やまいぬ。君の駄問を完摧す。128  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:1218()13167 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

   引用

 

 

 

 

 

 この箇所も実に謗法者特有の”醜悪根性”丸出しで、更には”頭破七分の症例”としても、興味深い。

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> >T今まで狂犬が繰り返し書いてきた、「蓮祖御図顕本尊」の矛盾を突く。

 

> >1、何を以って「蓮祖御図顕本尊」と言うのか?

> 

> >@御歴代上人が「御書写」された御本尊の「字体」は「蓮祖御図顕本尊」と明らかに違う。

 

> その通りだ。「御本尊七箇相承」なるものが後年の偽書であることが解かる。(^o^)

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→ここは駄犬が言う「蓮祖御図顕本尊」との、その定義そのものの曖昧さや矛盾を突いている箇所である。

それに対して駄犬は反論不能であるが故に、↑このように論点を摩り替えて遁走しているのである。

 

@「字体」=一点一画の組み合わせからなる文字の形。定型化された点画の組み合わせ。

であり、当方の破折の主意は、

『大聖人御自筆御本尊の「字体」=文字の形 と御歴代上人が「書写」された御本尊の「字体」=文字の形 は明らかに違うのに、何を以って「蓮祖御図顕本尊」というのか。大きな矛盾ではないか。』

であり、駄犬はそれに「蓮祖・興師の文証を以って」正当に答えられていない。

つまり反論不能である。

駄犬が常に他へ対して強要しているその条件を自らはクリアできていない。

こういう者を頭破七分というのである。まことにニセ本尊の害毒がそのまま生活しているような大馬鹿者の醜態である。

 

そもそも「蓮祖御図顕本尊」とは誰が読んでもそのまま「大聖人が図に顕された本尊」との意である。

駄犬は誰が書いても「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」とあれば全て「蓮祖御図顕本尊」であるとする。

大聖人が書いていないものを「蓮祖御図顕本尊」=「大聖人が図に顕された本尊」と考えること自体、最早大転倒の大馬鹿者の迷乱である。

(「在御判」 と 「花押」 の矛盾については 既に http://toyoda.tv/yamainu2.htm 115段において完摧して、大いに笑い飛ばしてある。)

 

A御本尊七箇相承 について痴難を為す、駄犬の歪曲した根性を呵す。

−1

御本尊七箇相承 には書写された御歴代上人の個々人の「字体」=文字の形 の相違については全く触れられておらない。

 

−2

この段での呵責は”「蓮祖御図顕本尊」とその他の「書写」御本尊とでは、「字体」=文字の形 が違うのであるから、それは「蓮祖御図顕本尊」とは呼べない。呼ぶとするならば「蓮祖御図顕本尊」の定義を「蓮祖・興師の文証」によって明確に提示せよ。それができないのならば駄犬がニセ本尊を拝める根拠として今まで苦しい言い逃れをしてきた前提自体が崩れている。”との意義に則った反証であり、御本尊七箇相承の真偽を問う段ではない。

「御本尊七箇相承の真偽」云々 と 『「蓮祖御図顕本尊」と「書写」本尊の相違点における矛盾』 との論点は全く別物である。

ここに、駄犬のすり替えが露呈している。

まことに根性の腐り果てた醜悪な生き物である。

これも、ニセ本尊の害毒、そのままの生物としてのよき”標本”として、長く世に晒して置くべき所業である。

 

−3

以上の呵責の上で、更に愚犬に詰問する。

1、御本尊七箇相承が偽書である根拠を明証せよ。特に駄犬が常に問う、「蓮祖・興師の文証」のみによって明証してみせよ。呵々大笑。

2、1を立証し得る古文献的証拠を明示せよ。例、何時代の偽作なのか、等。

3、大学匠であられた日亨上人の編纂では、後加であり疑義ある箇所はたった二行であり、他全編に亘って無線=真義 であるが、この研鑽を覆す確たる証拠を提示せよ。もちろん、「蓮祖・興師の文証」のみでである。呵々大笑

 

この件は、愚犬が自分から言い出したことである。証明責任は愚犬にある。

遁走せず、すり替えをせず、正々堂々と自説を証明して見せたまえ。

それが出来なければ、ますます、”ニセ本尊さまの面汚し” となるぞ。呵々大笑