょっと、見してもらったけどネ。
たくさんの美女に囲まれてネ。どう。『やめろ』というのは、秋谷会長だ。オウ。新橋かどこかのネ。飲み越してさ。
もう、デ、ヘッヘッヘヘッヘェー』って、笑ってネ(会場、爆笑)。まぁ、みんな、行きたいネ、いっぺんネ(会場爆
笑)。そういう連中なんです」
つまり、秋谷会長が「やめた方がいい」と制止するのを振り切って池田氏がこの偽造写真の報道を指示しているので
す。
さらに、池田氏は、「猊座ていうのはネ、本当は正法の座を猊座。芸者のほうの”芸座”(会場爆笑)。このどは『
新報』見たんだけれども」
と発言しているのですが、その四日後に発行されるはずの創価新報の新たな偽造写真報道をなぜ池田氏は知っていた
のか。
十一月十八日付創価新報は、次のようなタイトルの記事を掲載しました。
<えっ、これじゃ「日顕堕落宗」?退座の後はここにキマリ 猊座がなくても
”芸座”があるサ これぞ極めつけ「ワシ、もう”成仏”しそう>
さらに、写真を説明して、
<どうですか、居心地良さそうなこの”顔”。周りをズラリと芸者衆に囲まれ
て、いかにもうれしそう。(中略)だって猊座を追われてもワシにはちゃんと
別の”芸座”があるからね>
と、日顕上人猊下をこき下ろしています。
もう一度言いますが、この報道の四日前に池田氏は「芸者のほうの”芸座”」と発言しているのです。
これもやはり元は同じ記念祝賀会の際に撮影した集合写真なのですが、写っていた出席している二人の僧侶を除き、
なおかつ、背景を塗りつぶして、あたかも日顕上人一人が芸者に囲まれて遊んでいるように仕立て上げられているので
す。
二度に亘って偽造した写真を使い、セックススキャンダルをでっち上げる。まさしく、これは宗教団体ではなく謀略
団体と言うべき性質の集団がやることです。
これらの写真が日顕上人の名誉を著しく傷つけたことは言うまでもありません。しかも、このケースについては池田
氏の指導によって偽造写真が掲載された事実が裁判での最大の争点なのです。
ましてや、学会が選挙運動の一環として総力を挙げて宣伝した「シアトル事件」について、池田氏が関与していない
ことはありえないでしょう。実際、「シアトル事件」について度々、聖教新聞紙上において池田氏は言及しています。
GG 2チャンネル創価・公明板「創価学会の話題を避けるマスコミについて」・・・・もはや、誰も信じない
99 毎日新聞、黒いな。黒すぎる。創価学会に何故弱みを握られるような事になったんだ?元毎日新聞記者の古川俊明が創価学会批判書籍出してるが内部でも創価学会に対して疑惑を抱いている記者いないのか?
135: ....朝日新聞:系列の日刊オフセットが公明新聞の印刷業務を引き受け。同様のパターンは「西日本新聞」、「中国新聞」、「名古屋タイムズ」、「四国新聞」、「神奈川新聞」、「神戸新聞」、
「北海道新聞」、「福
島民報」、「北国新聞」、「南日本新聞」、「鹿児島新報」 で確認されている。あと、創価学会系出版物の広告をでかでかと掲載する所は基本的にクロ。「毎日新聞」、「日本経済新聞」、「朝日新聞」、「読売新聞」、「産経新聞」
がこれ
に該当。ってことは全国級日刊紙オールクロ………情けない。
163: まぁ 社会構造が会社組織だからね そーか学会も例外じゃないし・・・ ちなみに、私は某国営放送局に勤務してるけど、局の幹部に創価学会が多いから創価学会関連の報道はできません(マジ)
211: ....社内にも学会員いるし。 はっきり言ってマスコミは完璧にダメです。信用しちゃいけません。 僕らも諦めながら記事書いてるし。有能な記者ほど完全に諦めモード
入ってますよ。「どうせ書けないことばっかりだし、読者もバカばっかりだしなー」ってことで。実際投書なんて読むとゲンナリしますしね…内部規制も多いし、癒着はアタリマエ。そうなるとまあ、バイトの子をひっかけたりとかが数少ない趣味になるわけです(ワラ 記者志望の女子大生とかね。ま、楽しいからいいけどねー。
236:連中(創価)の批判記事載せると嫌らせがすごいんだよ。信者を動員して一日数千本の抗議電話がかかってきて、回線がパンクして、仕事にならんかった。あと脅迫状とか、自宅にまで抗議の電話かけてくっから恐ろしいんだ。家の周りを変な連中がうろついてたりもしたしな。
242:マスコミ、スポンサー、ユーザー層、公務員色々なところに学会員を忍ばせていっきに革命を起こすのが池田大作 創価学会3代会長の「総体革命」だと聞きました。どんな革命起こ
すんだろ? やっぱり批判者をゴキブリとかダニとか公権力使って罵ったたり圧力かけたり、●したりするのかな。学会員はどう思ってるの?
287: マスコミが犬作のカルトに触れないのは何故かって?社内に犬作の飼い犬がうようよいて、情報筒抜け。かなり上のほうも、頭のてっぺんに三色旗が刺さってるけど、身分を隠してるんでわからない。下手にソウカネタを書くと、確実に左遷される。最悪、ソウカの殺人部隊に消される。(朝木市議を殺った連中。)飼い犬が少ないのが、新潮社、文春、講談社。ほら、大事件なのに殆どマスコミが報道しない事件ってあるじゃない。ソウカがらみだからです。
HH 毎日新聞最後の選択・・・・ホント、創価毎日新聞に変えて、生き残ったら?売れなくても、創価が損失補填してくれるでしょ。「毎日新聞に対して以下の選択肢を提示します。�会社を解散する。早い話自主的倒産。�新聞の名前を「創価毎日新聞」ないしは「毎日創価新聞」に変える。」いやあ、ごもっともなご意見。
JJ 《第11回:誰が創価学会を怪物にしたのか》・・・・創価問題に頬かむり...それがマスコミ自体の崩壊を招く
性根の腐った記者クラブマスコミと頭の腐った木っ端憲法学者が、面倒に巻き込まれることを恐れ、ひたすらわが身大事で創価学会と公明党の問題について頬かむりを続けてきた結果、創価学会は憲法上許されないはずの政治上の権力を思う存分行使することが可能となり、ついには今日のような怪物になってしまったと、そういうことです。
マスコミの事なかれ主義が、創価帝国を作ったんですね。もはや、社会の公器ではない。
KK 大マスコミが自自公批判に腰が引けている理由 ・・・・下請け仕事が欲しくて、創価にこびへつらう?
「ご存じのように、毎日新聞や有力地方紙は、関連の印刷所で創価学会の聖教新聞や公明新聞を印刷しています。数年前からは、読売新聞もやはり関連の印刷所で聖教新聞の一部を刷り始めています。創価学会の財力からすれば、自前の印刷所を持つことなど簡単ですが、あえて大手新聞に委託し、膨大な印刷代金を渡すことで“無言の圧力”をかけようという戦略なのです。新聞印刷だけでなく、大手新聞には創価学会がらみの広告も増えています。池田名誉会長の著書の宣伝から、教学理論の月刊誌の広告まで載っている。長引く不況で広告収入が減っている大手新聞にとって、創価学会は大のお得意先なのです。だからこそ学会がらみのスキャンダルはもちろん、公明党の変節ぶりや政教分離のウソなど、学会が嫌がることは見て見ぬふりをせざるを得ないのです」(ジャーナリスト・乙骨正生氏)
そういえば、最近、創価の書籍の宣伝がやけに目立つ。どうせ、学会員以外誰も読まないのだから、聖教新聞に広告出せばこと足りるものを。広告宣伝費のかたちで金をばら撒き、マスコミに創価に服従させようという姿勢ですね。
LL 2チャンネルマスコミ板 朝日社内に巣食う創価学会員その1
1.: 下関支局長・久恒雄三。彼が担当した県内版(佐賀版、下関版)は創価学会のイベント情報が満載。
重大な選挙(山口県は今年は選挙が続いた)の前には学会幹部を支局に招いて情報提供。こんな奴を平気で使いつづける朝日、やっぱり三流新聞(わら
朝日も....だったのか。朝日には少し期待していたんだけれど。
1952年 4月27日:日蓮正宗の小笠原慈聞が宗旨建立700年法要中に創価学会青年部より
【暴行】をうける。通称 たぬき祭事件
1952年 6月26日:第47回臨時宗会開催 上記【暴行事件】責任者、戸田城聖の大講頭罷免、
登山停止等を議決
1952年 7月:創価学会青年部 臨時宗会決議撤回運動を全国的に展開し、
【宗会議員を吊るし上げ】
1968年 2月11日:『東北出版』に【学会員】や東声会と目される【暴力団】が来訪。
抗議の電話が相次ぐ。社長、公明党の最高幹部宛に「今後創価学会・公明党関係の批判書は
二度と出版しない」旨の証文を書かされる。
1969年 11月:創価学会による藤原弘達の著書「創価学会を斬る」に対しての
言論・出版【妨害】問題表面化
1973年10月14日:池田大作会長 正本堂建立一周年記念法要の際、
日達上人を公衆の面前で【罵倒】
1976年11月30日:ホテルニューオータニで北条浩、笹川陽平をまじえ、
月刊ペン側弁護人・重富義男と懇談。【会長の証人喚問をやめるよう2000万円で依頼】する。
1977年 1月20日:創価学会 日蓮正宗僧侶を【吊るし上げ】
(以後、僧侶複数を【吊るし上げる】)
1980年 8月26日:共産党宮本委員長 【盗聴事件】に関し、創価学会北條会長他を被告として
民事訴訟を提訴
1985年 4月22日:東京地裁 一審判決にて【宮本委員長宅盗聴事件】を創価学会の
【組織的な犯行】と認定
1988年 1月18日:公明党 田代富士男参議院議員【砂利船汚職事件】
受託収賄容疑で大阪地検の取り調べ
1988年 4月26日:東京高裁 控訴審判決にて【宮本委員長宅盗聴事件】を
創価学会の【組織的な犯行】と再度認定
1988年12月 :公明党 矢野委員長【明電工問題】表面化(1989年5月24日朝日新聞掲載)
1988年12月27日:創価学会【宮本委員長宅盗聴事件】上告取り下げ(東京高裁判決確定)
1989年 6月30日:横浜市旭区産業廃棄物処理場で【1億7千5百万円入り金庫発見】
(7月3日 持ち主は創価学会中西元総務と発表)
1990年12月29日:創価学会員より全国寺院に【嫌がらせ・脅迫電話】殺到
(大石寺では29日に800本余入電)
1990年12月29日:創価学会幹部 福岡市開信寺へ【脅迫電話】
(脅迫電話2週間続く、警察、犯人へ厳重注意)
1991年 2月15日:福岡県教説寺住職國島道保師 創価学会員より【暴行】をうける
(通称 三方事件)
1991年 4月13日:創価学会青年部(300人)福岡市開信寺の法要(御講)中、
【集団暴行】事件を起こす法華講講頭2カ月の重傷住職他負傷者多数
1991年 4月28日:日蓮正宗 創価学会へ【ルノワール絵画疑惑】に関して
「通知書」を発送し説明を要求
1991年 5月 7日:創価学会 【墓苑事業】で23億8千万円【申告漏れ】が発覚
(追徴金約7億円 毎日新聞掲載)
1991年 6月17日:創価学会系財団法人「平和墓苑」(はるな平和墓苑)
【墓苑事業】で5億7千万円【申告漏れ】が発覚(追徴金約1億5千万円)
1991年 6月27日:三菱商事社長 株主総会で創価学会八尋副会長が
【ルノワール絵画取引】に【関与】した事実を公表
1991年 7月31日:創価学会 国際証券より【損失補填】をうけていた事が発覚
1991年 8月28日:創価学会員 長崎市弘宣寺に午前1時頃
「住職出てこい、【殺してやる】」と叫びながら、ガラス戸を壊して乱入、警察に現行犯逮捕
どなたか財務について教えてください。
1 名前:えるこ 投稿日:2001/8/15(水) 03:09:23
初めての書き込みです。よろしくお願いします。
私は学会員になって2年半経つのですが、いまいちどうしても納得のいかないことがあります。
それはなにかと言いますと、タイトルにも書いたように「財務」についてなのです。
知り合いの先輩10人ほどに聞いてまわってのですが、結局はっきりした回答は得られませんでした。
「財務」は会員が最低でも1万円から支払うシステムになっており、
1年に1度、決して強制的にではありませんが集金しています。
最初に聞いた時は、「ああ、やはりこの宗教もお金を取るのか」という思いでいっぱいでした。
でも払わなければ済むことだし、深く考えなければいいのかなぁと。
ただ、これで集めた莫大なお金はいったい何に使われているのか?
また、いくらぐらい集められているのか?考えるだけでも空恐ろしいような・・・。
何も知らない素人さん達が、全員(!)騙されているとしたらとんでもないことになりそうな。
私はすぐ池田さんに手紙を書きました。でも、半年経つ今でも返事はいっこうに来ません。
どなたか真実を教えてください。ご存知のかたいませんか?
このモヤモヤが晴れるにはどうすればいいんでしょう・・・。
2 名前:coco 投稿日:2001/8/15(水) 10:50:45
えるこさん、こんにちは。私は学会2世です。
財務については、こちらの掲示板の「お金はいったい、幾らかかるの」のスレッドにも、
いろいろな方の意見や情報が載っていますので、参考にしてくださいね。
財務(御供養)は、あくまでも本人の気持ちです。他の人間は、出す出さない、額について
は口を出せないないことがらですから、最終的には、御自分で結論を出すしかありません。
私も、もやもやの時期が随分とありました。
3 名前:チョンガー 投稿日:2001/8/15(水) 15:48:12
えるこさん。
ごめんなさい。
間違って『学会式選挙活動をみんなで考えよう』のスレッドにレスしちゃいました↓
http://freebbs.fargaia.com/res.cgi?id=piza&key=piza.000057.txt&point=15
4 名前:えるこ 投稿日:2001/8/16(木) 00:13:27
cocoさん、
>>財務については、こちらの掲示板の「お金はいったい、幾らかかるの」のスレッドにも、
この「スレッド」というのはどうやって見れば良いのですか?やりかたを教えてください。
5 名前:えるこ 投稿日:2001/8/16(木) 01:05:26
チョンガーさん、わかりやすい返答をありがとうございます!!(;;
チョンガーさんがおすすめくださった本には、財務で集めたお金の使用法が書いてあるんでしょうか?
私はとにかく何に使われてどのぐらいかかっているのか、その一点を知りたいのです。
なんでも女子部長さんの話しによると、余った分は神戸の震災で困っている人達に使われたとか・・・。
そういうことは新聞にもすぐ載るから、会員達も知ることができるんだと言ってました。
新聞のトップ記事が毎日池田さんのことばかりで、それも疑問に思い、今月から新聞をやめてしまいました。
それにしても、世界平和をうたっているなら、
もっと他の国の本当に貧困に喘ぐ人達を助けてあげれば良いのにと思ってしまいます。
これを折伏の親に聞いたら、「お金で解決できる問題ではないから」と答えました。
確かにお金を必要以上に与えれば、ろくなことにならないのは解りますが、
余ってるんだったらそういうことに使ったほうが絶対いいですよね?
>>でも学会職員はどうなのか?この不況なのにボーナスまで出て贅沢ですよね。
>>上層の幹部になれば、相当給料が高い。名誉会長は、信濃町の豪邸に住んでいる。
これってどういうことなんでしょう?もしかして、学会職員の給料は全て財務で賄っているとか?
また、池田さんは信濃町の汚い平屋に住んでいて、
一切贅沢はしていないと聞いてますが、それは嘘なんでしょうか?教えてください。
-------------------------------------------------------------------------------------
cocoさん、私はどうしても納得行かないのです。財務は本人の気持ち次第だ、と何度も思おうとしましたよ。
それに、こういうことを考える自分は異端児で、仏罰が当たるのではないかとか。
しかし退転の仏罰にしても、私自身はこのように脅されるのが大嫌いなんです。
「脅しではなく本当だ」と言うかもしれませんが、以前知人に誘われ、よその宗教の話しを聞いた時も、
「いまこの宗教に入らないとあなたに「魔」が取り付いて、福運がどんどん無くなり枯れてしまう」とか言われました。
私はこの言葉にかなり腹が立ちましたよ。当たり前ですよね。
たとえば宝石を売るセールスマンが、「この石を買わないとあなたは不幸になります」と言ってるのと同じですもん。
おそらく新たに入会する人が心変わりしないように、このような脅しを取り入れることによって、
また、脱会する人が思いとどまるようにと考えられているのでしょうが、たとえその人が心変わりしたとしても、
宗教はやろうとやるまいとその人の自由なはずですよね。
折伏の親に、「あなたはいろいろ考えてしまうから、そうではなくて私のように素直にやってごらんなさい。
私みたいに頭が悪いほうが幸せになれるのよ」などと言われましたが、それはなんか違うだろ、と思いました。
確かに「信ずる者は救われる」なんて言葉があるように、
人間の信じるパワーというのはものすごくて、簡単に信じることができればそりゃ〜楽です。
でも、矛盾が目の前にあるんですから、そうそう安易には信じられませんよ。
周囲を見回すと、素直に言われた通りにやってる人のほうが一見幸せそうに見えますけど、
万が一、自分が間違っていることをしてると知らずに安穏としていたら、それはやはりマズイことなのです。
元オリンピック体操選手だった山崎さんが、統一教会(でしたよね、確か)を脱会した時だって、
本人が間違いだと気がつくのに相当時間がかかり、両親の説得も大変だったわけですから、
一度ある宗教を信じた人間が、その間違いに気づくのがいかに大変かが窺い知れますよ。
間違いの無いことが解れば素直に従えるし、信頼することもできます。
とにかく周りがどうだろうと、私はこれからも、とことん自分の疑問をぶつけて行くつもりです。
上の人は「何でも聞いてね」と言ってくれますが、財務のことは誰一人答えてくれませんし、知りもしませんでしたよ。
こんなんじゃらちがあきませんよね。
それから失礼な言い方ですが、2世のかたには私のように途中から入会した者の気持ちはわからないと思います。
自分の経験したことじゃないと、その人の痛みを本当には解らないということです。
極端に言えば、子供を産んだことの無い人に、産む時の痛みは解らないって感じでしょうか。
6 名前:coco 投稿日:2001/8/16(木) 03:44:22
えるこさん、こちらで財務についてのレスを見ることができます。
私の財務に対する考えとしては、チョンガーさんとまったく同じです。
http://freebbs.fargaia.com/res.cgi?id=piza&key=piza.000043.txt
あと見出しの「創価学会をみんなで考えよう」の下の方に、たくさんスレッドのタイトルが並んで
いますが、見たいタイトルをクイックするとそのスレッドを見ることができますよ。
>しかし退転の仏罰にしても、私自身はこのように脅されるのが大嫌いなんです。
私も全く同感です。功徳と罰で会員を縛るような、組織の指導、幹部の言葉には本当に怒りをおぼ
えます。
>折伏の親に、「あなたはいろいろ考えてしまうから、そうではなくて私のように素直にやってご
>らんなさい。私みたいに頭が悪いほうが幸せになれるのよ」などと言われましたが、それはなん
>か違うだろ、と思いました。
これは、単なる組織盲従の会員になれ、と云っているにすぎません。そうすれば余計な疑問も持たず、
思考を組織に依存してゆけば何も考えずにすみますから、えるこさんのように悩んだり、苦しんだり
しないですむわけです。会員は楽ですし、組織は会員を思い通りに活動させやすくなります。
まったく、マインドコントロールと云われても仕方ないですね。
自分の経験からも、私がいつも言っているのは組織と信仰は別のものだ、ということです。
えるこさんが日蓮仏法を信じておられるなら、自立した信仰を目指し、組織とは少し距離をおかれ、
とことん御自分で情報を集め、納得できないことは妥協しないという姿勢を貫かれることです。罰など
あたりません。
>間違いの無いことが解れば素直に従えるし、信頼することもできます。
>とにかく周りがどうだろうと、私はこれからも、とことん自分の疑問をぶつけて行くつもりです。
これだけ巨大組織になれば、間違いだらけです。それを認めないから、どんどんおかしな方へ行って
しまう。
本当に、とことん疑問をぶつけていってください。こちらのサイトには組織に対し、えるこさんのよう
な疑問を持つ方、問題を直視されている方が多くおられますから、答えてくださるはずです。
>それから失礼な言い方ですが、2世のかたには私のように途中から入会した者の気持ちはわからない
>と思います。自分の経験したことじゃないと、その人の痛みを本当には解らないということです。
ええ、その通りだと思います。さまざまな立場での苦しみがあるでしょう。
7 名前:チョンガー 投稿日:2001/8/16(木) 10:55:00
えるこさんへ
>チョンガーさんがおすすめくださった本には、財務で集めたお金の使用法が書いてあるんでしょうか?
『創価学会財務部の内幕』には"財務で集めたお金の使用法"については書かれてありません。
なぜならば、創価学会が、会計内容を絶対に公表しないからです。
『創価学会財務部の内幕』は、銀行から入手した情報を元に、学会の収益がどの程度あるかを予測した本です。
>私はとにかく何に使われてどのぐらいかかっているのか、その一点を知りたいのです。
学会が財務の使途をについて口外しない以上、それを知る手段は「推測」と言う事以外にはないと思います。
創価学会に職員が何人いて、どれだけ給料を貰っていて、どれだけ施設を持っていて、どれだけ経費がかかって・・・と言う事を推測して行くより他に手がありません。
よくお考えいただきたいのは、財務の使途の内容そのものよりも「なぜ公開しないのか?」と言う事です。
宗教団体が献金の使途内容について公開しないのは「不誠実」だと、お思いになりませんか?
わしは、大いに「不誠実」だと思います。
「不誠実」だと思わない方は、それで構わないのです。
わしは「不誠実」だと思う。
「不誠実」な教団には所属したくないから、わしは身を退いたのです。
>もっと他の国の本当に貧困に喘ぐ人達を助けてあげれば良いのにと思ってしまいます。
たぶん、そういう事は、やっているのでしょう。世間の評判にならない程のレベルで・・・。
>もしかして、学会職員の給料は全て財務で賄っているとか?
学会の収入は、聖教新聞社、民音、その他の学会系企業と、会員からの財務によって、成り立っていると思われます。
その両者からの収入を合わせて、学会の予算を設定し、その予算の枠から学会職員の給料を出しているのだと考えます。
以上は、ただの"推測"であります。
しかし、この"推測"以外の"推測"はできますでしょうか?
>また、池田さんは信濃町の汚い平屋に住んでいて、
>一切贅沢はしていないと聞いてますが、それは嘘なんでしょうか?教えてください。
人間と言うのは、第六感と言うのがありまして、第六感を働かせれば、おおよその事は推測できるものなのですよ。
もっとも、後から推測を立証する努力が必要ですが・・・。
名誉会長が、贅沢しているか否かは、あなたの第六感を働かせれば、何となくわかるのではないでしょうか?
「女の感」「動物的感」「嗅覚」って言っても良いと思いますが。
同時中継や、SGIグラフなどを見ると、名誉会長はかなりいい服来てらっしゃるでしょう?
あれを見て、宗教家として贅沢だと思いませんか?
確かに、理屈を付ければ「会合に参加する時の正装」だとも「世界の要人に会う為の礼儀」とも言えるわけですよ。
でも、理屈抜きとして感覚で受け入れられるかどうか?と言う問題なのですよ。
感覚的にも受け入れられると発言される学会員も多いのですよ。
でも、わしは受け入れられない、そう言う事です。
名誉会長の邸宅は、確かに平屋です。
以前は、別個に二階建ての小さな家があって、そこを自宅と称していたのですよ。
信濃町本部を奥に突き進んで行きますと、一人用交番がとなりにある二階建ての家で「池田」と言う表札がかかってます。
学会員には「池田先生は信濃町の小さな二階建てに住んでらっしゃるのよ」と言う情報を広めていたのです。無論、かく乱です。
御本人は、敷地の広い、別の邸宅に住んでいるのです。
でも、いつまでも隠し通せるものではなく、名誉会長の御自宅の場所が、何となくバレてしまいました。そこで「平屋」と言う情報も広まったのでしょう。
しかし"汚い"と言うのは、脚色だと思います。
広い敷地のある平屋です。
周囲が壁に覆われていて、地上から建物は見えません。
まあ、これ以上語るのはやめましょう。人権侵害です。
ただ、誰でも信濃町をうろついていればわかります。
七三刈りの男子部が出てきて「どちらに行かれますか?」と聞いて来た場所が、池田邸宅の正面です。
わしも学会2世なのですよ。
学会2世の人は「親が勝手に入信させた」と言って、安易にやめられそうです。
でも、中途入信の方は、自分のそれまでの人生観を否定して、創価学会を受け入れたわけですから、そうしてまで入った創価学会を否定する事は、かなりエネルギーのいる事だろうと思います。
しかし、人間と言うのは、過ちを起こすものです。
ある牧師が言うには、人間と言うのは、どこからでもやり直しがきくようです。
失敗は失敗と認め、新しい一歩を踏み出すならば、それまでの失敗も、プラスに転じて行く事もあるのではないかと思います。
学会2世と言うのは、簡単に学会をやめられそうですが、実際はそうでもないのですよ。
家族が学会員なわけですから、自分が学会をやめようとした場合、論争の渦に巻き込まれてしまうものです。
それで強引に退会した後でも、ギクシャクとした関係を、ずっと引きずるんです。
8 名前:かい 投稿日:2001/8/16(木) 14:52:30
えるこさん、はじめまして。
えるこさんの疑問は一般的な感覚ではもっともな事だと思います。
しかしひとたび学会内部の話となると「異端児」あるいは
「我見」扱いされてしまうのです。
ざっとですが考えてみましょう。
学会員800万人とも言われてますが、実際に活動している会員数を
1/3として端数切り捨てで250万人としてみます。
そのうち広布部員を半分として175万人ですね。
かなり少なく見積もりました。
財務は一口¥1万からですが、私の知る限りでは¥1万しか
しない人はいません。
関西では3本と言って3桁(100万)する事を誇りとする
風潮さえあります。
4桁する人さえいるそうです。
平均すると¥10万としてみます。
これもおそらく実数よりもかなり少ないはずです。
とすると財務だけで年間¥1750億が学会に入る事になります。
あくまで年末の財務だけです。
しかし財務は非課税で、いわゆる「坊主丸儲け」です。
これに聖教新聞(1ヶ月¥1880)を活動会員数で掛けると
¥50億7600万になります。
学会に入る収入は他にも、潮、SGIグラフ等の雑誌類と
人間革命等の書籍、民音、ビデオなど数え切れないぐらいの
金が流れ込んできます。
素人考えでも¥1800億を越える事は容易に考えられるでしょう。
しかもそれらの資金で株式運用している事も、実はバレているのです。
数年前の某証券会社の損失補填リストに学会の名前があった事は
有名な話しです。
さて、いったい年間いくらの金が学会に入ってくるのでしょうか?
そして、そのような莫大な資金が果たして会館運営等の宗教団体として
の用途として正しく使われているでしょうか?
私たち「凡夫」には判らない事です。
しかし、チョンガーさんもおっしゃってる様に、何となく感覚的に
感じ取ることは容易いでしょう。
どうかバカになって盲目的な信心をなさらないで下さい。
とある逮捕された宗教のトップが言ってましたね。
「アタマを取れ!アタマを取らねば判らない」と。
アタマをとってしまっては、彼らの思うつぼなのです。
9 名前:ありす 投稿日:2001/8/16(木) 16:25:46
えるこさん、はじめまして。
わたしは学会1世で、自分で入信しました。そして、家族の中で一人で
信心してます。妹もですが、お互い結婚していて、嫁ぎ先ではひとりです。
財務を一番最初に薦められたとき、どういわれましたか?
私の場合は会館の「光熱水費」だと言われました。それでも一人1万円は
高いですよね。でも公的でない施設を使用する場合、ふつう使用料は結構
とられます。
学会の会則には一口1万円とは書いていないし、財務をしたことのない
学会員(学生部とか青年部)は一口1万円なんて、決まってないとさえ言います
折伏の親と言う方は、紹介者のことですよね。
その方は指導するとき御書を基本に指導されますか?
簡単に「魔」とか「罰」「功徳」「福運」を口にする人は、あんまり
信用できないといのが、私の考え方です。
何故かと言えば、その方はきっと冷静に物事を考える状態ではないからです。
残念ながら、えるこさんの疑問へのこたえは本部の財務に関わっている人
以外答えられるはずがありません。チョンガーさんがおっしゃるように
憶測でしかないのです。ましてや身近な婦人部のだれひとり、こたえられる
はずないのです。
財務に疑問があってしかたないのなら、財務をしなければ良いのだと思います。
脅かしの言葉で不安なら、会館を使用している代金だと思って一口1万円だけに
すれば良いのだと思います。
何に使っているのか幹部に聞いたとき、「ご供養をどう使うのかなんて、
聞く方がおかしい、広布のためにどうぞ使って下さい、これでいいのよ。」と
逆切れされました。疑問をもつことは組織にとって都合の悪いことなんでしょうね。
自分のしていることが間違いだと分かったとき、自分で決めたことなら
人を怨むこともないでしょう。でも他人に強制される形とか、脅かされてとか
不安になってしかたなくとかだと、後で人を怨むことにもなりかねません。
人を怨むことほど、不幸なことはありません。相手が絶対に過ちをみとめない
場合など、ますますやりきれなくなりもっと不幸になります。
そういうことのないような、選択をなさるといいと考えます。
10 名前:えるこ 投稿日:2001/8/19(日) 02:25:07
cocoさん、スレッドの読み方わかりました。ありがとうございます。
早速プリントアウトして、興味のある項目から読んでます。
先日の選挙が行われた際、功徳功徳と言われた時にはなんか違うなと思いましたが、
自分の考えが決して間違えではないことがわかって少しすっきりしました。
>>これだけ巨大組織になれば、間違いだらけです。それを認めないから、どんどんおかしな方へ行ってしまう。
やはりそういうことですよね。でもいったいどのへんからどうやっておかしくなったんでしょうか。不思議です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
チョンガーさん
>>よくお考えいただきたいのは、財務の使途の内容そのものよりも「なぜ公開しないのか?」と言う事です。
>>宗教団体が献金の使途内容について公開しないのは「不誠実」だと、お思いになりませんか?
はい。もちろん思うので上の人に聞きましたよ。いくらぐらい集まっててその使途は?と。
また、どうして予算があるならそれを新聞に載せないのかと。
私は「財務」は御布施だなどと聞いてませんでしたし、
国家予算と同じで何がしかの目的があって集められているとばかり思ってましたから・・・。
で、神戸震災時に大勢の人間を救ったことは、聖教新聞にも載ったし有名だと言われました。
本当に池田さんがやっていることが良いのなら、普通の新聞が取り上げてくれないのはどうしてかと聞くと、
メディアが「宗教」ということで敬遠しているからだと言ってました。
国が国民から集めている税金を、実に無駄な使われかたしているのに、
それを国民がぜんぜん知らないのと同じですね〜。
>>人間と言うのは、第六感と言うのがありまして、第六感を働かせれば、おおよその事は推測できるものなのですよ。
心のどこかで本当は違うかもと思っていても打ち消してしまって、わざと気がつかないふりをしていたかもしれません。
周囲のSGI会員達は、本当に池田さんを心から崇拝していて、信じて疑うことを知らないし、
疑問をぶつけても「そうかな〜?」で終わってしまいますから。盲信できるのはある意味幸せなことかもしれませんが。
>>まあ、これ以上語るのはやめましょう。人権侵害です。ただ、誰でも信濃町をうろついていればわかります。
そうですか・・・わかりました。
信濃町をうろついたことはありませんが、平屋の家を見ることはいつでもできると聞いてます。
みんなは、池田さんがそこに住んでいると思い込んでいて、なんてこの人は偉いんだろうと。
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かいさん
かいさんのざっと出した数字に、私は大声を上げてしまいました!!すごい!!すごすぎる!!大金だ!!
>>関西では3本と言って3桁(100万)する事を誇りとする風潮さえあります。4桁する人さえいるそうです。
あ、あ、頭がおかしいのでは・・・?まあ、聞いた話しでは、関西は半端でなく信心がすご〜く濃厚なようです(苦笑)。
>>しかもそれらの資金で株式運用している事も、実はバレているのです。
>>数年前の某証券会社の損失補填リストに学会の名前があった事は有名な話しです。
こんなこと全然知りませんでした。いったいどういう事件だったんですか?よろしければ教えてください。
また、創価学会が会社を運営しているだなんて初耳です。いったいどういう会社なんですか?
オウムはパソコン会社を経営してましたよね。これって公には違法なのでは?
>>どうかバカになって盲目的な信心をなさらないで下さい。
それだけはやらない自信があります(苦笑)。財務は今年初めて言われたのですが、納得できずにやめました。
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ありすさん
>>財務を一番最初に薦められたとき、どういわれましたか?私の場合は会館の「光熱水費」だと言われました。
>>それでも一人1万円は高いですよね。
全く同じ言われかたでしたし、いくらでもいいじゃないかと思いました。心のどこかでおかしい!なにかがおかしい!と。
早速周囲の学会人に聞くと、「最初は戸田先生が全部負担していた。でも先生にそんなお金を負担させるのは悪い。
だから学会員が率先して食べ物を持ち寄ったりしたのが始まりだ」とか。
しかし、自分一人の一年間の公共施設使用料と考えたらどうでしょう?施設内にとどまるのはせいぜい2時間程度。
一月に一回行くかいかないか。だったら座談会でみんなを集めるおうちの人のほうが、よほどお金かけてます。
お菓子や飲み物を毎度のように出してくれるし。
会館で正月に振る舞われる、食べ物やジュース代も入っているとか言われましたが、なんかあまりにもせこすぎて(^^;。
>>その方は指導するとき御書を基本に指導されますか?
一応御所は基本でしたよ。そして会員になれること、御本尊と出会うことはかなり貴重なことだと言われました。
砂漠の砂の中に手を入れて、パーに開いたままそろそろと持ち上げると、砂のほとんどはこぼれ落ちるが、
残ったわずかな砂の粒が、御本尊と出会える可能性なのだと。これを逃したらもったいないと言われました。
べつに脅されるようなことは一言も言われませんでしたが、入会する直前に「魔」に取り付かれないように気を付けろと。
家族の誰かが反対したり、邪魔しようとするものが現れるからと。その時はなんだか嫌でしたね〜。
>>財務に疑問があってしかたないのなら、財務をしなければ良いのだと思います。
もちろんそうなんですが、周囲の親しい人達がもし全員騙されているなら、と思うと無性に腹が立つんです。
本当にみんな一生懸命なだけに、この人達の心を踏みにじっているのかと。
池田さんのため、世界平和のため、世の中の全ての人のため、と心から思って活動していますからね。
>>何に使っているのか幹部に聞いたとき、「ご供養をどう使うのかなんて、聞く方がおかしい、
>>広布のためにどうぞ使って下さい、これでいいのよ。」と逆切れされました。
私は池田さんに手紙を出したんですよ。
「いくら集めていくらを何に使ってるんですか?あまりはどうしているんですか?」って。もちろん真剣に書きました。
しかし、3ヶ月経った今でも返事は無し。当たり前ですね。
上の人に聞いたら、手紙の返事は、命の危ない人(死にそうな人)などが優先されるから、
もう少し気長に待てと言われました。一日何万通も来る手紙を処理するのは大変だと。
何を言っても、あちらの良いように良いように返されてしまいます。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
そういえば余談ですが、選挙や宗教戦争で幹部達が白熱した怖いトークをするのに、
池田さんは一言もそれについて語りません。どうしてなんでしょうね・・・。
11 名前:かい 投稿日:2001/8/19(日) 16:17:23
えるこさん、こんにちは
> あ、あ、頭がおかしいのでは・・・?
> まあ、聞いた話しでは、関西は半端でなく信心がすご〜く濃厚なようです(苦笑)。
頭がおかしいと言う表現はどうかと思いますが(笑)
我が家は昨年、妻の念願であった3本をしました。
お恥ずかしい話しですが、それとひきかえに
私の生命保険がなくなりました。
次男の学資保険も解約されました。
> こんなこと全然知りませんでした。
> いったいどういう事件だったんですか?よろしければ教えてください。
何年か前に証券会社の損失補填が問題になりましたよね?
あの時の補填リストに「創価学会」の名前があったそうです。
確実なソースを掴んでいるわけではありませんので
夕刊紙の記事程度に考えてもらった方が良いかもしれませんが・・・
> また、創価学会が会社を運営しているだなんて初耳です。
> いったいどういう会社なんですか?
実質、学会が運営している会社はヤマの様にあります。
聖教新聞社に始まって第三文明社、(財)民主音楽協会、
そのほかいわゆる「息の掛かった会社」はもっともっとあります。
> そういえば余談ですが、選挙や宗教戦争で幹部達が
> 白熱した怖いトークをするのに、池田さんは一言も
> それについて語りません。どうしてなんでしょうね・・・
これに関しては、もうえるこさんはお気づきでしょう?
責任のある立場が責任のある発言を敢えて避けていると言う事実。
まぁ、これ以上は書きません(笑)
12 名前:ありす 投稿日:2001/8/19(日) 21:48:23
えるこさん、こんにちは。
>池田さんのため、世界平和のため、世の中の全ての人のためと、
>心から思って活動していますからね。
私は、信じてる人はそれで良いと思います。そう信じて行動する事が
その方達の幸せだと思うからです。
私が懸念するのは、疑問を持った人とか、気が進まない人にも、同じ様なことを
強要するような指導・説得を行うことです。
広布部員になりたくない人を、しつこく説得して、結局「財務」をとりあえず
させようと、行動することに問題があると思うのです。
そしてその手段として「功徳」だけでなく「仏罰」と言う言葉を使ったり
することが、許せないと思うのです。
心から大金をご供養する人は、いいのですが、沢山供養しないと大きな
功徳はもらえないとの、強迫観念にとらわれて財務してしまう人、そう
思いこませてしまうような曖昧な指導も、これも問題ありですよね。
かつて、3桁のご供養で「功徳(大金だったらしい)」を受けた人は、
心から、自分の意志で3桁の供養をしたいと願って、一年間こつこつと
努力してお金を貯めて、3桁のご供養したんです。
ほんとなら財務は、金額ではなく「功徳」を受けた人の心を学べきだと
考えます。
13 名前:えるこ 投稿日:2001/8/20(月) 00:21:51
みなさん、親切にお答え頂きありがとうございます。
先日、財務の内情を新聞に載せるべきなのではと上の人に言うと、
そんなことをしたらいつ盗まれるかわからないし、会員達が混乱に陥るから発表しないとのことでした。
このような説明ではぜんぜん納得できず、もうその人には聞くことを諦めました。
それに、みなさんがおっしゃるような、学会が会社をいくつも経営しているとか、収入がどのぐらいあるとか、
そういうことに疑問を持ってないようなんです。
いちいち深く考えないで信じれる、って結構幸せでいいなと本当に思いました。
私は正直言って、入会時にどんなことを思ったかと言うと、
折伏の親がどんどんお金持ちになるのを見て「すごいな〜」と感じていたのです。
一日にご飯一膳しか口にできなかったような生活をしていた人が、
いつのまにか結婚し、自分の親と同居するための立派な一軒家を手に入れたからです。
だから説得されていろいろ教えてもらった時、この人と同じものを信じれば自分も成功すると感じました。
宗教に入りたいとかいう純粋な理由ではありませんし、もう、私利私欲のかたまりですよね。
このような考えは間違っているかもしれない、自分の性格を変えたいな〜、
と思い始めて最近はなるべく私利私欲に走らないようにしていますが、
さすがに「財務」のことを聞いたら「学会って何?」と思ったんです。
学会こそが、私利私欲のなにものでもないのではないかと。
私の折伏の親は、やはり自分が儲けることを第一に考えているようですし(建前はそんなこと言いませんけど)、
宗教をやっている人が、どうして物欲に溺れるんだろうと不思議でならないです。
それに、決まって口に出す言葉は「お金が無い」。
旦那さんの仕事が軌道にうまく乗らない時、奥さんに「祈れ、祈りが足らない」といつも叱られているようです。
また、毎日題目を上げない友人のことを、奥さんは心のどこかで軽蔑しているように見えます。
祈ることも、財務も、個人個人に任されていて、当然強制することはできないわけですが、この「軽蔑」ってなんでしょうね。
やらない人に対して、熱心な会員ほど軽蔑するような態度をとります。これまた不思議でなりません。
宗教家なら人に対して平等であったり、自分を犠牲にする精神があったりするものなのでは?
学会が「財務」を、(たとえば)難民を救ったりするお金に充てないなら、全会員が財務をやらず、
そのお金を他の基金(チャリティーなど)に使ったほうが、よほど世界平和のためになりますね。
Cocoさんの言う通り、やりたい人はやりゃーいいし放っておくという考えもできますが、
私は無駄に使われるお金のことを思うといてもたってもいられない感じです。
こういうの、本当にそのままにしておいていいんですかね…。
べつに正義の味方ぶるわけじゃなくて、貧しい国に寄付もしないで、中途半端に「世界平和」を掲げるばからしさが許せません。
それに純粋な会員達が、たくさんたくさん騙されていいように動かされているのも許せません。
それに、これだけの金額を集めるというのは、罪にならないのでしょうか!?
お金を出している人が自分ですすんでやっている場合は、罪にはならないんでしょうかね…。
なんだかうんざりします。おまけに、幹部の給料を私達が払っているなんて、どう考えても馬鹿馬鹿しいです。
14 名前:チョンガー 投稿日:2001/8/20(月) 12:40:10
えるこさんへ
>心のどこかで本当は違うかもと思っていても打ち消してしまって、
>わざと気がつかないふりをしていたかもしれません。
いい言葉ですね。本当にいい言葉です。
これがわかれば、あとは疑問と言うのは自然に消えて行くのですね。
>盲信できるのはある意味幸せなことかもしれませんが。
盲信する事によって、気付かぬうちに、他人に不快な思いをさせる事もあります。
だから、学会員は、これだけ世間から批判を受けている以上、素直にありのままを感じて行くと言う行為は失っては行けないと思います。
「間違い」は「間違い」と知った上で、それを胸に秘めて、学会員であり続けるのは良いのです。
誰にでも失敗はある。
ウソも付かねばならない。
人の集合体である組織だってそうです。
時にはまやかしも、騙しも、マインドコントロールも用いるでしょう。
それをまるで行わない組織なんて、あり得ない。
だから、学会にそういう部分があっても、ありのままに受け止める事でしょう。
その上で、学会を受容できるか、出来ないかが大事だと思います。
ピンと来ないたとえになるかも知れませんが、こういうダンナがいるとします。
付き合っていた時、慶應大学の出身だと言っていたが、結婚してから拓大だと気付いた。
年収500万と聞いていたが、フタを開けたら300万だった。
大手の正社員と聞いていたのに、実は派遣社員だった。
友達が亡くなったから香典をくれと言って、その香典を使ってパチンコに行ってしまう。
細かいところを追求すると、口を濁して、発言がしっかりしない。
あまり突っ込むと逆ギレする。
それでも、普段は温厚でやさしく、情愛がある。
そんなダンナを許せるかどうか?
マンガの「はぐれ雲」のダンナは、毎日、家計から小使いをうばって、女郎を買いに行きます。
奥さんは、それを知りながら、黙って見逃す。
これはマンガだから、いささか極端ですが、
実際、浮気を看過する奥さんと言うのもいるようです。
問題なのは、こちらの価値観なのではないでしょうか?
学会にも色んな問題がある。
でも、その問題を受容できるかどうかは、自分の価値観によるのではないでしょうか?
人間だからウソも付く。
見破って欲しくないウソもあるでしょう。
そのウソを許せるかどうか?
学会は、許せる会員が欲しいのです。
許せない会員は、どうぞやめて下さいと言う組織です。
だから、学会のスタンスは、今後も変わらないでしょう。
「はぐれ雲」のダンナのように、変わらない。気ままに行くでしょうね。
一方、会員は、「はぐれ雲」のダンナの奥さんのような度量がなくては持たない。
自分の出した広布基金で、多少、学会幹部の贅沢に使われても構わない。
そういう度量があれば、良いのです。
先生も、別に信濃町の豪邸に住んだっていいいじゃないか。
先生のファンだから、それが許せると言うのならば、結構だと思う。
学会のありのままの姿を知った上で、学会のウソを許せるのならば、
学会員であれば良いと思います。
わしの場合、教義に関するごまかしだけは、どうしても許せなかった。
先生の豪邸も、学会幹部がしこたま儲けているのも、八王子にお城を建てたのも、全部許せたが、教義のごまかしだけは、どうして許せなかった。
人間はごまかしが服を着てあるいているようなものです。
清濁合わせ飲まねば、やって行けない。
しかし、ごまかしては行けない部分もある。
教義をごまかせば、致命傷。わしはそう考えたのです。
これについては、わしのHPに詳しく書いてます↓
http://shunpo.hoops.livedoor.com/
>会員達が混乱に陥るから発表しないとのことでした。
バブルな時代ならばともかく、不況の今の時代、学会が基金の使途を公開する事は義務ですね。
おおまかでも、公開すべきだと思います。
それで、会員が離れて行くのならば、仕方がないでしょう。
仕方がない事は、仕方がないのです。
会員離れを恐れるから、学会は思い切った事ができないのですね。
自然にまかせるべきだと思います。
学会経営の仕方は、極めて人為的なんですね。
>いちいち深く考えないで信じれる、って結構幸せでいいなと本当に思いました。
本当は知ってる人も、たくさんいると思うのですよ。
でも、許せているのでしょうね。
えるこさんは、許せない。その違いです。
>宗教に入りたいとかいう純粋な理由ではありませんし、もう、私利私欲のかたまりですよね。
学会に入る人は、みなその動機なのですよ。
でも、純粋に日蓮仏法を勉強して行くと、そうであっては行けない事に気付きます。
わしのHPにも、ちょっと書いてます↓
http://shunpo.hoops.livedoor.com/nyumon.htm
>やらない人に対して、熱心な会員ほど軽蔑するような態度をとります。これまた不思議でなりません。
自分と違う価値観の人間を、見下す事は、誰にでもある心理だと思います。
その誰にでもある傾向を、学会員も同様に持っていると言う事なのですね。
>宗教家なら人に対して平等であったり、自分を犠牲にする精神があったりするものなのでは?
ハッキリ言いますが、創価学会と人格は別ですよ。
宗教団体と言うのは、金がなくて困ったり、病気で死にそうだったり、そういう人間が、すがりつく世界なんです。「溺れるものは創価をも掴む」です。
しかし、これは侮蔑の意味ではありません。
こういう世界によって、実際に起死回生する人間が、腐るほど居るのです。
だから、学会は御利益の世界、抜苦与楽の世界です。
あまり、そこに人格とか、宗教性とか求めてはダメです。
ちなみに、実際に起死回生する理由は、主に、執念だと思いますね。
この信心で起死回生できると信じる事で、前向きな心が生まれる。その心で、いろんな問題に挑むから、解決されるのですね。
学会は「執念を高め合う組織」です。
だからわしは学会の本質的な存在意義は認めるのですよ。
でも、創価学会を純然たる宗教団体とは思わない。
「政治団体兼文化団体兼成功哲学の実践団体」みたいな印象です。
宗教団体ならば、あなたのおっしゃる通り、利益主義でかつ、ウソで塗り固められているのは変です。
純然たる日蓮仏法を探求するには、個人でやられるしかないでしょう。
学会は「執念を高め合う組織」と割り切って、宗教的側面は、自分で探求するしかないのではないですか?
最も、学会の執念の高め方が許せないのならば、やめるべきでしょう。
許せないのに、所属され、活動さている方は、みな苦労されております。
自分に素直になるしかないでしょう。
>私は無駄に使われるお金のことを思うといてもたってもいられない感じです。
>こういうの、本当にそのままにしておいていいんですかね…。
自分が、もっと良き学会を作りたいと言うのならば、そうやって世間に訴えて行くのは良いでしょう。
しかしですね、学会変革は万が一の期待に留めるべきです。
わしのHPの最初で訴えたような、シンプルな教団に変わる事も、将来考えられますが、現状の創価学会が、そのまま変身する事はないでしょう。
おそらく、分裂等によって、未来、そうなる事もある得ると言う事です。
だから、全ては自然の流れにまかせて、言うべき事はいいつつも、期待しない事ですね。
今の学会組織が不快ならば、活動しない事です。
不快なのに、活動していると、分裂ギミのノイローゼになります。
これにかかると、しばらく治らないですよ。
>なんだかうんざりします。おまけに、幹部の給料を私達が払っているなんて、
>どう考えても馬鹿馬鹿しいです。
財務問題の件は、えるこさんの中で、結論が出たようですね。
あとは、学会自体を、あなたが受け入れられるかどうかですね。
受け入れられるならば、活動して、利益を追求されれば良いと思います。
受け入れられないけど、学会員である事に抵抗がなければ会合に出なければ良い。
学会員と言う立場を続けるかどうかは、自分の信心の上で、やりいい方を選択する事ですね。
15 名前:coco 投稿日:2001/8/20(月) 19:22:05
こんにちは、えるこさん。
ありすさんや、チョンガーさん、かいさんがおっしゃっておられるように、財務をする人に
よって、さまざまな思いがあると思うのです。
創価学会が、まるごとまったくのインチキ宗教団体であるなら、声を大にして「騙されるな!」
と言えばいいのですが、組織盲従だけではない、自己の信心を確立し、なおかつ組織に所属さ
れている人も大勢存在するのが、この巨大組織の有り様なのです。
一年間無事に過し功徳も頂いた、御本尊にその感謝の気持ちを表すために、せいいっぱいの
財務をさせて頂きたい、そう思ってする方もたくさんおられるわけです。そして、御供養で
きたことで、来年も新たな気持ちで幸福のために信心に励んでゆこうと決意する。
又、同じ感謝の気持ちでも、それを組織に対して感じている方は、公布のお役に立ちたいと
思って、せいいっぱい財務をする。そして、それを励みに生き甲斐をもって組織活動に邁進
する。そのお金がどう使われようと問題ではなく、自分がどう感謝を表すかで決めている。
そうやって、満足されて人生を過されている方々も、何人も知っています。
そういう確信にもとづいて財務をしている方に対して、私は「間違ってるよ」とは言えないの
です。信仰というものは、つきつめれば本人の主観です。本人が満足されていて、なおかつ生
活に支障をきたさぬような、また、人に迷惑をかけていない財務をされている方に対しては、
学会の資産についての情報を話すだけに留めています。(話すないう幹部もいるが。)
ただ、私が問題としたいのは、他のところでも申し上げているのですが、組織に依存した信仰
により、組織のある種の心理操作によって、自分の考えではなく組織の意向にそって財務を行い、
それが他人や家族を巻き込んで問題を起こしてしまう場合や、功徳をもらうためといって経済状
態も顧みず、必ず後悔してしまうであろう金額の財務を行う場合等についてです。それについて
は、的確な指導をしてほしいと会合でもさんざん言ってきました。
しかし最後は、ひとりひとりが自立の信仰を確立するしかない、と思いました。
というわけで、ネットでも、
組織活動と信心とは別。組織に依存しない信心。組織を客観的に捉え、いろいろな考え、情報を
上手に取捨選択し、組織とどう付き合ってゆくか、または、付き合わないか、最終的には自分で
考え、自分で結論を出す。そうした信仰のありかたもいいのでは?
と、言ってみたりしちゃっているのです。
16 名前:えるこ 投稿日:2001/8/21(火) 00:01:31
チョンガーさんへ
「はぐれ雲」のお話、わかりやすいたとえでした。ありがとうございます。
やはり財務問題は、自分自身の中で仏法の勉強とは切り離して考えないようにしなければいけないようですね。
声高に周りの会員達にやめたほうが良いなどとお節介をしたくなりますが、深く信心している人にとっては迷惑行為になり兼ねませんものね。
この矛盾としこりを抱えたまま、はたして学会に居続けることができるかどうか。でも、私はまだぜんぜん勉強してないんです。
仏法のこと何一つわかってません。折伏の親に買ってもらった人間革命も、途中で脱落してしまって最後まで読んでないですし。
もともと心理学や宗教についての本を読むのは好きでした。だから、少しでもそういった勉強が身につけばいいなという思いも実はあったんです。
>>自分と違う価値観の人間を、見下す事は、誰にでもある心理だと思います。その誰にでもある傾向を、学会員も同様に持っていると言う事なのですね。
確かに見下す行為は誰でもやりますね(^^;。ただ、学会でそういう指導をできないのは寂しく思います。
非学会員を、一般の人を、他宗教の人を、同じ会員なのにあまり活動しない人を、見下したり差別することは、
自らの同志(会員)を減らすし実証にも繋がらないのではないかと。
>>おそらく、分裂等によって、未来、そうなる事もある得ると言う事です。だから、全ては自然の流れにまかせて、言うべき事はいいつつも、期待しない事ですね。
なるほど…。確かに…。うむ〜。宗教が一つではなくたくさんある意味が少しわかってきたような…。
それほど考えなくてもわかることではありましたが、当然、万人あるいは学会人達が同じ思想を持ったらそれはそれで怖いです。
>>財務問題の件は、えるこさんの中で、結論が出たようですね。あとは、学会自体を、あなたが受け入れられるかどうかですね。
本当にその通りですし、これからじっくり考えたいと思います(つ、つ、疲れるが…)。
あ、でももう一つ聞いていいですか?財務使用の中に会館建立費というのがあるようですが、実際年間どのぐらいかかるんでしょう。
また、現在国内外に何件の建物が作られているんでしょうね。
それと、チョンガーさんは今でも独学で、日蓮仏法を信心しておられるのですか!?
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cocoさんへ
>>ありすさんや、チョンガーさん、かいさんがおっしゃっておられるように、財務をする人によって、さまざまな思いがあると思うのです。
わかっています。充分にわかっています。本当に痛いほどわかっています。
しかしcocoさん、私が言っているのは財務を行っている人を責めているわけではないので、そこを誤解しないでくださいね。
三桁とかいう数字を聞いて(かいさんに対して)思わず驚いてしまいましたが、「頭がおかしいのでは?」というのはあくまでもジョークです。
馬鹿にしたつもりなどまったくありません。財務を行っている人に対して、怒りを持っているわけではないのです。
巨額を集めている学会に対して腹が立つのです。なので財務を喜びにしている人が悪いとは思いませんよ。もちろんやるのは自由です。
私は、「財務」という機能を作ってしまった学会に対して怒りを覚えるのです。
最初は規模も小さかったでしょうし、額も少なかったことでしょう。
しかし、貧乏なのを無理して一万払っている人を、会員達はこぞって賞賛したりするわけですから、
矛盾を感じないほうがどうかしてるのではと思ってしまいます。
「アルバイターで借金抱えている貧乏なのに、毎月千円づつためて毎年一万円財務しているあの人は偉いわ」などなどです。
下の者はやがて自分が手に入れるであろう何千万というお給料を狙って、幹部や役職になろうとこぞって学会の役に立とうと競争している。
それはほんの一握りの一部の会員達かもしれませんが、そういう人がいるってだけでも私から見たら恐ろしいことです
(チョンガーさんのおっしゃるあくまでも推測ですが)。
これはもう、宗教なんかじゃありませんよね?確か、アムウェイなどのねずみこうも同じ構造です。
自分の子供を作れば作るほど儲かる。繰り返しになりますが、何兆円も何に使うんでしょう?それに何故公開しないんでしょう?
誰もが疑問に思って当然だと思います。
こうしたお金を、単純に嬉々として支払う会員達から毎年吸い上げるわけですから、個人的な考えを述べさせて頂ければ随分と罪なことだと思いますよ。
「払っている人が幸せなんだから、それはそれで放っておけばいいじゃないか」。気持ちはとてもよくわかるんですが、ごめんなさいね、なんか私は許せないんです。
前にも書きましたが、間違っても正義の味方ぶってるわけじゃありませんよ。お金が余ってるなら、もっともっと有意義なことに使えるはずだ!と思ってしまうんですよ。
我々の支払う税金のことを考えてみましょうか。
税金は強制ですから財務とはそこだけは大きく違いますが、お金が何に使われていて国民に明確にされているか?という点についてお話したいと思います。
国が長く働いている政治家に対して、ある勤続年数が来ると、税金の中から、似顔絵代100万円、毎月のお車代20万円貰えるというのを知ってましたか?
私はぜんぜん知りませんでした。税金をこんなことに使ってるって聞いたら、納税者達は普通どう思うでしょうか?
間違っても、「払っている人は生活に困ってないし、日々幸せなんだからいいじゃないか」とは思えません。
それに本当は、「良いことに使われているはずだ」と思いたいわけですよ。
良いことに使われているはずだと思っていたのに、実はとんでもないことに使われている、これは国民が怒る立派な理由になりますよね。
なんだか上手なたとえにはなっていないので、とても説得力に欠け、はたしてあなたに通じるかどうかが心配ですが、
とにかく私が言いたいのは「間違っているものは、間違っている」。ただそれだけのことなんですよ。
もし、財務の支払いしている人達全員が、そのお金をいろいろな人を助けるために寄付したら、どれほどたくさんの人が救われることか…。
いまだに埋まっている地雷だって、あっという間にゼロになりますよ。
上の人は、お金を出して解決できる問題ではないなどと言いますが、それってどういうことなんでしょうか?
財務の使われかたと公開されないことについて、Cocoさんはどう思われるのですか?
また、あなたはこれからも支払い続けるのですか?
17 名前:チョンガー 投稿日:2001/8/21(火) 01:49:27
えるこさんへ
>でも、私はまだぜんぜん勉強してないんです。仏法のこと何一つわかってません。
本当に何も知らない若造ならばともかく、ある程度社会経験を積んだ方ならば「良識」と言うものを持ってらっしゃると思います。
仏法と言っても、この「良識」以上の事は、何も教えてくれないのですね。
世間にはないものを、仏法は教えてくれると誤解されがちですが、世間にない事など、仏法では教えないのです。
仏法を学ぶ事で、本来、人間として心得なければならない事を、再確認するだけなのですね。
仏教の様々な言葉を知る事で「ああ、やっぱりそういう事だったのか!」と再確認するだけなのです。
世間の荒波の中で、自分を見失ってしまった人間が、仏法に触れる事で、もう一度「良識」を取り戻す事が出来る。仏教とはそういう役割なのであろうと思います。
ですから『もともと心理学や宗教についての本を読』んでいて、一通りの良識も知られたであろう、えるこさんが、仏法から取り立てて、真新しい事を学ぶ事は、たぶんないと思います。
ですから、仏法を勉強した上で、学会を判断して行こうとするのではなく、今現在、自分の中にある良識と照らして、学会を見つめて行けば良いだけなのだろうと思います。
よく「仏法を深く勉強してからじゃないと学会について判断できない」と言われる方もいるのですが、
わしは、そういう努力は「迂回」だと考えます。
仏法とは良識を越えるものではありません。
良識的に学会組織が???ならば、それは仏法から見ても???なのです。
えるこさんの文体から、良識的な印象を感じます。
えるこさんの"良識"が"仏法"なんです。
だから『ぜんぜん勉強してない』などと言う事はない。仏法を他の形をもって、勉強してきたのです。
>もともと心理学や宗教についての本を読むのは好きでした。
本題とは違いますが、仏教よりも現代の心理学の方が、合理的だし、理解しやすいですよ。
仏教に抵抗がある人も、心理学を探求して行くと、結果的に同じ到達点に至るのだろうと思います。
逆に仏教の線香臭い世界が好きだと言う方もおられます。わしなどはそうです。
だから、好き好きなんじゃないかと思います。
伝統教学によると、日蓮仏法だけが正しくて、他は信じて害があると言う事になっちゃうでしょう。
でも、伝統教学の教条的な部分に固執せず、仏教の他の宗派や、外道と言われるものも、どんどん、勉強して行くと、日蓮仏法とシンクロして行くわけですね。
そして、シンクロしている部分がやがて、自分の中の、OSのような存在になるのですね。
そのOSを基底において、いろんな思想から自分が面白いと思ったものをダウンロードできるようになります。
これは面白いですよ。
キリストの人格は素晴らしいな。
道元の仏法はわかりやすいな。
一遍は大らかでいいな・・・と言うように、歴史遺産とも言える思想を、自在に自分の中に取り入れて楽しむ事が出来ます。
学会の考え方に縛られていると、こういう発想は不可能です。
学会は「外道」だの「邪宗」だのと言う発想から脱してないですからね。
>非学会員を、一般の人を、他宗教の人を、同じ会員なのにあまり活動しない人を、
>見下したり差別することは、自らの同志(会員)を減らすし
>実証にも繋がらないのではないかと。
学会と言うのは、循環型教団なのですね。
古い学会員で、学会組織に疑問を持った人間は、どんどんやめてもらう。
そのかわり、新しい会員を入れて行く。会員をどんどん循環させるのですね。
昔からの既成仏教などは、檀家をやめさせないようにするんですよ。
だから、民主的な手法を取り入れたりして、檀家の不満を解消するように努力するのですね。
まあ、保守型とも言いましょうか。
会社にも、循環型と保守型がありますね。
保守型は、松下電器のような終身雇用性の会社。循環型は、社長のワンマン経営です。
循環型の場合は、支配しやすいですね。
保守型の場合は、教団側が折れなければ行けない。
しかも、保守型だと確実に数が減って行きます。
学会の場合は、合理的に考えて前者を採用したのですね。
だから、逆に組織に不服従な連中は『見下したり差別』します。
そうやって、冷たい扱いをする事で、会員の見せしめにするわけです。
だから、まあ、学会は宗教団体としての品性がないと思うのですね。
>財務使用の中に会館建立費というのがあるようですが、実際年間どのぐらいかかるんでしょう。
あいにく存じ上げません。
年間、学会は世界で何会館造るのでしょうかね?
そこら辺から、探って行かなければいけない問題ですね。
>それと、チョンガーさんは今でも独学で、日蓮仏法を信心しておられるのですか!?
ハイ。信心しております。
独学で日蓮仏法を信心している人間も、結構、いると思いますよ。
わしの友人にも居りますし、ネットでそういう方々とコミュニケーションとりながらやっております。
不自由はしないですよ。
単独で信心している方同士が、オフ会などで実際に会ったりする事もできるし、問題はないと思います。
かえって、学会組織についていると、公明支援、聖教啓蒙等、色々くっついてくるでしょう?
会合やっても、どうしても数字に絡んだ話が多くなって、リアルな生活の問題とか、そういった肝心な話題がなおざりにされたりしてるでしょう。
単独信徒同士の交流は、参議院の「無所属の会」と同じで、各自が個々の主張を持ちつつも、共通する"日蓮"と言う話題で共感し合うのですね。
互いに抑制される事もない。知りたい情報は、訴えかければ、誰かが応えてくれます。
全然、問題ないのですよ。
日蓮仏法の新しい形態なのではないかと思います。
キリスト教の、無教会主義のようなものです。
これ面白いです。特に[無教会]と言うテーマのところが↓
http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/uchimura/goroku/goroku.htm『内村鑑三語録』
『もしわれらに教会ありとせんか、これわれらの家庭なり。われらの書斎なり。
われらの事務所なり。われらの田園なり。われらの工場なり。われらの店舗なり。
われらはここに神に仕え、彼を賛美し、彼の栄光をあらわさんと欲す。』(内村鑑三)
18 名前:coco 投稿日:2001/8/21(火) 21:41:35
えるこさんへ。
>「払っている人が幸せなんだから、それはそれで放っておけばいいじゃないか」。気持ちはとてもよくわかるんですが、
>ごめんなさいね、なんか私は許せないんです。
ほおっておけばいいじゃないか、といったようなそういう意識ではないのです。
私には、前に述べたように、誰にも迷惑をかけず、組織に言われたからでもなく、御自分で納得して財務をしている方には、
その方の意志を尊重するべきだと考えています。はたから口を出すことではないと思っています。私は、です。
えるこさんが、許せないと思うのでしたら、どうぞその気持ちにもとづいて行動してください。
>財務の使われかたと公開されないことについて、Cocoさんはどう思われるのですか?
私は、公開すべきだと考えています。ですから今までもいろいろと問題提起のつもりで、知る範囲での実態や情報を
ネット上で書いてきましたし、身近な会員さん達にも申し上げてきました。
>もし、財務の支払いしている人達全員が、そのお金をいろいろな人を助けるために寄付したら、どれほどたくさんの人
>が救われることか…。いまだに埋まっている地雷だって、あっという間にゼロになりますよ。
財務と寄付やボランテァ活動等の問題とは切り離して考えております。
しかし、寄付やボランテァ活動は大変重要なことだと思っています。これも他人に強制できることではなく、個々人の
思いというものに支えられているからこそ尊いと思います。私も自分ができるところから、やりたいですね。
学会でもそうしたことを行ってようですが、全体の資産を考えれば微々たるもの、と勝手に憶測しています。
>上の人は、お金を出して解決できる問題ではないなどと言いますが、それってどういうことなんでしょうか?
私はお金で解決できる部分も大いにあると思いますが、幹部が言いたいのは、お金だけ出しても根本的解決にはならない、
そのための広宣流布なのだ、といったようなことでしょう。体のいい、言い逃れといってしまえばそれまでですね。
>また、あなたはこれからも支払い続けるのですか?
続けるかもしれないし、止めるかもしれません。(^^)
他でも書きましたが、私は組織自体にはなんの未練もないのですよ。ただ、会員さんの友人も多いですし、私のような
者がいることで多少役に立てることもあるのでは、というまったくの自己満足から、まだ脱会していないだけです。
えるこさんは、とても聡明で正義感の強い方とお見受けしました。
えるこさんにもう迷いはないと思いますが、もし私に疑問その他の質問がおありでしたら、個人的なことについてはメール
を頂けたら幸いです。
19 名前:coco 投稿日:2001/8/21(火) 22:11:26
忘れもの。m(_ _)m
20 名前:えるこ 投稿日:2001/8/22(水) 02:05:25
チョンガーさん、cocoさん、いろいろとご親切にお答え頂きありがとうぎざいました!!
少しもやが晴れたような・・・。あとは自分でじっくり考えますね(^^。
21 名前:たつ 投稿日:2001/9/21(金) 12:34:59
age2
22 名前:たつ 投稿日:2001/9/21(金) 12:36:08
age3
23 名前:えるこ 投稿日:2001/9/26(水) 01:38:07
みなさん、こんにちは。
こんなに久しぶりにこのスレッドに書き込んで、はたして読むかたがおられるかどうかはわかりませんが、
とりあえず財務の件で、わかったことを書き込みたいと思います。
まず、旧文部省→現文部文化庁というところで、4年前に作られた新しい宗教法人法によって、
誰でも情報を見れるということで、申請すれば、何にどれぐらい使用しているか、どれぐらいお金が集まっているか、
一覧でわかるとのこと。私はこれが知りたかったんですよ。あとは、これを閲覧してみることですね。
10月末になったら申請してみようと思っています。
24 名前:たつ 投稿日:2001/9/26(水) 11:24:09
おみごと!!
【ひとりごと】
功徳をする気持ちは本来、「純粋」なモノなのだと思う。
「功徳(お金)がどの様に使われるかは問題ではない、感謝の気持ちが大切。」
といった「純粋な気持ち」の人、多いと思う…。
その「純粋」さを認めたいのは、やまやまだけど…。
非学会員の我々の生活に、少なからぬ影響を与える「創価学会+公明党」。
もし、その「功徳」・「純粋な気持ち」が、「財源」となり、「創価学会+公明党」を支えているとしたならば…。
「純粋」も使い方を間違えると… …かなり、はた迷惑。
■ ■ ■
良識的学会員サンは、「私のお金はどのように使われているのか!! 願わくば、良い事に使って欲しい!!」ってとこかな?
非学会員のボクとしては、「はた迷惑な、功徳は止めて欲しい…」ってとこ。
ココには学会員サンも多くいるけど…
偽らざる気持ちです。気を悪くする方いたら、ごめんなさい。
>えるこサン
功徳の気持ちと切り離し、「如何に金が使われるのか」とても大切な感覚だと思います。
素晴らしい信頼関係が成立する功徳先(学会)であれば、こんな事で悩まずに「感謝の気持ち」で功徳が出来ましたよね。
ボクも機会をつくって、閲覧したいと思います。
25 名前:1 投稿日:2001/9/27(木) 01:13:43
財務はなにに使ってるか、普通に考えればわかるでしょう。
会館の維持費とかですよ。
あと、会館にいる人はみんなボランティアです。
池田先生がいい服着てたってあなた達に害はないでしょ。
汚い服を着てたら着てたでなんだかんだ文句つけるのに
きれいな服を着てても文句を付けると言うことは、
嫌いなんでしょう。根本的に。
ばかばかしい。
財務払いたくないなら払わなきゃいい。
非学会員の人、別にあなたがお金払ってるわけじゃないんだから、
文句つける必要もないでしょ。
お金はなにに使ってるのかって、考えればわかることです。
色々な国に行って会談したりしてるんですよ?
飛行機代だってかかるし。
お仏壇にお供え物するでしょ?普通。
それだって、財務から出てるし。
もうちょっとあなた達考えて物事言ってくださいね。
見ててイライラします。ばかばかしくて。
26 名前:ハインツ・グーデリアン 投稿日:2001/9/27(木) 08:56:35
学会の豊富な財力の裏に、学会にだまさえて金を根こそぎ取られた人、学会にマインドコントロールされお布施を出さないと、バチがあたると思い込んでしまっている方、そんな人たちがたくさんいて、かわいそうです。しかも池田は、「日蓮」という多義名文を振りかざしているところがひどい。。学会 池田はみんなの迷惑ですよ。
27 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 10:18:33
>>25
気分悪くしているようでお気の毒様です。
批判的意見ばかりだと解釈されているかもしれませんが、
基本的に、皆さん、いろいろ悩んだあげく、「創価学会をみんなで考えよう」というスタンスです。
単に「文句」を言う事は目的とはしてませんよ
>見ててイライラします。ばかばかしくて。
どっちが正しい間違っていると言う事は置いておきます。
ココの人達と貴方とは、意見が「真反対」なら、「イライラ、ばかばかしさ」はお互い様ですよ。
まぁまぁ、そんな、かっかせずに、自分以外(学会外)の意見にも「耳」傾けてくださいよ、お願いします。
>もうちょっとあなた達考えて物事言ってくださいね。
「考える」ってどういう事でしょうかね?
「真反対」である事をお互いに認めた上で、ココで話し合いましょう。
また来てね!
28 名前:かい 投稿日:2001/9/27(木) 12:40:44
久しぶりのバリバリさんですね。
ところでこう言う場合、名前欄に「1」と書くと、このスレッドの
1であるえるこさんと間違えられる事もありますので、せめてHN
ぐらいは考えましょうね。
さて、何回も同じ事書くのは面倒なので、以前に私が書いたものを
コピペしますね。
実際に財務活動している人が・・・少なく見積もって100万人としましょう。
最低額の\1万でも\100億ですよね。
平均額を少な目に見積もって10万とすると\1,000億(@@)
それに本や新聞、ビデオ、民音等を合わせると、地方都市の年間予算など
軽く突破してしまいそうです。
この金額が会館の建設維持だけとは到底思えないんですけどね。
> 会館の維持費とかですよ。
> あと、会館にいる人はみんなボランティアです。
いったい何をすればそんなに会館維持に経費が掛かるんでしょうか?
ボランティアまで使っているのに・・・(笑)
> 色々な国に行って会談したりしてるんですよ?
> 飛行機代だってかかるし。
この御時世、ビジネスマンの海外出張は格安チケットでエコノミー
が常識です。
ファーストクラスで行くのがステータスなんでしょうかね?
世界平和を願う宗教団体の名誉会長なんだから、当然っすか?
> お仏壇にお供え物するでしょ?普通。
> それだって、財務から出てるし。
億単位のお供えですか?(笑)
> もうちょっとあなた達考えて物事言ってくださいね。
> 見ててイライラします。ばかばかしくて。
たつさんも書かれていますが、それは考え方の相違で、ある意味
お互い様です。
ってか、また書き逃げでない事を祈ってますよ(笑)
29 名前:倒木 投稿日:2001/9/27(木) 13:59:40
25の人が書き逃げするほうに400ペソ
#財務の事で文句言われたくないなら、財務を強要するような真似させるんじゃねっつの。
30 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/27(木) 14:09:22
>25
>非学会員の人、別にあなたがお金払ってるわけじゃないんだから、
>文句つける必要もないでしょ。
私は非会員ですけどね、主人が学会員なんですよ。
家計から出るわけで、そう決めつけられちゃうのもどうかと思います。
>色々な国に行って会談したりしてるんですよ?
ほとんど相手が日本に来る時に会談してるようですけどね。
相手の為にアゴアシ付きなんて事もしてるんでしょうか?
聖教新聞にはまるで相手が会いたいように書いてあるけど、
実体はどうなんでしょうかね?
>会館の維持費とかですよ。
維持費にナンパーセントくらい使ってるんでしょうか。
うちの主人は創価班ですが、交通費も自分持ちですよ。牙城会だってそうでしょ。
(制服だって自腹だし。またこれが高いんだ。)
なのにそんなに維持費がかかるって、おかしいって思いませんか?
>財務払いたくないなら払わなきゃいい
それぜひ聖教新聞に投稿して、堂々と会員さんに呼びかけて欲しいですね。
学会公式掲示板とかにしっかり投稿してみて下さい。
採用されたら教えて下さいね。
>もうちょっとあなた達考えて物事言ってくださいね
具体的に考えた事ありますか?
収入と支出についてとか。
なぜ一口一万円なんだろうとか。
なぜ「財務したら功徳になるんだろう」とか。
もともと財務ってどんなふうに始まったのだろうって。
あなたのなかにも疑問があるのに押し殺してるからイライラするんじゃないですか?
ちゃんと考えてみた方がいいですよ。
31 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/27(木) 14:29:19
補足です。
幹部の指導とかではなく、ちゃんと自分で自分の頭で考えてみましょうね。
32 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/27(木) 15:06:36
財務の話題からは脱線してしまいますが、会員さんも外部の人も上の人の受け売り
だったり、いい加減なマスコミの煽動の受け売りはよくないですね。
やはり自身の考えと、考えをまとめられてからの発言は必要でしょう。
色々な情報ソースを自分の中で体系づける作業をしたいものです。
33 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/27(木) 15:07:48
因みに小生は非会員ですが、多少学会員さんの一部に疑問を持つ立場
の者です。
34 名前:倒木 投稿日:2001/9/27(木) 15:13:54
まー、どんなに正当化しようがイラつこうが
25氏は分が悪いね、「ごめんなさい、創価学会がご迷惑かけ、まことに申し訳ありません。」
と平謝りしておいたほうがいいんじゃないの?
35 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 17:21:32
ドキドキ、ボクにとってはじめての「バリバリさん」との遭遇(掲示板上)!!
色々、お話聞きたいなぁ。
出来たら、水掛け論じゃなく、しっかりとした、意見交換をしたいなぁ。
「あぁ、こんな考え方もあったのかぁ!」
とか…
「なるほど〜!!」
な〜んてね、「折伏」されちゃったりして、ウフフフフ…。
25サン!意見交換終わったら、ボクの「折伏」を試みてね!
「折伏」お待ちしてま〜〜〜〜す。
(追伸)
色々、聞きたい事あるんだ♪
「…普通に考えればわかるでしょう」
な〜んて意地悪言わないでね。
ヨロシクゥ〜!!っと。
36 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 18:16:26
かーちす兄貴、ボクもその「脱線」にちょっと乗ります。
>色々な情報ソースを自分の中で体系づける作業をしたいものです
同感だよ、兄貴。
ボクはね、考えて決めた事なら、「間違い」であっても構わないと思う。
正しかったり、間違ってたり、「紆余曲折」が凄く大切だと思うのね。
「紆余曲折」こそ、「色々な情報ソース」から取捨択一への「経験」だと思うんだ。
いきなり「法華経」読むのも結構だけど… 気を付けて欲しいんだよね。
日蓮さんだって、きっと「紆余曲折」があって、「法華経」を解釈したんじゃないかな?
「紆余曲折」こそ修行なんじゃないの?
バリバリさんって、「暴走自動車」みたいなんだよね。
教習所で、修行(縁石のったり、パイロン倒したり…紆余曲折)しないとね。
「法華経」勉強して、鵜呑みにする癖がついちゃって、日常的に「紆余曲折」(修行)を忘れちゃっているんだよ、熱心な会員さん。それじゃ「本末転倒」。
>>25さん
「考える事って何? このおバカちゃん、何いってんの?」
って。い〜〜ぱい、考えておくれよ。
考えてくれたら、オイラ「酒」止めるよ、うん、約束するよ。
「考える事」こそ、修行の始まりなんじゃない?
ヨロシクね、書き込み、待ってるよ!
37 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 18:19:27
さ〜て仕事途中だけど、お酒飲んじゃお〜っと。
38 名前:かい 投稿日:2001/9/27(木) 18:21:28
ゴミレス失礼
倒木さん>
私も書き逃げの竹下景子に全部(何
39 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 18:33:06
「戻ってくる」の篠沢教授に全部!!
40 名前:たつ 投稿日:2001/9/27(木) 19:10:57
>財務はなにに使ってるか、普通に考えればわかるでしょう。
ゴメン、わからん。
>池田先生がいい服着てたってあなた達に害はないでしょ。
確かに!
>汚い服を着てたら着てたでなんだかんだ文句つけるのに
つけちゃうかも、…文句。
>きれいな服を着てても文句を付けると言うことは、嫌いなんでしょう。根本的に。
ドキッ! す、好きではありません…。
>財務払いたくないなら払わなきゃいい。
>非学会員の人、別にあなたがお金払ってるわけじゃないんだから、文句つける必要もないでしょ。
ごもっとも!
>お金はなにに使ってるのかって、考えればわかることです。
それが、ワカランのだよ、…おバカちゃんには。
>色々な国に行って会談したりしてるんですよ?飛行機代だってかかるし。
>お仏壇にお供え物するでしょ?普通。
…貯まったマイルで供え物、…。
>もうちょっとあなた達考えて物事言ってくださいね。
>見ててイライラします。ばかばかしくて。
おバカちゃんに合いの手を!もとい、愛の手を!!(ゴメン、ぱくりの使い回しデス。)
【バリバリ"25" vs おバカちゃん"たつ"】
おバカちゃん"たつ"の負け。
>>25さん、君が勝ちたいのなら、ボクは負けよう、…?
お願い!戻ってきて!
41 名前:倒木 投稿日:2001/9/27(木) 20:40:05
戻ってこない方に全部
42 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/27(木) 22:08:31
たつさん、ご理解感謝します。
そう、その紆余曲折こそが修行だし修練だし人生。またそれが面白い
んですけどね。なんでも一方向でしか物を語れない、見られないと
いうのが危険なのです。原理主義が危険なのです。
43 名前:coco 投稿日:2001/9/27(木) 23:31:32
両方に半分づつ。
戦後、戸田城聖氏(二代会長)が創価学会復興の為に「財務部員制度」というのをつくり、
これは本部維持費等の経費が必要という使用目的をもって、幹部の中でも経済的にゆとりの
ある会員を面接で選び、年間4000円の寄付をお願いした、というのが始まりだというのね。
それがいつの間にやら、額が多い程功徳がもらえる、福運が積めるなどといったインチキ宗教
まがいの指導をおこなって、会員の信心を乱し、生活や家庭、人間関係を壊すケースまで出て
きている。これは、私の身近でも見聞きしていること。
そして会員には収支の報告もせず、非課税でため込んで、現在組織には何兆だかの預金がある
そうな。尋常ではないですよ。
みなさんがおっしゃる通りですね〜〜
組織の言うことを鵜呑みにすることと、信仰とは、まったく対極に位置するものだと思うのダ。
財務とは? 布施とは? 信心とは??? 会員は組織幹部に言われるままに動くのではなく、
いま一度、あらゆる角度から、自分で調べ、自分の頭でぐちゃぐちゃになる程考えてみる必要が
あるんじゃないかなぁ?
44 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 13:37:37
預金するということは金利が入って来るってことですよね?
やっぱり課税すべきですよね。
一部の学会員も課税を認めてるようですしね。正式にはどうか
わかりませんけど、個人レベルの意見では課税せよって会員の
意見を聴いたことあります。
45 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/28(金) 14:13:19
その金利の分で創価班の制服くらい支給してくれ〜〜〜!
慰安カーティスさん、横レスすみませんm(__)m
下世話な話しですけど、三菱銀行はもうかってるだろーな。
どんなつながりで三菱なのかは知らないけど(誰か知ってます?)
小は振り込み手数料から大は3けた4けた(基準は一万円)の入金。
今度三菱に口座作ろうかなーと、真剣に考えちゃいますね。
46 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/28(金) 14:14:49
↑もうけてればつぶれないだろうなーと思って(^^)
47 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 14:41:44
メインて岩崎さんとこの銀行なんですか?>ぽるぽるさん。
48 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 14:42:54
あ、そーいや小生のメインバンクも同じだったのを思い出しました(笑)。
いやあ、学会さんが顧客なら安心安心。
49 名前:たつ 投稿日:2001/9/28(金) 14:59:04
>>45
平成2年 「ルノアールの絵画疑惑」 (15億円使途不明)
この時、仲介したのは、三菱商事と、一人の「おばはん」でしたね。
この「おばはん」の子息達、三菱系の学校に居たよ。
何か、「三菱」はキーワードの一つだよね。
50 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 15:07:58
今度タミヤから出た1/32の零戦52型の凄いキットにも関係ありますか?>たつさん(笑)。
すいません。ネタに走りました。
51 名前:たつ 投稿日:2001/9/28(金) 15:18:00
あと、周知の事ですが、ちょっと前に
『インターンネットによる、「わいせつ図画販売」の罪に問われ、大学教授44歳 逮捕。』
ってな話があったでしょ、前述の三菱系の学校なんだよね。
しかも、教授の出身校は、創価大学…。オヤジさんは創価大学初代学長だそうですね。
三菱銀行、三菱商事、○○大学、etc.
財閥グループ絡みの利権構造があるのでしょうね。
ボクも一枚噛ませて欲しい…
52 名前:たつ 投稿日:2001/9/28(金) 15:25:07
兄貴へ
そうゆうネタは、「慰安カーティス 超マニアック掲示板」でお願いします。
53 名前:たつ 投稿日:2001/9/28(金) 15:36:08
兄貴へ(2)
ぽるぽるサン ×
ぱるぱるサン ○
54 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 15:52:53
すんません。たつさん(笑)。
一度うちの板にも遊びに来てください。
55 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/28(金) 15:55:33
あ、誤植もご指摘ありがとうございます>たつさん。
重ね重ねすんません(汗)。
56 名前:カルト学会と戦う 投稿日:2001/9/28(金) 16:15:07
狂信者と戦う (Res:1)
All First100 Last100 SubjectList ReLoad ▲1▼
1 名前: カルト学会と戦う 投稿日: 2001/09/28(金) 16:08
創価学会の狂信的HPへのリンクです by.カルト学会と戦う 2001年09月28日(金)
15時59分 ■
「>リンクをお願いします 名前:Check-D 日付:2001/09/28(Fri) 14:56
仏敵破折サイトを開設致しました。是非リンクをお願い致します。
http://checkd.tripod.co.jp/」 若鷲
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/human/index-j.htmlからの抜粋双方とも不法に訪問者の個人情報をここから盗んでい
るようです。串を沢山刺し不具合を可能な限り修正したブラウザをセキュリティを高にて使用し、ファイヤーウォールやワク
チンソフトを併用しないと怖くて近寄れません。皆さんくれぐれも気をつけて!連中は危険な犯罪集団です。
私のファイヤーウォールには不信なログが沢山記録されていました。
皆で奴らの狂信的掲示板を批判と筋の通った匿名発言で埋め尽くしてやりましょう!
57 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/28(金) 20:43:03
cocoさん、財務の事始めありがとうございます。
本当に始まりとは随分違ってきましたよね。
昔の財務部員は、信心が厚いか、身元がしっかりしているか、経済的にゆとりがあるかなどの
きびしい審査を通して選ばれたものと聞いています。
信心をした結果、福運を得て家も豊かになったから財務部員になれた。
今は財務のタカで信心を計られる・・・変われば変わったものです。
戸田氏は「わが宗は賽銭箱なんか置いてない。他の教団はお金にまつわるトラブルが絶えない」と仰っていたようですが、
その誇りはどこへ行っちゃったんでしょうか。
正本堂建立の時、わずか四日間で三百五十五億円というお金が集まった事に
味をしめてしまったのかなあと思ったりもします。
なんで会員さんは疑問に思わないんでしょうか。
なんで毎年毎年決まった事のように財務の募集があるのか。
「今年は今までの分や金利で賄えるので財務の募集はありません」
という年があってもいいんじゃないでしょうか?
それこそ課税されない宗教団体のあるべき姿ではないでしょうか。
58 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/9/28(金) 20:50:09
>たつさん、ありがとうございます
>慰安カーティスさん、大船に乗ったつもりで(^^)。
ぽるぽるもかわいいですね(なんかコロポックルみたい(*^^*))
59 名前:たつ 投稿日:2001/9/28(金) 21:04:35
>ぱりぱるサン、恐縮です。
兄貴!良かったね。優しい人で。>ぱるぱるサン
「コロポックル」だって!兄貴の好きそうなネタだよ!
60 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/29(土) 08:48:32
コロボックル好きです。アイヌの民俗学ってのもロマンですよねえ。
ぱるぱるさん、恐縮です。
なんかオンラインで書き込んでるとセッカチな正確がモロ出てしまい
ますね。誤植多くて恐縮です。
61 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/29(土) 08:55:40
ちょっと機動修正。
別レスでも言いましたが会員皆さんからのお金って当然金利が
かかって来て相当なアガリになってしまうじゃないですか。
もう宗教法人法の改正が必要な時期に来ているんですよね。
お金の使い道は当然会員さん達の周知の事実となるように公開も
必須でしょうしね。
公共施設のムダ、贅沢などが叫ばれて久しいですが、学会員さん
もそろそろ豪華な施設やモニュメントへの疑問を持ってもいいの
ではないでしょうか?
池田さんの○○記念館のような建物や平和展など見ていると、某国
の亡くなった首領さんを思い起こさせますよ!
62 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/9/29(土) 08:58:22
駄目だ>自分(苦笑)
「軌道」が「機動」になってるう(冷や汗)。
ことえりのバカア〜(Macintoshのせいにするな?)
63 名前:かい 投稿日:2001/10/3(水) 14:00:36
んで・・・25の人は何処行ったんだ? ┐(´-`)┌
64 名前:たつ 投稿日:2001/10/4(木) 15:53:46
学会員サン、どう? 「財務」
一般の学会員さん、一所懸命「財務」してると思う。
でも、その一部は、学会幹部サンどころか、「利権構造」に群れる外部の企業へも…。
「財務」の一部の行く先は、「何処ぞのドラ息子が乗り回す車購入費」になるのが、現実。
功徳なんて何処でも出来る。
直接、困っている人に寄付すれば、それは尊い事。
きっと、日蓮さんも喜ぶよ。
一所懸命、働いたお金なのだから、「ドラ息子」じゃなく、「困っている人」笑わしてあげようね。
65 名前:1 投稿日:2001/10/5(金) 02:31:40
こんにちわ。久々にここ来た。いろんな意見おもしれぇ。
ってゆーか、私はばりばりじゃないし。
何ばりばりって?
わたし、ほっとんど活動してないし。
財務のことですがぁ、
何%をどこに使ってるかとかは、私に聞かないでくださいね。
だって、管理してるわけじゃないから。
学会のHPに行って聞いてみてください。
多分答えは返ってこないでしょう。
都合の悪いことは逃げるHPですから。
まぁ、お金を払うのはどこの宗教も一緒でしょう。
神社にだってお金入れるところあるし。
色々な意見が聞けておもしろい。
何かまた意見どーぞ。
66 名前:ハインツ・グーデリアン 投稿日:2001/10/5(金) 06:46:24
1さんこんにちは。もしいるんであれば、1さんのお友達の元気ある学会員を、是非このHPに連れて来てくださいよ。。聞きたいことがたくさんあるんですよ。
67 名前:たつ 投稿日:2001/10/5(金) 17:17:03
「 65=25 」?
…ま、いっか。
ワーーーーイ! 「 戻ってきたゾッ 25♪ 戻ってきたゾッ 25♪ 」
たまには、篠沢教授を信じないとね、ウンウン。
"1"サン、こんにちは〜!!
ってゆ〜か〜、HN考えない?
明美ちゃん、美香ちゃん、理奈ちゃん、エリちゃん、みかちゃん、沙羅ちゃん、ルイちゃん、etc.
う〜ん、平凡だけど「明美ちゃん」なんてどう?
ちなみに、ボクの御指名は、いつも 沙羅ちゃん と ルイちゃん !
「・・・」("1"サン?)
失礼
68 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/5(金) 17:20:21
さくらちゃんぢゃだめ?>たつ殿(笑)
69 名前:たつ 改め ヤジオ 投稿日:2001/10/5(金) 17:24:17
質問1 彼氏いる?
質問2 学生さん?
質問3 好みの男性のタイプは?
70 名前:たつ 改め ヤジオ 投稿日:2001/10/5(金) 17:28:48
ねぇねぇ!
メシおごるよ!!
すし? 焼き肉? 何がいい?
よし、わかった!
「寿司」にしよう!!
71 名前:たつ 改め ヤジオ 投稿日:2001/10/5(金) 17:29:42
70 ゲット〜!!
72 名前:たつ 改め ヤジオ 投稿日:2001/10/5(金) 17:33:24
兄貴殿
オッケ〜! オッケ〜!!
さくらチャン に御指名!
あと、フルーツ盛りね。
73 名前:たつ 投稿日:2001/10/5(金) 19:16:41
ん? さくら …ちゃん?
74 名前:coco 投稿日:2001/10/5(金) 19:28:31
1さん、戻っていらしたのねん?♪
前のレスと、トーンがお変わりになったような。。
たつさん、ものすごい はしゃぎようネ・・・どったの?
創価学会は、財務が多ければ多い程功徳がもらえる、などという組織幹部の
インチキ指導で、会員さんを多額の財務に誘導することを、即刻止めたほう
がよいですね。
供養は、功徳なるものを貰うためのものではなく、御本尊に(もしくは組織)に
感謝を表す方法のひとつだと思います。現在の組織の巨額資産を考えたら、別に
財務のかたちで感謝を表さなくてもいい、と考えることもできますね。
どちらかというと、組織の方が会員さんに感謝すべきかも。。
ということで、会員さんは後で後悔したり泣いたりしないように、組織の幹部と
いった周囲の言葉に惑わされることなく、自己責任として財務をしてほしいです。
75 名前:たつ 投稿日:2001/10/5(金) 20:08:10
ワキの甘さで、ワキあいあい…
76 名前:たつ 投稿日:2001/10/5(金) 20:25:07
嬉しくて、はしゃぎすぎました。失礼。
>…いろんな意見おもしれぇ。
>色々な意見が聞けておもしろい。
>何かまた意見どーぞ。
ウンウン、いろんな意見聞けるとイイねぇ。
さくらチャン♪
77 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/10/5(金) 21:11:48
74cocoさんの
>前のレスと、トーンがお変わりになったような。。
そうそう、cocoさん、私もそう思いました〜。
でも追いつめられると豹変する会員さんは何人も見てきたから、
1さんもそういう人なんですかねー。
>1さん
またまた言ってる事の辻褄合ってないですってば。
>ってゆーか、私はばりばりじゃないし。
>何ばりばりって?
ばりばりって何って、自分で「私はばりばりじゃないし」って言ってるじゃないですか。
って事はばりばりの定義をお持ちなんでしょ。
>何%をどこに使ってるかとかは、私に聞かないでくださいね
>だって、管理してるわけじゃないから。
なーんだ、やっぱり幹部の言いなりなんですね。がっかりです。
>都合の悪いことは逃げるHPですから
学会の体質なんでしょうね〜。
78 名前:たつ 投稿日:2001/10/5(金) 21:44:03
ぱるぱる様
>でも追いつめられると豹変する会員さんは何人も見てきたから、
追いつめられてますよ。ほどほどに…
>またまた言ってる事の辻褄合ってないですってば。
ほ、ほどほどに…
>ばりばりって何って、自分で「私はばりばりじゃないし」って言ってるじゃないですか。って事はばりばりの定義をお持ちなんでしょ。
…。
>なーんだ、やっぱり幹部の言いなりなんですね。がっかりです。
言いなりにならなかったら、学会辞めているのでは?
勿論、学会員にも、責任は色々あると思うけど、ある意味「被害者」だと思います。
ただ、さくらチャンだって、バッシング覚悟で、勇気を振り絞ってココに来たんだと思いますよ。ボクが学会員サンだったら、ここには来づらいです。
ココの皆さんは良識のある方が多く、大きな可能性を持っていると思います。
生意気を言って申し訳ないです。
79 名前:coco 投稿日:2001/10/6(土) 01:14:01
ぽるぱるさん、また財務の季節ですね〜
未入会の奥様や旦那様がいらっしゃる会員さんに、多額の財務を内緒でするように
指導する幹部がいたりします。本当なら、「ちゃんと奥様(旦那様)の了解をとって
しましょうね」ぐらい言うのが良識ってものでしょうに。
そこらへんも学会組織として聖教新聞に載せるなり同中なりで、一度きちんとした指導
をおこなう必要があるのではと思います。
たつさん、1さんが戻ってくれて嬉しかったのね〜(^^)
ココの掲示板の、たつさんはじめとする非学会員の皆様の、外部から見た学会組織のおかし
なところに対しての的を得た批判やご指摘は、組織に疑問を持つ会員さんにとって、今一度
自分が組織とどう関わってゆくかを考える為の、よいきっかけになるのではと思います。
私もその一人です。今後ともよろしくです〜♪
80 名前:1 投稿日:2001/10/6(土) 01:43:13
はいどーも。
20歳、主婦です。
財務の季節・・・。申込書書きましたよ。
私は1万、旦那は2万。
まぁ、いいかなと。
結婚式もほとんど無料みたいな物だったし。
会館使う代金は取られないから。
みんなボランティアでやってくれるし。
私は、熱血的な学会員じゃないからここに来て
批判の声を聞いてるんです。
賛成の意見と反対の意見を聞くのはおもしろい。
熱血的な人の話を聞くと引く。
引きませんか?
cocoさんは、旦那さんに嫌だと言わないのですか?
財務の金あるなら物買え!とか。
私は3世。別に脱会する気はないけど、
脱会したくてもできないだろうな。
何てったって、姑が熱血学会員だから。
財務で高い絵とか買うのには反対です。
cocoさんはどうですか?
81 名前:ニャン 投稿日:2001/10/6(土) 02:27:45
はーい、cocoさん、お久しぶりです。
>自分が組織とどう関わってゆくかを考える為の、よいきっかけになるのではと思います。
私もその一人です。今後ともよろしくです〜♪
同感です。私もです!
最近、引越しを機に、新しい組織には「非活動宣言」しました。
今のところ、組織からは 何も言ってきません。
のんきな地域なのでしょうか、いずれにせよ、ありがたいですね。
ゆっくり考える時間を得て、自分を取り戻しつつあります。
学会活動していた頃は、考える暇を与えられず、毎日バタバタ
でしたから。
でも、自分に嘘はつけない。
ノイローゼになりそうでした。
ココで 皆さんと出会えた事、ほんとに よかったと思います。
財務、何も言ってこないなあ。このまま そっとしてて欲しい。
82 名前:たつ 投稿日:2001/10/6(土) 08:25:34
cocoサン、毎度お手数をお掛けします。
>…的を得た批判やご指摘は、組織に疑問を持つ会員さんにとって、…
おっしゃるとおりだと思います。
ここにいる方の多くは、本人若しくは、身近な家族・友人・恋人が創価学会員である事が悩みの始まりである方が多いと思います。
学会員サンへ批判する場合も、自分にとって大切な人に語りかける気持ちを忘れてはいけないと思います。
このスレッドがフェア―に「創価学会をみんなで考えよう」のスタンスに立つためには、与野党いずれかに議席数が偏っては健全性が損なわれると考えます。
今後もスタンスは同じです。「学会、非学会」関係なく意見できたらと考えています。
ボクは、"1"サンが、戻って来てくれた事、そして皆さんの意見を聞きたいという姿勢、とても嬉しいです。
ぱるぱるサンの誠実で理性的な姿勢も存じています。
ぱるぱるサン、重ね重ね、ご無礼をお詫びします。
「天秤の分銅」の様な物だと、お許しください。
83 名前:coco 投稿日:2001/10/6(土) 11:24:39
>>79
ぽるぱるさんになってた。ぱるぱるさん、m(_ _)m ゴメンナサイ
1さん、はじめまして〜(^^)
1さんは、ご自分でしっかりと考え、納得の上で財務をされていらっしゃるようですが、
それがいちばんですね。
ここで、いろいろな意見を聞いて、1さんもどんどん意見や感想を書き込んでください。
>cocoさんは、旦那さんに嫌だと言わないのですか?
>財務の金あるなら物買え!とか。
共に学会組織には距離を置いていますので、財務等、学会のことで揉めたことはありません。
学会以外のことで揉めますけど〜。。
>財務で高い絵とか買うのには反対です。
>cocoさんはどうですか?
私も1さんと同じく大反対です。
例のルノワールの絵画など、不可解な取り引きで当時の時価より何十億も多い金額で購入して
いるわけです。財務の収支の公開がされていませんから、どれだけの無駄金が使われているか、
会員も知りようがありませんね。
はーい、にゃんさん おひさしぶり〜♪
>のんきな地域なのでしょうか、いずれにせよ、ありがたいですね。
>ゆっくり考える時間を得て、自分を取り戻しつつあります。
のんきな地域で良かった! ゆっくり考える時間って大切ですね。
にゃんさんが気持ちに余裕を取り戻されて、本当によかったです〜
>財務、何も言ってこないなあ。このまま そっとしてて欲しい。
ですねー。何か言ってきたら、にっこり笑ってきっぱり自分の結論を述べる、
が、いちばんエネルギー消耗しないかも。先手必勝ネ。。ウフ
たつさん
>今後もスタンスは同じです。「学会、非学会」関係なく意見できたらと考えています。
本当にそうですね。 たつさん、今まで通り自然体でどんどん書き込んでね〜♪
84 名前:たつ 投稿日:2001/10/6(土) 16:26:02
"1"サン、cocoサン
>例のルノワールの絵画など、不可解な取り引きで当時の時価より何十億も多い金額で購入しているわけです。
使途不明金15億円は何処へ行ったのでしょう。ちょっと考えてみました。
【裏金づくり】
世の中には、「裏金」というモノがありますね。
何らかの、便宜を図ってもらう為には、「出所」が不明な「裏金づくり」が必要になる訳です。
「裏金づくり」には、「数量」の水増しされた金額の「請求書/領収書」が必要になります。最近だと、外務省による、宿泊費用の「水増し請求」が告発された事は周知の事ですね。
【絵画と裏金】
「数量」の水増しは、ばれる可能性が大きいのですが、一枚の絵画には内訳つまり「数量」は存在しません。
数量が存在しない絵画取引は「裏金づくり」には最適なのです。
バブル期、銀座の画廊の前に超高級外車が多く止められていました。その車は、必ずしも美術愛好家のものとは限らないでしょう。「裏金づくり」目的の客も多くいたと思われます。
画廊・画商の中には、「裏金づくり」に係わるものも存在するはずです。
金○の金屏風ってのもあったね。
【所得隠しなんぞは小物のやる事】
さて、「…時価より何十億も多い金額…」は、果たして何処にいったのでしょう?
自身の個人所得を隠す事を目的に「裏金」を作るのは、「サラリーマンの愛人への小遣い、中小企業社長の税金逃れ」程度の話です。
D作氏ほどの大物は、有り余る資金から所得税を払う事をケチるはずはあり得ません。
イヤミ抜き、本気でそう思います。
【憶測です】
恐らく、「裏金」の受け手は第三者だったはずです。何の便宜を図ってもらったのか?
当時の学会関係誌を読みあされば、「15億円」相当の何か目立った動きが有るかもしれませんね。
85 名前:1 投稿日:2001/10/8(月) 01:36:16
みなさん、意見をちゃんと持ったいい方達なんですね。
今まで2ちゃんはそうゆう人はいないと思ってました。
そうですよね・・。絵画は反対ですよね!
学会の人に聞いてみたら、
絵画を買って芸術の交流を深めるのも
創価学会なんだと言われました。
が!!!!納得はいきません。
私の切りつめたお金が(少量ですが・・。)
絵に使われてると思うと
財務をする気にはならなくなります。
もうちょっと納得のいく使い方をして欲しいなぁ・・。と。
池田先生は愛人はいないと思いますが・・・。
あんなに奥さんを大切にしてるのに・・。
愛人なんていたらショック・・・・・・。
にゃんさんの周りには非活動宣言をしても
何もいってくる人がいなくてよかったですね♪
私の周りには何てったって姑が目を輝かせて
私を見てますから・・・・。
活動したくないときに姑になんだかんだ
言われるとストレスが溜まります・・・・。
前なんて子供が風邪引いてて外に出したくないのに
姑に無理矢理活動させられました。
すごく納得がいかなかったです。
話の内容がずれちゃいましたが、
きょうはここまで・・・・・。では。
86 名前:ニャン 投稿日:2001/10/8(月) 12:13:04
絵画、で芸術ですかあ。自分達が所持することで?
たつさんのおっしゃるように 褒められたもんじゃないですね。
他にやり方が あるんじゃないの?と 思います。
1さん、はじめまして。
>にゃんさんの周りには非活動宣言をしても
何もいってくる人がいなくてよかったですね♪
引越しして、すぐに宣言したもので・・・。
こちらの組織の方とは、まだほとんど 面識がないですから。
実は、越す前は、バリバリやっておりました。
やればやる程、学会に納得がいかなくなり、活動が苦しく
なったんです。(はっきり言って あほらしい、と。)
私の場合、自分で入信したので、親近者には学会員がいないんです。
活動家の頃は、そのことが、さみしいと思ったけれど、
今は救い(!)です。皮肉なもんですね・・・。
お姑さんが バリバリやってらっしゃる方だと、しんどいですね。
親しい友人でも つらいのに。
単に うっとうしい、とか そんなんじゃなくて 複雑な感情が
ありますもんね。大切な人達だから。
しんどい時は、ココに来て下さいね。
87 名前:ポンタ 投稿日:2001/10/8(月) 13:55:40
初めまして!私は結婚をしていますが私以外誰も学会員ではありません。
とはいえ、新聞は取ってないし財務もしていません。
私は「電気代とかみんなで使っているからだすのは当たり前」と説明された記憶があります。
ですが、独身時代財務の話になり「仕事をしているんだから一万ぐらい出せるでしょ。」と
言われたときから払ってません。
確かにその人に取っては一万ぐらいだったのかもしれませんが、
当時手取りで11万だった私にとっては一万はどんでもなく大切な金額でした。
実家の祖母の周りの人たちも「誰それが何百万だしたから、私も・・」
という人が何人もでたとのことです。
財務を多く出した方が幸せになる・・・と本当に信じている人がいるんです。
財務、断りたければ断ってもいいんですよ。
支払わなければ「罰」だの「功徳がつめない・・・」だの嘘ですから。
自分の幸せって、他の人の物差しでは測れませんから。
財務の強制自体が法律に触れることですからね。
・・・あ・・・でも、姑さんがばりばりなんですよね・・・。
そんなことでもめても仕方ないですよねぇ。
ちなみに、私は主人の家のしきたりで正月には「成田山」に初詣にいくんですよ。
窮屈な思いをされているようですよね。
がんばって・・・人並みな事しかいえなかったり・・・
88 名前:ゴリ 投稿日:2001/10/9(火) 10:58:14
やや長文になるかも
こんにちは、俺自身は学会員ではないですが、先日友人に勧誘されたのを機に
図書館等で学会関連の書籍を読み漁りました。
学会が信者からのお布施(あなた方の言う財務ですね)や、その他関連企業の収益等で集めるお金は
推定で一年に2千億とも3千億とも書かれてました。
まぁ、あくまで推定だし、仮にその十分の一しか無かったとしても
相当な額に上ることは明白ですね。前レスのボンタさんが書かれているように
一度に何百万も出す人がゴロゴロいるなら、数千億というのもあながち誇張された額とも思えませんし。
それらのお金がどういう風に流れているのかは、俺も興味あります。
でも、学会のトップにきいてもまっとうな返事が返ってくるとは思えないですが。。。
それに、俺を勧誘してきた友人が「池田先生の年収って、一般のサラリーマンに比べても低い」というようなことを言っていたけど
確か池田大作って、去年の長者番付に推定年収数億円で文化人の部門にランクインしてたはず。
一般の信者がなけなしの金でお布施を払ってるのに、名誉会長とやらはこの収入。トップならトップらしく
自分がギリギリに生活できる程度の収入で我慢すべきでは・・・と思うのですが
いかがなものでしょう?
