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百六箇抄の真偽

　　　　　　　－浅井要麟氏の説に対してー

日興上人の本仏観

　元立正大学教授浅井要麟氏は五十年前に『日蓮聖人教学の研究』を上梓し、その中に、「両巻血脈書の真偽」と題する小論を載せ、本因妙抄・百六箇抄を偽書とする論を発表した。

これに対し本宗から堀上人が昭和二十二年三月八日から宗門の教師を対象に浅井氏の論を破折する講義を始められた。
堀上人は浅井氏の説を「少し乱暴」な説とし、一蹴されている。

　浅井氏はまず

「石山系の教学に於て最大の特色たる宗祖本仏論は、実にこの両巻血脈の中心思想たる種本脱益の教義から生れて居る」　（六二三）
と記している。

つまり富士の宗祖本仏論は両巻相承書から生れたものであるから、それらの相承書が偽作となれば本仏論は後世の創作であると言いたいのである。

　ここに浅井氏は二つの誤りを犯していると考えられる。

一つは宗祖本仏論は両巻相承書に依らなくとも立証されること。

二には両巻相承書が偽書でないことである。

御書をつきつめていくと両巻相承に到るとするのが富士の立義である。

　現在伝えられる日興上人の御手紙は九十通を数えるが、これらの中に一遍として「釈迦本仏」という語を見つけることが
出来ない。

信徒からの御供養は御宝前にお供えするが、釈迦仏に供えるということがないのである。
全て名称こそ異なるが大聖人にお供えすると書かれている。
このことは日興上人が宗祖を末法という現時における仏、イコール上行菩薩と拝していたことを示すものであろう。

　普通、信徒からの供養は僧侶の介在をへて仏菩薩に捧げるものであるが、一つとして釈尊の宝前に供えるということがない。
そればかりか対境としての本尊・御影を「仏」、「ほとけしやう人」などと表現されており、日興上人が宗祖を「仏」と拝していたことに少しの疑念をさしはさむ余地がない。

　ところで供養に関して御書に次の様な文がある。

■　仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあなが（強）ちににく（憎）む法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりとと（説）かせ給ふ。（上野殿御返事七四五）
　
■　末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（国府尼御前御書七三九）
　
　これらの御文は沢山あるが、特に佐後に見られる。
ここに宗祖勝釈迦劣の思想がみえないのであろうか。

また、

■　今末法に入りぬ。人毎（ごと）に重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。（妙密上人御消息九六六）

とて、病と薬に誓えて釈尊では末法の人々を救済出来ないと述べられ、続いて

■　上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立ちてねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初（そ）めて候ひし程に唱ふるなり。（同）

とて、上行菩薩に先立ちて題目を唱えたと述べられている。
大聖人が上行菩薩の再誕であることは周知の事実であり、末法という時において釈迦仏は力を失い代りに上行菩薩が救済主として出現された。

この菩薩を日蓮正宗では末法の教主＝仏と拝するのである。

　門下上古において一致派の多くは宗祖を上行菩薩とも見ていなかったが、
それは宗祖自らが万年救護本尊①や御書の各所②に示されていることでもある。

※①　万年救護本尊の端書に

「大覚世尊入滅後経歴二千二百二十余年、雖尓（しかり）月漢日三箇国之間未有此大本尊、或知不弘之、或不知之、我慈父以仏智隠留之為末代残之、後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」

とある。宗祖は自身を上行菩薩と自覚されている。

※②　

■　日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大道師に
　　て御坐候。（頼基陳状一一三〇）

■　此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮僅かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。（三大秘法抄一
　　五九五）

日興上人は上行菩薩の再誕と信じていた。

　日興上人の三時弘教次第に

■　付属弟子　上行菩薩　日蓮聖人（歴金一－四三）

　同じく申状に
■　此　（日蓮聖人）者上行之再誕　（歴全一－七七）

と、明らかに興師は上行の再誕と位置づけられていた。
而るに上行菩薩は釈尊の使者として出現したのだが、日興上人はこの菩薩を使者ということに止まらず仏と拝していたのである。
過去のインドならいざしらず、現時の末法の大導師は上行菩薩であり、その人こそ末法の仏と見たのである。

