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本当の御利益のある信心とは? 

2004 12月号 月刊現代 @ A B C D E


スクープ! 

小松玄澄 大勧進貫主のあきれた行状

善光寺トップ  71歳の「女とカネ」大醜聞



地元放送局美人キャスターはじめ流れる「艶聞」。

自筆「書」の販売代金の非常識な行方…


(ジャーナリスト)亀井洋志



  晩秋の早朝、参道の石畳は冷たい。
いや、兩の日だろうと雪の日だろうと、参詣する人や信徒たちはためらうことなく跪(ひざまず)く。
こうべを垂れて合掌し、参道に列をなす。
朱傘を従えた善光寺の住職はお朝事(あさじ)の行き帰り、数珠の房で参詣人たちの頭を撫でていく。
数珠をいただくことによって、善光寺如来の恩恵に与り、功徳を授かるといわれている。早朝の善光寺では、馴染みの光景となった。
″お数珠頂戴″である。
 しかし、その善光寺住職が煩悩のかたまりのような人物だったとしたらどうだろうか−。

 長野市の信濃善光寺といえば、「遠くとも一度は参れ善光寺」とのうたい文句があるように、全国から大勢の参拝客が訪れる日本でも随一の名刹である。
撞木(しゅもく)造りの本堂は、国宝に指定されている。

善光寺は無宗派の寺で、現在は天台宗と浄土宗が共同管理している。
天台宗の一山(いつさん)寺院は25院あり、25院を束ねる本坊は大勧進。「大勧進」がそのまま寺の名である。
一方、浄土宗の一山寺院は14坊で、本坊は大本願。大勧進のトップは貫主で、大本願のトップが尼公(にこう)上人(代弋尼僧が就く)である。
それぞれ、「善光寺住職」を兼ねている。
大勧進貫主と大本願上人は″雲上人″あるいは″生き仏″と形容されることが多い。
両トップの善光寺における地位は、東西の横綱と考えればわかりやすいだろう。

 ところが最近、この信仰のふるさとにおよそ相応しくない不穏なムードが漂っているのだ。
今年8月末、大勧進につながる25院すべてに匿名の投書が郵送されたのである。

 〈私は長野に住む者です。両親は善光寺信徒会に入っており、私も子供のころから今でも何かあるとお参りをしています。
私は善光寺の信徒だと自覚しておりますが、あまりにもくやしくて情けなく腹が立ってしかたがないので、あえて投書します〉

 書き出しにはこうある。そして投書はこう続く。

 〈それは六月二十四日午後八時過ぎ、松代ロイヤルホテル(編集部注・長野市松代町)のレストランへ主人と食事に行きましたら、そこにあの小松貫主様が若い女性と二人きりで食事をしているではありませんか。それも親しげに……〉、

〈その若い女性というのが、何と、地元放送局の女子アナのA子さん(注・手紙では実名)ではないですか〉




■ 女性関係の話が続々と

 ここで投書の主は、驚くべき行動をとる。何と持っていたビデオで、食事中の2人を撮影したというのである。
投書には、ご丁寧にもビデオの画面からプリントアウトした写真が同封されていた。
白いポロシャツを着た貫主と向かい合って座る女性の後ろ姿が、アップで写っている。
その後、2人は女性の運転する車で帰っていったとも書かれている。

そして、こう締めくくる。

 〈何であんなハレンチな人が善光寺の住職なんですか。
私は長野市民として信徒として貫主様に住職を辞めてもらいたいと思い、ここに投書しました〉

 文面からは怒りが滲んではいるが、思わせぶりな表現も見受けられる。
都合よくビデオを持ち合わせていたことも、どこか胡散臭い。
だが、背後に何か政治的な思惑がないかということも踏まえながら慎重に取材をすすめてみると、現在の大勧進貫主は非常に毀誉褒貶が多い人物であることが判明した。
しかも後で詳しく記すように、当の善光寺内部から、大勧進貫主の品格に疑問を呈する声が続々と上がってきたのである。


