参照 駄犬「考える人←実は「何も考えられない人」完全粉砕・反論不能の一覧表


以下は、2014.8.31~ 9.2  くらいまでのクズ犬の投稿である。

そもそも、▼「自分のブログに書きに来なければ樋田も雑魚も無視する」(趣意)はずだったクズ犬が、破折されている内容が気になって、気になってしょうがなく、覗きにきては、辛抱堪らず、書きまくっている。 実にみっともない醜態である。

その行為そのものが 頭破作七分 であることに全く気づいていない。
まっ、自分が 頭破作七分 と自覚している謗法者など居るはずもないが。。。

謗法の害毒で 頭破作七分と自覚できないから、社会不適合 人間関係破綻 経済苦 病気 事故 ケガ 犯罪 精神障害 自殺 などなど。。。となっていく訳だが。


さて、以下にまとめた内容について、簡単な譬えでクズ犬の鼻先へ一撃加えておきましょう。

また、この手は創価や、創価崩れ、その他、謗法根性の者どもの中では、結構見受けられる類なので、破折のトレーニングとしては、ある程度の意味はある生き物とも言える。

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 7 時間

だから、御書のどこに「御本尊を開眼しましょ」とハッキリ書いてあるの? なぜ、ハッキリ書かないの? ハッキリ書けば迷わないのに。

*考える人*米軍基地建設絶対反対! ?@kangaeruhito777  7時間

@toyodatv  【一撃破折!】大聖人が「戒壇本尊」と書くべき所で「本門の本尊」とさえも書かずに『妙法五字』にしたのか理由を書きなさい。 「本門の本尊」とでも書けば、末代幼稚は「本門の題目」と迷わないのに、なぜ、「妙法の五字」を書いて迷わし争わす御書を残す必要があったのだ?
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■ 既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふ。されば如来一代の教法を擣��
和合(とうしわごう)して妙法一粒の良薬に丸せり。豈(あに)知るも知らざるも服せん者煩悩の病ひ愈えざるべしや。病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈(い)ゆ。行者も亦然なり。
(聖愚問答抄  文永五年  四七歳 408)

仏は良医  法は良薬  衆生は病人

この筋目がクズ犬には全く見えていない。 バカ である。


古にある医師が妙薬を開発した。 
それは万病に効く。
その成分には、必ず、生きたある植物が必要。
その作り方は、まことに微妙・複雑・幽玄を究め、簡単には習得できない。
また、少しでも処方と製法の手順を誤ると、劇薬にもなる。

弟子は幼少期から祖師に弟子入りして、常に共にいて徹底的に修行を積まなければ習得できない。
その製法には、また天賦の才なくては習得し得ない高度にして難解な奥義があり、ただ学べば誰でも習得できる、というものでもない。

そこで、師は、ある天賦の才あり、修行に倦まずに、耐え抜いてきた一人の弟子に、その処方と製法の奥義全てを伝持し、
その弟子がまた次の一人の弟子へ伝付すべく遺言する。

その一人の弟子は、また、祖師と同じように最も適任の一人の弟子へ、その処方・製法の奥義を伝付する。。。

こうして祖師の開発した万病薬は未来へ流伝していく基礎が築かれた。


祖師は、また、患者への手紙を多数書いて、予後を確認したり、更なる指示や激励をしていた。
その書簡は、その万病薬を的確に投薬するための指南書として、大事に保存され、これもまた未来へ遺された。

さて、それから1000年近く経った時、その万病薬の効能を聞き知ったある病深き者が、その妙薬を求め、祖師の正統伝付の家に訪れ、試みに服したが、その効果も出る間も辛抱できず、美味からず、と即、吐き出し、砂を蹴って退出した。

この「毒気深入・失本心故」の者は、当然、病の乾き癒えず、自ら祖師の指南書の文面を漁り、その自分なりの結論として、巷間で出回っている、正統正嫡の薬を模した、偽薬に手を染める。
この偽薬は、まさに祖師が危惧していた、毒薬であった。
その麻薬の如くの毒薬により、精神がさらに荒廃し、
正統正嫡の家で、正統な妙薬によって蘇生してきた元患者らに、執拗に絡みつくようになる。

そして病膏肓に入るその者が自分が選んだ毒薬を正当化したくて言う、

▼「祖師の指南書のどこに、妙薬の処方とか製法の奥義が ハッキリ書いてあるの? なぜ、ハッキリ書かないの? ハッキリ書けば迷わないのに。」

▼「正系門家の言う通りならば、祖師は、多くの末代の患者を迷わす指南書を残された事になる!」

▼「祖師が、指南書に 妙薬の処方と製法の奥義そのものズバリを書かなかった理由を言いなさい!
そのものズバリの奥義を書いて公表してあれば、末代の患者は迷わないのに、なぜ、秘伝の奥義を書かずして、迷わし争わす指南書を残す必要があったのだ?」

こう喚き続けている。

秘伝の奥義そのものは、再度整頓すると、
 
1,取り扱いを間違うと危険、毒薬になり得る。
2,習得するのには師が直接弟子の手足を取って教えるべき極めて高度な修練と、その上、天賦の才が必要。
3,その時々の、生きた植物 が必要。

という理由で、祖師が一人を定め、その全てを習得させ、その一人からまた次の一人へ、伝持させていく方法論にせざるを得なかった。

祖師の指南書は、あくまで患者へ向けての指導書であるから、妙薬を作る医師の立場でしか必要のない、処方や製法の奥義など、そもそも患者へ書き送る必要など全くなかった。 
また、逆に、その奥義が漏れ、安易に真似て作れば、毒薬となってしまう。
指南書にはそういう用心も必要であった。 


この病者は、病者の立場でいながら、祖師の妙薬を嫌い、祖師の指南書を読み漁って、自分流にあれこれ邪推して、結局、巷間に出回っている偽薬・麻薬・毒薬を飲むはめになっているのである。

そして、自分が飲んでいるその精神が荒廃する毒薬を、なんとしても毒薬とは思いたくないので、自分が持っている指南書だけを根拠に、正系門家へ、言いがかりをつけているのである。

▼「指南書に奥義がハッキリ書いて無いじゃないか~~~!」 と。


■ 人路をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや。良医(ろうい)薬を病人にあたう、病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失(とが)となるか。(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 835)


まさに、祖師日蓮大聖人は、クズ犬のような 謗法根性の ゴミ クズ カス ムシ をお見通しだったわけである。  呵々大笑!


「処方、見せい!」 病者の癖に 医師に吼え    ばっかっっかっかっかっっk~~~~!