以下の駄犬の発言から、御本尊の重大事を突く
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  1. 「御本尊の相貌に「問題がある、なし」の文証を挙げよ」の「文証」がこれ!駄犬とうとう、文証に行き詰る!   文証わ?文証わ?と騒いで 首が落ち  はははははは?!

  2.  (^O^)アハハ!! そうかそうか。頭破七分の樋田くんは、一から十まで教えてあげないとワカラナイんだったね。(^O^)アハハ!! 御真筆本尊はねー。大聖人が"御書き"になったから文証にもなるんだよー。 誰が、「大石寺の御書」と言った?(^O^)アハハ!!

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■ ■ 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、
霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。
時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)   

大聖人御真筆御本尊の中で、「本門戒壇」と銘記されている御本尊はただ御一体、弘安二年の戒壇の大御本尊だけである。

駄犬が言う、▼「御本尊自体が「文証」(趣意)」 であるならば、
この広宣流布の暁の事の戒壇の御本尊は 弘安二年の戒壇の大御本尊 ということになる。

ならば、その唯一の戒壇の大御本尊を厳護する富士大石寺を悪し様に誹謗する駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」こそ、大謗法者 ということになる。

駄犬は大謗法者だったんだ~!

さ、

邪宗の本尊も売ってる謗法の仏壇・仏具・仏像屋 から 得体の知れない ネット販売の模造掛け軸 を買って拝んでる駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」

反論してみ? でっきるっかな? 呵々大笑!

もし、これに明快に反論できなければ、今後駄犬を 大謗法者 と呼ぶことに何ら異存ないな? 呵々大笑!

御真筆を 「文証!」と言って また墓穴  ぶははっはhっはh~!