 善光寺大勧進は天台宗の別格大寺であり、現在(※2004時点)の貫主は小松玄澄・大僧正(71歳)が務めている。
小松貫主は1933(昭和8)年、京都府宇治市で生まれた。
10歳で得度受戒。
56(昭和31)年、龍谷大学哲学科を卒業。
天台宗の総本山・比叡山延暦寺で、100日の苦行も達成したという。
その後、天台宗務庁総務課長、京都仏教会事務局長など要職を経て、91年に善光寺大勧進副住職、02年4月に大勧進貫主に就任した。
現在、全日本仏教会副会長、長野県仏教会会長も兼任する。


 一方、小松貫主と「デートしていた」とされる、地元テレビ局のA子さんは30代、夕方放送のニュース番組を担当するなど、このテレビ局の看板キャスターを務めている。
 投書の内容が事実ならば、きわめて異色のカップルと言える。

 「貫主はこのテレビ局の番組に出演することがありますから、それでお知り合いになったのだと思います。
2人のおつき合いがどこまでかはわかりませんが、2人きりでたびたび食事をしているようですし、ゴルフに出かけることもあります。
貫主にはほかにも女性との噂がありますが、頻繁に会っているのは滋賀県在住のB子さん(61歳)という女性で、A子さんと食事をした翌日から、B子さんと佐久や軽井沢に行っているのを見たという人がいます」(大勧進職員)


 別の大勧進職員も打ち明ける。

 「キャスターのA子さんとのことは、貫主のほうが大変ご熱心だと聞いています。
一方、B子さんは実際の年齢よりもずっと若く見える女性で、小松貫主に会うために長野にもたびたび来ています」

 小松貫主は京都の自坊(出身の寺)に妻子がいる。
仮に”不倫”関係にあったとしても、それは本人同士の問題なのだから、本来、他人が関知することではない。
しかし、小松貫主には女性関係の話がやたらと多いのである。

 かつて、善光寺の訴訟問題に関わったことのある法曹関係者が憤る。

 「小松さんがお土産物屋の娘と交際していたとか、ある医院の嫁がお相手として上がったなんて話は長野市では有名な話。
そういうスキャンダラスな話はもうゴメンだ。
善光寺の大勧進はとくに腐っているんだ!」


■ 前代未聞の’一筆’

 取材の過程でこんな手紙も見つかった。
小松貫主がまだ副住職だったころのものだ。
善光寺の関係者に送られた相談の手紙で、差出人は、ある女性信徒である。
手紙には、

 〈一昨年秋、私は娘C子と小松僧正との不節操な噂を世間様や身内から聞きびっくり致しました〉

 とあり、一山のある有力者にこのことを相談した旨、記されている。

「一山」とは前述した一山寺院25院の一つ、F院のМ住職が語る。(※本文では本名 以下同様)

「女性の噂があまりにも絶えないことから、信徒の人たちも困り果てていました。
信徒総代には長野財界などの有力者が名を連ねているのですが、総代会で、一山の住職たちから小松貫主に注意してほしい、ということになったんです。
私は注意することで『一人の友人を失うことになるかもしれない』と思ったが、放っておくわけにもいかない。
そういうこともあって、当時、一掾iいちろう)職だった I 院さんが小松さんから一筆取られたのです」

