臭犬、書けば書くほど隙だらけで、恥が上塗りされるだけである。
―――――――――――
> さらについでだ。(^o^)
> 鈴木日恭焼死は、▼1「覚悟の自殺」と主張すれば「仏法者そのものとして失格(^o^)」、
>
> 不慮の事故死で焼死となりゃ、「唯授一人血脈相承法主が無慚に焼死かよ?(^o^)」
>

> で嘲われてオシマイ。これもどう転んでも言い訳不可能。(^o^)
> 当然これも「法華を心得ていない不相伝」の「現証」だわなぁ?(^o^)
>
> おいおい、「血脈寸断」やないか?(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
>
> 「書院には三百名の農耕兵が居りましたが或事情のため消火に協力出来ず、門前に
> あった消防自動車は故障のため使へず、上井出から來た戰車學校の自動車はガソリンを忘れたため
> 是亦役に立たず、富士宮では消防自動車が大石寺出火と聞き逸早く出動準備を
> 整へたのでありますが、署長不在のため命令を受けられず、空しく時を過し上野署
> よりの應援要請で馳著けた時は火は既に客殿に移り、手の下しやうもないと云ふ
> 此上ない悪條件」、云々。
>
> こらアカンやろ?(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
>
> 焼け死んでこれだけ嘲われたらタマランわなぁ?(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
―――――――――――
→まず、これだけ、誹謗したら、醜犬は今世で救われる余地は最早無いだろうな。

日恭上人が覚悟の御遷化であることは如何に詳細に論証してある。

http://toyoda.tv/tciken13.htm
http://toyoda.tv/tciken.saikai11.htm

さて、では、果たして▼1なのか。

まず用語用法から。

自殺=自分で自分の命を絶つこと。

であるから、臭犬の用法がまず失当である。やはり馬鹿である。

次に日寛上人の御遷化の様子を
池田大作監修の仏哲から。
―――――――――――
臨終について

日寛上人は享保十一年(一七二六年)正月、公儀へ年賀のために江戸に向かい、ゆかりの寺である常在寺で、信徒の要望にこたえ、観心本尊抄を講義したのであった。
講義満了の日に、日寛上人は「法華経を漢訳したことで有名な羅什三蔵は、つねづね自分の訳経に誤りがない証拠に、自分が死んで火葬する時に、身は灰となっても、舌だけは焼けずに残るであろうと語っていた。そして果せるかなそのとおりになったので、人々は羅什三蔵の訳経を信ずることができたのである。いま日寛上人が富楼都の弁を得、日蓮の神通力を現じて、仏法の肝要を述べたとしても、言うところが後に誤りとわかれば、信ずるに足りないであろう。そこで、ここに一つの予言をしておこう。私は平素からソバが好きだ。正に臨終の時におよんでソバを食べて、一声大いに笑い、題目を唱えて死ぬであろう。もしそのとおりになったら、私が説いた一文一句も疑惑を生じてはならない」と予言して、同年五月、大石寺に帰ったのである。
そして五月の頃から急速に衰弱していき、弟子が心配して薬をすすめたが服用せずひたすら入滅の準備を整えていったのであった。
すなわち、本門戒壇建立の資金、新法主の支度金、五重塔造営資金などを遺言とともに残した。
七月下旬、もはや再起不能であることを悟り、学頭目詳上人(日蓮正宗第二十八世) に法を相承し、滅後の諸事を遺言した。
この時、日詳上人が薬をすすめたが、服さず
「色香美味の大良薬を服するだけで充分である」といい、
また
「実は深く考えるところがあって、医療を用いないのである。そのわけは、天台の止観第五に『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る。乃至随う可らず、畏る可らず。之に随えば将に人をして悪道に向わしむ。之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。大聖人の仰せには
■『此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり』と。
また御書に
■『一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候』と。
当山は今、年を追って繁栄している。
まさに三類の強敵が競い起こるであろう。
私はこの春以来、三たび災を攘(はら)うことを三宝に祈願した。
それゆえ仏天はあわれみを垂れたまい、私自身の病魔をもって法敵に代えられたのである。
これこそ転重軽受なのであるから、決して憂えてはならない」

と甚深の教えを明かしたのである。
八月十六日、いよいよ暇乞いにまかろうといって、法衣を著し、駕寵に乗り、本堂に詣で読経唱題し、つぎに廟所に参詣し、ついで日宥上人の隠居所、学寮に寄り、暇乞いをすませたのである。
十八日夜、大曼荼羅を掛け、香華、灯明を捧げ、侍者に向かって種々の用心を教え、最後に末期の一偈一首をしたためたのである。

 本有の水風、凡聖常に同じ
 境智互に薫じ、朗然として終に臨む。
 末の世に咲くは色香は及ばねど
     種は昔しに替らざりけり。

書き終わって「ソバをつくってもらいたい。冥途の出立によかろう」と語り、七箸食して「ああ面白や、寂光の都は」といい、それから大曼荼羅に向かい、一心に合掌して題目を唱え、半眼半口にして眠るように円寂したのである。
時に享保十一年八月十九日の朝、八時、六十二歳であった。
―――――――――――
謗法の根性真っ黒な臭犬に事細かに書いてやる必要も無いが、日恭上人の御心もまさにこの日寛上人の御心に通じるものではないか。
清浄な信心を捨て果てた臭犬にはどうせ理解できるはずも無いが、一点だけ言えば、

覚悟の死

という点では同じお心なのであり、この点を指して、▼「仏法者そのものとして失格(^o^)」などと醜言を吐きつけられるとしたら、その者こそ、まさに自らが醜悪な謗法者の極悪根性であり、一閻浮提人で無間地獄行きであることを宣言しているに過ぎない。
また、創価学会はその「覚悟の死」を選ばれた▼「仏法者そのものとして失格(^o^)」である日寛上人の御本尊を用いて拝んでいる事になる。
やはり 馬鹿 である。
しかし、馬鹿も度を越せば醜悪である。
臭犬も謗法の悪言をたいがいにして置かないと、自らその極悪果報を頭からもろに被る事になるであろう。