最終に成ると思います。顕正会 各位

顕正会脱会

92隊下元健一

私は約3年前より数度にわたり法華講、妙観講との対論を受け続けて参りました。
その理由は逃げる事は仏弟子として卑怯だと思ったからです。
安国論には
■「法を壊る者を見て、置いて呵責し駆遣し拳処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり」 と。
顕正会は正々堂々たる存在だと信じておりました。
そして私は日本国の中に於いて唯一正しい団体と信じ入信致しました。

しかし常々思っていたひとつの疑問があります。
それは例を引くまでもなく
「顕正会はなぜ宗門とだけは法論してはいけないのか、何故会って話もできないのか」。
私は宗門と戦う為にインターネット、過去の顕正会の書籍、機関紙の調査、御宗門の書籍の検索等を始めました。
 
途上、私自身顕正会に対しどんな疑いを生じようとも「浅井先生絶対」を信じ、少しでも心が揺らげば自身を諌め続けて参りました。
しかし今月の中旬、顕正会に対してこれまでに無い大きな疑問(現証)にぶつかり、止むに止まれず根本原因についてあらゆる事を深夜に至るまで調べてゆく中に、顕正会の隠された実態に至った次第です。

如何なる宗教に於いても正邪を決する根本は「本尊」です。
日蓮大聖人の仏法は久遠以来の道理、文証、現証を具えた完璧な仏法です。
他の追随は全く許しません。
これは私の大確信です。
その日蓮大聖人の仏法を実践する顕正会の根本の「本尊」はどういった経緯から現在存在しているのでしょうか。
結論から言うと、私は顕正会の全国の会館で、また全国の拠点(私の自宅拠点も含め)で「偽本尊」を拝んでいるという事実を知りました。
この事は私がこれから書き綴る以下の文章を読み進めて行く中に明らかになります。

そしてここに先生の戦いを振り返り「道理、文証、現証」の上から、その一端を証て参ります。

かつて先生は昭和60年より平成10年まで
▼「金口の血脈は断じて途切れることはない」  と断言されておられました。
御遺命守護が完結すれば、先生は全顕正会員に対し約束通り、全顕正会員は御登山が許され、全顕正会員は時の猊下より御本尊を頂ける等『顕正新聞』平成1625日号に断言されておられます。

そして 「浅井先生の御遺命守護の戦い」 が平成10年に完結致しました。
しかしその後の平成11年に入ると、宗門に戻れないと分かった先生は、突然 「血脈は断絶した」 と過去の自らの阿部管長への血脈相承肯定を180度転換し、周知の通り今日まで血脈の否定を断言し続けておられます。

ここで分かった事は 「浅井先生の御遺命の戦い」 は宗門とは無縁の1人芝居だったのではないかという疑問です。

いま顕正会の教学は 「御書を心肝に染め‥‥」 との日興上人の仰せとは、ある種逆な方向に進み、皮肉にもその教学の殆どが宗門誹謗中心の教学に奔走しています。私は過去に何度か上の大幹部より 「教学はするな!」 と言われた事が有ります。
「浅井先生の御心を拝せよ!」 と。 
その理由は今となれば明らかです。

そして先生仰せのまま、宗門悪しを信じる全顕正会員は、戒壇の大御本尊様から遠ざけられ、大謗法の加担をさせられているという事実に私は気が付かされました。
真実を知らされず、また知る方法も絶たれ、知らずとは言え正法を持つ者を謗れば、その者、つまり我々顕正会員が大謗法者に成るのではないかという事実です。

■「根源の師を忘れて、余へ心をうつさば、必ず輪廻生死のわざわひなるべし」

我々顕正会員に於いて 「浅井先生絶対」 という幹部からの指導は 「絶対の中の絶対」 で、入信当初から徹底されます。
この事により顕正会員は不相伝の師を、三宝破壊の師を自ら仰いでいる事に気付けないのです。

そして顕正会員が騙され続ける一つの論理として、恐らくはこう言う理由が有るのだと思います。 
それは常々幹部指導で繰り返されている 「宗門がまがっている以上、いま大聖人様の御意は浅井先生にある」 という盲信です。
そこに 「先生の御心を拝せよ!」 と言う 「浅井先生絶対」 の洗脳システムが存在します。

