TOP / 教義的資料目次 / 善光寺は危険な寺

本当の御利益のある信心とは? 


貫主不祥事 裁判関連

● 長野地裁
  ゴタゴタ早く止めて
  御開帳が一巡するほどの争いの長期化に、辟易
  長年の争いぶりに、ネット上でも、食傷気味の声
  坊さん同士でいつまでも争いごとをするなんて、そのイメージや尊厳を自ら傷つけているようなもの
  ただの好色で金遣いが荒い企業経営者
  地元や地方マスコミは、こうした話題はタブーのようであり、観光収入に依存する以上は公にはできない
  お坊さん同士の争い・・なんだかなって思ってしまいました。
  そんなに辞めたくないんですね。私だったら、早くやめてすんなり引退するのに。
  上村愛子選手やタレントの山田邦子さんなどが豆をまくシーンのその裏で

● 貫主本堂立ち入り禁止要請
  貫主の資質がないとして退任を要求し、10日から本堂への立ち入りを禁止
  小松玄澄貫主は18日朝、善光寺本堂への立ち入りを禁じた一山側の通告に従わず、本堂内で法要を行った

● 東京高裁 判決 確定

● 月刊現代 スクープ

● ネットの声 
  小松玄澄は、メルセデスベンツCL55AMG・F1リミテッドを乗り回してます
  スキー学校の校長をしている坊さん
  善光寺の境内入口右側の○沢生花店の対面、常円坊と随行坊の間にあるガレージにはフェラーリとベンツ
  善光寺に御利益があるならなぜ中央通りの商店街が滅びつつあるのか
  友達が新車のエスティマを買い、善光寺で交通安全祈願を してもらって2日後に丹波島橋の中央分離帯につっこんで死んでしまいました。
  
● 週刊新潮 07.11.9
  善光寺貫主が三人と交わした絵文字入りの不倫メール
    @ A B

======================

■ 地裁判決 

2011年02月06日14:47

善光寺の貫主辞任を/長野地裁判決

今日のアサヒ・コム長野ローカル版から。リンクを貼ってもすぐ見られなくなるので長くなるがほぼ全文転載する。

善光寺(長野市)の天台宗側のトップである小松玄澄貫主(かん・す)に対して、約300万円の賠償を命じた4日の長野地裁判決。
辞任の請求は棄却されたが、判決内容は小松貫主側の「実質敗訴」だった。
山本剛史裁判長は「貫主は辞任すべき義務を負う」と踏み込んだ判断を示した。
これに対して小松貫主側は即日控訴し、辞任しない意向を示した。
約1400年の歴史がある善光寺の「内紛」に、門前からはゴタゴタは早くやめてと求める声も上がった。

 一連の騒動は、小松貫主の素行に疑問を投げ掛ける月刊誌の報道に端を発する。
判決の認定事実によると、記事が出た翌月の2004年12月、大勧進総代会が開かれた。

「貫主の立場をわきまえ慎重な行動をするよう直言すべきだ」。

翌月、弁護士らが小松貫主に注意を伝えた。

 だが、天台宗25寺院の「一山」はあくまで辞任を要求。
天台宗審理局に懲戒申請する構えを見せた。

こうした動きに対して「名誉ある退任の道筋を」と和解が模索された。

 懲戒の申し立てをしない代わりに、約2年後に辞任する――。

05年8月、弁護士ら立ち会いのもと、小松貫主側と一山側の間で、そんな内容の和解契約が交わされた。

 ところが、小松貫主側は「和解書には調印したが、白紙だった。退任を約束したことはない」と反論、辞職しなかった。

騒動は収まらず、数えで7年に一度の善光寺御開帳を終えた09年6月、一山トップだった柳沢貫一・尊勝院前住職が訴えを起こした。

 主な争点は、和解契約の存否と効力で、判決で小松貫主に対し辞任が命じられるかどうかが注目されていた。

 小松貫主側は和解書は偽造だと主張したが、判決は「カラーコピーだとは考えがたい」と指摘。
弁護士の証言や当時の信徒総代の日記などの証拠から「和解契約が成立したとする原告の主張には理由がある」と判断した。

その上で小松貫主に対し、「貫主の地位を辞任する申請を提出すべき義務を負う」とした。
 しかし「住職の地位は極めて高度に保障され、法の適用で強制することはできない」「辞任は本人の自由意思によるべきだ」。
名誉回復を図りたいとする小松貫主側。

判断の場は控訴審に移る。

--------------------------

 「辞任について約束した事実はありません。今後も使命を全うすべく精進する所存です」。
判決後、小松貫主の代理人・橋口玲弁護士らが善光寺大勧進で会見し、小松貫主の「続投」の意思を、コメントの形で読み上げた。


