0756
    四条金吾殿女房御返事 文永一二年一月二七日  五四歳

 所詮(しょせん)日本国の一切衆生の目をぬき神(たましい)をまど(惑)はかす邪法は真言師にはすぎず。
是は且(しばら)く之を置く。
十喩(じゅうゆ)は一切経と法華経との勝劣を説かせ給ふと見えたれども、仏の御心はさには候はず。
一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星(しゅしょう)灯炬(とうこ)のごとしと申す事を詮(せん)と思(おぼ)しめされて候。
なにをもってこれをしるとならば、第八の譬(たと)への下に一つの最大事の文あり。
所謂(いわゆる)此の経文に云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復(またまた)是(か)くの如し。一切衆生の中に於て亦(また)為(こ)れ第一なり」等云云。
此の二十二字は一経第一の肝心(かんじん)なり、一切衆生の目なり
文の心は法華経の行者は日月・大梵王(だいぼんのう)・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河(こうが)・凡夫のごとしとと(説)かれて候経文なり。
されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持(たも)たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん(覧)候らめ梵王・帝釈はあを(仰)がせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。

又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候ヘば、常の法華経の行者にては候はぬにはん(侍)ベり。
「是経典者(ぜきょうてんしゃ)」とて者(しゃ)の文字はひと(人)とよ(訓)み候ヘば、此の世の中の比丘・比丘尼・うば(優婆)塞・うばい(優婆夷)の中に、法華経を信じまいらせ候人々かとみ(見)まいらせ候ヘば、さにては候はず、次下(つぎしも)の経文に、此の者(しゃ)の文字を仏かさ(重)ねてと(説)かせ給ひて候には「若有女人(にゃくうにょにん)」若有女人(にゃくうにょにん)
 法華経薬王菩薩本事品第二十三の十喩の次下(つぎしも)に、説かれた文の中にある。「若(も)し女人(にょにん)有って、是(こ)の薬王菩薩本事品を聞いて、能(よ)く受持せば、是の女身(にょしん)を尽くして、後(のち)に復(た)た受けじ。若し如来の滅後、後(のち)の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此(ここ)に於いて命終(みょうじゅう)して、即ち安楽世界の阿弥陀仏・大菩薩衆の囲繞(いにょう)せる住処に往(ゆ)きて、蓮華の中の宝座の上に生じ」と。ここでは是経典者(ぜきょうてんしゃ)(法華経をよく持つ者)こそ女性であることを、示すために用いられた。ととかれて候。
日蓮法華経より外の一切経を(見)み候には、女人とはなりたくも候はず、
或経には女人をば地獄の使ひと定められ、或経には大蛇ととかれ、或経にはまが(曲)れ木のごとし、或経には仏の種をい(焦)れる者とこそと(説)かれて候へ。
仏法のみならず外典にも栄啓期(えいけいき栄啓期(えいけいき)の三楽(さんらく)
 栄啓期は中国春秋時代の人。濁世に超然として自然の中に遊び、天命に安んじ、人生を謳歌(おうか)した楽天家。栄啓期はこの世に生まれて得た三つのよろこびを@人と生まれ、A男と生まれ、B長寿を得たことであるとした。列子・天瑞篇に「孔子、太山(たいざん)に遊び、栄啓期が?(せい)の野に行くを見る。鹿裘(ろくきゅう)して索(なわ)を帯(おび)にし、琴を鼓(ひ)いて歌ふ。孔子問うて曰く『先生の楽しむ所以(ゆえん)は何ぞや』と。対(こた)へて曰く『吾が楽(たのし)み甚だ多し。天の万物を生ずる、唯だ人を貴(たっと)しと為す。而(しこう)して吾れ人たるを得たり、これ一楽なり。男女の別、男は尊く女は賎し、故に男を以て貴しと為す。吾れ既に男たるを得たり。是れ二楽なり。人生、日月を見ず襁褓(きょうほう)を免れざるものあるに、吾れ既(すで)に已(すで)に行年九十なり、是れ三楽なり』」とある。
〈追記〉
 鹿裘(ろくきゅう):鹿の皮衣。襁褓(きょうほう):むつき(おむつ、産着)。)と申せし者(もの)三楽をうたいし中に、無女楽(ぶじょらく)と申して天地の中に女人と生まれざる事を楽とこそたてられて候ヘ。
わざわ(災)いは三女三女
 中国の伝説中の三悪女で、夏(か)の妹喜(ばっき)、殷の姐己(だっき)、周の褒?(ほうじ)をいう。それぞれ国王の寵愛を受けたが、かえって王を迷わせ、国を亡ぼすに至った。妹喜は夏の傑(けつ)王を、姐己は殷の紂(ちゅう)王を、褒?は周の幽(ゆう)王を溺れさせたという。よりを(起)これりと定められて候に、此の法華経計りに、此の経を持(たも)つ女人は一切の女人にす(過)ぎたるのみならず、一切の男子にこ(超)えたりとみへて候。