この盲信に対する根拠は、どんな道理、文証を以てしても示せません。
仏法とは道理が叶っていなければ成りませんし、文証が絶対に必要です。
浅井先生が何らかの相伝・相承なりを受けているのであれば話は別です。
顕正会内では、先生の独断で決めてゆく間違った化儀が永遠と横行してゆきます。
今や浅井先生を仏教界の第一人者などと謀っている幹部もいる始末です。

例にとれば、

● 間違った勤行の仕方、
● 大聖人様が大事とされる塔婆供養の中止、
● 即身成仏が叶わない葬儀等、

この様な大聖人様の御意に反する行為を為さしめている浅井先生が、本当に大聖人様の御意に叶っているのか、顕正会員は今一度考えるべきだと思います。

そしていま大石寺に在わします戒壇の大御本尊様は、人法体一の七百年前の日蓮大聖人様にてあられます。
門下に対し
■「急ぎ急ぎ来臨企つべし」 との大聖人様の仰せを拝します時、全顕正会員はある一人の 「無二の師匠」 を信じることによって、 「大聖人様に会ってはいけない」 という選択を強要させられているという事です。

この浅井先生の宗門憎しの 「指導」 は、全顕正会員に大石寺を憎ませる事で、全顕正会員が 「本当の正義」 に目覚めさせない為にも、これからも加速してゆくでしょう。

そしてもう一つには顕正会に御書がない理由です。
その答えは 「浅井先生だけしか正しく御書を拝せない」 からではなく、余りにも顕正会、浅井先生にとって不都合な箇所が、御書の至る所に示されているからだと気付きました。

凡そ日蓮大聖人の仏法を修行してゆく上で、御書がないというのはあり得ない事だと思います。
日興上人の仰せはどうなるのでしょう‥‥

そして顕正会員には全く知らされておりませんが、既に先生が阿部管長に対して突きつけた 「三大謗法」 も、宗門によって完膚なきまでに破折され尽くされており私は驚愕致しました。
しかも宗門は現在、敢然と広宣流布に立っています。
これは公然の事実です。

先生の言われる 「不敬の御開扉、登山強要」(不敬かどうかは別問題として) は、明治、大正の日亨上人の時代から御開扉は常例となっており、細井、阿部管長が突然始めた事ではない事を先生は隠しています。 
その証拠に妙信講時代に先生は
▼「およそ御開扉を断絶される事は、正宗信徒として死ねと言うことであります」 と、
また正本堂落成以後も、正本堂に先生はお目通りをされています。

「御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にするところではない」(試練と忍従)
この先生の御発言は、これまでの矛盾を晴らす上で極めて理解しやすい浅井先生自身のお言葉です。

重ねます。

凡そ本物の仏法には三宝(仏宝、法宝、僧宝)が必ず具わっております。

第二十六世日寛上人は『三宝抄』に
■「付属伝授は即ち是れ僧宝なり」
■「金口相承即是僧宝也」 と。

そして大聖人様は
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」 と。

以上の文証は、時の僧宝である、時の猊下を謗るを謗法と断定した文証でなくて、どの様な解釈が出来るのでしょうか。

ここを以って思います事は、浅井先生は、池田大作と同じく僧宝を謗り、偽本尊を偽造し、日蓮大聖人の仏法に於ける三宝を破壊する大謗法を為しているのではないでしょうかと言うことです。

第二祖日興上人は『佐渡国法華講衆御返事』に
■「案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これか大謗法にて候なり」  と仰せです。

三世を見通す御智慧をお持ちの大聖人様が、未来永劫尽未来際まで続く血脈の法主上人を違えるような事があるのでしょうか。

百六箇抄には
■「但し直授結要付属は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付属せしめ畢んぬ。上首己下並びに末弟等意義無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべきなり」 と。