89 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/9(火) 16:00:11
>自分がギリギリに生活できる程度の収入で我慢すべきでは・・・と思うのですが
>いかがなものでしょう?
池田さんが本当に仏法者、宗教者を自分で認識なさるなら当然ゴリさんのおっしゃる
通りになるべきでしょう。
90 名前:倒木 投稿日:2001/10/9(火) 23:16:07
一般のサラリーマンが数億円(たしか池田氏は例年2億〜5億の納税をしてるけど)
納税してるがゴリさんの友達の学会員の世界なんでしょうね。
91 名前:coco 投稿日:2001/10/10(水) 01:21:00
ほとんどの学会員は、なにも知らない、なにも知ろうとしない。
92 名前:1 投稿日:2001/10/11(木) 01:41:11
知りたいけど公開されない。わからない。
93 名前:たつ 投稿日:2001/10/11(木) 10:49:42
"1"サン、おはようさん
>知りたいけど公開されない。わからない。
アンチ学会者の批判意見がココには多くありますね。
それを鵜呑みにする必要はないですよ。
「あなたの答え」は、自分で導き出しましょう。
また、学会の意見も「あなたの答え」ではありませんよ。
>>32慰安カーティスさんの言葉。
>…色々な情報ソースを自分の中で体系づける作業…
が大切だと思います。
あなたの「知りたいこと」への答えは、自分で探すしかないですね。
「魔界(?)」へようこそ!
「魔界」も住めば都、楽しくやっとるよ!
94 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/11(木) 14:22:22
ゴシッパーの流したような反学会意見はあてになりませんからね。
95 名前:ポンタ 投稿日:2001/10/15(月) 11:47:39
学会の財務ってほんとどうなっているんだろう。
任意出だしているというけど、末端では「出せるでしょ?」と
言われるし、それを断れば断るでいろいろといってくるし。
半強制的ですよ。
公開されたって、それが本当のものかどうかも怪しいと思うし。
財務を出しているんだから財務がどう使われているか?って知る権利も
普通はあるんだけどねぇ。
雲の上の人間にしか財務がどうなっているのか、本当のところは知らさせれて
ないと思うけど。
>>ゴシッパーの流したような反学会意見はあてになりませんからね。
本当そうですよね。答えは自分で探さないと、見つからないって事ですよね。
96 名前:ちさ 投稿日:2001/10/16(火) 19:17:25
財務が気になってこのスレッドにお邪魔しました
私は学会3世ですが、子供心にも「一体どうやって稼いでいるんだろう」と思い
両親に質問しましたが、答えは
「池田先生の印税」でした。・・・・・超ベストセラー作家なのか?
でも子供だったので信じてしまいました。嗚呼。
こんなだったので、お布施(財務という言葉すら知らなかった)があったことを知ったのは最近です。
そして自然にこんな疑問が湧いてきました。
父は昔研修道場の職員だったのですが、学会からお給料を貰っていたそうです。
もしかしてそのお給料は財務から・・・・・・?
97 名前:たつ 投稿日:2001/10/16(火) 21:16:01
運営費には、当然、財務だって含まれているでしょう。
皆さんは、どう考えているかわからないけど、職員の給料・先生の収入は?とか、いい服着ている、絵を買ったなんてボクは、どうでもイイの。ボクだって給料イッパイ欲しいし、イイ服好きだし、絵も買ったことあるし。
前も書いたけど、学会内の「使途不明金」の存在が一番気になる。領収書を書けない超有名人に流れ、便宜を図ってもらったとしたならば…。公益に関する便宜なら、間接的に、誰かが、不利益を受ける事もあり得る。会談の機会を得る便宜なら、先生の栄光が一段と輝き、会員さんの尊敬を益々集める事も想像できる。
数・金で、メジャーになることを望む事は、マイノリティーに不利益を被らせる事を前提とする。心より寧ろ、数と金による解決を図るにも係わらず、宗教の名乗る姿に怒りを感じています。
とさサン、自身やお父様を責めてるの? ダメだよ。
もっと図々しくなりましょう。学会員サンの一番悪いところ、マジメすぎ、ガンバリすぎ。気楽にね♪
98 名前:たつ 投稿日:2001/10/16(火) 21:31:40
追加
一般社会においても、「使途不明金」・「裏金」は、あらゆる「裏活動」の糧。
「裏活動」なんて、一般会員さんの知るところではないし、責任を感じる必要もありません。
99 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/16(火) 21:38:34
まずは宗教法人法の改正が必要ですよね。布施にもちゃんと課税
はするべきなんです。銀行に預ければちゃんと利息も付いて来る
お金には変わりないのですから。
宗教法人の非課税という部分は、やはり特権としか思えませんね。
学会員さんの中にも課税すべきという意見の人も居る様ですよ。
本当は池田さんは高額納税者番付の筆頭のはずですよ。
100 名前:たつ 投稿日:2001/10/16(火) 21:57:23
100げっと〜、じゃなくて。
>>97
とさサン ×
ちさサン ○
申し訳ないです。
101 名前:カズ 投稿日:2001/10/16(火) 21:57:50
>別レスでも言いましたが会員皆さんからのお金って当然金利が
かかって来て相当なアガリになってしまうじゃないですか。
もう宗教法人法の改正が必要な時期に来ているんですよね。
お金の使い道は当然会員さん達の周知の事実となるように公開も
必須でしょうしね。
>公共施設のムダ、贅沢などが叫ばれて久しいですが、学会員さん
もそろそろ豪華な施設やモニュメントへの疑問を持ってもいいの
ではないでしょうか?
>池田さんの○○記念館のような建物や平和展など見ていると、某国
の亡くなった首領さんを思い起こさせますよ!
学会の集金システムについて、カズも大いに疑問を持っています。
私は財務には無駄なお金を使わない主義なので、一生懸命財務に励
んでいる人の気持ちが理解できません。
けれども、多くの純粋な学会員は、学会の財務内容について、知ら
なさすぎではないでしょうか?自分が信仰(関係)している団体の
経理について知るのは最低限の権利であると思います。巨額の資金
を集めて会館・墓地などに投資している学会自体が大企業そのもの
です。国民の多くが生活に苦しむ今日、学会だけが贅沢するのは社
会的公正に反します。政府は、宗教法人課税も含め、国民生活に寄
与する改革を実行してほしいものです。
102 名前:たつ 投稿日:2001/10/16(火) 22:47:41
>まずは宗教法人法の改正が必要ですよね。布施にもちゃんと課税はするべきなんです。
国は大助かりだね。
課税したら、したで、国にはプレッシャーかかるだろうな〜。学会員サンのあの熱意は、国の「無駄遣い」を許さないだろなぁ。面白いかも…。税金の無駄遣いが減れば、納税に対する民意もあがるだろうし、イイかもね。
聖教新聞の一面に誇らしげに「 納税額 宗教法人部門 ○○年連続第一位!! 」な〜んてね。ボクも大喝采しちゃうかも。
外務省職員も、バリバリさんの底力を知れば、不正なんて、怖くて出来ないしね。毒には毒毒を…、失礼。(汗)
宗教法人法の改正は素晴らしい!!
学会へのつまらぬ偏見はとりあえず、減る! こりゃ、前向きに考えるべきだ、ウンウン。社会に認知されれば、体質変わるかも…。
先生が国会に出向き、宗教法人法の改正を自ら発言し、新たな税収が日本経済を救ったなら…、聖教新聞のみならず、大手新聞にも大いに語ってもらいましょう!(ボクが言うまでもないね)いや、こりゃいい宣伝にもなるよ! 損して得するのも一手だよ、先生!
103 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/17(水) 11:20:24
>学会へのつまらぬ偏見はとりあえず、減る! こりゃ、前向きに考えるべきだ、ウンウン。社会に認知されれば、体質変わるかも…。
小生もそういった効果を期待するんですよ。いらぬ誤解も招いているのも事実ですしね。
104 名前:ポンタ 投稿日:2001/10/18(木) 19:26:32
宗教法人法の改正・・いいかも。
少しは、お金の動きがわかるかもねぇ。
無駄遣い、無駄なお布施の提供なんてなくなるんじゃないのかな?
今学会の財務は一人一口一万円からだからねぇ。
これだって、おかしなはなしじゃない?
10円だろうが1円だろうがいいんだもの。本当は。
金額を提供してもらう側が指定してくるなんて・・・変だとおもうがな。
宗教法人から税金が取れるようになったら、日本も多少税金が足らない
で増税、増税なんてしなくても済むかもよ。
105 名前:D.L15世 投稿日:2001/10/18(木) 21:27:30
ちっす。宗教法人法の改正も一理あると思いますが、それより学会を法で裁く方がいいと思います。池田氏を国会で証人喚問させれば、非合法の部分が浮き出るんじゃないですか?
106 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/10/19(金) 11:30:12
>>105
他の政治結社も宗教法人との癒着はあるでしょうから、一筋縄じゃあ
いかないんでしょうね。
ああ、おぞましきかな?組織票。
107 名前:たつ 投稿日:2001/10/19(金) 12:57:24
>それより学会を法で裁く方がいいと思います。
それができればねぇ…。
>…癒着はあるでしょうから、一筋縄じゃあいかないんでしょうね。
特に発言すべき人物(政治家、他)が「ただ酒、ただ食い」しているから、肝心な事言えなくなっちゃっている。"あんたっちゃぶる"ですな。エリオットネスみたいな、筋を通す人が現れると良いね。
ちなみに、ボクは「ただ酒、ただ食い」大好きです…。
108 名前:ポンタ 投稿日:2001/10/20(土) 10:08:45
>>107
私もたつさんと同じ。
無理かもねぇ。法で裁くのは・・・
たぶん、法で裁けるならもうさばかれているかもね。
だって、これだけ公明党=創価学会という認識は誰でも持っているものだもの。
ただ、双方が「全く無関係です」といっても、国民みんなが知っていることでしょうに。
わかっていてやってないというのは、「できない」からやってないだけなんじゃないのかしら?
109 名前:ちゅうた 投稿日:2001/10/20(土) 13:54:50
今のとこ頭の中で、考えてるだけですけど、もし、
「今まで納めた分、出来れば返して欲しいんですけど・・・。」
とゆうふうな申し出があった場合には、ちゃんと、そして速やかに
返してくれてるようなそうゆう制度は、
やっぱ構築される べき なんじゃないでしょか。
既に退会された方・現役活動者・非活動的会員・・・
などとかゆうのは一切問わず、勿論金額の多い少ないとかも関係なしで。
或いは、
退会の意思を申し出た際、数日後に自動的に振り込んどいてくれるような
そうゆうシステムであったら、
「あまりお金の事とかゆうの 気がひけるワ」って人でも、
泣き寝入りみたいにならなくていいんじゃないかと。
そうゆうのダメなんですかね?
いろいろ付随してくる懸念も、あるにはあるでしょうけど。
(例えば、パっと思い浮かぶのは、執拗な引き止めや、脅しの言葉とか)
でも、やっぱ、人の不幸で成り立つ商売じゃんね。
病気や経済苦の克服を願って紹介者のゆうこと信じて入会したような
そうゆう人達からも、巧みな心理操作を駆使してお金集めてるってのは、
「学会だって慈善事業でやってんじゃねえんだよ」ってことなのかな〜。です。
110 名前:みかげ 投稿日:2001/10/21(日) 02:48:21
「まごころの財務」とか口癖で言うのに、季節になると会合では3桁4桁の体験合戦。
それがイヤ…。
何年か前の会合の席で、、
「池田先生は、今年は財務は少なくていいから、家族で楽しんでくださいっておっしゃって下さいました。
だけど、そのお心に感謝して、財務がんばりましょうね。ニコッ」
マインドコントロールと言われても仕方がないと思うな…。
111 名前:ポンタ 投稿日:2001/10/21(日) 12:47:27
・・・3桁4桁・・・・。
確かにね。あれって、一種の自慢だと思っているんだよね私は。
「私はこれだけしたのよ。」という自慢。
「私はあの人より・・・・」
宗教、新興宗教している人は一番欲深いと思うように最近なりました。
「幸せになりたい」「こういう家が持ちたい」「こういう仕事につきたい」
若い奴らが宗教をもたなくなったというのは、「ほしい」と思ったときに
ものが手にはいるからじゃないかしら?
欲をださなくても、欲しいものが手に入る。欲深くなる必要がない。
違うかしらん。・・・私の考えだからなぁ。
結構とんちんかんなこと言うときがあるから・・・・勘弁ね。
112 名前:Z 投稿日:2001/10/22(月) 18:05:19
通りすがりですが、私も学会はやっぱり財務でとんでもない金額が
動いてると「推測」します。
よく学会員は自分たちへの批判を「嫉妬されているから」っていいます
けど、そりゃあ嫉妬もしますよね。年間何千億ってお金が税金もかから
ず集まるんだもの。
113 名前:常勝関西 投稿日:2001/11/2(金) 19:32:04
毎年集められる、お金の額もさることながら、どのように使われているかが問題ですわぁ!
うちの地区の地区部長が、「全国の会館の水道光熱費、トイレット・ペーパ代だけでもバカになりまへんわぁ」と言いながら申し込み用紙を配っていました。
私は、思わず笑ってしまいました。
集めたお金の運用益だけでも、水道光熱費はおろか維持管理費までも十分に賄えるのではないでしょうか?
池田SGI会長、博正副会長、香峯子夫人の顕彰の対価として海外へ流出。
ここまでは、全て織り込み済みですよねぇ。
テロ支援国家へ流出し、生物化学兵器、ミサイル、核開発資金として使われているとしたら・・・・・・・・・・
114 名前:ポンタ 投稿日:2001/11/2(金) 21:05:45
やっぱり、同じなんだ。
うちも「会館の電気代とか水道代、
トイレットペーパーなんかになっているのよ」といわれましたぁ。
掃除の専門が入っているわけじゃないからねぇ。
中等部・高等部あたりが会館の掃除を担当していると思いますよ。
私もその担当になりましたけど・・・1回いってそれからはいきませんでし。
なんせ、「なんで、活動してない子がきてるの?」的な事を言われたので。
はっ!こちとら好きで掃除しに来てんじゃぁね〜やい。と言い返したら、
えらい剣幕でこちらをにらんでましたけどねぇ〜。
一回いって掃除担当になったのは、トイレでしたぁ。
それにしても、どんな風にお金が動いて居るんだろうか。
帳簿をみせてみなといったら、帳簿みせられないんでしょうねぇ。
流出したお金が次にどんな風に使われるかなんて・・・
わかりませんものね。
もし、そのような事に使われているとしたら・・・・
怖いことです。
115 名前:不破優 投稿日:2001/11/25(日) 22:01:29
はじめまして
財務について自分の考えを一言
結構みなさま「カッ」と来ているようですが・・・。
収支について気になるのは人情ですな。
なので私も何度も本部に聞きに行っています(なかなか教えてくれません)。
でも、雑談の中でニュアンスを漏れ聞きました。
職員数は3000人でうち6割が聖教とのこと。
聖教は収益事業で法人所得税を払っている。
個人的な提案として、「所得税を払うくらいなら、聖教の値段を収支トントンまで引き下げて、利益の出ないようにして会員に還元したらどうか」と言ったら、「それはそれで、また批判されるでしょうね」とのことでした。
運用益もロットがでかい(多分千億単位)分、2%くらいで運用できるのでは(推測)。
ただ、人件費で600億程度、1000会館の維持費で600億程度という感じ(推測)からすると、単年度ではそれほど剰余金は多くないのでは。
「真心の財務」は、「ご供養」としての位置付けがあると思われ(出家に対するそれでないから供養ではないという説は存じている。)、「喜捨」ということであれば、ディスクロージャーは不要であると思う。そのあいまいさが、種種の憶測を生じる原因だと思う。
何に使われても、信者の功徳・境涯に変化はないはずである。
名誉会長をファーストクラスに乗せ、舶来のオーダースーツを着せるのは年間数千万のこと。結構ではないか?でも、SGI副会長などにファーストクラスは乗せたくないな。
それより、名誉会長の申告所得額の変化の方が気になるのだが。長者番付で記憶しているのは平成5年の申告納税額87百万円だが、以降の推移はどなたかご存知か?
伝説として、名誉会長は著書の印税をすべて学会に「財務」していると聞くが、とはいえそれは納税後のことであろう?
116 名前:ありす 投稿日:2001/11/25(日) 22:57:44
光熱水費・トイレット・ヘーパー代金となれば、無料で会館を利用している
会員さん達としては、妥当な線と納得するでしょうね。少々の違和感はあってもね。
一人一人の使用量としたら、一口一万円で十分ですよね。何回も利用する人は
個人的にふんぱつしても良いわけだし、私のような非活動家で、会館なんぞには
もう5年近く入っても見てもいない立場だと、払わなくてもいいことになるのかな
やっぱり・・・・・。
でも、広布部員の申し込み書をもって地区の方の、訪問がありました。
「今、この場で書いて」ということっだったので、何度も来たら嫌だな
という気持ちもあり、申し込みをしてしまったが・・。
断ると、もめるかもしれないけから、まあいいか。
使いみちは、気になるけど、悪いことには使われないように
祈るのみです。
117 名前:ありす 投稿日:2001/12/1(土) 11:11:18
さてさて、財務の振込みが始まりましたね。
学会員のみなさまは、もう振込みは、おすみですかー?
・・・・なんてね。(何者?)
わたしは通常、決めた金額(気持ちです、気持ちぐらい)を
さっさと入金して、すべてを忘れるって感じですけど、友人の
学会員がお子さんが塾に通い始め、思いのほかお金がかかり、
ローンとかもあるので、今年は減らすということを、地区担に
告げたところ、減らさないほうがいいといわれ、事情を話しても、
「出せないわけじゃないんでしょ」「おかげで守れれているんだから」
など等言われ迷っているようです。
この「減らさないほうが良い」とは結局どういう意味だ?無責任と
思います。一時期3桁運動があり、何人もの婦人部が無理して
納金したようですが、その後専業主婦だった奥さんはパートへ、
高校生の娘さんはスーパーでアルバイト、・・・3桁の効果って
どういう風に出たのだか、理解できなかった。
もちろんその家庭は、翌年からう〜んと減らして(当たり前)います。
その家庭だって減らさないほうが良かったんでしょうか?
財務は帰ってくるのだから・・
その昔私がまだ20代頃、減らすと経済的に苦しくなるとか、
言われてました。・・・そんなばかなーって思う人もいるでしょ!
そんなばかなですよ。それなら3桁なんかしたら、翌年も3桁?しろと?
つくづくお金を会員から絞る取るような、指導が用意されてるんですね。
減らしたらよくないことが起こるかも〜なんて思ったら、
食費を削ってでも納金する人も出てきちゃうよ。
それより、財務は帰ってくるという「帰り方」を具体的に
教えてほしいものだね。
「何事もなく暮らしていける。」とか言うのは、なしね。
一万円でも、100万円でも同じことを言われるなら、
誰でも一万円にするよ。
118 名前:常勝関西 投稿日:2001/12/2(日) 12:57:52
>テロ支援国家へ流出し、生物化学兵器、ミサイル、核開発資金として使われているとしたら・・・・・・・・・・
マスゲーム、人文字のノウハウを北朝鮮に提供したのは、広く知られていますよネ。
119 名前:coco 投稿日:2001/12/2(日) 13:10:22
・ぇ そうなんですか? 知りませんでした。
120 名前:倒木 投稿日:2001/12/2(日) 13:38:32
時系列で言えばマスゲーム(人文字)を始めたのは
創価学会が先という事でしょうかね。
日本はスパイ(がいっぱい出入りしている)国家という
話もありましたし、北朝鮮の人が創価学会の一糸乱れぬマスゲームを見て
「これは使える」と偉大なる指導者に報告して向こうでも始めたという
ストーリーがあると面白いかもしれませんね。
企業でも商品を模倣してうまく利用するってのはよくありますし。
まずは模倣から、基本です。(いかん、財務と全然関係ないか)
121 名前:Blind Idiot One 投稿日:2001/12/3(月) 20:13:27
生物学でいう近似収斂みたいなものかも。
(いかん、財務と全然関係ないか)
122 名前:Blind Idiot One 投稿日:2001/12/3(月) 20:29:30
学会関係の出費をケチると貧乏になるって
指導されなくても信じ込んでる人が多いです。
減らすのは「敗北」とか思ったりして。
123 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/12/3(月) 22:11:16
財務の他に広布基金とやらもあるですねぇ。
いろな雑誌も買わされますねぇ。
ただ働きもあるし。
絶対かかわりたくないっす。
124 名前:ありす 投稿日:2001/12/4(火) 09:49:56
>学会関係の出費をケチると貧乏になるって
>指導されなくても信じ込んでる人が多いです。
たいてい具体的な指導ではなく、会合の後のお茶飲みのとき、
誰かがわざとらしく、そういう話をもっていくんですよね。
「たまにはお茶飲んでいきなさいよ」と言われたら、要注意かも・・。
なんか宗教って条件がついてるだけで、人のこころは妙に無防備に
なったり、理由も無く信じてしまったり、してしまう。
人のDNAのなかに、なにかがインプットされてると思わずにはいられません。
学会関係の出費をケチらないように、会員の気持ちを持っていくことも
使命と信じてたら、それが「創作した嘘」「個人的な思い込み」でも、
結果としては、広布のお役に立てた〜になるんでしょうね。
125 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/4(火) 17:38:12
しかし、学会関係の出費をケチると貧乏になるとは。
この世の中貧乏な人だらけということですよねぇ〜。
実家も読みもしないのになぜか、学会関係の雑誌が何冊か・・・。
とはいえ、他の雑誌とか買わないのかな?と思うぐらい。
たまには他の知識を仕入れたらいかが?と言いたくなる。
それにしても、公布基金ってなんすか?
いろいろと徴収しているんですねぇ。
・・・そんなに、必要なものかなぁ〜。
126 名前:たつ 投稿日:2001/12/4(火) 18:19:18
いつも、出費をケチらずに飲み歩き、おまけに先日、また絵を買ってしまった、オケラの貧乏人ですが、何か?
127 名前:ありす 投稿日:2001/12/6(木) 10:58:22
破天荒な画商みたいですね〜。たつさん。カッコイイー!
しっかし、財務以外でも、あの手この手で、昔はずいぶん買わされました。
現在、聖教新聞に連載中の、「新・人間革命」の単行本の一巻が
出るとき、
書店で注文して定期購読するように言われたんですよね。
さらに、「ブロックで申し込むからあなたの分も、いっしょに
申し込んであげるわね」と・・・。申し込んであげるわね〜とは
なんじゃ、別に定期購読する気なんかないのにー。
単行本なんか買わないよーなんて言うと、あれこれ言われそうなので、
「いいえ、自分で申し込みますから。」となんとか切り抜けたけど
cocoさんの書き込みによれば、こんどは「潮」の年間購読らしい〜。
財務の目標を一人十口以上なんて、勝手に押し付けてる、地区もある
らしい〜ほんとにあの手この手ですね。」
128 名前:たつ 投稿日:2001/12/6(木) 12:20:12
わっ、わっ、わっ、わ〜〜〜〜い! ありすサンだ〜!
お久し振りです。留守中、寂しかったです。
>たつさん。カッコイイー!
うううう…、もっと、もっと、死ぬ程褒めてください!!!!
>「ブロックで申し込むからあなたの分も、いっしょに申し込んであげるわね」
た、大変ですね。
どうでしょう、先方さんに「あら、もう申込んどいたわよ! 私と あなた とに、10冊づつ! 先生素晴らしいわよね! いっぱい買って応援しなきゃ!」って、バリバリ返し。
えっ?10冊も、勿体ないって? イイじゃないですか買わなくたって ばれなきゃイイでしょう。まっ、一冊位買って内容を押さえた方がイイかもね。
バリバリ返しで、先方さんを経済苦境に陥れ、「ご免なさい」と言わせましょう。「10冊もイヤよ…」なんて言おうものなら、しめたもの!今まで、ありすサンが言われた 罵詈雑言 をナパーム弾のように、浴びせ返しててやりましょう!
129 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/6(木) 12:31:10
それにしても、申し込んであげるって・・・。
それこそいらぬお世話かも。
ま、親切心から出た言葉なんでしょうけどねぇ。
財務を1人10口?????って事は「10万」??
ほへぇ〜。このご時世にそんなお金持っている人いるんですねぇ。
うちなんて、到底無理。一万もだせぬ家計の有様。
そうえば、「潮」って何が書いてあんの?あの雑誌。
電車の中吊りでたまに見かけるんだけどね。
あまり、興味のない話題ばかりだし。
「潮」の年間購読ですか。
そのうち、一家に一冊じゃなくて「My 潮」にとか言われるんじゃないの?
はぁ・・・ほんとあの手この手・・・だわ。
130 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/12/6(木) 15:59:51
ポンタさぁんポンタさぁ〜ん。
ずっと前研ナオコ氏は脱会してるのではって私書いてしまったんですけど、
今日「潮」の広告に研氏のインタビューがぁ・・・。
真相はわからないけどっていうかファンじゃないんでどっちでもいいんだけど、
とりあえずご報告しまーすm(__)m
131 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/6(木) 20:56:06
ほい。なんでしょうかぁ〜。
って、マジですか。・・・脱会してないのかな?
ちょっと、今度友人にさりげなく聞いてみようかな。
ばりばりちゃんがおりますので。はい。
そういえば、スマップの草薙君も入会しているとか・・・
小耳に挟んだ情報よ。本当かどうかわからないんだけどね。
一時期、「いいとも」でまちゃみと一緒だったでしょう。
それで、折伏されて入会したとか聞いたんだけど。
数年前かな、その話聞いたのは。
132 名前:ありす 投稿日:2001/12/6(木) 23:37:31
やふーの掲示板とか、2チャンでは、「婦人部のおばちゃんが、脱会
したから、研ナオコ離婚したのよね。といった」というような、
投稿が、いくつかありましたよ。
24時間TVには家族で、出演していたのにね。
133 名前:インチキ学生部 投稿日:2001/12/7(金) 03:00:10
実家の母ちゃんにいくら財務してるのか聞いたら、毎年36万やってると言ってました
多すぎじゃねえのかって言ったら、お前が就職して仕送りしなくてもよくなったら
もっと財務ができるなんて言われちゃいました
「宇宙銀行」に幸福の貯金をしてるんだって・・・
134 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/7(金) 07:00:08
幸せの貯金かぁ〜。
いいなぁ〜、できたら。できることなら私もしたいわぁ。
やっぱり、幸せの方がいいもんねぇ〜。
135 名前:ぱるぱる 投稿日:2001/12/7(金) 08:59:31
>133
そ、そ、それは一般的に言う「地獄の沙汰も金しだい」と同じではと・・・(ーー;)
136 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/12/7(金) 13:46:29
宇宙銀行ギャバン
137 名前:たつ 投稿日:2001/12/7(金) 14:13:47
>宇宙銀行ギャバン
女子行員もコンバットスーツ着用かよっ!
138 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/7(金) 14:37:16
宇宙銀行・・・・ギャバン・・・。
というより、ギャバン自体めちゃくちゃ懐かしいものじゃん〜。
女子行員ももちろん、コンバットスーツ着用でしょう。
139 名前:慰安カーティス 投稿日:2001/12/7(金) 15:42:15
女子行員ももちろん0.5秒で蒸着です。
それでこそ世界制服ってえもんです。
140 名前:ありす 投稿日:2001/12/7(金) 15:51:08
あははは〜。スレッドの題名を見ないと、テーマがなんだ、瞬間
わかりませんでしたね。
ギャバンか・・・近所のお子様たちは、最近「アギト」とか言ってたな
あ!これは仮面ライダーだった(^^;)そして宇宙銀行とも、関係ないぞ!
141 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/8(土) 11:12:28
アギト・・・えぇ〜っと、クウガとか?
ここ最近は仮面ライダー系ががんばっているもんねぇ〜。
その前は、ティガとかウルトラマン系が結構見れたけどぉ。
宇宙銀行にはあと何を貯金できるんでしょうねぇ。
142 名前:学会員たけぞう 投稿日:2001/12/8(土) 17:27:43
ポンタさんへ
豆知識:郵便局へお金を預けることを「貯金」
銀行へお金を預けることを「預金」といいます。
143 名前:たつ 投稿日:2001/12/8(土) 17:58:24
実は、宇宙銀行ギャバンは、ノンバンクゆえ、貯金も預金も出来ないのだよ。
学会系宇宙銀行に関しては詳しくないのだが、少なくともドロドロアメ車教系の宇宙銀行ギャバンは、消費者への貸付を専門にするまっ言ってみれば サラ金 ですな。
銀行と言えば聞こえはいいが、その実態は…、おいおいご紹介する事にしよう!
本日は、その触りのみをお話しよう!
スクープ第一弾!!
サラ金業により得た莫大な利益は ドロドロアメ車教 の迷与教祖慰安カーティス氏の個人的道楽である クズ集め を支えつづけているのです!
144 名前:たつ 投稿日:2001/12/8(土) 18:32:17
あぁ、ついに私は、ドロドロアメ車教を裏切ってしまうのか!
積年の思いを晴らすべく、新スレッド「ドロドロアメ車教をみんなで考えよう」を立ち上げるべきか否か、眠れぬ日々が続いている…。
私はもう疲れた。最近、被害者の会も立ち上げられたそうだ…。被害者の方に存分に語ってもらいたい!ただ、それだけだ…。
おぉ、パトラッシュ、…ボク、なんだか眠くなってきたよ。
145 名前:ありす 投稿日:2001/12/9(日) 15:22:16
おお!たつさん、天使に連れられて、どこかへ行ってしまっては、
だめだよー。ZZZZZZ〜な〜んだ、爆睡したのかー。
でも、宇宙銀行とは、うまいコトイッテ、会員を夢の世界へ
もって行くな〜、と関心もしました。
でも自分で自由に引き出せないような気がするんですよね。
預けてるってことは、自分のものですよね。???いつ使うの
かな、というより、いつ使えるのかな?
146 名前:ポンタ 投稿日:2001/12/10(月) 11:14:14
・・・確かにそうだわ。預けるのは自由、金額も多ければ多いほど
周りに自慢できるけど、引き出しはできない一方通行の銀行か。
預けられたお金は、「某氏のファーストクラス代、絵画代、他国の美術館、図書館、
などに寄付、など使われておりますぅ〜。」ってかしら?
「建前上は「建物の維持費、電気代、水道代などに使っております」と言うことに
なっております。が本当のところは誰も知らないんですよねぇ〜。」という
返答が正当かと。
147 名前:Blind Idiot One 投稿日:2001/12/10(月) 13:09:47
経済的苦境に陥っている学会員さんに対して、
「財務ケチるともっと貧乏になる」
「財務頑張れば貧乏という宿命を転換できる」
とかいう思い込み・刷り込みは、ある意味"きょうき"ですね。
148 名前:たつ 投稿日:2001/12/10(月) 14:12:03
>「財務ケチるともっと貧乏になる」
>「財務頑張れば貧乏という宿命を転換できる」
この様な言葉は、先生自ら発言するのですか?会員さんの勝手な発言なのですか?
信者に語られるがまま、窘める事もなく…。
都合が悪くなれば、「それは信者の暴走」と切り捨てるの?
暴走行為を野放しにし、自らの手を汚さない…。
ヤクザの鉄砲玉は、組長の替わりに手を汚す。
まさかヤクザの組長さんと 同じ手口 なの?
先生は、ヤクザじゃないのだから、先生自らの責任有るお言葉ですよね?
でなければ、組織の最高責任者としての役割が果たされていないもんね。
思い込み・刷り込みが生じているならば、先生が軌道修正しないとね。
軌道修正してこそ、組織の最高責任者、名誉会長ですよね。
ところで最高責任者は、会長?それとも、名誉会長?
宗教法人登記簿の代表者名を 法務局 で調べれば判る事だね。
もし、会長だとしたならば…、組織に何か問題があっても会長が責を負うのかな?
名誉会長っていうのも、微妙なニュアンスだね。
いくら何でも、代表者は実権を持つ 池田大作名誉会長 でしょ、って?
そうだといいねぇ。
でないと、ホントに あんたっちゃぶる だよ。
はぁ、ホントに良く出来てるよ 創価学会"組織" は…。
世の中の仕組みに、とても長けた構成になってるよ。
参った、参った、あはははは、面白くもないのに笑っちゃうよ。
さぁ、みなさんもご一緒に笑いましょう♪あははははは…。
…。
149 名前:たつ 投稿日:2001/12/10(月) 15:06:51
いけねっ、爆睡中でした。随分、寝言を喋ってしまった。
Zzzzz…。
150 名前:Blind Idiot One 投稿日:2001/12/10(月) 15:25:40
私の記憶が確かならば、
池田大作氏は創価学会の名誉会長で、
創価学会インターナショナルの会長だったはず。
151 名前:たつ 投稿日:2001/12/10(月) 18:34:04
おっ、バイオさん
創価学会インターナショナルも 宗教法人なの?
使い分けに、意味はあるの?
疑ってかかれば、SGIっちゅうのは、結構クリーンに振る舞っているのかな?
強引な折伏や財務は無し、バリバリさんに活躍の場も無いとか…
152 名前:名無しさん 投稿日:2001/12/10(月) 22:15:05
>>148
「宗教が生きるか死ぬかは指導者の人間性で決まる。」学者。創価の大興隆。
と、寸鉄では述べております。
153 名前:たつ 投稿日:2001/12/14(金) 11:49:19
>152
寸鉄がアホな事を言ってる、ってか?
創価の大興隆 か、数が多いって事かな?(あと、大作氏褒められまくり?)
数・金 ボクは嫌いじゃない。でも、魂(宗教)に 数・金(政治) は関係ない。
大作氏・学会員サンは、何をしたいのかよく解らない。
…宗教なのか、政治なのか。
宗教・政治 の「ごちゃ混ぜ」が、社会との軋轢を生じさせる。
「ごちゃ混ぜ」を認識出来ない学会員がとても多い。
154 名前:名無しさん 投稿日:2001/12/16(日) 09:00:33
さーてボーナスも思いのほか沢山入ったし、月曜に銀行行って
50万ほど振り込むかな。早く100万振り込めるよう
に仕事頑張らないと。毎年5万ずつアップしてきたけど、
もっとペース上げないと達成できないかも。
自分の部員さんがボーナスカットで、今年の財務どうしたら
いいのか相談されたけど、惜しいと思って納金しても意味が
ないから現実に出来る数字で頑張れと答えといたから、その
分も俺が頑張らなきゃ。部員さんのボーナス下がったなんて
悲しいよな。今度寿司でもごちそうしてやろう。俺の祈りが
足りないんだよ。絶対来年は彼に沢山ボーナスが入って、
感謝の財務をできる境涯になってもらわないと。
オヤジが死んだ時もお香典で先生から5万頂いたし。
先生のそういう気遣い大好きなんだよね。葬式に一番必要なの
は現金だってよく知ってるんだよ。いつも使わせていただいて
いる会館の電気代だってバカにならないし、毎日俺たちのために
働いてくれている管理人さんの給料だって必要だしな。
会館あって助かっているよ。毎日自宅で会合とかされたら
たまらないもん。こんな高級住宅地に会館建てるのも大変だけど、
維持するのも大変だよな。
俺が去年折伏した大分の友達の近所にも会館あって良かったよ。
あんまり遠くまで行かないと会合に参加できないとかだと、
活動イヤになっちゃうかも知れないし。あいつ面倒くさがり
だからな。まだ不便な所あるから、もっともっと会館建てて
ゆかないと間に合わないよ。
折伏して5ヶ月後に初信の功徳で念願のニューヨーク転勤した
友達も、俺がすぐ行ってやれなくて心配だったけど、
向こうの組織もしっかりしてて、日本からも幹部がよく来るから
大丈夫とこの前元気そうなメール来たし。
そうそう今年は一級と任用の試験あったけど来年はあるのかな?
俺、よく頑張ったよな。一級だよ。もう誉めちゃうよ自分を。
それはそうと、今年任用受けられなかった若いのがウチの地区に
一人いるんだよね。でも会場としてあの短大借りるのとか大変
だろうなー。任用は受験者多いしでかい学校借りるしかないし。
受験料取るとなるとウチの若いの貧乏だからやっぱ無料じゃないとな。
まぁ甲斐性って事で、受かって欲しいと思う俺が払うしかないか。
そういや年明け一発目の大折セミ、プロのバンドが演奏するんだっけ。
俺も昔、バンドやってたけど結構お金かかるんだよね。
ミキサーとかスピーカーとか必要だし。ギャラとらないで演奏
してくれるんだからバンドに払えとか言えないしね。
先月会館の任務で会合後掃除してたら、掃除機壊れちゃった
んだよね。だいぶ古くから使ってるからなー。寿命だよね。
そういや一昨日の任務の時は、外の担当でさー。寒いんだよね。
また自分の偉さに感動する位寒いんだよね。ホカロン2つ支給
されたからまだ助かったけど。でも軍手も貸してくれるんだけど、
新しい軍手はありがたいね。古いと匂うんだよね。マイ軍手持参
で行こうといつも思うんだけど忘れちゃうし。
正月の任務はお弁当出るから楽しみ。元旦から任務だし、財務して
る人も、正月の弁当くらいは許してくれるよね。俺ならゆるしちゃう。
って食ってる方だっちゅうねん。
任務といえば無線機。あれ高いんだよな。あれで会話してると、
何か刑事ドラマみたいでカッコいい気分になるのよ、俺。
いい歳こいてバカみたいだけど、いや、ここだけの話。
俺、50万も納めてると思ってたけど、結構自分とか自分に
関係する所に使ってるかも。他に色々と災害があれば援助する
し、学校に本寄付するし、戦争と平和展とかってまだ
やってるのかな?見に連れて行ったら、感動していきなり
活動始めた幽霊部員が昔いたなー。こっちがビックリしちゃったよ。
155 名前:倒木 投稿日:2001/12/16(日) 13:47:28
すごいなぁ、思い込めばなんとでも解釈できるという事を
「方便」を使って説いているんだ。
俺も高い市民税だの所得税だの税金納めまくってるけど
日本に住めている訳だし、公道も使えるし、公共施設も利用できるし
何十万も収める価値はあるんだ〜。
日本の政治家達には感謝しなければね。お金出したお陰で公共施設を
使えるだけでも有り難いな〜〜官僚様、政治家様ばんじゃ〜い(゜∀゜)ノ
156 名前:倒木 投稿日:2001/12/16(日) 14:07:38
吉野屋風に154を比喩表現にしてみました(笑
そんな事よりまあ聞いてくれよ。スレと関係あるんだけどさ。
このあいだ、近所の税務署に行ったんです。税務署。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいいて座れないんです。
で、なんか見たらなんか誰かが騒いでるんです
「国に無駄な税金出してるんじゃねーぞ!透明な税金の流れを見せろ!」とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、御国様のやる事にガタガタ文句ぬかしてんじゃねーよ、ボケが。
お上だよ、お上様。 七公三民って知ってっか?
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で税金滞納か?おめでてーな。
「よーしパパ差し押さえまでねばっちゃうぞ〜」とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、俺がオマエラの分まで税金納めてやるからその席空けろと。
税務署ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
窓口の順番をめぐっていつ殺されてもおかしくない、
右隣のばあさんに刺されるか左隣の兄ちゃんに刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
能天気なアホどもは、すっこんでろ。
で、やっと窓口が空いたかと思ったら、隣の奴が「年末調整の返還金少ないんですけど」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、年末調整なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、年末調整、だ。
お前は本当に年末調整がしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めた い。
お前、「年末調整」といいたいだけちゃうんかと。
高額納税者の俺から言わせてもらえば今、納税者の間での最新流行はやっぱり、
納税倍額、これだね。
お上様の為に税金は倍支払います。これが通の納税。
納税倍額のは日本で暮らしている事を感謝してる証拠、そん代わり生活は苦しめ。これ。
で、幸せは4倍。これ最強。
しかしこれをやると来年からは更に倍額納めなければ気がすまなくなるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は情報公開請求でもしてなさいってこった。
と言いたいのだと思った。
157 名前:たつ 投稿日:2001/12/16(日) 16:07:27
>>154は、如何読んでも、アンチのネタにしか読めないのですが…。
あっ、この面白ネタレスの作者「名無しさん」の正体は、倒木サンだな!
お見通しだぞ〜〜〜〜〜〜っ! アンチのボクは笑えちゃうけど、バリバリさん怒るぞ〜。
>部員さんのボーナス下がったなんて悲しいよな。今度寿司でもごちそうしてやろう。俺の祈りが足りないんだよ。絶対来年は彼に沢山ボーナスが入って、感謝の財務をできる境涯になってもらわないと。
ボーナス減ったのは、「俺の祈り」がたりないから、だなんて! 倒木さん、って本当にユーモアたっぷり!!もう、最高〜〜っ!
オレ、三十路のおっさんだけど、題目あげたらお年玉もらえるかな?>倒木さん!
ぷぷぷっ、あ〜〜、可笑しい!
158 名前:coco 投稿日:2001/12/16(日) 16:19:23
154さん、倒木さん、たつさん みんな面白くて笑っちゃった〜
159 名前:倒木 投稿日:2001/12/16(日) 17:43:20
やだな〜みんなで面白がってたら154さん恥ずかしくなって
出てきてくれなくなっちゃいますよ(笑)
せっかく稀代のニューヒーローが現れたのに・・。
細く長く笑いを提供してもらいましょう。
160 名前:ありす 投稿日:2001/12/16(日) 18:40:39
>部員さんのボーナス下がったなんて悲しいよな。今度寿司でもごちそうしてやろう。
>俺の祈りが足りないんだよ。絶対来年は彼に沢山ボーナスが入って、
>感謝の財務をできる境涯になってもらわないと。
すばらしい方ですよね154さん。
ご主人のボーナス減ったら、奥さんの信心が足りないって言う
婦人部長もいるのに、「俺の祈りが足りないんだよ。」とは・・。
161 名前:Blind Idiot One 投稿日:2001/12/17(月) 17:44:17
日本が不況なのは俺の祈りが足りないから・・・
162 名前:たつ 投稿日:2001/12/17(月) 18:05:07
髪が薄いのも「俺の祈り」が足りないから?
163 名前:倒木 投稿日:2001/12/17(月) 18:51:13
エルニーニョ現象も俺の祈りが足りないから
164 名前:たつ 投稿日:2001/12/17(月) 19:03:31
オヤジの肺癌も「俺の祈り」が足りないから?
165 名前:たつ 投稿日:2001/12/17(月) 19:04:46
足が臭いのも「俺の祈り」が足りないから?
166 名前:ありす 投稿日:2001/12/17(月) 23:06:14
悪くないね〜。「俺の祈り」が足りないから?5連発!
お・み・ご・と・この謙虚さこそが仏法!?
167 名前:学会員たけぞう 投稿日:2001/12/18(火) 02:36:22
きりんさんの首が長いのも俺の祈りが足りないから?
168 名前:たつ 投稿日:2001/12/18(火) 11:54:20
>>167
Sure! Of coursef!
でも、ぞうさんの鼻が長いのは、たけサンの祈りのおかげだよ。
169 名前:たつ 投稿日:2001/12/18(火) 11:55:49
きゃー!綴り間違ってる!
まっ、いっか。
170 名前:ぽんた 投稿日:2001/12/19(水) 12:53:39
(苦笑)
171 名前:学会員たけぞう 投稿日:2001/12/22(土) 17:54:58
>>168
うむ。感謝しろよ。ぞうさん。
172 名前:アゲ男 投稿日:2001/12/30(日) 23:19:55
age 10
173 名前:アゲ男 投稿日:2001/12/30(日) 23:40:22
age 010
174 名前:正友ファン 投稿日:2002/1/13(日) 12:05:10
かつて学会は、その創始時に、
「創価学会の施設には賽銭箱を置かない」
「学会は一銭も金がかからない宗教だ」
「学会は金儲けが目的ではない」と公言していた。
そして池田も就任時にはこう言っていたのである。
「邪教などは、みんなうまい事を言って金を巻き上げ教祖のために、
教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるならば許せるけれども、全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ばかりつくり、
民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これが邪宗教の姿です。
創価学会としては、永久にみなさん方から、ただの一銭も寄付を願ったり 供養を願うようなことは致しません」
175 名前:倒木 投稿日:2002/1/13(日) 20:07:09
創価学会の永遠とは数年の事ですか?
176 名前:名無しさん 投稿日:2002/1/15(火) 06:51:19
ちなみに道路公団の数年は永遠の事です。
177 名前:まつかぜ 投稿日:2002/1/15(火) 15:08:48
僕も熱心に活動してた頃、会合の体験談、指導どおりに財務を頑張って
やり切り、翌月の米代がほんとに無くなった事があったけど体験談の
ように倍倍の功徳はなかったなあ・・・。
活動を止めてからの方が功徳を感じる充実感をいっぱい感じるなあ・・・。
学会に居た時の方が同じ内容を本の形態を変えた類似書籍の本代、複数の聖教新聞、特別財務、
財務・・と金がいっぱい必要だったから・・・。
その時はそれが当たり前だったけど・・・今考えれば・・・異常でした。
178 名前:学会員 投稿日:2002/2/11(月) 16:31:06
私は今16歳の学会員です。私自身財務1万しましたが別に頼まれた訳じゃ
ないです。自分でしようときめました。お金は何に使われてるかよく分か
らないケドそれをしらなくても別に私は安心してお金を出せます!必ず
そのお金は良いことに使われるって言い切れるから!たくさんの功徳を
うけてきたし!家族みんな幸せだから!
179 名前:倒木 投稿日:2002/2/11(月) 17:18:14
ネタでしょ?
>お金は良いことに使われるって言い切れるから!
へ〜、根拠も無い事を信じられるんだ
さすが根拠の無い創価無謬神話を信じられるだけはあるね。
幸せなのは結構だが、他者を蹂躙した上での幸せっつのはどうだろね。
税金でもそうだけどさ、何にどんな経緯で使われているのか
「透明性」であることが需要であって、その根拠や証拠が見えてこない
うちに「絶対良い事に使われている」とか言わないほうがいいよ。
良い事に使われていると【信じている】これが日本語として正しい。
で外部は良い事に使われていると【信じていない】。
ちなみに良い事ってのが「勲章をゲットする為」とか「名誉をゲットする為」
って定義だったら、外部も内部も意見一致だね。
創価学会にとって良い事は外部にとっては「悪い事」だったりするし(笑)
まーなんにしてもなりすましのネタはやめましょう。
180 名前:たつ 投稿日:2002/2/18(月) 15:52:44
>…よく分からないケド… …金は良いことに使われるって言い切れるから!…家族みんな幸せだから!
お シ・ア・ワ・セ に ♪
181 名前:かい 投稿日:2002/2/18(月) 16:18:18
>>178
んなヤツぁいない(笑)<タモリ風
つーか、未成年も財務出来たんでしたっけ?
なんかここもアフォが増えて荒れてきてしまいましたねぇ。
182 名前:名無しさん 投稿日:2002/2/18(月) 17:12:22
しかし、二世っつうのは、切ないねぇ…
上手に、自我に目覚めて欲しいよ。
16歳か…。
183 名前:ぽんた 投稿日:2002/2/18(月) 20:58:48
いいじゃないですか。それで幸せなんだし。
・・未成年も財務しますよ。
昔は千円からでしたけど・・・小学校の頃よくやってましたけど。
とはいえ、たぶん親の名前でしたとおもうけどね。
今から自我に目覚めたら立ち直れないかもね。
いいのかもよぉ。このままで。・・・彼にとっては幸せなんだし。
とはいえ、他人に自分の幸せの単位を押し付けないようにお願いしたいけど。
184 名前:名無しさん 投稿日:2002/2/19(火) 09:51:50
>・・・彼にとっては幸せなんだし。
えっ?「彼女」じゃない?
185 名前:ぽんた 投稿日:2002/2/19(火) 21:02:59
うがっ?彼女だったの?ごめん。
急ぎ読みしていたから・・・さぁ。
こういうところにおっちょこちょいというのが出ちゃうんだよねぇ。
186 名前:Stopper 投稿日:2002/4/6(土) 17:23:34
他教団との比較
・立正佼成会:100円〜/月
・天理教:500円/月(信者である友人が献金している額)
・生長の家:100円,400円,1千円,1万円/月など
・幸福の科学:?(あるはず)
学会の財務は最低1万円/年なので、月あたり約833円です。
学会の会館の利用頻度によっては、そんなに高くはない
でしょうが、役職がある人は1万円/年で済みますかねぇ?。
ちなみに、宗教情報リサーチセンター(http://www.rirc.or.jp/)
http://www.rirc.or.jp/data/f-sort50.html
のリンクからは
> d.入会の費用について
> 不要
> e.年会費について
> 不要
となってますが、大嘘では!?。
187 名前:Stopper 投稿日:2002/4/6(土) 17:26:39
ちょいと訂正。
d.、e.とは別に「財務」がある、とか記載して欲しいんだわな。
188 名前:coco 投稿日:2002/4/6(土) 18:30:53
>d.、e.とは別に「財務」がある、とか記載して欲しいんだわな。
まったく同感。
d.入会の費用について
入会に際して曼陀羅貸与金3000円。
注)曼陀羅を返却しても3000円は返却しない。
f. 財務について
1万円より/年
金額に比例して福運が積め功徳がもらえる。同時に宇宙銀行に預金したことになる。
注)ただし、宇宙銀行からの引き出し不可。
って入れろ〜〜
189 名前:Vagabond@そうか4世 投稿日:2002/4/6(土) 18:39:16
>>188
>d.入会の費用について
>入会に際して曼陀羅貸与金3000円。
>注)曼陀羅を返却しても3000円は返却しない。
私なら・・・もちっとエコに
入会に際して曼陀羅購入金3000円。
注)曼陀羅を処分する際、引き取り制度あり。
ってするなぁ・・・(;´Д`)
190 名前:どこかのななし 投稿日:2002/4/6(土) 18:40:54
宇宙銀行でも、ペイオフってあるんでそうか?(藁
191 名前:Vagabond@そうか4世 投稿日:2002/4/6(土) 18:43:22
>>190
再来世ぐらいに。
192 名前:ありす 投稿日:2002/4/6(土) 22:39:01
宇宙銀行がペイオフということは、福運・功徳もペイオフか・・・・?。
ふ〜む。
193 名前:coco 投稿日:2002/4/6(土) 23:10:48
宇宙銀行はハッタ〜〜ン星にあるのだ。
194 名前:左門 豊作 投稿日:2002/4/7(日) 12:45:26
> 宇宙銀行はある。『只、信心の厚薄によるべきなり』というのは宿命
>転換についてと同様です。只、人生のマニュアルは自分でつくるしか
>ないので暗中模索に思考錯誤は誰しも避けてとうれない。
>只、虚弱体質でまじめ一徹の父に嫁いだ母とが結果として2軒(家と
>兄貴の家[2階建て])を建てたのは信仰一筋に仕事の励んだ結果と
>しかいいようがないです。
195 名前:かい 投稿日:2002/4/7(日) 12:48:26
>>194
は?
がんばって働いた結果。以上!
それ以外なし!!
196 名前:(´▽`)はにわファン 投稿日:2002/4/7(日) 13:17:31
>>194
い、いかん笑いが止まらない…(笑)。
197 名前:ありす 投稿日:2002/4/7(日) 13:46:34
>>194
信心の厚薄とは、誰が判断するのでしょうね?
そして、何を基準に判断するのでしょう??
非活動宣言した年も、財務をしたら、「あなたに信仰が、あることは判ったわ」と
いわれましたが・・・。
それと、「あなたが、何事も無く生活できているのは、財務の功徳なのよ」とも・・・。
しかし、貯めていた結婚資金を財務しろと言われる人もいるのに、
家を二軒も建てるお金を、よく「財務に」と言われなかったですね。
なにがすごいって、それが一番すごいですよ。それが福運ですか?
それが、もしかして、信心の厚薄によるものかしら・・・・??
198 名前:モーリス 投稿日:2002/4/7(日) 21:21:11
宇宙銀行はどこの銀行協会・手形交換所に加盟しているのだろうか?
でもこの宇宙銀行って考え、ドラえもんのジャイアンの
「いつ返さないといった!永久に借りておくだけだぞ!」
と同じくらい無茶な思想が入ってるように思われ・・・
199 名前:ヤングミセス 投稿日:2002/4/8(月) 12:47:55
若い時に未活動だった幹部のお宅
今は御殿のよう、拠点にもなっている
若い時からバリバリの幹部のお宅
いまだボロ借家住まい
学会的に言うなら、幸福は地位とか名誉とか学歴、お金ではない。
しかし、お金がなければ、会館まで行くバス、電車代が出ない。
そこまでしてやる財務っていったい・・・ぬぬぬっ
200 名前:ぽんた 投稿日:2002/4/8(月) 15:19:47
学会活動をどれだけしたか?というよりは、きちっと生活し社会的に
しっかりした上でどれだけ学会活動をしたか?というほうが本当は
認められるべきだと思うんだけどねぇ〜。
なぜか学会ってところは「活動」が優先されちゃうんだよねぇ〜。
ちなみに婦人部でよく指導されるのは「毎月千円ずつでもいいから貯めて
12月の財務に一万円出しなさい」といわれるわな。
うちは結構ぎりぎりで生活をしているから、その千円も出るかでないか?という
きわどいところなんだけど、このあいだも言われたもんなぁ〜。
「財務している?」「してないなら、毎月千円財務のために貯金をすれば
一年で1万2千円でしょう。そうしたら、一万円を財務にだせるじゃない。
二千円は来年のためにまた貯金しておくのよ。いいわね。」だって。
マジでそんな千円あったらうちは一週間の食費になるからさぁ。
はぁ〜、悲しいかな。金欠。
とはいえ、毎日の生活は楽しいから良いんだけど。
金では買えない楽しい毎日だからさ。
201 名前:歩 投稿日:2002/4/11(木) 01:58:57
財務やお布施、これは社会に対するひとつの還元のようなものと考えています。
法律でもなんでもないので、払っても払わなくてもかまわないし、
たくさん払ったから偉いとか、払えないからダメだとか敗者だとか全くありません。
私の信念のようなもののひとつに
「心のこもった互助の精神が、自助を促す」というものがあります。
自助できたと思ったら、物納あるいは金銭で報いる、できる範囲で。
そのひとつの顕れが浄財であり財務、お布施じゃないかな。と思っています。
無理してでもたくさん出したいってものあるし、出したくても出せないも
あるでしょう。すべて「よい」のではないでしょうか。
結果としてある、というか、成功報酬あるいは契約金みたいなものですから。
それが、「払うと功徳がある」「福運がつく」だけでは単なる願掛け、加持祈祷のよう
感じます。
それをプレッシャーかけたりすると、これは押し売りみたいなもの。ヨーロッパで
暗黒の時代と呼ばれたころの「免罪符」と同じようなものではないでしょうか。
それを組織(全体・一部含む)で行う、あるいは体よく行っているとなると
犯罪にはならないかもしれませんが、一種の暴力であるよう感じます。
※では今日はこの辺までで。
なかなか面白かったではないですか?
**********************************************************
2005年2月11日 17:03
またまた問題露呈!学会の巨大墓苑
「悪質地上げ」!? 九州で強引な墓苑開発
収入は莫大!! 今後も続く建設用地物色
創価学会が全国各地に建設している巨大墓地公園――。その建設にあたっては、かねてから様々な�事件�が起きているが、現在建設が進められている「九州メモリアルパーク」に関しても、御多分(ごたぶん)に洩(も)れず、様々なトラブルが生じているようだ。
しかし創価学会は、いかなるトラブルを引き起こそうとも、巨大墓地公園の建設を、けっしてやめようとはしない。それはそうだろう、創価学会にとって、こんなに�オイシイ事業�は、後にも先にもないからだ。
創価学会が巨大墓地公園建設に血道を上げる、その真の理由に迫る。
地元住民の連帯など平気で破壊
週刊誌が報じた悪質地上げの実態
創価学会が、大分県日田郡天瀬町に建設しようとしている、仮称「九州メモリアルパーク」――。約三十万坪の用地に、四万二千基の墓石を並べる予定の、この巨大墓地公園が、地元・大分で物議を醸(かも)している。
本紙にも、「先月二十七日、大分県日田市内において、右翼が街宣活動を行なっていたが、その内容は、『九州メモリアルパーク』について批判したもののようだった」といった情報が寄せられていたところ、六月六日に発売された『週刊新潮』(六月十三日号)が、「住民を激怒させた『創価学会』三十万坪墓苑の悪質地上げ」と題する記事を掲載。巨大墓地公園用地取得に絡(から)む、悪らつな手口の一端を暴露(ばくろ)した。
その記事によれば、創価学会が問題の土地を取得する際、墓苑の大部分を占める入会地(いりあいち――「入会」というのは、一定地域の住民が特定の権利をもって一定の範囲の森林・原野または漁場に入り、共同用益すること)に入会権を持つ人々を、力ずくで次々とねじ伏せ、ついに土地を�わがもの�にしてしまった、というのである。
『週刊新潮』の取材に対し、問題の土地の入会権を持っていて、買収工作に最後まで抵抗したO氏(旅館経営者)は、次のように語っている。
「この天瀬町というところは、農業の他には何もないところです。もともと地元では、入会地をゴルフ場用地として貸す計画が進んでいたのですが、それが頓挫(とんざ)すると、墓苑用地を探していた創価学会が目をつけたのです。平成五年のことでした」
「私は地元観光協会の会長を務めていたのですが、首をたてに振らないでいると、その職も解任され、�一億もらったのにまだ足りなくてゴネているんだ�というデマを飛ばされたこともあります」
「それでも私たち(約七十名いた地権者のうちの七名)は裁判で�入会権者全員の承諾がなければ土地は売れない�という勝訴判決を取ったんです。これで創価学会は諦(あきら)めるだろうと思っていたのですが……」
「賛成派から農作業を手伝ってもらえないなど、私たちは�村八分�の状態が何年も続いていたのです。私もこの土地で生きてゆかなくてはならない。仲間の寝返り(七人のうちの四人までが籠絡〈ろうらく〉されてしまったこと)を知って、私も仕方なく昨年暮れ、売却の印をつきました。もう精神的に限界だったのです。」
暴力団による刃傷沙汰まで!!
悪質な開発を続けてきた学会
さまざまな権謀術数(けんぼうじゅっすう)を用い、「入会権」を触媒(しょくばい)にしての、地元住民同士の連帯さえズタズタに引き裂いてしまった創価学会――。
もっとも、創価学会が全国各地に作ってきた巨大墓地公園開発には、「決まって」といっていいほど、薄汚ない話がまとわりついている。
例えば、かつて本紙が取り上げた、広島県・大朝町でも、当初は反対していた地元の有力者たちが、突如、態度を一変。推進派に転じて住民の説得に歩き、同意書を取り付けて回った。
そこにはそうとうの金が動いたという話もあるが、さまざまな人間関係のしがらみの中、住民たちは最終的に同意せざるをえなくなったようだ。
この墓地公園建設の過程で、創価学会は大朝町に対し、周辺道路を整備するなどして、三億八千万円相当もの�物納�を行なった上に、四億円もの現金まで、「寄付」という名目で町に贈った。
当然のことながら、この法外な「寄付」は様々な物議を醸し、一般紙もこぞってこの問題を報道。というのも、合計七億八千万円という金額は、税収二億九千万円(平成八年度見込み)の大朝町にとって、その約二・七倍にもあたる巨額の「寄付」だったからだ。
これに対して創価学会は、「寄付は、大きな事業を好意的に受け入れてもらったことへの感謝と、今後も町民と友好的に付き合いたいという気持ちを形にした」とのコメントを発表したが、町の税収のじつに二・七倍という、法外な「寄付」を行なった創価学会の行為は、誰の目にも、�横っ面(つら)を札束で張る�に等しい愚劣な行為に映(うつ)った。
また、創価学会元顧問弁護士の山崎正友氏は、その著書『懺悔(ざんげ)の告発』の中で、静岡県・富士宮市にある「富士桜自然墓地公園」開発の裏事情を、次のように述懐している。
「(池田大作は)大石寺封じ込めと地元対策、そして創価学会自身の金儲けのために、富士山麓に墓苑造成を計画し、創価学会の忠犬となった自民党市議の会社が中心となって、二百数十億円にのぼる工事を請け負うこととなった。
しかし、市長や自民党市議の勢力と反対勢力との政争などから、種々トラブルが起き、最後は傷害事件まで生じたが、双方の陣営に対するワイロと、地元暴力団の積極的な協力によって、何とか完成にこぎつけた。
最後まで妨害した人物に対しては、暴力団がブルドーザーで家に突っ込み、日本刀で片腕を切り落とす、という荒療治で鎮圧(ちんあつ)した。
何しろ国立公園のど真ん中で、有名な大沢くずれのそばの土地であり、保安林、水源かん養林、開拓農地、防災地区、砂防地区その他複雑な規制がからみ合っていて、建設省、環境庁、知事や市長、そして自然保護団体等々の協力がなければ絶対に開発ができる場所ではなかった。
それでもなお、一、二、法律違反にほおっかむりしてもらったまま、開発許可にこぎつけた。」
格段に高い墓苑事業の収益性
次は新潟!? 土地貪り続ける学会
なぜ創価学会は、ここまでしても巨大墓地公園を建設したがるのか――。それは、墓苑事業の高収益性を知れば、自(おの)ずと答えが導き出せる。
「中国メモリアルパーク」を例にとろう。
三万五千基の墓石を擁(よう)する、この巨大墓地公園の総工費は、約百六十五億円。
一方、利用者が支払う一基あたりの「納付金」は九十八万円(内訳は、墓地永代使用料が八十二万円、墓石およびカロートの永代使用料が十六万円)で、三万五千基分を合計すると、その総額は、何と三百四十三億円!! 差し引き百七十八億円もの大金が、創価学会の懐(ふところ)に転がり込んでいるのである。
しかも、課税の対象になるのはそのうちのごく一部、墓石などに対する、仕入れ価格と販売価格の差額に対してのみなのだから、こんなにオイシイ話は、数ある宗教法人の中でもダントツの�稼ぎ頭�である創価学会にとっても、そうそうあるものではない。
さらに、巨大墓地公園には、学会員から合法的に搾取するのに好都合な�仕掛け�も用意されている。というのは、これも「中国メモリアルパーク」を例にとると、その使用規則に、次のような一文を挿入しているのだ。
「(納付金の不返還)
第十二条 既納の納付金は、墓所の返還または使用許可の取り消し等の場合でも返還いたしません。」
つまり、�いったん払い込んだ金は、何があろうと返さない。もし他の墓苑に移したいと思ったら、そちらはそちらで新しく買え�というのである。
ということは、�より近場に学会の墓苑ができた。墓参りするにも便利だから、墓をそちらに移したい�と思っても、すでに納めた墓地永代使用料などの納付金はびた一文返還されない。また新たに墓地を買いなおすしかないのだ。
実際、すでに遠隔地の墓地公園に墓地を所有していたが、近くに新たな墓地公園ができたので、そちらの墓地も求めた、という学会員もいる。
だが、前述のような規則がある以上、もしその学会員から納付金の返還を求められたとしても、要求に応じる必要は、さらさらないのである。
こうしたことからすれば、創価学会が巨大墓地公園の建設に躍起(やっき)となるのは当然のことで、前記「九州メモリアルパーク」が完成すれば、は全国に十一ヶ所となる。それでも創価学会は、いまだ飽(あ)きたらずに、全国各地で候補地の物色を繰り返しているのである。
現に本紙には、�新潟県では、まず柏崎方面を物色したが、これが地元住民の猛烈な反対運動に遭(あ)って頓挫(とんざ)。次に、隣接する小国町に場所を変えて建設を試みたが、この計画もやはり挫折。それでも学会は諦めずに、ゴルフ場の建設予定地だったところに狙(ねら)いを付けて、今も新潟県内で巨大墓地公園用地の物色を続けている�との確実な情報も寄せられているのだ。
山紫水明の地に狙いを付け、その自然を破壊し、巨大墓地公園を建設しては暴利を貪(むさぼ)る――。�悪徳商法�で肥(こ)え太る創価学会を、このまま野放しにしてはいけない。創価学会の動きを常に注意深く監視し、警鐘を鳴らし続けていかねばならないのである。
五月十六日、平成十四年度の高額納税者が、全国で一斉に公表された。そのうち四谷税務所管内で長者番付の第四位に入ったのは、誰あろう「池田大作」であった。
池田の納税額は一億二千七百七十四万五千円で、そこから推計した所得額は、約三億五千万円にもなる。
とはいえ、この収入は、給与所得や原稿料、印税といった、いわば�隠しようのない�収入のみ。�現物支給�や�贈り物�のような形があったとしても、それが表に出てくることはまずない。
実際、平成三年には、池田が実質的な自宅として使用している創価学会第二別館、通称白雲寮に関して、池田は突如、四年四ヶ月分の家賃として、二千六百万円を創価学会に支払っている。
この事実が発覚した当時、�家賃相当分を、給与の現物支給、ないしは創価学会からの利益供与と見なされるのを怖れたのだ�との指摘がマスコミを賑(にぎ)わせた。
また、池田家の食卓を飾った高級食材は、聖教新聞社の経費で賄(まかな)われていた、と報じられたこともある。
ことほど左様に、池田の収入には、すっきりしない�影�のようなものが常につきまとっている、といっても過言ではなかろう。
そうした不透明さもさることながら、よくよく心して考えねばならぬ問題は、池田の収入は、そのほとんど全てが、創価学会なかんずく学会員から�搾(しぼ)り取った�ものである、ということだ。
すなわち、給与所得はもちろんのこと、原稿料も、印税も、その大元の出所は、創価学会員の懐(ふところ)からなのである。
世の中は深刻な不況の状態。人々は皆、リストラの影に怯(おび)えつつ、伸び悩む所得を必死にやりくりする――、そういう苦しみの中にいる学会員から搾り取った金で、一人ぬくぬくしている池田大作――。
そのような御仁が、呻吟(しんぎん)する学会員に向かって得々と指導を垂(た)れる、というのはいかがなものか。学会員は誰一人として、そのことに矛盾(むじゅん)を感じないのか?
なお、また、池田個人もさることながら、宗教法人創価学会も、学会員を相手の�商売�で着々と利益を上げている。
先ごろ発売された、ダイヤモンド社発行の『法人申告所得ランキング二〇〇三年ベスト七一九九九社』によれば、創価学会の平成十四年度の申告所得は百四十三億二千百万円で、七万一千九百九十九法人中、堂々二百七位にランキングされるほどに�荒稼(あらかせ)ぎ�しているのである。
ちなみに、同じ宗教法人で、創価学会に次いで申告所得が多かった明治神宮のそれが十五億八千万円と、創価学会の約九分の一でしかないことからしても、創価学会がいかに、会員相手の商売で�法外�な利益を上げているかがよく判(わか)ろうというものだ。
しかも気をつけねばならないのは、これらの数字は、あくまでも創価学会が、新聞や書籍の発行、巨大墓苑の墓地販売などの収益事業によって稼いだ金であって、毎年二千五百億円以上集めている、といわれる「財務」等の「寄付金」は、この中には一切含まれていない、ということである。
そうした寄付金も合算した総所得で見るならば、前出のランキングで六位に入った全国共済農業(連)の申告所得が二千五百七十八億四千二百万円だから、日本の全ての法人の中で、創価学会が毎年ベストテン入りするのは確実である。
池田大作も、創価学会も、学会員から巻き上げた金で肥(こ)え太っていく一方で、やせ細る思いの一般会員は、池田の魔の指導に誑(たぶら)かされ、堕地獄への道をまっしぐらに突き進む――、それが、大謗法団体に籍を置くが故の果報とはいえ、何とも悲惨きわまる光景ではないか。
「いふといはざるとの重罪免(まぬが)れ難(がた)し。云(い)ひて罪のまぬがるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり」 (御書九〇六頁) 「仏法の中には仏いましめて云はく、法華経のかたきを見て世をはゞかり恐れて申さずば釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕(お)つべし。譬(たと)へば父母を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず、王をあやまち奉(たてまつ)らんとする人のあらむを、臣下の身として知りながら代をおそれて申さゞらんがごとしなんど禁められて候」(御書一二六二頁)等の御金言は空しからず。その光景を見ながら破折もせず放置すれば、無慈悲との謗(そし)りは免れられず、同時に、謗法与同の罪を被(こうむ)るのは必定である。 されば今こそ、学会員の迷妄を払い、堕地獄の道から救うため、慈悲の折伏を行じていこうではないか。 世田谷の大石寺東京出張所――。創価学会は、その購入に際して不明朗な取引が行なわれていた、として、『創価新報』等に「大問題だ」と書き立てた。 その「問題だ」とする内容を整理してみると、平成五年十一月に提出された国土法審査の届け出書によると、前所有者は大石寺とではなく、開発会社と契約を結んだことになっているが、実際には大石寺が買ったのだから、これは「代理購入」、いわゆる�覆面買い�である。しかも、実際の買い主が大石寺であるかぎり、国土法の届け出は大石寺名義でしなければならず、それをしなかったのは国土法違反の疑い(無届け契約や虚偽の届け出)が濃厚、その場合には「六月以下の懲役または百万円以下の罰金」を科せられる――ということのようだ。 そこで、読者諸兄と共に、「国土法」という法律の中身、また、その目的とするところを見てみよう。 まず『六法全書』を紐(ひも)といてみた。 「国土法」。正式名称は「国土利用計画法」といい、 「総合的かつ計画的な国土の利用を図ること」を目的としている。その基本理念は、 「国土が、現在及び将来における国民のための限られた資源であるとともに、生活及び生産を通ずる、諸活動の共通の基盤であることにかんがみ、公共の福祉を優先させ、自然環境の保全を図りつつ、地域の自然的、社会的、経済的及び文化的条件に配意して、健康で文化的な生活環境の確保と、国土の均衡ある発展を図ること」である。 その「国土法」の中に、地価の高騰を避けるため、投機目的での土地取引を防止し、規制区域の土地取引について所定の項目を届け出るよう、定めた条目がある。 創価学会は世田谷の出張所の件を指して、大石寺はこの届け出義務に違反した、と騒いでいるのだが、本紙前号で詳しく述べたように、大石寺が土地建物を取得したのは東京出張所開設のためであって、投機目的などではないし、ましてや「健康で文化的な生活環境の確保と、国土の均衡ある発展」を妨げる計画などでは、まったくない。 つまり、法律の主旨に抵触するような事柄ではないのである(もっとも、大石寺出張所開設法要に伴い、高所作業車でその法要を監視していた輩やその御同輩が、出張所周辺を徘徊したり、ゴミ袋を漁って、「健康で文化的な生活環境」を脅かす可能性は否定できないが)。 それを�覆面買い�などというおどろおどろしい表現で、大石寺があたかも凶悪な犯罪者であるかに言い募(つの)るのは、ためにする誹謗中傷でしかない。 それどころか、この法律の主旨に照らし合わせれば、創価学会こそが、実態を隠した�墓苑開発�を繰り返し、「国土法」の精神をないがしろにしているではないか。 創価学会は、すでに北海道・宮城・群馬・静岡・三重・兵庫と、全国に六ヶ所の巨大墓苑を所有、そこには合計で約三十万基もの墓石が立ち並んでいる。しかも、これで終わり、というわけではなく、現在は広島県・大朝町で建設が進んでおり、さらには岩手県や石川県、九州などでも、巨大墓苑の造成計画が進行している。 これらの墓苑が建設・計画される場所といえば、その全てが、豊かな自然に囲まれた、自然公園に指定されてもおかしくない(あるいは実際に自然公園内にある)ような、風光明媚(めいび)な場所である。 例えば、地元住民の反対運動で計画を断念せざるを得なかった広島・のうが高原の場合、そのパンフレットのキャッチコピーは、「瀬戸の海原と島々を一望する雄大な自然の里」だった――。 こうした、まさに「公共の福祉を優先させ、自然環境の保全を図りつつ、地域の自然的、社会的、経済的及び文化的条件に配意して、健康で文化的な生活環境の確保と国土の均衡ある発展を図る」べき地域を、創価学会という一宗教団体が、国土法の理念をまるで無視するように、巨大墓苑という恒久施設を私(わたくし)し、自然環境を破壊しつつ、地域の自然的、社会的、経済的及び文化的条件を無視して、独善的開発をムリヤリ推(お)し進めつつあるのだ。 ここに一冊の計画概要書がある。事業名称は「(仮称)岩手メモリアルパーク」。 開発規模は二十五万平方メートル、そのうちの七万二千平方メートルが、一万二千基の墓碑が立ち並ぶ、芝生を敷き詰めた墓域となる予定で、事業主体はもちろん創価学会。設計・施工は大手ゼネコンの三井建設が担当する。 甲子園球場の六倍以上の広さの土地を創価学会が占有し、そこの豊かな自然を、無機質なイメージの墓石が立ち並ぶ、まさに�墓場�に変えてしまおう、という計画である。 これだけの規模の開発には、当然、規制解除等を含めた、さまざまな法的手続きが必要になる。いくら強大な政治力を持っている創価学会とはいえ、それらの手続きを省くわけにはいかないのである。 しかして、規制解除を求める上で、絶対に必要となるのが地元住民の同意である。 そこで、地元住民に見せるためにつくった建設計画概要書では、メリットだけを羅列(られつ)し、何とか住民の気を引こうと必死になっている様子がありあり。 ところが、それが矛盾だらけのおかしな代ろ物なのである。()内の※の文は編集室で付加。 ○公園広場施設等を一般に開放することにより、様々な施設を地元で利用できます。(※監視の目が光る、頑丈なゲートの向こう側の施設、それも、豊富な自然を破壊した後に造られたアスレチック遊具など、学会員以外の誰が使うというのか。) ○来園者は、家族連れが主体となるため、周辺観光施設等の利用による周辺関連産業へ寄与します。(※施設内にアスレチック遊具等が備えられている、ということは、周囲の観光どころか、墓苑に来ること自体に行楽の意味を持たせようとしている証拠。) ○地元の交通機関(バス、タクシー)が活性化されます。(※概要書には、利用想定人員を、お彼岸・お盆のピーク時で二千二百五十人、休日二百二十五人、平日で七十五人とし、その七十五パーセントはマイカー利用、と明記してある。つまり、ピーク時〈年にたった三日!〉でさえ、これらの交通手段に頼るのは五百六十二人、平日ではわずか十八人。これで�活性化�が図られる、と言い切る厚かましさ。) ○来園者が、地元物産品を購入することにより、農協・観光協会等の販売が促進されます。(※前記の利用想定人員に加え、墓苑内にレストラン・売店等が設けられていることから考えても、地元の売り上げ大幅増を期待しろ、という方が無理というもの。) 一通り読んだだけでも、地域の自然的・社会的・経済的及び文化的条件への配慮も見られず、地域の発展にも何ら寄与しないことが明らかである。こんな手前勝手な計画概要書に納得する住民は、ほとんど皆無であろう。 その計画をゴリ押ししようとすれば、地元住民との軋轢(あつれき)が生じるのは当たり前で、当然のごとく、計画に反対する猛烈な住民運動が起こってくる。 それを押さえ込み、何とか地元住民の同意を取り付けるために、今までの墓苑開発では、なりふり構わぬさまざまな方策がとられてきた。 中部池田記念墓苑のある三重県・白山町の場合、町に三億円、地元地区に六千万円、その他周辺地区や関係団体をあわせると、都合六億円ほどがバラまかれた、といわれているし、その他、兵庫県・氷川町では、強硬な反対派住民を「一億円出すから」と懐柔(かいじゅう)しようとし、群馬県・渋川市では、地元民に総額八千万円の援助を申し入れている。 現在、計画を進めつつある能登でも、町の下水道整備事業に対する個別世帯負担分(一軒当たり二十三万円)を、墓苑建設に賛成することを条件に、地元地区全世帯分の肩代わりを申し入れたというし、金にあかした懐柔策の話は、枚挙に暇(いとま)がない。 また、静岡・富士桜墓苑の開発当時には、地元暴力団員が反対派住民の家にブルドーザーで突っ込み、刀で切りつけ負傷させる、といった�特異�な事件も起きている。 こうした「法律上・手続き上の不備さえなければ、何をしてもいい」と言わんばかりの創価学会の行動を見るとき、彼らに「国土法」云々を語る資格などないことは明らかである。 しかも、これらの墓苑開発に際し、ほぼ共通して聞かれるのが、最初はゴルフ場ができると聞いていたのが、いつのまにか学会の墓苑になっていた、といった地元の声である。 頓挫(とんざ)したゴルフ場計画を、創価学会が引き継ぐ形で墓苑事業に切り替えた、というのかもしれないが、地元住民とすれば、雇用の面も考慮して、「ゴルフ場なら」と手放した土地が、何の利益もない学会墓苑にスリ変わってしまっては泣くに泣けない、といったところか。 ともあれ、バブル崩壊の後遺症で、ゴルフ場計画は全国的に頓挫しつつある。そんな中、覆面をかぶった創価学会が狙っているのは、あなたの近くの豊かな自然、裏山のゴルフ場予定地かもしれない。ご用心、ご用心。 池田創価学会は、東京・世田谷に大石寺が購入・設置した大石寺東京出張所をさして、「日顕(上人)の八億円豪邸」などと大騒ぎを続けてきた。 しかし、会員が血涙を振り絞って拠出した金銭を使い、とてつもない贅沢(ぜいたく)をしてきたのは、ほかならぬ創価学会の最高権力者・池田大作その人だったのである。 それを誰の目にもハッキリと証明したのが、本紙三月一日号でも報じた、東京・信濃町にある二十七億円の池田豪邸(創価学会名儀)であった。 そして今度は、何と、少なく見積もって土地代だけでも五十七億円という、池田個人のための超豪華別邸が、創価学会の資金によって建設されていたことがわかった。 本紙独自の調査で判明した、この呆れ果てた事実を、まずはご覧いただきたい。 多くの学会員が、血を振り絞るような思いで拠出した、財務――、それは、いったい、どのように使われているのであろうか。その呆れ果てた使途(しと)の一端が、このたび露呈した! 本紙は三月一日号で、二十七億円もの大金を投じ、「宗教法人創価学会」の名儀で購入された東京・信濃町の超豪邸が、なんと池田大作の個人邸宅として使われていることを報じたが、さらに今回、伊豆の高級別荘地(伊東市富戸)に五万四千七百四十六�(一万六千五百六十坪)もの広大な敷地を擁(よう)する、池田専用の温泉付き超豪華別荘があることを、独自の調査でキャッチした。 登記上では、「礼拝所・研修所・集会所」とされているにも拘(かか)わらず、創価学会内ではその存在は公にされず、地元学会員の間では、当然のことのように「池田先生の別荘」と称されてきたこの土地・建物――、土地代だけで、少なく見積もって何と五十七億円!(ただし、坪あたり三十四〜五万円という、現況の土地価格で計算した場合。バブル期には坪八十万円までいったというから、昭和六十年頃から昨年にかけて、どんどん拡張入手し続けてきた同不動産の実際の購入金額は、五十七億円をはるかに超えていたことは確実である。) しかも、欝蒼(うっそう)たる林の中に建つ、いくつかの豪奢(ごうしゃ)な建物の建築費まで含めると、いったい、学会はここに、どれだけの巨額の資金を投入してきたのであろうか。地元の業者間には、「全部で百億円をかけたそうだ」という、じつに信憑性の高そうな話も流れている。 これまでマスコミ等で明らかにされてきた、実質�池田の別荘�と目されている施設といえば、長野(軽井沢)研修道場・熱海研修道場・箱根研修道場・榛名(群馬)研修道場・別海(北海道)研修道場というように、名だたる保養地に存在し、しかも池田専用の豪華施設を完備しつつも、表向きは学会の集会施設という体裁(ていさい)をとるものであった(もっとも、会員の集会用に使うのは、ほとんどが年に一、二度程度のものだが)。 しかし、「東海センター」という表札を掲げた件(くだん)の伊豆の別荘は、登記こそ「礼拝所・研修所・集会所」とされているものの、前述のごとく、会内にもその存在は公表されておらず、もちろん、昭和六十二年二月に建築されて以来、いまだかつて、ただの一度も学会の集会など開かれたことがない。 それもそうだろう、ここから車で五分程も行けば「伊東平和会館」があり、また十五分程の川奈には「伊東会館」という立派な礼拝・集会施設がある。池田が来た時の会合すらも、「伊東平和会館」で行なわれており、このうえ集会施設など、全く必要がないのである。 したがって、ここは、誰の目にも純然たる、池田の別荘ーー。地元幹部でも、その建物の中に入れるのは、池田滞在の折に呼び付けられた青年部長や圏長等の、せいぜい五、六名程度。本部長クラスや牙城会のメンバーですら入れない。信濃町の池田邸と同じ扱いなのである。 Hという管理人一家には、池田別邸を取り巻く道路を挟(はさ)んだ外側敷地に平家建て一軒家があてがわれている。そして、年に一度か二度、「伊東平和会館」を訪れた際に立ち寄る池田のために(おしのびで来ることもあるというが)、ひっそりと池田別邸を管理し続けているのである。 伊豆高原駅から車で五、六分、風光明媚な丘陵地帯のこの別荘地には、大企業の高級保養所も点在。開発したI社の分譲用パンフレットに「迎賓(げいひん)館を建てるにふさわしい、成熟の高級別荘地」「紺碧(こんぺき)の相模灘(なだ)を望み、ふり向けば天城連山を仰ぎ見る景観リゾート」等と謳(うた)われているほどの、絶勝の地なのである。もちろん、温泉を引き込めることもセールスポイントの一つだ。 「伊豆は大好きだ」と公言する池田のために、この絶勝地に創価学会が土地を購入しはじめたのは、昭和五十九年頃から。そして、昭和六十二年二月には、「礼拝所」と称される建物が二棟(二百十八坪の鉄筋コンクリート二平家建てと、一階八十三坪・二階三十二坪の木造二階建て)と、「研修所」と称される木造平家建て(三十二坪)が建設された。 平成元年六月には、木造二階建て「礼拝所」の二階部分に増築が施され、さらに、何に使うのか、わずか十九坪の木造平家建て「集会所」が新築されたのである。少なくとも、登記上では、そういうことになっている。 そして、平成元年から昨年にかけて、周囲の分譲地(一部個人所有地も含む)をどんどん買い占め、ついに一万六千五百六十坪という広大な土地を創価学会の所有地にしてしまった。土地の広さからいえば、まるで巨大墓苑である。 池田以外の学会員は誰一人として使用できない、この広大な土地と豪奢な建物――、この購入資金は、もちろん、学会がこれまで会員から搾取(さくしゅ)してきたものである。 創価学会の主な活動の一つに、「財務」がある。 戸別訪問で財務の推進をする幹部達は、「○○さんは、百万円出すと言っている。あなたも、今年は三ケタ(百万円台)に挑戦しましょう」などと、盛んに競争心を煽り立てた上で、強圧的に一人ひとりの目標額を設定させる。 �無理をすればするほど、功徳が大きい�と信じ込まされた活動会員は、毎年毎年、有り金全部を吐き出す勢いで、この財務に臨むのである。 この無謀な財務のために、どれだけ多くの学会員家庭が経済苦に喘(あえ)いできたことであろう。中には、サラ金に手を染めて、ついに家庭崩壊(夜逃げ等)に繋(つな)がったケースも、多数あるのである。 学会員は、池田にこんな贅沢(ぜいたく)をさせるために、血涙を絞って金銭を拠出してきたのか。いったい、これのどこが「広布のため」だというのか。 「五十七億円の別荘」に驚いた元学会員達は、いちように「こんなことのために、自分達は毎年、財務に苦労してきたのか!本当に許せない」と憤りの声をあげている。 なお、同不動産は、現在、創価学会の宗教施設として登記されているため、ここには宗教法人としての優遇税制が適用され、固定資産税等が免除されている。 しかし、実質的には宗教施設ではないのだから、当然、土地・建物自体が課税の対象にされるべきであるし、さらには、池田に対する学会からの利益供与ということにもなろうから、その賃貸分に該当する金額を池田の所得として申告すべきである。それをしないのは、誰の目にも脱税の疑い濃厚ではないか。 池田大作よ、宗教を利用しての私腹肥やしは止めよ。また学会員諸氏よ、そろそろ、悪どい騙しに掛けられていたことに気付くべきである。 ダイヤモンド社が発行している経済誌『週刊ダイヤモンド』六月一日号に、平成七年分の全国の法人の申告所得をもとにした「法人申告所得ランキング上位五百社」が公表されている。 このランキングは例年この時期に発表されるが、景気の長期低迷を反映してか、平成七年の申告所得が四千万円を超えた法人は、全国で約八万二千社と、その数は前年比六・三%のマイナスとなっている。 こうした、減収の法人も目立つ厳しい状況下で、宗教法人創価学会は、今年もベスト五〇〇に名を連ねている。 といっても、ここには、毎年二千億円とも二千五百億円ともいわれる巨額の寄付金収入(いわゆる「財務」)は含まれておらず、『聖教新聞』や、各種書籍の販売などの営利事業だけで、申告所得ベスト五〇〇に入っているのである。 その申告所得の額は、百二十二億九千九百万円。宗教法人としては、二位の明治神宮に百十二億円以上の差を付け、ダントツのトップ。一般法人も含めた総合ランキングでも二八〇位につけている。 ところで、宗教法人には税法上、さまざまな特権が与えられている。 たとえば、宗教法人が行なう収益事業の所得のうち、三〇%までは非営利部門への寄付金とすることが許され、しかも、その分は損金として計上してよいことになっていることなども、そのひとつである。 ゆえに、一般企業と公平な条件で所得の比較をするためには、寄付金として繰り入れられたであろう、三〇%の分を加算する必要がある。そのことを考慮に入れ、創価学会の所得を見直してみると、その額は、なんと百七十五億七千万円ということになる。 総合ランキングでも、一挙に一八八位にまで跳ね上がり、例えば、ルノアール事件や巨大墓苑の造成などで関係の深い、三菱地所(百七十四億七千万円・百八十九位)よりも上位となるのである。 さて、その創価学会本体が行なっている主な営利事業といえば、まず『聖教新聞』の発行と、関連図書の出版事業。 そこで、出版業界について総合ランキングを見てみると、トップの集英社でも百七十二億八千万円で一九四位。三大紙はというと、朝日新聞は百三億八百万円で三四〇位、読売新聞は百二億二千四百万円で三四二位、毎日新聞社は五千二百万円で六五〇九五位に位置する、といった状況。これらと比較してみた時、創価学会が稼ぎ出した所得の莫大さに、あらためて驚かされるではないか。 ことに、発行部数では聖教新聞をはるかに上回る朝日・読売の二社が、創価学会に七十億円以上もの差をつけられているということは、学会が墓苑事業などを行なっていることを考慮に入れたとしても(墓苑事業自体は巨額な利益を生み出すものの、創価学会の場合、営利事業とみなされるのは墓石の販売行為のみであるから、その収入が新聞各社との順位に影響を及ぼすようなことはない)、まさに脅威というべきであろう。 しかし、順位以上に着目すべきは、その利益を生みだした�顧客層�である。 一般紙の場合、出版事業も含め、その利益は広く社会全体を対象にして得たものであるのに対して、創価学会の場合は、もっぱら「学会員」という限定された市場・顧客のみを対象にしながらも、一般紙をはるかに凌(しの)ぐ高い利益を得ることに成功しているのである。 これは、創価学会の、学会員に対する徹底した拡販戦術――要するに、組織をあげての�押し売り�の成果が、巨額な申告所得として表面に現われているということであろう。 実際に、創価学会においては、末端組織にまで「新聞推進員」や「書籍担当者」などを配置し、池田の�文章�が載った新聞・雑誌や、池田の�著書�などの拡販が、徹底的に行なわれている。 �『聖教新聞』は先生からのお手紙�を合い言葉に、一人一部どころか、活動家ともなれば「これは切り抜き用、これは啓蒙用」と、余計に何部も取らされる『聖教新聞』――。 その『聖教新聞』に載った池田のスピーチは、後日『創価のルネサンス』といった小冊子にまとめられ、それはそれで�学会員必携の書�扱いにされ、徹底的な啓蒙が行なわれる。 また、『潮』などで、池田と著名人との対談が始まったといっては、定期購読を強く勧める。 しかも、これまた後に『対談集』として単行本にまとめ、盛んに購入を促す。 そして最後には、こうしたスピーチや対談、あるいは『人間革命』などの著作を総まとめにした『池田大作全集』などの全集ものが待ち受けるのである。 こうして、�身ぐるみはいで頑張る�ような狂乱財務に加え、一つの元ネタを二度も三度も本にして徹底的な売り込みをかける�書籍商法�が襲いかかるとあっては、泣くに泣けない学会員もさぞ多かろう。 このあこぎな�書籍商法�によって潤うのは創価学会だけではない。本の�著者�である池田大作の懐もまた、大いに潤うことになるのである。 その池田の所得であるが、五月十六日に四谷税務署に公示された彼の納税額は、なんと二億一千二百六万円!! 池田は人気作家の西村京太郎氏(二億三千百三十二万円)や人気タレントのダウンタウン・浜田雅功氏(二億三千六百四十一万円)などと肩を並べる、高額納税者なのだ。 一説によれば、納税額から池田の所得総額をはじき出すと、驚くなかれ、六億一千七百万円にものぼるという。この莫大な収入の大半は原稿料と印税が占めている、というのであるから、学会の�書籍商法�が、いかに池田の収入に資しているかが、よく理解できようというもの。その実例を、池田の『全集』を例にとって説明しよう。 昨年の話になるが、池田の納税額が、前年の一億三千五百五十一万円から二億四千百九万円と、一挙に一億円以上(収入としては二億円以上)も増えたことについて、その出処を訊ねられた学会広報部は、「一昨年から刊行を始めた全集の印税」である、と説明している。 元来、全集というのは、すでに書かれた原稿をかき集めてまとめたもの。ゆえに、若干の加筆・訂正はあるにしても、池田がことさら手を煩わすようことはないはずである。 ところが、そんな手間いらずの全集を出すことで、池田の懐に黙って年間二億円以上の金が転がり込んだ、と学会広報部は証言しているのである。 全集の発刊は、池田にとってはまさに「濡れ手で粟」の、オイシイ�事業�であるわけだ。 池田が、いつその味を覚えたものか、『全集』と名の付くものだけでも、池田は『池田会長全集』『新版池田会長全集』『池田大作全集』と、立て続けに出版している。 ことに『池田大作全集』は全七十五巻という膨大さで、昭和六十三年の配本開始以来、現在に至るもなお配本が続けられている、という代ろ物。今後、当分の間、池田には高収入が約束されているということだ。 池田は常々、�民衆の指導者�を気取り、「民衆の敵を許すな」と学会員の前で叫ぶが、その池田自身、これまで民衆=学会員を食い物にして肥え太り、これからも、さらに肥え太ろうとしているのである。この自己矛盾を、いったい池田はどう考えているのか――。 なおまた、師が師なら弟子も弟子。 先の四谷税務署に公示された名簿から、その他の創価学会関係者を拾ってみると、会長の秋谷栄之助は二千五十一万円、理事長の森田一哉は一千五百六十一万円を納税している。 以下、八尋頼雄副会長が一千百六十一万円、山崎尚見副会長が一千百十一万円、上田雅一副会長が一千九十九万円と、四谷税務署を調べただけでも、高額納税者の学会大幹部がズラリと名を連ねているのである。 秋谷をはじめとする有力学会幹部が、人口一億二千万人の日本に約九万五千人しかいない高額所得者に名を連ねているという事実は、すでに彼らが�庶民の代表�ヅラをする資格を失っていることの証明といえよう。もちろん、彼らの収入も、その源を一般創価学会員の血と汗の結晶に頼っているのである。 �民衆の指導者��庶民の代表�が民衆を食い物にして肥え太る――創価学会員にとっての�本当の敵�が誰であるかは、今さらいう必要もなかろう。 巨大墓苑建設に絡み、金満創価学会がまた世間を騒がせている。 広島県の西北部、山県郡・大朝町に中国メモリアルパークを建設中の創価学会が、�墓苑事業受け入れに対する感謝の意を表わしつつ、今後の友好関係を保つため�(野々下幸人・創価学会中国墓地公園事務局長の話)との理由で、なんと、現金四億円と三億八千万円の道路改修工事を、地元・大朝町に寄付したのである。 この寄付について、大朝町は当初、「創価学会からの寄付は、物納分を含めて四億円」と発表。 ところが、六月二十八日の大朝町議会定例会の席上、共産党議員などからの一般質問を受けた町長が、実際には現金四億円と三億八千万の物納の申し入れだった、と真実を明かした。 平成八年度の税収見込みが二億九千万円という大朝町に、何の前触れもなく、創価学会が税収の約二・七倍にものぼる総額七億八千万円の寄付を申し出たというのである。 地元マスコミが大きく取り上げ、町民からは、「事実関係が不透明だ」「町民の前で分かりやすく説明してほしい」との声が上がったのも、当然であろう。 そもそも、この中国メモリアルパークの建設にはさまざまな紆余曲折(うよきょくせつ)があった。 以前、本紙が報じたように、当初、この巨大墓苑は廿日市市・のうが高原に建設される予定であった。 ところが、地元の強烈な反対運動を受けた廿日市市議会が、墓苑反対の請願書を採択。市も創価学会の事前協議の申し入れを拒否したために、創価学会の廿日市市での建設計画は、頓挫(とんざ)してしまったのである。 そこで創価学会は、建設計画を大朝町に移した。 大朝町では、地元自治会や地権者が建設推進に回り、町と町議会に計画推進の陳情書を提出。 これに対し、環境破壊などを心配する町民らが、猛烈な反対運動を起こしたものの、町民約千六百名を含む約二千六百名もの署名と共に町議会に提出された反対誓願は、廿日市市とは逆に不採択となるという経緯をたどり、平成六年四月、ついに巨大墓苑は着工され、この秋には完成することになっている。 今回の寄付金騒ぎは、誰の目にも奇異に映るが、こうした経緯を知る者にとっては、不審がますます募(つの)るというもの。説明を求める町民の声は、当然すぎる要求といえよう。 もっとも、この七億八千万円という数字、平均年収約六百五十八万円(一世帯当たり・平成四年)の一般国民にとってこそ大変な数字であるが、こと創価学会にとっては、ほんの些細(ささい)な金額に違いない。 建設が進められている中国メモリアルパーク、その一区画四・五平方メートルの墓地の永代使用料は、墓石使用料込みで九十八万円である。中国メモリアルパークは三万五千基の墓を擁(よう)し、しかも、すでに完売している(!)といわれているから、その総売り上げは三百四十三億円もあった計算になる。 一方、墓苑の総工費は約百六十五億円であるから、差し引きで百七十八億円のボロ儲け。 してみると、大朝町への寄付など、創価学会にとっては訳もないことであるのがよくわかる。 そもそも、学会の資金の全ては、もともと財務等で学会員からかき集めた金。それを使って巨大墓苑を作り、それをまた学会員に売りつけて暴利を貪(むさぼ)るという悪辣(あくらつ)な商売を、創価学会は続けてきているのである。 おまけに、墓苑の「墓所使用規則」を見てみると、その第十二条に、「既納の納付金は、墓所の返還または使用許可の取り消し等の場合でも返還いたしません」と明記されている。つまり、一旦吐き出させたら最後、学会員から巻き上げた金は、二度と戻さない仕組みになっているのである。 作れば作るほど、売れば売るほど儲(もう)かる創価学会の巨大墓苑――、汗水たらして稼いだ金を財務で搾(しぼ)り取られた上、原価の二倍以上(総工費を墓地の数で割ると、一区画あたりのコストは約四十七万円)もする墓地を売りつけられた学会員こそ、いい面(つら)の皮である。 ちなみに、平成六年に配布された中国メモリアルパークの募集要項には、「中国の会員が心待ちにしている待望の『中国メモリアルパーク』が、多数の皆様のご支援により無事起工いたしました」「こうした墓地公園が建設されることは、私達中国の会員にとって大きな喜びであると思います」などとあるが、ブラックユーモアもここまでくると、もはや笑うに笑えない。 もちろん、巨大墓苑建設に伴って�被害�を被るのは、何も学会員ばかりではない。その建設に伴う環境破壊によって、社会も被害を被るのである。 たとえば、中国メモリアルパークの総面積は約百五十一万七千平方メートル。およそ東京ドーム十六個分の広さに相当する自然が、創価学会によって私物化されてしまったのである。 その広大な面積のうち、実際に開発される面積は、そのうちの約三十パーセントの約四十六万平方メートル――とはいっても、設計次第ではフルコース(十八ホール)のゴルフ場も作れるほどの広さなのだが、その地形を活かそうとするでもなく、生えていた木をなぎ倒し、山を削って谷を埋め、平らに整地したところに芝生を一面に敷き詰め、そこに三万五千基もの統一規格の墓石を並べる、というのが創価学会流の墓苑の作り方。 その芝生の維持・管理のために、今後、大量の農薬や化学肥料、土壌改良剤などが投与され続けていくのである。それらが環境に与える影響は、果たしていかほどになるのか。 また、昨今、注目を浴びている、水資源確保の観点からも、巨大墓苑の問題点を見逃してはならない。 ある計算によると、広葉樹天然林の雨水浸透能力を二七一とした場合、人工草地のそれは、一〇七になるという。つまり、自然林を伐採して芝生などにしてしまうと、雨水の浸透能力は、なんと、それだけで六〇パーセント以上も減少してしまうというのである。 ましてや、雨の後に墓参に訪れる人の便宜を考え、墓苑全体が排水性を高める設計・施行が行なわれているであろう巨大墓苑の場合、浸透能力は、これ以上悪くなっているに違いない。 自然林のままであったなら、地下に染み込み、そして適度に流れ出していくはずの雨水を、排水溝からそのまま河川に放流してしまう巨大墓苑――。 その存在は、地元に水資源の急激な減少という悪影響を与えることは間違いない。 このような、誰が見ても環境破壊の元凶以外の何物でもない巨大墓苑を、敷地の七十パーセントが自然林のまま残ることをいいことに、『聖教新聞』(五月二日付)は、「広大な敷地の七割を自然林のまま保存するなど、環境に十分配慮した設計思想で、地元からも歓迎の声が寄せられている」と自画自賛している。 ところが、巨大墓苑が環境に重大な悪影響を及ぼすことは、今述べてきたとおりであるし、�環境に十分配慮した設計思想で、地元からも歓迎の声が寄せられている�というに至っては大きなゴマカシでしかない。 先に述べたように、建設前には、巨大墓苑による環境破壊を恐れた大朝町民など、約二千六百名もの人が反対署名をし、また、本紙の平成六年の現地取材の際には、建設現場を見上げながら、「何だかねえ……」と呟(つぶや)く地元住民達の不満の声があったのだ。 しかも、七割の自然林を残したことが�環境に十分配慮した設計思想�だというのが、そもそも大きなマヤカシ。 敷地の森林が保安林に指定されていた場合、開発のために保安林の解除を受けるにあたっての前提条件として定められているのが、「森林率はおおむね七十パーセント以上とする(残置森林率はおおむね六十パーセント以上)」という条件である。 つまり、もし中国メモリアルパークの敷地全体が保安林の指定を受けていたとすれば、何のことはない、創価学会は、ほぼ許容限度いっぱいの開発を行なったに過ぎないことになり、七十パーセントの自然林というのは、いわば�残さざるを得なかった森林�だったことになる。 金儲けのために、大規模な環境破壊を平気で繰り返しながら、それを糊塗(こと)して恥じない創価学会――そこには、宗教団体としてのモラルなど微塵(みじん)も感じられない。 そんな創価学会によるこうした悪徳墓苑事業を、これ以上、絶対に許してはならない。 毎年、会員から、二千億円とも三千億円ともいわれる�浄財�を搾(しぼ)り取る、創価学会の財務。宗教法人の非課税特権をフルに活用してかき集められた、この莫大な資金の重要な使途の一つが、学会施設建設用地の地上げ、及び施設の建設である。 都会の一等地が、豊かな自然を誇る山村の一角が、あるいは広大な高級別荘地が、次々と創価学会のものに――。そして、しばらくすると、そこには周囲を威圧するかのような巨大な会館がそびえ立ち、山は削られ谷は埋め立てられて、数万基の墓石が立ち並ぶ巨大墓苑に変貌し、別荘地は超豪華な�池田専用施設�にと供されてしまうのだ。 しかも、それらのほとんどは、一般人を寄せ付けない学会の専用施設であり、おまけに、宗教施設に対する非課税特権に守られて、固定資産税その他も非課税扱い。 これでは、周辺住民ばかりでなく、地元自治体にとっても、創価学会の施設は�迷惑施設�以外の何物でもない。 こうした特殊事情に対応するためか、学会の施設建設に際しては、常に巨額の�地元対策費�の噂がつきまとう。 事実、昨年六月には、「中国平和記念墓地公園」造成にあたり、地元である広島県・大朝町に対し、�今後の友好関係のため�との名目で、合計七億八千万円もの�地元対策費�が投ぜられていたことが判明、話題となったことは、読者諸氏もご記憶のことと思う。 それでも起きる反対運動に対して、時には『公明』議員が積極的に動き回るなどして、強烈な推進を計る場合もある。 資金力と政治力を合わせ持つ、�創価学会ならではの手法�といったところか。 ところで今、神奈川県横須賀市において、市の行なった埋立事業で造成された土地(市有地)の一部(四千平方メートル)を、市が創価学会に売却しようとし、これに『公明』を除く市議会全体が猛反発。結局、市が決定を白紙に戻すことで決着したことが、市民の間で話題となっている。 問題の土地は、横須賀市が「海辺ニュータウン」と名付けた埋め立て地。 ここは、国道十六号線の拡幅工事などの公共事業に伴って、立ち退きを余儀なくされる住民や企業の移転先などに充てるとともに、地域振興のために、企業や学校(大学等)、レジャー施設などを誘致し、「『職・住・遊・学』の諸機能を備えた複合リゾート都市を形成する」ことを目的として、市街地に隣接する公有水面を埋め立てて、計六十一ヘクタールの土地を造成したもの。 この、市街地に隣接する好条件の広大な埋め立て地に、当初、大手のレジャー施設やスーパーなど、大小二百社以上の企業が食指を動かしたという。埋め立て地に大学を誘致する話も順調に進んでいた。 ところが、いざ地質調査のためのボーリングを行なってみると、この埋め立て地は岩盤の位置が深く、大規模な建築物の造営には不向きであることが判明。バブルの崩壊とも相まって、当初名乗りを上げたほとんどの企業が、この埋め立て地から手を引いてしまったのである。 また、大学誘致の話も中断となり、大学側に売却された用地は、現在もそのままとなっている。 一方、公共事業に伴う移転のほうも、市側の提示した条件が、当初、該当住民に説明していた内容とかけ離れてしまったため、こちらも思うように進んでいないという。 このように、埋め立て地全体として、転売が思うように進まぬ中、横須賀市では、「事業を行なうにふさわしい計画・資金力を備えた民間企業または民間企業グループ」を応募資格にうたい、埋め立て地内の業務街区に定められた区画に対する開発事業計画を公募し、その事業内容等を審査の上、合格した事業者に土地を譲渡することを計画。昨年三月四日に応募要綱の配布を開始したのである。 このコンペには、九月三十日の締め切りまでに九事業者が応募。その後、市長が選任した「海辺ニュータウンまちづくり推進委員会」の手によって審査が行なわれ、十一月二十七日、応募九事業者中、四事業者を入選とする審査結果が、答申書にまとめられた。 横須賀市はこの答申書をもとに、この四事業者と土地売買契約を結ぶ意向を示したのであるが、なんと、その中に、「創価学会」の名が入っていたのである。 先に示したように、今回のコンペの対象者は、あくまでも、民間企業または民間企業グループのはず。宗教法人である創価学会には、応募資格すらない。 ところが創価学会は、企業体に名を連ねたわけでもなく、単独で堂々と申し込み、しかも呆れたことに、市がその申し込みを正式に受理してしまっていた。 その上、創価学会の提示した計画によれば、埋め立て地内の業務街区に四千平方メートルの土地を取得し、そこに礼拝室・事務室・会議室等が入る建物を建設することにしているが、そもそも「礼拝室」は、「地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例」に定められた「海辺ニュータウン地区内の業務施設地区における建築可能な建築物」の中には含まれていないのである。 このように、創価学会の応募には、明らかに幾つもの問題があった。 しかし、市長が選任した「海辺ニュータウンまちづくり推進委員会」は、「同条例に基づく許可が必要であることに留意していただきたい」との、いちおうの但し書を付けて、創価学会の事業計画を「海辺ニュータウンのまちづくりに寄与し得る施設であること、早期の実施が確実であること、及び建築計画もデザイン的に優れている」からとして、入選させてしまったのである。 昨年暮れの十二月十二日、横須賀市議会建設常任委員会でこのことが明らかにされるや、委員会は大紛糾。委員からの「業務街区になぜ宗教施設が入るのか」との強い批判に、市側は「微妙な問題もあるが、高度な政治判断で決めた」と答えるのみ。 『朝日新聞』など、一般紙も繰り返し報じたこの問題は、結局、十二月十八日の市議会運営委員会において、「(平成九年)一月中に建設常任委員会を開き、港湾部長からきちんとした説明を受ける。その際、市長、助役の出席を求め、見解を質(ただ)す」ということになり、越年。 この埋め立て地問題に関連して、�市長はそんなに学会票がほしいのか�といった市議の発言も伝え聞かれるなど、事態は灰色がかった騒動に発展していったが、年明け後の市長と市議会各会派との話し合いで、市長が「この問題は白紙に戻す」としたことで政治決着。横須賀市議会を騒然とさせた問題は、こうしていちおう収まった。 が、しかし、市民の間には、「市が下した�高度な政治判断�とは、いったい何だったのか」と、市の当初の対応に対し、今も疑問の声がくすぶり続けている――。 なお、これと似た�事件�は、東京・板橋区でも起きている。 平成七年十月、板橋区成増に二千平方メートルの土地を手に入れた創価学会は、ここに地上三階・地下一階の「創価学会板橋講堂」を建設しようと計画。 ところが、地元住民の猛烈な反対運動に遭(あ)い、すでに着工を待つばかりとなっているこの計画は、頓挫したままとなっている。 ところが、これも昨年十一月二日、創価学会は、突如、この地で「創価学会板橋礼拝所(仮称)」の起工式を行なおうとした。 そのわずか半年ほど前、学会は区に、「地元の方々のご理解を得るまで、けっして強行着工はいたしません」との念書を書いて提出したばかりだったのに、である。 この、寝首をかくような�不意打ち起工式�に、地元住民は猛反発。 「創価学会礼拝所建設に反対し、平穏で文化的な生活を求める住民の会」が結成され、起工式反対を訴えるチラシを、各方面に大量に配布した。 