▼ しかし、あなた方は法論の日程を示せませんでしたので、ここに今回の法論はもとより、樋田氏が大阪法論を敵前逃亡したことを自認していることが確定しました。

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↑ ここは既に破折済み。
そもそも法論というものは、
@ まずきちんとしたルールを決める。
A ルールにおいて双方合意の上で日程を決める。
もしルールにおいて双方の合意が得られなければ、その法論は成立しないから、日程を決める必要すらない。

これが正常な人間が取る通常のプロセス。
ところがA総部長君等は、法論から逃げたことには絶対成りたくない。しかし、当方提示の「発言一

分交代」ルールでは、浅井の矛盾とか、教義的矛盾などなど、
粛々と追求されてしまい、とてもじゃないが自分らが勝ったことにはできない、しかもそれを録画し

て公開された日にはみっともなくてたまったもんじゃない。
なので、何としてでも自分が勝った格好にするにはどうするか?
ここでまたぞろ大阪法論と同じ愚昧な手口を持ち出してくる。
ルールに対しての真摯な論議は一切しないで、まず日程を決める。
そしてその日程に反応しない法華講側に対して一気に敵前逃亡と攻め立てる。
で、一応自分たちが勝った体裁をたもつ。。。。
実に幼稚ですね。
しかもその勝他の念に激しく囚われた醜い修羅界の命が実に見苦しい。。

■ 修羅道とは、止観の一に云はく「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。
而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」(十法界明因果抄 209)

「常に人に勝ちたいと執着し、もしそれが叶わぬとなれば、相手を下し、軽蔑し、貶め、それでいて自分は常に上位者でいたい執念に取り付かれている。
表向きはさも道徳的なことを並べ立てて善人ぶっている。。。」
あはははは〜〜!A総部長君らは全くこのままの根性ではないか。お見事!
こんな修羅界の塊ではとてもじゃないが即身成仏は無理ですわな。

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更に、▼「樋田氏が大阪法論を敵前逃亡したことを自認していることが確定しました。」

余程大阪法論での無様さが今でも悔しいのか、このような意味不明なことまで口走る始末。。。

▼「樋田が大阪法論で敵前逃亡したことを自認した」???

あまりに自己弁護・自己正当化しようと焦るあまり、論理が完全に破綻してますね。

▼「樋田が大阪法論で敵前逃亡したことを「自認=自ら認める」した。」ということを、ひとつ論理的に証明してもらえませんかね?
とにかくその「どんな手を使ってでも勝ちたい!勝ったこととして周りに見せたい!」との執念が醜く過ぎますよ。

A総部長君らは、もっときちんと自分の命を磨いたほうがいいよ。
君らの言動は、およそ仏教を修行しているまともな者のそれとは程遠いところにあると思う。

■只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。
名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。
(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 296)

相手に対しての怒りに満ち溢れ、負けたくないという慢心、勝他の念、天高く、恥をかきたくない、いい格好したいという名聞名利をその体とし、我を慢ずる腐臭に満ち、正しい人間性から大きく逸脱した偏屈な執情、岩のごとし。。

こんなんでは成仏は絶対出来ないと大聖人様はお叱りですぞ。
やはり邪師・悪師の浅井昭衛などに心酔してニセ本尊などを掴まされて拝んでいるから、この御文でお叱りの方向へ命が自然と歪んでいってしまうものなのかね。
よくよく御自覚あれ。

君らの醜悪な命の傾向性は、ただ樋田の主観だけではなく、これを読んでいる一般の有識具眼者の方々も大きく首肯できることだと思いますよ。

「知らぬは本人ばかりなり」ってか?
口臭とか、酷い体臭と同じですね。
自分では気がつかないもんですな。

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▼ ついでといっては何ですが、せっかくなので痴文の感想を記しておきます。
悪口に満ち溢れた文面に書き手の特異な性格が余すところなく表われているのは、少し驚きでした。
「グジグジといつまでも未練がましく執着し、執拗にこだわっている」
「実に男らしくない粘着質」
「幼稚極まりなくしかも姑息で軽薄な手口」
「幼稚で、知能不足な手法を、恥ずかしげもなく、繰り返して来た”蛮勇”」
「みじめな独り言と妄想を大量に書き連ね、相手を下す言葉を並べることで、必死に自己正当化を計(ママ)り、さも自分の優位性を主張し続ける」
「虚勢を張って法論する格好だけは見せながらも、結局のところ法論するつもりは全くなかった、あるいは法華講との全うな法論はできなかった」等々。
これって他ならぬあなた方のことですよね?
必死に考えたであろう悪口に己の言動・思考がそのまま投影されてしまっているところが、マヌケというか、ある意味スゴイです。
「文は人なり」とは言い得て妙です。
それにしても、「おバカ」かつ「無道心」丸出しの駄文を送ってしまって大丈夫ですか?毎度のことながら物案じしてしまいます。