 一攝Eとは、一山寺院の代表者のことを指し、三攝Eまである。
98年、当時の小松副住職が書いた”誓約書”ともいえる「心得」にはこうある。


 〈台家一攝E I 院 G 殿

    心得

 一 善光寺及び大勧進の代表としての立場における品格を保ち総ての人より尊敬される人格を身につける

 一 外出の場合は必ずお供を随え寺務及びその他の用件にて外出の場合は執事の同行又は連絡をとる

 一 外部よりの中傷・批判・不評を受ける行動を極力無きよう充分自重留意する
  平成十年十一月十日

 以上の点重々心得として留意する
     大勧進副住職 小松玄澄〉


 当然のことながら、大勧進の副住職は将来貫主になる人であり、一山寺院から”一筆”取られること自体が、前代未聞のことである。
F院のМ住職が続ける。

 「大勧進は貫主の下に副住職が2人の体制なのです。
前の貫主が副住職から昇任したときに、小松さんを京都から善光寺に副住職として連れてきたのが、実は私なんです。
京都でも小松さんの評判は芳しくなかったが、場所が変われば本人の考えも変わるだろうと、延暦寺の高僧と相談して、小松さんに善光寺へ来てもらうことにしたのです。
 それだけに、小松さんを招いた私としては慙愧に堪えない。
貫主の評判が悪いと、善光寺全体の評価に影響してきます。
大本願(浄土宗)のお上人さんにも、申し訳ないという気持ちでいっぱいなのです」

”一筆”を取った経緯を確認するため、I 院のG氏を訪ねた。
G氏は現在は住職を退いており、今年8月の投書の件に関しても「まだこんなことをやっているのか!」と激怒したと聞いていた。
ところがG氏は、

 「一山がちょっと揉めたので、書いてもらっただけです。いまは大勧進貫主になられて、小松さんは一生懸命おやりになっています」
 
 と、多くを語ろうとしなかった。


■ 俗人か呆れる”生き仏”様


 だが、その後も小松貫主の素行は改まらなかったようである。

 住職というからには、基本的に寺に住んでいるはずだ。
もちろん、所用で出掛けなければならないこともあるだろうが、その場合、副住職が日常の業務を代行する。
ところが、小松貫主は月に10日程度しか大勧進に在院していないというのだ。
大勧進では事務などの仕事をする職員が30人ほどいるが、元職員が困惑しながら語る。

 「以前、副住職だった小松さんと当時の貫主とで『寺にいてもそんなに用がない。
正副住職3人(貫主と副住職2人)で、月にそれぞれ10日ずつの在院で十分』ということになってしまったんです。
一方、職員は厳格な就業規則が当てはめられるわけですから、職員の間で大きな不満となっていました。
何より、全国の信徒との間で重要な日程の約束が決めにくく、信徒離れという現象も起きてしまいました。
小松さんの女性に関する話も相変わらずで、ほとほと困り果ててしまいました」

 これでは”住”職どころか、”非常勤”職ではないか。

冒頭で紹介したお数珠頂戴は本来、大勧進貫主、大本願上人が毎朝おこなうものだが、これも大勧進は3人が交替でこなしている。

「あれでは信徒が貫主の顔も覚えられない」

という嘆きも聞かれた。


 こうした声は当然、天台宗総本山にも届く。
小松貫主の先輩にあたる延暦寺の高僧、E大僧正が語る。

「小松の悪評があまりにも耳に入ってくるものだから、京都のレストランに呼びました。
先輩として諫めなければならないと思ったからです。
2度も呼んで注意したんや。
こちらは小松の自尊心を傷つけてはいけないと思ったから、2人だけで会ったんです。
それなのに、小松は私の話にまったく耳を傾けようとしない。
『何が悪いんや』と居直る始末でした」


 小松貫主はド派手な車を乗り回してもいる。
メルセデスペソッの「CL55AMG・FIリミテッドエディション」という車種で、世界限定55台という超レア物だ。
京都に帰省するときは、よくこの車をブッ飛ばすという。

 大勧進の職員が心配そうに言う。

 「貫主はスピード狂と言えるくらい、飛ばすこともあります。
また、雪が積もる長野の冬でも、平気でノーマルタイヤで走るから、危なっかしくてしょうがない。
スタッドレスタイヤぐらい買えばいいのにって、みんなで言い合っているんですが……」


