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メッセージ 43

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:30

 

418.勝手に閉鎖して まさに「遁走」したな。宿坊君
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時43分
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳
川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様
は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
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メッセージ 44

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:31

 

419.ここまで貴公らが卑劣漢だとは。ほんとびっくり!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時45分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。すなわち、上行菩薩の御自
覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。
 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのでありま
す。建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみまさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南
■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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メッセージ 45

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:31

 

420.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 16時46分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。

日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」


以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや

である。
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メッセージ 46

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投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

421.ほ〜〜?
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 17時7分
勝ったって?

何寝ぼけたこと言ってるの?

これからが更にいいとこなのに。

全国の皆さんが見てるんだぞ。

んじゃまあ、こっちの板へバシバシ破折の鉄槌をぶち込みますかね。

こっちには臆病者のミミズとかモグラとかネズミとかがウジャウジャ蠢いている巣窟ですものね。

更に面白い事になりそうですね。

ではよろしく。
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メッセージ 47

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

443.貴公の愚論など、詳細に検証すれば、他愛もない謗論ですね。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 22時16分
こんな愚昧な地獄行きの痴論をクドクド何度も言い返すより、お友達の宿坊君の一方的な遁走を嗜めたらいかがか?

貴公の愚論など、詳細に検証すれば、他愛もない謗論ですね。

ここでは、一方的に消されたり、書き込み封鎖されないことをお祈りしますよ。

頼みますね。

宿坊君にも気が向いたら参加するようにお伝え下さい。
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メッセージ 48

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投稿日時 : 2005/06/03 12:32

 

445.貴公らが大好きな、「生死一大事の血脈」が繋がらないと仰せである。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 22時42分
▼「ここに本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と大石寺が主張しても通用するのは盲信者の間だけ。
———————————————————————————————————————
●ここは、山人の主張である。
宿坊はただそれをコピーしていただけ。
今更一方的に敗走した宿坊を相手にしても始まらぬ。

ここは、山人自ら、「自分は三大秘法の根幹の大御本尊様を信じ、拝することが出来ませんでした!」と満天下にその不信謗法の根性を、更にまた、前世の悪因縁を晒しているようなもの。

ではここで初めて山人に問うが、貴公はもしかして、あの偽造、掛け軸状に見せかけた、黒もカラーもごっちゃ交ぜで、一発多色印刷のニセ本尊を、有り難く押し戴いて拝んでいるのでしょうか?

もしそうならそう、違うのならこう、と表明してみませんか?

まっ、表明出来ても、出来なくても、痛烈に破折できるから、当方としてはどちらでもいいですけど。

さて、こういう不信謗法の者はどうなるのか。
大聖人様の御言葉をお互い拝そうではないか。

■「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈之無きなり。」

貴公らが大好きな、「生死一大事の血脈」が繋がらないと仰せである。

心して無間地獄の準備をするべきではないか?

「山岳救助」どころの話ではない。呵々。
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メッセージ 49

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

446.こういう、前提の設定すら外してしまうところが謗者の謗者たるところか。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 23時9分
▼例えば西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺や、他の日蓮系寺院が全く同じく「内の寺に本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と言ったらどうする? 単なる笑い話、ひとり言、妄想にとりつかれた随分とお気楽、おめでたい話にすぎないことだろう。
———————————————————————————————————————
●はい、ここも更に馬鹿が馬鹿を重ねた発言。

大体にして、「西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺や、他の日蓮系寺院」に「戒壇の大御本尊」様自体がおわさない。らしき御本尊すらおわさない。
前提自体が全くの根拠がなく、「貴公の言うことは、全くの、的外れ!」(かの新階氏を真似て。)

こういう、前提の設定すら外してしまうところが謗者の謗者たるところか。

こんな前提を平気で為す者は、「単なる笑い話、ひとり言、妄想にとりつかれた随分とお気楽、おめでたい話にすぎないことだろう。」

正に正論。呵々。
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メッセージ 50

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

449.今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月1日(水) 23時34分
▼大石寺が主張するのも同じで「自主申告出世の本懐」などは、笑い話のネタにしかすぎないことを知るべき。「自分達は血脈正統」という潜在意識から、絶えず高みから下を見下ろす習慣でものをいっても、一般常識の前には、はかなく消えることを知るべきだろう。
———————————————————————————————————————
●そうであるものを是と言い、そうでないものを非と言う。

ただそれだけのことなのだが、生い立ちの悪い、貧相な者どもは、僻み根性が強くて、正しく物事の是非が見極められないらしい。

まさに、一水四見で、境涯が低いと、正しいものが正しく見れない見本だな。

大体にして、一般常識から仏法の真偽を計ろうという見方が最早外道に堕している証拠である。

■「機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり。」

山人君、「大なる僻見(びゃっけん)」で仏法を云々してはいかんね。

さて、ではそういう外道・外見に堕した山人君らはどうなるのか、また大聖人様の御言葉を共々に拝そうではないか。

■「我が弟子等の中にも「未得謂得未証謂証」の輩有って、出仮利生の僧を軽毀せん。
此の人の罪報具に聞くべし。
今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。
爰に無智の僧侶、纔かに法華経の一品二品乃至一部、或は又要文一十乃至一帖二帖等の経釈を習ひ受けて、広学多聞の僧侶に於て同位等行の思ひを成す。
之の僧侶は是くの如き罪報を得ん。
無智の僧侶尚是くの如きの罪報を得ん。
何に況んや、無智の俗男俗女をや。
又信者の道俗の軽毀尚是くの如し。
況んや不信謗法の輩をや。」

いや〜、今回の御言葉は特に厳しいですね。

■「何に況んや、無智の俗男俗女をや。
又信者の道俗の軽毀尚是くの如し。
況んや不信謗法の輩をや。」

貴公のような、与えて言って「無智の俗男俗女」
奪っていえば「不信謗法の輩」に対しては、殊に厳しいですね。

■「今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。」

より、更に深い罪ですって!
どうします?

いよいよ、「山岳救助」してもらわなくてはね。
いや、でも無理でしょうね、共々に■「今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。」ですから。

本当にどうします?
人事ながら心配ですよ。少しばかり。
貴公が慙愧の心でも起こせばもっと心底心配できるのですが。
この程度の人間で「人間革命」してなくてすみませんね。
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メッセージ 51

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投稿日時 : 2005/06/03 12:33

 

455.ここへ来る皆様の為に、再掲します。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時16分
宿坊君の勝手で突然の「勝利宣言」という遁走による書き込み閉鎖の為に、ここへ来られる皆様の為に

———————————————————————————————————————
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳
川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様
は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
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メッセージ 52

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:34

 

458.山人君の痴論が長くて愚痴っぽくて嫌だね。テキストが埋もれてしまうではないですか
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時19分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」

書き加え●更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。すなわち、上行菩薩の御自
覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。
 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのでありま
す。建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみまさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南
■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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457.えっ

 

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投稿日時 : 2005/06/03 12:34

 

459.ここは活気があっていいね!好きだ〜、こういう雰囲気!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 0時21分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。

日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」


以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや

である。
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468.みなさん!おはようございます!今日もよろしくお願いします!
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 9時22分
>■「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」


▼ 1281年・弘安4年4月 三大秘法禀承事 与大田金吾 P1022
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か


富士一跡門徒存知事でも「日蓮大聖人は戒壇建立の場所は特定されていなかった。日興上人が奏聞した」ということが記述されています。

一 本門寺を建つべき在所の事。(聖典542) (日蓮宗宗学全書2-125)

彼の天台・伝教は存生に之れを用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに此の本門寺に於ては先師何れの国何れの所とも之れを定め置かれず。

爰に日興が云わく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河国・富士山は、是れ日本第一の名山なり。最も此の砌に於いて本門寺を建立すべき由、奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時必ず富士山に立てらるべきなり。〜 (御書p1607)


ご愁傷様です。

———————————————————————————————————————

● 本当に浅いですね。愚昧です。

この段は、本門戒壇の勝地はどこか?ということですね。
まず、文章の読み方から教えなくてはいけないようですね。やれやれ。

この富士一跡門徒存知事は、概ね五老の言い分、行体と、日興上人の主張、化儀との対比で構成されている。

全体を通読すれば、高校生位の古文読解力があれば容易に理解できるはずであるが、
「五人一同に云はく」等の語と、「日興が云はく」等の語が基本的に対になって構成されているのである。

従って、当該御文は、後段に、「爰に日興が云わく」とあるのであるから、前段には「五人一同に云はく」等の語が省略されているのである。

であるから、「此の本門寺に於ては先師何れの国何れの所とも之れを定め置かれず。」との主張は、五老の言い分であり、「本門戒壇」という最大深秘の御法門の相伝を受けていない五老が「本門戒壇」の勝地が何処であるか、などと知る由もないのであるから、この表現は至極当然。

しかも、「▼「日興上人が奏聞した」ということが記述されています。」などと、得意顔で書き込んでいるが、ここなどは、思わず貴公の学習程度を疑った。
「おい、大丈夫か?」と、問いたい所である。

奏聞=天子に申し上げること。

であり、当然ここは日興上人が天奏をされた事を記述されているのである。

日興上人御一人に「本門戒壇の大御本尊」の御相伝があるが故に、「広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。」と明示せられたのである。
至極当然中の当然である。

これまさに、貴公らが確たる根拠もなく疑難している「二箇相承」「百六箇抄」の内容が真実であることを裏付ける、重要な傍証ではないか。

貴公らがこの箇所を引文したことで、貴公らの疑難が如何に根拠希薄の、単なる、憶測による邪推・怨嫉に過ぎないことが益々鮮明になった。
ありがとう。

■「ぼう(謀)書をつくるゆへにかヽるあやまりあるか。」

誹謗・怨嫉の根性で腐っている眼で御文を捻じ曲げて引文するから、このような大恥をかくのである。

以後気をつけたほうがよかろう。

「ご愁傷様です。」呵々。
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467.とりあえ

 

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メッセージ 55

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:35

 

470.こんな「個人的見解」をこんなに公に発表していいのでしょうか?上位幹部に叱られませんか?心配です。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 10時7分
●>日興跡条々事 ■「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」(これ、前にも掲載しませんでした?日興跡条々事 が偽書であると言うのならそれを立証してください。)

「日興跡条々の事」に「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」との重要極まりなく尊い御指南が遺されている。
(貴殿はこれを偽書と言いたいのだろうが、宗門古来からこの書は最重要書のお取り扱いであり、学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのであるから、貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。)

———————————————————————————————————————
▼主張する側に「証明責任」があります。絵画の展示会に行って「この絵は○世紀の○さんの絵で」といわれて買おうと思いました。一応「本物? 本当に大丈夫なの?」と聞いたら係員が鑑定書も示さず「貴殿がもし偽作と主張したいのならば古画の研究としての、その明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。」とお客さんにいうのかな?

———————————————————————————————————————
●本当に愚かですね。曚いです。おまけに謗法の害毒で根性が曲がってます。

では、貴公の論理的矛盾を突きますか。
「日興跡条々事」は「●学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのである」し、今も学会の公式見解では偽書とはしていない。

であるならば

1、貴公が敢えて個人的な見解として該書を「偽書」と「主張する」「証明責任」は貴公にある。理の当然である。
2、貴公が、学会公式見解と異なった見解を述べることができる立場は?
(こんな「個人的見解」をこんなに公に発表していいのでしょうか?上位幹部に叱られませんか?心配です。)
3、以上の点を踏まえ、再度要求する。

●貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。

それも出来ずにただ「偽書だ、偽書だ」と喚いているのは、あまりみっとも良いものではないから、お止めになった方が賢明であろう。

■「賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。」

それとも、日蓮正宗に古来から伝わる「本尊」に見せ掛けた、しかもその体相は貴公らが否定する「戒壇の大御本尊」様に酷似した掛け軸状のニセ物を拝み続けているが故に、やはり、■「はかなきを畜という。」との畜生界に堕ちて、道理がまるで解らなくなったか?

ご自愛下さいませ。
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メッセージ 56

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:35

 

483.貴公が如何に欺瞞に満ちて恣意的に騙る、詐欺漢であるか、よく見せていただいた。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 11時46分
●>百六箇抄に仰せの「富士山本門寺の本堂」に建立せられる「本門戒壇」のことである。


▼「百六箇抄」(P867)の「下種弘通戒壇実勝の本迹三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」についても、当書自体が日尊系の相承書であるということを踏まえなければなりません。

———————————————————————————————————————
●「踏まえ」てみたところで、貴公らが用いる「御書全集」に、明確に載っている以上、この文言を否定はできまい。

———————————————————————————————————————
▼内容に立ち入り解釈しても、「ここに示される『富士山本門寺本堂が大石寺であるという根拠』はどこにもない」ということを知るべきです。

●ではどこか?

貴公らは最早明確な「三宝」「三大秘法」を明示できなくなっている状態は、興門派富士五山の北山本門寺辺りの「狭義」と近似してきている。

では、北山本門寺辺りを「富士山本門寺の本堂」と決めるか?

そこら辺が貴公あたりにはちょうど良い「本山」か。

では、本尊はどうする?

「本門戒壇の本尊」には何を持ってくるか?

・・・なんとも浅はかな邪難である。

どうせ吐くなら、首尾一貫して論理が通っている「邪義」を展開したら如何か?

こいうのを龍頭蛇尾という。

ああ、おそまつ

———————————————————————————————————————
▼日蓮正宗関係者が本書を読む時「百六箇抄は大石寺の相承書である」という前提から始めてしまっていますので、「百六箇抄に示される富士山本門寺本堂は、広宣流布の時の大石寺」としてしまいます。

●貴公らが用いる「御書全集」には

「 百六箇抄(血脈抄)   弘安三年  五九歳 与日興
具騰本種・正法の実義・本迹勝劣正伝、本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹んで之を結要す。
 万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云。」

と明記されている。

「日蓮謹んで之を結要」し、「万年救護写瓶の弟子日興に之を授与」したのならば、まさしくこれは「大石寺の相承書」であろう。如何?

貴公は創価学会が公式に発行している「御書全集」の既述を否定するのか?

本当に大丈夫?

当方の考えでは、今回の一連の対論文を学会本部広報室か何処かへ照会して、現時の創価学会自体の公式見解との差異を確認する計画である。

その時、貴公らの立場は大丈夫か?

———————————————————————————————————————
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メッセージ 57

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:36

 

484.馬鹿の見本が額に入って展覧会で飾られているような箇所である。
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 11時47分
▼しかし、百六箇抄は1400年代後半以降、住本寺僧であった日教乃至それ以降の人物によって大石寺に持ち込まれたと推考されます。

●「推考」される明確な根拠を挙げよ。

———————————————————————————————————————
▼少なくとも「大石寺の相承書では無い」ということは明らかになっています。

●上記と同様。
唯授一人の金紙・金口の御相伝の中に無いと断言できる明確な根拠を挙げよ。
———————————————————————————————————————

▼「富士山本門寺の本堂なり」のすぐ下に「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」
            【富士宗学要集 一巻十八頁】

とあるところからも明らかなように、本書は日尊系住本寺・上行院で伝承されてきたのであるから、この門流の派祖・日尊が、日興上人から聞かされたで「あろう」「本門寺構想」を、「当門流=日尊」として理想の「富士山本門寺」として記したと「推察される」。

→ 結果、この「富士山本門寺」とは日尊門流待望のものである、ということに「なる」。
(※「」→ は当方が挿入。)

●ここも、何度も言って失礼だが、馬鹿の見本が額に入って展覧会で飾られているような箇所である。

この御書全集に掲載の百六箇抄は、日辰本等が底本になっているから、「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」との既述があっても不思議ではない。

だからといってそれ以後の貴公の言い分は、「」で括った如く、全くの貴公の 想像・憶測・邪推・妄想・僻目・・の類の痴論である。

にも拘らず、最後 「結果、・・・・ということになる」と無理やり結論付けているのである。

真に粗い論の運びであり、正に「はかなきを畜という。」無様な醜態である。

貴公が如何に欺瞞に満ちて恣意的に騙る、詐欺漢であるか、よく見せていただいた。

真に幸甚である。

がしかし、そのような腐り果てた根性では間違いなく堕獄である事は必定である。

よくよく慎みあるべし。
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メッセージ 58

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:36

 

485.「大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」
 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 12時20分
▼この「百六箇抄」の大聖人真筆、日興上人写本等は無く、「上代において日尊門流に存在した」ということ『だけ』が史実なのです。故に、大聖人が「富士山に本門寺を建立せよ」といわれた「直接証拠」とはならない。

●はい、ここも貴公の偏向した思い込みによる邪推でしかない。

日亨上人はこの

■「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり。」

との御文には「一線」も「二線」も引かれていない。

では、日亨上人は「なに」を「基」にして、ここは「無線」でしかもその意義の真正さを認められたか?

日顕上人御指南

■「この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

との御言葉を拝すると、通称「百六箇抄」と呼ばれるその御「義」が、金口・金紙として唯授一人の御相伝の中に伝わってきているということが領解できるのである。

であるから、門外漢で卑劣漢・詐欺漢の貴公が、何と邪推しようが、堕獄の業因を積むだけであり、「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」の御義は、道理と御指南の指し示すところ、正に大聖人様からの御義であることは疑い得ない。

(根性が腐った者どもはどうか知らないが。)

はい、そこで、そういう謀者に対しての大聖人様の仰せを、また共々に御文に拝そうではないか!

■「三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来成仏の種子を失ふ、大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」

三世諸仏の成仏の根源である、三大秘法の義を破る貴公らは、まさに、

「大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。」である。
http://to

 

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メッセージ 59

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:37

 

160.ことらでよろしく。宿坊君も 山人君も 歓迎しますよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月2日(木) 17時33分
●※ 弘安二年のみならず大聖人御一期に御顕しになられた御本尊様の中で「本門戒壇」の御銘記があられるのは弘安二年十月十二日御建立の、正に今、日蓮正宗奉安堂に御安置申し上げる大御本尊様以外にはない。
もし他にあると言うのならそれを提示すべきであるし、

▼⇒ 何度もいいました。大石寺の板本尊は自主申告ですね。更に日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」というものがあります。

———————————————————————————————————————

●卑怯者で詐欺師には当方も何度でも言い聞かせるしかない。

今回は貴公の立場に立って少し言い方を変えてみよう。

客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。

今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に信を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは信じれない自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。
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メッセージ 60

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:37

 

162.天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 0時18分
▼更に日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」というものがあります。

●大体にして、こういう設問だからにしろ、日蓮大聖人様を「日蓮図顕本尊」だなどと、呼び捨てに出来る貴公らの「信心の無さ」をまず呵責しておくものである。

次に、ここがまた山人、貴公の卑劣極まりない、詐欺漢と当方から呵責される所以であるが、貴公が示しているのは以下の御本尊である。

「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり
仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺
に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。    東京 法道院。」

この御本尊がかの有名な、河辺メモの俎上に載られた、日禅師授与の御本尊である。

では貴公に問うが、この御本尊は、貴公の大好きな「立正安国会」の図録には(当たり前であるが)載っていない。

貴公の論法で言えば、「弘安二年の御真筆本尊は、この「立正安国会の図録」に載っている御本尊以外認めない、戒壇の大御本尊が弘安二年御作という証拠を出せ!」という立場だった。

では、今、何故に、その図録に載っていない、つまり貴公の言う、「真筆鑑定を受けていない」御本尊のことを、その脇書きを、自論を正当化する引証として用いるのか?

これ明らかに自語相違である。

もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

御真筆であるという証拠も出せずに、自己の正当性を証明するために用いるとは、まさに、貴公らが口汚く日蓮正宗を罵ってきたその罵声をそのまま自らに受ける事になる。

天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。

思うに貴公山人らは、このような策謀を暴かれるのを恐れて、勝手に書き込み封鎖し、あるいはまた書き込みを一方的に削除するなどして、当方の呵責の厳しい追求を逃れたのであろう。

謗法者の醜い末路は現前にある。

以後の生活はよくよく心して過ごすべきであろう。

而して命終の時は、定めし御戒壇様誹謗の極悪果の報いに慙愧の涙を流すことであろう。
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メッセージ 61

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投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

163.逃避・逃走・遁走している姿としての現証そのもである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時0分
また、「騙る」に落ちた。な。

山人君(宿坊君は貴公の邪説をコピーして回っているだけの「噛ませ犬」だけの能力しかないことが判明したので、基本点には貴公、山人君を対象に)その欺瞞に満ち満ちた邪義の逐一を粉砕する。

———————————————————————————————————————
 
▼なんか・・・この前に一瞬光って、いったいなんだったのかな?

●当方からの書き込みをそこへ掲載し続けることが出来ないこと、それ自体が最早貴公らは、当方と論として対等に論じ得ない、つまり、自らの邪難の矛盾を当方から突かれる事から、逃避・逃走・遁走している姿としての現証そのもである。

———————————————————————————————————————


●※ 「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。 東京 法道院。」

※ では貴公に問うが、この御本尊は、貴公の大好きな「立正安国会」の図録には(当たり前であるが)載っていない。貴公の論法で言えば、「弘安二年の御真筆本尊は、この「立正安国会の図録」に載っている御本尊以外認めない、戒壇の大御本尊が弘安二年御作という証拠を出せ!」という立場だった。
では、今、何故に、その図録に載っていない、つまり貴公の言う、「真筆鑑定を受けていない」御本尊のことを、その脇書きを、自論を正当化する引証として用いるのか?これ明らかに自語相違である。
もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

———————————————————————————————————————

▼⇒ はい、立正安国会もなにも、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をみましょう。
一、駿河の国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。

これが何を意味するか説明せずともおわかりでしょう。(笑)大聖人が日禅に三体、四体とご本尊を授与されたのですか。違うでしょう。「弟子分本尊目録」に日興上人が記されている記述と「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与の本尊」は共に「少鋪公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し」で合致しているでしょう。紛れもなく、この「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与の本尊」は日興上人時代から存在していた証拠であり、同時に日蓮図顕本尊であるということですよ。
———————————————————————————————————————
●ここである。まさに語る(貴公の場合は 騙る)に落ちる。である。

では訊くが、この「永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』」が日興上人御真蹟であるということは何を「根拠」にしているのか?
お得意の「筆跡鑑定」でもしたのか?

明確に答え給えよ。

当方ではその「根拠」は把握しているが、貴公がその同じ「根拠」を出だしたならば即座に貴公らの欺瞞を暴けるだろう。

「古文献に造詣の深い」貴公が、まさかそんなドジを踏むとは到底考えられないから、きっと当方が予測しているのとは別の「根拠」を示してくださって、当方を閉口させることができるだろう。

期待してますよ。

まずは、その答えを見てから破折しましょう。

この件に関しては、「日興跡条々事」の正否の証明に関係あることだから、返答を逃げなさるなよ。
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メッセージ 62

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

164.■悪口と折伏(日淳上人全集)
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時1分
●※ 謗法者の醜い末路は現前にある。以後の生活はよくよく心して過ごすべきであろう。而して命終の時は、定めし御戒壇様誹謗の極悪果の報いに慙愧の涙を流すことであろう。

———————————————————————————————————————
▼⇒ 成長ないですね。(笑) 少しは「勇気・希望・情熱」の湧き起るような、明るいこともいいましょうね。(笑) 
呪いの日蓮正宗と、希望の創価学会の違いですね。

———————————————————————————————————————

●既に貴公らに明示してある。

理解できなかったようだから、(恐れ多いことではあるが)今回は文中に解説を入れる。
———————————————————————————————————————
 ■悪口と折伏(日淳上人全集)

■罵詈讒謗と折伏とは混間されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。

「自ら正法を持ち正行を行ずるもの」 一大秘法を厳然と受持信行している我々の立場が
「他の過悪を責むるは」 貴公ら慢高く執深き者がただ闇雲に一大秘法を誹謗するを責め呵責してるのは
「折伏である。」

■自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして却って他を言ふは悪口罵詈である。

「自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして」 正に貴公ら、三宝を明示できず、が故に正しき三宝への帰依=正行がない。
「却って他を言ふは悪口罵詈である。」 貴公らが血統正しい日蓮正宗に為しているのが、悪口罵詈である。

■一つはうちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念止む能はず彼が為に悪を除かむとする親の情により、

親が子の過ちを戒める時には、時に厳しい言葉をも用いるのである。それは何とか目を覚まさせようとする慈悲の念から出るのである。

■一つは自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。

貴公らはどう逆立ちしても、大石寺700年の伝統には及びもつかず、もちろん正統な三宝がない。それが為に起こる怨嫉から出でる所の卑劣な根性からの誹謗である。

■此の両者は結果に於ては区別し難いがその原因に於ては千里の逕庭がある。

貴公らはこの違いを区別できないのである。

■即ち正法受持の自覚があると否と、而して受持するところはたして正法なると否とによるのである。

正統な三宝もない貴公らは正に正法ではないのである。

■他の過悪を挙ぐることは易い、その非を嗚らすことも容易である。
けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。

貴公らは700年間の歴史の中の僅かな瑕疵をあげつらって、その非を大仰に書き立てているだけの卑劣漢である。
そのような悪業背負った者どもであるから、一度は正法に巡り合ったのだが、悪因縁に曳かれて謗法の獄へ転がり落ちたのである。
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メッセージ 63

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投稿日時 : 2005/06/03 12:38

 

165.■近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時2分
■今の世悪口罵詈讒謗毀(此言)は多いが真の折伏は少い。

これ貴公らの姿である。

■悪口罵詈は如何に巧なりとも一顧だにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ。

貴公らの妄言はまさに「如何に巧なりとも一顧だにも価しないが」当方は正法からの折伏であるが故に貴公らの肺腑を痛く貫くのであろう。それが苦痛であるが故に貴公らは当方からの呵責から逃避するのである。

■日蓮大聖人曰く
「体斜めなれば影曲がる」と

体とは法である影とは行人である。

■されば行人の曲れるは法の曲がれるによる
影を矯んとならば法を糺さなければならぬ。

法若し正しくして影が曲ればそれは行人の罪であって法の罪ではない、

五濁爛漫の当世、法をさしをいて一々の言行を批判すれば悪口に堕する、

当方は貴公らの謗法の罪過を指摘し、糾弾しているのである。
法を差置いて貴公らの言行を批判しているのではない。

■唯受持する法の邪正を決するが折伏である。

それをとことん決しようとしているのに貴公らが遁走しているのである。

■近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。

これまさに貴公らの姿。

■徒らに奇言を弄して衆目を惑はさんとするものの如くであるが、

同上

■聞くところ見るところによれば悉く所謂悪口に過ぎない。

正に同上

■自らの智解の及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである。

正に正に同情、いや同上

■衆人先づ悪口か折伏かを批判して然るのちにその言を聴かむことが肝要である。 

当方から繰り出すものは以上の意義から言って、「悪口」ではなく「折伏」なのである。
ただ、貴公らにはそれが痛烈に響くが故に足掻いて「悪口」を当方へ浴びせている姿である。

                昭和六年六月  (大日蓮)
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メッセージ 64

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/03 12:39

 

166.我見に堕して救ふべからざるに到る誠に嘆ずべきである
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 11時4分
さらに、貴公らの不見識・不誠実な態度について、以下のお言葉を拝せ。

———————————————————————————————————————

■教義研鑽の態度(日淳上人全集)

 日興上人の御遺誡に曰く、
「御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと」と、
此れ実に聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。

求道者にして若し此大途を踏みはづさば遂に祖教に体達するを得ざるなり。

御書を心肝に染めざれば聖祖の御霊格に親炙し奉るを得ず。
而して極理を師伝せざれば我見に堕するを免れず。

此二途完うして智見初めて具はるを得る

然るに古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らずこれを忽がせにするもののみを見る、
此れが為に我見に堕して救ふべからざるに到る誠に嘆ずべきである。

今日異流百出教学の紛乱殆んど収拾すべからざる状態にあり、此の趨勢益々盛にして止まるところを知らぬ有様なるはその依て起るところ此の用意を忘れ眇目を以て祖書を妄断し未得謂為得となすが故である。

書を読むことは容易である、しかし書物の意を把むは難事である。
教を受くるは容易である、しかし教旨を体達するは難事である。

弘法空海に一を三と読むの大誤ありといはれ、無一不成仏を逆解する痴者ありしといふ。
天台に於て章安、孔子に於て顔回その旨を知るのみといふ。

もつて解しがたく達しがたきを知ることができる。

依つて真剣に道を求めるの士は常に此の弊に堕せざるの用意が肝要である。

即ち未だ到らざるなりとして、御書を拝すると共に極理の師伝といふことに心を置かざるべからず、

稍々 もすれば法によつて人によらざれの経文に執して強ちに人を斥けむとするものがあるが、此れ誤れる解釈にして師と法と合せざれば法によつて人を捨つべしといふなり、

師あつて法正しく法あつて師正しきを得、師言若し法に合せずとなさば躊躇することなく捨て更に師を求むべきである。
此場合我には遂に師あらずといはば上慢なり、中途にして挫折するは怯懦なり、
此二者はついに道を得ること能はざるべし、怯懦者は猶道を得る機あらんも上慢に於ては道を得べからず。

 方便品の中の「比丘比丘尼有懷増上慢優婆塞我慢優婆夷不信」を文句の四に釈して、上慢と我慢と不信とは四衆通じて有り、
但し出家の二衆は多く道を修し禅を得て謬つて聖果と謂ひ偏に上慢を起す、
在俗は矜高にして多く我慢を起す
女人は智浅くして多く邪僻を生ずと、

御義口伝に曰く
「此四衆は今は日本国に盛んなり乃至比丘比丘尼増上慢とは道隆良観等に非ずや、又鎌倉中の比丘尼等に非ずや、優婆塞とは最明寺優婆夷とは上下の女人に非ずや」と。

仏法を得ざるのみにあらず、かへつて仏法を失ふものは上慢と我慢とである。

仏法を行じて地獄に堕る人は十方の土の如しとは蓋し此の二慢を指すか、

上菩提を求むるものは省みて此二慢を捨離し、正法と正師とに帰せなければならぬ。

昔雪山童子が半偈のために身を投げし謙譲と真剣とは求道者の精神であらねばならぬ。

 然るに聖祖門下に於て如何にこの二慢の多きこと乎

御書を手にして一知半解我れ既に得たり師たりといつて慢執天より高きものあり、

此輩仏を破り法を濁す幾許なるを知らず、これこれを仏法の怨敵といふ。

求道者は師を択ぶに師伝曖昧にして法統明らかならざるものは、悉く此類として斥けざるべからず。

 正師とは日興上人とその門流あるのみ。昭和七年五月(大日蓮)
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メッセージ 65

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:11

 

170.『弟子分本尊目録』を真書と認めたのと同様の「根拠」は「日興跡条々事」にも存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 22時11分
●※日興上人御真蹟であるということは何を「根拠」にしているのか?
お得意の「筆跡鑑定」でもしたのか?


▼⇒ 笑わせてくれます、バカ役アホ役は難しいのですが、マサシ君なら吉本でもそのキャラクターで十分通用します。
しかし反論できないマサシ君は今頃むきになっていますね、
何処の宗派も異論が出ていない『弟子分本尊目録』をさも偽書扱いにしているのは、トヨダ驚愕部長だけです。大石寺でも認知されていますがご存じないのでしょうか?
———————————————————————————————————————
●噛ませ犬の宿坊の登場ですか?

貴公は日本語が読めないのか?
当方は『弟子分本尊目録』を偽書扱いしていない。

貴公らが「真書」として扱うのであれば、その「根拠」を示せ。と指摘している。
その貴公らが『弟子分本尊目録』を真書と認めたのと同様の「根拠」は「日興跡条々事」にも存在する、ということを論証しようとしているだけである。

もし、貴公らがその「根拠」を明示できない場合は、明らかに恣意的・作為的・謀略的・詐欺的・に古文献を弄ぶ卑劣漢・謀略家だと弾呵するものである。


———————————————————————————————————————

▼大白法・平成7年12月1日刊(第445号より転載)御書解説(32)—背景と大意
http://66.102.7.104/search?q=cache:a6OwkByEi1sJ:www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/gosho_explanation/032.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


大白法・平成10年11月1日刊(第513号より転載)御書解説(67)—背景と大意
http://66.102.7.104/search?q=cache:qHf_QT-4pqsJ:www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/gosho_explanation/067.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


日蓮宗でも認知されている
日蓮宗 現代宗教研究所所報第33号:185頁〜
http://66.102.7.104/search?q=cache:MAySdudJGvkJ:www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho33/s33_185.htm+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja


日蓮消宗も創価学会批判のために使っている。
正師に無断で勝手に授与した学会本尊はニセ本尊

日興弟子分の本尊に於ては一々皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有りと雖(いえど)も、或は親には強盛の信心を以て之を賜(たま)ふと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬(むく)いて之を授与すとい雖も弟子等之を捨つ。之に依って或は以て交易(こうえき)し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類(たぐい)其の数多きなり。故に賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり(『富士一跡門徒存知事』全集1606頁)

http://66.102.7.104/search?q=cache:HQ5kpBtgov0J:members.at.infoseek.co.jp/netplane/syuso2-nisehonzon.html+%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%88%86%E6%9C%AC%E5%B0%8A%E7%9B%AE%E9%8C%B2&hl=ja

———————————————————————————————————————
●このような「根拠」が掲載されている「出所」のアドレスを聞いているのではない。
「根拠」そのものを問い質しているのである。

即答せよ。

『弟子分本尊目録』という古文献が、どのような「根拠」に依って、真蹟と認知されるのか?

明確且つ的確に返答せよ。

その返答は、まさに「日興跡条々事」を御真筆と証明する「根拠」に他ならない。

もし違うのなら自信を持って、上記のような曖昧なアドレス(既にアップされて無いアドレスまで含まれている)ではなく、貴公の研究成果としての「根拠」そのものを示せ。
それを以って、貴公らが如何に謀略家か奸智に長けているか、証明しよう。


———————————————————————————————————————

▼⇒ マサシ君は脇が甘すぎる、
代わりをよこしなさい。ゴキブリ法太郎をここにつれてきなさい。
マサシ君の役目は終わったのです。

●当方の破折の矛先が貴公に向くのが恐ろしいか?

早く根拠を出し給え。

その間、貴公らの愚論を呵責していよう。
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メッセージ 66

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

171.再三論述しつくして証明しているが貴公らは耳を塞ぎ、目を覆い、口を閉ざしているだけである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 23時48分
●※即座に貴公らの欺瞞を暴けるだろう。

▼⇒ トヨダ驚愕部長反論不能に陥っています。

⇒ 弘安二年十月十二日に大聖人が「本門戒壇の大御本尊」の造立に関わったという
客観的証拠はまだですね。

———————————————————————————————————————

●ここは再三論述しつくして証明しているが貴公らは耳を塞ぎ、目を覆い、口を閉ざしているだけである。

そして戒壇の大御本尊様が密付嘱にして公の古文献に無いことを奇貨として、道理に反して馬鹿の一つ覚えに「客観的証拠、々」と吠え付いている馬鹿犬の様を晒しているだけである。

謗法の害毒によって、単なる道理が理解できないだけの 馬鹿 なだけである。

———————————————————————————————————————
●※「日興跡条々事」の正否の証明に関係あることだから、返答を逃げなさるなよ。

▼⇒ 「日興跡条々事」 日興真筆であるとまずは証明してください。

———————————————————————————————————————

●ここも既に説示してしている。

御霊宝御虫払い法要時にまさに猊下からの御指南があられる。
日興上人の「日興跡条々事」の草案を目の当たりに拝すことが出来るのである。

しかも、日亨上人は、聖教文庫発行の「富士日興上人詳伝」に於いても、該書を「正資料」とお扱いになられ、「正本大石寺に蔵す」と言われているのである。

こういう古文書研究では、貴公の好きな「他の日蓮宗」からも尊敬を集めておられた日亨上人が、疑いも無き正資料として認定されている文書に疑難を為すのは、ただ偏に戒壇の大御本尊様を否定せんが為の、貴公らの偏執によるところの邪眼で見るからである。

———————————————————————————————————————


▼⇒ 過去、400年間に登場した「日興跡条々事」の文面を確認して見たのですか。

⇒ 「日興上人大石寺の御置文」 (富要二巻・連陽房聞書 P145)

1476年・文明八年五月廿三日、

9世・日有が喋ったものを、四国土佐の連陽房が聞書した後、弟子の大円日顕に伝えた文書。                   

(尚、文中の記述「最後ノ五百歳闘諍堅固ハ今ヨリ96年也」から計算すると、1456年・康正二年に、日有が連陽房に語ったと推測されます。大聖人入滅、174年後です)                       
「一、日蓮聖人も武家に奏したまふ日興も只武家に訟へたまふ、爰に日目上人元めて国王に奏したまふ、去る間だ

『日興上人大石寺の御置文に云く

 天下崇敬の時は日目を座主として日本乃至一閻浮提の山寺半分は日目之を配領すべし、 其の余分自余の大衆是れを配領すべし』

と云へり、日興の遺跡は新田の宮内卿阿闍梨日目最前上奏の人たれば大石寺の別当と定む

『異本に云く

寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ』

と遊ばし置きたまひ畢りぬ、末法万年未来永々まで大石寺の別当日目で御座す事を人知らずして、上代に流布あらばこそ左様にも有らめ末代に天下御信用あらば座主誰にてか有らんずらんと、此の自讃により洛陽辺土の弘通者達日々夜々に弘通責伏有り、但し智慧の弘通なれば迹門なり迹門の時は高租日蓮聖人の御本懐に非らず必ず元三より歟已上、日目独り出世の本意にまかせて愚者の責伏・愚者の上の弘通なり、当時教機義時国相応の本門なり、只偏に兵者のみ乱を待つて運を開く道理に任せて爾なりと已上  」

⇒ この時代は、「日興上人大石寺の御置文」「異本」の二つの書ですね。これはどういう意味でしょうか? 「未聞未見の譲り状」の初登場といえますね。

現在大石寺版の「日興跡条々事」の原本と違いますね。 (^。^)
まだまだてんこ盛りですがどうしましょう。

———————————————————————————————————————
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メッセージ 67

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

172.何か問題でも?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月3日(金) 23時49分
●これが何か問題でもあるのか?

貴公が言うとおり、この書は、概略「第9世・日有上人が仰ったことを、四国土佐の連陽房師が聞書した後、弟子の大円日顕師に伝えた文書。」 である。

しかも貴公の言うが如き、
(尚、文中の記述「最後ノ五百歳闘諍堅固ハ今ヨリ96年也」から計算すると、1456年・康正二年に、日有が連陽房に語ったと推測されます。大聖人入滅、174年後です)        
はどうであれ、この聞書きを相伝されたのが 文明八年五月二十三日 であるから、1476年。
日興上人が大石寺建立がなり、日目上人へ御内付されたのが、1290年だから、その186年後である。

このような経緯の中で、日興跡条々事の御文がそのまま正確無比に伝わるというほうが無理である。

しかも、義に於いて、条々事の

「一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目
  嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。」 は

「天下崇敬の時は日目を座主として日本乃至一閻浮提の山寺半分は日目之を配領すべし、 其の余分自余の大衆是れを配領すべし」

と同義であるし、

「一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。」は

「異本に云く   寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ  と遊ばし置きたまひ畢りぬ、」と、

ほぼ同意である。

まさに正本が元と成り、その内容を日有上人が「お話になり」それを、連陽房師が「お聞きになり」、更にそれを日顕師へ「相伝=相対で伝える」されたのであるから、
正本と語句が若干違うのは当然過ぎるほど当然である。

更に、貴公は、「異本」についても難癖をつけたいようであるが、全然問題ないのである。

日亨上人は条々事について、

「誡めの状、祖滅五十二年、富士の長老日目日仙日善三師の置文にして正本二通総本山にあり入文は「為失」と「失ならん」との異のみ、但し日善の筆か。」

とあり、御正本の他に異本=写本が上古からある事を御確認されている。

だからと言って内容的にはほぼ同意であり、これがあるからといって正本に問題があるのではないか、などの問難は当たらない。全くの的外れである。

再度いうが、何か問題でも?
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メッセージ 68

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 12:12

 

173.当方”不勉強”にて。破折はそれから。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 0時0分
▼・ 日興跡条々事の内容は不審点が多い、故に公の鑑定を受けるまでは、真書扱いはできず、状況証拠では偽書になる

その理由は

・ 日蓮大聖人入滅194年後に世に登場し、相承とやらの内容を掌握している大石寺貫首が、400年かけて出した文面が全て違っている。なぜでしょう?

———————————————————————————————————————
●何の文献か?
当方”不勉強”にて、貴公が言う文証を知らず。
明示されたし。

———————————————————————————————————————


▼・ 近代に至り、大石寺貫首等が「本書、下書きが有るんだ」などと言いだした。指摘、 批判され、その後に出てくる「本書、下書き説」とは?


・ 過去に公開した歴代貫首は「本書、下書き説」など一言もせず。それが正しかったら、なぜ言わなかったのか?


・ それ自体が「本書、下書きの存在など無かった」ことの証明といえる。


・ 真偽を追求されて出てきた「本書、下書き説」こそ辻褄合わせが、ばればれだ。

———————————————————————————————————————
●ここも具体的に文献に於いて明示せよ。

当方”不勉強”にて。

破折はそれから。

以上。
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メッセージ 69

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 13:42

 

174.「紅の歌」の指揮のタクトだけを黙々と、口にガムテープを貼って、振ってい給え。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 10時33分
▼ふー、今日は一日出っ放し。めいっぱい仕事をやって、会合二つハシゴして、最後に「紅の歌」の指揮をとって、打ち合わせをやりながら飯食って、家に着いて、ヨッコラショッ、とね。(笑)
でも後一ヶ月、ガンバリましょう!
と、チャンネルを切り替えて。(笑)

●それはそれはご苦労様。

▼法華講員さん、あなたも都合のいい方ですね。ほんとにもう(笑)
今迄、法華講員さんの指摘・疑問につき、大半以上真正面からお答えしてきましたが、それに対する再反論はほとんどなく、ただ間口を広げ、いいたいことを言うだけいい、「罰論」を振り回すだけでしたね。

こちらは怪談義は無視し、明確にお答えしてきたつもりですが、今回も又、NO496で答えたものにつき、その返答もなく、間口を広げるのですか?

