●禅寺問題

大聖人が道善房回向に御弟子を遣わした
真言宗寺院管理の墓地に五十二世日霑上人、五十九世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立
大石寺内の阿倍家の墓
池田家の墓は真言宗寺院に
日顕上人 墓についての御指南
裏からコソコソ?
想定問答


【化儀抄】(要集七三)

縦ひ禅念仏の寺道場の内なりとも法華宗の檀那施主等の之レ有らば仏事を受くべきなり云々。

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『日達上人全集』

■「本宗の信徒が他宗の寺を借りて、葬儀、法要を行なうことがあれば、行って葬儀や法要を執行すべきであります。
ただしその場合は本宗の本尊を掛けて行なうのであります」(一―四―五六五n)

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【創価学会に対する破折】

他宗寺院墓地での墓石建立は謗法にあらず

 学会は、日顕上人が平成元年に福島市にある阿部本家の墓石建立にかかわる法要に赴かれたことをあげて、「謗法」だといっている。
何が謗法なのか?

1、 禅寺の墓地に先祖の墓石を建てたからなのか、

2、 そこで読経・唱題したからなのか?

 日顕上人は、『化儀抄』にしたがって墓石の開眼供養をおこなわれたのであり、まったく謗法にはあたらない。

しかも、福島市の墓地の所有者は阿部本家の当主であって、日顕上人ではない。
日顕上人が所有する阿部家の墓地は以前から大石寺墓地にある。
 日蓮正宗の信仰者が、他宗の寺院墓地に墓石を建立しても、またそこで法要をおこなったとしても、本宗の正しい化儀にのっとったものであれば、なにも謗法ではない。

「裏口から出入り」した、などということもない。

●福島・阿部本家の墓地に対する誹謗を破す(時局協議会文書作成班有志)

●「お詫びとお誓い」阿部本家当主、阿部賢蔵氏、及び親族一同名

 謹啓
  御法主日顕上人猊下におかれましては、益々御健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
  この度の創価学会機関紙、聖教新聞等において、平成元年七月十七日の阿部家の法要、並びに墓碑の開眼供養について、猊下様への理不尽な誹謗、中傷記事が掲載されていることにつきまして、強い憤りを覚えるものであります。
と共に私どもの墓地改修に関しまして、猊下様へ大変な御迷惑が御尊体にまで及びましたこと、誠に申し訳ございません。
深くお詫び申し上げる次第でございます。

  もともと墓石建立の経緯は、阿部家先祖代々の墓は当家近辺の墓地にございましたが、明治初年に村の共同墓地を造ります時に、移転したものでございます。
そして、この共同墓地が狭くなりましたため、昭和二十四年に拡張された墓地へ更に墓を建立していたのでありますが、この墓がやはり土葬で雑然としておりましたので、私が父を始めとする先祖代々の諸精霊追善供養証大菩提の為に、この墓を改修したいと念願したのが始まりであり、この私の希望を親族一同も賛成してくれたのでございます。
  その際、私の願いが猊下様のお耳に届き、日開上人様の生家の墓地という因縁から、深甚の御慈悲を賜り、御題目を御書写たまわるのみか、我が家にて御法要までおつとめたまわり、その上墓地にまでお出まし頂きまして、当家親族一同、猊下様の有り難き御意に対し奉り、深く感謝申し上げた次第でございました。

  私ども一族は猊下様への御報恩のためにも、この地の方々を一人でも多く、日蓮大聖人の仏法に縁されるよう、折伏を実践し、正法流布への前進を誓いあってまいったところでございました。

  ところが今回の聖教新聞の記事は、私ども阿部家一同の、先祖代々への追善供養の心と、猊下様の御慈悲を踏みにじる内容で、深い悲しみに震えておるところでございます。

  そもそも、今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。
 それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。

  私どもの墓は、寺の隣にある墓地と申しましても、古くからの共同墓地であり、また昭和二十四年に新しく建てた墓の場所は、共同墓地が狭くなったので、拡張した墓地であると父祖より聞き及んでおりましたから、その造成の際に私の祖父が共同墓地として買い求めたものと思って今日に至ったところでございます。

  従いまして、今回の平成元年の墓地改修に当たりましても、同様の認識でおりましたのでそのまま建立した次第でございます。

  しかるに今回創価学会からの誹謗記事には、当該墓地は白山寺の所有であり、所謂「禅寺の墓地」であるとの指摘があり、私どもの古来からの認識と食い違うため、当方においても私の父は逝去しておりますので、村の古老に聞きましたところ、やはりあれは共同墓地だという意見でございました。

  そればかりでなく、昭和二十四年に拡張した墓地も、父が購入したものではありませず、明治以来の共同墓地を持っている者全員に無償にて提供されたものであったことも分かりました。

  それがどういう理由により、現在白山寺の所有となったのかは分かりませんが、父祖以来、共同墓地として参ったものを、今更そうでないと言われるのは納得いきません。

  とはいえ、私どもが土地登記上のことがわかりませずに、不用意に猊下様をお招きしてしまい、日蓮大聖人よりの血脈法水を継承されます猊下様に対し奉り、甚大なる謂われなき誹謗と中傷をなさしめる隙を作る結果となりましたこと、日蓮正宗の信徒として申し訳なく、衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。

  私共は、猊下様の深き御慈悲を思うと、居ても立ってもおられない心境でございます。
重ねて深くお詫び申し上げます。

  しかし、明治以来の旧共同墓地にあります阿部家代々の旧墓碑にも「妙法」とお彫りしてございますように、当家には先祖代々正宗信徒としての節を通して参った誇りがございます。

  今回の学会の謂われなき猊下様への誹謗は、誠に申し訳なく勿体ない限りでございますが、私ども阿部家にとりましても信仰の誇りを傷つけられたものであり、心からの怒りを覚える次第でございます。

  この上は、私どもは、昭和六十年に猊下様が御指南されておりますところの、

■「正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行に怠けるならば、またそこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は、墓にあるのではなく、自分自身の信心に一切の幸せも、先祖追善の意義も存するということを忘れずに、励んでいくことが大切とおもうのでございます」

