エホバの証人問題支援弁護団 の
宗教団体「エホバの証人」における宗教の信仰等に関係する児童虐待等に関する 実態調査報告書
から抜粋

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忌避の経験に関する自由記述の回答例

設問
「忌避の教理(排斥等により、集団で無視される、親族からも縁を切られる)に関して抱いた考えや感情について、特に離脱時の障害についてお感じのこと一切を自由にご記入ください。
なければ「なし」とご記入ください。」
という問に対する個別回答の一部を以下に示す。

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兄が排斥され忌避されていましたのでどう対応されるのか…は分かっていました。
ただ、私は排斥されていませんし、組織に反抗した態度をとったわけでもありません(表向きは)集会奉仕に行かなくなった…という理由だけで会衆の人からは忌避されています。

親には「組織の言い分には疑問がある。集会奉仕に参加していない」と言うと
「子供は産まなかったものとして生きて行く」と縁切りされました。

「子供に宗教の話をされたくなかったら、うちには連れてくるな!」と言われたので、その通りにしたら、親族に「娘が孫に合わせてくれない」と嘘を言っていた。

孫に会えないのは自分達の責任なのにこちらを悪く言われた。

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・1◯歳で排斥後、忌避されながらも集会に参加していましたが、目も合わせない口も聞かない、賛美の歌は歌わない、祈りには参加しない、入り口近くのパイプ椅子に座る、など散々な扱いを受けました。

外出先で偶然信者家族に会った際は、子供の目を塞がれ足早に立ち去られました。

・1◯歳で家出後はどうせハルマゲドンで滅ぼされるのだから、と自暴自棄な気持ちになり、人生そのものがロスタイム(死ぬまでのわずかな時間)に感じられました。

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「エホバの証人でなければ真の家族ではない」という雰囲気がもの凄いです。
血の繋がりよりも霊的な繋がりの方が強く、組織から離れた家族への愛なんてカケラも感じません。

口では「平等に愛している」なんて平気で言いますが「平等」だなんてとんでもない。
組織から離れた者は例え血の分けた家族であれサタン扱い。

組織から離れた 1◯歳?主人と結婚する
2◯歳までの間、家族と言える人間は未信者の父しか存在しませんでした。

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「悔い改めれば許される」と語ってますが、結局長老や上の人たちの判断です。
その悔い改めに必要なことはしましたが、排斥になりました。

1 回の間違いも許されないのはおかしすぎます。
何が心が寛容な組織ですか、何が偉大な神ですか。
そうなるならがんばらずに、自分の意思を貫き通せばよかったと今でも後悔しています。

世間一般では普通のこと(私の場合は婚前交渉と信者でない人との交際)をまるで重大な犯罪を犯した犯人のように、洗いざらい恥ずかしいことまで聞かれて丸裸にされて、追及されました。

長老たちの中ではもう決定されていたことでしょうが、ある日集会の最中にみんなが手をあげてコメントを述べる場面があり、何回も手を挙げましたが当たりませんでした。
その時にもう私の処分が決まっていたんだと思います。
みんな偽の笑顔でギリギリまで私に接してたのかと思うと、なんだかやるせないですよね。
排斥の発表があった後も、親から誠意だけは見せるようにと言われ、本当に行きたくなかったのですが、何回か集会に行きました。
その時の疎外感・孤独感・無意味さは言葉に表せません。
人間じゃないまるで泥で汚れた人が来たかのように冷たい目線でした。

誰とも何も話したり笑ったりできない…何のために私は出席しているんだろうと考え、集会に行くのをやめました。
息が詰まりそうでした。
集会に行くのをやめると、いよいよ締めと言った感じで、実家を追い出されるように出て行きました。
お金も持たず、社会経験もあまりないまま、あまりにも冷たすぎます。


その後は自由な生活で楽しかったのですが、数年前に命の危険になるような緊急事態が発生しました。
ダメ元で親に連絡してみましたが、回答は、親と私の間の溝が深いため、自分にできるできることはないから公的機関を頼ってください、とだけでした。

親は一番に娘のことが心配なはずなのに、家族のことが心配で助けてあげるべきなのに、宗教という事だけで、突き放されました。

何があっても家族が最優先なのに、優先順位が間違っているこの組織はやはりおかしいです。

私と同じ経験をしている人がたくさんいると思うので、ぜひ耳を傾けて何か手立てを打ってください。

最後に、私は今でも家族みんな大好きです。
まだ信者の母も兄弟もみんな大好きです。
みんなが正気に戻って仲のいい家族に戻りたいと強く願っています!

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1◯歳という年齢で、バプテスマを受けていないのにも関わらず、エホバの証人の活動には今後参加しないとの意思表明をしただけで数年間忌避相当の仕打ちを受けた。

その日から衣食住の提供は止まり、自分で働きながら食費や学費を賄った。
当時は呪い殺すくらいの気持ちを抱いたし、もうそんな激しい怒りは残っていないが、本当に酷いことをされたと思う。

二十代後半から親の干渉を、一切無視するようになり逆にこちらから忌避をしている。
親族から「連絡取ってあげて」と促されるのが辛く、私のほうが間違っているのかと思うくらいだったが今となっては何も間違っていないと感じる。
むしろ死ぬまでにもう一度激しく忌避を親にやり返したいとすら感じる。
現在は最低限度の連絡はするが、食事に行く、会うなどの接触は積極的にはしない。

非常に残念な親子関係で、妻の親族に説明がしづらく、社会的にもおかしいと受け止められることが不安である。

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1◯歳の頃、エホバの証人以外の人と交際したため排斥になりました。
その時はやっと辞められるのだと思いました。
兄弟姉妹との話しや連絡は取れなくなるのだという覚悟はありました。
エホバの証人の友人がほぼ全てだったので、1◯年間を失うような気持ちでした。
そして親については、あまり話せなくなるのだという位の認識しかありませんでした。
実際兄が私より先に排斥になっていますが、実家には一緒に住んでいましたし会話は少なかったですが食事などは出ていました。
しかし排斥の余波は排斥から時間が経つほど重くなっていき、早くこの家を出なければいけないという思いから排斥から◯年後に結婚を機に家を出しまた。
家を出てからはさらに母親との距離は空き、ある時手紙が届き、エホバの証人に戻らない限り連絡も取らなくなるのだという内容でした。

2◯歳の頃第一子を出産しましたが、その時は産前産後里帰りをすることができ話も普通にしていました。
それが終わるとまた母とのやりとりはなくなりましたが、◯年後に父が末期がんになり、父の望みもあり母も長老に掛け合い、父の最期までは家族でやり取りでき、母とも普通に話せました。

父の死後、母から再び、「会うのは葬式の日まで、それ以降は私(母親)からは自分が死ぬまで連絡は取らない。
しかし家族だから何かあれば助ける」という趣旨のことを言われました。

第二子を妊娠中切迫早産にて絶対安静と医師から言われた時、実家に行かせて欲しいとお願いしましたが断られ、もう家族でもないのだなと感じました。
しかしどうにも絶対安静は厳しく、もう一度お願いしたところ長老に掛け合ってくれ、実家に帰れることになりました。
第二子出産以降は会っていません。
孫たちとは孫の意思で会いたいと言うのならば孫とは会ってもいいというスタンスです。

排斥とは、家族を引き離し、他人以上に他人になってしまうような、エホバの証人でない子供は価値がないと言われているような辛いものです。
今の私の全てを否定されているようです。