顕正会本部職員にして教学部委員の浅野君に更に詰問する。
● 昭和47年5月十一日 浅井父子は指導教師をとおして、宗務院に登山の申し入れをしている。
▼「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』 255ページ)
↑「御遺命破壊の正本堂」での御開扉をなぜ申請するのか?
まさに大謗法与同ではないか。
今の主張と真反対の行動ではないか。
浅井昭衛はまさに 自己矛盾・支離滅裂・二枚舌・誑惑のペテン師ではないか。
返答期限は年末31日大晦日ということで、本日零時までとする。
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今までの経緯
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