戸田先生 寸鉄集
一、世間の評判を気にする坊主は生臭坊主だ。
一、折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。
一、尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下に隠れて尊敬されたがって居る坊主は狐坊主だ。
一、御布施ばかり欲しがる坊主は乞食坊主だ。
一、神本仏迹論なんて言う坊主は化物坊主だ。
【1951-05-10】
一、化物坊主と寸鉄居士の大喝でおこった坊主があるげな。寸鉄居士その坊主を呼んで曰く「第六天坊主」と。
【1951-07-01】
一、宝のもちぐされというがどこの寺のことだ。
一、立宗700年がくる。大聖人様はどんな事を喜ばれるであろう。なに一つ梵鐘を作れば良い、火事が起こってから半鐘を作って間に合うか。
一、軍部に脅されて梵鐘を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さんの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ。
一、日興上人の御遺戒置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主、邪宗の僧は高等乞食というんだ、よくおぼえておけ。
【1951-07-10】
一、東京の寺へ寄付の割当が来たそうだ。折伏の割当はいつくるのかね。逆に割当なきゃ出来るもんか。
一、御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るってね。
一、御盆廻りで忙しい坊主も居るし、折伏廻りで忙しい信者もいるし、全く世の中はさまざまだ、アア――。
一、御盆廻りって何の事かね、檀家の先祖を供養する事かね。それとも供養される事かね。
【1951-07-20】
一、寸鉄居士よ御僧侶を坊主などと呼ぶと地獄へ堕ちるぞ!!
一、寸鉄居士答えて曰く「御僧侶を坊主と言った覚えなく、坊主を僧侶と呼んだおぼえはない」。
一、坊主が御僧侶の衣をつけたのと御僧侶が坊主の姿に見えるのとは皆信心のはかりではかるんだよ。
【1951-08-20】
一、信者はお寺のお客か御本尊様のお客か。
一、一体お客様と云うのはどういうわけか、相手を儲けさせるからお客様か。
一、お寺のお客様ならお寺繁盛のため一人でもいいはずだ。
一、そう云ってしまったら身も蓋(ふた)もない、御本尊様の客だと申し上げれば誠に聞こえがよい。しかし腹の中ではお寺の客だと思うから供養の多寡によって扱いに上下がつく。
一、信者は御本尊様の客じゃない。子供で弟子で家来だ。
【1951-12-10】
一、宗会の決議では我等の会長が登山止めだそうな、物騒な世の中になったものだ。
一、忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思うたに、おほめはなくて「登山まかりならん」とおしかりさ。弟子共一同「俺達も一緒に登らんわい、フン」だってさ。
一、何が「フン」だい。決ってるじゃないか、日本全国の信者の声だってさ、嘘もよい加減にしろ、折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばること許(ばか)りを知っとる坊主の学会に対するやきもちだからさ。
一、寸鉄居士会長に御伺いをたてたら「あんまり騒ぐなよ、こんな目出度いことを」とニヤリさ。
一、こらこら騒ぐな「ニヤリ」を説明してやるからな、
如説修行抄に仰せあり
「真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の強敵決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし」。三類の悪人の仕業の中に「遠離塔寺(おんりとうじ)」と言って寺から追い出すやり方がある、悪人共がさ。
さて、我等が会長に折伏の大将として一大名誉を贈ったのさ、「遠離塔寺」と云う仏様からの勲章なんだ。
一、寸鉄居士ニヤリとして曰く、宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三類か、ニヤリ。
【1952-07-10】
一、正宗信者に信心が足りない、旧信者は特に足りない、僧侶の中に特別に足りぬ者がいる様に見える、国家の救済をどうする気だ。
一、僧侶が世法の事と政治的な考え方ばかりにとらわれているのは信心がないからだ。
一、僧侶は政治家になるべきではないから政治的工作はよせ。
一、僧侶は商売でお寺をやっているんではない、喰うために寺があるなんて考える奴は風上にも置けんやつだ。
一、布施にまよってはならぬ、山程積んである御本尊の功徳を一日も早く悩める民衆に施せ、和尚さん面(づら)して奥に引っこんで威張っているのが能ではない。
【1952-09-10】
一、信心の弱い者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる。
一、それぢゃその坊さん屑(くず)買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしているよ。
一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのは凄いだろうね。