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↑ここはやはり当方からの文言がよほど痛かったのでしょうね。
▼「これって他ならぬあなた方のことですよね?」
この「そのまま相手にお返しします。」という返し方は、つまりは「反論が全くできません。」とほぼ同義なんですね。
しかも、こちらの語彙の豊富さに対して、▼「マヌケ」 ▼「おバカ」 など、およそ知性に欠ける、教養に乏しい単語でしか返せないところがこれまた、ニセ本尊拝むと、「癡=おろかさ」が増す、という見事な実験例とも言えますね。

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▼「そもそも、ルールも決めずに、対論の試合に参加する馬鹿はいませんよ」
って、あなた方にとっての法論は「試合」ということを初めて知りました。
「試合」の意味、知っていますか?
「スポーツ・武術などの技を比べ合い勝敗を競うこと」です。
あなた方にとっての法論とは「技を比べ合う」ことなんですね。
妙に合点がいきました。
そのように仰っている御金言があるならば教えてもらいたいものです。
同時に、図らずもあなた方がこの上なく無道心だということも露呈しまっています。

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↑ ここの「解説」は学力が低い者が、勇んで相手を突いた気になってドヤ顔していても、実は全くの的外れで、ちょっと哀れですね。

「試合」の用語解説を引いてわざわざ自分の首を絞めるとは。
「スポーツ・武術などの技を比べ合い勝敗を競うこと」この解説の一番肝心な意義は「勝敗を競うこと」にある位、小学生高学年でも読み取れますよ。
つまり、「勝敗を決すること」これが「試合」の本質ですね。
それを「試合」=「「技を比べ合う」こと。
にしか解釈できないだなんて。
こんな簡単な国語ですらきちっと理解できないから、邪師と正師の見分けがつかない、
そして本物の正統な御本尊とニセ本尊の見分けがつかず、そんな邪悪なものを拝んでこのように無知・低脳に成り果ててしまうんですよ。

■辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人(しょうにん)と謂ひ、
正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬(ぎ)す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅(あさ)からず。(立正安国論 文応元年七月一六日 三九歳 242)

浅井昭衛などという大謗法者を聖人と思い、正統・正嫡の御法主上人を悪侶と思い込んでいる。その迷いはまことに深く、その罪は甚だ深く重い。

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▼「そのように仰っている御金言があるならば教えてもらいたいものです。」
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↑は?何とまぁ愚かなこと!
何度も教えているじゃないですか。
本当に、心中に染まらない信心薄き者ですな。
しょうがないから、現代語訳も付けて解説してあげましょう。
本当に世話が焼けますなぁ。

■ 但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば、暗中に錦を服して遊行し、澗底(かんてい)の長松(ちょうしょう)匠(たくみ)に知られざるか。兼ねて又定めて喧嘩出来の基なり。
(中略)
世出世(せしゅっせ)の邪正を決断せんこと必ず公場なり。(強仁状御返事 建治元年一二月二六日 五四歳 916)

『嘆くことは、田舎など大勢の人の目につかない場所などで仏法の正邪を決したとしても所詮それは暗闇に最高の服を来て歩いているようなもの。
また山奥の谷底にどんなに立派な枝振りの良い松が生えていたとしても庭木職人の匠に知られなかったとしたら何の価値もないではないか。
さらには双方とも自分が勝った勝ったと主張したりして結局ただの喧嘩にもなりかねない。(中略)
だから法論というものは必ず公にして大勢の目に触れさせるべきなのである。』

■「邪正を決する」「邪正を決断せん」
この御文は、まさに、仏法の「勝敗を決する」=仏法においての「試合をする」、という意義ではないか。

更に
■ 夫(それ)仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり 1175

■「勝負をさきとし」 試合=「勝敗を競うこと」

まさに、法論とは仏法上の「試合」ではないか。

あ〜あ、いきがって ▼「御金言があるならば教えてもらいたいものです。」 とか言ってまた大恥かきましたね。ああ惨め。

さ、ここも、素直に謝罪しなさいよ。
自分が間違っていて、しかも人を詰ったんだからね。
そういうところ、きちんとけじめをつけようね。いい大人なんだから。
あっ、それともまた幼児のように駄々をこねて素直な謝罪はできないかな?
僕ちゃんたちは。

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(中略)

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因みにこの動画の評価について、A総部長君らは前回のメールでまたもや墓穴を掘ったのでそれを指摘してあげますね。


