樋田様
 
お初になります。
私は東京○○区、○○寺壮年部に所属するOと申します。
インターネットを検索してtoyodatvに出会いました。
今回のメールは樋田様への感謝の気持ちを込めて書いております。
数々の破折、討論会、学会員の現実、そして戸田先生の指導などの素晴らしい内容をネットで公表し、
現実を伝え、学会や顕正会の輩と真っ向勝負で戦い続ける樋田さんの姿に胸を打たれました。
 
私は40歳になりました。私は創価学会の三世として生まれました。
しかし、信仰を始めたのは19歳でした。
創価学会の○○区○○支部の青年部へ所属し、活動をしておりました。
御本尊様を信じて信心発起した立場でしたので、入信時から池田氏は嫌いでした。
学会活動をしていても
、会合では大聖人の仏法よりも池田氏の指導を根本とした内容ばかり
御書講義も現代風に、その支部その支部の幹部がオリジナリティーに表現するものばかり
広宣流布で最も重要な折伏に関しては一部の会員だけが頑張ってた様な記憶があります。
「新聞や選挙よりも折伏じゃないのだろうか?」そう思いながら学会の信仰をしておりました。
 
何かあるたびに、「池田先生〜〜!」と騒ぐ学会員を冷めた目で見ていました。
「なんで一番に先生なんだ?」
何があっても先生は凄い、先生は素晴らしい。。。。
大聖人の仏法を根本に活動している様には感じませんでした。
私は折伏に専念しようと思いました。
折伏してもみんな「凄いね凄いね」と誉めはしますが、「新聞もね!選挙のエフ取りもね!」っと。
やっぱりコイツらは何か違う。。。と二十歳そこそこの若造にも明らかに感じていました。
 
私には消せない過去があります。
入信当時、19歳の私は信仰の根本すら分からない状態でした。
4畳半一間、風呂なし、トイレ共同の空間に御本尊を初心者用のお厨子で安置しました。
その安置する場所に失敗しました。
風でカーテンが揺れ、御厨子を倒してしまい、入信数週間後に、表装する大謗法を犯してしまったのです。
あってはならない大謗法な出来事なのに、当時私はどうして良いのか分からず、学会幹部の指示を待つだけでした。
当時、この大失態を真剣に怒ってくれた幹部は誰一人居ませんでした。
「もう過ぎた事はしょうがない。。。上に相談してみるから待っててね」
当時は優しい幹部さんだと勘違いしていましたが、この大失態が大謗法である事実を誰一人教えてくれませんでした。
表装が終わったので○○寺様に向かった際、御注意を御僧侶様に頂いた記憶があります。
その場は丁重にお詫び申し上げましたが、内心は表装された御本尊様を再び自分の部屋に
安置出来る喜びの一心で反省心が全くなかった事を覚えています。
19歳の若造だった私はその当時、大謗法を犯した罪の意識がなかったのです。
 
それ以降、私は、がむしゃらに折伏根本で活動していました。
 
平成2年11月16日、本部幹部会の衛星放送に私は居ました。
あの池田発言は22才の若造から見ても明らかにおかしいと思う発言でした。
 
年が明けて、色々な噂を聞いてたので、私は事実を確かめる為に、支部長に「総本山へ参詣に行きたい」と
何度も何度もお願いしておりましたが、「選挙が終わるまで待て」と言う理解不能な返答が続き呆れてました。
選挙が終わり、やっとの思いで総本山へ行ったのですが、当時の総本山は閑散として驚いた記憶があります。

そうしていると、知り合いの元学会員の法華講員さんに勧められ、○○寺へ行きました。
当時○○寺は○○部長である○○御尊師が御住職だったと言う事で、(現在も○○御尊師です)学会の標的にされ、
徹底的に新聞や口コミで叩かれまくっている状況でした。
しかし、その噂とは全く違う素晴らしい○○御尊師に出会えたのです。
嘘の噂を確信した私は、即刻脱会しました。