また、板橋区の超党派区議団も、名誉会長の池田大作および理事長の森田一哉に宛て、「創価学会板橋区礼拝所強制着工即時中止を求める申し入れ書」を送付。 こうした運動が功を奏して、会館起工式はひとまず延期となったのである。 ところで、この板橋区成増において、創価学会が取得し、会館を建設しようとしている問題の土地は、じつは本来、区が公共施設を作ろうとして交渉を進めていた土地だった、という。 この土地の以前の所有者は、大手の分譲マンション建築・販売業者で、バブルの崩壊以後、土地は放置されたままの状態になっていた。 そこで地元の住民は合同で、区に「この土地を区で買い上げ、公共施設の少ないこの地域に、集会所などを併設したセレモニーホールを建設してほしい」との要望を提出。 これを受けた区は、要望に積極的に対応。平成六年十二月には、土地買い入れの強い意志を示す文書を土地所有者に提示し、大いに意欲を見せた。同時期、区役所内では「成増セレモニーホール」の概念図まで製作されている。 ところが、統一地方選二カ月前の平成七年二月になって、状況は一変する。区長が突然、用地買収断念を表明したのである。 そして四月、『公明』の推薦を受けた同区長は再選を果たす。 十月、土地は創価学会のものに。 そして今、問題の土地には、学会員だけが利用する「創価学会板橋講堂」が立てられようとしている――。 今回、学会の会館建設に絡んだ、横須賀市と板橋区の二つの�事件�を紹介したが、この二つの�事件�には、いずれも、創価学会と「行政」の間に、何か不透明な�力�が働いたことが感じられる。 本年七月、東京では都議会議員選挙が行なわれるが、今こそ、我々は、そうした�力�の存在に敏感になるべきである。そして、その�力�を黙認することなく、打ち破っていかねばならない。 これ以上、日本が創価学会に�浸食�されないために。巨額脱税疑惑関連不思議な一致 昨年十二月以来の、渡辺元蔵相の発言で明らかになった池田創価学会の脱税もみ消し事件について、お話を聞くため、七月十四日、日大法学部の北野教授研究室を訪問した。 奇しくもその日の朝日新聞一面と社会面には、渡辺元蔵相自身の、巨額脱税もみ消し事件が大きく報道されていた。 偶然の一致というよりは、この記事を通して、池田創価学会脱税もみ消し事件の真相に迫れ、という諸天善神の示唆であると思った。記事の内容 竹井博友・「地産」元会長(読売新聞大阪本社常務から中部読売新聞社長となり不動産業「地産」を設立)が、昭和六十三年から平成元年のバブル経済のとき、国際航業株などの仕手戦に便乗、巨額の株売買益を上げ家族名義に分散して脱税を図ったが、平成二年十一月、東京国税局が調査に入った。 査察(刑事告発)を極度に恐れた竹井氏が、渡辺元蔵相に相談し、十二月に約四十三億円の修正申告をした。 その日の夕方、国税庁長官に渡辺代議士が「修正申告を出させたのでよろしく」と電話をかけた。その結果、巨額の脱税犯人となるところを、渡辺氏の電話一本で、竹井氏は助かった。 ところが、翌平成三年二月七日の朝日新聞が、この事実を巨額申告漏れと報道したので、東京地検首脳部が「これほどの脱税犯罪を葬り去るつもりか」と激怒し、その強硬姿勢に押し切られて、国税当局は査察に切り替え、東京地検特捜部は六月竹井元会長を逮捕した。 平成四年四月東京地裁で「申告納税制度の基盤を揺るがしかねない」として、脱税としては過去最高の懲役四年・罰金五億円が確定し、服役中である。真相はこうだ。�大物政治家が電話一本かければ、巨額の脱税も罪にできない、国税当局の姿勢は異常である。�朝日新聞がこの事実を報道しなければ、闇に葬り去られていた。�東京地検が立ち上がったのは、国民が新聞報道で真相を知ったからであ る。�平成二年の池田創価学会に対する税務調査は、公明党と自民党大物政治家が協力して、史上空前の巨額脱税をもみ消したが、その事実を新聞が報道しなかったので、国民は何も知らず、騒ぎもせず、したがって闇に葬り去られているが、このまま放置してよいのか。池田の脱税額は竹井氏の何百倍 朝日新聞の記事について、私の説明を聞いた北野先生は、即座に「泥棒した人が、一旦、返したって、犯罪は犯罪なんです。これほど大きな金額(約二十六億円)を返したんだから、何とか勘弁してやってくれということ(渡辺元蔵相が国税庁長官へ掛けた電話の内容)もおかしいんです」と、問題の核心を、ズバリ指摘された。 龍 東京地検は、これほどの(巨額)脱税犯罪を(国税当局として)葬り去るつもりか、と激怒したと書いてありますが、その額は、その後の裁判で約三十四億円でした。先生は、創価学会と池田大作に対し、きちんとした税務調査をして課税すべきである、脱税の疑いがあれば逮捕すべきだ――とも言われました。その額は、何百億か何千億、竹井氏の脱税額の何十倍か何百倍、おそらく史上空前の額になると思います。それだけで、消費税はアップどころか、廃止してもよいと思います。 北野 そうです。もう一つ金額も大きいんだから……会社の事件に対しても、重加算税を掛けたくても、そういうことがあるんだから、まして創価学会も池田大作も、宗教法人とその指導者という立場だから(一般の会社・個人に比較して)とくに厳正公平な姿勢が要求されるのです。宗教法人創価学会に対し税務調査はできないのか 龍 しかし一般の国民は、宗教法人だから課税どころか調査もできないのだろう、その上、池田大作の私兵・公明党がガードしているから手も足も出せないのだろう、と見ています。 北野 それは、まともな宗教活動をやっている宗教法人の場合のことです。ところが、創価学会はすこぶる怪しい団体だと、多くの国民は見ています。日蓮正宗の信徒団体ということで、東京都知事の認証を受けている(これも本当は文部大臣の認証を受けるべきだ)、ところが、日蓮正宗から破門され、ニセ本尊を発行し、友人葬をやっている。これでは形式上も、宗教法人の資格はない。また実体の上からも、宗教法人という隠れ蓑を着て、池田大作個人の名誉欲と支配欲を満たすための政治団体となっている。そのために金と票を集める組織にすぎない。 これを『公知の事実』と言います。「公知の事実」の重大性 龍 今の『公知の事実』ということは、非常に重大なことだと思いますので、確認の意味でお伺いします。 私たちは、平成四年四月二日、東京都知事に、二二四四七七名が署名した要望書(裁判所に宗教法人創価学会の解散を東京都知事が請求するよう要望したもの)を提出しました。しかし都議会公明党の圧力があったのか、鈴木俊一・東京都知事がこの議会勢力を恐れたのか、そのままになっています。したがって、裁判所も解散の決定を下さないので、宗教法人として与えられた非課税特権の厚い壁に遮(さえぎ)られて、国税当局は調査することさえできないのだと思っていました。 北野 そうではありません。「公知の事実」とは、あらためて裁判所で証明する必要がないということで、解散決定の有無に関係なく課税は実体に即してやれるということです。 龍 そうなれば池田創価学会の集めた金と使った金は、すべて調査の対象となるということでしょうか。 北野 そうです。 龍 調査の対象は年間数千億といわれる財務や、池田個人に対する献金や、海外に持ち出して、ノーベル賞を狙ったり勲章を貰うための売名宣伝工作に使った、莫大な金額、あるいは、日本国内はもとより世界各国にある池田専用の豪華な施設等、すべて課税の対象として、調査する必要があると思いますが……。 北野 そのとおりです。 龍 これまで、そんな調査は一回も行なわれたことはありませんでした。その理由は、巨大な組織で、その背後に公明党という政治権力があるから……ということでしょうか。 北野 そうです。公明党と創価学会の政教一致の構造が、日本の政治を支配している。かつての自民党の先生方も、行政当局も、課税当局も、あるいは検察当局までも、その政治が支配していると……。 龍 それはいえると思います。 北野 そんなことはないんだというなら、今こそ課税当局、検察当局は徹底的に調査して国民の前に明らかにしなければいけない。 (以下次号)その六 巨悪は追及できなかった巨悪中の巨悪は池田大作の脱税 龍 「池田大作を国会に喚問せよ」という声が全国にひろがっています。 その理由は�政教一致�問題ですが、それよりも国民が糾明してもらいたいと思っているのは、池田大作自身の�脱税�でしょう。彼が宗教法人の非課税の特権を悪用して集めた莫大な金で、己れの名誉欲、支配欲を満足させるため、海外ではノーベル賞を狙い、国内では新生党と組んで日本を支配しようとしていることです。その金は、すべて課税の対象になると思います。 それを公明党等を使って脱税してきたものです。北野先生の指摘された『隠れた補助金』、つまり国民の税金を、池田個人が湯水のように使ってきたのです。 この点について、亀井代議士が、五月二十四日の予算委員会で「特に池田大作氏自身、あるいは創価学会についての税務上の問題については、私は、国会としても、もう放置できない状況に来ておる、このように確信します」と述べ、「創価学会の財務が銀行振込で集めた膨大な金を、SGIという任意団体で海外にばらまき、日本人の恥さらしとなっている等の状況は放置され、その反面では、中小企業の経営者、一般の国民はもとより、一般の宗教法人については、国税庁の厳しい調査を受けております」(要旨)と質問しています。 北野 そうです。あるお寺では、信者の方が自転車を置かせてくれといったので置かせたのを、不動産貸付業に該当する、と調べたことがあるんです。信者が宿坊へ泊まると、旅館業に該当するんじゃないかと調べているんですね。 龍 今まで創価学会は、公明党の圧力で二十年近く税務調査が行なわれなかったのですが、亀井代議士が次のように追及しました。 「平成二年に国税庁が調査をいたしましたけれども、私は、守秘義務だなんてことを言っているときではない、やはり国民が納得する形で、平成二年度の調査、どの程度のことをやったのか、また、その結果、どういう処置をとったかということを国民の前に明らかにすべきだと思う。」 池田が公明党をつくった目的は、民衆のためではなく、池田個人の身を護るためです。とくに創価学会に対する税務調査をさせないことは、公明党首脳陣には結党以来の至上命令でした。ところが平成二年の税務調査でそのタブーが破られたのですから、委員長以下、面目丸つぶれとなり、必死の形相で、あらゆる手段を尽くしました。 北野 想像を絶するほどの力を発揮したと思いますよ。 龍 結果は墓園事業の修正申告だけ、池田の脱税まで踏み込むことができませんでした。 北野 亡くなった伊藤検事総長が「巨悪は追及できなかった」と言っていました。巨悪中の巨悪は�池田大作の脱税�ですからね。税務調査に対する公明党の妨害と取引 国税当局が創価学会の税務調査を決意したのは、平成元年七月の「一億七千万の札束を入れて捨てた金庫事件」でしたが、実際に入ったのは、それから一年後の平成二年の夏からでした。 その際、他の宗教団体にも調査に入るという形式をとり、東京の大きな教団や、大阪の教団まで「調査に入ります」という通知を出したということです。�創価学会だけをやるのではありません�という形で、公明党からの「特定宗教を弾圧するための税務調査である」という激しい批判、攻撃をかわすためのようでした。 マスコミにも、とくに公明党にも極秘で、しかも、学会本部にはノータッチの体裁をとり、聖教新聞社に東京国税局の資料調査課の数人が調査に入りました。ところが、ただちに公明党から、猛烈な反撃、妨害が始まったのです。 当時のことを、国税当局の幹部は次のように語りました。 「公明党首脳から、毎日、しきりに電話が入りました。どんな調査を、今日はどこまでやったのか、いつまでやるのか……と。」東京国税局は湾岸戦争で忙しい? 「極秘の調査で、五人(大蔵大臣、国税庁長官、東京国税局長、官房長、資料調査部長)だけしか知らないはずでした。あまりうるさいので、電話に出ないことにして、部下に�湾岸戦争で忙しいから……�といって断っておけ、と指示しました」と語る高官の話を聞いて、オヤッと思ったのは、国税庁の幹部が湾岸戦争とどんな関係があるのかな……と。そういえば、アメリカが、湾岸戦争の費用を日本も出せと迫り、当時の自民党幹事長・小沢一郎氏が、その要求をまとめて受け入れるべく努力していました。その際、公明党の同意を取り付けたともいわれていました。 このことを渡辺元蔵相が、次のように証明しています。 「たしか湾岸戦争の頃、話があったよ。あの時は、公明党がPKO法案に反対していたんだ。自民党は、当年度予算の予備費から湾岸支援の九十億ドルを出そうと予定していたが、それには年度末の三月までに法案を成立させねばならなかった。当時、参議院は野党の方が数が多かったわけだが、参議院で否決され差し戻されたら時間的に間に合わない。だから公明党に協力を頼んだんだな。大の虫(湾岸支援のこと)を生かすために小の虫(税務調査のこと)を殺してもいいという判断だった。創価学会に国税が入ったのは、ちょうどその頃だったはずだよ。」(『週刊新潮』平成五年十二月九日号) その当時、公明党、及び支持母体の創価学会青年部、婦人部は、PKO法案に反対していました。ところが、公明党が突然賛成に廻ったので、世間は驚いたが、その陰で、池田大作の脱税をもみ消すための裏取引きが行われていたのだった、ということです。言論出版妨害事件以来の、いつもの汚ない手口です。学会側は徹底して抵抗した 東京国税局の調査に対して、学会側は、一切協力しない方針をとって抵抗しました。 まず、東京国税局のより抜きの資料調査課のスタッフを、聖教新聞の一室に缶詰状態に閉じ込め、資料を求めて建物の中を自由に動き廻ることができないようにしました。 資料を要求されても、いろんな理由をつけて、出し渋った。たとえば、宗教法人法で、必ず作成しておかなければならない創価学会の財産目録さえも、作っていないということで提出しなかったようです。 こんな悪条件の中で料調スタッフは、『こんな屈辱的な調査は始めて』とぼやきながらも、約一年がかりで、墓園の修正申告だけ(約二十七億円)ということで一応の決着をつけました。これに対して、週刊誌等は、政治的な圧力に屈服した結果だと酷評したが、読売新聞などは社説で、�今回の調査は基礎データ収集に主眼があり、今後の出発点である�と書いて、国税当局の立場を擁護しながら、今後の調査に大きな期待を寄せると書いて、国民の批判をそらし、公明党の妨害工作や学会側の抵抗については一行も書きませんでした。戦時中の軍部に迎合していた時と同じように池田大作の御用新聞になろうとしたのでしょうか。第二次調査も空振り その四ヶ月後に、第二次調査が始まったが、今回は当初から�聖域�とされていた学会本部の公益会計と、池田大作そのものが調査になっていました。 そのとき調査に入った一人が、当時を思い起こして次のように語っていました。 「たしか、十五、六人で行ったんですが、学会側から、�五分間隔で、二人づつ入れ�と言われてそのとおりにしたんです」と。こんなことが一般の宗教法人や、中小企業に許されるだろうか、公明党と当時の自民党幹部が結託して、政治権力を振りかざした池田創価学会のこの横暴な姿勢は、法治国家として、断じて許されない行為です。 やっと、調査に入った学会本部の態度は、前回の聖教新聞社のときよりも、さらに悪質な抵抗ぶりでした。 広大な建物の中で、一室も与えられず、しかも本部に入れたのは、その日一日だけ、要求した資料も一週間から十日後に、八尋弁護士が鞄(カバン)に入れて、東京国税局に運んでくる。その資料も、あわてて書き直したものが多かったようです。 たとえば、これまですべて池田の決裁で行なわれていた巨額の支出を、秋谷会長印の書類に書き直したり、宗教法人の議事録を書き換えて、莫大な池田への支出を正当化したり、あらゆる不正な工作をした書類です。 特別財務の名簿は最後まで、提出せよ、しないで、もめたようです。普通の会社や団体なら、この時点で、料調から査察部に切り換え、脱税容疑として調査し、検察庁へ刑事告発をして池田大作を逮捕するところです。 ところが、上層部にそんな動きはなかったようです。もちろん、公明党と、自民党幹事長・小沢一郎氏らが、東京国税局の上層部に、強大な政治的圧力を加えた結果であるということは永田町の常識、といわれていました。 それでも現場のスタッフは、池田の脱税と思われる二十数項目の問題点を洗い出したが、強制捜査権を持たない料調スタッフは、これでお手上げ、二年にわたる税務調査は、池田大作に対して、指一本も触れることなく終わったのです。(すべて、当時の週刊誌、新聞、月刊誌と、関係者の証言による) (以下次号)その� 池田大作を脱税犯として刑務所へ送ろう国民は真相を知らされていなかった 龍 平成二年の夏から、三年がかりで行なわれた池田創価学会に対する税務調査も、北野先生が前に御指摘されたとおり、(創価学会公明党が)想像を絶するほどの政治的な圧力を発揮して、池田の脱税をもみ消しました。 北野 これはもう明らかに犯罪行為ですね。 龍 十月十六日号で述べた竹井地産会長の脱税事件で、裁判所は、「申告納税制度の根幹をゆるがす」として、個人としては最高の実刑を宣告しました。 これは、渡辺元蔵相に、脱税犯として起訴されないように依頼した行為も、厳しく糾弾したものと私は思います。 池田の脱税額は、竹井氏の何十倍か、何百倍になると思います。しかも、憲法で禁じられた公明党と自民党の政治権力を使ったもみ消し工作は、史上空前の一大不祥事件です。 さらに許し難いことは、宗教者の仮面をつけ、数百万の会員を欺(あざむ)いて、三千年来の仏法を破壊しながら、海外では人類の平和の指導者と自称して、己れの名誉欲のためにノーベル平和賞を狙い、その陰では、国内の巨額の脱税もみ消し工作に狂奔していたことです。 北野 池田が宗教家と自称するなら、絶対にやってはいけない行為です。しかし、この時点で、これほどのことについて国民が騒がないというのもおかしなことです。真実が国民に知らされていないからでしょうか。 龍 その理由は、先生の指摘されたとおり、国民が真相を知らされていなかったからだと思います。 当時の一部の週刊誌は、「政治的圧力があった」と書きましたが、大新聞は、国税当局と学会側の発表を、そのまま報道しただけです。 今回の渡辺元蔵相の発表で、その裏取引の一部が暴露され、北野先生と私の対談で、その全容が明らかになりました。 真実を知った国民が立ち上がるのは、これからだと思います。時を待つ国税庁と池田喚問 国税当局のある幹部は、「今回の調査で、創価学会に対する道がついた。入り口がどこで、出口がどこかわかったので、いつでも入ることができる」と言っています。 �時�を待っているのだと思います。その時が近づいています。その前兆として、池田大作の国会喚問が政局の焦点になっています。 北野 池田を国会に呼ぶときに、創価学会問題の専門家も呼んで、政教分離問題をはじめ、いろいろな面で、国民の疑惑を払拭(ふっしょく)すべきです。 池田大作個人の脱税問題は、その中で、とくに重要です。池田への尋問状況は、テレビ等で主権者である国民に開示すべきです。 龍 池田大作は、史上稀(まれ)に見る大ウソつきです。昭和四十五年、政教分離宣言をして、二十四年たった今、(これまでも分離していなかったが)これからも分離はしませんと、平然と記者会見で言う異常な神経の持ち主です。 国会でどんなに糾弾されても、どんな醜態を演じても、議場を一歩出たらケロリとした顔で、出迎えた狂信集団の大拍手に答えて胸を張って「俺は世界が相手だ。日本の国会なんか問題にしていない」と言うでしょう。 北野 そうなると、どうしても刑務所の中で、後の「人生」を過ごしてもらう必要がありますね。 龍 私もそう思います。そのためには、国税と検察が、池田を巨額脱税犯として、起訴すべきだと思います。 北野 国税局の職員には、犯罪の捜査権が与えられていますから。国税には、税法上、犯罪の疑いがあると見た場合、検察官に告発する義務があります。 検察当局は、国税の告発がなくとも、独自の判断で国民の代理人として、公訴権を発動できるのです。税法上の犯罪のうち、地方税に関するものについては、各地方税当局も、検察官に告発する義務があり、また検察当局は、独自の判断で起訴できます。国民の怒りの声を結集して池田を刑務所へ送ろう 龍 政界のドン・金丸信も、小沢一郎等を使って、政治的圧力で二十万の罰金で終止符を打とうとしましたが、国民の怒りが集中したので、検察・国税が動いて、金丸の巨額の隠し財産を押さえ、脱税で起訴しました。史上最大のギャング・アルカポネにアメリカが困り果てた結果、やはり脱税で決着をつけました。 池田も脱税で刑務所に送る以外にありません。 その原動力になるのは�国民の怒り�の声だと思います。 その一人として、私は検事総長・国税庁長官以下、関係部長二十三名に次のような手紙を出しました。謹啓 打ちつづく炎暑の下、連日公務御多忙のところ、まことに恐縮ですが、同封の新聞・慧妙紙に連載中の、日本学術会議会員・日大法学部教授・北野弘久先生と私の対談記事を、御一読賜われば、まことに有り難いと思います。 すでに御承知のことと思いますが、昨年の政変による細川内閣、つづいて羽田内閣に、世紀末の狂人池田大作の私党にすぎない公明党議員が多数入閣したことに、国民は驚き、世論は沸騰(ふっとう)しました。 とくに細川内閣誕生前夜、軽井沢に於ける創価学会本部幹部会の池田発言「�公明党の�デージンは皆さんの部下(池田の部下という彼独特の表現)」は、憲法二〇条を真っ向から否定する大暴言であります。 彼をして、ここまで憲法を無視し、全国民を愚弄(ぐろう)する言動を許しているのは、政・官・財・言論各界の指導者たちが、宗教法人の非課税特権を悪用し、仏教を弘めると称して民衆を騙して集めた池田大作の金と、長年の洗脳教育でつくり上げた選挙用の集票組織を、己れの利益のために利用することに汲々(きゅうきゅう)とし、日本の将来を忘れた結果であります。 このまま放置することは、日本の前途を危うくすることであります。 しかし、良識ある多くの国民は、金丸元自民党副総裁の脱税事件で検察と国税当局の中に『巨悪は眠らせない』の至言が生きていたことを知りました。 しかるに、池田の集めた金額とその性質は、金丸とは比較にならない、巨額で、悪質であります。それだけに国民の期待は非常に大きいのであります。多くの困難を乗り越えて、国民の期待に応え、日本の前途を明るくしていただくことを衷心よりお願いいたします。 拙文・乱筆まことに意を尽くせず、御賢察をお願い申し上げます。 敬具 末輩ながら皆様の御健勝を祈念して平成六年九月七日邪教(狂)池田創価学会解散撲滅の会 龍年光国税庁長官 寺村信行様次長 松川隆志様審議官 浜中秀一郎様 中川隆進様課税部長 堀田隆夫様調査査察部長 内野正昭様東京国税局局長 鏡味徳房様総務部長 村上喜堂様調査第一部長 浦西友義様調査第二部長 草部契之様調査第三部長 藤井清彦様調査第四部長 五十里信二様査察部長 鳥羽 衛様検察庁検事総長 吉永祐介様東京地方検察庁検事正 北島敬介様次席検事 石川達紘様総務部長 吉村 弘様刑事部長 高野利雄様特捜部長 宗像紀夫様 国民の皆様には、この連載終了と同時に出版される単行本『池田大作・創価学会学会の脱税を糾弾する』――法に基づいた正当な課税と解散を要求しよう――の中で具体的な運動について書きますので、御協力賜わりたいと思います。 北野先生にはご多忙の中を時間を割(さ)いて、毎回、明快・適確な御回答と激励を賜わり、心から感謝申し上げます。 また貴重な紙面を割いて、連載してくださった『慧妙』紙と関係者、御愛読を賜わった全国の皆様に、深く御礼申し上げ、御健勝を祈ります。平成六年十一月十五日邪教(狂)池田大作創価学会解散撲滅の会 代表 龍 年光
特報/拡大版・創価学会関連裁判報告「フォーラム・乙骨」が創価学会に勝訴 本誌編集部「フォーラム21」損害賠償等請求事件●平成十四年十二月十八日午後一時十分 判決公判 「フォーラム21」五月一日号掲載の「宗教界トピックス」の記事が名誉毀損にあたるとして、創価学会が一千万円の損害賠償と謝罪広告を求めて提訴していた事件の判決公判が、平成十四年十二月十八日午後一時十分より東京地裁六一一号法廷で行われ、東京地裁民事三十九部(菅野博之裁判長)は、原告・創価学会の請求を棄却。被告の有限会社フォーラムならびに乙骨正生勝訴の判決を言い渡した。 同訴訟で問題となった「フォーラム21」の五月一日号に掲載された「宗教界トピックス 立教開宗七五〇年の佳節に身延山・奥の院の前別当が脱税」と題する記事は、東京国税局が、平成十四年三月二十八日に日蓮宗の総本山久遠寺の奥の院である七面山敬慎院の前別当である中里悠光氏が三年間で一億二千万円を脱税していたとして、甲府地検に告発した事件について事件の概要と背景を解説。その最後の部分で「その背景に創価学会の動きがあるとの指摘もある」と記した上で、「こうした見方が真実かどうかはわからない」としながらも、脱税摘発の背景には創価学会が対立する立正佼成会や霊友会(久保派)、日蓮宗などの会計に問題がないかどうか探ろうとすることを目的に仕掛けたのではないかとの見方があるとの「宗教関係者」の発言を紹介。併せて「以前、『週刊文春』でも報じられたように、国税局の職員の中にも学会員はいる。またいまや公明党は政権与党であり、国税に圧力をかけることも可能だ」とその可能性について言及したもの。 これに対して創価学会は、「(本件記事の各問題部分は)今回の七面山の脱税事件は、原告が、対立する宗教法人である立正佼成会や霊友会(久保派)の会計に問題がないか否かを不当な手段で把握し、攻撃材料を得て攪乱するか、ないしは、日蓮宗にダメージを与えるなどの不当な目的のために、敬慎院の乱脈経理問題を手がかりに、原告の会員である国税局職員を使ったり、政権与党の一角を担う公明党を使って国税当局に不当に圧力をかけるなどして、国税当局による査察・告発を仕掛けたものであるとの事実を摘示し、もって、原告の社会的評価を著しく低下させたものであるから、原告の名誉を著しく毀損するものである」として、有限会社フォーラムとフォーラムの代表取締役で「フォーラム21」の発行人である乙骨正生に対して、一千万円の損害賠償の支払いと、「フォーラム21」に創価学会に対する謝罪文を掲載するよう求めていた。 これに対して乙骨は、「本件訴訟は、およそ名誉が毀損されたとは言い難いささいな言辞を取り出して、原告が被告の言辞を封じ込め、自己の機関紙に大々的に宣伝して会員・読者を反乙骨の体制に洗脳するために行う訴え提起であり、濫訴である。本案に入る前に、訴えの利益があるか否かが厳正に判断されるべきである」として、創価学会の乙骨に対する相次ぐ名誉毀損に基づく損害賠償等請求訴訟は、創価学会が自らにとって批判的な言論を行っている乙骨の言論活動を封じ込めるための謀略的な濫訴であること。 また「本件『FORUM21』の記事内容は、七面山敬慎院前別当の中里氏の脱税事件についての内容を解説を交えて伝えたものであり、創価学会が問題とする部分は、国税局の査察と告発の背景として末尾の部分で言及したにとどまり、原告を主たるターゲットとして書かれたものではない」こと。 また、創価学会が名誉毀損にあたるとしている各問題部分についても、 「文字通り『指摘もある』と書かれただけで名誉毀損に該当するような表現内容ではない」 「宗教関係者から取材したものとして、引用部分として紹介されているだけであり、このような取材内容を公表したからといって、不法行為を行ったことにはならない」 「原告が他宗派の金の流れに手を突っ込むことを仕掛けたり、他宗派の会計に問題がないかどうかを探ったとしても、その事実を指摘されたからといって、名誉毀損にはあたらない」 「国税局の職員の中に学会員がいることは原告の名誉毀損には当たらないし、公明党が政権与党である以上、国税局に圧力をかけることも可能であるということも、表現のとおりである」 などと主張。「フォーラム21」五月一日号掲載の「宗教トピックス」は、名誉毀損にはあたらないと主張していた。 これに対して裁判所は、創価学会の提訴は「濫訴」だとする乙骨の主張は認めなかったものの、創価学会が名誉毀損にあたるとする各問題部分は、「そもそも本件記事全体に占める位置づけが低い上に、それ自体一般論を前提として、格別の根拠もなく具体性をも欠く抽象的な内容を控えめに表現したものにすぎないものであって」「一般人がこのような記事を読んだとしても、原告の社会的評価が殊更低下するとは考えられ(ない)」として、原告の請求を棄却。フォーラム・乙骨勝訴の判決を言い渡した。 ちなみに、これまで創価学会は、「聖教新聞」や「第三文明」などの機関紙誌等において、「フォーラム21」五月一日号掲載記事を創価学会が提訴したことをもって、乙骨を激しく誹謗する記事を繰り返し、繰り返し掲載してきた。 例えば十一月十五日付「聖教新聞」掲載の「正義と真実の声22」は「デマ事件だらけの"妄想狂"乙骨 "身延の脱税事件に学会が関係"と大ウソ」との見出しのもと、次のように乙骨を誹謗している。 「――あの『ガセネタ屋』乙骨が、身延の坊主の脱税事件に絡んで学会を中傷した。(中略) 迫本(青年部長)"創価学会が仕掛けた"だの"学会が立正佼成会や霊友会の会計に手を突っ込む""学会が日蓮宗にダメージを与えるためにやった"だの『見てきたようなウソ八百』を並べていた。 ――そのうえで、あたかも学会が国税局をけしかけて、脱税事件の告発に関わったかのようなデマを流していた。 迫本 バカバカしい。"妄想狂"の悪辣極まりないデマだ。
どこに、そんな証拠があるんだ?誰が見たんだ?誰に、そんなデタラメを取材したんだ?『学会がやった』と言うのなら、その証拠を、耳を揃えてハッキリ出してみろ! ――だいたい国税局が迷惑だ(笑い)。 迫本 その通りだ。乙骨は学会だけでなく、日本の国税局も侮辱したんだ。関係者も、さぞ激怒しているだろう。(中略) ――しかし、いくら何も書くことがないからといって、ここまで支離滅裂なデマをデッチ上げる恥知らずがいるとは。到底、信じられない話だ。 迫本 だから『ガセネタ屋』と言われるんだ。この事件については今、裁判所で審理が進んでいる。乙骨のデマが厳しく糾弾されていくことは間違いないだろう」 また、創価学会の外郭(直営)出版社である第三文明社発行の雑誌「第三文明」の平成十五年一月号掲載の「連載 マスコミ界に寄生する乙骨正生の正体」「第4回 またもや断罪された『ガセネタ屋』」には次のようにあった。 「乙骨本人もいま、合計三件の名誉毀損訴訟を抱えている。(中略) (3)『身延の僧侶の脱税摘発に学会が関与』云々のデマ記事事件――である。 このうち『身延』デマ事件の二回目の口頭弁論が十一月六日に東京地裁で行われた。ところが、である。開廷からわずか二十分ほどで、裁判長が裁判の終結を告げたのである。 それもそのはず。乙骨側は『名誉は毀損していない』と強弁するばかりで、通常の名誉毀損訴訟で最も重要な争点となる『記事の真実性、相当性』に関しては、何の立証も行おうとしなかったからである。 乙骨は『北海道の墓苑』をめぐるデマ事件でも、これと同じ無謀な『戦法』で敗訴したばかり。記事もデタラメなら、訴訟態度もデタラメというわけか。 判決言い渡し予定日は十二月八日。これに敗訴すれば、わずか一年の間に三度の断罪を受けることになる。もはや間違いなく『日本一のデマ男』であろう」
同事件についてここまで言及していた創価学会だが、判決翌日の十二月十九日付「聖教新聞」には、同訴訟の判決についての記事は一行も掲載されていなかった。 以下に参考までに東京地裁判決における「裁判所の判断」部分を掲載する。
本件記事は、全体として身延山久遠寺奥の院七面山敬慎院の前別当である中里の脱税事件について、その背景や周辺事情等を解説することをその主旨とするものであり、本件各問題部分は、本件記事全体の中においては上記脱税事件発覚の背景事情の一つとして説明されているに過ぎないものと認めるのが相当である。 さらに、原告(創価学会)の指摘する本件各問題部分についてより詳しく検討してみても、本件各問題部分の内容は、要するに、前記脱税事件の背景事情の一つとして、国税局の職員に原告の会員がいることや、政権与党である公明党が国税局に圧力をかけることも可能であるというような事情をいわば前提として(問題部分4)、原告が他の宗教法人の会計上の問題を探ったり、ダメージを与えるという目的のために、本件脱税事件の発覚を「仕掛けた」との見方もあることを紹介しているものにすぎないと認められる(問題部分1ないし3)。 しかし、原告が多数の会員を擁する宗教団体であり、また公明党が政権与党であるという、いわば公知の事実に照らし合わせて考えると、国税当局に原告の職員がいることや、公明党が国税当局に圧力をかけることも可能であると指摘すること自体(問題部分4)は、本件各問題部分程度の抽象的表現に止まっている限りは、読み手の立場からすれば、単なる一般論以上の意味を有するものではなく、このような記述が原告の社会的評価を低下させるものとは到底認められない。 なお、宗教団体ないし宗教者の巨額脱税が悪質な犯罪であることはいうまでもないところであるから、その調査をしたり、告発したりすること自体を非難することはできず、また、仮に、政党がそのような調査、告発をしたり、あるいは、国税当局に対して、嫌疑を通知し、調査を促したとしても、必ずしもそれを直ちに非難することはできない。もちろん、真実には脱税の事実等がないことを知りながら、不当な目的で国税当局に不正な圧力をかけることは許されないところであるが、本件記事には、このような具体的記述は何ら含まれていない。 また、原告が上記脱税事件の発覚を仕掛けたという見方(問題部分1ないし3)については、「宗教関係者」の発言を紹介する記述となっているが、その発言内容自体についていえば、原告が脱税の発覚等を「仕掛けた」手段、方法、過程等について何らの具体的な事実の指摘を伴っておらず、単に原告と立正佼成会や霊友会(久保派)との対立関係の存在や、前述のとおり一般論以上の意味を持たない問題部分4の記述のみを前提として、原告にはそのようなことを仕掛ける動機と可能性があるといった程度の抽象的なことを述べたものにすぎない。また、その表現方法についても、問題部分3においては「………の会計に問題がないか探ろうとした気配がある」とされていたり、当該紹介部分に続く問題部分4の冒頭に、「こうした見方が真実かどうかは分からない」と記述されているなど、全体的に断定的ではない控えめなものである。さらに、発言者は単なる「宗教関係者」とされていて、その立場や身分が全く明らかでなく、発言者が原告と本件の脱税事件の摘発との関係を特別に知り得る立場にあることを示すような何らの事情も摘示されていない。 以上によれば、本件各問題部分は、そもそも本件記事全体に占める位置づけが低い上に、それ自体一般論を前提として、格別の根拠もなく具体性をも欠く抽象的な内容を控えめに表現したものにすぎないものであって、このような記事を書かれた原告において主観的に被害感情を抱くのはともかくとして、一般人がこのような記事を読んだとしても、原告の社会的評価が殊更低下するとは考えられず、他に上記低下を認めるに足りる証拠はない。したがって、本件各問題部分が原告の名誉を毀損したと認めることはできない。 以上述べたように、本件各問題部分が原告の名誉を毀損するものであるという主張には理由がないから、その余の主張について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも認めることができない。
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2005年2月11日 23:35
以下も参考文献としては興味深いのでは?
貴殿が一瞥して記事から逃避するようであれば一言釘を刺しておくが、もし、この文献が全くの捏造であれば、とうの昔に訴訟問題になっていてはずである。がしかし、今に至るまで、全く法廷闘争にはなっていない事実からして、内容には刮目すべきではないか?
ではどうぞ、ゆっくり御熟読ください。
1.池田大作乱行の動機
例の"三畳間証言"の小沢ヨネも、池田からミカンの食べかけと、ビールの飲みさしのお下げ渡しを受けるよう
強制されている。(中略)池田の女性醜聞もお下げ渡しと同様、考え方として二分類できるのではないか。
一つは相手の女性が心から名誉と考え、女性の方から積極的に近づく場含である。(中略)現に中年の一女性
学会員は、こう放言してはばからなかった。「仏様に抱かれるなら、結構なことじやない。ふつうの男に傷も
のにされてから嬢ぐより、どんなにいいことか。」ここにいう仏様とは池田のことである。
もう一つは、池田が忠誠心を試す場合である。まず迫って、その女性がイエスかノーか試される。次いで女性
が独身なら、池田の手のついたその女性を妄ることを求められる男性が試される。飲食物に似た文字通りのお
下げ渡しである。
女性に夫がいるなら、夫が、お手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。これはトウガラシを、
目に火の玉カが飛ぶほど掛けられたウドンに似ている。夫には苛烈な体験である。《『創価王国の野望』103頁
》
2.池田の手口と、女性信徒の信心利用して造った「奥の院」
池田は、女子部大幹部たちや本部の女子職員に、身の回りの世話をやらせた。亭主持ちも独身も関係ない。
相手はとにかく別格の会長先生。女性の側の気持ちは純粋である。不純なのは池田大作だけだ。
最初は背広をかけさせる程度の用をいいつけ、狙らった相手の表情をうかがいながら肩を揉ませ、裸の胸を
さすらせる。これが池田の女性攻略の手口である。
若い頃からそうだったが、池田大作は他人から軽蔑されることを極度に恐れる。だから女性の場合も、目的
を遂げられる相手かどうかを、用心深く見極める。その見極めのつかないうちは、実際行動には出ない。創価
学会三代会長という立場を利用して、憤重に策謀をめぐらし、だんだん屈服させていく手を使うのだ。
この手で、三十才前後から女性学会員を相手に醜い欲望を満足させてきたのが、池田大作という男である。
(中略)このように、気に入った女性に目をつけると、家族ぐるみ創価学会職員としてかかえこみ、第一庶務
や女子部幹部にとり立てる。そして多少あきてくると側近幹部に下げわたし、それでも気がむけば呼びつけて
、身辺の世話をさせる。その夫は議員にしたり、幹部にして取り立てる、というのが池田のやり方なのである
。世間の人たちには、単に池田個人の猟奇や好色話として映るかもしれないが、池田大作の女性関係は、欲望
を充たすことであると同時に、人をして精神的に屈服させ、支配するための手段なのだ。(中略)彼女たちは
池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。「お手付きになりたい」との声まで出る
始末だった。あげくに、その念願をはたした当人たちは池田会長との特別な関係をほのめかして他に威張り、
周りは「いいですねぇ」と羨ましがった。いってみれぱ人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいうとそ
うなる。そして、池田は女性会員たちの倒錯した心理を悪用し「奥の院」をつくりあげた。それが一連の下半
身スキャンダルを生んだ背景だったわけである。《『池田大作の素顔』210頁〉
3.池田の〃乱行〃の仕組みと具体的手口
池田氏は風呂好きで、一日に何回も入る人で、そ の時は午後でしたが、部屋の隅に浴衣、下着の類が置かれて
いました。その浴衣のすそに、赤い紅のようなものがついているのが見えました。女性の名前は出しません。
そのあと、下へおりてから上田雅一現副会長が、私に「おい、見たか、見たか」と非常に興奮していうので
す。私は、「いったい、なんのこと?」と聞くと、「赤い紅がついていたろう。あれは口紅なんだ」といいま
した。それで私も「あれは確かに血ではない、紅だ」と思いました。私は当時、結婚はしていましたが、そう
いうことはうぷで、フェラチオも知りませんでした。上田さんは、不良出身で、「あれはフェラチオだ。前か
らあんなふうなことやっているんだ」といい、私が「まさか」というと、「いや本当なんだ」といって、十数
名の女性の名前をあげました。
そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。本当の第一庶務とは、池田大作と肉
体関係のある人たち。いわゆる第一庶務は肉体関係のない人たちで、特別施設などへ池田氏が行く場含、本当
の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということをいいま
した。
第三に、池田先生はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないといっているが、本当は地方の各
地にそれぞれの女性がいる。
第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして
(心理的に)乗り越えさせるのだ、と、以上のことを上田は話しました。「元創価学会教学部長・原鳥嵩氏の
証言」《『池田大作の素顔」132頁》
4.妾を認め、超絶的オスとして振る舞い、男性幹部を屈服
池田の私生活も、私人的な言動も、創価学会=旧公明党の首領であるという自意識から、けっして離れられな
かった。彼は戸田の率直さだけは受け継がずに圧殺し、自ら立てた浅ハカな大義名分によって厚化粧した。
彼は女性との関係に関しては、
「法治国の国民としては、それ(一夫一婦制)に従うべきだ。ただし_ただしですよ、(笑い)_もし、そ
れだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は
男性として認めます」(『宝石』44年1月号掲載)との、まことに融通無礙の見解を持ち、今ではそれを実地に
試みたと報じられている。
『週刊新潮』(五十五年六月十二日号)によれば、池田と〃ただならぬ間柄〃の女牲は、公明党参議院議員
・渡部通子、中国担当副会長・上田雅一の夫人、創価大学図書館長Yの夫人、第一庶務の女性たち、東海研修道
場の女子職員、山陰地方のある幹部の夫人、と多数に上っている(創価学会は同誌に対し55年6月5日、記事の
即時全面取り消しを求め抗議したが、同誌は6月19日号で逆に「当誌を〈誹謗・中傷〉する目的で書かれた〈許
し難い〉文章」だとして取り消しを拒否、その後、現在=56年4月=に至るまで同誌記事は黙認されている。中略
)池田に信仰者の慎しみは無縁である。彼はおそらく平均的な成人男子以上に、女性を快楽の道具とだけしか
見ていず、会内における彼の超絶的な権力者の地位を、超絶的なオスの位置にもスライドさせて、一部女性会
員に臨んだ形跡がある。そればかりか彼は、妻との情交をその夫に承認させることで、幹部会員の全生活面に
及ぶ権力を確認すると同時に、その夫たる幹部の自尊心をくじき、人間性を損ない、自立的な判断を放棄させ
て池田の命令に絶対服従する人間に造りかえることにも用いたとみられる。池田の行ないはうじゃじゃけたも
のとはいえ、夫たる会員にとっては極限状況的な試練なのだった。
ちょうど一睡もさせずに総括して人間改造を図る訓練法のように、彼には己の性器を幹部の「人問革命」に用
いたことが疑われる。《『堕ちた庶民の神』237頁》
5.欲望は女性会員に向け、芸者には言葉だけで止どめる
池田はせいぜいのところ、三菱銀行の宴席に侍る芸者には、「"お前気に入ったから、身請けしてやろう"とか"
外国に連れていってやろう"とか"ダイヤを貰ってやる"とか"マンション買ってやろう"なんてカンタンに」(石
井孝子談、「週刊新潮」昭和45年4月18日)いい、もっぱら(※芸者に対しては)言葉の浮気に控えていたよう
である。もっとも彼は、会内での気散じには不足しなかったようで、好きこのんで外に危倹を求めるまでもな
かったのかもしれないし、また芸者は彼の好みでもなかつた。
《『池田大作権力者の構造』245頁》
6.温泉つき熱海研修所の女王・大島節子の場合
学会の東海研修所道場(熱海研修所)で管理人を務めるカップル。といっても、並の管理人夫婦ではない。妻
の節子は旧姓の高橋名の時から、池田に見そめられ、両親ぐるみで管理人に起用された。一着が三十万円とか
四十万円もする高価なドレスを池田から買い与えられ、"熱海の女王"として孔雀のように華麗に振る舞った。
「ウチの娘にホトケ様の御手がついた」と両親が自慢するだけでなく、本人自ら「池田先生との特別な関係」
とノロケてみせる。風呂好き人間の池田は、温泉のある熱海研修所に入りびたりだった。二人の親しい仲の噂
が広まるのを警戒した側近の中西治雄が、聖教新聞記者の大島光明と高橋節子を結婚させ、新任地の栃木県へ
と隔離した。
しかし、人妻となった節子のサービスが忘れられず、池田は大島夫妻をともども熱海研修所の管理人として呼
び戻した。夫の光明にしてみれば、屈辱的な人身御供であろう。
屈辱感を弱める狙いがあって、池田は一管理人に過ぎない光明を学会の総務、副会長に抜擢した。副会長とい
っても、全部で百二十五人もいるのだから、池田にとっては何の負担増にもならない人事サービス。口封じを
図り、造反を防止したつもりだろう。
だが皮肉なことに、なんのキヤリアもない大鳥副会長の誕生で、かえってスキャンダル疑惑を深めた。
そういう事情を知らずに熱海研修所に泊まった横松昭副会長が、普通の管理人に頼む調子で布団敷きを気軽に
命じたため、後で池田から怒鳴りつけられたとのエピソードもある。
大島夫妻は研修所の管理人といっても、その実態は、池田の愛用する"温泉付き別荘"で、池田にのみ仕える身
辺世話係である。別荘で待機するメ第二夫人モと表現した方が正確かもしれない。<『スキャンダル・ウオッチ
ング』66頁>
7.温泉つき熱海研修所の女王・大島節子の場合
63年5月、創価学会は大々的な人事刷新を行ない、いっぺんに副会長が25人も新たに誕生した。この役員人事
にちょっとした異変が起こった。従来、副会長は、会社でいえば取締役に当たる「学会総務」の中から、功労
や序列によって任命されてきた。ところが今回、一般の幹部から総務に昇格したその日に副会長になった男が
いた。大島光明新副会長である。事情通の間では、「ハハア、また池田の病気が出たな」と話題になった。大
島には、今回、副会長になるほどのキャリアも力量もない。その見方は衆目の一致するところであった。それ
では、なぜ、学会関係者も驚く「前代未聞の二階級特進」となったのか。大島夫人は、学会内では「熱海研修
所の女王」といわれた、旧姓・高橋節子さんである。池田大作のお気に入りとして、「月刊ペン」裁判などで
も名前の出た女性だ。池田好みの容姿で、池田に見染められて、両親ぐるみ熱海研修所(後に東海研修道場と
改称)の管理人として召しかかえられた。そうしておいて、熱海研修所の岩風呂つきの豪華な専用施設に、池
田は入りびたりになった。
この「女王」はアッケラカンとしたところがあって、同僚だった女子部の幹部に、池田との親しい関係を話
したり、池田から贈られた高価な衣類や装身具をみせびらかしたりしたので、噂が次第に広まっていってしま
ったのである。やがて「創価学会会長の浮気」スクープを狙った週刊誌記者が熱海研修所のそばに張り込んだ
り、カメラマンが近くのクリーニング店の屋上に望遠カメラをすえつけるようになつた。そこで池田は、大蔵
商事時代からの側近で、ずっと私設秘書的な仕事をやらせていた中西治雄に、対策を命じた。中西は、聖教新
聞記者だった大島光明と節子さんを結婚させて二人を新任地の栃木県へ引っ越しさせることにした。
ところが池田は、人妻の身となった節子さんに相変わらず御執心で、ほとぼりがさめると、彼女を熱海に呼び
戻したのである。これには中に入った中西治雄も周囲にボヤいた。「せっかくうまいこと処理したのに、また
呼び戻して同じことをされたんでは、なんのために苦労したのかわからない。大島も可哀想ですよ。」彼女は
、熱海の広大な「温泉付き池田別荘」ともいえる研修所で、普段は、職員を従えてクジャクのように振る舞っ
ていた。池田がきた時は、もっぱら彼女が身の回りを世話するが、それだけが仕事で、あとは何もすることが
なかったからである。もっとも、たまに池田から、箱根の専用施設に呼ばれることがあった。夜遅く、運転手
をつとめる職員を呼び出して、車中で浮き浮きとはしやいでいた。これには職員も苦がり切っていたという。
(中略)
昭和56年から始まった「月刊ペン」差し戻し裁判でも、彼女のことは法廷に持ち出され、また週刊誌等でも
取り上げられた。それから6年たち、隈部大蔵氏も死亡して裁判は立ち消えとなり、ほとぼりもさめたと思った
のだろう。池田は63年初めから「勝った、勝った」と騒ぎだし、大島新副会長の大抜擢など、当時、苦しい思
いをさせた者への論功行賞をやった。
この男の頭には、組織を守ることより、自分の地位を固め、権力を思うままにふるえることの方が大きかっ
た。だから池田は、私の自尊心をへし折ろうとし、プライドを捨てた部下が何でもいうことを聞くかどうか、
踏み絵を繰り返すのである。
女房でも差し出すか、それこそ逆立ちでも、三遍回ってワンと吠える犬の真似でもやって見せるような部下
しか、重用しない。要するに自分の下につく者は、人間として最低のプライドまで捨てさせ、反抗の牙を完全
に抜く。そうしないと安心できない。それが日本最大の宗教法人、創価学会名誉会長・池田大作の偽りのない
素顔である。《『池田大作の素顔』221頁》
8.子供の顔にマジックインキ塗られた吉田章子の場合
池田が得意の絶頂期にあった昭和40年代前半、学会の第一庶務室に三人の目立つ美女がいた。青木黎子、本
田章子、宮本京子の三人。いずれも池田好みの容姿端麗派。池田は三人を特に可愛がり、同じく池田の側用人
として仕える三人の男子若手有望幹部とのカップリングを思いついた。
相手の男性は特別書籍部(池田の代作・代筆グループ)の原島嵩、桐村泰次、上田雅一のメ三羽烏モである。原
島、桐村両人は既に結婚を約束した他の女性がおり、結局、池田の思惑通りに結婚したのは、上田雅一・京子
夫妻だけに終わった。桐村夫人になり損ねた本田章子は学会本部職員の吉田良佑と結婚し、吉田姓となった。
一躍、その名が知られたのは、マジック写真流出事件以降である。吉田夫妻の間に生まれた長女を、池田は自
分の子供であるかのように異常に可愛がり、学会幹部の間で、誰の子供かと噂されるようになった。そして池
田が、その長女の顔にマジックインキを塗りたくって、弄んだ。
その写真が聖教新聞社のカメラマンによって撮影され、外部に流出した。「自分の子供に何をしても構わな
いだろう」との池田の意図が、裁判で間題にされた。
弁護側 マジックインキを塗ったことは?
池田 あります。
弁護側 この写真のいきさつは?
池田 吉田さんの家は私の家から二、三分のところにあり、この子をとても可愛がっていた。四十七年頃と
思う。私が三時の休み時間に、皆がなごやかになるであろうとイタズラした。
弁護側 度がすぎるのでは?
池田 子供があんまり可愛いので。聖教新聞の前には子供がよく遊んでいた。
裁判官 誰が面白がるのですか?
池田 自分も喜ぶ。子供も大人も。
要するに池田は、近所の学会施設に住む吉田夫妻とその娘を、「文句がいえるか」とばかりにいたぶったの
である。吉田良佑は当時、「聖教」資料室長。
マジック写真流出後は創価学会の図書館長を務め、生活費支給を池田に頼る身。何をされても、文句一ついえ
ない立場である。
《『スキャンダル・ウオッチング』68頁》
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9.一家ぐるみで口説かれた上田京子の場合
池田のお手つき女と結婚したために破格の出世をした、髪結いの亭主No.1が、上田雅一だ。二人は池田の
命令で結婚した仲。しかし、結婚後、雅一は妻との結婚生活がうまくいかず、友人によく悩みを打ち明けた。
京子はもともと大手出版社に勤めていた。彼女を女子部の会合で一目みた池田は「あれを本部に入れろ。第一
庶務勤務だ」と北条浩に命令。北条はさっそく京子に会い、会社をやめて本部に入るように説得した。が、会
社でも大事にされていた京子は、なかなか会社をやめるといい出さない。そこで、北条は池田の指示により京
子の父に会った。「会館の管理人として家族ぐるみ一生、いや、孫子の代まで面倒を見る」と奥の手を使って
口説いた。結局、一家は池田の世話になることとなった。
やがて、彼女は池田のメガネに適った上田雅一と結婚。雅一は若くして副会長、壮年部長とトントン拍子に
出世した。だが、こんな夫掃の関係がうまくいくわけがなかった。結婚したあと半年間はギクシャクした関係
が続いた。その頃、雅一は友人に悩みを訴えている。雅一が友人に「○○も池田先生と関係がある」と女性の
名前を挙げたところ、その数は十余人に及んだ。友人は「キミの奥さんもか」と雅一に尋ねると、雅一は苦渋
に満ちた顔で否定しなかつた。
京子は結婚後、第一庶務室兼白雲寮管理人になった。白雲寮は学会本部のすぐそぱにある。池田はよくこの寮
を使った。雅一は昼間は本部にいて、夜遅く帰ってくる。池田は、雅一のいない間に白雲寮にやってくるのだ
。雅一の悩みの一つに、自分の妻が池田の体液が付いている下着を洗濯させられることがあった。雅一は、一
時は真剣に離婚を考え、友人たちに池田への恨みをぶちまけた。
京子はその後、夫に悪いと思ったのか自分から折れて、やっと正常な夫婦関係になった。そうなった後でも
、池田は京子に自分の身辺の世話をさせる。今度は、京子の方が池田に嫌気がさしてきた。
他の女性の口紅の付いたパンツを洗濯させられるのは、さすがに我慢しきれなかった。雅一にグチをこぽすよ
うになる。
夫婦そろって池田に嫌気がさしたことになる、この二人。今のところ、アンチ池田の旗を掲げる気配はない
。結局、自分たちの生活、学会内での地位、名誉、そういったものの総てが、池田におんぶにだっこで成り立
っていることを知っているからだ。池田にしてみれば、京子とは単なる男女関係であるだけではない。同時に
、側近である雅一の忠誠度を試し、プライドをへし折って自分に従わせるための、池田特有の人心操縦手段な
のである。《『スキャンダル・ウオッチング』74頁》
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10.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
数ある大作スキャンダルの中でも、大作・通子の関係はやはり別格的意味合いをもつ。夫の一郎はそれを知
りつつ、あえて通子と結婚した。
そして生まれた一人息子に、名付け親の大作から、大作の次男と同じ城久の名を有難く頂戴した。「先生の
お子さんと同じ名前を戴けて、私、夢を見ているような思い。幸せだわ」と通子は有頂天になったものである
。
夫の一郎の心境は複雑だった。生まれた子が、自分の血を引いているのか大作の子なのか、疑っていたからで
ある。
お産のため入院した通子の見舞いにも行かなかったし、男児が無事誕生の知らせに接しても、喜ぶどころか
、知らせの使者、通子の姉の藤原郁子にモノを投げつける荒れようであった。このおどろおどろしい話は、い
ずれも大作スキャンダルが表面化されるよりずっと以前のことである。
池田はお手つき女性のお下げ渡しをする際の常套手段として、夫の一郎を衆院兵庫一区から立候補させ、す
でに八回の当選を重ねる代償を与えた。そして、妻の通子にも、衆院東京一区の名門区から立候補のチャンス
を与えた。
通子は四万五千余票を集め堂々当選、ここに目出たくメオシドリ議員モが誕生した。昭和44年12月のことであ
る。
その後、47年の総選挙で落選すると、今度は一郎と同じ兵庫県から参院に立候補させ、当選させている。ま
だ、池田スキャンダルが周知の事実となる以前のこと。
通子は池田との仲を隠すどころか、誇示してみせた。「池田先生に随順しなさい。そうすれば、私たち夫婦
のようにオシドリ国会議員にもなれるのだから。」
同じ姉妹でも、姉の郁子は先生の意に添わなかった"罰当たり"としていじめられ、妹の通子は身も心も棒げ
つくした模範人間として用いられる。学会内では知る人ぞ知る事実だったのである。
ただし、噂が学会内にとどまっていれば、オシドリさんはずっと幸せだったし、夫の一郎は書記長、委員長
コースを歩けたかもしれない。
五十五年、池田スキャンダルが外部に徹底的に暴き出され、事情は一変した。
通子は、一期限りで参院議員を辞めさせられた。党の婦人局長というポストも、婦人代表としてはイメージ
が悪すぎるだろうとの判断で、生活局長に左遷された。
ダメージを受けたのは、夫の一郎も同じである。陽の当たるポストに就けば、なにかと池田スキャンダルの
格好のタネにされる。後は飼い殺し、使い捨ての道が残されるだけ。《『スキャンダル・ウオッチング』77頁
》
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11.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
あの裁判「月刊ペン事件」における池田の偽証工作の実態については、私の身内の証言だけで立証可能だが
、ここで少し明かしておきたい事実がある。
それはほかでもない。池田から通子(渡部・国会議員)に醜悪な誘いがあったのは本当だった。そして、も
し誘いを受けた通子が池田をハネつけていたら、逆に池田のいやがらせを受けて、彼女が国会議員になる道は
閉ざされていただろう、それだけはまぎれもない事実である。
大人の男と女だ。世間によくあるような恋愛なら、第三者が口出しすべき筋合いのものではないと、私も思
う。
しかし、池田大作と女性学会員とのふしだらな関係は、恋仲などと呼べる代物ではない。池田は創価学会会長
という立場を利用して、人妻であれ、結婚前の独身女性であれ、見境なし。
女性を自分の権力誇示のために弄んできただけのことなのだ。
《『池田大作の素顔』43頁 》
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12.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
渡部一郎も、通子と池田の仲を承知のうえでプロポ−ズしたのであり、当時、同じ部隊の幹部に再三、「俺
は通子を、必ず池田から取り返してみせる」と宣言していた。だが、婚約後も、通子の気持ちは池田の方を向
いていた。池田も、戸田先生やかね夫人の目を盗んで、通子と逢瀬を重ねた。二人の仲は学会内部で周知の事
実であった。
《「池田大作の素顔」199頁》
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13.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
渡部通子が池田の裸の胸をさすっている現場へ行き合わせたことがある。創価学会が日本共産党との間に協
定締結をした時期だから、昭和49年暮れだった。その時、池田は私の顔色をうかがいつつ弁解した。「いや、
藤原君、オレね、気管支が悪くて胸が痛いんだけど、通子がさすってくれると不思議に治るんだけど。だから
、つい頼んじゃうんだよなあ。」
《「池田大作の素顔」225頁》
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14.スプーンでメロンを「アーン」の多田時子の場合
時子は女子部時代、池田と特別の仲だった。池田の泊まる先々で池田の脇腹をさすったり、スプーンでメロ
ンを食べさせたりといったことが、側近によって何十回となく目撃されている。
省吾と結婚後も、池田と特別な関係を続けたのかどうか分からない。しかし結婚前は、デパートに池田夫人
気取りで豪華な買い物にでかけたりしている。昭和四十年頃は、特に本部の女子職員の間で池田との特別な関
係が取り沙汰され、羨ましがられたものである。渡部通子が月刊ペン裁判で池田の女性スキャンダルを否定す
る証人として出廷したのに対して、時子は出廷を断わったことで学会内では有名になった。
当時、会長の北条浩は「時子は証人になりたがらない。時子は弱いんだ」と周囲に喋った。これは、暗に北
条が時子と池田との関係を認めたことになる。時子は当時、婦人部の会合では「私は(池田との関係は)あり
ません。あったら、ありがたいんですけど」と発言している。
事実を隠蔽するつもりが、逆に本心をさらけ出した格好だ。時子は現在、藤原行正の妻の郁子を、婦人部の
会合でメッタクソに罵倒し続ける役目を負っている。
悪口をいわせるのは、明らかに池田の差し金である。そのご褒美か、時子は最近、全国総合婦人部長に返り
咲きを果たした。また、時子が郁子を罵倒すれぱするほど、夫の方も公明党で重用される。
《『スキャンダル・ウオッチング』79頁》
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15.池田の子を中絶した笠貫由美手の場合
旧姓を佐野という。佐野女子部長といった方が、学会内ではわかりやすい。現在は結婚し、姓が変わった。
学会活動の方は相変わらずで、世田谷区の総含婦人部長をしている。
凡人の佐野が女子部長になれたのは、本人に力量があったからではなく、池田の寵愛を受けた女だったから
にすぎない。
池田はよく、「由美子はバカだ、バカだ」と周囲に喋った。笠貫は、女子部時代、第一庶務室に長く務めて
いた。いつも池田のそばにいて、池田がいる部屋の隣で、手を前に付き、半かがみになって待機する。
池田が「オイ!」と呼んだり、手を叩くだけで、直ちに池田の許に飛んでいく。その素早さが、池田に評価
され、バカといわれても女子部長になれた所以である。
笠貫は、池田が目を真っ赤にしながら「目がいたい、目がいたい」というと、傍らに坐って本を読み聞かせた
りした。読むのをつっかえると、ここでもまた「バカ」とどやされた。
それでも、池田先生の側にいることをこよなく好んだ笠貫は、自分を罵る池田の態度などいっこうに気にし
なかった。
笠貫の女子部での活動歴は浅い。それが、たちまちにして全国女子部長になった。抜擢の背景には、池田に
対する笠貫の思い入れがあるのはもちろんだが、
池田から見れば、笠貫の「尽くしに尽くすタイプ」を側に置いておきたかったのである。やがて、笠貫は池
田の子を身寵った。
その子の中絶を手配したのが、横浜日赤で外科部長をしている、学会ドクター部幹部の森田修平だった。
このことについては、藤原行正が、「何代か前の女子部長」という匿名の表現で、中絶の件を暴露した。池
田は、それに対して過剰反応を示した。
池田夫人・香峯子をして、笠貫の妊娠を否定するアリバイ作りに加担させたのである。
池田夫人から婦人部の最高幹部が直接指導を受ける記事が、『聖教新聞』紙上に掲載された。このようなこ
とは、普通では、まずありえない珍事である。
今年2月11日の『聖教新聞』7面には、次のようぬな笠貫の記事が載った。「優しい妻に 強い母に 力ある
婦人に_これは婦人部進出にあたり、先生の奥様からいただいた指針です。」池田は、女性スキャンダルのカ
ムフラージュに夫人まで使って恥じるところがない。
《『スキャンダル・ウオッチング』90頁》
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16.「一緒に寝た」とノロケた故・シルビア斉藤の場合
シルビア(斉藤悦子)は年に二、三度は必ず日本に出向き、池田と会う。帰国後、その特別な関係を自慢し
、会合でノロケて見せる。それによって「シルビアさんは池田先生に近い方だ」との評判を獲得し、組織を私
物化する。
いってみれば、ミニ池田大作のブラジル版なのである。(中略)シルビアが日本から帰ってくると「先生の
招待で日本へ行ってきました」と池田との特別な関係を自慢し、派手な洋服、飾り物を身にまとい、得意顔。
側近に「○○で一緒に過ごした」「夜中ふと目を覚ましたら、先生が横に寝ていた」「先生と手をつないで
歩いた」「もったいないので、先生の手を懐ろに入れてあげた」といった類の低級なノロケ話をして悦に入っ
たりもする。
だから現地では「悦子は池田さんの妾だ」といわれる。
そして池田さんの妾(?)が現地の学会組織を牛耳っているのだから、トラブルが続発するのは当然だ。(
中略)
また、かつてNSBには「シルビア斉藤にプレゼントする会」というのがあった。各支部が持ち回りで担当した
。これも、長谷川重夫副会長によって推進された「池田先生直結運動」と同じものである。
《『スキャンダル・ウオッチング』180頁》
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17.池田との異常な関係で離婚された平塚貞子の場合
自分の手の付いた女性を他の男に分け与える。考えただけでもおぞましい行為が、今なお信仰指導の名の下
に行なわれる。
かつて、原島嵩、山崎正友らによって証言・暴露された、池田と取り巻きの側近女性の異常な関係。
それらの女性の男性幹部へのお下げ渡し事実。平塚貞子という一学会婦人部幹部の二回目の結婚にまつわる
騒動は、それらの事実をまた一つ裏付けることになつた。
平塚は昭和31年の入信。43年に34歳で本部職員となった。婦人部から学会本部に採用されるのは、異例中の
異例。池田の大抜擢があったのは確かだ。平塚には二回の結婚歴がある。その二回目の結婚で平塚は、新婚旅
行から帰った翌日に早くも離縁された。いったい、何が起きたのか。
平塚と夫のAの結婚は五十五年、Aが五十七歳、平塚が五十歳の時だった。Aが後に遇刊誌で告白したところに
よれば、結婚披露宴で挨拶をした多田省吾の祝辞が、じつに珍妙だったという。
「池田先生が誰それと関係があるとか、いろいろ書かれていますが、相手の女性にはそれぞれ主人がいる。
そんなことはあり得ませんよ。いいかげんな週刊誌が多いんです。」
Aは、結婚披露宴のめでたい席で、どうしてそんなはしたないことをいうのかと、疑問に思った。
騒ぎが起こったのは、一週間ほどの新婚旅行を済ませた翌日だった。妻が「池田先生に挨拶に行こう」とい
い出したのだ。かつて第一庶務室に勤務した経験のある平塚は、池田が自宅にいることをしっかり確認し「今
行けば、会ってくださるかもしれない」と池田家に夫を連れていった。
が、玄関口に現われた池田夫人は「主人は寝巻姿なので出られない」と、冷たくいい放ってとドアを閉ざした
。
そのまま自宅に戻ったAが「家にいるのに出てこないなんておかしいじゃないか」というと、平塚はいきなり
怒りだした。「池田先生のことを悪くいうなんて許せない」と叫びながら、手当たり次第に物を投げつける、
ヒステリー状態に陥った。
Aはこれにびっくり。こんな女とではとても一緒に暮らせないと、すぐ離婚を決意、実行に移した。これだけ
なら、確かに異常ではあるが、どこにでもある、単なる夫婦喧嘩に過ぎないかもしれない。
問題は、平塚が出ていった後しばらくしてからAに届いた、一枚の手紙だ。中身は便箋一枚の簡単なもの。週
刊誌の切り抜きのような文字が貼られてあった。
「(池田大作と関係のあった女性)七、八ニンノナカニアナタノオクサンモイマス 五月号ノシュウカンシ
ンチョウニ、貞子ト名入リデノッテイマシタダイサクノツカイフルシヲイタダイタノデスカ」
いったい、誰がこの手紙を出したのか、定かではない。しかし、池田がこの夫掃の新婚旅行直後の挨拶に出
てこなかったのは、自分のお下げ渡し女をもらった亭主と顔を合わせる気になれなかったのではないか、とAは
後に述懐している。Aは今、三人目の女性に恵まれ、平穏な日々を送っている。池田のお手つき女を黙ってもら
い、心ならずも池田に平身低頭してみせる学会幹部のその後の苦悩と比べ、Aの悠々自適な生活は対照的だ。
《『スキャンダル・ウオッチング』71頁》
18.副会長が「お手つき」と告白した松岡雅子の場合
雅子は第一庶務出身。やはり、池田とのスキャンダルがウワサにのぽる。上田雅一副会長もかつて、友人に「
雅子は先生のお手つき女」と告白したことがある。(中略)資は、かなりのエリートコースを歩んでいる。
だが、これも髪結い亭主の例を免れない。雅子は結婚後も、第一庶務付きだった。あまり表面には出てこな
いが、「池田先生に近い女性」ということだけで、学会内では知る人ぞ知る特別な存在である。吉田章子、上
田京子、そして松岡雅子。言論問題が表面化し、池田が世間から隠れるようにしていた時、こういった女性た
ちはいつも池田のそばに侍っていた。
今、学会内には紅梅会という婦人部人材育成グループがある。『聖教新聞』紙上にも最近、このグループの
活動が報道されるようになった。
婦人部の人材育成といっても、メンバーは第一庶務出身の婦人が殆ど。やはり、苦しい時には「お手つき女
」を集めるのが池田のいつも変わらぬやり方である。 《『スキャンダル・ウオッチング』
80頁》
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19.結婚後も身を差し出した浅野香世子の場合
結婚の時には池田に祝福され、結婚後には「子供を作るな」と妙な注文をつけられた学会幹部夫婦がこの人
たち。(中略)香世子の入信は比較的新しく昭和三十九年。四十五年にはもう女子部長になっているのだから
、これは例によって何かあるハズと勘ぐられた。
やはり、この女性も池田の寵愛を受けていたのである。結婚当時、一雄は一日も早く子供を欲しがった。夫
婦にとって、ごく自然な願いである。が、そんな一雄を池田は叱りつけた。「子供をつくるなんて、甘いこと
だ。女房をもっと本部に近づけなければダメだ。自分の女房と思ったら間違いだ。本部に差し上げる気持ちが
なければいかん」。(中略)結婚は池田の意向一つで左右され、しかも「女房を差し出せ」といい出す始末だ
。
一雄がどういう気持ちで自分の女房を差し出したかはさておき、浅野夫婦は池田とともに訪中したこともあ
る。だが、夫の方はどことなく影が薄く、最近ようやく、「一二五人中の一人」の副会長になった。
《『スキャンダル・ウオッチング』84頁》
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20.「池田の子を・・・」と噂される古川敬子の場合
昭和50年代初め、第一庶務室長の持永と部下である古川敬子の不倫が持ち上がった。オフィスラブなんて、ど
この会社にもあること。だが、そこは何せ、池田の目が光る第一庶務での出来事だから、大変だった。
古川は池田の好みのタイプ。持永との不倫の結果、古川のおなかが大きくなった。池田は激怒して、その子
を堕ろさせた。
学会副会長の原田稔は、友人に「持永が古川を妊娠させたぞ。(ドクター部の)森田修平に頼んで堕ろさせ
たよ」と漏らした。
51年のことである。だが、妙なことに、その後、古川はまた子供を二人生んでいる。古川の戸籍謄本によれ
ば、父親の名は空白のまま。彼女を知る人は、その後の彼女のやつれた姿に驚いている。
持永は表向き、黙して語らない。しかし、身近な人間には「オレがそんなことをすると思うか」と漏らして
いる。じつは、この二人の子供こそ、池田と古川との間にできた子供とウワサされているのだ。
とやがて、持永は第一庶務の任を解かれ、神奈川県長に転出させられた。しかし、ウワサは空気伝染するも
の。今度は、神奈川の学会組織に不倫のウワサが広がった。いたたまれなくなった持永は一時期、組織から行
方不明になり、県長を辞任。その後も再三、行方不明になる。今は学会系外郭企業・鳳書院の重役に取まって
いる。重役とは名だけで、仕事は何もない。池田の私物である第一庶務の女性と関係した持永、今でも池田に
用いられてはいる。
これも池田のやり方。自分に歯向かってこないかぎりは、学会の恥部隠しと口封じを優先して、飼い殺しにす
るのである。
《『スキャンダル・ウオッチング』85頁》
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21.池田に身も心も捧げたげた高橋栄の場合
旧姓・藤田栄。聖教文庫制作局出身で、熱烈な池田狂。花の女子部長も経験した。池田に、身も心も棒げた彼
女は、女子部時代から一貫して「結婚しない」と公言していた。夫は高橋英明。第一庶務に勤務していた。英
明は学生時代から栄にべ夕惚れで、何度となく交際を申し込むのだが、栄に「今はそんな時期じやないと思い
ます」とかわされて、相手にされなかった。にもかかわらず栄が英明の求婚を受けたのは、栄の両親に会って
までの池田の一言があったからだ。結婚式の当日、集まった女子部幹部たちは「これで栄さんが女子部からい
なくなる」と涙を流す光景が見られた。花嫁自身も、ちっとも嬉しそうな顔をしていなかつた。栄は女子部時
代、第一庶務も兼務して、池田のそばから離れなかった。池田が「サカエ!」と呼ぶと、すぐ駆けつけ、用を
果たす。女側小姓そのもの。やがては、池田の代わりに聖教新聞の記事を栄がチェックした。「池田先生に近
い」ということで周りの職員に恐れられ、本部職員も栄には頭が上がらなかった。現在、栄は婦人部書記長。
今の婦人部長・坂口幾代の次の婦人部長間違いなし、といわれる。英明は第一庶務兼務のSGI欧州書記長。日本
とフランスの間を行ったり来たりの日々だが、日本を離れている間、妻の行状がさぞかし気懸かりなことだろ
う。
《『スキャンダル・ウオッチング』87頁》
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22.九州の女帝として振る舞う田中伸子の場合
ご多分にもれず、田中伸子もまた、池田大作のお手つき女の一人であった。伸子は本当は信子だったが、池田
の『人間革命』の主人公・山本伸一の伸をとって伸子と改名したほどの池田教信者。池田の威を借りて、九州
では女帝のごとく振る舞っている。夫の昭二が代議士になれたのは、渡部一郎と周じく、お手付き女と知って
信子と結婚した論功行賞による。可もなく不可もなしの政治家生活。本人は当然、七期、八期と定年まで代議
士を続けられるものと考えていた。ところが、五十八年の総選挙の直前に、何の相談もなしに候補者を引きず
り降ろされた。代わって福岡一区に舞い降りてきたのが、神崎武法。検事総長になるのを目指して、"隠れ学会
員検事"の秘められたコースをひた走ってきた男だ。
同じ法曹仲間の山崎正友弁護士から「現職検事の電話盗聴事件関与」を暴露されて、検事辞職に追い込まれた
。「よろしい。それでは検事総長を指揮監督する法務大臣になれるよう、キミを国会議員にしてあげる。十万
以上の学会票があり、当選が確実視される福岡一区から出たまえ。」池田の"鶴の一声"で田中昭二が侯補を降
ろされ、神崎武法が新人候補に指名された。新人ながら、神崎は十四万票を得て堂々のトップ当選。(中略)
田中を降ろすにあたって、池田は田中伸子を九州総合婦人部長に昇格させた。九州婦人部の最高責任者に登用
することで、夫婦の間のバランスをとったわけだ。昭二は愚痴の一つもいわず、女房の尻に敷かれた。(中略
)田中伸子は「九州の女帝」として振る舞い、男性幹部といえども伸子の機嫌取りに汗を流す。男を尻に敷く
のが、よほど好きで性に合っているらしい。 《『スキャンダル
・ウオッチング』96頁》
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23.夫よりも池田を愛した女王蜂・秋山栄子の場合
池田は常々説いてやまない。「夫婦よりも親子の方が関係は深くて強い。そして親子よりさらに大切なのが、
師弟の関係だ。」池田のいいたいのは、夫婦や親子の情に流されるよりも師匠である私を大切にせよとの、師
弟関係最優先論である。その教えを文字通り実践したのが、婦人部長の秋山栄子である。そういう妻をもつ亭
主がいかに苦労し悩むかを地で示したのが、秋山富哉である。あげくに、病院で死ぬことさえ許されず学会施
設に隔離され、監視されて五十九歳の呆気ない最期を迎えた。死期の近いことを悟った富哉が、妻と池田との
スキャンダルを暴露するのを学会から警戒されたのである。「池田名誉会長の専用施設で、ご本尊に見守られ
ながら死ぬなんて、最高の栄誉。」まことしやかな"美談"が婦人部幹部の間で伝えられたが、実際には池田ス
キャンダル情報の流出防止のため、死の2、3週間前に病院からムリヤリ連れ出されたのだった。
秋山栄子は、夫の富哉よりも師匠の大作を愛し、かつ大切にした。
しかも、そのことを学会内で誇示する始末だった。池田は栄子を学会婦人部長に起用し、長い間"女王蜂""女大
作"として振る舞わせた。
《『スキャンダル・ウオッチング』25頁》
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24.池田をしのび、思いにふけった山田郁子
57年4月、中国総合婦人部長に抜擢された山田郁子については、池田が彼女に宛てたという手紙も、彼女が池田
を「しのび、思いにふけった」とする文章も公表されており、関係は事実ではないかと疑っている。元四国総
支部婦人部長による「寝間でのオシボリ」云々の目撃証言もあり、池田が彼女の夫である元参院議員・山田徹
一に「徹一さんはかわいいな。徹ちやんには恩があるよ。郁子を大事にしろよ」といった内部文書も存在する
。(中略)なお噂の女牲たちの多くが、池田との親密さを会員に語り、部外秘の文書とはいえ、幹部用の『前
進』などに記していることをどう考えればよいのか。常識的には関係の明示はきわめて危険である。だが、女
性幹部といえども、末端会員からは、池田との近さにおいて彼女の偉さが量られる。そのため、外向的で権力
志向の強い女性の場合には、秘すことの必要性と、公表したいとの欲望の相克に常に悩む。公表しすぎれば池
田の機嫌を損じる。どうしたらいいのか。(中略)思いのたけをぶちまけるやり方では、山田郁子の次の文章
などが好事例になるはずである。「題目を唱えていると、時として"先生"(注・池田のこと)と思わず叫んで
しまうこともあった。…先生を求め抜いていく情熱で戦っていけば、その人こそ最も先生に近い人といえるで
あろう。…先生のお話が聞きたい。だれでもよい、"先生にお目にかかった"と聞けば、"先生はお元気だった?
どんなお話をされたか"とむしゃぶりつく思いで聞いた。そして少しでも、先生のことをしのび、思いにふけっ
た。…
『池田先生に嫌われてるのでは…』そういう、必要以上に自分を卑下する心が、どうしても出てくる」(『前
進』44年10月号)なるほど、こうまで一方的に表現すれば、池田に迷惑をかけずにすむ。(中略)山田郁子の
文章に、信仰的情熱より、むしろ池田への恋情を読みとるのは難しいことではない。
《『創価王国の野望』107頁》
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25.池田の食べかけのアイスを食べた辻敬子の場合
"蒲田三羽烏"の一人・辻武寿。昭和29年頃の序列は、辻青年部長、牛田男子部長、池田参謀室長の順だった。
(中略)辻副会長は、再婚した婦人の敬子さんのことでも学会内では陰口され、有名である。
旧姓を鈴切敬子といい、池田のお気に入り女性の人であった。辻との結婚が決まったあとも池田は一緒に連れ
歩き、人前をかまわず「敬子、敬子」と拝び捨てにし、クツ下をはかせたり食べかけのアイスクリームを食べ
させたりして、睦まじいことを誇示した。
因みに、大橋敏雄代議士を除名処分にした統制委員長の鈴切康雄代議士は敬子の実兄。学会組織内部では「妹
の七光で国会議員にしてもらえた」と評判になつた。
「先生から『学会組織を利用して遊んでいるね』と厳しく指導された。この先生の一言こそが、私の一生涯の
支えになった」一鈴切から辻姓へと変わった後も「先生」への想いを捨てられない敬子が学会機関紙に寄せた
告白である。
《『スキャンダル・ウオッチング』20頁》
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26.池田の身体の汗を拭く美人通訳・矢倉涼子の場合
どこの大学を卒業し、いつから学会員になったか、過去の経歴が誰にも分からない謎の女である。
年齢は三十五歳前後。一おそらく独身だろう」と噂される。(中略)外国人との対談では、相手が英語圏の場
含、彼女が通訳を一手に引き受ける。
池田が喋らない言葉までを、その場の雰囲気に応じて臨機応変に通訳してしまう。内容のない話しかできない
池田を補佐する力のある才女だ。(中略)
池田の世話、面倒をどこまで担当するかは謎であり。ただ、常に池田により添い、汗っかきの池田が洋服を脱
いだ時など、ごく自然に身体の汗を拭いているのを目撃されたことはある。どこまでのサービスをするかはと
もかく、「今、池田から最も寵愛を受けている妖艶な美人通訳」との評価は定まった。
《『スキャンダル・ウオッチング』82頁》
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27.池田をマネて婦人会館に君臨した八矢弓子の場合
八矢英世の名を有名にしたのは、なんといっても、の悪名高い新宿集団替え玉投票事件である。英世、この事
件の中心人物の一人だった。郵便受けに放置されたままの投票入場券を抜き取り、学会組織である総ブロック
の拠点に集めた。入場券の本来の持ち主の生年月日、本籍などを住民票の閲覧で確認、投票は投票日当日だと
本人とかち合う危険があるため、それぞれ適当な理由をつけて不在者投票で行なったというもの。
本来なら、この事件が発覚した際、摘発の手は当然、首謀者の一人、八矢英世に及ぶはずだった。
しかし、学会と党の必死のモミ消し工作の結果、摘発は末端幹部にとどまった。池田自身、『社長会全記録』
の中で「新宿の選挙違反事件等は、絶対にいけない。八矢は、アブノーマルな点が心配だから、絶対にいけな
い」と"きれいごと"をいっている。
弓子は婦人部長の時代が長く続いた。弓子が婦人部長だった頃、信濃町に創価婦人会館ができた。弓子は婦
人部長として、この会館の中で女帝のごとく振る舞っていた。
全国の婦人部幹部に地方の産物を持ってこさせたり、自分の机から物が落ちるとそれを拾わせたり…。一部
には「ありゃ、大作のマネだ」との話がもちあがった。《『スキャンダル・ウオッチング236頁》
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28.女子部特代に池田の世話をした北川美弥子の場合
美弥子は白雲寮の管理人をしていた。離婚後、その任を解かれた。
昌宏は、池田のゴーストライターの集団である聖教新聞社内の特別書籍にいた。野崎勲が全盛時代に集めた、
いわゆる野崎コレクションの一人。
池田の講演の原稿などが主な代筆のジャンルだったが、川田洋一とともに大作の『生命を語る』なども昌宏の
代作。もともと関西の人間で、関西の学生部長だった。池田がわざわざ東京に呼び戻して特別書籍に入れ、野
崎勲とともに学生部の二本柱にした。美弥子と結婚後、白雲寮の管理人となり、一時は池田家ファミリーの一
員になりつつあったが、結局、離婚でオジャンになった。美弥子と池田のスキャンダルについては、その事実
があるかどうかハッキリしない。彼女が女子部時代に池田の身辺の世話をし続けたことは確かである。
そのことと離婚は、何か関係があるかもしれない。自分のお手つき女を学会幹部にお下げ渡しして、その夫を
管理人とか国会議員にして餌い殺しにする、池田のワンパターン的常套手段から逆類推すると、この二人のカ
ップルもまた、と噂が広まっているのである。《『スキャンダル・ウオッチング』70頁》
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29.深夜、密室でマッサージしていた女性達の場合
池田は朝に弱い男である。朝はたいてい十時過ぎまで起きてこない。やっと床を離れても寝起きが悪く、必
ずグズグズいう。
ところが、東京でも地方でも夜十時過ぎには寝室へ引っ込むのである。マッサージが好きでよく頼んだ。夜
は、時に女性が一緒だった。その女性達たちは信仰熱心な婦人部幹部のケースもあれば、本部勤務の女子職員
のケースもあった。大人の男女が二人で何をしているのか、おおよその想像はついたが、私は知らん顔で通し
た。《『池田大作の素顔』90頁》
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30.池田のデタラメな行状を目撃した側近の場合
池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔
策を命じた。(中略)池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は2
月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。(中略)
その側についていたのが一番弟子・原島嵩教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。
原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明か
している。
「45年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました
。時には、午前4時(ごろ)にある女牲が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常
に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています。」《『池田大作
の素顔』130頁》
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31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合
学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあ
げる。
佐藤潤一は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻の嘉代は、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルが
ウワサされた人。佐藤の父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。
佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。
森回修平。副会長、前ドクター部長。元学術部長。
横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。
石川信子。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・石川病院)を経営。産婦人科医。池田
の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。
(中略)
まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という
点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医
者を選び、自分のそばに置く。産婦人科の石川信子は、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けて
ぎた。渡部通子も、よく石川の病院に通ったものである。
このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。
世間に知られては困るトラブルの処理に、石川をはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。
森田修平も、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こし
た持永利之と吉川敬子が、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。
下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池
田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで
薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用
室に医者を呼んで注射をさせる。
池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らな
い。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と
急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛み
に耳鼻科の医者とは、はてさて?
明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。
《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》
--------------------------------------------------------------------------------
32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合
子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池
田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。
暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。
が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。
香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場であ
る。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」
「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯
子夫人一人だけに対し用いられる。
「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力を
もち始めた。
人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点で
は大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かね
ちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。
夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっ
ても、結論が出るだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》
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31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合
学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあ
げる。
佐藤潤一は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻の嘉代は、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルが
ウワサされた人。佐藤の父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。
佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。
森回修平。副会長、前ドクター部長。元学術部長。
横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。
石川信子。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・石川病院)を経営。産婦人科医。池田
の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。
(中略)
まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という
点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医
者を選び、自分のそばに置く。産婦人科の石川信子は、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けて
ぎた。渡部通子も、よく石川の病院に通ったものである。
このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。
世間に知られては困るトラブルの処理に、石川をはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。
森田修平も、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こし
た持永利之と吉川敬子が、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。
下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池
田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで
薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用
室に医者を呼んで注射をさせる。
池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らな
い。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と
急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛み
に耳鼻科の医者とは、はてさて?
明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。
《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》
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32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合
子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池
田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。
暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。
が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。
香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場であ
る。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」
「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯
子夫人一人だけに対し用いられる。
「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力を
もち始めた。
人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点で
は大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かね
ちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。
夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっ
ても、結論が出るだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》
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31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合
学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあ
げる。
佐藤潤一は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻の嘉代は、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルが
ウワサされた人。佐藤の父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。
佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。
森回修平。副会長、前ドクター部長。元学術部長。
横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。
石川信子。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・石川病院)を経営。産婦人科医。池田
の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。
(中略)
まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という
点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医
者を選び、自分のそばに置く。産婦人科の石川信子は、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けて
ぎた。渡部通子も、よく石川の病院に通ったものである。
このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。
世間に知られては困るトラブルの処理に、石川をはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。
森田修平も、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こし
た持永利之と吉川敬子が、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。
下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池
田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで
薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用
室に医者を呼んで注射をさせる。
池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らな
い。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と
急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛み
に耳鼻科の医者とは、はてさて?
明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。
《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》
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32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合
子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池
田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。
暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。
が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。
香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場であ
る。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」
「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯
子夫人一人だけに対し用いられる。
「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力を
もち始めた。
人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点で
は大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かね
ちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。
夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっ
ても、結論が出るだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》
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31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合
学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあ
げる。
佐藤潤一は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻の嘉代は、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルが
ウワサされた人。佐藤の父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。
佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。
森回修平。副会長、前ドクター部長。元学術部長。
横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。
石川信子。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・石川病院)を経営。産婦人科医。池田
の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。
(中略)
まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という
点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医
者を選び、自分のそばに置く。産婦人科の石川信子は、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けて
ぎた。渡部通子も、よく石川の病院に通ったものである。
このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。
世間に知られては困るトラブルの処理に、石川をはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。
森田修平も、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こし
た持永利之と吉川敬子が、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。
下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池
田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで
薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用
室に医者を呼んで注射をさせる。
池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らな
い。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と
急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛み
に耳鼻科の医者とは、はてさて?
明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。
《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》
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32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合
子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池
田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。
暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。
が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。
香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場であ
る。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」
「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯
子夫人一人だけに対し用いられる。
「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力を
もち始めた。
人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点で
は大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かね
ちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。
夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっ
ても、結論が出るだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》
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2005年2月11日 23:52
法華講側から面白い感想が入り始めました。
貴殿の今後の返答にも参考になるかと転送します。
貴殿も少しは目を覚ましてまともな法義論争のレベルまで勉強していただきたいものです。
法論対決のメールをくださり、
ありがとうございました。
勉強になります。
でも一回ごとに、すご〜〜い量ですが、いちいち打っているのでしょうか。とにかくすごい量ですね。
あと、樋田さんの教学力のすごさをまたまた感じております。
どうしてそんなに教学力を身につけられたのかと、
尊敬の念を持っております。
相手の方は樋田さんとは、教学力のレベルがまったくちがう人のように思います。(相手は学会教学ですが。)
相手のレベルが低くても、池田家の墓のこと等、どうあわてて反論するか楽しみです。お墓の件や、高額納税者のこと等。
後略
**********************************************************
2005年2月12日 14:34
▼> 道門増上慢=狸祭り事件、妙信講問題(顕正会)・正信会など
●これまた、噴飯物の出来事の例示。恐れ入ります。
Q.なぜ創価学会は警戒されるの?