 こんな目撃談も聞いた。

 「まだ暑かったころの、午後3時ごろでした。
大勧進の駐車場から、貫主様がバックしながら車を出そうとしていました。
小僧さんが誘導していましたが、前輪の後ろが縁石に引っかかってしまって、うまく車が出せない。
思い余ってエンジンを吹かしたのでしょう。
あっと思う間もなく、車体の後部が近くに駐車していた青いスターレットに勢いよくぶっかってしまったのです。
ところが、貫主様は車から降りずに、そのまま走り去ってしまったのです。
当然、一人残された小僧さんは慌てふためいていました。
あとでスターレットに近づいてみると、20m大の白い傷がついていました」 (信徒の一人)

 この話が本当なら、当て逃げは、れっきとした道路交通法違反である。
周囲の困惑や心配などどこ吹く風。
ことほどさように、小松貫主はとかく行儀の悪い”生き仏”様なのである。


 小松貫主は大勧進の102世貫主に就任した02年、10月3日付の信濃毎日新聞の「ひと」欄に紹介され、こう語っている。

 〈善光寺の貫主といえば今まで雲の上の人。近づけない、話せない……。
中には毅然としていればいい、という住職もいますが、私はそうは思わない。
苦しみを分かち合うというか、話を聴いて、人々の苦痛を取り除いていきたい〉

 ”雲上人″や”生き仏”のように扱われることへの明確な拒絶である。
小松貫主のそうした持論自体は理解できる。
たしかに、「今度の貫主様はずいぶんと気さくな人だなーと言う人が少なくありません」という声も聞いた。
 しかし、われわれ俗人が呆れたり、びっくりしたりするような境地にまで至ってしまっては、いかがなものか。


■ 就任の際もゴタゴタが


 長野市内で乗り合わせたタクシーの運転手に、善光寺の印象を聞いた。

 「夜になると、善光寺のお坊さんたちが歓楽街である『権堂』に下りてきます。
長野五輪以降、ピンクサロンなどの風俗が開店するようになりましたが、長野県は教育県ですから、ソープランドは営業してはならないんです。
しかし、闇でやっている売春で遊んでいるお坊さんもいるといいます」

 こうした善光寺の嘆かわしい状況を憂える住職もいる。
一山寺院であるG院のF住職はこう話す。

「私はもともと大学で工学を教えていたのですが、90年代初めに家業の住職を継いだのです。
寺に戻ってきて、本当にショックを受けました。
市民から
『権堂は善光寺でもつ』 とか
『善光寺の坊さんは外車を乗り回している』 などと言われました。
善光寺が長野市民からまったく信用されていなかったのです。
私は善光寺縁起や歴史について学ぶ『フォーフムーイン善光寺』という市民サービスを主宰していますが、少しでも市民の信頼を取り戻したい一心なのです」

 F住職は天秤になぞらえ、大きく傾いていきそうになるのを少しでも阻止するため、「私は反対側で、必死になって引っかかっていなければならない」とも語った。


 02年に小松貫主が大勧進の貫主に就任するときにも騒動があったという。
日ごろの行状を案じて、一山のなかに強硬に反対した住職たちがいたからだ。

 「通常はすんなり決まるはずなんですが、反対する人たちが何人もいて、就任まで1ヵ月近くもかかったのです」(大勧進職員)

 小松貫主とは旧知の間柄で、京都市にある天台宗の寺の住職もこう話す。

 「小松さんが大勧進貫主になられた経緯は、とかく言われています。
貫主は選挙によって選ばれるのですが、小松さんは票のとりまとめをするために、いろいろと奔走されたそうです。
京都にいらしたときも、ちょっと問題を起こして、(当時の役職を)辞められたということがありました」



■ 1幅30万円の大広告

 以上が主に女性にまつわる問題である。
ところが、さらに現在、一山ではもうひとつ頭の痛い問題を抱えているという。
カネについてである。



 小松貫主は貫主に就任した02年ごろから、商社を通じて、″書″を販売しているのだ。
しかも、朝日・毎日・日本経済新聞などの全国紙や中日新聞に、全面広告あるいは3分の1広告を掲載している。
広告をいくつか入手したところ、真筆は「南無阿弥陀仏」と「日々是好日」の2種類あり、表装を施した掛け軸になっている。
「特別限定20幅」で価格はI幅が25万〜30万円。
そして、広告には
「善光寺住職大勧進貫主 小松玄澄大僧正揮毫」とデカデカとある。
小松貫主の写真と経歴も掲載されている。