どの様な事が有ろうとも、大聖人様のお力で広宣流布が成就するのであれば、正系門家に於ける血脈は連々と続くはずです。

そして顕正会員にとって最も重要な事は、全国の会館に御安置されている御本尊と、私共が家庭に御安置申しあげている、拠点の日寛上人の御形木御本尊の偽造疑惑です。

浅井先生は妙縁寺の松本尊師から頂戴したとされる全国の会館に安置され続けている、日布上人の御形木御本尊(宗門には大幅の御形木自体が存在しない)と、私も含めた各個人拠点に安置されている寛尊の御本尊にコピー疑惑があり、今や50を超える全国の会館に御安置されている日布上人の御本尊様は、一体何処からお出ましになっているのでしょうか?
先生のご説明では到底その数に矛盾が生じ、その後の先生らしくない非常に歯切れの悪い返答にも私は驚きました。

この件に関し、顕正会内外からの数多の質問と宗門からの質問状、対決申し込み(内容証明で本部及び全地方会館に送付)等に対し、浅井先生は完全に返答不能に成っている事実も知りました。
浅井先生は顕正会を代表する者として、このまま黙して語らずでは全顕正会員に対しても、一国に対しても、下記リンクの元顕正会幹部の示す通り、不誠実な態度だと思います。

http://www.kensho.jpn.org/p/mokuji.html

http://toyoda.tv/asai.koukaikitsumonjo.htm

日蓮大聖人は「本因妙抄」に
■「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」 と仰せです。

五十九世日亨上人は
■「曼荼羅書写本尊授与の事は宗門第一の尊厳の化儀なり。ゆえに宗門はみだりに漫荼羅を授与したまわず、開山は漫荼羅転授についてもこれを丁重になしたまい、尊師は宗門未曽有の弘通者なれども自ら漫荼羅を書写せず。
しかるに、余門流の僧侶、不相伝のまま狼りに漫荼羅を撒き散らして僭越逆罪とも思わざるのみならず、雑乱滅烈、全き型式をだに得るものなし、無法・無慙の甚だしきもの、八大地獄は彼らのために門を開けり。慎まざるべけんや」  と仰せです。

そして大聖人様曰く、不相伝の輩の作成する本尊に対して‥‥
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事)
形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。
鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。

これらの御金言は、顕正会、創価学会等に対する偽本尊に対しての厳しい諌めでなくて何でしょう。
資格の無い輩がニセ本尊を偽造し、偽本尊を会員に崇めさせている。
在家の浅井先生にその資格が有れば別ですが、その様な文証は御書の何処にも有りません。

偽本尊を作成し、真の僧宝を謗る顕正会の三宝とは一体何でしょうか。

そして一方では、以上の事を知った妙信講から今日に至る幹部達が、顕正会を次々と脱会していることを、情報統制と除名という形で純粋な会員に対して隠しております。

他の疑惑も多々あり、近年では 「歴史的男子三万大会」 の結集も謀りだと知らされました。
Mウエーブの公式ホームページを参照すれば分かります。
収容人数は2万人が限界です。

又、私が一番ショックだった出来事があります。
数年前の総幹部会の席上先生は、下山というフリージャーナリストが書いたとされる 「富士大石寺顕正会」 という、顕正会の存在を好意的に書かれた本を紹介され、何故か全国の会館でも販売されました。
しかしその本を書いた下山という人物は、顕正会員だという事実を数日ほど前に県外の元顕正会員の方から伺いました。
そのな事を知らない私は、もちろん高知会館で購入しましたが、結局は機関紙と同様に売り上げアップのお金儲けのためだったのかと、裏切られた気持ちで一杯となり、この様な汚い手口で会員を騙す先生に対して憤りをおぼえました。
そして新たに発刊される書籍や特集号も、その目的を疑ってしまいます。

そしていま私が一番申し上げたい事は、全顕正会員は大聖人様との縁も無く(偽本尊で入信)しかも開眼供養をされていない印刷機でコピーしたような偽本尊に、毎日会館参詣の度に手を合わせています。
更に悪鬼、魔神が入ったこのニセ本尊の前で、資格のない導師により入信勤行が行われ、虚しい数だけの勧誘活動の中、法義の実践の名の下に、時には他人の法益をも侵害しながら、組織内部の考えでは何ら問題ないとされる非常識に苦しみ、そして一般社会との摩擦に怯え、個人の自由をも「御奉公」という名の下に制限されてゆく日常の中にあって、これからもニセ本尊に祈り続けなくてはならないという事実です。

