●病
▲此の曼荼羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。
いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。685

▲法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。
やまいある人は、法華経をくやう(供養)すれば身のやまいうすれ、いろまさり、ちからつき      てみればもの(物)もさわらず、ゆめうつヽわかずしてこそをはすらめ。上野殿尼御前御返事 文永一一年  五三歳 751

●病によりて道心はおこり候
このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名(じょうみょう)経・涅槃(ねはん)経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か。(妙心尼御前御返事 建治元年八月一六日 五四歳 900)

▲定業すら能(よ)く能く懺悔(ざんげ)すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや。可延定業御書 文永一二年二月七日  五四歳 760

▲閻浮(えんぶ)第一の太子なれども短命なれば草よりもかろ(軽)し。日輪のごとくなる智者なれども夭死(わかじに)あれば生(い)ける犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。761

▲いかでか病も失(う)せ、寿ものびざるべきと強盛(ごうじょう)にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。955

▲身をすてヽ信ぜん人々はや(病)まぬへんもあるべし。又や(病)むともたす(助)かるへんもあるべし。又大悪鬼に値ひなば命を奪はるヽ人もあるべし。日女御前御返事   弘安元年六月二五日  五七歳 1231

▲「疑って云はく、汝が申すがごとくならば、此の国法華経の行者をあだむ故に、善神此の国を治罰する等ならば、諸人の疫病而るべし。何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。」
「答へて云はく、汝が不審最も其の謂(いわ)れ有るか。但し一方を知って一方を知らざるか。善と悪とは無始よりの左右の法なり。権教並びに諸宗の心は善悪(ぜんなく)は等覚に限る。若し爾(しか)らば等覚までは互ひに失有るべし。法華宗の心は一念三千、性悪(しょうあく)、性善(しょうぜん)は妙覚の位に猶備はれり。元品(がんぽん)の法性(ほっしょう)は梵天・帝釈等と顕はれ、元品の無明(むみょう)は第六天の魔王と顕はれたり。善神は悪人をあだむ、悪鬼は善人をあだむ。末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり。瓦石草木(がしゃくそうもく)の並び滋(しげ)きがごとし。善鬼は天下に少なし。聖賢まれなる故なり。此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも、日蓮が方にこそ多くや(病)み死ぬべきにて候か。いかにとして候やらむ。彼等よりもすくなくやみ、すくなく死に候は不思議にをぼ(覚)へ候。人のすくなき故か。又御信心の強盛なるか。」1237