A.1748万人(日本人の7人に1人)程いると推定される会員の数(15頁)、池田大作
名誉会長による独裁的組織性、創価学会を母体とした公明党が連立政権を組んでいる
という事実に加え、過去に起こした以下のような事件が警戒心を招いている。
・狸祭り事件: 1952年、初代会長・牧口常三郎を不敬罪で警察に売ったと考えられ
た小笠原慈聞日蓮正宗僧侶が、創価学会青年部員に担ぎ上げられ、牧口の墓所で謝罪
させられた事件。その際に「狸坊主」のプラカードを立てた(もしくは、小笠原が
「わしは狸だ。これは狸祭りだ」と叫んだ)ために、狸祭り事件と呼ばれた。(71-2頁)
・言論弾圧事件: 1969年刊行の藤原弘達『創価学会を斬る』出版にあたって、公明
党、創価学会関係者、創価学会と関係のあった田中角栄が出版中止のために圧力をか
けたという事件。その後、創価学会=公明党を批判するその他の本に対しても、学会
の側からさまざまな圧力がかかっていることが判明した。(95頁以下)
・盗聴事件: 1980年、言論弾圧事件当時、創価学会の顧問弁護士であった山崎正友
を中心としたグループが、学会批判の急先鋒にいた日本共産党の宮本顕治書記長の電
話を盗聴していたことが明るみに出た。敵対関係にあった妙信講(現在の顕正会)に
対しても盗聴を行っていた。(101頁以下)
狸祭り事件の処分について、及び、信者団体の独立法人格化禁止条項を宗制に加えるとした宗会決議について、猛反発した創価学会は、彼らの言う�悪侶��偏狭な宗会議員��悪議員�をターゲットにして、�集団吊し上げ�を連日連夜、繰り返した。
やり玉に挙げられたのは、東京妙光寺住職・柿沼広澄尊師、同白蓮院住職・千種法輝尊師、横浜久遠寺住職・市川真道尊師、静岡奨信閣住職・秋田慈舟尊師、京都住本寺住職・秋山教悟尊師、大阪源立寺住職・浅井広龍尊師(いずれも当時)らで、続いて、大石寺塔中の各住職に対する攻撃が繰り広げられた。
この一連の吊し上げの凄まじさは、想像を絶するもので、青年部が多勢で取り囲み、四時間から六時間にわたって監禁状態にした上で、暴力団顔負けの脅迫と恫喝(どうかつ)、罵声(ばせい)を浴びせ続けた。
しかも、これを何日も繰すのである。
なかでも、宗会議長であった市川真道尊師は、こうした攻撃に怯(ひる)まず、�宗会決議は正当である�と主張して一歩も退かなかったから、学会青年部達は激昂(げっこう)し、脅迫はエスカレートした。
あげくの果てに学会員らは、その場に居合わせた法華講員と乱闘になりかけ、通報によって駆けつけた警官が制止した。
荒々しい足取りで引き上げる学会青年部員達は、法華講員に対して、
「(第二の)狸祭りの実行は、時と場所を選ばずに行なうから、市川師を守るなら、今からせいぜい注意しろ」
と、襲撃予告の捨てぜりふを残した。まるで、
「月夜の晩ばかりではないぞ」
「不意に闇討ちをくれてやるから、首を洗って待っていろ」
と言わんばかりの脅(おど)しである。
これに併(あわ)せて、『聖教新聞』(昭和二十七年七月二十五日付)は、
「第二狸祭り事件か」
「狸をかばう醜怪議員市川真道氏(尊師と呼ばない)の正体」
などと、市川真道尊師に対し、えげつない攻撃キャンペーンを繰り広げている。
先に紹介した日達上人猊下のお話のような吊し上げは、上人が庶務部長当時、どちらかというと創価学会にとって良き理解者と思われていたから、創価学会としては、手心を加えたつもりだろうが、それでもあのような激しさであった。
�学会が悪侶と考える御僧侶に対する吊し上げは、推して知るべし�である。
このように、創価学会青年部が、傍若無人に宗内を席巻(せっけん)し、暴れまくっている最中、戸田城聖氏は、宗務院の呼び出しで登山し、七月二十四日付で、日昇上人猊下から、狸祭り事件の処分として「戒告文」を下された。
「あなたとあなたが指導する青年部の者が、去る四月二十八日総本山に於ける宗旨建立七百年慶祝の大法要の期間中に惹起(じゃっき)せる不祥事は、甚(はなは)だ遺憾(いかん)の極(きわ)みである。然(しか)も、その影響する所は、善意にしろ悪意にしろ国内一般に伝わり、宗門の面目を失うことが多かったと認められる。(中略)宗内の教師僧侶は、すべて私の法類であり弟子である。この教師僧侶が罵詈(ばり)侮辱(ぶじょく)されることは、法主である私がされることである。弟子に落ち度があれば、私が呵責し処置する。(信徒の行なうべきことではない)
今回のことは、長年の護法の功徳を認め情状を酌量(しゃくりょう)し、後の誡めとするに止める。法華講大講頭の職において、自ら懺悔(さんげ)して大講頭として恥ずるなら、即座に辞職せよ。若し恥じないと信ずるならば、心を新たにして、篤く護惜建立(ごしゃくこんりゅう)の思いをいたし、総本山を護持し、ますます身軽法重、死身弘法の行に精進せよ。」
この戒告文を下すと同時に、宗務院は七月二十六日付で宗内に院達を出し、狸祭り事件に対する、いっさいの論争を差し止め、宗会決議も取り消された。一方、戸田城聖氏も、青年部に対し、闘争中止命令を出した。
七月三十日、創価学会は、お詫びのしるしとして五重塔修復を申し出た。
結局、創価学会は、宗教法人化が阻止される事態を打開するのと併せ、宗内の反学会派に痛撃を加えるために、�狸祭り事件�を計画し、予定どおりの成果を勝ち取ったのである。その作戦ポイントは――
老齢で、しかも、一度擯斥処分を受けて孤立し、当時、すでに何の影響力もなくなっていた老僧をターゲットにしたこと
「神本仏迹論」「身延派との合同」等の謗法の張本人を呵責するという、誰も正面きって反対できない大義名分を掲げたこと
そして、小笠原慈聞氏の身分に対する対処が曖昧(あいまい)だった、という盲点をついたこと
この創価学会の作戦は、辛くも成功した。
宗門は、宗内の混乱を避けると共に、信徒に対しては�できるだけ穏便に�という慈悲の精神で接すべく、戒告という形だけで決着させたが、これが、その後の日蓮正宗と創価学会の問題を処理する慣例的な在り方になってしまった。
以後、創価学会側が、強引かつ一方的に仕掛け、小競り合いの後に、宗門側が宗内の反発を抑(おさ)えて大幅譲歩する、ということが繰り返されるようになり、その中で、創価学会の日蓮正宗に対する優位が確立されていった。
そして、それは、創価学会が会員を爆発的に増やし、正宗信徒の九十%以上を学会員で占めるようになる頃には、創価学会が事実上、日蓮正宗を呑み込み、その機能のほとんどを取り上げてしまう寸前まで、エスカレートしていったのである。
総本山や末寺の財政の八十%を創価学会に依存せざるをえない状況の中で、少しでも池田大作や創価学会の機嫌を損ねることがあると、嵩(かさ)にかかって攻撃され、そのたびに、さらに権限の移譲を余儀なくされるという、日蓮正宗宗門にはまことに不本意な状況が続くようになった。
形の上では、創価学会が強大になるにつれて、日蓮正宗も大きくなり、創価学会の寄進で寺院数も飛躍的に増加して、ますます隆盛を誇っているように見えたが、実際は、日蓮正宗は、宗教団体としての機能を次々と奪われ、教義や伝統を勝手に盗まれて、やせ細っていた、といえるかもしれない。
それは、栄養分を吸い取って肥え太った寄生虫と、栄養分を吸い取られてやせてしまった人間――という関係に似ていた。
だが、そのことを、面と向かって学会側に言おうものなら、虫けらのように抹殺されてしまう。それでは日蓮正宗として令法久住ができなくなるから、何も言えない。
図に乗った創価学会と幹部たちは、僧侶や法華講を見下し、軽んじた。
「僧侶は何もしない。多額の御供養による裕福な生活に安住して堕落している。信心を失っている。」
「法華講は、七百年来、何もしない旧信徒である。今も折伏をしないで、お寺の奴隷みたいに奉仕させられ、満足している。」
「大聖人の教えどおり、末法に折伏を行じているのは創価学会だけだ。」
「僧侶は尊敬するべきであるが、尊敬に値しない悪侶は叩きつぶす。」
仲間内では公然と言いたい放題だった。
一方、これを不本意としながらも、表面では�迎合�を強いられた僧侶方としては、内心、創価学会に対する�不信��恐怖��反感�そして�怒り�を、ますます深くしていった。
それは、地底のマグマのごとく、たまりにたまって、やがて噴火の機会を待つようになった。それが昭和五十二年に始まる正信覚醒運動へと、つながったのである。
だが、戸田城聖時代においては、それでも、学会は日蓮正宗の信仰の基本を守ろうとしていたから、僧侶方も正面きっての反撃に出ることはしなかった。
戸田城聖氏は、
「御供養は僧が受けるもの。創価学会はお布施をとらない」
というけじめを守っていた。
池田大作のように大規模墓苑を造って、墓地をもつ寺院の存続を圧迫するようなこともなかった。
戸田城聖氏は、学会組織に僧侶を一切タッチさせなかったものの、池田大作のように�僧侶や寺院は時代遅れであり無用だ�などと放言することもなかった。
戸田城聖氏は、会員にお寺に参拝し、お護りするよう、指導していた。
また、日蓮正宗の法義、教学を重んじ、御法主上人の血脈を尊崇したし、何よりも、大御本尊に対する信仰心が篤(あつ)かった。
だから、宗務院は、当時の学会が、言いたい放題で礼儀知らず、乱暴な振る舞いも多かったけれども、�活気がありすぎるのだから�とできるだけ大目に見ようとされた。
何よりも、戸田城聖氏の率いる創価学会の凄(すさ)まじい折伏によって、わずか七年の間に日蓮正宗の信徒を百倍近くに増やす、というはなれワザをやってのけたことが評価された。
従来の法華講の、沈滞気味の布教活動に比べると、それはまさに�驚天動地�のことだったのである。
さすがに当時は貧しい人たちが多かったとはいえ、この会員の急激な増加は、寺院の存続を安定させた。
昭和三十年代に入ると、創価学会による御供養は目を見張るほどになった。大講堂建立、五重塔修復、六壷の修理、その他の寄進も、従来の法華講に比べて群を抜いていた。
とりわけ、大石寺への団体登山は、大石寺を支える柱となった。
こうした外護の大功績がある以上、宗門護持に苦心されていた中枢の僧侶方は、戸田城聖氏を信頼し、多少のことに目をつむっても、創価学会に好意的であり続けたのである。
また、何よりも、御開山以来七百年、遠い遠い夢物語であり続けた�広宣流布�という、日蓮大聖人の御遺命達成の悲願が、創価学会の出現により、�現実性をもった目標�として見えてきた、との思いが、僧侶方の�反創価学会感情�を自己抑制した。
かくして、従来の僧俗がやろうとしてできなかったことを、数年の間にやってのけた、ということが、戸田城聖氏の主張する�宗門と切り離した在家団体�を正当化させる錦の御旗となった。
「これまでの、寺院と法華講というやり方ではだめだ。この時代に対応できない。」
創価学会の快進撃を見て、真面目な御僧侶ほど、反省する気持ちと、現状に飽き足らない思いを募らせていった。
そして、創価学会が振りかざす�広宣流布達成�という大義名分の前に(それは単なる�大義名分�にすぎないのではないかという、うさん臭さを感じながらも)、正面きって反対できなくなっていったのではなかろうか。
こうした、宗門の遠慮に乗じて、創価学会は、次第に日蓮正宗の領域に踏み込んでいった。
この学会の傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に耐えかねて、反旗を翻(ひるがえ)す寺院も二、三あったが、学会は宗務院に対し、宗門の責任で、自ら鎮圧することを強要した。
「宗門がそれをやらないなら、今度はお山を敵にして戦うぞ!!」
これが学会の態度だった。
やむなく宗務院が鎮圧に乗り出したが、これに反発し、日蓮正宗を飛び出してしまった例が、有名な大阪の蓮華寺の一件であった。
『聖教新聞』掲載の「座談会 『青年の世紀の開幕』を語る」では、創価学会を代表する者達が登場し、その下劣な品性を惜しげもなく披露していることは、創価学会員すらも理解している。
そのほとんどが、御法主上人、宗門御僧侶方への、口汚ない悪口・中傷であり、読むのも汚(けが)らわしいので捨て置いてきたが、たまたま、目を通したところ、彼らの無反省ぶりと独善性、教学上の無知を露呈(ろてい)していたので、これを取り上げ、笑いのネタに提供したい。
「中野 宗門の『信徒への脅し』といえば、立宗七〇〇年の時も宗門は、戸田先生を、不当にも『登山停止』の処分にしたことがあった。
佐藤 昭和27年のことだ。立宗七〇〇年祭で本山に来ていた坊主のなかに、小笠原慈聞というのがいた。
こいつは戦前、『神本仏迹論』の邪説を唱え、身延との合同を画策し、軍部権力による学会弾圧の発端をつくった極悪坊主だった。
杉山 本来、小笠原は、宗門から追放され、登山などできない身のはずだった。なのに宗門が、いつの間にか小笠原の復帰を許していた。立宗700年祭にも来ていたんだ。
迫本 そこで学会青年部は、小笠原を探し出して、謝罪させた。ところが宗門は、この一件をとらえて、戸田先生に対し、『謝罪文の提出』『法華講大講頭の罷免』及び『登山停止』を決議、一方の小笠原は事実上の『無罪放免』だった。
橋元 身内の坊主は守る。信徒はいじめる。この陰険さ、陰湿さが坊主という生き物なんだ。」
(三月九日付)
学会の言い分は「学会は『神本仏迹論』の邪説を構えていた僧侶を呵責(かしゃく)したのに、宗門は、戸田会長に厳しい処分を下し、僧侶には無罪放免扱いだった」というもの。
この事件は、通称「狸祭り事件」と呼ばれているが、これは、宗旨建立七百年祭という慶祝法要の際に、学会青年部が、多勢で老齢の小笠原師の袈裟衣(けさころも)を脱がせて担ぎ上げ、狂ったように山内を練り歩いたあげく、むりやり謝罪文を書かせたもので、まさに法によらず私的制裁(リンチ)を加えた、民主主義破壊の暴力行動であった。
しかも、小笠原師は、学会がこの騒動を起こす以前に、宗門において厳しく処断(擯斥)されており、その後、立宗七百年の恩赦(おんしゃ)という意味もあって、僧籍への復帰が認められていたのである。
すなわち、創価学会は、「立宗七百年」という大慶祝法要の最中に、罪を贖(あがな)った一老僧に暴力を加えて牧口氏への「謝罪文を」書かせるという、大暴虐行為を働いたのであって、その処分が下されるのは当然のことである。
また、小笠原師は学会による被害者であって、この「狸祭り事件」によって処分される理由は、もとよりない。
つまり、この座談会の言い分は、自ら暴力事件を起こしておきながら、処分されたことを逆恨みし、「被害者も処分しろ」と騒いでいるようなものなのだ。
こんな理不尽なことが世の中で通るのかどうか、子供でもわかりそうなものだが、座談会出席者にはわからなかったらしい。彼らの頭脳は「子供以下」ということか。
もう一つは、基礎教学さえもないことを露呈した、バカバカしい話。
内容は、先の話に続けて「登山停止など恐くない。登山しなくても成仏できる」との趣旨で話しているものである。
「佐藤 だいたい、『大御本尊を直接、拝まないと成仏しない』というのなら、それ以前の人たちは、誰も成仏していないことになる(笑い)。
橋本 まったくだ。だったら、天台大師の弟子は、どうだったんだ(笑い)。
杉山 釈尊の弟子は、どうだったんだ。誰も、大御本尊を拝んでないよ(大笑い)。
迫本 三千塵点劫の昔に法華経を説いた大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の時代は、どうだったんだ(爆笑)。
佐藤 日顕宗の言い分によると、釈尊も天台も、多くの大聖人の門下も、みんな成仏しなかったことになる(大笑い)。
館野 まったく幼稚な話ですね」
だと。
『聖教新聞』の記者が、わざわざ「笑い」「大笑い」「爆笑」などと但し書きしなくとも、「まったく幼稚な話」で、最初から最後まで笑わせてくれる内容である。
そもそも、彼らが挙げた「天台大師の弟子」「釈尊の弟子」とは、釈尊在世及び像法時代の人たちではないか。
これらの衆生は、久遠の過去にすでに下種を受けて仏種を持っている人々――つまり本已有善(ほんいうぜん)の衆生――であり、釈尊の熟脱(じゅくだつ)の化導によって成仏を遂げる人々である。
もとより、末法の大導師・日蓮大聖人の下種の御化導にあずかるべき、本未有善(ほんみうぜん)の衆生ではない。
しかるを、「釈尊・天台の弟子はどうなる」などと難ずるとは、時と機根に応じた仏の化導ということを理解していない証拠である。
まして、「大通智勝仏の時代」などと持ち出してくるにいたっては、狂気の沙汰(さた)、としか言いようがない。
ちなみに、この、教学上の無知を露呈した座談会の出席者の役職は、佐藤=総合青年部長、橋元=学生部長、杉山=男子部長、迫本=青年部長、館野=女子部書記長、中野=青年部総主事、だって(大爆笑)。
「本已有善」「本未有善」の立て分けすら知らない学会幹部諸君、教学部任用試験までには、よく勉強しておくように。おっと、出題者・採点者ともに同様のレベルだろうから、心配は無用だったね(笑い)。
戸田時代の創価学会は、日蓮正宗に対し、�別法人�であることを理由に、一切、学会に手出しをさせなかった。
その一方で、日蓮正宗の宗内行政に対しては、
「信者は、宗門行政にたてついてはならない」
と言いながら、実際は大いに干渉した。
まず、�大石寺登山の運営�を口実に、塔中の宿泊施設の管理に介入し、支配した。
輸送の便宜を口実に、交通機関や地元との渉外権を、じわじわと手中に収めていった。
次に、各末寺の責任役員について、最も信徒数の多い創価学会から誰も入っていないのはおかしい、と言い出し、各寺院に必ず一人は創価学会員を責任役員に入れるよう、要求した。
いちおう、もっともらしく見えるが、�別法人�を作り、宗門に全く口をはさませずに勝手に運営し、僧侶は会員に対し、御授戒や葬儀、結婚式や先祖の回忌、塔婆供養等の儀式だけを執(と)り行ない、教導は一切やらせない、という一方的な関係を前提にするならば、この責任役員に拘(かか)わる要求が理不尽であることは一目瞭然であろう。
つまり、�宗門は創価学会の運営には口を出すな、創価学会は宗門寺院の運営にしっかり口を出す�
ということなのである。
しかも、学会員の責任役員は、寺院が自由に選ぶのではなく、すべて創価学会本部に問い合わせ、創価学会本部が指名してきた者を採用する、ということを創価学会は要求した。
宗務院は、この方針を各末寺に提示した。
これに反発し拒否したのが、大阪・蓮華寺であり、ここから騒動が始まったのである。
それ以前から、崎尾住職(当時)は、反学会色を隠そうともせず、創価学会からの、寺の建て替え、そのための御供養の申し出をにべもなく断わってきた。
創価学会は怒り、宗務院に崎尾の罷免(ひめん)と追放を強硬に迫った。
これは、�宗門行政には一切口をはさまぬ�と言いながら行なった、露骨な�宗門行政への干渉�以外の何ものでもない。
この事件はさまざまな経緯をたどり、十年近くもめ続け、ついに昭和三十九年に至り、蓮華寺は日蓮正宗を離脱、崎尾住職も正宗僧侶の身分を捨てた。
この事件の当初に、創価学会は、御法主上人及び宗務院に対し、
「もし崎尾をきちっと処置しなければ、創価学会は本山と対決する」
と威嚇(いかく)し、恫喝までしていた。
また、戸田城聖氏が死去する直前、昭和三十三年三月二十九日、大講堂落慶記念慶祝登山が約一ヶ月にわたって繰り広げられたその最終日間際になって発生した「僧侶リンチ、御塔川投入事件」は、�狸祭り事件�と並んで、創価学会が僧侶に加えた暴行事件として有名である。
この日、午後二時頃、客殿に呼び出した大坊所化頭・的場正順師を、青年部員が集団でつるし上げ、客殿から連れ出し、袈裟衣を剥いで、大石寺内を流れる御塔川へ浸けてしまった。
この、物騒極まりないリンチ事件は、じつは当時参謀室長だった池田大作の独断で、その直接指揮のもとに行なわれた。
石田次男氏は、この事件について、
「池田大作が、戸田城聖の指示で実行したかのように言うのは偽りである」
「戸田城聖の、(宗門に対する)追撃の手をゆるめるな、という遺言は、池田大作の全くのデッチ上げである」
「大講堂の意義付けについて、宗門側の抵抗に会い、これに対する報復として行なわれたというのは誤りである」
「真相は、当時、大坊に宿泊し、所化さんと同じように寝起きしていた青年部員達が、所化頭から、所化さんと同じく、旧軍隊のしごきのような待遇を受け、�俺達の部隊(男子部の部隊では、旧軍隊並みのスパルタ式教育やしごきが行なわれていた)よりひどい!!�と幹部に訴え、この報告を受けた池田大作が、�可愛い子分をいじめられた仇討ち�をやったのだ」
と述べている(『内外一致の妙法』石田次男著)。
後に改められたが、戦後、それほど間もなかった時代、大坊での所化さんの教育においては、担当者によってはシゴキに近いようなこともあった、という。
だが、一青年部首脳が、部下の青年部員が同じ取り扱いを受けたといって、いきなり御僧侶に暴行を加え、川の中へ投げ込ませる、といった行為を、いとも簡単に行なう風潮そのものが、当時の創価学会と日蓮正宗の歪(ゆが)められた関係を雄弁に物語っている。
この事件については、�狸祭り事件�と異なり、宗内でとりたてて問題化されることさえなかったのであった。
ともすると、正本堂落慶までは、日蓮正宗と創価学会の間には何も問題はなく、親密であったかのように、何となく思っている人達も多いと思われるが、現実はそうではない。
創価学会発足当初から、創価学会の異端性と唯我独尊な在り方が、宗内で不安と反感を招き、これに対する創価学会側の被害感情と過剰反応がエキセントリックな行動を生み、そして、これに対して宗内にさらに反感がつのる、という悪循環が、次第に摩擦を大きくしていったのである。
そのことについて、何ら根本的な解決が計られることもなく、突っ込んだ話し合いもなされず、事なかれ主義で表面を糊塗(こと)し続けてきたことが、後々、大きな破局をもたらすこととなった。
宗門側が、
「戸田城聖氏の信仰心を信用し、善意で信徒を抱擁する」
という、願望と善意、そして、宗教家として、暴力や紛争を好まぬ御僧侶方の気風も、創価学会によって逆手に取られた。
当初から一貫した意図のもと、計画的に駆け引きを行なってくる創価学会の前に、�善意�だけでは通用しなかったのである。
こうして、常に摩擦や不協和音を生じながら、それでも両者が、とくに首脳間で、何とか関係を維持し続けられたのには、それなりの理由があった。
宗門側の、戸田城聖氏に対する評価は、一言で言えば
「なかなか扱いにくく、何をするかわからない男ではあるが、とにかく�信仰心�はしっかりと持っている」
というものだった。
それは、牧口常三郎と比較してもそうであったし、後の池田大作との比較においても、戸田城聖氏の信仰心は高く評価された。
戸田城聖氏が、いろいろと宗門や御僧侶の神経を逆なでするような言動に及ぶこともあったが、常に
「広宣流布を実現し、宗門外護を果たすためにそれが必要だから」
という大義名分をかざしており、そして何よりも、折伏、御供養、外護の各方面で、日蓮正宗を支えてきた実績が物を言った。
一方で、�謗法厳戒��金集めをしない�等の、信徒団体としての基本をそれなりに守ったし、池田大作のように会員の寺院への参詣や御供養をコントロールしたり制限することもなかった。
当時、宗門の現状を振り返り、戸田城聖氏に共感や賛同を感じる宗門人も、けっして少ないわけではなかった。
要するに、何とか日蓮正宗の枠内に収まっていたのが、戸田時代の創価学会であり、これ故に学会と宗門との関係は維持できた、といえよう。
この、戸田時代の創価学会が、池田大作の時代になって、根本から変質していった。
その原因の第一は、言うまでもなく池田大作のキャラクターである。
その性格と生活環境にはぐくまれたコンプレックスの裏返しともいえる、異常な野望と猜疑心、そして類い希(まれ)な闘争心と支配欲等が、戸田創価学会から池田創価学会へと体質を変えた主因といえる。
原因の第二は、創価学会が、積極的に�政治�に進出したことである。
宗教団体が、営利会社を持ち、学校や美術館その他の公益事業を行なうことは、それほど珍しいことではない。
戸田城聖氏の時代にも、自分や幹部を養うための二、三の会社は存在したが、それらは、あくまで創価学会とは別の、戸田氏個人の会社であった。それ以外の事業には一切手を出していない。
だが池田大作は、創価大学・創価学園・民主音楽協会等々に積極的に手を拡げ、営利会社群を�創価学会の外郭会社�として、学会と一体のものとして位置づけた。
創価学会は、宗教だけの専門会社であったのが、池田の時代になって多角経営に転じたのである。
これらの事業だけでは、しかし、それほど創価学会の本質を変えるものではない。
�政治への進出�こそが、根本的に創価学会を変質させる原因となった。
�政治�は、日蓮正宗とは何の関わりもない活動である。
教義に縛られることもなくその展開は、池田大作の意のままになる。
そして、日蓮正宗の宗教活動の根本である�折伏�は、相手の意に逆らうことも構わず、一方的に展開される活動であるが、政治は、一般国民の支持を得て、選挙で票を集め、議会に進出することを前提とする。にこやかに、国民の意に添うことが避けられない。
折伏は、�救ってあげる�行為であるが、選挙は�お願いする�行為である。
そして、政治は、他の諸部門とは比較にならないくらい、国民の強い関心にさらされる。
宗教団体がいかに大きくなろうと、国民の生活には関わりがないといえるが、政界で勢力を増やせば、それは直ちに国民の権利や生活に直接関わる問題となるからである。
それ故、宗教団体の間は、マスコミをシャットアウトできるが、政治に手を出せば、マスコミにさらされることを避けるわけにはいかない。
創価学会は、日蓮正宗の信徒団体という、いわば�私�の性格に、新たに政治団体としての�公�の性格を持つことになったのである。
このことは、創価学会の、�日蓮正宗の一信徒団体�というあり方を、決定的に変えずにはおかぬ要因であった。
このことを充分認識しないまま、あるときは信仰団体を強調し、ある時は、政治活動・選挙活動へ傾注する。両者を巧みに使い分けているつもりでも、いつしか破綻(はたん)が生じてきた。
我が国の憲法上、截然(せつぜん)として分離され、�水と油�のごとき存在であるはずのものを、一つの団体の中で一緒にしたのだから、どちらから見ても矛盾が生ずるのは当たり前である。
池田大作は、この矛盾を、宗教の側面を次第に切り捨てることで乗り切ろうとした。そして、これに当然のことながら批判する日蓮正宗を、力ずくで押さえ込もうとしたのである。
池田時代の、日蓮正宗と創価学会の間の軋轢(あつれき)は、こうして、�政治�という異質のものを加えたため、一気に拡大していった。
「狸祭り事件」で宗門が僧俗を差別!?
日昇上人は双方を遵法に処断された
創価学会の邪説
昭和二十七年、宗旨建立七百年を祝う記念式典が総本山で行なわれたが、そこに戦時中「神本仏迹論」なる邪義を唱えて擯斥(ひんせき)処分を受けたはずの某師が登山していることがわかった。
この某師の戦時中の行動によって、創価学会初代牧口常三郎会長と理事長であった戸田二代会長が投獄された。ことに、牧口会長はこの法難において、ついに獄死という殉教の道を歩まれたのであった。
このため、学会青年部は某師の謗法を責め、故牧口会長に詫(わ)びさせるために、登山中であった小笠原師に対し実力行使を行なった。
このことは、謗法呵責(かしゃく)の上からも、また牧口会長への報恩の意味でも正しいことであった。しかも、この時、創価学会は「某師は日蓮正宗の僧侶を擯斥処分されている」との認識でいたのであり、なんらとがめ立てを受ける筋合いはなかった。
にもかかわらず宗門は、在家である戸田二代会長には「登山停止」という厳しい処分を下し、僧侶である某師には寛大な処置を下したのだった。
日昇上人の御慈悲踏みにじった学会
日昇上人は仏法に従い事件を公平に裁断
破折
創価学会は、この通称「狸祭り事件」において、�学会は、某師が宗門より擯斥されたままであると思っており、僧籍復帰の事実を知らなかった�などと、自らの暴力行為を棚上げして言い訳し、逆に在家である戸田氏のみが厳しく処罰を求められた、などと被害者意識をたくましくしている。
まず、「某師が僧籍復帰したとは知らなかった」との言い訳だが、現に袈裟衣を着けた某師が、登山している以上、その事情を宗務院に確認すべきが当然であろう。それもせずに直接行動を起こすとは、粗忽(そこつ)の謗(そし)りを免(まぬが)れない、と知るべきである。
次に、「神本仏迹論の邪義で軍部にすり寄ったために牧口会長・戸田理事長に難が及んだ」との疑難。
これについて、藤本日潤尊能化が、次のように述べておられる。
「戸田さんが逮捕されて牢獄に入れられた、牧口さんと一緒にね。それと、小笠原師の神本仏迹論とは直接の因果関係はないんだよ。」
(『妙教』第百号)
このお話からも窺(うかが)えるが、牧口・戸田両氏が逮捕・投獄された経緯と、「神本仏迹論」を唱えた某師との直接の因果関係は、現実の歴史として見当たらない。
牧口・戸田両氏の逮捕・投獄は、創価学会自ら
「牧口会長ほか学会幹部の逮捕の理由は、治安維持法違反と不敬罪ということである」
(創価学会四十年史)
と述べているように、某師の「神本仏迹論」とは何の関係もない。
すなわち、某師の動きが牧口氏らを投獄に追いやった、というのは、学会の暴力行為を正当化するためのの言い掛かり、言い訳にすぎないのである。
なお、この事件は、時の御法主・第六十四世日昇上人が、この時のいっさいの経緯を御覧あそばされ、最終的に断を下されており、その時の誡告文の中で日昇上人は、現在の学会のいうごとき非難も、ことごとく打ち砕かれている。
よって、この時の日昇上人から戸田氏への誡告文を以下に奉載申し上げる。熟読玩味(じゅくどくがんみ)し、学会の疑難がどれほど的外れであるか、とくと知っていただきたい。
「あなたとあなたが指導する青年部の者が、去る四月二十七日総本山に於ける宗旨建立七百年慶祝の大法要の期間中に惹起(じゃっき)せる不祥事は、甚(はなは)だ遺憾(いかん)の極(きわ)みである。然(しか)も其(そ)の影響する所は、善意にしろ悪意にしろ国内一般に伝わり、宗門の面目を失うことが多かったと認められる。抑(そもそ)もその根本原因は、あなたが先に提出せる始末書により一応は了解することが出来るが、慶祝式典の時に当って暴力を行なったということは、不当のことにして世人の顰蹙(ひんしゅく)を受けるは当然のことである。
宗門を思ふ心の余りとはいへ、宗門人はかへってあなたの本心を疑い暗鬼(あんき)を生ずることは、論を俟(ま)たない。次々とかかることが生ずるならば、宗内は異体同心どころか僧俗共に疑心に包まれることになる。(中略)
宗内の教師僧侶は、白衣の沙弥(しゃみ)に至るまで総(すべ)て予が法類予が弟子である。若(も)し其(そ)れ此(こ)の教師僧侶を罵言(ばげん)し侮蔑(ぶべつ)するならば、法主たる予が罵言され予が面に唾(つば)されるものと身に感じ、心を痛めているのである。予が法類予が弟子として、宗義に違背し或(あるい)は不行跡があれば、予に於て呵責し処置するのである。
あなたは大講頭として正宗信徒の先陣に立ち、熱原の烈士の後を続くべき責任を負荷されているのであるから、内に当ってはよく忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を着し、外に向かっては強く折伏を行じなければならない。
末法の僧は十界互具の凡夫僧であるから、多少の過磬(かけい)は免れない。僧侶に瑕(か)きんがあれば、正当なる手続によるべきである。今後かかる直接行為をなすことは堅く禁止する。今回のことはその拠(よ)って起きた情状を酌量(しゃくりょう)し、尚(なお)永年の護法の功績を認めるに依り、此(かく)の如く後の誡めとする。
尚法華講大講頭の職に於(おい)ては、大御本尊の宝前に於て自ら懺悔(さんげ)して大講頭として恥ずるならば、即座に辞職せよ。若し恥じないと信ずるならば、心を新たにして篤(あつ)く護惜(ごしゃく)建立の思(おもい)をいたし総本山を護持し、益々(ますます)身軽法重死身弘法の行に精進すべきである。
予は宗祖大聖人より血脈付法の法主の名に於て右の如く誡告する。
昭和二十七年七月二十四日」(『大日蓮』第七八号)
一読してわかるように、戸田氏への誡告は、学会が挙げるような、�僧俗差別�などというものではなく、戸田氏の謗法呵責の精神は諒(りょう)とされつつも、神聖なる法要中に騒ぎを起こしたことと、学会青年部の師弟子の道を踏み外した直接行動に心を痛められていることが拝される。また、戸田氏を厳しくも暖かく擁護(ようご)されていることが、この文面より拝されるのである。
「狸祭り事件」は、一切ここで終結し、戸田氏もまた、「猊下の宸襟(しんきん)を悩まし奉った」ことを深く懺悔し、五重塔の修復をもって、この誡告に応えたのである。
戸田氏の監督下にあった学会青年部がこのような事件を起こしたのは、戸田氏にとっても、また宗門にとっても、まことに不幸なことであった。しかし、戸田氏の総本山に対する赤誠は揺らぐことなく、また、日昇上人の戸田氏への信頼も崩れることもなく、さらなる僧俗和合の前進をみたのである。
次に、学会は、「学会には一点のくもりもなかった」などと事件を粉飾しているが、そのような所論は、戸田氏の信心と赤誠を無に帰すものである。
なぜなら、戸田氏はその「御詫状」において、
「不肖なる末法の子供達の御本山を思う熱情より発したことと思召されて此の罪を御許し頂き度く堅く伏して御願い申し上げます」
と述べ、すべての経緯を踏まえた上で、事件を起こした青年部達の行為をも含めて、一身にその罪を負って謝罪をしている。
しかるに、今頃になって、「創価学会には一点のくもりもなかった」などと、その反省を覆(くつがえ)すことは、戸田氏の心のみならず、それを許された日昇上人の御心をも踏みにじることになるからである。
なお、日昇上人は単に戸田氏のみに誡告あそばされたのではなく、一方の当事者たる某師が、学会青年部から挑発されて、すでに捨てたはずの「神本仏迹論」を肯定するやの発言をしてしまったことについても、厳しく誡告あそばされている。
その内容たるや、師弟間における「義絶」もやむなしとの、戸田氏に対してよりもはるかに厳しい誡告であり、この一文を拝しただけでも、�僧侶擁護・在家厳罰�などという学会の非難がいかに的外れであり、悪意に満ちた言いがかりであるかが明らかであろう。
以下に、謹んでその全文を奉載し、この項の破折の締めくくりとする。
とくに厳しかった某師への誡告
「邪義捨てねば義絶も止むなし」と
「貴師は法臘(ほうろう)既(すで)に六十年、我が宗門の長老として又(また)予が法類として、予が常に敬愛する所であったが、第二次世界対戦の始めの頃より我が国は一部偏狭(へんきょう)なる国家主義者に依って指導され、それが為(ため)の政府は神道を偏重(へんちょう)して仏教のいかなるかを弁(わきま)へず権実の理(ことわり)をも究(きわ)めず、唯(ただ)排仏の一途に進んだのであった。此の時貴師は仏教の常道を逸脱(いつだつ)し、宗祖大聖人並びに歴代相承の先師の教示を慢越して、神本仏迹の説を提唱した。為に日開上人日恭上人は小悩せられ、門下の僧侶は奮激して遂に宗門は貴師と道を分ったのである。其後貴師は貴師の進むべき方向に邁進(まいしん)したであろう。
然(しか)し正しき宗教を無視して国は栄へず遂に我国は未曾有(みぞう)の大惨敗をした。『真味は土に留まる』の御金言の如く貴師も亦今年の宗旨建立七百年を慶祝するに当り特赦して予が法類に和合を許したのであった。
所が日未だ幾何(いくら)もなく去る四月二十七日慶祝法要中に、創価学会の青年部員の一問に会い不覚にも既に捨去(しゃこ)したはづの神本仏迹の説を開唇したのは、其の習気の今に残れる故か。嗚呼(ああ)、遂にあの不祥事が起されたのである。故に此の不祥事件は其の責の一端は貴師も担ふべきであると考へられる。
夫れ求道の行者は忍辱の鎧を着て難を忍び苦を積ねることは、雪山童子の故事に習い、不軽菩薩の跡を学ぶべきで、如説修行の行者は宗祖大聖人の数々の文学に自からの魂を打ち込むべきではないか。然るに貴師は感情を即座に世間法に訴へ却って事件を拡大した憾がある。忍び難きことを忍んでこそ有難くも如来の衣を着ることになる。抑も神本仏迹の説の如きは例へ布教手段と云ふも、本宗に於ては為人(いにん)悉檀(しつだん)なりとも之を説かず、先師の正法弘通の内にその片鱗(へんりん)すら無い。若し貴師が神本仏迹の説を今尚固執するなら、二祖日興上人御遺誡置文に『富士の立義は聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事』に背くことになる。
猶(なお)日有上人は『門徒の僧俗の中に人を教えて仏法の義理を背かせられる事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失なり、自身の謗法より堅く誡むべきなり』と誡められていることを拝しても、他を訴へる前にまず自からの謗法ありやなきやと堅く誡慎すべきではないか。
貴師よ、賢明ならば速(すみやか)に神本仏迹の説を放棄し、直ちに告訴を取り下げ、虚心坦懐仏祖三宝に懺悔せよ。然らざれば予は今日以後貴師を義絶するであろう。
貴師よ、宗門に於て身を長養すること既に六十年、若し聊(いささ)かたりとも菩提心あるならば三省せよ。
予は日蓮正宗管長と宗祖より血脈付法の法主として茲(ここ)に謹んで誡告する。
昭和二十七年九月九日」
重複箇所があるが、斟酌してお読みください。
この「狸祭り事件」とは、昭和二十七年の宗旨建立七百
年記念式典において、戦時中「神本仏迹論」なる邪義を唱
えた某師を、学会青年部の代表らが、同師の四肢の自由を
奪い、強制的に牧口氏の墓前に連れて行き、「詫び状」を
書かせるという、学会の反民主的、暴力的体質を露呈した
事件である。
今回は、この「暴力行為」を正当化する学会の策謀を砕く。
『資料編』は、この事件において、�学会側は、同師が宗門より擯斥されたままであると思っており、僧籍復帰の事実を知らなかった�などと、自らの暴力行為を棚上げして言い訳し、逆に在家である戸田氏のみが厳しく処罰を求められた、などと被害者意識をたくましくしている。また、この事件全般について、あたかも御宗門の謀略であったかのように論じている。
さらに、それらの言い分をもとに、「宗門僧侶は戦中戦後にわたる戸田会長に対する迫害をまず総懺悔すべきである」、あるいは、「戦中の数々の謗法行為を懺悔することなく、頭を剃り衣を著しているだけで信徒の上に君臨できると考えたエセ聖職者たちが、自らの立場が危うくなると本能的に拒否反応を示したのであった。日蓮正宗の出家たちは、創価学会なかんずく戸田会長を懲罰にかけるために動き始めた」などと、とんでもない非難をしている。
そもそも、この事件は、時の御法主六十四世日昇上人が、この時のいっさいの経緯を御覧あそばされ、最終的に断を下されたのであって、その中で日昇上人は、現在の学会の非難もことごとく打ち砕かれているのである。
この時の日昇上人の戸田氏への御誡告文をここに奉載申し上げる。学会員諸氏には熟読玩味し、『資料編』の非難がどれほど的外れであるか、とくと知っていただきたい。
「あなたとあなたが指導する青年部の者が去る四月二十七日総本山に於ける宗旨建立七百年慶祝の大法要の期間中に惹起(じゃっき)せる不祥事は甚(はなは)だ遺憾(いかん)の極(きわ)みである。然(しか)も其(そ)の影響する所は善意にしろ悪意にしろ国内一般に伝わり宗門の面目を失うことが多かったと認められる。抑(そもそ)もその根本原因はあなたが先に提出せる始末書により一応は了解することが出来るが慶祝式典の時に当って暴力を行ったということは不当のことにして世人の顰蹙(ひんしゅく)を受けるは当然のことであ
る。宗門を思ふ心の余りとはいへ宗門人はかへってあなたの本心を疑い暗鬼(あんき)を生ずることは論を俟(ま)たない。次々とかかることが生ずるならば宗内は異体同心どころか僧俗共に疑心に包まれることになる。
二祖日興上人は『刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す』と示されるも儀式中かかることがあってはならぬと深く御心をいたされて『但し出仕の時節は帯すべからざる
か』と特に誡められているのである。
宗内の教師僧侶は白衣の沙弥(しゃみ)に至るまで総て余が法類余が弟子である。若(も)し其れこの教師僧侶を罵言(ばげん)し侮蔑(ぶべつ)するならば法主たる余が罵言され余が面に唾(つば)されるものと身に感じ心を痛めているのである。余が法類余が弟子として宗義に違背し或は不行跡があれば余に於て呵責し処置するのである。
あなたは大講頭として正宗信徒の先陣に立ち熱原の烈士の後を続くべき責任を負荷されているのであるから内に当ってはよく忍辱の鎧を着し外に向かっては強く折伏を行じなければならない。
末法の僧は十界互具の凡夫僧であるから多少の過磬は免れない。僧侶に瑕(か)きんがあれば正当なる手続によるべきである。今後かかる直接行為をなすことは堅く禁止する。今回のことはその拠(よ)って起きた情状を酌量(しゃくりょう)し尚永年の護法の功績を認めるに依り此の如く後の誡めとする。尚法華講大講頭の職に於ては大御本尊の宝前に於て自ら懺悔して大講頭として恥じるならば即座に辞職せよ。若し恥じないと信ずるならば心を新たにして篤(あつ)く護惜(ごしゃく)建立の思(おもい)をいたし総本山を護持し益々(ますます)身軽法重死身弘法の行に精進すべきである。
余は宗祖大聖人より血脈付法の法主の名に於て
右の如く誡告する。
昭和二十七年七月二十四日
総本山大石寺
第六十四世法主 日昇」
(大日蓮第七八号)
と。
一読してわかるように、戸田氏への誡告は、学会が挙げるような、�僧俗差別�とか、�宗門の謗法行為を責められるから�などというものではなく、戸田氏の謗法呵責の精神を諒(りょう)とされつつも、日興上人の御遺誡に照らして、法要中に騒ぎを起こしたことと、学会青年部の宗規によらない直接行動に心を痛められていることが拝され
る。また、戸田氏を厳しくも暖かく擁護されていることが知れるのである。
「狸祭り事件」は、一切ここで終結し、戸田氏もまた、「猊下の宸襟(しんきん)を悩まし奉った」ことを深く懺悔し、五重塔の修復をもって、この御誡告に応えたのであ
る。
戸田氏の監督下にあって、このような事件があったの
は、戸田氏にとっても、また宗門にとっても、まことに不幸なことであったことはいうまでもない。しかし、戸田氏の本山に対する赤誠はまったく揺らぐことなく、また、日昇上人の戸田氏への信頼も崩れることもなく、さらなる僧俗和合の前進をみたのである。
次に、『資料編』は、「学会には一点のくもりもなかった」などと事件を粉飾しているが、そのような所論は、戸田氏の信心と赤誠を無に帰すものである。
なぜなら、戸田氏はその「御詫状」において、
「不肖なる末法の子供達の御本山を思う熱情より発したことと思召されて此の罪を御許し頂き度く堅く伏して御願い申し上げます」
と述べ、すべての経緯を踏まえた上で、事件を起こした青年部達の行為をも含めて、一身にその罪を負って謝罪をしている。しかるに、今頃になって、「創価学会には一点のくもりもなかった」などと、その反省を覆すことは、戸田氏の心のみならず、それを許された日昇上人の御心をも踏みにじることになるからである。
日昇上人は、「創価学会常住の御本尊」を下賜された、創価学会にとっては、大恩人ともいうべき猊下であることは、いまさら本紙がいうまでもないことであろう。『資料編』編集子ならびに学会幹部諸氏は、その大恩人たる日昇上人の大慈悲を何と心得ているのであろうか。
なお、日昇上人は単に戸田氏のみに御誡告あそばされたのではなく、一方の当事者たる某師にも御誡告あそばされている。
その内容たるや、師弟間における「義絶」もやむなしとの、戸田氏に対してよりもはるかに厳しい御誡告であり、この一文を読んでも、�僧侶擁護・在家厳罰�などという『資料編』の非難がいかに的外れであり、悪意に満ちた言いがかりであるかが明らかであろう。
以下に、謹んでその全文を挙げ、この項の破折の締めくくりとする。
「貴師は法朦(ほうろう)既(すで)に六十年、我が宗門の長老として又(また)余が法類として、余が常に敬愛する所であったが、第二次世界対戦の始めの頃より我が国は一部偏狭(へんきょう)なる国家主義者によって指導され、それが為(ため)の政府は神道を偏重(へんちょう)して仏教のいかなるかを弁(わきま)へず権実の理をも極(きわ)めず、唯排仏の一途に進んだのであった。此の時貴師は仏教の常道を逸脱(いつだつ)し、宗祖大聖人並びに歴代相承の先師の教示を慢越して、神本仏迹の説を提唱した。為に日開上人日恭上人は小悩せられ、門下の僧侶は奮激して遂に宗門は貴師と道を分ったのである。其後貴師は貴師の進むべき方向に邁進(まいしん)したであろう。
然(しか)し正しき宗教を無視して国は栄へず遂に我国は未曾有(みぞう)の大惨敗をした。「真味は土に留まる」の御金言の如く貴師も亦今年の宗旨建立七百年を慶祝するに当り特赦して余が法類に和合を許したのであった。所が日未だ幾何もなく去る四月二十七日慶祝法要中に、創価学会の青年部員の一問に会い不覚にも既に捨去(しゃこ)したはづの神本仏迹の説を開唇したのは、其の習気の今に残れる故か。嗚呼(ああ)、遂にあの不祥事が起されたのである。故に此の不祥事件は其の責の一端は貴師も担ふべきであると考へられる。
夫れ求道の行者は忍辱の鎧を着て難を忍び苦を積ねることは、雪山童子の故事に習い、不軽菩薩の跡を学ぶべきで、如説修行の行者は宗祖大聖人の数々の文学に自からの魂を打ち込むべきではないか。然るに貴師は感情を即座に世間法に訴へ却って事件を拡大した憾がある。忍び難きことを忍んでこそ有難くも如来の衣を着ることになる抑も神本仏迹の説の如きは例へ布教手段と云ふも、本宗に於ては為人(いにん)悉檀(しつだん)なりとも之を説かず、先師の正法弘通の内にその片鱗(へんりん)すら無い。若し貴師が神本仏迹の説を今尚固執するなら、二祖日興上人御遺誡置文に「富士の立義は聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」に背くことになる。猶(なお)日有上人は「門徒の僧俗の中に人を教えて仏法の義理を背かせられる事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失なり、自身の謗法より堅く誡むべきなり」と誡められていることを拝して
も、他を訴へる前にまず自からの謗法ありやなきやと堅く誡慎すべきではないか。
貴師よ、賢明ならば速(すみやか)に神本仏迹の説を放棄し、直ちに告訴を取り下げ、虚心坦懐仏祖三宝に懺悔せ
よ。然らざれば予は今日以後貴師を義絶するであろう。
貴師よ、宗門に於て身を長養すること既に六十年、若し聊かたりとも菩提心あるならば三省せよ。
予は日蓮正宗管長と宗祖より血脈付法の法主として茲に慎んで誡告する。
昭和二十七年九月九日
日蓮正宗管長
総本山六十四世
日昇 花押」
池田大作 日本経済乗っ取りの野望 1-2
−社長会記録の読解より−
金権体質の骨格形成と経済支配構想
草創期の創価学会
創価学会の独立性と戸田構想
幸福製造機=御本尊で折伏大行進
宗教法人設立と日蓮正宗制圧 暴力宗教のルーツ
�金をとらぬ宗教�という詐術
暴力折伏で教勢拡張 参議院に進出
選挙で頭角、池田大作のリーダーシップ
大阪事件の真相 池田大作のつまづき
疑惑にみちた無罪判決
創価学会の独立性と戸田構想
戦前の創価教育学会、そして戦後間もない頃の創価学会は、日蓮正宗の中では、一風変わった「講」とみなされていた
。 日蓮正宗では、長い歴史の中で、信徒の団体である�法華講�が本山や末寺の維持及び布教面で重大な役割を果
たして来た。�法華講�は、日蓮正宗という教団の特色の一つといって良い。 この、信者の団体である�講�及び
その在家の指導者である�講頭�等の中心者と、寺院及び僧侶の間では、緊密な関係が存在するのが普通の姿だが、時
には、布教・活動方針をめぐって対立や緊張関係が生じた。江戸時代に生じた「完器講」事件や、昭和四十五年から五
十三年にかけて問題化した「妙信講」事件が、後者の顕著な事例である。 両者はいずれも、宗門の教義解釈、布教
方針等に対して「講」の側が批判・反発し、造反した事例である。前者は、江戸幕府の寺社奉行の裁きで�異流義�と
され、中心者は遠島などに処せられた。だが、その流れは、明治以後も細々と残存しているという。 後者は、昭和
四十五年の言論出版問題の際、創価学会が東京都を通じ文化庁に提出した�国立戒壇論�についての解釈と、これを支
持した日蓮正宗宗務院に対して異義をとなえ、実力行動をもって阻止しようとして破門された。 日蓮正宗としても
、この「講」の扱いについては苦心しており、第六十五世堀米日淳上人は、次のような見解を表明している。 『我が
国の仏教界に於て信徒の組織として採用してきました特徴ある制度は講中であります。此の制度が何時頃から始まって
如何にして発達したものであるかは浅学の私は知りませんが想像すれば恐らく平安時代から盛んに行はれた御講の催し
が漸次かゝる習慣を醸成しそうして宗教の社会性が能く此の傾向を助長したのではないかと考へます。 歴史の詮議
だては措いて現在行はれてゐる講中に就いて考へて見ると此の制度はなかく価値のある立派なものと思はれます。本来
講中は信仰の社会性の上に成立する組合であつて他の商工業の組合の如くに自家の擁護と対他的の必要の目的によつて
存在するものでありません。換言すれば信仰の本質的要求として講中は存在の意義をもつて居るのであります。しかし
此れは個人的に見た場合本来の意義でありますが宗門的に見れば、此れ程重要な役目を帯ぶるものはないでありませう
。 今日の講中はあまりに堕落してゐます。その本来の意義を誤り目的を忘れて居りはしないでせうか。隊を為して
各地を歩き廻り寺院の殿堂や門柱に札を張りつけて我が講中は今年何処と何処に参詣したといふ様なことを仕事として
肝心の布教と各自の信仰増進は忘れて居るのが多くあります。しかし幸に我が宗内に於てはしかく左様なる講中のある
ことを見聞しないのは意を強ふするところであります。しかし此れは未だ講中に名をかりた遊山団体であるから益もな
いが害も少い、尤も恐るべきは講中制度の誤用であつて此れから起る弊害は一段であります。(以下省略)』(日淳上
人全集) そして、講頭の我見で教義を逸脱し、住職とあつれきを生じる傾向をいましめている。 創価教育学会は
、これら造反講中のような存在ではなかったが、牧口常三郎が唱えた「価値論」と日蓮正宗の教義をドッキングした教
義解釈や布教に対しては日蓮正宗僧侶から批判も少なくなかった。潜在的な�対立�を内包していたといえる。 戦
後再出発した創価学会は、これとは別の意味で、日蓮正宗と常に緊張関係にあった。
昭和二十一年十一月五日から
六日にかけて大石寺で「講頭会」が開かれ、法華講の代表達が集まり、宗門再建にむけての意見が戦わされた。総本山
大石寺や各末寺の法華講代表の他、「弾正講」「本因妙講」「妙道講」「正信講」「浄信講」「妙信講」といった特殊
な講中の代表も集まり、戸田城聖も再開間もない創価学会の代表として参加した。
多くの出席者が、宗門や僧侶の
現状に注文をつけたり、将来への思いを述べる等する中で、戸田城聖は、一人、角度の違った提案をしている。 「(
法華講は)世間的に有名な信者を会長なり総講頭なりにして、寺院や教会から離れて活躍すべきである。」 「(活動
の方針として)第一に政策、第二に哲学、第三に折伏……」(日蓮正宗「宗報」第十三号より) つまり、これから
の布教は、有力な信者に法華講を統率させ、宗門から独立させて行うべきだ、との主張である。そして、布教にあたっ
ての重点の「政策」とは、国家レベルの政策であり、つまり、法華講の代表である有力者が、政治面でリーダーシップ
を発揮し、それが、日蓮正宗の地位と教勢の発展につながる、という主張である。後の公政連、公明党へつながる。ま
た、「哲学」とは、後に戸田城聖が、日蓮正宗の教義や法華経を独自に解釈して作り出した「生命論」のようなものを
指す。難解な経典をかみくだいて現代風に応用したものを示せということである。「折伏」については、説明の必要も
なかろう。 戸田城聖は、まず自ら事業を再建し、有力者となり、法華講を統一した指導者「総講頭」ないし 「会長
」になり、すでにはびこりはじめていた「霊友会」等の新興教団のように、教義や法華経をわかりやすく合理的に構築
し、そして布教に乗り出そう、と考えていたことを示す。そのためには、宗門からの干渉を排し独立した存在にならな
くてはならぬ。 だが、肝心の「事業」が、前述のように倒産により挫折した。一方で、創価学会の方は、予想以上
に順調に伸び、昭和二十五年には、宗門内の他の講中すべてを圧するほどの勢力になった。戸田城聖は、方針をかえて
、創価学会の運営に軸足を移し、その組織を利用して事業の再生をはかる方針に転じたのである。 このことは、 「
有力者になり、宗門の委嘱を受けて総講頭になる」 という路線から、 「創価学会の勢力を拡大し、その力を背景に
日蓮正宗を支配する」 という路線への変更を必然的にもたらした。 いずれにせよ、宗門の制約からはなれ、独立性
を目ざした点で変わりはない。 昭和二十四年三月二十九日、戸田城聖は、大講頭に任命され、同年七月十日、「大
白蓮華」を創刊した。そして十月二十三日、神田教育会館で開かれた第四回総会では、早くも創価学会を財団法人にす
るという決議が行なわれている。 昭和二十五年の暮れで、「東京建設信用組合」の清算も目鼻が立ち、新しくスタ
ートした「大蔵商事」も軌道に乗り、安全圏に脱した戸田城聖は、昭和二十六年から、創価学会に全力投球するように
なる。 この年、四月二十日に、「聖教新聞」を創刊した。そして、同五月三日、会長に就任した。五月十二日、創
価学会本部に「大法弘通慈折広布大願成就」の本尊が下付された(後に、昭和五十年、池田大作はこれを勝手に板本尊
に模刻した。これが池田創価学会による本尊私造の出発点となり、後の日蓮正宗による破門に至る遠因となった)。
それまで、寺院等で月一回開かれていた座談会が廃止され、会員の各家庭ごとを拠点とする座談会へと移された。
幸福製造機=御本尊で折伏大行進
この頃から、創価学会は、 「日蓮正宗の本尊をもらって拝めば、病気が治る。金がもうかる。一家が仲良く幸せにな
る。だまされたと思ってやってみなさい」 と、極端な現世利益を前面に押し出し、独特の軍隊組織と成果を挙げれば
幹部に昇格されるという�成果主義�であおって、夜となく昼となく折伏を展開した。
他宗のような行者や祈祷、
因縁話などない。ただ�御利益と罰�で押したのである。近代合理主義に徹したといえよう。 戸田城聖は、日蓮正
宗の本尊を「幸福製造機」だ、と言い、次のような講演をしている。 「ここに一つの機械が出来たとするのです。こ
の機械を今の科学的ないろいろな言葉で説明した結論において、これを上手に使えば必ず人生が幸福になるということ
になったとするのです。そうするとその機械は、ずい分高く売れやすいかと思うんですが、どうでしょうか。この機械
を一台もって来てそうして上手に使うんです。技術的なめんどうさもありましょう。上手に使えば必ず幸福になるから
えらい会社が出来ますよ。随分もうかる。一台十万円で売れますよ。何んとか借金しても買ってしまえば幸福になるか
ら皆買う。これで断然もうかるぜ。以前からちゃんとこういう機械が出来ている。これが大御本尊様なのです。大聖人
がチャンとそういう機械を作っておかれたのです。そうして我々民衆にお与え下さった。そして『自由に使えよ。金は
いらんぞ』とおっしゃっているのに、さっぱり今の世間の人はちっとも使わない。というのは大御本尊様がそういう立
派なものであるという説明がめんどうで解らないのであります。」(昭和二十七年六月五日、足立区支部総会) こ
うした露骨な御利益話につられて、入信したものの、一向に功徳が現われなかったり、逆に不幸が重なることも少なく
ない。こうした人達には、 「拝み方が足りない。拝み方が悪い」 「過去世の罪障が深く、それが出て来ている」 等
と指導し、 「一人で拝むだけではだめだ。折伏しなければ本当の功徳はない。自行化他の信心だから。」 と、しゃに
むに折伏に追い立てる。 会員は金がほしい、病気を直したいの一心から折伏にかり立てられる。 支部、地区、班
(一般)。部隊長、隊長、班長(男子部)という型の、軍隊組織をまねた上意下達の組織で、成果主義で会員をあおる
戦法と、�現世利益�がむすびついて、創価学会は、爆発的な発展を始めた。座談会等の会合では、今はやりの�集団
催眠�や洗脳がはげしく行なわれた。そのため、会員は狂ったように折伏にかり立てられた。 だが、創価学会のこ
うした行き方は、内と外とに摩擦を生じた。 創価学会の�現世利益�を前面に押し出した折伏は、日蓮正宗内で批
判の声が出たし、僧侶と従来の法華講を見下し、言いたい放題、やりたい放題、唯我独尊的なふるまいは、宗内僧侶の
反発を買った。 折伏に血まなこの学会員達は、相手が入信をOKすると、気が変わらないうちに本尊下付をしてし
まおうと、深夜だろうとあけ方だろうと、時間帯も寺の都合も一切無視して押しかけ、
「御授戒してくれ」 とせまる
。僧侶が苦情をいうと、 幹部が出て来て 「我々は、止暇断眠、昼も夜も死にもの狂いで折伏しているのに、僧侶は惰
眠をむさぼっておる。けしからん」 とつるし上げる。 元来戸田城聖には、僧侶や法華講を見下したところがあり、
次のような発言がある。 「広宣流布まで、一切の混成軍はつくらない。坊主や旧信者が、なんの頼りになるか。わ
れわれは、お山を擁して、ただ広宣流布へ進むのみだ」「地区部長なんかで、年取ったり、あまり働けなくなった者は
、坊主にでもなるんだな」(第16章) 「旧教は僧と通じて神と通ずる。これは化儀に流れて化法を忘れたものであ
る。新教はバイブルと通じて神と通ずる化法を重んじて、化儀を忘れたのである。」
「坊さんは偉いと思って化儀
に流れているのが旧信者で、われら学会は、新教と同じ立場で、日蓮大聖人様と御書を通じて直結して行ずるのである
」 「日蓮正宗でも、大僧正とか、権僧正とかという位がやかましい。尊能師などというのは偉くて堀米先生など、
ほんの少しだ。細井先生は権大僧都、その下は僧都、権僧都、講師……と決っている。所化にも六階級もある。白衣の
小僧は二等兵格だな。学問も智慧がなくとも、僧都までは登れることになっている。学会のように試験がないから、位
ばかり上になっている『変な奴』のために、さっぱり意見が決まらない。」 「われわれが僧俗一致でやるというが
、お山は頼らない。頼ってしまえば混成軍だ。旧信者なども、下手に入れると混成軍になってしまう。」(以上、水滸
会記録) 創価学会では、寺院に参詣したり、僧侶に親しむ者を�寺信心だ�といって弾劾した。 「僧侶の指導を
受けたら堕落する。折伏しなくなる。学会の指導だけを受けなさい。」 「お寺に、やたらと御供養する必要はない
。学会としてまとめて総本山にしている。」 要するに組織の独立性と純粋培養をはかり、�集団マインドコントロ
ール�に宗門側から水をさされないよう神経質なまでに注意を払ったのである。 そうかといって立正佼成会のよう
に日蓮正宗とはなれてしまって独自の宗教を打ち立てることもできない。創価学会そのものは現世利益を前面に打ち出
した�超近代的合理主義�の形をととのえたが、それだけでは、人々はついてこない。宗教性即ち、教義そして本尊を
日蓮正宗にすべて依存している以上、日蓮正宗とはなれては存在し得なかったからである。 だが、宗門や法華講と
のトラブルがつづいたから、戸田城聖は、この際、一挙に独立化をはかる必要にせまられた。
宗教法人設立と日蓮正宗制圧 暴力宗教のルーツ
戸田城聖は、その第一弾として、宗教法人設立の腹を固めた。 昭和二十六年(一九五一年)十一月一日、聖教新聞
紙上に突如として、宗教法人創価学会設立の公告が掲載された。 この公告には、代表役員戸田城聖、責任役員和泉
覚、柏原ヤス、小泉隆、原島宏治、辻武寿、馬場勝種、森田梯二の七名の名前がある。
引きつづいて、宗門有力寺
院や僧侶への根まわしが行なわれ、同年暮には、有力九ヵ寺に四十三万円 の御供養を行なっている。また、女子青年
部三百名を大石寺に登山させ、デモンストレーションを行なった。 この年には、法人化の大義名分をととのえるため
第六回総会で「本尊の日本流布(日本の広布)」「東洋広布」「宗門の宣揚」を宣言した。 また、「折伏教典」の
初版もこの年発行されているが、その内容は「現世利益」と、法華経を戸田流に解釈した「生命論」、そして他宗をこ
とごとく邪宗ときめつけた激越な攻撃であり、その後の創価学会の路線を端的に示すものであった。 さて、創価学
会の宗教法人設立について、創価学会側から、 「我々の折伏活動が全国的活動となり、邪宗との決戦に至る時の大
難を予想し、本山を守護し法難を会長の一身に受ける」 「将来の折伏活動の便宜上から宗教法人でなくてはならな
い」 との説明を受けて、日蓮正宗側は、 「創価学会が宗教法人となることについては法的な問題であって宗務院と
してはあれこれ指示するつもりない」 としながら、 �折伏した人は信徒として各寺院に所属させること �当山
の教義を守ること �三宝(仏、法、僧)を守ること を付帯条件とした。 それから二十年後のことになるが、こ
の時の創価学会の誓約は、ことごとく反故にされた。 「本山を守護し、法難を会長の一身に受ける」はずが、言論出
版妨害事件や妙信講問題、そして正信会問題等、創価学会存亡の危機に際して池田大作は、常に日蓮正宗をタテにし、
法主の権威をかりて身を守ることに汲々とした。「折伏活動」の便宜のためではなくて、池田大作のやりたい放題、教
団の私物化のために、「宗教法人」という独立の立場を最大限に利用した。 日蓮正宗の教義を御都合主義で手前ミ
ソに勝手に解釈して曲げ、本尊を勝手に私造し(仏を破壊)、日蓮正宗の伝統教義を否定し(法を破壊)、法主をない
がしろにし、その血脈相承や権威を否定した(僧の破壊)。 あげくの果てに、日蓮正宗が破門せざるを得ないよう
に仕向け、池田教へと走ったのである。 宗教法人設立の際の誓約は、独立のための便法であり、その後二十年、三
十年の歩みは誓約を反故にしていく歴史だったといって良い。 宗務院は、一応右のような話合いが成立したものの
、宗内には、創価学会に対する疑惑や不信の念がうずまいていたから、ストレートには法人設立というわけにはいかな
い。 「創価学会にひさしをかしたら母屋まで取られるのでは……」といった反対論が強かった。そこで、戸田城聖
は、実力行使による宗内鎮圧に乗り出した。 昭和二十七年二月、青年部内に参謀室を作り、石田次男(後に参議院
議員、現石田幸四郎代議士の兄)、参謀に竜年光、池田大作を任命し、以後の実力行動や他宗との闘争の司令塔とした
。 参謀室の初仕事は、同年四月大石寺慶祝記念行事における、いわゆる�狸祭り事件�である。 「狸祭り事件」
とは、戦時中、�神本仏迹論�をとなえて軍部に迎合したとされる小笠原慈聞師に対し、「初代牧口常三郎氏獄死の張
本人」と断定し、戸田城聖の指示のもと、青年部が、裸にならせてかつぎあげ、山内を練り歩いたあげく牧口常三郎の
墓前に連行、むりやり謝罪文をよみあげさせた事件のことである。 折から、山内あげて慶祝行事の最中であり、法
主の行列を乱して行なわれた創価学会による僧侶集団暴行事件は、宗内を畏怖させるためのデモンストレーションとし
て効果絶大であった。 その後、批判派の僧侶に対する集団恫喝とつるし上げ、そして手の平をかえしたような懐柔
策がくりかえされた。こうしたこわもての実力行使だけではなく汚い手もつかった。高僧の身辺に�お手伝いさん�と
して女性を送りこみ、誘惑させ、その女性が懐妊すると、その高僧をせめ、弱味をにぎって言いなりに動かした。
平あやまりにあやまる高僧を、戸田城聖が池田大作と藤原行正氏を従えて罵り、持っていた数珠で打ちすえたりもして
いる。暴力と経済力と謀略でゆさぶられては、小さな仏教宗派はひとたまりもない。ついに宗門側は折れて、創価学会
の宗教法人設立を認めることとなり、ついに昭和二十七年八月二十七日、東京都の認証により宗教法人となった。創価
学会は、力づくで法人格と行動の自由をかち取ったのであり、日蓮正宗は、創価学会に屈服したといえる。 創価学
会は、その後も「蓮華寺事件」(大阪市で反創価学会寺院であった蓮華寺住職の追放運動を行ない、蓮華寺は日蓮正宗
から離れて単一法人となる)「的場事件」(大石寺の僧的場正順師の創価学会に対する態度をとがめ青年部が集団で暴
行を加え、境内の川に投げ込んだ)等、青年部の集団暴力を前面に出した威圧作戦で、日蓮正宗に対する独立性と優位
性を確固たるものにして行った。 当時はやりの労働組合による�つるし上げ�も顔負けのはげしさである。これに負
けず劣らずの�暴力的折伏�で教勢は飛躍的に伸びた。これを背景に、創価学会としての財政も確立されて行った。「
聖教新聞」「大白蓮華」等や、機関紙誌の売上げが飛躍的に伸び、「折伏教典」「御書全集」等書籍の刊行も利潤をも
たらした。
�金をとらぬ宗教�という詐術
今日の、「聖教新聞社」を中心とする創価学会の出版事業は、この時期にほぼ原型が出来上がっている。ただ創価学会
の泣きどころは、他の教団のような�お布施�集めができない点であった。日蓮正宗では、一般人からの�お布施、さ
い銭�は受けない。そして、信者からの御供養を受けられるのは、寺と僧だけである。戸田城聖は、しかしこの泣きど
ころを巧妙に�利点�へと転換した。「我々 は邪宗と違う。金集めはしない。お布施とかさい銭は一切受けない。創
価学会は金のかからぬ宗教だ」 と、これを折伏のセールスポイントにしたのである。
たしかに、入会に際しては、
日蓮正宗寺院で御授戒を行う際の費用と本尊下付、経本、数珠等の実費を負担するだけで良い。しかし、そのあとが大
変である。 聖教新聞、大白蓮華、折伏教典等の講読が半ば義務的に押しつけられる。さらには、御書全集、その他
の書籍の購読をせまられる。 連日開かれる行事は、もちろん自費参加。そして、折伏活動は手弁当で、交通費は自
前。これも連日になるとバカにならない。 昭和三十年からは、これに�選挙運動�が毎年のように加わった。本部
からの号令一下展開される�人海戦術�は、すべて会員の自己負担で行なわれる。投票日間近になると、仕事を投げ出
して戸別訪問にかけ回る。 それに、登山会が加わる。毎月のように団体列車での�大石寺参り�に参加するよう薦
められる。 その他に、�文化祭�とか○○大会といった行事にもかり出され、その衣装や用具まで自己負担させられ
る。 そして、裕福な会員は、�財務部員�として一定額の寄付をする。後に池田大作は、この�財務�を無制限に
拡大し、年間数千億円の金を集めるに至る。�金を取らぬ宗教�の看板は、池田大作によってあっさり書きかえられた
のだ。 池田大作は、私達に言った。 「芸者の旦那と宗教の信者は、しぼりとればしぼりとるほどついてくると、あ
る坊さんがいった。学会も、見習わなくてはならぬ。(会員から)もらって上げることが、その人の信仰心を強くして
あげることになる」 創価学会のもう一つの摩擦は、社会との間でおこった。 昭和二十年代の後半は、大蔵商事で
会員から金を集め、これを高利で運用することで財政をまかなった。しかし、昭和三十年頃をさかいに、創価学会本体
の収益事業による収入が飛躍的に増え、こちらに財政の軸足が移って来たのである。
池田大作は敏感にこれを察知
し、次第に大蔵商事から創価学会本体へと活動の場を移して行く。それも、�支部長��理事�といった通常の階段を
昇るのではなく、戸田城聖に働きかけて�参謀、参謀室長、渉外部長�といった、特殊なスタッフ職をもうけ、就任し
て、会のすべてに口出し出来る地位を確立して行く。 池田大作は、渉外部長としてかつての陸軍における�参謀�
のように、そして外務省や諜報部にあたるセクションを支配し、金力と、手なづけた青年部とをつかって、創価学会の
主導権争いにのり出すのである。
暴力折伏で教勢拡張 参議院に進出
マインドコントロールされた会員による狂気じみた折伏攻勢、現世利益、「罰と功徳」論をかざした、そして入信後謗
法払いといって、他宗の本尊や仏像、宗教的な用具等を焼却させる布教方法は、他教団との間や各個人の家庭や職場内
で、深刻なトラブルを多発させた。 マスコミに創価学会を「暴力宗教」として、批判する論調が出はじめたのもこ
のころからである。 昭和三十年十一月十九日付毎日新聞には、 「暴力的に信者獲得」
という見出しのもとに創価
学会がとり上げられ、当時の公安調査庁長官の 「最近創価学会などの新興宗教が軍隊化した組織を利用、なかば暴
力的に信者獲得運動を行なっている。まだ事情を調査する程度だが、影響ある場合、破防法を適用するつもりである」
との談話が掲載されている。 これに対して創価学会は、「邪教の徒の宣伝」「三類の強敵」と非難し、池田大作は
戸田城聖の命をうけて毎日新聞社に抗議に行っている。 創価学会は宗門に対すると同じくらい、あるいはそれ以上
に、マスコミや世論に対して過剰に反応する体質を持ち、それが後年言論出版妨害事件を引きおこしたのであるが、こ
の体質はすでにこの頃から存在した。 これは、創価学会のような�マインドコントロール集団�にとっては宿命的
な体質といって良い。 オウム真理教は、マスコミによる批判報道を阻止するため、殺人という手段にまで及んだ。そ
れは、こうした批判を野放しにしておくことが、団体の死活にかかわるからである。創価学会にとっても、会員が、創
価学会の方だけを向き、その価値観だけで行動するようしばることが会員に対する集団催眠�マインドコントロール�
を維持する上で不可欠なのである。そのためには、マスコミの�雑音�は最大の邪魔ものである。 なりふりかまわ
ぬ�暴力的布教�の成果はすさまじく、昭和三十年暮れには創価学会は公称三十万世帯の大勢力にのし上っている。既
に当時の日蓮正宗全法華講世帯数の十倍近い勢力となったのである。 戸田城聖は、この年、教勢の発展を背景に、
政治への進出を果たす。 同年四月の統一地方選挙で、創価学会は一挙に五十一名の候補者を当選させ、世間の注目
をあびた。翌三十一年五月三日には、「国立戒壇建立の時来る」との合言葉のもと、東京国際スタジアムに三万人の会
員を集めて行った第十四回総会で「五十万世帯の年内達成」「参議院に高潔なる人材を」との方針を打ち出した。
そして参議院全国区に辻武寿、原島宏治、小平芳平、北条焦八の四名と、東京地方区に柏原ヤス、大阪地方区に白木義
一郎の各氏を立ててはげしい選挙運動を展開した。 宗教活動と選挙運動を一体化した創価学会の運動方法は、この
最初の選挙のときから世間の耳目を集め、新聞、雑誌は一斉に批判を展開しはじめ、折伏をめぐる暴力事例や選挙違反
で幹部全員が逮捕されるという事件が相次いだ。 こうした司直の摘発を受けた学会員に対して、戸田城聖は 「法難
賞」をもってむくいた。 「国法にそむいても仏法には違背していない」 「仏法上、法のため身を捨てた人は功労
者だ」 というわけである。
選挙で頭角、池田大作のリーダーシップ
大蔵商事の経営から軸足を創価学会に移しはじめた池田大作は、その�遊軍��戸田の近衛隊�的な地位を、この選挙
活動の分野で最大限に発揮した。戸田城聖も、世間知らずの幹部達より、�金融業�できたえた池田大作の�世故にた
けた�点を重用した。 池田大作は、すでに組織の固まりつつあった東京をさけて、新天地・�関西�を担当し、そ
こに牙城をきずくことになる。 池田大作は、昭和三十一年の参院選において、大阪地方区で立候補した白木義一郎
氏の選挙司令となった。 「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の
唯一の大目的なのであります」(大白蓮華昭和三十一年八月号) 「我らが政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南
無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち国立戒壇の建立だけが目的なのである。特に政治に対しては三大秘法稟承事
における戒壇論が日蓮大聖人の至上命令であると我々は確信する」(大白蓮華・昭和三十一年八月号)と、参院選を、
国立戒壇建立のための聖戦と位置づけ、激越な選挙戦を展開した。 池田大作は、公示後のスケジュールに、 「抜刀
」「突進」「突入」「突撃」など、超過激なネーミングを行い、学会員を目一杯かり立てた。創価学会員は池田大作の
アジテーションによって集団催眠状態となり、昼夜を分かたず題目をとなえ、戸別訪問に突進した。 その一方で、
他党の関係者が舌を巻くような謀略や妨害の手をくり出している。 池田大作のこの時の謀略について、その下で戦
った田代富士夫氏(後に公明党参議院議員、砂利汚職で有罪判決を受け、政界を引退)は、幹部向け機関紙『前進』誌
上に、「将軍学を学ぶ」と題して次のような手記をのせている。 「ある日選挙事務所が酔っぱらいに荒らされた報
告を受けられた先生は『すぐに一一〇番して警察に来てもらいなさい』と指示され、間髪をいれず、また『警察に電話
をしたか』と電話があり、『いま呼んでいます。もう来ると思います。』とお答えすると、先生はさらに『刑事はどう
した』『近所には全部あいさつに行きなさい』『�いま、対立候補が、こちらの事務所になぐり込みをかけてきました
。そのため皆さんに、たいへんご迷惑をおかけしました�といって御近所を全部まわりなさい』と指導された。まった
く敏速な処置であった。 大急ぎで五十軒ぐらい近所回りをした。そして先生は『対立候補に悪らつな妨害をやる�
選挙事務所になぐりこみをかけてきた�いう印象与えればよいのだ。特定の候補の名前を出さず、一軒一軒手を打て』
といわれた。」 このように、何事も目的のためにうまく利用せよ、ウソも方便、というのが池田大作流の�将軍学
�なのである。 この選挙で、白木義一郎は当選し、また、全国区でも九十九万票を集め、辻武寿、北条焦八両名が
当選した。その一方で、東京地方区の柏原ヤスが落選したため、池田大作は創価学会内で一挙に頭角をあらわす結果と
なった。選挙こそが池田大作にとって、創価学会に於いてリーダーシップを確立する願ってもない舞台となったのであ
り、�金貸し�の裏方から、一躍晴舞台へと登場するきっかけとなったのである。
昭和三十二年、身延派日蓮宗僧
侶と創価学会の間で行なわれた「小樽問答」で、池田大作は司会役をつとめ、創価学会側を勝利にみちびいた立役者と
なり、また、昭和三十一年から三十二年にかけての炭鉱労働組合との闘争でも渉外部長として中心的役割りを果たした
。 こうして、昭和三十二年には、池田大作は青年部に対する支配権を確立するとともに、これを背景に、創価学会
に対する発言力を増して行く。当然、大蔵商事の営業部長という汚れ役からは事実上手を引く形になっていった。
大阪事件の真相 池田大作のつまづき
だが、�好事魔多し�の例え通り、大阪での選挙戦が池田大作の足を引っぱる事件が発生する。 昭和三十二年四月
、大阪府で参議院議員補欠選挙があり、勢いに乗った創価学会は、中尾辰義氏を立候補させ、前年と同じ参謀室長の池
田大作が司令となって陣頭指揮をとった。池田大作は、ここで再び勝つことで、以後の創価学会のリーダーシップを一
挙ににぎりたいと考えていたから、前回にも増して過激なアジテーションを行った。
前年の白木義一郎の選挙でも
創価学会は多数の違反者を出したが、国連恩赦で免責を受けている。しかし、警察も検察も、創価学会の選挙違反には
目をつけていたらしい。 昭和三十二年の選挙では、中尾辰義は落選したが、その直後から四十五名の学会員が選挙
違反で摘発され、有罪となった。タバコの箱に札を入れて配るという、集団戸別訪問と買収がからんだ違反事件で、逮
捕された会員が「小泉隆、池田大作の承認のもとに行なった」と自供したため、六月二十九日に小泉隆が、七月三日に
池田大作が逮捕された。 池田大作は検事の調べに対して全面自供し七月十七日、拘留期限満期前に釈放されている
。 しかし、池田大作は公判に当たり、容疑を全面否認、四年四ヵ月にわたって争った。判決が下ったのは、池田大
作の会長就任後二年近くたった昭和三十七年一月二十五日である。 なにしろ、�法戦�と信じて選挙違反を堂々と
行なった学会員達のことである。検事の調べで皆自供していたし、池田大作本人が、検事の調べに音を上げて、早々に
自供に追いこまれていた事件である。公判になって、関係者は一斉に供述をくつがえし、口々に、 「池田先生には
関係ない。自分達が勝手にやったことだ」 と述べたが、後の祭りである。 関係者も本人も、弁護団も、有罪やむな
しという判断で判決の日を迎えた。 「打合せのときは弁護士か検事か、まるでわからぬ口調でいつもせめられた」 池
田大作はよく回顧して語っていた。 「私だけは、無罪を確信していた」 こう、強がって見せたりした。 だが、
本人も、有罪やむなしの判断に傾いていたことは、判決の直前に、創価学会の代表役員を辞任し、原島宏治氏(理事長
、当時)が一時就任していることを見てもわかる。 そして、判決確定後、池田大作は、また、代表役員に戻ってい
る。有罪判決を受けた身が、公益法人である宗教法人の代表役員の地位にいることが、創価学会の法人格に悪影響を与
えることをさけるための措置である。 池田大作は、その後、妙信講問題や松本勝彌裁判などで法廷に立たされるの
をさけるため、昭和五十一年に代表役員を北条浩理事長にゆずったが、それまで、右の昭和三十七年の一時期をのぞい
て、代表役員からしりぞいたことは一度もない。北条浩氏に代表権をわたすときも、北条浩氏から、�創価学会はすべ
て池田先生のものであり、私は便宜上先生にかわって代表役員となったものです。私の判断を一切はさむことなく、す
べて池田先生の指図通りにいたします� という一筆をとっている。 �創価学会はオレのもの�と思っている池田大作
が、絶頂期にさしかかろうというときに、ほんの短い期間代表役員をしりぞいたということは、有罪判決にそなえての
こと以外何ものでもない。あるいは�情状酌量�をねらったものであろう。 検事の論告は 「創価学会の選挙違反
は、宗教の仮面をかぶった悪質な戸別訪問であり、本件は氷山の一角である。宗教団体は社会悪を正すのが本来の使命
であるにもかかわらず、広範囲に違反を起こしたことは、情状酌量の余地がない」というものであり、「禁固十月」の
求刑をした。 創価学会の選挙運動の本質をついた、今読んでも、りっぱに通用する内容であり、検事の見識は仲々
のものである。�今でも通用する�ということは、今も昔も、創価学会の政教一致選挙は一向に変わっていないという
ことであり、これを以後四十年間も野放しにして来た当局の責任は重大といわなくてはならない。 池田大作は、昭
和三十六年十二月十五日の最終弁論の際、次のように述べている。 一、我々は市民であり選挙を行なうのは憲法に
保障された国民の権利である。選挙運動をやってなぜ悪いのか。(今も創価学会は同じことを言っている。だが、会員
が選挙をやっていけないとはだれもいっていない。�国立戒壇のため�とか、宗教団体が天下を盗ろうとし、政党を支
配するような形で の関与は憲法違反だと、国民から批判されているのである 筆者註)
一、戸別訪問は法律で禁止
されているが、自由にしてよいという議論もある。創価学会員は過去の選挙で全国的に戸別訪問の罪に問われたが、た
いてい略式命令による罰金等の軽い刑であった。今回の「禁固」の求刑は過酷である。
一、大阪は商人の多い土地
柄なので、権力にはとくに弱く、また大阪の地検検事は横暴で取調は過酷だった。権力を盾に弱い者をいじめる検事は
許しがたい。 一、選挙に敗れたとき、戸田に役職解任を願い出たが、保留された。また、拘置所から出たとき、戸
田が「裁判があるではないか、裁判長はわかるはずだ」と言った。
疑惑にみちた無罪判決
この、有罪を認めたような最終弁論での主張にもかかわらず、池田大作は無罪となった。
その理由は、裁判長が職
権で取寄せ、調べた拘置所の記録に、検事が池田大作を深夜にわたって長時間取調べた事実があり、これは違法な捜査
で「黙秘権の侵害」があったとして、池田大作の捜査段階での供述調書のすべてを�証拠能力なし�として排除した。
そして、「有罪とする根拠がない」としたものである。 新刑事訴訟法施行後日の浅い段階では、捜査の手続ミスに
よる無罪事件は少なくなかったようだが、当事者主義(検察と弁護側が提出した証拠にもとづいて裁判所が判断する訴
訟形式)の刑事裁判において弁護側が主張も指摘もしていないのに、裁判所が職権で拘置所の記録を調べるということ
は、まことに異常な事例といわなくてはならない。有罪間違いなしとされた裁判を、何とか無罪にしようと、裁判所が
弁護人以上の弁護活動をしたという、まことに希有の裁判であった。�空前絶後�ととって良いかも知れない。 関
係者全員が狐につままれた思いをした判決のなぞをとくカギは、池田大作の「裁判長だけはわかって下さるはず」とい
う発言にあるのではなかろうか。 それから十年ばかり後のことである。高等裁判所判事を務め、退官後弁護士にな
り、創価大学の教授に迎えられた熱心な学会員の法律家といっしょに池田大作と会食する機会があった。 その法律
家は、池田大作に、 「○○さんと会い、御指示のとおりにいたしました。○○さんは、池田先生にくれぐれもよろし
く、ということでした」 と報告した。 後で、「○○さんとはどういう人ですか」とたずねたところ、その法律家は
、 「大阪事件のときの裁判長ですよ。」 と意味あり気に笑った。その後に交わした会話については、まだ活字にする
気になれない。公平無私と思われている司法の�奥の奥�によこたわる�黒い蛇の道�について、隈部裁判や妙信講裁
判で、私は創価学会顧問弁護士の立場で利用した経験があるし、私の�恐喝裁判�では創価学会に�利用された�と思
われるふしがある。 私の再審請求が受理されて、裁判のやりなおしが始まった時、これらの事実も俎上にのせるつ
もりである。
**********************************************************
2005年2月12日 15:31
▼> 道門増上慢=狸祭り事件、妙信講問題(顕正会)・正信会など
●妙信講も正信会も、おまけに創価学会も、所詮本門戒壇の大御本尊から離れ異流義化した謗法団体ですから、「道門増上慢」とは正法=三大秘法を強盛に広めて行く中で起こることなので、経緯はどうあれ結局、謗法団体同士、目糞鼻糞レベルの争いだったということですね。
参考までに当時の様子を当事者としてよく知る山崎氏の回想録を転写する。
尚異論があるのなら、感情論や先入観ではなく具体的な根拠をもって反証してください。
妙信講問題では、昭和四十七年七月、日達上人が妙縁寺に御下向になり、浅井親子を説得なさった折、その対談の模様を学会が盗聴し、その後、学会が妙信講と直接対決することになった経緯(いきさつ)についてもやはり、触れておかなくは思うので、前回よりも少しさ遡(さかのぼ)るが、今回はその点について触れることにする。
池田大作が泣きついたことにより、御先師日達上人が直々(じきじき)に妙信講の説得に出られることになって、私達は対応に苦慮した。
対談の成り行き次第では、全てが裏目に出てしまうのではないか、との危険を感じたからだった。
というのは、正本堂の意義付けについては、学会側がむりやり宗門にねじ込んでいく中で、学会を慰撫(いぶ)教導する御立場の上から、日達上人が歩み寄った表現を用いてくださった箇所を含んでいたからである。
もし、妙信講を説得なさる経過の中で、そうした事情を日達上人が口にされたり、あるいは、表現の訂正でもなさったら、学会の正本堂についての思惑はぶち壊しになってしまうかもしれない――池田大作も、日達上人に頼み込んだ後で、今度はその危険性に気付き、やきもきし始めた。
「どうなっても良いさ、猊下にお任せしよう」
口では、いちおう、そう言いながら、
「もし、こうなったらどうする、ああなったらどうする」
と、神経質に私に尋(たず)ねるのだった。
もし万が一、日達上人が、浅井父子に思わぬ言質(げんち)を取られたりした時は、ただちに対応を考えなくてはならない。
もとより、御法主上人にお預けすることになった以上、もはや、あれこれと前もって注文を付けるわけにはいかない。
そこで、じつに無礼千万ではあったが、随行される藤本庶務部長(当時)に、
「対論の趣旨を逸脱(いつだつ)することだけは絶対ないように、補佐をよろしくお願いします」
と、出すぎた念押しをした。
また、会談が終わったら、ただちにその内容を伝えてくださるように、ということもお願いした。
とにかく、一分でも一秒でも早く正確な情報を手に入れ、間髪(かんぱつ)を置かず対応しなくてはならなかった。
そのために、北条副会長らと相談の上、宮本邸以来、ほとんど封印していた�盗聴�という手段を用いることになった。
電話盗聴と違って、仕掛けるのも非常に簡単で、失敗の気遣いはなかった。
私は、広野輝夫(学生部主任部長)を呼び、宮本邸電話盗聴の時の経験を元に、盗聴器の作製を命じた。
電話盗聴ではないから、電波発信式の機械は一日もあればできる、ということであった。
受信器等は、以前使ったものを一部保管していたのが役に立った。
七月四日午後、私は、会談会場の墨田区妙縁寺に行き、
「警備のため」
といって内外を点検した。
対談の場所である二階の和室のかもいの隙間に、盗聴器を放り込んでおけば、発見されることもないし、充分盗聴できる、という状況を見極め、広野輝夫に設置を指示した。
当日の早朝、広野は、私の自宅に立ち寄った。
「これから取り付けに行きますが……」
青ざめた顔で広野は言った。
「先輩の河合一さん(現副会長)にちょっと話したら、�猊下にそんなことをしたら、罰が当たるから、やめた方がいいぞ�と言われたんですが……大丈夫でしょうかね。」
緊張で顔を引きつらせながら尋ねた。そこで私が、
「猊下を攻撃するためにやるのではなくて、猊下をお守りするためにやることだ。
浅井父子に揚(あ)げ足を取られたりした時に対応するためにすることだし、万一の時には、ただちに室内に駆けつけなくてはならないのだ。
北条さん達も了解して、その指示の上のことだ。
心配ないよ。何が起こっても私が責任をとる。罰があったら引き受けるよ。竹岡にもそう言ってくれ」
と言ったところ、ようやく広野は安心して出動した。
七月六日、広野輝夫は、もう一人の情報師団の中心者・竹岡誠治と共に、妙縁寺の脇の路地に停(と)めた車の中で、室内に仕掛けた発信器から送られてくる、日達上人と浅井父子の対話の模様を録音した。
私も、広野らとともに、車中で一部を直接聞いた。
受信器も、使用した電波の波長も、宮本邸電話盗聴の時と同じものを使用した。
発信器を急いで作らせたため、雑音が多い上に、近くを自動車が通るたびにブザー音のような雑音が加わった。
それでも、録音された話の内容は、明瞭に聞き取れた。
その内容は、両者の会話が、私達が危惧(きぐ)していたような結果に終わったことを示していた。
私は、広野から受け取った録音テープを創価学会本部に持ち帰り、文化会館六階の会議室で、北条・秋谷・原島の各氏と共に、再生して聞いた。
日達上人は、席に着かれるなり、
「言うことを聞かぬなら殺す、というなら、私を殺しなさい。
さあ、殺しなさい。やれるものならやってみなさい」
と切り出され、 浅井親子を圧倒した。
「下着も着替えて、このように辞世の歌も用意してきた。法のために死ぬのなら、何の悔(く)いもない。」
浅井父子は、完全に度肝(どぎも)を抜かれ、日頃の威勢を全く失ってしまった。
「信心の世界に、言うことを聞かぬなら殺す、なんていう話を持ち込むのは、もっての他だ。」
日達上人の厳しい叱責(しっせき)に、浅井父子は詫(わ)び、けっして、それは、本心からやりたくて言っているのではない、などとモゴモゴ弁解した。
「私のやることに何が不満なのか。訓諭のどこが気にいらんというのか」
日達上人はたたみ込まれた。
その辺から、浅井昭衛が巻き返しを計ろうとした。
「宗務院が、創価学会に迎合して伝統法義を曲げ、御法主上人の真意を曲げた。
私達は、猊下をお護(まも)りするためにやっているのです。」
「宗務院はどうでもいい。学会は学会だ。訓諭は私が出した。私がやったことだ。
不満があり、殺すというなら、まず私を殺しなさい。」
「そのように言われると、私達には、何も申しようがありません。」
それから、浅井昭衛は、クドクドと国立戒壇論を述べ、正本堂が御遺命の戒壇だというのは、白を黒と言うがごとき間違いであり、世間や信者をたばかるものである等と、持論を述べ始めた。
日達上人は、浅井の論法など聞き飽きておられたのか、その話の腰を折って言われた。
「国立戒壇というのは、今後、いっさい当宗では言わない、と決めたのは私だ。
だから、当宗の教義として国立戒壇がある、などということは、今後、いっさい言わないでもらいたい。そういう主張もしないでほしい。
もっとも、信者がどんな考えを持とうと、それは勝手だから、それを口にするくらいはいいが、当宗の教義として文章にするのはいけない。」
この日達上人の、大きな御心からのお言葉につけ込み、浅井昭衛は、すかさず念を押した。
「じゃ、妙信講が、国立戒壇と言うのは、口で言うのは差し支えないですね。」
「それは、まあ、いいでしょう。しかし文書にしたり、他に押しつけたりしてはいかん。」
浅井は、ニンマリして言った。
「わかりました。これからは、よく注意します。
ところで、正本堂の論義についてですが、訓諭の前半は、私達も納得できるのです。
しかし、後段が、正本堂を、本門寺の戒壇となるべき建物だと決定している点については、正直いって納得いたしかねます。」
これに対して、日達上人は、ありのままを仰せられた。
「前の半分は私の気持ちのとおりだが、後半は、私の本意じゃなかった。いろいろな事情があって、あのようになったが……」
浅井昭衛は、我が意を得たりと突っ込んだ。
「しかし、訓諭として出された以上、宗内に誤解が流布してしまいます。
正本堂を、将来のことであるにせよ、�御遺命の戒壇�だと断定されたままでは、法義の根本が揺らぎます。
何とか、これを打ち消すなり、新たな訓諭で訂正するなり、していただけませんか。」
日達上人は苦慮されているようだった。
そんなことを約束したら、妙信講は喜ぶだろうが、創価学会が黙っていないだろうことは目に見えている。
「新たな訓諭を出すとか、訓諭を訂正するなんて、それはできないよ。
よろしい。解釈文を出そう。解釈文の中で、その辺のことをはっきりさせよう。それでどうか。」
浅井昭衛は、小躍(こおど)りして喜んだ。
「たいへん結構でございます。
ついては何ですが、その解釈文は、念のため、発表前に私共に見せていただいてよろしいでしょうか。」
「ああ、いいでしょう。
これで、問題は解決したね。もう文句はありませんね。」
「ありません」
浅井父子は平伏した。
「よし、それでは、以後、諍(あらそ)い事は一切やめてください。創価学会と�勝った負けた�だの�どちらが悪い�などと言い合うことは、いっさいしてはなりません。よろしいか。」
「創価学会の方で何もしなかったら、私達もあえて争うことはしません。」
浅井父子は、妙信講本部へ帰ると、
「勝った。勝った」
と大騒ぎした。
幹部達を集めて、浅井昭衛は言った。
「近いうち、訓諭の解釈が発表される。妙信講の言うとおりの内容になる。
正本堂は、ただの建物にすぎないことがはっきりする。
それを見極めて、一斉に創価学会攻撃をやる。
今がチャンスだ。必ず創価学会はつぶれる。少なくとも、宗門から追い出す……。」
文化会館六階の会議室で、何とも言えない面持ちで、日達上人と浅井父子の対談の隠し録(ど)りテープを聞いた首脳は、ガックリ肩を落とした。
「だめだなあ!」
秋谷栄之助が言った。
「何てこった。これが、本山の本音か……」
北条浩が、うめくように言った。
そこへ池田大作がひょっこり顔を出した。
「どうだった?」
率直に、最悪の状況であると報告する私達に、池田大作は言った。
「やっぱり失敗だったか。悪かったな。私がやると、いつも失敗するなあ。
しかし、私としては仕方がなかったのだよ。
結果はどうであろうと、手続きとして、猊下にお願いして、一度説得してもらうのが筋じゃないか。」
しきりに言い訳をしたあと、
「それで、これからどうしたらいい?」
と尋ねるので、皆で今後の対策の協議に入った。
「訓諭の訂正になるような解釈文など、絶対に出してもらうわけにはいきません。
そんなことになったら、池田先生も創価学会も袋叩きにされ、「話が違う。正本堂御供養金を返せ」という人達が本部に押しかけるでしょう。
何としても、最低、訓諭の線は守らなくてはなりません。」
いずれ、宗門から報告や今後の方針を伝えてくるだろうから、それを見た上で、巻き返しをはかろう、ということになり、そのための準備として、情報収集に全力をあげることになった。
翌日、大石寺理事・早瀬義孔尊師が、日達上人猊下の使者として創価学会本部を訪れ、前日の対談の経緯と結果の報告をした。
おおむね正確な報告であったが、浅井父子に譲歩した形で訓諭の解釈文を出す、というニュアンスは正確に語られなかった。
創価学会側は、表向き丁重に礼を述べ、日達上人猊下の御苦労を賛嘆しておいた。
そのあとで、北条副会長(当時)が総本山に行って日達上人猊下にお目通りをし、
「猊下が�口頭で言うのはかまわない�と言われた、といって、妙信講が徹底的に学会攻撃をするといっている」
「解釈文を出していただくのは結構だが、その内容によっては大変なことになる」
等と言上して牽制(けんせい)し、圧力をかけた。
こうなってくると、浅井達の言い分を容れながら、なお、創価学会の顔も立てる文案を作らねばならず、そんなことは、とうてい不可能なことである。
そうこうしているうちに、
「解釈文が出たら、創価学会を総攻撃する」
と手ぐすね引いていた浅井父子も、次第にしびれを切らし、収まらなくなってきていた。
日達上人は、この両者の態度にサジを投げられ、
「こうなったら、創価学会と妙信講で、直接話し合って決着をつけなさい」
と両者に申し入れられ、正本堂落慶法要目前の九月始めから九月三十日にかけて、計七回、毎回二時間にわたる両者の激論が交わされたのであった。
会場は、向島の常泉寺。学会側代表は、秋谷栄之助・原島嵩・山崎正友。妙信講側は、浅井甚兵衛・昭衛父子と大久保某の三名。
この対論に当たっては、私が発信器をアタッシュケースに入れ、会場から道ひとつ隔てた学会員宅の一室で、受信機と録音機でこの電波を受信・録音する一方、その場に、広野輝夫・竹岡誠治ら情報師団の他に、桐ヶ谷章・八尋頼雄の両弁護士や神崎武法検事(当時。後に公明党委員長)が詰めていて、耳をそばだてて対論の様子を聞いていた。
彼らは、私達代表の発言にまずい点があればチェックし、常泉寺の御僧侶に頼んで、会場にメモを差し入れ、注意を喚起(かんき)するという役割と、万一、暴力沙汰にでもなった時には、ただちに駆けつけるという役割になっていた。
また、会議のたびに録音テープを書き起こし、これに基づいて作戦会議を行なった。
この作戦会議には、神崎武法の他に、福島啓充・吉村弘・高井康行らの現役検事(当時)がブレーンとして参加した。
会談は、双方、自分の主張を繰り返して譲らず、ついに秋谷栄之助が憤然(ふんぜん)と立ち、
「よし、もうこれ以上話しても無駄だ。実力で決着をつけるということなら、創価学会青年部は受けて立つ。阻止できるならしてみろ。次は、総本山で会おう!!」
と宣言した。
売り言葉に買い言葉で、浅井昭衛らも
「やりましょう!! やりましょう!! 大いに結構だ!!」
と席を立ちかけたが、その浅井の姿に、私は、不意をつかれた狼狽(ろうばい)を見てとった。
浅井昭衛は、口では�流血騒ぎを起こす�と威勢のいいことを言っていたが、それはハッタリだった。
�そう言えば創価学会は、体面を考えて、けっして事を荒立てようとはしないだろうから譲歩するだろう�
との計算が彼らにはあったのだが、そこを見透(す)かして、秋谷栄之助が、賭(か)けに出たのであった。
「まあ待ってください!!」
私はまず秋谷を制し、それから浅井父子を座らせた。
「そんなことで、御本仏が喜ばれると思っているのですか。御法主上人はどうなるのですか!!
妙信講と創価学会がぶつかって総本山で血を流したら、喜ぶのは邪宗だけではないですか。宗史に拭(ぬぐ)いきれない汚点が残るだけです。
ここまで、十分議論し合ったのです。
双方の違いもはっきりした。
内ゲバはいつでもやれる。いま一度、冷静に、具体的な妥協の道を探ってからでも遅くないでしょう!」
もちろん、双方に異議があるわけがない。
そこで、私が、当面の妥協案を提案した。
「正本堂が、御遺命の戒壇かどうかということは、今の段階で、あえて結論を出す必要はない。
現状を見れば、広宣流布達成は、まだまだ先のことである。その時までに決めればよいではないか。
現時においては、正本堂という建物が完成したということ、そこに大御本尊様を御遷座申し上げても、けっして蔵から表にお出しするということではない。
そのための儀式を行なうことに、何の異議があろうか。
その点を確認し合って、国立戒壇の是非については、これから、さらに時間をかけて対論を続けていこうではないか。大事なことだから、時間を区切って結論を出せというのは間違いだ。」
浅井昭衛は、
「たしかに、広宣流布はまだまだ先であるから、御遺命の達成ではないということをはっきりさせること。そして、創価学会の方で既成事実を積み重ねるような�正本堂が御遺命の戒壇である�という発言や指導を絶対にしないこと。
そのことをきちんとした形の上で示し、今後、妙信講と国立戒壇の是非を論じていくというのであれば、今日のところはそれで結構だ」
と答えた。
そこで、秋谷栄之助は、
「広宣流布は、まだ達成されておらず、御遺命の達成ではないということは、首脳の談話として、『聖教新聞』にきちんと発表する。
そして、これからは、御遺命の戒壇については、双方公けに論及せず、このメンバーの対論で煮詰めていくことにしようではないか」
と提案し、その内容をまとめて文書を交換した。
そして、数日後の『聖教新聞』紙上に、理事長談話として、
「正本堂落慶式を迎えるが、まだ、広宣流布達成ではない、さらに御遺命達成のため、折伏にがんばろう」
という談話を発表することにした。
ちょうど、その頃、学会本部では首脳陣が、
「もう、どうせ妙信講とは、実力でぶつかることは避けられない。
正本堂落慶法要当日、総本山が内ゲバの戦場にならぬよう、警察に警備を頼むしかない」
と話し合い、公明党首脳から警視庁に根回しに行こうとしていたが、池田大作が、
「山友が、�何とかなりそうだ�と言って行ったんだから、帰るまで待とう。それからでも遅くないだろう」
と制止した。
その直後、我々三人が本部に帰り、
「間一髪、危機を回避できた」
ということを報告したところ、池田大作は、
「それみろ、私が言ったとおりだろう」
と得意気に言った。
それでも、池田大作は、万一のことに備えて、日達上人をせかし、大御本尊の御遷座を、予定した日の二日前に、総本山に居合わせた幹部達だけが供奉(ぐぶ)する中で、そそくさと行なった。
私もその中の一人として、大御本尊を支える棒の一端を肩に乗せながら、参加させていただいたが、何とも言えない気分であった。
落慶法要は、池田大作がそれまで夢見ていたのとは似ても似つかぬ、シラけた儀式となった。
沈みがちな空気を盛り上げたのは、ジョージ・ウイリアムス(貞永靖)が引きつれてきたアメリカ創価学会の�芸能団�であった。
彼らは底抜けて明るい派手なパフォーマンスで、池田大作をメンツの失墜から救いあげたのだった。
池田大作が、後に、
「私を本当に支えた弟子」
として、北条・竹入・中西・山崎正友らの名と共に、ジョージ・ウイリアムスの名を挙げたのは、このことがあったからである。
池田大作は、しかし、�懲(こ)りない人�だった。
福島源次郎ら側近に命じて、登山してきた学会員に、
「本日、広宣流布が達成されました。御遺命の戒壇が成就しました」
と口コミで触れて歩かせた。
これを耳にした原島嵩が、
「とんでもないことだ!!」
と、福島源次郎を総括した。
このことを福島源次郎から聞いた池田大作は、原島嵩と私を呼びつけ、血相かを変えて怒鳴りつけた。
「俺がやらせたことだ。それにお前らは文句があるのか!!」
原島嵩が、「妙信講との和解」云々と言い出すと、池田大作は、さらに居丈高になり、
「俺は、何も恐いものはない。奴らがやるというならやってみればよい。
俺は俺流にやる。それに文句をつけるとはけしからん。お前達、ちょっと働いたからといって思い上がるな」
とどやしつけた。
私は、池田大作が、首脳達の手前、虚勢を張っているのであり、また長い間の抑圧の後で、「もう安心」と思ってぶち切れているのだとわかっていたから、何も言わずに黙っていた。
しかし、情けなくなって、自然に涙が出た。
「こんな男のために、私は死にものぐるいの努力をしていたのか……」
それを見て、池田大作は、間が悪そうに顔を背けた。
妙信講の一方的な宣戦布告によって、創価学会は、折から日蓮正宗との関係が悪化していたこともあり、背腹に攻撃を受けることになりそうな形勢となった。
それではたまらないから、日蓮正宗との関係修復に必死となった。
「国際センターは、創価学会だけでやります。数々の非礼はお許しください。
今、創価学会は、正本堂建立に全力をあげてきた直後で、無理を重ねてきた反動もあり、苦しい中で内部充実を計っています。
しかし、必ず近いうちに寺院建立など、御奉公を再開します」
「妙信講は、無法な暴力集団であり、浅井昭衛は、創価学会に取って代わって、宗門を思うがままに牛耳ろうとしています。
御奉公を何もしないで、要求を突きつける、えげつない連中です。
彼らの天下になったら、宗門は暗黒です。
ここは、妙信講を徹底して排除するために、御宗門と創価学会が、一致団結して当たらなくてはなりません。宗門と学会がいがみ合うようでは、必ずつけ込まれます。
我々は、全力をあげて、妙信講の暴力から御宗門をお護りします」
等々と、宗門側の説得に努めた。
結果、御法主上人も宗務院も、何をするかわからない妙信講に実力で対抗できるのは創価学会しかないから、当面は創価学会と和解し、一致して妙信講問題を根本的に片付けることになされた。
何のことはない。浅井昭衛の目論見は見事に外れ、すべてが逆目(さかめ)となって、創価学会からも日蓮正宗からも、徹底的に排除される結果を招いてしまった。
逆に、創価学会にとっては、妙信講の暴走のおかげで、�危機一髪�だった日蓮正宗との関係を修復し、破門される危機を免れることができたのである。
浅井昭衛は、創価学会に、最後通告を送った後、機関紙やビラで総攻撃を開始し、寺院や会員宅に押しかけて、法論を迫った。
さらに、宣伝カーによる街頭宣伝や、国会周辺の街頭デモ行進まで行なって、
「国立戒壇建立!!」
「創価学会の法義歪曲」
を宣伝した。
ここまでエスカレートしてしまっては、いたしかたない。宗務院は、半分は創価学会にせっつかれながらではあるが、妙信講に対する処分手続きの準備にかかった。
一方、創価学会も、全面対決の態勢に入った。
私が実行責任者となり、全情報師団や法律師団を投入した。
実力でぶつかり合うことや、組織の末端でのトラブルに備えて、男子部や警備要員が、いつでも出動できるように準備を行なった。
しかし、外との戦いではなくて、宗内での争いであるから、宗門側の具体的な参加・協力が、ぜひ必要であった。
宗務院から宗門内に、妙信講に荷担する者が出たら処分する、との強い統制が敷かれ、創価学会の作戦本部である私の方から要請があれば、ただちに対応する態勢を整えていただいた。
また、創価学会だけでなく、法華講連合会でも青年部員を選抜(せんばつ)し、創価学会青年部と共同して妙信講対策に当たる態勢がとられた。
また、この日が来ることを予想して、すでに妙信講内に何人もスパイを潜入させてあった。
館岡倉市事務局長配下のM1、福島源次郎氏配下のM2、M3と暗号名で呼ばれるスパイは、すでに妙信講本部の中堅幹部に昇進しており、本部や浅井の自宅の警備や電話番の役割を与えられるまでになっていた。
さらに、私の情報師団からも、二名を潜(もぐ)り込ませた。
彼らを通じて、妙信講の内部情報は創価学会側に筒抜けとなっていた。
妙信講本部近くのマンションにアジトを作り、そこに情報員を常駐させ、監視に当たった。
文京区音羽に妙信講本部があった頃、それを見張っていた私の情報師団のアジトが、�過激派学生運動集団�のアジトではないか、と公安警察に目をつけられるというハプニングもあったが、その後、妙信講本部が板橋区常盤台に移転すると、すぐ隣のアパートを借り、監視と、盗聴器の受信、そして、宣伝カーの見張りや破壊等の妨害活動を行なった。
さらに、創価学会直属の興信所を使って、妙信講幹部の身辺調査を徹底的に行なった。
私の元には、このように妙信講に張り巡らされた情報網から、妙信講のあらゆる会合における指導内容、各支部組織の実態とその活動、浅井昭衛をはじめ、村岡青年部長、長岡男子部長といった主な幹部の言動が、毎日、逐一、正確に報告されてきた。
情報員達は、時には、当時、妙信講を陰(かげ)で支援していた松本日仁、八木直道師、その他の僧侶が、電話で浅井昭衛をけしかけ、盛んに煽(あお)るやり取りを、浅井昭衛が録音しておいたテープを持ち出したり、ダビングして私の元に届ける、ということまでやってのけた。
彼らの中には、また、所属していた墨田区妙縁寺の住職松本日仁の身辺警護のため、泊まり込む、という職務を与えられた者もいる。
私は、妙信講が動き出してから一ヶ月もしないうちに、ほとんど全講員の名簿を入手した。
こうして、準備万端整えた上で、妙信講の処分に乗り出した。
まず、宗務院から、妙信講に対し、宗規に定められた手続きにのっとり、処分手続きに入ること、処分に対して言い分があれば、言い分を�弁疏(べんそ)�として提出するよう、通告書を送り付けた。
その上で、所定の手続きを経て、妙信講に対する解散命令が出された。
浅井昭衛は、講中の動揺を恐れて、解散命令を受けたことを隠そうとしたから、私が集めた講員名簿に基づき、�解散処分�を発表した日蓮正宗の機関誌『大日蓮』と、法華講連合会機関紙『大白法』、そして、御法主上人に肉筆で認(したた)めていただいた講員に対する呼びかけの書状(速やかに寺院につくように、との内容)を、全講員に送り付けたのである。
同時に、法華講青年部と創価学会青年部が共同して、妙信講員への�折伏�を開始した。
こうして、日蓮正宗と創価学会の徹底した反撃にあって追い詰められ、うろたえた浅井昭衛は、ついに、創価学会本部襲撃という、最後手段に踏み切ったのであった。
浅井昭衛は、十月四日を襲撃の日と定め、青年部幹部と打ち合わせや準備を行なった。
その様子が、逐一、私の耳に入っていたのは、いうまでもない。
前日までには、襲撃に参加する人数、その集合方法や服装、指揮官および指揮系統、押し入る方法、最終日程等々が、詳細にわかっていた。
当然、創価学会は迎え撃つ準備を整えた。
本部地下に、柔・剣道、空手や拳法などの有段者や、警備のプロの男子部員を五十名ばかり待機させた。
襲撃側より人数を押さえたのは、�襲われて防いだ�という印象を演出するためと、�その人数で十分対応できる�と計算したからである。
また、念のため、本部前の青年会館や周辺施設にも、同様に待機させた。
聖教新聞社、公明新聞のカメラマンを、要所要所に配置した。都合のよい証拠写真を撮るためである。
また、後日の法的手段に備えて、弁護士も、本部前の見えるところに待機した。
この日、午後から、文化会館六階の会議室では、私が主催して、宗務院役僧方と弁護士による、�正本堂御供養金返還訴訟�のための打ち合わせを行なった。
襲撃による緊張感を、宗門側にも直に味わってもらいたかったから、スケジュールをそのように調整したのである。
午後三時頃、妙信講本部から宣伝カーが出発し、四時前には、外苑東通り曙橋のたもとにある警視庁の前を通過した、との知らせが入った。
私は、首脳と相談し、
「学会青年部が妙信講青年部を痛めつけるところを、宗門側に見られるのもまずいので、場所を移ってもらおう」
と提案し、役僧方に、
「じつは、まもなく妙信講青年部員が、大挙して創価学会本部に殴り込みをかけてくる、という情報が入りました。
万が一のことがあってはいけませんので、千駄ヶ谷の国際センターの方へ、一時移っていただきます」
と伝えた。
緊張に顔をこわばらせながら、役僧方が国際センターに移動された後、私は、文化会館の二階に陣取って、戦況を見守った。
夕方五時半頃から、信濃町駅周辺に、妙信講青年部員が、三々五々集まりはじめた。
彼らは、いつものようにビラをまいたりせず、緊張した面持ちで
「今日は、命がけだぞ!!」
「思いっ切り闘おうな!!」
などと、ささやき合っていた。
すでに、宣伝カーが動き出した段階で、四谷警察署に対し、
「夕刻、妙信講青年部が大挙して学会本部に殴り込みをかけてくる、という確かな情報が入った。ついては、防御と警備のための出動をお願いしたい」
と申し入れていた。
四谷署からは、三十名の警官を派遣して、警備に当たることになった。
十月四日、午後六時になると、四谷署の制服警官三十名が、学会本部に到着し、門と前庭に配置された。
これとほとんど同時に、鉢巻き姿で目をつり上げた、八十名を越える妙信講青年部員が集まり、宣伝カーと共に、閉ざした表門の前で気勢を上げはじめた。
しばらく警官をはさんで押し問答をしていたが、長岡青年部長の命令一下、数名が塀(へい)を乗り越えて侵入し、内から門扉を開き、全員を構内になだれ込ませた。
彼らは統制のとれた行動で、一手は、案内所をとりかこみ、一手は、階段を駆け上がって、入り口の鍵を壊して文化会館内へ乱入しようとした。
警官達も手を出す間もない、迅速な、計画的な行動であった。
そこで、待機していた五十名ばかりの学会の警備隊が出動した。
彼らは、たちまち妙信講員の大部分を門の外に押し返し、再び門を閉ざした。
中に取り残された十名たらずの幹部達は、そこで袋叩きにあった。
これを見ていた塀外の妙信講員は、宣伝カーを門扉に衝突させて押し開け、再びなだれ込んだ。
警官達は、なだれ込んだ妙信講員の逮捕にかかり、警備隊は、残る連中を、実力で塀外に排除した。
三十分あまり乱闘が続いた後、�引き上げろ�の号令がかかり、妙信講員達は、信濃町駅方面に引き上げたところを、駆けつけた機動隊によって全員逮捕された。
創価学会側は、一人も逮捕されなかった。
創価学会側は、数名が軽いケガをしたが、それは、すべて
「相手の顔や頭がこぶしにぶつかって怪我した」
というもので、つまり、殴った時に、手の皮がすりむけた、という程度であった。
一方、妙信講側は、建物の中に一歩も入れなかったのみか、数では劣る創価学会青年部に徹底的に叩きのめされ、多勢がそうとうの手傷を負わされた。
しかも、全員が逮捕され、長岡・村岡らは、さらに拘留(こうりゅう)されるし、浅井昭衛自身も取り調べを受けるハメとなって、うろたえ、取り乱した。
何も事情のわからない世論は、
�暴力はいけない�
といって妙信講を非難したし、宗内においても、大勢で仕掛けておきながら返り討ちにあったことが知れわたり、妙信講の面目は丸つぶれになり、同情や支援も失ってしまった。
池田大作は、自ら御法主上人に電話をし、
「徹底的にやっつけました。お山へ行くようなことがあっても、創価学会が護ります」
と得意気に報告した。
御法主上人は、
「いやはや呆れた。あんなことをする連中は処分しておいてよかった」
と述べられた。
その後、事態は、裏で妙信講をそそのかしていた、八木直道師と松本日仁の擯斥(ひんせき)へと発展し、妙縁寺へは新住職が任命され、寺の明け渡しをめぐって、また一騒ぎがあった。
しかし、この騒ぎを機に、妙信講とそのシンパの僧が宗門から完全に追い出されたことで、十年近く続いた妙信講問題は、いちおうの決着を見た。
その後も、浅井昭衛は、勝手に�日蓮正宗妙信講�と名乗り、妙縁寺から持ち去った寺宝の御本尊を本部に安置して、徹底抗戦を続けた。
宣伝カーを毎日繰り出しては、ビラまきを続ける妙信講を、徹底的に押さえるために、宗門と創価学会で専門機関が作られた。
学会青年部員と法華講青年部による合同の組織切り崩し隊は強化され、恒常(こうじょう)化された。
妙縁寺に、執事として派遣された浜中和道師(当時)を名義上の編集・発行人として、顕正新聞に対抗するために�破邪新聞�を発行し、妙信講への攻撃と批判を徹底して行なった。
この破邪新聞は、妙信講の全講員にダイレクトメールで送り付けられたから、浅井昭衛は、講中に�読むな��開封せずに送り返せ�などと指令したが、ダメージは深刻だった。
もちろん、新聞作りの実際の作業は、浜中発行人ではなく、私と、部下の岩住俊典の二人でやった。
御法主上人は、妙信講掃討作戦を全面的に支援してくださり、いろいろと応援してくださった。
妙信講は、一方で、訴訟を起こし、法廷で争う戦術を採った。
妙信講そのものの処分無効を訴える訴訟の他に、松本日仁の擯斥処分を争う訴訟、八木直道師に対する処分を争う訴訟、および、それぞれに対する仮処分異義事件等や、多数の訴訟が起こされた。
それらに対する対応も、また私に委(ゆだ)ねられた。
その後、昭和五十二年の初頭まで、創価学会と妙信講の間の小競り合いは続いた。
しかし、すでに、宗門にとっても創価学会にとっても、妙信講問題は、さほど重要なことではなくなっていた。
妙信講に対しては、その部下達の、極めて限定的な陣営で、十分に事たりたのであり、池田大作率いる主力は、すでに他の目標に向かって走り出していた。
昭和五十二年二月になり、裁判の法廷に出廷した松本日仁は、すでに九十歳近い高齢であり、衰弱が目立っていたが、その後、千葉県下の病院に入院した、との情報を入手した。
その病院を突き止め、学会員の看護婦にカルテを調べさせたところ、老衰(ろうすい)が激しく進み、危篤(きとく)状態だということがわかった。
この頃、じつは、私は、妙信講裁判を早急に片付けなくてはならぬ状況に置かれていた。
いわゆる五十二年路線で、池田大作が御法主上人と宗門を徹底的に痛めつけたのに対し、御法主上人は、反撃のために、私の協力を求められたのである。
もったいないことであったが、宗門と創価学会が衝突すると、妙信講問題が宙に浮いてしまう。
私は、妙信講問題への影響を理由に、創価学会首脳の宗門攻撃に歯止めをかけたが、御法主上人に対しても、今しばらくのご辛抱をお願いした。
このような事情があったため、一日も早く妙信講問題に決着をつけることが必要だったのである。
さて、数ある妙信講関係の訴訟の中でも、松本日仁が原告となっている地位確認訴訟が、妙信講にとって、一番、勝訴の見込みが残っていた(他の訴訟は、すでに宗門側勝訴の見通しがついていた)。
松本日仁の死亡により、この訴訟が中断してしまうと、妙信講側の旗色は極めて悪くなる(浅井昭衛が松本日仁の訴訟にこだわる理由は、じつはそればかりではなかったことが、後日、判明する)。
この情報を得た数日後、妙信講側の主任弁護士と、桐ヶ谷章弁護士が地下鉄の中で出会った際、先方から、
「一度、山崎先生と酒でも飲んで話し合いたい」
との申し出があった。
かくて、数日後、妙信講の主任弁護士と私との間で、和解の話し合いが始まった。
私が、松本日仁の病状を先刻承知していることを伝え、それにも拘(かか)わらず、妙信講側に、メンツを保ったまま撤退する機会を与える用意があることを伝えると、相手はただちに、ざっくばらんな話し合いを求めてきた。
結果として、日蓮正宗側が、妙縁寺松本日仁名義の預金一億二千五百万円を、松本日仁個人の財産として松本日仁に渡す、ということと引き替えに、妙信講関係のすべての裁判を取り下げる、ということで合意に達した。
もっとも、その具体的な実行について相手方の弁護士は、松本日仁の意思であるとして、一億二千五百万円を�顕正寺設立基金口座に振り込む�ことを強く要求し、「これが容(い)れられなければ、和解の話は御破算だ」とまで言った。
擯斥された松本日仁が、自前の寺を建てたいという意志を持ち、そのために苦労して数十年にわたって蓄えてきた貯金(寺の代表役員名義ではあったが、実際は、松本日仁の労働の対価を積み立てたものである、といっても差し支えなかった)を、その建設費に充(あ)てたいと思うのも、不自然なこととは思えなかった。
自分が死にかけており、死後、遺族の意向で妨げられないように、生前に建立資金口座に入れておく、ということも、委任を受けた代理人が、そう主張する以上、私の方でそれを云々する理由もなかった。
「あとのことは、すべて委任された私の責任で処理します。山崎先生の方には、ご迷惑をおかけしません。」
相手方弁護士にそう言い切られては、それ以上押し問答するわけにもいかないし、病院へ押しかけて、真意を確かめる、というのも大人げない。
一方、日蓮正宗の方からは、
「妙信講が、松本日仁から受け取ったとして本部に安置している、寺宝の本尊の返却を求められないか」
「今後、日蓮正宗と名乗ってはならぬ、という条件をつけられないか」
という要望があった。
しかし、御本尊については、相手方が返却を拒否したからといって、法的手段で執行吏(り)の手を借りて差し押さえたりするというのも、信仰という観点からはそぐわないように思うし、次の、名称について、制限を付けても、向こうが勝手に名乗るのを差し止めることは困難である。
妙信講側としても、いずれ、宗門から独立した法人格を取得しないかぎり、やっていけないであろうから、名称のことも、その時に自然に解決するだろうと思われた。
とくに目に余るようなことがあったら、その時に、名称使用禁止訴訟あるいは、仮処分等の法的手続きを取ればいいのではないか、と宗門に申し上げて、これ以上は、あえて触れないことにした。
また、妙信講側が訴訟を一切取り下げて、処分の不当性を争わないという態度に出る以上、以後、日蓮正宗の名称を使わないのが常識であり、あえてそれを使うとすれば詐称に等しいことである。
結局、松本日仁個人の資産として渡すべき一億二千五百万円の預金は、松本日仁の指示に従い、顕正寺建立準備資金資金口座へ振り込む形で支払う、ということで、妙信講側は一切の訴訟を取り下げる、という和解が、四月下旬に成立した。
このことを浅井昭衛らは、「日蓮正宗が妙信講のためにお寺を作ってくれることになった(お寺を作る資金を出してくれることになった)」等と宣伝したが、松本日仁と日蓮正宗の間の訴訟で、松本日仁に渡される金を、妙信講に支払うなどという和解をしたわけではないし、その金で寺と称する建物を作ろうが、作るまいがい、それは先方の勝手というものである。
もっとも、この金の処理をめぐって、後に、松本日仁の遺族と妙信講の間にトラブルが生じたようで、私のところにも、松本日仁の遺族の代理人から問い合わせがあった。何とも、みっともない話である。
また浅井らは、「日蓮正宗妙信講という名称も解どうぞ名乗ってください、ということになった」等とも言うが、それは、裁判の場で名称の使用を争うことはしない、というだけのことであって、すでに散処分を受けた時点で、日蓮正宗内には�妙信講�という名の団体は存在しなくなったし、もちろん、その後に名乗る�顕正会�という名の団体も、日蓮正宗内には存在しない。浅井昭衛が勝手に�日蓮正宗�と詐称しているだけのことである。
なお、八木直道師におかれては、後に、妙信講の僧侶蔑視の本性を知り、改悛(かいしゅん)して日蓮正宗に帰伏を申し出て、再び僧籍を得られ、○年○月に逝去されている。
妙信講は、顕正会と名乗るようになってからも、性根は一向に変わらず、相変わらず�国立戒壇�を主張し、独善的・狂信的な活動を続けた。後年、理境坊所属妙観講と法義上で衝突し、厳しく誤りを指摘されると、集団で妙観講に殴り込みをかけたりした。
しかし、所詮、ごまめの歯ぎしりにすぎない。創価学会を小粒にし、さらにえげつなくした存在にすぎないのではなかろうか。
浅井昭衛の本質も、所詮は、ミニ池田大作である。
過去に、日蓮正宗の法義に背き、御法主上人を蔑(ないがし)ろにした勢力は、いつしか消え去っていったが、それらと同様、顕正会も時の流れの中でいずれ消えていく運命にある。
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2005年2月12日 23:20
▼> 僭聖増上慢=阿部日顕
●さてさて、貴殿の迷妄ぶりは、まぁ、学会員押し並べてみなそうですが、
■「辛きを蓼葉に習ひ臭きを溷厠に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂
ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。」立正安国論
ですね。
この世でたったお一人御本尊書写が出来るお方が正しく正師であり、その方に悪口雑言を浴びせるものどもが三類の輩である。
貴殿の教学レベルでは道門には入れず、ただの俗衆の一類ですね。そして、創価学会・公明党が権力や政治力、財力に物を言わせ、この正師を誹毀讒謗している姿が、まさに僭聖増上慢ではないですか。
もう少し御書をよく読みなさい。でもニセ本尊拝んでいたら聖意には絶対通じないでしょうね。
>
▼> さて、貴方レベルでも理解できるようにしておきましょう。
>
> 俗衆の刀杖にこだわると、現代では、ほとんど起こりえない現象となる。御在世の刀杖は日常茶飯事であるが、現代に「刀」や「杖」を武器として
> 保有するものは極端に少ない。銃の類なら、藤原の暗殺計画やオウムの襲撃計画などがある。一般には報道や噂話による悪口が手法。権力者が用い
> る武力(刀杖)は謀略という形に変化している。
●こんな稚拙な弁解していただかなくてもいいですよ。
ここ数日来送付した参考資料において理解していただけたかと思いますが(貴殿の頑迷固陋な脳髄では無理かな・・・?)、学会が受けてきた世間からの非難は、ただ学会の非行に対する自業自得果であって、決して三類ではないですね。自らを悲劇のヒロインに仕立てて自己陶酔してみたって、醜く臭いものはどうみても誰が見ても醜悪、ただそれだけです。醜怪なものが自己に耽溺している分よけいにみっともないですね。貴殿もその汚醜そのものの腐敗臭芬芬の団体にいると、■「臭きを溷厠に忘る」で自分まで糞尿の匂いまみれになっている事に気がつかなくなりますよ。ってもうなっているようだけど。悪いことは言わない、早く脱会したほうがいいですよ。
>
▼> さて、貴方の示した「三類の強敵」についての答えは、池田先生を「三類」とだけ言い、三類の中の何にあたるかがぼやけています。
>
> いつまでも質問返しは通用しませんよ。比較する対象が創価学会であること踏まえて、以下の問いに答えなさい。切り刻んであげましょう。
>
総じていえば
●> 俗衆増上慢=日蓮正宗の三大秘法の正法を説く事と、邪法邪義が不幸の根源であると説く事により生じる、正法を信じないあらゆる俗男・俗女の怨嫉・悪口・嫌悪
>
> 道門増上慢=日蓮正宗以外のあらゆる邪教の僧等や新興邪宗教の幹部等が陰に陽に策謀する怨嫉・悪口・嫌悪
>
> 僭聖増上慢=上記の如く、池田創価学会と、それを母体とする公明党が、権力や政治力、財力に物を言わせ、三大秘法の大法を護持する日蓮正宗僧俗を、就中、正法正師であられる日顕上人を誹毀讒謗している姿。
ですが、貴殿のニセモノも見抜けない稚拙な教学力で「切り刻んで」いただきましょう。
自分の盲目的かつ狂信的な思い込みでなく、くれぐれもきちんとした文証でお願いしますよ。
>
> ◆現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
>
>
>
> ●勿論です。池田大作らがまさしく「三類の強敵」です。
●上記の貴殿の反論を見ると、ここは貴殿の幼稚な教学力では理解できなかったようですので、補足します。
別しては、
俗衆増上慢=貴殿らのレベルの妄執固陋の学会員。
道門増上慢=貴殿らより少しは仏法を齧っていて教義的に邪難を浴びせて来れる教宣部の上位幹部。
僭聖増上慢=池田大作と公明党執行部。
となります。
>
>
>
> ■「仏の遺言に依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば、何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か」(新編二二五�)
>
> 貴殿のような仏説に則らずに我意我見を臆面もなく開陳できる会員の集まりである組織を統率しているのはまさに池田ですから、仏教を「経の如く
> に説かざる」張本人は池田ということになりましょう。そんな男を信用してはいけませんね。
>
>
>
> ■「仏教には経論にはなれたるをば外道と云ふ。」(蓮盛抄 新編二八頁)池田のスピーチなどことごとく経論から離れているではないですか。試
> しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。
>
>
>
▼> ◆ こんなにレベルの低い感情論を書き連ねる人だとは思いませんでした。「残念!」です。「切腹!」ものですよ。
>
>
>
> 「久本雅美さんは学会員だった」と週刊誌ネタになっても、
>
> 「久本雅美さんは日蓮正宗だった」ではネタにならないの。
●はぁ〜〜〜?
