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かつて平成24年に顕正会本部へ送付した内容証明書を再編集して再度浅井昭衛に詰問する。
もし本人が答えられないのならば、弟子である浅野恭浩君 顕正会本部職員 大幹部であり教学部委員として
いつまでもコソコソと逃げてないで堂々と師匠の名誉のために反論してみせよ。

★ 顕正会本部職員 教学部委員 浅野恭浩君を完全論破 浅野君完全反論不能の全記録
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【主題】
 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"(もどき)
浅井昭衛かもしくは顕正会等が作成した完全な偽物と断ずる。
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【理由】
浅井昭衛の発言の非合理性
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【検証】

まず
▼昭和60年2月23日 本部会議における浅井会長指導

顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。
松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた
大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。
この七幅の常住御本尊とは、
・二十八代日詳上人
・五十四代日胤上人
・五十五代日布上人
・五十六代日応上人
・六十代日開上人
・六十四代日昇上人

等の歴代上人御書写の御本尊であり、
このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。

また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。
松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。
いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」
(顕正新聞 昭和60年3月15日号)


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↑● この時、浅井昭衛は、手に入れた(もしくは奪取したか?)本尊を、ここまで詳細に、得々と述べているにもかかわらず、標題の 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"には全く言及していない。
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↑この発言のキーワードを抜き出してみる。

▼ 顕正会で護持している御本尊は、すべて
▼ (浅井昭衛が)御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう(松本氏に)願い出た。
▼ 松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた
大幅の常住御本尊七幅 と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅 を 私に託して下さった。

これを要約すればこうなる。
★ 「顕正会が護持している本尊は全て松本氏から譲り受けたもの。
その内訳は、大幅常住御本尊七幅 と 日寛上人形木本尊数百幅 である。
それで全てである。」

つまり 『日布上人大幅御形木御本尊』 は昭和49年の時点では存在していないことになる。

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次に浅井昭衛は平成5年6月15日 松本日仁元住職第17回忌法要において以下のごとく発言している。
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▼「この尊能化は、妙縁寺を出られる前に、私に多くの御本尊を託して下さった。
それは私が願い出たからであります。
(中略)
尊能化は、『妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう』とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託して下さった。
実は昭和四十一年以降、宗門では末寺で授与する御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。
松本尊能師はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。
そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」
(顕正新聞平成5年6月25日号)


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● ↑ここでは、日寛上人の御形木御本尊の数が昭和60年に発表した 「数百幅」 では、全国の自宅拠点の数からして矛盾が起きると思ったからか、狡猾に 「大量に」 と言い換えてはいるが、大綱は前掲の昭和60年の発言の趣旨と同様である。
しかし、ここでも、標題の 『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"には全く言及していない。
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ところが、平成11年4月12日の本部指導会における浅井昭衛発言。
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▼ 「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の
御直筆御本尊七幅、
それから
日寛上人の御形木御本尊、
並びに
日布上人の御形木御本尊を多数
用意して下さったのであります。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)

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この平成11年4月12日 本部指導会における実際の浅井昭衛の生録音

「ここに、松本御能化がですね、妙縁寺に所蔵するところの、
歴代上人の直筆の御本尊七幅、
それから、
日寛上人のお形木御本尊、
並びに、
日布上人の大幅お形木御本尊を多数、
用意して下さって、私に託して下さったわけであります。」



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● このように平成11年になって突如、標題の  『日布上人大幅御形木御本尊』 と称する"本尊"が顕正新聞紙上に"登場"する。
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● しかも これまでの発言では浅井昭衛が松本氏に願い出た本尊の中に 「日布上人大幅御形木本尊」 など全く存在していなかったのに、平成19年10月5日顕正新聞では、以下のように誤魔化して素知らぬ顔でそれを言い足して言い繕っているのである。
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▼ 私は敢えて、日寛上人と 日布上人の御形木御本尊を 授与して下さるようお願い申し上げたのです。

▼ 大幅の日布上人の御形木御本尊、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意して下さるよう敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。
(顕正新聞 平成19年10月5日号)




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つまり平成11年に”突如として出現”した「日布上人大幅御形木本尊」は、以降このように繰り返し既成事実として語られるのである。
なんという悪辣で卑劣で姑息な謀りなのであろうか。

昭和60年や、平成5年の浅井会長指導には一切存在しなかった、 「日布上人大幅御形木御本尊」 の件を、平成11年になり突如言い出したことは
、これは誰が見ても、不自然であり、非合理である。
それまで、浅井昭衛は自分に「託された全ての本尊」のことを詳細に得意気に説明していたにもかかわらず、平成11年になって、何故、それまでの説明では全く存在しなかった 「日布上人大幅御形木御本尊」 なるものが、突如”出現”したのか?

これは、
「浅井昭衛は昭和60年時点では、顕正会の将来の展望を、予想も予見も予知もできぬまま、手に入れた全ての本尊の事を詳細に得意気に説明してしまったが、後に建設されていく顕正会館に安置するための本尊に困り、自分で密かに独自に作成した 『日布上人大幅御形木御本尊』 なるものを誤魔化すために、さも当初から入手していたように後付けで、言い繕っているに過ぎない。」
と断じられても致し方のないことである。
また、事実多くの顕正会員はそのように、浅井昭衛や顕正会を疑い、多数脱会しているのである。

もし、当方からの以上の如くの追及を否定して
「そうではない!日布上人大幅御形木御本尊は間違いなく日蓮正宗妙縁寺に所蔵されていた本尊である。」
と、主張するのであれば、即刻、日蓮正宗宗務院に確認し、 「日布上人大幅御形木御本尊」 とやらが、日蓮正宗の正統な経緯を経て作成された本尊であることを証明して見せよ。
それができないかぎり、当方は
「顕正会館安置の本尊は、浅井昭衛氏が勝手に作成した不当なニセ本尊である。」

と糾弾し続ける。

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今更ではあるが、もし顕正会会館本尊の正当性を証明したいのなら平成24年に当方から送付した内容証明書、浅井会長への公開質問状あるいは公開対論申込み状に今からでも堂々と反論してみよ。
浅井昭衛が反論不能ならば、顕正会本部職員にして大幹部であり教学部委員である浅野恭浩君、その職責にかけて反論してみよ。

返答期限は令和3年2月16日とする。
(↑返答期限が過ぎても浅井昭衛はもちろんのこと、浅野恭浩君からの反論は一言一句もないままである。)

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前回からここまでの経過


































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