 判決は、原告側の辞任請求を棄却。

橋口弁護士は「辞任には(貫主の)『高度な自由意思がある』と認められた点はよかった」。

小松貫主もコメントで「裁判で住職の地位を揺るがすことができない、との判断は当然」とした。 

一方で貫主側が否定していた辞任の約束があったことを判決は認めた。

橋口弁護士は「一部にせよ、辞任の約束があったと認定された。事実認定としては負けだと思っている」。

控訴審では、柳沢前住職側が証拠とした「和解書」の鑑定などを求め、「貫主の名誉の回復をはかる」という。

裁判の長期化については「このような内紛を大きくすべきではないと思う」と気にかけた。


 「私たちの訴えが認められ、ほっとしている」。
原告の柳沢前住職は、判決後の会見で胸中を語った。

 「和解書」の存在を認めながらも、辞任請求の棄却という判断について、代理人の中、山修弁護士は「履行する義務もあるとしながら、最後は裁判所が遠慮した」。
小松貫主の進退には「自らの責任と意思で退任してほしい」と期待した。
柳沢前住職も「判決を真摯(しん・し)に受け止めて判決に清く従っていただきたい」とし、現段階では控訴は考えていないとした。以下略


=======================

J-CASTニュースニュース社会

「善光寺」住職辞任要求騒動 足かけ6年のうんざり度

2009/7/ 5 17:03

長野の名刹「善光寺」で、女性問題などによる住職の辞任要求のゴタゴタが6年も続く異常事態になっている。
住職の女性問題がきっかけ
 
7年に一度の行事として、2009年4、5月に行われた善光寺御開帳。
それを盛り上げるため商工会議所などで組織された奉賛会の関係者は、こうため息をついた。

「住職さん同士の争いでしょうから、こちらでもなぜゴタゴタが続いているのかよく分からないんですよ」

御開帳が一巡するほどの争いの長期化に、辟易したのかもしれない。

ゴタゴタは、2004年8月に善光寺の小松玄澄貫主(75)の女性問題を訴える匿名の情報があったのがきっかけ。
それが、書の販売問題とともに、月刊現代の同年12月号の記事となり、小松貫主の辞任を求める動きになった。

善光寺は、天台宗と浄土宗の共同管理で、天台宗側の本山「大勧進」の住職が貫主と呼ばれる。
本山の下に、「一山寺院」と一括される25の寺院が連なっており、一山側が辞任要求の中心になった。

そして、ゴタゴタは続いて、ついに、一山代表の柳沢貫一尊勝院住職(70)が09年6月29日、小松貫主の辞任などを求める訴訟を長野地裁に起こした。
訴状などによると、小松貫主は、女性問題などを「ねつ造だ」などと否定したが、05年8月に一山側と和解。
2年後に辞任することを口頭で約束した。

ところが、07年5月になって、「白紙に署名・押印した」などと和解書を否定した。
そこで、一山側は、天台宗務庁に08年7月、罷免を求める申告書を出したが、なかなか結論が出ず、提訴に踏み切った。
訴訟では、慰謝料として、2000万円も求めている。

こうした長年の争いぶりに、ネット上でも、食傷気味の声が聞こえる。
争いに触れたブログでは、
「何故話し合いで解決できない」
「ウンザリしました」
「仏門も政界と同じだなっ!!」
といった書き込みがあった。


「花道を用意しようと、ずるずる」

辞任要求を巡って、なぜ、これほどまでにこじれてしまったのか。
一山側の訴訟代理人をしている中山修弁護士は、こう説明する。
 
「『生き仏』と崇められる貫主の名誉を考えて、花道を用意しようと円満解決を求めたためにずるずると来てしまいました。
辞任を口頭での約束に留めたのは、名誉を考えてあえて文書にしなかったからです。
契約書は相手方寄りのきれいごとだけの書面になりましたが、密約があったので和解しました」

ただ、小松玄澄貫主側が「白紙に署名」などとしていることについては、「弁護士立ち会いなので、そんなことをさせるはずがないです」と否定している。

一方、貫主側の橋口玲弁護士は、「訴状の中身を拝見していないので、現時点でのコメントは控えさせていただきます。
いずれ裁判を通じて真実を明らかにしていきたいと思っております」とだけ答えている。

とはいえ、争いを表ざたにはさせない努力は続けているようだ。

今回の善光寺御開帳では、一山側は、その前に訴訟を起こすことを決めながら、実際の提訴は御開帳後にずらした。

地元の奉賛会から、「紛争を表面化させないように努めてほしい」と要請を受けたからだ。

ただ、一山寺院からは、争いの長期化を懸念する声が出ている。

ある住職は、こう漏らす。

「われわれとしては、表ざたになって、信徒の恥になったり、社会に迷惑をかけたりすることのないように話し合いに努力してきたつもりです。
しかし、早く善光寺を正常な姿に戻さないと、何万人もの信徒の皆さんに申し訳ないと思っています。
坊さん同士でいつまでも争いごとをするなんて、そのイメージや尊厳を自ら傷つけているようなものですから」

