> >御法主上人こそが御本尊を書写できる。=これこそ、「法華を心得たる人」という
> >正に「現証」である。創価学会ですら、"日蓮正宗の御歴代上人の書写御本尊"を
> >「本尊」としている。
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> では▼1「阿部日開が年代を誤写して謝ったり」、▼2「蓮祖が顕されてもいない「未来本尊」を
> 勝手に捏造」したのは、「法華を心得ていない不相伝」の「現証」なのだね?(^o^)(^o^)

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→馬鹿がいよいよ言う事が無くなってきて、いよいよ馬鹿さ加減が爛漫である。呵々大笑
しかも、臭犬が自分が返答不能になると決まって他人に向かって吼えて否定してきた「質問返し」「意趣返し」をこの場で自分自身でしているではないか。
実に馬鹿である。
謗法者の悩乱振りが実に分かりやすい御仁である。呵々大笑。
更にその「意趣返し」は、ことの本質をはぐらかして逃げ惑っているに過ぎない。
当方らがしているものは論題の本質を更に明確にすべき「反詰」であり、臭犬のように本質論から遁走する類のものではない。
さ、では持論には責任を持ちたまえ。「意趣返し」せずに、堂々と返答せよ。

■御法主上人こそが御本尊を書写できる。=これこそ、「法華を心得たる人」という 正に「現証」である。
創価学会ですら、"日蓮正宗の御歴代上人の書写御本尊"を「本尊」としている。
これまた、「法華を心得たる人」とは、御歴代上人でしか在り得ないことを、無意識の内に認めている証左である。

もし、「法華を心得たる人」=御法主上人 ということを否定するのであれば、創価学会は何故「御法主上人」である日寛上人・日淳上人・日達上人の御本尊を用いる必要があるのか。
何故御法主上人でなければならないのか。
教義的に、客観的に明証して見せよ。
何度同じことを言わせるのだ。▼「グズ学会員。グズやまいぬ。よ。」とでもなるのか?呵々。

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