 との御言葉を拝し、阿部家、及び親族一同正法を固く護持し、福島、なかんずく日開上人御生誕の地、荒井にあって、我が身の罪障消滅と、令法久住の精神を忘れずに、孫子末代まで信心修行に励み、更には地域の方々の中に在りながら、誠心誠意、正義を主張してまいることをお誓い申し上げる次第でございます。

  以上、誠に粗辞ではございますが、当主及び親族と致しまして、この度、御迷惑をおかけいたしましたことを衷心よりお詫び申し上げますと共に、心からのお誓いの言葉とさせて頂きます。            敬 白

 十月十三日
              阿部賢蔵
         親族代表 渡辺信一
              親族一同
 御法主日顕上人猊下
          御座下


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 時局協議会文書作成班有志調査報告

 学会・地涌等では、福島の阿部本家の墓が古来から白山寺にあったような記述をしているが、調査の結果、明治以前、江戸期の阿部家の墓は白山寺の檀家専用墓地などにはないことが判明しました。

 福島市荒井字八幡上
        一地番・壱九
        二地目・墳墓地
 所有権者氏名 阿部由右ヱ門
        阿部庄右ヱ門
        (日開上人の実父)
        阿部政治
        阿部祐三

 これは当時の阿部一族の墳墓地の登記簿謄本ですが、この場所は、阿部家の集落からさほど遠くない畑の中であり、この墓が阿部本家先祖代々の墓所なのであります。

 ところが、明治十七年、『太政官布達』第二十五號により、墓地に関して次のような規則が制定されたました。

 第二十五號  十月四日(内務卿連署)

 墓地及埋葬取締規則左ノ通リ相定ム

 墓地及埋葬取締規則

 第一條 墓地及火葬場ハ管轄廳ヨリ許可シタル區域ニ限ルモノトス

 第二條 墓地及火葬場ハ總テ所轄警察署ノ取締ヲ受クベキモノトス

 第三條〜第八條省略

 この通達により、従来は村の個々の集落に存在していた個人の墳墓への埋葬が禁止され、地域毎に一カ所に纏めた官許の墓地のみに埋葬するようにとの規制が明治政府により施行されたのであります。

 阿部家の墓地もこの時に他の村人と共に、共同墓地に移ったものであることが、様々な事情から断定出来ます。
即ち、江戸時代まで荒井村では、上記の阿部家の墓所同様、村の集落毎に墳墓が存したのですが、この明治十七年の布達以降、村の北部は台原の共同墓地、南部はこの白山寺脇の墓地を始めとして、数カ所の官許の墓地に纏められたのであります。

 白山寺脇の明治期に造成された部分の墓地が、この時に造成されたことは、そこにある墓石の殆どが明治時代以降のものであることからも証明されます。
それ以前の村人の墓地は阿部家の墓地同様、それぞれの集落に存したからです。
白山寺が建立されたのは江戸中期の寛永年間ですが、村人の墓地がその遙か以前から諸処に存したことは当然であります。

 学会、地涌では、

▼「この白山寺脇の明治期造成の墓地から1K程離れたところに本当の共同墓地がある」

などと言っていますが、距離的にこれに該当する墓地は荒井では「叺内墓地」であるが、同墓地の標記は「共同墓地」などではなく、埋葬許可を受けた集落の専用墓地であり、その墓地管理者はやはり白山寺住職なのであります。

 また学会では、県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等の記載記事を持ち出して、

▼「当該の墓は全て白山寺の墓地である」

と強弁しています。

保健衛生課の台帳はたしかに管理経営責任者として同寺の名を記していますが、それは単に管理経営者として記載されているに過ぎないのであります。

 さらに学会は登記上、白山寺に隣接する三区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしていますが、この明治期に開かれた共同墓地は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていません。
明治期の土地台帳の所有者の項にある「一村持」の記述によっても、明らかに共同墓地であったことが立証されます。

 たしかに他の二区画の墓地(学会では▼「白山寺の墓地に区画などない」と言っているが、その成立、性格等において厳然と区別が存するのである)については、昭和二十四年に拡張された分と、昭和四十年代以降に同寺が分譲を開始した分とは、帳簿上、現在白山寺の所有・管理となっています。

 しかし、村の古老の証言によれば、
「昭和二十四年に行われた墓地の拡張については、戦後暫くの間、同地方は土葬の習慣が残っており、明治期に造成された共同墓地が、掘り返し、掘り返しで、自他の墓の区別がつかない程一杯になったので、この共同墓地を持っている人全員に対し、無償で提供されたのが当時の事情」
ということであります。

 また、その墓地拡張部分の近辺は、古来白山寺の名受け持添地であったことから、昭和二十四年前後の頃、農地開放が行われておりますが、当該拡張墓地も当時のかかる状況のもとに、無償にて村人に提供されたものと推定されます。

昭和三十五年の国勢調査の前後まで、当該墓地の土地に白山寺の登記がついていないのは、この辺の事情を物語るものであろうと思われます。

 その墓地拡張部分の土地が、昭和三十五年に白山寺に保存登記がついたことは確かに事実であります。
(写真 矢印が阿部家墓。学会が誹謗して言う「周囲を圧する様な墓碑」ではないことがわかる。)

 しかし、そのような土地の所有権の確定乃至移動があったにせよ、通常、村人と致しましては、墓地の土地に新たに所有者の登記がつきましても、特にそれを調べる筈もなく、

▲「当該墓地は共同墓地の拡張部分」 という意識であったことは、無償供与の状況から、むしろ当然であります。

実際その古老も、また今回学会から法華講へ移籍した阿部朝男氏も、「同墓地が共同墓地の拡張部分である」と認識していますし、更には、同白山寺の夫人ですら中外日報の記者に対し、「あそこは共同墓地だと聞いている」 と話したとのことであります。

 要するに、昭和二十四年に拡張した墓地は、墓地の性格としては、太政官布達に基づく官の指令による明治以来の公共墓地の拡張であるが、土地の所有と、墓地の管理は現在白山寺が行っているということであります。

そもそも、このように、明治以来の複雑な墓地造成の状況が存する場合において、何よりも大切なことは、墓の土地の所有者、乃至は経営管理者が誰であるかということよりも、当の墓地を使用する当事者の慣習ということが最大に尊重されなければならないことは当然であります。