この世の中には「教えてあげません、自分で考えなさい」という言葉もあるのですよ。
勉強している子供が答えを親に聞いてばかりいるのでは、なんの勉強にもなりませんよね。

「かあちゃんなんか、どうせこの問題できっこないんだろう。ばかばか、母ちゃんは勉強しないで遊んでばかりで0点取って、おばあちゃんにおこられていたんだろ。ばかだ、母ちゃんはばかだ。おまけにあほ、でぶ、ブスだ気持ち悪い、あっちへ行け」
なんていわれても、ちゃんと健気に教えてあげるお母さん。
でも、きちんと「なにいうの、教えてあげたでしょ。悪いこといってごめんなさい、と謝りなさい。そんな駄々こねたり、悪口聞いてるとお友達もいなくなっちゃうよ。」と指摘しますよね。
今のあなたがこの子供役です。(笑)

———————————————————————————————————————
●※ もしこの御本尊を自らの邪難を正当化するために用いるのならば、御真筆であるという「証拠」を出だせ。早くせよ!

▼と、いわれてスパッと出しました。お宅の宗派にある本尊なのにね。(笑)

———————————————————————————————————————

●どうも貴公は「紅の歌」の指揮でお疲れのようだ。

それとも、当方からの詰問に返答できない、何か疚しい訳がおありのようだ。

その貴公が提示した、
———————————————————————————————————————

▼「日興上人が添書きされた日蓮図顕本尊に「本門寺に懸け万年の重宝たるべし」
———————————————————————————————————————

という、御本尊は、

———————————————————————————————————————

●「弘安三年太才庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少鋪公日禅は日興第一の弟子なり
仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺
に懸け奉りて万年の重宝たるべきものなり。    東京 法道院。」

———————————————————————————————————————

である。と当方は示した。

そこで、「立正安国会の図録に載っていないが、筆跡鑑定はどうした?何故御真筆といえるのか?」と詰問した。

その答えが

———————————————————————————————————————

▼⇒ はい、立正安国会もなにも、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をみましょう。
一、駿河の国富士上方の河合少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し。

———————————————————————————————————————

として、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』をその文証として挙げてきた。
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メッセージ 70

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/04 13:42

 

175.『弟子分本尊目録』を正資料とするなら、「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなる
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 10時35分
そこで、本題に入ってくる。

そこで当方は、この 永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』が御真蹟である、正統な正資料としての「根拠」を挙げよ。と詰問した。

勿論当方は、永仁六年(一二九八年)の『弟子分本尊目録』を御真蹟として拝している。
当方も、その「根拠」を信じ拝しているからである。

だが、貴公は明確な返答ができずにいる。

何故なら、貴公が今明確な返答ができずにいるその「根拠」は、実はその信憑性の論理的な裏づけとしては、まさに「日興跡条々事」においても同様に証明がなされている内容であるからである。

つまり、貴公が 『弟子分本尊目録』を正資料として用いるならば、同時に「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなるのである。

同様の「根拠」により、共に正資料と認知されている『弟子分本尊目録』と「日興跡条々事」を、
『弟子分本尊目録』だけは、自説の正当性を主張するために用い、かたや「日興跡条々事」は戒壇の大御本尊様を否定するには都合が悪いから、という姑息な理由で、偽書と邪難する。

こういう、貴公の欺瞞根性・謀略体質・奸智に長けたずる賢さを呵責しているのである。
———————————————————————————————————————
▼ですから

●※ 御真筆であるという証拠も出せずに、自己の正当性を証明するために用いるとは、まさに、貴公らが口汚く日蓮正宗を罵ってきたその罵声をそのまま自らに受ける事になる。天に吐いた唾は自らに落ちかかる、という馬鹿の見本のような箇所である。

▼というのは法華講員さんの先走りでしたね。このことにつき、ちゃんと「ごめんなさい」と謝りましょうね。
話はそれからです。わかったかな?

———————————————————————————————————————

●上記の如くである。

こういう根性の腐り果てた貴公に、当方が「謝る」道理は、万分の一も存在しないことを知るべきである。
世間に言う「盗人猛々しい」とはこのことである。呵々

———————————————————————————————————————

▼まあ、やさしく一言だけいっておきますが、当初より、当方の「スタンス」としては「弟子分本尊目録」は日興上人真筆として引用しています。(笑)

以前の書き込みです

⇒ さて、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112には、日興門下の弟子・檀那等、門弟の所在地、在家人弟子の別等が明記され、駿河国38名、甲斐国20名、伊豆国3名、武蔵国3名、計64名(出家16名・在家48名)が記載されています。立正安国会「御本尊集」の127幅と重複すると思われるものが8幅あり、これを引き、56幅に127幅をたせば、183幅。大聖人は最低でも183幅の曼荼羅本尊を図顕されていたことがわかります。紛失、流転、滅失、不敬もあり、実際には200体以上の図顕をされていたことは確実でしょう。
これら曼荼羅本尊の内、由来や伝承、その経緯などから、特定の本尊にだけ付けられた呼称が数多あります。

とね。(笑)

———————————————————————————————————————

●だから?

貴公が、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112 を正資料と扱う「根拠」を明示したら如何?

と「やさしく」訊いているのですがね?

貴公が「スパッと」答えられない理由は、とうに分かっているんですね。

だが、貴公の姑息な謀略を完全に摧破する前に、もう一度だけ、弁疏の機会を与える。

「盗人にも三分の理」 とやらを聞いてみるのもまた一興であるからである。

再度詰問する。

1、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』日蓮宗宗学全書2—112 を正資料として扱えるその「根拠」を明示せよ。
2、しかもその「根拠」が、「日興跡条々事」を正資料とする「根拠」と全く別であることを証明せよ。

この1,2が出来ない時は、貴公は「日興跡条々事」へ疑難をなす資格はない。

「紅の歌」の指揮のタクトだけを黙々と、口にガムテープを貼って、振ってい給え。
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メッセージ 71

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:54

 

176.貴公もほとほと頑迷固陋な、岩石のような脳髄の所有者だな。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時38分
●※ つまり、貴公が 『弟子分本尊目録』を正資料として用いるならば、同時に「日興跡条々事」をも正資料として認めないわけにはいかなくなるのである。
こういう、貴公の欺瞞根性・謀略体質・奸智に長けたずる賢さを呵責しているのである。

▼⇒ 大丈夫ですか?
法華講員さん、日蓮・日興の時代に存在しない「日蓮出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」を「存在したと証明する」などと、ご無理なことに首を突っ込んでしまい、証明できないままの現状とのギャップで、ついに妄想を抱くようになっちゃったのですか?

———————————————————————————————————————

●貴公もほとほと頑迷固陋な、岩石のような脳髄の所有者だな。
何度でも言ってやるが、「▼日蓮・日興の時代に存在しない「日蓮出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」と主張するなら客観的な証拠を以って証明して見せよ。
貴公が言ってるのは、確証など一つもない、ただの憶測ではないか。
貴公こそ大丈夫か?

———————————————————————————————————————

▼法華講員さんがこの一ヶ月間問われ続けて、すぐにやらなければいけないこと、はこれですよ。優先順位を間違えてはいけません。

●もう既に何度も詳細に論述している。
直接的なそのものズバリというような文証がなくても、十分に立証している。

大体が、700年も前の事跡について、その全てに「明確な文献的証拠」とやらを求めること自体が、頑迷である証拠である。
聞き分けのない、躾がきちんとされていない子供がする「無い物ねだり」と同じである。
そういう事に気付かない貴公の精神がニセ本尊に侵されている証拠であると繰り返し教えているのである。

———————————————————————————————————————

▼1 「本門戒壇の大御本尊」なるものの相貌を弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が図顕し、その板本尊造立に大聖人が関わり、それを自身の出世の本懐とされたということを証明しなさい。日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」を、即御自身とされた証拠もです。

●くどい頑迷な者には相応の対応をしてあげなくてはいかんようだ。

では、若干手を加え再掲する。

貴公は今まで以下の論述に反論できていない。

論理的に反論できずに、いつまでも自論をくどくど繰り返すのは もともとの馬鹿 か 精神病者か 謗法の害毒で人格が蝕まれた者か、そのいづれかの組み合わせの者である。
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メッセージ 72

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:55

 

177.この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時41分
▼戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?
→ 無い! 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

———————————————————————————————————————
●貴公はやはり、知能に少し問題がある方か?

▼「板本尊そのものの物証だけ。」

その御事がそのまま十二分に「客観的な証明」ではないか?
———————————————————————————————————————
御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。


● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」
=戒壇の大御本尊様は鎌倉時代に創られた。

● 更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

大聖人様の御一期の御化導の終窮究竟の極説とは三大秘法の御整足にあらせられる。
その本門の戒壇に掛け奉る本門の本尊を出世の本懐とされることは理の当然である。
「御真筆ならどの御本尊でもいいだろう」という道理は通らない。

現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。


もし貴公の言う大石寺の「戒壇の大御本尊」様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の「本門戒壇の御本尊」を遺されていないわけが無い。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と一往表向きには立てている大聖人が完全な仏ではなかったということになってしまう。

また中途で消滅してしまったというのなら、大聖人様に未来を予見するお力が無かったということになり、結局は大聖人様は仏でなかったということになってしまう。

そんなことはありえないのであって、以上の論法からいって、大聖人様が御仏であるのだから、戒壇の大御本尊様は大聖人様御作の、広宣流布の暁に本門戒壇に掛け奉る大御本尊様であることは理の向かうところ必定である。
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メッセージ 73

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:56

 

178.貴公らが拝んでいるニセ本尊も、日寛上人の御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているもの
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時44分
● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持
し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐
渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。

すなわち、上行菩薩の御自覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存
するのであります。

 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまで
の御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。

建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に
日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足
が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。」

→ しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

→ 更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

→ 戒壇の大御本尊様のみ、まさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

→ 上古から始まって全ての御書写・模写御本尊は、この大石寺の「戒壇の大御本尊」様の体相に酷似してる。
強い証拠的価値を持つ傍証である。

(貴公らが拝んでいるニセ本尊も、元は日寛上人が戒壇の大御本尊様を御書写せられた御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているものだから、他の弘安二年の御本尊と比して、戒壇の大御本尊様に酷似している。 )

→ 戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

→ 唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている。=後の時代に作られたものが鎌倉時代の手斧で削られるはずがない)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。

日亨上人御指南

■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」

→ 鎌倉期のしかも弘安元年以前に弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

→ では、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を、他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

→ 仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って顕せるはずはない。

→ では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
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メッセージ 74

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 0:56

 

179.客観的な文証がないのは当然過ぎるほど当然なのである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時46分
さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、客観的な文証がないのは当然過ぎるほど当然なのである。

(●上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。)



日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところ
の形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説
を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口
伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」
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メッセージ 75

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:31

 

180.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 16時46分
客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。

今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に信を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは信じれない自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。



以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
「無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや」

である。
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メッセージ 76

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:31

 

181.さ、逃げないで早く明示しましょう。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 17時22分
▼1309年・延慶2年(滅後28年) 寂仙房日澄 「富士一跡門徒存知の事」
日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も・或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し・或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり・故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

とあり、日興上人は自身の門下が、大聖人より授与された本尊に添書きしております。授与者の子孫や弟子が捨ててしまう、盗難に遭う等の事態が多発したためです。このようなことは真筆本尊の不敬にあたる故、日興上人はその伝持に厳格なる管理を期されたということでしょう。ということは、その添書きをまとめられた文献が存在するのも道理というものです。

———————————————————————————————————————
●これは傍証である。
貴公の言うように、「▼この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」
(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)

で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?
まさか知らないのではないですよね。
そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?

さ、逃げないで早く明示しましょう。

貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。
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メッセージ 77

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

182.貴公らの邪難こそ、まさに何の明確な根拠の無い「推測、憶測の駄文」ではないか。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 22時49分
今、宿坊らのBBSへ以下の如く書き込んでおきました。
———————————————————————————————————————

▼期限は今日一日
推測、憶測の駄文は敗北と見なします。

●貴公らの邪難こそ、まさに何の明確な根拠の無い
「推測、憶測の駄文」ではないか。

何を世迷言を吐いてるのか?

このもの狂う姿を見よ!

愚か者め。
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メッセージ 78

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

183.詳細に破折済み。貴公らの明確な論理的反論が無い。反論不能なのは貴公らではないか?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 23時5分
▼貴殿の反駁とする某掲示板は「本門戒壇の大御本尊」 を証明する
客観的証明にはなり得ない。
本日中以下の設問に回答無き場合は敗北とする。

●破折済み。


———————————————————————————————————————

▼1 「本門戒壇の大御本尊」なるものの相貌を弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が図顕し、その板本尊造立に大聖人が関わり、それを自身の出世の本懐とされたということを証明しなさい。日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」を、即御自身とされた証拠もです。

●詳細に破折済み。貴公らの明確な論理的反論が無い。反論不能なのは貴公らではないか?

———————————————————————————————————————


▼2 日蓮大聖人は唯授一人血脈相承をもって末法万年までの令法久住を期された。それは金口の血脈、法体の血脈といい、秘法を秘伝とするもので余人にはうかがい知れないものであり、広宣流布の時でも公開されることのないものである。という現在の日蓮正宗の教義の根幹、特に「金口の血脈、法体の血脈」が大聖人の教えであると証明しなさい。

●■「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」以上。

———————————————————————————————————————


▼3 日蓮正宗は、大聖人が唯授一人血脈相承により令法久住を期されていた根拠として「二箇相承書」を引用しますが、これが日蓮真筆であることを証明しなさい。

●日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

はじめから言っておくが、貴公らに、日顕上人への血脈相承を云々する資格はない。

———————————————————————————————————————
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メッセージ 79

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:32

 

184.貴公らこそ途方からの今までの詰問に全て返答せよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月4日(土) 23時6分
▼4 日興上人は日目を後継に指名し唯授一人血脈相承をされ、以降その血脈法水が大石寺貫主のみに継承される根拠として日蓮正宗は「日興跡条々事」を引用します。又、この書が真筆であるがゆえに「日興遺誡置文」の「時の貫首」を当たり前のように「大石寺歴代貫主」と解釈しています。ならば、この書が日興真筆であると証明しなさい。

●貴公らから

———————————————————————————————————————

▼1309年・延慶2年(滅後28年) 寂仙房日澄 「富士一跡門徒存知の事」
日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も・或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し・或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり・故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。

とあり、日興上人は自身の門下が、大聖人より授与された本尊に添書きしております。授与者の子孫や弟子が捨ててしまう、盗難に遭う等の事態が多発したためです。このようなことは真筆本尊の不敬にあたる故、日興上人はその伝持に厳格なる管理を期されたということでしょう。ということは、その添書きをまとめられた文献が存在するのも道理というものです。

———————————————————————————————————————
●これは傍証である。
貴公の言うように、「▼この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」
(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)

で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?
まさか知らないのではないですよね。
そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?

さ、逃げないで早く明示しましょう。

貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。

———————————————————————————————————————

に対しての明確な返答がない。

故にこの段も貴殿らの反論不能。

———————————————————————————————————————
▼5 富士宗学要集一巻冒頭に有る「御本尊七箇相承」以下、各相承書が日蓮・日興真筆であると証明しなさい。

●当初のスレッドの論題に非ず。
何を血迷っているのか?呵々

———————————————————————————————————————
▼6 「二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。(NO459の書き込み)」の証明=日興上人による二箇相承書の写本の呈示、もね。

●密伝により貴公らは勿論、一般に公開せず。
日亨上人も「上古の写本大石寺等に在り」と暗示されている。

以上

貴公らこそ途方からの今までの詰問に全て返答せよ。
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メッセージ 80

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

185.、■「我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。」
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時0分
山人君の不明を嗤ふ。  1

▼同時代の日興門下に戒壇板本尊否定の発言が有る

【 重須談所二代学頭・三位日順は「広宣流布の時の本尊は仏像本尊」と主張三位日順の発言で戒壇板本尊は否定されている! 】〜〜〜

———————————————————————————————————————

●丸で大笑いである。

1、貴公は何を「根拠」にこの「本門心底抄」を自説を正当化するための衣文とするか。

該抄末尾に


「眼師本奥書

用心抄と合本の奥に云はく

「心底抄    ■■日眼 判」 と在り又南条日住の筆に云はく

「宝物を以って伝へ畢りぬ卒爾に他見あるべからず。
文明十七年三月之を相伝す、当家随分の書と故上人常住御披見申され候なり。」

尚本山六世日時上人の御写・十八世日精上人・二十三世日俊上人写本等に依り校合す、但し日眼本最も美ならざるなり。

大正九年五月二十八日    雪仙  日亨 判」

とある。

貴公は「▼1349年・正平4年5月(滅後68年) 日順著」というが、確たる「客観的証拠」はどこにある?
真書は?

貴公が「戒壇の大御本尊」様をはじめ「二箇相承」「条々事」「百六箇抄」他、邪難を為している全ての宗門古伝書に対する疑難と同じ論法で云うと、こうなる。


(予め釘を刺しておくが、富士年表は日亨上人のご研究を拝し記載したものである。)


貴公が該抄を認める根拠は日亨上人のご研究に依るのではないか。
その同じ日亨上人が貴公が疑難する「戒壇の大御本尊」様からはじめ「二箇相承」「条々事」「百六箇抄」他、邪難を為している全ての宗門古伝書を正資料と認められている。
一方では、都合よく活用し、一方では邪難する。
そう云う者を、「根性が腐っている。」と指摘しているのである。

(当方は、当然ながら、日亨上人の、戒壇の大御本尊様をはじめ上記掲載の古伝書に対するご研究を全て信じ拝している。)

2、本文について

貴公は日亨上人の頭注

「仏像安置と云々、順師未だ興師の真意を演暢せず。後人此の文に滞ること勿れ」

を貶めて、「▼これはもちろん堀日亨師としての認識です。」と下しているが、
一体、貴公は如何ほどの「信心」「修行」「学識」があってこのような慢心の言を為せるのか。
「紅の歌」のタクト振っているのが関の山の貴公が、大学匠日亨上人のご研究を何を「根拠」に是非を論ずるか。

まさに日順師が、日興上人へ相伝された深秘の御法門への信解が至っていなかったが故に、広宣流布の暁の事相に於ける戒壇の義に未だ曚かった。という意義ではないか。

しかも、本文中の「本尊の図の如し」との文の、「本尊」が「戒壇の大御本尊」様でない、とどうして証明できるのか?

以上、簡潔に貴公の邪な立論の矛盾を突いた。

意識してこういう立論をしているとすれば、貴公は、やはり卑劣な策略家であるし、
無意識でしているとすれば、■「我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。」であるが故に、簡明な論理的思考ができない程、
正見を失ったか。

いづれにせよ、全くの不可、である。

やり直し。
http://www1.ezbbs.net/19/mksutra/

 

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メッセージ 81

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

186.(untitled)
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時9分
http://www2.ezbbs.net/11/owrokdb5mu/

法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か?

(というような題だったように記憶していますが)


に 宿坊・山人等の 哂える痴論が満載です。

この屑の山を、今切り出して、一つ一つ、分別して、焼却処分しているところです。

興味ある方は、向こうへ行って見ると、面白いですよ。

今まで当方の主張は、即座に削除していましたが、ここにきて、UPしたままになっています。

思うに、直ぐ削除したのでは、やはり周辺から「負けているのは、やっぱり宿坊・山人ではないか?」とか「臆病な人たちだな・・・」とかの風評が怖かったのでしょう。

いづれにせよ、変則的な掲示ですが、法論再開 といったところでしょうか?

向こうで削除された内容も、こっちでは全てUPしますので、両方を見比べて見るのも、また一興でしょう。
http://www1.ezbbs.net/19/mksutra/

 

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メッセージ 82

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 12:33

 

187.やはり貴公は、タクト振るだけにしたら?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 10時56分
▼【 他の日興門下の戒壇板本尊否定発言 】

@ 1344年・康永3年 日興上人の元、重須談所三代学頭を努めた西山
日代は「広宣流布の時は仏像本尊」を唱える〜〜

⇒出世の本懐・戒壇板本尊なるものがあれば、重須談所三代学頭・日代は「広宣流布の時に仏像造立」などと言わないでしょう。

———————————————————————————————————————

●またも大笑いさせていただいた。

山人君の不明を嗤ふ その1 と同轍である。

1、日亨上人仰せ

■「編者曰く陽師転写本に依り更に要山祐師本【辰師本の直写】を以って一校を加え又延べ書と為す、」

さあ、「真書は?筆跡鑑定したのか?そんな「客観的根拠」がないものをどうして引用できるのか?」呵々。

(読者に誤解なきように再述するが、当方は、当然ながら、日亨上人の、戒壇の大御本尊様をはじめ上記掲載の古伝書に対するご研究を全て信じ拝している。)

2、本文についても 前段と同様である。

日代師も日興上人に密伝せられた「戒壇の大御本尊」の深義の領解には至っていなかった、もしくは密伝であるが故に、日興上人から御教示されていなかったとも考えられる。

何れにせよ、上記引文が「戒壇の大御本尊」様の存在を否定する文証とするには、貴公の我田引水・牽強付会に他ならず。

貴公もこんな引文すればするほど、恥の上塗りである。

———————————————————————————————————————

▼A 京都上行院・日尊は日興上人の教示として「曼荼羅本尊は広宣流布の時までとされた」という

1340年・暦応3年5月(滅後59年・日興滅後7年) 弟子の日大が日尊の教示を記した「日尊実録=尊師実録」

「一 久成釈迦造立有無の事   
日興上人の仰せに云く、末法は濁乱也、三類の強敵之有り、爾れば木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り香華燈明の供養も叶う可から不、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉るべし」

日尊は師匠・日興上人の仰せとして、曼荼羅本尊は広宣流布の時までと解釈していました。
出世の本懐・戒壇板本尊なるものが有り、日達師のいうように弟子の皆が拝んでいたなら、日尊はこのようなことをいうわけがありません。「広宣流布の時分には本門の板曼荼羅を安置し」などと記したことでしょう。

———————————————————————————————————————

●またも噴飯ものの痴論である。

日尊師が未だ本門戒壇義を領解していなかった。

それだけのことである。

やはり貴公は、タクト振るだけにしたら?
http://toyoda.tv

 

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メッセージ 83

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:28

 

188.迷走する邪教の走狗となって、尻尾振ってタクト振ってる貴公が、云々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 11時55分
●※「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」以上。

▼⇒ 何が以上なの?〜〜
———————————————————————————————————————
●貴公は未だ▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示できていない。

当方からは、再三再四、道理を以って証明している。
それに対し、貴公らは、

▼⇒ 何をどう破折したのか?「私には証明できませんでした」と潔く認めたらいかがか。というか、強がって、突っ張って、格好つけて、大言壮語の連続だが、「それ自体が証明できません」という意思表示と解釈しますよ。(笑)

と単なる悪言を為すのみで、詳細な反論が出来ていない。

再度要求する。
▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示せよ。

できなければ貴公らこそ、▼「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」ということを「私には証明できませんでした」と潔く認めたらいかがか。というか、強がって、突っ張って、格好つけて、大言壮語の連続だが、「それ自体が証明できません」という意思表示と解釈しますよ。(笑) と自らの吐き出した汚物を頭からもろに浴びることになる。

追言するが、三宝も明示できない、迷走する邪教の走狗となって、尻尾振ってタクト振ってる貴公が、
御高齢にも拘わらず、日々丑寅勤行を奉行され、本門戒壇の大御本尊様の御開扉の唱導の師を勤められ、尊き御本尊様の御書写をされる日顕上人の御姿に「行躰」云々など、何万回生まれ変わっても言える資格などない。


———————————————————————————————————————
●※ 日顕上人御指南

「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

▼⇒ だからどうしたの。大丈夫?〜〜
———————————————————————————————————————
●1、池田氏は御相承を受けていない。ただの俗人である。

池田氏の発言を引用するのは、宗義の根幹である教義信条をいとも簡単に唾棄するその無節操さを指弾しつつ、創価学会には定見がない、ただの根無し草であることを明示するためである。

そういう無節操で不定見な、およそ正統な仏教とは程遠い、迷走している狂義を、そうと見抜けないものを、頭破七分というのである。

範道師の論文は傍証である。
時間的にゆとりが出たら、じっくり再反論しよう。

が、上記の御相伝を受けられた日亨上人・日顕上人の御言葉が何よりの証明である。

下種三宝がない貴公らが、下種三宝への尊信を失った頭で幾ら邪難を吐き出しても、貴公らは未だ偽書であるとする「客観的証拠」を出だせずにいる。

宝を持っていないものが、いくら宝を妬み、嫉み、憎しみ、軽しめ 悪口をなしても全く無駄である。

その宝はその宝を持たれた方のみが知りうることで、その御本人以外は全く知る由も無いことである。

しかし、その事を信解した人には間違いなく大聖人様・日興上人以来の血脈が自らの胸中に流れ通い、その証を実感することが出来る。

仏法の領解・体得の基本はあくまで信解なのである。

既に指摘してある。御相承の証拠の顕れは、御本尊書写である。

池田氏は御本尊書写していいのか?答えよ。
貴公はできるのか?明確に返答せよ。
出来ないのである。
してはいけないのである。何か反論は?
その御本尊書写出来ない者が、御本尊書写の御内証を御所持される御方に何を言っても駄目なのである。

現に、昭和54年以降、現御法主日顕上人御書写の御本尊を拝し多くの功徳を得てきた学会員の事実はどう説明するのか?
現に今法華講員が日顕上人御書写の御本尊を拝して功徳溢れている姿はどう説明するのか?

貴公がどう愚論を展開しても無駄である。
群狐が遠吠えしているだけである。

何度も訊いている。
貴公らが尊信する三宝は何か?
言えまい。
言えない者がどんなに邪智を捻っても無駄である。
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メッセージ 84

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

189.貴公の狡猾さは、云々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 12時25分
●※ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

▼⇒ さあ、これこそ早く持って来なさいよ。「うちのオトウチャン=ニッケンゲーカは本当は凄いんだゾウ」と、一人言いうのと同じか。(笑)

●※ はじめから言っておくが、貴公らに、日顕上人への血脈相承を云々する資格はない。

▼⇒ はい、それでは資格取得法は?(笑)
———————————————————————————————————————
●簡単である。御本尊書写が出来ない者が、されるお一人の方へ、云々する資格はない。

———————————————————————————————————————
●※貴公らから(中略)これは傍証である。
貴公の言うように、「この書=「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事」が日興(上人御)真筆であると証明しなさい。」(勿論当方は「ある理由」で御真蹟と拝している)で、貴公は、この書が、誰が、どのような基準で日興上人御真蹟と判定されたのか?を知っているのでしょう?まさか知らないのではないですよね。そんな「根拠」の無いことでは信じれませんものね?さ、逃げないで早く明示しましょう。
貴公の欺瞞が暴かれるのももう少しですね。 に対しての明確な返答がない。故にこの段も貴殿らの反論不能。

▼⇒ はい、あなたのいう「根拠」とやらは知りません。どうぞ「暴いて」くださいな。(爆笑) 
———————————————————————————————————————
●では暴きましょう。
この書を正資料として扱う根拠は日亨上人の御研究の成果である。

貴公の狡猾さは、この日亨上人の御研究の故に正資料と拝する全ての古文書の中で、片や自分に都合の良いものだけを自らの邪説を主張する根拠として用い、同じく日亨上人が正史であるとお認めの、戒壇の大御本尊・二箇相承・百六箇抄・条々事等の存在を、極めて恣意的に・偏狭した邪眼をもって、否定することである。

貴公を少し煽てて与えて言えば、学問的にも全く論の根拠そのものが偏向しているが故に用いられないし、
人間的な面から奪って言えば、貴公みたいな者をいわゆる 小狡い 下衆な奴 とでも言うのであろうか。


この章、この段以下は、ただの愚痴・悪口である。
詳細な反論の必要は無い。

次の章の破折に進む。
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メッセージ 85

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

190.矛盾に満ち満ちた事を平然と行える者を 正統な仏教の教えでは 謗法の極悪果による頭破七分者  と呼
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 14時1分
▼◎ 大聖人が「出世の本懐につき総別の二義を立てられた」という文証を示しなさい。〜〜

———————————————————————————————————————
●日寛上人 観心本尊抄文段



■「問う、弘安の御本尊応御本懐を究尽するや。



答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。



当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。



吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。」


●弘安年間より以後の御本尊がまさに「御本懐」であると択び、更に、弘安二年、十月十二日の戒壇の大御本尊様を特記して、御本懐とお示しではないか。

貴公らは日寛上人が「お書きになった」御本尊を元とした、改竄・複製・大量印刷・大量販売のニセ本尊を「信じて」拝んでいる。
その同じ日寛上人が「お書きになった」上記御文を「信ずべき」であろう。

———————————————————————————————————————

▼◎ 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである、と証明してみなさい!〜〜
———————————————————————————————————————

日寛上人 観心本尊抄文段



■「弘安元年已後、究竟の極説なり。

就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。

既にこれ三大秘法の随一なり。

況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。」



●はい、正しく貴公の問難「大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである」の如くである。


日寛上人が「お書きになった」御本尊を元とした、改竄・複製・大量印刷・大量販売のニセ本尊を「信じて」拝んでいて、
その同じ日寛上人が「お書きになった」上記御文を「信ずる」ことができないとすれば、そういう矛盾に満ち満ちた事を平然と行える者を 正統な仏教の教えでは 謗法の極悪果による頭破七分者  と呼んでいる。
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メッセージ 86

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/05 14:29

 

191.もし日寛上人の御指南が信じることが出来ないのならば、その理由を明記せよ。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月5日(日) 14時2分
▼◎ 「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊のことである、と証明してみよ! 〜〜

———————————————————————————————————————

● 日寛上人 当体義抄文段



■「色心」というは、色は即ち人の本尊、心は即ち法の本尊。

色はまたこれ境なり、心はまたこれ智なり。

故に知んぬ、人法体一、境智冥合、その義分明なることを。

豈本尊と戒壇、人法の本尊は体一互融に非ずや。


———————————————————————————————————————
▼⇒ 法華講員さん!大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は総じての意義である、といわれましたか?この本尊はどなたに授与されたのですか?
まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

———————————————————————————————————————

●ここなどは真面目に返答するだにも馬鹿馬鹿しい愚問である。



以下の論文が明快である。


<氏素性が不明?>
************************************************************
疑難 大石寺の戒壇本尊の願主は「弥四郎国重」だというが、これは御書のどこにも登場しない、氏素姓(うじすじょう)の全く不明な人物で、そもそも実在が疑わしい。
------------------------------------------------------------
回答 戒壇大御本尊の願主「弥四郡国重」殿の氏素姓(うじすじょう)であるが、今日においては、それが、熱原(あつはら)法難初期の弘安2年8月に、謗法者により斬首(ざんしゅ)された法華衆徒「弥四郎男(やしろうなん)」(御書1404頁)のことであったか、はたまた、熱原三烈士の1人・神四郎が、兄を弥藤次、弟を弥五郎・弥六郎というから、元の名は「弥四郎」で、武家(ぶけ)の家から出ていたために「国重」という名を持っていたものか、詳細を明らかに知ることはできない。


 だが、いずれにしても、日蓮大聖人の御境界(ごきょうがい)において、弥四郎国重をはじめとする強信(ごうしん)の法華講衆を戒壇大御本尊の願主とせられたことにつき、否定すべき何物もないのである。


 もし今日、願主の氏素姓がハッキリしないから、その御本尊も偽作ではないか、などというのであれば、現存する、確かな日蓮大聖人直筆(じきひつ)の御本尊のうち、授与者(じゅよしゃ)の素姓が不明な御本尊は数十幅(ぷく)に及んでいる。だからといって、これらの授与者は実在しない、御本尊も偽作である、などと言えないことはもちろんである。


 すなわち、願主の氏素姓がハッキリしているか、どうかにより、御本尊の真偽を論ずることは、明らかに誤りなのである。


 また、後世、不届きな者が御本尊を偽作するとしたら、それこそ、四条金吾や南条時光など、よく知られている人を願主に選ぶはずであって、わざわざ氏素姓のハッキリしない「弥四郎国重」という人を使うはずがない。



むしろ、「弥四郎国重」の名が使われている、ということは、御本尊が後世の偽作などではない証(あかし)の1つ、といえよう。
———————————————————————————————————————


▼◎ 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」である、と証明してみよ!〜〜
———————————————————————————————————————

● 日寛上人  文底秘沈抄



教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。

是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。

然るに三大秘法の随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり。





●もし日寛上人の御指南が信じることが出来ないのならば、その理由を明記せよ。
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メッセージ 87

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:57

 

193.偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 10時24分
▼(山人) おやおや、まだ一日、出歩いてる最中で、拠点のPC借りてますが・・・随分とにぎやかにしゃべりまくりましたね。まるで体温39度、血圧1?0ぐらいで、興奮状態ですかね。

そのわりには「鉄砲持たせりゃメクラ撃ち、刀を振れば空を切る」状態ですね。(笑)

要は「戒壇板本尊も相承書もなんにも客観的に証明できないけど、写本だけの御書・日興上人や門下の文献もあるのだから、それと同じで信じてくださいよ。」ということですか?それだったらそれで、冒頭から言えばいいのに、最近になって言い出したのですからね。
しかし・・・これは・・・即敗北宣言ですよ。(笑)証明できないのだから。

何が主題なのか、今一度認識し直さないといけないようですね。
「本門戒壇の大御本尊は本物か?」ですよ。「写本のみの文献は本物か?」ではありませんから、勘違いなさらないようにね。
その主題を論じて一ヶ月、なんにも進んでいないのが現状なのです。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と主張する、日蓮正宗が、法華講員さんが追求されていることを忘れてはいけませんよ

———————————————————————————————————————

●どうも貴公はやはりというか、いよいよというか、全くしかし、六根が不浄で人の言うことが腹に落ちぬらしい。

戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。
もし、偽物であると言うのなら、誰が、いつ、どこで、どのように、作ったのか、たとえ仮説でもいいから、提示せよ。と何度も要求しているのに、その件には一切反論不能なのは貴公の方であろう。

はい、やり直し。呵々
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メッセージ 88

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:58

 

194.また遁走ですか〜・・?詐欺師・山人君と能力なしの宿坊君?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 11時4分
山人・宿坊、その他、それらに追随する無能の学会員、という
ミミズ・モグラ・ネズミ等達のねぐら

スレッド「法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か?」



今度は、当方からの破折文に対してとうとう、『書き込み拒否』 です。

よほど、当方からの追求が怖いと見えます。

このように当方の書き込みを拒否すると言うことは、

1、最早論理的な反論不能ということであり、
2、また当方の破折が自分たちにも痛い、という表れであり、
3、更に又、当方の破折を自分以外の学会員たちに見られたくない、

という心理の表れでしょう。

山人・宿坊の痴論・愚論の一番のゴミの中核部分は片付いたので、今後は、山人や浜春等の痴論のゴミの山を最後まで整理します。

ご愛読の程、よろしくお願いします。
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メッセージ 89

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/06 11:59

 

195.こういう簡明な理屈が理解できないとすれば、
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 11時27分
●※ やり直し

▼⇒ ぷはっ、大丈夫ですか?いつから先生になっちゃったの。やっぱり宿坊さんがいうように大先生だったのかな。(笑)

日蓮門下数多有る中で「○○があるから我が宗派は大聖人よりの正統嫡流で正しい」としているところは、そうはありません。おそらく日蓮正宗がその最右翼であり、(あと本門正宗もあるけどね)さすれば、当然、日蓮正宗のみが正しく唯一絶対無二の宗教であるところの根拠とされる「戒壇板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」につき、証明責任が伴うということ、他より説明を求められるのも当然であります。ところが「謗法不信の者には公開せず」なのですから、追及されるのもこれまた、自然のなりゆきですし、日蓮正宗の頑なな姿勢がそれを招来している、ともいえます。

日蓮大聖人の御文、日興上人以下門弟の文献等で真筆もあれば、写本のみのものもあります。勿論、これらについても文献内容を詳細に検討し、種々の角度から考察を加え、その真偽を判じていくのは当然の作業ですね。
しかし、これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。

ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。大石寺貫主に唯授一人金口嫡々血脈相承が継承される故に自宗は正しいとし、他の宗教は全て無間地獄行きの邪宗教としているのですから、「その正体をまっ先に追求されるべきは日蓮正宗の戒壇板本尊であり、同じく真偽を追求されるのも根本教義に関わる相承書」なのです。

その「追求対象外の一般的な文献」の一つに「日順の本門心底抄」があるわけで、「広宣流布の時の本尊は仏像本尊」は、一人日順のみならず、日代・日尊と日興上人膝下で薫陶を受けた3者が発言しており、ここから「日蓮大聖人・出世の本懐・唯一絶対無二の戒壇板本尊不存在」が判断できるわけです。

しかも、上代における日興上人門流に戒壇板本尊が有ったのか?無かったのか?を論じているのですから、あらゆる文献を考察の対象に加えることは当然ですね。

ところが、その文献を引用した当方の指摘に対して、

●※ まさに日順師が、日興上人へ相伝された深秘の御法門への信解が至っていなかったが故に、広宣流布の暁の事相に於ける戒壇の義に未だ曚かった。という意義ではないか。
———————————————————————————————————————

とはね。(笑)

⇒ はい、判で押したようないつものセリフですね。こういうのを〜の一つ覚えと言うのですよ。いったいこういった恥さらしな「お言葉」をこの宗派は何百年間言い続けてきたことでしょうか。

———————————————————————————————————————

●だらだら、どう書いても貴公の痴論は論理が粗い。学問的に粗雑である

1、二箇相承書

日寛上人 三宝抄 

■ 宗祖一大事の秘法をば唯日興一人に授たまへり数多 の相承具に御伝の如し。而して弘安五年壬午十月十三日暁に亦一通を与へ身延の住職と 定め蓮師心易く思し召して御入滅あり。御付属状に云く、「釈尊五十年の説法白蓮阿闍梨 日興に相承す身延山久遠寺の別当たるべきなり在家出家共に背く輩は非法の衆たるべき なり。」之に依って興師身延の貫首となること已に七年而して祖師第七回忌に相当し自余 の五人も登山あり倶に御法事勤め畢んぬ 

日寛上人 法華取要抄文段  

■御書外十六 四十一 に御相承を引いて云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」等云云。

日寛上人がここまで明確に「二箇相承」を引文されている。

1、貴公らは日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝んでいる。

2、しかし同じ日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、という。

何故1のケースは信じることが出来、2のケースは信じることが出来ないのか。

こんな小学生が聞いても矛盾と分かることをいい大人が論理的に明確に説明できないのは、
簡単である。貴公らの立論が間違っているからである。

こういう簡明な理屈が理解できないとすれば、やはりそれは三宝誹謗及びニセ本尊の毒気の害毒が精神に廻って、正常な思考が出来なくなっている状態、即ち 若し悩乱する者は頭破七分 の現証そのままである。
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メッセージ 90

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:45

 

196.夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 12時28分
山人は泣きべそかいて引き篭りか?呵々 

宿坊はただ吼えているだけだからつまらん。

二箇相承 2

▼「これらの文献は日蓮門下の認識として共有できるものも多々あり、一般的に使用されております。
ただ、「板本尊・二箇相承書・日興跡条条事」は別なのですよ。」

●では貴公の好きな「日蓮門下の認識として共有できるもの」である、立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』全4巻(身延山久遠寺)に、二箇相承の内の一箇『日蓮一期弘法書』が編入せられているそうな。

まさに、『日蓮一期弘法書』は「日蓮門下の認識として共有できるもの」として「一般的」である証左ではないか?呵々

———————————————————————————————————————

二箇相承  3

もし二箇相承が偽書だとしたら、日興上人は大聖人御入滅後、何故身延の貫主として入山され、それに対して、五老の非難がないのか?

これ正しく、二箇相承に説かれている内容が現実であった証拠ではないか。如何?


宿坊君じゃ無理じゃないか?

夜まで待つか。お仕事と指揮振りに忙しい山人君?
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メッセージ 91

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:45

 

197.引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 14時10分
▼⇒ ならば「日興上人へ相伝された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。「唯授一人で、密付属で云々」などは、あなたの宗派内だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。
「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「日蓮⇒日興の深秘の御法門の相伝」があった、という客観的な証拠を直ちに出しなさい。居丈高におしゃべりするのも日蓮正宗信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「日興上人へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。

———————————————————————————————————————

●本当に愚痴っぽくてくどい性格である。

昔学会時代に聞いたことがある。

『愚痴の信心救い難し』 と。


貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

引き篭りの山人君じゃ最早無理かな?呵々。
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メッセージ 92

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

198.学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時13分
●※ 一体、貴公は如何ほどの「信心」「修行」「学識」があってこのような慢心の言を為せるのか。

▼山人曰く⇒ 私たちが一から十まで日亨師のいうことをきく人間なら、「戒壇板本尊・各相承書」のことなど最初から云々していませんよ。(笑)
「何が史実で、何が作り話なのか」「何が大聖人の教えで、何が後世作られた己義なのか」今はそれを分別し、明らかにする時がきたのです。その際に可能な限りの文献を考察の対象とし、正邪を分別、外に向かい明らかにしていくのは当然です。
「日蓮大聖人は各経典をご覧になって、立宗宣言をされ諸宗破折を始められましたが、それは慢心であり、経典編纂者・収集者に対する冒涜、不遜」でしょうか? (笑)
———————————————————————————————————————

●日蓮大聖人は 生智の妙悟 三大秘法を胸中に秘して持っておられた上で、その御教導の為の、御確認・御研鑽であられる。

貴公らのように、 

一方で、日寛上人が「書かれた」の御本尊(の改竄複製偽本尊)を「信じ」拝み、しかし、一方でその日寛上人が「書かれた」御指南は「信じ」ない、などという、惑い、悩乱して、各経典をお調べになったのではない。


———————————————————————————————————————
●※ しかも、本文中の「本尊の図の如し」との文の「本尊」が「戒壇の大御本尊」様でない、とどうして証明できるのか?

