●> <5、■頭を剃り架裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を過打すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり。
> <@この御言葉の御心からすれば痴犬らは、大聖人を謗り、辱めていることになるが、どうか。
>
▼> (゜o゜)大聖人を謗った覚えはございません 謗法ハゲを攻めれば大聖人も喜んでいただけるでしょう。

●ここは日本語すら読めない、痴犬らしい箇所である。
これでよく、「御書を元に歴代上人が、僧か否かを鑑定する」と言えたものである。慢心この上なく、おこがましい限りである。

1、歴代上人のどなたが、どのような謗法なのか、明示せよ。
2、■「頭を剃り架裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。云々」
御僧侶は、戒を持つ方、たとえ、戒をやぶる方でも、(もちろん末法では謗法厳戒以外は無戒であるから、持戒も毀戒もそもそもないのであるが、権教の表現として用いられている)天界の人も、人界の人も、この御僧侶を供養すべきである。それはそのまま我=仏=文底では日蓮大聖人、を供養することになるのである。また御僧侶方は大聖人のお子である。もし、御僧侶方を打ち据えることがあれば、それは大聖人のお子を打ち据えることになる。もし御僧侶方を罵り、辱める者は、大聖人を毀損し辱めることになる。

痴犬は、口を極めて御法主上人を侮辱し、軽しめ、卑しみ、憎み、恨み・・・してるのであるから、それはそのまま大聖人様へ唾を吐きかけているのと同様である。必ず、頭破作七分の報いを満身に受け切った生活となること火を見るより明らかである。