脱会までの経緯と体験。
 
皆様、はじめまして兵庫県在住のFと申します。
私、昭和37年学会2世として大阪府T市で生まれました。
母親が昭和36年の入信で、父親は入信していなかったようです。
その当時は皆様もよくご存知だと思いますが、関西で”大阪”と言うと、全国創価学会の中でも
折伏活動等が非常に活発で群を抜いて成果を挙げていたと言うことを聞いております。
そのような中、母親も活動には積極的に参加していたようです。
ところが私が3歳の頃、母の実家に帰省していたときのことですが、私が交通事故に遭い、両足複雑骨折、殆ど骨がバラバラ状態で医者からは
「両足切断しないと命に関わる」と母親に告げられ、
そのときに母親が決断を下したのが
『先生!分かりました。それならば死んでも良いから、両足は残してやってください!!』
といったようです。
それを後で聞いたときには
「なんちゅう恐ろしい親や!」(汗;)と思ったものです。
しかし、よくよく話を聞くとその時に、
母親は
「信心で絶対治す!」という確信があり、毎日題目をあげて祈りきってくれたと聞き、
そのお陰で奇跡的に両足の骨が自然に回復し、後遺症もなく完治しました。
後で思うと、御本尊様の大功徳を頂いたのだと本当に感謝しています。(当時はまだ日蓮正宗 創価学会であったので)
 
そして昭和43年、両親の離婚。
母親の実家である兵庫県に転居し、“母一人子一人”という生活がはじまりました。
その当時は“母子家庭”というとまだ、現在とは違い世間から差別的な扱いを受けると言うような状況の中、
母は仕事と学会活動をしながら私を育ててくれ大変な苦労をしたと思います。
私はそういったなか、小・中・高校生の時は、特に何も考えず、学会活動や会合に
母親にすすめられるがままに、たまに参加する程度でした。
そして、就職してからも殆ど学会の会合には参加せず過ごしていました。
当然、勤行・題目なども1年に一回、正月に(その当時はお寺で)あげさせて頂くくらいでした。
今思うと、いつの頃からか、お寺ではなく創価学会文化会館での正月の新年勤行会になり、
お寺に行く事がなくなったように思います。
またその当時、会館に行っても、幹部連中は選挙の話か、池田大作に対しての忠誠心を表現した訳の分からない話ばかりでうんざりし、
年に1回の新年勤行会も勤行だけして帰ってた様な状態でした。
 
まあ、そういった変化に関しても特に気にすることもなく過ごしていた私なんですが、
23歳のときに結婚することになり(昭和60年)結婚式はお寺で挙げさせていただきました。
そのときは久しぶりにお寺に行ったということもあり、大変厳粛で何ともいえない雰囲気で感動したのを今でも覚えています。
また、62年には長女が生まれ御受戒もお寺でお受けさせて頂きました。
 
その御受戒の時、自分がうっかりして数珠を忘れてしまい、御住職様に
『数珠を忘れるとは、創価学会は
どう言う指導をしているんだ!!』と、かなり厳しく叱られました。
その時は、数珠を忘れたくらいで, なんでこんなに怒られるのか分からなかったのですが、
今思うとその当時は、宗門と創価学会とがゴタゴタしてる最中で、そう言った状況の中での御住職様の
お立場上、厳しく叱責されたのだと現在では理解できます。

また平成4年には次女が生まれ、本来ならお寺で御受戒を受けさせて頂くところですが、
この時には学会から『登山の禁止』、当然『お寺への参詣なども禁止』と言うようなことでしたので残念ながら次女はお寺での御受戒は受けられませんでした。

その後、創価学会が日蓮正宗に破門されたと聞きき、あまり信心にも興味もない自分でも衝撃的な出来事でした。
 
そうした中、母親は創価学会に残りました。
その当時、私は母親に何故、創価学会に残ったのか聞いてみたところ、
大阪の時に
自分を折伏してくれた方が創価学会に残るということで、
母はその方に対しての
ご恩やその他色々な思いで決断したのだと言っていました。
 
母は、破門という一大事に何故こういうことになってしまったのか。
それは母のような会員が学会の幹部に聞くと
“日顕上人猊下が創価学会に嫉妬して切り捨てた、宗門が乱れきっている”
と言うような回答で、結局はウソの情報を会員に流し、
“とにかく悪いのは宗門だ!”と言い続けることで、
宗門に対しての憎悪を会員に植え付けるという目的だったのだと思います。
 
それから時も過ぎ、平成7年1月17日、あの“阪神淡路大震災”が起こりました。
その日は自分が住んでいる所でも、震度4強〜5弱位の揺れでしたが、
幸い自分の所ではそんなに大きな被害もなく、助かったんですが
テレビを見てみると、神戸のあの悲惨な映像が飛び込んできて、本当に信じられないような思いでみていると、
神戸市の“長田地区”が映りだされた時(被害の一番大きかった地区・火災による。)まるで
地獄絵図でも見るかのごとく悲惨な状況でした。
 