▼⇒ ほう、ならば「本尊」が「戒壇の大御本尊」であると論証してごらんなさい。(笑)

●本当に 莫迦ですか?
ここは元々双方証明できないのである。つまり両方の可能性がある、ということである。

にも拘わらず、貴公は一方的にこれは「戒壇の大御本尊」ではない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。
何度指摘しても理解できなければ、それは根性が曲がっている、としかいいようがない。
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メッセージ 93

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

199.発言の本人池田氏でどうか。呵々
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 16時14分
●※ 日代師も日興上人に密伝せられた「戒壇の大御本尊」の深義の領解には至っていなかった、もしくは密伝であるが故に、日興上人から御教示されていなかったとも考えられる。

▼⇒ これこそ「またも大笑いさせていただいた。」ですね。
あと何回「深義・密伝」を出しますか。(笑)
さあ、これも同じです。前提として「戒壇板本尊が当時存在していた」「それに関する法義がある」「戒壇板本尊は日蓮から日興への密伝である」を直ちに証明しなさい。
日蓮正宗が自説を正当化しようとすると、必ず出てくるのですから、直ちに証明しなさい。
日蓮正宗特有のこのような話法こそ「恥の上塗りである。」よ。(笑)

●貴公が頑迷ならばそれに相応するしかないようだ。

再掲

貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。

謗法・邪宗教の輩がする邪難と同じ。
以下、貴公の文に準えて書き直してあげましょう。

「→ ならば「上行菩薩へ付嘱された深秘の御法門」というものを直ちに証明しなさい。

「神力品の別付嘱」などは、あなたの宗派内(創価学会も含む)だけの盲信者にのみ通用するおもしろい話にすぎません。

「自らが正しいとする根拠」を自らの宗派内で信ずるのはかってですが、「追求されて、それに対する答えの中で引用」するのならば、「俺の答えは正しい」とあなたが思っている、その答えの前提「釈尊⇒上行⇒日蓮(大聖人)に深秘の御法門の相伝」があった、という『客観的な証拠』を直ちに出しなさい。

居丈高におしゃべりするのも日蓮系信者の特徴ですが、その言動の原動力(笑)がこういった「上行菩薩へ相伝された深秘の御法門」なのですから示しなさい。」

さ、やってごらん?

———————————————————————————————————————

●※ 再度要求する。「創作板本尊」「手作りの相承書=偽書」を証明しうる「客観的証拠」を提示せよ。

▼⇒ あなた自体が「客観的証拠」です。自ら実名で登場しながら、一ヶ月たっても「そのものズバリの証明ができない」その姿、現状、これで証明していますね。日蓮正宗の関係者誰一人「証明」した人はいません。

●疑難を為すものがまずその前提として、こういう客観的証拠が新たに出てきたので、偽物・偽書だと思う。とまず、提示すべきであろう。
初期の復習からだな。

昭和33年に戸田城聖氏が死去し、昭和35年5月3日、池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任した。



その就任式の席上、池田氏は、


「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。

したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」


と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表した。



貴公の論法で言うと、するとこの時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのか?
それともこの時はまだ若かったから、教学的に未熟だったから「偽物」と知らなかった?
では、功徳はあったのか?
無かったのか?
古い学会員はどうだったのか?

もっと言えば、学会は発足以来、牧口氏・戸田氏・池田氏・北条氏・秋谷氏・・・と連綿と会長はじめ会員全員が「偽物」を拝み続けてきた訳だ。

では功徳は?

それとも、いつの間にか、すりかえられたのか?

いつまでが「本物」で、いつからが「偽物」になったのか?

破門されてから急にか?・・・・

以上の事に論理明快に返答せよ。

やっぱり山人では無理か?
発言の本人池田氏でどうか。呵々
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メッセージ 94

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

200.いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時5分
▼今日も同志がゲーカの息子と対論。「二箇相承書実在の証明」を迫ると逆上、「ゲーカの御内証を信じるのだ」と吼えるだけ。(笑)
これが日蓮正宗の実状です。どうですか法華講員さん、日蓮正宗史上、初めて客観的に証明できる、という最高のチャンスを与えているのに、あと、どれぐらい待たせるのかな。皆が知りたいことはそこなんですよ。本門正宗の信者から「本因妙大御本尊を客観的に偽物と証明してみろ」といわれても、大笑いです。それとあなた方は同じです。「自らアリガタヤとやる本尊を、自ら客観的に証明できない」ということについては、本門正宗と同レベルなのですよ。それが日蓮正宗の現在地です。(笑)

———————————————————————————————————————

●読めば読むほど貴公の謗法深重の罪過に胸が痛む。

新しい板に来たことだし、再再度、『戒壇の大御本尊様は大聖人様御直筆御本尊様でしかも御出世の御本懐であることは疑い得ない。』との論証を表示しましょう。
貴公に再再度、以下の論証に対し明確な論理的反論を求む。
(もう、何度目だ? 馬鹿な番犬に吼えさせていないで、いい加減に自ら正当に反論せよ。この虚け者め。)
———————————————————————————————————————

御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。
だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。
それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。
それを見ても明らかに鎌倉時代である」
(昭和四十七年九月十二日)

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。
みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます。

これは私一人が見て言うのではなく、皆様の代表として、正宗信徒の代表として池田先生にも拝させたのでございます。
決して間違いございません。」

(昭和四十七年十一月二十日)
———————————————————————————————————————

なんと!池田氏もこのことは確認しているとの事である。

貴公は真実を真に探求したいのであれば池田氏に直接説い糾したら如何か?
それが真に学問をする者の学究態度であろう。

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。
———————————————————————————————————————
この問いに、貴公らの具体的な「客観的な証明」による反論は全くないではないか。
いつまで妄執に囚われて、明確な根拠のない己見に閉じ篭っているのか?
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メッセージ 95

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

201.貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時6分
● 鎌倉時代に限定される「道具」で間違いなく彫られている「戒壇の大御本尊」
=戒壇の大御本尊様は鎌倉時代に創られた。

● 更に、「本門戒壇」のと御認めは他の現存する御本尊には全く見られない。

大聖人様の御一期の御化導の終窮究竟の極説とは三大秘法の御整足にあらせられる。
その本門の本尊・本門の題目・そして本門の戒壇に掛け奉る本門の本尊を出世の本懐とされることは理の当然である。
「御真筆ならどの御本尊でもいいだろう」という道理は通らない。
それでは真の御整足にはならない。
事実、御本尊様の体相を拝しても佐渡期から弘安期へと大きな変化があられる。

しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。

もし貴公の言う大石寺の「戒壇の大御本尊」様が偽物だというのなら、大聖人様がその他に真正の「本門戒壇の御本尊」を遺されていないわけが無い。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。

また中途で消滅してしまったというのなら、大聖人様に未来を予見するお力が無かったということになり、結局は大聖人様は仏でなかったということになってしまう。

そんなことはありえないのであって、以上の論法からいって、大聖人様が御仏であるのだから、「本門戒壇」と唯一御銘記のあられる「戒壇の大御本尊様」は大聖人様御作の、広宣流布の暁に本門戒壇に掛け奉る大御本尊様であることは理の向かうところ必定である。

● しかも御相貌は正しく弘安元年以降の究竟せられた体相であられる。
———————————————————————————————————————

日顕上人御指南
■「この日蓮御名に南無妙法蓮華経が具わり、また、妙法の五字七字はこれを所持し給う日蓮大聖人の御当体たる、人即法・法即人の内証を御本尊として顕し給うのは、佐渡以降に始められた御本尊のすべてに顕されてはおりません。

すなわち、上行菩薩の御自覚は既に宗旨建立にあり、久遠元初自受用報身の内証は竜の口発迹顕本に究竟し給うも、
これを御化導の上の御本尊に顕し給うにおいては、おのずから時期によって順序階梯が存するのであります。

 今、端的にいえば、佐渡より身延に入られて、文永十一年、十二年、建治二年ごろまでの御本尊は、外用の上の意義を表となし、内証の当体を直ちに顕されていないのであります。

建治三年より弘安に至り、特に弘安以降において如実に南無妙法蓮華経の中央直下に日蓮の御名、御花押をお示しあそばされ、その上から御本尊の当体、当相に重大なる整足が拝される御本尊においてこそ、外用を撤廃して直ちに内証の本仏の当体を示し給うのであります。」
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メッセージ 96

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

202.二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時8分
●しかも「余は二十七年」との御書がある。それが弘安二年十月一日である。

●更に貴公らが例示した「立正安国会の図録」での弘安二年大聖人御真筆(と言われる)御本尊のその全てが、中央主題「南無妙法蓮華経」の真の「直下」には「日蓮」という御名と「御花押」があらせられない。(自分の目で確かめてみよ)

●戒壇の大御本尊様のみ、まさに「南無妙法蓮華経」の中央主題 直下にお名前と、御花押があらせられる。真に尊いお姿である。

●上古から始まって全ての御書写・模写御本尊は、この大石寺の「戒壇の大御本尊」様の体相に酷似してる。
強い証拠的価値を持つ傍証である。

(貴公らが拝んでいるニセ本尊も、元は日寛上人が戒壇の大御本尊様を御書写せられた御本尊を、撮影・改竄・大量印刷・大量販売 しているものだから、他の弘安二年の御本尊と比して、戒壇の大御本尊様に酷似している。 )

●戒壇の大御本尊様が特段に大幅であらせられる。

●唯一の板御本尊である。(何度も言うようだがその板は鎌倉時代の手斧で削られている。=後の時代に作られたものが鎌倉時代の手斧で削られるはずがない)

●相伝のない身延系の本尊を見ても、大聖人様御一期の御化導に沿っての御本尊様の体相の変化を領解して居る者など居ない。分かろうはずがない。
———————————————————————————————————————

日亨上人御指南

■「然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、」
———————————————————————————————————————

●鎌倉期の、しかも弘安元年以前に、弘安元年以降の御本尊様の体相を偽装して顕せるはずはない。

●であるならば、弘安元年以降の鎌倉期という限定された時期に、弘安元年以降の整足された御本尊様の体相を、他の弘安元年以降の御本尊と整合性をもって、一点の間違いもなく顕せる人は、大聖人様以外に居ようはずがない。

●仮に鎌倉期内で時系が下ったとしても、上記の日亨上人の御指南の如く、御相伝のない者が全くの整合性を以って御本尊を顕せるはずはない。

●では、貴公らの疑惑は「後代の御法主が偽造したのではないか」との疑難に絞られてくるが、それはまさに上古の御歴代上人へ唾を吐きかける真に恐れ多い邪難である。

●がしかし、それをも反駁すれば、鎌倉期と言えば、日興上人・日目上人・更に拡大して時代を下っても日道上人までである。御筆法は大聖人様と明らかに相違する。

●この事は、総本山・霊宝御虫払い法要に参詣し、上記の御歴代上人御書写の御本尊を真摯に拝せば誰人も速領できることである。
また、大聖人様と全く別の御方である御法主上人が、大聖人様の筆法と全く同じにすることは不可能である。
———————————————————————————————————————

●さて、更にここが根本的なことであるが、この「戒壇の大御本尊」の御事は、まさに唯授一人の御相承にのみ伝わる御相伝である。
故に、「客観的な文証」がないのは当然過ぎるほど当然なのである。

(●上古にそのものズバリの文献が無いのは、戒壇の大御本尊様の御事は日興上人のみへの密付嘱であったから、日興上人以外に戒壇の大御本尊様の真実の意義は知られていなかったし、密付嘱であるから敢えて伏せるべき内容であったからである。)
———————————————————————————————————————
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メッセージ 97

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:46

 

203.二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在する
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時9分
日顕上人御指南

■「法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、
身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。」

→ 今の本題ではないが、二箇相承も、実は既に日興上人の御筆による金紙が存在するということである。

■「この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える
者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところの形がなければならない。

つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。

それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、
  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五n)
ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。」
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メッセージ 98

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/07 12:47

 

204.無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや
返信  引用 
名前: 樋田 昌志    日付:6月6日(月) 23時11分
次に、客観性を求めるのなら、以下の前提をとりあえず仮定とする。

1、「戒壇の大御本尊」は大聖人様が顕された。
2、その「戒壇の大御本尊」は日興上人に密付嘱された。
3、そのことは唯授一人という血脈相承によって、お一人からお一人へしか伝持されていない。
4、その御相承は御相伝を受けた他の人には絶対に見せてはならないと、大聖人様からの厳命があった。
5、ただしその中でも信解・学解の進んだ者には開示しても良い内容も含まれていた。
6、がしかし、絶対に他言してはならない内容がある。
7、御歴代上人はこの厳命を堅持されてきた。
8、御相承の証は、御本尊書写の権能に極まる。
9、なぜか理由は分からぬが、御歴代上人以外は絶対に御本尊を書写してはいけない。
10、学会も昔も今もこれだけはとりあえず守っている。
11、しかし、なぜか分からない。
12、猊下以外、御本尊のこと、取り分けて戒壇の大御本尊のことは、どうして、どうなのかは全く分からない。
13、しかしこのことを裏付ける文献はあるものもあれば、直接証明出来ないものもある。

・・・・・

14、そして、かつての学会はこのことを深く信じ、功徳を頂き爆発的に増えた。
15、今、貴公はこの全てを否定し、信じることが出来ない。

こう見てくると、つまり、この「前提としての仮定」に「信」を取れるか、否か、の相違であろう。

結局、大聖人様の仏法は成仏の根源である三大秘法に信を取れるか取れないか、ということである。

貴公らには三宝・三大秘法がない。
明示できない。→ ということは 邪教ということ。

日蓮正宗は上記の「前提としての仮定」には論理的にも古文献的にも矛盾なく、問題は信じれるかどうかだけ。

つまり、貴公らは「信じれない」自らの不信謗法の罪業をくどくど満天下に向かって説明しているようなもの。

だから、当方は、貴公らの不信謗法の罪過を破折するのである。
———————————————————————————————————————

以上の論証で理解できないとすれば、貴公らの根性が腐り果てているだけであって、そういう者を救い難い 謗法者・一闡提人 というのである。

■「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来たって手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿、十王は裁断し倶生神は呵責せんか。」

まさに、
「無法無慙の甚しきもの八大地獄は貴公らの為に門を開けり・慎まざるベけんや」

である。
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メッセージ 99

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投稿日時 : 2005/06/10 14:28

 

205. 樋田 昌志様 質問してもよろしいですか?
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月8日(水) 9時40分
はじめまして、私は学会員です。
あれ?もうここに書き込んでもいいんですね。
あの、私は初心者なので法論とかは出来ませんので、最初にお断りさせて頂きます。元学会員の方なんですよね?
@関係ないかもしれませんが、樋田昌志さんってミュージシャンの方?
Aニセご本尊の件ですが、学会の公式な反論があったのか?なかったのか?
 ご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?また、戸田先生は勝手に書いて はイカンと記録されてますが、この反論はどんなものなのでしょうか?

よろしくお願い致します。


206.Re: 樋田 昌志様 質問してもよろしいですか?
名前:樋田 昌志    日付:6月8日(水) 15時58分
まず、あなたはどんなスタンス私にお聞きになりたいのか教えてくれませんか?

それによっては、返答の仕方の幅がありますので。

では、とりあえず簡潔に。

@残念ながらそうではありません。

A創価学会の公式の反論あったと思いますよ。

戸田先生の仰ったとおりだと思います。

私は学会時代戸田先生の指導を胸に刻んで信心を頑張ってきました。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:28

 

207.「この世に生まれた全ての生物の中で最低に惨めな境遇の生き物」達
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 10時48分
●宿坊またもや、背走して「書き込み封鎖」である。
予想どうりではあるが、今更ながら呆れ果てる根性の腐った輩である。

今後はこういう虻のようにブンブンまっている「この世に生まれた全ての生物の中で最低に惨めな境遇の生き物」達の邪義の本質部分を摧破していこう。

まずは、破折途中でもあった、「草薙」君の痴論を完全に薙ぎ倒してからいくか。
——————————————————————
▼どうした、マサシ君
この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。
君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

には、沈黙か。君は何回、この日達の駄文を引用、貼り付けしたのだ。各大学の歴史研究を行なう専門機関等に「日達説法」を送付し、判定してもらえ。これが「戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した。」ことになるかどうか、すぐにやりなさい。さすれば君の「明証」のほどが明らかになるであろう。
——————————————————————
● 再掲加筆

本当に貴公は大聖人を「日蓮」と呼び捨て呼ばわりする信心のないしかも法義に昧い者の代表格である。

■一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。

大聖人様の深遠なる教義の何たるかを知らない人に、何を「鑑定」できるというのか?
そういう謗法の人に「鑑定」を頼む必要など全くないほど、戒壇の大御本尊様は文証・理証(道理)・そして信行した現証として真正の御本仏であらせられることは、信心を以って拝すれば容易に感得できることである。

前傾の創価学会教学部の論文(仏教哲学辞典・池田大作監修)をよく読みたまえ。

貴公らはお可愛そうに、三世常恒の御法体・戒壇の大御本尊様を拝すことができないから、それが悔しくて、ただ悪口を言っているだけの哀れ惨めな謗法者である。

しかもこれほど誹謗をしている大石寺のその二十六世日寛上人が貴公らが義難している戒壇の大御本尊を書写された御本尊の、しかもその改竄・複製ものを拝んでいるとは!

この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。哀れなものである。

■謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。

虫けらでも何でも、その国を無間大城に引き連れておとす生物などいない。が故に、謗法者は「この世に生まれた全ての生物の中でこれほど惨めな境遇の生き物もいない。」と言われるのは、理の当然である。

世間でもかつては自分がその恩恵に浴してした人、組織などから自分たちが離れたりするとその元のことを過剰に悪口をいう愚かで、みっともない人間がいるが、貴公らも結局、まさに同様である。
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メッセージ 101

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

208.(untitled)
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 11時10分
●【 何度読んでもやはり全文意味不明である。では、本尊は誰が書いてもいいのか? 】

▼相手の言わんとするところを、理解できなくなるのが邪教信仰の害毒。君の愚問がどうかしたのか。答えて頂ける御方を募集したらいかがか。
——————————————————————
●悩乱者は自らの痴文の滅裂加減が分からぬらしい。

該文を再度晒してあげよう。

▼現在の創価学会が一応、継続性重視の観点から「日寛書写の本尊を拝む」と雖も、「書写した人は絶対」などとはしておらぬ。
「日寛がどんな文献を書いたか」は又、別問題である。
日寛は大石寺貫主なのだから当然「本門戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々」を本物とし論を展開している。
現在、問題にしているのは「日寛も本物とした」その対象が「実はどうだったのか」ということであるから、「日寛上人はかく仰せ」としたところで、なんの意味もない。
「大石寺歴代貫主の板本尊、相承書等の擁護発言」など、なんの興味も、関心もない。

●全く支離滅裂・悩乱の極みの様な痴文ではないか。

——————————————————————
●【 大聖人様の御義を厳粛に堅持される日興上人と、その日興上人を篤く尊信する波木井実長が疎ましくなっていたが故である。 】

▼疎ましくなって身延山久遠寺に参詣せず。これ即五老僧における日興への対等意識である。
同様の書は波木井実長筆にも存する。
君の駄文では二箇相承存在の傍証にすらならぬ。

●まさに無知がそのまま額に入れられたような内容である。

■日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば疑ひををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。(中略)日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし。我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし。

との御文の如く、大聖人様に対してですら面従腹背の輩がいた。そういうい意味では確かに「対等意識」であろう。
真に大聖人を久遠の御本仏と仰いでいなかった訳だから。

門下から対等意識で見られたから、だからといって、大聖人が御本仏でない、とはならないだろう。
それは見る側の信心の厚薄によるのである。

むしろ、日興上人が大聖人御在世と同じ状況であられたと言うことは、日興上人が紛れもなく法統を継がれた第二祖であられた傍証ですらある。

まっ、大聖人を「日蓮」と呼び捨てにして、恬として恥じない草薙君であるから、そのような不遜な者にはそういう道理は理解できないだろうが。
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メッセージ 102

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

209.さあ、返答せよ。草薙君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 11時42分
ここは少々分かりにくいので、以前からのやり取りを掲載する。
———————————
●【 貴公の論法で言えば、釈尊から上行菩薩へ付嘱された何ものかを、直ちに明示して見せろ。というのと同じこと。 】
———————————
▼悩乱したな君は。少なくとも同じ日蓮門下ならば「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」などは共通認識であり、誰も云々せぬ。
それが日蓮正宗のみ、「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」などと、明らかな作り話を真実であるかの如く吹聴するものだから、破折、追及を受けるのだ。
「質問者の愚かさを指摘する」例えになっておらぬ。自らの思い上がりを晒しているだけだ、みっともない。
君よ「日蓮より日興への密附、日興より日目への相承」を証明したまえ。
———————————————————————————————————————
●貴公は少し教学的に複雑になると理解不能のようである。
———————————
1、五老門流ではこの■「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」の義は認めていない、が故に、「共通認識」ではない。
みな「(※大聖人の三大秘法とは何かを)云々」しているが?如何。
(当方に吠え付く前にもう少し勉強したらいかがか?)
———————————
▼日蓮宗系の出版物に「日蓮正宗の偽書謀書の破折の項」に当該文を肯定引用。君はまだ勉強が足りぬ。明日から図書館を渡り歩け。
———————————
●全く読み方の未熟な者である。
まず、貴公の主張する、該文書・該箇所を明かせ。

当方のいわんする義は、「三秘抄に説かれている三大秘法=本門戒壇の御曼荼羅御本尊、という真義を、五老門流では認めていない、ということである。
貴公はいよいよ不明である。明日から日本語の読み方から学べ。

続いて貴公は以下の問いに答えていない。
再度詰問する。明確に返答せよ。

——————————————————————
2、貴公が引文した御文は三大秘法抄だが、では真蹟と認めた訳だな。
では訊く。

この三大秘法抄に

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」

との有名な御文があるが、この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?
今どこにおわすのか?

3、■「然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」

また、

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

『真言見聞』
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

■「修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。」


これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は

在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   

となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。
——————————————————————
さあ、返答せよ。草薙君。
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メッセージ 103

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

210.草薙君 貴公こそ早く反論せよ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時2分
●【 この「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊は何か?今どこにおわすのか? 】

▼日蓮真筆で該本尊など、どこにも存在しない。有るならば示してみよ。

「富士大石寺所蔵・本門戒壇の大御本尊」が該当するならば、直ちに「放射性炭素14年代測定法」で鑑定せよ。なぜ鑑定できぬ。日蓮正宗が無くなるのが恐いか。無くなってよい。日蓮邪宗など。

●頑迷固陋・無知悩乱の頭には何度言っても足らないらしい。

1、信仰するその大元の方を「日蓮」と呼び捨てにするその無信心。
大聖人の仏法は信を以って本とする。
貴公はまず落第である。
信なき処に、何の解もない。

■夫仏道に入る根本は信をもて本とす。(中略)たとひさとりなけれども、信心あらん者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりあれども、信心なき者は誹謗闡提の者なり。(中略)仏説きて云はく「疑ひを生じて信ぜざらん者は、即ち当に悪道に堕すべし」等云云。此等は有解無信の者を皆悪道に堕すべしと説き給ひしなり。

貴公は間違いなく、この御文の如くに「信心なき者は誹謗闡提の者なり。」であり、「有解無信の者を皆悪道に堕すべし」である。

2、既に詳述の如く、道理・文証・事の上での、信を以って拝すれば、その現証として、戒壇の大御本尊を擱いて、「事の戒法=事の戒壇」の本堂中央に御安置申し上げる御本尊」はありえない。

故に、「放射性炭素14年代測定法」で鑑定などする必要など微塵も存在しない。
謗法者はこの大事の御法体を信じれないが故の、謗言をなし、更に罪を無限に積むのみである。

貴公らこそ、むしろ、戒壇の大御本尊に疑義を呈するならば、その根拠を挙げよ。

——————————————————————

●【 しかも、現存する御真筆御本尊のその全てに「本門戒壇」との銘記が為されていない以上、「本門戒壇」の銘記がなされている、現の「戒壇の大御本尊」様以外、真の出世の御本懐であられる御本尊はありえない。
もし無いとするならば、それは大聖人様が、三大秘法の御法体を確立せずに御入滅になったということであり、それでは上行所伝の仏法が不完全のまま絶えたということになり、それでは大聖人様は不完全な仏ということになり、貴公らが仏宝と(一往表向きには立てている)大聖人が、完全な仏ではなかったということになってしまう。
もしそう考えているのならば貴公らは最早大聖人様を信仰する清純な仏教徒ではない。 】 

▼についてはどうする、撤回するか。
あとはなんの意味もない。
要するに君は「宗派教学の宣伝役」であり、日蓮仏法の真の信奉者ではない、ということだ。

●は?やはり貴公は救いがたい愚か者か?
上記発言を「撤回」などする必要は微塵もない。
貴公こそ早く反論せよ。
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メッセージ 104

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

211.草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時15分
▼ついでに「二箇相承」云々も軽く触れておく。

●【 日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫 】

▼宗門人が肯定論証せんとするのは当然。しかし、掲載の古文書に「二箇相承が真筆」との証拠なし。故に意味無し。コピーご苦労。

●やはり貴公はもはや論ずる価値もない愚か者である。

今まで挙げた再三の「古文書的証拠」を見て、それでも分からない者は、もはや人並みの知性がないということ。
貴公こそ、「二箇相承が無かった」と、証拠を挙げて証明してみよ。できるわけが無い。「故に意味無し。」ご愁傷様。

——————————————————————
●【 山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々 】

▼該書に掲載即真筆とは限らぬ。
「本門寺棟札」「日代八通状」「大石寺番帳」「御遺物配分事」等々多数ある。

●負け惜しみである。貴公は山人クンではないから、関係なく申し訳ないが、山人君は「他の日蓮宗でも認知されている文献」云々という論理を持ち出したので、斯様に破折したまで。
貴公はもうお役済みだから、出てこなくて宜しい。
今後は山人君に直接破折を加えるまで。

●【 日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 
以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。 】

▼「宿坊君との公開法論掲示板」を自ら読み直せ。それで足りる。

おぬし、あいかわらずコピー魔だな。宿坊君のいうとおりだ。くだらぬ。

●山人君が苦し紛れの愚論を展開していたようだな。

今後細切れにして摧破し尽くしてあげるから心配ご無用。

では、草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。

以下、貴公が返答不能になっている、当方からの破折に対し、明答してきたらまた遊んであげよう。
ご苦労さん。
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投稿日時 : 2005/06/10 14:29

 

212.樋田昌志様  パラドックスな道理?についてどう思いますか?
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月9日(木) 12時33分
宗教をやって見て感じたことは、宗教は本当に必要なのでしょうか?
私達は逆のことをしてるのではないでしょうか?人を救いたいという気持ちが救われたい人を作り出してるのではないでしょうか?

宗教者はいつも正しさを求めていますが、良く観察してみると争いの根本が、お互いの『正義』から始まっているのではないでしょうか?自分達の事は棚に上げ、相手を攻撃する。では、どうしてそのような事になるのでしょうか?
心理学的に考えると『抑圧されたものは投影される』という、パラドックス的な法則が見えてきます。自然界で言うと『光が強くなればなるほど陰が濃くなる』みたいに。仏と魔の関係もも同じです。
平和運動は逆に戦争を引き寄せるエネルギーにも成りかねない。エネルギーでは同等。自慢することの裏側はコンプレックスの投影。
幸福になりたいという願いは、『今は幸せでない』を投影し実現化します。
皮肉なことに、幸福になりたいと思わない方が幸福への近道だったりする。幸せな人は幸せになりたいとは思わない。現在の幸福に感謝するだけでいい。経験しなければわからないことでしたが、私達は逆のことをしてるのではないでしょうか?このパラドックスに気がつくと宗教は卒業してしまいそうです。私にとっては、ここのプロセスに至る為に宗教は必要だったかもしれませんが。
《参考資料》
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/41naibutairitu.htm(内部対立)
(BACKで他のも見て下さい)
http://www.kato-lab.net/lecture/index.html
「何が人づきあいを難しくするのか」
【前半(収録時間27分32秒)】(6分辺りから13分位を重点的に)


215.Re: 樋田昌志様  パラドックスな道理?についてどう思いますか?
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時55分
確かに今のネット上の私も含め書き込みを見ていると、貴方の仰るような感想を持たれるのは、よく分かります。

仰られたHPざっとですが見てみました。

問題は、何を以って「幸福」というかだと思います。

この津留晃一という方が説いた幸福観は、本当に世界中の万民の方を幸福に導くことができる理論と実践法を確立しているであろうか。ということが、まず大事な研究課題だと思います。

その点についてはどう思われますか?
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メッセージ 106

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投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

213.草薙君へ宿題の再提出を課す。1
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時38分
▼ついでに「二箇相承」云々も軽く触れておく。

●【 日亨上人の御文  富士日興上人詳伝 聖教文庫 】

▼宗門人が肯定論証せんとするのは当然。しかし、掲載の古文書に「二箇相承が真筆」との証拠なし。故に意味無し。コピーご苦労。

●やはり貴公はもはや論ずる価値もない愚か者である。

今まで挙げた再三の「古文書的証拠」を見て、それでも分からない者は、もはや人並みの知性がないということ。
貴公こそ、「二箇相承が無かった」と、証拠を挙げて証明してみよ。できるわけが無い。「故に意味無し。」ご愁傷様。

——————————————————————
●【 山人が好きな一版日蓮宗系書物である、日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集三三ページ にも明確に掲載されており、つまり、少なくとも与えて言えば、池上相承書は山人流に言えば「一般的に認知」されている文献であるということは証明されていることになる。如何かな?山人君?呵々 】

▼該書に掲載即真筆とは限らぬ。
「本門寺棟札」「日代八通状」「大石寺番帳」「御遺物配分事」等々多数ある。

●負け惜しみである。貴公は山人クンではないから、関係なく申し訳ないが、山人君は「他の日蓮宗でも認知されている文献」云々という論理を持ち出したので、斯様に破折したまで。
貴公はもうお役済みだから、出てこなくて宜しい。
今後は山人君に直接破折を加えるまで。

●【 日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 
以上の如くこれほど「客観的根拠」を明示しているのであるから、もしこれを否定するのならば貴公らこそ明確な根拠を挙げよ。 】

▼「宿坊君との公開法論掲示板」を自ら読み直せ。それで足りる。

おぬし、あいかわらずコピー魔だな。宿坊君のいうとおりだ。くだらぬ。

●山人君が苦し紛れの愚論を展開していたようだな。

今後細切れにして摧破し尽くしてあげるから心配ご無用。

では、草薙君、貴公のレベルでは全く話にならない。

以下、貴公が返答不能になっている、当方からの破折に対し、明答してきたらまた遊んであげよう。
ご苦労さん。

——————————————————————
2−2 日寛上人の御本尊を選んだ基準を教学的に分かり易く述べよ。

2−3 他の御法主では駄目なのか?
YES ⇒ その理由
NO  ⇒ その理由

3、何故、貴公らが否定している「邪教・大石寺」の二十六世の日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を拝むのか?

4、教学的に信頼していない日寛上人の御本尊(の改竄・複製本尊に似せた掛け軸らしき物)を何故拝むのか?

5、大聖人御真筆御本尊を何故拝まないのか?

6、大聖人直結の創価学会の会員ならば誰でも本尊を書いていいのか?

7、つまり、誰が書いてよくて、誰は書いてはいけないのか?

明確に返答せよ。
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メッセージ 107

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

214.草薙君へ宿題の再提出を課す。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 12時40分
●晋山時を論点にしたいのなら貴公がまず示せ。当方は今の論点としては問題としていない。

二箇相承の御付嘱状に関して『美作房御返事』に

「……然れば墓をせんにも国主用いぬ程は、尚お難くこそ有らんずれば、いかにも此の人(波木井入道を指す)の所領に臥すべき御状候いし事、日興へ賜わりてこそあそばされて侯いしか」

と間接的ではあるが証明となる文が存する。

——————————————————————
1、貴公はただ単に、「▼それぞれの教線の違い、ただそれだけだ。」と嘯いているが、
五老の広めた法門は正か邪か。答えよ。

2、貴公は日興上人を否定するとすれば、日興上人門流以外のどこの派か?答えよ。

3、それは創価学会としての公式見解か?

では、本尊は誰が書けて。誰が書いてはいけないのか?
身延の坊主が書いたものでもいいのか?
それともみやげ屋で売っている大聖人御真筆御本尊の複製掛け軸でどうだ?
それが明確に返答できない姿がまさに「諸宗は本尊にまどえり」の惑乱している様そのままである。

強がり言って真の信行学がない癖に、逃げなさるなよ。
明確に返答せよ。

——————————————————————

●貴公こそ何の明確な根拠もない癖に「戒壇の大御本尊」を否定することを前提に言っている。
それは大いなる蒙昧・無知・愚昧・頑迷である。

再度この言は貴公の固陋な頭の上にこそ冠せられるだろう。

貴公は一方的に「戒壇の大御本尊」はない。と断定している。
その客観的な根拠も出せずに、自見のみを押し出し断定する、その方式は、学問的に全く公正性・論理性・中立性を欠いている。と指摘しているのである。

もう少し学問の基本を学んだらいかがか?
——————————————————————
●今回のまさにとなる、愚昧丸出しの、珍無類の痴論である。

1、「日蓮への純粋なる信仰で拝」べば、何を拝んでもいいのか?
大笑いである。
愚かである。

大体「日蓮への純粋なる信仰」とは何か?具体的に明示せよ。
それからその「不純な」信仰姿勢を摧破しよう。
——————————————————————
尚、かつての創価学会の見解を全く用いない、との馬鹿丸出しの戯言が書き込んであったが、かつて協調関係にあった時の「人」に対する認識が180度変化する、ということは往々にして世間でもあるし、心理としては理解できないこともないが、(ただし信仰上からの見地は別だが)現実に創価学会創立以前から存在し、しかも創価学会の信仰の根本尊仰の対象であった「戒壇の大御本尊様」を、途中で何かに交換された訳でなし、その存在に対し、破門されたからといって180度言い分が変わり「偽物」と断ずるとは!

人         いい人 → 感情 → 悪い人 なら与えて言えば理解できないことはない。が

現実の存在物  現実に信仰していた対象 → 破門 → 偽物  

これは、子供が聞いてもその道理の通らない矛盾を哂う事だろう。

こういう実に簡明な道理が分からなくなっているのが貴公らであり、心ある学会員からも顰蹙され、唾棄されているのである。

そしてそういう者をまさしく頭破七分者というのである。

謗法の罪過が三毒を強盛にし、怒り、怨念で目が見えない状態なのである。

まさに「癡」そのもので姿である。
——————————————————————
この位にしてあげましょうか。

再度草薙君に問う。

明答せよ。以上。草薙君の部終わる。
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メッセージ 108

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

216.山人君の妄論を破す。前掲示板からの続き 2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時7分
▼日蓮大聖人・日興上人の「和合僧体制」により、「二箇相承書」「日興跡条々事」はありえず 

こんばんは

今回はお題について少々。

日蓮正宗関係者がいうような、日蓮大聖人より日興上人への密伝、密付属などというものは、彼らがその証拠を呈示できないことからも分かるように、ありえません。

●既に詳細に破折済み。参照↓

http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=owrokdb5mu&dd=31&p=4

——————————————————————
▼逆に大聖人の一代の化導を拝するにつけ、和合僧の確立を期せられ、それによる令法久住の万全、そこに広宣流布を託されていた、ということが見えてきます。
故に御自身の入滅にあたっても、「宗祖御遷化記録」に見られるように「本弟子・一弟子」六人による「六門徒・和合僧」体制を示されており、ここに「唯授一人で仏法の一切を特定の一人のみに付属した」というのが、いかに作り話であるか明らかになっています。

では、弟子の日興上人はどのように令法久住を計られたかといえば、当然、師匠と同じ方軌を取られることは用意に察せられるところで、「本六・新六による和合僧体制」を期せられたのが「史実」です。
それに対して、「日興跡条々事」なる「日興⇒日目」の付属なるものは「一人大石寺のみの文書」であり、しかも「大石寺に存在している」にもかかわらずなんら学術的鑑定を受けていないのですから、取るに足らない「単なる紙切れ」にすぎないのが「現実」なのです。

日蓮大聖人・日興上人の期された「和合僧」体制という史実に、後世作り上げた話しをもって「こちらの方が真実」であるかのように万人を騙し続けてきたのが日蓮正宗です。
「見てきたようなウソで塗り固めただけのインチキ寺」それが日蓮正宗大石寺です。 

ですから「日蓮大聖人が『唯授一人の血脈相承』を以て令法久住を期された以上、後の御法主も同じ方軌を以て血脈相承をなされるのであり、血脈は万年までも絶えることはなく不断なのだ。それを信じられない者は、もはや大聖人門下とはいえない 」というのは宗教詐欺師の言です。

本来は「日蓮大聖人が『六門徒』による『和合僧体制』を以て令法久住・広宣流布を期された故、弟子の日興上人も同じく『本六・新六』による『和合僧体制』を確立されんとしたのだ。しかし、門下の分裂により『暗黒の時代』に入り、それは長く続いた。」

そして「700年後の創価学会の出現により日蓮仏法は現代に再生し、『日蓮直結の真の和合僧』が確立され、広宣流布への大前進は日々休みない」というべきです。

●以上、これから、出てくる山人君の妄論の趣旨。
以後詳細に摧破していく。
また、今後創価学会員が斯様の邪義を為す事があると予想されるので、彼らの言い分を把握しておくためにも掲載する。
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メッセージ 109

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

217.御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時41分
▼山人君曰く1 日蓮大聖人の御書「十大部」は、「立正安国論」を除き、一般門下に与えられました。

@ 日興上人は「富士一跡門徒存知の事」で「御書十大部」を選定されております。これら大聖人の法門を体得するために、いずれも教義的に重要な御書が「唯授一人」などではなく、国家諌暁の書「立正安国論」を除き、「各地の弟子・檀那に与えられた」ということは、大聖人は「和合僧」による令法久住を期されていた証拠でもあります。特に「観心本尊抄」「開目抄」が在家の檀那に与えられたことは重要です。
——————————————————————
▼一、立正安国論一巻。 此れに両本有り。一本は文応元年の御作。是れ最明寺殿、宝光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添えたもう。而して別の旨趣無し。只建治の広本と云う。

一、開目抄一巻。今開して上下と為す。
佐土国の御作。四条金吾頼基に賜う。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、報恩抄一巻。今開して上下と為す。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り、清澄寺に送る。日向が許に在りと聞く。日興所持の本は第二転なり。未だ正本を以て之を校えず。

一、撰時抄一巻。今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜る。正本日興に上中二巻之れ在り(此中に面目俄に開く事)。下巻に於ては日昭が許に之れ在り。

一、下山抄一巻。
甲斐の国、下山郷の兵庫五郎光基の氏寺・平泉寺の住僧因幡房日永追い出さるる時の述作なり。直ちに御自筆を以て遣さる。正本の在所を知らず。

一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。法門不審の条条申すに付いての御返事なり。仍つて彼の進状を奥に之を書く。
已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる。正本は彼の在所に在り。

一、本尊問答抄一巻。(浄顕房日仲)
一、唱法華題目抄一巻。
此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う。文言義理共に爾なり。
——————————————————————
▼このように門下全般に法門を教示したこと自体が、「特定の個人にのみ全てを与え法を継承させよう」との意志はなかったということであり、和合僧が魔から正法を守り、それによる令法久住、更には広宣流布を期されていた証拠です。そこには、一人の門下に説示した法義がその門下を通し、未来まで継承されることへの大聖人の願い、思いが拝されます。

——————————————————————
●以上の御書が在家に送付されたことを以って大聖人の仏法がこれで全てであり、なおかつ唯授一人の血脈相承を否定する何の証拠にもならない。
——————————————————————
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メッセージ 110

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:30

 

218.御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 14時42分
文は口伝すべし。

此の義は最上の難の義なり。口伝に在り

口伝相承の事は此の弁公にくはしく
申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。

此に口伝有り。

よくよく口伝あるべし。

口伝を以て之を伝へん。

口伝すべし。

上行菩薩結要付嘱口伝

日文字の口伝、産湯の口決

本尊七箇の口伝

就註法華経口伝〔御義口伝〕

不動明王の尊形と口伝せり。

四弘誓願をば一文に口伝せり。

師に依らずして相承を失ふべし。

根本大師の御相承ありげに候。

筆受の相承

日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。

只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。

日蓮が相承の法門等前々かき進らせ候ひき。

当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。

天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。

当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、
天台の血脈相承の秘法を習ひ失ひて、我と一心三観の血脈とて我が意に任せて書を造り、

日蓮相承の法門血脈、慥かに之を註し奉る。

此等は相承の法門なるべし。

日蓮が己心に相承せる秘法を此の答へに顕はすべきなり。

今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時、日本国に弘通す。

当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門

日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。

聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。

三諦三観の口決相承と意同じ

秘すべし秘すべし、唯受一人の相承なり、口外すべからず。

相承の意を相伝せんが為なり

所詮今末法に入りての如法相是は塔中相承の本尊なり。

慥かに塔中相承の秘文なり。下種の証文秘すべし
——————————————————————
●以上の御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
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メッセージ 111

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

219.山人君、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 15時40分
▼A これに対しゲイカの誤内証を信奉する日蓮正宗関係者は、「これらは十大部ではあるが、一般門下への書状にすぎない。そこに秘密の相伝の御事など、あるわけがなかろう」などと主張し「歴史に残る真筆の地位を貶める」ことを平然といいます。

●別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

——————————————————————
▼「秘密の相伝の御事」なるものを信じたければ、信教の自由ですから信じればよろしいでしょう。しかしそれは同時に、大聖人門下ではないということを意味し、今日から念仏でも唱えるべきです。

●全く論理の飛躍。山人君悩乱の図。呵々
——————————————————————
▼「無いものを有るといい、それを信じる」というのですから、正に妄想以外のなにものでもありません。妄想信仰、幻想信仰、オカルト信仰・・・それが日蓮正宗です。
それに対して何か言い返したいのならば、「大石寺貫主の相承書」なるものの全てにつき、大聖人、日興上人の真筆を持ってくるべきです。

●ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

既に、二箇相承の曽存の証明は繰り返しした。

山人君が苦し紛れのこじつけ言い逃れをしているだけであるが、以降、山人君の二箇相承への疑難の項があるのでそこで再度詳細に破折する。
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メッセージ 112

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

220.山人君、大笑いの痴論である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 15時46分
山人君曰く
——————————————————————
2 宗祖御遷化記録等により

1282年・弘安5年10月16日「宗祖御遷化記録」  正本・西山本門寺蔵

一弘安五年・壬午・九月十八日・武州池上に入御 地頭・衛門太夫宗仲
同十月八日 本弟子六人被定置 此状六人面々可帯云々 日興一筆也
定 
 一弟子六人事 不次第
一 蓮花阿闍梨 日持 
一 伊與公   日頂 
一 佐士公   日向
一 白蓮阿闍梨 日興 
一 大國阿闍梨 日朗 
一 辨阿闍梨  日昭
右六人者本弟子也 仍為向後所定如件
弘安五年十月八日

@ 大聖人は入滅に先立つ十月八日、主だった弟子の中から「一弟子・本弟子」六人を定めました。
六人は、当時の門弟内では「信・行・学」に秀でたものがあったでしょうし、更にそれぞれの教線を見れば、
弁阿闍梨日昭   相模・武蔵
大国阿闍梨日朗  相模・武蔵
白蓮阿闍梨日興  甲斐・駿河
佐士公日向    上総
伊与公日頂    下総
蓮華阿闍梨日持  甲斐・駿河
と大別でき、大聖人は地域性も考慮し「一弟子・本弟子」六人を選定されたと拝察されます。

A「いちでしろくにんのこと ふしだい」ですから、大聖人の一弟子である六人に次第はない、という意味になります。「一弟子」とは文字通り一番弟子、第一の弟子、第一級の長老ということで、それが「不次第」ですから、この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。しかも大聖人は、この「一弟子」達を「本弟子」とまでされており、この二つの表現は同義と拝されます。

これにより、六老僧は「日蓮大聖人門下の第一級の長老・本弟子であり、門下の依師、法燈であり、六老僧に区別はなく対等である」と理解できます。

B「此状六人面々可帯云々」
「右六人者本弟子也 仍為向後所定如件」

⇒ これは何を意味するのでしょうか。
本弟子を定め置かれた書状を六人それぞれが所持し、自身滅後の本弟子を中心とした門流のあり方などを教示されたものと拝察できます。これは六老僧中心の和合僧による令法久住、又和合僧による広宣流布を期された具体的な証拠です。

C それは生死一大事血脈抄の御文の「和合僧の確立を期された教示」とも合致し、その延長上にもあったでしょう。この和合僧は「日蓮が弘通する処の所詮」であり、和合僧ありて「広宣流布の大願も叶うべき者か」といわれているのです。

総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か  P1337
——————————————————————
●大笑いの痴論である。

以下破折。
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メッセージ 113

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

221.一人閉じ篭り・山人君改め「平人」君の単なる妄想の産物である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 17時5分
●この疑難はもはや出尽くして、完膚なきまでに破折し尽くされているのである。
今更この難を持ち出してくるとは、山人君も底が浅い。山人改め平人にでも改名したら如何か?