 言葉を替えれば、単に墓地の表記が共同墓地であるかないか、或は寺院の所有であるかないかということよりも、実際の墓地の性格が寺院墓地なのか、共同墓地なのか、ということが大切な判断の基準でなければなりません。

 学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法十三条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのであります。

県保健所・衛生課、及び市役所・保健衛生課の墓地台帳等に、白山寺に隣接する墓地を白山寺墓地と表記してあっても、それは前述の如く、墓地の管理寺院である意味なのであり、当該墓地については、明治期以来の共同墓地としての慣習が、厳然と生きていると言わねばなりません。

 故に今回の阿部本家の墓碑開眼に際しても、同家として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。

 また更に今回の調査で判明したことは、福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには五十二世日霑上人、五十九世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。

 このように、例え他宗の管理乃至所有する墓地であっても、信仰上、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行し得る状況があるならば、これを建立すること自体は、本宗の信仰上、何の問題もないのであります。

 大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべきであり、要は一切の事柄において、信心を根本として、折伏精神に立つとともに、慈悲をもって対処していくべきなのであります。

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【参照】

報恩抄送文 建治二年七月二六日  五五歳 1038 浄顕房 義浄房

 道善御房の御死去の由、去ぬる月粗(ほぼ)承り候。自身早々と参上し、此の御房(※日向)をもやがてつか(遣)はすべきにて候ひしが、自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世(とんせい)のやうに見えて候へば、なにとなく此の山を出でず候。
(中略)
御まへ(前)と義城房と二人、此の御房をよみて(読手)として、嵩(かさ)がもり(森)の頂にて二・三遍、又故(こ)道善御房の御はか(墓)にて一遍よませさせ給ひては、此の御房にあづけさせ給ひてつねに御聴聞候へ。

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禅寺墓地問題

「禅寺墓地問題」破折

>宗教専門紙『中外日報』(平成3年9月27日付)は、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」と題する記事を1面全部を割いて大々的に掲載している。
報じられている記事の要旨は次のようなものであった。

 平成元年7月17日、日顕上人は福島市内にある曹洞宗の白山寺を訪れた。
目的は阿部家先祖代々の墓へ参るためであった。
 日顕上人は、この墓参に先立ち費用550万円の一切を負担し、新しい墓石をもって墓を新調した。
新しい墓は、墓石の中央に「南無妙法蓮華経」と日顕上人の自筆が刻み込まれている。
墓の裏側には「平成元年七月十七日 為先祖代々 菩提 建立之 日顯 花押」と刻まれている。

 この墓参にお供をし、墓前で一緒に読経唱題した日蓮正宗僧侶は、「日顕法主の長男・信彰、娘婿の早瀬義純、大村寿顕教学部長、石井信量大石寺理事、広布寺前住職の石井栄純など」であった。

 『中外日報』紙は、日顕上人が曹洞宗寺院内にある先祖の墓を、どうしてまた墓石だけで550万円もの費用を使って、新しく建て直したかについて、「阿部家の当主である賢蔵氏の母・キンさん」の次のような言葉を紹介している。

 「日顕法主がうちの息子(賢蔵氏)に、墓を新しくしたいからやらせてくれと言ってやったことだ。前の墓は骨入れ(納骨室)もなかったから、骨入れのあるものになった。
うちでは費用を一切出していない。父親の日開上人ができなかった供養をしたいという気持だろう。白山寺へはうちから酒2升届けただけだ」

(『地涌』第272号)

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 日顕上人猊下の御実家である阿部家の墓は、まぎれもなく総本山大石寺にある。
一方、学会のいう福島県の阿部家は、日顕上人の御父上、第60世日開上人のお出になった家であり、現在の当主は阿部賢蔵氏(法華講員)である。
要するに、日顕上人から見れば、この阿部家は御親戚ということになるのである。

 学会は、その福島・阿部家の墓が、登記上、白山寺が所有する墓地の中に建っていること。
さらに、墓を建立する費用を日顕上人が出されたこと。
そこに日顕上人がお出ましになって、墓石の開眼法要を執(と)り行なったことが謗法だ、などというのだが、これは謗法でもなんでもない。

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【事実上、共同墓地である】

 福島・阿部家の墓は、もともとは純粋な共同墓地にあった(明治時代)。
しかし、昔は土葬であったため、次第に手狭となり、墓地が拡張されることになった。
その際、阿部家の墓は、拡張された現在地に無償で移転したものである(昭和24年)。

 昭和35年に行政処理の都合上から、白山寺に保存登記がついたが、村人はあくまでも古来からの共同墓地という認識で、ここを使用していた。
 管理者である白山寺としても墓石や塔婆供養等、宗派を問わず自由にしてもらっているのであり、事実上、共同墓地と何ら変わりはないのである。

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【墓地改修は親族の意向】

―日顕上人は費用を出されただけ、墓地自体は昔から同じ場所に―

●今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。
それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。
(福島阿部家から日顕上人への書状『大白法』H3.11.1/<妙音>WS)

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【邪宗の墓地であっても謗法ではない】

1●(日蓮正宗の信徒が、邪宗の管理する墓地に墓を持つことについて)これは謗法にならないと思うんですが、そのひとつは邪宗の寺に、墓をもっているでしょう。
そうすると邪宗の坊主のところに金を持っていってはいけないように思っているでしょう。
あれは、やっていいと思う。(中略)
私は、瑞正寺という寺から土地を借りているのです。
そして地代を払っているのです。
そうすると借りている墓の地代を払ったっていいではないか。 
正宗の信者が(邪宗の寺に)墓をたくさん持てば、邪宗の寺に金が入る。
そして正宗(の墓)が増えれば増えるほど、寺が(信心を)じゃましないのです。 
これを摂受(しょうじゅ)という。
そして、墓をきれいに掃除に行って、それでお寺へお金を入れるのです。
それは謗法にならないと思う。(『戸田城聖全集』第2巻)


2●縦(たと)い禅、念仏の寺、道場の内なりとも法華宗の檀那(だんな)施主(せしゅ)等が之有らば仏事を受くべきなり云々。(第9世日有上人『化儀抄』)


