■一支国君が反論不能状態になった経緯。

 

一支国君は当板から長く遁走していた。

最近、ほとぼりが冷めたと思ったか、当板へ久しぶりの投稿があったので、以下の当方からの破折に明確に再反論してから、投稿をするよう、警告する。

それが、順序と礼儀というものである。

 

一支国君の、迷妄ぶりはここに長く留め置き、末永く参考資料としよう。

――――――――――――――――――――――

投稿日時:2005/07/14(Thu) 17:13
ホスト名:220.54.228.43
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; iebar)
おなまえ:一支国
タイトル:横から失礼します。
―――――――――――
当方

■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993
●大聖人様が開眼の意義を仰せである。

一支国君

▽日蓮正宗の本尊って画木=釈迦仏の木像なんですね(笑)。身延のでも拝んでるのですか?この御書は釈迦仏の木像開眼の意義を仰せでは?
―――――――――――
■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)
●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

▽学会の法は南無妙法蓮華経です。「邪法を以って本尊を開眼供養すれば」ということは南無妙法蓮華経=邪法との主張なんですね!
―――――――――――
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。

▽学会はそもそも木絵二像を拝んでませんから、、(爆笑)!
―――――――――――
☆結論
日顕法主が本尊書写をすると、「大聖人の御本尊が木絵二像へ格下げになる」との主張なのですね!
上記御文はどれも開眼供養について仰せで、在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証ではありませんでしたね(笑)。

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当方

●今日は時間が少し取れたのでこの一支国氏の幼稚な蒙昧振りを破折します。

―――――――――――

> ■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993

>

> ●大聖人様が開眼の意義を仰せである。

>

> ▽日蓮正宗の本尊って画木=釈迦仏の木像なんですね(笑)。身延のでも拝んでるのですか?この御書は釈迦仏の木像開眼の意義を仰せでは?

―――――――――――

●当方へ何かを問難するのならもう少し勉強してからの方が良かろうと思います。

 

1、この御書は宗門草創期の未だ権宗の習気が余残する衆生・別しては四条金吾の為に善巧方便を用いて誘引される為に一往釈尊像の造立をお許しに成られ、法華経による開眼供養の深義の一端をお示しに成られた御書である。

付文の辺では”画木”と仰せだが、元意の辺で意味されるとことは、本尊の開眼供養という義であることは中高生が読んでも理解できるところである。

もしこのような簡明な文意や道理が解らないとすれば、一支国君はもう一度中学生をやり直したら宜しい。

それから御書を読むべきであろう。

――――――――――――――――――――――

> ■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

> ●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

>

> ▽学会の法は南無妙法蓮華経です。「邪法を以って本尊を開眼供養すれば」ということは南無妙法蓮華経=邪法との主張なんですね!

―――――――――――

●また馬鹿丸出しの幼稚極まる邪難で相手にするのも馬鹿馬鹿しい低劣な内容である。

 

こんな稚拙な内容には一言で足りる。

 

身延も、霊友会も、立正佼成会も、顕正会も・・・みんな南無妙法蓮華経である。これらはみな「正法」なんですね?呵々。

 

一支国君は顔を洗って出直してくるべきである。

もし今度問難して来る時に、斯様な幼稚な設問を構えたら、その時は全く相手にしないので、その旨心して置き給え。

もう少しレベルを上げてからこの場へいらっしゃい。

―――――――――――

> ■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

>

> ●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。

>

> ▽学会はそもそも木絵二像を拝んでませんから、、(爆笑)!

―――――――――――

●上記で完摧済み。馬鹿の二度出し。恥を更にかいただけである。惨めなものである。

―――――――――――

> ☆結論

> 日顕法主が本尊書写をすると、「大聖人の御本尊が木絵二像へ格下げになる」との主張なのですね!

>

> 上記御文はどれも開眼供養について仰せで、在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証ではありませんでしたね(笑)。

―――――――――――

●本当に頭があまり良くない方のようである。

文が読めない者にはこれ以上言っても理解できないであろう。

 

▼「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証ではありませんでしたね(笑)。」

 

これだけは貴公の程度に合わせて宿題を出しましょう。

 

1、貴公らが拝んでいるそのニセ本尊を、更にコンビニのコピー機でコピーしたら、その紙には功徳があるのかないのか?