 さらに、

〈名僧の高潔な人徳が滲み出る風格と気品に満ちた墨蹟。
眺めるほどに心が安らぎ、生気が満ちてくる、一般では極めて入手困難な希少価値の高い逸品です〉

というセールストークも書かれている。

また、特定非営利活動法人(NPO)の活動に協賛していることを強調しており、

〈売上金の一部を、NPO「Hネット」の活動に寄付いたします〉

とも記されている。

広告主は、美術工芸品の販売に実績を持つT(本社・東京都足立区)である。

 では、なぜ”書”を売ることが問題なのか。前出・F院のM住職が言う。

 「信徒の人たちに”書″を書いて差し上げて、お気持ちとしてお布施などをいただくことはあります。
それが5万円のときもあれば5000円のときもあるでしょう。
あるいは、お寺の修復の際などに、寄付を募る意味で″書”をお書きすることもあります。
しかし、これまで定価をつけて真筆を売った貫主など、長い善光寺の歴史のなかで一人もおりません」

 一山25院の住職が集う会議でも、たびたび議題に取り上げられたという。
そのたびに侃々諤々(かんかんがくがく)のやりとりがあったようだ。

●「20幅限定」としながら、何度も広告を出していること。

●Tのホームページの商品紹介では「限定」の文字がないこと

などが取り上げられ、「問題があるのではないか」という指摘も飛んだという。

 前出・G院のF住職が、当時の経緯を説明する。

 「結局、一山の総意として一揩ゥら三攝Eまでの搗mさんに、小松貫主に『書を売るのをやめてほしい』と伝えてもらうことになりました。
ところが、諌めに行ったはずの搗mのうちの一人が突然、小松貫主を擁護し始めて、物別れに終わったと聞きました」

 その後も、小松貫主の真筆の新聞広告はつづき、確認できた一番新しいものは、今年9月12日付である。

 無論、一山には小松貫主擁護派の住職もいる。
T院のK住職はこう言って、小松貫主を庇う。

 「貫主は字のお上手な方ですから、信徒の人ばかりでなく、全国に真筆をほしいと思う人がたくさんいらっしゃると思いますよ。
(定価をつけて売ることについて)特に違和感はありません」

 かたや、大本願の鷹司誓玉上人も達筆だが、同様に書を販売することはあるのだろうか。
大本願執事が言う。

 「私どものお上は書を売っていませんし、信徒さんが欲しがってもなかなか書こうとしません。
自分では『ひと様にお渡しできるような書ではない』と言っています。
お上は、尼さんとしては日本で一番地位が高く、書を欲しがる人は多いのですが……。
ただ、県庁主催の歳末助け合いなどのチャリティーには、色紙を出しています。
その売り上げが全額、寄付になるわけです」


■ カネは善光寺には入らない

 小松貫主の真筆の新聞広告には、企画意図として3パターンがある。

02年の広告は、

▼「善光寺住職第百二世大勧進貫主就任記念特別企画」。

また昨年4月から5月にかけて、善光寺では7年に1度の御開帳が行われたが、そのときは

▼「善光寺御開帳記念特別企画」。

最近では
▼「NPO法人『Hネット』協賛企画」に落ち着いている。

 疑問なのは、小松貫主は真筆で得た収入をどこに入れているのか、ということである。

 善光寺には「財布」が3つある。
大勧進と大本願、そして善光寺事務局である。
貫主は基本的には本坊の大勧進から給与や賞与が支給される。
これとは別に、善光寺の本堂で勤行をした分は出来高に近い形で、善光寺事務局を通して給与と賞与を受け取るという。