3●本宗の信徒が他宗の寺を借りて、葬儀、法要を行なうことがあれば、行って葬儀や法要を執行すべきであります。ただし、その場合は本宗の本尊を掛けて行なうのであります(『日達上人全集』第1篇第4巻)
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日顕上人は、歴とした法華講員である阿部賢蔵氏の願い出により、日蓮正宗の化儀に則(のっと)って墓石の開眼供養を執り行なわれたわけだから、それが邪宗の寺で管理する墓地内であろうと、何ら問題がないことは明白である。


★学会員諸君、これでもまだ、難癖を付けようというならば、まず、諸君が師匠と仰ぐ池田センセーの実家の墓の在処(ありか)をこそ、徹底的に問題にするべきである。
東京都・大田区に、真言宗・八幡山密厳院という寺があるが、なんと、池田センセーの実家の墓は、この密厳院の墓地にあるのだ!!
もちろん、これは正真正銘、池田センセーの実家の墓だから、この墓には池田の父・子之吉氏も眠っているはず。
学会では、これは何の問題でもないけれども、福島・阿部家の墓は大謗法、というのであろうか。
だとすれば、学会の異常ぶりも極まった、というべきで、まさに、馬鹿は死ななければ直らない、という他はない。

画像]:池田大作の実家の墓=真言宗・八幡山密厳院/東京都・大田区(『慧妙』H25.12.16)


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【『中外日報』は学会の御用新聞だった!】

 『中外日報』は一時期、学会の資金が流入するとともに、学会が同新聞を大量に買い付けていたという事実が、宗門側の新聞によって暴露されたことがあります。
このような背景事情があって『中外日報』は、「学会の御用新聞」のごとき報道を繰り返し行ったのです。
 つまり、学会の御用新聞が、学会に加担した報道を流していただけのことであり、何の信憑性もないことは明らかです。
 そして内外から、その偏った報道姿勢に非難を浴びました。
そのため同新聞は、平成10年に、第1面全体を割いて、それまでの学会偏向の報道姿勢を反省し、改める旨を表明しています。↓

画像]:偏向報道を謝罪する『中外日報』

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<一般紙も「金のために身を売った」と批判>

●『中外日報』という仏教業界紙がある。
明治に始まり、近く創刊百年を迎えようという、由緒のある隔日刊紙である。 
ところがこの新聞、2、3年前からおかしくなっている。
創価学会の提灯持ち記事がやたらと多くなったのだ。 
おかしくなったのは、創価学会が日蓮正宗と対立してからである。
正宗の僧侶を悪し様にこきおろす記事が目立つようになった。
親しい記者に尋ねると、実は社長が、資金難を逃れるために学会の金に取り込まれてしまったのだという。 
記者の中にも、こんなことではいかんと考えている者もいないわけではないが、社長は聞く耳を持たないのだという。(中略) 

最近は『聖教新聞』の転載がよく出るが、8月22日には、『週刊新潮』の批判本を出した著者にインタビューした大きな記事が出ている。 
なぜ『週刊新潮』の内幕を問題にするのかと言えば、創価学会批判の記事をよく載せるからである。 
この批判者(※批判本の著者)によればバックナンバーをすべて取り寄せて「目次を研究」した。
その結果、「最初は格調が高かったのですが、だんだん、どうも下半身の問題であるとか、創価学会、あるいは共産党とかいったものを叩くことを方針としているような感じ」が出て来たという。
ここで「下半身の問題」を言うのは、近く裁判の始まる、池田大作のレイプ事件を念頭に置いている。 
しかし、これは語るに落ちた話で、『中外日報』の記事がおかしいと私が気づいた最初は、連日、正宗僧侶や夫人の「下半身記事」を、これでもかこれでもかと掲載し続けたからである。 
マスコミをスーパーとすれば、このような新聞は専門店。
個性的で気骨のある専門店メディアの健闘を心から期待する者の1人として、金のために良心を売った「宗教」新聞の存在は、まことにうら寂しい事件ではある。
(平成8年9月1日付『産経新聞』コラム・斜断機)

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【共同墓地ではない?】
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▼ 禅寺墓の存在が明るみになったのは、平成3年9月のことだった。
『中外日報』でスクープされ宗内は騒然となった。
日顕は文書班に命じて、先祖の墓は「共同墓地」に建てられたもので決して禅寺の白山寺の境内地には建てられていないと、言い逃れをはかった。
「墓石を建立した墓地は村の共同墓地」「この墓地は3つに区分けされているのである。第1区画は明治時代からの(中略)禅寺と阿部家の墓がある土地とは堀で仕切られ、阿部家の墓は「共同墓地」にあるというのである。
しかしこれは宗内を欺く大嘘だった。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』192頁〜)
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●(『大白法』H3.10.16第350号抜粋)

・この墓地は村の共同墓地的な性格のもので、昔は土葬の墓地であった。
現在は白山寺とい禅宗の寺院が管理に当たっているが、厳密には3つに区分けされている。
第1区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第2区画はそれが後に拡張されたところである
(※阿部氏の母のキンさんや、同所に墓地を持つ方の話を聞くと、この墓地は第1区画の共同墓地が狭くなったために昭和24年に拡張造成されたもので、その折、阿部家もここに墓地を購入したとのことである)。
現在は、白山寺は第3区画の檀家専用の墓地については檀家にならなければ分譲しないが、第1・第2区画の墓地は墓石や塔婆供養等、宗派を問わず自由にしてもらっているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張したというのが村の人達の認識である。

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第1報である第350号では、当事者である阿部氏や村人の証言に基づいて記述。
そのため"白山寺の所有"との記述はないものの、 「共同墓地的な性格」 「共同墓地が狭くなったから拡張したというのが村の人達の認識」 という表現自体には誤りはない。

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●(『大白法』H3.11.1第351号抜粋要旨)

・明治時代に「太政官布達」の発布にともない、他の村人とともに官許の墓地に移動させられた。
そこは曹洞宗白山寺の脇であったが、所有権は同寺にはなく、共同墓地だった。