これは後で分かった話なのですが、震災の前日に創価学会が長田地区において、
猛烈な勢いで会員宅のご本尊をニセ本尊に取替え
正宗から御下付頂いた御本尊を焼き、御不敬したと聞き、その為、
あのような悲惨な罰の現証が起きてしまったのだと確信しました。
 
そしてその年、勤めていた会社を退職し、独立することになり小さな会社を立ち上げました。
会社のほうは特に問題もなく順調に経営していくことができ、現在まで来ているという感じです。
この樋田様のHPに掲載されている方々の体験談とは違い、私や家族には特に現証(罰)のようなものもなく、
ある程度順調に過ごしていました。
 
またその頃になると、母親が少し創価学会に対し矛盾を感じてきているみたいで、座談会に行っても帰ってきたら
『なんかおかしい、指導が変わってきてる』というのです。
また、母と妻が学会の文化会館に同時中継?(池田大作)を見に行ったときも妻がぽつっと
『なんか、雰囲気が北朝鮮みたい。。。』と母に言ったところ、母も『ホンマやな!』
何故か納得し、それから同時中継?や会合にもあまり参加しないようになり、
学会の幹部の方や地域の方が来ても
あからさまに嫌な顔をし、話もしないようになっていました。
 
やはり母も何処か創価学会が変わったことに気づいていたのだと思います。
 
そういったときに、私の住む地域の学会員さんのところに色々な現証が出始めました。
ある地区部長さんのところでは、突然の長女の“自殺”三女は“登校拒否”
そのほかの学会員の方々も色々な現証が出ていました。
そのような現証を目の当たりにした時、家庭訪問に来た学会幹部に
『最近、学会員の家庭が色々大変なことになってるみたいやけど、みんなあんなに信心を熱心に頑張ってやってるのに、
なんであんな現象が起こるんですか??』と質問すると幹部は
『みんな、それぞれの宿業があるから・・・・・・。』
とのこと・・・・・私はその時、
「宿業打開し罪障消滅するのが信心や言うてたやん!?あんな酷い現証が起こるんやったら
信心してる意味ないやん!」と心で思い、なんか都合のええように言うな〜と首をかしげてしまいました。
 
今思えば、家族で夕食を囲んで話をしてる時に、何気なく信心の話になったりすることもあり、私が、
『来年の正月の勤行会はお寺に行こうや!』と何も考えずに言うと、母が寂しそうに
『もう、お寺には行かれへんねん、
破門になってるから・・・・・・。』
また『登山、行きたいやろ!?』と聞くと
『それは行きたいけど、今のままでは行かれへんし、
宗門と学会が仲直りしてくれへんかな〜。』と言っていたのを思い出します。
(何故、私がそのようなことを言ったのかというと、当時、学会の会館に行っても何の感激や感動もなく、
不思議とお寺での勤行や唱題の時に打つ太鼓の音や、本山での御開扉の厳粛な雰囲気に感動した
ことが心に残っていて、自然とお寺に帰りたいとの思いが何処かにあったのだと思います。)
 
その時私がもう少し信心に目覚めていたらと後悔するばかりです。
 
そして平成18年、家族が平穏に暮らしていた時に、突然母親が“くも膜下出血”で倒れ
幸い発見が早かった為、意識は回復し、安心していたところ、医者から
『お母さんの場合、
出血がかなり多かったので、現在は回復しているように見えますが、これからが危険なんです。
これからがヤマで“血管レン縮”という現象が必ず出てきますので・・・・・・。』と言うので
“血管レン縮”というのはなんですか?と聞くと、
『くも膜下出血を起こすと必ず脳の血管が
収縮する現象が起きるのです。そして梗塞を引き起こし死に至る場合があります。
これは現在の医学では解明出来ていないのでどうすることも出来ないのが現状で、後はお母さんの生命力に期待しましょう。』とのことでした。
 
これは何とか母を助けたいと、自分と妻と娘で必死にお題目をあげました。(ニセ本尊に・・・。)
しかしその甲斐もなく10日後に息を引き取ってしまい
やはり今となっては、ニセ本尊にいくらお題目をあげても功徳なんて全然ないというのが分かりました。
 
あまりにも突然だったもので、何がなんだか分からず私も妻もバタバタと葬儀の用意やらなんやらで、
当然のごとく創価学会の方に仕切ってもらい葬儀を“友人葬”で行なってしまいました。(今となっては後悔しております。)
 
そして、葬儀も終わり四十九日が過ぎた頃、家族も少しは落ち着きを取り戻し、私も色々と考えられるようになった時にふと、
「これで良いのか?本当に母親は“成仏”出来たのだろうか??」と疑問に思うようになりました。
 