宗祖御遷化記録

まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。

この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。

それは各々別個で表示されている。



まずこの大前提を山人君は外している。


次に、山人君の邪難に下り降りて摧破する。



この書は日興上人が筆をとり、法臘の若い、下位の蓮華阿闍梨日持より順次六名の名を書き留めた。



この記載の順位は、裏を返せば入門の次第に従って、日持が最下位、日昭が最上位者であることを示している。



しかし大聖人が敢えて「不次第」と仰せになったことは、いかなる意味を持つのであろうか。



 もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。



何故かといえばもし六老の、「行功は平等だが年齢入門の先後を認めて書かれた」ということならば「次第」して書いたのであってけっして「不次第」ではない筈である。



世間でも「順不同(=不次第)」といえば役職等の「次第」なしに表記されることを言う。



ここに「不次第」と書かれたのは、年齢入門の先後で書いたが必ずしも六老において軽重の順ではないということを意味する。



六老を定められた理由は日興上人が「佐渡国法華講衆御返事」に



 ■「うちこしうちこしぢきの御でしと申やからが、しやう人の御ときも候しあひだ、ほんでし六人をさだめをかれて候、そのでしのけうけのでしは、それをそのでしなりといはせんずるためにて候」



と仰せられた通りと拝する。



勿論この御手紙は弟子関係の乱れを防ぐためのものであるから特にかく仰せられたので、この他に教団の中心たれとの御思召があらせられたと拝することができる。



しかし六弟子を定めて法臘の順に記録なされたのは、それは自ら順位を示すものである。

然るに大聖人の御思召は平等にあらせられた故にわざわざ不次第と御書入れがあったと拝するが妥当であらう。



しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。

つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。



 つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。



 ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。





次に現証として、後に五老は大聖人の仏法をどのように伝えたのか?

五一相対について山人君はどう考えるのか?

大聖人の三大秘法の正義を過たず伝えられお立てになったのは日興上人御一人ではないか。

では貴公は、稲荷や、蛇や、釈尊像・・などを本尊として拝むのが大聖人の正義だとでも言うのだろうか?

山人君の邪難は全くの愚論で噴飯ものある。



以下の門難は前提自体が全くの愚論であるが故に、体を成していない。

一人閉じ篭り・山人君改め「平人」君の単なる妄想である。
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メッセージ 114

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

222.山人(改め”惨瞋”)君から「師弟の筋目」というような言葉を聴くとは思いもよりませんでしたな。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時36分
山人君曰く

D その六門徒による和合僧体制というのは、日興上人の著された「佐渡国法花講衆御返事」からも伺うことができます。

1323年・元亨三年六月廿二日 (滅後42年)
うちこしうちこし直の御弟子と申やからが、聖人の御ときも候しあひだ、本弟子六人をさだめおかれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりといはせんずるためにて候。案のごとく聖人の御後も、すゑの弟子どもが、これは聖人の直の御弟子と申やからおほく候。これが大謗法にて候也。

概訳
ものごとの順序を越えて、自分は日蓮大聖人の直弟子だと名乗る輩が、日蓮大聖人御在世にもいました。それで本弟子六人を定めて六老僧としたのです。その本弟子が教化した弟子は、その本弟子の弟子分に属すると明確にするためです。案じた通り、日蓮大聖人の滅後に、末席にいた弟子たちが勝手に私は日蓮大聖人の直弟子であると名乗る弟子が多く出ました。これは師弟の筋目を違える大謗法の振る舞いといわねばなりません。

この書の意味するところはけっこう重要です。それは、

◎ 宗祖御遷化記録とも合致し、大聖人が六門徒・和合僧による教団運営を期されていたことが明らか。
——————————————————————
●ここも大笑いである。

それにしても山人(改め”惨瞋”もしくは”浅瞋”)君から「師弟の筋目」というような言葉を聴くとは思いもよりませんでしたな。

ここは、日興上人が大聖人滅後42年と言えども、師弟の筋目のその根本原理を説示され給うたところである。
御丁寧に通解まで付けて頂いて、御苦労様。

ここは、大聖人が本師・小師の筋目を示すために、六老僧を定められた次第・意義を仰せになられているのである。
浅瞋君にこのことを理解せしむるためには、上行菩薩の別付嘱から説き起こさねばならない。
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メッセージ 115

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

223.宿坊をメッセンジャーボーイにしてもいいが。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時39分
■「然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。」

また、

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

『真言見聞』
■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

■「修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。」


これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は

在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   

となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。
——————————————————————
と、草薙君にしっかり言い置いたが如く、上行菩薩への別しての血脈が、仏法三世の通規であるが故に、末法でも大聖人からただお一人へ相承されなければならない。これが末法万年仏法伝持の基本である。

その綱格の上に、六老僧は定められたのである。(「順不次第」の意味するところの真意はここにあるのである)

そうした上行所伝の、別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老、そしてまたそれに連なる弟子・檀那 と、斯様な成仏の血脈の次第と組織構成である。

であるから、大聖人の御時に、
「▼自分は日蓮大聖人の直弟子だと名乗る輩が、日蓮大聖人御在世にもいました。それで本弟子六人を定めて六老僧としたのです。その本弟子が教化した弟子は、その本弟子の弟子分に属すると明確にするためです。」
との仰せはまさにその原理・筋道をお説き遊ばされた、そのままの御文である。

しかして、その原理・筋目を違えて、「今」、「▼日蓮大聖人の滅後に、末席にいた弟子たちが勝手に私は日蓮大聖人の直弟子であると名乗る弟子が多く出ました。」と。
これはこの御文が書かれた、大聖人滅後42年の状況を仰せである。
しかしこれを以って、六老の現時の行動を日興上人が肯定していることは断じてないのである。

その証拠に、「五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ。」と明記された、「富士一跡門徒存知事」はこの「佐渡国法花講衆御返事」の14年も前の延慶二年大聖人滅後28年に草せられているのである。

山人君、いや惨瞋君 いや 浅瞋君 よく分かりましたか?

反論があるのなら楽しみにしている。大いに語ろうではないか。

がしかし、貴公の掲示板には当方は書き込み拒否をされ書き込めない。
貴公こそ、当掲示板へお出まし頂きたいものである。

宿坊をメッセンジャーボーイにしてもいいが。

が、それでは貴公の名誉心が痛まないか?
それが心配である。
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投稿日時 : 2005/06/10 14:31

 

224.ご愁傷様でした。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 22時42分
山人君曰く

◎ 日興上人は、他の五老門徒を否定されておらず、自らが大聖人の命により記述した「宗祖御遷化記録」の精神を遵守されている。

◎ 朗門には日朗を中心とした師弟、浜門には日昭を中心とした師弟があり、それぞれの門流によって師弟関係が形成され、それが上代日蓮門下の和合僧体制として認識されていた。

●前段指摘したが如くで、この項目は全く的を外れた邪難である。
ご愁傷様でした。呵々
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メッセージ 117

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

225.この項の邪難は山人君の更なる恥の上塗りに過ぎない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月9日(木) 23時22分
山人君曰く

E 大聖人は六門徒による和合僧体制を期されたものの、現在では日興門流にても邪宗・日蓮正宗に代表されるように、聖僧はおりません。それは創価学会出現の現在では、むしろ当然ともいうべきもので、「観心本尊抄」(P254)に「当に知るべし・此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し・摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」と大聖人が云われたように、現在は「賢王による折伏の時=和合僧・在家教団による広宣流布への体制の時」である、といえます。
これにつき、「日蓮大聖人は僧侶をいらないとは仰られていない」などと日蓮正宗関係者はよく主張しておりますが、「日蓮正宗=邪法の僧の集団」という己の分を弁えぬ、単なる思い上がりにすぎない主張です。

●もう、貴公はボロボロ状態だな。
当方が貴公の掲示板へ書き込むのが痛かった訳だ。
こんなサンドバック状態をお身内に見られたくないものな。

がしかし、邪疑を吐いたからにはその責任は取ってもらいますよ。

▼「観心本尊抄」(P254)に「当に知るべし・此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し・摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」と大聖人が云われたように、現在は「賢王による折伏の時=和合僧・在家教団による広宣流布への体制の時」である、といえます。

●貴公が一体どういう見地でこう断定できるのか?

折伏=上行所伝の法体・三大秘法を広めること。

では創価学会の三大秘法とは何か?

貴公らが否定する戒壇の大御本尊を、貴公らが否定する大石寺の血脈相承を受け継ぐ第二十六世日寛上人が、御書写された御本尊を、勝手に撮影・改竄・複製して3000円で販売している掛け軸ではないか。

なんという自己矛盾の塊であろう。

そのような連中が「賢王」である訳無く、その3000円の掛け軸を販売して歩くことが「折伏」である訳がない。

しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチなケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。

なんという、下衆な集団であろう。

まさに八大地獄は貴公らの為に口を開けり。

後生を恐れよ。少しでも良心が残っていたならば速やかに改心し、懺悔せよ。
——————————————————————

山人君曰く 
F 「一弟子=本弟子・六老僧の間に次第はない」・・・これは誰あろう、大聖人が決められたことであり、しかもそれは「宗祖御遷化記録」という日興上人真筆の正文書として記録に残っているのです。このように大聖人は六門徒・和合僧による、令法久住・広宣流布を期されたのが史実であり、『書面の内容』がこの「宗祖御遷化記録」に矛盾し、正体がばれてしまい偽書と断ぜられるのが「二箇相承書」なのです。

●貴公の愚論・妄断は完全に摧破済み。
よって、この項の邪難は恥の上塗りに過ぎない。
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メッセージ 118

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投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

226.樋田さんへ
返信  引用 
名前:れいな    日付:6月10日(金) 0時1分
貴重な資料、永久保存今日までの分、永久保存致しました。
http://www.geocities.jp/mksutra/shukubohaiboku13.html


230.Re: 樋田さんへ
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 9時35分
ありがとうございます。

お手数かけてすみません。

何から何までご厄介になって恐縮です。

今後ともよろしくお願いします。
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メッセージ 119

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

227.学会員
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名前:神様    日付:6月10日(金) 2時51分
とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。学会は大御本尊否定ですか?確かに日顕さんの法王としての資質は否定していますが、日興上人だってホウボウに屈したら時のカンズうんぬんって言ってなかったでしたっけ?形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。学会の教学本や会則ご覧になりましたか?あの法論の人たちは?ん〜三宝も三大秘法も変わってないよ。変えたらダメジャンねえぇー。変えられる訳ないよ。僕は内部にいても違うと思いますよ、少し学会の教学本をご覧になって調べられたらどうですか?口より活字のほうが責任が発生して確実ですよ。いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?いいことですよ。よく考えりゃ法王も人、なんで法王しか本尊かけないの?特別な力があるの?お手かざし?学会員や法華講しか真の成仏はないの?南無妙法蓮華経だって、功徳はただの心理学的精神力の向上か、妙法と自分が合致した真の成仏か、死後の世界みたいに誰も証明できない。みんな体験や、教学などの大いなる思い込みでカバーしてるわけ。僕は宗教は幸福実現の手段としか考えられない、ってみんな考えがこりかたまってるから、なにお〜!って思うかもしれないけど冷静に考えてほしい。でも素敵ですよね、信仰のある生活は科学は生きる意味は教えてくれないもん。だから学会が何で発展したかって、それは価値創造につきると思います(どの宗教も)、高度成長期は新たな日本的コミュニティーとして、現代は平和主義の文化団体として価値を作り出し、日本の暗い世の中に広まった。そしてこの団体は圧倒的マイノリティだし、絶対日本はのっとれないよ、笑
みなさん学会を過剰評価してるよ、そんな力ない。公明党政権取れる?だから僕はもっとこの団体を自分の思ういい社会に向けての手段として使いたい。公明党の国会議員に愛国心明記しろ!拉致問題もっとがんばれ!って二時間会談したことあるよ。
宗教って価値をつくりだす集団って考えるとわかりやすい。むかしは天変地異への恐れから自然崇拝という価値観をつくり、科学の発展にともなって生きる意味を見出し、よりよい社会を作る価値観をつくってきた。私自身は絶対的幸福主義それにつきる。後半は余談です。なんでこんなの書いたんだろ、ごめんなさい。前半はいちお法論ですよね。すいません、若輩者の強がりを許してください。


232.Re: 学会員
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 10時20分
> とても教学にたけた方ですね。私は創価学会の三世です。

はじめまして。

>形式的には法王は事実上日顕さんだからそういう意味での血脈はありますよ、でももっと大きな意味での信心?の血脈は学会にあるって感じですよね、ホウボウには屈さない、三類の強敵と戦い、広い御仏意として大御本尊を信じ、お守りしていこう!って感じですよ。

根本の戒壇の大御本尊から離れたら、やはり、大聖人の仏法ではないと思いますよ。
御本尊も勝手に作ってはやはりまずいんじゃないですかね。

結局のところどうしてそうなったかというと日顕上人への憎悪から始まっていると思うんですが、でも一学会員としては、その憎悪なり、軽蔑はどこから起きているかといえば、聖教新聞・創価新報・会合での口コミ的指導から醸成されたと思うのです。

でも実際に自分の行動を通して認識している方はほとんどいないと思うのです。

私は平成3年この問題が起きてから毎月大石寺に参詣し、聖教新聞に書かれている内容と全く違うことを確認し、それから脱会しました。

その後も大石寺へ何度も参詣し日顕上人も何度も拝してきました。
その体験と認識として、やはり聖教新聞等に書かれていることは相当おかしいと思います。

皆様もやはりご自分の目と頭で事実を良く見極める努力をなされたほうがいいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、やはり戒壇の大御本尊から離れたら大聖人の仏法の功徳はないと思いますよ。

更にもし、学会発行の御本尊を拝んでいるとすれば、教義的な説明は省きますが、人生に大きな問題が発生してくると思います。

ここに書き込まれたのも不思議なご縁ですから、真実を見極めていただきたいと切に念願します。
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メッセージ 120

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投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

228.学会員
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名前:神様    日付:6月10日(金) 3時30分
これを書いてからなんかいろいろ見ましたが(ここきたの最近なんです)、ちょっと口が悪いですね、とても理論的で素敵な方ですから、相手が興奮しても悟りを開いた修行僧のようにしなきゃ
いっぱい教学勉強して考えがこりかたまり、おれは立正安国、日蓮仏法を正統に広めるぞって思い込み、悟りの暗示にかかってませんか?いいんですよ、そんな自分が好きでしょ?って自分で書いたの思い出しました。


229.Re: 学会員
名前:神様    日付:6月10日(金) 3時40分
また変なこと書いちゃった。でもイヤミなはなしかたですね、丁寧に話されてるんですが、気になります。意図的でしょうがいちお年上だしね皆さん。なんか悟りの境地とは到底感じられないんですよ。私もそういうところがあって、そんな自分がいやなんですよ。
僕まだ学生なんです。すいません。でも同年代はもっと教学ないし、一般の主婦はわからないですよ。

 

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メッセージ 121

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:32

 

231.樋田 昌志様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 9時51分
>しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチな
>ケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。

\5000の間違えじゃないですか?


233.Re: 樋田 昌志様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 10時25分
> >しかも最近聞くところによると、その掛け軸を縮小プリントしたチャチな
> >ケースのペンダントをなんと、10000円で販売しているそうじゃないか。
>
> \5000の間違えじゃないですか?

いえいえ、当地の、最近いやいや入会させられて、今ニセ本尊の間違いに気づき脱会しようとしている人からの話です。

ペンダント型にも色々なタイプがあって、現にそれを今勧められて、その時、「10000円。」と学会員に言われたそうですよ。
直接聞きました。

もしかしたら、その紹介者がマージンをとろうとしているのでしょうかね?
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メッセージ 122

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

234.Re: 樋田 昌志様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 11時24分
どういう経緯かわかりませんが、
今、会館へ確認致しましたが、間違いなく\5000と言われました。
紹介者を問い詰める必要があるかもしれませんね。

Q1.谷口氏の録音電話が公開されてましたが、嫌がらせのような電話がちょく ちょくあるということで、いつでもスタンバイOK状態にしてるのですか?
Q2.脱会しようとすると、DVDのような目にあうんですか?脱会後の嫌がらせ もありそうだと、私は認識いたしましたが、その辺りは詳しいのではないで しょうか?身構えが必要かもしれませんので教えて頂けませんか?


239.Re: Re: 樋田 昌志様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時16分
> どういう経緯かわかりませんが、
> 今、会館へ確認致しましたが、間違いなく\5000と言われました。
> 紹介者を問い詰める必要があるかもしれませんね。

機会があったらそうしてみます。
>
> Q1.谷口氏の録音電話が公開されてましたが、嫌がらせのような電話がちょく ちょくあるということで、いつでもスタンバイOK状態にしてるのですか?

谷口氏とは録音するという相手の確認を取ってから録音しました。

> Q2.脱会しようとすると、DVDのような目にあうんですか?脱会後の嫌がらせ もありそうだと、私は認識いたしましたが、その辺りは詳しいのではないで しょうか?身構えが必要かもしれませんので教えて頂けませんか?

大なり小なり覚悟しなくてはいけないでしょう。

また、それが怖ければ脱会はできません。

ただ、大聖人様を本当に信じ渇仰するならば絶対に諸天の加護があります。それを信じて勇気を出すことですね。

一刻も早い脱会をお祈り申し上げます。
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メッセージ 123

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

235.山人君曰く
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時8分
2 日興上人の化導により和合僧体制を確認
——————————————————————
@ 身延山での五老僧への呼びかけ
1284年・弘安7年10/18 「美作房御返事」 房総の美作房日保にあてられた書 

其の上聖人は日本国中に我れ持つ人無かりつるに此の殿ばかりあり然れば墓をせんにも国主の用ひぬ程は尚難くこそ有らんずれば、いかにも此の人の所領に臥す可き御状候し事日興の賜はりしあそばされてこそ候しか、是れは後代まで定めさせ給ひて候を、彼れには住ませ給ひ候はぬ義を立て候はんは如何が有る可く候らん、詮する所縦ひ地頭不法に候はゞ眤んで候ひなんず争でか御墓をば捨て進らせ候はんとこそ覚え候、師を捨つ可からずと申す法門を立て乍らこ忽に本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難も術無く覚え候、

(師を捨ててはならないという法門を立てながら、御墓を捨てて身延から遠ざかることは、世間からも非難をあびるであろう。)

此の如き子細も如何と承はり度く候、波木井殿も見参に入り進らせたがらせ給ひ候、如何が御計ひ渡らせ給ひ候べき、委細の旨は越後公に申さしめ候ひ了ぬ。若し日興等が心を兼て知し食し渡らせ給ふべからずば其の様誓状を以て真実智者のほしく渡らせ給ひ候事越後公に申さしめ候、波木井殿も同事にをはしまし候、

(我々、日興・波木井氏の気持ちをご存知なかったのであれば、誓状を書いてもよい。)

さればとて老僧達の御事を愚かに思い進らせ候事は法華経も御知見候へ、地頭と申し某等と申し努々無き事に候、今も御不審免り候はゞ悦び入り候の由地頭も申され候某等も存し候、其れにもさこそ御存知わたらせ給ひ候らん、

(さればとて、老僧達をおろそかにしているわけではない。私も波木井氏も、老僧達の不審が解けることを心より望んでいる。)

聞しめして候へば白地に候様にて御墓に御入堂候はん事若しくは候はじと覚え候、当時こそ寒気の比にて候へば叶はず候とも明年二月の末三月のあはいにあたみの湯治の次には如何が有る可く候らん、越後房の私文には苦しからず候委細に承り候て先づ力付き候はんと波木井殿も仰せ候なり、いかにも御文には尽し難く候て併ら省略候ひ畢んぬ。恐々謹言。

(事情、承知いただけたら、明年三月頃にでも御墓にお参りください。)
——————————————————————
⇒ この日興上人の書き振りを見れば、五老僧が身延山に来ないことを指摘しながらも、
「我々、日興・波木井氏の気持ちをご存知なかったのであれば、誓状を書いてもよい」
「老僧達をおろそかにしているわけではない。私も波木井氏も、老僧達の不審が解けることを心より望んでいる」
とあるように「五老僧と対等」の立場で呼びかけております。これ即「宗祖御遷化記録」の「一弟子・本弟子」を遵守されているものと理解できます。
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メッセージ 124

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

236.山人君、全く駄目です。文が読めていません。
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名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時9分
●はい、全く駄目です。

まず、このお手紙の概要は以下のごとくである。

鎌倉方の諸老僧は

「地頭の波木井入道に不法の色が顕われている。
従って御遺言から見て、もう大聖人の御魂は身延に住まわせられていない」
等と云って、このところ墓所輪番制も守らず一向登山して来ない。
然し私(日興上人) の見るところ、地頭にはそれらしい態度は顕われていない。
我々 (日興上人と入道) は老僧方に対し何の別意も懐いていない。
此の事は神明に誓っても宜しい程である。
故に我々に対する誤解をといて、門下の方々が参詣なさる様になったらどれ程嬉しい事か、貴僧(美作房)も是非お出で下さる事を望んでいる。」

当時五老は、「御本墓登詣の必要なし」との態度をとるようになっていた。
即ち、既に諸老僧は輪番制等は打ち捨てて、全く身延へは登らなくなっていたのである。

が故に、時に、老僧達が登山給仕せず、輪番制も有名無実になった事を仰せになり、御本墓を打ち捨てて省りみぬ、諸老僧の怠慢を、強く責めていられる。

当時諸老僧方が身延へも参詣せず、日興上人と没交渉であった。

■ 師を捨つべからず、と申す法門を立てながらへ忽ちに本師を捨て奉り候わん事、大方世間の俗難も術なく覚え候。

 これは
「師弟の関係は三世にわたっての深い因縁がある。
その師を捨てると云うのは大聖人に背くことであり、一般世間の人々から批難をうけても弁解の余地がない」との文であり、
此処にも明らかに「忽ちに本師を捨て奉り候わん事」と諸老僧方の態度が表わされている。」

とのお心である。

かかる諸老僧の態度に就いては当然一門の大導師として、又御正墓在す身延山の別当として日興上人は墓番給仕を懈怠する事を責め、警告を発せられたであろう。
それは本状にも諸処にその意を汲む事が出来る。

但し無論、この『美作房書』は上総興津在住の美作房日保へ宛てたのであり、この人は墓番衆には入っていない。
然しその美作房へすら斯様に切々と実情を訴え、大聖人遺弟として而もその中心者たるべき諸老僧が御正墓へ参らぬとは何と情ない事か、といい送っているのである。
従って本状は一応は美作房への日興上人の御言葉ではあるが、再往は鎌倉方諸老僧への御言葉であり、由文であると拝するのである。

然し乍ら本状にもその御心情が顕われている如く、内容に関しては、決して院主権を嵩に着ての高圧的な語句をお用いでなかった。
御滅後の一門を何とか円満に統率し、以って強固な教団態勢を整えたいと御腐心遊ばされた文面である。
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メッセージ 125

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

237.美作房御返事の真意は?
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名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時10分
次いで本状に示されている諸老僧への戒告の文を列挙すると、

 ■何事よりも身延の沢の御墓の荒れはて候いて、鹿かせきの蹄に親り懸らせ給い候事、目も当てられぬ事に候。

 この文は、勿論御墓が現実に斯の様な状態であるはずはなく、日興上人御一統が意を尽くして御給仕遊ばされてはいたのだが、諸老僧が参詣しないありさまを形容されたと見るべき事は当然である。

 ■地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候えども不法の色も見えず候。其の上聖人は日本国中に我を待つ人無かりつるに此の殿ばかりあり、然れば墓をせんにも国主用いぬ程は尚難くこそ有らんずれば、いかにも此の人の所領に臥すべき御状候いし事、日興へ賜わりてこそ遊ばされて候いしか。是れは後代まで定めさせ給いて候を、彼には住ませ給い候わぬ義を立て候わんは如何が有るべく候らん。所詮地頭より不法侯わば泥んで候いなんず。争でか御墓をば捨て参らせ候わんとこそ覚え侯。
                          
 この文には誠に理を尽くして、詳々と諌められる日興上人の御心情が渉み出ていると拝せられる。

即ち

「諸老僧方は、大聖人の御遺言を楯に取って、「地頭が不法であるから早大聖人の御魂は住まわせられない、従って登山の要なし」とされているが、当地頭には一向にその気振りは見えないのみならず、大体大聖人が「日本国中に私を待つ人もなかったのに、此の波木井殿ばかりは待っていてくれた。
其れに滅後墓を作るにしたところで、国主が未だ此の仏法を御信用ないうちは種々と難も起こるであろうが、この波木井入道の所領、身延の山中ならば其の様な憂いもない故に此処に墓を定めたい」と斯様に身延走墓を仰せられたと云うのも、その実はこの
身延山を日興に賜わったからこそである。
即ち、私に身延後董の前提があったればこそ、波木井入道は信心未熟であり、又御遺言もあって如何にも頼りにはならぬかもしれないが「いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候」 (新編一五九六) と仰せられたのである。
それ故に仮令地頭の波木井入道がどの様であったとしても構わないではないか。
この事は後々迄変らぬ義として定められているのである。
それなのに諸老僧方は、地頭が不法であるからもう大聖人の御魂は身延に住まわせられない、等と主張して参詣せぬのは一体どうした事であろう、筋の立たぬ話ではないか。
所詮地頭の態度から不法の色が出始めた時は、大聖人の正義を厳しく立てて行かねばならぬ我々として、誠に悩まねばならない事であろう。
然しそれだからと云ってどうして御墓を捨ててよいと云えようか、決してどの様な事があろうと本師の御正墓を打ち捨てるべきではないと考える。」

 大要以上の如き日興上人の誠めの御文と拝せられるのである。

 又更に、

 ■鎌倉には定めて御さわぐり候覧めども、是れは参りて此の度の御世間承らず侯に尚今も身の術なきまま、はたらかず候えば仰せを蒙る事も候わず、万事晴々と覚え侯。

とも記されている。

「鎌倉方面に在る日昭・日朗等の門弟方は、定めて大聖人の御精神を継ぎ、国諌活動をされている事と思うが、その様子を知る為鎌倉迄出かけたくともその暇もなく、それに少々健康も勝れないので何事も出来ず仰せを蒙る事も適わない。
従って万事闇の様である。」

斯く記されているのであるが、この最後にある「万事晴々と覚え候」との一句のうちには無量の御心境が含まれていよう。
病身の為御自身で門下諸般の情勢を察知する事が出来ないのも残念ではあるが、それにしても、鎌倉方の諸師は自ら登山もしなければ又何の音沙汰も無い、未だようやく御参年の御忌が過ぎたばかりだと云うのに一体何とした事か、鎌倉方のみならず他の老僧方も登って来ぬ当今は、全く何も彼も闇であると、言外に諸老僧不参の忘恩を詰られているさまが知れよう。
 
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メッセージ 126

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

238.「美作房御返事」が、別しての唯授一人の御法体相承を否定する証拠・根拠には全くならない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 12時11分
 さて以上諸老僧の身延に対する敬遠の状態、それを諄々と、或いは厳しく諭される日興上人の御苦心を記して来たが、勿論日興上人とされては、唯単に批難をする事が主眼ではない。
あくまでも相手の頑な気持を解きほぐし、一門が和合僧団たる事を衷心から望まれるに他ならない。
その為に諸老僧方の地頭に対する誤解を、一刻も早く免れしめようと、御自身迄も共々胸襟を開き、その真情を披渡されているのである。
以下その思し召しが如実に顕われている文を掲げて最後としよう。
               
  ■若し日興等が心を、兼ねて知ろし食す事渡らせ給うべからずば、其の棟誓状を以って真実知者の欲しく候事、越後公に申きしめ侯い畢んぬ。波木井殿も同じ事におわしまし候、さればとて老僧連の御事を愚そかに思い進らせ (ず)候事は、法華経も御知見侯え、地頭と申し某等と申し努々無き事に侯、御不審免がれしめ候わば悦び入り候の由地頭も申され候、某等も存じ候。

ここにおいて、「以上様々な事を述べたが、要するに地頭に不法の色は見えないのであり、若し貴僧方が地頭に対して何等かの不満を持たれているとすれば、それは思い過ごしというものであろう。
斯様な日興等の心に疑いを持たれるなら一札、誓状を入れてもよい。
とにかく真実に吾等の心中を洞察する智者があって欲しい事を越後公から詳しく述べさせよう(本状は越後公日弁に托して美作房へ遣わされたものである)。
此れは地頭も同じ考えである。
さればと云って老僧達の事を疎かにすると云うのでない事は、御本尊も御証明遊ばされるであろう。
地頭といい、自分といい、決して偽りではない、真の気持ちなのであるから、我々に対する不審の念が晴れるなら、いかばかり悦ばしい事であろうと地頭も申しているが自分も全く同様である。」

と此の御文により当時の日興上人並びに地頭の心情が、余す所なく表明されている事が了解出来るであろう。

——————————————————————
▼⇒ 日蓮正宗関係者はよく「日興上人の謙譲の御精神の表れ」などといいます。確かに「謙譲の御精神の表れ」でいいでしょう。では何によってそうなのか?といえば、そこに「宗祖御遷化記録」に記されたもの「六門徒・和合僧体制」というものがあるからでしょう。
——————————————————————
●「六門徒・和合僧体制」は総じての辺の捉え方であり、別段それは過ちではない。がしかし、だからといって、この「美作房御返事」が、別しての唯授一人の御法体相承を否定する証拠・根拠には全くならない。
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メッセージ 127

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 14:33

 

240.山人君は自説を通そうとしながら、まさに日興上人の唯授一人血脈相承を証明しているようなものである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 13時13分
山人君曰く

A 「富士一跡門徒存知の事」「五人所破抄」により

「富士一跡門徒存知の事」「五人所破抄」は、五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解「五一の相対」により、五老僧を破折する内容となっております。
「本門弘通の大導師である日興上人に帰伏すべし」云々などは、当書ならず上代の全ての文献に存在しません。現在の日蓮正宗ならば「血脈附法の本門弘通の大導師・日興上人に逆らうか」とやるでしょうが史実は全く逆です。

◎ 日興上人は五老僧を自身の門流の傘下にされようとはせず、それぞれの系統自体を云々することはありませんでした。

——————————————————————
●まさに悩乱者とはこのことである。

先ほどの美作房御返事には何て仰せであったか。

一致団結して和合僧団を形成されようとなされた御心が痛いほど伝わって来るではないか。
もちろん既に完摧したが如く、唯授一人・御法体の血脈相承を根幹とした上でのことである。

ではここで、該書を時系列にそって並べてみよう。

弘安7年 1284年 聖滅3年     美作房御返事

正応元年 1288年 聖滅7年     原殿御返事(参考)

正応2年 1289年 聖滅8年     日興上人波木井日円を義絶す。

延慶2年  1309年 聖滅28年    富士一跡門徒存知事

嘉暦3年  1328年 聖滅47年    五人所破抄 

一目瞭然である。

■「此の相違に依って、五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ」富士一跡門徒存知事
とあるがごとく、唯授一人血脈相承の御法主として既に破門し義絶した五老へ向かって「本門弘通の大導師である日興上人に帰伏すべし」だなどと、言われるはずもないのである。

大体にしてこの「義絶」という文言は、概ね筋道として、ある立場から、ある立場へ、たとえは親が子へ、師匠が弟子へ、主人が被雇用者などへ下す処断である。

五老はもともと身延不参であり、自ら離れているのである。その者たちへあえて日興上人が「義絶」する意義とは、まさしく唯授一人・別しての血脈相承をお受けになられたお立場から、総じての血脈の流通を断絶されたことに他ならない。

この御文一つとってみても日興上人が唯授一人血脈相承をお受けになられた正嫡の御法主であられる文証となる。

また五人所破抄の「所破」にしても同様である。
山人君が言うが如く、
「五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解「五一の相対」により、五老僧を破折する内容となっております。」
その通りである。

では、何を以って、何を根拠に他を破することができるのか?
これまさに別しての血脈相承に依って日興上人が大聖人の御法門の真義に達せられていたからではないか。

山人君は自説を通そうとしながら、まさに日興上人に唯授一人血脈相承がなされたことを証明しているようなものである。
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メッセージ 128

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

241.山人君、ここもやっぱり不可です。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 14時39分
山人君曰く

◎ 日興上人は「大聖人の立てられた法門」を守るという姿勢で他に臨まれており、もし五老僧側に「法門上の違背」がなければ「六門徒による和合僧体制」がなされていたことでしょう。
——————————————————————
●これはまさにその通りである。
では何故に日興上人以外の五老に法門上の違背が生じたのか?
簡単である。大聖人の御法門を理解していなかったからである。
日興上人お一人大聖人の御法門を信解され、通達解了せられていたから、法門上の違背がなかったのである。
なぜか?
それこそ唯授一人血脈相承があられた現証ではないか。
だからこそ、大聖人は日興上人を中心に六老僧が定置されたのである。
至極簡明な道理である。

——————————————————————
山人君曰く

◎ 更に「五人所破抄」(1610)には「爰に先師聖人親(まのあた)り大聖の付を受けて末法の主為りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻五字を紹継するが為に六人の遺弟を定めたもう。日昭と日朗と日興と日向と日頂と日持と 已上六人なり。」とあり、六門徒による和合僧体制が記述されています。もし、二箇相承書が実在したならば、書かれてもよさそうな箇所ですね。

——————————————————————
●こういうのを「切り文」というのである。

まず、当該箇所の段を見れば、

「夫以れば諸仏懸遠の難きことは譬へを曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて、正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑しきこと有らんや。設ひ内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁へず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻み、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。 日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持=已上六人=なり。
 五人武家に捧ぐる状に云はく=未だ公家に奏せず=。」云々

とあり、ここの文意は、

「真の正しい仏法に逢うことは真に稀である。この大事の仏法・妙法蓮華経の三大秘法を末法万年に流れ通わすために、大聖人は六人の上足の遺弟を定め、教団の維持運営発展を託された。であるにも拘らず、日興上人他の五人はかくも謗法の振る舞いである云々」

と続くのである。

この書の構成自体が、五老の謗法行為は何々、日興上人の正義は何々・・等と、詳細に示されるのであって、その内容そのものが、邪義・謗法の五老と、正義日興上人との対比であり、それはそのまま唯授一人正嫡の日興上人を証明されている書である。

この書は日興上人と五老との「法門上の差異」を例示されたものであるから、別段に二箇相承という文献を掲示する論文ではないのである。

この書に二箇相承のことが書かれていないからといって、それが二箇相承がなかったなどという証拠には全くならない。
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メッセージ 129

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

242.大丈夫か?山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時5分
山人君曰く

◎「秘中の秘の大事の相承書なのだから、軽々に文の表に出されるわけがない」などと日蓮正宗関係者は言いますが、いつから、誰が、そのようなことを言い出したのでしょうか。
後世に至りそのようなものいいで辻褄合わせをやるならば、なんでも可能というものです。しかも、その「二箇相承書」が大石寺にないのに主張しているのですから、大笑い、というものです。

●まあしかし、貴公もよほどの粘着質である。
二箇相承曽存の証拠は既に詳述した。

二箇相承は大聖人から日興上人への御状であるから御随身遊ばされ、重須へ奉持されたのである。
後に武田勝頼によって強奪され、以後紛失し今は行方不明であって、以後再発見される可能性だってあるのである。
であるから大石寺にないことは別に不思議でもなんでもない。

後に反論があるようだから、当該箇所にきたら完摧する。

——————————————————————
山人君曰く

B 日興上人も大聖人の先例に倣われた

日蓮大聖人が「本弟子・一弟子六人」を選定され「六門徒・和合僧体制」とされたと同様、日興上人も「本六・新六」と呼ばれる弟子を選定され、それぞれの師弟の系統を立てられています。大聖人が「和合僧体制」による令法久住・広宣流布を期され、それを記述されたのが日興上人です。当然、弟子の日興上人も師匠・日蓮大聖人と同様の方式をとられるのが道理であり、事実、そのようにされたのです。
これが「明確なる史実」です。「日興跡条々事」なる文書は、一人、日蓮正宗・大石寺という一日蓮系寺院がその存在を主張しているにすぎないものです。
——————————————————————
●山人君は唯授一人血脈相承を否定したがために必死のようだが、全く苦し紛れの妄言にすぎない。

「日興跡条々事」の正副両本が大石寺に存在していることは、学会発行の仏哲にも明記されている。
もし、今になってそれを否定するのであれば、学会の公式見解として、新たな学術的発見があり、しかもそれが正当な研究成果であることを証明せねばなるまい。

——————————————————————
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メッセージ 130

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:30

 

243.本当に大丈夫か?山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時6分
山人君曰く

◎ 本六 新六
1336年・建武三年9/15 日順阿闍梨血脈 (富要 2-22 )
此の師亦た法主の佳例に准望して六人の名言を授与す、頗る上聖値遇の古老なり、仍て過半先立つて逝去す、往古治定する所なるが故に本六人と云ふ、次に一乗の大機を撰量して、重ねて六人の碩徳を添加す・是れ最後随逐の若徒なり、蓋し末世の竜衆と謂ふべし、近来賞翫に預れば乃ち新六人と名く。

家中抄  (富要 5-183 )
本六人  郷 阿闍梨日目蓮蔵房 寂日房日華廿家阿闍梨 下野阿闍梨日秀理境房 少輔阿闍梨日禅号南房 摂津公 上蓮 日仙  大学了性房 日乗  新六人 伊与阿闍梨日代 寂仙房日澄 弁公日道 式部公日妙 大窪日亳 大進公日助

家中抄  (富要 5-200 )
新六人  永仁已後元徳正慶の間六人の碩徳を選び彼の本六人に対して是を新六人と号す、其の列次智徳を以て本と為す、然るに日澄第二に列するは澄公の没後に之れを列するが故なり、若し年老の次第に因れば澄道妙皆年老なり、澄公は三十三歳年増日道は十二歳日妙は十歳の年老なり、故に年老の次第に非ざるなり、次の代公は初に列する由緒有るか、謂く日澄は日向の弟子後に日興に皈伏して弟子と為り、日道は日目の弟子、日妙は日華の弟子なり、日代、日善、日助は興師の直弟なり、之れに依って新六人第一日代を挙げ給へるか、余は下に至つて之を知れ。

——————————————————————
●これらの文献は日興上人が、本六・新六を定めたことを記述しているだけで、別段、唯授一人血脈相承を否定するなんら証拠にもならない。
——————————————————————
山人君曰く

◎ 北陸の日満について
「日興上人は亡くなる前年の1332年・元弘2年(滅後51年)10月16日に、新六になっていなかった佐渡の日満を「北陸道七箇国の法花の大別当」に定めました。(富要 8-145 ) 

北陸は日満が導師として弘通するということであり、同時に日興上人は特定の一人にのみ全ての権能を附属する意志のなかった証拠でもあります。
「〜然れば、阿仏房の跡相続の子孫は北陸道の法燈たるべきの由、日蓮聖人の御筆跡の旨に任せて日満阿闍梨は北陸道七箇国の法花の大別当たるべき者なり、大衆此の後此の旨を存知せらるべし、惣じて日興門徒の僧俗等聊も之を違失することなかれ、〜」
——————————————————————
●何か問題でも?

