418.勝手に閉鎖して まさに「遁走」したな。宿坊君
名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 16時43分
▼戒壇板本尊に文証はあるのか? ないのか?
→ 無い!
いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。
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●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?
▼「板本尊そのものの物証だけ。」
その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
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御先師日達上人御指南
■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳
川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)
■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様
は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)
この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
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この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
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