===================================================

善光寺の天台宗トップに辞任促す 長野地裁判決

2011年2月4日 朝日新聞

 善光寺(長野市)の天台宗側のトップである小松玄澄貫主(かんす)の素行は住職としてふさわしくないとして、同寺に属する天台宗の25寺院の前代表柳沢貫一氏が住職の辞任と慰謝料などを求めた訴訟の判決で、長野地裁(山本剛史裁判長)は4日、小松貫主に約300万円の支払いを命じた。
山本裁判長は判決で、小松貫主の辞任請求は棄却したが、自発的な辞任を促した。
小松貫主側は即日控訴した。

 小松貫主が退任を約束した「和解契約」の存否が争われていた。
山本裁判長は「(契約はなかったとする)小松貫主の主張は不自然で信用できない」などとして契約の存在を認定。
そのうえで「住職の地位は極めて高度に保障されており、辞任は住職の自由意思に委ねられている」として契約の効力を否定し、柳沢さん側の主張を退けた。

 一方、判決は「小松貫主は和解契約の内容を実現する義務を負っている」と指摘。
「天台宗の宗務総長に対して貫主の地位を辞任する申請を提出するべきだ」と述べ、自ら職を辞するよう促した。

 判決などによると、2004年11月、小松貫主の女性問題や素行、自筆の書を高額で販売したことを報じる記事が月刊誌に掲載。
柳沢氏ら天台宗25寺院の「一山」と呼ばれるグループは、これを問題視し、一山の総意として住職の辞任などを要求した。

 その後、小松貫主と柳沢氏らの間で「07年8月に住職を辞任する」などとする和解契約が結ばれたかどうかが争われていた。

 判決を受けて小松貫主は「辞任を約束した事実はなく判決は承服しかねる。今後も天台宗一僧侶としての使命を全うすべく精進する」などとするコメントを出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・過去の関連記事を調べてみると、内紛が続いていることが分かる。

貫主という称号を持つので「生き仏」ということらしいが、高額な書を継続して販売したり、内部告発で3人との女性との同時不倫が問題とされたりとして、今回の裁判に関わる騒動となる。

一山会議らの住職らが、貫主というトップの体面を保つために配慮し口頭で退任勧告をしたことが裏目にでた。
裁判所は、辞意を勧告するということで問題解決を促した。

この貫主は、若い頃に難行苦行を達成したことで、この地位まで上り詰めたようだ。
ただ、女性問題など品格については問題があったようだ。
週刊誌や月刊誌に示された不倫メールなどを読むと、ただの好色で金遣いが荒い企業経営者という印象しかしない。

ただ、地元や地方マスコミは、こうした話題はタブーのようであり、観光収入に依存する以上は公にはできないようである。
その不倫相手の女性の一人が、地元テレビ局の看板アナウンサーということもある。

こうした騒動を考えるときに、宗教家の生き方を考えざるを得ないだろう。
悟りや気づきというものは、一瞬にして分かることだが、それを継続している状態こそ、心が安定して最良の判断ができるものだ。

高位の地位にあるものは、自ずから大きな責任を負う。
内紛の元凶はもっと違ったものかもしれないが、身辺だけはきちんとし模範を示してこそ、人の道を説ける宗教家たるものなのだろう。

======================


善光寺訴訟

長野で有名な善光寺。

すごい訴訟が繰り広げられていることを知りました。

長野市の善光寺大勧進の住職、小松玄澄貫主が、辞任するとの約束を守らず、精神的な苦痛を受けたとして、善光寺のほかの寺院の前代表が、約束通りの辞任などを求めている裁判。

この裁判は、善光寺大勧進の住職、小松玄澄貫主が「住職にふさわしくない振る舞いがあった」として、ほかの僧りょから辞任を求められ「平成19年8月で退任する」と文書で約束したにもかかわらず、小松貫主が退任しないため、精神的な苦痛を受けたとして、善光寺のほかの寺院の前の代表の柳澤貫一さんが約束通りの辞任と2000万円の慰謝料の支払いを求めているもの・・。

お坊さん同士の争い・・なんだかなって思ってしまいました。

1審の長野地方裁判所は、今年2月、辞任する約束の成立は認めたものの、約束の成立によって辞任を求める効力までは生じないとして、柳澤さん側の訴えを棄却し、双方が控訴。

東京高等裁判所で始まった今日の2審の裁判で、柳澤さん側は、「1審の『辞任を求める効力までは生じない』という判断は誤りである」という内容の文書を提出。

これに対し、小松貫主側は、「辞任を約束する和解契約はなかった」などとする文書を提出。

裁判は、来月3日、和解協議が行われ、和解が成立しなければ、その後、判決が言い渡されるそうです。

そんなに辞めたくないんですね。
私だったら、早くやめてすんなり引退するのに。


こんな大事にならなかったのに・・。

とちょっと首をかしげる裁判ですが、結果が気になります。

===============================================

2011/2/5

「善光寺の乱」  

誰が言ったか覚えていませんが、長野県で旧体質なもの4つといえば、長野県庁に八十二銀行、信濃毎日新聞に善光寺だそうです。
それぞれ関係者には異論もあるのでしょうが、そう見られても仕方のない面もあります。

