2、当該文について

この御文をこのように浅薄に稚拙にしか読めない駄犬はまさに人間以下の犬ですな。

 

まず、この駄犬が故意に文意が読めぬが故に、抜いた箇所から引文しましょう。

 

■『日蓮は■1『身に戒行なく』心に三毒を離れざれども、此の御経を若しや我も信を取り、■2『人にも縁を結ばしむるかと思ひて』随分世間の事おだやかならんと思ひき。』(←※以上駄犬が抜いた箇所)■3『世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧』もさてこそ候か。■4『日蓮はさせる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず』、■5『只法華経を弘めんとする失により、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さゞれども悪名一天に弥れり。』

 

ここでの意義は、そもそも小乗戒・大乗戒を喝破され、本門無作の大戒を打ち立てられ、末法無戒を標榜される大聖人はもともと■1『身に戒行なく』あらせられるが、■2『人にも縁を結ばしむるかと思ひて』当時、鎌倉時代に横溢する■3『世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧』という破壊無慙の妖僧等の振る舞いと簡異する為に、仮に■4『日蓮はさせる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず』とのお姿を示し、断肉禁婬の聖僧を標せられたものと拝するのである。

にも拘らず、■5『只法華経を弘めんとする失により、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さゞれども悪名一天に弥れり。』という、根拠の無い悪口雑言を浴びられた。と仰せなのである。

 

この御文のどこにも、大聖人門下の僧侶が妻帯をしてはならない。などという制誡は微塵もない。

 

駄犬のように、全体の文意を読めず、ただ、自分の醜見に当て嵌まりそうな箇所だけを抜き出して、醜怪な邪解をなす引文の仕方を、"切り文"といって低脳かつ卑劣・姑息・陰湿な謗法者がなす常套手段である。