京都・奈良辺りの痴犬への破折 再開その6  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 3月29日(水)22時54分1秒 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> <11、■「後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。」1461

> <@「法華経」とは今時では何か。
>
▼> (゜o゜)大聖人の教え。

●実に脇が甘い。
真の教学が身についてない証拠である。
「大聖人の教え」って、結局、何?
本当に痴犬は「大聖人の教え」って何か分かっているのか。実はその究竟するところなど全く分かっていないのである。

つまり、
法華経=戒壇の大御本尊 である。
もし違うというのならば、教義的に反論してしてみたまえ。

いつまで、30年前もの瑣末に拘って、グダグダ絡んでいるのか。
まことに、見苦しい醜態である。
京都の青年部は一様にこのように頭が悪いくせに粘っこいのか?
痴犬はこの大命題に反論できなければ(反論してもだが・・)自分の成仏・不成仏がかかっているのである。
30年前の問題など、痴犬の成仏・不成仏になど、全く関係の無い事柄である。
信心の上で言えば、心底、頭の良くない、つまり”馬鹿”である。
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●> <A「法華経を説かん僧」とは誰か。
>
▼> (゜o゜)今のハゲ宗門以外の正しく受持信行する法華経の行者。

●ほとほと、信心の観点から言えば、底の浅い、頭の弱い、信じる能力の低い、信心の上での無能者である。

@法華経=戒壇の大御本尊
A説かん=戒壇の大御本尊の御内証を元に今時における成仏の修行を御指南されること。
B僧=@Aであるから、御当代御法主上人(及び、御法主上人に正しく連なる御僧侶。)である。(でしかありえない)

痴犬の妄言など全くの不可である。
ここも、やり直し。本当に、信・行・学のそのいずれにも力の無いものどもである。
京都方面は、本当にこんな程度しかいないのか?
もし、創価学会側でこんな情けない返答しか出来ない青年部を代表とすることに少しでも恥じる心がある学会員がいるのならば、替わりに返答を求む。
この者たちでは、全く浅薄過ぎて、役不足である。
いつも言うたとえであるが、ボーゲンもやっとのレベルで、間違って上級コースのリフトへ乗ってしまった初心者である。
恥ずかしいことではあるが、帰りも、リフトに乗って帰んなさい。と係員に厳しく言われる程度の信心における低能力者達である。