その一つである善光寺は、新聞記事にもあるように、田中県政の頃から何かとスキャンダルめいた話が出ていました。
それが今回の騒動にも繋がっているのですが、何とも生臭いというか人間臭い話です。
奇しくも3日は善光寺で大々的に豆まきが行われたばかり。
テレビでは上村愛子選手やタレントの山田邦子さんなどが豆をまくシーンが出ていました。
よき年であるようにと幸を祈る人達が外に集う一方で、中でこうしたドロドロが演じられているというのは、やはり格好がつきません。

簡単に補足をしておけば、善光寺は現在、天台宗系の大勧進と浄土宗系の大本願の合同寺院となっており、それぞれが別に宝物館を持っています。
大まかな話として、衆徒20院と妻戸5院からなる大勧進は歴史と伝統を誇り、中衆14坊からなる大本願は皇室等とのつながりを持っています。
今回の件はそのうちの天台宗系、大勧進での内輪もめです。
天台宗のトップは比叡山延暦寺の天台座主(ざす)であり、最終的な人事は座主が決めるということで、今回結構回りくどいことが起こっています。
一方の大本願のほうは、前にも触れたように公家の名門・鷹司家出身の上人を迎えていて、こちらは何かと話題にもなって評判が高く、何とも対照的です。


(以下ソース)

善光寺判決 「辞任約束」成立認める

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20110205-OYT8T00062.htm

慰謝料命令 貫主側は即日控訴

 善光寺住職で天台宗25寺院を統括する大勧進住職の小松玄澄貫主(77)の進退を巡る異例の裁判。
長野地裁の山本剛史裁判長は4日、25寺院の代表だった柳沢貫一・尊勝院前住職(72)が求めた辞任の請求は棄却したが、辞任を約束した和解契約の成立を認め、小松貫主に慰謝料300万円の支払いを命じた。
貫主側は判決を不服として即日控訴。
全国有数の名刹(めいさつ)を支える宗派内の対立は、今後も続きそうだ。

 判決によると、小松貫主に対する批判記事が月刊誌に掲載されたのをきっかけに、25寺院の合議で2004年12月、退任を要求。
05年8月に小松貫主と柳沢前住職、大勧進の顧問弁護士らが協議し、07年8月までに小松貫主が辞任することを口頭で約束し、紛争解決のための和解書を交わしたが、小松貫主は和解契約を否定し、辞任しなかった。
 訴訟では、貫主が辞任を約束したかどうかや、辞任を約束したとされた和解契約の成否が争点になった。
 判決は、05年8月に貫主と前住職、顧問弁護士らが協議し、貫主が07年8月までに辞任する前提で双方が和解書に署名押印したと認定した。
 辞任の約束や和解書について、小松貫主は「退任の約束はなかった」「白紙に署名しただけで、和解書は署名部分をつなげた偽造だ」と反論したが、判決は「貫主の主張は当を得ず、和解書の成立に疑いはない」と退けた。
 一方、貫主が辞任するには天台宗の規則で、本人が宗務総長に辞任を申請し、天台座主が解任する必要がある。
これを踏まえ、判決は「貫主の地位は高度に保証されており、法の適用で辞任は強制できず、本人の自由意思に委ねられている」として辞任の請求は棄却した。
 ただ、貫主が約束を守らなかったため、判決は「和解契約で辞任すべき義務があるのに言を翻し、前住職の名誉や信頼を著しく傷つけた」と指摘。
25寺院を代表して紛争解決に奔走した前住職の精神的苦痛への慰謝料を認めた。
 小松貫主は「裁判で住職の地位を揺るがすことができないとの判断は当然だが、辞任について約束した事実はなく、判決は承服しかねる」とのコメントを書面で発表。
 記者会見した柳沢前住職は「和解の事実が認められてほっとしている。貫主は判決を真摯(しんし)に受け止め、従ってほしい。それが善光寺の信徒に対する義務だ」と話した。
(2011年2月5日 読売新聞)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

善光寺住職に賠償命令、貫主退任は棄却 長野地裁判決
2011年2月4日 13時56分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011020490135619.html

 長野市の善光寺住職の小松玄澄(げんちょう)・大勧進貫主(かんす)(77)が貫主退任の約束を守らず精神的苦痛を受けたとして、大勧進とともに善光寺を運営する天台宗一山(いっさん)の代表だった柳沢貫一・尊勝院前住職(72)が貫主退任と慰謝料2千万円の支払いを求めた訴訟の判決で、長野地裁(山本剛史裁判長)は4日、慰謝料の一部300万円の支払いを小松貫主に命じる判決を言い渡した。
退任の請求は棄却した。