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▼さらにYouTube動画の評価をあげて「現時点で↑82↓17と圧倒的に賛同の評価が寄せられています」と自慢げに書いているようですが大丈夫ですか、?他人事ながら心配になります。
「現時点で」とは、時々刻々と変化していくものに対してつける言葉です。
この動画をアップして1年以上も経っているのに、評価がわずか「82」で「現時点で」「圧倒的に賛同の評価」と言えてしまうところが片腹痛いです。
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↑相当痛かったようだな。
動揺が見え見えだぞ。
うろたえているが故に書いている内容が意味不明。支離滅裂。

時々刻々変化することなど充分承知しているから「現時点で」と言っているのではないか。
何がおかしいのか?
その「現時点で」↑82↓17と圧倒的に賛同の評価が寄せられている。
ここもそのままではないか。
一年経っていようが何年経っていようが、「現時点」での数字をそのまま挙げて、その評価についてそのまま指摘しただけだが、何がおかしいというのかね?
「「現時点で」↑82↓17 」これはまさに「圧倒的に賛同の評価が寄せられている」、と評して何か問題なのか?

慌てふためいて自分で何を書いているのかすら分からなくなったようだな。
勝他の念に激しく囚われて自己を見失うとこんな惨めな醜態を演じてしまういう見本だな。

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▼ しかも、この「82」という数字は、宗門関係者などの樋田氏のお友達が義理で評価してくれたものでしょう?こんなものに、なんの意味もないことが分かりませんか?
もし「第三者の正当な評価だ」と言い張るのであれば、それを証明してください。アホらしすぎます。
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↑続けて、これも相当に動揺していることが手に取るように分かる文章だな。
そしてものの見事に墓穴掘りましたね。

▼「この「82」という数字は、宗門関係者などの樋田氏のお友達が義理で評価してくれたものでしょう?」と勝手に妄断してますが、
さ、それが事実であるというなら証明してみせなさい。
しかもこれが憶測の域を出ていないことは最後の「ものでしょう?」で図らずも自分から露呈しているではないか。
私はそのような、人に義理で評価をお願いするような卑劣で姑息なことはYouTube動画をアップして以来一度たりともしたことはない。
してもいないことをあたかもしたように決めつけ、それを元に人を公然と見下す発言をしたのだから、その責任は取ってもらいましょう。
人に言いがかりをつけるのであれば、その根拠を明示しそれが事実であることを証明する責任はそちらにある。
さ、A総部長君らよ、▼「宗門関係者などの樋田氏のお友達が義理で評価してくれた」という事実があるのならばそれを明確に証明して見せなさい。
もし証明できないとするならば、潔く謝罪しなさい。

いやいや大きな墓穴を掘りましたな。
これについてどう責任を取るのか見ものですな。

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(中略)

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▼ 最後に、あなた方の言動が法論逃避に当たることを大聖人様の御金言と早瀬日如管長の言葉をもって教えて差し上げます。
大聖人様はこのように仰せ給うておられます。
「法華経の敵を見て置いて責めずんば、師檀共に無間地獄に堕ちること疑いなかるべし」
「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし。是の人は仏法の中の怨なり」
また、早瀬日如管長はこう説法しています。
「『法華経のかたき』すなわち、邪義邪宗の謗法の者を見ていながら、世をはばかり恐れて、折伏しないのは仏様の敵であり、たとえどのような智人・善人であったとしても
、必ず無間地獄に堕ちるであろうと、大聖人様は厳しく仰せられているのであります」
「もし『法を壊る者を見て』すなわち、謗法の者を見ながら迫害を恐れて、『呵責』誤りを厳しく責めもせず、『駈遣』追い払いもせず、
『挙処』はっきりと罪過を挙げて糾明し、処断もせず、すなわち折伏をしなければ、それは『仏法の中の怨』であり、『若し能く駈遣し呵責し挙処』すれば、
これは仏様の真の弟子であると仰せられているのであります」
あなた方が顕正会のことを「謗法団体」というのであれば、堂々と出てきて呵責すべきなのです。
しかるに、あなた方は「ルールがどうの」と法論を逃避していない体を装い、結局、法論から逃げてしまいました。
こちらが二度までも法論日程を示し、その実現の機会を与えてあげたにもかかわらず、屁理屈にもならない屁理屈をこねて法論を必死に逃避したあなた方は、
御金言に照らしても、また早瀬管長の説法に照らしても、「師檀共に無間地獄」「仏法中怨」です。
これが結論です。
しかし、教学委員の方々はこれで終わりとは思っていないようですので、今後に乞うご期待です。
7月からはじめた堀野さんとのやりとりは、畢竟、あなた方が法論逃避という醜態を演じたため、これで終わることにします。
以上

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↑ 何としてでも勝ったことにしたいんですね。

もし「置不呵責」「仏法中怨」で人を責めたいのなら、それは全くブーメランで自分の首を切り裂くことになるのではないか?