ないとしたら、なぜか?

あるとしたら、何故貴公はやらないのか?

 

これに対して、明確な回答ができるのなら再度投稿してきなさい。

お相手してあげましょう。

 

さて、貴公がこのように邪難をしてくるにもピント外れで能力的に低劣なのは、

1、生来からのものか、

2、ニセ本尊のよる害毒によるものか。

いづれにせよ、斯様な状態ではおそらく貴公はまともな社会生活は難しかろう。

今も、家庭、職場、その他の人間関係で疎まれ、嫌われていることであろう。

一刻も早く、魔性入りのニセ本尊を破却して正しい日蓮正宗の御本尊を拝んでそのズレた感覚を治さないと取り返しのつかないことになりますぞ。

では。

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投稿日時:2005/07/23(Sat) 23:14
ホスト名:220.54.228.43
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; iebar)
おなまえ:一支国
タイトル:己義の証明はキチンとしましょうね!
 
●付文の辺では”画木”と仰せだが、元意の辺で意味されるとことは、本尊の開眼供養という義であることは中高生が読んでも理解できるところである。

Q1.「開眼の意義」はご存知なんですね!それでは、大聖人の御本尊は何が不足しているのか御書でお答え下さい。不足していなければ、あなたの「己義」ですね!

●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

▽Q1が証明できなければ、日蓮正宗の開眼の教義=邪法ですね!

■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638
>
> ●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。
>
> ▽学会はそもそも木絵二像を拝んでませんから、、(爆笑)!

●上記で完摧済み。馬鹿の二度出し。恥を更にかいただけである。惨めなものである

▽Q1が証明できなければ、↑「大聖人の御本尊を木絵二像扱いした」人が恥を更にかいただけである。惨めなものである。

●これだけは貴公の程度に合わせて宿題を出しましょう。
                
Q2.質問返しで遁走ですか?まず己義の証明をしてください。
●「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。」とNo.385 に自信を持って書き込んでるんでしょ!まず、あなたに挙げた文証が「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証である。」ことを証明しなさい。さあどうぞ!
(No.429で「本尊の開眼供養という義であることは中高生が読んでも理解できるところである。」って自分で言ってるんですがね)
                ↓
▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993

▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。
◇◇────────────────────────────────◇◇
  3つの御文のうち1つでも証明できなければ、「己義」確定です!
◇◇────────────────────────────────◇◇

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Re:[472] 己義の証明はキチンとしましょうね! 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/25(Mon) 13:07  No.487      [返信]

 

 久しぶりの悩乱者の惑乱の邪難を摧破しましょう。

時間がかかった割りにはあまりの痴論で拍子抜けするが。

――――――――――――――――――――――

> ●付文の辺では”画木”と仰せだが、元意の辺で意味されるとことは、本尊の開眼供養という義であることは中高生が読んでも理解できるところである。

>

> Q1.「開眼の意義」はご存知なんですね!それでは、大聖人の御本尊は何が不足しているのか御書でお答え下さい。不足していなければ、あなたの「己義」ですね!

―――――――――――

●頭の悪さ大炸裂の愚問である。

大聖人様は御本仏様=仏宝であらせられるのであるから、その御自筆御本尊様はその御図顕自体に於いて全て御内証における開眼があらせられることは当然過ぎるほど当然の理である。

当方は大聖人様御自筆御本尊のことを云々しているのではないことぐらい読み取れないほど貴公は頑迷・愚盲である。

そういう醜態を晒しているから、中学生の勉強からやり直したら如何か?と督励しているのである。

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> ●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

>

> ▽Q1が証明できなければ、日蓮正宗の開眼の教義=邪法ですね!

―――――――――――

●やたらに「!」を連発するところからも、貴公の幼稚さが顕著である。

 

上記の如く、Q1の証明も何も、貴公が文意を理解できていないだけの事である。全く惨めなものである。

 

そういえば、世田谷の男子部に中○とかいう恥論者がいたが、貴公に似た低劣さであった。

当方の破折に全くの反論不能に陥り遁走したが。

貴公もどことなく似ているが、関係者か?