一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童(おおわら)わだ、天晴れものだ。
【1952-10-20】
一、旧信者相手にいばってるくせを学会の人々にお出し下さるな、空いばりには驚かぬのが学会魂だ。
【1952-11-20】
一、山規法規とやかましいが謗法には手ぬるいね。
【1952-12-01】
一、仏様でもないくせに仏様のような顔をして威張る坊主が気に入らない。
【1952-12-10】
一、坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事があるのか。
一、人の死んだ時にお経を上げるのは何のために上げるのか知っているか、お布施もらうためか死人の供養のためか。
一、死人への供養のためとすれば、ちっとも供養にならないと云う事を知っているのか、喰って寝て豚同様の動物と云う事を自覚せよ。
【1953-01-10】
一、けれども禿人(とくにん)業といって坊主商売の奴には責任はないらしい。
一、禿人業でない御僧侶は一体日本に何人いるのかしら名乗り出てもらいたい。
【1953-04-01】
一、御僧侶たりとも、信心および折伏の指導に誤りありと思わば直ちに会長に報告すべし。
【1953-05-01】
一、世に尊敬されるべき方は、大御本尊様唯御一人である事を固く胸に刻め。
一、御僧侶に望む。現時の御僧侶は尊敬されるべき何物も持合せていないと思う。若し、尊敬を受けたら自ら御自身に言い給え「衣の功徳と御本尊の御威光である」と。
一、焼餅や利慾や自分がいばりたい為に、御殿女中のような争はしてはならぬ。もっともみっともない事である。
一、時折もれ承れば御僧侶間に御殿女中の様な感情があるそうな、恐るべき事である。かゝる事ありたる方は自ら卑しみ給え。
【1953-06-01】
一、或る僧侶云く「此の頃少し罰と功徳の事がわかって来たよ」と、おそいおそい。
一、御僧侶に大法弘通の力がないのは、学問が無いのだとばかり思っていたら信心が無いからだと判ってびっくりぎょう天。
【1953-07-20】
一、僧侶にして信心なしと云わば毛のなき猿が衣をつけたようなものである。
【1953-07-20】
一、僧の罪とはいずれより起りたるか、寸鉄居士断じて曰く「信心なきがゆえに」と。
一、信心なき坊主は御上人様どころか御下人様である。
一、白衣の小僧より教育する事はなにか、それは只々御本尊様の有難さを知らせ、罰と御利益の功能を認めさせる事だ。
一、寸鉄居士曰く「信心なき坊主は見つけ次第速やかに放逐(ほうちく)さられん事を」
【1953-09-13】
一、なげかわしきかな魔の僧侶よ、大御本尊様は大慈大悲の大聖人様が凡夫マルだしのその凡夫に賜わった事を知らざるか、僧衣をぬいで速かに地獄へ行け。
【1953-11-22】
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↑ いくら広宣流布の大功績があるといっても、聖教新聞という機関紙で公然とこのような僧侶批判を繰り広げた罪は計り知れない。
が故に、58歳という年齢で死去することになったのではなかろうか。
これほど広宣流布を熱願していたにも関わらず、道半ばでこの世から退場。
その間隙を縫って池田大作などという魔王が創価学会を乗っ取り、結果数十年後には完全な大謗法団体と化してしまった。
戸田会長の願業とは全く反対の結果となってしまったわけである。
その淵源は上記のような僧侶批判にあったのではないか。
■ 法華経第四の法師品に云はく「若し悪人有って不善の心を以て一劫(いっこう)の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪尚軽し。若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀?(きし)せん、其の罪甚だ重し」(法蓮抄
建治元年四月 五四歳 809)
■ 悪の因に十四あり。一に?慢(きょうまん)・二に懈怠(けだい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんじゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり」と。此の十四の誹謗は在家出家に亘(わた)るべし。恐るべし恐るべし。(1046)
■ 若しは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀(そし)る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直(ただ)ちに毀(そし)り奉る罪には勝れたり」と見へたり。或は「若実若不実(にゃくじつにゃくふじつ)」とも説かれたり。之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり。(松野殿御返事 建治二年一二月九日 五五歳 1047)
■ 縦(たと)ひ世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども、此の経にあひ奉りぬれば、衆罪は霜露(そうろ)の如くに法華経の日輪に値ひ奉りて消ゆべし。然れども此の経の十四謗法の中に、一も二もをか(犯)しぬれば其の罪消えがたし。(新池御書 弘安三年二月 五九歳 1456)