私も10日程前にこの偽本尊疑惑の事実に気付き、疑い半分悩みながら毎日御本尊様に向っておりました。
魔の本尊に祈り続ければ、今生は魔の守護は有れども無間地獄は必定です。

ここに、浅井先生を信じるのか、御書に照らし合せて大聖人様を信じるかを考えます。
「信じる」という事だけで論ずると邪教の信者も、多くの学会員達も未だ池田大作を純粋に信じています。
浅井先生を信じているという事だけに基ずいて 「浅井先生だけが正しい」 と主張する根拠は破綻しています。

但し、浅井先生の言われている事が全て間違いだと言っている訳ではありません。
中国の軍事増強は間違いないし、上海株の大暴落が起これば世界経済に於いても異常事態が起こるでしょう。

しかし古い幹部ならばご存知だと思いますが、先生の昭和40年代からの数多の予言は全て外れています。
先生の今までの予言が的中していれば、過去何回も地球は死の灰で覆われているはずです。
予言し続ければいつかは当たるでしょうけど‥‥

そして、いま顕正会内に起きている現証に眼を移せば、病気、経済苦、家庭不和、離婚‥‥
宿命転換とは程遠い、魔の守護により生活がギリギリ成り立っている現状。
中でも顕著なのは顕正会員の方々から生まれてくる子供達に生じている障害。
このような現証をどう説明すれば良いのでしょうか。

私の身内に関しては最も悲惨でした。
勤行を実践し初心の功徳(魔の守護)が現れ、大感激しておりました。
その後次々と起こる不幸な現証と少しばかりの魔の守護を功徳と勘違いし、最終的にはどうにも成らなくなり、私も対処し切れなくなってしまいました。
しかし彼は勤行を続けています。
その理由は、私が 「勤行をやめると罰が出る」 と言い切ったからです。
しかし謗法を絶って罰など出る訳が有りません。 
その事は脱会した顕正会員が口を揃えて言っております。
私の積んだ罪障は本当に深いと思います。

顕正会員は、顕正会をやめれば罰が出るというような根拠の無い盲信を捨てなければならない。
幹部の指導における 「戦わないと、お題目を唱えても意味がない」 等も虚言です。
■「文証無きは悉く是れ邪謂なり」 です。

私も顕正会員として20年以上 「折伏誓願」 と言う 「勧誘ノルマ」 そして 「広布御供養」 という 「集金システム」 に苦しんできた一人ですが、最後に思うことが有ります。それは何んらかの形で全顕正会員は一早く正系門家富士大石寺と一体となり、本化地涌の菩薩として共に広宣流布に戦い、御遺命の戒壇建立実現を急がなければ成らないということです。
もう顕正会での広宣流布はありません。
天生原の4キロの道のりは空虚なロマンです。

そして重ねて申しますが、今回の私の決断の引き金は、当に 「現証」 です。
子供の障害については特に幹部の子供達に多く、ある方に於いては入信以前に生まれた長女には何の障害もなく、入信後絶頂期を戦い、総支隊長補まで登った時に生まれた次女が、障害者として生まれました。
そして二週間前にも、ある副長の子供に障害が有る事が医師の診断により発覚し、私は同じ子供を持つ親として、止むに止まれぬ思いで悩み調べ抜きました。
そして現在の支隊長、他の幹部の子供さん達にも、多人数にわたって障害が出ている事を皆さんも御存知だと思います。

ここに、その根本原因が 「ニセ本尊」 に祈ることの結果だと私は確信致しました。

不相伝のニセ本尊を信じ唱えて幸せになる可能性は0です。
一生不幸な人生を歩み、後生は墜地獄です。

そこで本日私は、自分自身の全ての疑いに決着を着けたく、法華講員樋田氏(東京からわざわざ来て頂きました)との対論に完膚なきまでに敗れ、数時間に及ぶ話の中に、上記の顕正会員に知らされていない真実を聞く事が叶い、道理、文証、現証の上から、顕正会は大謗法団体と判断し、本日(平成27830日)脱会を決意致します。

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