この回答を見る限りだけでも、貴殿はやはり頭破作七分してますね。
1、何が「レベルの低い感情論」なんでしょうかね?
今読み返してみても、当方は御文に説かれている道理を敷衍して、貴殿の法論に望む基本的姿勢の未熟さ低劣さと、池田の破仏法振りを例示しているだけですが?
残念がったり、切腹の真似事を強要している暇があるのなら、貴殿の大好きな「御金言」で反論し給え。
2、しかも、後半の久本某云々の引用は、一体何を論証しようとしているのかさえ明瞭では無い。ニセ本尊によって貴殿の脳髄がいかに惑乱しているかを露呈しているだけだが?
ここは課題提出やり直し。
もう少し高度な反論を待つ。
いい加減「人間革命」して成長してくださいよ。それともニセ本尊ではこの程度とまりですか?
>
>
>
▼> 1、日顕さんが信心していない人をどのように折伏しているか示しなさい。比較しないとやりとりになりませんよ。
●貴殿程度にはこう反問しておきましょう。
あれ?池田さんって、誰を折伏しました?三大秘法の正統なる御本尊を下付される新入信者の紹介者にいつなりましました?
>
>
>
▼> 2、先生は「三類の強敵」の中の何にあたるのか明記しなさい。その後、しっかりイジッてあげましょう。
●上記に明示済み。
> ●3、「試しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。」
>
>
>
> ◆これは貴方の思考回路を観る上でかなり重要な発言です。引用元がないのに「切り刻む」との結論が先にある。
>
> 「貴方は間違っている。何故なら私が正しいからだ」という論理です。
>
> 実証の話しに及んでから、感情をコントロールできない幼児性が露わになってきました。日顕の実証を示せば良いだけです。判定はこのやりとりを
> 見る方々が下すのですから。
>
> まだ、一つしか実績を提示してないのですよ。
>
> 1、学会の破門
>
> 他には?
>
> 皆さんが首を長くして待ってます。
▼やはり貴殿はどうもニセ本尊によって知能をかなり破壊されているようですね。
当方では池田のスピーチなど幾つも読み留めているのですがね。
その上でこの対論の遡上に載せて全国に向けて、その内容が如何に破仏法であるかを摧破し尽くすために、
「試しに貴殿の心酔するスピーチの一つや二つここに掲示してみませんか?いかに仏説に反してるか、切り刻んでみましょう。」
との設問を構えたのですが?
こんな簡単な筋書きすら貴殿には読みこなせませんか?
貴殿が日本語の語法に曚い、その程度は、最早絶望的なレベルですね。小学生並み程度か。この程度では法論する資格自体、もう一度考え直したほうがいいのでは?
実力も無いのに、スキーの上級コースに迷い込んだ初級者を相手するほど当方は暇ではないのですよ。
対論とは、スキーで言えばタイムレースで時間を競い合うことであり、滑り方が分からないのなら、まずそれをマスターしてから試合に臨んでくるものではないですか?貴殿は斜面を自己流の無様な格好でただ降りてくるのが精一杯。そんな能力でタイムレースは無理なのでは?
当方は貴殿の読解力・論理構築力・演繹力などを教練するために対論しているのではないので、その辺の能力があまりに低すぎると、まともな法義論争になりません。
次の返信にはやはり学会のもう少し知性と教養のある方に検閲していただいてから送信してくださいませんか?
当方は貴殿の基礎的学力を教育しなおす義務は全く負っていないのであるから。
貴殿相手だと、英語を離せないものに英語を教えながら英語で政治問題を論争するようなもので、肝心な話をテンポよく進めません。この点、以後当方と論争を望むなら重々留意して自らの基礎学力の欠如を何らかの補助を得てから投稿してください。
しかも、敬愛する師匠のスピーチなら堂々と掲示したら如何ですか?
粘着質な自己矛盾満載の活字の羅列をしている時間があったら。
それとも何かここに掲載できない不味い理由でもあるのですかね。
次に、何が「日顕の実証」です?
池田が「僭聖増上慢」であることを明確な文証を以って証明している、その文脈すら読み取れないのですか?(当方は、申し訳無いが貴殿とはかなりレベルに相違があり、貴殿のように文証なしで自分の妄想を書き立てることが出来るほど頑迷には、恥ずかしくてなれないので)
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2005年2月14日 0:13
> ●
>
> ■今(いま)仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す。知んぬ、此の仏は涅槃経に出だす所の滅後の魔仏(まぶつ)なり。之を信
> 用すべからず。(守護国家論 159)
>
> 法華経=戒壇の大御本尊
>
> 池田発言
>
> 「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7日・
> 本部幹部会)
> この発言は明らかに戒壇の大御本尊の否定です。が故に、上記の「法華経(=大御本尊)を末代不相応と」言って憚らない無慙な姿です。ですか
> ら、池田はまさに「滅後の魔仏」です。
>
>
>
▼> ◆信心なければただの物です。
> 大御本尊に法の永遠性を観ている私達。目に見える存在として唯物論的な解釈しかできない貴方達。これでギャラリーには十分です。
●とうとう出ましたね。
貴殿の浅はかさもここに極まれり。まっ、しかし、貴殿の尊敬する”大師匠”が狂っているんだから、貴殿もそのコピーでも仕方ないですかね。
まず、貴殿の論理が全く支離滅裂です。
「信心なければただの物」ということがまさに、「目に見える存在として唯物論的な解釈しかできない」ことであり、これは、当方の視点ではなく、池田の本尊観ではないですか。
「大御本尊に法の永遠性を観ている」のが当方の立場です。が故に、度々参詣させていただいて、有り難く御開扉を受けさせていただいているのです。
貴殿はさも知ったかぶりをし貴殿にとっては精一杯難しそうな言葉を使って背伸びして書いてみても、ここでも貴殿が日本語を正確に使いこなせず、更には論理的思考にも貧しいという幼稚な学力が暴露されましたね。
一体、小・中・高と何を勉強してきたのやら・・・こんなレベルの貴殿とやり取り、全く先が思いやられます。
貴殿などとはこれは「法論」と呼べる代物ではありませんね。ただの「やり取り」です。全く情けない限りです。
ほんと、貴殿は法論をする為に最低限度必要な基本的な学力が不足していて、当方から論破する以前の問題です。
以下、貴殿の基礎学力及び行解のレベルでは到底理解不能であろうが摧破します。
衆生の側に信があろうがなかろうが、戒壇の大御本尊が久遠元初の法の御法体である事には何ら変わりは無い。
貴殿は能=仏・法 所=衆生・修行者の縦分けに惑乱している。
能生の根源・根本の御法体は
上行所伝三大秘法口決
┌虚空不動戒
一 本門寿量の大戒────┼無作の円戒と名づく
└本門寿量の大戒壇と名づく
┌虚空不動定
一 本門寿量の本尊────┼本門無作の大定
└本門無作の事の一念三千
┌虚空不動慧
一 本門寿量の妙法蓮華経─┼自受用の本分と名づく
└無作の円慧
との如く、法界全体の根源の法であるが故に無始無終に虚空不動である。
この根本の法は、
■「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名
づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果
同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満
の如来と成り給ふなり。」当体義抄
また、
■「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きた
まひき。」三世諸仏総勘文教相廃立
とあるが如く、久遠元初・本因妙の下種の教主・自受用報身如来の悟りであり、その大法がそのまま末法において日蓮大聖人によって本門戒壇の大御本尊と顕現したもうたのである。
されば本門戒壇の大御本尊を離れて、”久遠元初の法”など世界中、宇宙中のどこを探しても末代の凡夫などには見つけられようは無く、戒壇の大御本尊をそのまま久遠下種の名字の妙法、十界互具・事の一念三千の御当体と拝信しなければ、即身成仏の大果報は絶対に顕現しない。
この立場がまさに貴殿の言う「大御本尊に法の永遠性を観ている」ということである。
そう拝信している修行者は、間違っても「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!」とか「信心なければただの物です。」だなどと、「目に見える存在として唯物論的な解釈しかできない」ような愚劣な発言はしません。
大体にして、”久遠元初の法”が「南無妙法蓮華経」と言う御名であることは、一体何に依って知ることができたのか?
しかも「南無妙法蓮華経」であれば何でも”久遠元初の法”なのか?
当然のことであるが、三大秘法として整足していなければ久遠元初の法ではない。
本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目である。
つまり、この三大秘法を離れて”久遠元初の法”など拝し得ないのである。
このことは、結縁する衆生に信がある無しには全く関係無い。
大御本尊が”ただの物”にしか見えないのは、一水四見で、衆生側の信心の厚薄・機根の熟整の度合いの問題であり、「ただの物」にしか見えないのは、まさに自らの信心の無さを暴露しているに過ぎない。
その者が、物に見えようがどうであろうが、大御本尊が久遠元初の人法一箇の三大秘法総在の根源の大法である事にはなんら関係はないのである。むしろ自らの無信心を恥ずべきである。
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2005年2月14日 22:49
▼> 例)、
>
> 「ある時姉崎博士それから國柱會の山川長瀧等の諸先生が登山されたことがあつた。上人の御導師で戒壇の大御本尊の御開扉、終りて徐ろに參詣者
> に向直られたる上人(五十五世・日布)は、『各々ヨウコソの御登山、佛祖*三寶も御滿悦のことゝ存ずる。』」
>
> 〜大日蓮・S10〜
>
> 姉崎博士、それから國柱會の山川長瀧等にとっては「ただの物」です。
>
> さて、貴方達にとって、日布の行動は謗法や否や?
>
> 簡単明瞭に答えなさい。
●貴殿の迷妄の深さにはほとほと困りもんですね。1991年12月21日の「地涌」355号の記事ですね。14年も前の、こんな破折されつくされている問題を今更おさらいですか?
貴殿こそよほど「麓をうろつくのが本当に好きなようである。」
学習効果の低い貴殿の脳髄にはこの問題がまだ解けないとみえる。
その愚妹にして頑迷な頭にはある意味驚嘆しますね。ニセ本尊が如何に人間の脳髄を鈍磨させるかがわかる好実例ですな。
結論=謗法でも何でもありません。
一切の衆生を化導するため、縁のある方々においては、御法主上人の権能において、三大秘法の御本尊を拝させ結縁させることは何の問題もないではないですか。
日有上人 化儀抄
■「一、法花宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧くる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、」
もし謗法だというのなら、その明確な文証を挙げて、「簡単明瞭に答えなさい。」
第二代戸田会長の講演レコードにも
「ある時御戒壇様を、新聞記者に拝ませたんだがな、この新聞記者はまだ信心しとらんのじゃぞ。終わってその新聞記者が言うには「あの御本尊には電気が通っているのですか?」とまじめに聞くんじゃ。どうしてかと言うに、「体中に電気が走ったようにビリビリっと来た」って言うんじゃな。云々(趣意)」との発言もある。
さて、貴殿にとって、戸田第二代会長の行動は謗法や否や?簡単明瞭に答えなさい。
参考文献 慧妙記事
『資料編』は、『大日蓮』(昭和十年三月号)に掲載された回顧文「日布上人をしのび奉りて」を捉えて、第五十五世日布上人が、宗教学者の姉崎博士、国柱会の山川智応等に御開扉を受けさせてい
る。それ故、学会出現以前の日蓮正宗には「謗法厳誡」の精神などなかったのだ、などと非難している。
この回顧文は「巨栗山樵」こと福重昭平師が、御生前の日布上人を偲(しの)び、その御徳の一端を記されたものであって、正常な信心の持ち主であれば、その御徳の高さに思いを馳せることこそあ
れ、このような誹謗など思いもつかぬことである。
さて、『資料編』の疑難であるが、要約すると、
�日布上人が邪宗の最高幹部を「仏子」として遇した。謗法を責めずに詐り親しむことは、宗祖大聖人が固く誡められたことで、当時の日蓮正宗には宗祖の精神が失われていた
�国柱会の最高幹部二名に御開扉を受けさせたのだか
ら、当時の日蓮正宗にあっては、謗法厳誡という意識がじつに低かった
というものである。
まず、�についていうと、日布上人は、明治十一年十二月、北山本門寺住職・玉野日志から宗義に関して送られてきた五十箇条の詰問に対し、その論難の逐一を論破され、さらに引き続いて、五十二世日霑上人がこれを完膚なきまでに破折されている。これが世にいう「霑志問答」である。
また、国柱会の創始者である田中智学は、明治十五年、「横浜問答」において日霑上人に敗れ、違約して遁走している。
これらの問答については『人間革命』第九巻に簡略ながら記してあるので、学会員諸氏には再読をお勧めする。
このような歴史上の経過を見れば、「謗法を責めずして詐り親しむ」とか「謗法厳誡の意識がじつに低かった」などという『資料編』の非難が、史実を歪曲した学会の捏造・悪口であることが明らかであろう。
このような所業は、謗法を呵責し正法正義を顕彰されてこられた歴代上人方を貶めるものであり、これは明らかに、
「若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説くものを一言にても毀る事あらば、其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間、直ちに毀り奉る罪には優れたり」
との制誡に背き、自ら地獄の門を押し開くものである。
次に、�について、『資料編』が問題にしている「邪宗の者への御開扉」であるが、この問題提起自体が、法義上、まったく意味をなさないものである。
まず、第二十六世日寛上人は、・文底秘沈抄・に
「大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之を管領せよ等云々。すでに戒壇の本尊を伝う、故に御堂と云う」
(聖典八五二頁)
と仰せであるが、上古の時代においては、戒壇の大御本尊を御堂(御影堂)に御安置申し上げ、宗祖御在世当時のままに尊崇申し上げていたことがうかがわれる。
また、第九世日有上人の『化儀抄』には、
「法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供参らせ花を捧ぐる事有り。之れを制すべからず。既に順縁なるが故なり。但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば、一向取り次ぐべからず。謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし」
とあり、謗法者の御堂への参詣自体を禁じてはおられない(ただし、供養の取り次ぎは禁じておられる)のである。
このように見てくるなら
ば、本宗の化儀の上から、日布上人に何らの失もないことは明らかであろう。
なおまた、戒壇の大御本尊が、広宣流布の時至るまで秘蔵の形をとって公開をされていないのは、いまだに邪宗・謗法の者多く、それらの者の手から大御本尊を厳護申し上げるためであって、何も�謗法者に拝ませてはならないから�というわけではない。
しかも、『日興跡条条事』の、
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を授与す」
との御遺訓を拝すれば、戒壇の大御本尊に関する一切の御権能は、御歴代上人方におわすのである。その御歴代に連なる日布上人が、山川らの善導の一環として、御開扉の僧俗の中に加えることを許可されたのであって、どこにも批判の余地などないのである。
次に、山川らについて言えば、その師匠である田中智学が横浜問答において完膚なきまでに破折し尽くされ、遁走の憂き目を見た因縁から考えれば、彼らにとって日蓮正宗は憎んでも憎みきれぬ宗団であったはずである。その山川らが大石寺に詣で、日布上人の大導師に従って読経・唱題までしたのは、一分の改悟と求道心の表われ、とも考えられるのである。
また、「謗法を責めずして詐り親しむ」ことを厳禁している本宗の信仰から考えて
も、日布上人が国柱会の邪義をことごとく破折され、山川等を教化しつつある中での御内拝であったことは容易に推察できることではないか。
なお、いみじくも『資料編』自ら、「どのような経緯から国柱会の幹部と総本山大石寺に登山したかは不明」としているように、これに関する資料は『大日蓮』掲載の「日布上人をしのび奉りて」の一文のみであって、『資料編』に見られる「謗法」云々の脚色は、妄想の産物以外の何物でもないのである。
『文底秘沈抄』にいわく、
「化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷わば則ち増上して真証を濫さん」
と。「根源に迷」い、「真証を濫」した学会の姿がここにあるといえよう。
> ●「法華経を捨てヽ但観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)なることを。」立正観抄
文永一二年二
> 月 五四歳 766
>
>
>
> ここの御文も上記と同じ。
>
> 法華経=戒壇の大御本尊
>
> 「己心に仏界はある!」だの、(それは確かにそうだが、しかし理論上であって、実際には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊
> に境智冥合しなくては顕現しない)
>
> 「宇宙の根源の法の南無妙法蓮華経に冥合する!」だの、(これも具体的には本門戒壇の大御本尊に血脈正しく連なるところの御本尊にしか冥合し
> ない)まさしく、「観(かん)を正(しょう)とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)」ですね。大体にして貴殿は本門戒壇の大御本
> 尊を拝したことがあるのですか?その求道心なくしていくら大聖人の仏法を声高に叫んでも全然だめだめ。
>
>
>
> ◆はい。ここも唯物論的発想ですね。物と見ているのが貴方だと言うことが鮮明になっただけです。
●何度も言うが、(というか一々言われるような言辞を貴殿が連発するからだが、)本当に知的水準にかなり問題ありますね。
こんな的外れなことしか書いてこれない者を相手にしなくてはならないなんて本当情けないですね。
■「法華経(=三大秘法総在の大御本尊)を(「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!」などとうち)捨てヽ(「己心に仏界はある!」「南無妙法蓮華経は宇宙のリズムだ」だなどと勝手なことを言って、)但観(かん)を正(しょう)とするの輩(自らの己見・我見による仏教観を元として、勝手な論を言い放っている大馬鹿者)は大謗法・大邪見・天魔の所為(しょい)なることを。」
上段での内容を貴殿の頭でも分かるように解説してあげるとこうなるのですが、(これでも貴殿には理解できないかな?)この御文に即した義の何が「唯物論的発想」なんでしょうか?
法華経=三大秘法総在の大御本尊。 これはいいですね?
これが理解できないほど貴殿は幼稚ではないですよね?今までの貴殿の稚拙な内容からしてこんな基本中の基本も理解できていないのではないかと心配です。
大聖人はその三大秘法の法体をうち捨てて、自分勝手な仏教観を述べ立てる者を「大謗法・大邪見・天魔の所為」と仰せなんですよ。貴殿の無知蒙昧な愚論で言えば、大聖人に対しても「はい。ここも唯物論的発想ですね。物と見ているのが大聖人だと言うことが鮮明になっただけです。」ということになって、貴殿こそまさに「大謗法・大邪見・天魔の所為」です。
本当にもしかして貴殿は知能に問題があるんではないでしょうか?
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2005年2月17日 23:44
▼> ・「『ファラオは生きた神』とか、『神に授けられた国王の権利』とか『アフリカ原往民は生まれながらの奴隷』などといった言葉は、過去いかに
> 不条理な人間観が時代を支配してきたかを如実に物語っている。しかし、人々は一般に、自らがその中に生きている時代の人間観に対しては、驚く
> ほど批判を持たない」と。--
>
> 〜ジョン・C・エックルス博士〜
>
>
>
> 《現代の迷信》が、ことごとく人間を小さな存在に開じこめる方向になっている事が問題である。-『アフリカ原往民は生まれながらの奴隷』と
> は、《大御本尊まします拠に悪呂が存在するわけがない》という宗門の聖地思想に通ずる。-大聖人仏法を下等宗教に貶めていると気付きなさい。
●学習効果の悪い貴殿には何遍でも同じ事を言わなくてはいけないのですね。仕方ありませんね。
1、成仏の法を知らない”学者”の言を何百万持ち出してきても、何の根拠にもなりませんね。御苦労様。
■「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。」
■「此等の法門は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。」草木成仏口決
2、現代の迷信 とやらが何であるかを、■「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。」の義に於いて、まず、文・理証において明示せよ。
3、「『アフリカ原往民は生まれながらの奴隷』とは、《大御本尊まします拠に悪呂が存在するわけがない》という宗門の聖地思想に通ずる。」との貴殿の主張を裏付ける、正統な仏法による、文・理証を挙げよ。
4、以上の点が明示されない限り、「。-大聖人仏法を下等宗教に貶めていると気付きなさい。」との貴殿の謗難は失当である。
> ●「在家の諸人にあふ(仰)がれて、一言を吐(は)けば如来の金言のごとくおもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等
> に向かひ奉りて、此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむ(疎)るなり。」(唱法華題目抄 222)
>
> おお、まさに池田ら創賊の姿。
>
>
>
> ◆「文部大臣の権限を行使して、裁判所に創価学会の解散手続きを取る」という姿そのものですね。
>
> 少しは恥じ入りなさい。
●貴殿は御書を本当に読めていませんね。所詮相伝が無い集団の輩が故に、全く見当はずれ、天を地と見るが如きの低劣さです。
貴殿ほど理解度・習熟度が低い小学1年生ほどの生徒さんには、あいうえおから一つ一つ教えて、躾けていかないといけませんね。
では、
この御文に「法華経」とありますが、「末法の法華経」とは何でしょうか?
分かりますか?
では、そのお答えを見てから上の問題を説いていきましょうね。いいですね?
> ●「若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如
> き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖
> 畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に過咎多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向
> すと名づく。」(立正安国論 244)
>
> 本当、池田の姿そのままではないですか。
>
>
>
> ◆はいはい。単なる思い込みで、これも引用が不適切。故に見にくくなって混乱するだけ。
●なるほど!貴殿ぐらいの、年長、もしくは小学1年クラスでは、ちょっと御文が難しかったですね。
漢字が多くて、「見にく」かったですね。よしよし。
ではまた基礎教学の1から躾けていきますね。
この御文中の「正法」とは具体的には何ですか?
はい、お家でよく、お父さんや、お母さんに聞いてきて下さいね。宿題です。
> ●「法華経は一文一句なれども耳にふるゝ者は既に仏になるべき」と思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思ふ故に方便(てだて)をまはして留難
> (るなん)をなし、経を信ずる心をすてしめんとたばかる。」(四恩抄 265)
>
>
>
> ◆勧誘が進まない言い訳とは情けない。
>
> 恥の上塗り。
●あらあら、とうとう、大聖人のお言葉にまで、難癖をつけていますね。仏様のお言葉をそのまま受け止められないほど根性が捻くれてしまっているんですね。生まれがそうとう仏法的には卑しいんでしょうね。
今までの、お父さん、お母さんの御家庭での躾けはどうだったんでしょうか?
今度、家庭訪問に行ってあげなくてはいけませんね。
> ●会則改悪
>
> 弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊→一閻浮提総与の大御本尊 と言い換え、「経(=法華経=大御本尊)を信ずる心をすてしめんとたばか
> る。」
>
> 上出「信心の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板本尊、なんだ寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(平成5年9月7
> 日・本部幹部会)
>
>
>
> ◆ 他の団体の会則を勝手に解釈して悪口並べる程度の御仁だったのですね。貴方は。
>
> 目に見える存在としての表現から、その奥底にある法を観る表現に変わった誇りある会則。「信心の中」云々は上記で指摘済み。
●「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!」について、更に掘り下げて破折しますね。
貴殿にはちょっと難しいかも知れませんので、もし無理だったら、後ろでお絵かきしていてもいいですよ。
この文書対論を読んで貴殿よりレベルの上の学会員を破折する法華講員の方の為に書きますから。
あっ、いいでんすよ。貴方は、昼寝していても。どうせ理解は無理でしょうから。
1、一口に「信心」といっても、一体、「何」を「どう」信じるかが重要事である。
大御本尊を物体扱いにして、一体、何をどう信じていると言うのか。
それによって一体何が成就するのか?
2、凡そ法界は全て能所の縦分けがある。
その中でも重要な筋目は、
能化=衆生を教化し成仏せしむる立場。仏。
所化=仏より教化を受けて成仏の境界を感得する衆生。
この能化の仏を信じる事により、所化である我々衆生は成仏の果報を得る事が出来る。
末法の御本仏は日蓮大聖人。
その大聖人が遺された、大聖人の御魂魄・人法一箇の大御本尊を無二に信じることこそ、成仏の直因。
その他に何かがあると思うのは法華経の、また大聖人の信仰ではない。故に、行く末は間違いなく堕獄である。
仏であられる大聖人は帰命依止の根本尊仰する大御本尊の他に尊仰すべきものを遺されたのか?
あるというのなら、具体的に挙げてみなさい。
「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!」だなどと言う者は、この迷いの所化である衆生の機を基にして能化を見る、能化である仏の化導について云々我意・我見を差し挟む、さかしまな見方の、まさにこの能所の縦分けに惑乱している悩乱者に過ぎない。
■「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。」
■「此等の法門(草木成仏義)は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。」草木成仏口決
まさにここに仰せの通り、戒壇の大御本尊こそが事の一念三千の御当体であり、そのまま宇宙法界の根本であり、御本仏の御悟りの御命そのままであられる。
池田などはその深い御法門など領解してもいない「当世の習ひそこない」です。まさに「ゆめにもしらざる法門」です。
「所詮妙法蓮華をしらざる故に迷」っているのが池田さんですね。
「ただの物」などと言っている様では凡そ根本尊仰など出来るわけも無い。
裁判記録にも明確に記載されているが如く、「勤行0分」の御仁だから言ってのける言辞ですね。
つまり、根本の「信心」が無いのです。
根本尊仰の戒壇の大御本尊がどうあっても富士大石寺に厳然とおわしますから、破門されて哀れ新興邪宗教団体になった創価学会にとっては誠に都合が悪い。かといっていきなり戒壇の大御本尊を否定したら古い会員は激しく動揺し脱会するかも知れない。そこで、”一閻浮提総与の大御本尊”という一段あやふやな表現にして次に備えている状態ですね。今回の会則改悪は。
中田君のような、御戒壇様の有り難さを全く知らない謗法者は、この辺の内部事情が分からないんですね。上の幹部に良い様に洗脳されて、使い回されて・・・そして皆様御覧の様にかくも酷い精神状態になってしまったのですね。可愛そう・・・
この対論で何とか目が覚めれば良いのですが・・・・
はい、中田君、もう起きて良いですよ。
君には難しかったね。ごめんね。
起きたところ悪いですね。ではお休みなさい。また明日。
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2005年2月18日 23:26
> ●「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」
>
> 仏と自らが不二であることのみを強調して、自己正当化し、而して二であり、厳然と差異があることを知らない。自ら仏と等しとの大増上慢の者。
>
>
>
> ◆また恥掻きましたね。
>
> 聖愚問答抄は貴方達に該当する。引用箇所のあとに
>
> 「諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁えずして而も男女尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらず
> と云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべ
> し」
>
> とある。
●「また恥掻きましたね。」?
今までのメールの如く、貴殿など最早対等の知的レベルの扱いは受けてないのですけどね。
せいぜい年長組が高校生相手に粋がっている図ですよ。
では、当該御文の反証いきますか。
この御文もまさに池田を始めとする、学会職業幹部の事じゃないですか。
■「此の文の意は諸の悪比丘あて禅を信仰して経論をも尋ねず、邪見を本として、法門の是非をば弁へずして、而も男女・尼法師等に向かって、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて此の禅を弘むべし。当に知るべし、此の人は我が正法を滅すべしとなり。」(新編・397�・聖愚問答抄)
「悪比丘」=文に囚われれば正に僧侶という事だが、義によっ判文すると、今の創価学会などの職業幹部 つまり在家からの供養(財務、広布基金等)で生きている、自ら社会的生産活動に従事していない者どもも含まれると考えられる。
「禅」 これも付文の辺では達磨以降の禅だが、元意の辺を考えれば、その邪義の発生の由来に類するものと拝せる。それはその次の御文で理解できるところである。
曰く「経論をも尋ねず」 云々。つまり、御仏の御指南に依らず、我意我見を開陳する輩のこと。
証文
■「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(新編・92�・一代聖教大意)
■「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事」(新編・1884�・日興遺誡置文)
■「問う、此の経の謂れを知るとは其の謂れ如何。答う、宗祖の云わく「此の経は相伝に非ざれば知り難し」等云々。三重秘伝云々。」(日寛上人・依義判文抄・六巻抄・81�)
■「聖祖は『法華経は相伝に非ずんば知り難し』と仰せられている。蓋し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである」(正典・序)
とあるが如く経論の奥旨である御相伝によって経論を尋ねず、
「邪見を本として、法門の是非をば弁へずして、」
相伝に依らない自分勝手な考え方を元として、法門の正しい筋目によるところの捌きを弁えないで、
「而も男女・尼法師等に向かって、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて此の禅を弘むべし。」
男子部・女子部、壮年部・婦人部、更に職業幹部の連中に向かって、
「信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板御本尊、なんだ! 寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です! 」(平成五年九月七日・本部幹部会)と訳知り顔に魔説
を吐き散らかし、
「法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ! 総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の仰せです。」(平成四年四月二十六日・第八回中部総会)と、自分達だけを独善的に自画自賛し、我見の法を「広宣流布」だなどと詐称して広めている。
「此の人は我が正法を滅すべしとなり。」
池田は大聖人の説き置いた三大秘法の南無妙法蓮華経=戒壇の大御本尊の正意を滅するであろう。
いや、正に言い当てている。
>
▼> 1、「学や徳があろうとなかろうと、どんな僧でも相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮であるから、誹謗すると地獄に落ちる」
>
> (平成9年8月28日 全国教師講習会)
>
>
>
▼> 2、「本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証は大聖人様と拝することが、信仰上大切であります」
>
> (平成9年8月 全国教師講習会)
>
>
>
▼> 3、「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯一授一人血脈付法の御法主上人であります。・・・なぜならば、唯一授人の血脈の当処は、戒壇の大御本
> 尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」
>
> (平成3年7月 宗門能化から学会への文書)
●まさにこの仰せの通りではないか?何か問題でも?
>
>
>
▼> 《法主は教義的解釈の誤りを犯さない。》
●66『日達上人全集』
「『日蓮正宗宗規』に、�管長は法門の正邪を決定する�という意味のことが明らかに載っております。そのとおりであります。血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから」(二―七―三四二�)
(因みに、貴殿が「大石寺教学を信じない」との旨、論旨不明につき、当方では認めません。
第一、創価学会は大聖人から直接御化導を受けたのか?ではない。当然である。創価学会はまさに貴殿が否定する「大石寺教学」に依って建つところの「日蓮正宗」に入信したのである。こんな基本が幼稚園児には分からないんだね。よしよし。
戸田会長の言葉。「教学は日寛上人の時代に還れ。」とは貴殿はどう読むのだ?)
>
▼> 《折伏はできないが不二の御尊体だ。》
●「折伏」の義については破折済み。
貴殿らが広めているのは三大秘法ではない。が故に、「折伏」ではない。堕獄の業因を自他共に積んで積ませているだけ。
その「折伏」をしていない者が「折伏」を論ずることは大いに失当である。
>
▼> 《日顕の正統性は自己申請の金口である。》
●ここも学習効果の無い幼稚園児に何度でも言ってあげるね。
「唯授一人」=ただ御一人から御一人に授く。御当人以外の誰人も、知るあたわざる御境地である。貴殿ほど教学の無い者等論外の存在である。口が閉塞し、腸腐るから、そっちの方を気をつけたまえ。
後の一つは、またじっくりミンチにします。
**********************************************************
2005年2月19日 22:49
▼> 《日顕の折伏弘教の行動を未だ示せない。》
>
> 折伏弘教しない坊さんなど、瞑想しているようなものです。何のことはない、禅宗の教外別伝と同じ論理の「金口」を主張している貴方達を破折し
> ている御文を自ら引用するとは大失態です。
>
> 「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」とは日顕ですね。
>
> 1〜3を御金言で証明しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●何を書いても、貴殿のレベルでは愚問の繰り返しですね。知性のないただの運動筋の「痙攣」と同様です。
貴殿の脳味噌ってもしかしてただの運動筋?
僧宝の「折伏」は既に何度も明示済み。
貴殿の幼稚園レベルの脳には理解できたかな?
しかも貴殿は御書が本当に読めないようですね。
因みに上記の御文を通解できますか?
上手に通解して
「只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏(いこきんぶつ)の大慢を成せり。」
の御文がどうして日顕上人を指すことになるのか、論旨明快に証明してみてください。
楽しみに待ってます。
**********************************************************
> ●池田狂気の発言
>
> 法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ!総じては学会員――を、た
> とえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の教えです。(平成4年4月26日・第8回中部総
> 会)
> ◆学会員は法華経の行者である。その和合僧団のリーダーが別して法華経の行者であることは当然です。総別を自分達の専有物だと勘違いしている
> うえでの醜い嫉妬である。他の団体にとやかく言われる筋合いなし。
―――――――――――――――――――――――――――――
●総別の二義は、誰かや、どこかの団体の「専有物」なんて発想が、もはや低劣な外道義。仏法の初門にさへ辿り着いておらぬ。総別の二義は、法界の実相における筋目である。
さて、「法華経の行者」との位置づけをそう簡単に拡大解釈していいのですかね?
幼稚園児は、想像を逞しくして、むやみに自分をヒーローに擬すものですが、貴殿らもそのレベルですね。
貴殿の知性がまさに幼稚園児から成長していない証左ですね。
では貴殿の好きな「法華経の行者」が貴殿らであると定義している御文を明示してください。
細かくその我田引水振りを粉砕してあげましょう。
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> ●「我が宗を厳(かざ)るとも、皆是妄語胸臆の浮言にして荘厳己義の法門なり。」 真言見聞 文永九年七月 五一歳 610
>
> いくら池田自身や創価学会を褒めちぎって自画自賛しても、それはみな嘘・根拠のない戯言。独りよがりの思い込みのたわごとであって、仏法とは
> かけ離れた我意我見をさも尤もらしく喚いているだけのこと。
> ◆自画自賛でない客観的なものを明記していますが、盲目の人には見えないようです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●それって、もしかして、成仏義をまったく知らない、例えばキリスト教国の学者(もしかするとキリスト教の信者でもあったりする)のことですか?よくそんな言を「客観的」などと言えますね。
貴殿がもはや外道義に堕している証左ですね。
■「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼるべきなり。」如説修行抄
仏の金言でないものを基準に仏法の正邪を云々するその姿勢はもう、大聖人の仏法を語る資格はありません。いっそのこと外道のキリスト教でも修行したら如何か?
■「天台大師兼ねて約束して云はく「修多羅と合せば録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」立正観抄
修多羅=経文。経文に文も、その義も無い言は信じ受けてはならない。
■「竜樹の大論に云はく「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」同上
経文に依らない言は人を成仏には導かない黒論である。
■「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」法華真言勝劣事
経文に明確にその出所がない仏説に依らない凡夫の言は(勿論それが何々学者でも)用いてはならない。
■「当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。」草木成仏口決
既出
■「文証無きは悉く是邪謂なり」持妙法華問答抄
経文に無い言は悉く成仏義からは見れば邪な義である。
■「唯人師の釈計りを憑みて、仏説によらずば何ぞ仏法と云ふ名を付すべきや。言語道断の次第なり。」同上
通解の必要ないほど明白。貴殿は「仏法」ではなく、言語道断ですと。
―――――――――――――――――――――――――――――>
▼> 貴方のいう金口とは「自己申請」だとすでに認めてるのですから、「自画自賛」との貴方の表現も、この御文も、自分を切り刻んでます。
●また出ました。馬鹿丸出し、論理破綻の自己満足ですね。
四字熟語がよく分かってないんだね。それにしても、「自己申請」と「自画自賛」を見ていきなり、短絡的に結びつけて得意然に妄念を結論付けるとは!本当、何度でも指摘してあげるが、貴殿は学問の基本から出来ていないね。
背伸びして「法論」なんて無理だね。やっぱり。
幼稚園児には日本語が読めず、論理的な思考も未分化なのですね。よしよし、よく無理して頑張ってみたね。でも大人から見ればなに言っているかまるで理解できない位稚拙で、本当に幼稚園児だったら微笑ましいけど、貴殿ではちょっと・・・・。
**********************************************************
>
▼> 『「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ
> 哀れ。』
>
> これも自分で投稿してたでしょ?
>
> 思い付きで不適切な引用をするから、恥をかくのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●さて、貴殿の幼稚園児と違って可愛げのないところは、こういう、頭があまり良くないくせに、大人に向かって悪態をつく所ですね。
当方がどのように「仏教に依つて邪見を起」しているのか、文、理証に於いて明証してみてくださいな。
1、本門戒壇の大御本尊を拝することが出来ない。拝そうともしない。
■「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし。」南条殿御返事
=懈怠謗法=堕地獄
2、カレンダー様印刷(掛け軸様に見せているが、実は上から下まで多色刷り印刷で、本尊部分である和紙を掛け軸として装丁してもいない、安物の一枚のノッペリ印刷。)のニセ魔物本尊≒身延のみやげ物売り場にある大聖人御真筆本尊の複製魔物本尊を魔・鬼と見破れない「邪見」の貴殿。
そういう暗愚な貴殿が「思い付きで不適切な引用をするから、恥をかくのです。」呵々
**********************************************************
2005年2月20日 10:00
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> ●「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたな
> し。」P1370
>
> 自分勝手に仏法を邪まに解釈し言い広める者は、天魔が入っている者であり、多くの人も共に自分自身が堕ちる無間地獄に引き擦り込む者である。
>
>
>
> ◆〔現代における大聖人様である御当代の猊下様を否定することにより・・・〕〔御当代の猊下様を悪口、罵詈するということは、末法の御本仏日
> 蓮大聖人様を悪口、罵詈するということと全く同じということを(創価学会員が)了解できる筈がないのでございます〕
>
> 〜『大日蓮』(平成3年6月号)〜
>
> さて御書に依り、この文章の正統性を証明しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●本当に御書を読んでるのでしょうか?
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。」真言見聞
以上終わりであるが、貴殿の迷妄を破すために、以下の論文を転写する。
貴殿には難しく理解不能であろうが、今後当方と「法論」の継続を望むなら、熟読し反論を試みよ。
ただし、この論文は平成3年作であり、貴殿ら創価学会が破門に処される前のものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
創価学会の
三宝論の自語相違を破す
時局協議会文書作成班一班
はじめに
創価学会の宗門への敵対行為は、「宗
門は天魔である」とか「御法主上人が謗
法与同である」とか「三宝破壊の重罪は
日顕猊下」などと、自らの所属する日蓮
正宗と血脈付法の御法主上人猊下を謗法
呼ばわりするという、これ以上考えるこ
とのできない逸脱状態にまで至ってい
る。このような創価学会を、本宗の信徒
団体として認めることができないことは
当然のことであり、創価学会との関係の
終息を決断せざるをえない時期も、それ
ほど遠くはないような気配がする。
一、創価学会の邪義
信徒としての規(のり)を越えてしま
った池田大作氏ら創価学会首脳は、当家
の三宝について、あからさまに邪義を述
べ始めた。その発言は次のようなもので
ある。
まず、名誉会長池田氏は、
▼「かりに、だれかが�『三宝は一体』
であり、広くは、自分も『僧宝』に当
たるから、自分と『仏宝』『法宝』は
一体である。ゆえに自分は絶対であ
る�――こんなことを言ったとした
ら、この日達上人の御指南に背く?慢
謗法であり、末法下種の三宝の本義を
破る妄説であることは明らかである。
(中略)日達上人は、代々の法主が、ただ
ちに日蓮大聖人の代わりであるなどと
言うことは誤りである、と御指南され
ている。したがって法主を『現代の大聖
人様』などと主張するのは、この日達
上人の御指南に違背している。(中略)
厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下
の立場であり、それを軽々しく『仏様
である』とか、『現代における大聖人で
ある』等と、�絶対化�していくことは、
尊信しているようでありながら、実は
貶(おとし)めていることになる場合が
ある、と厳しく戒められている。したが
って、『法主と大御本尊は一体不二』
『法主は現代における大聖人』等と主
張する人がいたとしたら、歴代上人の
御指南にも背き、大聖人の仏法の正義
を破る謗法となるのである。」(平成三
年九月十日付『聖教新聞』)
と述べている。そして、会長の秋谷氏も、
▼「一、仏法の基本である『三宝』は、
歴代上人が御指南されているように、
『法宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大
聖人、『僧宝』は日興上人であり、三
宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、
私たちの信心である。また日達上人が
『代々の法主が日蓮大聖人ではない』
と御指南され、歴代法主は僧宝以下の
立場であることは明らかである。元
来、日蓮正宗には大御本尊と並べた
�法主根本主義�等は全くなかった。
ところが、最近、宗門は御本尊と法
主は『根本の二つ』であるとして、
『大聖人の仏智による御指南は、血脈
付法の御法主上人によってなされるの
であって、私どもは、そこに信伏随従
するのみであります』とする法主絶対
論をふりかざすようになってきた。
しかし、この主張に、重大な�すり替
え�があることを看過してはならない。
一、大聖人の御義口伝には『信伏随
従』について、『信とは無疑曰信(む
ぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏す
るなり随とは心を法華経に移すなり従
とは身を此の経に移すなり』と述べら
れている。すなわち心身ともに三大秘
法の御本尊に帰伏することが信伏随従
なのである。
つまり人法一箇の御本尊を信仰し、
大聖人に帰伏していくのが私どもの信
心である。それを法主への信伏随従に
すりかえるのは、大聖人の御指南に反
するものであり、三宝破壊の邪義であ
ることは、だれがみても明らかであ
る。(中略)現宗門のいき方こそ、大
聖人の仏法を破壊する大謗法であると
いわざるをえない。」(平成三年九月三
十日付『聖教新聞』)
と同様の指導をしている。
この説は僧宝を日興上人のみとし、御
歴代上人は僧宝にあらずと下して、宗祖
大聖人以来の血脈の尊厳を破壊するもの
である。しかし、それは、これまでの池
田氏自身の指導と正反対であり、自語相
違の邪義であることは明々白々であるの
で、次にそれらの発言を挙げる。
二、自語相違の池田氏は謗法
かつての池田氏の発言をここに列挙し
てみよう。
★「猊下のおことばは、日蓮大聖人様の
おことばと私どもは確信しておりま
す。」(昭和三十六年七月十日)
★「御法主上人猊下様は遣使還告で、日
蓮大聖人様と拝し奉るのです。」(昭和
三十七年一月・『三世諸仏総勘文抄』
講義)
★「御法主上人猊下に対しては御法主上
人猊下こそ経文に説かれている遣使還
告のお立場、すなわち大聖人様と拝し
てお仕え申し上げていくことでありま
した。」(昭和三十五年一月十五日)
★「遣使還告であられる御法主上人猊下
は、日蓮大聖人様であります。」(昭和
三十八年九月一日)
★「猊下も仏さまでいらっしゃる。御本
尊さまも見ていらっしゃる。」(昭和四
十年一月十八日)
★「本宗における厳粛なる法水(ほっす
い)瀉瓶(しゃびょう)唯授一人の血
脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人
に受け継がれて、今日に至っておりま
す。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖
人様であらせられ、唯我与我の御法主
上人のご内証を、大聖人と拝すべきな
のであります。私がごとき者を、かり
そめにも、本仏などと、言うことはも
ちろん、思ったりすることも謗法なの
であります。」(『大白蓮華』昭和五十
四年六月号)
★「現代においては、いかなる理由があ
れ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』
であられる血脈付法の御法主日顕上人
猊下を非難することは、これらの徒(
退転者)と同じであるといわなければ
ならない。批判する者は、正法正義の日
蓮 正宗に対する異流であり、反逆者で
あるからである。」(昭和五十六年三月
十日・『広布と人生を語る』一―二三〇)
とある。このように、以前は、ほかなら
ぬ池田氏自身が、御法主上人は大聖人の
「遣使還告」であり、現代における日蓮
大聖人であらせられると指導していたの
である。
それとは全く正反対の、
▼「したがって、『法主と大御本尊は一
体不二』『法主は現代における大聖人』
等と主張する人がいたとしたら、歴代
上人の御指南にも背き、大聖人の仏法
の正義を破る謗法となるのである。」
(平成三年九月十日付『聖教新聞』)
との、現在の指導が正しいのであれば、こ
れらの、以前の指導は、皆、誤りであり、
「大聖人の仏法の正義を破る謗法」であ
ったことになる。とすれば、これまでの池
田氏は、学会員の全てを、地獄に突き落と
していたことになるが、いかがであろう
か。
さらに、以下の指導は、どうであろうか。
★「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対
に御法主上人猊下に随順すべきであ
る。それに反して、随順せず、いな、
弓をひく行為をする僧や俗は、もはや
日蓮正宗とはいえない。私どもは無数
の讒言(ざんげん)や画策をうけなが
らも、一貫して総本山を外護したてま
つり、御法主上人猊下に随順してまい
った。これが真実の信心であるから
だ。それを、増上慢と権威とエゴと野
望のために踏みにじっていく僧俗は、
まったく信心の二字なき徒輩であり、
もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流
布をせよ』との御遺命に反した邪信の
徒と断ずるほかはないのである。皆さ
まは絶対に、それらを恐れたり、ま
た、騙(だま)されたり撹乱(かくら
ん)されてはならない。」(昭和五十六
年十二月十二日・『広布と人生を語
る』二―三七)
★「日蓮正宗における根本は、唯授一人
の血脈である。その血脈相承の御法主
上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正
しいあり方である。この一点を誤れ
ば、すべてが狂ってくるのである。」
(昭和五十七年一月二十四日・『広布
と人生を語る』三―三二)
★「絶対なるものは、大御本尊のお力で
ある。また、絶対なるものは、御書で
ある。そして、仏法の根本を御指南さ
れるのは、あくまでも御法主上人猊下
であられる。御法主上人猊下の御指南
にしたがわないものは、もはや日蓮正
宗の僧でもなく、俗でもない。」(昭和
五十七年二月十日・『広布と人生を語
る』三―五三)
★「日蓮大聖人の仏法は厳格で厳しい。
この富士の清流は第二祖日興上人、第
三祖日目上人、そして現六十七世御法
主上人猊下までの御歴代上人方によっ
て厳然と護持されてきた。そこに貫か
れてきたのは『謗法厳誡』である。」
(昭和五十七年三月二十八日・『広布
と人生を語る』三―九七)
★「日蓮正宗の根本たる御法主上人を
(正信会が)訴えたという、この一事
だけで、もはやいっさいが崩れさった
ことを物語っている。」(昭和五十七年
六月二十七日・『広布と人生を語る』
三―二一三)
★「ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖
人の仏法を奉ずる信徒である。その大
聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖
日目上人、第四世日道上人、および御歴
代上人、そして現在は第六十七世御法
主であられる日顕上人猊下まで、法灯
連綿と血脈相承されている。ゆえに日
顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなので
ある。この一貫した仏法の正しき流れ
を、いささかなりともたがえてはなら
ない。」(昭和五十七年七月二十日・
『広布と人生を語る』三―二四九)
★「この日興上人がおられましたがゆえ
に、富士の清流は七百年の苦難の歴史
にもいささかも穢(けが)されることな
く、総本山御歴代の御法主上人により
一器から一器へと法水瀉瓶されてきた
のでございます。」(昭和五十七年三月
八日・『広布と人生を語る』三―七一)
★「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈で
ある。大御本尊を根本とし、代々の御
法主上人が、唯授一人でこれを受け継
ぎ、令法久住をされてこられた。御本
尊を御認めあそばすのは、御法主上人
御一人であられる。われわれは、令法
久住のための信心を根幹として、広宣
流布に邁進しているのである。しか
し、いくら広宣流布といっても、御本
尊の御認めがなければできない。われ
われは、あくまでも総本山根本、御法
主上人厳護の信心で進んでまいりた
い。」(昭和五十七年七月二十四日・
『広布と人生を語る』三―二五六)
★「以来、七百星霜、法灯は連綿として
謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁(に
ご)りもなく唯授一人の血脈法水は、
嫡々の御歴代御法主上人によって伝持
せられてまいりました。」(昭和五十九
年三月三十一日・『広布と人生を語
る』六―一二)
等々、枚挙にいとまがない、これらの指
導から何年も経っていないが、学会員の
諸氏は忘れたのであろうか。もし、忘れ
ていなければ、現在の指導との矛盾に、
思考が混乱するはずである。それでもな
おかつ、何の疑問も生じないとすれば、
もはや「頭破作七分」であると言わざる
をえない。
三、僧宝についても
自語相違
次に、創価学会が、御歴代上人を「僧
宝」と指導していたことは、当時の池田
会長の、
★「ここで『僧宝』とは、今日において
は日興上人よりの唯授一人の法脈を受
けられた御法主上人猊下であられる。」
(昭和五十三年二月二十六日付『聖教
新聞』)
との発言に明らかであり、これを受け
て、昭和五十三年の「六・三〇」では、
★「『僧宝』とは、正宗においては第二
祖日興上人のことであり、また会長
(池田会長)も発言しているごとく、
唯授一人の血脈をうけられた御法主上
人猊下であらせられる。」(昭和五十三
年六月三十日付『聖教新聞』)
と記されているし、『大白蓮華』の昭和
五十四年十一月号、及び昭和五十八年十
月号には、
★「正法を正しく継承伝持あそばされた
血脈付法の日興上人を随一として、歴
代の御法主上人、広くは、御法主上人
の法類である御僧侶の方々が僧宝なの
です。」
との記述が見える。それが、現在は、前
述のように、
▼「厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以
下の立場」(池田氏)
であり、
▼「仏法の基本である『三宝』は、歴代
上人が御指南されているように、『法
宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、
『僧宝』は日興上人であり、三宝が相
即する御本尊を拝し奉るのが、私たち
の信心である。また日達上人が『代々
の法主が日蓮大聖人ではない』と御指
南され、歴代法主は僧宝以下の立場で
あることは明らかである。」(秋谷氏)
となっているのである。これは、明らかな
法門の改変であり、邪義謗法と断ぜられ
るものである。創価学会員は、このことを
怒るべきである。これほど学会員を愚弄
(ぐろう)した指導が、どこにあろうか。
四、日蓮正宗の
僧宝の実義
日蓮正宗の「三宝」の実義は、日寛
上人が『三宝抄』に、
■「吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる
事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰
ぐなり。爾来、日目・日道、代々咸く
是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾な
り」
と示され、また『当家三衣抄』には、
■「南無仏・南無法・南無僧とは、若し
当流の意は」
として、仏宝・法宝を挙げられたあと、
■「南無本門弘通の大導師、末法万年の
総貫首、開山付法南無日興上人師、南
無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、
嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一
心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経
と唱え」
との御指南に明らかなように、日興上
人・日目上人以下、御歴代上人の全て
が、僧宝にましますのである。
御先師日達上人も、昭和三十八年五
月、
■「二祖日興上人より歴代を僧宝と立て
ておるのでありまして、古来より少し
も変っておりません。」
と御指南されており、御歴代上人を僧宝
と立てることは、七百年来、不変なので
ある。
このように、現在の池田氏ら創価学会
首脳による教義の改変は、学会員の洗脳
のための論拠づくり以外の何ものでもな
いのであり、見えすいた誑惑であること
を、全学会員に知らせなければならな
い。
ところで、これほど見えすいた誑惑で
あるにもかかわらず、創価学会員が騙さ
れてしまうのは、
■「本宗は、大漫荼羅を法宝とし、宗祖
日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人
日興上人を僧宝とする」(『日蓮正宗宗
規』第四条)
との宗規の文、あるいは日達上人の、
■「要するに、人法一箇の御本尊を中心
とするのが本来の本宗の行き方でござ
います。御本尊に於いて三宝相即であ
ります。各自皆様方の仏壇に御本尊を
安置して朝夕に信心を励む。それで三
宝を敬っておる充分の姿でございま
す。」(昭和五十二年七月二十七日)
■「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大
聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てま
す。それに対して日目上人は座主であ
る。今云った通り、管領して、その大
聖人の仏法を治めて行く、よく受取っ
て治めて行く、即ち管領という意味を
持って行くのである。統べ治める、そ
して統治をして行く。その日目上人の
後は、皆筒の流れのように、それを受
継いで行くにすぎない。だから本宗の
考えは、広宣流布の時は日目上人の再
現、出現だという意味をとっておりま
す。即ち日目上人が広宣流布の時の座
主として再誕なされるとの指南であり
ます。だから代々の法主が日蓮大聖人
ではない。大聖人そのものと間違って
書かれてよく問題が起きますが、その
点ははっきりしてもらいたい。」(昭和
五十二年五月二十六日)
■「三宝はどこまでも、大聖人・日興上
人・御本尊、これが本宗の三宝の立て
方です。法主が大聖人様の代わりだ
と、即座にこう云う事を云うと、外か
ら非難されますから、よくその点に注
意していただきたいと思います。」(昭
和五十二年五月二十六日)
との御指南や、日顕上人の、
■「御先師が間違えないようにきちんと
お示しくださっておることであります
が、六巻抄の『当流行事抄』の最後に
�本門下種三宝�の御指南がありま
す。そこにおいては、人即法の大曼荼
羅本尊が法宝であり、法即人の本因妙
の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝
であり、そしてこれを正しく血脈のう
えに伝受あそばされて、末法万年弘通
の基を開かれた二祖日興上人が僧宝で
あらせられるということにつき、教道
のうえに本門下種三宝をきちっと立て
られてあるのであります。ですから日
興上人といえども、その唯我与我の御
境界のなかにおいての御本尊の御内証
という意味に約しては大聖人と一体で
あるけれども、その尊信のかたちとし
ての仏・法・僧の三宝といううえから
するならば区別があるのであり、仏宝
と僧宝とはおのずから違うのです。す
なわち、仏宝は大聖人ただお一人であ
り、日興上人がすでに僧宝のお立場で
あらせられるのであります。」(昭和五
十八年三月三十一日)
■「その僧宝ということをもう少し広く
解釈すれば、歴代法主がその一分に加
わるということもいえるでしょう。さ
らに広くいえば、日蓮正宗の正しい筋
道によって出家得道した教師あるいは
学衆等においても、正しい仏法を受持
信行するかぎりにおいて、僧宝という
ことがいえるのであります。もっと広
くいうならば、一切衆生のなかで正法
を受持信行し、一分でも他に随力演説
していく人達は僧俗ともに僧宝である
ということができます。しかし基本に
おいては、日興上人をもって僧宝の随
一として拝するわけであります。そう
いうところからするならば、歴代法主
は僧宝以下の立場であって、それを
軽々しく仏様だ、仏様だというような
表現は、少し言い過ぎであると私は思
っております。」(昭和五十八年三月三
十一日)
との御指南を曲解して、巧みに利用する
からである。
このように、三宝の中、僧宝の立て方
には、日興上人のみを僧宝とする場合
と、御歴代上人を全て僧宝とする場合と
の二段階がある。
この理由を正しく理解しなければ、彼
等の邪説に翻弄されてしまうことにもな
るから、細心の注意が必要である。
五、『当流行事抄』と
『当家三衣抄』の僧
宝の立て方の違い
『六巻抄』の『当流行事抄』には、
■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山
上人なり」(六巻抄 三二三�)
と、日興上人のみを僧宝とされるが、
『当家三衣抄』には、
■「南無本門弘通の大導師、末法万年の
総貫首、開山付法南無日興上人師、南
無一閻浮提の座主、伝法日目上人師、
嫡々代々の諸師。此くの如き三宝を一
心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経
と唱え」
と、日目上人以下の御歴代上人をも僧宝
とされている。
この相違の理由を言えば、『当流行事
抄』は、六老僧の中、ただ日興上人お一
人が日蓮大聖人の付嘱を受け、正義を立
てられたことを示されたのである。すな
わち、日興上人と他の五老僧とを相対
し、日興門流の正統を示すということ
で、根本の上から当門流の正義を示す意
義によられているのである。故に、僧宝
を示すに当たり、日興上人お一人を挙げ
ることは、日興上人が六老の中の唯一の
付弟であり、真実の僧宝であることをも
って、その末流の僧宝なることの濫觴
(らんしょう)とするのである。
他の五老は付嘱を受けざるが故に、五
人はともに僧宝とならないことを明か
し、その五老の門の末流は、皆、僧宝に
あらざることを示す意を含むのである。
『当流行事抄』に明らかなように、日
興門流の正統は、宗祖大聖人よりの法体
付嘱が、日興上人に存することによる。
その付嘱は、さらに日興門流の中でも、
当家の御歴代上人に血脈相承をもって伝
えられるのである。故に、僧宝にして総
貫首である日興上人の地位は、『百六箇
抄』に、
■「直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨
日興を以つて惣貫首と為て日蓮が正義悉
く以つて毛頭程も之れを残さず悉く付属
せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論
無く尽未来際に至るまで予が存日の如く
日興嫡々付法の上人を以つて惣貫首と仰
ぐ可き者なり」(富要 一―二〇)
と示されるように、法灯連綿として現在
に至り、御当代上人に存するのである。
『当家三衣抄』は、日興門流の分派の中
で、日興上人よりの付嘱を伝えられてい
る当家の御法主上人こそ、真実の僧宝で
あることを示され、末法下種の三宝は当
家にのみ存することを明らかにされてい
るのである。
六、「教道」と「証道」
日寛上人の『三宝抄』には、
■「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此
須く分別すべし、若し内体に約さば実
に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち
是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用
身と云い、又十界具足を方に円仏と名
づくと云う也。亦復一器の水を一器に
写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝
一体也。若し外相に約さば任運勝劣あ
り。所謂、仏は法を以て師と為し、僧
は仏を以て師と為す故也。故に法宝を
以て中央に安置し、仏及び僧を以て左
右に安置する也」(歴全 四―三九二)
と、「三宝」が「内体」に約せば体一で
あるが、「外相」に約せば、おのずから
勝劣があると御指南されている。ここで
は、この意義の上から、さらに別体三宝
式の本尊奉安様式における、仏法僧の奉
安位置の理由にも論及されている。
このように、法門の立て方には、「内
体」と「外相」との二つの筋道が存する
のである。
「内体」とは「内証」の体ということ
である。これは、「観心」と同義であり、
ここにおける談道を「証道」という。ま
た、「外相」とは「外用」の相をいう。
これは、「教相」と同義であり、ここに
おける談道を「教道」という。
第三十一世日因上人は、金沢の信徒へ
の御消息に、
■「日興上人已下の代々も亦た爾なり。
内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れ
ば則僧宝也。故に末法下種の大導師日
蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存
し以て僧宝と為るのみ。(中略)故に
日蓮聖人の御身の上に本迹の両辺あ
り、仍て迹に依れば則凡夫僧なり、内
に依れば則妙覚極果の如来なり、日興
上人日目上人も亦た爾なり」
と、御歴代上人の御内証の辺は仏宝と体
一であらせられ、外用において僧宝と申
し上げることを明らかにされ、日寛上人
の御指南と全く同じ趣旨の御指南をされ
ている。
日寛上人の『当流行事抄』には、
■ 「久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上
人なり」(六巻抄 三二五�)
と、日興上人が僧宝であることをお示し
であるが、その前提として『百六箇抄』
の「久遠元初の結要付属」の文を挙げ
て、
■「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄
三二三�)
と、大聖人よりの結要付嘱をもって、日
興上人を僧宝と御指南である。
また、『三宝抄』にも、
■「僧宝とは久遠元初結要付嘱の所受の
人なり」(歴全 四―三六六)
と、僧宝が結要付嘱の所受のお方である
ことを示されている。この結要付嘱と
は、法体の血脈相承のことである。
付嘱には、周知のごとく嘱累品の総付
嘱と、神力品の別付嘱がある。この総別
の付嘱は共に、上行菩薩を上首として、
釈尊より授けられる。しかして、結要付
嘱とは別付嘱のことであり、上行菩薩の
みに授けられるが、総付嘱は迹化の菩薩
もその任を受ける。これは文上の談道で
ある。
さて、大聖人より日興上人への下種仏
法の御付嘱も、この総別の二義がある。
別しての結要付嘱、すなわち血脈相承を
お受けになるのは、御法主上人ただお一
人である。総付嘱は御法主上人を上首と
して、一般僧侶もその任を受ける。
このように、僧宝の本義は別付嘱たる
結要付嘱に存するのであって、厳密にい
えば「僧宝」とは御法主上人お一人なの
である。
故に、『曽谷殿御返事』の、
■「総別の二義あり総別の二義少しも相
そむけば成仏思いもよらず輪廻生死の
もといたらん」(全集 一〇五五�)
との御指南のように、総別の二義、すな
わち総付嘱と別付嘱とを混乱してはなら
ないのである。したがって、総じての意
味で僧宝というとも、御法主上人の僧宝
の意義に対しては、天地雲泥の相違があ
ることを、明確に認識しなければならな
い。
以上、明らかなように、御歴代上人
は、血脈相承をお受けになり、その御内
証が「仏宝」と不二の御尊体にまします
故に、その外用の辺を「僧宝」と申し上
げるのである。
しかるに、「僧宝」に関する御法主上
人の御指南に異なった御見解が存するの
は、前述の日顕上人の、
■「末法万年弘通の基を開かれた二祖日
興上人が僧宝であらせられるというこ
とにつき、教道のうえに本門下種三宝
をきちっと立てられてあるのでありま
す。」(昭和五十八年三月三十一日)
との御指南のように、下種三宝の立て方
は、「教道」の上に示されるからである。
すなわち、「教道」の上には、僧宝の意
義にも、また違いが存するのである。
先に述べたように、『六巻抄』の僧宝
の記述の相違は、門流の濫觴としての僧
宝である日興上人と、その跡を継承され
る御歴代上人との「僧宝」の意義の違い
による。つまり、日興上人等御歴代上人
の「僧宝」には、その意義の上に、化導
の上の法体としての「僧宝」と、住持と
しての「僧宝」との区別が存するのであ
る。
まず、法体にも、大聖人の御内証の法
体と、御化導の上の法体が存する。御内
証の法体とは、
日顕上人の、
■「そこで、三宝について少々申し上げ
るならば、一番根本のところにおい
て、久遠元初の仏法の法体、内証の法
体において、そのまま仏法僧の三宝が
具わるのであります。これは『当体義
抄』という御書の中において、
『至理は名無し聖人理を観じて万物
に名を付くる時・因果倶時・不思議
の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華
と為す此の妙法蓮華の一法に十界三
千の諸法を具足して闕減無し之を修
行する者は仏因・仏果・同時に之を
得るなり、聖人此の法を師と為して
修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時
に感得し給うが故に妙覚果満の如来
と成り給いしなり』
という、久遠の当初における聖人の本
因本果の成道に約しての御指南がござ
います。
すなわち、妙法蓮華を師として修行
あそばされるというところにおいて
は、『因果倶時・不思議の一法』であ
るところの法の宝に対し、これを信解
するところの境界の中に、いささかも
その法に対する差違異轍(いてつ)な
く、法界の法理そのものを妙法の体と
して自ら行じ給う姿が、そのまま内証
におけるところの修行の姿なのであ
り、すなわちこれは僧宝であります。
そして、直ちに『因果倶時・不思議
の一法』を得て、妙因・妙果の本因下
種の仏として即座開悟あそばされると
ころの本果の仏様の境界は、すなわち
本因下種仏法におけるところの仏宝で
あります。すなわち大聖人様は、この
久遠元初の法体を末法に移して御出現
あそばされ、その上から法宝・仏宝・
僧宝の三義が御自身に具わり給うとこ
ろを御指南でございます。それはすな
わち、
『日蓮がたましひをすみにそめなが
して・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏
の御意は法華経なり日蓮が・たまし
ひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは
なし』
と、『日蓮が・たましひは南無妙法蓮
華経』と仰せあそばされるところに、
釈尊の脱益の仏法と種脱相対して、下
種本仏の境界に所持あそばされ給うと
ころの法の宝、すなわち南無妙法蓮華
経が厳然として具わることを御指南あ
そばされております。
さらにまた、
『無作の三身とは末法の法華経の行
者なり』
『本尊とは法華経の行者の一身の当
体なり』
あるいはまた、
『日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給
いぬ』
という御指南からも、大聖人の凡夫身
において、直ちに久遠下種根本の仏の
御境界が具わっておるということを拝
し奉るのであります。
そしてまた、『御義口伝』における、
『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり
(乃至)仏とも云われ又凡夫僧とも
云わるるなり』
という御指南より拝するならば、大聖
人の本因の修行のお姿を、さらに一期
の御化導に拝するところ、鎌倉期、佐
渡期において法華経文々句々を身に当
ててお読みあそばされ、竜の口の発迹
顕本、本仏開顕の大事に至り給うまで
の御修行のお姿は、すなわち御身に具
わり給うところの僧の姿、僧宝であり
ます。つまり大聖人様の御一身に仏法
僧の三宝が具わり給うところに、内証
の一体三宝が拝せられるのでありま
す。」
との御指南のように、大聖人の御一身に
具えたもう三宝が、御内証における法体
である。しかし、その御内証は、そのま
までは衆生は拝することができない。そ
のために、衆生の化導の上にお示しにな
られるのが、化導の法体としての三宝で
ある。日顕上人は、
■「しかしながら、また末法万年の衆生
を導かんための三宝としては、そこに
化導の上からの本門下種三宝の法体が
厳然として常住し給うのであります。
これは、皆さんも朝晩の勤行でお読
みになっておる法華経の自我偈
の、『時我及衆僧 倶出霊鷲山』
の文であります。
『時に我及び衆僧 倶に霊鷲
山に出ず 我時に衆生に語る
常に此に在って滅せず云云』
とございますが、この『時に我
及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず』
という文の、『時』とは末法第
五の時であり、『我』とは仏、
すなわち大聖人様の御当体であ
ります。また『及』とは、南無
妙法蓮華経の法宝であり、『衆
僧』とは僧である。
これは、また化導の形におい
て、いかなる姿をもって示され
ておるかと申しまするならば、
脱益の仏法においては、あの釈
尊一代の五十余年の経々の中におい
て、その極まるところは八ヵ年の法華
経に帰するのであります。この法華経
の中で、迹門を馳せ過ぎて、本門の涌
出品より嘱累品に至る八品において、
久遠の寿量品の法体が釈尊から上行菩
薩へ付嘱せられております。ここに釈
尊より大聖人様へ脱益本門より下種本
門への転換がありました。また、末法
に本仏大聖人様が御出現あそばされ、
下種本法の末法万年の広宣流布のため
に成し置かれた大事な化導の根本もま
た、二祖日興上人様への唯授一人の血
脈相承、結要付嘱であります。
仏法の根本は、この付嘱によってす
べてが決せられるのであり、ここを外
して仏法というものの存在は全くあり
えないのであります。したがって、大
聖人様が下種の仏宝であり、南無妙法
蓮華経の大御本尊が法宝であるのに対
して、久遠常住の下種三宝、つまり化
導の上の下種三宝の僧宝とは、その随
一が二祖・白蓮阿闍梨日興上人様にあ
らせられるということが、ここに明ら
かであります。
この仏法僧の三宝を正しく拝してこ
そ、末法の一切衆生の身中に、妙法当
体蓮華の大功徳が成就するのでありま
す。もしこれを疑い、これを外れて、
『ただ大聖人様と御本尊様さえあれ
ば、日興上人以下はどうでもいい』と
いうような考えを持つならば、これは
大謗法であり、即身成仏は到底、おぼ
つかない次第であります。
大聖人様、大御本尊様、日興上人様
のおわしますところに、化導の法体と
しての常住不変の下種三宝が存し、こ
の下種三宝が常に我々を見そなわし、
我々を開導してくださるということを
深く信ずべきであります。」
と、大聖人、大御本尊、日興上人を三宝
と申し上げるのは、法体の三宝としてで
あると御指南なのである。故に、日興上
人は、特に化導の上の法体としての「僧
宝」と拝せられるのである。これは、大
客殿の本尊奉安様式が、「日蓮大聖人・
大御本尊・日興上人」の、別体三宝式に
ましますことからも明らかである。
しかし、法体の三宝が確立しても、そ
れだけでは末法万年にこの三宝を伝える
ことはできない。
日顕上人は、続いて、
■「また、その仏法が住していく姿の中
においては、『住持』という形の上か
らの三宝が必要となってまいります。
これは、日有上人の百二十一ヵ条から
なる『化儀抄』の中において、
『手続の師匠の所は、三世の諸仏高
祖已来代代上人のもぬけられたる故
に、師匠の所を能く能く取り定めて
信を取るべし、又我が弟子も此くの
如く我に信を取るべし』
という御文がございます。
すなわち、日興上人から日目上人
へ、日目上人から日道上人、日行上人
と代々、付嘱によって伝わるところ
に、大聖人様以来の御本仏の御魂が、
もぬけられておるのである。それは、
大聖人様の御本尊、日興上人、日目上
人の御本尊、乃至歴代上人の御本尊の
当相・当体を拝するところに、おのず
から明らかであると存ずるのでありま
す。」
と、御歴代の御法主上人は、法体として
確立された三宝を、末法万年の未来に伝
える「住持」としての意義の上からの
「僧宝」にましますと御指南されている
のである。
このように、「僧宝」についての御指
南の中で、御歴代上人を僧宝に含まれな
い場合は、「教道」の上において、「法体
の三宝」「住持の三宝」等の区別が存し、
そこに一往の勝劣も存するからである。
つまり、御歴代上人は「僧宝の随一」
として、大聖人から直接に法を授けられ
た一番のもとに立たれる日興上人に対
し、日目上人はその弟子、日道上人はそ
のまた弟子と次第される。この「師」に
対する「弟子」との辺をもって、「外相」
の上から謙下(けんか)あそばされ、御
自身を「僧宝以下」と仰せられるのであ
る。
しかし、「弟子」は法を受けられれば、
今度は絶対の資格と自覚と力を有する
「師」となられるのである。ここをもっ
ての筋道は、再往の実義であり、これを
「証道」というのである。「証道」とは、
御内証の談道のことであり、まさに宗祖
日蓮大聖人の法水を瀉瓶された上から、
師弟不二の御境界に約すものである。し
たがって、日因上人の、
■「日興上人已下の代々も亦た爾なり。
内証に順ずるに則仏宝也。外用に依れ
ば則僧宝也。故に末法下種の大導師日
蓮聖人の尊仏に対すれば、則外用を存
し以て僧宝と為るのみ」
との御指南のように、その御内証は日蓮
大聖人に冥合した上での「仏宝」なので
あり、「僧宝」とは、血脈相承を受け、
大聖人の化儀・法体を伝持し、時に当た
って教導あそばすという、御法主上人の
「外用」を指すのである。
したがって、御歴代上人が「僧宝以
下」との表現は、
一には、五一相対して、その正統たる日興門流における、末
法万年の総貫首であらせられる日興上人
を師とするのに対して、御歴代上人はそ
の弟子である故に、師と弟子という立場
の違いが存するためである。また、
二には、日興上人が「法体の僧宝」であらせ
られるのに対して、日目上人以下の御歴
代上人を「住持の僧宝」とするのであ
り、この「僧宝」の意義の違いを、「教
道」の上に示されて、日目上人以下の御
歴代上人を、一往「僧宝以下」と示され
たのである。
しかし、一般僧俗が、それをもって、
「御歴代上人は僧宝以下」などと言え
ば、それは「教道」を聞いて「証道」を
知らぬ、一知半解のものであり、再往の
実義を曲げる謗法罪を免れることはでき
ない。
上代においては、大聖人御自身です
ら、御本仏であることはおろか、上行菩
薩であることすら、あからさまには述べ
られていない。これは、『報恩抄送文』
に、
■「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ
人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」
(全集 三三〇�)
と仰せられるところである。すなわち、
法門を受ける衆生の機根に、堪と不堪と
があって、直ちに真実を述べれば不信を
起こすからである。現代は、妙法流布も
進展し、広宣流布の気運も高まってきた
が、やはり信心が弱く、疑い深い者は、
「浅義」である一往の「教道」の御指南
に執著を起こして迷いが晴れず、再往の
「深義」である「証道」に信解が至らな
いために、眼前の「師」の尊厳が拝し切
れないのである。
故に、この二つの筋道を、過不足なく
信解することが非常に大切なのである。
このことを、日顕上人は、
■「宗門の古来の�法�の立て方におい
て、二筋の立場があるということであ
ります。つまり、もちろん根本は末法
下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内
証におわしますのであり、それを唯我
与我の御境界において二祖日興上人が
その仏法の本義をお承け継ぎあそばさ
れて、さらに日目上人・日道上人と、
一器の水を一器に移すかたちで今日に
伝えられておるということが、宗門の
古来からの信条であります。それはそ
のとおりでありますが、そこに御本尊
の御内証という立場と、それから代々
の法主がその法を承けて色々な場合に
おいて宗門を指導・統率していくとい
う意味からの様々の指南・指導等を行
う立場と、その二筋においては一往、
分けて考えなければならないと思って
おります。
三大秘法の根本の深義は本門戒壇の
大御本尊にその法体がおわしまして、
そこが根本であります。その分身・散
影として各末寺その他、在家の宅にお
いても御本尊を奉安しておりますけれ
ども、一切はその根本の、本門戒壇の
大御本尊に帰するのであります。ただ
し、その御本尊の書写、伝持というう
えにおける歴代法主を、どのように君
たちが考えるかということであります
が、これが簡単なようで、なかなか混
乱する場合があります。
混乱をいたしますと、�過ぎたるは
及ばざるが如し�という言葉があると
おり、例えば過ぎてしまうとかえって
及ばないという結果が出てくるので
す。つまり必要以上に崇めすぎると、
その反動として悪い結果が出てくると
いうような意味もあります。また、崇
めなければいけないところを軽蔑した
り、あるいは軽く見たりすると、これ
はまたこれでいけません。ですから、
及ばないこともいけないし、過ぎたこ
ともいけないという意味があるわけで
す。」(昭和五十八年三月三十一日)
と御指南なのである。その上で、また、
■「要するに、日常のことや色々な指導
とかにおいては、法主はあくまでも法
主として考え、法主としての指南があ
り指導がある、ということでよいので
す。それを直ちに仏果であるとか仏様
であるとかいうような証道の意味と混
乱するような、あるいは読んだ人がそ
う取れるような表現は、むしろ慎んで
もらいたいと思います。」(昭和五十八
年三月三十一日)
と、「教道」と「証道」を混乱して、「僧
宝」というべきを、「仏宝」とまでいっ
てはならないと戒められているのであ
る。故に、「証道」においては、
■「唯授一人のうえの御本尊書写、また
はその御相伝という意味において、こ
れをもし他の方が言う場合に、御本尊
の御内証は即、大聖人以来の唯授一
人、そこに二にして不二の境界である
ということならば、それは根本のとこ
ろでありまするし、それでよいと思い
ます。」(昭和五十八年三月三十一日)
と、大聖人と御法主上人が不二であらせ
られることを御指南されているのであ
る。これは、日応上人の、
■「当宗に於て授与する処の御本尊は一
切衆生に下し置かれたる此の御本尊の
御内証を代々の貫主職一器の水を一器
に写すが如く直授相伝の旨を以て之を
写し奉り授与せしむる事なれば各のそ
の持仏堂に向かっても直ちに此の御本
尊を拝し奉る事よと相心得へ受持信行
する時にはその処直に戒壇の霊地、事
の寂光土なる程に臨終の夕までも此の
御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべき
なり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひ
なきなり。」(本門戒壇本尊縁由 一九
�)
との御指南にも明らかである。御本尊
は、大聖人の御魂魄、すなわち御内証な
のである。
■「此の経は相伝に有らざれば知り難
し」(全集 三九八�)
との御妙判のように、その御内証は、血
脈相伝をお受けになった御法主上人でな
ければ「知り難」いのである。御歴代上
人が、大聖人の御内証をもって書写遊ば
されるから、我々の成仏も叶うのであ
る。その御法主上人を誹謗することは、
そのまま御本尊を誹謗することであるか
ら、いくらお題目を唱えても、功徳は全
くないのである。
また、それが理解できないからこそ、
昭和五十二年路線において、創価学会で
は、池田氏の指導のもとに、御本尊を写
真に撮って複製模刻するような大謗法
を、平気で犯すことができたのである。
池田氏はじめ創価学会首脳は、知った
かぶりをして御法門を云々するが、相伝
を受けない彼等に本宗の深義が解らない
のは、道理の上で至極当然のことであ
る。もし全て御法門が解るというのな
ら、その旨を発表していただきたい。
しかし、もし正直に解らないというの
であれば、すなわちそれは、創価学会に
おける判断が完全ではないことの、何よ
りの証明なのであるから、直ちに御法門
を私するような?慢謗法の心を停止すべ
きである。
七、秋谷氏の謗法は
明白
過日の、御尊能化から学会古参幹部に
対する書面中、
■「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大
御本尊と不二の尊体にましますからで
あります。」
との指南は、「証道」の上に「三宝一体」
の実義を述べるものであり、まさに当家
の正義である。
これを論難する、秋谷会長の、
▼ 「仏法の基本である『三宝』は、歴代
上人が御指南されているように、『法
宝』は御本尊、『仏宝』は日蓮大聖人、
『僧宝』は日興上人であり、三宝が相
即する御本尊を拝し奉るのが、私たち
の信心である。また日達上人が『代々
の法主が日蓮大聖人ではない』と御指
南され、歴代法主は僧宝以下の立場で
あることは明らかである。元来、日蓮
正宗には大御本尊と並べた�法主根本
主義�等は全くなかった。
ところが、最近、宗門は御本尊と法
主は『根本の二つ』であるとして、
『大聖人の仏智による御指南は、血脈
付法の御法主上人によってなされるの
であって、私どもは、そこに信伏随従
するのみであります』とする法主絶対
論をふりかざすようになってきた。
しかし、この主張には、重大な�す
りかえ�があることを看過してはなら
ない。
一、大聖人の御義口伝には『信伏随
従』について、『信とは無疑曰信(む
ぎわっしん)なり伏とは法華に帰伏す
るなり随とは心を法華経に移すなり従
とは身を此の経に移すなり』(御書七
六五頁)と述べられている。すなわち
心身ともに三大秘法の御本尊に帰伏す
ることが信伏随従なのである。つまり
人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に
帰伏していくのが私どもの信心であ
る。それを法主への信伏随従にすりか
えるのは、大聖人の御指南に反するも
のであり、三宝破壊の邪義であること
は、だれがみても明らかである。(中
略)現宗門のいき方こそ、大聖人の仏
法を破壊する大謗法であるといわざる
をえない。」(平成三年九月三十日付
『聖教新聞』)
との批判は、「教道」と「証道」を混乱
する邪義であり、謗法である。
なお、
■「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大
御本尊と不二の尊体にまします」
との表現は、かの正信会問題の渦中、
『大日蓮』の昭和五十七年三月号の巻頭
言でも、既に述べられているから、「最
近」との論難は全く当たらないことを申
し添えておく。
むすび
以上、学会の「三宝」論の邪義を破折
してきたが、「三宝」については、先に
も多く引用したとおり、本年七月二十八
日の法華講連合会第二十八回総会の砌
に、御法主上人より、詳しい御指南を賜
っているので、本宗の三宝義を信解せん
とする諸氏は、是非とも熟読していただ
きたい。
一般の学会員は、仕事や家事に追われ
る中、命をすり減らすようにして学会活
動に励み、血を絞るようにして特別財務
に多額の納金をする。それは、それが仏道
修行であり、功徳となると信じているか
らである。そして、学会員にとっては、も
うそれだけで精一杯で、学会幹部の指導
する三宝義についても、またその他のこ
とについても、それが正しいのかどうか
など、確認する余裕がないのである。
だからこそ、学会幹部は、本来、学会
員を善導する灯火でなければならないの
に、秋谷会長からして、御法門を迷乱す
る有り様である。しかも、それが未熟故の
誤りであるならば、まだ許せもするが、池
田氏の邪義・邪心を覆い隠すことだけを
目的とする、天魔の邪説なのであるか
ら、決して許してはならないのである。
日蓮大聖人は、良観等の謗法に対し
て、「首を切れ」とまで御指南あそばさ
れた。現在、学会の行なっている三宝破
壊は、それに勝るとも劣らない大罪なの
である。このことに、池田氏等は、いつ
気が付くのであろうか。
以 上
**********************************************************
2005年2月21日 23:05
**********************************************************
> ●「濁世(じょくせ)に法華経の行者のあらんを留難(るなん)をなさん人々は頭七分にわ(破)るべし」 国府尼御前御書
文永一一年六月
> 一六日 五三歳 739
>
> 日顕上人を呼び捨てにする池田を筆頭とする創価学会員らは頭破七分間違いなし。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
▼> ◆折伏弘教できない日顕が「法華経の行者」であることを御書に依って説明しなさい。
●「折伏弘教」については再三破折済み。貴殿の無知蒙昧ぶりにはほとほと辟易しますね。
当該箇所を熟読せよ。
因みに、貴殿が池田を「法華経の行者」と思い込んでないのなら、それでよしよし。もし思い込んでいるのなら、その証拠を「御書に依って説明しなさい。」
**********************************************************
> ●「万人には諸天の帝釈をうやま(敬)ふよりもうやまはれて、釈迦仏、法華経に「不思議なり提婆がごとし」とおもはれまいらせなば、人目はよ
> きやうなれども後生はおそろしおそろし。」1123
>
> いくら創価学会員らにちやほやされても、後生はおそろし。
>
>
>
> ◆ 今度は「上野殿御返事」まで不適切に引用ですか。ここまでくると病気ですね。
>
> 貴方が引用した御文の前には難について
>
> 「大難をもちてこそ法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南
> 三北七南都七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず万民つるぎをにぎらず一国悪口をはかず」と説かれています。
>
>
>
> 「阿部日顕」が民衆から認知されていないのに、どうやって「万民がつるぎをにぎって、一国が悪口をはく」状態になっているのか明示しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿ほどの未熟なレベルで御書をとやかく「怪釈」しない方が身のためですよ。
貴殿が御文に踏み込んで偉そうに邪難を吐きかけるほど、無知で愚鈍な貴殿の法門未熟さの馬脚が顕れるだけですから。
では、本文いきますか。
貴殿の引用部分はこの箇所ですね。
■「此の法華経に云はく「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」と@云云@。文の心は、我が現在して候だにも、此の経の御かたきかくのごとし。いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をやと説かれて候なり。此をもておもひ候へば、仏法華経をとかせ給ひて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども、いまだ法華経を仏のごとくよみたる人は候はぬか。大難をもちてこそ、法華経をしりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候ひしかども、在世のごとくの大難なし。ただ南三北七・南都七大寺の小難なり。いまだ国主かたきとならず、万民つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに、同じほどの難だにも来たらず、何に況んやすぐれたる大難多難をや。虎うそぶけば大風ふく、竜ぎんずれば雲をこる。野兎のうそぶき、驢馬のいばうるに風ふかず、雲をこる事なし。愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は国もさわがず、事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候。」
さて、御法門を相伝に則って拝している者にとっては、一読すればこの御文の意が汲み取れるのですが、ニセ本尊を拝んでいる貴殿にはやはり理解出来ないのですね。
1、この御文は脱益仏法の教主・垂迹仏である釈尊及び迹化の菩薩と、本化地涌の菩薩、内証本因妙の下種仏法の教主、久遠元初の御本仏との、種脱の相違・勝劣を「遭難」という現証において示されている箇所である。
2、貴殿が引文した
■「大難をもちてこそ、法華経をしりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候ひしかども、在世のごとくの大難なし。ただ南三北七・南都七大寺の小難なり。いまだ国主かたきとならず、万民つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。」
とは、滅後末法に出現する上行再誕・本地自受用の御本仏と、迹化薬王の応誕・天台大師、その後身・伝教大師とを相対し、その勝劣を難の大小に依って判釈・明示された御文である。
3、その迹化の菩薩と本化地涌の菩薩との勝劣の判釈を明示された御文を、直ちに下種仏法の伝持の僧宝の辺に妄引してくることは、まさに所対の筋目・けじめに暝い、愚痴蒙昧な法門未熟さである。
■「諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」文底秘沈抄
■「私説を以て公事に混ずること勿れ。」法華取要抄
迷妄膏肓・邪見熾盛の貴殿は以下の池田センセ〜〜〜の「御指導」をよくよく、熟読玩味すべきでしょう。
▼3『広布と人生を語る』池田大作
「日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人猊下の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかにすばらしいものであるかを体得していただきたいのである」(一―一一八�)
※ここで池田センセ〜〜〜がいう「日蓮正宗の教義」 と 貴殿が否定する「大石寺教学」 とはどう違うのか?
御書を用いて明示せよ。
▼3「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまでも御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである」(三―一一七�)
※ここでいう「御法主上人猊下の御指南こそ根本」という義は、貴殿の否定する「大石寺教学」ではないのか。
もし違うのなら、御書を用いて証明せよ。
逃げるなよ。
この池田センセ〜〜の実に御尤もな指導を元に「日蓮大聖人の仏法の教義」の「根本」である「御法主上人猊下の御指南」を以って貴殿を再教育する。池田センセ〜〜を師匠と仰ぐなら、以下の御指南をよくよく伏して拝しなさい。
● 64総本山六十四世日昇上人
(日蓮正宗聖典「序」)
「由来法門上の異説異見は何によって起こるかといえば機根が猶お未だ熟さないうちに自らを省みず直ちに御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。聖祖は『法華経は相伝に非ずんば知り難し』と仰せられている。蓋し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである」
●日淳上人 教義研鑽の態度 45
日興上人の御遺誡に曰く、「御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと」と、此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体達するを得ざるなり。
御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。此二途を完うして智見初めて具はるを得る然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを忽がせにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救ふべからざるに到る誠に嘆ずべきである。今日異流百出教学の紛乱殆んど収拾すべからざる状態にあり、此の趨勢益々盛にして止まるところを知らぬ有様なるはその依て起るところ此の用意を忘れ眇目を以て祖書を妄断し未得謂為得(未だ得ざるを得為りと謂う)となすが故である。
書を読むことは容易である、しかし書物の意を把むは難事である。教を受くるは容易である、しかし教旨を体達するは難事である。(中略)
即ち「未だ到らざるなり」として、御書を拝すると共に極理の師伝といふことに心を置かざるべからず、稍々もすれば「法によつて人によらざれ」の経文に執して強ちに人を斥けむとするものがあるが、此れ誤れる解釈にして「師と法と合せざれば法によつて人を捨つべし」といふなり、師あつて法正しく法あつて師正しきを得、師言若し法に合せずとなさば躊躇することなく捨て更に師を求むべきである。此場合「我には遂に師あらず」といはば上慢なり、中途にして挫折するは怯懦なり、此二者はついに道を得ること能はざるべし、怯懦者は猶道を得る機あらんも上慢に於ては道を得べからず。(中略)
仏法を得ざるのみにあらず、かへつて仏法を失ふものは上慢と我慢とである。「仏法を行じて地獄に堕る人は十方の土の如し」とは蓋し此の二慢を指すか、上菩提を求むるものは省みて此二慢を捨離し、正法と正師とに帰せなければならぬ。(中略)
然るに聖祖門下に於て如何にこの二慢の多きこと乎。御書を手にして一知半解「我れ既に得たり師たり」といつて慢執天より高きものあり、此輩仏を破り法を濁す幾許なるを知らず、これこれを仏法の怨敵といふ。求道者は師を択ぶに師伝曖昧にして法統明らかならざるものは、悉く此類として斥けざるべからず。
正師とは日興上人とその門流あるのみ。昭和七年五月(大日蓮)
●65日淳上人 159
世人は妙法蓮華経と日蓮大聖人の尊きをいふも漫然妙法蓮華経を読み大聖人の御書を拝読しをるがためにその御真意に正しく到達することができない様である。既に大聖人は「此経は相伝によらずんば知りがたし」と仰せられて相伝の鍵をもたずに此経の扉を開くことはできないとせられてをる。その鍵こそ日蓮大聖人の御教である。しかして又日蓮大聖人の御教に於てはその御教の扉を開くべき鍵がある。大聖人の御書四百数十篇此れ等の御書はそれぞれの機根に応じて御教示なされた法門であるが故に一律一様に拝することはできない。抑も大聖人は御一代の弘教に序正流通の三段を御立遊ばされ、その御説示には四悉檀を用ひて五重相対等の法門の上に随時御説き遊ばされたのである。それ故此れを拝するものにまたその心得がなくてはならない。しかし乍ら此れ等のことにいたつては末流のよく正当なる領解をなし得ることは困離である。ここに於て大聖人は御入滅に際し御弟子中日興上人を抜んでられて付弟となし給ひ御滅後の大導師たるべしと定めさせられ、若し此れに背くものは非法の衆たるべしと掟てせられたのである。これ一に日興上人が最もよく大聖人の御教を領解し奉り従て信行共に大聖人の御鑑識に適ひなされたからである。よつて大聖人に帰依し奉りその御教に住せんとするものはこの御金言を知り此れに随順し奉らなければならない。乃ち日興上人の御信仰を基準として大聖人に帰依し奉らなければならない。かくしてこそ初めて大聖人の御真意に到達した信仰ができるのである。本宗に於て日興上人を僧宝と崇め奉る所以はここにある。此れをもつて此れをいへば日蓮大聖人の信仰に住せんとするものは必らず先づ日興上人の門によらなくてはならぬ。此の順序を知らずしては決して正当たり得ないのである。志あるものの考ふべきことである。昭和十二年五月(大白法)
●65『日淳上人全集』
「世間に於ては大聖人の御書のみを拝して、信仰を規律しやうと致しますが、(勿論此れは釈尊を仏とし、大聖人は法華経を弘め給ふものとする結果ではありますが、)それがためその信仰が混乱して無茶苦茶になるのであります。此の師弟の相対的の関係(※蓮祖興尊)に於て、仏法を拝するといふのが仏法の極意であります。(中略)
若し此れ等のことを考へずに仏法を論ずるならば、最早仏法ではないと言ふべきであります。(中略)
大聖人の御教を正しく体得し給ふ日興上人が、門徒として如何になすべきかを御教示し給ふた此れ等の御文は大聖人の御相伝及御書と併せ拝してこそ門徒としての正しき信行が立つのであります。若し此のことを知らず御書にのみよりますると、信行は混乱して止まるところがなく脱線することになるのであります」(一一五三�)
●67『日顕上人御講義』
「もし『極理師伝』がなくとも、単に御書を拝読するだけで仏法の深義が領解できるのなら、五老僧やその門下が謗法となることもなかったはずです。先にも重々述べた如く、権実相対、本迹相対の御法門を示された御書が多くありますが、その文面に執し、本門弘通の大導師たる日興上人からの『極理師伝』を怨嫉し、これに背逆したところに、身延派の本尊雑乱等の謗法が生じたのであり、まさに現在の創価学会と軌を一にするものです」(仏法破壊の邪難を粉砕す一九九�)
もし、異見があるのなら、この全てに明確に反論せよ。
くれぐれも絶対に遁走するなよ。
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2005年2月22日 23:35
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> ●「愚癡(ぐち)無懺(むざん)の心を以て即心即仏と立つ。豈(あに)未だ得ざるを得たりと謂(おも)ひ、未だ証せざるを証せりと謂(お
> も)ふ人に非ずや。」(蓮盛抄 建長七年三四歳 27
>
> 強欲、愚癡(ぐち)無懺(むざん)の根性の癖に、「我れ仏なり」などと馬鹿思いしている。これ、未得謂得、未証謂証の大慢心の者。
>
>
>
> ◆それ、折伏できない「生身の釈迦日蓮」の日顕でしょ?
