> >「日蓮正宗」の「歴代法主」である、日寛上人の仰せなのである。
>
> はい、すでに誤りだ。(^o^) 寛師の時代にこの世界に、「日蓮正宗」など存在しない。(^o^)
―――――――――――
↑いきなり、噴飯ものの 馬鹿 丸出しである。呵々大笑
教義的な本質論や、自分が吐いてきた多くの矛盾点、また返答不能に陥っている点、等々に全く反論できずに、このような、些事を論って言い掛かり・イチャモン・難癖をつけるしか最早、能が無い様が実に惨めである。
無様である。
御可愛そうで、かつお労しい。シクシク。

1、現在「日蓮正宗」と呼ばれる宗門は詰まるところ、戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信じその三大秘法の広宣流布を進める宗団である。(※註 魔札・鬼札のニセ本尊を広めることを広宣流布とは言わない。)
この教義信条は日蓮大聖人以来全くの不変である。
ただ、この宗団の呼称が時代と共に変遷してきただけである。
その宗団を現時の呼称で呼ぶ事が一番分かりやすいだけのことである。
仮に、
「「富士興門派」の「歴代法主」である、日寛上人」と表記して、一体多くの人の理解が得られるのか。
臭犬の苦し紛れの難癖は実に見苦しいものである。

2、日寛上人は「第26世」であるが、では、この「26」という数字は、誰から数えたのか?
臭犬、実に 馬鹿 である。呵々大笑
また創価学会が入門した当時の「日蓮正宗」という宗団の「第58世・59世・・・・」等は、一体、どこから繋がっている”連番”なのだ?
臭犬、ほとほと 馬鹿 である。呵々大笑

3、73氏も指摘されている通り、
牧口氏は「創価教育学会」の「会長」であり、「創価学会」の会長ではなかった。(当たり前である。呵々)
この臭犬の論法でいえば

▼1「> >「創価学会」の「初代会長」である、牧口常三郎氏の仰せなのである。」

と誰かが言ったとすると、
>
▼2「> はい、すでに誤りだ。(^o^) 牧口氏の時代にこの世界に、「創価学会」など存在しない。(^o^)」

と言い掛かりをつけることになる。

▼1と同様の表現は創価学会系サイトでも、出版物でも、常に為されている常套表現であり、臭犬は、その全てを
「はい、すでに誤りだ。(^o^)」と間抜けにも同胞を切りつけていることになる。呵々大笑

臭犬、とことん、 馬鹿 である。呵々。呵々。

さ、まず、これから言い訳してみたまえ。
頑張れよ。
臭犬、書けば書くほどに、自分の首を絞めてないか?呵々大笑。
それとも、いよいよ、そうっと遁走していつもまにか居なくなるかね?
いやいや、臭犬のその「気高い意気」では、そんな卑怯なことな為さるまい。
いつまにか、居なくなるなんて・・・呵々大笑
さ、応援するから、頑張りたまえ。