・昭和24年に行われた墓地の拡張にともない、墓は現在地に移された(第2区画)。
その際、共同墓地に墓を所有していた人全員に、無償で墓が提供された。

・学会は登記上、白山寺に隣接する3区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしているが、この明治期に開かれた共同墓地(第1区画)は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていない。

・昭和24年に拡張された分については、昭和35年に行政処理の都合上から、白山寺に保存登記がついたが、村人はあくまでも古来からの共同墓地という認識で、ここを使用していた。

・学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法13条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのである。
しかし実際は、明治時代は勿論、白山寺に保存登記のついた昭和35年以降も、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行することが出来たのである。

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学会の誹謗を粉砕するために、白山寺に保存登記がついた事実経過を説明。
第2区画に対する白山寺の所有権は、形式的なものであり、歴史的にも実態上、純粋な共同墓地と何ら変わらないということである。


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▼>この禅寺墓地問題で、現場に近い開蓮寺の住職をしていた息子の道粛も、ただちに調査に行かされたそうである。
道粛は、現場を見て、愕然としたという。
「宗務院の文書では、仕切られた共同墓地だとかいてありますが、ひどい作り話でした。
実際はそのような塀は、どこにもなかった。」というのだ。

>「事情を知らない他の布教区からは、 『地元でありながらなぜ反論しないんだ』 『法華講に説明するから写真を送れ』 と言ってきましたが、写真を送ると、その後はプッツリ。
宗内のだれもが、さすがに 『これはまずい』 と思ったようです」と、道粛も言っていた。

(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』193頁〜)
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▲ 学会の走狗(そうく)となりはてた離脱僧の証言など、何の説得力もない。
"百聞は一見にしかず"というがクドクド説明する前に 「写真を送ると、その後はプッツリ」 というほどの効果があるという"写真"を提示すべきではないのか。
それができないこと自体、この証言がウソであることを雄弁に物語っているといえよう。

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▼ 現場を調査した息子の証言で明らかだが、日顕が文書班に書かせた「共同墓地」の話は全くの作り話だった。
 土地の登記簿や旧土地台帳・墓地台帳を詳しく調査してもいずれも日顕建立の墓のある地点は、白山寺所有の墓地内であることは明確で日顕が「共同墓地」とウソをついてごまかそうとしたこと自体禅寺墓の発覚を後ろめたく思っていた証拠だった。

(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』194頁)
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▲ 『日蓮正宗"落日の真因"』の発行は平成12年である。
ところが、前述のごとく既に平成3年の時点で宗門は、所有権が形式上、白山寺にあることを認めているのである。
それから9年近くも経過してこのような誹謗をするとは、呆れてしまう。
機関紙しか読まない学会員が事情を知らないことをいいことに、金になるなら何でも書いて宗門を誹謗しようという薄汚い根性がミエミエである。

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▼また、当の白山寺住職が「ここは『共同墓地』なんかではない」と証言したうえ、平成5年秋には墓地のまわりに白山寺所有であることを示す垣根を新設したのであるとwebの情報にもあります。
ウソなら「訴える」ことも可能です(yh2:16947)
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▲ 当方では「登記上、白山寺の土地」であることを以前から認めているのです。
「共同墓地」という定義自体をめぐって争っても意味がないでしょう。
訴訟好きな学会ではないのです。
それに、共同墓地であろうとなかろうと、法義上、まったく問題がないのです。

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▼ sudatchiさんに教えて頂いた直後は「共同墓地だといっていた」情報も渡辺氏(※日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済)の話と符合するなぁとあらためておどろきました。
たしかに田舎ではお寺が共同墓地の感覚が強いですが たしかに禅寺が管理しているところに「御法主」自らが親戚の墓?を建立しているようです。(yh2:16947)
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▲ たしかに、白山寺の管理する墓地であり、管理費を払っているのかも知れない。
しかし、それを「共同墓地」と呼ぶか否かは見解の相違ではないのか?
私の家の墓も共同墓地だが、ゴミの処分や水道料など、結局は誰かが管理し、その費用を利用者が応分に負担しなければならないのである。
この場合は管理者が、偶々邪宗の寺院であったというに過ぎない。

 本来の意味での寺院墓地であれば、その宗派の化儀を逸脱した墓石は作れないものである。
そのよい例が、学会員が正宗寺院境内地に、化儀に反する墓石を建立しようとして、拒否された事件である。↓

●要旨:いわゆる寺院墓地を経営する寺院が当該寺院の属する宗派を離脱した使用権者に対してその宗派の方式と異なる宗教的方式により墓石を設置することを拒むことができるとされた(「墓石設置妨害排除請求事件」平成14年01月22日、最高裁第3小法廷判決 平成12年(受)第1084号)

当該墓地は、登記上白山寺の敷地内にあっても、墓地の形式や儀式の執行など、一切白山寺からは独立して自由に行えるのであるから、実質的に「共同墓地」と考えて何ら問題はなかろう。

★しかし問題は、共同墓地だから謗法ではないのではなく、禅寺の境内にあろうとなかろうと謗法ではない、ということです。


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【墓は正宗寺院内に建立すべき?】
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▼ 550万円もかけるのであれば、日蓮正宗寺院内に建てればよい。
 現に地元・福島市内にある広布寺には、当時も現在も未使用で使用者募集中の墓地用地がある。
そこに建てればよいのだ。
それが親戚との関係でできぬのであれば、親戚を折伏、あるいは再折伏しなければならない。
(『地涌』第272号)
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▲ 正宗寺院に墓を移さなければ謗法になる、なんていう御文、御書にはない。  
「当時も現在も未使用で使用者募集中の墓地用地がある」とは、俄かには信じがたい。
何故なら、福島・阿部家の墓地が建立されたのは平成元年であり、学会破門前のことである。
そうであれば、広布寺墓地用地は、それよりも以前からあったことになる。
広布寺所属の学会員が何人いるかは知らないが、正宗寺院に墓地を確保したいという要望は多かったはずであり、何年もの間、墓地が塞がらないとは考えにくい。

 いずれにせよ、御自分の所有する墓でない以上、勝手に移動できないことは常識である。
また、墓が正宗寺院内にある方がよいことは、正宗信徒であるならば、容易に分ることである。
しかし、墓が仮に邪宗の所有地にあっても法義上、問題がない上に、当該墓地は、登記上はともかく、実態は共同墓地であり利用者もそのような認識であったのである。