 訴訟は、小松貫主が退任の約束をしたかどうかが争点だった。訴状などによると、柳沢前住職らは、小松貫主の女性問題が月刊誌で報じられ、倫理上の問題があるとして貫主退任を求めた。2005年8月に「07年8月に辞任する」との内容で小松貫主と和解したと主張していた。
 これに対し、小松貫主は「署名、押印した和解書は白紙で退任の約束をしたことはない」と反論していた。
 善光寺は、天台宗25院を束ねる大勧進と、浄土宗14坊を束ねる大本願の2寺で運営され、小松貫主は2人の住職のうちの1人。(中日新聞)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

善光寺住職に300万円賠償認める 大勧進貫主辞任請求訴訟
2月4日(金)
http://www.shinmai.co.jp/news/20110204/KT110204ATI090001000022.htm

 善光寺(長野市)住職の小松玄澄(げんちょう)・大勧進貫主(かんす)が辞任の約束を守っていないとして、同寺天台宗一山トップだった柳沢貫一・尊勝院前住職が貫主に辞任と慰謝料2千万円の支払いを求めた訴訟の判決が4日午後、長野地裁であった。
山本剛史裁判長は、小松貫主に対し、300万円の支払いを命じる判決を言い渡した。貫主辞任の請求については棄却した。
 山本裁判長は法廷で主文のみを示し、判決理由は読み上げなかった。
 訴状によると、小松貫主の女性問題が月刊誌に報じられたことなどをきっかけに2005年8月、小松貫主が07年8月に辞任すると柳沢住職と口頭で約束し、双方で和解書に署名。
しかし、期限を過ぎても貫主は辞任せず、精神的な苦痛を受けたとしている。
 訴訟は、小松貫主が柳沢前住職に辞任の約束をしたかどうかが争われた。
柳沢前住職側は貫主が口頭で約束し、双方で和解書に署名したと主張。
小松貫主側は「退任の約束はなかった」とし、和解書についても「署名部分をつなげた偽造書面」としていた。

 善光寺は天台宗一山(25院)と浄土宗一山(14坊)が共同で管理し、善光寺住職は大勧進貫主と浄土宗の大本願上人が務めている。
貫主は天台宗一山の推薦を受けて天台座主が任命。
08年に一山有志が天台宗務庁に小松貫主の罷免を求めたが、棄却された。

===========================

■ 貫主 本堂立ち入り禁止要請

◆『善光寺大勧進「貫主本堂入り禁止に」 天台宗一山申し入れへ』
 (信濃毎日新聞 2011年2月6日)

 善光寺(長野市)大勧進の小松玄澄(げんちょう)貫主(かんす)の辞任の約束をめぐる4日の長野地裁判決を受け、同寺天台宗一山会議は5日、同寺事務局で開き、小松貫主に対し同寺本堂への立ち入り(昇堂)禁止を申し入れることを決めた。
大勧進の信徒総代らも同日、同事務局で会合を開き、判決を真摯(しんし)に受け止めるよう小松貫主に文書で申し入れることを決めた。

 会議はともに非公開で行われ、それぞれの出席者が終了後、内容を明らかにした。

 同寺天台宗25院の住職でつくる一山会議では、判決が辞任の約束が成立していたと認めるとともに、天台宗務庁の宗務総長に貫主辞任を申請すべき義務を負うとしたことなどから、小松貫主は昇堂する資格がない−などと判断したという。

 天台宗一山の相談役的な立場の「長臈(ちょうろう)」の村上光田・福生院住職によると、善光寺境内での天台宗一山のしきたりは、一山トップ3人の「臈僧(ろうそう)」が決めるのが慣例だが、昇堂禁止は重大な事案だとして一山会議に諮ったと説明した。

 総代らの会合の出席者によると、十数人が出席し、小松貫主に辞任を求める文書の提出も検討したが、「総代はあくまで貫主を支える立場で、強く要請できない」との意見でまとまったという。

 小松貫主の代理人弁護士は「住職は辞めさせられないとの判決が出たので、住職として最も重要な宗教行事である『昇堂』を、一山には禁止させる権限はないと考える」としている。


============================


◆『善光寺貫主に25寺院、本堂立ち入り禁止を通告』
 (読売新聞 2011年2月9日 )

 長野市の善光寺住職で、天台宗一山の25寺院を統括する大勧進住職の小松玄澄貫主(77)が辞任を求められた訴訟で、辞任の請求そのものは棄却したものの、辞任の和解契約の成立は認めた4日の長野地裁判決を受け、25寺院は9日、小松貫主に、善光寺本堂への立ち入り禁止を通告した。

 通告は、判決を踏まえ、貫主の資質がないとして退任を要求し、10日から本堂への立ち入りを禁止する内容。
一山代表の小林玄海・長養院住職(62)ら十数人が大勧進を訪れ、不在の貫主に代わって応対した執事に通告書を手渡した。