 新聞広告には、善光寺や大勧進の名前を使っているのだから、真筆で得た収入は、本来ならいずれかに入るべきカネと言えるのではなかろうか。

 だが、大勧進に確認すると、

 「あの広告は、大勧進では本当に関知していないんですよ」(執事)

 また、善光寺事務局も取材に困惑したようだった。

 「広告の件は、事務局ではまったくノータッチです」(庶務課長)

 不可解である。
いかに大勧進の貫主が別格とはいえ、天台宗と浄土宗が共同で執行役員を出している善光寺事務局が放置しているというのも、おかしな話ではないか。

 こんな話もある。一山のある住職がこう打ち明ける。

 「小松貫主の書はお土産店でも売られていますが、あるお店の主人は『貫主様に、書を2万円で売って1万円をバックしてくれと言われた』と言っていました」

 また、別の住職はこんなエピソードを披瀝する。

 「貫主様に書をいただいてくれないかと、信徒さんに頼まれたときのことです。
『お礼はいくらお渡しすればいいか』と聞かれたので、あれだけのお立場の方ですから、私は『5万円ぐらいご用意されたほうがいいのでは』と答えたんです。
小松貫主に5万円お渡しすると、ニカッと笑って『もう一枚持っていくか』と言って、余分にくださったんです。
あとで聞けば、他の一山の住職たちは貫主にだいたい2万円でお願いしていたということでした」

 どうも自分の書を商売にしているとしか思えないような話が続々と出てくる。
カネの流れを確認するため、新聞広告にあったNPO法人を訪ねた。


■ 「普通はお寺におカネを入れる」

 Hネットの事務局は、京都・祇園のマッサージ店「H堂」にあった。
鍼灸や指圧、整体も施す有名店で、俳優の伊吹吾郎や女優の岩下志麻も訪れる。
なんと小松貫主もこの店の″お客さん″で、H堂のホームページにも〈私の癒しのオアシスー〉との言葉を寄せている。

 NPO法人の主な活動は、老人ホームや病院を慰問し、病気のお年寄りにマッサージ師を派遣して、無料で施術すること。
また、老人ホームで過ごす老婦人に誕生日のプレゼントとしてヘアメイクを施すなどのボランティア活動をおこなっている。

 代表者であるYさんは、小松貫主の真筆の件を、こう話す。

 「小松さんとは古くからの友人で、私たちの活動に賛同してくださり、ご協力をいただいております。
小松さんの書が1幅売れると、そのなかから1万円をご寄付いただいています」

 
 一方、天台宗務庁にも見解を求めた。

 「問題視されているといわれても、私どもの正規なルートで上がってきた話ではありません。
事実関係を把握しておらず、コメントのしようがありません」

 と、総務課長のF氏は言いつつも、次のようにも述べた。

 「(寺の名前を使っているのなら)普通の住職さんは、そのお寺におカネを入れるでしょう」


 小松貫主はわれわれの取材期間中は善光寺大勧進を留守にしていることがわかった。
自坊である京都府宇治市の宝寿寺に小松貫主を訪ね、これまでの数々の疑問を質すことにした。
小松貫主はラフな白い着物姿で対応した。


−― 地元放送局のA子さんと食事をしていたところを撮影され8月に一山、寺院に投書がありましたが。

 「私らはその放送局の特番の打ち合わせをしておったんです。
私らのほかに1組のカップルがいたことは気づいていました。
ほかに客はおらんかったんや。
それに私らは2人きりではなく、もう1人プロデューサーがおったんです。
写真には写ってなかったが、隣にプロデューサーがおった。
名前は何と言ったかな……」


■ 顔色が変わった


 結局、名前は出てこなかった。
小松貫主に対して、忌憚なく質問をぶっけていると、われわれの傍らに座っていた夫人が怒りを露にした。

 「あなたたちはなんでそんな税務署みたいに聞くんですか!」

 しかし、これまでの取材の経緯を伝えると、夫人は、

「えっ、そんなことを言っている人たちがいるんですか?
だったら、貫主さんにあなたたちが聞きたくなるのもわかるわ。
私も聞きだいわ」

と言って、居住まいを正した。 
 

ー− A子さんと食事された翌日の6月25日から、B子さんという女性と佐久や軽井沢に行かれませんでしたか?   