 簡単に「日蓮正宗寺院内に建てればよい」というが、既に所得している用地に墓を建立するのと新たに土地を購入した上に墓を建立するのとでは、まったく費用が違う。
土地の広さや自宅との距離など、いずれにしても所有者本人が決めることであり、法義上問題がないのだから傍からとやかく言われる筋合いはなかろう。

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▼ 実際に、この禅寺墓は日顕のこれまでの説法にも明らかに反するものであった(中略)
また、昭和60年1月29日、神奈川県津久井町の妙苑寺落慶法要では
■「この世の中にはようような悪縁があるためにせっかく正法に入っても、もしその墓地が間違ったところにいつまでもありまするといろいろな悪縁にひかれて、その子供さらに孫というような形の中で、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなこともまま見受けられるところでございます。
要は(中略)正法寺院の墓をとって信仰に励んで行くことが大事でございます」
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』194頁〜)
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▲「まま見受けられる」とは、時々見られるということであって、絶対にこうだ、ということではない。
それに、それは切り文である。
その後には次のように仰せである。↓

4●しかしながら、正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行を怠けるならば、また、そこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心に、一切の幸せも先祖追善の意義も存する、ということを忘れずに励んでいくことが大切と思うのでございます。(第67世日顕上人・昭和60年1月29日・神奈川県津久井町の妙苑寺落慶法要)
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拝読してわかるとおり、「根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心こそ根本だ」ということを御指南せられているのである。

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▼ 自分で"墓と先祖供養の正しいあり方"について説法しておきながら、自ら「違背」する。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』195頁〜)
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▲ 「自ら『違背』」というが、日顕上人の御実家の墓は以前より大石寺内にある。
であれば、日顕上人御自身について、先祖供養のあり方に何の問題もないどころか、むしろ理想的だといえよう。
問題の墓は、御親戚の墓に過ぎないのである。

画像]:大石寺内にある日顕上人の御実家の墓


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【法主の立場】
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▼ 「阿部家の墓」が日顕に関わりがないのであれば、それが禅寺に存在すること自体を謗法とは言っていない。
 宗開両祖の嫡流たる日蓮正宗の法主でありながら、禅寺に先祖代々の墓を建立し、墓前で日開上人の法要をした、日顕の大謗法行為を問題にしているのだ。
(『地涌』第289号1991年10月16日)
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▲ 「法主でありながら、禅寺に先祖代々の墓を建立」→日顕上人の御実家の墓は本山にある。
当該墓石は、御親戚のもので、もともとあった墓地に建てたものである。
猊下が建てたといっても、墓石の費用を出されたまでである。
猊下が費用を出そうが出すまいが、新しい墓は当該墓地に建てられることに決まっていたのである。
当然、墓を何処に建てるかは、所有者本人が決めるべきことである。
"墓の費用を出すぐらいなら、土地の費用も出せ"とでもいうのか?
それなら、費用を出さずに開眼供養にだけ行っておれば問題なかったのか?
謗法でも何でもない些細なことに因縁をつけ、しつこく疑難する体質はストーカー的でさえある。

● 福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには52世日霑上人、59世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1)

● 大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべき(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1)

● 今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。
それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。
(福島阿部家から日顕上人への書状『大白法』H3.11.1/<妙音>WS)


 「(墓が)禅寺に存在すること自体を謗法とは言っていない」のであれば、日顕上人が墓を建立したことも謗法ではないはずである。
謗法の基準が、当事者の立場によって変わるものではあるまい。

 そもそも、学会は"僧俗平等"の立場のはず。
同じ行動について、信者がすれば謗法ではなく、法主がすれば謗法、などというのは自語相違ではないか。
その上、「宗開両祖の嫡流たる日蓮正宗の法主」などと述べているが、日顕上人のみならず数多くの歴代上人について、口汚く罵っているのが今の学会である。
都合のよいときだけ、「宗開両祖の嫡流」などと持ち上げるとは、無節操にも程がある。

 宗門は、僧俗が全て異なるという立場ではない。
信行を増進するためには師弟関係を重んじるべきであるということだ。
とくに唯授一人の血脈相承を根本とする信行の中に信心の血脈も流れるとする。
これは、700年間一貫した教義であり、学会の歴代会長も認めてきたことである。
ただし、師匠も弟子も、同じように勤行し、同じ御書を読む。
謗法の基準も同じであることは、昔から一貫(時機に鑑みて四悉檀を用いることはある)している。

● 貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、その位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか(第9世日有上人『有師化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻61頁)

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僧俗の関係には平等の側面と差別の側面があるのです。
「竹に上下の節の有るがごとく、その位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」とは差別の側面です。

師弟関係についていえば、学会にも上下関係があり、池田を師匠、指導者と仰いでいる。
しかし、謗法の基準は、会長も会員も同じはず。
池田だけは、邪宗の寺に墓を建ててはいけないのか?
もし、そうであったとしても池田の実家の墓は正真正銘、真言宗の寺院墓地内にあるが(笑い)。


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【禅宗寺院を折伏すべき?】
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▼ 墓地の裏側からこそこそ出入りし(『創価新報』)
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▲ 裏からこそこそ。ですか、「物は書きよう」ですね。
まったく『創価新報』のデタラメさには呆れますね。
『創価新報』が載せている法要当日の写真をよくご覧なさい。
雨よけのシートを張ったり、数十人の人間が出入りしているんですから、いやでも人の目にとまりますし、法要だって5分や10分で終わるものでもない。
こそこそ出入りすることが不可能なのは、一目瞭然、誰の目にも明らかですよ。
だいたい、こそこそする必要なんか最初からないから堂々と行なわれた、当たりまえでしよう。(『慧妙』第31号/<妙音>WS)

画像]:福島・阿部家の墓参・法要=『地涌』272号によれば「この墓参にお供をし、墓前で一緒に読経唱題した日蓮正宗僧侶は、
『日顕法主の長男・信彰、娘婿の早瀬義純、大村寿顕教学部長、石井信量大石寺理事、広布寺前住職の石井栄純など』
であった」そうである。
つまり、日顕上人に随行された方だけでも5人以上。
これに当事者である福島・阿部家の親族を加えれば、墓参に参列した人は数十人になろう。