「北陸道七箇国の法花の大別当」といえば、法縁により、地域により、教区を分け、その教区の責任者として日満師を任命した。
ということで、貴公の結論にはならない。

今で言えば大支院長・宗務支院長ということと同様であろう。

むしろ、任命したのは日興上人であるから、任命権者と被任命権者との立てわけがあり、これこそ、正嫡の御法主上人と御法主上人を中心とするところの僧団の組織が存在したことの紛れもない証拠ではないか。

大丈夫か?山人君。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 17:31

 

244.以上の論証によって、まったくこの愚論は成立せず。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 15時15分
山人君曰く

3 まとめると

◎ この考察以前の御書・各資料から、日蓮大聖人は門下各人を教導し、法門を順次・次第に明かし、又各人への法華の血脈相承によって成仏せしめ、広布を目指す異体同心の和合僧を確立し、令法久住を期せんとされていたことは明らか。

◎ 事実、大聖人は「六門徒・和合僧体制」を期された。大石寺のいう唯授一人血脈相承などはなかった。

◎ 日興上人も大聖人選定の他の五老門徒の系統自体は云々せず、法門上の異解を以て指摘・破折。「大聖人の立てられた法門」を守る姿勢をとられる。決して「相承書」等による「自身への帰伏」はいわれず、現在の日蓮正宗・大石寺とは全く逆の振る舞い。

◎ 日興上人も大聖人同様、和合僧の確立による令法久住・広宣流布を期す為、重須にて門下の教導、育成に励んだ。

◎ 師匠の日蓮大聖人が「六門徒・和合僧体制」を期されたのに倣い、弟子の日興上人も唯授一人の血脈相承などはされず、「本六・新六」中心の和合僧体制の確立に奮励された。
これが上代における史実であり、「二箇相承書」「日興跡条々事」などは偽書であり、謀書にほかならない。

このようなものを以て「自宗・自派の正統の証」とするなどは「信・行・学」なき坊主の「堕落証明書」であり、一部坊主の悪意有る、僅か数日の作業で、末法万年までも「血脈信仰」を垂れ流さんとする魔の所業です。

◎ 要は日蓮大聖人、日興上人が特定の僧への血脈相承なるものによってのみ、令法久住を期されていたとの証拠は無い、ということです。

では、また明日!

——————————————————————
●以上の論証によって、まったくこの愚論は成立せず。
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メッセージ 132

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 18:16

 

245.山人君の
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 17時4分
卞氏 という当方の掲示板でも愚論を吐きまくっていた学会員の山人君への質問
——————————————————————
Q 「二箇相承書」ですが、「九月○日」となっているのは、何故なんでしょう。
後世の謀策となると、妥当な日付をあとで考えよう、っていうところでしょうか。
——————————————————————
山人君登場

▼現行の御書全集では「九月日」なのですよね。
そこで登場の過程を見ますと

@ 1468年・応仁2年10月13日(滅後187年) 住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」
要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)
と、二箇相承書の一番古いのは「北山本門寺」にて書写されています。

A「二箇相承書」全文の登場は、日教が京都・住本寺にいて、日叶と名乗っていた時なのですが、これがその文です。

1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。

⇒ ここでは「九月十三日」ですよね。

B 1480年の「百五十ヵ条」に続き、「二箇相承書」が登場した同じ日教著の「類聚翰集私」(1488年)には、「身延相承書」「池上相承書」が入れ替わって記述されます。

1488年・長享2年(滅後207年)6月10日 大石寺・日教著「類聚翰集私」(富要2-314)
私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。
釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。

⇒ ここでも「九月十三日」です。

C 重須・本門寺に存在した?「二箇相承書」

1556年・弘治2年(滅後275年)7月7日(1581年の武田の兵乱の25年前)
京都要法寺・日辰が弟子の日耀に臨写させる。
「身遠山久遠寺〜
大坊に帰り御霊宝頂拝す。二ヶ相承是は日辰上人・正筆御拝覧の時・点画少しも違わず書写して今・本寺に在り」(富要5-60)

⇒ これは日辰本として写真が出回っていますがここでは「九月日」となっています。

ここで思い浮かぶのは「九月十三日」には「大聖人は身延におらず、既に常陸の湯に向け出発されており、この記述は日叶が『二箇相承書』を書いた時には行学院日朝によって表わされていた」ということですね。

D  日教の記述は、日蓮教学の大家である身延・行学院日朝の「元祖化導記」の記述と違っています。同所によると、大聖人は九月十三日には身延におらず、くれじに滞在しているのです。

1478年・文明10年(滅後197年)(大石寺・日有の時代) 元祖化導記 身延山・行学院日朝
二十五、武州池上のこと
 或る記に云く、弘安五年壬午九月八日午の刻身延の沢を出御有って、其の日は下山兵庫四郎の所に一宿、九日大井庄司入道、十日曾祢の次郎、十一日黒駒、十二日河口、十三日くれじ、十四日竹下、十五日関下、十六日平塚、十七日瀬野、十八日の午の剋に武蔵の国荏原郡千束郷池上村に着き了んぬ
〜御本に云く、文明十年(1478年)戊戌十月十三日これを書しおわりぬ。 日朝在判
元祖化導記下巻 寛文六年版

⇒ 北山にて「二箇相承書」を偽作したものの、後に行学院日朝の「元祖化導記」を知るところとなり、手直しをした、というところでしょうか。
以上、簡単ですいません。

しかし・・・法華講員さんは草薙氏の指摘どおり、コピー大好きですね。(笑)

——————————————————————
●上記の@〜Dまでの文献から、山人君の言うような「北山にて「二箇相承書」を偽作したものの、後に行学院日朝の「元祖化導記」を知るところとなり、手直しをした、というところでしょうか。」

などという、結論は何の根拠もない、こじつけ、邪推、妄断である。
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メッセージ 133

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/10 18:16

 

246.何故、これを隠すか。山人君。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 17時21分
山人君曰く

こんばんは
少々長くなりますが、今回は二箇相承書について書きます。

@ 1468年・応仁2年10月13日(滅後187年・大石寺は10代日乗の時) 
住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く
「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」
要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々
(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)

A 1480年・文明12年(滅後199年・大石寺は9代日有の時)
京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり。
弘安五年壬午十月十三日  日蓮御判。
武州池上

御譲与の趣き眼前なり、弘安五年九月十三日の御書には富士山本門寺の戒壇を建立すべし云云、之に依つて富士の郡、重須本門寺御建立、仍末寺西山は日代の寺〜

B 1556年・弘治2年(滅後275年・大石寺は13代日院の時)7月7日
(1581年の武田の兵乱の25年前)
京都要法寺・日辰が弟子の日耀に臨写させる。(富要5-60)

大坊に帰り御霊宝頂拝す二ケ御相承是は日辰上人正筆御拝覧の時点画少しも違はず書写して今本寺に在り、本門寺額、紺紙金泥の法華経一部、曼荼羅十七幅、安国論皆御正筆なり、一々残らず頂拝す興師御遺骨等頂拝す、薄暮に及びて亦振舞夜半迄乱酒なり酒果てゝ本行坊に宿し、翌朝亦頻に抑留し、振舞果て大石寺に帰る。
——————————————————————
▼山人君⇒ お初の登場が@にあるように、京都・住本寺の僧日広が北山本門寺にて書写した、という記述ですね。ただ、これは「全文書写しました」という記録が有るというだけで、文面は未だ公開されておりません。まあ一応、全文が有るよ、というところです。
——————————————————————
●古文献としての「お初登場」は、

@ 聖滅27年(1308)

徳治三年九月二十入日 日頂の本尊抄得意抄添書(本書無表題今且立之)に
「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」
「末法の教主日蓮が本意の法門直授たり」の文あり(宗全一−四四)

次は
A 聖滅99年(1380)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に
「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)

等がある。

何故、これを隠すか。山人君。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:15

 

247.樋田昌志 様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 21時34分
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/c320.htm
ここの掲載月日とは、何の書籍を指すのでしょうかね?


250.Re: 樋田昌志 様
名前:閲覧者    日付:6月10日(金) 22時18分
コラム「視点」転載サイトと書いてありました。

あきれてしまい、開いた口が塞がりませんでした。
当時の事を覚えていた人はいなかったのでしょうか? 

251.Re: 樋田昌志 様
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 22時56分
こういう誰がこうしたとかいう話はちょっと苦手なので、専門の方にお聞きください。

申し訳ありません。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:15

 

252.このような粗い論法では、法華講はもちろん学会員ですら納得はさせられないであろう。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月10日(金) 23時24分
▼それから僅か12年後に同じ京都・住本寺の僧日叶が「百五十ヵ条」にて、現在の文体に近い全文の記述をしております。
日広、日叶共に住本寺僧ですから、日広書写本を日叶が更に書写したものと推察されます。

いずれにしても、初出の全文は北山本門寺にあったというところがポイントですね。
次に京都要法寺の日辰が北山本門寺にて、弟子の日耀に書写させたものがあって、それが現在、写真公開されて出回っているものですが、これもやはり北山本門寺なのです。

ということは、推測として「北山本門寺にて二箇相承書を偽作した」ということがいえるわけです。
——————————————————————
●随分と資料を並べ挙げた割りには結論が貧弱である。

日興上人が御身にお受けになった相承書であるが故に、北山に曽て存在していたとしても不思議はない。

しかも、古文書を詳細に検討していくと、北山曽存の二箇相承ですら正本の写本であった可能性すらある。

日顕上人の御指南には明確に日興上人の御境涯において、大聖人より御受けになられた二箇相承のお写しがあられる。と仰せである。

いづれにせよ、貴公の推論は、あくまで推論の範疇であって、二箇相承は絶対に無かった。との偏狭な前提がまずあってそこから全ての古文献を極めて恣意的に読んでいるだけである。

このような粗い論法では、法華講はもちろん学会員ですら納得はさせられないであろう。
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

253.池田大作監修の「仏哲」の二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 0時6分
山人君曰く

C 初出の1468年頃といえば、丁度、中古天台本覚思想の集大成期と重なっているのです。

——————————————————————
●まずこの前提が間違っている。

二箇相承と思しき初出は記述の如く、
——————————————————————
●古文献としての「お初登場」は、

@ 聖滅27年(1308)

徳治三年九月二十入日 日頂の本尊抄得意抄添書(本書無表題今且立之)に
「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」
「末法の教主日蓮が本意の法門直授たり」の文あり(宗全一−四四)

次は
A 聖滅99年(1380)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に
「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)

等がある。

——————————————————————
である。
が故に以下の立論は、その根拠を失う。
真にご苦労様である。

——————————————————————
山人君が列挙した資料
——————————————————————
・1347年・正平2年(大石寺は5代日行の時) 「蔵田抄」豪海
・1349年・正平4年(大石寺は5代日行の時) 「等海口伝抄(宗大事口伝抄)」等海
・1367年・正平22年(大石寺は6代日時の時) 「八帖抄見聞」直海
・1402年・応永9年(大石寺は6代日時の時) 「七帖見聞(天台名目類聚抄)」貞舜
・1501年・文亀元年(大石寺は12代日鎮の時) 「二帖抄見聞」尊舜

そして、その総本山ともいうべき中古天台恵心流の仙波談林で、多くの日蓮系の僧が学んだのですね。大石寺では「家中抄」に出ているのが3人です。

◎ 6代日時 「家中抄」(富要 5-251 )
日時伝
釈の日時、俗姓は南条、出家して良栄と号す、日行に随順し当家の諸書を学ぶ、後武州仙波に於て広く台家を聞く、

◎ 8代日影 「有師物語聴聞抄佳跡 上」(富要 1-222 )
日影上人(下野平井園部御出生俗姓不知)日時上人に随順し出家学道す、武州仙波に台家を学びて後下野平井園部に弘通し会津実成寺に住居すの時日時上人御遷化なり

◎ 13代日院 「家中抄」 (富要 5-258 )
日院伝
釈の日院、俗姓等日鎮伝に出づ、出家して右京と号す、十三歳にて富士に登り当家を習学す、十七歳にして相州土屋に往て台家を受く、又武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学す。

D 仙波談林や比叡山で学んだ日蓮系の僧侶達は口伝、切紙相承を取り入れて、自門教学の樹立に好都合なように作り上げ、歴史的に由緒ある相伝の如くに仕立て上げていきます。
本尊相伝について、当時の日蓮系の坊さん達のやったことといえば、このようなものです。

◎ 延山
・御本尊相伝事  日朝談日仁記  康正3年(1457年)夏頃
・本尊相伝抄  日意記示日伝
・本尊相承事  日朝御義日仁談  文亀元年(1501年)7月1日

◎ 昭門 
・御本尊相伝抄  玉沢日伝   康正3年(1457年)8月13日
「右此法門当流代々口伝也、於日伝代初載紙面也。〜起請文如常其後可為唯授一人也」

◎ 朗門
・本尊明鏡抄(三種灌頂見聞) 日朗相承日山註
・大曼荼羅事  日像記示大覚  文保2年(1318年)12月18日
・当宗相伝大曼荼羅事  日像伝大覚記  延文3年(1358年)1月18日
・御本尊相伝抄  比企系日東   康正3年(1457年)9月6日
「本迹日昭本尊日朗殊更此門流渡本尊相伝也」
・御本尊相伝之事  真如日住
・御本尊口伝面授私  平賀日意

◎ 常門
・題目点画相伝  高祖伝日常記
・御本尊授与書証文相伝  日常直授
・曼荼羅正相伝  日祐記
・本尊相承之事  日親記
・本尊相承抄   日親記
・本尊相伝十五通  日源伝日実記

⇒ これら相承書?には、筆録年代不明のものが多くありますが、筆録者の生存年月からすれば、おおよそ康正(1455年〜)、文明(1469年〜)、永正(17年まで1520年)の頃に成立したものと推察されます。

E 住本寺僧・日広が北山本門寺にて「二箇相承書」を書写した1468年・応仁2年といえば、正に中古天台恵心流の全盛期で、恵心流では「七箇口伝 唯授一人相承 切紙相承 各種相承書の偽作」が盛んに行なわれ、それが日蓮系の修学者に影響を及ぼし、偽作相次ぐ時でした。

この一連の背景を知れば、北山本門寺にて「本門戒壇の霊場・本門寺根源」を更に箔付けするために「日蓮大聖人から日興上人への相承書」を作成し、「当山に日蓮・日興の相伝」とやることは容易に推察できることです。

——————————————————————
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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

254.池田大作監修の「仏哲」の二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。2
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 0時7分
●やはり立論が粗い。

まず記述の如く、二箇相承の存在傍証としての文証は聖滅27年と99年にすでに顕れている。

まず、この段階で山人君の妄想の前提根拠は崩れているのである。

次に、上記の資料をどう読んでみても、二箇相承が偽作されたなんら物的証拠にはならないし、状況的にも貴公が自らの妄執を元として夢物語を幻出しているに過ぎない。

あくまで貴公の推測の範疇である。

記述の如くの池田大作監修の「仏哲」に明確に二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。
http://toyoda.tv

 

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メッセージ 138

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

255.コラム「視点」ha
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月11日(土) 0時12分
失敗した山崎、原島らの謀略
昭和56年から57年にかけて聖教新聞に掲載されたコラム「視点」をまとめた小冊子「失敗した山崎、原島らの謀略—宗門、恐喝、ペン裁判の真実の綴り」が転載されています。

 

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メッセージ 139

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:16

 

256.返す返す馬鹿丸出しの引文である
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時15分
ちょいとごめんよ

1文は口伝すべし。
法華真言勝劣事
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。
求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

2 此の義は最上の難の義なり。口伝に在り
法華真言勝劣事
此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三北七並に華厳法相三論東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に存り云云。文永元年甲子七月二十九日之を記す。  

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

3 口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。
四条金吾女房御書
懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

大聖人の在世のことだね。「此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり」についての御教示ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それにおじさんさ、弁公=日昭への大聖人からの口伝なんかを唯授一人血脈相承の依文にするなんて、悩乱したの?五老僧のお一人に唯授一人血脈相承でよろしいのね。
コピー魔もいいけど、検索したのをただ、貼り付けているだけだと「穴に落ちる」ぜ。笑

4 此に口伝有り。
法華行者逢難事   
追て申す、竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相には青鳥客人の来相には・鵲是なり、各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 140

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

257.えっ、?これが大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承の文証?
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時22分

5 よくよく口伝あるべし。
聖密房御書   
これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をばぬすみとれりよくよく口伝あるべし

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

6 口伝を以て之を伝へん。
曾谷入道殿許御書
慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に、諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出して要法を伝え、末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

7 口伝すべし。
三三蔵祈雨事
弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

8 上行菩薩結要付嘱口伝
上行菩薩結要付属口伝
当然だよ
此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、だからね。笑

9日文字の口伝、産湯の口決
10本尊七箇の口伝
本因妙抄
又日文字の口伝産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。 弘安五太歳壬午十月十一日 日蓮 在御判
弘安五年十月十一日

両巻血脈抄は京都日尊系の相承書だぞ。大石寺=相承書ドロボー。笑

 

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メッセージ 141

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

258.おもしろいねぇ
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時26分

11就註法華経口伝 御義口伝
「御義口伝」の継承がさ、どうして大石寺という富士宮にある日蓮系一寺院の秘伝・秘法の文証となるの?日蓮 ⇒ 日興 ⇒ 日目 ⇒ 日道継承の証拠は?「御義口伝は大石寺貫主の秘伝・秘法であるとの文証」など、どこにもないよ。その一部分を都合よく解釈しているにすぎないだけ。御書見れば、「なんでも大石寺のもの」のように勘違いしてるけど、そりゃ間違いだって、ちゃんと山人さんが「十大部」とおして指摘してあるよ。笑

12不動明王の尊形と口伝せり。
御義口伝巻
然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云、されば此の提婆の一品は一天の腰刀なり無明煩悩の敵を切り生死愛着の繩を切る秘法なり、漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり、提婆は火炎を顕し竜女は大蛇を示し文殊は智剣を顕すなり仍つて不動明王の尊形と口伝せり、提婆は我等が煩悩即菩提を顕すなり、竜女は生死即涅槃を顕すなり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

13四弘誓願をば一文に口伝せり。
御講聞書
一入末法四弘誓願の事 仰に云く四弘誓願をば一文に口伝せり、其の一文とは所謂神力品に云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑と云云此の経文は法華経の序品より始て四弘誓願の法門を説き終りてさて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり滅後とは末法の始の五百年なり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

14師に依らずして相承を失ふべし。
なんのこっちゃ
ちゃんと前後出してね。

15根本大師の御相承ありげに候。
秋元殿御返事
御文に云く末法の始五百年にはいかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに聖人の仰を承り候に法華経の題目に限って弘むべき由聴聞申して御弟子の一分に定まり候、殊に五節供はいかなる由来何なる所表何を以て正意としてまつり候べく候や云云、夫れ此の事は日蓮委く知る事なし、然りと雖も粗意得て候、根本大師の御相承ありげに候、総じて真言天台両宗の習なり、委くは曾谷殿へ申候次での御時は御談合あるべきか、先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

16筆受の相承
開目抄
故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す」等云云、俘囚の嶋なんどにわたてほのぼのといううたはわれよみたりなんど申すはえぞていの者はさこそとをもうべし、漢土日本の学者又かくのごとし

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

「真言家は則ち筆受の相承」⇒ アホか、もうめちゃくちゃだね。

17日蓮相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。
四条金吾女房御書
懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 142

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

259.やっぱ、コピー魔だな
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時28分

18只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。
生死一大事血脈抄
殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、
大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

19日蓮が相承の法門等前々かき進らせ候ひき。
諸法実相抄
申候、日蓮が相承の法門等前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

20当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず。相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。
21天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり
22当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、
天台の血脈相承の秘法を習ひ失ひて、我と一心三観の血脈とて我が意に任せて書を造り、

立正観抄 ⇒
妙法を忘失し邪教化した中古天台の血脈相承を破折した文が何故、いきなり、日蓮系一寺院たる大石寺血脈義の文証となるのかね。
天台宗が血脈相承による法門伝承だから大聖人もそれを採用した、との文意がどこにあるのかな。笑
血脈相承によって仏法を継承しようとすると邪教化してしまうから、中古天台の先例をとおし、僧から僧への血脈相承というものを破折された文でしょう、これは。笑

23日蓮相承の法門血脈、慥かに之を註し奉る。
立正観抄送状
講ずる所の経既に権大乗経なり又次第と云えり故に別教なり、開発せし陀羅尼又法華前方便と云えり故に知んぬ爾前帯権の経別教の分斉なりと云う事を己証既に前方便の陀羅尼なり止観とは己心中所行の法門を説くと云うが故に、明かに知んぬ法華の迹門に及ばずと云う事を何に況や本門をや、若し此の意を得ば檀那流の義尤も吉なり此等の趣を以て止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有る可く候か、委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり、又日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る、恐恐謹言

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

 

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メッセージ 143

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

260.コピーしてホイと貼り付けたのが文証ってね、笑
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名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時36分
24此等は相承の法門なるべし。
上野殿御返事
三世の諸仏の成道はねうしのをわりとらのきざみの成道なり、仏法の住処鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

25日蓮が己心に相承せる秘法を此の答へに顕はすべきなり。
日蓮が己心に相承せる秘法=南条殿御返事
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

26今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時、日本国に弘通す。
27当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門
十八円満抄
所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、

に挙ぐる所の法門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

28日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。
三大秘法抄
此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

当然でしょ。・・・・それで?笑

29聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。
「産湯相承事」ね、神話ですよこれは。真筆持ってきなさい。
それに、これが大石寺歴代貫主のみに「相承」されたという証拠は?
ほかの寺にもあるぞよ。

30三諦三観の口決相承と意同じ
御義口伝巻
如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。
如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。

 

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:17

 

261.ありがとうございます
返信  引用 
名前:神様    日付:6月11日(土) 0時37分
なんかていねいに返信していただきありがとうございました。やっぱり学会員だから法華講のかたってだけで嫌悪があったんよ、深層心理で、これは生まれたときから学会員だからしかたないと思います。いろいろ変なこと書いてしまってすいません。
日顕さんも池田さんも内部の人はほめますよ。それぞれお互いがどれだけ批判されているか考えるべきですね。でも池田さんもこれだけの組織をまとめる組織力と指導力、普通の人じゃハーバードとかで講義できないと思います、普通に。だから日本をのっとる私利私欲の淫乱オヤジとはおもはない。あと、日顕さんも法王になるんだから教学力のある方だと思います。お互い老人だから利害を超えていたわらなきゃと思います。僕は生まれたときに破門されたので、一度も寺にも、もちろん大石寺にもいったことがありません。ニュー世代の学会員なわけです。これじゃ成仏できませんね、笑
質問なんですが山崎正友さんについてどう思われますか?いずれ法王が死に、名誉会長が死に、お互いが歩みよれたらドイツがナチスにしたように、このひとに問題押し付けて一緒になれませんかね?笑


263.Re: ありがとうございます
名前:神様    日付:6月11日(土) 0時55分
ちなみに僕の家いちお幹部なんで、教宣ようの本があるんですよ、これはみんなあるのかな?まぁいいや。これに三宝、血脈、登山、三大秘法、などの公式見解が書かれてるんですよ。ぜひ見せてあげたいです。

 

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メッセージ 145

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

262.唯授一人血脈相承なんていいかげんなもんだ
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 0時46分
大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

31秘すべし秘すべし、唯受一人の相承なり、口外すべからず。
御義口伝巻
然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕す故にさて去の字を終りに結ぶなり、仍つて上に受持仏語と説けり煩悩悪覚の魔王も諸法実相の光に照されて一心一念遍於法界と観達せらる、然る間還つて己心の仏を礼す故に作礼而去とは説き給うなり、彼彼三千互遍亦爾の釈之を思う可し秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それに「身延山における法華経講義が日興上人一人だったって?」じゃ、証拠だしなよ。
それに「御義口伝は大石寺歴代貫主のみの相承書」の証拠は?笑

32相承の意を相伝せんが為なり
なんのこっちゃ?
ちゃんと前後もだしなよ。

33所詮今末法に入りての如法相是は塔中相承の本尊なり。
御講聞書
根性は不同なれども同じく如是性の一性なり、所詮今末法に入つての如法相是は塔中相承の本尊なり如根性是也と云うは十界宛然の尊像なり法相は南無妙法蓮華経なり、

大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?
それに民部日向が筆記だぜ。日向に唯授一人血脈相承でもあるのかい?笑

34慥かに塔中相承の秘文なり。下種の証文秘すべし
御講聞書
の経文に教無量菩薩の教の一字は下種の証文なり教とは題目を授くる時の事なり、権教無得道法華得道と教うるを下種とは云うなり、末法に入つて此の経文を出ださん人は有る可からざるなり慥に塔中相承の秘文なり下種の証文秘す可し云云。
同じ

でもってさ
▼以上の御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である。
だってさ、どーーーーーーこがよ?笑 
ほんと、いいかげんだねーーーー。
おじさんの言葉を借用
「返す返す馬鹿丸出しの引文である。」きゃははーーー。
妄想のために御書を使ってはいかんよ。笑

 

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メッセージ 146

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terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

264.(untitled)
返信  引用 
名前:神様    日付:6月11日(土) 1時7分
ちなみに学会の本尊は開眼がないというのが功徳のないというポイントですか?学会が信心がないのでそこが出しているからというのを除いて考えれば。

 

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メッセージ 147

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

265.さあ、おじさんの妄想を順番に笑うとするか 
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 1時26分

NO221について・・・・ね。

▼別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

「別しての血脈相承」どこにあるの?そんなもの

▼ ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

ほう、じゃあ、大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承なんて、やっぱいいかげんだったんだ!
あはは、こりゃ、「御法主上人猊下をお守り申し上げ」みたいなこといっている法華講員がこのテイタラク。
大石寺歴代貫主の唯授一人金口嫡々血脈相承なんて、真筆などない!ってーことを法華講員が白状したよ。こりゃ、使えるわ。どんどん現場で言ってやろうぜ。笑


▼ まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。
この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。
それは各々別個で表示されている。まずこの大前提を山人君は外している。

六老僧全員「一弟子・本弟子」でずぜ。
おじさんは嫡弟が前提になってるわね。どこに根拠あんのよ。やっぱ妄想宗だな。

▼ もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。

あのさぁ、「大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、」って、そういう発想自体必要ないよ。なんで付属せにゃいかんのよ。前提が日蓮正宗なのよね、この人は。ほかには通用せん。

▼ しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。
つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。
つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。

「上を抑えて下を挙げるという意味である。」「六老の相違を、法臘以外に御認めなされた」っていうけど、それはおじさんの「唯授一人血脈相承はある」という思考を前提にした解釈論ですな。全員「一弟子、本弟子」だよ。それが不次第ですぜ。笑
「相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位」っていってんならさ、証拠出しなよ、証拠をさぁ。

▼ ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。

「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」なんてさぁ、もう、妄想ばっかりでどうすんのよ。

敗北三回のおじさんの妄想の産物がこの怪釈ですぜ。笑

 

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メッセージ 148

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

266.さあ、おじさんの妄想解釈を笑うとするか 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月11日(土) 1時29分
NO221について・・・・ね。笑

▼別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

「別しての血脈相承」どこにあるの?そんなもの

▼ ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

ほう、じゃあ、大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承なんて、やっぱいいかげんだったんだ!
あはは、こりゃ、「御法主上人猊下をお守り申し上げ」みたいなこといっている法華講員がこのテイタラク。
大石寺歴代貫主の唯授一人金口嫡々血脈相承なんて、真筆などない!ってーことを法華講員が白状したよ。こりゃ、使えるわ。どんどん現場で言ってやろうぜ。笑


▼ まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。
この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。
それは各々別個で表示されている。まずこの大前提を山人君は外している。

六老僧全員「一弟子・本弟子」でずぜ。
おじさんは嫡弟が前提になってるわね。どこに根拠あんのよ。やっぱ妄想宗だな。

▼ もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。

あのさぁ、「大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、」って、そういう発想自体必要ないよ。なんで付属せにゃいかんのよ。前提が日蓮正宗なのよね、この人は。

▼ しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。
つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。
つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。

「上を抑えて下を挙げるという意味である。」「六老の相違を、法臘以外に御認めなされた」っていうけど、それはおじさんの「唯授一人血脈相承はある」という思考を前提にした解釈論ですな。全員「一弟子、本弟子」だよ。それが不次第ですぜ。笑
「相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位」っていってんならさ、証拠出しなよ、証拠をさぁ。

▼ ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。

「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」なんてさぁ、もう、妄想ばっかりでどうすんのよ。

敗北三回のおじさんの妄想の産物がこの怪釈ですぜ。笑

あとは明日の夜ね、

 

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メッセージ 149

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:18

 

267.お引き取り願います
返信  引用 
名前:管理人    日付:6月11日(土) 5時34分
あなたのカキコミは人の真面目なカキコミをチァカしているだけです。謙虚さがまったくみあたりません。お引き取り願います。

 

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メッセージ 150

 / 275 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:19

 

268.神様氏へ
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 6時20分
> なんかていねいに返信していただきありがとうございました。やっぱり学会員だから法華講のかたってだけで嫌悪があったんよ、深層心理で、これは生まれたときから学会員だからしかたないと思います。いろいろ変なこと書いてしまってすいません。

その気持ちは分かりますよ。
当然だと思います。

> 日顕さんも池田さんも内部の人はほめますよ。それぞれお互いがどれだけ批判されているか考えるべきですね。でも池田さんもこれだけの組織をまとめる組織力と指導力、普通の人じゃハーバードとかで講義できないと思います、普通に。だから日本をのっとる私利私欲の淫乱オヤジとはおもはない。あと、日顕さんも法王になるんだから教学力のある方だと思います。お互い老人だから利害を超えていたわらなきゃと思います。

本当にあなたの気持ちは理解できますよ。
お若いのに心の大きな方ですね。

ただ、大聖人の仏法を実践して絶対的幸福=成仏を目指す限り、大聖人のお言葉の通りにものを見、考える努力が必要かと思います。

大聖人は「法に依って人に依らざれ」との釈尊の言葉をよく用いられます。これはなかなか難しいことですが、人物の表面的な評価や実績に捕われることなく、真実の成仏できる法はどこにあるのか?ということを見極めていく姿勢だと思います。

そうすると、やはり戒壇の大御本尊へ行き着くのですね。
大聖人が御一生のその全てを賭けて顕された究極の御本尊だと思います。色々調べて見ますと。
この戒壇の大御本尊を信じ拝すことがそのまま成仏への道と説かれています。

>僕は生まれたときに破門されたので、一度も寺にも、もちろん大石寺にもいったことがありません。ニュー世代の学会員なわけです。これじゃ成仏できませんね、笑

う〜〜ん・・・確かに新しい世代ですね。
少し酷かもしれませんが、確かに今のままでは「成仏」は無理かと思います。戒壇の大御本尊に参詣することですよ!

> 質問なんですが山崎正友さんについてどう思われますか?いずれ法王が死に、名誉会長が死に、お互いが歩みよれたらドイツがナチスにしたように、このひとに問題押し付けて一緒になれませんかね?笑

創価学会が創価学会のままで日蓮正宗に帰ってくることは残念ながらその可能性は限りなく0に近いと思います。
が、将来分裂して、その中で日蓮正宗の教義をきちんと守ると言う組織が現れたらそれはそれで組織ごとの帰伏はありえると思いますよ。

山崎氏のことはすみません、すみません。あまり良く知りません。
http://toyoda.tv

 

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メッセージ 151

 / 275 

 

投稿者 : MSN ニックネーム

terry-44

投稿日時 : 2005/06/11 12:19

 

269.山人君は「狡猾」との謗りを免れないのではないか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 8時35分
山人君曰く

▼ F 又、今日では明らかに偽書とされている「日代八通の譲り状」が、この時点では存在していた、ということも「北山本門寺が二箇相承書を偽作する動機」となったといえるでしょう。日興上人門下・富士門流各山が確立、門流意識が高まる過程で「相承書を偽作」ということはすぐ隣の西山本門寺で行なわれており、「ならば」と他山も同じ所業を成すのは、当時としてはむしろ当然でもあるでしょう。
——————————————————————

●ここも全くの山人君の想像・仮説・悪く言えば妄想の領域を出ない。
——————————————————————

▼ 大石寺6代日時の「大石記」に「日代八通状」が登場します。
本文中の最初の日付は「応永六年巳卯(1399年)十一月九日」となっています。

「大石記」
助に對して御物語に云く
應永十一(1404年)、三月十五日早旦に於イて。
仰セに云く日興上人の常の御利口に仰セられけりとなん、予が老耄して念佛など申さば相構エて諫むべきなり、其レも叶はずんば捨つべきなり、而るに日代は数通の御譲リ状を持チたりと云へども・既に迹門得道の上は争テか言ふに足るべけんや、其ノ上付法の旨は其ノ證拠をば上々の御事なり・此ノ上付の旨は其ノ證拠をば上々の御事なり、此ノ方にも上の御筆を載せたるなり・其ノ支證は上々の御事なり、先ず迹門得道と云ひ多クの謗法之レ有ル上は沙汰の限リに非ず。
——————————————————————

●この『大石記』というのは、日興上人滅後六十六年たった応永六年十一月に、第六世日時上人が助という人に日興上人のことを語った、とされる内容の御文が、それから百九年を経て、山城公日顕の所蔵本に出ているのを、永正五年六月、第十二世日鎮上人が見付けて書写されたもの。

 さらに、それから五十一年を経て、要山の日辰が日鎮上人の書写本を書き移したものが、同門の要山末日震蔵本にあり、それを唯信院日応が転写し、これを堀日亨上人が、富士宗学要集の旧本(昭和十一年十月刊)に集録されたものである。

 幾度も転写されたばかりか、もとの写本等の存在も不明のため、史料価値の重要性が認められず、新本には載せられなかった経緯がある。

こういう不確かな文献を持ち出してきてまで、自説を補強しようとする山人君は「狡猾」との謗りを免れないのではないか?
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 152 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/12 10:59

 

270.樋田 昌志様  C作戦は嘘ですね。
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月11日(土) 10時49分
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/gakuindex.htm
ここを見ると教義上の逸脱で破門になったことがわかりました。
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/gakuindex.htm


273.Re: 樋田 昌志様  C作戦は嘘ですね。
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 17時3分
ほんとうにその通りですね。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 153 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/12 10:59

 

272.単なる悪意による誹謗に過ぎない領域を徘徊しているだけになってきたようである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月11日(土) 17時1分
山人君曰く

▼更に「偽作の相承書」は日代八通状だけではありませんでした。

◎「法華本門円頓戒相承血脈」⇒ 日昭系の譲り状 (日蓮宗宗学全書 一巻上聖部)

◎「日朗御譲状・釈尊一代の深理も、亦日蓮一期の功徳も残る所なく、悉く日朗に付属す  る所なり」 ⇒ 日朗系の譲り状  (昭和定本日蓮聖人遺文 三巻)

◎ 1330年・元徳二年  「日妙譲り状」(富要 8-144 )
日蓮聖人の御仏法、日興慥に給はる所なり、就中日妙は三堂の本尊を守護申すべき仁なり、末代の為に日代判を以て証人として書写し畢ぬ、我か門弟等以後に於いて諍ふ事有るべからず候、仍て後日の為めに状件の如し。
元徳二年庚午二月十五日 日興在判  本門寺日妙に之れを授与す

⇒ この「日妙譲り状」など、北山本門寺に偽作の前歴がある、ということですね。

——————————————————————

▼ここも山人君の狡猾さがよく現れたところである。
もしくは無知が露見しただけか。

この書については日亨上人が

■「本門寺日妙に授与書、祖滅四十九年北山本門寺主として之を用ひ妙本寺も亦日要以来重書と号して切紙相承に之を列すれども、此れ亦史実と合せざるものあり全然の偽托なり、中古の写本妙本寺等に在り。」

との注釈を為されているが如く、祖滅49年に偽托した書である。
と言うことは、何かを元に「偽って托した」ということである。

ここを考察するに、

1、注目すべき事は、この年「日興跡条々事」の稿が草されている。
(この日興跡条々事については、日亨上人が「正本案文共に総本山に厳存す。」と仰せである。何度も言うが、かつて学会も認めていたこの事実を否定するのならば、それなりの客観的証拠を提示すべきであろう。)

この日興跡条々事は申すまでも無いが、日興上人から日目上人への御相承の明証である。

翻って該書を見るに、これもまた日興上人から北山二祖日妙への唯授一人の相承を主張している。

「駿河の国富士の上方重須本御影堂に於て唯授一人の相伝日妙、秘すべし秘すべし。」
である。

この内容は何を意味するのか?

つまりは、偽書である該書には、日興上人から日目上人への唯授一人の御相承への危機意識と対抗意識が読み取れるのである。

2、偽書と言うものは、まず前例があり、その事実に倣い、謀作されるものである。
全く目に触れぬものを、模倣しようが無い。

これはまた何を意味するのか?

つまり、この祖滅49年に偽托されたこの偽書は、既に唯授一人血脈相承の何らかの前例を認知していたが故に、その事例に倣って偽作されていると見ることができる。

以上の1,2の状況を鑑みるに、この該書は、まさに日興上人への二箇相承が存在し、更にまた日興跡条々事も存在し、大聖人の仏法が唯授一人血脈相承に依って日興上人・日目上人へと正統な伝持が周知の事実だったが故に、為された謀書ということができるのである。

つまり山人君が提示した、該書はむしろ二箇相承・日興跡条々事の存在の傍証とも言えるのである。
——————————————————————
▼G このように「二箇相承書」なるものは「北山本門寺に有った」のですね。故に大聖人より唯授一人の血脈正統を自称する「大石寺には無かった」のも当然です。
ただ、文面上では大石寺の後世作り上げた持論である「唯授一人金口嫡々血脈相承」に都合のいいものですから、「よその寺の偽書を借用し、自らの邪義の為に利用」したのでしょう。

——————————————————————
●古文書を随分と例示した割りには粗忽な推論である。

曽て論じた如く、二箇相承は大石寺にも重須にも曽存していた可能性があるのである。

また、既述の如く、二箇相承・日興跡条々事についての山人君の邪推は、もはや単なる悪意による誹謗に過ぎない領域を徘徊しているだけになってきたようである。
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 メッセージ 154 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/12 11:00

 

275.山人君の推論は邪推に邪推を重ねたものであり、全く失当である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 7時25分
山人君曰く

▼H これに対し「1468年・応仁2年に住本寺・日広書写ならば、日興上人御所持のものがそのまま北山本門寺に伝承されていた、ということであり、偽作云々は当て推量ではないか」という意見もあります。
なるほど、もっともらしいのですが

「それこそ、当て推量です。あなたの思考の前提は日蓮⇒日興に二箇相承書となってしまっています。日蓮・日興の上代のどこに二箇相承書の証拠があるのですか。ここまでの考察で見たように、時代背景、登場の仕方、北山本門寺を取り巻く状況では偽作ですよ」と追及することになります。
——————————————————————
●山人君の「ここまでの考察」自体が既にその細部にわたって悉く摧破した如く、貴公の「二箇相承は無い」との前提からの「当て推量」であった。依って、山人君自身ももう少し客観的な見地に立つべきであるのではないか。

——————————————————————
I—1 ここで出てくるのが唯一、上代に属する山口範道氏指摘の文献ですね。

◎ 日頂の「本尊抄得意抄添書」に「二箇相承書」の記述があるのだ。
1308年・徳治3年9月28日(大聖人滅後27年)、六老僧の一人・日頂
「本尊抄得意抄添書」(日蓮宗宗学全書1-44)

「興上・一期弘法の附属を受け日蓮・日興と次第、日興は無辺行の再来として末法本門の教主・日蓮が本意之法門直受たり、塾脱を捨て下種を取るべき時節なり」

・「一期弘法の附属」との記述から「二箇相承書」の実在が証明される。
——————————————————————
▼⇒ まず与えて論ずれば
・上記文献から推測するならば、日頂の認識として「本尊抄得意抄添書」の『興上・一期弘法の附属を受け日蓮・日興と次第』があり、これをモチーフにして、後世・1400年代後半以降の身延相承書の文面が創作された、という方が自然でしょう。

●全くの憶測であり、根拠なし。故に失当である。

——————————————————————
▼・山口説は本尊抄得意抄添書と、身延相承書を無理に接着したにすぎません。どこに身延相承書の全文が出ているのでしょうか?二箇相承書そのものが存在していた証明にはならないでしょう。
——————————————————————
●はい、ここが学会員のみならず異流儀の徒の同一傾向。
「文に囚われて義が読めず。」

■「義に依って語に依らざれ」

■「邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。」

■「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。」

この文をそのまま素直に読めば、日興上人へ大聖人が直授相承為されたことを言っているのである。では目に見えない直授相承を何故そのようなことが行われたと分かるのか?当然そこに何らかの証拠の存在が無ければ斯く言えないのである。
二箇相承の全文の写本でもないこの文の上に何故二箇相承の全文を記する必然性があるのか?
全く山人君は自分のわがままだけを押し通すただの駄々っ子のようなものである。

——————————————————————
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 メッセージ 155 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/12 11:00

 

276.古文書漁りばかりしていると、こういう基本が分からなくなるのか。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 7時26分
▼⇒ 次に奪って論ずれば
・日頂の「本尊抄得意抄添書」なる書が、日頂真筆との根拠はどこにあるのでしょうか。
日宗全に編者云く「この書原本佐渡世尊寺の所蔵に係る、未だ真偽を断ずべからず」とあります。文献は真偽未決扱いとなっています。

——————————————————————
●では聞くが、山人君が提示してくる文献は全て真偽の詳らかな物だけか?
自分の妄想に都合のいい文献は真偽関係なく例示しているではないか?
自分のしていることをよく胸に手を当てて沈思黙考してみたら如何か?
——————————————————————
▼⇒ 別角度ですが、この時代の他文献には「日蓮=本門教主」との思想はまだ見られません。
——————————————————————
●重ねて全く貴公は自見を無理無理押し通そうとしているだけの駄々っ子である。

■仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。



■教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐します。



■夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。



■日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。



大聖人こそ仏である。と御自ら仰せではないか?

