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    春之祝御書 文永一二年一月  五四歳

 春のいわ(祝)いわすでに事ふ(古)り候ひぬ。
さては故なんでうどの(南条殿)はひさ(久)しき事には候はざりしかども、よろづ事にふれて、なつかしき心ありしかば、をろ(疎)かならずをもひしに、よわひ(寿)盛んなりしにはか(儚)なかりし事、わかれかな(悲)しかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はか(墓)をば見候ひぬ。
それよりのちはするが(駿河)のびん(便)にはとをもひしに、このたびくだ(下)しには人にしの(忍)びてこれ(此)ヘきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばずとを(通)りて候ひしが、心にかヽりて候。
その心をとげ(遂)んがために此の御房は正月の内につか(遣)わして、御はかにて自我偈一巻よ(読)ませんとをもひてまい(進)らせ候。
御との(殿)ヽ御かたみ(形見)もなしなんどなげ(嘆)きて候へば、とのをとヾ(留)めをかれける事よろこび入って候。
故殿は木のもと、くさむら(叢)のかげ(陰)、かよ(通)う人もなし、仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれ(徒然)なるらん、をもひやり候へばなんだ(涙)もとヾ(止)まらず。
との(殿)ヽ法華経の行者うちぐ(具)して御はかにむ(向)かわせ給はんには、いかにうれ(嬉)しかるらん、いかにうれしかるらん。

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春之祝御書 文永12年1月 54歳御作


【春のいわ〔祝〕いわすでに事ふ〔古〕り候ひぬ。】
新春を祝ってから、すでに多くの日が経〔た〕ってしまいました。

【さては故なんでうどの〔南条殿〕はひさ〔久〕しき事には候はざりしかども、】
日蓮と故南条兵衛七郎殿とは、それほど、長い付き合いでは、ありませんでしたが、

【よろづ事にふれて、なつかしき心ありしかば、】
多くの事について、心が通い合う仲でしたので、

【をろ〔疎〕かならずをもひしに、】
大切な人と思っておりましたが、

【よわひ〔寿〕盛んなりしにはかな〔儚〕かりし事、】
まだ、壮年であったにも関わらず、亡くなられて、

【わかれかな〔悲〕しかりしかば、】
別れなければ、ならないとは、ほんとうに悲しいことであり、

【わざとかまくら〔鎌倉〕よりうちくだかり、】
あえて、鎌倉から上野の地まで下向して、

【御はか〔墓〕をば見候ひぬ。】
御墓を拝見させて頂きました。

【それよりのちはするが〔駿河〕のびん〔便〕にはとをもひしに、】
それより後には、駿河へ行くことがあれば、墓参にうかがおうと思っておりました。

【このたびくだ〔下〕しには人にしの〔忍〕びてこれ〔此〕ヘきたりしかば、】
この度、身延の山へ入る際には、人目を忍んで、ここへ来ましたので、

【にしやま〔西山〕の入道殿にもしられ候はざりし上は】
駿河国西山の領主の大内安清入道殿にも知られずに、身延に来た次第です。

【力をよばずとを〔通〕りて候ひしが、心にかゝりて候。】
それ故に日蓮の力が及ばず、墓を御参り出来なかった事が、心残りで、

【その心をと〔遂〕げんがために此の御房は正月の内につか〔遣〕わして、】
その時の心残りを晴らす為に、日興殿を南条家へ正月の内に派遣して、

【御はかにて自我偈一巻よ〔読〕ませんとをもひてまい〔進〕らせ候。】
故南条殿の墓前で自我偈一巻を読ませようと思ったのです。

【御との〔殿〕ゝ御かたみ〔形見〕もなしなんどなげ〔嘆〕きて候へば、】
常日頃から、故南条殿の形見さえないと嘆いておりましたが、

【とのをとゞ〔留〕めをかれける事】
時光殿を後継ぎとして留め置かれたのですから、

【よろこび入って候。】
今は、そのことを形見と思いなおし、喜んでおります。

【故殿は木のもと、くさむ〔叢〕らのかげ〔陰〕、】
故南条殿は、木の下、草場の陰に隠れられて居られるので、

【かよ〔通〕う人もなし、仏法をも聴聞せんず、】
訪ねて通って来る人もおられず、仏法を聴聞されたいでしょうが、

【いかにつれづれ〔徒然〕なるらん、】
それも叶わずに、いかに変化のない環境で感ずる退屈。手持ち無沙汰(ぶさた)。で過ごされているでしょうか。

【をもひやり候へばなんだ〔涙〕もとゞ〔止〕まらず。】
そのことを思いやると、涙が止まりません。

【との〔殿〕ゝ法華経の行者うちぐ〔具〕して】
時光殿が法華経の行者である日興と御一緒に、

【御はかにむ〔向〕かわせ給はんには、いかにうれ〔嬉〕しかるらん、】
御墓へ参詣されれば、どれほど、故南条殿は、嬉しく思われることでしょうか。

【いかにうれしかるらん。】
どれほど、嬉しく思われることでしょうか。