 本堂で行う天台宗の勤行や法要は一山代表が取り仕切るのが慣習。
小林住職は「残念だが、一日も早い解決には本堂への立ち入り禁止が必要と判断した」と話す。

貫主の代理人弁護士は「一山には貫主の立ち入りを禁止する権限など一切ない。一山の主張は判決を曲解したものだ」としている。

 訴訟は、貫主に対する月刊誌の批判記事を発端に、一山の前代表が2009年、貫主を相手に辞任と慰謝料を求めたもので、長野地裁判決は辞任請求は棄却したが、慰謝料300万円の支払いを命じた。

貫主側は「辞任を約束した事実はない」と控訴している。


============================

◆『善光寺訴訟、一山側も控訴』
 (読売新聞 2011年2月19日)

 貫主辞任請求棄却を不服

 長野市の善光寺住職で、天台宗一山の25寺院を統括する大勧進住職の小松玄澄貫主(77)に対し、一山代表だった柳沢貫一・尊勝院前住職(72)が辞任を求めた訴訟で、柳沢前住職は18日、辞任を約束した和解契約の履行義務を認めながら、辞任請求を棄却した長野地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。

 一山寺院が同日朝、控訴について無記名投票を行った結果、「控訴する」が13票、「控訴しない」が10票、白票2票で、控訴を決めた。
柳沢前住職は「紛争が長引くことは残念だが、紛争の原因は貫主が和解契約を履行しないことにある」とのコメントを出した。
 貫主側は「裁判で住職の地位を揺るがすことができないとの判断は当然だが、辞任を約束した事実はなく、判決は承服できない」として、判決が出た今月4日に即日控訴している。

 小松玄澄貫主は18日朝、善光寺本堂への立ち入りを禁じた一山側の通告に従わず、本堂内で法要を行った。
貫主が本堂に入るのは地裁判決後初めて。

一山代表の小林玄海・長養院住職(62)は「通告の趣旨をご理解頂けなくて残念だ」と話し、

貫主の代理人弁護士は「本堂立ち入り禁止の申し入れは何ら根拠がない」とのコメントを出した。


================================


■ 高裁判決


善光寺貫主の賠償金増額 東京高裁
2011/9/28 19:40

 長野市の善光寺を運営する「善光寺大勧進」住職の小松玄澄貫主が退任の約束を守らず精神的苦痛を受けたとして、末寺の住職代表だった柳沢貫一元住職が損害賠償と貫主辞任を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(鈴木健太裁判長)は28日、一審判決を変更して認容額を30万円増額し、330万円とした。
辞任請求は一審に続き退けた。

 判決によると、小松貫主は2004年、女性問題などが月刊誌に取り上げられて、天台宗25院住職の合議「一山会議」から退任を求められ、翌年「07年8月に退任する」との内容で代表だった柳沢元住職と和解したが、貫主にとどまり続けた。

 鈴木裁判長は一審に続いて和解の存在を認定し、「小松貫主が退任意思をいったん表明したことを否定し『和解書は白紙だった』と公言したのは、和解交渉をした柳沢元住職の名誉感情を害し、不法行為に当たる」と判断。
提訴を余儀なくされたとして、弁護士費用30万円を追加した。

 辞任請求については、地位の特殊性などを挙げ「退任表明が法的拘束力を持つ合意とまでは認められない」とした。

 善光寺は天台宗の「善光寺大勧進」と浄土宗の「善光寺大本願」の2寺院で運営、それぞれのトップが住職を務める。〔共同〕


==========================


貫主、慰謝料支払い 善光寺大勧進訴訟で高裁判決確定 

 善光寺(長野市)住職の小松玄澄(げんちょう)・大勧進貫主(かんす)の辞任をめぐる訴訟の東京高裁判決確定を受けて、被告の小松貫主は31日、代理人の橋口玲弁護士(大阪市)を通じ、判決で支払いを命じられた慰謝料など368万円余を原告側代理人の中山修弁護士(長野市)に支払った。
 
368万円余の内訳は、判決で支払いを命じられた慰謝料300万円と弁護士費用計330万円と、この額の遅延損害金38万円余。
橋口弁護士は取材に、慰謝料などを支払った理由を「判決が確定し、それに従った」とした。
ただ、貫主の辞任…


==========================


慰謝料支払いも辞任は「ない」 善光寺訴訟判決確定で貫主

 善光寺(長野市)住職の小松玄澄(げんちょう)・大勧進貫主(かんす)の辞任をめぐる訴訟の東京高裁判決確定を受けて、被告の小松貫主は31日、代理人の橋口玲弁護士(大阪市)を通じ、判決で支払いを命じられた慰謝料など368万円余を原告側代理人の中山修弁護士(長野市)に支払った。

 368万円余の内訳は、判決で支払いを命じられた慰謝料300万円と弁護士費用計330万円と、この額の遅延損害金38万円余。橋… [記事全文]