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> ■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

> >

> > ●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。

> >

> > ▽学会はそもそも木絵二像を拝んでませんから、、(爆笑)!

>

> ●上記で完摧済み。馬鹿の二度出し。恥を更にかいただけである。惨めなものである

>

> ▽Q1が証明できなければ、↑「大聖人の御本尊を木絵二像扱いした」人が恥を更にかいただけである。惨めなものである。

―――――――――――

●上記の如く。

更にまた輪をかけて恥の上塗りをしただけのこと。

・・・本当に中○に似ている。貴公の馬鹿さ加減と、悔し紛れのオウム返しは。

――――――――――――――――――――――

> ●これだけは貴公の程度に合わせて宿題を出しましょう。

>                 

> Q2.質問返しで遁走ですか?まず己義の証明をしてください。

> ●「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。」とNo.385 に自信を持って書き込んでるんでしょ!まず、あなたに挙げた文証が「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証である。」ことを証明しなさい。さあどうぞ!

No.429で「本尊の開眼供養という義であることは中高生が読んでも理解できるところである。」って自分で言ってるんですがね)

>                 ↓

> ▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993

>

> ▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

>

> ▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

>

> ●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。

> ◇◇────────────────────────────────◇◇

>   3つの御文のうち1つでも証明できなければ、「己義」確定です!

> ◇◇────────────────────────────────◇◇

―――――――――――

●こういう低脳・愚劣・愚昧・醜悪の者を相手にすると骨が折れますね。

 

貴公の馬鹿さ加減を突く為にした反詰である。

よく味わって馬鹿は馬鹿なりきによく考えて答えなさい。(絶対に無理だろうけど。。。)

 

貴公は「在家が勝手に本尊を作っていい!」と主張したい訳であろう。

 

ならば、こういう問題はどうするのだ?と法門を理解できない(どころか古文はおろか、現代語すら読解できない)低劣なレベルの脳髄に解りやすく問いかけているのであるから、自分のレベルを良く弁えて、真剣に御考えなさい。

 

貴公ではこの宿題を解くのでさえ、かなり無理だろうが。

でも、これに答えられない程度では御法門のことを当方へ問難する等、到底無理である。

 

ボーゲンでしか滑れぬ者が、間違って上級コースへ迷い込んだようなもので怪我するのが落ちである。

下りのリフトに素直に乗ってお帰んなさい。(相当恥かしいとは思うが)

 

再掲する。

――――――――――――――――――――――

●本当に頭があまり良くない方のようである。

文が読めない者にはこれ以上言っても理解できないであろう。

 

▼在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証ではありませんでしたね(笑)。

 

これだけは貴公の程度に合わせて宿題を出しましょう。

 

1、貴公らが拝んでいるそのニセ本尊を、更にコンビニのコピー機でコピーしたら、その紙には功徳があるのかないのか?

ないとしたら、なぜか?

あるとしたら、何故貴公はやらないのか?

 

これに対して、明確な回答ができるのなら再度投稿してきなさい。

お相手してあげましょう。

 

さて、貴公がこのように邪難をしてくるにもピント外れで能力的に低劣なのは、

1、生来からのものか、

2、ニセ本尊のよる害毒によるものか。

いづれにせよ、斯様な状態ではおそらく貴公はまともな社会生活は難しかろう。

今も、家庭、職場、その他の人間関係で疎まれ、嫌われていることであろう。

一刻も早く、魔性入りのニセ本尊を破却して正しい日蓮正宗の御本尊を拝んでそのズレた感覚を治さないと取り返しのつかないことになりますぞ。

では。

――――――――――――――――――――――

追加

 

1、顕正会でも日布上人の常住御本尊を複製コピーし会館にぶら下げて無知な信者を騙して拝ましてしるようであるが、この本尊は正しい本尊なのか、功徳があるのか、ないのか。

答えよ。

 

正しい⇒では貴公らはその本尊を拝んでもいいのか?

顕正会は”正しい本尊”を広めているのであるから、正しい団体か?

 

間違っている⇒何故か?