>
> 自己申告の金口相承を主張している貴方達が引用できる御文ではないのですよ。壊れたラジオ君。
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●三大秘法の御法体の書写・開眼=これが根本の「折伏」だということが未だ理解できない、新興邪宗教「創価学会」に最近の入会でいきなりニセ本尊を掴まされた、仏教の初門にすら程遠い、しかも自らの無知蒙昧の臭糞の迷妄ぶりを「気がつかぬは本人馬鹿りなり」で、真正の三大秘法の法体の流布も出来ないくせに、壊れたテープレコーダーの如く、馬鹿の一つ覚えで「折伏・折伏」を連呼する貴殿が、当方を「壊れたラジオ君」とは、これは少し分に過ぎて礼を失してはいないかね?貴殿の御両親に一度ゆっくりおいきあいして、貴殿の養育過程をじっくりお伺いしたような文言ですね。
反証の根拠を明示できずにただの鸚鵡返しですか?浅はかですね。幼稚ですね。
では、貴殿がこの御文を「折伏できない「生身の釈迦日蓮」の日顕でしょ?」と断定できる、明確な論拠を示し給え。
それが出来なければ、貴殿の「心」が勝手にそう思い込んでいるだけであり、この御文の直前にある、
■「涅槃経に云はく「願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」の誡文に背き、
■「心は是第一の怨なり。此の怨最も悪と為す。此の怨能く人を縛り、送って閻羅の処に到る。汝独り地獄に焼かれて、悪業の為に養ふ所の妻子兄弟等親属も救ふこと能はじ」
との如く、貴殿が地獄の業火に焼かれること必定。それを恐れるならば、明晰な反論を企てよ。
池田が本仏気取りの件は、貴殿がこの段で愚昧な返答をしてくれたお陰で、いい機会だから、更に掘り下げて論証する。
明日に続く。
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2005年2月23日 22:04
●貴殿のような”入会”の日が浅い学会活動が未熟な方には知らされてないが、かつて学会内では以下の邪説・謗法論が日常的に横行していた。その延長線上に平成2年の問題が噴出する。
貴殿のように破門されたからの学会の表層しか知らない御仁は、学会の裏の歴史をとくと学ぶべきでしょう。
以下、参考文献ではあるが、要を得ていると思われるので掲載する。
池田大作にとって、最も邪魔な存在は誰なのでしょうか。
御法主日顕上人猊下に対しては、憎くてたまらないでしょう。御先師日達上人猊下に対しても「邪魔だ」と思っていたでしょう。しかし池田にとって最も邪魔な存在とは、御法主上人猊下ではありません。では、いったい誰なのか。
そう、池田にとって最も邪魔な存在とは、「御本仏・日蓮大聖人様」に他なりません。日蓮大聖人様が末法の御本仏としておわします限り、池田大作が「すべての頂点に立つ」という野望を実現させることはできないからです。
それに、日蓮大聖人を御本仏と仰(あお)ぎ奉る以上、結局は日蓮正宗の教義に従い、御法主上人猊下に教えを乞(こ)わなければ成り立たなくなってしまいます。
現在ですら、教義面では日蓮正宗の御歴代上人様の御指南を引用し、さらには総本山第26世日寛上人様の御本尊を変造してニセ本尊を製造・販売したり、教義と本尊を盗まなければ信仰が成り立たない有り様です。
日蓮正宗から、教義も本尊も完全に独立するためには、何としても池田大作が日蓮大聖人を凌(しの)ぐ存在になり、池田が「日蓮大聖人に替わる新しい末法の御本仏」になることが必要なのです。
池田は長い年月をかけて、じっくりと周到(しゅうとう)に、そして学会員たちが気がつかないように、意識の底に「池田大作本仏論」を植え付けていきました。
そして学会員たちは知らぬ間に、根本の御本仏である日蓮大聖人様と、たかだか信徒団体の代表でしかなかった池田を同列に扱うようになり、さらには「池田先生は大聖人の再誕」となり、ついには「池田先生は大聖人様を超える存在」になってしまっているのです。
もはや、日蓮大聖人を「信じているフリ」をしながら、実は「池田に信伏随従(しんぷくずいじゅう)する」という、実に奇怪な信心です。これはあからさまな大謗法であり、もはや日蓮大聖人の仏法などと呼ぶことはできない、完全なる邪教「池田教」を意味します。
この「池田大作本仏論」は、どのようにして形成されてきたのか......それについて、『慧妙』紙に、3回にわたって特集連載された、「池田大作本仏論」を体系立てて検証した記事がありました。
この項では、この時の記事をまとめて転載させていただき、資料として残したいと思います。池田大作本仏論は、創価学会が日蓮大聖人の仏法から離れ、大謗法と化した根本的問題であるからです。
どうか心ある学会員各位におかれましては、池田大作を師と仰ぎ信伏随従することがいかに間違ったことであるのか、よくよくお考えいただきたいと願うものです。
今日の創価学会が引き起こしている、仏法上・世間法上の様々な問題(ことに、仏法上においては三宝破壊の大謗法、世間法上においては日本の国家機構の乗っ取り)は、すべて池田大作の「慢心」から生じたものである。では、池田大作の慢心とは、どのようなものなのか。ここに、その正体を究明してみよう。
池田大作の人並み外れた「慢心」......。それを物語る資料は数えきれない程ある。
たとえば、自らを「日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」などと誇称した妄言や、あろうことか、池田大作を本仏に匹敵させる発言・著述・指導、あるいは、正本堂を大聖人御遺命の本門事の戒壇であると強弁して、池田がそれを建立した大功労者たらんとする発言、あるいは、「戒壇は豆腐のカスのようなもの、オカラにすぎない」という不遜(ふそん)な発言......等々。
これらを一つずつ列挙したら、とうてい枚挙に暇(いとま)がないので、それは別の機会に譲るが、こうした池田大作の慢心は、どのようなところから起きていたのだろうか。
ここで池田大作の慢心の中味を整理・検討し、その正体を明確にしておこう。
●会長を「仏」と僭称した池田大作
会長本仏論とはまさに「池田本仏論」
第66世日達上人は、
「最近わかったのですけれども、すでに昭和38、9年ごろから『会長が仏だ』という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった」(昭和54年3月31日)
と仰せられ、池田大作(当時・会長)を仏と仰ぐ、いわゆる「会長本仏論」が、そうとう以前から学会内に蔓延(まんえん)していたことを指摘されている。
この会長本仏論を言い始めたのは誰であったかというと、それは他ならぬ池田大作自身であり、その時期は正確には昭和33年からであった。
「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(昭和33年9月14日)
「戸田先生は仏さまであられます」(昭和35年4月1日)
すなわち、戸田城聖2代会長の没後、創価学会は会長空席の期間が2年間にわたって続いたが、その間に、総務であった池田大作が、組織的にも完全に学会内の全権を掌握し、3代会長への道を確実なものにしていった。
そして、まさにその時期、池田は、「会長先生は仏さま」という宣伝を繰り返して会長本仏論を学会内に浸透(しんとう)させ、その上で、昭和35年5月、自らがデッチ上げた「仏の座」である会長職に就任したのである。
かくいうと学会員たちは、組織で教えられているとおりに、
「池田センセーが仏で何が悪い!? 大聖人は『法華経を持つ者は必ず皆仏なり』(御書1047頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!」
などという、習い損(そこ)ないの反論をする。
だが、池田大作の言う「仏さまはウソをつかない」「会長先生は仏さま」という意味は、「会長も一切衆生の一人として仏」などというものではなく、「一切衆生の中でも会長こそ、他から尊崇(そんすう)されるべき仏」というものであって、ここでいう「仏さま」とは、まさに信仰の対象たる「御本仏を意味する仏さま」なのである。
その証拠を挙(あ)げる。
「『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ。」(『人間革命』第3巻)
ここで池田は、創価学会会長への「帰命」を説いているが、いうまでもなく「帰命」とは
「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏(がっし)の語、此の土にては帰命と申すなり」(御書1672頁)
「一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺(てんじく)のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(御書1544頁)
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人(にん)とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(御書1719頁)
等と仰せのごとく「南無」のことであり、本来我々が南無(帰命)すべき信仰の対象とは、御本仏・日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)と、南無妙法蓮華経の御本尊(文底下種の法華経)のみである。
しかるを、「妙法への帰命すなわち戸田城聖への帰命」などといったら、それは、御本尊への帰命イコール創価学会会長への帰命、という意味になり、まごうことなき会長本仏論となる。
さらに池田は、最高幹部達に
「まさしく、現代における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」(『ひのくに』昭和50年第10号)
等と指導させ、ここに、池田の企図する会長本仏論、すなわち「池田大作本仏論」が成立する。
●「池田本仏論」が学会内に蔓延
御先師日達上人「宗旨に背く」と明快に破折
ゆえに、学会出版物の中には、以下のごとく、池田本仏論を述べた記述や指導が随所(ずいしょ)に散見されるのである。
「世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。(中略)私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。(中略)身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)
「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)
「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。......私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(『前進』昭和41年1月号)
「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)
「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ」(第15回社長会・昭和43年8月3日)
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)
「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)
「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)
学会員のために念のため説明しておくが、末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである。
されば、これらの記述は、いずれも「学会員の信仰の対象を池田大作に定める」という、池田本仏論に他ならない。この池田本仏論に対し、御先師日達上人は、次のように破折(はしゃく)を加えられた。
「御書に『天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々』ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ一人の仏である。というお言葉でございます。
だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂(た)れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。
最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということをうすうす聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。
(中略)大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」(昭和49年4月25日)
要するに、御本仏は日蓮大聖人ただ御一人であり、その外(ほか)に、もう一人の本仏を立てるなどということは、宗旨(しゅうし)の根本に背く大謗法だと示されたのである。
普通、ここまでの道理と御金言を示され、また時の御法主より破折されれば、肝(きも)を潰(つぶ)し、まさに息絶(た)えるの想いをなして、ただちに反省懺悔(さんげ)しそうなものだが、しかし池田大作らは、さほどの痛痒(つうよう)を感じた様子もなく、独自の謗法路線を走り続けた。
それはなぜか。なぜ池田らは、「御本仏は大聖人御一人であり、もう一人の本仏を立てることは大謗法」という道理を示されても、屈伏(くっぶく)しなかったのか。
●"池田大作本仏論"は大聖人再誕論だ
自ら大聖人になりすまそうと......
それは、池田大作が、自らを「御本仏・日蓮大聖人の再誕(さいたん)」と思っており、したがって(池田が大聖人であれば)、池田本仏論は大聖人以外にもう一人の本仏を立てることには当たらない、と思っていたからである。
その証拠に、昭和52年に起きた有名な話だが、池田大作が千葉の清澄寺(大聖人が幼少の頃に修学された寺)を訪れた際、そこに生える千年杉に向かい、木肌を撫(な)でながら、
「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」
と呟(つぶや)いてみせた件(※実は、この千年杉の樹齢はまだ約250年だった)や、あるいは、小松原法難に縁の深い華房の地へ行った際には、傷洗いの井戸を見ながら、
「あの時(小松原法難の時)は、たしか14人だったかな」
と発言した件など、ともかく池田が自分を日蓮大聖人の再誕に見せようとした言動は、数多く目撃されていて枚挙に暇(いとま)がない。
当然のことながら、学会組織内にも、口コミを使って「池田センセーは大聖人の生まれ変わり」という指導が広く流され、これを真(ま)に受けてしまった某会員などは、『週刊サンケイ』(昭和55年11月13日号)に
「池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再認である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る」(要旨)
等という投稿をしたほどである。
要するに池田本仏論とは、単に、創価学会会長を仏と比肩(ひけん)するほど崇(あが)め過ぎてしまった......というものではなく、まさしく、池田大作を「御本仏・日蓮大聖人の再誕と仰ぐ」というものだったのである。
しかも、これだけで完結しているわけではなく、池田本仏論には、もう一重の恐るべき慢心が秘められていた。そして、これは正本堂の問題とも、深く関係していた。
昭和42年10月12日、池田大作は正本堂の発誓願文において、
「詮する所、正本堂の完成を以(もっ)て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現(けんげん)・せんとす」
と述べ、ナンバー2の北条浩(当時・理事長)は、『大白蓮華』(昭和45年5月号)に、「三大秘法完結の時代を迎えて」と題し、
「すでに大聖入御在世中に、<慧(え)>たる本門の題目、<定(じょう)>たる本門の本尊は建立された。そして、ただ<戒(かい)>たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義」
云々と述べた。
すなわち、「正本堂は広宣流布の暁に建立される本門の戒壇であり、大聖人の顕わされなかった本門戒壇を池田大作が願主となって建立し、ここに三大秘法が完結する」というのである。
ここで、正本堂建立の意義を巡(めぐ)っての議論は、本稿の論旨ではないので別な機会に譲るが、問題は、この正本堂建立を利用した池田大作の大慢心である。
●天台・伝教の先例を利用した池田指導
婉曲な表現ながら池田のホンネは露わ!!
すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に
「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(御書842頁)
「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」(御書1036頁)
「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、時のしからしむるのみ」(同頁)
等とある御文を示した上で、さらに
「インド、中国、日本の三国にわたり、二千余年の仏教の歴史において、時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと百千万億倍である。しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、三千年の仏教史の最も重大な時である。日蓮大聖人の御入滅後七百年、国家権力の迫害を受けて、拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに勝れている。あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、多くの師弟の養成をなした人々よりも、われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。これすなわち時のしからしむるのみ」(昭和39年11月『撰時抄講義』の序)
などと放言し、当時の理事長だった原島宏治氏も、
「日蓮大聖人御入滅後七百年、創価学会は、その御予言を実現する時を迎えたのである。釈迦一代の説法も、日蓮大聖人の御出現なくんば、だれびとか、これを証明する者があろうか。竜樹、天親(てんじん)は申すにおよばす、天台、伝教といえども、末法適時(ちゃくじ)の大法を知りつつ、これを顕現すべき時を得なかったのである。
いまや、末法出現の御本仏、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる本門戒壇の建立、すなわち王仏冥合の達成は、だれびとの手によって成就さるべきか。過去において、幾多の強信者、先覚者は現われたであろう。しかし、時いたらず、ついに大衆的、組織的活動に発展せずに終わった。
今正(まさ)しく化儀(けぎ)の広宣流布達成の時である。この時をわきまえずして、いかに天下国家を論じようとも、所詮は戯(け)論にすぎない」(昭和39年11月『撰時抄講義』発刊の辞)
等と述べている。さすがに婉曲(えんきょく=回りくどく)に表現してはいるが、詰まるところ、大聖人の仰せられている
「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内包は等しいけれども、迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との御金言を前提として、
「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、七百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる(いわんや、七百年間に出現した先師方や、法難によって斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」
「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる」
と言いたいのである。
こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。
「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである。しかし一代で終らない。大聖人の場合には一代で一応終えられた」(昭和52年1月16日・第4回伸一会総会)
「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(同年1月26日・第2回「インタナショナルの日」)
等々。これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、誰れの目にも明らかである。
●池田は自ら「大聖人より勝れる」と公言
正本堂建立に向け徹底された口コミ指導
以上のことから、池田本仏論の全貌は......。
「池田大作は御本仏日蓮大聖人の再誕(さいたん)である、よって大聖人と池田は内証において等しいが、広宣流布を達成し本門戒壇たる正本堂を建立するという弘通において、池田の方が大聖人よりはるかに勝れる」
というものであったことがわかる。
何とも呆(あき)れ果てた大慢心、恐るべき大謗法ではないか。そして事実、正本堂建立に向かっていた当時の学会では、
「大聖人ですら本門戒壇を建立することはできなかった。それを今、池田センセーが建立されるのだ」
「大聖人が出現しなければ、釈迦の予言は嘘(うそ)となり、釈迦は虚妄(こもう)の仏となるところだった。だから、大聖人は釈迦を守ったといえるのであり、大聖人の方が釈迦より勝れるのだ。そして、大聖人の<広宣流布><本門戒壇建立>の予言は、池田センセーが出現して正本堂を建てられなければ、虚妄となるところだった。だから、あまり大っぴらに言ってはいけないが、池田センセーは大聖人より上なのだ」
等々の指導が、再三にわたって口コミで流されていた
こうした指導は、当時、じつに数多(あまた)の会員が耳にしており、これを真(ま)に受けた愚直な会員が、座談会の席上、手を挙げて
「日蓮大聖人のことは<大聖人>と呼ぶのに、どうして池田センセーのことは<大聖人>と呼ばないんでしょうか」
と真顔で質問し、担当幹部が返答に窮(きゅう)した、などという笑えない話もあったとか。
また、こうした「池田/勝(しょう)・大聖人/劣(れつ)」という池田本仏論の上から御書を読むから、『観心本尊抄』の
「当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(御書661頁)
との御文や、第26世日寛上人がこれを釈した『観心本尊抄文段(もんだん)』の、
「折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく『法華折伏、破権門理』の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とうけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし』等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
との仰せも、
[地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行する時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行する時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう、というのだから、池田センセーは大聖人より勝(まさ)る]
などという、とんでもない解釈になる。
●正本堂=本門戒壇で完成する池田本仏論
この恐るべき邪義を根絶された日顕上人
いずれにせよ、こうした池田本仏論を完成させるための、欠くことのできない要素は「池田センセーが広宣流布を達成し、それを象徴(しょうちょう)する御遺命の本門戒壇を建立した」という事実である。これなくしては、池田本仏論は、実証が伴わない、単なる虚仮(こけ)の言葉となってしまう。
それ故、池田は何としても、正本堂を御遺命の本門戒壇であることにしようとして、正本堂が直(ただ)ちに御遺命の戒壇でないことが明確に決定された(昭和47年4月28日の日達上人訓諭)後も、どこまでも固執(こしゅう)し、
「本日、700年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」(昭和47年10月12日のメッセージ)
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」(昭和48年12月29日・第2回御義口伝受講者大会での発言)
等々と述べ続けたのであった。
こうした、正本堂に対する池田の強烈な思い入れが、当時、宗門との間で様々な軋轢(あつれき)を生じ、また妙信講(現・顕正会)問題を引き起こした元凶であった。
しかし池田は、いかなる問題が起きようと、あくまでも自らの大慢を捨て去ることなく、昭和65年(平成2年)を「広宣流布の大総仕上げの年」と見立てて、この時に正本堂を御遺命の本門戒壇とすべく、最後の執念を燃やしたのである。
この池田の大慢心による野望は、現御法主・日顕上人猊下によって粉砕(ふんさい)された。池田の大慢心を看(み)て取られた日顕上人は、池田を宗外へ永久追放すると共に、池田創価学会がどこまでも(破門後までも)「本門事の戒壇なり」と固執する正本堂を、跡形(あとかた)もなく地上から撤去(てっきょ)なさったのである。
これによって、池田大作が長年抱き続けてきた大慢心......池田が本門戒壇を建立して、大聖人より勝れる仏の座に着く、という「池田/勝・大聖人/劣」の池田本仏論は、依るべき根拠を失い(むろん教義的にはもとより成立しえない邪義・迷妄なのだが)、千万に一つも実現する可能性はなくなってしまった。
だからこそ、正本堂解体の際には、何としても解体を阻止(そし)しようとする学会・公明党の妨害が凄(すさ)まじかったし、これを斥(しりぞ)け正本堂を解体したことで、日顕上人に対する憎悪・怨嫉(おんしつ)は極(きょく)に達した感がある。
だが、前述のような、正本堂に絡(から)んだ池田大作の恐るべき大慢心の正体を突き止め、究明するとき、正本堂を大石寺境内地から撒去しなくてはならないことは、日蓮大聖人の正系門流としての信心に照らして是非(ぜひ)もなかろう。
われわれ日蓮正宗僧俗は、奉安堂建立の時にあたって、このことをしっかりと肝に銘じ、日顕上人の御英断に感謝申し上げるべきであろう。
これまで、池田大作の抱いてきた慢心の正体――「池田本仏論」の中味を検証し、それが、正本堂解体によって完全に崩壊したことを述べてきた。だが、本来、池田本仏論なとどいう邪義は、本宗の教義に照らして存在しうる余地すらなかったのである。
ここに、池田本仏論の誤りを、教義上から破折しておくことにしよう。
●大聖人出世の本懐は大御本尊建立
三大秘法は全て大御本尊に具わる
そもそも、仏が世に出現せられるのは、まったく偶発(ぐうはつ)的なものではなくて、一大事の因縁(いんねん)によるのである。「一大事の因縁」とは、『法華経方便品』に
「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得(え)せしめんと欲(ほっ)するが故に、世に出現したもう。(中略)舎利弗、是(こ)れを諸仏は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故に、世に出現したもうと為(な)づく。」(法華経102頁)と説かれるように、一切衆生を成仏せしめよう、との大目的である。
これを、インド応誕(おうたん)の釈尊についていえば、釈尊出世(しゅっせ)の一大事因縁は、法華経を説いて在世の衆生を成仏へと導くことであった(これを出世の本懐ともいう)。
日蓮大聖人におかれては、『御義口伝』等に、一大事因縁とは事の一念三千・南無妙法蓮華経なり、と示され、さらに
「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」(御書1396頁)
と仰せられて、弘安2年10月12日、事の一念三千の当体たる本門戒壇の大御本尊を建立せられた。この大御本尊の建立こそ、大聖人出世の一大事因縁であり、出世の御本懐に他ならぬのである。
この本門戒壇の大御本尊は、末法万年にわたって一切衆生を成仏せしめる根源の法体(仏法の本体そのもの)であり、第26世日寛上人が
「三大秘法を合する則(とき)んば但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(聖典863頁)
と仰せのごとく、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊である。
●大聖人は末法に再び出世されない
「大聖人再誕」論は最大の冒涜(ぼうとく)だ
さて、こうした筋道の上から拝(はい)すれば、御本仏日蓮大聖人は、末法の世に出世あそばされた大目的(一大事因縁・出世の御本懐)を三大秘法総在の大御本尊として、余すところなく成就(じょうじゅ)され、御入滅(ごにゅうめつ)なさったのであるから、この地球上の末法時代には、二度と再び出世あそぱされないのである。
ゆえに、『法華経方便品』には
「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐ)すること難(かた)し」(法華経125頁)
と説かれ、御法主日顕上人猊下は、
「末法万年の間に、御本仏日蓮大聖人様が再び人間の形をとられてお生まれになるということは、二度と再びないのであります。そのかわりに大聖人様は、本門戒壇の大御本尊様として末法万年の闇を照らされるわけでございます。そこのところは、はっきりしなくてはいけません」
と仰せられている。
したがって、他の人師・論師や大衆であればいざしらす、御本仏に限っては、いったん出世の本懐を遂げられれば同じ時代に再び出世されることはありえない......この道理に違背(いはい)して、もし、大聖人が再び末法に出世あそばされるというならぱ、大聖人は700年前、出世の本懐を遂げられずに、説き残しをされたまま御入滅された仏、ということになってしまう。御本仏に対する冒涜(ぼうとく)、これに過ぐるものはない。
●池田大作は提婆達多と同類の魔仏
三秘総在(さんぴそうざい)を解せぬ浅識と増上慢
以上のことから、像法時代の論師である天台が伝教として再誕(さいたん)することはあっても、御本仏・日蓮大聖人が地球上の末法時代に再誕することはありえない。しかるに池田大作は、あろうことか、自らを大聖人の再誕と思いこみ、また、周囲にもそう見せようと振る舞ったのである。
これは、まさに、自ら釈尊より勝(すぐ)れるとの慢心を起こし、眉間(みけん)に偽の白毫相(ひゃくごうそう)を張り付けて仏になりすまそうとした、かの提婆達多(だいばだった)と同類の魔仏(魔が仏のふりをしていること)というべきであろう。
また、「大聖人が顕わされたのは本門の本尊と題目のみで、残された本門の戒壇を後世の池田が建立することによって、はじめて三大秘法が完結する」との池田の考えも、本門戒壇の大御本尊の当体にすでに三大秘法の全てが具わっている、との「三大秘法総在」の深義(じんぎ)が理解できていないための浅識(せんしき)である。
なるほど、大聖人は『三大秘法抄』及び『一期弘法抄』に、将来、広宣流布を果たすべきことと、その広布達成を象徴する、全世界の信仰の中心道場としての本門寺戒壇を建立すべきことを、門下一同に御遺命せられている。
しかし、それは、あくまでも大聖人が建立せられた根源の法体(三大秘法総在の大御本尊。そこには、もとより本門の戒壇も具わっている)を弘め、敷衍(ふえん)していく目標であって、それによって三大秘法が完結する、などというわけではない。三大秘法は、大聖人が大御本尊を建立せられた時点で、すでに成就しているのである。
したがって、また、未来の弟子檀那(だんな)が、広宣流布を達成し本門寺戒壇を建立したとしても、それは本師が成就し確立された法を、弟子の立場で弘めたにすぎないのだから、『報恩抄』等に挙(あ)げられた天台・伝教の例とは異なり、弟子分にある者が大聖人と肩を並べたり、大聖人を超越することなど、まったくできえない。
それを、「我は大聖人より勝れたり」と傲(おご)り昂(たかぶ)った池田大作は、まさに劣れる凡夫が自ら聖人より勝れると思いこんだ、堕地獄必定(ひつじょう)の大増上慢である。
●「折伏を現ずる賢王」の文意を拝す
池田が賢王でない、これだけの理由
最後に、『御心本尊抄』の
「此(こ)の四菩薩、折伏を現する時は賢王となって...」(御書661頁)
の御文であるが、これとて、総体の地涌(地涌の四菩薩の総ての徳性を御一身に具える上行菩薩)たる御本仏日蓮大聖人が、再び在家の賢王として出現する、などという意味ではない。
すでに、御本仏日蓮大聖人が再び末法地球上に出世されることはありえない、との道理は示したとおりである。では、この御文の意は、といえば、大聖人が諸御抄に
「日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺(※四条金吾)の御身に入りかはらせ給へるか」(御書1161頁)
「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶらひ給ふか。不思議なり不思議なり」(御書793頁)
「日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。(中略)上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か」(御書1393頁)
等と仰せのように、地涌の四菩薩の用(はたら)きを分々になす人々が現われ、大聖人の仏法を護り弘めていく......すなわち別体の地涌の一つの姿として、『本尊抄』では、在家賢王の折伏を示されたものと拝するのである。
また、この御文について、第26世日寛上人は
「或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
と釈せられ、この賢王出現の時を「順縁広布の時」......すなわち、時いたって三大秘法が国中に広宣流布する、その時のこととせられている。
それは、おそらくは『三大秘法抄』に、広宣流布の暁(あかつき)の相として、
「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくぴく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1559頁)
との御金言があることから、広布の暁には、命がけで覚徳比丘を護った有徳王のごとき強信の賢王が出現される、との意によって述べられたものであろう。されば、この在家の賢王は、正法護持(ごじ)の僧を護って、命がけで謗法者と闘う、護法の士であらねばならない。
間違っても、「創価学会こそが現代における僧宝」などと言って、自らが僧に成り替わろうとしたり、護るべき僧を攻撃・弾圧したりするような者が、賢王であろうはずがないのである。
また、順縁広布の時の賢王は、仏法上からは転輪聖王(てんりんじょうおう)の出現といわれるが、公(おおやけ)のスピーチの席で、
「お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れる」(平成5年1月27日)
「ハワイ!(中略)マハロー! バカヤロー! バッハロー!」(平成5年1月27日)
「もっといいのは、キンマン、いやキン○○コだよ!」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
等々の言葉を垂(た)れ流す、池田大作のような愚劣で下卑(げび)た男が、転輪聖王などである訳がない。
こうした池田の実態を、我が目と耳で見聞きしていながら、まだ、池田を大聖人の再誕と崇(あが)め、池田が転輪聖王であることを証明しようとしているような創価学会員は、すでに魔に魅(み)人られて一闡提(いっせんだい)人と成り果てた、というべきであろう。
<『慧妙』平成13年11月1、16日付、12月1日付より転載>
以上、検証のとおり、創価学会は「池田大作本仏論」なる大謗法にまみれ、日蓮大聖人の仏法とはかけ離れた、完全なる邪教と化しています。
その創価学会が、日蓮正宗に対してしつこく繰り返している難癖(なんくせ)に、
「宗門は<法主本仏論><法主絶対論>である」
という、ワケの分からないものがあります。そして御宗門は宗教的権威を振りかざし、横暴の限りをつくす悪の権化(ごんげ)......なのだそうです。
いったいそれは、どこの世界の、何という組織の話なのか、教えてほしいのです。少なくとも日蓮正宗には、そんなものは微塵(みじん)もありません。
学会の言う「法主本仏論」「法主絶対論」などというようなものも、日蓮正宗には存在しません。学会が勝手に「あるある」と言ってるだけのことで、こちらからすると何の話やらさっぱり、なのです。いったい、誰がこんなことを言い始めたのでしょうか。
ちなみに、戸田城聖氏と池田大作が過去にこのような指導をしています。
「新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ云々」(『聖教新聞』昭和31年1月29日付 戸田城聖氏・信者の大精神に立て)
「遣使還告(けんしげんごう)であられる御法主(ごほっす)上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(会長講演集10-43頁)
我が日蓮正宗においては、宗祖以来の唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承を受けられた御法主上人猊下に対して、その御内証(ごないしょう)を大聖人様と拝して尊崇申し上げます。これは信仰上、当たり前のことです。
しかしそれは、御内証の辺においてであり、外用(げゆう)において大聖人様と御法主上人猊下を同一視するものではありません。
学会が難癖を付ける「法主本仏論」というのは、この内証と外用の立て分けを混乱させたものであり、日蓮正宗僧俗が御法主上人猊下の御内証を大聖人様と拝して尊崇申し上げるのとは、まったく別のものです。
私たちは、御法主上人猊下の尊い御内証に信伏随従(しんぷくずいじゅう)するのであります。これは第二祖日興上人以来、御先師日達上人までのすべての御歴代上人にあっても、御当代日顕上人にあっても、そしてまた、いずれ御登座されるであろう第68世御法主上人とそれ以降の猊下にあっても、我々の尊崇は変わることなく続いていきます。
学会ごときがどんなに騒ごうが、日蓮正宗の令法久住(りょうぼうくじゅう)は、いかなることがあろうと揺らぎません。
それに対して、創価学会はどうなのでしょうか。
池田大作も、あと何十年も生きられるわけではありません。生身の人間ですから、近いうちにこの世を去ることでしょう。そうなったとき、創価学会と学会員は、何を頼りに信仰を続けるのでしょうか。
跡継ぎの池田の息子でしょうか?
学会員は、北朝鮮よろしく世襲を認めるのですか?
池田がいずれ造るつもりであろう、ニセ大御本尊さえあればOKですか?
創価学会は、日蓮正宗から派生した、根無し草の異流儀団体・新興宗教団体でしかありません。異流儀は、しょせんは消えてなくなるか分裂して霧散するか、どちらにしても永く続くことはありません。
一日も早く信仰の寸心を改め、正しい日蓮大聖人の仏法に帰りましょう。学会の悪宣伝に惑わされてはいけません。
創価学会破折
「広布の団体」破折
・『立正安国論』と政治文化活動
・布教の拡大と正統性/『慧妙』040116ほか
・学会の「会友」作りは折伏に非ず
・神力品の付嘱と四菩薩・賢王
・SGI発足の世界会議
■『立正安国論』と政治文化活動
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くだらない「政教一致」の妄説などは吹き飛ばして、仏法の「人間主義の視点」から社会改革を目指す『立正安国』の使命を、ともどもに果たしていこうではありませんか(秋谷栄之助『聖教新聞』031116/『フォーラム21』031201)
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【『立正安国論』の実践とは】
『立正安国論』の主旨は、その名の示す通り、「立正」すなわち正法を打ち立てることによって「安国」すなわち安寧な国家を実現できるというものである。
たしかに仏法では国家社会の不幸な状態として三災七難を挙げている。しかし、そのような不幸の原因は、主権者や国民が正しい仏法を信じないところにある。
●世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。(『立正安国論』全集19頁)
●人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには(『立正安国論』全集24頁)
●国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回(めぐ)らし?(いそい)で対治を加えよ、所以は何ん、薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり(『立正安国論』全集31頁)
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要するに、『立正安国論』が我々に求める実践内容は、正法の弘通にある。正法が弘通すれば、国民個々の一生成仏も実現し、自ずから国家社会も種々の災難から免れるということである。広布途上の「社会改革」など、一時的には功を奏するようなことがあったとしても、謗法充満の社会においては諸天善神の加護がなく、結局は不幸な結果となるのである。
その良い例がアメリカによるイラク攻撃ではないか。当初ブッシュ大統領はイラクが大量破壊兵器を保持しているとして、"先制攻撃"を仕掛けたのである。"平和"の党であるはずの公明党はこれを支持し、創価学会も公明党の行動を容認した(事実上は、先に学会首脳の容認があって公明党がイラク攻撃を支持したのであろう)。確かに、フセイン独裁政権が、本当に大量破壊兵器を保持していたとすれば、国際ルールを無視して他国をイラクが攻撃していたかも知れない。しかし、実際にはイラクは、その主張どおり大量破壊兵器は保持していなかった。イラク攻撃によって独裁政権は倒れたが、未だに戦闘状態は続き、何時収束するかも分らない泥沼の状態である。
このことが我々に教訓していることの1つは、"平和と人権を回復するために"戦争をするにしても、あるいは戦争をしないにしても、紛争は解決できないということではないか(フセイン政権が続いておれば、将来、大量破壊兵器が作られていたかも分らないし、そうでなくても今までどおり様々な人権侵害や少数派に対する殺戮が繰り返されていたことだろう)。
<政治的文化的手段による社会改革と「立正安国」は次元が違う>
政治的文化的言論や行動は世法の問題であり、仏国土建設のための正当な手段ではなく、『立正安国論』で示された「安国」実現のための具体的手段ではない。もし、創価学会・公明党が、政治的文化的な言論および行動によって「平和」「清潔」「福祉」などを実現できると考えているとすれば、手段を誤った活動であるというしかない。
例えば「平和」について言えば、日蓮大聖人の御書には、戦争が仏法上の災難(三災七難)であるという主張はあっても、個々具体的な戦争反対の主張をされたことはない。かの蒙古が襲来したときにさえ、戦争回避の世法的具体策は一切提示されてはいない。むしろ、真言による蒙古調伏の祈祷を制止され、正法によるべきことを主張されている。
●皆人立ち帰る程に六郎左衛門尉も立ち帰る一家の者も返る、日蓮不思議一云はんと思いて六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云くいつか鎌倉へのぼり給うべき、かれ答えて云く下人共に農せさせて七月の比と云云、日蓮云く弓箭とる者は・ををやけの御大事にあひて所領をも給わり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさ(戦)のあらんずるに急ぎうちのぼり高名して所知を給らぬか、さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし、田舎にて田つくり・いくさに・はづれたらんは恥なるべしと申せしかば・いかにや思いけめあはててものもいはず、念仏者・持斎・在家の者どもも・なにと云う事ぞやと恠しむ。(『種々御振舞御書』全集918頁)
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これは自界叛逆難(二月騒動)を予知された大聖人が、六郎左衛門尉に対して、"戦(いくさ)が起こるのだから急いで鎌倉へ上り、名をあげなさい"と助言されているところである。当時の武士にとっては、戦において力を発揮することが名誉である。"戦争で活躍しなさい"などと言うことは、決して反戦論者の言とはいえない。また、仏法は戦争を三災七難の1つに挙げている。つまり、戦争のない国土をつくることと戦争に反対することとは、全く次元が異なるのである。言い換えれば、いくら戦争反対と叫び行動したとしても、真の平和は実現しないというのが仏法の見解である。だからこそ大聖人は、その時代の社会的価値観を尊重されながら仏法を弘通されているのである。「清潔」「福祉」についても同様である。
●今日蓮は去ぬる建長五年〔癸丑〕四月二十八日より今年弘安三年〔太歳庚辰〕十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり(『諌暁八幡抄』全集585頁)
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『立正安国論』の精神とは「妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ」ことであり、「平和」「清潔」「福祉」実現に向けての世法的活動ではない。
<慈善事業で名をあげた空海、良観、創価学会>
●821年5月、故郷四国讃岐の満濃池の修築に当たる。(中略)池に壇を築き、空海を慕う民が集まり、当時最新の建築技術を用いて9月には修築が完了している。誰もがなし得なかった快挙である。水よけと呼ばれる現在のダム建築にも使われている技術をも用いていたと言われている。このことが、全国各地に伝わる弘法大師の「水伝説」も源のように思える。(<空海を研究する会>WS)
●極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで生身の如来と是を仰ぎ奉る彼の行儀を見るに実に以て爾なり、飯嶋の津にて六浦の関米を取つては諸国の道を作り七道に木戸をかまへて人別の銭を取つては諸河に橋を渡す慈悲は如来に斉しく徳行は先達に越えたり(『聖愚問答抄』全集475頁)
◆具体的には、(1)平和や人権意識の啓蒙運動、(2)芸術・文化で人々の心を結ぶ文化運動、そして、(3)他者への思いやりあふれる人間を育成する教育運動です。この3つの運動を展開しながら、庶民の生活を第一に、そして、庶民を幸福にしていくことが創価学会の理想なのです(<SOKAnet>WS)。
◆世界の熱帯雨林の3分の1を占め、地球上の生物種の3分の1が生息するといわれる"生命の宝庫"アマゾン。この生態系保護を目的に、1992年、ブラジルSGIの「アマゾン自然環境研究センター」が開設されました。以来、「熱帯雨林再生プロジェクト」を展開し、2万本の植林や種子の採取・保存などを推進しています(<SOKAnet>WS)。
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慈善事業を否定するつもりはないが、正法弘通を使命とする団体の本分ではない。ましてや、政治的文化的活動をあたかも仏道修行のように位置付け、『立正安国論』の主旨に適った活動であると捉えるなど、論外というべきである。
【「人間主義」】
「人間主義」という語は、かの『広辞苑』にも掲載されず、なにより学会問題勃発(ぼっぱつ)以前の『仏教哲学大辞典』(昭和60年版)にすら載せられていない、邪教化した創価学会による造語である。当然『立正安国論』とも無関係である。(<「人間主義」破折>参照)
【国家権力との関係】
●釈尊は(中略)王舎城に入り頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)の帰依を受けた。(中略)また、舎衛国の須達長者が寄進した祇園精舎では波斯匿王(はしのくおう)を教化し、教団は大いに興隆した。(『中級教学試験テキスト』平成17年度版2頁)
●天台大師は陳の世に大旱魃あり法華経をよみて・須臾に雨下り王臣かうべをかたぶけ万民たなごころをあはせたり、しかも大雨にもあらず風もふかず甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして内裏へかへらんことをわすれ給いき、此の時三度の礼拝はありしなり。(『三三蔵祈雨事』全集1469頁)
●最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う(『安国論御勘由来』全集34頁)
●されば賢王の時は仏法をつよく立つれば王両方を聞あきらめて勝れ給う智者を師とせしかば国も安穏なり、所謂陳・隋の大王・桓武・嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召し合せ、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかち給いしかば寺をたてて正法を弘通しき(『妙法比丘尼御返事』全集1412頁)
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要するに、釈尊在世を初めとして、正法護持の宗団は権力者を折伏し帰依させることはあっても、自らの宗団が権力を掌握するべく画策するなどということは一切なかった。大聖人も、権力者を折伏されたけれども、政治的権力を行使するための活動など一切なされていない。権力者を折伏し、その権威権力を背景にして正法を弘通することと、自らが権力者となって教団を拡大させること。前者は大聖人をはじめとする賢聖方が採られた方法であり、後者は総体革命を目指す創価学会・公明党のやり方である。学会流は賢聖方の弘教とは似て非なるもので、正法弘通という大義の名のもとに自己の権力欲を充足させるための活動だといえよう。
●総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ(『四菩薩造立抄』全集989頁)
●国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり(『身延相承書』全集1600頁)
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自分達が国主となるのであれば、このような文言とはならないであろう。その場合はこうなる?↓
◆国が最高に繁栄した時が広宣流布の時であり、一国にためにも、国民のためにも最高の時です。そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行われるのです。それが創価学会の究極の目的の1つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意味もありますが、再往は時の権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。 私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布致しましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様に報告することが、究極の広宣流布の暁の、その意義なのであります(池田大作『聖教新聞』650726/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
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広宣流布の暁には、池田自身が「権力者」となり、不開門を開くと宣言。
◆私(※池田)は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者、最高権力者である(高瀬広居著『人間革命をめざす池田大作その思想と生き方』/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
<創価学会の弘教>
・総体革命と称して、社会の各分野に学会員を送り込む。政界も例外ではない。
・自らが国家権力を掌握し最高権力者となる。
・政治活動や文化活動を『立正安国論』の精神に基づくものとして積極的に行う。
↑
両者の相違は歴然。やっぱりおかしい"学会流広宣流布"!!
↓
<聖人・賢人の弘教>
・すべての人を折伏。君主制の時代には、とくに国主を折伏教化。
・国主は折伏の対象であって、自らがその立場に立つものではない。
・宗教活動に専念し、基本的に世俗的諸活動は行わない。
■布教の拡大と正統性(仮題)
―人数の拡大だけを追求してきた創価学会―
―日達上人は「間違った広宣流布は仏法破壊」と―
(『慧妙』040116ほか編集)
<数の拡大が広布?>
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>広布を進める学会
>広布に邁進(まいしん)する創価学会
>日顕(上人)は、広布を推進する学会を一方的に破門したから、重罪を犯した
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そもそも広宣流布とは、日蓮大聖人の仏法を、広く世の中に、未来永劫まで断絶させることなく弘通していくことをいうのである。
ここで大切なのは、弘めるべき日蓮大聖人の仏法を間違ってはならない、単に信者の数を増やせば広宣流布になるというものではない、ということである。
―日達上人―
●広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります(第66世日達上人・昭和49年4月25日)
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提(いちえんぶだい)に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。(中略)日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまった、ということになるのであります(第66世日達上人・昭和49年6月18日)
●日本国全人口の3分の1以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると思うのであります(第66世日達上人・昭和49年11月17日)
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人数ばかりは増え、形ばかりは日本乃至世界に拡がったとしても、そこに、正しい本尊と教義に対する信仰がなければ、日蓮大聖人の仏法を広宣流布していることにはならない。それどころか、大聖人の仏法を破壊していることになるのである。
もし、これに異を唱えるとしたら、創価学会のいう広宣流布と、立正佼成会や霊友会、あるいは日蓮宗身延派のいう広宣流布と、何がどう違うのか、明確に答えるべきであろう。同じ南無妙法蓮華経を唱え、形の似かよった曼茶羅(まんだら)を拝んでいれば、佼成会とも身延とも変わらない、ということになってしまうからである。
要するに、日蓮大聖人の仏法の正体である、正しい本尊と教義とは、大聖人出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊と、第2祖日興上人以来の御歴代上人によって伝えられてきた日蓮正宗の教義であり、これに対する信心を弘めていくことこそが広宣流布である。
しかるに、"広宣流布"と口先で言いながらも、この正しい本尊と教義に対する信仰を失った人々を増やしていくとすれば、それは、かえって正法を破壊し断絶させたことになってしまう。
されば、本門戒壇の大御本尊を軽賎(きょうせん)・否定して独自のニセ本尊を造り、日蓮正宗の教義に背(そむ)いた独自の狂学を打ち立てる池田創価学会は、まさに日達上人が危惧(きぐ)あそばされた"正法破壊""正法断絶"の団体と成り下がったのであり、間違っても正法広布の団体ではありえない。だから、日蓮正宗から破門されたのである。
<「広宣流布のための御本尊」>
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◆爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹(りょうじゅ)・天親(てんじん)等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼茶羅を、末法二百余年の此(ころ)、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり(『日女御前御返事』御書1387頁)
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大聖人が顕わされたのは「法華弘通のはたじるし」、すなわち"広宣流布のための御本尊"である。「広宣流布のための御本尊」は学会から全世界へ
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結局、池田創価学会は、御本尊を広宣流布の道具としか思っていない (もちろん、そんな在り方が、御本尊に対する正しい信心であるわけはない)、ということが明らかであろう。
いずれにせよ、彼らの本尊は、本門戒壇の大御本尊とは全く関係ない、大謗法のニセ本尊であるから、それが流布されればされるほど、人々は苦悩と迷いに落ち込み、ますます暗澹(あんたん)たる世の中になっていくのである。
<「大聖人の未来記を実現」>
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◆「全世界に広宣流布せよ」との仏の未来記を実現しているのが、我が創価学会である。学会がなければ、法華経も、また御書も、ことごとく虚妄(こもう)となってしまっただろう(池田大作『創価新報』040121)
◆創価学会が出現しなかったならば、日蓮大聖人の未来記は虚妄になっていた(秋谷栄之助『聖教新聞』040112)
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これらは、日蓮大聖人が
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言を助けたる人但(ただ)日蓮一人なり」(『聖人御難事』御書1379、全集1190頁)
と仰せられ、大聖人が出現して勧持品(かんじほん)二十行の偈(げ)を身読・実証されなかったら、釈尊の未来記(予言)は虚妄になった、と断ぜられたことになぞらえ、述べた指導であります。
しかし、右に挙げた御金言は、大聖人が現に釈尊を凌(しの)ぐ久遠元初の御本仏であられるからこそ、本仏・迹仏という勝劣を踏まえて仰せられたものです。この大聖人の口まねをして、あたかも創価学会(なかんずくそれを率いる池田大作)が出なければ大聖人は虚妄の仏となっていたかのような説(つまり、大聖人も池田大作によってこそ存立する、という意味)を主張することは、まさに、大聖人を迹仏(劣)と下し池田大作を本仏(勝)とする池田本仏論に他なりません。
身の程知らずも甚だしい大慢心ではありませんか。(『慧妙』040701)
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<正邪は法門によって判定>
●法門をもて邪正をただすべし(『唱法華題目抄』全集16頁)
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池田学会では会員数が多いことをもって、自らを「広布の団体」と自讃し、正義の証のごとく主張している。しかし、広宣流布の長い道程にあって、一時的に人数が増えたからといって、それが正義の証明になるはずがない。正邪の判定はあくまでも法門によって行われるべきである。
●汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ(『聖愚問答抄』全集493頁)
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「正理」とは何か。それは三大秘法総在の御本尊に帰着する。そして、御本尊即御本仏の御内証は唯授一人の血脈として歴代上人に伝持されているのである。
●堂社僧坊は仏法に非ず又智慧才覚も仏法に非ず多人数も仏法に非ず(中略)信心無二にして筋目を違えず仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふなり(第9世日有上人『有師談諸聞書』/『富士宗学要集』第2巻146頁)
<唯授一人の血脈を根本とする僧俗異体同心が広布の要諦>
1●日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし(『異体同心事』全集1463頁)
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ここでいう「異体同心」とは、『生死一大事血脈抄』に仰せのように、僧俗一体となっての異体同心である。"僧侶不要"を唱える在家団体・創価学会がいかに仲良くしても血脈は通わないのである。従って、大聖人が仰せの広布も実現できないのである。↓
●総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(『生死一大事血脈抄』全集1337頁)
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「生死一大事の血脈」は「弟子檀那」が「異体同心」であるところに成り立つ。いかに数が多くても、「檀那」である在家だけで仲良くやっても、「異体同心」とはならない。よって、「弟子」である御僧侶を蔑ろにし、"僧侶不要"を唱える池田学会に、生死一大事の血脈が通わないことは明らか。
●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」とあるように、生死一大事の血脈は、釈尊から上行菩薩への別付属に由来する。
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっている。
★広布拡大乃至達成の条件である「異体同心」(1●)とは、唯授一人の血脈を根本とした僧俗一体の異体同心である。
<数は少なくとも広布は確実>
●日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし(『諸法実相抄』全集1360頁)
●梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候(『上野殿御返事』全集1539頁)
<昔の学会指導>
◆日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(乃至)広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい(池田大作・昭和57年7月24日・第1回関東会研修『広布と人生を語る』第3巻256頁/『大白法』040201)
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ところが今はどうだ。「根本」のはずの「血脈」「総本山」は否定され、「厳護」する対象であるはずの「御法主上人」は最大の攻撃対象となっている。「広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない」というからには、歴代上人の御本尊といえども勝手にコピーすることはできない、という考えであったのだろう。
■学会の「会友」作りは折伏に非ず
―破邪顕正のない単なる「勧誘」―
(『慧妙』040216ほか編集)(<「広布第2章」と摂受謗法路線>参照)
<「法体の折伏」と「化儀の折伏」>
学会では「法体の広宣流布」「化儀の広宣流布」という語も用いるが、そのような仏法用語はない。
まず、「法体の折伏」とは、御本仏日蓮大聖人が、諸宗の教義・本尊を打ち破られ、一切衆生を救う久遠元初の根本法の法体として、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたことをいう。
そして、「化儀の折伏」とは、邪宗謗法を破折して、日蓮大聖人が顕わされた三大秘法の正法正義を広く世に流布し、一人でも多くの人々にこの正法の信仰を受持させていくことをいう。
我々が行なうのは、まさに、この化儀の折伏に他ならない。
<折伏の在り方>
●法門をもて邪正をただすべし(『唱法華題目抄』全集16頁)
●日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり(『種種御振舞御書』全集913頁)
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正法を誹謗(ひぼう)する故に重い罪障を刻み、今生においてもさまざまに悩み苦しみ、死んだ後も無間地獄へ堕ちていく一切衆生を憐(あわ)れんで、正法を説いてくださったのである。
●誰人にても坐せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ(『如説修行抄』全集504頁)
●慈無くして詐(いつわ)り親しむは是(こ)れ彼が怨なり。(中略)彼が為に悪を除くは即(すなわ)ち是れ彼が親なり(『真言諸宗違目』全集139頁)
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相手を不幸にする原因(悪)を明らかにして取り除いてあげる行為であり、邪宗の邪宗たる所以(ゆえん)や謗法の恐ろしさを教えて、それをやめさせ、正法に帰伏させることである。
●日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべ(『佐渡御書』全集961頁)
<学会の「折伏」観>
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>自他の魔性との戦い=折伏(学会機関紙)
>折伏は、自他の仏性を信ずる信念の実践、人を敬(うやま)う最高の行動(同)
>折伏とは「真実を語る」こと(同)
>(折伏は)諸宗にひそむ魔性を打ち破る(同)
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一読してわかるように、非常に曖昧(あいまい)で、抽象的な表現ばかりである。
そして、詰まるところ、"創価学会やSGIのことを語っていくことが真実を語ることであり、折伏である。それが相手を敬う実践"と言いたいようだ。
折伏とは、知らずに地獄へ堕(お)ちようとしている相手を救う行為であるから、たしかに、相手を大切に想い、相手の人生を尊重する行為である、といえよう。
しかし、それは、地獄へ堕ちる原因たる邪宗の誤りと害毒を明らかにし、謗法(=正法に違背する生き方や考え方、教え)の恐ろしさを説いて、正法を信受しないかぎりは絶対に幸福になれない、と言い切って正法に導くからである。
―学会の「折伏」は"勧誘"―
"創価学会やSGIのことを語る"というのでは、単なる"勧誘"であり、間違っても折伏にはならない。
なぜなら、創価学会やSGIのことといったら、大半は"池田センセー"のことであり、選挙のことや学会員同土の助け合いのことに終始するからである(※事実、以前テレビ番組の中で、学会婦人部が「池田センセーが空港に着いた時に虹が出たのよ。センセーはすごいわねぇ」などと瞳を潤(うるま)せていたが、このようなことを世間の人に話したとしても、相手に不幸の原因が邪宗謗法にあることをわからせるなど、土台できようはずはない)。
●仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり、今当世の道俗・貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず(『星名五郎太郎殿御返事』全集1207頁)
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学会が「皆経文をさきと」しているならば、"創価学会やSGIのことを語る"ことや選挙の戦いをもって"折伏""法戦"などととらえるはずがない。これこそ「人をあがめて法を用い」ない証拠であり、「人」とは"永遠の指導者"たる池田大作のことに他ならない。
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迫本 私たちの師匠である池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長もモンゴルとは大変縁が深いんです。バガバンディ大統領、エンフバヤル首相との親交をはじめ、モンゴル国立大学、文化芸術大学などの博士号を頂いているんです。
朝青龍 えーっ!それはスゴイですね!
迫本 子どもたちのためにモンゴルを舞台にした物語『大草原と白馬』も出版されています。モンゴル国立歌舞団を招いて公演も行いました。30年前、お隣の中国との、国交回復に最も尽力したのも、SGI会長なんです。
朝青龍 知らなかったね、勉強足りなくてすみません(苦笑い)。
迫本 SGIは全世界185カ国・地域に広がり、平和・文化・教育の交流を広げているんです。各国の青年部も先頭に立って頑張っています。
朝青龍 いいね!じゃあ、ボクもきょうからSGIの仲間になるよ。モンゴル代表として!
(『聖教新聞』030101/『フォーラム21』030115)
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迫本青年部長によって簡単に入会決意してしまった朝青竜。だが、これを「折伏」といえるのだろうか?迫本は朝青竜に池田の「平和行動」の実績を語っただけ。宗教の正邪によって幸不幸が決まることや、日蓮大聖人の仏法によってしか真の平和・幸福は得られないといった、仏法の基本については何ら言及していないのである。これでは、「勤行の実践」「謗法厳戒」など、分かっているはずもない。これでは与えて言っても摂受、奪って言えば単なる勧誘である。このような方法によって会員がいくら増えたとしても、公明党の得票拡大には貢献しても、決して広布の前進とはなりえない。このような「摂受的布教=勧誘」と「自公連立による与党効果」が、現在の学会の「上潮」と公明党の得票拡大の真相である。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』020516)
―"折伏される側"となった学会―
もちろん、日蓮大聖人の正法を厳護(げんこ)し続けてきた日蓮正宗に対して、口を極めて誹謗を続ける池田創価学会は、自らが最悪の邪宗となり大謗法を繰り返しているのだから、折伏されることはあっても、他を折伏することなど、できないのは当然である。むしろ、自分達こそが地獄へとまっしぐらに堕ちていくのみならず、世に不幸を撤(ま)き散らして周りの一切衆生をも苦しめている、悪の根源となっていることを、いい加減に自覚すべきである。
■神力品の付嘱と四菩薩・賢王
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◆当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す(『観心本尊抄』御書661頁)
◆折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とろけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし」等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか(第26世日寛上人『観心本尊抄文段』)
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地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行ずる時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行ずる時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう。
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★一仏の化導には種・熟・脱の段階がある。下種された衆生は、同じ仏によって熟脱の教化に浴することによって成仏の本懐を遂げる。そのために、下種と熟脱と2度、衆生教化のために出現される。しかしながら、1度下種のために出現された仏が、再び同じ国土に同じ時(末法今時)に出現されるなどということはない。それでは、仏が、最初に出現されたときに、下種の法体建立という本懐を遂げなかったことになってしまう。
1●日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか(『四条金吾殿御返事』全集1163頁)
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大聖人は四条金吾殿に対しても上行菩薩だと仰せになっている。
2●今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし(『法華初心成仏抄』全集550頁)
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「大白法を信じて国土に弘め」ようとする「国主」を「無辺行菩薩の化身」と仰せである。
3●阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや(『阿仏房御書』全集1304頁)
4●「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり(『御義口伝』全集751頁)
★以上のように、四菩薩とは四徳を表したものであり、大聖人の弟子旦那は皆「地涌の流類」である。その意味から、その人が地涌の菩薩の振舞いをし、その徳が現われていることを指して、弟子旦那に対しても四菩薩の化身、生まれ変わり等の指南がある。つまり、このような御指南があっても直ちに文字通りの意義がある訳ではないのである。
★池田が「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責」する四菩薩ならば、特に大聖人の再誕ならば、経文どおり三災七難が起こり、数々見擯出などの王難に遭うはずである!大聖人が「摂受」で池田=賢王が「折伏」なら、大聖人以上の命に及ぶ大難が起こるはず。
●涅槃経に云く「内には智恵の弟子有て甚深の義を解り、外には清浄の檀越有て仏法久住せん」云云。(『曽谷入道殿許御書』全集1038頁)
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僧俗には役割の違いがある。僧侶不要を主張する在家教団・池田学会は、僧俗一体の正しい広布を実践する資格がない。従って、どんなに数を増やそうとも「地涌の菩薩」「賢王」とは成り得ないのである。
●戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり(『三大秘法抄』全集1022頁)
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在家である有徳王は、命がけで覚徳比丘を守護した。化儀の折伏とは、僧俗一体で行われるものであり、この僧俗一体における弘通を指揮・統率されるのが御法主上人である。この点を無視した池田学会は、絶対に真の広布の推進者とは成り得ないのである。
【日淳上人】
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「学会の積極的な折伏行によりまして、(略)時がきたんではないかと、こういう風に私は考えます」(第65世日淳上人昭和33年6月8日の第七布教区説法『日淳上人全集』272頁)とし、観心本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」について、「大聖人が衣をつけて僧の形をとつている限りは、これは何といつたつて摂受になる(略)『この菩薩折伏を行ずる時は』とおつしやつておる。それは又菩薩が王法に出現なされるということになつておる」(同277頁)(wt:4213)
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大聖人(または御僧侶)の振る舞いと、在家の振る舞いを対比された御指南である。その意味では、学会に限らず、正法を護持し折伏をしている在家は皆「賢王」である。現に、本山(御法主)に信伏随従し、布教に励んでいたからこそ、学会に対しても、激励の意味で上記のように仰せられたのである。
5●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)
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「一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順」することによって大聖人よりの血脈・相伝を「自ら受けることができる」のである。
★いくら、布教をしていても根本である唯授一人の血脈に対する信が欠如したのでは、正法を行じているとはいえない。従って、過去において折伏をしていた学会を「賢王」「菩薩」と讃歎されたとしても、根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた現在の学会には当てはまらない。
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>「聖人の御教示と牧口先生の観ずる世界と、少しも相違していないといへませう」(第65世日淳上人・昭和22年10月19日・創価学会第2回総会講演『日淳上人全集』295頁)
「もとより、妙法の信に住せられた先生が、日蓮聖人の折伏の行軌を追はれたのはいふまでもありませんが、しかしそれは、追はれたといふより先生の生来の行き方が、妙法により開顕され点眼されたといふのが当つてをると思ひます」(同296頁)
「かやうに考へる私は先生が、法華によつて初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によつて開顕し、その面目を発揚なされたのだと深く考へさせられるのであります。そうして先生の姿にいひしれぬ尊厳さを感ずるものであります。」(同)
>「御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まつて、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を会長先生が末法に先達になつて呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(第65世日淳上人・昭和33年5月3日・創価学会第18回総会講演『日淳上人全集』357頁)
(wt:4212)
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日蓮正宗の信徒として折伏をしている人は、学会に限らず皆、地涌の菩薩の眷属であることは法華経の記述や大聖人の御指南から明らかなことである。当然、ここで言う地涌の菩薩=大聖人の再誕、という意味ではない(1●〜4●)。この"当たり前のこと"を、学会の会合において"学会の立場に即して"述べられたに過ぎない。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(5●)。
●牧口氏の所謂不敬罪事件について、私は宗務当事者が特高課の追及を恐れ、また特高課が宗門の介入により事件の拡大を好まず、牧口氏だけの問題として処理する結果となったものと考えていた。(中略)牧口氏の側にも次のような事情があったことが、ご隠居尊と山峰師のお話から感じられた。 牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師(後の日淳上人)と議論し、「もう、貴僧の指導は受けない」と席を蹴って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は茲で日蓮正宗と縁が切れ、後に戸田氏が宗門に帰参してからも、学会は寺院を離れた独自の路線をとることになった。この様な状勢の中で、天照太神に対する牧口氏の不敬事件は、個人の問題として扱われ(直達講の副講頭であった竹尾清澄『畑毛日記』/慧妙94?)
◆堀米先生に、去年堀米先生を「そしった」罰をつくづく懺悔(さんげ)しておる、と話して下さい。「法の師をそしり」し罪を懺悔しつつ「永劫の過去を現身にみる」と言っております、と(戸田城聖著『獄中書簡』/『慧妙』010901)
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僧誹謗の重罪を懺悔。「永劫の過去を現身にみる」の「現身」とは、投獄の身となったことを指すと考えられる。
●(※昭和20年7月5日)足を引きずりながら歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して「申し訳ありませんでした。2年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました」といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに「これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(法照寺・石井栄純尊師が日淳上人夫人より伺った事実/『慧妙』010901)
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上記『人間革命』での堀米尊師(日淳上人)との再開の場面と同じときのもの。
★日淳上人が戦後になって、学会を最大限に讃歎されたのは、戸田会長が、戦時下の師(牧口)の僧(日淳上人)誹謗の罪を、師に成り代わって懺悔したことが前提にあると考えられる。しかし、それも、戦後の学会が、唯授一人の血脈に対する信があったればこそである。唯授一人の血脈に対する信があった過去の学会に対する評価を、そのまま現在の学会に当てはめることはできない。その証拠に、日達上人や日顕上人も過去において学会を讃歎されているが、僧宝軽視などの謗法が表れた時点では、厳しく学会を糾弾されている。
【日達上人】
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>観心本尊抄に曰く「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」と。(略)今や池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております。(第66世日達上人『大白蓮華』昭和39年1月号)
>今、幸に宗教の自由が許され、本当に民主的時代になった今日、ここに幸にして、我々は法華講大指導者が、出現せられたのでございます。誠に今日この指導者が出たということは、恐らくこの時代に広宣流布をさせんがために、仏様がそうした、大聖人様がそうなさった、と推測するものでございます(第66世日達上人・昭和46年9月1日・法華講富士会館創立五周年記念法要)
(wt:4212)
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大聖人御在世の信徒に対しても、四菩薩の再誕であるかのような讃歎をされたことがある(1●〜4●)。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(5●)。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』020516)
●さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。 大聖人は『一代聖教大意』に、 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書九二、全集三九八頁)と申されております。また日寛上人は、「口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな」と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります。(第66世日達上人『大日蓮』昭和五十三年九月号)
●「御抄を心肝に染め極理を師伝」すべきことは、二祖日興上人の御遺訓である。仏法を学び、大聖人の御書をよく拝することはできても、極理を師伝しなければ、とかく異義を構え異説に走りやすいので、大いに心に戒めなければならない。(第66世日達上人『蓮華』昭和51年1月号)
●「御本尊様だけあればよいんだ。血脈などどうでもよい」などと言うような信者ができてきたとするならば、非常に残念であります。 どうか諸君は、一生懸命に大聖人の仏法を守ってください。日蓮正宗の真義を、本当の教義をどこまでも守り、いかなる邪魔者があろうとも、たとえ信者が無くなっても、自分一人になっても日蓮正宗の教義を守る覚悟でいていただきたい。(第66世日達上人『蓮華』昭和53年4月号)
●だから相伝によって、皆、諸君は師匠から教わり、先輩から教わってきておる。そのとおり身につけて、学んでゆくということがもっとも大切なのである。自分勝手な解釈で、御書を読んでもいろいろ解釈できる場合がある。(第66世日達上人『大日蓮』昭和49年10月号)
★日達上人や日淳上人の御指南を利用して、自己の正当化に躍起になっている学会であるが、同じ方の御指南でも、自分達に都合の悪いことは全て無視している。まことに学会とは、無節操な御都合主義の団体である。
【諸法実相抄】
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◆日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。(略)末法にして妙法蓮華経の五字弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし(『諸法実相抄』)(wt:4212)
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●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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生死一大事の血脈は、釈尊から上行菩薩への別付属に由来する。この付嘱を日興上人が受けられたことは『身延相承書』に明らか。↓
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
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上記「日蓮と同意」とは、大聖人滅後においては"日興上人に同意"ということである。なぜなら、いくら"私は大聖人の直弟子であり、大聖人の御指南のままに修行している"と言い張っても、日興上人に「背く在家出家共の輩は非法の衆」となってしまうからである。
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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この御文は「金口嫡々・法水」の血脈相承のことである。「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっている。
★つまり、「生死一大事の血脈」とは、釈尊→上行菩薩(大聖人)→日興上人→日目上人→と続く別付嘱に由来するものなのである。「異体同心」の「同心」とは、別付嘱を受けられた方への同心であることは明らか。
★従って「日蓮と同意」とは、大聖人滅後においては"唯授一人の血脈を受けられた方と同意"という意味である。
【神力品の付嘱】
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法華経における「付嘱」とは、神力品に説かれるように、仏から、教えの肝要と滅後の弘教を進める"使命"を託されることをいう。地涌の菩薩が悪世末法に妙法を広宣流布するために付嘱を受けた。そして大聖人が
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書666頁)
との仰せのように、創価学会こそが「日蓮と同意」であり、この大聖人の教えを信受して、大聖人の御精神のとおりに広布の実践に励む私たち1人ひとりが地涌の菩薩なのである。(『聖教新聞』「悪世に法華経を弘めるのは誰か」040429要旨)
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彼らのこのような慢心の言には、まったくもって、何の根拠もない。
創価学会が宗祖と同意であるか否か、については、『身延山付嘱書』の
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(全集1600頁)
との御金言に照らせば、宗祖以来の血脈に「背く在家」たる彼らが宗祖と同意である所以(ゆえん)など、芥子(けし)粒ほども存在しないことは明らかである(上記【諸法実相抄】参照)。
それにも拘(かか)わらず、法華経神力品における「地涌の菩薩への付嘱」を「文証」として、創価学会員への付嘱であるかのように論じるなど、牽強付会も甚(はなは)だしい。
戦時中に一時壊滅し、戦後、雨後の竹の子のようににわかに発生した「新興宗教の1つ」に過ぎない創価学会は、日蓮正宗の存在なくして、宗祖との「つながり(付嘱)」を主張することは不可能である。(『慧妙』040601編集)
【画像NO.1】創価学会にこそ付嘱があるかのごとく書き殴る『聖教新聞』040429
■SGI発足の世界会議
(『慧妙』050201ほか編集)
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杉山 そもそも世界広布について日達法主が何と言っていたか。"私は世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をSGIの池田大作先生に一切、お願いいたしております"と幾度も明確に述べていた。
青木 重大な発言だ。「許可」じゃないよ。「お願い」だよ。日顕(上人)は、この先師に完全に反逆したんだ。
秋谷 まさに、あのSGI発足の世界会議は「宗門が学会に世界広布をお願いする儀式」でもあった。
(『聖教新聞』050108)
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まさに、お笑いぐさだ。御先師の御言葉を、かように解釈する輩(やから)がいるとは。
そもそも池田大作は、御法主の下座に自分の席が据(す)えられているとか、イスにヒジかけが付いていない、ということに腹を立てて「第2回正本堂建設委員会」を流会させてしまうような駄々(だだ)っ子である。御先師の謙譲(けんじょう)心と激励のお心から述べられた「お願い」に対して、「ありがたい」と受け止める謙虚(けんきょ)さなど微塵(みじん)も持ち合わせていない大莫迦(ばか)者一派なのである。
莫迦の代表の1人、青木よ、「この先師に完全に反逆し」御宸襟(しんきん)を悩ませたのは他でもない、貴殿ら自身ではないか。(『慧妙』050201)
◆1975年(昭和50年)1月26日:創価学会インタナショナル(SGI)が発足、池田SGI会長が就任(<創価学会>WS:050211)
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「SGI発足の世界会議」というのはSGIが発足したときのことであろう。
●『曾谷殿御返事』に、 「是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。」(御書1039、全集1055頁) これは誰でもよく引用する御文であります。その解釈に、「総とは一往は血脈相承なり。再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。(中略)総別二義の意義ということは、そんなところに持っていくもんじゃない。「一往」だとか「再往」だとかという言葉を使って、我々のいう仏教用語をうまく利用して、とにかく「一往は血脈相承」だという。なんで「総が血脈相承」か、おかしくてしようがない。また「再往は池田会長で、信心の大師匠」だという。そういうところから「池田会長が血脈相承を承けている。学会に血脈がある」などと言い出してしまう。(第18回妙観会・昭和54年3月31日/『慧妙』020516)
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これは「SGI発足の世界会議」以後の御発言である。
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秋谷 世界広宣流布を現実にしているのは学会だ。(同)
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本当に笑わせてくれる。新興宗教・創価学会が、何を「広宣流布」するというのか。「広宣流布」すべき何ものもないではないか。
秋谷よ、よくよく自覚するがよい。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』020516)
◆いくら広宣流布といっても、御本尊の御認(したた)めがなければできない(池田大作『広布と人生を語る』(第3巻256頁)
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ニセ本尊を持つ創価学会には、逆立ちしても、天地が逆転しても、正法の広宣流布はできない。創価学会の蔓延(まんえん)は、むしろ広布の後退、と言っていい。
現代の一凶・創価の害毒が世界に蔓延し、稀有(けう)の災厄(さいやく)が頻発(ひんぱつ)する昨今、破邪顕正の言葉の重みは増すばかりだ。
●重複するところがあるが、妄執の深い方が再度修学するには反復学習が大事であろう。
池田自ら掲げた邪説�池田本仏論�
日蓮大聖人さえ見下す大謬論
創価学会の誤りを挙(あ)げようとすれば、枚挙にいとまがありませんが、何と言っても、その根本的な誤りは、�三宝破壊の大謗法�であります。
こう言えば創価学会は、「破壊なんてとんでもない。学会は昔も今も、きちんと三宝を立てている」とでも言うのでしょうが、その学会の立てている三宝が、じつは、日蓮大聖人の仏法における三宝義を破壊する大謗法なのです。
以下、学会の立てる三宝(仏・法・僧)について、その誤りを糾(ただ)します。
〈創価学会の�仏�とは〉
第一に�仏(仏宝)�ですが、日蓮正宗二十六世日寛上人は、
「久遠元初の仏宝豈異人(あにことひと)ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり。(中略)豈末法の仏宝に非ずや」(『当流行事抄』六巻抄196頁)
と仰せられ、久遠元初の御本仏日蓮大聖人を末法の仏と仰ぐべきことを示されています。
そして、現在の創価学会の会則にも、いちおう
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」云々
と、あたかも日蓮大聖人を仏として尊崇しているかのような門は見えますが、これはあくまでも学会のタテマエであって、その本音は別のところにあります。その点を明らかにしていきましょう。
まず池田大作は、かつて
「こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といってもこれはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれる時には、�創価学会仏�という仏の名前で(経文に)出る、と。�威音王仏(いおんのうぶつ)�とかいろいろあるでしょう。そういう立場で�創価学会仏�という仏になる。(中略)〈※『威音王仏という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、当時あったと考えてよいわけですか』との質問に答えて〉そういう代表の仏の人物がいた、とも言えるし、ひとつは教団があった、とも言えるのです」(昭和三十八年十月十八日)
と述べ、創価学会という教団(もしくは、それを代表する人物)こそが仏であり、それは、未来の別な時代に仏が現われて経を説くときには、「創価学会仏」という名で経文に載(の)るだろう、と宣言しています。
これは、創価学会という教団そのものを仏と見立て、その実、学会を代表する人物こそが仏である、としたものです。
さらに池田は、
「詮ずるところ、戸田は、いつか牧口という一人の不世出の教育者に、『主』『師』『親』を見いだし、純真に仕(つか)えたのである」
(『人間革命』第二巻269頁)
「夫婦にとっては、(戸田は)主人であり、師匠であり、親でもある……生涯にわたる人生の師であるからだ」(『随筆人間革命』59頁)
「我々は戸田先生を主人とし、親として……」
(昭和三十五年一月二十二日)
等と述べ、また学会機関誌にも、
「今日本を、そして世界を守る池田先生のみ、現在において主徳を備えていらっしゃる(中略)われわれ学会員の幸せを祈ってくださる池田先生こそ親徳具備(ぐび)でいらっしゃる」
(『大白蓮華』昭和四十一年二月号「講師筆記試験優秀答案」)
と載せて、学会を率いてきた牧口・戸田・池田(なかんずく現在においては池田のみ)が主師親三徳を兼備する、と立てました。
しかし、「主師親三徳」とは、本来、
「仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而(しか)も開導の師なり」
(御書628頁)
「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」
(御書1710頁)
と仰せのように、一切衆生の尊崇すべき仏が具える御徳のことであり、末法において、これを具える仏とは日蓮大聖人であられます。
それを、池田大作のみが主師親三徳を具備する、というならば、それは池田本仏論であり、本来の主師親たる御本仏日蓮大聖人を押しのけて別な仏を立てる大謗法であります。
また池田は、
「この若い革命家の『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有(けう)の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ」(『人間革命』第三巻182頁)
と述べ、さらに最高幹部達に、
「まさしく、現代における�人�への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」(『ひのくに』昭和五十年第十号)
等と指導させ、池田大作に帰命すべきことを説きました。
しかし、「帰命」とは、
「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏の語、此の土にては帰命と申すなり」(御書1672頁)
「帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(御書1544頁)
「南無と申す字は敬ふ心なり、随ふ心なり」(御書1490頁)
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之(これ)有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」
(御書1719頁)
等と仰せのごとく「南無」のことであり、仏に対する絶対的な尊信・随順を意味する言葉です。そして、我々が南無(帰命)すべき対象とは、人は御本仏日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)、法は南無妙法蓮華経の大曼荼羅(文底下種の法華経)という、人法一箇の御本尊に他なりません。
しかるを、「妙法への帰命すなわち希有の師(戸田、現在においては池田)への帰命」などと言ったら、それは、池田大作を仏として信仰することであり、まごうことなき池田本仏論であります。
この他、池田が述べた
「仏さまはウソをつかない、と信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(昭和三十三年九月十四日)
「戸田先生は仏さまであられます」(昭和三十五年四月一日)
等の指導、また、学会機関誌に載せた、
「仏と等しくならしむ、とは、学会員として、会長の身に三業(さんごう)に等しくならしむ、と拝すべきであろう」
(『大白蓮華』昭和三十八年一月号「教授試験模範解答」)
等々の記事──をはじめ、学会が池田を仏と立てる証拠はいくらでも挙げられます。
ここまで明白な誤りを指摘されれば、普通は気付けそうなものですが、愚かな学会員たちは、
「池田センセーが仏で何が悪い!? 大聖人は『法華経を持つ者は必ず皆仏なり』(御書1047頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!」
などという詭弁(きべん)で言い逃れようとするのです。
しかし、前に挙げてきた、池田本仏論の証拠ともいうべき数多(あまた)の文言は、�会長も一切衆生の一人として仏�などというものではなく、�一切衆生の中でも、会長こそ他から絶対的に尊信されるべき仏�という意味であって、これは、まさしく学会が、池田大作を信仰の対象たる�本仏�と仰いできた事実を示すものであります。
これを、より鮮明にして、御本仏日蓮大聖人をも下して我れ尊し、との本音を述べたのが、池田大作の
「『全世界に広宣流布せよ』との仏の未来記を実現しているのが、我が創価学会である。学会がなければ、法華経も、また御書も、ことごとく虚妄(こもう)となってしまうだろう」(平成十六年一月二十一日付『創価新報』)
とのスピーチであり、また秋谷栄之助の
「創価学会が出現しなかったならば、日蓮大聖人の未来記は虚妄になっていた」(平成十六年一月十二日付『聖教新聞』)
との指導でありましょう。これらは、日蓮大聖人が、
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言を助けたる人但(ただ)日蓮一人なり」(御書1397頁)
と仰せられ、大聖人が出現して勧持品(かんじほん)二十行の偈(げ)を身読・実証されなかったら、釈尊の未来記(予言)は虚妄になった、と断ぜられたことになぞらえ、述べた指導であります。
しかし、右に挙げた御金言は、大聖人が現に釈尊を凌(しの)ぐ久遠元初の御本仏であられるからこそ、本仏・迹仏という勝劣を踏まえて仰せられたものです。この大聖人の口まねをして、あたかも創価学会(なかんずくそれを率いる池田大作)が出なければ大聖人は虚妄の仏となっていたかのような説(つまり、大聖人も池田大作によってこそ存立する、という意味)を主張することは、まさに、大聖人を迹仏(劣)と下し池田大作を本仏(勝)とする池田本仏論に他なりません。
身の程知らずも甚だしい大慢心ではありませんか。
以上で明らかになったように、創価学会では、現在における�仏�は池田大作である、と立てており、これは、久遠元初即末法下種の仏である日蓮大聖人を押し倒すものであり、仏宝の義を破壊する大謗法です。
「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(御書1066頁)
との戒めを恐れるべきでありましょう。
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2005年2月24日 21:47
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■「門徒の僧俗の中に人を教へて仏法の義理を背せらる、事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失(とが)なり自身の謗法より堅く誡(いまし)むべきなり」(富要一―六八�)と示されている。この意味について、日達上人は、
>
> ■「本宗の僧俗の中で、他の信者を教唆して、本宗の宗綱に違背せしめることは、謗法であります。五逆罪の内破和合僧(和合僧団を妨害し破壊すること)の罪を犯すことであって、自分が直接謗法することよりも、他人を教唆した謗法は重罪ですから、よく誡心しなくてはなりません」(略解化儀抄六四�)
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆ 和合僧団は今も昔も創価学会である。
>
>
>
> ・「心の中では互いに憎しみ、互いにスキをうかがいながら、あたかも猫が鼠をねらうが如き姿を持ちながら、形の上において法衣をまとうといえ
> ども僧とは私は認めない!!
>
> 今、学会の組長、班長、地区部長、支部長が、自弁でもって、泣きの涙で一切の人のために働いている姿こそ僧なのですよ!!(大拍手)
>
> この結合を破る者は必ず罰あるのです。やってごらんなさい!!!
>
> それじゃ、やってみれば一番先にわかる!!
>
> 学会に反対し、学会の悪口をいいたけれゃ、どんどん言ってごらんなさい!!
>
> 君らが、ここに集まった人が全部言ったかって、そんなことに驚く戸田じゃありませんから!!!(大拍手)
>
> そんな弱い心でもって広宣流布の誓いは戸田は絶対立てておりません!!
>
> 破和合僧とは、仏法上の哲理においていえば、学会をもっていうことができるんですよ!!
>
> 坊主じゃないですよ!!」
>
> 〜昭和28年11月22日 第9回本部総会・戸田先生〜
>
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●やはり貴殿は未熟ですね。文書対論の相手としては実に物足りないです。残念ですね。
戸田先生の信心が群を抜いて勝れていた事は宗門でも認めている。が、あくまで凡夫。精一杯与えて言っても、その指導は「釈」止まり。ならば御仏の「経」、菩薩の「論」に違うならば速やかに棄てるべし。
しかも戸田先生自身が上記の言と真っ向から矛盾する指導をしている。
以下の御文及び戸田会長の言について、矛盾なき反論をせよ。
■「頭を剃り架裟を著せば持戒及び毀戒(きかい)をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を?打(かだ)すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱(めにく)せば則ち為れ我を毀辱するなり。」(御書・立正安国論 247�)
【通解】大集経には「髪を剃り、袈裟・衣を着れば、戒律を持つ者も、戒律を破る者も、天人は供養するであろう。それは、我(釈尊=仏)を供養することになる。僧はまた仏の子である。もし、僧を打ち据えることがあるならば、それは仏の子を打つことになる。また、僧をののしり、はずかしめることがあれば、それは仏をきずつけ、はずかしめることになる。」とある。
■「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。」(新池御書・1457�)
【通解】どの人も日蓮正宗に入信して信心を始める時には、信心があるように見えるが、だんだんと時が経ってくると、信心も弱くなり、御僧侶をうやうやしく敬うことを忘れてしまい、御供養もしなくなり、自ら慢心を起こし、仏法に対して自分勝手で悪い考えを起こすようになる。これは大変恐れ戒めなければならないことである。入信したての時から成仏を遂げるその時まで、いよいよ強盛に純粋な信仰をしていきなさい。そうでなければ後悔することになるだろう。
■「末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるが(忽)せにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。」(同上・1461�)
【通解】末法の衆生は教学を多少身に付け、僧侶をあなどり、仏法の道理・筋道などのけじめをいい加減にして地獄・餓鬼・畜生・などの悪道に堕ちるであろうと説かれている。仏法を心得ているという証拠は、僧(御法主上人と正宗の御僧侶)を敬い、法(御戒壇様)をあがめ、仏(大聖人)を供養すべきである。
■「後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。」(同上 1461�)
(※【通解】これから先の成仏を願う者は、世間の評判・名誉・利益などを捨てて、どんなに賤しい者であっても法華経を説く僧侶をまさに今生きておわす仏のように敬いなさい。)
■「止観に云はく「師に値(あ)はざれば、邪慧(じゃえ)日に増し生死月に甚だしく、稠林(ちゅうりん)に曲木を曳(ひ)くが如く、出づる期有ること無し」云云。凡そ世間の沙汰(さた)、尚(なお)以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧(むし)ろ輙(たやす)く自己を本分とせんや。」(御書・29�)
(※【通解】天台大師の摩訶止観には「師匠にあわなければ、よこしまな智慧が日に日に増してきて、生死の苦しみは月々に激しくなり、煩悩が生い茂った林の中から、曲がった木を引き出すように、苦界から出てくることは難しい。」とある。およそ世間のことの判断すら他人にいろいろ聞き話し合う。ましてや、仏法の深い道理を探求するのに、簡単に自分の考えを基とできるだろうか。)
■『松野殿御返事』
「法師品には『人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して、後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし』と見えたり」(新編一〇四七�)
■所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合はせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり、我が弟子等、出家は主上・上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提(いちえんぶだい)皆此の法門を仰がん。幸甚(こうじん)幸甚。(諸人御返事 弘安元年三月二一日 五七歳 1211
■在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか。1051
■されば其の身は無智無行にもあれ、かみをそり、袈裟(けさ)をかくる形には天魔も恐れをなすと見えたり。大集経に云はく「頭を剃り袈裟を著(つ)くれば持戒及び毀戒(きかい)も天人供養すべし。則ち仏を供養するに為(な)りぬ」出家功徳御書
弘安二年五月 五八歳 1371
■ 若輩(じゃくはい)たりと雖も高位の檀那より末座に居(お)くべからざる事。1885
■『佐渡国法華講衆御返事』日興上人
「この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」(歴全一―一八三〜一八四�)■「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」(聖典九七三�)【通解】身分の尊いとか賤しい、また僧侶とか在家とかの差別はなく、信心がある人はその身、妙法蓮華経の当体であるがゆえにみな同等である。だが、竹に節があって上下を隔てているように、信心の世界でも僧侶と在家とはその立場の違いを乱さず、僧俗のたてわけをふまえて、礼儀・礼節を弁えていくべきである。■「手続の師匠の所は、三世諸仏高祖以来代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし。また我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云ふなり云々」(第九世日有上人『化儀抄』(富要1―61�)【通解】自分の直接の師匠(末寺においては指導教師である御住職)のところには、過去・現在・未来のもろもろの仏様、また宗祖日蓮大聖人以来の代々の御法主上人の御命がもぬけられているのであるから、師匠のところをよくよく心して心定めて信仰していきなさい。また、また私(日有上人)の弟子たちも私にそのように信じなさい。その時に僧俗互いに身も心も南無妙法蓮華経の当体となり全く大聖人と同じ境界となる。これを即身成仏というのである。)■「仏に通達する道程は必ず師匠に由らざるを得ず・仏の法を受取るには是非とも師範の手を経ざるを得ず(中略)師は弟子をして先仏の法を未来に久住せしめ・弟子は師に依りて過去遠々の法を一時に受得す、(中略)弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十方の通軌(中略)師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず世間の利害を離れて絶対ならざるべからず(中略)師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ(中略)有師の弟子たらん者は・「此の如く我に」と即有師に信頼して信心決定すべしとなり、(中略)信の手続きに依りて師弟不二の妙理を顕はし・能所一体の妙義を証するを以つて本仏所証の妙法蓮華の色心は即所化の弟子の色心となるが故に・生仏一如師弟不二の即身成仏の域に達する事を得、是れ蓋し信の手続によりて生する所のものなり。」(第五十九世日亨上人・有師化儀抄註解 富要 1―124)(※【通解】仏の境涯に達する道筋は必ず師匠を元しなくては成就できない。仏が下される法も師範の手を経なければ受け取ることができない。(中略)師匠は弟子によって先の仏様の法を未来に久しく住せしめ、弟子は師匠から遠い過去からの仏法を一瞬に受け取ることができる。弟子は師匠を尊敬し、敬い奉ることは過去・現在・未来の三世の仏法のきまりごとである。(中略)師匠は針のような存在であり、弟子はその針についている糸のようなものであり、仏法の極理の法水の相承や唯授一人の血脈相伝は、全て師によって行なわれる。師弟の筋道は神聖でないはずがなく、世間の利害関係を離れて、絶対ではない、などということはない。(中略)師範より、仏法の極理の法水を受けて弟子分の信心は獲得され、決定するのである。(中略)日有上人の弟子たちは、師匠である日有上人の御胸中に三世諸仏、宗祖大聖人以来代々の法主上人が現れ出でてている、と日有上人を信頼して信心が決定するであろう、とある。(中略)そのように自分の直接の師匠を仏と法への手続ぎとして拝することにより師とで師が一体という妙理を顕現し、能く化すところである師匠と化されるところである弟子分が一体であるという妙義が証として顕れることをもって御本仏によって悟りの証として顕された妙法蓮華経の身と心はそのまま化されるところの弟子の身と心となるが故に凡身と御仏が一体不二・師と弟子が一体不二の成仏の境地に達することを感得する。これは思うに師弟としての信の手続きの次第・筋目によって顕れてくるところのものである。) ■「末法今時は悪心のみにして善心なし・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念なく妙法蓮華経を受持する処を即身成仏とも名字下種とも云はるるなり。」(第九世日有上人 註解第6条類文 連陽坊聞書 富要1巻92�)(※【通解】末法、今の時の衆生は悪い心の塊であって、善い心というものがない。師も弟子も共に貪欲・瞋恚・愚癡の三毒がひたすら強い凡夫同士であるが、師弟相対して、よこしまな考え・謗法の念慮を絶して南無妙法蓮華経の受持修行するところを即身成仏とも久遠の南無妙法蓮華経の下種ともいうのである。)■「檀那は是弟子なり、一寺の住持は是師なり」(第九世日有上人 富要1―222)(※【通解】末寺の所属する在家は、弟子である。その末寺の住職は師である。)▲9「当宗の即身成仏の法門は師弟相対を云ふなり」(有師物語聴聞抄佳跡上・富要一―一九一頁)▲9「下種と言うは師弟相対の義なり」(富要二―一五三)とある如く、我が身の成仏も全て師に任せきるところが、下種仏法の要諦なのであります。また、▲9「信心と言えば一人しては取り難し、師弟相対して事行の信心を取る」(富要二―一六五)●31【穆作抄】日因上人信心強盛の人は法界一躰の法花経に其ノ身がなるなり、其ノ信心の題目は唱ふる方が大事なり、釈尊の唯我一人の御導師として又別付属は唯我一人なり、三世不退に唯我一人云云と次第連続して唱へ奉る題目を以て・法界一躰の種子無上の下種の法花と申すなり、師弟の道を破って唱ふる題目は失のみ来て功徳はあるべからざるなり、(中略)是レは附法の題目なり別付属之レ思ふ可し、雑意に唱へては功徳あるべからず・諸宗の唱の題目の如し、(富要二巻二五八) ●31 有師物語聴聞抄佳跡上 私の檀那の筋目之を糺すべき事、此は師檀の因縁を示す、檀那は是俗の弟子なり、故に師弟血脈相続なくしては即身成仏に非す、況や我が師匠に違背せるの檀那は必定堕獄なり乖背は即不信謗法の故なり。(1-247)●31 「当宗の即身成仏の法門は師弟相対して少しも余念無き処を云ふなり、此(これ)則(すなわち)師は是れ仏界なり、弟子は是れ九界なり、師弟和合して余念なき処は事の一念三千の妙法蓮華経なり、若し少しも余念有らば師弟不和なり、何を以て事の一念三千即身成仏を論ずべけんや」(富要一―一九一�)●66日達上人「僧侶はその一員として、大聖人の仏法をお守りする。御本尊を守り、そして法を守って永代に伝えるのが僧侶の役である。それに対して信徒は、みずからその法を信じ生業(なりわい)、すなわち業務に専心し、そして、信心をもって即身成仏の本懐(ほんがい)を遂(と)げられる、それが信徒の道であります。(中略)また信徒はその僧侶を信じ、僧侶を敬い、そして、初めて自らの迷いを妙法蓮華経の力によって成仏の道へと展開していくのが信徒であります。その信徒が、もし僧侶を驕慢の心をもってばかにし、あえて、僧侶を亡き者にしようとする心がもしあるならば、それは信徒としての道を誤り、世の中を守り栄えさせていくという道を誤ってしまうということになるのであります。」(昭和四十九年六月十五日)戸田会長指導▲「今後は私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことはあたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない」▲「弟子檀那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります」昭和31年 1月29日戸田城聖 ▲「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」(聖教新聞)▲「学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、こんごも、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳を損なう者は当然そうなる。どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのでと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」(『信者の大精神に立て』昭和31年1月29日)▲「良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。」(昭和30年12月13日、関西本部入仏落慶式)▲「末法に大利益ある本仏の宗教を護持・弘通する僧侶は、大集経の意の如く尊崇・保護しなければならぬ。(戸田城聖全集・五巻・192頁)▼『広布と人生を語る』池田大作「法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである」(三―二九七�)▼『池田大作発言』
「僧宝とは、今日においては日興上人より唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」(聖教新聞 昭和五三年二月二六日付)
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2005年2月25日 22:44
> ●お守り御本尊模刻の謗法
>
>
>
> 添付画像の通り、池田はかつて本来不特定多数の人に拝ませることのないお守り御本尊を日達上人に全く無断で、勝手に板本尊に刻ませた。こんな
> 大謗法者はその反省懺悔を反故にしたのならば破門になって当然。
>
>
>
> ◆漫才ですね。では、このお守り御本尊が許可された瞬間から本物になることを、許可前と許可後の御本尊の違いを含め、道理に照らして説明しな
> さい。世界に通用する論理でね。
●もはや救いようのない馬鹿さ加減ですね。未熟過ぎて、いよいよ貴殿では当方との相手としては、やはり対論は無理ですね。とにかく、次回からはもう少しまともな反論が出来る先輩なりに訊いて色々教えてもらってから返信しなさい。宜しいな?
貴殿の独りよがりの馬鹿丸出しの未熟な返答には、まともに返す時間が勿体無い。
このやりとりが出版された暁でも貴殿のこの無様さでは、法華講・学会双方で得るものが無さ過ぎる。少しは自分の無力さ、無様さを反省しなさい。
読者はもっと緊迫感あるやり取りを期待しているんですよ。
貴殿とでは、相撲取りと小学生の「お稽古相撲」のようで、間が抜けていて緊張感が出ません。
次回からはこういう間抜けな返答は厳禁する。もう少し勉強してから返事し給え。
あまりに愚かな返答なので、当方もこの段では親切に法門解釈はしません。
貴殿への宿題を課します。ちゃんとサボらずに調べなさい。
端から、お守り御本尊が不特定多数が拝する形での板曼荼羅として許可されるはずは絶対にありません。
君はそんなことも知らないの?(その理由は宿題。自分で調べなさい。)
だから、日達上人の許可なく、池田が複数の板本尊を勝手に模刻させたことの証明として、この「お守り御本尊の板曼荼羅」を例示したのに。
もし、過去にそんな事例があるのなら例示してみなさい。
いや、むしろ貴殿の馬鹿さ加減を更に鮮明にするために、
1、そもそも「お守り御本尊」の意義と、板曼荼羅の関係について、「御書」で証明してみなさい。
貴殿は「大石寺教学は信じない」んでしょう?
だったら、
2、池田が何故「お守り御本尊」を所持していたか。「大石寺教学」とは関係なく説明してみなさい。
3、その「お守り御本尊」とは「御書」のどこに、どういう化儀として書かれているか、明証し給え。
もし明証出来ない場合は、池田さんが「お守り御本尊」を受けていたことは、「大石寺教学」に則ってのことであり、貴殿は池田さんのしたことにも唾を吐きかけることになるが如何か?しかし、貴殿の壊れた頭ではそういう論理すら分からないか?
今日は貴殿への「宿題」が多いので、この辺で。
今日の問題は特に興味深いので、はぐらかさずに明確に返答し給えよ。
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2005年2月26日 22:27
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> ●『広布と人生を語る』池田大作
>
> 「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未
> だ得ざるを為れ得たりと謂い』との慢心であり、増上慢である」(三―四二�)
>
> おお、正に池田本人のことを予言している。さすが!偉いわ。
>
>
>
> ◆ 同じ仲間の時にお互いを守ることは当然。
>
> ・ 「つい最近の宗門の情勢のなかでも一部の僧侶の者どもが、仏法の流布の深い因縁も知らずに総本山に背き、また、このように日本ないし世界
> に大法を広宣流布してくださったところの創価学会の方々に怨嫉を生じて様々な悪口雑言を唱え、そして宗門の僧侶にあるまじき姿をもつに至りま
> した。これらの者どもについて、いかに諭しても改めることがありませんので、ついにその者どもを破門にしたのでございます。」
>
> (昭和六十一年十月八日・本種山徳成寺落慶入仏法要)〜日顕説法〜
>
>
>
> 離婚する相手に「結婚する前は好きだといったじゃないか」と文句をつける行為に等しい。
>
> このレベルなら分かるかな?
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●日顕猊下の御指南は、創価学会が辛うじてまだ正宗の信徒であった訳だから、御法主上人に対して今の創価学会のように悪口雑言を浴びせかける正信会の僧侶に対して、このような御表現で別に何も問題は無いのではないですか?教義上何か矛盾破綻でも?教義そのものが理解できていない貴殿にはその回答は無理ですか?もしあるというのなら「御書」で証明してください。
で、貴殿の論法ですが、仏法の入り口にさえ入っていない貴殿の理解力からして使う比喩とすれば所詮この程度でしょうね。
しかし、まるで駄目ですね。全然駄目。
1、創価学会などは日蓮正宗の単なる派生団体だったのではないか。
その証拠に歴代会長を始め、学会員は全て日蓮正宗の信徒だった。
そこには「信仰するべき本体」とそれを「信仰する側」という厳然とした能所の筋目が存する。
ここの段でも貴殿は能所の筋目が分からない低能な過ちを繰り返している。
(しかも貴殿は日蓮正宗の正統なる御受戒さえ受けていないようですね。何とお可哀相な身の上でしょう。このままでは未来永劫に悪道に沈淪することは間違いなしです。悪業が深くして、破門された後のニセの見せ掛けだけの仏教もどき団体に勧誘され、ニセ本尊を掴まされているだけの因縁だった訳ですからね。)
もし戸田会長が「日蓮正宗は腐っていて自らこそが大聖人の仏法の体現者」だと思っていたなら、とっくの昔に日蓮正宗の信徒を辞めていたのではないか。
しかし、戸田二代会長はあくまでも日蓮正宗の信仰を貫かれた。
以下の言を貴殿は一体どのように感受するのか?
先日も送付したが、
★「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。
昔、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳を損(そこ)なう者は当然そうなる。」(聖教新聞・昭和31年 1月29日戸田城聖 日昇上人御隠退表明を拝して『信者の大精神に立て』との談話を発表)
一分の良識があれば今池田さんたちが言っていることが如何に戸田第二代会長の真意に背いているかが明白ではないか。
この中で「今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する。」という文言を貴殿はどう読むのか?今池田さんがしていることを「今後もこの精神で一貫する」戸田第二代会長が御覧になったら、「即座に除名」ですね。
まさに、宗門からの「破門」と同意ではないか。
今回、まさにこの戸田会長の言葉通りに、池田さんに「破門」になる理由があるが故に、日蓮正宗から「破門」になっただけのことで、「離婚」という双方に原因が求められる問題を比喩として例示するなど全くの的外れです。
貴殿が如何に仏法の初歩すら理解できていないかという醜態を更に深く晒したということです。
(しかも何度も指摘するが貴殿は日本語の語法すら未熟であり、貴殿の言わんとすることを的確に表現するには上記の文では不適切である。正確にはこうなる。
『離婚”した”相手に「”一緒に暮らしているとき”には好きだといったじゃないか」と文句をつける行為に等しい。』
このレベルなら分かるかな?(貴殿の日本語に対する素養のなさでは無理かな?))
池田さん自身もかつてはこう宣っていた。
▲「あくまでも師匠は日蓮大聖人様即御本尊様です。それから『遣使還告』あそばされる代々の御法主上人猊下です。われわれはぜんぶその弟子です」(池田大作 巻頭言・講義集 3―113頁)
池田さんなどは、池田さん自身がいうところの「師匠」=御法主上人猊下=能化から破門された「弟子」=所化 であって、婚姻関係という男女平等の上で有様を比喩に用いることは全くの的外れ。
▲「『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる」 (聖教新聞 昭和53年2月26日付)
ここも同様。『僧宝』であられる「御法主上人猊下」より大謗法の一在家がただ「破門」されただけのこと。離婚とは別次元の問題。
貴殿にも分かるかもしれない例えでいえば、今の池田さん始め学会の面々は、伝統ある名門学校を退学処分・放校処分になった元生徒がそこの校長先生を恨んで女々しく悪口を言ってる姿にしか過ぎない。
◆御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝したてまつるのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです(池田大作『巻頭言・講義集』第3巻184頁)
ここはすごい。「日蓮大聖人様」から破門されたんですね。貴殿らは。おおコワッ!。
▲そして、御法主上人猊下に対しては、御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります。
(会長講演集� 145頁 1961年)
「唯一の学会精神」すらいとも簡単に唾棄してしまうんだよね。無節操で頭破作七分の謗法者というものは。
▲「猊下のおことばは、日蓮大聖人様のおことばと私どもは 確信しております。」(昭和36年7月10日)
▲「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉 るのです。」(昭和37年1月・『三世諸仏総勘文抄』講 義)
▲「御法主上人猊下に対しては御法主上人猊下こそ経文に説 かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝して お仕え申し上げていくことでありました。」(昭和35年
1月1
5日)
▲「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様で あります。」(昭和38年9月1日)
▲「猊下も仏さまでいらっしゃる。御本尊さまも見ていらっ しゃる。」(昭和40年1月18日)
▲「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っておりす。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります。」(『大白蓮華』昭和54年6月号)
▲「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒(退転者)と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである。」
(昭和56年3月10日・『広布と人生を語る』1−230)
「いかなる理由があれ」「御法主日顕上人猊下を非難することは」「正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者である」
あ〜〜あ、この通りになっちゃったよね。池田さんたちは。正に、自分の行く末を予言していたんだね。さすがですね。
さすが「世界の大センセ〜〜」ですね。
さて、諧謔はともかく、これらの”事後”相違(自語相違)をどう説明してくださいますか?
貴殿の幼稚な論法では物足りないので、学会の先輩方の知恵を借りてよろしくお願いします。出来るだけ反論し甲斐のある、内容のある返答をお願いしますね。
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> ◆比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。
>
>
>
>
>
> ●はい、では大謗法団体創価学会の不当性を明示します。
>
> ■【開目抄】(554)
>
> 諸宗は本尊にまどえり
>
> 血脈正しい本尊が何か分からなくなっている哀れな盲目集団、創価学会。
>
>
>
> ◆『白蓮華』第8巻第3号などに、達磨の絵が書いてある広告がでている。「般若心経」「仏像」の宣伝まで載っている。日蓮正宗の機関誌で宣伝
> することはあるまいに。これも「法主の許可があったからよし」とするのでしょう?
>
>
>
> 「諸宗は本尊にまどえり」とはよく言えます。漫才です。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●まだこんなこと言っているんですかね?今時恥ずかしいですよ。あまりにも不勉強ですね。
では、破折です。もう10年くらい前の慧妙記事で摧破し尽くされています。
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『資料編』は、明治・大正期の宗門の機関誌『白蓮華』に、邪宗の仏具屋の広告が載っているから謗法だ、としている。
いかにも重箱の隅をつついたような非難だが、順を追って反駁する。
まず、広告中に「ダルマ」や「十界曼荼羅」の絵図が載っている、という点であるが、
第九世日有上人の『化儀抄』には、
■「帰命の句の有る懸地をば、かくべからず。二頭になる故なり。人丸の影、或は勝鬼大臣等の影をば、かくべきなり云々」(聖典九八〇頁)とあり、
これを日達上人は、
■「帰命の句のある懸地とは、帰命頂礼の文字のある軸物のこと。南無観世音とか南無阿弥陀仏とか帰命頂礼釈迦牟尼仏とかの文字のある軸物を掛けてはいけません。そのわけは、帰命は身命を捧げて帰依し信ずることでありますから、信心が二つになることになりますのでいけないのであります」(『日有師化儀抄略解』五二頁)と釈されている。
ここでは、「帰命」の語のある掛軸(かけじく)や絵画等を掛けることを禁じられているが、『資料編』が掲載した『白蓮華』の広告欄には、「帰命」という語はどこにもなく、「ダルマ」の絵も、仏具屋の商標として使用されているものにすぎないし、「十界曼荼羅」とて御本尊の相貌(そうみょう)が書いてあるわけではなく、「十界曼荼羅織軸」との文字があるだけで「南無」とか「帰命」等の文字はない。
また、『資料編』によれば、「宗門機関誌に謗法広告を掲載することによって邪宗の者より金をもらうことは謗法」だそうであるが、本宗の法義、化儀に暗い学会は、何でもかんでも謗法にしてしまいたいのであろう。
しかし、『化儀抄』には、
■「絵師、仏師、或は鍛冶、番匠等の他宗なるを使う事は、御堂、坊等にも苦しからず、作料を沙汰するが故なり」(聖典九七七頁)とあり、
これを第六十六世日達上人は、
■「本堂や庫裡、僧の住居等を建立する時に用いる絵師、仏師、鍛冶屋、大工、左官等は、必ずしも信者でなくともよろしい。それは相当な賃金を支払って使用するのだから、謗施ではありません。また、これと逆に、謗法の所の仕事をしても、相当の賃金を受けて仕事をするならば、謗法になりません」(『日有師化儀抄略解』三九頁)と釈されている。
すなわち、「謗法の」仏具屋の「広告」という「仕事」を、「相当な賃金を受けて」したことは、何も「謗法」などにはならないのである。
このように見てくるならば、『白蓮華』の掲載「広告」には、どこにも「謗法」がないことが明らかになる。
次に、「謗法」という概念についてだが、日有上人『化儀抄』には、
■「法華宗の大綱の義理を背く人をば、謗法と申すなり。謗とは、乖背(けはい)の別名なる故なり。門徒の僧俗の中に加様の人有る時は、再三私にて教訓して、用ひずんば師範の方へ披露すべきなり。其義無くんば、与同罪遁れ難き故なり云々」(聖典九八三頁)とあり、
第六十六世日達上人はこれを、
■「法華宗(本宗)の大綱の義理を背くを謗法というとあって、これこそ謗法の明確なる定義であります。本宗の大綱(宗綱=宗祖大聖人を末法の下種本仏と立て、寿量品文底本因下種の三大秘法顕現等、宗制に明示している)に違反し、信行の道の立たない人を謗法の人というのであります」(『日有師化儀抄略解』六三頁)と釈され、
「宗制に明示してある本宗の大綱に」背くことが「謗法」であると御指南されている。
また、第五十九世日亨上人は『化儀抄註解』に、
■「体内的には、宗綱に違反して信行の途立たざるが謗法なれば、謗法の名は至って重く、謗法の罪は門徒の極刑なり。(中略)濫(みだり)に他人を憎みて謗法の罪名を被(こうむ)らしめるは、若実若不実(にゃくじつにゃくふじつ)、却(かえ)って其(その)重罪を我身に招く恐るべし。近来間々巷途の説に聞く、何誰は何を為したり、謗法なりと、悪言慎まずんばあるべからず」(富要集一巻一四九頁)と仰せられている。
これらの御教示からいうならば、『白蓮華』のどこが謗法であるのか、甚(はなは)だ不明瞭であるばかりか、『資料編』の言い分とは逆に、「濫(みだり)に他人を憎みて謗法の罪名を被らしめる」学会の姿こそ、「重罪を我が身に招く」ものというべきであろう。
次に、『資料編』は、
「『白蓮華』掲載の広告を見れば、日蓮正宗の僧侶が謗法にまったく無関心であった」
としているが、このことについてはどうであろうか。
『資料編』は当時の『白蓮華』を、「いわば今の『大日蓮』である」としているが、現在でこそ『大日蓮』は宗内の僧俗が購読しているが、当時の状況では主な読者層は御僧侶方であったろうことは、容易に察しがつくことである。
されば、『白蓮華』誌上にこのような広告が載ったとしても、宗義上の混乱などあるはずもない。
ちなみに、創価学会員必読の機関紙であり、一般世間の人々にも購読推進している『聖教新聞』(昭和五十四年十月二十九日付)には、「ご家庭の幸運を呼ぶお守り金具付き長火鉢」の広告が載っている。学会ではこのような「謗法広告」についてはどのように弁明するのであろうか。ぜひ聞きたいものである。
なお、また『資料編』は、この「広告」を挙げて、「(※今日の宗門が)高邁高潔なことを言っておれるのも、創価学会員がこれまで黙々と御供養をし宗門を支えてきたからである。この達磨(だるま)の広告は、傲(おご)れる出家に信徒のあり難さを教えて余りある」などと、まるでスポンサー気取りの暴言を吐いている。
戸田氏が、
★ 「始めから、御本尊様は、拝んでくれなどとはけっしていっておられません。われわれの方から、どうか拝ませてくださいと願ったのです」(戸田城聖先生講演集上五十二頁)
と述べているように、学会自らが、望んで日蓮正宗の信徒となったのである。何を勘違いしているのか。
また、戸田氏は「信者は御供養することによって功徳がある」とも述べている。学会員は日蓮正宗への真心の御供養によって、無量の功徳を戴いてきたのではなかったか。その大恩を忘れ、自己の業績を誇るとは、信仰者の風上にもおけぬ輩(やから)である。『資料編』のこの一文は傲れる学会の無信心をさらけだして余りある。
日亨上人はこのような慢心者に、
■「特志を運びし事を喧伝(けんでん)せられたる者は、薄志の者に対して鼻高き等、仏法の中にても当然の振舞の如く思へる者多し。然(しか)るべからざる事なり。(中略)若し、世間の名聞名利を世間の迷夢と一掃せずして、長く仏道の上にも猶(なお)名利を重んずるときは、仏道の洪範に背き、堕三途疑ひなからんか」(富要集一巻一七八頁)と厳しく諭されている。
過去の栄光におぼれ、名聞名利に執われる学会の未来は、「堕三途」疑いなきものである。
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> ●世間の道俗亦無智の故に理非を弁(わきま)へず。但人に依って法に依らず。設ひ悪法たりと雖も多人の邪義に随って一人の実説に依らず。(守
> 護国家論 127)
>
> 池田なんて大俗物に従って、正しい仏法の相伝に依らない。云々。
>
>
>
> ■悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言(ことば)を巧(たく)みにして愚癡(ぐち)の人の心を取って善心を破るといふ事な
> り。(唱法華題目抄 224)
―――――――――――――――――――――――――――――
>
>>
> ◆見にく〜。
>
> いい加減、要約するぐらいの力を付けなさい。
>
> 戦後、創価学会・ホケコ・顕正会(妙信講)を含め、日本の宗教団体は、同じスタートラインなのですよ。
>
> その事実に目を瞑り、御在世と混同して広布が進まない言い訳に「多人の邪義に随って一人の実説に依らず」と引用しても意味がないでしょう。
>
> 「義に依つて語に依らざれ」です。
>
> 実証の示せないことの言い訳に御金言を引用するなどお笑いぐさです。
>
>
>
> 「創価学会は大聖人の説の如く修行し、三類の強敵を喚起したが故に正しいのです。
>
>
>
> 現宗門に三類の強敵は喚起しているでしょうか?
