●脱落坊主
▲悪縁にあふて還俗の念起こる事浅ましき次第なり。金を捨てゝ石をとり、薬を捨てゝ毒をとるが如し。我が身悪道に堕つるのみならず、六親眷属をも悪道に引かん事不便(ふびん)の至極なり。1371

▲道をちがへたる者をば、神も捨てさせ給へる理(ことわり)にて候なり。1372

▲大勢至経に云はく「衆生に五つの失(とが)有り、必ず悪道に堕ちん。一つには出家還俗の失なり」と。又云はく「出家の還俗は其の失五逆に過ぎたり」1372

▲今宿善薫発(くんぽつ)して出家せる人の、還俗の心付きて落つるならば、彼の五逆罪の人よりも、罪深くして大地獄に堕つべしと申す経文なり。1372

▲此の理(ことわり)に背きて還俗せば、仏天の御罰を蒙(こうむ)り、現世には浅ましくなりはて、後生には三悪道に堕ちぬべし。能く能く思案あるべし。1372

▲「御持仏堂にて法門申したりしが面目」なんどかゝれて候事、かへすがへす不思議にをぼへ候。430

▲「上(かみ)」なんどかく上(うえ)、「面目」なんど申すは、かたがたせん(詮)ずるところ日蓮をいやしみてかけるか。総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば、始めはわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるう、せう(少輔)房がごとし。わ(和)御房もそれてい(其体)になりて天のにくまれかほ(蒙)るな。
 のぼりていくばく(幾何)もなきに実名をか(替)うるでう(条)物ぐるわし。
定んでことばつき音(おん)なんども京(みやこ)なめりになりたるらん。
ねずみがかわほり(蝙蝠)になりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎(いなか)法師にもあらず、京(みやこ)法師にもにず、せう房がやうになりぬとおぼゆ。
「尊成(そんじょう)」とかけるは隠岐(おき)の法皇の御実名か、かたがた不思議なるべし。(法門申さるべき様の事   文永七年一二月  四九歳 430)

▲東土に巧言(ぎょうげん)を吐(は)く、禿頭(とくず)沙門あり。此れ乃ち物類冥召(もつるいみょうしょう)して世間を誑惑(おうわく)す 法華行者値難事 文永一一年一月一四日  五三歳 719

▲末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢(がまん)に著(じゃく)して、師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直にして少欲知足(しょうよくちそく)たらん僧こそ、真実の僧なるべけれ。1039

▼池田「若手、青年部は僧侶など一切
なしでいこうという意見が強い(中略)では、積極的な役割として何をやらせるの
か、そうすると基本的には無いのです。」(東洋学術研究32-2-P30)