■敬台院の不遜な信仰姿勢


日亨上人は、
 「信仰上の衝突だと思うね。精師のやり方がどうも、敬台院の方からいうと、誠意がないとかどうとかいう問題じゃないですかね」(『大白蓮華』66号18頁)

 その事情は、蜂須賀家臣・斉藤忠右衛門等状の、
 「其御地御重物に成し置かれ候そ(素)けん(絹)け(袈)さ(裟)白小袖帯なども各々御あらため(改)候て何色の物何ほど(程)不足御座候由御申し越し成さるべく候、そ(素)けん(絹)け(袈)さ(裟)などは此の方ご(呉)ふく(服)や(屋)にて仰せ付けられ候間たとへ(仮令)御わきまゑ(弁)候とも其ごとく(如)の地色にてなく(無)候へばつい(対)致さず候、其ことの地いろ(色)に此の方にて仰せ付けられ候はん間代物の所は日情(精)重物の内御取り候事に候間御出し候様に成さるべく御仰せ候(中略)たう(当)しゆ(主)の様に重物ものの内ぬすみ(盗)こ(沽)きやく(却)するも御入候間かならず代々のたう(当)しゆ(主)のまゝ(儘)に御させ(為)有るまじき由かた(堅)く仰せられ候間、左(然)様に御心得成さるべく候」(『富士宗学要集』第8巻60頁)


との記述からうかがうことができる。敬台院が大石寺に、色袈裟などを供養して「何色のものがどれくらい不足しているか」と聞いているのである。さらに、日精上人が重物(色袈裟等)を盗んだり沽却(売り払うこと)したとある。
 ここから読み取れることは、日精上人は敬台院がく供養した色袈裟を着用せず、紛失したなどの言い訳をしたらしきことである。