●> <2、『四恩抄』
> ■「仏宝法宝は必ず僧によりて住す』
> この御文の
> <@「僧」とは誰か。
> (゜o゜)正しく受持信行する限りにおいて、門流大衆檀信徒、すなわち我等行者も入りまんな
> <Aその「僧」はどのようにして「仏宝法宝」を「住」せしめるのか。
> 明確に答えよ。
>
▼> (゜o゜)大聖人が仰せのままに広宣流布に邁進する事!
> 「命限り有り惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり云云。」            (富木入道殿御返事P955)

●またまた、極めて的外れな引文である。
ニセ本尊を夢中になって命がけで広めても、堕獄の業因となるだけである。
この段も不可。やり直し。
>
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▼> 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(日興遺誡置文)

●その通りであるが、あくまで、本物の歴代法主上人が御許可された御本尊を広めることを「広宣流布」というのである。
創価学会がやってることは、広宣流布とはどう間違っても呼べない。

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▼> 「身命を捨てて法を弘むべしと見えたり。此等の禁めを背く重罪は目には見えざれども、積もりて地獄に堕つる事、譬へば寒熱の姿形もなく、眼には見えざれども、冬は寒来たりて草木人畜をせめ、夏は熱来たりて人畜を熱悩せしむるが如くなる」 (松野殿御返事P1386)

●同上。痴犬がよく用いる日達上人。その日達上人の有名な御指南。

■「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」(大日蓮三四二号二〇n)
教義は勿論のこと、御法主上人の許可の無い、それどころか、魔札・魔の本尊(趣意) と仰せのニセ物を広めてる創価学会が「広宣流布」している、だなんて、日が西から昇ることがあっても、天が地に落ちることがあっても、言えないのである。