当時、私がその支部での脱会者第一号でした。
当然学会は説得に必死になります。
学会側の説得の嵐の中、自分が学会に折伏した人を全て脱会させ、法華講へ導いた為、今度は説得から嫌がらせと変わり、
ありもしない噂を流されたり、相当嫌な思いをした記憶があります。
法論対決も沢山しましたが、相手は何しろ情で落としにかかったり、若造の貧乏な生活環境をダシにして攻めまくる有様で、精神的な部分で攻めてきました。
血脈相承と三宝破壊だけの知識だけで、二十歳そこそこの私でも十分戦えました。
私の身内、親族一同は全員が創価学会でした。
破折はことごとく失敗。「日顕宗の馬鹿息子」と言われる立場になってしまいました。
 
私の信仰は、平成6年六万名総登山の手前で途絶えてしまいます。
折伏した恋人とトラブルを起こし、組織に居られなくなり、尻尾を巻いて逃げてしまったのです。
14年間もの間、信心から離れてしまいました。
○○から○○へ移転し、どんどんお寺から離れて行きました。
結婚しても子供に恵まれず、離婚、会社を立ち上げても倒産。
借金はどんどん増えるばかりで散々な人生をたどって行きました。

昨年、私はある女性と出会い、恋愛をしました。、彼女は○○市在住、シングルマザーで3人もの子供が居ます。
私は彼女との結婚を決意し、○○から○○へ引っ越しました。
その途端、原因不明の下痢に見舞われ、一日20回以上の下痢に見舞われ、その症状が数ヶ月間、続きました。
市立病院へ入院し、検査しても全て異常なし、意味のない治療にお金がかかり続けました。
「精神的な下痢ではないか」と言われ続け、ついに体重が2ヶ月で12キロ落ちました。
体調不良で苦しむ中、私はふと思いました。
「そうだ!ここは○○だ!総本山が目の前ではないか!」
私は御本尊様にすがる思いで、14年ぶりに手を合わせました。

東京の○○寺へ14年ぶりに電話をし、再び信仰をはじめたいと執事様に伝えました。
そして、近所に○○寺があるので預かり信徒としてお世話になったのです。
それが去年の11月でした。

私は、総本山へ行き、14年ぶりに大御本尊様に御目通り出来ました。
御隠尊猊下様とも御目通り出来、感極まりました。
「六万名登山参加出来なくて本当に申し訳ございませんでした。
 14年間も信仰を離れ本当に申し訳ございませんでした。」
その一心で戒壇の大御本尊様へ必死で拝みました。
すると3日後には数ヶ月続いた下痢がピタっと治まったのです。


御本尊様が14年間もの間、信仰から離れていた私をこの富士へ導いてくださったと思い、感謝しました。
そう思えば折伏をしなければならないと思い、結婚を予定している彼女を折伏しました。
結婚を考えている彼女に「この信仰を一緒に頑張って欲しい。」と伝えました。
数日悩んだ彼女は「分かった。貴方がそこまで言うなら、私だけやってみる。子供は後にして欲しい」っと言ってくれました。

平成19年12月22日、私の彼女は無事入信する事が出来ました。
子供達の折伏に関しては「青年部時代の勢いでは折伏は駄目、お題目と勤行持続が大事」
どんな事があっても勤行を欠かさない!唱題をしっかりとする。毎月総本山へ参詣する。
この3つを一回も怠らず今日を迎えております。

14年の間に私の親族の1家族が創価学会から脱会をし、法華講へ入信していました。
残念ながら、その夫婦は他界していました。
彼らは、創価学会一族の身内で亡くなった方々全員の戒名を寺院へ申し出、先祖供養を日蓮正宗で出来る様、残しておいてくれました。
私はその戒名を調べ、○○寺へ報告し、過去帳へ記載して頂き、彼らの先祖供養の遺志を受け継いでおります。
 