と言うのも、母を供養しようと今までご本尊様の前に座ることもなかった自分ですが、
さすがに母の成仏をご祈念しようと経文を開いた時、
『何じゃこりゃ!?』という感じで、
自分が覚えている“御観念文”の内容が全然違った“ご祈念文”に・・・・・また、勤行も省略化されていました。
 
それから “友人葬”ということで、本当にこれで母が成仏できているのかと言うことです。
何故、そういうことを思ったかと言うと、お通夜の日、導師をして頂く方がきた時、よく見ると若い時勤めていた会社の同僚
(うだつのあがらない、かなり年上の方)が導師をし、葬儀の日は地元の元公明党市会議員でした。
なんか、こんな普通の“おっさん”が導師で大丈夫か????との思いからです。
 
そして以上のことから、この“友人葬”や、僧侶不要等の創価学会の解釈が本当に正しいのか?ということに疑問を懐き、
こういった学会が言っている事が本当に正しいのかを検証する為、インターネットを使い、
樋田様のHPをはじめ、法華講の方々が運営されているHPを拝見させて頂いた時に、
これは聖教新聞やその他機関紙や幹部の指導等がかなり食い違っていることや、嘘・デマカセの多いことに気づき、
幸いなことに母の古くからの友人で法華講のOさんという方が近くにいましたので、直ぐに尋ねていき、
宗門と学会の問題が起きたとき、Oさんはどうして宗門に付いたのか聞いたところ、
あの当時、
学会から
“大石寺”の桜を全部切ってしまった”とか、
”大石寺”が荒れ放題になり参詣者もいない”等というデマカセの情報を聞いて
「本当にそんなことになってるのか」と疑問に思い(その当時はまだ、登山には行くことが出来たので)
自分の目で確かめようと行ったところ、桜は以前と何も変わらず参詣者もまだまだ沢山の方が来ていたのを
見たときに、「これは創価学会の言うことを鵜呑みに出来ないな」と、暫くは様子を見ていたと言うことです。
そして、宗門と創価学会との両方の情報を聞いたり見たりしながら 検証したところ、
やはり創価学会が間違ってるという結論に至って宗門に戻ったと言うことでした。
 
やはり自分が調べたように創価学会が絶対間違っているとの確信を再認識し、即刻創価学会を脱会しようと決意しました。
 
その頃ちょうど、“池田大作を永遠の師”とする誓いのような(内容は、はっきり覚えていませんが。)署名をして欲しいとのことで
自宅まで婦人部の方がこられ、まるで当たり前のように署名を求めるので、はっきりと『断る!!』と言うと、
婦人部の方は『ええっ!?』という驚きの表情で、ドン引きすると共にオロオロし慌てて帰っていきました。(笑)

そして、直ぐに脱会し法華講の婦人長に自宅へ来てもらい、ご本尊様を見てもらったところ
『これはニセ本尊ですね。すぐに取り替えましょう。』ということで、

早速ご住職様に相談し、日にちを決め,すぐに本物の御本尊様を御安置することができ、
家族全員で去年の平成19年6月に日蓮正宗に復帰することができました。
このニセ本尊にしても、私や妻が知らないうちに、母親をうまく丸め込んで替えさせたようです。

それから現在までは、本当に今までとは180度違った自分になり、妻や娘達も信心に対しては戸惑い驚くほど変わりました。
毎朝、お寺での朝参りに通い、今までは教学等の勉強などは一切したことがなかったのですが、
御書をはじめ
法華講の初心者の心得や基礎教学等の書籍を購入し、
また、母親が残してくれた昔の創価学会の折伏教典等を
勉強させて頂いております。
同時に樋田様の法論や質問会のDVDなどを購入し、私が所属する法華講の方にお見せしたり、
地元の創価学会員に見せたり、と折伏活動にも役立たせて頂いております。
また、去年の支部総登山にも妻と次女と(長女は仕事の都合で参加出来ませんでした。残念。)で参加することができ、
母も一緒に参加できていたらどんなに喜んでいたかと思うと本当にくやしく、胸が痛む思いです。
 
また、現在ではご住職様や執事様にご指導頂き、折伏活動に頑張っています。
 
長くなりましたが最後に、創価学会員の方で少しでもこの私の脱会した経緯を読んで、何か感じて頂いたとしたら、
今すぐ、一方的な創価学会の新聞・機関紙等の情報だけではなく、自分で正宗の法華講の方々が運営されているHP等を
観ていただき、本当にどちらが正しいのか、どちらの言っていることが嘘なのか、しっかりと冷静に検証して下さい。
樋田様のDVDを見ても、学会の幹部のブザマな姿、そして法論や対論も受けられない、情けない姿
学会のなかでは色んな言い訳をしているようですが、何を言おうが
DVDの映像を見ていただければ明らかです。
どうか、1日も早く脱会され日蓮正宗に戻られることを願い、本当につたない文章で申し訳なくお詫び申し上げ、
最後まで読んで頂いた方々に感謝致します。
 
では、失礼致します。
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