====================


善光寺大勧進貫主訴訟 控訴審 0
2011/10/7(金) 午前 8:26時事宗教

 天台宗善光寺大勧進の一山住職側が小松玄澄貫主を相手に、原告側との当初の約束通り辞任することと、ニ千万円の慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(鈴木健太裁判長)は28日、一審と同じく原被告間で辞任の約束があったと認めたものの、法的拘束力がある合意が成立したとまで認めることはできないと判示し辞任請求は棄却したが、慰謝料については、小松貫主に一審認容額に弁護士費用分を加え増額、計330万円の支払いを命令した。


=======================

■ 月刊現代 2004.12月号

スクープ! 小松玄澄・大勧進貫主のあきれた行状
善光寺トップ71歳の「女とカネ」大醜聞--
地元放送局美人キャスターはじめ流れる「艶聞」。
自筆「書」の販売代金の非常識な行方……


スクープ! 
善光寺トップ71歳の「女とカネ」大醜聞
地元放送局美人キャスターをはじめ、流れる「艶聞」。
自筆「書」の販売代金の非常識な行方……。
善光寺のトップ・大勧進貫首のあきれた行状のすべて

==================

あきれた糞坊主!善光寺大勧進貫主「小松玄澄」

1 :( ゚д゚)ポカーン:04/12/01 11:39:37 ID:roI1Vz/i

今回の」「スクープ」の主人公は善光寺大勧進貫主「小松玄澄」71歳。
善光寺信徒会の連中から「生き仏」と崇め奉られているのだが常に複数の女とのスキャンダルがあとを絶たないという。
見るに見かねた善光寺関係者が再三注意しても「馬の耳に念仏」。 (※ ← なるほど!天台宗だけに、浄土宗の念仏は効かないか〜(-"-))

そもそも今回の醜態発覚の発端は小松が松代市のレストランで地元放送局の美人アナウンサーと食事をしているところを目撃され、
現場写真を撮った信者が密告したもの。

この小松というクソ坊主「女」ばかりではなく「車」にかんしてもかなりド派手で世界限定55台というメルセデスベンツを乗り回し「女漁り」を繰り返しているとゆう。

醜態はこれだけでは無い。

このクソ坊主「書」なるものを販売している。

「名僧の高潔な人徳が滲み出る風格と気品に満ちた墨跡。
眺める程に心が安らぎ生気が満ちてくる、一般では極めて入手が困難な希少価値の高い逸品です。」

というセールストークをうちだし「南無阿弥陀仏」「日々是好日」の二種類を「特別限定20幅」と銘打ち25万〜30万円で販売しているのである。
この「特別限定20幅」というのは真っ赤なウソ
「20幅限定販売」としながら何度も何度も広告をだしているのである。
カネは善光寺には一銭もいれずセッセと京都にある自分の寺に流し込んでいるのである。

「書」にしても墨を摺るのではなく大きなボウルのようなものに墨汁を流し込んでかいているのである。

このスクープを載せた月刊現代12月号は今現在、長野では入手不可能。
どうやら事態収拾に向けて善光寺事務局が当雑誌を慌てて買い漁った模様。

======================

善光寺は無宗派でありやす。
その善光寺の周りには宿坊と呼ばれる独立した寺が40件ほどあり、
天台宗と浄土宗の2派に分かれてます。
今回槍玉に槍玉にあがった小松玄澄は、メルセデスベンツCL55AMG・F1リミテッドを乗り回してますが、
その宿坊の中の隋行坊とゆう寺の糞坊主はベンツ+フェラーリーを乗り回してます。w

======================

ついでに言うと、スキー学校の校長をしている坊さんや大学の講師をしている坊さん
やらいろいろいらっしゃる
ようです。

とにかく善光寺をお参りしたら近くの宿坊のガレージを覗いて見てください。
高級外車やスポーツカーが見つかるはず
です。
坊主まるもうけですね。

=======================

創価学会員曰く、中越地震が起こったのは、全て善光寺で御開帳を開いたのが原因らしい。w

==========================


確かに、善光寺の境内入口右側の○沢生花店の対面、常円坊と随行坊の間にあるガレージにはフェラーリとベンツが置いてあったな。
でも、最近は周囲の目を気にしてか、ガレージが閉めっぱなしになっている。

=========================

俺善光寺てお守り売りのバイトしたことあるけど、あそこの坊さんは本当ひどいよ。
金ぴかの時計とか悪趣味なアクセサリーたくさんつけてお経読んでるの見て笑いそうになった。
雪かきとかも全部女の従業員にやらせて、自分は暖かいところにいるし

=======================

あ、それから善光寺の本尊って本当は無いんだよ。
よく本物の本尊は地下の戒壇巡りのカギのある扉の中にあるって言われてるけど、戦後にアメリカ軍が[武器を隠している]と
疑って中を開けさせたら何も無かったらしいよ。

10回以上全焼してるから燃えて無いんだけど、百済から渡ってきた日本最古の仏像と言い張る為
無いけど有るように騙してるんだよね。

でもね、善光寺さん、日本最古の仏像は阿弥陀如来じゃありませんから!!
日本書記等には釈迦の仏像って書いてありますからぁ!!残念!!!歴史誤魔化してまで金稼ぎたい斬り!!!!!

