日蓮大聖人の出世の本懐とは何か?

御書を検索すれば大聖人御自らのこととして「出世の本懐」と仰せられるのは以下の三箇所のみである。

�@ あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(中略)宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ (阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793)

�A 仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。(聖人御難事 弘安二年一〇月一日 五八歳 1397)

�B 此の円融三諦は何物ぞ。所謂南無妙法蓮華経是なり。此の五字は日蓮出世の本懐なり、之を名づけて事と為す。(御義口伝 1729)


この御文のうち�@�Bは大聖人の「出世の本懐」とは十界文字曼荼羅御本尊のことであることが解る。
しかし�Aの御文は、古来から何が「出世の本懐」なのか、議論のあるところである。

�C 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。(三大秘法稟承事   弘安五年四月八日  六一歳 1594)

ただし、�@�B及び�Cの御文 三大秘法とは一大秘法に収斂されるから、それはまさに「十界曼荼羅御本尊」であろうことは充分類推できる。


御文を細かく区切ってみる。


去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。

仏は四十余年、
天台大師は三十余年、
伝教大師は二十余年に、
出世の本懐を遂げ給ふ。

其の中の大難申す計りなし。
先々に申すがごとし。

余は二十七年なり。

其の間の大難は各々かつしろしめせり。


この文は一つの主題ともう一つの副題に依って構成されている。

釈尊は四十余年の後に「出世の本懐」を遂げた。
天台大師は三十余年の後に「出世の本懐」を遂げた。
伝教大師は二十余年の後に「出世の本懐」を遂げた。
日蓮大聖人は、二十七年経った後に「出世の本懐」を遂げた。あるいは遂げる。遂げようとしている。

これは主題として「出世の本懐」がきれいにそれぞれ四人に相対し相関している。
そしてその「出世の本懐」を遂げる。という主題を補完する事項として「大難」という副主題が織り込まれているのである。
こうした読み方は、文法的には基本的、初歩的に揺るがし難い解釈である。

では各聖人の「出世の本懐」とは何か。

釈尊→法華経
天台大師→摩訶止観
伝教大師→迹門の戒壇

であることは異論のないところであろう。

表にしてみよう

聖人の名 年数 「出世の本懐」 を遂げる(主題) 意義 難に遭う(副主題)
仏 四十余年 法華経 法義の
究極の
顕現
それぞれ
大難があった
天台大師 三十余年 摩訶止観
伝教大師 二十余年 迹門の戒壇建立
日蓮大聖人 二十七年 日蓮大聖人の「法義の究極の顕現」とは何か   


前三師はすべて妙法蓮華経を根本としたところの脱益仏法における法義の究極の顕現である。

では、これら三師の「法義の究極の顕現」と対比できる日蓮大聖人の「法義の究極の顕現」とは何か。
弘安二年の法義上の大到達点とは?

それを明らかにするためにはそもそも日蓮大聖人の究極の御目的とは何であったのかを探らなくてはならないであろう。

日蓮大聖人はまず何と言っても日本国乃至一閻浮提(つまり全世界)の「広宣流布」を目指されている。
以下その文証


■ 日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。是時を知るなり。(教機時国抄   弘長二年二月一〇日  四一歳 272)

■ 総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。(生死一大事血脈抄 文永九年二月一一日 五一歳 514)

■ 終に権教権門の輩を一人もなくせ(攻)めを(落)として法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らん(覧)ぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。(如説修行抄 文永一〇年五月 五二歳 671)

■ 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 666)

■ 本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。(仏未来記 文永一〇年閏五月一一日 五二歳 676)

■ 日蓮死生不定(ふじょう)なりと雖(いえど)も、妙法蓮華経の五字の流布は疑ひ無きものか。伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす。但し定慧(じょうえ)は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕はせり。事相たる故に一重の大難之有るか。(富木殿御返事 文永一〇年七月六日  五二歳 679)

■ 本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩の別に授与したまふ所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず。経文には有って国土には無し、時機の未だ至らざる故か。仏記して云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云。天台記して云はく「後五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。伝教大師記して云はく「正像稍(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是(これ)其の時なり」等云云。此等の経釈は末法の始を指し示すなり。外道記して云はく「我が滅後一百年に当たって仏(ほとけ)世に出でたまふ」云云。儒家記して云はく「一千年の後仏法漢土に渡る」等云云。是くの如き凡人の記文すら尚以て符契(ふけい)の如し。況んや伝教・天台をや。何に況んや釈迦・多宝の金口(こんく)の明記をや。当に知るべし、残る所の本門の教主妙法の五字、一閻浮提に流布せんこと疑ひ無き者か。(南部六郎三郎殿御返事   文永一〇年八月三日  五二歳 683)

■ 彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。(撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 837)

