●> <6、「返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし。」1040
> @本従の「本」とは何か。
> A「従」とは何か。
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▼> (゜o゜)阿保?●ほんじゅうのし【本従の師】◆ 一切衆生が根本として従うべき師。仏のこと。本師ともいう。法華玄義巻六下にある「本縁(下種・調熟・解脱の因縁)の▼牽★ひ ▲く所と為るとは、本と此の仏に従って▼初★はじ▲めて道心を▼発★おこ▲し、亦た此の仏に従って不退地に住す」(□大◎正三十三巻七五六ページ)との文に由来する。□御◎曾谷殿御返事(一〇五六ページ)そんな事ぐらい自分で仏哲めくって調べなさい。
> 「本(もと)此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退の地に住す」。又云く「初め此の仏菩薩に従ひて結縁し、還(また)此の仏菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給ふべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主親の徳を備へ給ふ。
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> ●大聖人の事。
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> (ぬけがら顕ちゃん云く)
> ○「本此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退の地に住す」妙楽大師の法華玄義釈籤に示される文。日顕上人は、「この文は一往、釈尊仏法に因縁のある衆生のことを言われた文でありますが、久遠の昔から釈尊が色々と化導をされてきた、その本において釈尊に縁して道心を起こした人、その人はやはり同じ釈尊に従って初めて不退という位に住するのである、ということであります」と仰せです。
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> ○本従の師――本従(もとより)の師匠という意。本来の師。もともとの師。過去からの師。本師。この御文を顕された当時は、念仏や真言の教がはびこり、本来の師に迷い筋道を違えていた。そこで、先ず経文や釈により、「本来の師匠」が釈尊であることを示される。しかし、これは一往の御指南で、文末の、「日蓮も後生は助け申すまじく候」との御文から、末法の衆生にとっての「本従の師」は日蓮大聖人様ご自身のことであると拝すことが大切である。
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> 君もDVDの黄倉くんのように「猊下って大聖人の事だよ!」などとほざいて法主本仏論でも唱えるんでっか ハッハハハハハー 顕ちゃんと違う事いいまんのか?ハッハハハハー
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●実に法門領解が浅薄である。一を見て二を知らぬ、浅識謗法者である。一往・再往や、教導される談道が見えぬ、盲目者である。
痴犬がご苦労にも引文した内容は、権実相対・種脱相対の辺における談道であり、大聖人滅後の末法万年へ亘る、五一相対を主眼に談ずる説相ではない。そういう法門の綱格も分からず引文してくるところが、痴犬らしくて微笑ましいが、全く不可である。
そういう者を、盲法門・ミミズ法門というのである。


ではいこう。

別付嘱の御方もその時代時代に於いて、「本従の師」なのである。

■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん。」

■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う」
とあるのは、付嘱の意である。これに総別がある。つまり別付嘱とは上行菩薩への付嘱である。

■「日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり」
末法日本国においても総別がある。大聖人在世の弟子檀那にとっては、大聖人こそが上行菩薩の再誕であり、別付嘱の方である。

同様に、大聖人滅後の衆生は、それぞれの時代の別付嘱の方(御法主上人)を本従の師と仰ぐべきなのである。
このことは、『身延山付嘱書』において、大聖人御自身が、滅後の師を日興上人御一人に定められ
■「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」
と厳戒されたことからも明らかである。

仏の化導の始終という点からいえば、大聖人が下種仏法を末法の初めに打ち立てられたことこそが、末法万年の一切衆生に対する下種であるといえる。
しかし一方、それぞれの時代において、別付嘱の師(御法主上人)がおられるからこそ、衆生は下種仏法に結縁できるのである。
その意味からいえば、歴代上人もまた、その時代の衆生にとっての「本従の師」なのである。

●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、涌出品に於いて他方の大菩薩等此土の弘経を請へるを止めて、下方本化六万恒河沙の本眷属の大薩・を召し出して、末法に於ける妙法弘通を命じ給はんとの経文を釈せる文なり、今一往の文釈を為さば・此仏とは第一番成道久遠実成釈迦牟尼仏にして、菩薩とは本化上行等の本眷属なり・再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』1巻117頁)

■「猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」
よくよく心腑に染むべき御指南である。


更に別付嘱の文証はかくのごとく厳たるものである。

●「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、(中略)血脈の次第 日蓮日興」
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●日興上人の『御本尊七箇相承』には「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(『富士宗学要集』第1巻32頁)
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●本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。(『富士宗学要集』第1巻32頁)

後加文ではない。「日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」とあり「代々の聖人悉く日蓮なり」とあることから、「一向日興之を書写し奉る可き」という御本尊書写の権能が、唯授一人血脈相承によって歴代上人に伝授されていることが明らかである。
唯授一人の血脈相承は大御本尊だけではなく、大聖人の御内証の伝授とともに、本尊書写の権能をも含むのである。
しかもそれは「塔中に直授せるなり」とあるように、上行菩薩への別付嘱に由来するのである。
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●依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり(日興上人筆座替大本尊/『富士宗学要集』第5巻336頁)

「日興より日目嫡々相承」とあるように、この座替御本尊こそが、日目上人への血脈相承の証拠である。(正応3(1290)年、日目上人31歳)
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●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』)

「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのである。
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■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし」

「法華経の大海の智慧の水」の「智慧の水」とは、付嘱の意義から考えて、唯授一人の血脈法水であることは明らかである。
その「智慧の水」を受けたる「根源の師」とは末法今時では、一応上行菩薩であり、再往大聖人である。
さらに、その大聖人から別付嘱を受けられた日興上人⇒日目上人⇒日道上人・・・・と次第する、御歴代上人も含まれるのである。
であるから、大聖人滅後の弟子檀那の立場では、御歴代上人を離れて他の者を師とすれば、成仏は絶対にできないのである。

■「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」

■日顕上人
「そして師についての誡めの所へ入り、
  「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし」(御書一〇三九)
と仰せられます。これはもちろん、一往上行菩薩、再往本仏大聖人様こそ、末法の衆生が智慧の水を受けた根源の師であり、そこに大聖人を拝し、大聖人を根本として、その血脈の上から一切の人々に、その時その時の相伝の法主が取り次いでいくわけであります。
 ですから、そこのところを忘れてよそへ心を移すということは、今、創価学会がやっているようなことであり、これこそ、この御指南の破折に当たる、ということを申しておきます。」

■「この下種の妙法を末法の衆生に与えられる御方はどなたであるかと申しますれば、これは釈尊ではなく、末法御出現の宗祖日蓮大聖人であらせられるのであります。もちろんこの御書においてはそこまではっきりとは仰せになっておられませんが、しかし御内証の御法門においては、そこのところを深く日興上人が伝持あそばされておるのでございます。 昭和五十五年七月八日 妙立寺三師塔開眼法要の砌

大聖人は、日興上人に背く者は「非法の衆」だと断定されている。
このように、大聖人御自身が、滅後のその時代における根本の師匠=本従の師を、別付嘱を受けた方に限定されたのである。