========================

善光寺にご利益があるんなら、長野は不景気にならねーって。
参道たる中央通りが死んでるじゃねーか。


八十二銀行に1兆円も預けてあるくせに三門の修理費まで募金すんじゃねー。
八十二銀行が地方銀行の くせにつぶれない理由はここにあるんだよ。
八二も喜んじゃって賽銭箱寄付しちゃってまぁ。

葬式も100万つつまなきゃ出動しないんだから、ここの坊主は金しか頭にない。
駐車場は一時間500円 だし、
寺から半径1キロはジュースが130円だし、
「僕達仏よりお金が好きです」って宣伝しろよ!


======================

105は大間違いね。
本尊は地下の戒壇巡りのカギのある扉の中にはありません。
戒壇めぐりの部屋は、本尊の真下にあるただの部屋です。
本尊はその上、本堂の瑠璃檀の下にあるようです。
なにやら重いものが入っているのは確かなようですが(ここまでは確認されている)
秘仏であるため包んである布を取って確認した人はいないようです。

(※↑ 生身の仏 ならば、それを布でグルグル巻きにしていいでしょうか?(・_・;)「生きた釈尊」なんですから、息ができなくなっちゃうし、そもそも失礼でしょう!(-_-;))
石が入っているという噂はわりと古くからありますが、秘仏であり当然確認した人はいないようです。

研究者から言わせてもらえば、アメリカ軍の話はただの間違った噂です。

それから最古の仏像という説も、
微妙ではありますが一概に否定はできないようです。(詳しくはこんなとこには書きませんがw)
善光寺はあれだけ有力な寺院でありながら、天皇系の公文書(記紀)にはあまり記述がありません。
意図的に無視をされている感じがあり、天皇家とは別の勢力のもとに伝わった仏であると推測することができます。
縁起の中で、善行寺仏は難波の堀に捨てられていた事になっていますが、
仏教伝来直後の神道系勢力との確執が堀に捨てられていたことと関係している可能性が考えられます。
捨てたのは物部氏ということになっています。
最初期に伝わった仏像であることは確かだと私は考えています。
もちろん縁起が正しければの話ですけどね。

(※↑無理な説 縁起では明確に「欽明13年(552)百済の聖明王から献上された仏」と記しているのであるから、それはまさに 「金銅の釈尊一体の仏像」 である。)


=======================

善光寺って信仰してもご利益がないと思います。

友達が新車のエスティマを買い、善光寺で交通安全祈願を してもらって2日後に丹波島橋の中央分離帯につっこんで死んでしまいました。
5千円もしたお守りが虚しく 廃車と化した車の窓にぶらさがっていましたが、なんで?と、思いましたが冷静に考えれば善光寺にご利益が 無いのだと思いました。


善光寺地震でも誰も助からなかったと聞きますから、おそらくご利益どころか、不幸に する宗教なのでしょうね。
坊主がこれですからなっとくしました。
極楽なんて行けないんでしょうね。


=======================

善光寺の本尊は現在一光三尊像を安置しているが、初期の像とは異なる。
初期の像とは阿弥陀像ではなく、釈迦像である。
鎌倉前期に現れた 法然の間違った「末法思想」から、正法たる法華経を捨ててしまい念仏こそが成仏の法と勘違いした教義が世に流行し、善光寺もその風潮に のまれたのである。
同寺縁起にいう弥陀像は、もと本田善光所持の難波の堀江の釈迦像であり、中古の時代に釈迦像の手の指を切って印を変え 弥陀像に改めてしまったものである。
同寺と聖徳太子の因縁話しや、本尊を美化したこじつけ話しは後世の作り話しであり、信憑性は0である。
縁起に関してもほぼ間違った見解であり、人々を惑わす魔の所業としかいいようがない。

(※↑ 少々おもしろい説だが、証拠はない)

=====================

それ、信大の教授あたりの唯の仮説じゃないの?
それこそ全く信憑性無いけど。
証拠でもありますか?

それから、正法たる法華経を捨てるとかいってるけど、
善光寺は天台宗(法華経)が入ってくるよりずっと成立が古いのですが。
善光寺に関しては、時宗の後に天台宗の勢力が入ってきて今に至るので捨てるも何もないのではと思いますよ。
時宗の前は、おそらくは奈良仏教系の僧侶がいたのではと思います。
善光寺は天台宗より成立が古かったために、平安仏教以降の勢力が善光寺に影響を与えるのは 結構時代が下ってからなんですよね。


それから正法たる法華経というくだりが、何かを連想させるのですが...。
気のせいだとは思いますけども。

(※↑ この見解は正論ですね)
=======================

本当の御利益のある信心とは? 

TOP / 教義的資料目次 / 善光寺は危険な寺