戸田会長全集 再編集版 編者 池田大作 





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一巻

ここにおいて、御法主上人よりご印可を得て、常住御本尊様のおさげ渡しを願い、永劫の信心を決意する。
御形木様すら、利益は広大無辺であるのに、究竟中の極説たる、弘安二年の戒壇の大御本尊様が分身散体して、自分の家にお出ましくださるのである。
ありがたしといわんか、もったいなしといわんか、いまさらながら、日寛上人様のおことばが思い出される。(50)



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現代においては、時刻相応の教えというならば、富士大石寺にいます一閻浮提総与の御本尊を信ずることである。
大聖人のお命たる大曼荼羅を信ずることであり、その大曼荼羅中の、極説中の最極説たる弘安二年十月十二日ご出現の総与の御本尊こそ、真の民衆救済のご本体であらせられる。(86)




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◆ いまのところは、まずまず貧乏と病気です。これを、仏さまがおられてお救いにならないわけがない。われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。
 これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。
 だから、身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。ありませんから、やってごらんなさい。7年もしたら、どんな顔になるか。いや、いままでやった人の顔をみてごらんなさい。
 ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。
(S30.8.24『戸田城聖全集』第4巻343頁〜)(再版 第二巻391〜)