創価学会側の怪文書 『フェイク』 2016年 6月9日 第1537号 でまた何やら謗法者どもが蠢いているようだ。
もとより、フェイク がいかに事実を捻じ曲げて捏造記事を乱発しているか既にその当事者となってはっきり体験しているが、
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このような捏造記事を真に受けて疑心を起こす幼学の者もいないとも限らないので、ここで「開眼」義について明確にしておこう。
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▼ 【邪難の主旨】
当方がニセ本尊破折チラシに引文している
木絵二像開眼の事 の
■ 法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)
が、御本尊の開眼を指しているのではない。
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● 【破折・反論】
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1、木絵二像開眼の事 は 以前は 文永元年 と系年されていたようだが、その後の研究が進み 文永九年 御作 と系年されている。 つまり 「佐後」 である。
フェイク では 「佐前」 としており、完全な不勉強! 残念でした〜〜!
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2、日蓮正宗宗務院発行 『創価学会ニセ本尊破折 100問100答』 に 御本尊開眼について
▼│65 学会では「本尊の開眼などは僧侶の権威を高めるための儀式、実際には無用のもの」と指導していますが、どうでしょうか。
▲ 大聖人は『木絵二像開眼之事』に、「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(全
集 四六九頁)と、開眼供養をしなければ主人のいない家に盗人が入り、魂の去った死人に鬼神が入ってしまうようなことになると教えられています。
このように日蓮大聖人自ら開眼の重要性を示されることからもわかるように、御本尊の開眼は本宗の伝統法義なのです。
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→ と明確に書かれている。
つまり、この当該文は 本尊の開眼義 を示したことは 宗務院見解 である。
フェイク 完全な不勉強! 残念でした〜〜〜!
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日蓮正宗宗務院発行 『創価学会のいうことはこんなに間違っている』
創価学会の邪説―――――――――――――――――――――――――――――――――――+
◆御書には「法主の開眼」など一切ない
大聖人は、法主による御本尊の開眼など、御書において一言も仰せになっていない。むしろ真言密教を例にあげ、「此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり」(御書1145n)と、開眼は法華経の力によるべきであると強調されている。私たちが信心をもって拝していけば、特別な開眼の儀式など一切必要ない。
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《P.201〜203》
【創価学会に対する破折】
本尊開眼の大事は大聖人以来の伝統
宗祖大聖人が、ご存命中に書き著わされた御書のなかに、第二祖日興上人以下の「法主による御本尊の開眼」などの記述がないのは当然です。
寝ぼけたことをいうにもほどがあります。
また、大聖人が開眼にかかわるご教示をされた御書は何編かありますが、それらを拝しても、開眼の意義とその必要性を説示されていることは間違いありません。
恐れ多いことですが、御本尊のご書写や開眼にかかわるご教示は、唯授一人の相伝であり、宗祖大聖人以来、歴代上人のご記述においても数少ないのは当然です。
しかし、そのなかで、第三十一世日因上人、第五十六世日応上人等のご教示において、御法主上人による御本尊の開眼が本宗教義の枢要であることが明かされています。
【文 証】
『真間釈迦仏御供養逐状』
「仏の御開眼の御事は、いそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給ひ候へ」(新編四二六n)
『木絵二像開眼の事』
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(新編六三八n)
『四条金吾釈迦仏供養事』
「此の画木に魂魄と申す神を入るゝ事は法華経の力なり(中略)此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」(新編九九三n)
『本尊問答抄』
「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(新編一二七五n)
『日因上人御消息』
「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是れ也」
『法之道』日応上人
「金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四n)
『日顕上人御講義』
「総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。そして、これは法主の権限ですから、『教師必携』に書くべき事柄ではない」(偽造本尊義を破す五九n)
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→ ここに開眼義を明証するための文証として 木絵二像開眼の事 の 当該文が引文されている。
フェイク またしても 不勉強! 残念でした〜〜!
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【結論】
■ 法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳
638)
は間違いなく 御本尊開眼の義 を示している御文であることは、樋田個人の我見ではなく 宗務院見解 である。
以上。
フェイク 執筆者は、もう少し勉強してから書くがよろしい。 呵々大笑