白山寺の境内地域と、第1・第2区画の村民共同墓地との間は塀で仕切られており、第1区画・第2区画の墓地は寺院に関係なく、一般道から自由に出入りができるのである。こうしたところなので、日顕上人猊下は阿部家での法事を済まされた後で墓地に赴かれ、墓石の開眼供養をなされたのである。
(「墓石に対する学会の誹謗を破す」『大白法』H11.10.16)
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「一般道から自由に出入りができる」のであれば、わざわざ「白山寺の境内地域」を通る必要もなかろう。


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▼ だが本来、日顕上人がしなければならないことは、堂々と禅寺の坊主を折伏し改宗させることだ。
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▲ ほう、あなたは、いつ、いかなる時でも、法義論争しなければ「折伏」ではない、と言うんですね?

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▼ 当たり前ですよ。法主という立場なんだから、率先して範を示すべきです。
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▲ では、池田大作さんの場合を考えてみましょうか。
池田大作さんは各国の要人とよく会見しますが、その相手を破折しているんでしょうか。
『聖教新聞』で対談を読むと、そうは思えませんね。

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▼ 言葉に出さなくとも、先生のすばらしい振る舞いを見て、みんな仏法に理解を示すんですよ。それが折伏になってるんだ。
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▲ なるほどね。結局、法義論争だけが折伏ではないというわけですね。
ならば、猊下様が正宗の化儀に則って墓石の開眼供養をしたことも、その振る舞いで正しい仏法の化儀を示されたわけだから、それこそ立派な折伏になる、ということも理解できますね。(『慧妙』第31号/<妙音>WS)


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【「付け届け」】
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▼ 平成元年7月17日の禅寺墓地での法要の折、日顕の親戚は、この曹洞宗白山寺に「酒2本」を届けたことを証言している(『中外日報』平成3年9月27日付)。
創価学会では、邪宗の寺に墓地を有する者に対して、邪宗の寺に「つけ届け」など断じてしないことを指導している。
それにより起こる少々の軋轢は、折伏精神をもって克服している。(『地涌』第289号1991年10月16日)
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▲ ●同家(阿部本家)として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。
(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1/<妙音>WS)


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【日達上人との比較】
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▼ >日顕は、日達上人が細井家の墓を高知の浄信寺の墓苑にうつされたことを自分も出席して、よく知っているのである。
にもかかわらず、自分の説法にも日達上人の教えにも違背し、禅寺に墓を建てるという謗法を犯したのが日顕なのである。
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』195頁)

▼ >自分で”墓と先祖供養の正しいありかた”について説法しておきながら自ら「違背」するそして先代日達上人が身を以て示された教えにも「違背」する。 
御請訓に「謗法と申すは違背の義なり」(唱法華題目抄)とあるが、禅寺問題は教義や先師の教えに違背する日顕のあきれるばかりのいい加減さ、謗法を象徴するものであった。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』196頁)
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▲ 日顕上人(4●)も日達上人(3●)も、「邪宗の墓地に墓を建ててはいけない」などと仰せになってはいない。
戸田会長(1●)も第9世日有上人(2●)もである。

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◆ この高知行きは、日達上人から招待を受けたものだった。
他宗にあった細井家の墓が発見され、正宗寺院の墓苑に移すことになり、その開眼法要を執り行うために、年表委員全員の夫婦、宗務役員の夫婦、それに細井家の人々を呼ばれたのである。
(中略)
実はその4年前の昭和47年3月にも、日達上人は高知に親修されたが、その時はまだ細井家の墓は見つかっていなかった。
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』186頁〜)
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▲ 「他宗にあった細井家の墓が発見」「墓は見つかっていなかった」とあるように、日達上人が「正宗寺院の墓苑に移」された墓は、管理者も所有者もいない一種の無縁墓地状態だったのである。
だから、日達上人が所有者となって先祖供養をされたのである。

 一方、日顕上人の場合は、本家とはいえ御親戚の墓であり、御自身所有の墓ではない。
また、正宗信徒が正宗の化儀に則り御守りしているのである。

 以上のように、日達上人の事例と今回の日顕上人の場合は、全く状況が異なるものであり、単純に比較すべきではない。
尚、日顕上人も御実家の墓は、既に大石寺内に移されいる。

画像]:大石寺内にある日顕上人の御実家の墓


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日顕上人 御指南 昭和60年1月29日、神奈川県津久井町 妙苑寺落慶法要

■「この世の中にはようような悪縁があるためにせっかく正法に入っても、もしその墓地が間違ったところにいつまでもありまするといろいろな悪縁にひかれて、その子供さらに孫というような形の中で、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなこともまま見受けられるところでございます。

要は(中略)正法寺院の墓をとって信仰に励んで行くことが大事でございます。

しかしながら、正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行を怠けるならば、また、そこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心に、一切の幸せも先祖追善の意義も存する、ということを忘れずに励んでいくことが大切と思うのでございます。


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参考問答想定

 法華講 最近の創価新報に、懲(こ)りもせず禅寺云々の記事が載っていますが、あなたもあれを信じているんですか。

 学会員 当たり前ですよ。近くに正宗寺院があるにも拘(かか)わらず、禅寺に自分の家の墓を建てるような謗法法主だから、創価学会を平気で破門にできるんですよ。

 法華講 あなたは基本的なところから間違っています。
       あなたの言う禅寺・・福島の白山寺に墓をもつ「阿部家」とは、猊下様のお父上・日開上人の御生家ですが、日開上人の御兄弟の阿部銀蔵氏が当主となった家、        
       つまり日顕上人猊下様から見れば御親戚の家なんです。
       
        そもそも、猊下様の御実家にあたる阿部家の墓は、ちゃんと日開上人が建立されて、今でも大石寺の墓苑内にありますよ。
       それなのに、白山寺の墓が猊下様の御実家のものであるかのように報道する、すでに、そこから事実を曲げているんですよ。

       その上、猊下様が新たに白山寺に墓を建立したように言っていますが、実際は、福島・阿部家の墓は白山寺裏の墓地に元々あったんですよ。

 学会員 何を言ってるんですか。墓石にはちゃんと「建立之日顕」とありますよ。日顕(上人)が新たに墓を建立したという証拠じゃないですか。

 法華講 それは、元々あった墓の、墓石を新しくすることになった際、猊下様が墓石の費用を提供されたから、墓石に「建立之日顕」と刻まれた。
      それだけのことです。それが何か問題になるんですか?