>
> 比較する対象を創価学会だという事を踏まえて、自宗の正統性を主張して下さい。」
>
>
>
>
>
> さて、もともと、上記の質問だったものを切り取ったから見にくくもなり、恥の上塗りになったのです。
>
> ちゃんと答えなさい。
>
> 日顕の修行によって顕れた三類をですよ。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
●「実証」だの「三類」だのの戯言は、既に完破済み。
文証において明確な反論が出来ない幼稚な貴殿が「いい加減、要約するぐらいの力を付けなさい。」などと、生意気な発言は慎みましょう。実力も無いのに空えばりして虚勢を張っているようにしか見えず惨めですよ。
更に、無知な愚問を再発して「見にく〜」くしているのは貴殿ではないですか?幼児ですね。
「いい加減、要約するぐらいの力を付けなさい。」呵々。
では破折です。
▲悪は多けれども一善にかつ事なし、譬えば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。【異体同心事】(一四六三)
【聖愚問答抄】(四九三)
▲世間出世、善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり、然れば何ぞ強ちに少きを、おろかにして多きを詮とするや、土沙は多けれども米穀は希なり木皮は充満すれども布絹は些少なり、汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ。
■何ぞ多きを捨て少なきに付くと云ふ事、必ず多きが尊くして少きが卑きにあらず。賢善の人は希に愚悪の者は多し。(聖愚問答抄 401)
▲一、堂社僧坊は仏法に非ず又智慧才覚も仏法に非ず多人数も仏法に非ず・(中略)仍って信心無二して筋目を違へず仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふなりと已上。有師談諸聞書 2−146
まずはよく御文を熟読して、その感想を聞きましょうか。
貴殿が正統な反論が出来ずに、とんでもない回答をしてくるので、それが愉快でなりません。この返信でも楽しませてください。
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2005年2月27日 22:29
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> ●池田狂気の発言
>
> 心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方
> もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!!顔色がいい。ね。もう少し景気良く振ればねェ、福運つくんだけど...。
> (平成4年4月26日・第8回中部総会)
>
>
>
> ねェ。朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです。(平成4年4月26日・第8回中部総
> 会)
>
>
>
> サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました。と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は
> 声を小さくして申し上げておきます。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
>
>
>
> すごい時代に入りました、ね!そのうちデェジン(大臣)も何人か出るでしょう。もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さんの部下だか
> ら、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。(平成5年8月8日・第69回本部幹部会)
>
>
>
> 「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。...ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまり受
> けない)...駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」(平成5年7月7日・第66回本部
> 幹部会)
>
>
>
> 私の話が高尚で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと、追っついて
> いけないんです。そいで、行き詰まったところで、コーラスやって、みんなでウップン晴らしをすると、それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行
> き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
>
>
>
> ニューヨーク!ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(日本人以外には全く受けない)(平成5年1月27日・アメリカS
> GI&関西合同総会)
>
>
>
> ハワイ!(中略)マハロー!マハロー!バカヤロー!バッハロー!(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
>
>
>
> このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。二つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首の
> こと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんな
> もんじゃない、先入観がよくない。一番バカなのは日顕(上人)!(平成4年4月26日・第8回中部総会)
>
>
>
> 皆さん方もねェ。もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
>
>
>
> あの−、まぁ日顕(上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑
> い)。(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
>
> ◆TPOに即して正しい。この時の学会員の明るい笑顔が目に浮かびます。歴史に残る大偉業を残しながら、しかも人間らしい先生の魅力が再確認
> できて、多くの学会員が貴方の投稿に感謝することでしょう。学会員が先生を尊敬し、慕うのは「実績と人間性」なのです。
>
> 貴方達が教条主義的に日顕を見る奴隷の眼とは違うのです。
>
>
>
> 貴方の境涯に合わして、日顕説法を示してあげよう。ご堪能あれ。
>
>
>
> ■「小学生から中学生、高校生、大学生になってくるにしたがって、この燃え盛って、へへへ、色身の働きが活発になってくる…たとえば、若い青
> 年期の男女が、何か夜中にからだがほてって、それでもう、眠れないなんてよく言っているでしょう。あれはみんな五陰盛苦なんです」(※1)
>
> (平成3年2月16日、三重・本慧寺)
>
>
>
> ■「人間は生まれる前は何もない。お父さん、お母さんの、”ある行為”によって、初めてそこにきたと。へっふっ……」(※2)
>
> (平成7年6月18日、夏期講習会登山)
>
>
>
> ■「『妙の字は若き女の乱れ髪。結う(言う)に結われず、解く(説く)に解かれず』という、ね、ですから、このー、説こうと思っても説けな
> い」(※3)
>
> (平成9年7月6日、夏期講習会登山)
>
>
>
> ■「『求不得苦』ってのは、あのー、何でも欲しいんだ。欲しいんだけども、それを求めて得られない。ね、男が女を欲しいと思って、女は男が欲
> しいよって、エヘっ」(※4)
>
> (同年7月13日、同)
>
>
>
> ■「すべすべした肌に、こう、こう手でなでたい、なんていう若い男の人は思う場合もあるんです」(※5)
>
> (同年7月27日、同)
>
>
>
> ■「女人の欲を断て。うーん、難しいですね、これは。皆さん方ね、えへへ。えー、女人、女人はいいんだから、そう、いいんだ」「やっぱり女人
> に対する欲想もいいけれども、やはり、そこにですね、このお題目をしっかり唱えていく中において、正しい女人に対する欲想を持った方がいいで
> すね」(※6)
>
> (平成11年6月20日、夏期講習会登山)
―――――――――――――――――――――――――――――
●日顕上人の御指南は、ここに掲載された中でも幾つかは直接拝しているが、正に仏法の正義を伝えられる義において、深く拝信されるべき尊い御指南でありました。因みに、ここに書かれる妙な”擬音”はありませんでしたね。
貴殿は直接聞いたのですか?こんな擬音ないですよ。
しかも、全て ※1 五盛陰苦・※2 諸法実相・※3 万象の当体・「妙法蓮華経」における「妙の一字」の不可思議・※4 四苦八苦・※5 煩悩の当相・※6 煩悩即菩提、唱題の不可思議な妙用。を無作の御境涯から、仏法の深義を機に即して御説き下された尊い御指南と拝する。
何か仏法の教義上問題でもあるのですか?
が、しかし、貴殿レベルの信解力・行学力では到底理解できないかな?哀れですね。
それに引き換え池田さんのスピーチは、野卑なだけでなく、内容もなく、更に仏法の正義の上から大いに問題発言です。
貴殿レベルの教学力では理解出来なかったようなので、再び粉砕します。
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▲「心から、全世界の創価学会を代表して、中部の壮年部にご苦労さまと申し上げます。アリガト。(※参加者、拍手して手を振る)もォ、手の振り方もやっとだしね。それから、今、手を振った人、中風になりません!!顔色がいい。ね。もう少し景気良く振ればねェ、福運つくんだけど...。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
●「今、手を振った人、中風になりません」
池田さんごとき一在家が、こんな未来に属することを断言できる根拠を「御書」において証明してください。
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▲「ねェ。朝勤行してない人、ずいぶんいるかも知れないけどさァ、いいですよ、お題目一ぺんでいいんです。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
●はい。朝、勤行せずに、「、お題目一ぺんでいいんです」と断言できる根拠を「御書」で証明してください。
現に、今創価学会は五座三座の勤行を放棄し(これ自体大謗法であり、機会があれば徹底的に破折するが)、方便品・自我偈の読誦を「正式な勤行」として決定したのであるから、最高会議でのその決定事項にも背反する。この矛盾を「御書」を通して証明してください。
―――――――――――――――――――――――――――――
▲「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました。と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
●池田さんかつての指導
▲「過去においても、学会は、会員から、ただの一銭も迷惑をかけておりません。また広宣流布の日まで、学会が続く限り全学会員の皆さんから一銭も寄付を取り、迷惑をかけさせていくようなことは絶対にいたしません。(会長講演集・昭和35年12月7日)
この上記二件の発言の矛盾を「御書」を通して証明してください。
>
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
▲「すごい時代に入りました、ね!そのうちデェジン(大臣)も何人か出るでしょう。もうじきです。明日あたり出るから。みんな、皆さんの部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。(平成5年8月8日・第69回本部幹部会)
●細川内閣の閣僚名簿の発表前日、一宗教団体の長が「明日当たり出るから」といって予告した公明党の閣僚人事は、翌日、すべて的中していた。
「政教分離」が原則であるはずの公明党と創価学会の関係がこのように内通していて良いという正当な理由を「御書」を通して証明してください。
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
>
▲「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。...ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまり受けない)...駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
●「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。」崇峻天皇御書
公の場でこのようなはしたない発言が正当なるものかどうか、上記の御文において説明されたし。
―――――――――――――――――――――――――――――
>
>
>
▲「私の話が高尚で、そしてわかりやすく、そいで哲学的で、そいで文学調で、詩的で、そいで会話的である。頭がそうとう聡明でないと、追っついていけないんです。そいで、行き詰まったところで、コーラスやって、みんなでウップン晴らしをすると、それが、芸術的、SGIの本当の仏法の行き方なんです。その反対が日顕(上人)の行き方なんです。(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
●このような「自讃げ」な態度は、
■「常に自讃して曰く、広く一代聖教を見て知れるは我なり。能く八宗の精微を解する者は我なり。」念仏者追放宣旨御教書事
■「法華経の実義は宗々の人々我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし。」撰時抄
■「公場にして理運の法門申し候へばとて、雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし。」教行証御書
の御文の御心に反する我慢・増上慢。名聞名利ではないか?説明せよ。
>
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
▲「ニューヨーク!ニューヨークの人は、毎日身体を洗っているからきれいです。(日本人以外には全く受けない)(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
●このビデオも観たが、殆ど狂人の様でしたね。貴殿ら大謗法団体・創価学会の首魁・池田センセ〜〜は。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
▲「ハワイ!(中略)マハロー!マハロー!バカヤロー!バッハロー!(平成5年1月27日・アメリカSGI&関西合同総会)
●同上。貴殿は観ました?ただのボケ老人でしたよ。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
▲「このあいだ、オバサン、オバサンジョだ。二つ字を加えなきゃオバサンだったが、男だったんですよ(※ナイジェリアのオバサンジョ元国家元首のこと)。アフリカ全体の中心的人物だ。じつを言えば頭がいいんです、なかなかねェ。アフリカっていうと、少しねェ、黒くてねェ。そう、そんなもんじゃない、先入観がよくない。一番バカなのは日顕(上人)!(平成4年4月26日・第8回中部総会)
●ここは野卑な言質の中にも差別的先入観が漏出している。こんなのが「世界の大センセ〜〜」だって???呵々
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
▲「皆さん方もねェ。もうションベンしたいから早く(※会合を)終わりたいな、って思っているよねェ。(平成4年4月26日・第8回中部総会)
●ただの「耄碌おやじ」の一言ですね。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
▲「あの−、まぁ日顕(上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)。(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
●怨念・憎悪・軽侮の情に囚われた、およそ仏道を修行している者が得るところの精神的果報とは程遠いところにある未熟で幼稚で野卑で下品な境涯である。
―――――――――――――――――――――――――――――
●いやはや、お見事。
―――――――――――――――――――――――――――――
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2005年2月28日 22:52
**********************************************************
> ■僅(わず)かに法華経に結縁しぬるをも翻(ひるがえ)し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶(とも)に謗法の者となる。(唱
> 法華題目抄 224)
>
> せっかく大御本尊に出会えたのにねぇ〜。あ、貴殿は拝することも出来なかかったか?
>
>
>
> ■或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。
>
> 何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだりに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。
> 若し執心飜(ひるがえ)らず、亦曲意(きょくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間(むけん)の獄(ひとや)に堕
> (お)ちなん。(立正安国論 249)
> 有為の郷→娑婆世界
>
>
>
> 創価学会員は無間地獄まっさかさまです。
>
>
>
> ◆いやはや、お見事!
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●ん?このコメントは貴殿の言か?
反論不能でとうとう悩乱したか。
自分らが無間地獄に堕ちると呵責されている内容に対して、「◆いやはや、お見事!」とは!
貴殿は大謗法の華報で狂人と化したか?
そんな曖昧な返答では済まされませんよ。
再度要求する。
この段に対する、明確な反論をせよ。
出来なければ反論不能確定で脱会・日蓮正宗への帰伏を承諾すること。
宜しいな。
**********************************************************>
> ■「百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得
> ざらんや」 (御書二四一頁)
>
>
>
> もし、創価学会が正しいなら、今日本で一番人数の多い宗教団体が創価学会なのに、何故このように三災七難が起こっているのか?全世界に186?
> カ国に広まっている?では何故、世界中に災難が増え続けているのか?
>
>
>
> ◆ 未だ他の世界宗教から見れば、広宣流布は途上の段階であり、私達への苦言として受け止めておきましょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
●愚か者め。
当方が論じているのは、破門された創価学会が世界中に広まりだしてからの方が、三災七難が増えているということであり、それは取りも直さず創価学会が大謗法・大邪教である。ということである。
よって、幾らしおらしく殊勝ぶった言辞で誤魔化しても駄目。
再度、上記の意義を追求する。
論理的に明確に反論せよ。
この段も課題提出やり直し。
出来なければ反論不能確定で脱会・日蓮正宗への帰伏すること。
分かりましたね?
**********************************************************
> ●悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。
>
> 愚かなるかな各(おのおの)悪教の綱(つな)に懸(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網(あみ)に纏(まつ)はる。此の朦霧(もうむ)の迷
> ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。
> (立正安国論 250)
>
>
>
> ■持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」人此の
> 理をしらず見ずして、名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり。(持妙法華問答抄 297)
>
>
>
>
> 三大秘法の御法体を所持されている日顕上人が「一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」との道理が分からずいる貴殿らは堕獄必定。
>
>
>
> ■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん」
>
> 法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん。其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり。大聖
> の金言誰か是を恐れざらんや。人皆経文に背き、世悉く法理に迷へり。汝何ぞ悪友の教へに随はんや。「邪師の法を信じ受くる者を名づけて毒を飲
> む者なり」汝能く是を慎むべし、是を慎むべし。倩世間を見るに法をば貴しと申せども、其の人をば万人是を悪む。汝能く能く法の源に迷へり。一
> 切の仏法も又人によりて弘まるべし。「仏世すら猶人を以て法を顕はす。末代いづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんや」
>
>
>
> よくよく拝し給え。
>
>
>
> ■されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり。其の子を賤しむるは即ち其の親を
> 賤しむなり。
>
> 当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈冥の照覧恥づかしからざらんや。地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎
> むべし。(持妙法華問答抄 297)
>
>
>
> ■仏教をもて仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思ひて、又そばの人も善と打ち思ひてある程に、思はざる外に悪道に
> 堕つる事の出で来候なり。(題目弥陀名号勝劣事 331)
>
>
>
> ■今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知って、邪悪の師を遠離(おんり)し、正善の師に親近(しんごん)すべきなり。設(た
> と)ひ徳は四海に斉(ひと)しく、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師・邪師と知って、是に親近(しんごん)すべからざる
> 者なり。
>
> 「若し誹謗の者には共に住すべからず、若し親近し共に住せば即ち阿鼻獄に趣(おもむ)かん」
>
> いかに我が身は正直にして、世間出世の賢人の名をと(取)らんと存ずれども、悪人に親近すれば、自然に十度に二度三度其の教へに随ひ以て行く
> ほどに、終(つい)に悪人になるなり。
>
> 「若し人本(もと)悪無きも、悪人に親近すれば後必ず悪人と成り、悪名天下に遍(あまね)からん」
>
> 邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり。(最蓮房御返事 文永九年四月一三日 五一歳
585 )
>
>
>
> ■「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結恨(けっこん)を懐(いだ)かん。此の人の罪報を汝今復
> (また)聴(き)け、其の人命終して阿鼻獄に入らん」594
>
>
>
> ■法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉(ねた)み、戯(たわむれ)れにも・(そし)る程ならば、経にて無けれども、法華経に名を寄
> せたる人を軽(かろ)しめぬれば、上の一劫を重ねて無数劫(むしゅこう)、無間地獄に堕ち候と見えて候。(呵責謗法滅罪抄
文永一〇年
> 五二歳 711)
>
>
>
> ■法華経の末代の行者を心にもをもはず、色にもそねまず、只たわぶ(戯)れての(罵)りて候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏
> を罵詈(めり)し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況(いわ)んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の
> 行者を罵詈・毀辱(きにく)・嫉妬・打擲(ちょうちゃく)・讒死(ざんし)・歿死(ぼっし)に当てんをや。810
>
>
>
> ■法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは、三世の諸仏を敵とするになるべし。815
>
>
>
> ■犬は師子(しし)をほ(吠)うれば腸(はらわた)くさる。修羅(しゅら)は日輪を射(い)奉れば頭(こうべ)七分に破(わ)る。(乙御前御
> 消息 建治元年八月四日 五四歳 895)
>
>
>
> ■始めは信じてありしかども、世間のをそ(恐)ろしさにす(捨)つる人々かず(数)をし(知)らず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強
> 盛にそし(謗)る人々又あまた(数多)あり。在世にも善星比丘(ぜんしょうびく)等は始めは信じてありしかども、後にす(捨)つるのみなら
> ず、返って仏をぼう(謗)じ奉りしゆへ(故)に、仏も叶ひ給はず、無間地獄にを(堕)ちにき。987
>
>
>
> ■法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡(とんじんち)により、或は世間の事により、或はしなじな(品品)のふるまひ
> (振舞)によって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほ(蒙)るなり。1232
>
>
>
> ■設(たと)ひ法華経をもって行なふとも験(しるし)なし。経は勝れてをはしませども、行者僻見(びゃっけん)の者なる故なり。(治病大小権
> 実違目 弘安元年六月二六日 五七歳 1236
>
>
>
> ■宿習の至り正師に遇ふと雖も伝持の人自他弁じ難し。「能く是の法を聴く者此の人亦復難し」と。1881
>
>
>
> ■三惑未断の凡夫の語録を用ひて、四智円明(しちえんみょう)の如来の言教を軽んずる、返す返す過(あやま)てる者かな。疾(やまい)の前に
> 薬なし、29
>
>
>
> ■善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。(立正安国論 242)
>
>
>
> 『種々御振舞御書』
>
> ■ 「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(新編一〇六六�)
>
>
>
> ■仏説大五濁経 末法法滅の相
>
> その一「当末の世、白衣に従って学法せん世の一の乱なり」(白衣→俗人)
>
>
>
> ■65六十五世日淳上人も
>
> 「御戒壇様や御法主上人を信じないから仏法が分らない。(乃至)大聖人を信ずる事を知って大聖人のお定めになった法主を�あれは凡夫じや�と
> 云って信じない、それでいながら凡夫のエライ先生にハマリ込んでその先生の言う事は雪も墨と信じ切ってしまう」
>
>
>
> ▼『大白蓮華』
>
> 「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」(平成八年一
> 月号五〇�)
>
>
>
> ■相構へ相構へて、とわり(遊女)を我家へよ(寄)せたくもなき様に、謗法の者をせ(塞)かせ給ふべし。「悪知識を捨て善友に親近(しんご
> ん)せよ」とは是なり 日女御前御返事 弘安二年八月二三日 五八歳 1388
>
> 広宣流布
>
> ■『日達上人全集』
>
> 「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(二―六―二九五�)
>
> 貴殿らが仏法に迷える大謗法集団であることは明々赫々です。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆さて、貴方の教条主義について少々考察してみます。
>
> 「人類社会の本源的救済」というのは、原理的・比喩的にのみ叙述することが可能なユートピア世界であって、それが達成されるかどうかは「いま現実に勝利する」ことと比べれば、副次的な意味しかもっていないと思われる。
>
> なぜなら、現実社会とは「仏」と「魔」とが「とられじ・うばわん」と互いに争う、動的世界だからです。「魔」が消滅しユートピア(静的世界、世界の終り)が出現すると考えることは、大聖人仏法の世界観の本質と相容れない。
>
また、「夫れ仏法と申すは勝負を先とし」とか、仏の別号が「世雄」といわれることを前提にしても、「広宣流布を現実に推進し、勝利してこそ仏法である」と言えるのであって、反対に、いかに「正しい教えだ」と主張しても、広宣流布を推進できないなら、そこに「仏法」は存在していないという解釈が成り立ちます。
>
> 要するに、貴方達がいくら「正しい仏法でないから『広宣流布』ではない」といっても、逆に「現実に勝利しているからこそ仏法的に『正しい』と言えるのだ」と反論されるでしょう。
>
> 「正しい仏法でないと人類社会の本源的救済ができない」とする、原理的アプローチをするのもよいが、信心していない第三者から「じゃあ、貴方達の仏教は、なぜ学会のように拡大していないの?」と聞かれた時にどう説明するのか、ということです。
>
> それに対して「原理的にはウチの方が正しいんだ!」といっても、議論的に苦しい。
>
>
> 原理的な視点だけに着目し、現実的な視点を欠いては、「事の仏法」と言われる大聖人仏法の醍醐味はどこにあるのか、少しは真面目に考えてみてはどうかな。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●どうした?御文の一々に反論不能か?出来る訳ないな。貴殿のレベルでは。
では貴殿の愚昧な”作文”について完摧する。
まず、根本的な意義について。
「広宣流布」=三大秘法の御法体を流布すること。
創価学会が勝手に印刷・発行・販売しているニセ本尊は、三大秘法の御法体ではない。
よって、創価学会は広宣流布をしていない。
簡単なことです。
が故に、この段の貴殿のショボい作文は全く無意味。
その魔物であるニセ本尊の販売数の多さを幾ら誇っても、それは大謗法の程度の深さを自慢しているようなもの。
愚の骨頂。馬鹿丸出し。頭破作七分。
1、もし創価学会が勝手に印刷・発行・販売しているニセ本尊が正しいというのなら、身延のみやげ物売り場で売られている、大聖人御真筆御本尊の複製印刷の掛け軸とどう違うのかを「御書」だけを用いて証明してみよ。(貴殿は大石寺教学は信じないんですものね。)
2、
★「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」
(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖)
折伏教典三二三)
★「信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるものであり、我等信者が云々すべきも恐れあることである。三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることがはっきりわかるのである。これは不相伝なるが故に仏法の深義に迷うのであって不相伝家は皆本尊に迷うということが言えるのである。」
★「御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものは全て謗法である。」
かつて創価学会では戸田会長を始め、このように明確に規定していたが、今創価学会が勝手に印刷・発行・販売しているニセ本尊は、この文言と明らかに相反する「物体」だが、この矛盾を「御書」だけで証明せよ。
3、更に貴殿にもう一度だけ機会を与え再度詰問する。
この段の上記の御文一つ一つに全て明確に反論せよ。
出来なければ貴殿は反論不能と断じ、脱会・及び日蓮正宗への帰伏を要求する。
教学力が無い上に懈怠をして、反論を怠る勿れ。手抜きをしないように。
貴殿の反証能力はこの程度か?
この往還が出版されたら貴殿は法華講のみならず創価学会内でももの笑いになることは必定である。
急ぎ急ぎ反論を企つべし。
**********************************************************
2005年3月1日 23:48
**********************************************************
> ●更に、貴殿ら新興宗教「創価学会」が勝手にプリントして掛け軸様にして「本尊」と称する「魔」を拝んでいる、その基の一機一縁のご本尊を御書写された、貴殿らの宗派とは全く何の関係もない、当宗二十六世日寛上人も、また、貴殿ら創価学会が好んで担ぎ出す、やはり、貴殿らの宗派と全く関係のない、当宗五十九世日亨上人も、大聖人と同じ「本門戒壇の大御本尊を顕示」するための仏宝と同じ「実践」をされましたか?竜の口の法難に遭われて発迹顕本されたのですか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆大聖人も同じ類の論難を受けました。
>
> 「求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり汝は四百余年の年紀をへだてたり如何」〜妙一女御返事〜
>
>
>
> お互いが大聖人仏法を源としている以上、上記の主張は貴方達の正統性を証明しているとは言えないと考えます。
>
> 実践については上記で述べましたので、そこで反駁して下さい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ● はい、ここでもまたもや貴殿の法門未熟さが露見しました。
>
> 貴殿が引用した当該御書は下記の一節ですが、ここは、法華と真言とを対して正義を論じた権実相対のけじめを述べられおられる箇所です。伝教大師の釈に対して慈覚大師が、権実相対して明らかに間違っているが故の文であって、三大秘法の口伝と同列に論じることは出来ない御文です。
>
> ■「求めて云はく、慈覚大師は伝教大師に値ひ奉りて習ひ相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答へて云はく、師の口より伝ふる人必ずあやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてゝ口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用なり、慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかゝれて、次下に「当に知るべし、此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕はすなり、乃至当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し」等@云云@。此の釈を背きて、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。」
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆貴方の「貴殿らの宗派と全く関係のない」との主張に対し、「汝は四百余年の年紀をへだてたり」との反駁の意味は理解できましたか?
>
> 67人で伝言ゲームをやってみましょう。60人目の言葉を根拠にするより、1人目の言葉を根拠にすべきなのは道理なのです。
>
> 大石寺の消極的且つ矮小した解釈がまた露見しました。恥の上塗りです。
>
> さて
>
> 「師の口により伝わったものでなく経文を本とする」との御金言が普遍的な道理を述べられたものではなく、
>
> 「権実相対」だけに矮小解釈するのが貴方の解釈なのですね。
>
> また一つ、山寺の矮小解釈が明らかになりました。
>
> ここも強調文字または、フォントを大きくするなどして目立つようにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
●やはり貴殿のレベルでは理解出来ないでのでしょうね。今までの愚昧な返答を見れば無理もないことか・・・。
そんな愚痴蒙昧な貴殿には酷かもしれないが、今回の段は更に難解です。
貴殿には理解出来なくてもいいですよ。良識ある読者が意を了して下されば、それで貴殿の頑迷固陋な様は証明されるのですから。
ではいきます。
1、この御文の意は、慈覚が明らかに伝教大師の釈に違った義を主張しているという大前提があることが読めませんか?
■「伝教大師の秀句と申す御文に、一切経になき事を十いだされて候に、第八に即身成仏化導勝とかゝれて、次下に「当に知るべし、此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕はすなり、乃至当に知るべし、他宗所依の経には都て即身入無し」等@云云@。此の釈を背きて、覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。」
このようにはっきり伝教大師が「法華経を除いて一切経では即身成仏義は無い。」と明記しているのに、慈覚は「大日経こそ即身成仏の経である。」という邪義を立てている。ここまで明白な相違が顕然としているのに、伝教大師の釈を捨てて明らかに間違っている慈覚の義を取るのか?という文意である。
そういう道理が顕然なるが故に、
■「師の口より伝ふる人必ずあやまりなく、後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてゝ口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用なり、慈覚大師の口伝真実なるべきか。」
と仰せられて、道理・文証が明らかな上は、仮に”四依の菩薩”の言であって用いてはならない。と仰せられている。
これが法華真実・大日経未究竟との権実相対における判釈の義である。
2、更に■「経文をすてゝ四依の菩薩につくべきか」との御文に、神力品での結要付嘱せられた本化地涌の菩薩の上首上行の御自らのお立場と総付嘱のみしか受けていない迹化の菩薩との厳然たる相違・勝劣のけじめを密示せられていると拝せられる。
つまり、熟脱の釈迦仏法はその存在の成り立ちからして自ずから正像二千年で隠没する命運にあるのであり、末法の下種仏法は万年・尽未来際まで永劫に流伝する。
その隠没する釈迦仏法の立場における「相伝」の当相と、末法万年尽未来際にまで続く下種仏法に於ける「相伝」を俄かに同列に位置付け、大聖人滅後の「御相伝の永遠性」に疑義を呈し、愚かにも即断しているのが貴殿の主張である。真に仏法の綱格に暝い未熟者である。
以上貴殿にはまずこの論旨を理解できないであろうが、しかし、この解釈すら理解できないのなら、もはや当方と法論をやる資格なし。
永久に「準備運動」でもしていなさい。
「▼ここも強調文字または、フォントを大きくするなどして目立つようにします。」
などをして更に貴殿の無知さ加減を強調すれば全国の読者の為にも真に幸甚・幸甚。
**********************************************************
2005年3月2日 23:48
**********************************************************
> ●しかも、貴殿は「創価学会の精神が大聖人に直結しているが故に、別に口伝による血脈相承など関係なく、創価学会がどの御法主のどの御本尊を
> どのように改竄・印刷・大量販売しても許される」と主張したいのでしょうが、これは全くの邪義・邪説・盲信・邪信です。
>
> ■『佐渡国法華講衆御返事』日興上人
>
> 「この法門は、師弟子をたゞして仏になり候。師弟子だにもちがい候へば、おなじ法華をたもちまいらせて候へども、無間地獄におち候。(中
> 略)案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」(歴全一―一八三〜一八四
> �)
>
>
>
> 貴殿の考えでは間違いなく無間地獄まっしぐらです。しかも、貴殿の読解能力の低さは群を抜いているらしく、今回の反問の主意が理解できなかっ
> たようで、まるで筋違いの回答でした。ご苦労様。諧謔を混ぜ、すこし複雑な構文にしたのですが、貴殿にはやはり読み解くことが無理だったよう
> ですね。貴殿の国語能力に合わせ、もう少し分かりやすいく説明しますね。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
>
> ◆真偽未決のものを他の団体に押しつけても無理があるますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
●『佐渡国法華講衆御返事』が偽書であるという根拠を提示し給え。
誰が、どの文献で言っているのか?
それを明示せずして、「真偽未決」と自分勝手に結論付けられないでしょう。
その答えを見てから徹底的に論じ合いましょう。貴殿がどんな資料を出して来るか楽しみです。
―――――――――――――――――――――――――――――
>
▼> 『経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。』
>
> 〜御義口伝〜
>
> 仏語を「信受」とある通り、大聖人の御金言を「信受」すべきなのです。
>
> 折伏弘教しない日顕に三類の強敵は喚起しない。つまり「仏語を信受」できないと言ってるのですが、自ら混乱を招き、頭も混乱してませんか?
―――――――――――――――――――――――――――――
●▼「折伏弘教しない日顕に三類の強敵は喚起しない。」云々については完摧済み。
しかし、貴殿も成長の無い人ですね。論に詰まった者は狂人のうわ言の様に同じことを繰り返し喚くものです。
「折伏行」における修行の一片の意義のみに囚われて、「折伏行」の全体が見えない貴殿が浅識謗法の果報として悩乱しているだけのこと。
さて、今回の当該御文は
■「第二 如来秘密神通之力の事
御義口伝に云はく、無作三身の依文なり。此の文に於て重々の相伝之有り。神通之力とは我等衆生の作々発々
と振る舞ふ処を神通と云ふなり。獄卒の罪人を呵責する音も皆神通之力なり。生住異滅森羅三千の当体悉く神通
之力の体なり。今日蓮等の類の意は、即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云ふなり。成仏するより外の
神通と秘密とは之無きなり。此の無作の三身をば一字を以て得たり。所謂信の一字なり。仍って経に云はく「我
等当信受仏語」と。信受の二字に意を留むべきなり。」
ですが、▼「大聖人の御金言を「信受」すべきなのです。」と言うことなど仏法を修行する者にとっては当然過ぎるほど至極当然であり、そのことを言いたいがために態々引用する御文ではないと思いますね。
貴殿の迷妄は「信」の中身に全く暝い所から来ている。
仏法において「信」を根本にすることなど、当たり前である。
問題は「何」を「どう」信じるかである。
では
▼「大聖人の御金言を「信受」すべきなのです。」と宣う貴殿に簡単な質問。
■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」一代聖教大意
1、貴殿ら創価学会は 1、いつ 2、どこで 3、いかなる相伝を 4、誰から受けたのか?明示せよ。
その相伝が明示できなければ、御金言の通り貴殿らは法華経の深意を知りえないただの不相伝の謗法の輩である。
2、上記の御文「此の文に於て重々の相伝之有り。」の「重々の相伝」の内容を段階を追って明示せよ。
それが明示出来なければ貴殿らは■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」の御金言の通りであるから、やはり、不相伝家の謗法集団である。
上記1,2いずれも返答不能な場合もしくは不完全な場合は、速やかに脱会し日蓮正宗に帰伏せよ。宜しいな。
**********************************************************
> ●貴殿は
>
> 「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文を根拠に「大聖人と同じ”実践”がなければ尊仰できない」と
> 主張している。であるならば、日寛上人・日亨上人は「大聖人と同じ「本門戒壇の大御本尊を顕示」するための仏宝と同じ「実践」をされましたか
> ?竜の口の法難に遭われて発迹顕本されたのですか?」と訊いているのであります。”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如
> くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”という貴殿の論法で言えば、大聖人と同じ「実践」をされなければ、日寛上人も日亨上人
> も、みな尊仰できないということになるでしょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
> ◆大聖人の如く実践していない人を、大聖人の如くに尊仰しないのは当然だと考えます。分分に尊敬するのが道理でしょう。
>
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
> ●ほ〜〜〜〜、すると、貴殿は日寛上人・日亨上人をどのように”尊敬”しているのですか?”分分に”だなんてあいまいな表現でなく、教学的に
> 明確にその尊敬のしかたを表示してください。といっても貴殿にはその回答すら難しいでしょうから、下記の設問にはいかいいえでお答えくださ
> い。
>
> 1、本尊とは我々が成仏を遂げるために、根本尊仰して、帰命依止する対象ですが、日蓮大聖人のようにではなく、”分分に”尊敬している=大聖
> 人よりは尊敬していない、日寛上人の御本尊を(勝手に改竄・大量印刷して)拝んでも成仏するのですか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆ もちろん。和合僧団が決めた御本尊ですから。あとは信力行力によるのです。さて、否とするなら、日顕を大聖人と同じように尊仰すると
> いう御金言を提示してもらいましょう。真偽未決のものや御(ママ)加文でなくね。
>
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここは、またもや貴殿のお寒い浅薄な信行学がもろに露出しましたね。
1、貴殿ら創価学会を「和合僧団」と断定できる文証と理証を明示せよ。「世界に通用する論理」で。貴殿の我田引水の勝手な思い込みやこじつけなどは不可。
2、「和合僧団」が、帰命依止の根本尊仰の本体である「本尊」を”自分勝手”に決めても良しとする文証・理証を挙げよ。
3−1、何故、貴殿ら創価学会が帰命依止する根本尊仰の本体である「本尊」を、日寛上人が浄圓寺16代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」の勝手な印刷複製本尊と決めたのか。文証・理証を詳らかにせよ。
3−2、どうして大聖人御真筆御本尊ではなかったのか?「世界に通用する論理」で論旨明快に説明せよ。
4、貴殿の言う「信力行力」の「信力」とは”何を””どう”信じることか、明示せよ。?「世界に通用する論理」で。
5、只「信力行力」だけでいいというのなら、天理教の会員でも、立正佼成会の会員でも、「信力行力」の旺盛な会員は多数いる。彼らの「信力行力」と貴殿の「信力行力」の違いと正当性を文証・理証を的確に用いて明確に論証せよ。?「世界に通用する論理」で。
次に「御(ママ)加文」=「後加文」について。
これはもちろんこの対論の冒頭で当方から提示した、百六箇抄の■「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」のことであろうが、貴殿は”御(ママ)加文”であるからその意義において信用できない、と主張したいのだろうが、以下の文言をどう読むか、貴殿のいい訳が聞きたい。
【関連】
●65日淳上人
百六箇抄については香浦氏は「その成立を大聖人の時ではなく後世であるか」の如く評してをるが、(中略)しかし察していへば恐らく同抄の後尾に明らかに大聖人の御時でないことが書かれてをるからそれを理由に言ふのであらうと思ひます。若しそうであるならばそれは御相伝書の拝し方を知らないのによります。御相伝書は順次相ひ伝へるに従つて加筆があつてもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで僞作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗つて拝し直すことです。
▼3【池田指導】(百六箇抄講義)
本抄(百六箇抄)には歴代の法主上人が拝読されたおり、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故にこの部分も、私達が大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可決の記述といえましょう。(中略)百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。
貴殿は「大聖人の御金言を「信受」すべきなのです。」とのたまった。
池田センセ〜〜は、「百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。」と仰っておる。
だったらまさに、■「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」この御文の通りにこの「大聖人の御金言」を拝しなさい。
もしそれが出来ないのなら、貴殿らはこの「大聖人の御金言」に反した大謗法団体である。
即脱会し、懺悔し、帰伏しなさい。いいですね。
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2005年3月4日 23:54
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> ●
>
> 2、大聖人直筆御本尊と、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、尊さに勝劣があるのでしょうか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆はいはい。御本尊自体に勝劣はない。和合僧団が決めるのです。それ以外に真実はない。
―――――――――――――――――――――――――――――
●和合相談、いや装弾、いや僧団については完破済み。
その段で反論できなければこの段も同様。
>
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> ●
>
> 3、大聖人直筆御本尊と、、”分分に”尊敬している日寛上人の御本尊とでは、我々の成仏の仕方に”分分の”差が生じるのでしょうか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆大事な質問です。和合僧団が決めた御本尊であれ、成仏に差が生じるとしたら、自身の信力行力によるのです。自分以外に原因はない。
―――――――――――――――――――――――――――――
●はい、ここの「自身の信力行力」についても詳細に破折済み。
貴殿の程度しか教学力がないと、同じ地平をただぴょんぴょんと無様に跳び跳ねているだけですね。滑稽です。惨めですね。
>
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> ●
>
> 4、日寛上人と日亨上人とに”分分に”尊敬すべき程度の差があるのですか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆何れの上人も、和合僧団の創価学会を誹謗中傷していないという一点において、日顕などより尊敬すべきは明らか。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここも同轍。文証・理証・まして現証に於いての根拠のない「和合僧団の創価学会」などという痴言は摧破済み。
更に貴殿の迷妄は深重であり、智慧は極めて浅薄である。
その貴殿らの勝手な妄想の産物である根拠などまるでない「和合僧団の創価学会」を基準に置いて、御内証・三宝一体の御尊体の是々非々を云々するとは、正に
■「我慢心充満、未得謂為得」の増上慢の大悪人なり。(中略)今世には国を亡ぼし、後世には必ず無間に堕せん。」建長寺道隆への御状 が如きの大?慢謗法・浅識・不解・不信・誹謗・顰蹙・計我・憎善・嫉善・恨善・軽善の大虚け者ですね。
しかも、悩乱・錯乱して時系列の認識にも異常をきたしたか。愚か者め。
日實上人の時代には「和合僧団の創価学会」などといういかがわしい派生団体など当然の如く存在していなかった。
にも拘らず、そんな在りもしない団体を”日實上人が「誹謗中傷していない」”と断定するとは!
やはりニセ本尊の猛烈な害毒が貴殿の脳髄に廻って妄想に取り憑かれた、正に頭破作七分の現証である。
もし、貴殿が日毎に拝んでいる”掛け軸もどき”の正当性を証明したいのなら、ここの貴殿の反論部分は実に面白い箇所なので、逃げずに更に掘り下げ再反論せよ。出来なければ、貴殿の精神が大謗法の報いとして錯乱していると言うことを認め、脱会し、一刻も早く日顕上人に反省懺悔せよ。
>
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> ●
>
> 5、日寛上人の御本尊と、日亨上人の御本尊では”分分”の差があるのでしょうか?どっちの御本尊の方が功徳があるのですか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆はいはい。自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。
―――――――――――――――――――――――――――――
●未熟者の貴殿は「法体の正邪・勝劣」と「修行の厚薄」の縦分けが出来ずに惑乱しているただの蒙昧な弁妄者に過ぎない。
ここも既に完摧済み。
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誤字訂正
日實上人→日寛上人
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2005年3月5日 23:15
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> ●
>
> 6、日寛上人は僧宝ですか?違うのですか?もし、僧宝でないのなら、何というお立場ですか?もし、僧宝ならば、僧宝の定義を文証を挙げて明示
> してください。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
> ◆ 「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」
>
> 〜御義口伝〜
>
> 貴方は大聖人お一人の事と珍解釈をしましたが、ここでは置きましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
●おいおい、反論不能の醜態を誤魔化すものではない。
当方は貴殿らが天と地が動転しても間違っても「僧宝」ではないと明確に論証したのですよ。
にも拘らず、一言も反論できずに同じ御文を引くとは、貴殿の思考が停止していることの証明です。
こういう状態を「唖法を受けたる婆羅門等の如し。」というのです。
法論においては「反論不能で負け」と言うのです。
また俗には「阿呆の一つ覚え」と言うようですね。
当方が「珍解釈」というのならその根拠を明証し給え。
文証・理証において反論できなければ、貴殿はこの段においては反論不能であることを認め、謝罪し脱会せよ。
以下、貴殿の「珍解釈」を破折した箇所を再掲する。
再度熟読し、反論してみよ。
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●また何を言い出すかと思えば。貴殿の引文は全くお門違いばかりですね。しかも、自分等の謗法の咎を表示している箇所を敢えて引証してくるとは。「盲法門・もぐら法門・ミミズ法門」ですね。
では、いきますか。貴殿は後半部分を根拠に”創価学会を僧宝”と馬鹿げたことを言いたいのでしょう?
この御文は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御事をお示しなのです。決して貴殿ら三宝誹謗の大謗法者たちのことではありません。
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。法とは題目なり。僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
まさに、この御文のとおりで、解釈をする必要もないほど明瞭ですが、理解力の欠乏した貴殿に対して敢えて説明するならば、
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」
ここは、このまま、末法御出現の御本仏は、三十二相色相荘厳の迹仏の姿ではなく、凡夫、なかんずく凡夫僧の姿である。ということです。
■「僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
ですから、再度釈されて、凡夫僧とは末法の法華経の行者=本仏である。それは、僧形ではあるけれども、内証は御本仏であり、外用は凡夫僧である。
■「深覚円理名之為仏の故なり。円理とは法華経なり」
ここで決着ですね。ここの意味を知っていて引文したとすれば貴殿はほとんど日本語を知らない外国人か、はたまた狂人ですね。
ではいきます。
「深く円理を覚る。之を名づけて仏と為す。円理とは法華経(=戒壇の大御本尊) なり。」
ここにまさに、御本仏の御境地がはっきり現れているではないですか。
貴殿らは、”深く円理=戒壇の大御本尊 を覚”っているのですか?まっさか!
こういう法門の筋目を分からずして、乱引するから、こうして恥をかくのですよ。
”戦い続けている学会員も僧宝”ですって?呵々。
一体何と戦っている事やら。
■「今末法に入つて日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事彼に過ぎたり。」
貴殿らのやっていることはまさにこれではないですか。
御法主日顕上人猊下も我々法華講もみな戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して、”南無妙法蓮華経と唱え奉”っているのですよ。
■「不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受く」
■「彼は千劫此れは至無数劫なり」
この御文のとおり、貴殿らは間違いなく、まさにほとんど無限に近い時間ほど地獄に堕ちますよ。
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>
▼> 貴方は仏法を静的なものと観るから、このような愚かな質問をするのです。
>
> 「行者」である事実とセットなので、日寛上人が僧宝でもいいのです。与えて言うなら、日顕が真の和合僧団のリーダーなら、日顕はもちろん、貴方達も僧宝でいいのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●全然答えになっていませんね。ここはまたもや貴殿の知能程度を推量する上で貴重な資料となりました。
【大綱としての破折】
日寛上人は大聖人と同様の「行者」としての御振る舞いをしたのか?と聞いていることが分からないほど貴殿は大脳が未分化と言うことですね。
貴殿の妄論は「大聖人と等しく三類の強敵を起こさなければ尊仰に値しない。日顕上人は三類の強敵を起こしていない。故に日顕上人は尊仰できない」と、こうでしたね?
この迷論を見て貴殿が「僧宝」義が全く分かっていない未熟者だから、当方は敢えてそこを突いて詰問したのです。
では再度詰問する。日寛上人は大聖人と等しい三類の強敵を扣発されたか?
歴史の事実として明白である。→扣発されていない。
では何故尊仰出来るのか?
貴殿の痴論からすれば「尊仰出来ない」との結論になるはずである。
尊仰していない方の書写本尊を「帰命依止・根本尊仰の本体」として拝むことは道理に反している。
【網目の破折】
1、「仏法を静的なものと観る」だの「動的に捉える」だのの”判釈の法門”を御書だけで説明しなさい。
出来なければ貴殿は「私的法門」という単なる邪義を勝手に述べてているだけのただの薄汚い溝鼠のような謗法者である。
文証・理証に於いて反論せよ。出来なければ脱会。
2、「「行者」である事実とセットなので、日寛上人が僧宝でもいいのです。」
この表現も、またもや日本語が不適切で意味不明瞭。貴殿の学力の低劣さにはほとほと辟易する。もっと賢い文章を書きなさい。
�日寛上人にどのような「「行者」である事実」があるのか?証明せよ。出来なければ謝罪し脱会。
�”行者と僧宝がセット”という珍無類の邪説を文理において正当化してみよ。できなければ謝罪・脱会。
�この段の返答では未だ「僧宝」の定義が明瞭になっていない。落第。文理明瞭に調べ再提出せよ。出来なければ詫びて教えを請いなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼> 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。「幼稚の頚に懸けさしめ」の意、正しく此に在り。故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ云云。」
>
> 〜観心本尊抄文段〜
>
> 御金言に基づいている日寛上人の上記御指南は尊敬に値するでしょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿ほど、ものの道理が分からなくなっている者も珍しいですね。
ニセ本尊の害毒で貪・瞋・癡の三毒の全部。取り分けて癡=道理が分からなくなる様。が強盛に増しているのであろう。
貴殿の言い分は、日寛上人をはじめ御歴代上人の御指南を、貴殿のそのお寒い脳髄で判定して取捨選択していると言うことだが、
■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」一代聖教大意
■「一、当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事。」日興遺誡置文
相伝のない、極理も師伝されていない、貴殿如きの低劣未熟な教学力の持ち主が、どういう基準で「御金言に基づいている」とかいないとか判釈することが出来るのか?
1、大石寺以外の日蓮宗系では貴殿と同様の痴論を立てているが、その全ての派の御書の解釈には異議・異説・異論が百花繚乱の態である。どれがどういう根拠で「正しい」と判定できるのか。道理・文証で証明せよ。出来なければこの馬鹿げた妄執を捨て、詫びて脱会せよ。
■「一、一念三千を識らざる等文。(二五四�)
この下は大段の第三、結文なり。
文意に謂く、末法今時の理即・但妄の凡夫は自受用身即一念三千を識らず。故に久遠元初の自受用身、大慈悲を起して妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕し、末代幼稚の頚に懸けしむ等となり。
或は云く、妙法五字の袋の内に理の一念三千の珠を裹むと云云。或は云く、妙法五字の袋の内に本果修得の事の一念三千の珠を裹むと云云。
今謂く、妙法五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠を裹むなり。当に知るべし、久遠元初の自受用とは蓮祖聖人の御事なり。久末一同、これを思い合すべし。
問う、妙法五字のその体何物ぞや。
謂く、一念三千の本尊これなり。
一念三千の本尊、その体何物ぞや。
謂く、蓮祖聖人これなり。
問う、若し爾らば譬喩如何。
答う、且く能所に分つも実はこれ同じきなり。例せば「夫れ一心に十法界を具す」乃至「只心は是れ一切法、一切法は是れ心」等の如し云云。
我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。「幼稚の頚に懸けさしめ」の意、正しく此に在り。故に唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。一生空しく過して万劫悔ゆることなかれ云云。」
●貴殿の様な未熟なものには懇切丁寧に解説しても理解出来ないと思うが故に、今回は要のみを述す。
この御指南の指す所の「この本尊」とは、文意を拝し高校程度の学力があれば容易に理解できることであるが、本門戒壇の大御本尊の御事である。その本門戒壇の大御本尊を■「信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。」ということである。しかして■「信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、」との意が■「唯仏力・法力を仰ぎ、応に信力・行力を励むべし。」との御指南に通ずるのである。
凡そ「信」在るところには必ず「行」がある。「行」のない「信」など在りえないのであり、「似非信行」である。
そこで貴殿らの行動には致命的欠陥が在る。
いわく戒壇の大御本尊を信じ行じ参詣し拝さない(拝せない)のである。
これは信行不具足であり、■「我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。」との果報は成じ得ない。
■「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。」南条殿御返事
■「仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一生に消滅すべきか。弥はげむべし、はげむべし。」四条金吾殿御返事〔殿岡書〕
★戸田城聖氏「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心になれない」
等の文証において、貴殿の主張は矛盾破綻しており不可である。つまり成仏など思いの他、堕獄必定である。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
▼> 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。」〜御義口伝〜
>
> 大聖人の生命が瞬間瞬間に顕れるとあるとおり、固定化された立場や地位に正統性などなく、実践の中にこそ仏法は脈動しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
●この引文も全く意を得ておらない。正に悩乱者が盲滅法に御書を妄引、乱引しているだけ惨態に過ぎない。
■「一念に億劫の辛労を尽」くし信力・行力に励むことにより ■「無作の三身念念に起る」との御指南は、貴殿が”尊敬に値する”日寛上人の御指南からして、本門戒壇の大御本尊を”拝せない”貴殿らには絶対に起こりえない境涯である。
今の邪念を改心するまでは、そこで垂涎でもしていたまえ。
因みに「尊敬」とは「その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。」であり、御指南の”文そのもの”を「尊敬」することは在り得ない。悩乱している創価学会内部ではどうか知らないが。
ここでも貴殿の基礎学力の習熟度の低さが露見した。貴殿の現在の状態は、所詮そんな程度なのだから、あまり生意気な表現を多用すると、全国に実名で恥を拡大させるだけであるから自重したほうが良かろう。老婆心ながら忠告しておく。
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2005年3月6日 23:06
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> ● 7、日興上人の御本尊と日寛上人の御本尊では優劣があるのですか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。低レベルな質問です。
―――――――――――――――――――――――――――――
●敢えて何度も言いたくはないが、貴殿の回答を見れば見るほど言いたくなりますね。 貴殿は本当に愚かですね。”低レベルの反論です。”
1、「自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。」のなら、教義、本尊、修行法、などはどうでも良いのですか?まさかそんなことはないでしょう?
先にも破折しましたが、他宗・他門の信者でも皆「信力・行力」をもって、(当然我々より強い「信力行力」をもって)信仰している方々もいる。
貴殿は、信行する対鏡及び実践法である本尊、教義、修行法と、修行する側の「信力行力」との「能所の筋目」という、こんな初歩的な法門に惑乱している無様さを晒しているだけである。
天理教の信者と、立正佼成会の会員と、顕正会・創価学会の会員はそれぞれ「信力行力」をもって夫々の修行に励んでいるが、貴殿の説の如く「自身の信力行力による。つまり、自分以外に幸不幸の原因はない。」のならば、夫々の宗派の信者で強い「信力行力」があればその全てが幸福になれる。ということになる。なんと馬鹿馬鹿しい解釈ではないか。
貴殿の行学のレベルは所詮この程度である。同(謗法)門の創価学会会員からも物笑いの当事者になるだろうほどの未熟者である。
「準備運動」をもう一度丹念にし、出直して来なさい。貴殿の馬鹿さ加減では全くお話にならない。
愚かで痴暝な貴殿に再度確認するが、「御歴代上人を分分に応じて信仰する」と言うことだったですね?
では御歴代上人に勝劣が在ると言うことですね?
では人即法・法即人の御内証により、その勝劣在る御歴代上人の御書写の御本尊にも勝劣が在ると言うことですね?
では再度の詰問です。
7、日興上人の御本尊と日寛上人の御本尊では優劣があるのですか?
御書の御文だけで論旨明快に返答せよ。出来なければ深く謝罪し脱会せよ。
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> ●8、御歴代上人を、貴殿の基準で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文を根拠に、”分分に”順列をつけてください。貴殿の論理からすると大聖人のお振る舞いに近かった方から尊敬する程度の差が生じることになりますよね。何を基準に一生のお振る舞いを大聖人に近いとか遠いとか判定するのですか?
また、その御歴代上人の御本尊にも”分分に”功徳の浅深があるのですか?ないとするならば、どういう理由でないのか、明証してください。
> これらの反問に逃げずに明確にお答えください。ここは貴殿の仏法理解の未熟さがはっきり露呈した箇所ですから、実に重要なポイントですからね。楽しみに待ってますよ。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
> ◆山寺の論理で当てはめるから、このような稚拙な独りよがりに陥るのです。ここまでレベルの低い人だとは、、、
>
> 和合僧団が決める。祈る側が決める。それ以外に真実はない。自分以外に原因はない。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●基礎学力すらも習熟していない幼稚なレベルなのに、当方からの詰問に逃げながら、その稚拙な自らの、分に過ぎた生意気な強がりを吐くだけでなく、きちんと明確に答えなさい。
貴殿が思い込むその「和合僧団」(創価学会が「和合僧団」でないことは既に完全破折済みである)が決めた御歴代御法主上人の優劣の順位を明確に一覧表にして示し給え、と言っているのである。
▼祈る側が決める。
それ以外に真実はない。
自分以外に原因はない。
これなどは正に狂人のうわ言である。まさに貴殿がニセ本尊の害毒で愚鈍になった証左の発言である。
こんなうわ言は反論として通用しない。
課題再提出。当方からの詰問の論旨に即し、上記の一覧表を提出し給え。
―――――――――――――――――――――――――――――
>
▼> どの団体が和合僧団か、
>
> 1、御金言通り折伏弘教する
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●御金言通りかどうか誰が判定するのか?
■「一、衆議たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。」
貴殿らが幾ら「御金言通り折伏弘教」している、と妄執して主張しても、時の貫首猊下が「違います」と仰せになれば、その一言で砕かれてしまう。今は正にこの御指南の通りになっただけである。
世間でも「自分が誰それの後継者だ。」と主張しても、客観的事実による証明がなされなければ、それは単なる言いがかりに過ぎない。
貴殿のような幼稚な者には多言は無用だから、一言。
ニセ本尊を広めても「折伏弘教」にはなりません。ご苦労さん。
―――――――――――――――――――――――――――――
▼> 2、多くの人に認知される
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここも貴殿の仏法的資質が全く欠如していることが如実に露見してしまった箇所。
★ みょうもんみょうり(名聞名利)=世間の評判や名誉・利益のこと.名聞は名が一般世間に聞こえること.世間の評判.名利は世間の名誉と利益のこと.(日蓮大聖人 御書辞典 池田大作監修)
■「名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。」持妙法華問答抄
■「たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。」新池御書
■「一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事。」日興遺誡置文
貴殿ら創価学会は日興門流では無いですね。間違いなく。ご愁傷様。
―――――――――――――――――――――――――――――
> 3、人数が増える
―――――――――――――――――――――――――――――
●摧破済み。
■「【異体同心事】(一四六三)▲悪は多けれども一善にかつ事なし、」
【聖愚問答抄】(四九三)
▲世間出世、善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり、然れば何ぞ強ちに少きを、おろかにして多きを詮とするや、土沙は多けれども米穀は希なり木皮は充満すれども布絹は些少なり、汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ。
●人数
何ぞ多きを捨て少なきに付くと云ふ事、必ず多きが尊くして少きが卑きにあらず。賢善の人は希に愚悪の者は多し。(聖愚問答抄 401)
▲一、堂社僧坊は仏法に非ず又智慧才覚も仏法に非ず多人数も仏法に非ず・堂塔が仏法ならば三井寺・山門等仏法たるべし、又多人数仏法ならば市町皆仏法なるべし、智慧才覚が仏法ならば天台宗等に若干の智者あり是れ又仏法に非るなり、仍って信心無二して筋目を違へず仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふなりと已上。有師談諸聞書 2−146
■「最初の威音王如来、既已に滅度したまいて、正法滅して後、像法の中に於て、増上慢の比丘、大勢力有り。爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。」法華経
■「諸根完く具して中国に生じ、正信を具足して能く道を修習し、道を修習し已はって能く正道を修し、正道を修し已はって能く解脱を得、解脱を得已はって能く涅槃に入るは爪上の土の如く、人身を捨て已はって三悪の身を得、三悪の身を捨てゝ三悪の身を得、諸根具せずして辺地に生じ、邪倒の見を信じて邪道を修習し、解脱常楽の涅槃を得ざるは十方界所有の地の土の如し」守護国家論
■「一闡提と作らず、善根を断ぜず、是くの如き等の涅槃経典を信ずるは爪上の土の如く、乃至一闡提と作り、諸の善根を断じ、是の経を信ぜざる者は十方界所有の地の土の如し」同上
■「法華・涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く、法華・涅槃を信ずるは爪上の土の如し。」同上
■「末代に於て法華経を信ずる者は爪上の土の如く、法華経を信ぜずして権教に堕落する者は十方の微塵の如し。」同上
■「法に依って阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く、法に依って生死を離るゝ者は爪上の土よりも少なし。恐るべし恐るべし。」教機時国抄
■「法華経の流通たる涅槃経に、末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし。正法の者は爪上の土のごとしととかれて候は、いかんがし候べき。」開目抄上
■「国土に大体謗法の者充満するなり。仏教に依って悪道に堕する者大地の微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少なし。」顕仏未来記
■「而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。」三三蔵祈雨事
●人数で論じたら上記の御文に照らし、貴殿ら創価学会は間違いなく謗法者集団である。
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>
▼> 4、三類の強敵が喚起する
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●創価学会が巻き起こした社会的事件に対する批判は正に謀略団体としての自業自得果であり、どう間違っても”三類の強敵”ではないことは、既に詳細に完摧済み。
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▼> これぐらいの基本は押さえといて下さい。
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●まさに、貴殿に言う。「これぐらいの基本は押さえといて下さい。」
貴殿はあまりにも痴曚過ぎる。
>
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●こうして切り刻んでいくと貴殿の低劣さが際立ってきますね。
もう少し「御書」を勉強したら如何か?
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2005年3月8日 22:51
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> ●「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と仰せのごとくに尊仰してもいない日寛上人の御書写された御本尊を何故拝むのですか?日寛上人は尊仰して、日顕上人は尊仰出来ないとすれば、その違いは具体的にどこにあるのでしょうか。明示すべきでしょう。勿論文証を以ってです。でなければ論は破綻しています。貴殿は、この至極当然な道理が分からないだけであり、その道理に曚い、頑迷な執情を基に、我見を展開している姿は、正に、「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜>>
ですね。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
>
> ◆大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。創価学会の御本尊は、大聖人が御図顕されたものを、後世に日寛上人が書写されたものです。それを和合僧団がこれでいくと決めたのです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●いよいよ貴殿の拙い信仰の正体が現れてきましたね。
>
> 1、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」すると、大聖人以外で、■「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」との御文のごとくに大聖人と同じ”実践”をされた人はいないってことですよね?
>
> 貴殿の最初の主張
▼「在世の如く(※御歴代上人を)敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。」
>
> =大聖人の如くの実践がない。在世の如く戦ったという事実が示せなければ、尊敬に値しない。
>
> =日興上人を始め全ての御歴代上人は、「御図顕」ではなく「御書写」ですから、「日蓮が如くにし候へ」とはならない。
>
> =日顕上人に限らず、全ての御歴代御法主上人は「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができない。
>
> =「在世の如くこのように戦った」という事実を示す」ことができないから、日顕上人を尊敬できない、との論拠は完全に崩れましたね。理解できますか?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆理解力がないのか、自分の混乱した投稿で頭も混乱しているのか知りませんが、
>
> 未曾有の拡大をした創価学会という和合僧団が御本尊をこれでいくと決めた。
―――――――――――――――――――――――――――――
●これ程、中学生でも理解できる程度の論理を分かり易く提示しているのが理解出来ないとすれば、貴殿の脳髄はもはや絶望的に腐敗していますね。
「創価学会二代の戸田会長は、
★「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華昭和三四年七月号)
と指導しているとおり、『ニセ本尊』は魔の栖となり、それを拝めば仏法破壊の大罪として現罰をこうむることは必定である。 」
1、貴殿が言う「創価学会という和合僧団が御本尊をこれでいくと決めた。」との痴論からいけば、戸田会長は「和合僧団」の一員ではないのですね?
では戸田会長の発言は謗法ですね?どうなんですか?
2、「大白蓮華」といえば創価学会の公式見解であるはずだが、貴殿の弄ぶ愚論と全く正反対の見解だが、この矛盾に対する整合性を論理明快にここで証明せよ。いい加減ないい訳なら反論不能で脱会。いいですね?
3、ここで、「ニセ本尊」の所以を示し、貴殿の腐食した脳髄に警告する。
学会の疑難
「日顕宗は、�御本尊授与には法主の許可・開眼が必要である�などという根拠なき主張に基づき、学会授与の日寛上人の御本尊を『ニセ本尊』などと誹謗している。
しかし、『法華経の題目は一切経の神(たましい)・一切経の眼目なり』と大聖人が仰せのように、南無妙法蓮華経の御本尊は、それ自体が一切経の魂であり、眼であるから、無二の信心で拝する以外に、他宗で行なわれているような何か特別な開眼とか魂入れの儀式のようなものは必要ないのである。」
破折
学会の言い分は、要するに「本尊に御法主上人の開眼など必要ない」ということにある。
しかし、日蓮大聖人は『木絵二像開眼の事』において、
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(中略)法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり」
(新編六三八頁)
と、「法華を心得たる人」「法華を悟れる智者」による開眼が不可欠であることを御指南されている。
では、その「法華を心得たる人」とはどなたかといえば、当然、日蓮大聖人の御事であり、大聖人滅後においては
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」
(新編一六七五頁)
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」
(新編一六八四頁)
とあるとおり、大聖人より唯授一人の血脈を承けられた日興上人以下の御歴代上人であられる。
学会は得意げに「御本尊授与には法主の許可・開眼が必要であるなどという根拠なき主張」などといっているが、根拠はこれで十分である。
なお、学会は「法華経の題目は一切経の神・一切経の眼目なり」との御書の一節を利用しているが、この御文は、法華経こそ一代聖教の主目的・主眼である旨を御教示せられているのであって、「本尊の開眼は不要」との意ではない。
むしろ、「本尊に開眼は不要」というのであれば、いわゆる「コンビニコピー本尊」やワープロ打ちで作った「ワープロ本尊」で、功徳があるものかどうか、ぜひ、答えてほしいものだ。
―――――――――――――――――――――――――――――
�学会の本尊模造の文証は?
『本因妙抄』に
■「血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡(ちゃくちゃく)座主伝法の書・塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」とあるように、御本尊のことは代々の御法主上人にすべて譲られていることが明白です。学会が自由に御本尊を模造したり授与してもよい、という御書の文証を挙(あ)げてください。
�学会に金口嫡々相承はあるの?
五十六世日応上人は
■「金口(こんく)嫡々相承を受けざれば、決して本尊の書写をなすこと能(あた)わず」と仰せられていますが、学会には「金口嫡々相承」があるのでしょうか。あるとすれば、誰から授けられたのでしょうか。
�身延の本尊とどこが違うの?
信心をもって拝すれば、身延や池上の御真筆本尊を拝んでも功徳があるのでしょうか。
�学会の血脈は誰が判定?
「学会にのみ信心の血脈が流れている」とは、誰がそれを判定したのでしょうか。
�猊下に背いて血脈が流れるの?
学会で発行した『生死一大事血脈抄』の講義では、
★「御法主上人の御指南に従うところに、信心の血脈が流れる」とあります。それでいくと、御法主上人に従わない今の学会には信心の血脈が流れないことになりますが、この講義は学会の己義(こぎ)・謗法だったのでしょうか。
�私にも造れます?コンビニ本尊
「自分には信心の血脈が流れている」と思える人なら、学会が配布した�御本尊�をコンビニエンス・ストアでコピーし、一閻浮提に配布してもよいでしょうか。
�信心で拝せば功徳が出るの?
また、信心をもって拝すれば、そのコピー本尊にも御本尊としての力用(りきゆう)が具(そな)わり、功徳が出てくるのでしょうか。
�重ねコピーした本尊の功徳は?
また、コピー本尊を繰り返しコピーしても、功徳は変わらないのでしょうか。それとも、二分の一、三分の一と、次第に薄まっていくのでしょうか。
�TVに映る本尊でもいいんだね?
御本尊をビデオカメラなどで撮(と)り、画面に映った御本尊を拝んでも功徳はあるのでしょうか。また、その場合、テレビそれ自体が御本尊になってしまうのでしょうか。
�御本尊写せば大謗法なんでしょ?
つい二年ほど前、「御本尊を、写真に撮ることもテレビに映すことも、大謗法だ」と言って大騒ぎをした覚えはありませんか(覚えがない人は『地涌からの通信』を開いて思い出してください)。それなのに、学会自らが御本尊を写真にとって複写・模造することは、「大謗法」ではないのでしょうか。矛盾していると思いませんか。
�開眼なく魂は入らないんだよね?
開眼について、『本尊問答抄』や『四条金吾釈迦仏供養事』によれば、草木の本尊に神(たましい)を入れる(※開眼する)のは法華経の力である、と示され、『木絵二像開眼之事』によれば、開眼供養ができるのは「法華を悟れる智者」であると示され、さらに、三十一世日因上人は、その「智者」が大聖人以来の御歴代上人方であることを示されています。学会のニセ本尊には、この正しい開眼がありません。ならば、そのニセ本尊には、仏の魂が入っていないことになりますが、替わりに入っているのは、「法盗っ人」の魂と「鬼神」の魂の、いずれでしょうか。
�ワープロ本尊じゃダメなの?
「御本尊は、書き示されている内容だけが大事なのであって、特別な血脈だとか、開眼だとかは必要ないし、誰が書いてもよい」といいますが、それなら、ワープロの文字や、あなたの手書き文字で、自由に本尊を作ってもよいのでしょうか。
�離脱僧の申し出なら許されるの?
Aさんから「自由にお使いください」と一万円を提供されたBさんが、これを複写して大量のニセ一万円札を作り、警察に捕まりました。しかしBさんは、「Aさんからの申し出で行なったことですから、私の責任ではありません」と言い、せせら笑っています。こんな子供だましの責任逃がれが、通用すると思いますか。また、この話、最近、どこかで全く同じような理屈を聞いたことがありませんか。
�「日蓮が魂」は「ただの物」?
大聖人は「日蓮が魂を墨に染め流して」と仰せられ、御自身の魂魄(こんぱく)を御本尊として顕わされましたが、池田大作は大御本尊を「ただの物です。いちおうの機械です」と軽しめています。「日蓮が魂」とは、「ただの物」「いちおうの機械」でしか、なかったのでしょうか。
�これを「大御本尊根本」というの?
大御本尊を「ただの物だ、いちおうの機械だ」と思いながら拝むのを、�大御本尊根本�の信心というのでしょうか。
�大御本尊謗じて血脈が流れるの?
日寛上人は『文底秘沈抄』に
■「根源とは何ぞ。謂(い)わく、本門戒壇の本尊これなり」と仰せですが、池田は戒壇の大御本尊を「ただの物だ」と誹謗(ひぼう)しています。�根源�たる大御本尊を否定し、他の御本尊を拝んでも、血脈は流れるのでしょうか。
�大聖人の御遺命はどうするの?
大聖人の御遺命として、広布の事相における「事(じ)の戒壇建立」がありますが、学会はそれをどのようにして実現するのでしょうか。また、『三大秘法抄』に「三国並に一閻浮提(いちえんぶだい)の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏(ふみ)給うべき戒壇なり」とありますが、学会の広布実現のときには、世界中の学会員を「事の戒壇」のもとへ連れてくるのでしょうか。それとも「義(ぎ)の戒壇」で満足させるのでしょうか。
�三本立て本尊はご都合で遊ぶの?
学会では、しばしば「御本尊がなくても、大宇宙に遍満(へんまん)する妙法と合致すれば功徳が出てくる」あるいは「己心(自分の生命)の中の御本尊を信じて題目を唱えれば、それでよい」などといいますが、これでは�御本尊��宇宙の妙法��己心の妙法�という三本立てになります。このうち、どれでも好きなものを選んでいいのでしょうか。
�大御本尊から盗んで怖くないの?
日寛上人は、本門戒壇の大御本尊のみを「一閻浮提総体の本尊」「一閻浮提の一切衆生の本尊」であると規定され、その他の御本尊は全て「別体の本尊」「面々各々の本尊」である、と仰せです。それなのに、「別体」「面々各々」の本尊をコピーして、全世界にバラまけば、それが「一閻浮提総与の意義」になるのだ、というのは、畏(おそ)れ多くも本門戒壇の大御本尊から「一閻浮提総与の意義」を盗み取ることではないでしょうか。
�勝手に広く授与できぬハズだよね?
学会では、今回、模造した日寛上人の御本尊(享保五年に日寛上人が浄圓寺住職・日證師に授与した御本尊)を、「一機一縁ではない。他の人に授与してもよいのだ」といっていますが、では、ある人が受けた御本尊を、勝手に他の人に譲ってもいいのでしょうか。大聖人は『阿仏房御書』で■「子にあらずんば譲る事なかれ」と仰せのハズですが。それとも、学会で授与するのは、模造したニセ本尊だから、本来の授与者たる日證師以外の人々に広く与えてもいいのでしょうか。だとすれば、やっぱりニセ本尊だったのですね。
―――――――――――――――――――――――――――――
●以上、全てに明確に反論し給え。貴殿の幼稚な我見など全く法論の入り口にも入らない。
今後、あまりに稚拙ないい訳を繰り返しているようなら、退場を命じるから覚悟して、もっと高度な反論をしてきなさい。
**********************************************************>
▼> 和合僧団である創価学会が許容してあげてたのに、我に正義ありとして日顕が牙を剥いた。だから、「和合僧団に対して我に正義ありと言えるほど折伏弘教したのか」と問い詰めているのです。つまり、主従が逆だと言っているのです。
>
> では、和合僧団の条件は?
>
> さて、他のところに答えがあるから自分で探しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●「和合僧団である創価学会」という馬鹿げた前提自体、完破済み。
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> ●2、日寛上人は何故書写できるのでしょうか?また、なぜ、御図顕できないのでしょうか?貴殿は、日蓮正宗とは別の宗教団体でありながら、「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と勝手に人の宗派の化儀を云々していますが、その根拠は一体どこから来ているのですか? 明示し給え。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆御図顕=出生の本懐。これは御書にある通り。
>
> 「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」〜聖人御難事〜
>
> つまり、君達の解釈など不要。
>
> そして、書写した御本尊が事実として存在する。あとは和合僧団が「これ」と決めればそれでいいのです。
>
> 主従が逆だということですよ。よく覚えておきましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
●反論できないからといって、遁走するものではない。
腐った脳髄には認識出来ないかもしれないが、この段はまるで論旨が通っていない。
▼「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」
と貴殿は何を根拠にそう断言できるのか訊いているのである。明確に答えなさい。文証を提示して。幼稚な教学力の癖に逃げるな。
明瞭に反論できなければ貴殿は落第で脱会。邪教創価学会の面汚しですらある。少しは謙譲の美徳を知りなさい。貴殿は謗法集団創価学会の弁明役にすら成り得ないほどの低級なレベルにある。こんな愚かな返答を繰り返すとやはり退場を命じる事になるから、何度も言うが貴殿のレベルより上の創価学会員に教えを請いなさい。貴殿の拙い力ではやはり無理である。
**********************************************************
> ◆「殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ」>> ・「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」>>
〜生死
> 一大事血脈抄〜
>>>> 大聖人は、ここで生死の一大事の血脈をつまびらかにし、「此より外に求めるな」といわれています。貴方は「生死一大事血脈抄」に含まれないと>
して百六箇抄の御加文を引用して「此より外」の
>>>> 血脈を求めています。成仏の根元でない血脈で論難しているというのが、私の主張です。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●貴殿は何宗の教祖ですか?「私の主張です。」などと、貴殿独自の主張など、まるで問題になりません。
>
> 貴殿は仏でない、ただの謗法者ですから。
>
> 「生死一大事血脈抄」については、前回「創価学会の見解」で破折完了済み。
>
**********************************************************>
>
> ◆今も昔も創価学会に頼らないと何も出来ないのですね。いい加減、自立しなさい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●大脳が未分化レベルで幼稚な貴殿がこのような生意気な言はいけないねぇ。
お父さん、お母さんにどのような躾をされたのかな?
貴殿の自分に都合の悪い事に頬被りを決め込むその腐った根性に再度掲示して覚醒を促します。
尚、「創価学会の迹門の時代だったから」だなどという噴飯ものの愚論でここを回避することは出来ません。貴殿がそのお笑いの一言を吐いた当該箇所で徹底的に扣摧します。貴殿も読者の皆さんもお楽しみに。
では、再掲
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●残念ながら、この引文も大外れです。今時少し勉強している学会員なら、「唯授一人の血脈相承」を論じるときに、決して出してきませんけどね。この御書は。恥かくのが分かりきっているから。しかも「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだ」などと、こういう重大な御法門のことを憶測でものをいってはいけないね。貴殿の類推は全くピントが外れていました。下記の文章をよく読んで、赤面してください。(貴殿の教学力で理解できたらの話だけど。)
★『大白蓮華』
「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述べになったものと拝> される。(中略)ゆえに『法体の血脈』と『信心の
血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年三月号六九�)
★『日蓮大聖人御書講義』
創価学会版「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・30上132)
★「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。(中略)『総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じての
『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�)
★『大白蓮華』>>
「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあれ> ばよいとする立論である。誰でも自由に継承できる
などというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別> の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」
(昭和四一年九月号三五�)>> 『特別学習会テキスト』創価学会発行
★「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います」(二七�)
―――――――――――――――――――――――――――――
●この御書は別しての血脈を根底においた上での総じての血脈を説いている御書。
>
> 仏法の初門にすらまるで達していない謗法者の貴殿が、「生死一大事血脈抄」の表面上の御文に執着して、いかに頑迷な主張を繰り返しても、読者のお笑い者。
>
> 学会内部からも、溜息が漏れてくるでしょう。曰く「馬鹿なやつだな〜〜。その御書を持ち出すのは止めてくれよ。学会の恥を晒すことになるからさぁ〜・・・」
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆・「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」〜生死一大事血脈抄〜
>
> 総じての「妙法蓮華経」とはどのようにとらえてますか?
>
> 明瞭に答えなさい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●何いきがって興奮しているのかな?
いきり立って自分が今どこにいるのか分からなくなっているようですね。
今の論点は総別の血脈についてであり、妙法蓮華経について論じてはいないのですが。
国語の時間に算数の問題を力んで喚いても駄目ですよ。いいでちゅね?
**********************************************************
> ●後半に、「学会のかつての主張は、迹門だった。」との趣旨があるが、これは、抱腹絶倒、一読噴飯、再読嘆息、空前絶後の駄説であるから、当該箇所で徹底的に摧破します。お楽しみ。
>
> では、成仏の根源、三大秘法が、唯授一人、血脈相承に依って伝持されている文証を挙げ、それらが「生死一大事血脈抄」の御文を血脈の一切と考えた時に、真っ向から矛盾を起こす故に、貴殿の”主張”は、浅識、不信、不解の14誹謗であり、やはり堕獄必定であることを論証します。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆日顕が生死一大事は「すべてを含む」と説法をしていた。つまり、「堕獄必定」
>
>
>
> 「その仏法において仏様は色々な教えを説かれるけれども、そのうち最も大事とするころ、『一大事』の『一』というのは最高のことである。全部を含んでおるから一なのです。だから、それはまた全部を含んだ真実の道ということなのです。皆さんがいつも読まれておる法華経の『諸法実相』ということは、教学的に論ずれば非常に難しいけれども、宇宙法界のすべての道をことごとく網羅し、それをそなえて、そしてその真実のところを示すということである。
>
> だから、その一の最も大事なことを仏様は、一大事としてこの世に御出現あそばされて、生死に迷う世間の人々を救おうとされる。それが「生死一大事」という、生死に対する一大事の法義ということです。」
>
> 〜昭和63年9月29日 護念寺移転新築落慶法要の砌〜
>
>
>
> これでも別しては含まれないと主張しますか?
>
> まずは、私と同じ「御金言根本」という土俵に上がりなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿は本当に(繰り返して何度も言いたくはないが)やはり法門未熟ですね。
まるで小学生が聞きかじりの理科の知識の一部分を顔を真っ赤にして喚いている図ですね。
貴殿はもしかして中学の初っ端で学ぶ、「集合論」で既に躓いていたのですね。
ほんと当方に法論などというには可愛そうですがやはり無理ですよ。
しかし、これ程貴殿の基礎学力が低いとは。前からある程度は分かっていたけど、これ程酷いとはね。疲れますね。
今度投稿する前には公文にでも行って一般学力をもう少しレベルアップしてからにして下さい。当方は貴殿の不勉強による学力不足を補う義務は全くないのですから。今度このような教義以前の馬鹿さ加減を露呈したらその時点で貴殿とは仏教を論じる素養が違いすぎて話になりませんので貴殿にこの法論の場から退場を命じると言う事を通告しておきます。活字になる時には読者の皆さんには今までの貴殿の迷妄で幼稚な反論の醜態さ加減で十分です。もう、ドクターストップのレベルですね。
では解説してあげますね。簡単です。(集合論が理解出来ている人には簡単です。貴殿には分かるかな?)
猊下の御指南の文意でいうと、
■「『一大事』の『一』というのは最高のことである。全部を含んでおるから一なのです。だから、それはまた全部を含んだ真実の道ということなのです。」との意は、正に集合A(大きな○)を指しているのであって、その集合Aが別しての血脈である集合B(小さい○)を含んでいるのである。分かる?
迷妄な貴殿にこれ以上詳細に説明してあげることもないが、上記掲載の創価学会のこの御書に対する解釈も全てこの意である。
理解できる?無理なら退場してもいいですよ。小学生が中学校の授業聞いても分からないですものね。もう、帰ってもいいよ。
今までよく頑張ったね。でももう無理だね。ボクには。
がしかし、更に墓穴を掘って恥をかきたいのなら幾らでもとことん付き合いますよ。
どちらでも貴殿の好きなように。恥の穴が深くなるだけの事だから。
**********************************************************
2005年3月9日 1:24
これで返信完了とは認識してないですよね?
Naruki Nakata
email(PC) n-naruki@fc4.so-net.ne.jp
i-mode naruki2001shinseiki@docomo.ne.jp
**********************************************************
2005年3月9日 23:43
**********************************************************
> ●次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。269 四恩
> 抄 弘長二年一月一六日 四一歳
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門」とは誰の事を指してますか?
―――――――――――――――――――――――――――――
●まずは大聖人・而して日興上人はじめ御歴代の御正師です。
貴殿はこんな基礎編も読めないのですか?
無知蒙昧にして、頑迷固陋ですね。嗚呼惨め。
**********************************************************
> ●■但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆ 御金言に対して、御加文で邪難するとは、もはや、悩乱の極み。
>
> 「生死一大事の血脈」に入らない血脈は、成仏に関係ない。あろうがなかろうがどっちでもいい。すべて信心が根本であり、信心に関係のない秘密の血脈などない。
>
> 他の箇所で破折済み
―――――――――――――――――――――――――――――
●馬鹿ですね。やはり。知能が低いですね。
1、まず「御加文」は「後加文」です。
本当に語句の意味が分かって使っているの?偉そうな言い草の割には恥ずかしい失態です。
”「後加文」を間違えて「御加文」との誤字で真顔で邪難するとは、もはや、悩乱の極み。”呵々
「生死一大事の血脈抄」については破折済み。切れ味のいい反論を待つ。出来なければ脱会。
【関連】
■65日淳上人
百六箇抄については香浦氏は「その成立を大聖人の時ではなく後世であるか」の如く評してをるが、(中略)しかし察していへば恐らく同抄の後尾に明らかに大聖人の御時でないことが書かれてをるからそれを理由に言ふのであらうと思ひます。若しそうであるならばそれは御相伝書の拝し方を知らないのによります。御相伝書は順次相ひ伝へるに従つて加筆があつてもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで僞作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗つて拝し直すことです。
★3【池田指導】(百六箇抄講義)
本抄(百六箇抄)には歴代の法主上人が拝読されたおり、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故にこの部分も、私達が大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可決の記述といえましょう。(中略)百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。
これはまだ読んでなかったか?
貴殿は池田センセ〜〜に対して「もはや、悩乱の極み。」と吐き捨てているんですね。
いいんですか?”世界の大指導者”に対して。嗚呼、おそろし、おそろし。
「顔を洗つて拝し直すことです。」それから”準備運動”も念入りにね。
貴殿にとっては基礎学力の強化の方がまずは重要課題ですね。
世間でも恥じかきますよ。このままでは。
【参考文献】
学会の邪義�
『本因妙抄』の
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」(新編一六八四頁)
との御文を引き、代々の法主にしか血脈は流れていない、というが、この文は、大聖人の言葉ではなく、後世の者が追加した後加文である。どこの誰が書いたかもわからない後加文を根本とせずに、大聖人の言葉を根本にするべき。
《破折》
まったく、苦しい言い訳である。
『大白蓮華』昭和五十二年一月号の「『百六箇抄』講義」では、池田大作が「後加文」について
「この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております」
と講義していたではないか。
また、日亨上人は『富士宗学要集』編纂にあたり、
「後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促(うな)がす便とせり」
(富要集一巻二五頁)
と仰せられているが、学会の挙げた『本因妙抄』の当該箇処には一線が引かれており、日亨上人が御覧になっても、なんら問題のない箇処とされているのである。
最後に、日蓮正宗では「後加文を根本」になどしていない。勝手に思い込んで、勝手に批判するようなことはやめよ。
学会の邪義�
『本因妙抄』の後加文で述べている「血脈」とは、「伝法の書」つまり、特殊な儀式や口伝等ではなく「文書」類を指している。もしも、特別な口伝のことだなどと言ったら、「仏説に依憑(えびょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ」「唯(ただ)人師の釈ばかりを憑(たの)みて(ただ途中の法主のような人師の解釈ばかりに依存して)仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり」等の文を挙げて、「天魔・外道だ!」と破折すべき。
《破折》
「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」
(新編五五八頁)
とは、伝教大師の言葉を大聖人が引用されたものだが、これは『開目抄』において、権実相対の上から権教を破折されている箇処である。
つまり、経文の義理を分別して権実相対したとき、実教である法華経を信じなければならないことが明らかなのに、自宗の祖の説を信じて、捨てるべき権教を崇(あが)めている者共に対し、「仏説に依るべきであって、仏説に違背する口伝をみだりに信じてはいけない」と誡められているのである。
「但人師の釈ばかりを憑みて」云々という御文も同じで(これについては、「ただ途中の法主のような人師」などと、得意の怪説を勝手に付け加えているが)、仏説に違背するような人師・論師の釈ばかりに依ってはいけない、との意である。
けっして、口伝そのものを否定し、口伝はすべて捨てなければならない、と言われているわけではない。
現に、『産湯相承事』には、大聖人の御金言として(※後加文ではない!)、
「此の相承は日蓮嫡々一人の口決(ぐけつ)、唯授一人の秘伝なり」
(新編一七一〇頁)
とあって、大聖人が「特別な口伝」を用いられていることが明らかではないか。
―――――――――――――――――――――――――――――
> ●日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 血脈の次第 日蓮日興 1675
>
>
>
> 身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
池上
> 日蓮花押 1675
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆この引用も間違い。
>
> これが「信心が根本である」との主張を破折してますか?
>
> 儚し儚し。
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここも、相変わらず馬鹿丸出しですね。
日蓮→日興 と続いた血脈はその後どうなるんでしょう?
そこを信じることが「信心」なんですがね。貴殿は「何を」「どう」信じてるんです?
破折済みだが、貴殿の蒙昧頑迷を破すためには何度でも訊いてあげます。
明確に答えなさい。
貴殿の「信」など身延や仏立宗の「信心」と五十歩百歩ですね。
日蓮→日興 と続いた血脈のその後を信じれない貴殿のような謗法の輩のことを、「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」と言うんですよ。
分かりましたか?
**********************************************************
> ●『本因妙抄』 「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�)
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆他の箇所で指摘済み。
>
> 御加文から御金言に訂正した根拠となる古文献を提示しなさい。それから切り刻んであげます。
―――――――――――――――――――――――――――――
●は〜〜?
▼「御(ママ)加文から御金言に訂正した根拠となる古文献」?
日本語をきちんと使いこなしてからもう一度訊いて来なさい。
「それから切り刻んであげます。」
**********************************************************
2005年3月10日 23:17
**********************************************************
> ●『産湯相承事』 「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ」(新編一七一〇�)
―――――――――――――――――――――――――――――
> ◆信心を根本とする事への破折になっていません。ので、引用が不適切。やり直し。
>
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●本当に迷妄してますね。しかも愚痴蒙昧の癖に生意気です。
こういう謗法の者は徹底的に鉄槌を下さなくては仏弟子ではありません。
この日興上人の御筆に依る所の大聖人のお言葉を信じれない貴殿が不信心で偏執・悩乱・頑迷の代表のような謗法の姿です。
大聖人御自ら「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙」と仰せなのですよ。
そういう大事が信じれない貴殿こそ「信心」がないのです。信がなければ絶対に成仏しない。のみならず地獄行きです。
貴殿の腐った眼・腐った頭・腐った顔色こそ正に地獄行きの先徴です。よくよく心しなさい。
**********************************************************
> ●『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九�)
―――――――――――――――――――――――――――――
> ◆真偽未決のものを他の団体に押しつけても意味がないでしょう。「生死一大事」とは成仏の事ですよ。成仏の根元を無視して「こんなんあるぞ」と言っても意味がない。やり直し。
―――――――――――――――――――――――――――――
●醜悪・低劣な貴殿には厳しい呵責しかありませんね。
1、『御本尊七箇之相承』が”真偽未決”である論拠を明示しなさい。出来なければ土下座して詫びを入れ脱会手続きを取りなさい。
2、真偽未決であるならば、何故、日亨上人は富要集に載せたのか?(しかも概ね一重腺も二重線もない)
―――――――――――――――――――――――――――――
> ●一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
>
>
>
> ●59『有師化儀抄註解』日亨上人信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通う有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云うが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにはあらず・攪乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経ても正しき血脈系統を有し仏法の血液活溌に運行す、其は世間にて云えば子は親の心に違はす祖先の定めたる家憲を乱さぬが・其家の血統正しきが如く・仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違えぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違う時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり。(富要一―一七六�)
>
>
>
> ▲9三世諸仏高祖開山も当住持の所もたげられたる所なる故に・事に仏法の志を高祖開山日目上人受け給ふ姿なり。1-144
>
>
>
> 有師化儀抄註解本山の住持の当職(末寺も此に准ず)は三世諸仏高祖開山三祖の唯一の代表者なれば・仏祖も殊に現住を敬重し給ふが故に供養の一
> 切の酒を当住持が始らるゝは勿論の事にて・即宗開三祖が自ら受け給ふ姿なり 1-145
>
>
>
> 先師先師は過去して残る所は当住持計なる故なり、住持の見玉ふ処が諸仏聖者の見玉ふ所なり。1-146
>
>
>
> 住持の上人は高開三祖等次第に過去し給へる後の現存者なるを以て・現住即高開三の代表にして・現住の見る(施物を)所は仏聖人の見給ふ処なる
> 故云々 1-146
>
>
>
> ●17「当家甚深之相承之事。全く余仁に一言半句も申し聞かすこと之れなく、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(略)又本尊相伝唯授一人の相
> 承の故に代々一人の外書写之れなし」
>
>
>
> ●17「当家相承の事、全く他家に於て知らざる法門なり。大聖人より相伝の分は日興一人なり。之に依って今に相伝絶えず、然るに当時悪僧出来し
> て残らず相承の由申す云々。斯の如き悪侶未来は弥々出来すべきが故に斯の如く書き置く所なり。今時平僧所化衆多し以て書写する故に此の如く書
> き置く所なり。延宝九年八月十二日 日精花押」
>
>
>
> ●17『富士門家中見聞』日精上人「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用
> 金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付
> 嘱す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(聖典六九五�)
>
>
>
> ■●26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上
> 人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし
> 云々。
>
>
>
> ●26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
>
>
>
> ■●26『撰時抄愚記』日寛上人「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」(文段集二七一�)
>
>
>
> ●26『文底秘沈抄』日寛上人「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざら
> んや」(六巻抄六六�)
>
>
>
> ■●26『三宝抄』日寛上人「付属伝授は即ち是れ僧宝なり。世人此の宝を知らざること譬えば卞(べん)和らか璞(あらたま)の如し云々。(夜光
> の珠は磨かざれば 石瓦なり磨は珠なり。歴全4-365)
>
>
>
> ■●26 金言とは金口相承即是れ僧宝なり 三宝抄 歴全4-372
>
>
>
> ■▲「結要付属豈僧宝に非ずや」(六巻抄 三二三�)
>
>
>
> ■●26『三宝抄』日寛上人「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是
> れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇�)
>
> (※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)
>
>
>
> 【関連】▼※ 『特別学習会テキスト』創価学会発行「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであります」(四一�)
>
>
>
> ■▲26久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり、仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷
> ぞ比の大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや、然れば則ち末法出現の三宝は其の体最も明らかなり」(聖典九五〇頁)
> 『当流行事抄』
>
>
>
> ■▲「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」
>
>
>
>
> ▲65日淳上人「仏教は必ず相伝による」(日淳上人全集七四四�)
>
>
>
> ▲66日達上人昭和三十八年5月「二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。」
>
>
>
> ■ ▲所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。富要10−254
> 寿量品
>
>
>
> ●26『三宝抄』日寛上人「問う、三宝に勝劣有りや。「答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三
> 宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を
> 以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三�)
>
>
>
> ●26『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師「類聚翰集私」・富要二―三〇九頁の文を引用)
>
> 「日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて
> 出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種
> 好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、」尋いで便(すなわ)ち来り帰って咸(ことごと)く之に見(まみ)え
> 使(し)む
>
>
>
> ▲26「此の経は相伝に有らざれば知り難し」文。また云く「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」如説修行抄筆記
>
>
>
> ●31『日因上人御消息』「日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり」(妙喜寺文書)
>
>
>
> ●48『続家中抄』日量上人「晨朝密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺托す」(聖典七七四�)
>
>
>
> ●59『有師化儀抄註解』日亨上人
> 「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶
> 一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
>
>
>
> ●59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
> 貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、
>
>
>
> ★池田大作指導
>
>
>
> (a) 熊本・城北圏自由勤行会(阿蘇)
>
> 「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓を引く行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。
> これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もは
> やそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(広布と人生を語る二―三七)
>
>
>
> (b) イタリア広布二十周年記念勤行会(フィレンツェ)
> 「三座は、御本仏日蓮大聖人に対する御報恩感謝、ならびに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた第二祖日興上
> 人に対する御報恩感謝である。さらには、第三祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈をうけられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩
> 感謝申し上げるのである。現在においては、ご存じの通り第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられる」(広布
> と人生を語る二―八三)
>
>
>
> (c) 富山県記念支部長会(富山文化会館)
> 「この法、すなわち末法の大白法は、唯授一人、血脈付法の御歴代の御法主上人御一人が、お伝えあそばされているのであり、そのうえからわれわ
> れ信徒のために御本尊をお認めくださっているのである。ここに、令法久住があることを知らねばならない。したがって、われわれは総本山を外護
> 申し上げ、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、僧俗和合の道を歩みゆくことが正しいのである」(広布と人生を語る四―六七)
>
>
>
> 今回はこの位にしておきますか。
>
> 貴殿が執着する生死一大事血脈抄の貴殿流の解釈では、上記の全ての文証と整合性がなくなります。
>
> つまり、貴殿の自分勝手な珍釈は明らかに間違っていると断じます。もし反論があるならどうぞ。ただし正しい文証を以ってしてください。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆数打ちゃ当たるじゃないでしょうに。32もの文献の中に御金言なし。
>
> この数の多さをもって、双方が御金言と観ている「生死一大事血脈抄」との整合性を云々するとは、混乱させようとしたら自分の頭が混乱したのか
> ?
>
> 血脈は他の箇所で破折済み。
―――――――――――――――――――――――――――――
●反論不能で拙い言い訳をして遁走するではない。
しかも「もし反論があるならどうぞ。ただし正しい文証を以ってしてください。」と明確に釘を刺していたにも拘らずこの様とは。
まっ、貴殿がこのような無様に喚くしかないだろうことは予測済みだが。それにしても情けない無能さだ。
既に完摧済みであるが、貴殿は初等数学の集合論が未だいい大人にもなって理解出来ていないだけである。
「生死一大事血脈抄」の内容は総じての血脈=集合A(大きい○)を仰せであり、その中に別しての血脈=集合B(小さい○)を当然の如く含むのである。
貴殿のような完全に破壊された脳髄の所有者には最早仏教を論じ理解するのは不可能であろうから、もっと分かり易いレベルで詰問する。直上の池田の発言は貴殿の解釈による「「生死一大事血脈抄」との整合性」が全くないのだが、貴殿はそれをどうやって言い訳するのか。まさか”池田が発迹顕本した”だなどと世迷言をいう筈はなかろう。
さあ、明確にこの矛盾を説明せよ。出来なければ脱会。それも出来なければ、詫び状を書いて退場。宜しいな。
**********************************************************
> ▼>>>> 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うな
> り、然も> 今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜
> ▼>>>> 大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は和合僧団の確立であり、
>
―――――――――――――――――――――――――――――
> ●貴殿は生死一大事血脈抄の御文の付文の辺だけに囚われているから御仏の元意の辺が分からないのです。
>
> ”大聖人が大難を乗り越え、正法の弘通をしてきた所詮は”三大秘法の確立=本門戒壇の大御本尊の御図顕であり、そこの根本の御法体の末法万年にわたるところの令法久住をなしうる”和合僧団の確立であり”ます。
>
> ■「去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」聖人御難事
―――――――――――――――――――――――――――――>
> ▼三大秘法の明示など、大事の法門を多くの門下の法門信解により御教示されている事からも、和合僧団による令法久住を期されていた事が拝されます。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●さあ、ここでもまたもや貴殿の拙い教学力が露呈しましたね。
>
> その根本の御法体から離れての”和合僧団による令法久住”などありえないのであり、貴殿らの集団は、正に、ただの邪教・謗法の集まりに過ぎません。その根本の御法体は、血脈相承・唯授一人において富士大石寺に伝持されていることは、上記の膨大な文証で明らかです。もし、異議があるなら、上記の御文証に全て明確な文証を以って反論してください。が、しかし、貴殿の力では(貴殿でなくても)絶対無理でしょうね。もし、反証できないときには、貴殿は反論不能と断じ改宗を要求します。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆これ破折ですか?
>
> 御金言でないものを示して、数の多い文献を出した方が正しい?
>
> そんなアホな。恥の上塗りですよ。
>
> 大御本尊が我々のところに存在するから正しいなんて、そんな程度だったのですか。貴方も。
>
> 愚かですね。大御本尊を「法」と観れず、物と見てるのは貴方達だということが明らかになりました。
>
> こんなに低レベルだとは思いませんでしたよ。正直。
>
> そんなカルト宗教からは脱講しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●こういうのを反論不能と言うのですね。
このたった7行の文章に「文証」が何もありません。貴殿のレベルは所詮この程度です。ただの私見・我見・偏執による遠吠えです。
文証を示して反論出来なければ 反論不能=改宗 これが法論の常識です。
しかも、ここでも「もし、異議があるなら、上記の御文証に全て明確な文証を以って反論してください。(中略)もし、反証できないときには、貴殿は反論不能と断じ改宗を要求します。」と明示してあるにも拘らず、またしてもこの無様さ。
全く駄目ですね。貴殿は。
「貴殿がこんなに低レベルだとははじめから思っていましたよ。そんな脳髄を溶解するようなカルト宗教からは一刻も早く脱会しなさい。」
冗談ではなく、こんな根拠のない貴殿の妄説を喚き散らすだけしか出来ないのなら、もはやこの法論を続行する資格はありません。
脱会できなければ、速やかに詫びを入れ退場しなさい。貴殿では役不足です。
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> ◆つまり、特定の個人のみに法門の総てを説示するという考えがなかった。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●この二箇の相承をどう読むんですか?貴殿は。本当に大丈夫?一度病院に行って診てもらったほうがいいのでは?
>
> そんな様子では職場での貴殿の行動も心配です。とにかく、こんな戯言には上記で完全に破摧済み。異議あれば反証を待つ。出来なければ、反論不能で改宗。
>
> ■日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきな
> り。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)
> 我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 血脈の次第 日蓮日興 1675
>
> ■身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く
> 在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。 弘安五年壬午十月十三日 武州
> 池上 日蓮花押 1675
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆又、自分で混乱させて相手の主張が分からなくなってる。本気で笑い死にさせるつもりかいな。
>
> そこまで面倒見切れません。自分でお探し。
―――――――――――――――――――――――――――――
●はい、ここでも貴殿は何ら明確に反証出来ていない。
何も論理的に反論できない負け惜しみを吐いているだけである。
その苛立ちは、貴殿の文体の乱れからも推察できる。
「そんなアホな」
「かいな」
「お探し」
また、以前も破折したがまだ愚鈍な脳髄には染みないらしい。
こんな箇所で「笑い死に」することができるとしたら、貴殿は正に狂人の類である。
速やかにお近くの精神病院で診察を受けるべきであろう。
この文言はまさに貴殿が正当な反論の出来ない苛立ちの表われである。
さあ、強制退場させられたくなければ、文証に於いて英明に反論せよ。
貴殿の口臭芬芬の遠吠えは次回からは不可である。
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2005年3月11日 23:24
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> ◆創価学会は大聖人の説の如く修行した。現証として>> 「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」〜生死一大事血脈抄〜>> との御聖訓通り、広宣流布は未曾有の広がりをみせた。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●自分勝手に本尊のニセモノを改竄・印刷・大量販売しても、それを「広宣流布」とは呼ばないのであります。ご愁傷様。
>
> 貴殿らのニセ本尊は、身延のおみやげ物売り場で販売されている大聖人御真筆ご本尊のコピーものと何ら違いませんね。
>
> 貴殿らのしていることは、その堕獄必定の魔物を世界中にばら撒いているのです。
>
> 既述したが、今世界中にこれほど酷い三災七難が興盛しているのも、貴殿らの魔物によるところが大であります。貴殿らが自慢するが如く世界中に広まった創価学会がもし真の正法ならば、何故、以前より今が更に悪くなっているのか?その理由を、文証において証明してください。
>
> 異議があるなら文証で反論を。待ってます。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ▼>> 故に「生死の一大事」の血脈が流れる和合僧団であると自負するものです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●以上の論証から言って、この言の根拠は総崩れ。ただの独りよがり、慢心・驕慢謗法です。愚かで哀れです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ▼そして三類の強敵が喚起した。これも御聖訓どおりです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●上記で詰問済み。貴殿らの言う”三類の強敵”を例示せよ。それからぎっちり破折します。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ▼>> 貴方の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●まことにこれは貴殿に対しての言辞ですね。今正に貴殿に言おうと思っていた通りです。
>
>
>
> ■「正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。」
>
>
>
> ■「今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
>
> 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」@云々@。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等@云々@。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。」
>
>
>
> まさしく、根源=主 枝葉=従 貴殿の考えは、主従が逆であるとの指摘です。
>
>
> ■「既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。(中略)法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
>
>
>
> 貴殿は総じての血脈の文を以って別しての血脈の意を理解できていない。拙い頑迷なだけであります。「成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」その浅い教学では今世は間違いなく解脱は無理。悪道を輪廻することでしょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆ はいはい。
>
> 次下に「但し師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理によるべきなり」と続きます。
>
> つまり、滅後に別しての血脈が存在して、それが法主無謬論の根拠になるという解釈は破綻しました。
>
> また恥をさらしましたね。儚し儚し。
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿はこういう定石の二手三手目すら不勉強なんですね。
貴殿ら謗法者が■「但し師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理によるべきなり」を引いて、自己正当化することなど既に見切っています。その先どう破折されるかぐらい知らないのですかね。
今時この御文を真顔で自らの立場を弁護する為に引く学会員も珍しいですね。いかに貴殿が行学に暝いか。明白ですね。
では、破折いきます。
この当該御文は
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
との御文に引き続き
■「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。」との御文がある。
貴殿の頑迷さはこの後段の「師」を前段の「根源の師」と同一と観るところにある。
文意を貴殿の如く解釈すると、師=根源の師でも誤りがあれば捨て去らねばならない。となると、「根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」となり、絶対に成仏しないということになり大矛盾を起こす。
しかも、この御文の直前にも
■「汲み来たるところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案なり、大愚癡なり。」とあり、
仏法の師弟の因縁という筋目を乱し、蔑ろにするものは、大きな過ちであり、道理が見えない大馬鹿者である。と仰せである。
今時に於いて「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師」とはまさに大聖人以来の血脈を承継される御法主上人しかおられないのであり、後段の「師」とはその「根源の師」の外の仏法・世間両面に於いての分分の師のことである。
その証拠はまさに、「御本尊書写の権能」に窮まる。
池田さんなどは至極当然であるがこの「御本尊書写の権能」がない、慢心が並外れて大きい大謗法者というだけである。
こういう者が後段で言われている「師」であり、「誤りある者をば捨つべし。」なのである。
しかも、貴殿はこの段に於いて、まだ反証不足である。
■「若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」
池田をはじめとする貴殿ら創価学会はこの法体・法水の根源に迷うが故に、力も無い癖に増上慢となって、真実の実証、つまり成仏は絶対に叶わないのである。
■「今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。」
本門戒壇の大御本尊を渇仰恋慕し、事に於いて詣で拝さない貴殿らは、真に浅ましい限りである。
因みにここに「あさましい」の意味を例示するのでよくよく読んで、自身の「浅ましさ」を自覚するがよい。
1 品性が卑しい。さもしい。下劣だ。「―・い了見」「―・い根性」
2 見苦しく情けない。嘆かわしい。「―・い世の中」
3 身分や姿形が卑しい。みすぼらしい。「―・い姿」
4 予想と違った結果に驚きあきれる気持ちをいう。
意外だ。あきれる。驚くべきさまだ。
「取りがたき物をかく―・しくもて来る事をねたく思ひ」〈竹取〉
興ざめである。がっかりして、あきれかえる。
「物うちこぼしたる心地いと―・し」〈枕・九七〉
あまりにもひどい。程度がはなはだしい。
「―・しく貧しき山国にて」〈読・春雨・海賊〉
5 (「あさましくなる」の形で)思いがけないことになる。死んでしまう。
「かひなくて、三月二十日、終にいと―・しくならせ給ひぬ」〈増鏡・春の別れ〉
■「既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。」
総本山を渇仰恋慕しない貴殿らはこうして日寛上人に手酷く叱責を蒙っている。よくよく恥ずべし。
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> ◆ 真の和合僧団であることが証明されれば、御本尊の権能は創価学会にあるといえます。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●証明など全くされていないので、この設問は全く不可ですね。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆証明済み。難がなく、身から出たサビしかない日顕に権能などない、残念。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●仏説に則った上での「証明」などまるでされていない。貴殿ら創価学会の思い上がった者どもが「難」と思い込んでいるだけ。
今回の貴殿からのメールに対しての当方からの反証の初期稿に創価学会が仏法上の「難」などは全く受けていない。むしろ「三宝誹謗」している最右翼である等のことは明証した。
それに対して反証を成功させてから聞きましょう。
ただし、何度も忠告するが明確な文証を用いて反論せよ。
■「敢へて証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。是こそ謗法となる根本にて侍れ。」題目弥陀名号勝劣事。
貴殿の反論の殆どに「文証・経文」がない。が故に当方はそんなゴミの様な駄文は「用いない」し、貴殿は「謗法となる根本」の行為を飽きもせず、恥じもせず、綿々と繰り返しているだけである。
次回文証を引かずに駄文を送りつけてきたら、その時点で貴殿は敗北であり、脱会、退場を命じる。いいですね?