A総部長君らの文章を借りてみましょう。

▼「あなた方が法華講のことを「謗法団体」というのであれば、堂々と出てきて呵責すべきなのです。
しかるに、あなた方は「発言1分交代や、録画公開」ルールを全く受け付けず、論議すら放棄し、法論を逃避していない体を装い、結局、法論から逃げてしまいました。」

このように変換できますが?
ま、どんなにいきがってみても、これを読む方々は、

「また大阪法論の遁走と同じパターンかよ〜〜。顕正会幹部も脳がねぇなぁ。
結局、公平・平等のルールでは正々堂々と戦えないくせに、目一杯虚勢張って、さも法論やる気満々って見せかけて、
内心とてもじゃないが全うなルールでやったら太刀打ちできない、浅井先生や会員には法華講が逃げたという風に思わせて、
いい格好を見せて自分の立場や地位は保全しなきゃ。。ヤバヤバ。。」

とA総部長君らの本質は見抜かれてますよ。

さて、ではここで浅井さんの自己矛盾を一つ暴いてやりましょう。
で、A総部長君らにとっては、この言を為す樋田はまさに「法華経の敵」なのだから、ルールなどの問題など乗り越えて、必ず呵責しなければ「師壇共に無間地獄行き」だよな?

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● 「正本堂は御遺命違背」 という訳ですよね?
その正本堂の意義について日達上人が最初に仰せになったのは昭和40.2.16 ですよね?
ここは宜しいですか?
で、その御指南について浅井先生は、以下のように言っているのはもちろんご存知ですよね?
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▼ 国立戒壇が突如として否定された。しかもそれは総本山の日達上人の発言によってである。
時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。
正本堂が、大聖人御遺命の「本門戒壇」に当るとすれば、その外に将来国立戒壇が建てられるということはなくなる。
まさにこの説法は、国立戒壇の事実上の否定を目的としたものであった。(冨士昭和五二年八月号)
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顕正会の理屈で言えば、「国立戒壇を否定」 ということは、完全な御遺命破壊ですよね?
これつまり大謗法ということですよね?
ではその直後、昭和40年5月、浅井先生父子は、妙信講員全員に大々的にその「御遺命破壊の正本堂」への御供養を勧募してますよね?
その事実はもちろん御存知ですよね?
これって完全に謗法与同ではないですか?
浅井先生もどっぷり、がっつり謗法への供養を煽ったということですよ。
自分が謗法与同していたくせに、後になって日達上人や宗門を激しく批判するのは、ただ自分が破門されたその悔しさと、自己を正当化したいだけ。
人間としても非常に醜い振る舞いだと、日蓮正宗からだけでなく、世間の良識有る人から見てもそう思われますね。
こんな卑怯で卑劣な人、およそ正しい仏道修行している者の振る舞いでは有り得ませんよ。
まずこの点について誰もが納得できる顕正会としての正式な回答は出せますか?
教学部さんたちに訊いてもらえますか?
よろしくお願いいたします。

先生をこれほど誹謗している私のこの上記の言は、まさに顕正会からしたら「法華経の敵」ですよね?

■ 法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040)

と大聖人様は仰せですから、絶対に見過ごしてはいけないはずですよね?
では、反論なり弁解をどうぞよろしくお願いします。
まずはこの点をきちんとしてから次へ進みましょうよ。

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↑これは大阪法論の往還文書内でも書いてあるはずである。
しかし、A総部長君らからは一言も反論がないが?
ほらほら既にもうブーメランでA総部長君らの首はもげかかってるんじゃないの?呵々

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更に言いましょう。

浅井さんに送った過去4回の内容証明書に対する反論は?

http://toyoda.tv/horon.monsyo.htm#%E5%86%85%E5%AE%B9%E8%A8%BC%E6%98%8E

あれ〜〜〜?浅井会長からも教学部委員からも未だに来てないですよ。
■ 法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040)との御文は、
浅井君らがそのまま浅井会長に向け引用したことになりますね。
あらあら、「大師匠浅井会長よ!樋田に反論しないと地獄に堕ちるぞ!」と教学部委員が言ってますわ。呵々大笑

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これで、A総部長君等はまたなんか反論負けしたような気になってまたシコシコと書いてくるでしょうけど、以後はこのように微塵切りにしてくので、
よほど脇締めて書いてこないと、また恥の上塗りするだけですよ。

では、まず二箇所における謝罪文と、ほか痴文をお待ちしてます。