古文書漁りばかりしていると、こういう基本が分からなくなるのか。

——————————————————————
▼該思想は1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」以降に明確化されます。
故に、「二箇相承書・上代存在の証明」として引用した「本尊抄得意抄添書」は、室町・戦国期の頃の作ではないかと推測されます。
——————————————————————
●前提が完全に間違っているが故に、貴公の推論は邪推に邪推を重ねたものであり、全く失当である。

——————————————————————
▼1480年・文明12年(滅後199年) 日叶著「百五十ヵ条」(富要2-176)
当流には日蓮聖人を以て本門の教主と仰ぐ所なり、いかに人の不思議の邪義と云はんずらん御書の秘文にも非るなり、かな一つちがい成るべきや、当流相伝の御正筆には上行等の四菩薩の脇士となるべしと有り云云。
——————————————————————
●だから何?

上記の御書をよく拝し給え。
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 メッセージ 156 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/12 11:01

 

277.貴公の立論はどこをとっても全くの失当である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 9時54分
山人君曰く

▼⇒ というと、日蓮正宗関係者は「三位日順の記述に『日蓮大聖人=本仏』とあるではないか、ということは日興上人よりの教示と考えられる。故に日興上人の『日蓮本仏思想』を日頂が聞き、かかる記述をしても至極当然であろう」などというでしょうね。

はい、そこで、三位日順の文献の検証です。

◎ 本因妙口決 日順之を記す  (富要 2-83 )
久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなりと云云

・ここで注目すべきはP84の次の記述です。
「次に日文字の口伝・産湯の口决・本尊七ケの口伝・教化弘経七箇の伝は別紙の如し。」
これは「御本尊七箇相承」なる相承書に言及したものですが、この相承書自体が後世の偽書ですから、それを引用している「本因妙口決」も後世の書といえます。

——————————————————————
●既に根拠が総崩れである。

前回に続き、更に御書の御言葉を拝す。

■釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ。経に云はく「如来秘密神通之力」是なり。如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。

●ここに仰せの「凡夫」こそ、日蓮大聖人であることは論を待たない。

■「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり。」

■日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。

■日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。

■余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。
一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。経に云はく「即ち如来の使なり」と。又云はく「眼目なり」と。又云はく「日月なり」と。

■貧欲・瞋恚・愚癡と申すさけにゑひて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなづる、つねにみへて候。

●山人君、心して拝し給え。貴公は貧欲・瞋恚・愚癡という酒に酔い痴れて、末法の御仏を軽しめ、侮っている大謗法者である。

■日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。今久遠下種の寿量品に云はく「今此三界皆是我有=主君の義なり= 其中衆生悉是吾子=父母の義なり= 而今此処多諸患難=国土草木= 唯我一人能為救護=師匠の義なり=」と云へり。三世常恒の日蓮は今此三界の主なり。「日蓮大恩、以希有事、憐愍教化、利益我等、無量億劫、誰能報者」なるべし。産湯相承事

●貴公がもし産湯相承事にまで疑義を差し挟むのであれば、この御文は他の御聖筆と意義を同じくするが故に、むしろ真蹟なりとの証明になる。

■自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。

■久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本、今日は迹なり。三世常住の日蓮は名字の利生なり。百六箇抄

●ここも同様。貴公がもし百六箇抄にも疑義を差し挟むのであれば、この御文は他の御聖筆と意義を同じくするが故に、むしろ真蹟なりとの証明になる。

■爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻み、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。五人所破抄

●ここなどは貴公も既に引文したではないか。

既に上古に「大聖人=本仏」との教義は顕示せられていた証拠である。

■此の品の題目は日蓮が身に当たる大事なり。神力品の付嘱是なり。如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。

■無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。

■無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云ふなり。

●以上、貴公の妄論の前提を完摧した。
しかも、御本尊七箇相承が偽書である証拠などどこにもない。

貴公の立論はどこをとっても全くの失当である。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:24

 

278.身延摺りの似非信者が云々するのはおこがましいと言うべきである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 10時34分
山人君曰く

▼・「御本尊七箇相承」について一例を挙げれば、同書に
「七 日蓮と御判を置き給ふ事如何〜日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん」

「一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」
とあります。しかし、日興上人書写の御本尊には「日蓮在御判」ではなく「日蓮聖人」と認められた本尊があり、現証が文証を否定するおかしな事態となっており、当然確実なる日興上人書写本尊を採用し、同時に真筆の無い「御本尊七箇相承」は否定されることとなります。
尚、日目にも同様の「日蓮聖人」本尊が確認されています。

正応三年十月八日  僧日仙に之を授与す 讃岐本門寺 (富要 8-213 )
正応○年○月八○  山梨県中巨摩郡昭和町 正法寺 日興上人御本尊集 (興風談所)

ということで、「御本尊七箇相承」引用の「本因妙口決」は後代の書である、ということになります。
——————————————————————
●簡単である。
常随給仕・師資相伝・唯授一人・血脈相承による御本尊御書写の深義は文に表わされた七箇相承の御事のみではない、ということである。

もしそうではないと否定するならば、では聞くが、七箇相承を読んだ者は全て御本尊書写ができるのか?

だとすれば山人君、貴公こそ、いの一番にその書写できる証拠を見せて本尊書写をしてみてくれたまえ。呵々

■血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。

まさに御本尊御書写に関しては全く余人が知る能わざる御境地である。

貴公のような大聖人を御本仏と仰げないような古文書を偏執的に漁っている身延摺りの似非信者が云々するのはおこがましいと言うべきである。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:24

 

279.まことに蒙昧・妄見・網中といわざるを得ない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 11時32分
▼・注意すべきは今日、三位日順作とされる文献で「三位日順の真筆はなく、写本ばかりである」ということです。このような観点から、三位日順作の文献引用は、その内容の考察も踏まえなければならず、慎重を要されるといえます。
——————————————————————
●既に指摘した。貴公は自らの都合で真偽関係なく引用している。
全くもって卑怯千万な態度でおよそ学問とは言いがたい。
——————————————————————
▼◎ 1318年・文保2年11/24  表白  (富要 2- 11)
我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍つて日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立つて大日山と号するか、

・「我が朝は本仏の所住なるべき故に」で、「我が朝は本仏=日蓮大聖人の所住なるべき故に」と読むかもしれません。
しかし、「表白」より10年後の同じ三位日順による「五人所破抄」では、「日蓮大聖人=上行菩薩再誕」が保持されており、「上行菩薩は教主釈尊初発心の弟子」ですので、「表白=日蓮本仏」の文証とはなりえないわけです。

末法利益の正法は、今は上行再誕の日蓮大聖人によって、日本に打ち立てられている故に「我が朝は本仏の所住なるべき故に」となるのでしょう。

——————————————————————
●どう読んでも、山人君が無理やり持論へ文書を捻じ曲げて嵌め込んでいる様が明確になるだけである。

該文の直前に
「就中づく霊鷲山・天台山・比叡山は共に法華弘通の地なり。然りと雖も彼は皆垂迹にして未だ本を顕さず、其の故は天竺をば月氏と号す、即月の国なる故なり。漢土をば震旦と名く、星の国たるによりてなり、」とあり、
該文と合わせ拝するとき、まさに本地と垂迹との相違を明白に、該文「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・云々」と続くのであるから、どう読んでも日蓮大聖人=本仏との表示である。

——————————————————————
▼ 1328年・嘉暦3年 7月 五人所破抄 日代筆 三位日順草案 P1611
日興公家に奏し武家に訴えて云く。 日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり、(中略)
就中天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎え て恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所解釈炳焉たる者なり。
——————————————————————
●1、既述したが、該書冒頭に
「爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」とある。

この意は、神力品の別付嘱を受けられた「末法の主」である御先師日蓮大聖人、という意義である。
この「末法の主」とは如何なる意味であるかといえば、この冒頭の前文を見るに、

「夫以れば諸仏懸遠の難きことは譬へを曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れ
て、正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑しきこ
と有らんや。設ひ内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁へず本と迹とに迷倒
せば其れも亦信じ難からん。爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」

ここの「正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。」との文は、当然のことであるが、釈尊二千年の脱益仏法の終焉を意味しており、その後の「末法の主」とはまさに下種の本仏との意義である。

こんな簡単なことが、山人君は自説を押し通そうとするがあまり、見えなくなっているのである。
まさに謗法者が視野狭窄になって我見を振り回す見本である。

2、「日興公家に奏し武家に訴えて云く。 日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり」について。

凡そ仏法は所対に従って法を説くのである。

■諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、偏執すること勿れ。

この箇所は日興上人が「公家に奏し武家に訴えて」奏文をされた箇所である。
が故に法華経文上における上行菩薩が理の指し示すところ「日蓮聖人」であり、そのお立てになった仏法に帰依しなければならない。と訴えられたところである。

謗法の為政者に向かっては、徒な不審を起こさせるが故に、直ちに日蓮大聖人の本地が下種本仏である意義を説かれないのは当然過ぎるほど当然である。

山人君は自説をごり押しするがあまり、こういう基本的な説相すら分からなくなっていのである。

まことに蒙昧・妄見・網中といわざるを得ない。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:24

 

280.山人君、全然、ダメ! である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 11時37分
山人君曰く

◎ 1342年・興国3年・康永元年 3/14  誓文  (富要 2-28 )

別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす、

・「別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り」で一瞬「日蓮大聖人=本仏」とも思いそうですが、前ページにこうあります。

「抑も日蓮聖人は・忝くも上行菩薩の後身・当時利益の大権なり、未了の者の為めに事を以つて理を顕すの昔は・虚空会に出現して以要言之の付嘱を受け、後五百歳に必ず流伝すべきの今は・扶桑国に降臨して広宣流布の実語を示し玉ふ、」
日順は「日蓮大聖人=上行菩薩の後身」としています。

・該当箇所は前から読めば
「或は親疎有縁の語に依つて非を以て理に処し、或は富福高貴の威を恐れて法を破り礼を乱る、若しくば妄情自由の見を起して悪と知つて改めず若しくば正直無差の訓を聞き善と知つて同ぜざる者は、仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行無辺行等普賢文殊等の諸薩た・身子目連等の諸聖・梵帝日月四天竜王等・刹女番神等・天照八幡等・正像の四依竜樹天親天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす、」
となっており、正法違背の者が「妙法曼荼羅=本尊総体の日蓮聖人」の罰を受ける様を述べるくだりでの一表現でしょう。

⇒ 長くなりましたが、三位日順=日蓮本仏論者とは速断でまない、ということですね。

——————————————————————
●まさに我田引水・牽強付会の手本のような箇所である。

1、「別して本尊総体の日蓮聖人」とはまさに人即法・法即人の御本仏の境地を表しているではないか。

しかも前段に掲載した同じく三位日順師の五人所破抄の

「先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」とはまさに大聖人が末法の御本仏との意ではないか。

山人君、全然、ダメ! である。
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 メッセージ 160 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:24

 

281.樋田 昌志 様 提案です。
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月12日(日) 16時49分
世の中には、宗教詐欺という法律にはひっかからない詐欺があります。
そこで提案なのですが、DVDも画質が落ちるけれども内容がタダで見れる人もいます。しかし、画質は良いけれどもお金を支払った人もいます。もし今後、法論に負けた場合は返金致します。という『送料込みの全額返金保証』を付けてはどうでしょうか? 樋田さんがネットで流すだけでなく、販売もしていますので、宗教詐欺と言われない為にも如何でしょうか? 購入者は自分で見るだけでなく、DVDを利用し折伏する人もいます。折伏するからには、本人の責任(信用)まで背負っているのですから。その方達にも、ご迷惑をかけてしまいますよ。法論は、当事者だけの問題かもしれませんが、樋田さんも販売してる以上、その責任(リスク)を負うべきだと思うのですが、如何でしょうか?


284.Re: 樋田 昌志 様 提案です。
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 18時1分
今のところその必要はないかと思います。

貴方と法論する時には、その方法でいきますか?
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 メッセージ 161 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:25

 

285.樋田 昌志 様
返信  引用 
名前:閲覧者    日付:6月12日(日) 18時53分
>今のところその必要はないかと思います。
>貴方と法論する時には、その方法でいきますか?

私はとてもじゃないですけど、樋田さんと法論するのは、生きてるうちは無理そうです。(笑)法論慣れしてる感じですね。展開が上手です。その前に必要がないですよ。(笑)
*こんなレスのお返事は無用ですからね。気になさらないで下さい。

 

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 メッセージ 162 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:25

 

286.山人君の疑義
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 18時58分
山人君曰く

I—2 更に上代に属する山口範道氏指摘の文献があります。

◎ 妙蓮寺日眼の「五人所破抄見聞」に該書の記述がある。上代における存在は明らかだ。

1380年・康暦2年6月4日(滅後99年) 妙蓮寺日眼 「五人所破抄見聞」 (富要4-8)
「日蓮聖人之御附属弘安五年九月十二日、同十月十三日の御入滅の時の御判形分明也」
——————————————————————
▼⇒「五人所破抄見聞」は古文書学によると戦国末期以降の文書とも推定されています。
「五人所破抄見聞」の奥書
「伝写本云・康暦二庚申年六月四日書畢。本化末弟日眼在御判」(1380年)

・この「年号・年数・干支・年月日」という書き方は戦国末期から稀に見られ始め、江戸期に入って一般的になるものとのことです。
鎌倉・室町期の通格は「康暦二年庚申六月四日」となります。故に該書の記述時期は更に100年位後と判断されます。

・尚、元の「五人所破抄」写本自体の年号も
嘉暦三戊辰年七月草案す 日順  (1328年)  (富要 2- 8)
応永二十二年正月廿九日(1415年)、日代聖仁御筆大事の書なり、重宝有るべきなり、太夫阿闍梨日円に之を授与す日任在判

とあり、「年号・年数・干支・年月日」という書き方となっています。
これは、「五人所破抄」も書写本のみしか存在せず、この書写をなした人物がかような書き方をした、と推察できます。
——————————————————————
⇒ 三位日順の他の書き物も写本ばかりですが、これらは「この時代の一般的書き方の年号・年数・年・干支・月日」となっています。

・本門心底抄  (富要 2-36 )
時に貞和五年(1349年)已丑半夏中旬の比・甲州下山・大沢草庵に於いて独住の日順・慎み敬つて憶念す。

・日順阿闍梨血脈  (富要 2-24 )
時に建武三年(1336年)大歳丙子九月十五の天、甲州下山大沢の深洞に処して日順謹んで乃を図す。

・用心抄  (富要 2-18 )
時に建武第三(1336年)太歳丙子仲冬(11月)二十四日、甲州下山大沢の草庵に於いて・且は令法久住の為め・且は門徒の繁昌を念ひ智目闇き上に肉眼盲たりと雖も、愚案を廻らす大概ね件の如し。
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 メッセージ 163 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:25

 

287.山人君のようにすべてを適格で押し切ってしまう論議は乱暴である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 19時0分
●年号の識語だけで時代を特定するのは暴論である。

以下それを論証する。

山人君がいう「戦国時代の通格」が鎌倉時代に見られるものを例示しよう。

 『富士宗学要集』八巻に秋山家の書状がある。
それには、

  「ぶんは みづのとみ の とし   二年正月廿二日」
  (文和   癸  巳   歳   二年正月廿二日)(富要八−二三頁)

とあり、もう一つは、

  「文和 みづのとのみ の とし 二年三月五日」
  (文和  癸   巳    歳 二年三月五日)(同八−三六頁)
           
とある。

前者は泰継の孫の状、後者は泰忠の状で、二本とも秋山家に所蔵されている正本である。
                
 また、同じ年月日に秋山泰忠が認めた書状には、

  「文和二年みづのとのみ の とし 三月五日」
  (文和二年 癸   巳    歳 三月五日) (同八— 一二七頁)

と書かれたものがあるが、同一人が同じ日に書いたものにもこのような差異が見られるのであり、
山人君の如く「年号の書式が適格と相違するから直ちに偽書」と断ずるのは早計であろう。

年号の書式が適格と異なる場合、一往確かめる必要はあろうが、その確認作業はどこまでも謙虚にして慎重でなければならない。

山人君のように思い込みと独断で真偽を決定づける方法は学問的とは言えない。

 このほか他門流にも『五人所破抄見聞』の奥書と同形式のものがある。

それは『日成譲状』と呼ばれるもので、
    
  「徳治二丁未年三月二十八日 法印日昭在判」(日蓮宗宗学全書一−十一頁)
とある。

これについては古来、特に偽書説はないようである。

徳治二年(一三〇七)は鎌倉時代である。

このように数こそ少ないが年号と干支の書き方は一様ではなく、山人君のようにすべてを適格で押し切ってしまう論議は乱暴と言うほかはない。
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 メッセージ 164 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:25

 

288.長々とした邪難に反論してきましたが、やはり山人君の論難は全くの・・・不可、でしたね。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月12日(日) 19時44分
山人君曰く

⇒「五人所破抄見聞」「日目・天奏四十二度説」がありますが、これは後代の室町・戦国期以降の書き物に頻繁に登場する話しです。

「五人所破抄見聞」
「日目上人・四十二度の天奏に依って禁裡より御納収の御下文・右に備ふ、広宣流布は必ず当門徒に在る可き也」(富要4-11)

・この「日目・天奏四十二度説」は、1380年より108年後の1488年・長享2年の「五段荒量」・日教著に登場します。(富要2-296)

「殊には日目上人は四十二度の御天奏最後の時、近江の篠原にて御遷化なり信行観の行者にて御座すなり。〜時に長享戊申大簇十一日 六十一戊申日教在判」
その後は「聞書拾遺」「申状見聞」「日辰抄」等、各書に記述されています。
——————————————————————
●だからどうなんでしょう?

山人君は、「五人所破抄見聞」が後代の偽作であるとの疑難の文献学的な根拠は上段で砕いた。

その上で「天奏 四十二度」の件で更に問難するが、これは山人君のお得の我田引水の怪釈である。

別段「五人所破抄見聞」に「「天奏 四十二度」」の表示があるからといって、それが直ちに後代の偽作説の証拠に、と持ち込みのは無理があろう。
むしろ、初出であるとすれば、何も矛盾はないのである。
但し、四十二度が史実であるかどうかは別問題である。(日亨上人は天皇家・鎌倉両方を合わせての四十二度ではなかろうか(趣意)と仰せである)

——————————————————————
▼ 以上、長々と見てきましたが、前回の「宗祖御遷化記録」「六門徒・和合僧体制」を合わせ考える、とやっぱり「二箇相承書」は・・・なし、ですね。

——————————————————————
●はい、確かに。だが、以上、長々とした邪難に反論してきましたが、やはり山人君の論難は全くの・・・不可、でしたね。
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 メッセージ 165 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:26

 

291.神様へ
返信  引用 
名前:れいな    日付:6月12日(日) 23時42分
貴方の質問は素朴な質問です。

でも、ここはもう少し高度な話を進める掲示板ですので、
貴方のカキコを移動致しました。ここでお聞き下さい。
http://www1.ezbbs.net/37/mksutra/


292.Re: 神様へ
名前:神様    日付:6月13日(月) 0時26分
僕も法論じゃないなと思ってたんです。ありがとうございます。これは確かに法論以前の、低次元のお話ですが、一番重要なお話です。

293.Re: 神様へ
名前:神様    日付:6月13日(月) 0時33分
ちなみにぼくは法華講にも学会にも肩入れしません。宗教は幸福実現の手段でしかない。あっすいません

 

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 メッセージ 166 / 275 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:26

 

294.神様氏へ
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 0時36分
289.神様 本尊について 返信 引用

●この件に関して、私なりにも一生懸命答えさせていただきます。

名前:神様 日付:6月12日(日) 19時49分

>父もよくお札の話をするんです。父はお札は信頼で成り立っている。だからホウボウに屈した日銀がいくらこれが金だといっても誰も信用しないし、国家も日銀も崩壊した、富士宮の地域振興券だ。国民のほとんどが信用しなければ金として使えない。新たな新生国家が誕生し、国民はそっちを信頼している。ってね面白い例えだなぁーって思いますよ。

●おなたのお父上はとても聡明な方のですね。
今まで学会員の方と接してきてこのようなロジックを以って話された方はいませんでした。

確かに御本尊様への信仰も、その名の通り、「信心」で成り立っていると思います。
つまり信心がなければ何も伝わってきません。
何も悟ることができません。

ではこのロジックでの第一点目の問題は「大石寺が謗法を犯したかどうか。」ですよね。

果たして大石寺は本当に謗法を犯したのでしょうか?
それは一体どういう行為なのでしょうか?
そもそも謗法とは一体どういう行為を指すのでしょうか?

ここはこと重大な問題であるので、未熟な私がどうこう言っても始まらないと思いますので、仏様の言葉に依って謗法の定義を見つけなくては大きな過ちを犯す元となると思います。
ですから、少しご面倒でも、やはり大聖人様のお言葉の中から「謗法」の定義を見つけなくてはならないと思うのです。
そこで、私が深く気がつかせていただいた御文は、

■凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。(真言見聞)

でありました。

御僧侶を謗ることが「謗法」なのである。
と大聖人様がはっきりと仰せなのです。
しかも「三宝一体なる故なり」とは大変なお言葉です。
つまり仏様のお力も南無妙法蓮華経のお力も何もかも全て実は御僧侶(中でも御法主上人)と一体なのだ、と。
え〜〜〜!と驚き、且つ又、はっと、目を覚まされるお言葉でした。

長くなると面倒になりますから、今日はこの辺で止めますが、この仏様の御言葉を深く深く噛み締めて味わって心に留め、刻んでみていただきたいのです。

日興上人も仰せであります。

■御抄を心肝に染め、極理を師伝して、云々。

そこから「神様」氏にとっての今後のための何かが見えてくると思うのです。
そのことを切に祈って止みません。

以下のご質問については、また順を追って微力ではありますが、できる限りのお答えをさせていただきたいと思います。

大変に失礼いたしました。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 167 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/13 8:26

 

295.ありがとうございます
返信  引用 
名前:神様    日付:6月13日(月) 2時30分
法華講員もいい人はいます。うん、います。親に言っておきます。脱会の掲示板に回された時はあぁと少し悲しくなりましたが、このようにていねいに答えていただくと本当にうれしいです。決して法華講員の方を意図的に傷つけるために書き込んでるのではありません。純粋に聞きたいのです。大御本尊についてもおねがいします。
やっぱり日顕さんの資質の問題は大きいですよね。ここがこの問題の一種のキーポイントですね。
教宣用の本には日顕さんが落語を聞きながら本尊を書いていたとか、題目をあげてる時に居眠りしてる写真がデカデカと書かれています。池田さんについてもそんな写真や、音声いっぱいありますけど、なんかフライデーみたいで互いに好きになれません。
僕も最初は題目をあげれば幸せになると思い、ただただあげていまた。でも大きくなるにつれてなぜ?と疑問に思い、宗教の本、資料を読みあさりました。今の友達に大石寺の話や、五老僧の話をしただけで、へぇーといわれます。創価学園ですよ?日蓮も教科書に載っていることしか知らないでしょう。
そうして学ぶうちに大御本尊や、宗門との歴史を知り、雑然と家にあった法王詐欺、山崎正友、サイコパス、C作戦うんぬんの本の意味がわかってきたんです。それからは母に、大石寺行かなくていいの?三宝はなに?とミニ法論を繰り返す日々。母は本当に純粋な婦人部なんです。最後は私が大石寺行って取り返してもいいけど、できないでしょう?とボロが出ます。僕より教学ないです。最後はいつもあなたは寺に着くなら縁を切るはと怒られます。笑
父は教学試験の教授を持っていて、宇宙と一体となって死も怖くないと悟りを開いています。いつも法論になると哲学的なことを言い出し、よくわからなくなります。話も長いです。法論のビデオを見て、気持ちが少しわかります。
でもきずいたんです。母は幸せだ。今の母は無間地獄の境涯ではない。母はいつも私たちの体験を見なさいと言うのですが、その通りだ。
父はいつもお前は形式ばかり見てる。全体を見ろといいます。そうだ、仏教は哲学だ。大御本尊、開眼、血脈は表面的で、日蓮はそんなことより大衆の救済をといてるんだ。
父はその当時法を残しておく一番丈夫なものが木だっただけで、今なら鉄かなとか、木はいずれ必ず朽ちる。じゃあ法は消えたのか?そうじゃない教えは思想、哲学だ。何万光年と続く。宇宙人も形は違うが同じ妙法を信じているというのです。
なんか少しだけ納得させられてしまいました。

 

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 メッセージ 168 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:46

 

296.Re: ありがとうございます
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 11時30分
> 法華講員もいい人はいます。・・・純粋に聞きたいのです。大御本尊についてもおねがいします。

私はあなたの文章を見て純粋で真面目で無垢な心を感じました。
今朝も勤行の最中にふと貴方のことを思い出して、そうしたら涙がこみ上げてきました。不思議な感覚です。きっと前世からの深い因縁があるのかも知れません。
今後も私は私なりに真剣にお答えしたいと思っております。

> やっぱり・・・なんかフライデーみたいで互いに好きになれません。

全くの同感です。
ある有名な人物を落とし込めようとしたら、双方幾らでもそれらしい記事は作れると思います。
やはり、以前にもお話した「法に依って人に依らざれ」で、あくまで根本の法を見極めていく態度が大事だと思います。
その点あなたはお若いのに本質へ目が向いていく優れた資質をお持ちだと思います。

> 僕も最初は題目を・・・しまいました。

ですからこのように戒壇の大御本尊様へ関心が向くことはとて尊い感性だと思います。

ここからは少し教義的な話になりますがご容赦ください。
でもあなたの感性ならご理解いただけるものと信じて書きます。

この宇宙(といってもビッグバンで始まったところのこの宇宙を包含する時空も含めての「宇宙」なのですが)にはまさに「法」があり、その法はまた存在そのものの本源である。と。
そして、その法はただ法として存在しているだけではなくてそこにまた自ずからその法を覚知する智慧の働きも備えていた。と。
そしてこの法と智慧が相冥合するところ自ずからその法を説かれる「人」としての働きが生じる。と。
その方が様々な深い因縁によって再びこの地球と言う天体の日本と言う国にお生まれになって、日蓮と名乗られ、その根本・本源の法を戒壇の大御本尊様というお姿で顕された。と。

ここまでは概ね学会でも(私が学会だった頃は)同様の見解かと思います。

そこでこの戒壇の大御本尊様は今後どうなるのであろうか?
ということですよね。

まずその本源の法を覚知して御図顕できる方は日蓮大聖人様以外いらっしゃらないと思います。
仏と言う存在の約束事として、今も今後も現れないのですね。

しかもその大聖人は究極唯一の御本尊として戒壇の大御本尊を顕されていらっしゃるので、この御一体しかこの世で我々一般の衆生が宇宙本源の法に触れ、その本源の妙法を覚知することのできる御本尊はいらっしゃらないのです。
ただしここに大聖人が定められたことは、この戒壇の大御本尊の御内証を唯授一人の血脈相承で一人から一人へと相承なされ、その方がこの根本の戒壇の大御本尊を書写した御本尊の前で唱題をするならば、同様の悟りを得ることができるということです。

そこで戒壇の大御本尊様自体はどうなっていくのかという疑問が生じますよね。
こと戒壇の大御本尊のことに関しては軽々に語るのは真に憚られるのですが、根本的には大聖人様即戒壇の大御本尊様ですから、龍ノ口の御法難の如くに、また「草木成仏」の義により、不思議なる御加護があらせられるということ。

そこに加えて今後時代時代の唯授一人の血脈相承をお受けになられた御法主上人が最新の保存技術を駆使されながら厳護なされていくことと存じます。
現に七百年間には幾度か、御衣替え、お色直し等の儀も行われているのです。

これらの意義を大聖人は端的に
■「仏法法宝は必ず僧によて住す」と仰せです。

これ以上の解釈はさすがに憚られますので割愛しますが、いずれにせよ、戒壇の大御本尊を離れて大聖人様の御悟りはないのであります。
また、我々も妙法の悟りを得ることは不可能かと思います。

そこで付け加えですが、学会の発行している本尊は、この戒壇の大御本尊様を大石寺の二十六世日寛上人が御書写されて個人に授与された御本尊をその授与書を削除し、御文字にも変更を加え、印刷流布しているもです。
これはやはり御本尊の深い義を知らずに形だけ真似ただけのもので、それに向かってどんなに唱題しても、とうてい大聖人様が得られた御悟りの境地にはなり得ないと思います。

以上甚だ粗略ですがご説明申し上げました。
更に様々な疑問がありましたら遠慮なく仰ってください。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:46

 

297.長々と引用しても全く徒労である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 16時32分
山人君曰く

日興跡条々事、これについても初登場より三種類の文書を確認してみましょう。
——————————————————————
@ 1476年・文明8年(滅後195年・大石寺は9代日有の時)5月23日
「日興上人大石寺の御置文」 連陽房聞書 (富要2-145)
9代・日有が喋ったものを、四国土佐の連陽房が聞書した後、弟子の大円日顕に伝えた文書です。

一、日蓮聖人も武家に奏したまふ日興も只武家に訟へたまふ、爰に日目上人元めて国王に奏したまふ、去る間だ
『日興上人大石寺の御置文に云く
天下崇敬の時は日目を座主として日本乃至一閻浮提の山寺半分は日目之を配領すべし、 其の余分自余の大衆是れを配領すべし』
と云へり、日興の遺跡は新田の宮内卿阿闍梨日目最前上奏の人たれば大石寺の別当と定む
『異本に云く
寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ』
——————————————————————
A 1544年・天文13年(滅後263年・大石寺は13代日院の時)12月25日
「日興上人大石寺御置き文」祖師伝中に記述(富要5-33)
1544年・天文13年12月25日 小泉久遠寺の貫首・日義が妙本寺にある「譲り状」を写す
1559年・永禄2年1月18日  日辰が日義書写本を写す。
1560年・永禄3年7月17日  日辰は清書する

 駿州富士山大石寺釈日目の伝        
『 日興上人大石寺御置き文に云く。
一閻浮提の内諸山寺を半分と為して日目座主為る可し、其の半分は自余の大衆に之を配る可し、日興遺跡は新田宮内卿阿闍梨日目最前上奏の人と為れば大石寺の別当と定む、寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひ。
又云く仏は水、日蓮聖人は木、日興は水、日目は木 』 

右此の御血脈等は御正本房州妙本寺に之有り。
天文十三年甲辰極月廿五日謹で之を抄書し奉る、日義判。
開山上人日目を以て座主と為す可きの由の付属の長篇の内詮要此くの如し、
余永禄二年己未正月十八日小泉久遠寺に於て之れを写し奉る、
時に重須日出上人併に寺僧本行坊日輝、丹後阿、讃岐阿、京都要法寺沙門日玉等熟ら此の書写を見らるゝ者なり、
今永禄三庚申年七月十七日、洛陽綾小路堀川要法寺に於いて之れを書写す。 日辰在判
——————————————————————
B 1559年・永禄2年(滅後278年・大石寺は13代日院の時)2月26日
「日興跡条々の事」祖師伝 (富要 5-31 ) 前と同じく要法寺日辰の書「祖師伝」中の記述
1559年・永禄2年2月26日 北山本門寺の少年貫首・大納言が大石寺の僧を招き、その僧の持参した「日興跡条々事」を日辰が書写したもの
この時にほぼ現在の文体となります。

日興上人日目に大石寺を付属するの御書に云く。
『 日興跡条々の事。
一 本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内に於て山寺等半分は日目嫡子分として管領せしむ可し残る所の半分は自余の大衆等之を領掌す可し。
一 日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊日目に之を相伝す、本門寺に懸け奉る可し。
一 大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領す修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つ可きなり。
右日目十五の才日興に値ひ法華を信じて以来七十三才の老躰に至るまで敢て遺失の儀無く、十七才にして日蓮聖人の所に詣て甲州身延山、御在生七年の間常随給仕す、御遷化の後弘安八年より元徳二年に至る五十年の間奏聞の功他に異るに依て此くの如く書き置く所なり。
元徳四年三月  日興在判。 』
右一紙御付属状の案文は大石寺の使僧大納言将来の間、重須本門寺の新造の坊に於て之れを書写せしめ畢ぬ。
時に永祿二己未二月廿六日申刻、日辰在判    
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:47

 

298.山人君らこそ総本山御霊宝御虫払い法要に参詣し、最前列で拝したら如何か。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 16時34分
C 初登場の日有の聞き書きは一目瞭然、現在の文体とは異なります。この1476年・文明8年といえば、既に日興系各山に「当山に日興上人よりの相承書あり」としていた時です。
北山本門寺には1330年・元徳二年の「日妙譲り状」、西山本門寺には「日代八通の譲り状」ですね。「八通状」については、大石寺6代日時の『大石記』にその記述があり、該書本文中の最初の日付は『応永六年巳卯(1399年)十一月九日』となっていることは先に記しました。
更に1468年・応仁2年10月13日(滅後187年・大石寺は10代日乗の時)には、住本寺僧日広が北山本門寺にて「日蓮⇒日興」を証する「二箇相承書」の全文を書写しております。

もう一つ注目すべきは「本因妙抄・百六箇抄」の「両巻血脈抄」の存在ですね。これについても以前考察しましたように両書は京都・上行院、住本寺の相伝書とされており、もちろん、この時点で存在しているということです。

大石寺と同じ日興門流の北山には「大聖人から日興上人への付属を証する相承書、続いて日妙への譲り状」がある。西山には「日興⇒日代の譲り状」があり、正嫡を主張。そして京都日尊系寺院には「日興⇒日尊」とされる「両巻血脈抄」。
このような「周囲を包囲された状況下」では、大石寺としても「当山にこそ日興上人よりの譲り状がある」とやらないわけにはいかず、「日興⇒日目の譲り状」を手作りした=偽作したということでしょう。

これに対し日蓮正宗関係者が「上代から継承の相承書の一端が明らかになったものであり、むしろ日興上人より日目上人への御付属を証するものではないか。上代における『日興跡条々の事』の存在あればこそ、各山がこぞって偽作したといえる」などといいますが、噴飯ものです。

ならば「二箇相承書」についてと同様「日興⇒日目の上代における『日興跡条々の事』の存在を証明してみなさい。それができずしてかかる主張をなすのは妄想というものです。この時点=1476年・文明8年における初出、それ以前における日興門流寺院の『相承書』の存在という『史実』。そして当時の中古天台恵心流の全盛期という時代背景、これらを総合、勘案し考察するのが歴史の考証というものですよ。それでも主張するのならさあ、証明しなさい」ということになります。
——————————————————————
●長々と書いてみても全く不可なのである。

日亨上人仰せである。

■目師譲状、祖滅五十一年、富士開山日興上人より三祖日目上人に総跡を譲られたるもの、正本案文共に総本山に厳存す。

正本案文共に総本山に厳存するのであるから、どうしようもないではないか。

前にも書いたが山人君らこそ総本山御霊宝御虫払い法要に参詣し、最前列で拝したら如何か。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:47

 

299.もはや貴公は、聞き分けのないただの駄々っ子ですな。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 16時47分
山人君曰く

D そして、1480年・文明12年、京都住本寺で「百五十ヵ条」を著し、「二箇相承書」全文を記述した日叶が大石寺に入り、日教となり1488年・長享2年には「類聚翰集私」にて、文体の異なる「二箇相承書」全文を書き、この頃には大石寺に当書=偽書の写本が伝来されました。

——————————————————————

●全く根拠のない妄説。

もはや貴公は、聞き分けのないただの駄々っ子ですな。
——————————————————————
▼E 大石寺に「日興⇒日目の譲り状」となれば、黙っていられないのは「道郷70年の論争」の相手・妙本寺です。この寺においても偽作したことは、容易に察せられます。
1544年・天文13年12月25日に、小泉久遠寺の貫首・日義が妙本寺にある「譲り状」を写しております。この文体も現在と異なりますが「連陽房聞書」と同じく、ほぼ同義といえるでしょう。

——————————————————————
●はい、ここも同様。貴公の妄想を根拠にただシナリオを組み立てているだけ。
——————————————————————
▼F 1556年・弘治2年(滅後275年・大石寺は13代日院の時)7月7日には、京都要法寺・日辰が北山本門寺にて、「二箇相承書」を弟子の日耀に臨写させております。
「大坊に帰り御霊宝頂拝す二ケ御相承是は日辰上人正筆御拝覧の時点画少しも違はず書写して今本寺に在り」
——————————————————————
●だから何?
——————————————————————
▼G 更に3年後の1559年・永禄2年2月26日には、同じく北山本門寺にて、少年貫首・大納言が大石寺の僧を招き、その僧の持参した「日興跡条々事」を日辰が書写しており、この時にほぼ現在の文体となっています。
時の大石寺貫主は13代の日院、この人物といえば「家中抄」に「十七歳にして相州土屋に往て台家を受く、又武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学す。」とあるように中古天台恵心流の中心・武州仙波で学んでおり「七箇口伝 唯授一人相承 切紙相承 各種相承書の偽作」が盛んに行なわれた環境下でした。
——————————————————————
●論の前提が既に完全に崩れているいるのであるから、時代状況をどう邪推しても全く貴公の妄想の範囲を出ない。
——————————————————————
▼この頃には小泉久遠寺の貫主・日義が大石寺に対し批判を浴びせていたことが日辰の「祖師伝」に記録されています。
「小泉の久遠寺日義云く・日道に六ケの謗法有り一には未処分の跡を奪ひ取るなり、日目天奏の為に上洛せんと欲し濃州に於て御入滅なり、是の故に大石寺は日目日道に付属せず日道付属の状之れ無し、然るを大石寺を押領す是れを未処分の跡を奪い取ると云ふなり、二には玉野日尊は日興御勘気十二年なり、其の間に日道日尊の供養を受るなり、三には故聖教を以つて屏風を張る等なり」祖師伝 (富要 5-34 )

このような状況を見れば「道門、郷門のどちらが日目正統か?うちの寺に日興⇒日目の相承書があるぞ」の文証として、「日興⇒日目の譲り状」の手直しが日院の代に行われたことが推考できます。
——————————————————————
●全く立論が粗い。ここも貴公の推測に過ぎない。
——————————————————————
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 メッセージ 172 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:47

 

300.貴公は罪を無間に開きその罪報を心底を恐れねばならない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 16時48分
▼H そして、以降は大石寺貫主が世に出す毎に改良(?)が加えられてきた、ということでしょう。本来はこの角度からだけでも偽書といえるものでもあります。世に出す毎に手直ししなければならない「譲り状」とはいったい何ものなのでしょうか。他の寺院がやれば「ほらみろ、おかしいじゃないか」と日蓮正宗は噛み付くのでしょうが、「時の御法主様が御相伝・原本を元に、整合させたんだ」と盲信するのが、大石寺信者の「御法主サマの前では思考が停止するいつもの病気」なのですね。
日蓮大聖人が『六門徒』による『和合僧体制』を以て令法久住・広宣流布を期されたのと同じく、弟子の日興上人も『本六・新六』による『和合僧体制』を確立されんとしたのが
「史実」です。それに対して「日興跡条々事」なる「日興⇒日目」の付属なるものは、日興上人とは無関係の、後世の堕落した弟子達の正嫡争いの過程で偽作されたものであり、しかも「大石寺に存在している」にもかかわらずなんら学術的鑑定を受けていないのですから、取るに足らない「単なる紙切れ」にすぎないのが「現実」なのです。
——————————————————————
●こうして、根拠が全くないところから妄想逞しくして、邪なシナリオを作り上げてみても、学問的にはまるで底の浅い、取るに足らない痴論である。
そうしてこうやって、整合性を以って破折しているにも拘らず、いつまでも邪心を元とした誹謗の言を続けるならば、貴公は罪を無間に開きその罪報を心底を恐れねばならない。
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 メッセージ 173 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:47

 

301.感謝
返信  引用 
名前:神様    日付:6月13日(月) 18時57分
ぼくも樋田氏と出会い、親にもいえないことを心から話せることが幸せです。最近は仏法の話ばかりを考え、勉強が頭に入りません。笑
僕は日蓮正宗は正しいと思います。でも僕の中にどうしても疑問が残ります。大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、じゃあ正法は消えたのか?直接拝まなければ功徳はない、目が悪い人は?開眼がなければダメ、寺院からの本尊でなくてはダメ、特別な力があるの?法華講員しか成仏しない、同じ考えを持っていても、現代秩序の中での戸籍上、組織上の身の上が成仏するしないに関わるの?法王もしか本尊をかけない、同じ人でしょう?
そして根本疑問です。南無妙法蓮華経をとなえれば成仏する、功徳は心理学的現象なのか、成仏なのかは絶対にわからないし、ほかの無数にあるマントラのように信じればいいのでは?本尊が重要、ただの紙切れに何の力が?大御本尊根本、ただの木に何の力が?
この疑問はみんな経験すると思います。
そこで思ったんです。日蓮はこんな非科学的で神秘主義的なレベルの存在なのだろうか?宗教は科学で淘汰されるべきだ、
そこで思ったんです。それは違う、
大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と
つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!
では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、
南無、つまり帰依
法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著
つまり自分の成仏=幸福境涯の追求
これを比喩的に伝えたかったんだ!
本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?
本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!
つまり三大秘法は
本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!
仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。
法宝とは、この思想そのもの
そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。そうでなければ真の理想は達成できません。
いまの日蓮正宗は正しい。大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。五老僧と同じレベルである。僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。
今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。
つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。
僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う
いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。
今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!
しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。
樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。

