●僻見(びゃっけん)を起こし、自らも失ひ他をも誤まる者なり。守護国家論 正元元年 三八歳 139
●是又以ての外の僻見(びゃっけん)なり。過去現在の諸仏法華経を離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚成じ給ふ。法華経の行者を捨て給はゞ、諸仏還(かえ)って凡夫と成り給ふべし。恩を知らざる故なり。法華真言勝劣事 文永元年七月二九日 四三歳 309
●瓦礫を明珠なんどと思ひたる僻人(びゃくにん)に譬へ、闇(くら)き悪道に行くべき者と書かれて侍るなり。題目弥陀名号勝劣事 文永元年 四三歳 328
●当世の僻見(びゃっけん)の学者等、設(たと)ひ八万法蔵を極め、十二部経を暗(そら)んじ、大小の戒品(かいほん)を堅く持ち給ふ智者なりとも、此の道理に背かば悪道を免るべからずと思(おぼ)し食(め)すべし。善無畏三蔵抄 文永七年 四九歳 401
●道理を得ずして、無人の僻見(びゃっけん)之を起こす。譬へば乳の色を弁へざる者、種々の邪推を作せども、本色に当たらざるが如し。又象の譬への如し。寺泊御書 文永八年一〇月二二日 五〇歳 485
●若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬(めいびゅう)尽くしがたし。祈祷抄 文永九年 五一歳
●種々に僻見(びゃっけん)を起こし、非より非を増し、暗(やみ)より暗に入る。不便(ふびん)の次第なり。曽谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日 五四歳 787
●僻見(びゃっけん)の行者は加様(かよう)に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。曽谷入道殿御返事 文永一二年三月 五四歳 794
●愚者は金ににたる石を金とをもい、珠ににたる石を珠とをもう。この僻案(びゃくあん)の故に、又金に似たる石と実の金と、珠に似たる石と実の珠と勝劣をあらそう。世間の人々は何れを是という事をしらざる故に、或は多人のいうかたにつきて一人の実義をすて、或は上人の言について少人の実義をすつ。或は威徳の者のいうぎにつきて無威の者の実義をすつ。仏は依法不依人(えほうふえにん)といましめ給へども、末代の諸人は依人不依法となりぬ。 依法不依人御書 文永期 805
●彼の宗々の人師の釈、所依の経論に相違せる事多き上、僻見(びゃっけん)多々にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんが(考)へさせ給ふ。撰時抄 建治元年六月一〇日 五四歳 842
●機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり。(撰時抄 建治元年六月一〇日 五四歳 846)
●いかにひが(僻)ほうもん(法門)をい(言)ゐくる(狂)へども失(とが)ともをぼへず。854
●今生には守護の善神に放(はな)されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城(あびだいじょう)の炎に入るべし。法華経の第五の巻に末代の法華経の強敵(ごうてき)を仏記し置き給へるは如六通羅漢と云云。上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢(らかん)の如し。浄蓮房御書 建治元年六月二七日 五四歳 881
●不相伝の僻見(びゃっけん)にて候か。観心本尊得意抄 建治元年一一月二三日 五四歳 914
●汲み来たるところの大海の一滴を閣(さしお)きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案(びゃくあん)なり、大愚癡(ぐち)なり。曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1039
●法華経許(ばか)り皆是真実なるを不真実、未顕真実を已顕(いけん)真実と僻(ひが)める眼は、牛羊(ごよう)の所見にも劣れる者なるべし。教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1106
●僻目(ひがめ)にて西の物を東と見、東の物を西と見るなり。妙法比丘尼御返事 弘安元年九月六日 五七歳 1268
●僻見(びゃっけん)を御信用有りて、今生には国と身とをほろ(亡)ぼし、後生には無間(むけん)地獄に墮ち給ひぬ。兵衛志殿御書 弘安元年九月九日 五七歳 1271
●僻事(ひがごと)は一人なれども万国のわづら(煩)ひなり。一人して行ずとも一国二国やぶれぬべし。本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1282
●当世法華経を持つ人々をば、世こぞって悪(にく)み嫉(ねた)み軽しめ賤しみ、或は所を追ひ出だし、或は流罪し、供養をなすまでは思ひもよらず、怨敵の様ににくまるゝは、いかさまにも心わろ(悪)くして、仏意にもかなはず、ひが(僻)さまに法を心得たるなるべし。法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1319
●「仏法はひがさま(僻様)に心得て愚癡の人なり、謗法の人なり」と、言をも惜しまず人をも憚(はばか)らず「当に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり」の金言を恐れて「我は是世尊の使ひなり、衆に処するに畏(おそ)るゝ処無し」と云ふ文に任せていたくせむる間、「未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)ひ、我慢の心充満せん」の人々争(いか)でかにくみ嫉(ねた)まざらんや。新池殿御消息 弘安二年五月二日 五十八歳 1365
●いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ、以ての外の僻見(びゃっけん)なり。
私ならざる法門を僻案せん人は、偏(ひとえ)に天魔波旬(はじゅん)の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間(むけん)大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし。四菩薩造立抄 弘安二年五月一七日 五八歳 1370
●跡形(あとかた)も有らざる無明(むみょう)妄想(もうぞう)なる僻(ひが)思ひの心に住して、三世の諸仏の教訓に背(そむ)き奉れば、冥(くらき)より冥に入り永く仏法に背(そむ)くこと悲しむべく悲しむべし。三世諸仏総勘文教相廃立 弘安二年一〇月 五八歳 1421
●天下第一の僻見(びゃっけん)なり。此(これ)偏(ひとえ)に修羅根性(しゅらこんじょう)の法門なり。大田殿女房御返事 弘安三年七月二日 五九歳 1473
●理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり。是くの如き深義を知らざる僻人(びゃくにん)出来して、予が立義は教相辺外(はずれ)と思うべき者なり。此等は皆宿業の拙(つたな)き修因感果の至極せるなるべし。彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然なり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。今以て是くの如し。数輩の弟子有るべしと雖も、疑心無く正義を伝ふる者は希にして一二の小石の如し。秘すべきの法門なり。法華本門宗血脈相承事(本因妙抄)弘安五年一〇月一一日 六一歳
●自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。1683
●此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持(たも)ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。御講聞書 弘安三年五月二八日 五九歳 1818