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> ◆
>
> * 「創価の潮流は、世界に類を見ない力強さがあります。そして、高い見識をもっています」
>
> * 「創価学会のような団体が各国に広がっていくことでしか、地球は救えません。私は創価学会に大きな希望をかけているのです」〜セレブ
> ロフ博士〜
>
> * 「素晴らしい生徒さんに出会いました。情熱を感じました。希望を感じました。高い水準を感じました。“この人達だ。この人達になら世
> 界の運> 命をまかせられる”本当にそう思ったのです」〜マリノフ博士〜
>
> * 「すなわち彼は審理とか、そのことの正しさとかを自分が享受している名誉や名声その他のものによって証明はしない。正にその反対であ
> る。」〜キルケゴール〜
>
>
>
> 実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ● また何を根拠にするかと思えば、そんな学者の言を持ち出してもぜんぜんだめ。
この方々は、成仏の法を御存知なのですか?
三大秘法の法体を知っているのですか?
貴殿が引文するの”文証”とはまさか、この方々の”お言葉”ではないでしょうね?
仏法の奥義を相伝されてない方々に人を成仏させる法を知っているわけがないじゃないですか?
貴殿はそんなことも分からないのですか?
こんな言辞を根拠として、”実践なき聖職者が崇拝される時代は終わったのです。”だなんて結論付けても全く意味を成しません。
思わず噴出しましたよ。
貴殿のレベルの低さにはほとほと感心させられますね。
もう少し法義論争の基本を学んでからにした方がいいのでは?
はい、やり直し。
もっと、まともな仏法の文証に於いて反駁し給え。
貴殿の言葉で言えば”準備運動”にすらなっていませんね。
”運動”する前に、目が覚めるように、おうちでまず”洗顔”からやり直したら?
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆貴方も日顕と同レベル
>
> 社会から遊離した弱小教団らしい発想です。これらの方々や、その他、数多くの識者の方が、創価学会の存在に希望を見出している言葉を「レベルが低い」としか見れない貴方は日顕宗のサンプルです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●まさに馬鹿丸出しですね
■「只道理と経文とを本とすべし。」戒法門
仏法の深義を全く心得ていない世間の謗法の学者の言を元に仏法の正邪を判断する愚が貴殿の腐敗した脳髄では理解出来ませんか?
仏法による道理と経文を挙げられないが故に、そのような謗法の外道義の学者と称する人々の言でしか自己を粉飾出来ないのですね。
その様がまさしく邪教である証左である。
■「法華に云はく「悪知識を捨てゝ善友に親近せよ」と。止観に云はく「師に値はざれば、邪慧日に増し生死月に甚だしく、稠林に曲木を曳くが如く、出づる期有ること無し」蓮盛抄
悪知識とは、法華経の深義を知らない謗法の者である。
師とは「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師」の御事である。
■「三惑未断の凡夫の語録を用ひて、四智円明の如来の言教を軽んずる、返す返す過てる者かな。疾の前に薬なし、機の前に教なし。等覚の菩薩尚教を用ひき、底下の愚人何ぞ経を信ぜざる」蓮盛抄
まさに貴殿はこの様です。
「三惑未断の凡夫の語録を用ひ」ずに、「四智円明の如来の言教」を以って反論してみたら?
貴殿は「返す返す過てる者かな」
貴殿のような重病人には「疾の前に薬なし、機の前に教なし。」
貴殿など「底下の愚人」以下の猊下を罵る薄汚い謗法者の分際で、「経」を用いないで云々しても全く駄目。
論外の大虚け者なだけです。
次回は「経」において創価学会を正当化して御覧?
出来なければ詫び状を書いて退場。脱会。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
▼> カルトの証明として、この投稿を強調文字または、フォントを大きくするなどして目立つ処置をして公表します。
―――――――――――――――――――――――――――――
●どうぞお好きにおやりなさい。
自分が如何に仏法の基本すら会得していないか、全国に実名で恥を晒すだけの事です。
当方こそ貴殿の言動は一々にみっともない様なので、貴殿を知る貴殿が住んでいる周辺の方々に一日も早く告知したいものです。
まずは貴殿が担当していると言う、50人ほどの男子部員にこの全容を見せたいね。
貴殿は白帯の者が有段者である黒帯に纏わりついているような状態であり、その実力差はもう良識ある方々が見れば十分判定できるところである。依って、今後文証に依る反証が出来ない時点で貴殿の敗北を宣告する。
そのつもりで、十二分に研鑽を致し、返答するように。気をつけ給え。
しかし、貴殿の程度ではおよそ無理である。が故に、今後一箇所でも文証による反論が不能な場合、貴殿にはこの法論を続行できる能力無しと見なし、放逐する。その覚悟で臨んで来なさい。いい加減な言辞では不可・落第である。
さあ、気合を入れて頑張り給え。
―――――――――――――――――――――――――――――>
▼> もうひとつ、
>
> こちらは極一部ですが、結果を示しました。貴方も宗門の結果を示しなさい。これだけ実証を示しているという結果を。
>
> 正本堂壊したとか。その他にも壊してるでしょ?
>
> 楽しみにしてます。
―――――――――――――――――――――――――――――
●もう一度訊くが、貴殿ら創価学会が今一体何をしているのか?
醜悪・極悪・魔の温床であるニセ本尊を全世界に有償でばら撒いているだけではないか。
正に三災七難の元凶である。
その大謗法団体を破門にする。これ程の浄業はないでしょう。
そして貴殿のようなニセ本尊の謗法の害毒に依って、頑迷固陋な上に名聞名利だけは強く、道理が全く理解できずに、妄執深く、恥を知らずに、低劣な言をエンドレスに述べ立てている創価学会員を全国各地で完膚なきまでに摧伏しているのは日蓮正宗宗門に所属している法華講員たちではないか。
富士大石寺内の建物をどうしようと、宗派が違う別の宗教団体である貴殿らにとやかく言われる筋合いはない。
それとも、そんなに気になるのか?本門戒壇の大御本尊おわします富士大石寺のことが。
だったら素直に今までの自分の謗法の言を反省懺悔して素直に脱会し、大石寺に参詣し大御本尊と猊下に地に頭を擦りつけて謝りなさい。そうすれば必ずや許され、成仏の大道へ進めるだろう。
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2005年3月13日 22:56
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●この段は以前の箇所を挙げないと論点が不明瞭になっているので再掲します。
―――――――――――――――――――――――――――――
●大聖人は仏宝であり、そのお立場から「法体の折伏」をなされたのであり、その後、
日興上人以下の御歴代上人は僧宝であり、「化儀の折伏」を期しての伝持のお役目で
す。しかして内体に約せば三宝一体であり、その辺に於いて、「予(日蓮大聖人)が
存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」なのです。
ですから、仏宝と僧宝では、外用の辺では、自ずからお役目と、お立場が違うのであ
り、百六箇抄の文は内証の辺における意義を仰せになっているのです。
そういう筋目を惑乱して、
”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」
という事実を示すべきでしょう。”
とは全く、噴飯ものの、”幼稚な”邪難です。もう少し、仏法のイロハを勉強してか
ら、当方に臨んだ方が良いのではないですか?
―――――――――――――――――――――――――――――
◆「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜
貴方が麓をうろついたおかげで、仏法のイロハから「実践」を削除するという、貴方
達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。
そのような主張は、山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だと知るべきでしょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●はい、ではその根拠を文証を以って明確に提示してください。
貴殿が「山寺の閉ざされた空間でのみ通用する稚拙な論理だ」と思い込むのは自由ですが、何度も言わないと分からないようだから何度でも確認しますが、法義論争とは、明確な文証・道理を指し示して破折・反論・論破するものです。相手に相手の主張が「稚拙な論理」と分からせるには、そ>
れなりの文証を根拠とした論理明晰な反論が必要です。ので、
ここは、やり直しですね。宿題です。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆実践のない日顕さんを神格化する根拠として「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用することも明らかになりました。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●「実践」云々については上記で破折済み。「「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等を引用」して、何か問題でも?だから、なんなんでしょうか?ここは、全くの反論になっていません。ので、ここもやり直しです。「法体の折伏」「化儀の折伏」「三宝一体」等の御法門を例示することがどこがどのように問題なのか、明確に文証で以って反論してください。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆ 神格化の根拠として引用する姿勢を否としているのです。上記の血脈・三類の強敵・和合僧団、下記の三宝等のところで反駁して下さい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●反駁も何も、貴殿はこの設問において全く何の反証も出来なかったのであり、この科段では貴殿の反証不能で終了と言う事実が残ったということです。こんな状態が続くようでしたら、真に改宗を要求します。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆もともと実践の有無を確認されて、「はい」か「いいえ」で答えればいいものを、答えないまま徒に論点を広げて、要約もできず、一つに繋がっていた文を切って、反駁して、勝手に混乱して、「反証不能」とは笑える。ホケコのサンプル君。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿の設問の「実践の有無」の「実践」の定義について貴殿の浅識に依る幼稚な論について、仏法、僧宝、法体の折伏、化義の折伏、三宝一体等の義を説示した事に対して、貴殿は文証を示して全く反論していないのであり、文証を根拠とした反論でなければそれは依用すべきものではない。ということを主張しているのである。
■「若し経律を離れて是の説を作さば当に知るべし即ち是虚説なり」禅宗天台勝劣抄
貴殿は「仏説」を離れて自分勝手に言ってるだけで「即ち是虚説なり」ですね。
■「諸の悪比丘、或は禅を修すること有るとも経論に依らず、自ら己見を逐ひて非を以て是と為して是邪是正と分別すること能はず。」禅宗天台勝劣抄
貴殿は「経論」を挙げる事が出来ずに、自分の我見・己見に閉じこもり、何が非で何が是かが全く分別出来なくなっている愚かな姿ですね。禅系の悪比丘と同類の無様さです。よくよく猛省すべし。
貴殿が遁走しているので再度詰問する。
日顕上人の”実践”とは「僧宝」として正に実践なされている。その”実践”は「化義の折伏」であり、その根本は「御本尊書写・御開眼」である。これは内体に約して「三宝一体」であるからである。
大聖人は「仏宝」であり、大御本尊を顕発される「法体の折伏」である。
仏宝と僧宝ではその実践に於いて自ずと相違があるのである。
この主意に対して貴殿は「文証」に於いて全く反論していない。
もしこの正当な論に対して疑義があるのなら、仏法の道理を知らない方々の言や、貴殿の私見でなく、明確な文証を以って反論し給え。同じ事を何度も言わせるものではない。貴殿の頑迷さは群を抜いているので、読者には申し訳ないが繰り返し念告する。
文証に於いて明確な反論が出来ない場合は反論不能で詫び状を書いて脱会。
文証を引けない浅薄な教学力で、当方を「ホケコのサンプル君。」との強がりからくる呼称は、却って明晰な反論に難儀してる貴殿の苦衷が良く顕れている。実に分かり易い貴殿の幼稚な心理構造である。
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> ◆貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●はい、ここも、貴殿の何の根拠も明示できない盲断ですね。文証を挙げて反論してください。
>
■ 「文無く義無きは信受すべからず」「文証無きは悉く是邪謂なり」
>
> 貴殿の思い込みでいうと■「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」との大聖人御自らの御言葉も「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」となりませんかね。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆末法万年にわたる尊信の対象の三宝を定めたものです。我々も実践により僧宝になりうるので、「隷属させるもの」にはなりません。下記の三宝
> などを参照下さい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
>
> ●この箇所も矛盾だらけです。
>
> 1、”末法万年にわたる尊信の対象の三宝”とはどなたを指すのか?その答えを見てからしっかりと破折します。
>
> 2、「我々も実践により僧宝になりうる」その根拠を文証により明示してください。
>
>
> 3、1の「三宝」と貴殿らが成りうる”僧宝”との関係を文証により説示してください。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ◆他の箇所に全て答えがあります。自分でお探しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●いや。他の箇所ではここの明確な答えになっていない。
再度この段の問いについて、明確に論示し給え。
大事な法義論争で労を惜しむこと勿れ。
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2005年3月16日 22:42
●「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」>>
この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。呵々。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆民衆を隷属させる教義が「仏法に相違」していると主張している相手に、この引用は意味がないでしょう。準備運動のひとつと捉えておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●? 貴殿は本当に日本語が読めないようですね。
当方からは■「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との御文を提示して、日顕上人を尊仰すべきである。と主張し、
それに対し貴殿が、▼”貴方達の解釈は、庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。”と難じてきたのでしょう?
そこで、●「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」>> この御文などはまさしく、「庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである。」ですね。と破折をしたのであって、貴殿の論法から言えば、”貫主お一人が大人数の衆義を一方的に摧く”ということは、まさに”民衆を隷属させる教義”であり、そのことは貴殿が解釈している”仏法”に”相違”しているのではないか。
当方が引文した文証に通底している義はまさに同義であり、貴殿の珍釈こそこれらの御文へ無知が故とはいえ唾を吐きかけているのですよ。恐れるべし。誡しむべし。
反論に窮したからといって”準備運動のひとつと捉えておきます。”などと、強がってしらばっくれるものではありませんよ。
まっ、読者は、正確に見抜いてますけどね。貴殿の知能程度と、捻じ曲がった性格が顕著に現れた箇所として貴重な場面でした。
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◆悔しかった様子がの長さに表れてます。案外正直な一面もあるようです。『「仏法に相違しているか否か」の論争が継続中にこの引用は不適切でした。ごめん』ぐらい爽やかにいきなさい。言行不一致は信用を失いますよ。
●暗愚のみならず心根が卑しく変質した者を相手にするのは疲れるものである。
しかも学習効果の悪い子供には繰り返し繰り返し教えてあげるしかないようである。
まず貴殿はこの段でも何の文証を挙げずに自説を主張している。これは法義論争の基本から言って失当である。貴殿の個人的及び主観的感想などでは反論の体を成していない。のみならず貴殿が如何に教学的に未熟であるか、それが故に信行に於いて見当違いをおかしているか、それが為に如何に人格的に歪んだかを図らずも明示した事実が残った訳である。ニセ本尊による人格破壊の様がまざまざと見てとれる貴重な資料である。
結果、この段の貴殿の返答も上段の当方からの破折を篭めた反論に明確に再反論していない。やり直しを命じます。もし次回文証による反論ができなかった場合は詫び状&脱会。
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◆虐げられていた御在世の民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。
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●そのように、邪網に覆われ道理に曚い妄執の根性で、三宝を誹謗すると、必ずや、「今生には身をほろぼし、国をそこなひ、後生には大阿> 鼻地獄に堕ち給ふべし」となり、
更に詳しくは
「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。是の故に普賢、若し是の経典を受持する者を見ては、当に起って遠く迎ふべきこと、当に仏を敬ふが如くすべし」
>> 過悪-------過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等。
>> 白癩---皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種。手脚繚戻→手足が曲がり自由に伸びない状態。
>> 眼目角らい---瞳の方角が偏り、正常に者を見る事が出来ない事。> 悪瘡---------悪性のできもの、腫れ物。
>> 水腹---------腹部に濁水が充満する病気。
>> 短気------息が詰まり呼吸が困難になること。>> このような姿になりますよ。
>> 恐るべし、慎むべし。
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◆身延相承書・池上相承書にあるように、末法万年にわたる尊信の対象として僧宝を日興上人としたのは明らかです。三宝一体の法義からも正しい。
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●ここも貴殿の”怪釈”はハズレでした。
僧宝とは、日興上人を随一とする末法万年の御歴代御法主上人です。
上掲した御文中貴殿にも理解しやすいだろう御文を再掲する。
もし、異議があるのならば、文証に於いて反論してください。
■『本因妙抄』 「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべ
し」(新編一六八四�)
■『御本尊七箇之相承』「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖
典三七九�)
■一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
■26【当家三衣抄】(六巻抄二二五�)南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫主、開山付法南無日興上
人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々付法歴代の諸師。此の如き三宝を一心に之を念じて唯当に南無妙法蓮華経と称し乃ち一子を過ごすべし
云々。
■26『当流行事抄』日寛上人「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�)
■亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。
●59『有師化儀抄註解』日亨上人
「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶
一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�)
●59『有師化儀抄註解』日亨上人(1-160)
貫主上人は本仏の代官にもあり・又本仏の義にもあり・口づから命を発したる仁なれば、御前に復命せんこと亦勿論なり、
(因みにここなども、貴殿の論から言えば、”庶民を「宗教的権威」に隷属させるものである”となりますね。貴殿は日亨上人にも唾を吐きかける
んですね。恐ろし、恐ろし。)
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◆真偽未決のものや、御金言でないのもばかりですね。
また混乱させる狙いですか。
本因妙抄・百六箇抄は破折&指摘済み。
自分で探しなさい。
子守は疲れました(笑)
●反論不能の言い訳ですね。
1、 上記文のどの部分が真偽未決なのか明示せよ。できなければ詫び状を書きなさい。そして脱会。
2、 貴殿は「御金言」しか用いないようだが、では「御金言」では弘安2年10月12日の御本尊についてどう仰せられているのか明示せよ。
そもそも御書のどこに弘安2年10月12日の御本尊の御事が明示されているのか?
3、 大聖人の仏法を全て御金言だけで説示できると言うのならば、
一、
祖所顕の漫荼羅中仏菩薩の列座の次第会座に違ふが如きは如何。
二、宗祖所顕の本尊年度に依り所図の(或は善徳仏十方分身の諸仏を書し或は之を除去す)不同のある理由如何。
三、宗祖所顕本尊中の記銘に仏滅後二千二百二十余年・或は三十余年と記し給ひ差別・並に文永建治の御本尊に二千二百三十余年と記し給ふ理由は如何。
四、宗祖所顕の本尊の中央に南無妙法蓮華経日蓮判と大書し、釈迦多宝の二仏等は傍らに細字を以て書し給ふ理由は如何。
以上「御金言」だけで明確に説明せよ。できなければ詫び状を書くこと。勿論その時点で脱会せよ。
◆>> そのうえで、
>> ・「御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮
等の> 類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目
なり僧> とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云」>> 〜御義口伝〜
>>>> 戦い続けている学会員も僧宝であり、釈迦一代五時継図の御聖訓には該当しません。
―――――――――――――――――――――――――――
●また何を言い出すかと思えば。貴殿の引文は全くお門違いばかりですね。しかも、自分等の謗法の咎を表示している箇所を敢えて引証してくると
は。「盲法門・もぐら法門・ミミズ法門」ですね。
では、いきますか。貴殿は後半部分を根拠に”創価学会を僧宝”と馬鹿げたことを言いたいのでしょう?
この御文は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御事をお示しなのです。決して貴殿ら三宝誹謗の大謗法者たちのことではありません。
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。法とは題目なり。僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
まさに、この御文のとおりで、解釈をする必要もないほど明瞭ですが、理解力の欠乏した貴殿に対して敢えて説明するならば、
■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」
ここは、このまま、末法御出現の御本仏は、三十二相色相荘厳の迹仏の姿ではなく、凡夫、なかんずく凡夫僧の姿である。ということです。
■「僧とは我等行者なり。仏とも云われ、又凡夫僧共云はるゝなり。」
ですから、再度釈されて、凡夫僧とは末法の法華経の行者=本仏である。それは、僧形ではあるけれども、内証は御本仏であり、外用は凡夫僧である。
―――――――――――――――――――――――――――
◆「僧とは我等行者なり」の文は、大聖人より嫡々代々、清浄な法を持つ現日蓮正宗の僧俗に当たる、と呵責しておくものであります。」
〜平成9年8月28日全国教師講習会〜
私の引用に文句をつける以前の問題です。
日顕はこの御文の「僧」を複数の「僧俗」とし三宝の御文として講義してますが、貴方は大聖人の事に限ると言います。
まず、この問題をクリアにしないと、私と話をできる土俵にすら上がってない事になります。その上で、切り刻んであげましょう。
―――――――――――――――――――――――――――
●法門未熟の者はこれだから笑われ恥をかきそして成仏できないのですね。
まず第一の問題。
26日寛上人 文底秘沈抄 47
■「諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」
法相は論じる所対に依って様々な義に開かれる。貴殿はその中の一義に囚われ妄執して舞い上がっているだけである。「敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。」と寛師から厳しく叱責される迷妄な姿そのままである。
第二に貴殿は総別の法門をまるで理解していない。未熟者である。
別して言えば、■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」であり、末法御出現の御本仏は、三十二相色相荘厳の迹仏の姿ではなく、凡夫、なかんずく凡夫僧の姿であられる日蓮大聖人である。
また、貴殿ら謗法・邪義芬々の者どもを所対として論するならば、総じての辺に於いて、■「僧とは我等行者なり。仏共云はれ、又は凡夫僧共云はるゝなり。」の中の「僧とは我等行者なり。」との御文は猊下が仰せの如く
■「僧とは我等行者なり」の文は、大聖人より嫡々代々、清浄な法を持つ現日蓮正宗の僧俗に当たる、と呵責しておくものであります。」の通りである。
間違っても大聖人よりの「嫡々代々」から外れた、のみならず「嫡々代々」を悪し様に罵る貴殿等創価学会の者どもではない。
さて、法門未熟の貴殿がこの初歩的な法門の捌きを理解できるか否かはさて置き、
「まず、この問題をクリアに」したので、貴殿「と話をできる土俵に」上がりました。じっくりと「切り刻んで」いただきましょう。
がしかし、あくまでも文証を以ってである。貴殿ほどの我執の強い者には一々に釘を刺して置かないとしらばっくれて遁走する恐れがあるので、くどいようだが念告しておく。
文証においての反論ができない場合は詫び状を提出し脱会せよ。脱会後は当方の組織に所属し真面目に信仰活動に励む事。当方の活動の主軸は創価学会破折であるから、その旨承知しておく事。
当方は貴殿と同じ創価学会員の中でも貴殿より法義的に論じ合う価値のある方々と出会いだした。
貴殿程度のレベルのお方をお相手してあげられる時間が残り少ない。
貴殿も少しはレベルアップして当方から相手にされるように心して頑張りたまえ。
再三厳重に念告しておくが、それがたとえ見当違いな引文でも文証による反論がなされない場合はその時点で貴殿の敗北を宣告し、貴殿の脱会を要求する。この事はこの往還を見聞している全ての読者にも了知される内容である。
――――――――――――――――――――――――――――――
●「深覚円理名之為仏の故なり。円理とは法華経なり」
ここで決着ですね。ここの意味を知っていて引文したとすれば貴殿はほとんど日本語を知らない外国人か、はたまた狂人ですね。
ではいきます。
「深く円理を覚る。之を名づけて仏と為す。円理とは法華経(=戒壇の大御本尊) なり。」
ここにまさに、御本仏の御境地がはっきり現れているではないですか。
貴殿らは、”深く円理=戒壇の大御本尊 を覚”っているのですか?まっさか!
こういう法門の筋目を分からずして、乱引するから、こうして恥をかくのですよ。
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◆出ました。山寺の論理。大御本尊に法の永遠性を観ている私達。目に見える存在として唯物論的な解釈で自宗の正当化に利用する貴方達。これで
決着です。
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●これも文証を引きなさい。
次回文証が無ければ上記のごとく脱会手続きを取りなさい。
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●”戦い続けている学会員も僧宝”ですって?呵々。
一体何と戦っている事やら。
■「今末法に入つて日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事彼に過ぎたり。」
貴殿らのやっていることはまさにこれではないですか。
御法主日顕上人猊下も我々法華講もみな戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して、”南無妙法蓮華経と唱え奉”っているのですよ。
■「不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受く」
■「彼は千劫此れは至無数劫なり」
この御文のとおり、貴殿らは間違いなく、まさにほとんど無限に近い時間ほど地獄に堕ちますよ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆また出ました。山寺の稚拙な論理。「戒壇の大御本尊に向かって目の当たりに拝して」との表現からは、「権力者が作った現法律において、大御本尊が我が宗派の持ち物である」という物質的側面からしか大御本尊を見ていない事がよく分かります。「深覚円理名之為仏」とはほど遠い「唯物論者」に成り下がった自身の拙い信仰姿勢を恥じ入りなさい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
●低脳な狂人は自分の愚昧な主張を変質的にエンドレスに繰り返すというが貴殿は正にその様態である。こういう精神荒廃者相手に深く論じてあげる必要はないが、ただ一言「文証を挙げよ!」はい。次回へ宿題。
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◆私はもちろん、貴方に対して「恐るべし、慎むべし。」と主張> します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
●上記の破折をよく読んでから、もう一度出直して来なさい。
■「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださば、若しは実、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑する
こと有らん者は当に世々に牙歯疎く欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身体臭穢にして悪瘡膿血、水腹短気、諸悪の重病あるべし。」
この観発品の御文は、まさに貴殿らの行く末を明示している御文ですよ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆無意味な感情論は混乱させるだけですよ。少しは大人になりなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
●道理・文証・そして貴殿のこの文証による反論が不能で、主観や我意・我見を壊れたレコーダーのように繰り返しているこの壊れた精神による現証において、上記の如く指摘してあげている。これが「無意味な感情論」と断定できる根拠を文証において証明しなさい。
――――――――――――――――――――――――――――――
◆「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とに
> かくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にう
づ> むとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云>> 〜上野殿御返事〜
――――――――――――――――――――――――――――――――
●一体、この御書は何のために、何を立証せんとして引かれたのか。貴殿の引文は全く的外れです。何故かというその答えを言う前に、貴殿の教学力の程度を知るため、また読者の皆さんにも知っていただくために、貴殿に訊くが、「願くは我が弟子等大願ををこせ」の「大願」とは何を仰っているのか分かりますか?その答えを本当に理解しているなら、こういう一節を、>>
虐げられていた御在世の
民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。」と言う主張の後に挿入できるはずもないのですがね。まずは、貴殿の回答を聞いてみましょうか?その答えを見てからじっくりと貴殿の法門未熟さを破折しましょう。
――――――――――――――――――――――――――――――
◆「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故・法師品十六箇の大事とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻
浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。」
〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
―――――――――――――――――――――――――――――――――
●まず、御文を改めます。平成版では以下になっています。
「第二 成就大願 愍衆生故○生於悪世 広演此経の事
御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類なり、広とは南閻浮提なり、此経
とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり。」
古文献の研究は後年に於いてものが正確である事は古文書研究の常識であるが故に、平成版の表現を用います。
――――――――――――――――――――――――――――――――
◆本因妙抄の御加文の部分が「平成版」では、御金言となっています。「正確」なんですね。御金言に変更した根拠となる新たで正確な「古文献」
を提示しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――――
●御加文=正式には後加文、こんな基本すら間違っているほど未熟な癖に、随分と生意気なお口ですね。呵々。
しかも、自分が否定している“後加文”に「御」との尊称を冠しているとは!全く、お笑いです。日淳上人ではないがそれこそ「顔を洗って出直してきたら如何か?」
では本題への破折。
平成版のどこにこの後加文が「御金言」となった。「御金言」に変更した。と書いているのか?
貴殿は何を寝ぼけているのか?それともいよいよ精神の病が昂じてきたか?
自分で妄想を作り上げてその中で転げまわっているとは。げに偽本尊の害毒の恐ろしさよ。
さて、平成版で上記後加文が御金言に変更認定されたという明確な証拠を挙げよ。
できなければここは明らかに事実誤認であるから真摯に詫びなさい。いいですね。逃げる事は許さないですよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
●法華=戒壇の大御本尊であることは異論がないと思いますが、では、貴殿らは何を広めているのですか?
▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて
申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 993
▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳
638)
▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
●『本尊問答抄』
「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(新編一二七五�)
●22『本門如来寿量品廿三座』日俊上人
「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」(歴全三―三�)
●31『日因上人御消息』
「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れ
ず相伝是れ也」
●56『法之道』日応上人
「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四�)
貴殿らが販売している掛け軸様のものは、開眼のない魔であり、鬼であり、国を滅ぼす基ではないですか。
そんなものを広めている者たちに「大願とは法華弘通なり」の御文を云々する資格は全くありませんね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆教条主義的な解釈しかできない貴方には分からないようです。
別な角度から話しましょう。
開眼なき御本尊を授与することが謗法なら、それを許可する事も謗法ですね
はいか、いいえでどうぞ。
また、
・法主の許可があればいいとするなら、許可した瞬間、その御本尊に何が起こるのかを論証して下さい。
(例)1月23日、開眼していないが法主から許可をもらっている御本尊を法道院から授与された。実は、許可されたものとは違う御本尊だったこ
とが1月24日のPM4:30に分かった。1月24日のPM5:00に法主の許可が下った。
・1月24日のPM5:00に本物になるのですね。この時、御本尊に何が起こるのか具体的に論証しなさい。
世界に通用する弁舌期待してますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――
●(例)の事例を具体的に挙げなさい。
こんな例証では反論証拠としては曖昧すぎて不可。はい、やり直し。
それからゆっくり「刻んであげます」
――――――――――――――――――――――――
◆ 法師品には、法師とは在家・出家の法華経を説いた者として説かれています。(深く見れば法華経全体が滅後末法の為ですが)、大聖人は、薬王品得意抄で
・「法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり」といわれています。在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量です。
この仏の大慈悲を一身に体して行動する人が法師です。
この五品の中に、「猶多怨嫉況滅度後」「三類の強敵」が説かれており、法主もこの修行をすべき対象に含まれると考えます。
――――――――――――――――――――――――――――――――
●全く貴殿は法門の筋目が分かってないですね。
まず、この御書は文永二年の御作ですから、佐前であります。
■「又法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。」
との御指南の如く、文底下種の御法門から開いて拝読しなくてはいけません。
■「方便品より人記品に至るまでの八品には、正には二乗作仏を明かし、傍には菩薩・凡夫の作仏を明かす。法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品は、上の八品を末代の凡夫の修行すべき様を説くなり。又、涌出品は寿量品の序なり。分別功徳品より十二品は、正には寿量品を末代の凡夫の行ずべき様、傍には方便品等の八品を修行すべき様を説くなり。然れば此の薬王品は方便品等の八品、並びに寿量品を修行すべき様を説きし品なり。」
その上で拝していくと、この御書が権実相対・本迹相対の辺で説かれている事が分かります。
ですから、当該箇所は、迹門の正と傍の意義を明かし、法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品に、権実相対しての末代の修行の様を説かれていると御教示なのです。この御文を、直ちに文底下種の三大秘法を御所持される御法主上人に当て嵌める事自体、法門の所対に曚い盲狂学の浅はかさが暴露されてしまいましたね。
――――――――――――――――――――――――――――――――
◆ 「生於悪世の人とは日蓮等の類いなり」を無視してますが、日顕に当て嵌まらない?
つまり、日顕は法師ではないということ?
簡単明瞭に答えなさい。
――――――――――――――――――――――――――――――
●その前に貴殿は以下の段における当方からの反問に答えていない。
◆「願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とに
> かくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にう
づ> むとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云>> 〜上野殿御返事〜
――――――――――――――――――――――――――――――――
●一体、この御書は何のために、何を立証せんとして引かれたのか。貴殿の引文は全く的外れです。何故かというその答えを言う前に、貴殿の教学力の程度を知るため、また読者の皆さんにも知っていただくために、貴殿に訊くが、「願くは我が弟子等大願ををこせ」の「大願」とは何を仰っているのか分かりますか?その答えを本当に理解しているなら、こういう一節を、>>
虐げられていた御在世の
民衆に仏の生命を見いだし、自ら民衆の中に飛び込み折伏を実践された大聖人と同じように「日顕を敬え」などとは、笑止千万である。」と言う主張の後に挿入できるはずもないのですがね。まずは、貴殿の回答を聞いてみましょうか?その答えを見てからじっくりと貴殿の法門未熟さを破折しましょう
―――――――――――――――――――――――――――――――
それからこの御文
●「第二 成就大願 愍衆生故○生於悪世 広演此経の事
御義口伝に云はく、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類なり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るものなり。」
について貴殿を破折します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿の引文が不適格なその証拠に、五品の中に安楽行品も含まれていますが、貴殿ら創価学会は末法に四安楽を説く安楽行品の修行するのですか?あっ、池田はそうかもしれませんね。納得。呵々。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆大聖人仏法は難即安楽です。
そのぐらいは、学びましょう。
・「妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。」〜御義口伝〜
難と戦う事が安楽であると仰せです。
何の苦労もない事が安楽ではない。
何があっても揺るがない大境界をつくるのが安楽行品の根本である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
●何を分りきったことを得々となって喚いているのか。
では、その貴殿が偉そうにのたまっておる▼「何があっても揺るがない大境界をつくるのが安楽行品の根本である。」
その「根本」とは何を指すか?明示せよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
▼さて、日顕の「難」を。
そうそう、その前に日顕がどういう戦いをして「難」を呼び起こしているか、ですね。
それがなければ、「難」ではなく、「身から出たサビ」ですよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
●この貴殿の粘着質なエンドレスの質問は既に完砕済み。
――――――――――――――――――――――――――――――――
▼>>>> ・「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」
>> 〜御義口伝・法師品十六箇の大事〜
――――――――――――――――――――――――――――――――――
●南無妙法蓮華経を唱えているものは別に貴殿らだけじゃないですよ。
顕正会だって唱えています。当方も唱えています。貴殿らとの違いを明確に説明してください。出来なければ、反論不能で脱会。
―――――――――――――――――――――――――――――――
◆本当に分かりませんか?
「人数」・「実績」です。
戦後、日本の宗教団体は、同じスタートラインでした。
もちろん、創価学会・ホケコ・顕正会(妙信講)もです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
●人数についても完砕済み
反論待ち。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
▼・「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく太刀つるぎにてつかう人の臆病なるやうにて候べし」〜王舎城事〜
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●また出ました。この御文は信力・行力と仏力・法力の四力の関係を譬えを引かれて明示されている義であって、邪義や謗法のニセ本尊を広めているその「数」や、「実績」を正当化する御文にはなり得ない。重ね重ね貴殿は真正の教学未熟者である。こういう様を盲引という。
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▼少しは恥を知りなさい。
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●まさに貴殿のこの不勉強さ加減。「少しは恥を知りなさい。」呵々
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▼創価学会・ホケコ・妙信講(顕正会)、どの団体が真の大聖人門下であるか、一目瞭然でしょう。だから、生死一大事の血脈が流れるのです。
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●人数を根拠に自宗の正当性は証明されない。こんな事は仏法の基礎中の基礎である。
仏法はあくまで法の正邪によって判定されなければならない。
法とは尊信の対象である法体に究境する。つまり本尊である。
貴殿等が有料で販売してあるいているニセ本尊と、顕正会が偽造している日布上人の偽造曼荼羅と身延のおみやげ物屋に売られている大聖人御真筆の模造掛け軸との相違を明確に御金言によって証明しなさい。できなければ数々の無礼な発言に対して謝罪し脱会。
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▼同じ質問を自分で答えなさい。
私達との違いを世界に通じる論理で明確に説明しなさい。
唯物論的な発想や教条主義でないことを期待してます。
出来なければ末法万年尽未来際、針金宗決定。脱講しなさい。
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●教学が無い者は押並べて反論不能の言い訳に「教条主義」との語句を使う。
内容については既に完全に破折済み。
ニセ本尊を何枚配ってみたってただの大謗法・大邪教であるだけのこと。
その悪果報で貴殿の様なの悩乱者が続出している。
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●▼>>>>無名の庶民である学会員が今も昔も広布の実証を示している姿こそ愍衆生故の姿です。
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●上記の通り、開眼のない魔物を販売してあるくことは、どう間違っても広布ではありませんので。悪しからず。
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▼自ら望んで業を背負って生まれて来たのです。
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●全く、悪業の深い連中ですね。
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▼妙楽大師はこ> れを願兼於業と説きました。法を説くために庶民の中へ。仏意仏勅であるが故に三類の強敵を顕した。つまり法師の中の大法師で
す。
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●貴殿の妄想に獲り付かれたたわごとです。
魔物を大量販売しているが故に、”願兼於業”でもなければ、”仏意仏勅”であろうはずもない。ましてや、”三類の強敵”だなんて大噴飯ものです。
貴殿ら創価学会の度重なる反社会的行為によって世間から何度も何度も厳しく糾弾されただけのことではないですか。
日蓮正宗からは、貴殿らの度重なる大謗法によって、当然の如く破門されただけの事。
「法師の中の大法師」だなんて、とんだお門違い。ブラックジョークですか?
魔物を作成・印刷・販売する者たちは、「魔師の中でも大魔師」でしょう。今生には自らも家族も滅ぼし、後生は無間地獄間違いないですよ。
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▼>> さて、日顕さんにこの教文通りの実践があるのか?ないのか?必要ないのか?>>
教文通りの難はあるのか?ないのか?>> これらを踏まえ反
駁して下さい。>> 尚、一番最初の項目と内容が重複する箇所は、そこで反駁して下さい。
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●上記の如く、大魔物販売集団から、日顕上人が経文(”教文”ではないと思いますよ)通りの実践があるのか、ないのか。だなんて言われる筋合いは毛筋ほどもないですね。
むしろ、貴殿らのような大謗法団体をきっちり破折し破門した事自体、まさに経文通りの実践ではないですか。だから貴殿らの汚れきった邪難を一身にお受けになっているではないか。これまさに三類の強敵の大難を受けているお姿そのものです。
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◆実証すら学会頼みなのですね。
「破門した事が経文通りの実践である」のだそうです。
他には?
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●反論できないということは、貴殿はこの段の破折を認めたということでいいのだな。
であるならば、他などを聞く必要も無い。ニセ本尊ばら撒く大謗法団体創価学会など、世界中のあらゆる団体の中で一番害毒のきつい似非宗教団体である。貴殿の人格が破壊されきらない前に一刻も早く脱会し懺悔したまえ。
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●▼>>>>>>>>>>>> ◆「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。それにより、第三者の方々に
も、お互いの主張の> 違いが分かりやすくなるでしょう。
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>>>> ●こういう姿は、まさに痴犬が吠えるがごとくです。上記で破折済み。道理が理解できない痴れ者が、馬鹿の一つ覚えのごとく吠えたくっているだけ。前回の説明で理解が出来ないとはよほど謗法による三毒強盛が進んでいると見えますね。今回の上記の解説をよく読んで仏宝と僧宝の違いをよく知るべきです。更に言うならば、「大聖人と同じ実践がなければ、尊仰してはならない」との、明確な文証を提示してください。その提示もなくただ吠えかかっているのは、愚かを通り越して、惨めですよ。貴殿が「百六箇抄」の御文に対して、この程度の「言いがかり」しかできないとは、ちょっと、残念ですね。もう少し、知的な反論が返って来るのではと期待した当方が、貴殿を買いかぶっていたようです。こんな癡犬の吠え声にいつまでも付き合っていられませんから、次に進みます。貴殿は、的確な文証を根拠としての反論は全く不能であった。という事実が残ったわけです。
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>>>> ◆他の箇所と重複する内容なので、ここでは触れません。
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●自分から吠え掛かっておいてこれですからね。
ここも、とうとう反論不能ということですね。お疲れさん。
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◆「日顕に折伏弘教の実践は必要ない」
ここでの確認がやっと完結したということ。こちらの簡単な質問に「吠え掛かってきた」と過剰反応し、論を混乱させたという心情が伺えて笑える。
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●壊れた脳髄に再三再四警告する。
貴殿は文証を用いていない。また用いた文証は悉く的外れである事を摧破した。
が故に、貴殿の妄想で勝手な結論を導き出しても失当である。
反論はあくまでも正当な文証に於いてせよ。
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◆日本語の雅な表現が分からない方のようです。
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●ほ〜〜〜〜ぉ!!! ?>> これは、面白いことを言いますね。>> 1、「言い掛かり」とは、>> 口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄。との意ですが、百六箇
抄の文の何がどう、”言いがかり=口実を作って、難癖をつけること。> また、その事柄。”なのでしょうか? ”雅な”言語表現で、上手に反論してください。明確に。>>>>
2、”
直ちに引用した”ここの表現もかなり変です。文章の冒頭から使用する語句が不適切なので、変に変を重ねて、もはや主張したい意図が不明> 瞭です。もし、”雅びな表現”というなら、その表現を
書き下して意味明瞭にしてみてください。その内容がどういう表現になるのか、興味津々で> す。その表現を見てからこの文章が果たして“雅”だったのか、厳しく検証しま
しょう。>>>> 3、「百六箇抄は「唯授一人血脈相承」の傍らですか?」???????>> ここは致命的です。この箇所が、誤字でなく、”雅な表現”ならば、貴殿の言語
感覚は、破綻しています。「百六箇抄が、「唯授一人血脈相承」の傍ら 」???????何ですか?これは?どう読んでも意味不明です。ここの明確な解説もよろしくお願いします。その解説文を見てから、更に追求しましょう。自らの非を素直に認めないとこのように徹底した反撃に合うことを知るべきです。
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◆道理につまると話をすり替えて個人攻撃とは、実に貴方らしい。性格とはいえ、どうでもいい瑣末な事実を、あふれんばかりに伝えながら「肝心な事」を答えない姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。
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●1、「道理に詰まる」?当方のどこがどのように「道理に詰まって」いるのでしょうか?きちんと例示してみてください。このような、根拠もない強がりを言いたくなる貴殿の心情を慮ると同情を禁じえないのですが、貴殿が仏宝と僧宝の立場や役目を混同して、痴犬が吠えるがごとく>>
「日顕さんには実践がない」と認めるや否や?まずは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。と幼稚な設問を凝りもせず繰り返している姿こそ、
> 「道理に詰まって」いる醜態ではないでしょうか?
2、「話をすり替えて」?どの論題をどのようにすり替えました?当方は貴殿が書いてあることが全く意味不明であるから、それを貴殿が言う「雅な」表現で、もう少し分かりやすく、再度書き送って欲しいと言っているだけですが?貴殿こそ、当方からの、何点かの論駁に明確に答えもせず、>
「どうでもいい瑣末な事実」ということに「すり替えて」当方の「性格」を云々するとは、まさに、「道理につまると話をすり替えて個人攻撃」と
> いう、「実に貴方らしい」「性格」ではありませんか。そういう「姿勢は改めたほうが貴方の為でしょう。」
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◆ここも準備運動の一つと捉えておきます。
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●はい、反論不能。結局、貴殿は書き間違えたことを素直に認めないからこのような無様な終わり方になりますね。
今後、もっと潔くなりなさい。
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◆ 貴方が「御在世の如く敬っている」日顕さんの実践を確認しているだけです。一貫してね。
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●はい、ここも痴犬の馬鹿吠え。上記の破折を再度心してお読みください。
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◆「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜>> 日顕さんに「御在世のような実践」はありや?なしや?速やかに
「はい」か「いいえ」で答えましょう。
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●ここまで貴殿が頑迷だと読者に対して失礼でしょう。まず、ここの引文ですが、これは、信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。(創価学会は別の宗派ですから特にこの御文とは関係はありませんが)>
この実践は各個々人が自ら大聖人・日興上人・御歴代上人に対
し奉り、我が身を誡めるためのものであって、他人が人の信仰姿勢を云々するために>
持ち出す御文ではありません。ましてや、「予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」との文意を否定する御文には全くなりません。貴殿の引文はここでも全くの的外れです。貴殿は仏法の初歩に暗いだけでなく、日本語の使われ方の意義を読み取る能力にも欠けているようです。もう少し、勉強してから挑んできたほうが貴殿の名誉のためにも、いいのでは?
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◆ 私「確認しているのです」
貴方「答えになっていない」
私「お互いの主張を明確にするために確認しているのです」
貴方「反論になっていない」
これでは噛み合いませんね。
他の箇所と重複する内容なので、ここも触れません。
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●貴殿が真から低レベルの教学しかないということが明確になりましたね。
貴殿は破折されつくされていることすら気がついていない。
貴殿に比べれば、まだ○藤氏や、○階氏の方がレベルは上でしたね。貴殿ほど無知ではなかったですね。
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◆はいはい。そうでしょうね。
では重複しますが、敢えて質問しますよ。
貴方は日顕さんが「三類の強敵」を顕したといってますね。
「信心修行して成仏の境界を目指すための全ての僧俗への誡門としての尊い教誡であって、この実践は日蓮正宗僧俗全ての課題です。」とも主張してますね。
課題のまま三類の強敵が顕れるという事を文証で示しなさい。
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●ここまできてやっと反論ですか?しかもこの程度のお粗末な。
貴殿の思考が如何に貧弱かが如実に顕れてきましたね。
ニセ本尊では智慧は出ませんよ。
生命力も衰えます。
では、呵責。
貴殿は法門の説かれる筋目の立て分けが全然分っていない。(再三指摘しているが貴殿自身には理解できないであろう。自分の口臭は自分では気がつけないが、周りの誰もが知っているように、貴殿の教学未熟さは貴殿よりこの対論を読む読者である程度の教学力がある方ならば明確に看取できるであろう)
成仏を目指す修行についての誡文と、末法に興起する三類の強敵に関する御法門とを俄かに文だけ結びつける事自体が不可である。
貴殿の根本的な妄執を学会指導により断破しておく。重複箇所もあるがニセ本尊の害毒が心中深く入り込んだ貴殿にとっては、これでもまだ足りぬくらいである。
●学会版 三宝 血脈論
▼2(「戸田城聖全集」第三巻235)
牧口先生当時から、学会は猊座の事には、一切感知せぬ大精神で通してきたし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部と言えども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。昔、関西に猊座の事に意見を振り回して没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳をそこなうものは当然そうなる。」
▼2『戸田城聖全集』
「御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(四―三九九�)
▼3『広布と人生を語る』池田大作
「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれ(今ではこれは法華講)と同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(8-228)
▼3『巻頭言・講義集』池田大作
「あくまでも師匠は日蓮大聖人様即御本尊様です。それから『遣使還告』あそばされる代々の御法主上人猊下です。われわれはぜんぶその弟子です」(三―一一三�)
▼3『広布と人生を語る』
「御法主上人猊下お一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」(3-98)
▼3『広布と人生を語る』
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり攪乱されてはならない」(2-37)
▼3『会長講演集』池田大作
「御法主上人猊下に対しては、御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(4-45)
▼3『池田大作発言』
「『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる」(聖教新聞 昭和53年2月26日付)
▼3 「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」(6-12)
▼3『広布と人生を語る』
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(3-256)
▼3『会長講演集』池田大作
「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(一〇―四三�)
▼3『広布と人生を語る』
「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」(3-32)
▼3 御法主上人猊下の御指南に従わない者は、もはや日蓮正宗の僧でもなく、俗でもない。(広布と人生を語る 三巻五三)▼3今、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出た事は、誠に悲しむべき事である。これらは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。 血脈付法の御法主上人猊下を離れて、正宗はありえないのである。」(「広布と人生を語る」第三巻)▼3『広布と人生を語る』池田大作「今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということにほかならない」(1-62)▼3「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(一―二三○�)▼『巻頭言・講義集』池田大作「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです」(3-84)▼※「歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられている」(聖教新聞 昭和五四年六月二日付)▼※『聖教新聞』「日蓮正宗の教義の根本をなすものは、まず、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぐことであり、それはとりもなおさず、御本仏の出世の本懐である戒壇の大御本尊を帰命依止の根本とすることに尽きる。もう一つ日蓮正宗の根幹をなすものは、血脈付法ということであり、歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられていることである。この二つの根本と、日蓮正宗の三宝、すなわち仏宝=御本仏・日蓮大聖人、法宝=大御本尊、僧宝=日興上人――とは、同じ意義をもっている」(昭和54年6月2日付)▼『大白蓮華』「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述べになったものと拝される。(中略)ゆえに『法体の血脈』と『信心の血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年三月号六九�)▼『日蓮大聖人御書講義』創価学会版「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・30上132)
「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。(中略)『総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じての『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�)▼『大白蓮華』
「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(昭和四一年九月号三五�)▼『特別学習会テキスト』創価学会発行「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います」(二七�)▼『聖教新聞』
「歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられていることである。この二つの根本(※戒壇の大御本尊と血脈付法の歴代上人のご内証)と、日蓮正宗の三宝、すなわち仏宝=御本仏・日蓮大聖人、法宝=大御本尊、僧宝=日興上人――とは、同じ意義をもっている」(昭和五四年六月二日付)●この血脈正しい流れの中においてのみ、三類の強敵は興起するのである。
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2005年3月19日 23:44
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◆ もちろん、私も公表します。
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●当方は、既にHPを立ち上げています。このやり取りは、全国の皆様が楽しく読んでくれることでしょう。決着がついたら、対論ものとして、実名入りで上梓します。
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◆承知のうえで始まったやりとりを、ここでわざとらしく咬ますところが貴方らしい。相変わらず芝居がかったユニークな方です。
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●貴殿が的確な文証も提示できずに余りに恥ずかしいことを書き連ねているので、この対論を発表すると言う約束を失念しているのではと心配になって警告したのです。大勢の読者から失笑を買わないように今後は的確な文証を引文してください。
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◆では、双方承知ということで。
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●結構ですね。早々にリアルタイムでアップする予定です。ライブ感あっていいですよね。全国の読者の感想なども実に楽しみです。
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◆「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。
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●このような、幼児的で的外れな邪難をしてくるということは、つまりは、貴殿は仏宝と僧宝の違いというこんな初歩的な三宝のたてわけも分からないのですね。また、更に言えば、法体の折伏、と化儀の折伏、という法門の筋目も何も分かっていないということですかね。この箇所について、更に一言だけ言っておくとすれば、「凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」この御文からしても貴殿らは「謗法者」であることは明確でしょう。いずれにせよ、このような何の文証も示せない邪難を書く前に、もう一度、当方からの百六箇抄の引文について、きちんとした「文証」によって、反論”すべきでしょう。”お待ちしております。
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◆ 魚は頭から腐るものです。
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●この隠喩もいまいち不的確ですね。何が魚で、何が頭なのでしょうか?明確な説明を求めます。こんな、意味不明な暗喩を書いている暇に、文証において反論したらいかがか?
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◆頭=日顕さん、魚=貴方達。類推すると、個人についても同じ事が言えるであろう。頭から腐るとね。一貫して実践の有無を問う相手に明確な答えをせず、敬う事だけを強いる文を投げつけて「私は答えている」とは、笑止。
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●貴殿がいう「一貫して実践の有無を問う」とは正しい法義から見ると「仏法の道理が分からずしてただ頑迷に妄執に取り付かれ、馬鹿の一つ覚えのように吠えている。」という姿です。更に「敬う事だけを強いる文」と言う表現からして、すると貴殿は百六箇抄の御文を否定するのですね?貴殿はここでも仏教のイロハに曚い醜態を晒しています。
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◆ここも一区切りします。他の箇所を参照下さい。
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●はい、ここも貴殿の敗走とういうことで。
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◆「折伏弘教の実践は必要ない」と貴方は「名言」した。それでお腹一杯です。笑いすぎで顎が痛いわ
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●こんな箇所で笑えますか?
だとすれば貴殿は余程教養の無い知性に欠けた境遇であるか、さもなければ若干精神的に問題が生じている方なのでしょう。ニセ本尊の底知れぬ魔性をまざまざと見せ付けられる思いです。
貴殿がこのような精神的に破滅的な状態でなければ、貴殿は反論に窮し、強がって「顎が痛」くなるほど空笑いでもしていなければ場がもたない有様なのでしょう。お察し申し上げます。
しかし、この往還は双方実名と組織内での立場を明言した正式な法論であり、このままこの段の論義を曖昧にはできません。教学未熟で空えばりだけの貴殿には酷ですが、貴殿が教学的に明確に返答していないので再度貴殿に詰問します。
1、■「凡そ謗法とは、謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」
貴殿は日顕上人を悪し様に罵っているが、日顕上人は「御僧侶」であられる。この御文の如く貴殿は謗法者となる訳だが、反論をお待ちします。
2、百六箇抄の■「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」の文の義を否定するのなら、明確な文証においてせよ。できなければ貴殿のただの我見に過ぎず、そのような我見による邪難など取る必要もない妄説であり、反論不能で脱会せよ。
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●再掲しますが「文無く義無きは信受すべからず」「文証無きは悉く是邪謂なり」貴殿の妄執は、邪な考えということです。更に
■「仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専(もっぱ)ら経文を詮とせん。」
文証を根拠としないで何をどう主張しても、全く論外です。法論にはなりません。顔を洗って出直してきなさい。
■「自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。」
貴殿は正に「三悪道に堕つべし。」の姿そのままです。
■「種々に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。」
貴殿は「非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。」もはや、何を基にどう考えていいか、分からなくなっているのです。
■「所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う」
謗法の酔いで自分の目が回っているのに、正義の方が回って見えるんですね。哀れ哀れ。御書の御文を指して、「敬う事だけを強いる文」と言い切るとは、もはや完全に仏教外の人です。外道ですね。貴殿ら新興宗教団体の長である方の発言の通り「信仰は自由」ですから、何を信仰しても自由ですが、仏教をやっていると思っているとしたら、嗚呼、勘違い!ですね。ましていわんや大聖人の仏法とは全く程遠いものです。貪・瞋・癡を表す三色の旗でも高々と掲げて世間の嘲笑でも浴びるんですな。凡そ仏教を名乗るからには、三宝が整足していなければならないことはご存知ですよね。貴殿らが外道であるその証拠に、では、現在血脈付法の日顕上人を否定したら、僧宝は誰ですか?明確にお答えください。貴殿は馬鹿の一つ覚えを繰り返している暇はないんですよ。どんどんこうして宿題が増えているではないですか。頑張って、今までの問題を解きましょうね。
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◆ここも、上記の三宝についての箇所で進めたいと思います。
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●ここでも貴殿は反論不能で暗礁に乗り上げたということですね。
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◆三宝は御在世当時で既に整足してるの。自分で混乱させて、勝手に分からなくなってる姿がサンプルとして貴重です。
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●ここが最近の貴殿らの共通した新邪義ですね。実に面白い。
では、大聖人御在世当時の「三宝」を明示していただきましょうか。
いよいよ貴殿の迷妄ぶりが鮮明になると思うと、ワクワクしてきます。
では、宜しくお願いしますね。
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●「文無く義無きは信受すべからず」
「文証無きは悉く是邪謂なり」
「仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ふべし、論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん。」
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▼文証とは大聖人の御金言のですが、貴方は違うのですね。
「汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か将た又漢土日本の人師の書か本を捨て末を尋ね体を離れて影を求め源を忘れて流を貴ぶ分明なる経文を閣いて論釈を請い尋ぬ本経に相違する末釈有らば本経を捨てて末釈に付く可きか」
〜四信五品抄〜
他の投稿に垣間見えるように、貴方の源は日蓮正宗の教義ということでよいようです。
ここも大聖人に違背しています。
山寺の論理で、大聖人の御金言が普遍的ではないと主張して失笑を買わないように頑張んなさい。
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●既に破折済みなのですが、貴殿は本当に馬鹿丸出しですね。
では、貴殿の“御金言”の“研鑚”ぶりを試してみましょう。
●弘安二年の大御本尊が何故大聖人出世の本懐の究竟の御本尊なのか、御書の御文だけで証明せよ。
●大聖人が、仏滅讃文を書かれ始めた御本尊はいつからか、御書の御文のみで説明せよ。
●文永、建治年間には全て「二千二百二十余年」、弘安元年以降に「二千二百三十余年」との讃文があられるのに、文永十二年四月の御本尊五幅のみに「二千二百三十余年」と書かれていることは何故か。御書の御文のみで証明せよ。
●弘安以降の御本尊において、善徳仏、十方分身仏を除去し給う理由を述べよ。ただし御書の御文のみによること。
●弘安以降の御本尊において、南無妙法蓮華経と日蓮在判の一体の尊形を拝し、かつ判形の更改あることの理由を御書の御文のみで説示せよ。
●建長年間に、戒定慧三学中の虚空不動慧たる本門の題目が宗旨建立以来弘通せられ、
文永、建治より虚空不動定たる本門の本尊が顕され、さらに弘安二年に至って、宗祖の末法化導における虚空不動戒たる戒躰が顕された、この時期の次第はどういう理由で生じたのか。御書の御文のみで回答せよ。
●『観心本尊抄』において、法華経の十界互具の観心を文証によって示され、特に
■「経に云く『提婆達多乃至天王如来』等云云地獄界所具の仏界なり」
と、地獄に堕ちた提婆達多が天王如来となることを記せられた提婆達多品の意義をもって、
地獄界に仏界が具わることを説かれた。
次いで、それぞれの経文を挙げて他の九界に具すところの十界が述べられているが、
大聖人所顕の御本尊は、文永十一年七月二十五日の一幅のほかは、始めより弘安二年二月、日目上人授与の本尊の直前まで、約六十幅の御本尊のすべてに、他の九界はあるけれども、地獄界を示す提婆達多を挙げられていない。つまり、地獄界のみを御本尊の大功徳から、敢えて外されている。この理由も御書の御文のみで解説せよ。
●しかし、文永十一年七月二十五日のただ一幅にのみ提婆達多を示されたのは何故か。説明せよ。もちろん御書の御文のみで。
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◆「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」
〜四菩薩造立抄〜
大聖人は「私に続け」と叱咤されている。遠慮はいりません。速やかに、御在世の如き日顕さんの実践を挙げて自宗の正統性を論証してみたまえ。
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●ここまで来ると、本当に貴殿はもはや知能が低いとしか思えませんね。この引文も全く不適格です。この御文はやはり、一生成仏を目指す修行の辺において、日蓮正宗僧俗全般に大聖人がごとくの烈々たる気概と決意を持って大聖人がごとく、如説修行すべきであることを強く教誡されている御文であり、大聖人と全く同じことを実践しろという意味ではありません。
>> 上記でも説明したことの復習ですが>>
1、では、僧俗全員が大聖人のように竜の口法難を受けて、発迹顕本するのですか?>>>>>>>
2、僧俗全員が、大聖人のように戒壇の大御本尊を顕すのですか?>> 「はい」
か「いいえ」で明確にお答えください。
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◆重複する内容なので上記を参照し反駁して下さい。
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●大体貴殿から言い出した段なのですよ。こっちの反問に全く答えてないではないですか。貴殿は根性が捻じ曲がっているだけでなく、卑怯者ですね。はい。ここも反論不能。もう貴殿は脱会すべきでは?ここまで返答できないとなれば。
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◆これも混乱目的か。答えは自分でお探し。
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●ではこの段では貴殿は反論不能ということで終結。
貴殿の妄論をこうやって一つづつ追い詰めていくことが大事です。最後は貴殿が絶句・完全な反論不能になれば潔く詫び状書いて脱会したまえよ。
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●更に、この御文の次上に「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。」
的確な文証も出せないで、自分の妄執で何を主張しても、貴殿の頭には天魔波旬が入っていて、人も自分も無間地獄に堕ちますよ。全く、幼稚ですね。未熟ですね。ということです。
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◆天魔は何れか、これから明らかにしていきましょう。
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●誰が「私ならざる法門を僻案」しました?良く全体の文意を弁えてから偉そうなことを言いなさいね。
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◆傍証を引用して「在世の如く敬え」というので「在世の如く戦ったという事実」の提示を求めただけで、「幼児的で的外れな邪難」ですか?学会員と法華講員とどちらでもない方々に評価を求めるにあたって重要な発言です。
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●上記の反論をよく読んでから、もう一度この箇所を読んでみてくださいませ。貴殿が、仏宝、僧宝の筋目を理解しておらず、法体の折伏と化儀の折伏の違いも分かって>>
「日顕さんが在世の如く戦った事実はな
い。」>> しかし>> 「在世の如く敬え」>> これが日蓮正宗の教義であると認識してよいでしょうか?>> よくこのように、頑迷な愚問を繰り返せますね。貴殿の厚顔無恥さ加減
に、敬服します。上記で破折済み。
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◆質問に対する答えになっていないものを破折といって恥じない厚顔無恥さに敬服します。引き続き詰問します。日顕さんに御在世の如き実践は、ありや?なしや?>>
なしなら、なしと速やかに答えるべきであ
ろう。
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●○○に付ける薬なし。>> ○○は死ななきゃ治らない、的な領域に入っていますね。貴殿は。最早。上記の破折文を読んで全く分からないのなら、>>
「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候
ぞ」これ以上丁寧に教えてあげる必要はないでしょう。なので、次の破折に入ります。
百六箇抄の> 文意を更に的確に表された御文。>> 「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」この御文は「予が存日の如>
く、日興が嫡々付法の上人
を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」と同義であると思いますが、いかがか?>> であるならば、この御文の通り、やはり、御歴代御法主上人を深く尊信すべきでしょう。>>貴殿に忠告するが、このような内容は基本中の基本のやり取りなので、貴殿ももう少し価値的な反論をしていただきたいのですが?>>
無理なら学会内でもう少しまともな反論が出来る方に交代し
てもらってもいいし、そういう方に良く教わってから返信してください。貴殿の、迷妄> な変質的で頑迷な反論では、当方は聊かもの足りないのですが。もう少し知的で変
化に富んだ反論を期待します。
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◆御本尊七ヶ相承ですね。提案ですが、他の箇所で話しの流れに沿って提示して頂けないでしょうか?その方が見る人にも分かりやすいと思います。
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●既に提示済み。ここも、結局貴殿は反論不能。全く情けない体たらくですね。
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◆混乱目的の投稿にはもう乗っかりません。悪しからず。
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●では当方が完全に破折したその箇所で「再会」しましょう。
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◆つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?
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●貴殿は当方に質問する前に、当方からの反論に答えなさい。再度、詰問します。「貴殿こそ、”「大石寺正統化の根拠 である「唯授一人血脈相承」が存在しない” という文証によ
る根拠があるのなら、それを明示してください。それが出来なければ、貴殿は「唯授一人血脈相承」を受ける立場ではないのだから、「「唯授一人血脈相承」などない。」と断定できないと思うが、如何か?」まず、これに文証を用い、論旨明快に反論してから、当方に問難し給え。それが法義論争の順序次第というものです。
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◆確認しただけだが、妙に過剰反応である。「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱
え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、> 此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」>>>> 「過去の生死現在の生死未来
の生死三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈>>>>>> 相承とは云うなり」>>>>
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成
して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も> 今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布
の大願も叶うべき者か」>>>> 「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く
求むることなかれ、煩悩即菩提> 生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」>> 〜生死一大事血脈抄〜>>>>
釈尊をは
じめ、歴史に登場した実践の人々が叡智の限りを尽くし、体得しようと取り組んだ「生死」という問題。八万四千の法蔵も、大地微塵ほど> の論釈
も、「生死」という一つのモチーフをめぐって展開されたものと言えるであろう。この生死という問題を大聖人が直ちに取り上げられたのが>本抄
である。ならば、貴方の主張する「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだが、如何か?
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●残念ながら、この引文も大外れです。今時少し勉強している学会員なら、「唯授一人の血脈相承」を論じるときに、決して出してきませんけどね。この御書は。恥かくのが分かりきっているから。しかも「唯授一人血脈相承」はこの中に含まれるはずだ」などと、こういう重大な御法門のことを憶測でものをいってはいけないね。貴殿の類推は全くピントが外れていました。下記の文章をよく読んで、赤面してください。(貴殿の教学力で理解できたらの話だけど。)
>>『大白蓮華』>> 「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述
べになったものと拝> される。(中略)ゆえに『法体の血脈』と『信心の血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年
三月号六九�)
『日蓮大聖人御書講義』創価学会版「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられている
のは、> 総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・30上132)
「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法
> 主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。(中略)『総じて日蓮が弟子檀那等(中
> 略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じて
の> 『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�)
『大白蓮華』>>「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもっ
て、信心さえあれ> ばよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承
を否定するは、総別> の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(昭和四一年九月号三五�)>> 『特別学習会テ
キスト』創価学会発行
>「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈
付> 法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同
心に> して南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の
血脈を> 仰せなのであります。ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、
総じての> 生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に
違いがある> ことを確認しておきたいと思います」(二七�)
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◆迹門だと思って下さい。
変わることが、直ちに謗法であるとは考えておりません。
「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」〜顕仏未来記など〜
この御聖訓と同じ原理です。
750年前から何れが変わったかを論じるべきであり、生死一大事血脈抄の御聖訓に対して、大聖人の御聖訓で反駁を試みて下さい。
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●とうとう出ましたね。まさに馬鹿丸出しの教学。ここまで浅はかとは思いませんでした。はっきり言って相手にするにはあまりに貴殿はレベルが低すぎます。残念ですね。まっ、しかし貴殿の迷妄を完膚なきまで摧伏しぬきましょう。全国の読者の為にも。
では、破折いきましょう。
1、創価学会は末法適時の仏法である、文底下種本門の仏法をしてなかったのですね。貴殿の論でいけばまさに仏法修行の時を失う邪教だったわけです。末法今時に法華経迹門の理の一念三千をしていたとは!
�かつて上記の論説が公になった頃、創価学会は日蓮正宗の事の一念三千の御本尊に唱題していたが、それを”迹門”であったとは、一体どういうことになるのですか?教学的に明快に説明してください。出来なければ貴殿は反論不能で敗北。改宗を要求します。
2、いつまで、迹門だったのですか?明確な日時を表示してください。明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
3、どんな現象を以って「本門」に入ったのですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
4、文底にはいつ、どんなきっかけで入って来るんでしょう?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
5、迹門の前は爾前権教ですが、それはいつからいつまでですか?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
6、外道だった時はいつからいつまで?明示できなければ反論不能で敗北。改宗。
早めによろしく頼みますよ。楽しみに待っています。
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◆「創価学会の迹門」です。
自宗の論理をこじつけても意味がないでしょう。
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●やはり返答不能ですね。当然です。
ここは貴殿にとって致命的な発言ですからじっくりいきましょうか。
脱会誓約書の準備を早目にして置いて下さいね。
「創価学会の迹門」の「迹門」とは、仏教で説く「迹門」ですか?それとも仏教以外の外道義ですか?
仏法の説く「迹門」であるならば、貴殿らは上記の詰問に明確に返答できるはずである。
仏法以外の外道義ならば貴殿は自ら邪教である事を表明した訳であるから、貴殿らの違法性を自らの発言により証明したことになる。速やかに敗北を認め脱会せよ。
貴殿程度の幼学の者を相手に諧謔的な質問をしていても時間の無駄ですから、真っ向から破折します。
今回の当方からの詰問は大聖人の御法門である「五重の相対」から論じている事すら貴殿には理解できなかったようですね。そんな半可通どころか学会の任用試験レベルの仏法理解ができていない者が、大聖人の仏法を偉そうに云々したり、御法主を罵ったりするとまさに現証恐るべし。もう既に貴殿の面容・言動・心理・行動等に表出しているが、更に酷い頭破作七分となって、このままいくと悲惨な末路となること必定である。
直ちに脱会手続きを取り、一刻も早く清浄な信仰を強盛に貫かないと取り返しがつかない事となる。法論を望んだ者のけじめとして、これほど明確な敗北を喫したのだから、潔く身を処し給え。その位の誇りはまだ保っているだろう。
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2005年3月20日 15:16
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●貴殿が引用した御文は下記の通り。
■「伝教大師云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等@云云@。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号づく。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」
ここに明らかな如く、貴殿が依文とした箇所は伝教大師の言葉ですね。
ですから、この御文は五重相対でも権実相対の辺までの教判です。
末法適時の文底下種仏法が顕然した後に当て嵌める御文ではありません。
文義共に不可です。勉強不足の惨めな様に、全国の法華講のみならず創価学会の少し気の利いた方たちの間でも失笑を買う椿事です。
――――――――――――――――――――――――――――――
◆大聖人が引用されたこの御文の原理に普遍性がなく、歴史を振り返るだけのものとしたのは誰の解釈でしょう?
簡単明瞭にどうぞ。
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●では簡単明瞭に
当方は「大聖人が引用されたこの御文の原理に普遍性がなく、歴史を振り返るだけのもの」等とは言っておりません。一体「誰の解釈でしょう?」
それともやはり例の日本語が苦手ってところでしょうか?
それともニセ本尊の害毒心中深く入って、何事も自分の偏執した見方で歪んでしか見えない罪過でしょうか。怖いです。
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◆そして聞こう。
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●こんな粋がってもぜんぜんだめ。こんな芝居がかったせりふ回ししてこちらが赤面しますよ。
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◆これも準備運動ですね。
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●困ったところは”準備運動”などと言う、一段貶めた言い方でかわそうとする貴殿の不正直な心根の卑しさが良く見て取れますね。
-―――――――――――――――――――――
◆実践とは関係なく、自己申告の「唯授一人血脈相承」をもって、「日顕さんを大聖人の如く敬え」というのが貴方の主張ということでよいか?
答えは簡単明瞭に「はい」か「いいえ」で結構。
――――――――――――――――――――――――――
●貴殿の「実践」云々については既に詳細に破折済み。
―――――――――――――――――――――――――――
◆下の「自己申告」以外に誰が御相承の事実を証明できるのか?明示せよ。「はい」というなら、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正し
い」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずるが、如何
か?
――――――――――――――――――――――――――
●貴殿は国語が苦手のみならず、数学的な論理にも疎いようですね。学生時代少しまじめに勉強してきていれば、こういう知性のない話にはならな
> いはずなんですがね。
1、貴殿がこだわる「実践」など、上記に破折してきた法門の筋目により、僧宝として尊信することを否定する何ら根拠になりえないことを、今回のメールで貴殿が理解できなければ、貴殿の脳髄は、この法論を継続できるレベルになっていないのですが?どうします?>>
2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決
め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角> く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。
――――――――――――――――――――――――――
◆ここも、重複する内容なので、他の箇所で話を進めたいと思います。
――――――――――――――――――――――――――
●自分から邪難を吐いておいて、逃げ出すと言うことは、ここでも貴殿は反論不能の醜態を晒したと言う事実が残りました。ご苦労様。
―――――――――――――――――――――――――――
◆ 混乱目的の重複投稿にはつき合い切れませんね。
悩乱した人に法を説くことの難しさを痛感する今日この頃。
ま、一つだけ質問に答えなさい。
「日顕に相承ありと証明出来るのは、日顕だけ」ということですね。
次も明瞭な答えがない場合は、認定事実として、強調文字またはフォントのサイズ調整しますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿のような迹門・本門・文底下種本門等の基本法門の理解が無いのに盲滅法に御文を乱引する方を「悩乱した人」と一般的には言います。本当に「悩乱した人に法を説くことの難しさを痛感する今日この頃。」ですね。
以下の当方からの指摘箇所は「他の箇所」で「重複する内容」ではない。
「●2、次、「実践とは関係なく、日顕さんをあらかじめ正しい」と結論を決め、その結論に合わせて材料を集め、切り刻み、変形させ、丸い卵を四角く見せて差し出した嘘が貴方の主張である断ずる」その根拠を文証に於いて証明せよ。」
が故に再度詰問する。
貴殿の主張の根拠を文証に於いて証明せよ。出来なければ貴殿は根拠無く当方を嘘つき呼ばわりしたことになり、謝罪を要求する。
次に、既折済みだが貴殿の迷妄を劈く為に。
御法主上人の内証血脈相承を真に証明し得るのは御法主上人御自らただお一人である。
貴殿への更なる追求。
1、 日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日有上人への御相承を貴殿は認めるか否か?
認める→文献に於いて(不可能は分りきっているが“御金言”だけで)証明せよ。
認めない→日寛上人はどうしてどのような理由と経緯で第26世の御法主上人であったのか?26という数字は何を根拠にしているのか?
2、 歴代上人がどのような理由で代々御一人であったのか?
3、 御本尊を書写できる方は日顕上人以外他に誰かいるのか?それとも誰がどう書いてもいいのか?
4、 創価学会内で御本尊を図顕もしく書写できる人がいるのか?出来るとすれば何故か?
出来ないとすれば何故か?
「若し悩乱」していないのならば、これらの事案を明証せよ。
次に、■「雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし。」
貴殿は自分の程度をよく知り、あまり偉ぶった表現は慎んだ方がいいと思いますよ。
貴殿程の年齢の者が当方に対しては言葉の使い方も熟慮すべきでしょう。
■「釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ。」
貴殿の文章の内容は仏法の筋道にも外れ、世間の振舞い方からも大きく外れている。
そのような者が幾ら創価学会の正当性を主張しても、貴殿の姿の上の現証からして当方も読者も納得しえない。
幾ら対論でも、いや正当な対論だからこそ、対論者に対して自らの立場を弁えた上での返答の仕方を心得るべきである。よくよく慎みあるべし。
――――――――――――――――――
●次回、今回のように盲滅法に乱引する引文ではなく、法門の筋目に則った引文が出来なければ、貴殿はこの段階でまず、反論不能と「断ずるが、如何か?」もう少し勉強しなさい。次回にはもう少し先へ踏み込んだ反論しなさい。お互い貴重な時間の中で対論しているのだから。同じ学会員でももう少しまともな反論できる人はたくさんいますよ。貴殿は、自分の思い込みだけで言いがかりをつけているだけのただの酔漢と同レベルですね。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆噛み合わない事も上記しました。ここも他の箇所を参照下さい。
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●噛み合わないのではなくて、貴殿が正当な法義論争から逃避しているか、正確な御文が理解できないだけですが?
偉そうに言い取り繕って、論点を誤魔化さないでくださいね。
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◆はいはい。徒に混乱させずに頑張りなさい。
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●五重相対・三重秘伝・特に本門・“迹門”の勉強を「混乱しないで頑張りましょう」呵々
更に言えば、貴殿はこの程度の複数の論題が同時に処理できませんか?
貴殿の頭の中では同時に複数のアプリケーションやファイルが立ち上がらない、随分と容量の少ない脳髄なのですね。当方より相当お若いのに御可愛そうに。それもやはりニセ本尊の毒気のせいでしょうか?
―――――――――――――――――――――――――――
●更に親切に一言加えて貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?>
さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?
―――――――――――――――――――――――――――――
◆麓をうろつくのが本当に好きなようである。それとも話題をすり替えたいだけか?何れにしても、「読者の皆さん、乞うご期待」というところでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――――
●こんな簡単なヒントも理解できないとは!貴殿が本当に通常の知能を有しているのか甚だ疑問なところだ。まず貴殿からの「▼大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証をご教示下さい。」
に対し当方からは上掲の日顕猊下の御指南全体を、「大石寺正統化の根拠である「唯授一人血脈相承」の直接の文証」として「ご教示」しましょう。
すると貴殿は「▼つまり「日顕さんにあると断定できるのは日顕さんだけ」ということですか?>> 」という日本語すらまともに読めないらしい真に不勉強な反問がきたので更
に親切に一言加えて
「●貴殿の不鮮明な朦朧とした脳髄に警告しておくが、日顕猊下のご指南の中にどの猊下のご指南が含まれていたかな?さぁ、復習だ。次回のメールで答えが出るかな?と、ここまで親切にヒントを与えてあ>
げたのに、今回の上記
の反論は何ですか?」
知性ある読者は法論内容以前に貴殿の理解力の乏しい頭脳に苛立ちを覚えるのではないかと、心配です。
> ▼「読者の皆さん、乞うご期待」
このような、とってつけたような台詞は、貴殿の妄想の中だけでは吐いても勝手ですが、公にするにはあまりに無様> ですね。以下の文証は誰の言か?
しかもまさしく唯授一人の血脈相承の御文証ではないか。理解できませんかね?
貴殿には無理か。現代語すら覚束> ないのに、古文は無理ですかね?
>>>>▼ 「麓をうろつくのが本当に好きなようである。それとも話題をすり替えたいだけか?」
などと強がっている間に、少しは現国の読解の勉強でもし直したら如何か。
>>>> ■「何となれば唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付とは則ち法体相承にして惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け
玉ひた> る師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふべし。又法門惣付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之これを受けざるはなし」
(弁惑観心> 抄二一一�)
>>■「遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、例せば宗祖御在世に数多の弟子ありと雖ども独吾開山のみ法体別付の相
承> を受け玉ひ其他は法門惣付の相承のみ受けしが故に宗祖滅後各々己義を捏造し像仏等を建立し以て本尊としたるが如し。今亦要法寺も斯くの如
し法> 門惣付は受くると雖ども法体別付の相承なきが故に云云」(同�)
>> ■「吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一
人も> なし」(同二一二�)
>> ■「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同�)
>> ■「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず云云」
(同> �)
>> ■「今更に論歩を進め本因妙百六箇両抄は正に法門惣付の相承なる道理文証を列挙し日守等が迷夢を警醒せしむべし」(同�)
――――――――――――――――――――――――――――――
◆大石寺教学は信じていません。双方が大聖人の御聖訓と認めているものを提示して下さい。反駁の内容により、重複する場合は、そこでどうぞ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
●ここも貴殿の無智蒙昧さが如実に現れた箇所で実に面白い今回のエポック。
1、貴殿が信用できない大石寺教学でないものとは、大聖人の御書だけでいいのか?他にあるのか?明示せよ。
―――――――――――――――――――――――――
◆ いつものやつですね。
レベル低い。
もちろん根本は大聖人の御書だけ。
で、貴方達は、御書と大石寺教学の関係をどのように位置づけしているのか明示しなさい。
――――――――――――――――――――――――――
●ここは既に完全に破折仕切ってある。もし異義があるなら反証せよ。
御書の御文だけで大聖人の仏法の全てを説明しきれない例証は既述の他にまだまだ多数ある。貴殿の苦し紛れの反論が待ちどうしい。
――――――――――――――――――――――――――――
●2、貴殿らは日寛上人御書写の御本尊を勝手に改竄複製印刷して堕獄行きの題目を唱えているようだが、日寛上人の書籍は貴殿が信用できない大石寺教学なのか、否か?
――――――――――――――――――――――――――――――
◆極端ですね。当然、無条件に信じる書籍ではない。日寛上人宗と改名するつもりもない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
●早速出始めましたね。
「極端」でも何でもないではないか?
寛師は間違いなく「大石寺教学」の代表的な御一人ではないか?
こういう道理に対して、唐突に「日寛上人宗と改名するつもりもない」などと言い出すことを「極端ですね」と一般的には呼ぶ。呵々。
ニセ本尊での思考の壊れぶりの貴重な資料です。
では、「条件付」で信じるその基準を明示せよ。世界に通用する論理で。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
▼つまり、主従が逆だと言っているのです。自分で混乱させるから相手の主張が分からなくなるのです。
世話の焼ける人ですね。答えは自分で探しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
●何度言い聞かせても理解できない脳髄の所有者を世間では「馬鹿」と呼ぶ。
こういう方にはどうするかというに、繰り返し身に染まるまで教える。しかないようです。
1、条件付で信じたり信じなかったりする日寛上人が書写された御本尊の中で、何故淨圓寺の本證房日證師に授与された一機一縁の常住御本尊のみを信じれる、その根拠を明証せよ。御書の御文だけで世界に通用する論理で。
2、御書の御金言だけによって、在家が勝手に本尊の授与書きを削除して、しかも御相貌の御文字まで太くしたり、伸ばしたりして変造し、印刷販売してよい、という義を証明せよ。
―――――――――――――――――――――――――――
3、もし、否ならば、大石寺教学でないとする根拠を挙げよ。
―――――――――――――――――――――――――――
◆否でないので意味なし。
貴方達は仏語を「信受」する資格がないのです。詳細は別のところにあるから自分でお探し。
―――――――――――――――――――――――――――――
●では日寛上人の教学は大石寺教学であり、しかも信じれる個所があったり信じれなかったり貴殿らの都合や立場次第で流動し、更にその信用できたりできなかったりする方が書写され特定の個人に下付された本尊を変造複製印刷して販売しているのが貴殿等創価学会ということですね。
そんな者どもが「仏語を「信受」する資格」を論じる「資格」はないですね。
この返信メールもいよいよ最後になってきた。
当方からの今までの全ての反論・反証に対し、道理・証文明確な反論の準備は大丈夫ですか?出来なければその時点で敗北で脱会です。それか遁走するか?
勿論、愚問の繰り返しは不可である。
―――――――――――――――――――――――
4、日亨上人はどうか?
―――――――――――――――――――
◆レベル低いね。
――――――――――――――――――――――
●貴殿の「レベル」にまで懸命に下って合わせているのだが?
同じ学会の中でも貴殿と違って法義内容をある程度論理的に法論ができる方に出会ったので、貴殿が教学的に成長しない限り、貴殿の低脳な痴論の繰り返しに付き合う時間の余裕がなくなってきた。次回の返信は格調高い反証を期待する。頑張りたまえ。
―――――――――――――――――――――――――――
▼日寛上人と同じ位置づけ。
―――――――――――――――――――――――――――
●「日寛上人と同じ位置づけ。」であるならば、では日亨上人の書写御本尊を貴殿らが複製販売する根本の御本尊として選択しなかった理由を述べよ。
―――――――――――――――――――――――
●5、貴殿は今回「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」と言っているが、これは御書に載っているのか?
載っていないとすれば、大石寺教学を抜きにどこで誰から学んだのか?
ここも、絶対逃げずに明確に返答してください。今後の展開に実に重要な貴殿の発言ですからね。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆はいはい。
主従が逆だということ。答えはこの投稿の中にある。自分で探しなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●返答できないからといって遁走するものではない。
再度詰問する。
1、貴殿の言「大聖人は御図顕。日寛上人は書写。これは区別すべきでしょう。」
これは御書に載っているのか?否か。
2、何故大聖人は御図顕で、寛師は書写なのか?
3、御図顕と書写の違いを御書から明示せよ。
5、 なぜ「区別すべき」なのか。
再提出。やり直しです。
次回明快な返答が無い場合は敗走とする。心して返答するように。
―――――――――――――――――――――――――――――
●では、今回は、更に貴殿に対しての”宿題”が追加されました。毎回きちんとした文証で反論し、問題点をきれいに片付けていかないと、> 後々大変なことになりますよ。読者も、テンポのある、
爽やかな対論を期待していると思います。その旨、よろしくお願いしますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
◆「日顕さんの実践」というテーマを徒に広げて宿題とは随分一方的で貴方らしい。相手にレッテルを貼り付けて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。
―――――――――――――――――――――――――
●「「日顕さんの実践」というテーマ」だなんて、いつからすり替えたのですか?テーマは「血脈」でしょう?頭破七分で、もう忘れましたか?>
「勝手にテーマをすり替えて自分の主張を捲し立てるのも貴方らしい独りよがりである。そういう姑息なやり口は感心できませんね。改めたがよいでしょう。」>>正に、正論。呵々。
―――――――――――――――――――――――――
◆内容が錯綜しています。ここも、他の箇所で確認下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●はい、ここも、自分から言いがかりをつけてきて、結局、尻尾を巻いて遁走という図。お疲れ様。
―――――――――――――――――――――――――――
◆ また、虚しい独りよがりですか。
貴方の勇気ある回答で、はっきりしたからいいのです。
つまり、
日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」
しかし、
日顕さんを「御在世の如く敬え」
これが貴方の主張する「教義」。
生きてる日顕が間違えないなどとは、大聖人仏法を貶めるにもほどがある。
恐ろし恐ろし。
―――――――――――――――――――――――――
●何度教えられても同じ事を凝りもせず繰り返すことを(くどいようだが)世間では「馬鹿」もしくは「愚か者」と呼ぶ。
貴殿は当方からの詳細な破折に対して見るべき内容の反論は殆どできず、牛の如く反芻して愚問を吐き出しては飲み込みまた吐き出しているだけである。
「生きてる日顕が間違えない」
二重三重に愚昧な文である。
1、当方はこの法論内で斯様な表現をした事は一度も無い。貴殿が勝手に議題を妄想して一人でいきり立っているだけである。そいう行為を「一人相撲」といって、よく世間でも冷笑される。ニセ本尊の害毒で貴殿には幻覚・幻聴が始まったか?
2、 「大聖人仏法」の根本法体は弘安二年の大御本尊である。日顕上人は大御本尊を「貶め」たことなど一度も無い。ここも貴殿は幻覚か妄想に囚われているのか。むしろ池田センセ〜〜の発言こそ、大御本尊を貶めるものである。恐ろし恐ろし。(因みに河邊メモ云々も面白い論題だから、詳細に論じ合ってもいいが、如何いたします?)
3、 ニセ本尊を大量に世界中に販売してばら撒き、個人においては貴殿の様な頭破七分の者を多数発生させ、国土に於いては三災七難を興起させている創価学会を日顕上人が厳然と破門に処されたのは正に「正しい」御英断である。貴殿等毒気深入の創価学会員にとっては痛恨事であるやも知れぬが、仏法上は大慶事である。誠に幸甚幸甚。
では、貴殿の反論を待つ。
今回は相当に考える時間があったのだから、直ちに初回の返信への返答を求む。
ただし、何度でも念告しておくが御文証を明確に示しての論でなければ、反証不能であり、その場で敗北。詫び状と脱会誓約書を要求する。
脱会誓約書は、その折に送付する。
以上。
**********************************************************
2005年3月21日 19:35
**********************************************************
>◆ そうですか。
>
> では、それなりの対応をするしかありません。 まず、貴方の行体について少々検証してみます。
>
>
>
> ・「読者に対して失礼でしょう。」=【読者への配慮を伺わせる過去の文面】
>
>
>
>
>
> ・「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりませ
> ん。」=【読者を無視している今回の文面】
>
>
>
> 自己保身の為なら、コロコロ変節する幼児性。そのくせ「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。実に貴方らしい。もう少
> し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
> ●相変わらず、自らの異常な思い込みから物事を歪めてしか見れない貴殿の屈折した性格と非論理性がまた遺憾なく露見した箇所として興がそそら
> れたので、本題ではないが一筆起こし、貴殿の捻じ曲がった心根を弾呵します。
>
> この捩れた性分は、貴殿の生来のものか(とすればよほど因業な生まれであろうし)、生い立ちによるものか(だとすればよほど貧弱で屈折した教
> 育環境であっただろうし)、それともニセ本尊による人格破壊か。それともその全てが総合しての結果か。
>
> 代表的な学会員の思考回路の壊れぶりが如実に顕れていて、謗法の果報を知る上では実に貴重な資料となりました。
>
> 1、自分が引用元を探索できない未熟さを「読者」にかこつけて当方を非難する貴殿の卑劣さ。
>
> 2、「読者に対して失礼でしょう。」との文言と「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方
> に引用元を明記する義務は発生しておりません。」とを列示し、それを直ちに【読者を無視している今回の文面】と断じ、他を誹謗する、論理性を
> 欠いた我田引水の論の展開の仕方。
>
>
>
> 2、読者にとっては、対論者のやりとり自体に興味が喚起されるのであって、事更に引用元を明示を希求する方は稀でしょう。むしろ、敢えて引用
> 元を伏せて提示された文証を速やかに索見し鮮やかに反問することを期待していることでしょう。その点では、貴殿は全くの無智なるが故の無様さ
> を惜しげもなく晒して、読者の期待を裏切り、まさに「読者に対して失礼でしょう。」
>
>
> 3、「自己保身の為なら、コロコロ変節する幼児性。そのくせ「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。実に貴方らしい。
> もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。」この文言には貴殿のえも言えぬ口惜しさが漏顕していて、心和む拙い表現で
> すね。
>
>
>
> ●「自己保身」=当方のどこがどのように自己保身なのでしょうかね。貴殿の知的程度では使い切れいない単語を持ち出すと、このように正鵠を得
> ることが出来ず、的外れでしかも滑っています。(今年は雪が多くてこちらでは難渋していますが、滑って転ぶのは、雪国の道の上だけにしていた
> だきたいものです。)「コロコロ変節する幼児性」=貴殿の屈折した視点からそう見えているだけで、既述の如く論理性がなく闇雲にそう思い込ん
> でいるだけであり、貴殿の一人相撲ですね。柳の枝に向かってその亡霊と一人戯れていてください。
>
>
>
> 「もっと、潔く、爽やかにいきましょう。」というペテン師ぶり。=前段の当方の文言がどう「ペテン師」という犯罪的職業の形容と結びつくの
> か、貴殿の教育レベルが聞きたくなる箇所ですね。人を非難するならそれなりにもう少し知的な論理を以って詰めたら如何か?こんな妄執に汚染さ
> れた脳髄を生活の主軸としているとすれば、貴殿の社会的な一般良識人からの評価を推察するに、実に・・・哀れを誘います。誠に社会人として拙
> い人格ですね。
>
> 「もう少し考えて投稿しないと徹底的に追撃される事を学ぶべきです。」=貴殿が今回当方を「徹底的に追撃」したのかどうか、今回の貴殿の浅薄
> なメールの内容をじっくり拝見させていただきますか。ざっと一読した限りでは、全く「徹底的な追撃」にはなっていないのですがね。この言はま
> さに、「自己保身」ためにしてみせた、貴殿の空威張り、虚勢、強がり、で、さもなくても寒い冬なのに、お寒い風が脇を吹き抜けるような空虚さ
> です。では本論に入り、良識ある読者の判断を聞いてみましょう。
>
> 尚、今回の貴殿の返信にはあまりにも時間を費やしすぎています。元々、今回の文書対論は貴殿からの申し入れであるのだから、
>
> ▼「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」〜富木殿御書〜>> 日顕さんに「御在世のような
> 実践」はありや?なしや?速やかに「はい」か「いいえ」で答えましょう。
>
> とのたまう貴殿であるのだから「止暇断眠の戦い」をして、もっと速やかに返書をよこすべし。
>
> とはいえ、微力な教学力の貴殿には高度で難解な要求は不憫であるから、貴殿に考える時間を供与するために、今回からは細分化して返信するの
> で、日々当方からの宿題に対する反論を怠らず勤しみ給え。
>
>
>
>
**********************************************************>
>
>
>
>
> ◆ おいおい。
>
>
>
> ●「文書対論の当初に於いて引用文の出所を明記すべき約定を取り交わしておりません。故に、当方に引用元を明記する義務は発生しておりませ
> ん。」
>
>
>
> ◆と言い出した舌の根も乾かないうちに、もう前言撤回ですか。
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿の拙い文章では意を他に伝えられないようである。
何が「前言撤回」なのか。再度明示せよ。
しかし、つくづく貴殿は日本語を使いこなせていない。
もっと基本を学び直しなさい。
>
**********************************************************
>
> ●「読者にとっては、対論者のやりとり自体に興味が喚起されるのであって、事更に引用元を明示を(ママ)希求する方は稀でしょう。」
>
>
>
> ◆興味が喚起したら学ぼうとするのが自然であり、自己中心的にそれを無視する事を正当化するする言い逃れは見苦しいからやめなさい。
―――――――――――――――――――――――――――――
●「自己中心的にそれを無視する事を正当化するする言い逃れは見苦しいからやめ」て、当方の文証の引用元を速やかに検索して読者に提示してあげたら、貴殿の評価も少しは上がるというものなのだが。
がしかし、貴殿にはそれは出来なかろう。
既に返信した引用の如く引用元は明かしてある。安心して法義論争に専念し給え。
とはいえ貴殿のは「法義」と呼べるようなレベルではなく、痴迷で妄執の我見を振り回すだけの「呆偽」だが。
**********************************************************>
▼> 読者をバカにするにもほどがある。慎みなさい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●貴殿が文証も引かず愚論を厚顔無恥に繰り返していること自体が「読者をバカにするにもほどがある。」と思うが。
よくよく「慎みなさい」よ。>
**********************************************************>
▼> やりとりが前後したり重複して混乱することは容易に想像がつく。
>
> それ自体が読者を無視した行為でしょう。
>
> 初めの勢いはどうした?
>
> そんな弱腰でどうする?
>
> 混乱目的で、読者を無視して、新たな約定を突きつけるより、一回の投稿で、本題を的確に要約して送信しなさい。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●今回の返信のように「細分化した方が読みやすい」との読者の声を既にいただいている。
一つ一つに丁寧に頑張って反論しなさい。
速やかに返信をよこさないと、
「> 初めの勢いはどうした?
>
> そんな弱腰でどうする?」
と読者に責められますぞ。気をつけなさい。
>
>
**********************************************************
2005年3月21日 19:45
**********************************************************>
>> > ●下記のどの内容を見てもきちんとした文証においての明確な反論になっていません。なので、もう一度、上記のポイントを再度明瞭にし、貴殿を破折します。そもそも法義論争において反証すべき文証を明示できなければ、その時点で反論不能と断定されるのですよ。そういう法義論争の大前提すら、把握していないで、貴殿は”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」という事実を示すべきでしょう。”と主張していますが、この設問自体が、全くの的外れ、論外の疑難です。その後に続く、当方からの反証の意味すら理解できなかったようですね。あの程度のヒントをあげたらどのくらいの反論が来るか楽しみしていたのに、時間をかけた割には、低劣な内容で、正直がっかりしました。残念!です。
>> >
>> > 大聖人は仏宝であり、そのお立場から「法体の折伏」をなされたのであり、その後、日興上人以下の御歴代上人は僧宝であり、「化儀の折伏」を期しての伝持のお役目です。しかして内体に約せば三宝一体であり、その辺に於いて、「予(日蓮大聖人)が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」なのです。ですから、仏宝と僧宝では、外用の辺では、自ずからお役目と、お立場が違うのであり、百六箇抄の文は内証の辺における意義を仰せになっているのです。そういう筋目を惑乱して、▼”「在世の如く敬え」と引用するなら、「日顕さんが在世の如くこのように戦った」
という事実を示すべきでしょう。”とは全く、噴飯ものの、”幼稚な”
>> > 邪難です。もう少し、仏法のイロハを勉強してから、当方に臨んだ方が良いのではないですか?
>> >
―――――――――――――――――――――――――――――>> >
>> >
>> > ◆「凡俗な人間とは、自身に陶酔している者」〜オルテガ〜
>> >
>> > 貴方が麓をうろついたおかげで、仏法のイロハから「実践」を削除するという、貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。
>> >
―――――――――――――――――――――――――――――>> >
>> >
>> > ●貴殿は、仏法の「麓」も「頂上」も「裾野」も区別がつかない段階のようですね。仏宝であらせられる御本仏日蓮大聖人と、僧宝であられる日興上人を随一とするところの御歴代御法主上人を同列に考え、同等の「実践」がなければ尊仰できないとは、正に、「貴方達の惑乱した教義の本質が明らかになってきました。」
>> >
―――――――――――――――――――――――――――――>> >
>> >
>> > ◆貴方の勇気ある回答で、私達との違いが鮮明になりました。
>> >
>> > 日顕さんに「御在世の如き実践は必要ない」
>> >
>> > しかし、日顕さんを「御在世の如く敬え」
>> >
>> > これが貴方の主張する「教義」なのですね。
>> >
>> > ギャラリーには十分すぎる回答、誠に有り難うございました。
>> >
>> > さて、双方、準備運動も終わった事ですし、大いに語りましょう。
>> >
―――――――――――――――――――――――――――――>> >
>> >
>> > ●貴殿がこれほど簡明で初歩的な道理が理解できない脳髄の所有者であることが、当方にも「ギャラリーにも十分すぎる」ほど分かりました。「誠に有り難うございました。」今後貴殿の知能レベルに向かって法を説く難しさを当方は修行させていただきます。
>> >
>> > さて、いつ「準備運動・本運動」などいう縦分けを設定しましたかね?
>> >
―――――――――――――――――――――――――――――>> >
>> >
>> ▼> ◆瑣末な事にこだわる幼児性が伺える食い付きですね。大人の皮を被った「おぼっちゃん」の本地を顕したというところか。あまりに予想通りすぎて、、、笑い死にさせる作戦ですか?
―――――――――――――――――――――――――――――
>>
>> ●本題に入りたいのだがここでも実に興味深い貴殿の思考の破綻が観察されるので、貴殿の成長の為に二、三指摘しておこう。
>>
>> 1、正当な法義に対し、論に於いて一言だにも回答できないその醜態を覆い隠さんとして「準備運動」などと論の本質を貶める言辞で遁走を決め込む貴殿の卑劣で醜怪な根性。
>>
>> 2、その貴殿の卑劣な根性を一言で突いたのが痛かったのであろう。
>> 腐臭を放つ貴殿の根性が発する今回の恥の上塗りの言辞。
>>
>> �「瑣末な事」=「準備運動」と同様、論の本質から回避したい本音が更に露見した表現。
>>
>> �「幼児性」=肺腑を突かれたが、さりとて正統法門では反論できず、しかも何としても相手を貶めたい修羅根性から、脈絡も裏づけもなく発した言辞。しかも当方からの指摘で痛打だった言葉をそのまま使用したか。
>> 当方は貴殿の論駁があまりに頑迷で稚拙なので貴殿に対してその「幼児性」を指弾しているのであって、貴殿ほど教学未熟の者が当方に対して発するには少し不適切に過ぎる言辞であろう。
>>
>> �「大人の皮を被った「おぼっちゃん」」=ここも�と同轍であるが、さらにそこに貴殿の怨念が看取され、貴殿の「仏道修行の果報」とやらの浅ましさが露呈している箇所。
>>
>> �「あまりに予想通りすぎて、、、笑い死にさせる作戦ですか?」=ここは文言とは正反対の貴殿の心理が漏洩していて微笑ましい箇所。あまりの悔しさと苛立たしさを押し隠して、強がってさも動揺していない体を装って「あまりに予想通りすぎて」との表現となり、憎悪、怨念を痩せ我慢して裏返しの「笑い死」という表現となっている。
>> その証拠として、こんな箇所でもし「笑い死」ぬるほど貴殿が笑っていたとしたら、それは貴殿が精神薄弱なのか、もはや狂人の類であろう。笑えもしない箇所で「笑い死」などという表現を用いたのは、まさに貴殿の悔しさの屈折した表現に他ならない。
>>
>> 人の「幼児性」を云々する前に、もっと頑張って「止暇断眠の戦いをして」ニセ本尊にガンガン血脈の断絶した題目をあげて、「民衆の中に飛び込んで」ニセ本尊を配って歩いて、「人間革命」したらいかがか?
貴殿の人間性では創価学会の「法を下げる」だけで、「広宣流布」の足を引っ張っているのでは?
>>
>> では、この段の本来の論を再究します。
>> 貴殿は日本語の「雅な表現」には極度に理解度が低いので、分かりやすい設問にします。
>>
>>
>> 1、大聖人が「法体の折伏」をした。○か×か。法体の折伏とは何か。
>> 2、仏宝と僧宝の違いは何か?そもそも仏法の定義と、僧宝の定義を述べよ。
>> 3、三宝一体の意義を簡潔に説明せよ。
>> 4、外用と内証の定義を述べよ。
>> 5、「化儀の折伏」とはどういうことか。
>>
>> 貴殿はこういう初歩からはじめないと無理なようですね。
>>
>> 今回は細かく詳細に破折するから、貴殿にも十分時間があります。しっかりこの宿題を解きましょう。
>>
>> 尚、前回の、今回の返信のPROLOGUEをみて過剰反応した返信が来ているようだが、安心し給え。当方から今回の全ての返信がなされるまでは、貴殿から返さなくても結構です。勿論分かる問題から返してもらっても結構ですし。が、当方は「混乱を避けるため」今回の返信を仕切るまでは、それ以後の貴殿からのメールには返書は送信しませんので。
>
―――――――――――――――――――――――――――――>
>
>
▼> 時間が欲しいなら、強がりや回りくどい言い方などせず、簡単にそう言えばいいものを。
> 「今回は細かく詳細に破折する」のはいいけど、瑣末な事にこだわって本質を見落とさないよう励みなさい。
> 読者の為にも、貴方の返信がすべて揃ってから返信することにしましょう。
>
―――――――――――――――――――――――――――――
●ここ段で貴殿からの現時での全てのメールに反論した。
早急に今日にでも無理なら明日にでも返信せよ。
既に前半の反論文書ぐらいは出来上がっていることだろう。
速やかに反論しないと、遁走と見なし脱会を要求する。
**********************************************************
2005年3月23日 22:36
貴殿の反論はどうしたか?
▼> これで返信完了とは認識してないですよね?
これかつての貴殿の言。
速やかに反論文書を送付し給え。
それとも、反論不能で遁走か?
口は最早鼻の如しか。唖法を受けた婆羅門か。
■「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ。」
これも貴殿の好きな御文ではなかったか。
貴殿はやはり口先だけの似非信者か。
この様では懈怠謗法で地獄行き必定である。
■「少しも謗法不信のとが候はゞ、無間大城疑ひなかるべし。」阿仏房尼御前御返事 建治元年九月三日 五四歳
世田谷の壮・婦・男・女の創価学会員に広く貴殿の敗走を公表する日が楽しみである。
全国的にも「創価学会世田谷男子部長・中田成樹 大敗北。反論不能で遁走。」との帯見出しの対論文書が流布することであろう。
それを恐れるなら、更に堂々と反論せよ。さもなくば潔く帰伏せよ。
あと二日の内に反論がない場合は貴殿の反論不能と見なし、敗北を言い渡す。脱会誓約書はその時に送付する。
勿論文証によっての精度の高い反論でなければ不可。
貴殿の名誉の為に忠告する。急ぎ急ぎ反論を企だつべし。
くれぐれも「遅参その意を得ず」とならぬように留意し給え。
**********************************************************
2005年3月26日 21:46
当方が指定した期限が過ぎてもはや貴殿の反論不能による敗北は確定的である。
当方が指定した期限が不服と言うならば、当方が貴殿の痴論を破折した返信を投稿し尽くして、はや6日が経過した。
この事実に於いてだけででも貴殿の反論不能状態は確定的である。
がしかし、本日、黄倉氏との対論が控えていたという事情を勘案して、後二日の猶予を貴殿に与える。
速やかに反論せよ。
黄倉氏の証言に依れば、貴殿は当方へ反論文書を送付する心積もりでいるというではないか。
それは真に楽しみなことである。
貴殿如きのレベルで当方からの今までの全ての破折文書に文証を用いて論理的に精緻な反論ができるとすれば、真に幸甚、幸甚。御手並み拝見しましょう。
では、貴殿の無様さを鎌倉時代の邪宗の坊主どもに準えて指摘しておきましょう。
建長寺道隆への御状 文永五年一〇月一一日 四七歳
■「然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣浅深を知らず。併ら禽獣に同じ、」
■「我慢心充満、未得謂為得」の増上慢の大悪人なり。」
■「今世には国を亡ぼし、後世には必ず無間に堕せん。」
■「一処に寄り集まりて御評議有るべし。」
■「併ら対決の時を期す。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。」
そう。貴殿は黄倉氏とビデオ撮り有りの対論を実行したにも拘らず、当方とのビデオ撮り有りの対論を受諾しないその理由は?
貴殿が面倒を見ているという部員たちに理解できる論理で説明せよ。何も”世界に通用する論理”でなくて結構。呵々。
極楽寺良観への御状 文永五年一〇月一一日 四七歳
■「長老忍性速やかに嘲哢の心を翻し早く日蓮房に帰せしめたまふべし。」
反論不能の中田君も同様である。
■「今生は国賊、来世は那落に堕在せんこと必定せり。聊も先非を悔いなば日蓮に帰すべし。」
■「所詮本意を遂げんと欲せば対決に如かず。」
大仏殿別当への御状 文永五年一〇月一一日 四七歳
■「今生空しく過ぎなば後悔何ぞ追はん。」
寿福寺への御状 文永五年一〇月一一日 四七歳
■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。早く邪見を翻し、達磨の法を捨てゝ一乗正法に帰せしむべし。」
貴殿らの言い分など禅宗にも劣る。反論を待つ。
■「早々一処に集まりて御評議有るべく候。委しくは対決の時を期す」
云々。
繰り返して念告する。二日以内に反論せよ。もしくは脱会せよ。
ここに脱会誓約書を添付する。
反論不可能な場合、この書面に署名・捺印して、印鑑証明を添付し、妙相寺へ送付せよ。
〒381−0044
長野県長野市中越1−6−11
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誓 約 書
今回の公開文書対論において、一切反論不可能になり、私の主張が間違っていたことが確認されましたので、創価学会を脱会し、貴宗派に帰伏いたします。
平成 年 月 日
住所
氏名 印
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貴殿の知的で誠意ある返答を待つ。
世田谷男子部の汚辱とならんことを。