せん(詮)ずるところは一切の人にそし(誹)られて候よりも、女人の御ためには、いとを(愛)しとをもわしき男に、ふびんとをも(思)われたらんにはすぎじ。
一切の人はにくま(悪)ばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・日月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにくるし。
法華経にだにもほめ(讃)られたてまつりなば、なにかたつまじかるベき。

 今三十三の御やく(厄)とて、御ふせ(布施)をく(送)りた(給)びて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえ(前)に申しあげ候ひぬ。
人の身には左右の肩あり。このかたに二つの神をは(坐)します。一をば同名神(どうみょうしん)、二をば同生神(どうしょうしん)と申す。
此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまぼ(護)らせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた一生をを(終)わるまで、影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆ(露)ちり(塵)ばかりものこ(残)さず、天にうた(訴)ヘまいらせ候なるぞ。

 華厳経の文華厳経の文
 華厳経入法界品第三十九に「人の生まるより則ち二天あり、恒(つね)に相随逐(あいずいつい)す。一を同生といい、二を同名と曰(い)う。天は常に人を見れども、人は天を見ざるが如し。応(まさ)に知るべし如来も亦復(またまた)是(かく)の如し」とある。にて候を止観の第八に天台大師よませ給ヘり。止観の第八
 止観は天台の三大部の一つ、摩訶止観のこと。天台が隋の開皇十四年(五九四年)四月二十六日から、一夏九旬(いちげくじゅん)にわたって荊州玉泉寺で講述、弟子の章安が筆録したもの。法華経の根本義たる一心三観・一念三千の法門が説かれている。十巻から成るが、第八の巻の下に「同名同生天はこれ神、よく人を守護す。心固ければすなわち強し、身の神なおしかり」とあって、華厳経の文を引いて説かれている。
但し信心のよは(弱)きものをば、法華経を持(たも)つ女人なれどもすつ(捨)るとみへて候。
例(れい)せば大将軍心ゆわ(弱)ければしたが(従)ふものもかい(甲斐)なし。
ゆみ(弓)ゆわ(弱)ければつる(弦)ゆる(緩)し、風ゆるなればなみ(波)ちひ(小)さきはじねん(自然)のだうり(道理)なり。
しかるにさゑもんどの(左衛門殿)は俗のなかには日本にかた(肩)をなら(並)ぶベき物もなき法華経の信者なり。
これにあひ(相)つれ(連)させ給ひぬるは日本第一の女人なり。
法華経の御ためには竜女とこそ仏はをぼ(思)しめ(召)され候らめ。
女と申す文字をばかヽ(掛)るとよみ候。(※出典不明)
藤の松にかヽ(掛)り、女の男にかヽ(掛)るも、今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経ヘみちび(導)かれさせ給ひ候ヘ。

 又三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。
七難即滅七福即生七難即滅(しちなんそくめつ)・七福即生(しちふくそくしょう)
 七難は仁王経、薬師経、金光明経等に説かれているが、仁王経の七難は@日月失度(にちがつしつど)難 A衆星変改(しゅせいへんかい)難 B諸火梵焼(しょかぼんしょう)難 C時節反逆(じせつほんぎゃく)難 D大風数起(たいふうすうき)難 E天地亢陽(てんちこうよう)難 F四方賊来(しほうぞくらい)難の七つをいう。七福は七難の滅することを七福とする。天台宗では仁王経をもって七難即滅・七福即生の祈?を行なった。末法においては三大秘法の南無妙法蓮華経が七難即滅・七福即生の法となる。とは是なり。
年はわか(若)うなり、福はかさ(重)なり候ベし、あなかしこ、あなかしこ。
 正月二十七日              日  蓮 花押
四条金吾殿女房御返事