　日興上人は入滅された宗祖に御供養を取り次いだが、その時の呼称を書状から見てみよう。

番号は『歴代法主全書』の番号である。

　　聖人御影の御宝前　20

　　御影の御見参　23

　　聖人に中上　24

　　聖人御知見　26

　　聖人の御見参　36　67　68　74

　　法花聖人の御宝前　37

　　法主上人御神殿　47

　　先師宝前　48
　　
　　聖人の御宝前　50
　
　　御宝前　53

　　聖人御影の御見参　60　66
　
　　仏にまいらせ　61

　　仏の御見参　63

　　御経日蓮聖人　64

　　法花聖人の御宝前　65

　　御経目蓮聖人　68

　　聖人御見さん　86
　
　　ほくゑしやう人の御けさん　89

　　法花しやう人の御ほうセん　90

　　ほつけしやうにんの御ほうせん　91

　　ほくゑ聖人の御けさん　93

　　聖人御影の見参　95
　
　　法花聖人御宝前　96

　　仏の宝前　98

　　法主聖人の御宝前　101

　　ほとけしやう人の御けさん　103

以上の如くであるが、

「仏にまいらせ」、

「仏の御見参」、

「仏の宝前」、

「ほとけしやう人の御けさん」

と、はっきりと宗祖を「仏」と記している。

日興上人は宗祖を一方では上行菩薩といい、一方では仏といっている。

このことは何を意味するかといえば上行菩薩は仏であると日興上人が考えていたということになる。

もし日興上人が大聖人を上行菩薩の再誕に止めておいたなら「仏」とい語は出てこないはずである。

　次に興門の碩学である日順師をみてみる。
日興上人が大石寺を日目上人に譲り重須に移られてから、日順は重須で師の寂仙日澄と日興上人から若くして明訓に預り、澄師寂後は学成って二代目学頭に就任している。

日順は日興上人同様大聖人を上行菩薩と把えていた。

●　日蓮聖人の出現は上行菩薩の後身なり、行者已に出世して結要付属を弘通す。（富要二－二一）

●　日蓮聖人は恭くも上行菩薩の後身。（同二七）

●　従地涌出の下方の大士・神力別付の上行応化の日蓮聖人。（同二九）

●　何ぞ本化上行の後身を以て迹化薬王の弟子と卑下せんや。（同四七）

●　今流布の法華宗は結要付属の明拠、上行菩薩の所伝なり。（同六七）

　そして上行菩薩が仏であることも理解していた。

●　我朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、月氏震旦に勝れたり。（同一一）

●　本尊総体の日蓮聖人の御前を蒙り。（同二八）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
●　然ルに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼ノ本仏の顕シ玉ふ所なれば日本を中国と云フなり。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（同一一三）

　このようにインド出現の釈尊を迹仏、大聖人を本仏と論じている。

更に日順には本困妙思想がある。

●　久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなりと。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（同八三）
　ここには明らかに久遠実成を超えた久遠元初の本仏論が明されている。

ここに列出した本仏義は日順の独創と断ずることは許されない。
日順は学問をひたすら求めた正直な人であった。
日順にみる本仏思想は日興上人から引き継がれたものであり、それが日興門流、特に大石寺にも伝持されたと考えるのが妥当であろう。
けっして富士の本仏思想は後世につくられたものでない。
宗祖から日興上人へ、そして日興上人から日日上人へと伝えられていったのである。

殊に日有上人の聞書には本因妙抄・百六箇抄・御義口伝に依らなくてとも理路整然とした本仏論③を見ることが出来るのがその
証佐である。

（※③　

●　当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし。（富要一－六五）

●　滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり。（富要一ー八二）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
●　当宗御門徒の即身成仏は十界互具の御本尊の当体なり、其ノ故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成りたまふ所の当体大切な
　　る御事なり。他門徒の得意には釈迦多宝の脇士に上行等の四菩薩成りたまふと得意て即身成仏の実義を得はづしたまふなり
　　（中略）上行菩薩等の四菩薩の体は中間の五字なり、此ノ五字の脇士に釈迦多宝と遊バしたる当体を知らずして上行等の四菩薩
　　を釈迦多宝の脇士と沙汰するは、中間の妙法蓮華経の当体を上行菩薩と知らざる。（富要二－一四〇）

●　高祖所弘の本門は本迹に相対せず直に久遠の妙法蓮華経を受持する故に事なり本門なり。（富要二－一四七）

●　正像二千年の間にも出でず、末法今時上行菩薩の御再誕日蓮聖人と名乗り、久遠名字の下種の妙法を当時事迷の我等が為に
　　弘通したまふ、受持斯経の大導師となり畢る事、有り難き御恩徳なり、仍ホ高祖大聖は我等が為に三徳有縁の主師親、唯我一
人の御尊位なりと云へり。（富要二一一五九）