 

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 メッセージ 174 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:47

 

302.意見
返信  引用 
名前:神様    日付:6月13日(月) 19時28分
あと同じような書き込みを法華講の方のサイトや、学会員のサイトに乗せても、両者から門前払いをくらいました、笑
今この思いを伝えられるのは樋田氏だけです。さまざまなことを学んでいきたいとおもいます。

 

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 メッセージ 175 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:48

 

303.意見
返信  引用 
名前:神様    日付:6月13日(月) 21時11分
■「仏法法宝は必ず僧によて住す」
僧宝を、本質を見極め、広めよ!とする日蓮の御意思のあらわれとすると、仏法法宝は必ず本質を見極めることが大切ということになり、自分もしっくりくるんです。
僧宝を御書を表面的に解釈した法王自身と考えれば、法王の権威そのものであり、同じ人なのに特別な力があるの?などの疑問が生じ、科学や現代思想に反すると思います。
このような日蓮の真髄の思想を広めることが大切です。学会が原点に立ち返り、選挙などの社会表現の根本を再確認し、池田氏との師弟観から日蓮との師弟観にもどり、形式的な側面ばかりを重視する宗門は僧宝をきちっと理解し、本質を見極めていくことが大切です。
大事な日蓮の御意思を受け継ぐ日顕氏が五老僧と同じレベルの表面的仏教解釈をしていてはいけないと思います。でもその教学を次世代の法王に伝えていけば、中興の祖のような、きちっと日蓮の思想の源流を理解した方が現れると思います。法華講のみなさんも本質をみてほしいです。そして末端の信徒の方から宗門を変えてほしいです。
僕も、学会の教学の幹部の方と合わせていただく機会を作るなど、学会を変えていきたいです。
そうすれば一緒になる可能性は0ではありません。広く御仏意とうけとめ、真の法を広めたいです。
と僕は思います。僕自身大石寺に参拝し、純粋に大御本尊を拝みたいです。それはそうしなければ成仏できないということではなく、日蓮が万感の思いを託された大御本尊を直接見て、それにこめられた平和社会実現(立正安国)の思いを感じ、大衆の救済の決意、世界を変えていこうという決意をしたいからです。でも僕は今でも大御本尊根本です。

 

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 メッセージ 176 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:48

 

304.が故に貴公の邪な謗難は全く意味を為さず。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 21時58分
山人君曰く

▼この「日興跡条々の事」については、文面上の考察を加えても種々の矛盾点が出てきます。

「日興跡条々の事」 堀日亨氏が本書としたもの (富要 8-17)
日興跡条々の事
一本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主として日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。
一日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年(五月廿九日)御下文、日目に之を授与す。
一大石の寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し修理を加へ勤行を致し広宣流布を待つべきなり 右日目十五の歳日興に値ひ法華を信じてより已来た七十三歳の老体に至るまで敢て違失の儀無し、十七の歳日蓮聖人の所甲州身延山に詣り御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後弘安八年より元徳二(四)年に至る五十年の間奏聞の功他に異なるに依って此の如く書き置く所なり、仍て後の為に証状件の如し。
 (元徳四年)十一月十日  日興在り判       

⇒「本門寺建立の時は」ということは「本門寺が建立された時は」ということですが、当時から現在に至るまで「本門寺」は建立されておりません。これが史実です。
——————————————————————
●これも簡単である。
大本門寺建立は日興上人を始め門下一同の熱誠であり、近未来に実現せん、との機運があった。

日亨上人仰せである。
■「興尊御門下の老若には、広宣流布に伴う大本門寺の、また大戒壇の建立が朝夕近しと期せられた。」

そのような状況下で「本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主として云々」との御表現がなされても不思議でもなんでもないのである。
——————————————————————

▼⇒「本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主として」これは事実上「時の条件付きの座主」ということになってしまっています。
——————————————————————
●まさに揚げ足取りの見本である。貴公の性根の不純さが遺憾なく発揮されたところ。

近未来には必ず実現せんとの日興上人の大確信と、大激励の御言葉と拝せぬか。

——————————————————————
▼⇒ 史実は本門寺は建立されず。当然、日目は座主とならず、そのまま亡くなっています。この時点でこの譲り状に書かれている第一条は、ご破算。この書は空譲り状、願望だけで終わった譲り状となってしまっているのです。
——————————————————————
●熱誠熾烈なれども、障魔激しく、時未だ至らず、止む無く「大本門寺」を称すること能わずとも、未来広宣流布へ向けての、令法久住の為の法統相続は断絶なく行われるのである。

文字面に囚われて真意を読めない典型という浅薄な読み方である。
——————————————————————
▼⇒ このような予定、予想、推定、仮定、仮説を前提とした書面は、そこに書かれている前提条件が成立しえなかったならば、文字通りただの紙切れに堕してしまいます。
——————————————————————
●日興上人の熱き想いも分からず賢げにすまし顔で斯様な邪難をしても、事実の上で日目上人が将来広宣流布の暁には大本門寺となる大石寺を相続されたのは史実である。が故に貴公の邪な謗難は全く意味を為さず。
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 メッセージ 177 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:48

 

305.山人君の物差しで計られた、誤れる日興上人観がそのまま反映されたものである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 21時59分
▼⇒ さて、日興上人はどのようなお方だったでしょうか。
◎ 大聖人の真筆本尊には数々の添え書きをされています。
富士宗学要集では「本門寺に懸け」の本尊が三体、「本門寺の重宝」の本尊が四体。

◎「本尊分与帳」では、師弟の道を貫いた門下、背き退転した者等、明確に記述され、それを万年まで示されようとの気迫すら感ぜられます。
「日興ノ弟子也」「日興第一ノ弟子也」「背畢」

◎ 日興遺誡置文では
「随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり」とし、
「万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇 条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し」とされています。「万年」に亘る「救護」を慮られる日興上人なのです。

⇒ そのような日興上人が「確実性なく、不安定要素のある、願望を前提にした、紙切れ同然になるかもしれないような譲り状を書く」ということは有りえるでしょうか。有りえないでしょうか?
答えは簡単有りえないでしょう。(笑)
——————————————————————
●ここも貴公お得意の自見を基とした全くの妄想である。
何の証拠もない。

現に日興上人御正筆が厳存しているのに貴公の邪論など何の説得力があろう。
全く無意味である。
——————————————————————
▼このように「日興跡条々事」は、文面の解釈論に立ち入ってみても、不審点が多いのです。譲って文面解釈をしてみれば、返ってその正体を露呈してくるのです。

⇒ 要は、「日興跡条々之事」というのは偽作者の境涯、偽作者の物差しで計られた、誤れる日興上人観がそのまま反映されたものであり、しかも、既に亡くなってしまっている日目を座主にする為に、わざわざ、建立し得なかった「本門寺建立の時は」を付け加えてしまっているのですから、へたもへたくそ、本気で日目再誕を信じていたのかと思いますね。しかも「元徳四年」ですから、日目はこの時70すぎの高齢ですよ。どうせだったら日道あたりに相承ということにすれば、もうちょっとは信用性が高まったのにですね。(笑)

——————————————————————
●邪推に邪推を重ねた結果がこの程度の結論である。

貴公の駄文をそのままお返しする。

このように「日興跡条々事」を偽書であるという貴公の邪論は、文面の解釈論に立ち入ってみても、不審点が多いのです。
譲って文面解釈をしてみれば、返って貴公の妄想のその正体を露呈してくるのです。

要は、「日興跡条々之事」を偽書というのは山人君の境涯、山人君の物差しで計られた、誤れる日興上人観がそのまま反映されたものである。

よくよく慎むが良い。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:48

 

306.それも完全に打ち砕いてある。全然、ダメ! である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 22時22分
山人君曰く

⇒ なにいってんだ、次に有るように「一日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年(五月廿九日)御下文、日目に之を授与す」と、本門戒壇の大御本尊は日目一人に相承されたのだ。ここにおいて日蓮仏法の一切を継承された日目は、同時に唯授一人の血脈相承を受けられたことにもなるのだ。
とでもいいますか。

⇒ これも残念、
A=日興上人 B=日目 C=弘安二年の大御本尊  D=自称・本門戒壇の大御本尊として、
AはBにCを授与した。しかし、C= Dという根拠は? どのようにしてCと Dを結びつけるの?
となってしまうわけです。(笑)
——————————————————————
●C= Dという根拠は、既に再三証明してある。
貴公が駄々をこねて理解できない知能にまで陥っているだけ。
貴公ら以外の学会員は貴公のような妄論を用いていない。
しかも今回の論争を見て更に貴公の分からずや振りを確認したことであろう。
分からない者に敢えて納得してもらおうとは思わない。
貴公の立論の矛盾を徹底的に打ち砕き多くの方に見ていただけばそれで十分である。
——————————————————————
▼でも、これは譲ってあげた場合ですよ。当方は、本来はこの書自体を不審書・偽書としているわけですから。ただ、文面の解釈論に入ってやってもこの程度だ、というものをアドバイスしてあげたかったのです。(笑)
何しろ「弘安二年十月十二日の御本尊」を証明できない宗派なのですから・・・。
どうせ作るなら、もう少しうまくやらないといけません。

——————————————————————
●ここまで来ると貴公が何を囀っても空しい風が吹くだけである。

その証拠に貴公はこの6月10日以来完全に沈黙を守ったままである。
もし、当方の破折に異議があるのなら速やかに反駁すべきであろう。
それができないのは貴公自身、自らの妄論の矛盾を認めたことに他ならない。
いい加減に目を覚ますべきは貴公である。

——————————————————————
▼⇒ 更に日蓮正宗はこうもいいます。
「仏法を令法久住し、魔から正法を守る為に日興上人は大聖人からの二箇相承書にならい、日興跡条々事を以って日目上人に唯授一人の血脈相承をされたのだ」と。
しかし、二箇相承書は北山本門寺の偽書のパクリであり、何よりも日興跡条々事の内容にある前提条件=本門寺建立が成されなかったのですから、「日興跡条々事は欠陥相承書」ということになってしまうのですよ。(笑)
矛盾だらけですよねえ。
——————————————————————
●ここまで来るともはや狂人の繰言である。
既に二箇相承は曽存であった事実、日興跡条々事は正本案文共に厳存を明証している。
貴公は妄想の世界に長く居て目が見えなくなったか。
——————————————————————
▼⇒ いや、それでも「日興上人の『次は日目一人のみに』との御意があり、そこに唯授一人血脈相承に通じる深義が存するのだ」とでも言い張りますか。

⇒ 残念ですが、「仏法を令法久住し、魔から正法を守る為に、日興上人は大聖人の『一弟子』『本弟子』である六老僧選定に習い、自身も重須初期に本六老僧を、晩年には新六老僧を定められ、門下の教導、育成に励まれた。和合僧による令法久住の完璧、一閻浮提広宣流布大願成就を期された」ということになるのです。
——————————————————————
●それも完全に打ち砕いてある。全然、ダメ! である。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:48

 

307.いつまで隠れ潜んでいるのか?学会員からの賛辞が聞けなくなるぞ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月13日(月) 22時24分

◎ 日興上人が特定の僧への血脈相承なるものによってのみ、令法久住を期されていたとの根拠、証拠はありません。

◎ ましてや大石寺の言う「金口の血脈、法体の血脈」なる、秘法の秘伝などを指向され ていた根拠も無い。

◎「二箇相承書」「日興跡条々事」などの相承書なるものを、自山正当化の根拠として作り上げるなどの行為は、「紙切れ信心」に多くの人を堕さしめるものであり、悪意ある僧のわずか数日間の作業で、万年まで害毒を垂れ流し続けるのですから、それを主張する宗派の罪は深いものがあります。もう、いいかげん、目を覚ますべきときでしょう。

——————————————————————
●妄論の根拠の悉くを完摧した後での貴公の妄説へのしがみ付いている姿は老醜の惨めささえ感じさせる。
今回の破折論文の当初からを再度読み直すべし。
——————————————————————
▼⇒ 何一つ証明することができずに過去の人とされた法華講員さんが、「魔の巣窟」で何やら吼えているようですが、一読してガックリ。もうちょっと、ストレートにくるかと期待したのですがね。(笑)
思考回路の前提が相変わらず「唯授一人金口血脈相承」ですね。妄想を前提にいくら書き連ねても、まともな反論とはならないでしょう。その「前提としての妄想」が「事実」になってしまっているのですから、救いようがないですね。
例として
「ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。」などと書いていますが、ここにさりげなく挿入されている「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」自体が存在しないのですから、笑い話です。
——————————————————————
●なるほど、当方からの以前の破折が気になるようである。
がしかし、この段とてもまさに
「思考回路の前提が相変わらず根拠など全くなく、狡猾に古文献を自説を正当化する為に組み立てただけで「唯授一人金口血脈相承」の否定ですね。妄想を前提にいくら書き連ねても、まともな反論とはならないでしょう。その「前提としての妄想」が「事実」になってしまっているのですから、救いようがないですね。」
とのお言葉をそのまま我がこととしてお読みなれば宜しい。

——————————————————————
▼唯一、「口伝」とやらの文証としていろいろな御書を引き合いに出していますが、大半は「宿坊氏との公開法論」で指摘済みであり、後は「偽書」「天台宗の血脈」等々ですので、あまり無理はなさらないほうがよろしいかと思います。
後は悪口雑言ですね。日蓮正宗の人って絶えず強がらないといけない・・・血圧上がりませんか?怒ってばかりいると体によくないですよ。悪玉菌は増えるしね(笑)
まあ、今は直接お相手するよりも、朝のジョギングにでも行った方が価値的なようです。(笑)
——————————————————————
●では、お言葉であるので、今後は宿坊との往還内で破折し残している部分を摧破させていただきますか。

それにしても山人君、再反論したら如何か?
いつまで隠れ潜んでいるのか?
学会員からの賛辞が聞けなくなるぞ。
それでは貴公の名聞名利の気持ちが納まるまい?

如何か?
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 メッセージ 180 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:49

 

308.神様氏へ。お答え、少し遅れました。申し訳ありません。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 11時47分
> ぼくも樋田氏と出会い、親にもいえないことを心から話せることが幸せです。最近は仏法の話ばかりを考え、勉強が頭に入りません。笑

それはきっと貴方は前世から因縁で仏法の深い何かを求める為に生まれてきたのかも知れませんね。
私も小学校の頃から宇宙とは?命とは?死んだ後は?神は本当にいるのか?とか諸々考えていました。
その頃は仏教なんて葬式屋だと思っていましたから。

> 僕は日蓮正宗は正しいと思います。でも僕の中にどうしても疑問が残ります。大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、

これは、私も随分と考えあぐねました。
しかし、様々な見地から今はすっきりしております。
その内の一点は、昨日も申し上げたように、今後の時代によって、その時代の最先端の科学技術を駆使し保存厳護申し上げていけば、想像出来ない位未来まで御護り申し上げることは不可能じゃないと思いますよ。

しかも
■「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」
と仰せですから、大聖人の御悟りのお命即法はまさに御文字にあるのであって、その御文字=大聖人様のお命・御悟り=法  が不思議な宿縁の七百年前の楠の木に刻まれているのだと拝します。
根本はあくまで大聖人様の「御文字」なのです。

しかしまた当然ここに草木成仏の義が生じ、凡慮を超越した不可思議な加護があることは当然なのですが、しかし、やはり人即法の御悟りは御文字なのです。

ですから楠の木だけに目が行ってしまうとやはり貴方の言うように
「大御本尊はいずれ朽ち、必ずなくなる、」と思うのは当然でありますが、昨日も書きました、
■「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。」とのお言葉、そしてまた、
■「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の
  稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。」

とのお言葉を合わせ熟考するに、大聖人の御悟りの御文字を歴代の御法主上人が時に宣しきを得た方途で久住せしむることは科学的にも矛盾はないと思います。

ではたとえば「地球だっていつかは太陽に飲み込まれてしまい無くなってしまうではないか?」との疑問も生じましょう。

これは何もこの「地球」という小さな天体に拘る事は無い訳で、それなりのテクノロジーを用い、他天体への御遷座もありえましょう。

ですから、結論として、常に唯授一人・血脈相承の御法主上人が久住せられ、ありとあらゆる方途を用いても、仏宝・法宝であれせられる戒壇の大御本尊様の御悟りのお姿は厳護せられていく、ということです。

ですからそういう意義も含められてと拝しますが、こういう御文があるのです。

■「白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

賢明な貴方のことですから、敢えて通解は書きませんが、決して現時の科学的な常識を無視した形での戒壇の大御本尊様の永存を主張しているのではないのですよ。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:49

 

309.つづきです
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 12時13分
>直接拝まなければ功徳はない、目が悪い人は?

それは大丈夫ですよ。直接肉眼で拝すことができなくてもちゃんと成仏できますよ。
ただ、仏法は身・口・心の三業で修行し功徳を積むものですから、
1、まずは戒壇の大御本尊様へ参詣できる環境と状況の方は戒壇の大御本尊の御前に行かれることが大事だと思います。
2、そういう状況にない方は各日蓮正宗の末寺へ参詣せられて、唯授一人血脈相承の御法主上人が御認めの常住御本尊様の御前に行かれることが大事です。
3、そのことさえ無理な状況ならば、家庭に日蓮正宗から正統な手続きを以って下付された御本尊様の前に詣でることが大事です。
4、それすらも不可能な方は、日蓮正宗の御受戒を受けて、大石寺の方を向いて南無妙法蓮華経のお題目を唱えることが大事です。
(以上は、目・耳・口・身体の問題の方全てに応用していただく方法です。)
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 メッセージ 182 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/14 13:49

 

310.御開眼について
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 12時40分
>開眼がなければダメ、

法華経の方便品に有名な、難信難解・難解難入 とのお言葉がありますね。
仏様の御悟りは凡そ凡慮を超絶しているのであります。
また迷いと悪業の中で喘いでいる我々の智慧で及ぶ範囲の教えであれば、逆に仏様に頼らなくても自分たちで自分の幸福を掴むこともできた、とも言えるでしょう。
釈尊のお弟子の中でも智慧第一と言われた舎利弗ですら、仏様の悟りは自らの智慧では理解できず、釈尊からも制止せられ、只「信」を以って悟ることができたのであります。
だからと言って、妄信・盲信になって無闇矢鱈に信ぜよ。と言っているのではありません。
人知の及ぶ限りの最大限に思索を廻らす事は大事です。がしかし、その思索の元は全て仏様の言葉から出発し仏様の言葉に基づいていかなくては道を外すこととなります。
もし、仏様の言葉と関係なく思索するのであればそれは仏様の真の御悟りの境地へは到底行き着くことは不可能でしょう。
むしろ誤った我見・偏見が増し、苦界を彷徨う事となりましょう。

前置きが長くなりました。

では、開眼については、仏様はどう仰せでしょうか?

■「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。」

と、「法華を心得たる人」の開眼のない本尊を拝むことを制止されております。
この「法華を心得たる人」とは、大聖人様の当時言えば、大聖人様御自らは勿論ですが、そのお役を大聖人様から仰せつかったお弟子方であります。

では大聖人様滅後はどうかと申しますと、先ほどの
■「白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
との御文の如くに、大聖人様から唯授一人血脈相承を御相伝せられた代々の御法主上人と、その命を御法主上人から受けられたお弟子方、と言うことになります。
つまり、現時においては第六十七世御法主日顕上人の御開眼の義がない本尊は、「家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。」との姿は御本尊に似ていても、全くの功力はなく、そればかりか恐ろしい魔力が篭った魔仏となるのです。
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 メッセージ 183 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 11:48

 

311.御本尊と組織について
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 14時41分
>寺院からの本尊でなくてはダメ、特別な力があるの?

これはまさにそうですね。
日蓮正宗寺院から下付された御本尊でなければ真の大聖人様の御悟りに通じることはできません。

大聖人様の御悟り
→戒壇の大御本尊
→日興上人以下御歴代御法主上人へ御相伝
→御法主上人のみ御書写・授与の権能があらせられる
→この御書写・御形木御本尊は日蓮正宗寺院でしか下付されない。

その御本尊様には、まさに戒壇の大御本尊様と同じ義が生じるが故に、特別な力があるのです。

——————————————————————

>法華講員しか成仏しない、同じ考えを持っていても、現代秩序の中での戸籍上、組織上の身の上が成仏するしないに関わるの?

これは表面的な組織のあり方のその奥を見ていかなくてはいけません。

よく仏教の世界では大乗とか小乗とかの言葉を使いますね。
これは衆生を悟りの世界、成仏の彼岸へ渡す船の例えであります。
つまり、大乗とは大きな船でたくさんの人々を乗せる事ができる。小乗はごく一部の人しか乗せる事ができない小さな船・・といったようにです。

そこで、今回の問題でも船の例えだと理解もし易くなるでしょうか。

つまり、日蓮正宗は700年間大聖人様から日興上人・日目上人・・・・そして現御法主日興上人へと連綿として続いてきた戒壇の大御本尊様の御相伝を拝して自らの成仏=悟りと、その根本の教えを元に世界を救済せんと広宣流布を目指しています。そういう船なのです。

かつて戸田第二代会長時代に発足した宗教法人創価学会もこの日蓮正宗という船へピタッと寄り添い、戒壇の大御本尊から功徳を頂戴しつつ、日蓮正宗船を護衛し、更に多くの迷える方々をも救済しつつ、しかし同一方向を(=悟り=成仏)目指し、戒壇の大御本尊様の広宣流布を目指して共々に進んできました。

しかし、平成以降の問題において、とうとう創価学会という船は、この日蓮正宗という船からロープが離れ、戒壇の大御本尊様からの補給パイプからも離れ、別の方向へ進みだしました。
その創価学会船に乗っている乗員一人一人は様々なお考えはあるでしょうが、船自体が日蓮正宗船から離れてしまった以上、その創価学会船に乗っていたままでは戒壇の大御本尊様からの補給ライン=成仏・悟りの功徳 は分断されたままです。
どんなに難しい状況であっても、どんな方法を用いても日蓮正宗船へたどり着いて、正しく戒壇の大御本尊様の功徳を受けることが大事です。

これは特に今創価学会だけに適応されることではなく、元々、日蓮正宗船へ乗る為には、従前の悟りを妨げる謗法である邪宗教との関係を断ち切り、一切の謗法を捨て去り清浄な身となって日蓮正宗船へ移り乗り戒壇の大御本尊様の功徳の恩恵を被る事ができたのであります。
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 メッセージ 184 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 11:49

 

312.御本尊について
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名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 15時6分
>法王もしか本尊をかけない、同じ人でしょう?

● 確かにどなたもこの世に存在する方は「同じ人」です。
しかし、また全ての人は他の人とは全く違う、とも言えます。

これは仏法の法理の一分である、空仮中の三諦のうちの空観と仮観であります。

確かに御法主上人は皆さんと「同じ人」であります。
大聖人様も鎌倉時代の人たちにしてみれば、普通の、というよりかなり過激で純粋な、でも”ただの僧侶”でした。
でもその御内証はなんと久遠元初の御本仏であられたわけです。
その根本の法を戒壇の大御本尊様として顕され、更にその御法体の御内証を唯授一人血脈相承によって日興上人へ御相伝なされました。
歴代御法主上人はその御内証を受け継ぐ方ですから、その因縁次第に於いてやはり他の方とは違うお仕事・お役目をお持ちなのですね。
ですから御法主上人以外は御本尊を書写できないのです。

日蓮正宗第59世日亨上人はこう仰せであります。

■曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや、

■曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、

■余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、

■本尊の事は欺の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り、云々

やはり、御本尊は御法主上人以外の人が勝手にどうこうしてはいけないと思いますよ。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 11:49

 

313.功徳は心理学的現象なのか、
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 15時59分
>そして根本疑問です。南無妙法蓮華経をとなえれば成仏する、功徳は心理学的現象なのか、成仏なのかは絶対にわからないし、ほかの無数にあるマントラのように信じればいいのでは?本尊が重要、ただの紙切れに何の力が?大御本尊根本、ただの木に何の力が?
この疑問はみんな経験すると思います。

●そうですね。本当に貴方の抱く疑問は当然あり得ますよね。少しく世の中の学問を勉強すれば当然生じてくる問いだと思います。

どの宗派でも何か本尊へ向かって一心に修行をすればある心理的な作用が起きて実際に功徳と感じられる現証があることは確かでしょう。
心理学的にも検証されていると思います。
もちろん日蓮正宗の御本尊に南無妙法蓮華経の唱題をしていても、創価学会発行の本尊に唱題していても、その心理的な作用は概ね同様に起きることでしょう。
しかし、その現証が釈尊や大聖人様がお説き遊ばされた成仏の悟りなのかどうかは、やはりこれも仏様のお言葉に即して検証しなくてはならないでしょう。

その一端だけでも示すならば、例えば、仏様の御身は宇宙の法そのものである法身 それを悟るところの報身 そして法身と報身が相合するところに自ずから現れる応身 この三身が即一身であり、また仏様の御一身は即三身であって、しかもこの三身即一・一身即三身の御仏が三世に亘って常住であり、しかもその御仏の一念に一切諸法を具す。

この境地がそのまま我が身に感得することが悟りであり、成仏である、と説かれているところがあるのですが、これなども、果たしてこの本当の義へ、先ほどのその「心理作用」で到達解了できるのかどうか?

簡単には言えない事ですが、時間的に永遠、空間的に無限へと我が色身が開き切り・・・・・

口や自分なり感覚でそうなった!と思い込むことは容易でしょうがそれが本当に御仏の悟りへ到達したかどうかは自己の判断ではやはり無理なのですね。

ではどうすればその違いが分かるかと言うと、やはりあくまで御仏の言葉によらなければ判定はつきません。

仏様はその悟りへ到達する為に、その方程式を明確に遺されました。
それが三大秘法への帰依であり、戒壇の大御本尊様への信行なのです。

法華経には
■「十方仏土の中、唯一乗の法のみ有り。二も無く亦三も無し」  とあります。

また大聖人様も
■仏にならん為には唯法華経を受持せん事を願ひて、余経の一偈一句をも受けざれと。」 と仰せです。

つまり、仏様の御悟りへ到達できる法は唯一つしかないということです。
しかもその法華経とは三大秘法=戒壇の大御本尊様へ究竟するのですね。

■法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。

こうして御仏のお言葉を拝してくると、真の悟りを得られる道は戒壇の大御本尊様への純粋無垢な信行であることが分かります。

翻って他を考えますと
■「諸宗は本尊にまどへり」 と仰せでありまして、この成仏の根源の法が唯一戒壇の大御本尊様であるということが見えず、分からず、本尊に迷っているのであります。

ですから、心から成仏を願って純粋に戒壇の大御本尊様を信じ拝したならば、必ずや真の悟りの境地を得ることができるのです。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:09

 

314.唯授一人血脈相承の文証にはならないよ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時11分

NO221についての補足

▼この疑難はもはや出尽くして、完膚なきまでに破折し尽くされているのである。
今更この難を持ち出してくるとは、山人君も底が浅い。山人改め平人にでも改名したら如何か?

△ 強がらなきゃいけない宗教ってーのは、疲れるな。ところでさ「いつ、どこで、誰が破折し尽くしたのかな」
俺は「いちでしろくにん」を破折した日蓮正宗の文献を知らないや。教えて。

NO223について

おじさん引用の文献の検証、数字の横はおじさんの引用。

1 然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。

◎ 曾谷殿御返事ね。総別の別が何故いきなり、大石寺貫主となってしまうのかいな、思い上がりだぞ。それにこの書を頂戴した曾谷さんはどこの人だい?中山法華経寺にさ、別しての血脈でもあるのか?笑
御書は全て大石寺の血脈信仰のためにある、との病気が出ているぞ。

◎ 当該文の次の「例せば」以降には何をいわれているかな?

⇒ 「爾前権経」で成仏かなわず、「法華経」で成仏できたことが述べられているね。
例せば、大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀薬師に遇て成仏せず、譬えば大海の水を家内へくみ来らんには家内の者皆縁をふるべきなり、然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案なり、大愚癡なり
意味  例えば、大通智勝仏の第十六王子(釈尊の前身)に下種され、釈尊在世に声聞界と生まれた者達(富楼那等)は、全く阿弥陀仏、薬師如来に逢っても成仏することはできなかった。(法華経迹門に至って成仏した、二成作仏)更に例えば、大海の水を家の内に汲んでくれば、家の内の者は皆縁を濡らし潤うことができる(法華経を信ずれば、その利益に潤う)。けれども、汲んできた大海の一滴をさしおいて、他方の大海の水を求めるのは大変愚かなことである(法華経をさしおき、爾前権経を求めては成仏はかなわない)

◎「例せば」ということは「前文の例えとして」であり、「後文」が「法華経による成仏」なら、前文=当該文は何だろか?
⇒ 前文=当該文も当然、法華経に関することであり、「法華経の範疇」を出ないのは当然。

◎ 「是には総別の二義あり」とは?
⇒ 「法華経の附属には総別の二義がある」を意味し、「別附属たる法華経の要=妙法蓮華経によって成仏がかなうのであり、総附属たる爾前権経等によっては成仏できず、輪廻生死を繰り返す」との文意だな。この「法華経によって成仏できる」例えとして、後文が続くのよね。

⇒ 法華経の附属の内容と利益する時代の違いを確認すべし

別附属  神力品第二十一 法華経の要を末法弘通のため、上行菩薩を始めとする四菩薩
に附属したこと

総附属  嘱累品第二十二 法華経の要以外の広・略二門と一切経を正像二千年の機と、末法弘通のための序として附属したこと

当該文では末法は「法華経の総別附属」中の、どの教えによるべきかを示されていて、「日蓮大聖人以降の総別附属」を伺わせる文意はないね。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:09

 

315.唯授一人血脈相承信仰だとなんでも依文に見えるんだね 笑
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時14分

◎ 曾谷教信の信仰状態  1276年・建治二年8月、本書「曾谷殿御返事」を賜った時の、曾谷教信の信仰状態を知ってるかい?

1273年・文永十年
観心本尊抄 「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」の文を誤読し、迹門不読の我見を構える。

1275年・建治元年11月
日蓮大聖人はその我見を厳しく破折し、曾谷教信に対する善導を、富木常忍に託す。

観心本尊得意抄                         抑も今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に、此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが、其の通りを以て御教訓有る可く候、所詮・在在処処に迹門を捨てよと書きて候事は、今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり 、設い天台伝教の如く法のままありとも、今末法に至ては去年の暦の如し

1276年・建治二年8月  曾谷教信は、本書「曾谷殿御返事」をいただく。

1279年・弘安二年5月
曾谷教信と同郷の太田乗明も、「法華経迹門不読」の我見を構え、大聖人は厳しく破折する。                                      
四菩薩造立抄                          一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由其の聞え候と是は以ての外の謬なり〜迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし

⇒ 日蓮大聖人は、「不相伝の僻見」「天魔波旬の其の身に入り」と叱責した法華経迹門読誦に我見を構える門下に対して、日浅からぬうちに自身滅後の令法久住に関わる血脈義を説示するわけないでしょ。

⇒ 1275年・建治元年11月に、「観心本尊得意抄」で破折されたわずか十ヵ月後に、かかる教示は道理としてありえませんな。 
この前後の、大聖人の曾谷教信に対する指南は、法華経の構成に関することが中心ですよ。

1275年・建治元年 「法蓮抄」 1046 
今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり

1276年・建治二年八月 「曾谷殿御返事」 1056           返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし、釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う                                     
1277年・建治三年十一月 「曾谷入道殿御返事」 1058        南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり

大丈夫か?おじさんょ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:09

 

316.一代聖教大意が文証では日蓮宗に笑われるな 笑
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時17分

2「此の経は相伝に非ざれば知りがたし」

◎ これについてはおじさんは以前、こういうこといったの覚えてるかい?
▼「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

◎ で、まずはさ、この「一代聖教大意」の「問う諸経の如きは或は菩薩の為・或は人天の為・或は声聞・縁覚の為・機に随つて法門もかわり益もかわる・此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し・所詮・悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣八部総じて十界の衆生の為なり」をどうすれば「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのかいな?是非、詳細な説明をしてくれ。

この書は正嘉二年(1258年)二月十四日の執筆で、大聖人は37歳の時ですわ。曼荼羅本尊図顕は現存からすれば、「文永八年(1271年)十月九日」の所謂「楊枝御本尊」からで、13年後となるのよ、その時大聖人は50歳ですよ。

◎ で、その曼荼羅本尊の相貌は、文永、建治、弘安と勧請諸尊が増え、座配が整足されていかれるのですが、曼荼羅の全体の構成・形態を分類し、総称として「十界勧請曼荼羅」「総帰命曼荼羅」などに分類されるのよね。
曼荼羅の紙面に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界(十法界)すべての衆生がしたためられているものが「十界勧請曼荼羅」。「総帰命曼荼羅」は、曼荼羅に勧請された諸尊のすべてに、「南無(帰命)」の二字が冠されていることから、こういわれるのですね。
この正嘉二年(1258年)以降の大聖人の本尊は

文応元年5月  法華経を本尊  鎌倉
唱法華題目抄  文応元年五月   
問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、

文永7年 本尊の教示・釈尊を本尊にせよと  鎌倉
善無畏三蔵抄  文永七年 与義浄房浄顕房 
此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず〜大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、(中略)而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。

文永7年10月 法華経を本尊  鎌倉
大豆御書  文永七年十月 
大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候、

と、記録にあるのよね。このように自身は「法華経を本尊」とし、門下には「釈尊を本尊にせよ」といわれ、曼荼羅本尊図顕13年前の段階で、「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのはなぜかな。坊さんのデタラメ説法をまに受けたか。ぜひ、詳細なる説明をして頂こうじゃない。笑

◎ あとさ、素朴なところでいえば「一代聖教大意」の当文を大聖人が自身滅後を志向されて書かれた、という根拠はどこにあるのでしょうかね。「解釈論で」というのなら、誰が解釈したのでしょうかね。笑

大丈夫か?おじさんよ。笑

3、4、5はまとめて

3 凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり
真言見聞 

4 次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す(略す)
四恩抄

5修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり

◎ ここに説かれる僧が大石寺の坊さんである証明は?笑
「唯授一人血脈相承」信仰の、大石寺の坊さんのことではありませんよ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:09

 

317.日蓮正宗の教義の骨格は実に貧弱だな 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時20分

続いておじさん云く

▼ これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は
在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   
となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。

△ 神力品の別付嘱は在世にはあるけど、滅後に別付属はないよ。大聖人は別しての血脈なんてやってないからね。文証は上記破折済み。笑

▼ 上行菩薩への別しての血脈が、仏法三世の通規であるが故に、末法でも大聖人からただお一人へ相承されなければならない。

△ 文証が文証になっていない。自らの唯授一人血脈相承を正当化するちめの日蓮正宗だけの妄想だな。「ならない」ってのは根拠なし、というか、これこそ日蓮正宗が大聖人に敵対し、利用し、幻を実物であるかのように見せかけるための典型的な話術だわね。騙されてはいかん。

▼ これが末法万年仏法伝持の基本である。その綱格の上に、六老僧は定められたのである。(「順不次第」の意味するところの真意はここにあるのである)

△ 日蓮正宗のいう「基本」「その綱格」は存在しとらんのだわ。大聖人がやってもいないことを「基本」「その綱格」だなんて、デタラメもいいとこ、破仏法の妄言だね。
六老僧を全員、一弟子・本弟子とし、そこに次第無く、六門徒・和合僧体制を定められたということよ。

▼ そうした上行所伝の、別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老、そしてまたそれに連なる弟子・檀那 と、斯様な成仏の血脈の次第と組織構成である。

△ 「別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老」なんて、日蓮正宗の妄想の中にしかなく、文証も根拠も存在しませんよ。めでたいな。

▼しかしこれを以って、六老の現時の行動を日興上人が肯定していることは断じてないのである。—山人君、いや惨瞋君 いや 浅瞋君 よく分かりましたか?

△ 笑うね。「人がいってもいないことをいったとし、それを破折したつもり」ってのはなんだ「一人芝居」ってんだよ。そういうふうに強がって見せ続けることでしか「勝っている」という印象をつけられない宗教ってのは慢心・増上慢の塊だね。
「日蓮大聖人と関係ない日蓮正宗の教義など認識・破折の対象であり、信仰として理解などしたら地獄行き」だよ。笑

山人さんは言っているよ。
「『富士一跡門徒存知の事』『五人所破抄』は、五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解『五一の相対』により、五老僧を破折する内容となっております。」
「日興上人は五老僧を自身の門流の傘下にされようとはせず、それぞれの系統自体を云々することはありませんでした。」
「日興上人は大聖人の立てられた法門を守るという姿勢で他に臨まれており」ってね。笑

「鉄砲持たせりゃメクラ撃ち、刀を振れば空を切る」のとおりだな。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:10

 

318.日蓮信仰と日蓮正宗信仰の違いは正と狂の差だ!
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時25分

NO225につき
「観心本尊抄」(P254)に「当に知るべし・此の四菩薩・折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し・摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。」について

おじさん云く
▼ (観心本尊抄につき)貴公が一体どういう見地でこう断定できるのか?

△ 笑 こりゃおもしろいや。
「創作板本尊、偽書の相承書だらけ、他寺院の偽相承書のパクリ、後から作り上げた邪義の吹き溜まり」の日蓮正宗が「創価学会は折伏の団体に非ず」だってさ。
それでいて「俺達正しい。板本尊、相承書・・・ほらほらまだあるぞ」だからね、正に「なんという自己矛盾の塊であろう。」だな。


NO236,237について

(美作房御返事につき)
▼ かかる諸老僧の態度に就いては当然一門の大導師として、又御正墓在す身延山の別当として日興上人は墓番給仕を懈怠する事を責め、警告を発せられたであろう。それは本状にも諸処にその意を汲む事が出来る。

△ってさ。「一門の大導師=身延相承書」「身延山の別当=池上相承書」なんて、偽書を前提に解釈するのは、史実を歪めるからいかんですよ。前提を証明せよ。笑

▼「何事よりも身延の沢の御墓の荒れはて候いて、鹿かせきの蹄に親り懸らせ給い候事、目も当てられぬ事に候」この文は、勿論御墓が現実に斯の様な状態であるはずはなく、日興上人御一統が意を尽くして御給仕遊ばされてはいたのだが、諸老僧が参詣しないありさまを形容されたと見るべき事は当然である。

▼ その実はこの身延山を日興に賜わったからこそである。即ち、私に身延後董の前提があったればこそ

△「あるはずはなく」「見るべき事は当然である」って、どうしていいきれるの。正に日達が大聖人在世の身延山につき、見てきたようなことをいうのと同レベルだな。
おじさん、日蓮信仰ではなく、日蓮正宗信仰のせいで「白を見て黒、黒を見て白」って読むように習性つけちゃったんだね。笑
「その実はこの身延山を日興に賜わったからこそである。即ち、私に身延後董の前提があったればこそ」も、ひどい。「いかにも此の人の所領に臥す可き御状候し事日興の賜はりしあそばされてこそ候しか」が、なんでそんな解釈になっちゃうの?
日蓮正宗の読み方はいいからさ「利害関係のない大学の鎌倉時代専攻の教授」に読んでもらいなよ。「謗法者如きに日興上人の御心がわかるか」なんて、いつまでも言っていたんじゃホント、化石になるぜ。

▼「六門徒・和合僧体制」は総じての辺の捉え方であり、別段それは過ちではない。

△「総じての辺の捉え方」の根拠はどこに?「二箇相承書」が思考の前提にあるからか?笑

▼ がしかし、だからといって、この「美作房御返事」が、別しての唯授一人の御法体相承を否定する証拠・根拠には全くならない。

△ おやまあ、山人さんは「日興上人の化導により和合僧体制を確認 身延山での五老僧への呼びかけ」って言ってるのよ。
元々、「別しての唯授一人の御法体相承」なんてないのよ。さっきの「口伝」の文証は×だ。あるなら出してみなよ。
「おじさん、全く駄目です。文が読めても、妄想が前提なので変てこな解釈です。」笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:10

 

319.前提が妄想(=唯授一人血脈相承)だから全てが狂う 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時28分

NO240について

▼(「富士一跡門徒存知の事」の、日興上人が五老僧を「義絶」とされた記述につき)
もちろん既に完摧したが如く、唯授一人・御法体の血脈相承を根幹とした上でのことである。(略す)
大体にしてこの「義絶」という文言は、概ね筋道として、ある立場から、ある立場へ、たとえは親が子へ、師匠が弟子へ、主人が被雇用者などへ下す処断である。
五老はもともと身延不参であり、自ら離れているのである。その者たちへあえて日興上人が「義絶」する意義とは、まさしく唯授一人・別しての血脈相承をお受けになられたお立場から、総じての血脈の流通を断絶されたことに他ならない。

△ おじさん!「唯授一人血脈相承信仰の害毒」が脳髄にまでまわって、悩乱しだしたようだな。笑

◎ 信仰上の確信による立場からの「義絶」よ。
「五老僧は、『一弟子六人の事 不次第』とされた大聖人の御意志を忘失し、その法義違背により真の大聖人門下ではなくった。大聖人の法門を守り、継ぐべき者は日興とその門下しかいない。唯一日興門流のみ、大聖人の立てられた法門を守っている」との確信・自覚・による立場からの「義絶」っていうことですよ。
その「日興上人と五老僧との法門上の異解を後代に明確にする」ために「富士一跡門徒存知の事」を記述された、といえますね。
おじさんみたいに「義絶っていうからには前提としての何かがある。立場が違うということだ。それは唯授一人血脈相承を受けられたことによる立場の違いだ」っていう発想は、「日蓮信仰」ではなく「唯授一人血脈相承信仰」になっている証拠よ。邪宗の害毒だわね。
思考回路の前提である「唯授一人血脈相承」の文証なんて全部ウソッパチだったのだからな。笑
「唯授一人・別しての血脈相承」とか「総じての血脈」とか、どこまで妄想がつづくのか・・・笑

◎ おじさん達日蓮正宗関係者は、全ての御書が「唯授一人血脈相承信仰」正当化のためにある、と怪釈してばかりで病が重いようなので繰り返しますわ。

・「先ず日蓮聖人の本意は法華本門に於ては曾つて異義有るべからざるの処、其の整足の弟子等忽に異趣を起して法門改変す」五老僧は日蓮大聖人の法門を改変してしまった、と。
「況や末学等に於ては面面異轍を生ぜり、」更に末弟子達は各々面々、大聖人の法門をねじ曲げている、と。
「故に日興の門葉に於ては此の旨を守つて一同に興行せしむべきの状仍つて之を録す。」
として、一人日興上人と門流のみが大聖人所立の法門を守り、正義を立てているという現実、令法久住への責任感、その信仰上の確信、「仏法上重大なる使命を背負われた立場」から五老僧を「義絶」されたのですよ。

・「義絶」とあるから「唯授一人血脈相承」があったんだ、というのは「自分の頭の中だけで既成事実化した妄想」へのこじつけにほかなりませんな。
「一弟子六人の事 不次第」「それでも法門上の相違により、日興上人は五老僧を義絶とした」というのは「史実」、そこから「いかに令法久住は難く、大聖人の法門は重いか」を理解できる。これに対し、おじさんの説は「日蓮正宗だけの妄想」ですよ。笑
結果から原因を推定するも、そこに「後世成立の大石寺教学を織り交ぜてしまう」のが日蓮正宗・大石寺の発想の限界ということよ。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:10

 

320.妄想宗の仰せより大聖人の仰せだ!
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時33分

▼この御文一つとってみても日興上人が唯授一人血脈相承をお受けになられた正嫡の御法主であられる文証となる。

△ 妄想宗の正体さらして、生き恥も晒してどうすんの。みっともない。笑

▼では、何を以って、何を根拠に他を破することができるのか?
これまさに別しての血脈相承に依って日興上人が大聖人の御法門の真義に達せられていたからではないか。

△ 「別しての血脈相承に依って」・・・きゃはは、笑 
本当に御書読んでいないねぇ。

・どうすれば「日蓮仏法を知る=解」ことができるか、日蓮大聖人の教示を知ってるかい?