彼女の子供達は5月8日に無事3人共入信出来ました。
小学4年生の長男、小学2年生の次男、5歳の長女。
題目三唱と一日1分唱題を毎日頑張ってくれています。
 
「二度と信仰を休まない!寺院根本の信仰を今度こそ貫く!そして御本尊様を今以上に大切にする。」
その決意で満ち溢れております。
 
樋田さんのネットで一番胸を打たれたのは、戸田先生の指導です。
19歳の表装から21年目、そろそろ二回目の表装だと思い、寺院へご相談している最中でした。
表装の件に関しては「まずは耐震をしっかりとして、安心した環境で御本尊様を表装した方がいいと思いましたので、耐震設備をしっかりとしてから
改めてご相談しようと思います」と○○寺の執事様にお手紙にてお伝えしたばかりでした。

その最中、toyodatvに出会い、戸田先生指導集にたどり着きました。
「御本尊を粗末にした者は一度必ず地獄へ落ちる。そして心から懺悔した後救われる」
そのお言葉は、お厨子を倒して入信数週間足らずで表装を行う大謗法を犯してしまった私にとって誠に有り難い指導でした。
 
「耐震設備以前の問題だ。。。表装して以来、20年以上、私は心底懺悔をしていないではないか!それ以前に信心から離れ裏切り続けていたではないか!
今からすぐに心底反省懺悔をやらなければならない!一生かかって反省懺悔をしなければならない立場だ!
勤行唱題を続け、毎月総本山へ行き、戒壇の大御本尊様に御目通りしても、仕事、財政面で空回り続ける状況の原因がここにあるのかも知れない!
19歳から俺は何をやっていたんだ。。。。俺は大謗法を犯してしまったんだぞ!反省懺悔しないで俺は何をやってたんだ。。。。。。」
そう思い、涙が零れ落ちました。
私は財政面の理由で、立派な仏壇を持っておりません。
未だにお厨子で御安置しております。初心者用の一番小さいお厨子ではないですが、
東海大震災だっていつ来るか分からない、備えあれば憂いなしと言う事で、
二度と失敗しない様、耐震に強い仏壇の台を自作で作りました。
気がつくと台だけでお厨子の数倍の金額となってしまいましたが、阪神大震災並みの地震が来ても絶対に大丈夫な台を作る事が出来ました。
台とお厨子の間に耐震用ジェルをがっちりと引きました。
良かったらメールに添付しておきますので見てください。
決して仏壇台の自作自慢の画像添付ではないので、そこだけはご理解願います(笑)
 
そして今、19歳の時に犯してしまった大謗法、14年間もの間信仰から離れた二つの懺悔を朝晩の勤行で行っております。
戸田先生の指導を見て、この反省懺悔が御本尊様に届かない内は、何をやってもうまく行かないと思いました。
だからこそ、真剣な勤行、集中力のある唱題を根本にしなければならないと思いました。
私は去年の12月22日の夜の勤行からは朝晩欠かさず勤行唱題を続けています。
そしてどんなに忙しくても一日30分ではありますが、唱題を彼女と二人で行っています。
彼女は入信して依頼、一度も勤行を欠かしたことがないので凄いと思います。(笑)
これだけ真剣に持続した信心は過去に一度もありませんでした。
真剣な勤行、集中力のある唱題の持続を毎日の生活の一部と固定化し、頑張ります。
自分の御本尊様だけに片寄らぬ様、週に最低二回は寺院参詣をしております。
月に1度、必ず戒壇の大御本尊様に御目通りする事を続けています。
寺院根本とした信心をし、大聖人様の仏法に出会えた喜びを胸に、借金返済という現実に逃げる事無く、
頑張り続けたいと思っています。
この反省懺悔が御本尊様に届く様、祈るだけです。
 

私も樋田さんの様に折伏、破折に頑張りたいと決意しております。
樋田さんの今後のご健勝をお祈り申し上げます。
そして、いつの日かお会いしたいですね。
近いですし、実現出来る事を願っています。
 
いきなりの長文大変失礼致しました。
私の連絡先を記載しておきます。