 「佐久へは佐久仏教会の招きで、講演に行ったんです。
ホテルも佐久仏教会が用意してくれたのです。
翌日は長野に帰りました」  
           
ーー 軽井沢には行かれなかった?    

 「行ってない」             

 B子さんの名前を出したとき、小松貫主の顔色が確かに変わった。     
 後日、佐久仏教会に確認してみた。  

「その日、講演会はしていません。
小松貫主に講演していただいたのは、昨年11月4日で『人生の苦楽』をテーマにした仏教的なお話でした」(佐久仏教会事務局・J寺住職)
         
ー− B子さんとは、どんなおっき合いをされているのか?          
 
「彼女は比叡山坂本にある律院の信者さんで、E会という住職たちがやっているゴルフの会があるんです。
そこでゴルフをやったことはある。
2人きりでやったことなんかない。
みんなと一緒で、18人ぐらいおりましたで。
彼女はノイローゼ気味で、病身でね、健康のためにゴルフでもやったらどうかと、私が勧めたんです」

B子さんとの関係をしつこく聞き出そうとすると、小松貫主は、

「オバちゃんも60歳超えてはるのにね。
そんな60になる女性との関係はどうか言われてもなあ」

顔を紅潮させ、カラカラと笑うのだった。

(※この小松氏の証言については、後に週刊新潮の生々しい記事によって、大変疑わしいと思わざるをえない。

参照 新潮記事 @ A B  )

ー− T(※前出の広告を出している会社)のご真筆が1幅売れたら、NPO法人には1万円を寄付されていると聞きましたが、住職はいくら貰うのか?

「2万円です。
(書くときに)腰に負担がかかって痛いし、1日1枚書くのがやっとです。
そのぐらいは貰わんと。
墨代や紙代もかかるし、まあ、実費分を貰っているわけです」

ー− おカネはどこに入れているのか?

 「ここの宗教法人(宝寿寺)に入れています。だから、お寺のことにしか使えない。
私的なことにはいっさい使わない」


■ 「御開帳記念」はやり過ぎ


−― ご真筆に定価をつけて売られることに違和感はありませんか?

 「ない。
善光寺の名前が広告に出たことで、御開帳には歴史上初めての600万人という参拝者が訪れた。
しかし、『御開帳記念特別企画』(と広告に打ったの)はちょっとやり過ぎやろと思って、Tの担当者に怒鳴ったんです。
事前に広告の原稿を見せてもらったこともない」

―− 一山の搗mさんに一筆書かされたことがありましたが。

 「当時、二揩していた寺があって、仮にXとしておこうか。
彼は私が京都から着任するとき、『サラブレッドが来よるぞ』と一山に触れ回っていたんです。
そのXが私をいつも独占しているものだから、ほかの住職たちとのつき合いが不公平なような形になってしまった。
それでほかの住職がいろいろ言ってくるからと、一揩ウんから『悪いけど一筆書いてくれんか』と頼まれた。
私はそれぐらい構わんよと言って、書いたんです。
その後、逆にXがワシを誹謗中傷したという一件があって、一山みんなの前で一筆取られ、判を押したんやで」


ーー 新聞広告を見て、善光寺の住職が金儲けをしていると思う人もいるのではないか。
しかも、すごい車に乗っています。

 「もともと、(一山の)Y院の住職が買いおった車で、たった2年で売ってしまうという。
私は『もったいない。車にも魂あるで』と言って、買ってやることにした。
並行輸入でディーラーを通さずに入ってきたから、もともとは2000万円弱ぐらいだが、私は700万円で買った。
それまで10年間乗っていた車(ホンダのNSX、当時の価格は約700万円)を400万円で下取りに出し、差額の300万円は月賦にしたんです。
私は車好きなんや。
それだけは周りも、しょうがないとあきらめてくれとるんです(笑)」

−― 給料はいくら貰っているのか?