日有上人はこれらの文からもわかるように宗祖を上行菩薩の再誕ととらえ、その身が三徳有縁の本仏とする宗門古来からの法義を示されている。
日蓮宗と日蓮正宗の相違は上行菩薩をそのまま菩薩とみるか仏と拝するかの違いである。）

事実、日有上人にはこれら三幸の引用文はない。

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浅井説に対して

　次に浅井氏は

「大石寺精師の家中抄に依れば、興師はその秘書を弟子の尊師に相伝せられたことになって居る。（中略）
興師がそれほどまでに許された（上洛天奏の大事）門下の長老日日に両巻血脈書を付嘱せずして日目門下の日尊に相伝されたとは奇怪である」（六二三）

と批判している。

しかし日精上人の『家中抄』をよく見ると

「正和元年（一三一二）十月十三日に両巻の血脈抄を以って日尊に相伝し給ふ。此の書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり、日日・日代・日順・日尊の外、漫には相伝し給はぎる秘法なり」（富要五ー一七〇）　　　と記されている。

これに依れば両巻血脈抄は日興上人が尊師だけでなく目師・代師・順師にも相伝したことになっている。
これら四師の中で日精上人が日尊を最初に挙げたとて、特別な意味もない。
精師は一言も目師に付嘱していないとは言われていない。

　つづいて浅井氏は

「大石寺精師の説にして誤りなしとせば、両巻血脈書の相伝を最も誇耀すべき筈の尊門流に早くも既に真偽の不審が生じて居る。即ち専門流唯一の学匠として、将た要法寺中興の誉ある広蔵辰師は、逸早くこの書の真偽を問題にして、二論義五巻に

『不（レ）ル拝（二）セ御正筆ノ血脈書（一」）ヲ間ハ諜実難（レ）シ定メ』　　と云ひ、

且つ両巻血脈書の中心思想たる種脱本迹、即ち釈尊脱仏　宗祖本仏の説に依らず、自ら

『自受用報身は本、上行日蓮は迹なり』　　と主張されて居る。

して見るとこの両巻書は当時既に尊門流に於て之を金科玉条として絶対権威を認めなかった事実を看取する事が出来る」（六二四）

と記している。

つまり日辰が『二論義』に謀実定め難しと云い、かつ血脈書の宗祖本仏に反して日辰が日蓮迹と云うのは血脈書を偽書と見ていたからであると浅井氏は考えるのである。

　日辰の『二論義』の文については本書で論じたこともあったが、日蓮宗の人々は今日でもこの日辰の文をもって、正しく金科玉条の如くにして『百六箇抄』を偽作としているのである。

浅井説に対して堀上人は

●「要法寺の日辰は表面は両巻抄を否定していたが、内心には両巻抄を用いた秘書がある。
日辰の秘書には克く文は忘れたが『御真書』を見ない内は謀実計り難し』と書いてあるが、他の書には明らかに両巻抄を用ひてある。真偽未定のものであり自分が信じないものであるならばそれを用いる筈はない。
『謀実計り難し』の文に捉われることは甚だしき誤りである。
自分の頭からこれは偽書であると云ふ頭で見て行くと『謀実計り難し』と云ふ文字が偽書であると即断するのである。
『謀実計り難し』と云ふことは真偽何れともある説なのであるが、其他の書にも両巻抄を用ひてあるのが何よりの証拠ではないか」

と記している。

つまり、日辰が『謀実計り難し』というのは真偽を確定せず保留したように解釈出来るが、他の著書の中に両巻血脈抄を引用してあるので日辰は真書と解していた。
又、偽書と決めてかかると『謀実計り難し』の文が偽書と決定づける文に解されてしまうということである。

　浅井氏が引用した『二論義』五巻には、

　不（レ）ル拝（二）御正筆ノ血脈書（一）間ハ謀実難（レ）シ定メ、雖（レ）然リト以（二）テ上来ノ会通（一）ヲ合（二）セテ録内並玄文止（一）二若シ不（レ）ンバ違（二）背セ録内玄文（一）二可（レ）シ信（二）用ス之（一）ヲ。
今講答ノ所存ハ時節既二仏滅後也。去（二）ル本果（一）ヲ事最モ遠シ。唯仰（二）テ寿量ノ経旨（一）ヲ作（二）シ一代超過ノ念（一）ヲ、本因本果之主本地自受用報身、垂迹上行菩薩、再誕本門大師日蓮之文。自受用身ハ本、上行日蓮ハ迹也卜云フ文ヲ為（二）シ根本（一）ト為（二）明鏡（一）ト。其報身ノ昔ハ本因ノ名字童形ノ釈迦也、共時ノ名字ノ釈迦ハ自成（二）リ本果報身（一）ト、弟子ノ上行ハ現（二）シ蓮祖ト、三世二成（二）玉フト　名字ノ利益（一）ヲ成（二）義分（一）ヲ也。（宗全三－三七〇）