 学会員 いや、たとえ親戚の墓であろうと、元々あった墓だろうと、法主ともあろう者が、邪宗の墓地へ行って法要をするなんて、許されると思っているんですか、
      大謗法ですよ。

 法華講 日有上人の『化儀抄』をご存知ないんですね。

      その第八十七条に、

 「縦(たと)い禅・念仏の寺・道場なりとも、法華宗の檀那施主等が之れ有らば、仏事を受くべきなり云々」

      とおっしゃっているんです。
     
      猊下様が行なった墓石の開眼法要は、この『化儀抄』の御文のままに実行されたまでのことですよ。
 
 学会員 ……でも、近くに正宗寺院があるんだから、そこに墓を移せばいいでしょう。禅寺にそのまま残しておいたこと自体が謗法ですよ。

 法華講 はて、正宗寺院に墓を移さなければ謗法になる、なんていう御文、御書にはありませんよ。

 学会員 何言ってるんですか、日顕(上人)自身が、昭和六十一年に、

 「もし、その墓地が間違ったところにいつまでもありますると、いろいろな悪縁に引かれて、その子供、さらに孫というような形のなかで、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなことも、まま見受けられるところでございます」

     と言っているでしょう。
     日顕(上人)は自分の言ったことも忘れてしまったんですかね。

 法華講 よくお読みなさい。

     「まま見受けられる」とは、時々見られるということであって、絶対にこうだ、ということではありません。それに、それは切り文ですよ。その後には、
 
「しかしながら、正しいお墓に墓地をとったからといって、安心して、信心修行に怠(なま)けるならば、また、そこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心に、一切の幸せも先祖追善の意義も存する、ということを忘れずに励んでいくことが大切と思うのでございま
す」
      とおっしゃっているんです。

 つまり、墓がどこにある、誰が建てた、ということよりも、大切なのは、その家その人の信心、ということですよ。

    よく考えてご覧なさい、福島の阿部家だって、日開上人が出られたほどの家ですから、当然れっきとした日蓮正宗です。
    きちんと南無妙法蓮華経と刻まれた墓石を建て、猊下様がきちんと大導師をなさって、日蓮正宗の化儀に則った開眼法要がなされている、
    何の問題があるというんですか。

 学会員 ……しかし、この日顕(上人)の言葉からいっても、墓は正宗の墓地に移す方がより理想的であることは間違いない。
    それを親戚にさせないなんて、無慈悲じゃないですか。

 法華講 それなら、これはどうです(と言って、カバンから『慧妙』第十三号をとり出す)。
    これは、東京・大田区の真言宗寺院・密厳院にある、正真正銘、池田大作さんの実家の墓の写真です。

    あなたの説からいけば、創価学会の名誉会長ともあろう者が、実家の墓を真言宗の寺院に残したままにしておくなんて、無慈悲じゃないんですか?
    しかも、この写真で見ると、真新しい真言宗の塔婆まで立っています。つまり、今でも邪宗で供養をしているようですが、いいんですか?
    これぞズバリ、「間違ったところにいつまでも置いたままで、しかも、信心修行を怠けてしまった家の墓」ではありませんか?

 学会員 ……し、しかしね、墓地の裏側からこそこそ出入りし、折伏もしないなんて、大聖人の精神を忘れてるよ。

 法華講 裏からこそこそ≠ナすか、「物は書きよう」ですね。まったく創価新報のデタラメさには呆れますね。

 学会員 デタラメって、何を根拠に言うんです。

 法華講 創価新報が載せている法要当日の写真をよくご覧なさい。
      雨よけのシートを張ったり、数十人の人間が出入りしているんですから、いやでも人の目にとまりますし、法要だって五分や十分で終わるものでもない。
      こそこそ出入りすることが不可能なのは、一目瞭然、誰の目にも明らかですよ。
      だいたい、こそこそする必要なんか最初からないから堂々と行なわれた、当たりまえでしょう(笑い)。

 学会員 ……。

 法華講 そういえば、創価新報が好んで書くような文章の作り方の解説が、『第三文明』平成六年二月号に載っていますよ。

 「週刊誌の作り方」という記事の中に、
 「あらかじめ善悪を決め、タイトルを付け、そのストーリーに則り記事を展開する」
 「事実が大事なのではない。要は今一番注目されている人間を使って、読者の喜びそうな記事をどうつくるかだ」 
 「事実はどうでもいい。要はどう見えるか・・この記事作りのスタンスは、生き続けている」

   禅寺云々の記事など、まるっきりこのとおりの作り方じゃないですか。

 学会員 ……でも、日顕(上人)は白山寺の住職を破折していないでしょう。
      末法は折伏第一、学会では、禅寺に行って折伏しなかったことを問題にしているんですよ。

 法華講 ほう、あなたは、いつ、いかなる時でも、法義論争しなければ「折伏」ではない、と言うんですね。

 学会員 当たり前ですよ。法主という立場なんだから、率先して範を示すべきです。

 法華講 では、池田大作さんの場合を考えてみましょうか。

      池田大作さんは各国の要人とよく会見しますが、その相手を破折しているんでしょうか。聖教新聞で対談を読むと、そうは思えませんね。

 学会員 ……言葉に出さなくとも、先生のすばらしい振る舞いを見て、みんな仏法に理解を示すんですよ。それが折伏になってるんだ。

 法華講 なるほどね、結局、法義論争だけが折伏ではないというわけですね。
     ならば、猊下様が正宗の化儀に則って墓石の開眼供養をしたことも、その振る舞いで正しい仏法の化儀を示されたわけだから、
     それこそ立派な折伏になる、ということも理解できるでしょう。

 学会員 ……。