■ 大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布(こうりょうるふ)はよも疑ひ候はじ。(減劫御書  建治元年  五四歳 926)

■ 一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1036)

■ 此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但(ただ)此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。(三沢抄   建治四年二月二三日  五七歳 1204)


では広宣流布の暁には何が必要なのか

以下の御文に明瞭である。


■ 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)

■ 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 血脈の次第 日蓮日興 (日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675)

■ 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり (中略) 日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり (百六箇抄 1699〜1702)


では「戒壇」とのお考えはいつ頃から顕現されてきたか。

それは 本尊 戒壇 題目 の義において顕れる。
三大秘法 三大事 と説かれても同義。


■ 今日蓮が弘通する法門はせば(狭)きやう(様)なれどもはなはだふか(深)し。其の故は彼の天台伝教等の所弘(しょぐ)の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩埵(さった)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。(四条金吾殿御返事 文永九年五月二日 五一歳 597)

■ 寿量品の自我偈に云はく「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり、秘すべし秘すべし。(義浄房御書 文永一〇年五月二八日 五二歳 669)

■ 天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。(法華行者値難事 文永一一年一月一四日  五三歳 720)

■ 如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。(法華取要抄 文永一一年五月二四日  五三歳 736)

■  問うて云はく、天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。答ふ、有り。求めて云はく、何物ぞや。答へて云はく、三つあり、末法のために仏留め置き給ふ。迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云はく、其の形貌(ぎょうみょう)如何(いかん)。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1036)

■ 此の本門の戒の弘まらせ給はんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし。所謂(いわゆる)正嘉(しょうか)の地動、文永の長星是なるべし。抑(そもそも)当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。(教行証御書  建治三年三月二一日  五六歳 1110)

■ 無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。(御義口伝 1765)

■ 第廿五 建立(こんりゅう)御本尊等の事
御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは「如来秘密神通之力」の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是(これ)なり。日蓮慥(たし)かに霊山に於て面授口決(めんじゅくけつ)せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。(御義口伝 1773)


こうして御文を列挙してみれば一目瞭然であるが、日蓮大聖人は、発迹顕本されて佐渡へ流罪されたその地から既に三大秘法、つまり本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目を三秘整足した形で志向されていたことが分かる。(各御文の詳細な解釈は省略する)

参考 三大秘法抄を偽書と言う者がいるが、文永九年から既に三大秘法の実現を目指されていた日蓮大聖人の法義からすれば、同書の示すところと全くの矛盾はなく、むしろ画竜に点睛を得たごとくの明快な御書である。
(※三大秘法の真偽については別項で論ずる)


さらに、以下の御文もある


■ 此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。(如来滅後五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 661)

"一閻浮提第一の本尊"とは文字通り、「ただ御一幅の本尊」

ということである。
"第一"とは二もなく三もなし。との意である。
この類文は繁多である。

■ 本尊とは勝れたるを用ふべし。(本尊問答抄 弘安元年九月 五七歳 1275)

これは、最極・最勝・最尊の本尊を用いなさい。ということである。
"最も勝れている"ということはただ御一体の御本尊のことである。
常識から言っても、最も勝れているものが二つ以上在る道理はない。

■ 本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(就註法華経口伝(御義口伝)1773)

法華経の行者・日蓮大聖人は、当然至極であるが、ただお一人であられた。
まさに"一身"である。
で、その"一身の当体"=本尊であるから、根本の本尊とはただ御一幅であるということである。
「本尊」である法華経の行者・日蓮大聖人が二人も三人も居られる筈はない。
しかも、この御文は、本尊は「人法一箇」であることを明示されておられる。
であるから本尊にはこの「人法一箇」の義が整足していなくてはならないことが自ずと知れるのである。
その人法一箇の義が体相に顕示されている御本尊こそが、"一身の当体"である根本の本尊ということである。

■ 諸宗は本尊にまどえり(開目抄上 文永九年二月 五一歳 554)

逆に論ずれば、根本とする本尊が複数以上あると思うから惑うのである。
根本の本尊はただ御一幅。と明確に決判されていれば、絶対に惑うことはない。
大聖人が後の門人達が惑うような曖昧な御化導されるはずがないのである。
(それでも迷見の者どもは、根本の本尊に惑って、妙本寺がごとくの未究竟の万年救護本尊などに妄執する輩も出る始末であるが。)


ここまで御文を明示すれば結論は一つである。

聖人御難事で示される
「弘安二年十月近辺に日蓮大聖人が遂げられた出世の本懐」
とは 
将来広宣流布の暁に建立される戒壇堂(正確には本門寺本堂)に御安置される御本尊を顕発されることである。
これ以外にあり得ない。
もし、その他に日蓮大聖人の「出世の本懐」があるというのならば、どなたでも大いに遠慮なく提示していただきたい。