とある。
（※　百六箇抄　■『久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹（すいじゃく）上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す。』

堀上人のいわれる　「他の書」　は　「他の所」　の聞き手の誤りなのか、他の書物なのかわからないが、少なくとも『二論義』には両巻血脈抄を引用していることは確かである。
偽書なら引用するはずもないのであり、日辰は両書を排斥していないことに注視すべきである。

　先に引用した『二論義』に日辰は『百六箇抄』の文を引き、「自受用身は本、上行日蓮は迹」と判じて百六箇抄の文を釈迦本仏の論拠にしているが、その引用がどうあれ、それは富士門との解釈の相違を示しただけで日辰が偽書扱いしていることにはならない。

たとい日辰がどの様に解釈してもその成立を否定するものでない。

　ところで、寿円日仁（要法寺卅一代・一六四六　ー　一七一二）　は『百六箇対見記』に次の様に記している。

　真筆之事、啓蒙日講於中山御真筆拝見云云。日経本因百六依用事、悦師取捨抄（往見）。興上人以（二）両巻抄（一）「付（二）属」尊上人（一）事於（二）富山（一）無諍（しょう）故二西山本門寺末佐渡妙宣寺住侶舎弟僧告（二）寂円（一）云、我不（レ）見（二）高祖御正筆本因妙抄（一）今生之恨也。寂円云、日尊自筆本因妙抄在（二）京要法寺（一）云云。況正筆一本於（二）雲州（一）紛失、一本於（ニ）ー条猪熊寺（一）紛失。日在云、我聞日法口伝云云。
　ー、簡真偽事　辰師云、未（レ）タ奉（三）真筆「拝（二）見」之（一）雖（レ）尓合（二）玄文止並録内之内（一）、而会通スル時ハ仰テ可（レ）信（レ）之者也（文）。然ルニ邪流云、録内ハ但是教相ノミニシテ而非（二）蓮祖ノ本意（一）二云云。今謂是レ類（二）スル教外別伝（一）二天魔之詫言也、破（二）ル俗人御書信心（一）之非道也。又宿習拙之至也。
　又日蓮一期之大事ナレバ弟子等ニモ朝ナ夕ナ教へ亦一期之所造悉ク此義也ト云ヘリ。本因妙抄文句住不思議顕観ノ下ノ文。又或人云、只是録外ナル故不（レ）用（レ）之。
　今偽経真経ノ用否・止観等ノ了簡如（レ）常、何ンゾ文義意ヲ塞テ而麁忽ナル耶。又注法華経此録ナル故不（レ）用耶偏屈云云。又他流云ク、百六本因御両書ノ所見富士流之見非也矣。今謂、他ノ意既二為（二）ルコト真書（一）ト神妙也、若依（二）甲此（一）二者何ンゾ不案内ニシテ而吐（二）荒言（一）耶。誠是不（レ）レハ泰山（一）二不（レ）知（二）天ノ高（一）類歟。

　要法寺の寿円日仁には真筆説に立っていたことがわかる。

　更に浅井氏は各山諸師の偽撰説を列記して偽作の援証としているが、これらは大凡百六箇抄の後人の加筆部分を批判しているので的はずれであり意味をなさない。
故にここでは反論を割愛することにする。

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後加文の作者について

　日蓮宗宗学全書刊行会から大正十年三月に『日蓮宗宗学全書』が発刊され、その中の第二巻である興尊全集に『百六箇抄』が収められている。

初版本の第二巻は現在図書館に収蔵されていて堀上人の手沢本である。
堀上人は百六箇抄を本文と後加文とに分けられ、

「万年救護の為に之を記し留む」以下の文を後加文として正筆に非ずと断じ朱註を付けられた。

「開山上人直伝の書、此に畢れるか、右此巳下の四百余は尊師巳後の偽添歟。
此に十六欠ありて宗祖の云はるべ言にあらず」。

「後人加筆の事、其箇所明瞭ならざれども先人已に之を云へるあり。
日叶の文明十一年の記には入筆を云へり。
伝灯抄には日瑤は平田に住せし逐電せりと云ふ。
日叶此加筆を削りし由なれども何れの文なりや不明にして此末文を削りたりとも見へず。
予は日瑤巳前、日尊已後に加筆せられしものと断ず」　（二七）。

