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   可延定業御書 文永一二年二月七日  五四歳   定業 仏教用語で、前世から定まっている善悪の業報(ごうほう) AI 定業は、基本的に持続的で強い影響力を持つ業

一、御述作の由来

 本抄は、文永十二(一二七五)年二月七日、日蓮大聖人様が五十四歳の御時に、富木ときじょうにんの女房である尼御前あまごぜんに宛ててしたためられた御消息です。御真蹟は、千葉県中山の法華経寺に現存しています。
 文永十一年九月頃、対告衆の尼御前は病をわずらっており、その後、回復に向かったけれども依然として再発の恐れがあったようです。その病状を翌月に身延へ登山した四条金吾(なかつかさ三郎左衛門尉)殿から聞かれた大聖人様が、尼御前をなぐさめられ、当病平癒の方途を示されたのが本抄です。
 なお、御真蹟に年号と日付がないことから、本抄の系年には、文永十二年説と弘安二(一二七九)年説があります。しかし、本抄の御花押の形態は、弘安期のものではなく、文永期のものであるため、本抄は文永十二年の御著述と考えられます。また、大聖人様が尼御前にお手紙を出されるときには、同時に夫の富木常忍にもお出しになる例が他にもあることから、文永十二年二月七日の『富木殿御返事』(御書 七五九頁)と一対の御書と考えられ、本抄の日付は二月七日とされています。


 夫(それ)病に二あり。一には軽病、二には重病。
重病すら善医(ぜんい)に値(あ)ひて急に対治(たいじ)すれば命(いのち)猶(なお)存す。
何(いか)に況(いわ)んや軽病をや。
業(ごう)に二あり。一には定業(じょうごう「定業」とは、報いの内容や現れる時期が定まっている業のこと。本抄では、特に寿命の意味で用いている。)、二には不定業(ふじょうごう)。
定業すら能(よ)く能く懺悔(ざんげ)すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや。

法華経第七に云はく「此の経は則ち為(こ)れ閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり」等云云。
此の経文は法華経の文なり。

一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より已来(このかた)不妄語(ふもうご)の言なり。
就中(なかんずく)此の法華経は仏の正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)と申して真実が中の真実なり。
多宝証明を加へ、諸仏舌相(ぜっそう)を添へ給ふ、いかでかむなしかるべき。
其の上最第一の秘事はんべり。
此の経文は後五百歳、二千五百余年の時、女人の病あらんとと(説)かれて候文なり。
阿闍世(あじゃせ)王は御年五十の二月十五日、大悪瘡(だいあくそう)、身に出来せり。
大医耆婆(ぎば)が力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城(むけんだいじょう)に堕(お)つべかりき。
五十余年が間の大楽(だいらく)一時に滅(めっ)して、一生の大苦三七(さんしち)日にあつまれり。
定業(じょうごう)限りありしかども仏、法華経をかさねて演説して、涅槃(ねはん)経となづけて大王にあたえ給ひしかば、身の病忽(たちま)ちに平癒(へいゆ)し、心の重罪も一時に露と消えにき。

仏滅後一千五百余年、陳臣(ちんしん陳臣(ちんしん)
 生没年不明。天台大師の兄・陳鍼(ちんしん)のこと。仏祖統紀巻三十七によれば、張果仙人から一か月後に死ぬことを予言されたが、天台大師が陳臣のために小止観を述べ、陳臣はその教えどおりに修行することによって寿命を十五年間延ばしたといわれる。)と申す人ありき。
命知命(ちめい寿命は知命(ちめい)までといって五十年に定まっていた
知命(ちめい)

『論語』為政篇の「五十而知天命」から五十歳のこと。「子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」とある。)にありと申して五十年に定まりて候ひしが、天台大師に値(あ)ひて十五年の命を宣(の)べて六十五までをはしき。
其の上、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は更増寿命(きょうぞうじゅみょう)ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給ひき。
彼等は皆男子なり。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿(いのち)をのぶ。

又陳臣(ちんしん)は後五百歳にもあたらず。
冬の稲米(とうまい)、夏の菊花(きっか)のごとし。
当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米、冬の菊花、誰かをどろ(驚)くべき。

されば日蓮悲母(はは)をいの(祈)りて候ひしかば、現身(げんしん)に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をの(延)べたり。
今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。
心みに法華経の信心を立てヽ御らむ(覧)あるべし。
しかも善医あり。中務(なかつかさ)三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。

命と申す物は一身(いっしん)第一の珍宝なり。
一日なりともこれをの(延)ぶるならば千万両の金にもすぎたり。

法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへ(故)ぞかし。
閻浮(えんぶ)第一の太子なれども短命なれば草よりもかろ(軽)し。
日輪のごとくなる智者なれども夭死(わかじに)あれば生(い)ける犬に劣る。

早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。

此よりも申すべけれども、人は申すによて吉(よ)き事もあり、又我が志のうすきかと、をもう者もあり。
人の心し(知)りがたき上、先々(さきざき)に少々かヽる事候。
此の人は、人の申せばすこ(少)し心へ(得)ずげに思ふ人なり。
なかなか申すはあしかりぬべし。
但なかうども(中人)なく、ひらなさけに、又心もなくう(打)ちたの(恃)ませ給へ。

去年(こぞ)の十月これに来たりて候ひしが、御所労(しょろう)の事をよくよくなげ(嘆)き申せしなり。
当時大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月のころ(頃)をひは必ずを(起)こるべしと申せしかば、これにもなげき入って候。
日蓮からも(四条金吾に)頼んであげてもよいが、人によっては、他の人が頼むことによってよい事もあり、またそれでは本人の誠意が足らないと思う者もいる。
人の心は知りがたいうえ、以前に少々このようなことがあった。
この人(四条金吾)は、他の人から頼まれたのでは快く思わない人である。
なまじ他の人が頼むのはよくないと思う。
ただ仲介者も入れず、真心こめて一心に頼まれたほうがいい。
去年の十月、(四条金吾が)身延に来られた折、あなたの病気のことを大変に心配していると話した。
すると(四条金吾は)「今は大したことはないので気にされていないのでしょうが、明年正月か二月のころには必ず発病するでしょう」と話されたので、私も心配していた。


 富木殿も此の尼ごぜんをこそ杖柱(つえはしら)とも恃(たの)みたるに、なんど申して候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。
きわめてまけじだまし(不負魂)の人にて、我がかたの事をば大事と申す人なり。四条金吾は、極めてまけじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である。
かへすがへす身の財(たから)をだにを(惜)しませ給はヾ此の病治しがた(難)かるべし。
一日の命は三千界の財にもすぎて候なり。
先づ御志をみヽへ(得)させ給ふべし。
法華経の第七の巻に、三千大千世界の財を供養するよりも手の一指を焼きて仏・法華経に供養せよとと(説)かれて候はこれなり。
命は三千にもすぎて候。
而るに齢(よわい)もいまだたけさせ給はず、而も法華経にあわせ給ひぬ。
一日もいきてをは(御座)せば功徳つ(積)もるべし。
あらを(惜)しの命や、あらをしの命や。
御姓名並びに御年を我とか(書)ヽせ給ひて、わざとつかわせ。
大日月天に申しあぐべし。
いよどの(伊予殿)もあながちになげ(嘆)き候へば、日月天に自我偈をあて候はんずるなり。恐々謹言
                       日  蓮 花押
尼ごぜん御返事