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一支国君へ。更に宿題追加。 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/25(Mon) 13:07  No.488      [返信]

 

 ついでにこれについても宿題にしましょう。

理解力のなさを露呈すればするほど、このように宿題が増えることを学びなさい。

 

@学会の本尊模造の文証は?

 

 『本因妙抄』に「血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡(ちゃくちゃく)座主伝法の書・塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり」とあるように、御本尊のことは代々の御法主上人にすべて譲られていることが明白です。学会が自由に御本尊を模造したり授与してもよい、という御書の文証を挙(あ)げてください。

 

A学会に金口嫡々相承はあるの?

 

 五十六世日応上人は「金口(こんく)嫡々相承を受けざれば、決して本尊の書写をなすこと能(あた)わず」と仰せられていますが、学会には「金口嫡々相承」があるのでしょうか。あるとすれば、誰から授けられたのでしょうか。

 

B身延の本尊とどこが違うの?

 

 信心をもって拝すれば、身延や池上の御真筆本尊を拝んでも功徳があるのでしょうか。

 

C学会の血脈は誰が判定?

 

 「学会にのみ信心の血脈が流れている」とは、誰がそれを判定したのでしょうか。

 

D猊下に背いて血脈が流れるの?

 

 学会で発行した『生死一大事血脈抄』の講義では、「御法主上人の御指南に従うところに、信心の血脈が流れる」とあります。それでいくと、御法主上人に従わない今の学会には信心の血脈が流れないことになりますが、この講義は学会の己義(こぎ)・謗法だったのでしょうか。

 

E私にも造れます?コンビニ本尊

 

 「自分には信心の血脈が流れている」と思える人なら、学会が配布した御本尊≠コンビニエンス・ストアでコピーし、一閻浮提に配布してもよいでしょうか。

 

F信心で拝せば功徳が出るの?

 

 また、信心をもって拝すれば、そのコピー本尊にも御本尊としての力用(りきゆう)が具(そな)わり、功徳が出てくるのでしょうか。

 

G重ねコピーした本尊の功徳は?

 

 また、コピー本尊を繰り返しコピーしても、功徳は変わらないのでしょうか。それとも、二分の一、三分の一と、次第に薄まっていくのでしょうか。

 

HTVに映る本尊でもいいんだね?

 

 御本尊をビデオカメラなどで撮(と)り、画面に映った御本尊を拝んでも功徳はあるのでしょうか。また、その場合、テレビそれ自体が御本尊になってしまうのでしょうか。

 

I御本尊写せば大謗法なんでしょ?

 

 御本尊を、写真に撮ることもテレビに映すことも、大謗法だ」と言って大騒ぎをした覚えはありませんか(覚えがない人は『地涌からの通信』を開いて思い出してください)。それなのに、学会自らが御本尊を写真にとって複写・模造することは、「大謗法」ではないのでしょうか。矛盾していると思いませんか。

 

J開眼なく魂は入らないんだよね?

 

 開眼について、『本尊問答抄』や『四条金吾釈迦仏供養事』によれば、草木の本尊に神(たましい)を入れる(※開眼する)のは法華経の力である、と示され、『木絵二像開眼之事』によれば、開眼供養ができるのは「法華を悟れる智者」であると示され、さらに、三十一世日因上人は、その「智者」が大聖人以来の御歴代上人方であることを示されています。学会のニセ本尊には、この正しい開眼がありません。ならば、そのニセ本尊には、仏の魂が入っていないことになりますが、替わりに入っているのは、「法盗っ人」の魂と「鬼神」の魂の、いずれでしょうか。

 

Kワープロ本尊じゃダメなの?

 

 「御本尊は、書き示されている内容だけが大事なのであって、特別な血脈だとか、開眼だとかは必要ないし、誰が書いてもよい」といいますが、それなら、ワープロの文字や、あなたの手書き文字で、自由に本尊を作ってもよいのでしょうか。

 

L離脱僧の申し出なら許されるの?

 

 Aさんから「自由にお使いください」と一万円を提供されたBさんが、これを複写して大量のニセ一万円札を作り、警察に捕まりました。しかしBさんは、「Aさんからの申し出で行なったことですから、私の責任ではありません」と言い、せせら笑っています。こんな子供だましの責任逃がれが、通用すると思いますか。また、この話、最近、どこかで全く同じような理屈を聞いたことがありませんか。

 

M「日蓮が魂」は「ただの物」?

