有師物語聴聞抄佳跡上
                   大石寺三十一代隠居日因在御判。                           七十一歳之を注す。

高祖の御書には、王臣の御信用なからん程は卒都婆の本・橋の下にても弘通すべし、一日片時も屋などに心安く有るべき事有まじき事なり。
然る間・世事の福貴之有るべからず。
されば、孔子の言にも『国(に)道無き則(とき)は冨る是れ耻なり・国に道有る時は貪なるは是れ耻なり』 (※日有上人仰せの部分)

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この御指南の、「卒都婆の本・橋の下」について、日因上人は
「卒都婆の下・橋の下(中略)此れは尊卑を挙て以て弘通広大の相を顕す。」
と御解釈されておられる。

が、「卒都婆の本」とは、「邪義・邪宗の寺院・仏閣にも訪ね入って」という程の意味なのではなかろうか。

その上で、我々日蓮正宗信徒にとっては、大変ありがたくも厳しい御指南と深く拝させてただきたい。

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【通解】

未だ広宣流布しない間は、あらゆる邪宗・邪義の寺院・仏閣など、また、橋の下の乞食が棲むような場所へも、折伏・弘教に出かけるべきである。

一日、一時間も家の中で安閑としていてはいけない。

そういうことで、世間での地位・名誉・財産などを求めていてはいけない。

孔子もこのように言っている

「国に正道が無い時に、名利を求めて地位・名誉・財産などに執着していることは恥ずべきことである。
逆に国に正道が確立している時に、いつまでも貧しいことは恥ずべきことである。」と。