京都・奈良辺りの痴犬への破折 再開その7  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 3月30日(木)16時33分58秒 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> <12、■「止観に云はく「師に値(あ)はざれば、邪慧(じゃえ)日に増し生死月に甚だしく、稠林(ちゅうりん)に曲木を曳(ひ)くが如く、出づる期有ること無し」云云。凡そ世間の沙汰(さた)、尚(なお)以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧(むし)ろ輙(たやす)く自己を本分とせんや。」29

> <@在家で無い「師」に値わなければ、邪智が酷くなり、絶対に成仏しない。とあるが、痴犬ら創価学会がまさにこれだが、教義的に反論せよ。
>
▼> (゜o゜)正しい御本尊様を拝し池田先生の指揮のもと大聖人の仰せのままに邁進しておりますのでご心配していただかなくて結構です。こんなしょうもない質問はこれで充分。

●「正しい御本尊様」? 全く不可である。
1、御法主上人の開眼がない。当然御法主上人の許可もない。
2、授与書きを削除⇒日寛上人の御心を踏みにじる
3、御文字の改竄

⇒全くの魔札・ニセ本尊である。

以下の設問をクリアしない限り、創価学会販売の掛け軸に見せかけた物は、全くの謗法物である。

@身延の大聖人御真筆御本尊を写真に撮り、それを印刷⇒掛け軸 にしている、みやげ本尊は謗法かどうか。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/105.html

1.謗法である⇒学会が発行の↑の掛け軸状に見せかけた、印刷物と、身延のみやげ本尊と教義的にどこがどう違うのか。
2.謗法でない⇒みやげ本尊を広めることは「広宣流布」なのか。
        みやげ本尊を拝んでいる者は謗法ではないのか。

これについて教義的に明確に返答してみよ。京都辺りの痴犬に、これができるかな?
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●「池田先生の指揮のもと」?
血脈相承を受けていない、ただの在家信徒だった池田せんせ〜〜を「師」とする、教義的根拠を明確に挙げてみよ。
出来なければ、池田せんせ〜〜は全くの邪師である。
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●「大聖人の仰せのままに邁進」?
大聖人は広宣流布の暁には本門寺に事の戒壇を建立せよと、厳命せられた。
この事の戒壇堂に御安置される御本尊こそ戒壇の大御本尊である。
創価学会員が幾ら増えても、仮にどんな大殿堂を建設しても、この中心法体たる戒壇の大御本尊が創価学会にはないのだから、創価学会が何をどう活動していようが、全くの虚仮である。
仮に訊こう。
創価学会の一体どの活動が、「大聖人の仰せのまま」なのか?
教義的に明確に返答してみよ。
老婆心ながら忠告するが、また的外れな引文をして、恥をかかないようによくよくご注意を。