 

 大聖人は「日蓮が魂を墨に染め流して」と仰せられ、御自身の魂魄(こんぱく)を御本尊として顕わされましたが、池田大作は大御本尊を「ただの物です。いちおうの機械です」と軽しめています。「日蓮が魂」とは、「ただの物」「いちおうの機械」でしか、なかったのでしょうか。

 

Nこれを「大御本尊根本」というの?

 

 大御本尊を「ただの物だ、いちおうの機械だ」と思いながら拝むのを、大御本尊根本≠フ信心というのでしょうか。

 

O大御本尊謗じて血脈が流れるの?

 

 日寛上人は『文底秘沈抄』に「根源とは何ぞ。謂(い)わく、本門戒壇の本尊これなり」と仰せですが、池田は戒壇の大御本尊を「ただの物だ」と誹謗(ひぼう)しています。根源≠スる大御本尊を否定し、他の御本尊を拝んでも、血脈は流れるのでしょうか。

 

P大聖人の御遺命はどうするの?

 

 大聖人の御遺命として、広布の事相における「事(じ)の戒壇建立」がありますが、学会はそれをどのようにして実現するのでしょうか。また、『三大秘法抄』に「三国並に一閻浮提(いちえんぶだい)の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏(ふみ)給うべき戒壇なり」とありますが、学会の広布実現のときには、世界中の学会員を「事の戒壇」のもとへ連れてくるのでしょうか。それとも「義(ぎ)の戒壇」で満足させるのでしょうか。

 

Q三本立て本尊はご都合で遊ぶの?

 

 学会では、しばしば「御本尊がなくても、大宇宙に遍満(へんまん)する妙法と合致すれば功徳が出てくる」あるいは「己心(自分の生命)の中の御本尊を信じて題目を唱えれば、それでよい」などといいますが、これでは御本尊∞宇宙の妙法∞己心の妙法≠ニいう三本立てになります。このうち、どれでも好きなものを選んでいいのでしょうか。

 

R大御本尊から盗んで怖くないの?

 

 日寛上人は、本門戒壇の大御本尊のみを「一閻浮提総体の本尊」「一閻浮提の一切衆生の本尊」であると規定され、その他の御本尊は全て「別体の本尊」「面々各々の本尊」である、と仰せです。それなのに、「別体」「面々各々」の本尊をコピーして、全世界にバラまけば、それが「一閻浮提総与の意義」になるのだ、というのは、畏(おそ)れ多くも本門戒壇の大御本尊から「一閻浮提総与の意義」を盗み取ることではないでしょうか。

 

S勝手に広く授与できぬハズだよね?

 

 学会では、今回、模造した日寛上人の御本尊(享保五年に日寛上人が浄圓寺住職・日證師に授与した御本尊)を、「一機一縁ではない。他の人に授与してもよいのだ」といっていますが、では、ある人が受けた御本尊を、勝手に他の人に譲ってもいいのでしょうか。大聖人は『阿仏房御書』で「子にあらずんば譲る事なかれ」と仰せのハズですが。それとも、学会で授与するのは、模造したニセ本尊だから、本来の授与者たる日證師以外の人々に広く与えてもいいのでしょうか。だとすれば、やっぱりニセ本尊だったのですね。

 

では、この宿題の設問が解けたらお相手してあげましょう。

 

頑張んなさい。

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投稿日時:2005/07/25(Mon) 13:56
ホスト名:220.54.228.43
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; iebar)
おなまえ:一支国
タイトル:なんだ、返答不能ですか(笑)

▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993

▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。
◇◇────────────────────────────────◇◇
  3つの御文のうち1つでも証明できなければ、「己義」確定です!
◇◇────────────────────────────────◇◇
上記3御文が「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。」と主張してるのは「あなた」ですよ。

    ◆  ◆さっさと証明しなさい!出来ないんでしょ?◆  ◆
だから「質問返し」で逃げているんですね。とっくに沖浦氏に破折されてますよ!