この天註は恐らく昭和二年の諮問をへて付けられたものと思われるが、その時の検討事項が多宝蔵に残っている。
堀上人は後加文を細かく検討され正筆でない理由を簡潔に記録されている。

又、昭和二十二年三月の『聴聞記』にも後加文について記されている。
これらの研究にもとづいて『富士宗学要集』には一線二一線を施し、初心者の注意を促している。

富要の末註には線について

「後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促がす便とせり」
（富要一ー二五）とある。

また、『聴聞記』には

「一線の方は多少参考になる註で、二線の方は殆ど削った方がよい註である」とあるが、いずれにしても一線・二線共に後加文であることに代りない。

『平成新編御書』は後加文を削除し、すっきりしたものにしている。（※　後加文も掲載されている）

　では後加は誰によってなされたであろうか。

百六箇抄は早くから要山に伝わり、大石寺には正本、写本すらなく、後に左京日教によって石山に請来されたことからも、要山僧によって加筆されたことは十分に推測できる。

それを裏付ける文を列出しよう。

　　上行院は祖師堂云云、弘通所は総じて院号なるべし。（富要一－一八）

　　新に弘通所建立の忠節。

　　玉野卿公日目（ママ）は新所建立と云ひ、予天奏の代として而かも二度流罪三度の高名是れあり。

　　四大菩薩同心して六万坊を建立せしめよ、何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり。時を待
　　つ可きのみ。（以上同二二）

　　設ひ付弟たりと雖も新弘適所建立の義無くんば付属を堅く禁じ給ふ者なり、然る間玉野太夫法印は王城の開山日目
　　弘通の尊高なり、花洛並に所々に上行院建立有り云云。仍て之を授与するのみ。正和元年壬子十月十三日　日興日尊
　　に之を示す。

　　然るに畠山の本覚法印日大、佐々木豊前阿闍梨日頼は同位主伴の聖人なり、馬来、平田、東郷、朝山等在々所々に
　上行院を建立せしむるなり。都鄙等に於いて日尊数輩の学匠之れ有り、然りと雖も功力に依って之を付属す、王城
　六角上行院の貫主日印、学匠惣探題日大、世出世の拝領並に中国西国等の貫主日頼と定め畢んぬ。康永元年壬午十
　　月十三日　日尊、日大日頼に之を示す。（以上同二四）

　これだけ上行院等について書かれていれば要山僧によるものであることは一目瞭然であるが、

「元品の大石僧形と成って」等のような意味不明なところや、内容に虚偽妄誕が多い。

また宗祖を「高祖」と呼ぶのも在世には見られない呼称である。

堀上人が後加文として聖筆に非ずとされたのは当然のことである。

　さて、ではその成立時期はいつか。

堀上人は「日尊から日大の頃であろう」と推測されているが、次の文がその手掛りになる。

　又末代に於いて経巻相承直授日蓮と申して受持知識相承を破らんが為めに元品の大石僧形と成って日蓮が直弟と申
　し狂へる僻人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬する事之れ有らん。（同ニー）

　ここに経巻相承の文があるが、経巻相承を立てたのは顕本法華宗の開祖である日什で、「弘和、元中（一三八一～
一三九二）の頃に新義を立てたと言われている。

これは聖滅百年頃に当るので百六箇抄の加筆はこれ以降の成立となる。

要山四世日尊は貞和元年の入寂、聖滅六四年に当る。

五世日印は文中二年の入寂、聖滅九二年に当る。

六世日大は応安二年入寂、聖滅八八年に当る。

七世日円は文和三年の入寂、聖滅七三年に当たる。

いずれも日什が経巻相承を立てる前の入寂なので要山七代日円以降の人となる。

『富士年表』に記される要山の歴代譜や寂年に誤りがないとするなら応永九年、聖滅一二一年に入寂した八世本是院日源以降の加筆と考えられる。

　しかし、これは最後の加筆が日源以降ということであり、その間流伝ごとに何人かの人に加筆されている可能性は否定できない。

最も早い加筆が日尊や日大の頃であろうというのが堀上人の説と考える。

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