やまいぬ。君の駄問を完摧す。143  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:1221()201148 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

   引用

 

 

 

 

 

 では、↓ここの恥難を叩きますか。

―――――――――――

※1●> >誰が見ても、誰が聞いても、狂犬の言う「人法一箇の当体」が本尊に成り得る訳がない。

 

> 「狂犬の言う」とはテッシュ云々かね? また摩り替えかね、坊や?(^o^)

> こんな狂った妄想を書いたのは坊やだよ。(^o^)

> 

> それとも

※2●> >狂犬の言う「人法一箇の当体」が本尊に成り得る訳がない

> というのは「南無―― 日蓮在御判」の※3「南無――曼荼羅」のことかね?

> もしこれが

> >本尊に成り得る訳がない

> と云いたいのなら、まず蓮祖・興師の文証出してから物を云いなさい、ボクちゃん。(^o^)

―――――――――――

この※1 ※2 とは、

 

駄犬の謬説

 

@ 「本尊」=「根本尊敬」の対象  →誰でも書写して良し。

 

A 「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」と書かれた「本尊」は全て「人法一箇の御当体」(=久遠元初本仏の命)

 

この@とAを総合して「本尊」義を考察すると、

 

B 『誰が書いても良いのだから、小学生でも、パソコンでも、禅宗も坊主でも、身延の管長でも、自分でも、「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」と書けば「人法一箇の御当体」=「本尊」になる。』

 

ということである。

 

1、ここで、また駄犬は姑息に※3「南無――曼荼羅」をこっそり付け加え、@Aの駄説の矛盾への鋭い追及をかわそうと曖昧にしている。

実に愚劣・卑劣・下劣で卑怯極まりない醜悪な根性腐り果てた犬である。

駄犬の主張はあくまで、@Aであり、その結果はBとなる。

 

2、このBのような「本尊雑乱」の様相が絶対に許されるはずのない道理と文証の一端を示そう。

 

■一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。

  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり。

 

とある通り、およそ、「何時でも、誰でも、何処ででも、粗製濫造できる「本尊」」など、大聖人・日興上人の御心に叶うはずがないことなど、火を見るより明らかである。

 

もし、それでも自説を曲げずに、「Bも本尊だ」 と主張するのならば、もはや、病院へ行った方がよい。

改めるのなら、ここで正式に謝罪し、脱会の手続きをとれ。

狂犬よ、どっちを択ぶのか?