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Re:[489] なんだ、返答不能ですか(笑) 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/25(Mon) 23:42  No.493      [返信]

 

自分の頑迷幼稚さをずばり指摘されて悔しさやるかたなく、ネチネチ絡みつついている様がまことに惨めこの上ないものである。

まず第一に当方は貴公と法論の約定を交わした訳でもなし、謗法の毒気深入のせいか、それとも生来のものか、もしくは学業不振のためか、そのいづれか、もしくはその全部で、日本語もまともに読めない貴公などへ、なんら返答をする義務は全く負っていない。

人のHPで勝手に喚いているのは貴公なのだから、もう少し態度を慎むべきではないか。

当初から、貴公の不遜な態度が顕著であったから、容赦なく呵責してきただけである。

それがよほど肺腑を抉ったのであろう、貴公の女々しくもまた憤懣やるかたない瞋り、お察し申し上げる。

が、それも貴公の自らの頑迷・愚瞑さに由来する。

愚かな者ほど我が身を省みず他を非難するものである。

世間でもそういう者は忌み嫌われる。

貴公に於いてもお察し申し上げる。

さぞやお辛い日常であろうと。

 

では、貴公の稚拙極まりない邪難を一言劈く。

―――――――――――

> ▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日  五五歳 993

>

> ▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

>

> ▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

>

> ●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。

> ◇◇────────────────────────────────◇◇

>   3つの御文のうち1つでも証明できなければ、「己義」確定です!

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> 上記3御文が「在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。」と主張してるのは「あなた」ですよ。

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>     ◆ ◆さっさと証明しなさい!出来ないんでしょ?◆ ◆

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●ここである。

貴公の苛立ちがよく見て取れる。

が、しかし別段に貴公へ証明する義務はない。

 

「さっさと証明しなさい!」 だなどと、貴公に命令されるいわれは毛頭ない。言葉を慎みたまえ。

 

■教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。

 

それと、

■瞋るは地獄

 

三毒が中々三徳へとは転じてないようである。

やはり本尊にどこか欠陥があるのでは?

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> だから「質問返し」で逃げているんですね。とっくに沖浦氏に破折されてますよ!

 

●沖浦君など正確な文証ひとつ反証できない、ただの謗法深き我見の人である。その証拠にただ同じ内容の書き込みを繰り返しているだけである。

こういう姿を、阿呆を受けたバラモン と言うのである。

現代語では教義的反論不能という。

 

この書き込みも沖浦氏は執拗に読んでいるだろうからここで彼に申し込もうか。

当方と正式な対面対論をしようではないか。

 

■所詮本意を遂げんと欲せば対決に如かず。

 

どうか?

・・・が、こういう者は対面対論ができないであろう。

反論できない惨めな醜態がそのまま衆目に晒されるからである。

掲示板書き込みならば、白を切り、しらばっくれ、頬被りを決め込み、挙句は遁走することも出来るが、対面対論ではそれは絶対出来ない。

こういう卑劣漢は対面対論で正邪を決する以外にない。

が、沖浦氏は絶対に対面対論を受けられないであろう。

それ自体が敗北・遁走である。

それでも堂々と脱会・脱講を賭けて対面対論をする勇気があるのなら、お互い潔くやろうではないか。

沖浦君の言い訳のならないように先に釘を刺しておくが、今回の対論は映像記録を”販売”しないことを取り決めよう。

他への書き込みではあったがちょうどいい機会なので沖浦氏へ宣言する。

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さて、貴公の痴問へ。

 

「法華を心得たる人」とは誰か?

池田氏か?

では、

1、何を、

2、どのように「心得た」と言うのか?

御書の御文において証明せよ。

3、その池田氏か、もしくは秋谷氏か、が「法華を心得た人」と貴公が証明できるその資格・根拠・立場を御書の御文で明示せよ。

 

これらが明証できなければ、貴公ら創価学会などは「法華を心得た人」ではないのだから、本尊の開眼供養ができない者達である。

貴公のような謗法の毒気によってかくも愚昧・暗愚に成り果てたものには、まず、この問題を回答せよ。

出来なければ、在家が勝手に本尊を作ってはならないことは、承服したことになるが。

さ、落ち着いて頑張って証明したまえ。

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以下、一支国君からの反論はない。つまり反論不能状態である。