 「教えたげまひょか。
大勧進から30万円、善光寺からは20万円ぐらい。
合わせても月に50万円ぐらいにしかなりません。
ボーナスは2ヵ月あるわな」

 また、Tの担当役員にも話を聞いた。

 「小松さんの書は、福祉協賛が目的です。
小松さんとは直接やり取りせず、H堂さんを通じて広告の原稿は見せています。
怒鳴られたというのは、私は聞いていません。
もしかしたら、現場の部下に対してそういうことがあったかもしれませんが、わかりません。
(広告の文言を)削除してほしいという話はH堂さんからありました。
しかし、クレームは聞いていません」

 いずれにせよ、「善光寺」と銘打って売られている書の売り上げが、一幅2万円とはいえ、善光寺側には一銭も入らず京都の自身の寺に流れているということを知れば、購入者は裏切られた気持ちになるのではないか。

しかも、書について、

「墨を磨(す)るのでなく、大きな白いボウルのような入れ物に、墨汁を入れて書いている」(前出・大勧進職員)

という証言もある。

 また、給与についても小松貫主の話を一山のある住職はこう否定した。

 「われわれでも夏冬あわせて、賞与と灯明料だけで500万円くらい貰っています。
貫主の給与や賞与がわれわれより安いということはあり得ません。
お布施も貫主は倍額なのですから」


■ もう一枚の写真


 さらにこんな発見もあった。
一山25院に投げ込まれた小松貫主とA子さんの写真は、すべて同じものだと思っていた。
しかしもう一枚、別の写真があったのである。
引いたカットで、2人が座った席の周囲も写っている。
そこには小松貫主とA子さんの2人がいるだけだった(38ページ、一番上の写真)。



 実は、投書が一山寺院に郵送された直後、このテレビ局の幹部がA子さんを呼んで事情を聞いている。
このテレビ局の関係者によれば、A子さんは小松貫主と2人だけで会食したことを認めたうえで、「取材の打ち合わせだった」と釈明した。
しかし、どんな仕事の打ち合わせだったかについては、頑なに口を閉ざしたという。
 この「2人だけの食事」は個人的なつき合いなのか、仕事の打ち合わせなのか。
また、2人はどのような交際をしているのかを、このテレビ局に聞くと、総務担当部署から文書で次のような回答があった。
 
「(A子は)報道制作局員として、さまざまな取材活動をしております。
その内容について、お話することはできません。
また、匿名の投書をもとにした推測での問い合わせにお答えすることはできません」

 小松貫主の置かれた立場、また自身がかつて書いた”誓約書”を考え合わせれば、女性キャスターと2人きりで食事するという行動は軽率の誹りを免れないだろうが、それに巻き込まれた形のA子さんにとっては、とんだとばっちりだったのかもしれない。


 後日、取材対象者の一人から

「小松さんに女性関係のことでいろいろ聞いたでしょ。奥さん、ショックを受けていましたよ」

と言われた。

 夫人の心中は察しなければならないだろう。
いま思えば、夫人はインタビューに答える小松貫主の話を一生懸命フォローしようとしていた。
小松貫主はそんな夫人を悲しませるようなことをしてはならないのではないか。

 そしてなにより、信心篤い人々は小松貫主の数珠を真摯に有り難く、神妙な気持ちで頂戴しているのである。
宗教者として、日本を代表する巨刹のトップとして、それに相応しい節度ある行動をとったほうがよろしいのではないか。
そう感じているのは、身内の恥をあえて哂す証言をしてくれた善光寺の僧侶や関係者たちだけではけっしてないはずだ。



かめい・ひろし 1967年愛知県生まれ。「FRIDAY」「週刊文春」記者などを経てフリーに。政治、社会問題などを幅広く取材している。



本当の御利益のある信心とは? 

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