御義口伝巻下・分別功徳品三箇の大事  
第一其有衆生聞仏寿命長遠如是乃至能生一念信解所得功徳無有限量の事 
御義口伝に云く、一念信解の信の一字は一切智慧を受得する所の因種なり、信の一字は名字即の位なり、仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり〜信の処に解あり、解の処に信あり、然りと雖も信を以て成仏を決定するなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云  

⇒ べつに唯授一人血脈相承などの妄想によらなくとも、大聖人は「信を以って解=知る」といわれているのですよ。大聖人の仰せと、おじさん達日蓮系一寺院の解釈が対立する場合、どちらを採りましょうか。笑
日興上人一人、信強きが故に日蓮仏法の正義を知悉し正義を立てられたのですよ。
それはもちろん、「伊豆流罪」「佐渡流罪」にお供して大聖人と艱難辛苦を共にし、「熱原法難」で陣頭指揮を執られる中で「生死一大事血脈抄 」に「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は『即断一切世間仏種』とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり。」とあるように、「法華の血脈相承」(これは正信正行の人、皆が受ける)を受けたということでもありますね。

▼ 山人君は自説を通そうとしながら、まさに日興上人に唯授一人血脈相承がなされたことを証明しているようなものである。

△ 妄想が妄想を読んでいるねぇ。なんでも「唯授一人血脈相承信仰」のネタになっちゃうんだな。それもそうだ、「大聖人が唯授一人血脈相承をされた」とかいう証拠として、あんないいかげんな「口伝」の出し方してるんだもんな。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:10

 

321.創価学会さま!日蓮正宗を守ってください。とお願いしたら 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時40分
NO241について

▼ 日興上人お一人大聖人の御法門を信解され、通達解了せられていたから、法門上の違背がなかったのである。
なぜか?
それこそ唯授一人血脈相承があられた現証ではないか。
だからこそ、大聖人は日興上人を中心に六老僧が定置されたのである。
至極簡明な道理である。

△ 相変わらずひとり言がつづくね。「唯授一人血脈相承があられた現証」ではなく「日興上人に大聖人への正しき信、正しき法門理解があった現証」ですわね。笑

▼ こういうのを「切り文」というのである。

△ 口伝で「超切り文」の輩が何言うか!「己の臭さ」を知りなさい。笑

▼ この書の構成自体が、五老の謗法行為は何々、日興上人の正義は何々・・等と、詳細に示されるのであって、その内容そのものが、邪義・謗法の五老と、正義日興上人との対比であり、それはそのまま唯授一人正嫡の日興上人を証明されている書である。この書は日興上人と五老との「法門上の差異」を例示されたものであるから、別段に二箇相承という文献を掲示する論文ではないのである。

△ いいかい、おじさん、これまでのおじさんの書き振りを見れば、ごく普通の文証が「血脈相承に依って日興上人が大聖人の御法門の真義に達せられていた」「唯授一人血脈相承があられた現証」「唯授一人・御法体の血脈相承を根幹とした上でのこと」と、なんでも「それは唯授一人血脈相承があった証拠だ」なんて、奇怪な解釈をしているね。
それに対し日興上人の記述に「今の大石寺のいう二箇相承書が一つも無い」ということが、「現在の異常なまでの唯授一人血脈相承信仰に堕した大石寺」と「唯授一人血脈相承なるものなど関係なく、日蓮仏法の『信・行・学』によって自らを正義とし、法門厳護に生きた日興上人」との相違が浮き彫りになっているのさ。

NO242について

▼ 二箇相承曽存の証拠は既に詳述した。

△ 人の論文のコピーが中心だろが。笑 正にエセ法門家だな。
山人さんの以下の指摘に対し反論不能。

◎「秘中の秘の大事の相承書なのだから、軽々に文の表に出されるわけがない」などと日蓮正宗関係者は言いますが、いつから、誰が、そのようなことを言い出したのでしょうか。
後世に至りそのようなものいいで辻褄合わせをやるならば、なんでも可能というものです。しかも、その「二箇相承書」が大石寺にないのに主張しているのですから、大笑い、というものです。

▼ 二箇相承は大聖人から日興上人への御状であるから御随身遊ばされ、重須へ奉持されたのである。後に武田勝頼によって強奪され、以後紛失し今は行方不明であって、以後再発見される可能性だってあるのである。であるから大石寺にないことは別に不思議でもなんでもない。

△ 日蓮正宗の従来の説だな。笑・・・くだらん。

▼ 山人君は唯授一人血脈相承を否定したがために必死のようだが、全く苦し紛れの妄言にすぎない。「日興跡条々事」の正副両本が大石寺に存在していることは、学会発行の仏哲にも明記されている。もし、今になってそれを否定するのであれば、学会の公式見解として、新たな学術的発見があり、しかもそれが正当な研究成果であることを証明せねばなるまい。

△ ならば「仏哲」の「血脈相承」の項も学会は今でも有効にしていると思うか。「学会の公式見解」は正式に出とらんが「事実上ゴミ箱にポイ」しとるぞ。破門を境に「全部変わってしまっている」というのがまだ分からんのかい?
「昔の立てて守ってやってた」時のものにしか、依って立てないのが日蓮正宗なのだろう。
インチキ寺だからね。「日蓮・日興直接の相承書」なんて一つもないのだからね。
いつまでも「破門した相手の書き物におすがり」かい?笑
「日興跡条々事」は手元にあるのだから、「学術的鑑定」を受けてみなよ。どうだ、できるか?恐いか?いやか?ばれるからでしょ、違うというのなら今すぐやってみなさい。
インチキ寺の正体は学術的にも暴くべきだな。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:11

 

322.さりげない挿入に騙されるな!
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時43分

NO243について

▼ これらの文献は日興上人が、本六・新六を定めたことを記述しているだけで、別段、唯授一人血脈相承を否定するなんら証拠にもならない。

△ おじさんが、肯定すべき唯授一人血脈相承なんて、存在しないよ。笑

▼ 「北陸道七箇国の法花の大別当」といえば、法縁により、地域により、教区を分け、その教区の責任者として日満師を任命した。ということで、貴公の結論にはならない。

△ ぷぷっ、笑 「法花の大別当」ってどういう意味だ?少なくとも「日目に大別当」がついてるかい、更に偽書・日興跡条々事にある「座主」になったのかい。笑
正に「日興上人は特定の一人にのみ全ての権能を附属する意志のなかった証拠でもあります。」だね。おじさんは「貴公の結論にはならない」と強弁しているだけだ。笑

NO246について

▼ 何故、これを隠すか。山人君。

△ 隠しちゃいないね、山人さんは。そこに「二箇相承書の全文」がない故、「これが二箇相承書とはいいきれない」として、そこには引用しなかったってことだろ。
その二書が「二箇相承書」といえるのかい。
「その片鱗が垣間見え、存在は明らか」とでもいうか、でもそれでは弱いよ。おじさん。笑

NO252について

▼ しかも、古文書を詳細に検討していくと、北山曽存の二箇相承ですら正本の写本であった可能性すらある。
日顕上人の御指南には明確に日興上人の御境涯において、大聖人より御受けになられた二箇相承のお写しがあられる。と仰せである。

△ 長い説法の合間になにげに挿入される該表現。あるぞ、あるぞと書き続けているだけのニッケン指南、ここまで書いたのだから出しなさい。笑

▼ いづれにせよ、貴公の推論は、あくまで推論の範疇であって、二箇相承は絶対に無かった。との偏狭な前提がまずあってそこから全ての古文献を極めて恣意的に読んでいるだけである。

△ 「二箇相承は絶対に有った。との偏狭な前提がまずあって」全ての論を展開しているのはどこの誰でしょ。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:11

 

323.おじさんはフタしてポィ、が好きだけど、そうはいかんよ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時47分

NO253について

▼ まずこの前提が間違っている。二箇相承と思しき初出は記述の如く、
古文献としての「お初登場」は、
@ 聖滅27年(1308)
徳治三年九月二十入日 日頂の本尊抄得意抄添書(本書無表題今且立之)に
「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」
「末法の教主日蓮が本意の法門直授たり」の文あり(宗全一−四四)
次は
A 聖滅99年(1380)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に
「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)等がある。

△ @は真筆の証拠なし。Aは後代の書である可能性あり、妙蓮寺日眼の時代と断定できず。故に「お初登場文献とはならず」残念でした。笑

▼ である。
が故に以下の立論は、その根拠を失う。
真にご苦労様である。

△ ということで、そのまま時代背景を知る参考文献となり、山人さんの主張どおりとなる。笑

住本寺僧・日広が北山本門寺にて「二箇相承書」を書写した1468年・応仁2年といえば、正に中古天台恵心流の全盛期で、恵心流では「七箇口伝 唯授一人相承 切紙相承 各種相承書の偽作」が盛んに行なわれ、それが日蓮系の修学者に影響を及ぼし、偽作相次ぐ時でした。
この一連の背景を知れば、北山本門寺にて「本門戒壇の霊場・本門寺根源」を更に箔付けするために「日蓮大聖人から日興上人への相承書」を作成し、「当山に日蓮・日興の相伝」とやることは容易に推察できることです。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:11

 

324.文献考察は時代背景を踏まえよ 
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時51分

NO254について

▼ まず記述の如く、二箇相承の存在傍証としての文証は聖滅27年と99年にすでに顕れている。まず、この段階で山人君の妄想の前提根拠は崩れているのである。

△ 前に書いたように「二箇相承の存在傍証」に値しないよ。「日頂の本尊抄得意抄添書」「妙蓮寺日眼の五人所破抄見聞」ではね。だから山人さんは「全文登場」から論を起こしているんだろ。
それに、二書に関する考察は後から出てくるよ。早とちりだな。

▼ 次に、上記の資料をどう読んでみても、二箇相承が偽作されたなんら物的証拠にはならないし、状況的にも貴公が自らの妄執を元として夢物語を幻出しているに過ぎない。あくまで貴公の推測の範疇である。

△ おじさんもホントに歴史を知らないね。この「二箇相承書全文登場」の頃には日蓮系教団はいったい何やっていたんだい。全文登場以前も、以降も偽書偽作はお手のもの。おじさんは自分の頭の中で括って関係ない、ということにしただけだね。笑

・二箇相承書全文の登場は、1468年・応仁2年10月13日住本寺・日広が重須にて二箇相承全文書写の時。
・日興跡条々事らしきものの登場は、1476年・文明8年5月23日「日興上人大石寺の御置文」 連陽房聞書にて。
この頃には大石寺にあっても「二人の貫主」が武州仙波に行っていたんだよ。

◎ 更にその日頂の「本尊抄得意抄添書」妙蓮寺日眼の「五人所破抄見聞」の前ですら以下の状況よ。

・中古天台本覚法門の初期の文献としては1100年頃の「本理大綱集」1207年の「円多羅義集」があるね。

・1250年(鎌倉中期)から1300年(鎌倉末期)頃にかけては、「修禅寺決」(伝最澄)、「断証決定集」(伝最澄)、「三大章疏七面相承口決」(伝最澄)、「漢光類聚」(伝忠尋)、「法華略義見聞」(伝忠尋)がありますよ。

続いて1300年(鎌倉末期)から1350年(南北朝期)にかけては、
・1329年・元徳元年(滅後48年・日興入滅4年前) 比叡山の俊範から静明・心賀を経て心聡によって記述され、花園天皇に提出した「一帖抄」。
・「二帖抄(相伝法門見聞)」尊海(1253〜1332)が心賀から相伝を受け、同学の一海が筆録したものがあるのですよ。

◎ 大聖人の御書でも「立正観抄」で破折されているように、中古天台恵心流っていうのは大聖人以前から隆盛して「血脈相承といっては売り歩く」「天台宗の本来の血脈の法である妙法を忘れ余事を血脈とする」その相承書とされるものも「偽書ばかり」という状況だったのよ。時代背景として偽書偽作は横行していた、ということだね。

▼ 記述の如くの池田大作監修の「仏哲」に明確に二箇相承の存在を肯定している論述を破すには、あまりにも脆弱な論法である。

△ まだ池田SGI会長におすがりしてるのか、ホントにてめぇの力では何もできんのだな。日蓮正宗は。笑
あとどれくらい「池田先生」に助けてもらうのかい。要するに「根本教義の証明」に関しては「創価学会様、是非外護してくださいな」ってか。笑わせるな、ホントに。だらしない、自力でやってみろや。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:13

 

325.さすが唯授一人血脈相承=妄想信仰、証拠がなくても真筆だってさ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 17時58分
NO269について

(日代八通状)
▼ここも全くの山人君の想像・仮説・悪く言えば妄想の領域を出ない。

△ 反論不能。笑 後述するけど、北山本門寺は西山を意識し、対抗していたのよね。

(大石記について)
▼ こういう不確かな文献を持ち出してきてまで、自説を補強しようとする山人君は「狡猾」との謗りを免れないのではないか?

△ お宅の坊さんの発言ですよ。第6代のね、それにおじさんでは足元にも及ばない、学僧さんが肯定、解説してるけどな。月刊誌にも出てるし。笑

NO272について

▼ 日妙譲り状
1330年・元徳二年  「日妙譲り状」(富要 8-144 )
日蓮聖人の御仏法、日興慥に給はる所なり、就中日妙は三堂の本尊を守護申すべき仁なり、末代の為に日代判を以て証人として書写し畢ぬ、我か門弟等以後に於いて諍ふ事有るべからず候、仍て後日の為めに状件の如し。
元徳二年庚午二月十五日 日興在判  本門寺日妙に之れを授与す

(これにつきおじさん云く)
▼ 偽書と言うものは、まず前例があり、その事実に倣い、謀作されるものである。
全く目に触れぬものを、模倣しようが無い。
これはまた何を意味するのか?
つまり、この祖滅49年に偽托されたこの偽書は、既に唯授一人血脈相承の何らかの前例を認知していたが故に、その事例に倣って偽作されていると見ることができる。
以上の1,2の状況を鑑みるに、この該書は、まさに日興上人への二箇相承が存在し、更にまた日興跡条々事も存在し、大聖人の仏法が唯授一人血脈相承に依って日興上人・日目上人へと正統な伝持が周知の事実だったが故に、為された謀書ということができるのである。つまり山人君が提示した、該書はむしろ二箇相承・日興跡条々事の存在の傍証とも言えるのである。

△ では、元の書・お手本が真筆だったという証拠は?
F師が書いたとされるA書があった、A書を真似てB書が偽作された。更にA書、B書の影響を受けC書が偽作された。B、Cは偽作であるが、では、元のA書は本当にF師の筆によるものだったのか?
要するにお手本とされた「二箇相承書」「日興跡条々事」が真筆である証拠は?ということですわ。笑
夢ばかり見ちゃいけないよ、おじさん。

◎ 二箇相承書全文の登場は以下の時ですよ、これが真筆であるという証拠は?
1468年・応仁2年10月13日(滅後187年・大石寺は10代日乗の時) 
住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写

◎ 日興跡条々事らしき書の登場は以下の時ですよ、これが真筆であるという証拠は?
1476年・文明8年(滅後195年・大石寺は9代日有の時)5月23日
「日興上人大石寺の御置文」 連陽房聞書 (富要2-145)

◎ しかも日興跡条々事全文の登場は更に時代がくだるよ、これが真筆であるという証拠は?
1559年・永禄2年(滅後278年・大石寺は13代日院の時)2月26日
「日興跡条々の事」祖師伝 (富要 5-31 ) 
北山本門寺の少年貫首・大納言が大石寺の僧を招き、その僧の持参した「日興跡条々事」を日辰が書写したもの。

◎ 1581年・天正9年3/17の西山衆徒・武田兵による北山本門寺の重宝強奪事件後の、住職日殿等による重宝返還を訴える申状の案文が三通あるけど、この中に「日妙譲り状」があるね。この時には存在していた、ということだね。
本門寺日殿申し状の案 (富要 9-19 )
一通 日妙三堂本尊守護申すべき事、末代の為に日代を判証人として之を書写す我門弟等以後に於いて諍ふ事有るべからず、本門寺日妙に授与するなり
~天正九年辛巳林鐘十三日

 

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 メッセージ 198 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:13

 

326.北山本門寺が意識して抗したのは西山本門寺よ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時1分

◎ 更におじさんは「日妙譲り状」がさも「日興跡条々事」を意識して作られたかのようにいうけど、北山本門寺にとって対抗する比重は西山本門寺の方が重かったようだよ。
「日妙譲り状」の文面を読んでごらん。「日代判を以て証人として書写し畢ぬ」と、日興⇒日妙の血脈を証するのに日代を証人とさせたんだってさ。明らかに対西山のものになっているね。

更にさ、「日殿の申し状」も読んでごらん、
富士山本門寺申状の案
一、当寺は開山日興より弟子日妙に本門寺の本尊等の授与三百年に及び顕然たる事、付たり八通の置状に超過の証文相承等数通之有り。
ってね。「日代八通の譲り状」を強く意識しているよ。笑

◎ 「大石記」に「助に對して御物語に云く 應永十一(1404年)、三月十五日早旦に於イて。(中略す) 而るに日代は数通の御譲リ状を持チたりと云へども・既に迹門得道の上は争テか言ふに足るべけんや」とあるように、1404年には「日代への譲り状」が存在しているね。
1404年・應永11年 日代への数通の譲り状
1476年・文明8年  日興跡条々事らしき書
1559年・永禄2年  日興跡条々事全文
1581年・天正9年  日妙譲り状

どれが先で真似した時のお手本はどれ、とは断定できないけど、「全て日興上人真筆ではない」ということだけはいえるね。笑

妄想が妄想を追い・・・止まらなくなっているね。
妄想、夢物語ばかりだね、日蓮正宗・大石寺の信者は。笑

NO275について
山人さん云く
これに対し「1468年・応仁2年に住本寺・日広書写ならば、日興上人御所持のものがそのまま北山本門寺に伝承されていた、ということであり、偽作云々は当て推量ではないか」という意見もあります。
なるほど、もっともらしいのですが
「それこそ、当て推量です。あなたの思考の前提は日蓮⇒日興に二箇相承書となってしまっています。日蓮・日興の上代のどこに二箇相承書の証拠があるのですか。ここまでの考察で見たように、時代背景、登場の仕方、北山本門寺を取り巻く状況では偽作ですよ」と追及することになります。

おじさん云く
▼ 山人君の「ここまでの考察」自体が既にその細部にわたって悉く摧破した如く、貴公の「二箇相承は無い」との前提からの「当て推量」であった。依って、山人君自身ももう少し客観的な見地に立つべきであるのではないか。

△ 残念だったな、おじさん。「日興跡条々事」を手本に「日妙譲り状」といったはいいが、北山本門寺が意識して対抗したのは「日代判を以て証人として書写し畢ぬ」とある如く、西山だったな。「宗祖御遷化記録」についても「二箇相承書」を前提にしている故、「総じてのもの」などと勝手な怪釈をしたはいいが、「一弟子六人の事 不次第」は誰が何をいおうが「日蓮大聖人の御意であられる」のであり、揺るぎないな。
何よりも「唯授一人血脈相承」を前提にした怪釈では、全て的を外すな。笑

山人さん云く
⇒ まず与えて論ずれば
・上記文献から推測するならば、日頂の認識として「本尊抄得意抄添書」の『興上・一期弘法の附属を受け日蓮・日興と次第』があり、これをモチーフにして、後世・1400年代後半以降の身延相承書の文面が創作された、という方が自然でしょう。

おじさん云く
▼ 全くの憶測であり、根拠なし。故に失当である。

△なんら反論となっていない。単なるいいがかり。歴史考証のイロハを知るべし。

 

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 メッセージ 199 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:13

 

327.大石寺の相承書は追及されるのよ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時4分

NO276について

1308年・徳治3年9月28日(大聖人滅後27年)、六老僧の一人・日頂「本尊抄得意抄添書」(日蓮宗宗学全書1-44)
の記述について山人さん云く
⇒ 次に奪って論ずれば
・日頂の「本尊抄得意抄添書」なる書が、日頂真筆との根拠はどこにあるのでしょうか。
日宗全に編者云く「この書原本佐渡世尊寺の所蔵に係る、未だ真偽を断ずべからず」とあります。文献は真偽未決扱いとなっています。

おじさん云く
▼ では聞くが、山人君が提示してくる文献は全て真偽の詳らかな物だけか?
自分の妄想に都合のいい文献は真偽関係なく例示しているではないか?
自分のしていることをよく胸に手を当てて沈思黙考してみたら如何か?

△ きゃはは、いったい何回同じことを聞くんだろ。苦しいんだろうな。では、再掲してやるか。以下、過去におじさんがなした同様の指摘に対する山人さんの説明を再掲

※ しかし、「相承書」は違います。今日では六老僧それぞれの門流が、規模の大小はあれ確立されており、相承書の真偽は「それぞれの教団の存立に直結」する問題となります。故に「相承書の真偽判定」は全日蓮門下をして納得せしめるものがあらねばならず、一宗派内のみで「これがわが門祖への相承書だ」としたところで何の意味も無いのです。客観的な鑑定、伝承の経緯等の情報公開、それの調査・分析が必要となります。
なんといっても
・大聖人は相承書なるものによって、特定の一人のみへの付属を期されていたのか否か。
・大聖人は唯授一人血脈相承により、令法久住を期されていたのか否か。
・大聖人は唯授一人血脈相承を実際に行なわれたのか否か。
・大聖人の仏法は相承書などによらない、「信心の血脈」により時代、時代に確立されるものなのか、否か。
という、宗祖の教義、思想に直結してくる問題であり、内容はどちらの主張どおりになるかは別としても「一つの日蓮像」ができあがり、そこに信を取るのですから、「相承書の真偽は重要な問題」なのです。

「戒壇板本尊」も同じく、その意味する方向性は「相承書」とほぼ同じであり、
・大聖人は特定の一つの本尊を出世の本懐とされたのか否か
・その本尊は本門戒壇に安置の本尊なのか、否か
・それを実際に唯授一人で秘密に相承されたのか否か
などですね。
特に「相承書」を申告したところは過去に数多あったわけですが、日蓮正宗・大石寺を除き、今日では、ほとんどが引っ込めてしまっていますね。
「相承書」により正統とするのではなく、信仰実践により宗祖とつながりゆく、という本道の選択ですね。
一人日蓮正宗のみが声高に主張しているのです。「出世の本懐の板本尊だ」「御法主上人ゲイカが唯授一人血脈相承を継承される」等々と、ならば客観的な証明を求める、というのも当然至極なことなのです。
ですから「謗法の輩には」などと、どうのこうのというのではなく、素直にストレートに証明すればいいのです。それを頑なに拒否し、史実を「都合よく」解釈し、「憶測、推測を積み重ねて」証明しようとしてばかりいるから、破折・指摘を受け続けているのです。

 

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 メッセージ 200 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:14

 

328.こらこら、わざとボタンを掛け違えるか 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時7分

山人さん云く
別角度ですが、この時代の他文献には「日蓮=本門教主」との思想はまだ見られません。
該思想は1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」以降に明確化されます。
故に、「二箇相承書・上代存在の証明」として引用した「本尊抄得意抄添書」は、室町・戦国期の頃の作ではないかと推測されます。

おじさん云く
▼ 大聖人こそ仏である。と御自ら仰せではないか?
仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。
教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐します。
夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。
日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。
古文書漁りばかりしていると、こういう基本が分からなくなるのか。
当流には日蓮聖人を以て本門の教主と仰ぐ所なり、

△ こりゃおもしろいや、わざとボタンを掛け違えておすましかい。笑
該文証を知らぬレベルで「戒壇板本尊」を云々する俺達かい。大笑
指摘してるのは門下が大聖人を「日蓮=本門教主」と仰いだ文証だよ。山人さんが言っているのは門下による「日蓮=本門教主」との文証ですよ。
真偽未決書「本尊抄得意抄添書」に「日蓮=本門教主」が有る、故に該書は「偽」に近づくということだよ。

「だから何?既に根拠が総崩れである。」といって文証を羅列、次に「山人君、心して拝し給え。貴公は貧欲・瞋恚・愚癡という酒に酔い痴れて、末法の御仏を軽しめ、侮っている大謗法者である。」といったところで、「だから何?」だわね。笑

 

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 メッセージ 201 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:14

 

329.これが「大聖人が御自ら仏と仰せられた」文証だって? 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時12分

では、おじさん引用の文証の検討といくか。笑 数字の横は引用された切り文 笑

@ 仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。
蓮盛抄 建長七年 三十四歳御作 P152
夫れ仏は一切衆生に於いて主師親の徳有り・若し恩徳広き慈父をふまんは不孝逆罪の大愚人・悪人なり

⇒ 建長七年のこの段階で「大聖人が自身=仏」とされるかよ、常識でわかるだろ。いかんよテキトウコピーは、釈尊のことだわね。

A 教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐します。
念仏無間地獄抄 建長七年  三十四歳御作 P97
此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す・此の仏を捨て他方の仏を信じ弥陀・薬師・大日等を憑み奉る人は二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり

⇒ 分かるかい?同じだよ、教主釈尊ね。

B 夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。
開目抄上 文永九年二月 五十一歳御作 P186
夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。

⇒ これは一切衆生が尊敬すべきものとして主師親具備の仏をいわれたもので直接大聖人を指すものではないね。

C 日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。
開目抄下
日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い・天台大師の南北並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし・皆法華経のゆへなればはぢならず・愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気をかほれば天台真言の法師等悦ばしくやをもうらん・かつはむざんなり・かつはきくわいなり、

⇒ これは日蓮大聖人が自身を仏とされた文証と思いきや、同じ文永九年の「祈祷抄」では

祈祷抄   文永九年 五十一歳御作
仏は人天の主一切衆生の父母なり而も開導の師なり、父母なれども賎き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母主君なれども師匠なる事はなし諸仏は又世尊にてましませば主君にてはましませども娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず釈迦仏独主師親の三義をかね給へり、

⇒ やはり、釈尊=主師親の三義をかね給へる仏だわね。笑
「祈祷抄」の「仏は人天の主一切衆生の父母なり」に対し、開目抄は「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり」とあるね。

「大聖人こそ仏である。と御自ら仰せではないか?」ほい、仰せでなかったね。笑
「古文書漁りばかりしていると、こういう基本が分からなくなるのか。」だってさ、知らぬ。笑
「ニッケンゲーカ」の「誤内証」を信じる輩はこの程度、基本的な文献引用が全くなっていないね。口伝といい仏といい、ね。笑

 

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 メッセージ 202 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:14

 

330.あの文証もこの文証も使えないね 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時15分
NO277について

ここも「大聖人こそ仏である。と御自ら仰せ」としたおじさん引用の文献チェックを行くよ。笑

D 釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ。経に云はく「如来秘密神通之力」是なり。如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。
▼ ここに仰せの「凡夫」こそ、日蓮大聖人であることは論を待たない。

⇒ 諸法実相抄 文永十年五月 五十二歳御作だね。
いいかい、大聖人は同じ御文で
「地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし」 と、妙法蓮華経の五字=題目を弘通する、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す=本尊を図顕するのは上行菩薩である、と明言しているよ。鎌倉時代に妙法蓮華経を弘通し、本尊を図顕したお方は誰よ?笑

この題目の弘通・本尊の図顕は地涌の菩薩の上首・上行菩薩でなければできえない。その故はこれが本門寿量品の事の一念三千の法門であるからであって、「是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり」と記述されている。
上首上行菩薩が弘通する法体・妙法蓮華経に対すれば「されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり」であって「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」なのよ。これは妙法蓮華経が仏の生命の常住不滅の体であって、釈迦・多宝の二仏といってもこの妙法蓮華経という体が表わす働きに他ならない、ということだね。

次に「経に云く」として、寿量品の文「如来秘密神通之力」を挙げている。「如来秘密は体の三身にして本仏なり」と、「神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」と。

続いて
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、」
これは当抄の冒頭に有る一説を踏まえねばいけませんな。
「問うて云く法華経の第一方便品に云く『諸法実相乃至本末究竟等』云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり・依報あるならば必ず正報住すべし(略す)されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし」
とね。
十界の依正の当体が妙法蓮華経であり、妙法蓮華経が本仏だから、十界の衆生即ち凡夫が本仏である。これに対すれば釈迦仏を始め経文に説かれるあらゆる仏は迹仏である、ということになるわね。故に次の「仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」ということとなり、この文の意は以下の「御義口伝」にも通じるものがあるよ。
御義口伝 P716 
第三唯以一大事因縁の事  衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す。
苦悩の衆生の機根に応じて仏は出現するのだからね。衆生なくば仏なしですから。

更に大聖人はこうもいわれてますよ。
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那地涌の流類に非ずや、経に云く『能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり』と、豈に別人の事を説き給うならんや」
御自身を指して「地涌の菩薩のさきがけ」とね。笑

ということで、大聖人お一人が本仏との文証ではありませんでした。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:14

 

331.切り文だらけだねぇ 笑
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時23分
E 末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり

⇒ 前から読みなよ。
御義口伝 P766
第十二常不軽菩薩豈異人乎則我身是の事 
御義口伝に云く過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類いは不軽なり云云。

第十三常不値仏不聞法不見僧の事
御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賎するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賎せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云。

「釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり」とあるように、「釈尊=寿量品の教主=我等法華経の行者」とあるよ。更におじさんが引用した文は「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」と続くな。「僧とは大聖人と連なる行者であって、その人達は仏といわれ、凡夫僧ともいわれる」ってね。笑
要はここは「凡夫即仏法門」を説かれたところさ。
同様の文証は沢山あるよ。

・我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり P720
・今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり    P753
・如来とは三界の衆生なり、此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり                                P753
・本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず〜桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり             P784
・無上道とは寿量品の無作の三身なり此の外に成就仏身之れ無し、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は成就仏身疑無きなり              P759
・法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり、然る間王位を継ぐ可きなり悉是吾子の子と是真仏子の子と能く能く心得合す可きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり                         P743

ここも大聖人一人が本仏との文証ではありませんでした。笑

F 日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし

⇒ まずは全文読んだほうがいいよ。
一谷入道御書  建治元年五月八日 五十四歳御作
P1327 今の日本国は法華経に背き釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん事はさておきぬ今生にも必ず大難に値うべし(略す)
娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり、大地虚空山海草木一分も他仏の有ならず、又一切衆生は釈尊の御子なり、譬えば成劫の始め一人の梵王下つて六道の衆生をば生て候ぞかし、梵王の一切衆生の親たるが如く釈迦仏も又一切衆生の親なり、又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし、父母を知るも師の恩なり黒白を弁うも釈尊の恩なり(略す)
日蓮は愚なれども釈迦仏の御使法華経の行者なりとなのり候を用いざらんだにも不思議なるべし、其の失に依つて国破れなんとす、況や或は国国を追ひ或は引はり或は打擲し或は流罪し或は弟子を殺し或は所領を取る、現の父母の使をかくせん人人よかるべしや、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかし是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし、たのもしたのもし。

「釈迦仏を捨つる故に後生は必ず無間大城に堕ちん」「娑婆世界=教主釈尊の御所領」「一切衆生は釈尊の御子」「釈迦仏も又一切衆生の親」「又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師」・・・。
分かるかい。大聖人は「釈迦仏の御使法華経の行者なり」「釈迦仏の御使を用いなければ亡国となる」「現の父母の使」とした上で「日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかし」と言われているんだよ。自身に「主師親の三徳具備」とされるもそれは「釈迦仏の御使い」としてのことであるのさ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:14

 

332.まだまだ続くよ 笑
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時26分
G 日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。
⇒ これもきちんと読みな。
撰時抄  建治元年 五十四歳御作 P265
釈子 日蓮 述ぶ
法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり、而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給うべき・地神いかでか彼等の足を戴き給うべき、

だいたい冒頭からして「釈子 日蓮」だよ。分かるこの意味?
当該文の前にも「法華経をひろむる者は」とあるけど、どういう立場で法華経を弘めるのさ?
同じ建治二年の「一谷入道御書」に「日蓮は愚なれども釈迦仏の御使法華経の行者なり」とあったでしょ。
該文が「日蓮=本仏」の文証とは、弱い弱い。笑

H 余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。経に云はく「即ち如来の使なり」と。又云はく「眼目なり」と。又云はく「日月なり」と。

⇒ これもきちんと読みなよ。
下山御消息 建治三年六月 五十六歳
前にこうあるよ。
「抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給いて記し置き給う記文に云く『我涅槃の後無量百歳』云云仏滅後二千年已後と見へぬ、P348」と「釈尊は一身に三徳を備へ給へる仏」とね。
そして当該文は
「自讃には似たれども本文に任せて申す・余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く『即如来の使なり』と又云く『眼目なり』と又云く『日月なり』と章安大師の云く『彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり』等云云P355」
とあり、「主君の御使」「即如来の使なり」ですからね。おわかり?笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:15

 

333.唯授一人血脈相承信仰者には通用するらしいが、俺達には文証にならないね 笑 
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時28分

I 貧欲・瞋恚・愚癡と申すさけにゑひて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなづる、つねにみへて候。

⇒ ほい、これも読むか。
「兵衛志殿御返事 建治元年十一月 五十四歳御作 P1090
皆人のをもひて候は父には子したがひ臣は君にかなひ弟子は師にゐすべからずと云云、かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候、但師と主と親とに随いてあしき事をば諌ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。 」
と、前に見たように建治元年のこの時期は「釈尊=仏」ですよ。これがどうして大聖人=仏の文証なのかな?笑

J 日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。今久遠下種の寿量品に云はく「今此三界皆是我有=主君の義なり= 其中衆生悉是吾子=父母の義なり= 而今此処多諸患難=国土草木= 唯我一人能為救護=師匠の義なり=」と云へり。三世常恒の日蓮は今此三界の主なり。「日蓮大恩、以希有事、憐愍教化、利益我等、無量億劫、誰能報者」なるべし。産湯相承事
貴公がもし産湯相承事にまで疑義を差し挟むのであれば、この御文は他の御聖筆と意義を同じくするが故に、むしろ真蹟なりとの証明になる。

⇒ 残念だったね、おじさん。「他の御聖筆」はどれ一つ「日蓮=仏」の文証たりえなかったな。笑
産湯相承事については前出、使えず。真筆持ってこい!だね。笑
それにこの書が大石寺歴代貫主のみの相承書って証拠はないよ。笑

K 百六箇抄の文
自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。
久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本、今日は迹なり。三世常住の日蓮は名字の利生なり。百六箇抄

⇒ 以前の山人さんの考察で指摘済み。京都日尊系の相承書だわね。笑
その京都こそ、比叡山の近くにあって中古天台恵心流・天台本仏論の影響を受けていた所よ。笑

 

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 メッセージ 206 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:15

 

334.日蓮正宗信者の文証引用はつまらんな 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時31分

L 爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻み、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。五人所破抄

▼ここなどは貴公も既に引文したではないか。
既に上古に「大聖人=本仏」との教義は顕示せられていた証拠である。

⇒ おじさん、ホントに底が浅いな。
「先師・日蓮大聖人は釈尊より神力品第二十一の別附属を受けた上行菩薩再誕として、末法の主であられたが〜」ということだけど、これは大聖人自身の文証とも通じるものがあるよ。笑
いいかい、再掲するよ。

・一谷入道御書  建治元年五月八日
日蓮は愚なれども釈迦仏の御使法華経の行者なりとなのり候を用いざらんだにも不思議なるべし、其の失に依つて国破れなんとす、況や或は国国を追ひ或は引はり或は打擲し或は流罪し或は弟子を殺し或は所領を取る、現の父母の使をかくせん人人よかるべしや、日蓮は日本国の人人の父母ぞかし主君ぞかし明師ぞかし是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし、たのもしたのもし。

・下山御消息 建治三年六月 五十六歳  P348
抑釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給いて記し置き給う記文に云く『我涅槃の後無量百歳』云云仏滅後二千年已後と見へぬ、(略す以下、P355)自讃には似たれども本文に任せて申す・余は日本国の人人には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり、一には父母なり二には師匠なり三には主君の御使なり、経に云く『即如来の使なり』と又云く『眼目なり』と又云く『日月なり』と章安大師の云く『彼が為に悪を除くは則ち是彼が親なり』等云云

・同じ「五人所破抄」に、こういったのがあるのを隠しちゃいかんぞ。
「日興公家に奏し武家に訴えて云く。日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり」
「今末法に入つては上行出世の境本門流布の時なり正像已に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや、就中天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所解釈炳焉たる者なり」と「上行菩薩再誕」とね。笑

M ・此の品の題目は日蓮が身に当たる大事なり。神力品の付嘱是なり。如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。
・無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。
・無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云ふなり。

⇒ 「御義口伝 P752」ね。
「御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。」

「今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり」
「唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり」
ですよ。
正に「凡夫即仏法門」だけど、これがどうして「日蓮=仏」になるの?おじさん大丈夫かい。笑

▼ 以上、貴公の妄論の前提を完摧した。貴公の立論はどこをとっても全くの失当である。

△ 以上、おじさんの切文は全部指摘した。笑
レベル低いねー、やり直しだね。
えっ、では「日興上人に日蓮大聖人をほとけ聖人とされている文証がある」ってかい?ほい、承知してますわ。なら出してね。待ってるよ。笑

 

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 メッセージ 207 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:15

 

335.ゲーカの御内証によるべし、邪宗だね 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時47分
NO278について
山人さん云く
・「御本尊七箇相承」について一例を挙げれば、同書に
「七 日蓮と御判を置き給ふ事如何〜日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん」
「一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」
とあります。しかし、日興上人書写の御本尊には「日蓮在御判」ではなく「日蓮聖人」と認められた本尊があり、現証が文証を否定するおかしな事態となっており、当然確実なる日興上人書写本尊を採用し、同時に真筆の無い「御本尊七箇相承」は否定されることとなります。
尚、日目にも同様の「日蓮聖人」本尊が確認されています。

正応三年十月八日  僧日仙に之を授与す 讃岐本門寺 (富要 8-213 )
正応○年○月八○  山梨県中巨摩郡昭和町 正法寺 日興上人御本尊集 (興風談所)

ということで、「御本尊七箇相承」引用の「本因妙口決」は後代の書である、ということになります。

おじさん云く
▼ 簡単である。
常随給仕・師資相伝・唯授一人・血脈相承による御本尊御書写の深義は文に表わされた七箇相承の御事のみではない、ということである。
もしそうではないと否定するならば、では聞くが、七箇相承を読んだ者は全て御本尊書写ができるのか?
だとすれば山人君、貴公こそ、いの一番にその書写できる証拠を見せて本尊書写をしてみてくれたまえ。呵々

△ これまた簡単だな。笑
「師資相伝・唯授一人・血脈相承による」を証明しな。
都合の悪いことはすぐに「唯授一人血脈相承」だの「御本尊」に逃げ込む。ここに日蓮正宗の体質が典型的に出ているね。それで一方では「学術的に」「学問的に」とかっていってんだから「大笑い」だよ。
どうだい、御本尊書写に関し特別な相承書がある、と証明してみなよ。
まあ、「御本尊七箇相承」を追及され「唯授一人血脈相承」逃避と、駄文の書き連ね・・・こんなヨタった返答じゃ、勝負ついたな。笑

おじさん云く
▼ 血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。
まさに御本尊御書写に関しては全く余人が知る能わざる御境地である。
貴公のような大聖人を御本仏と仰げないような古文書を偏執的に漁っている身延摺りの似非信者が云々するのはおこがましいと言うべきである。

△ ほーら、苦しくなると必ず出す「本因妙抄」。笑
「又日文字の口伝産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。
=弘安五[太歳壬午]十月十一日 日  蓮 在御判」
ってあるけど、「二箇相承書」「御本尊七箇相承」が真筆である証拠は?「唯授一人血脈相承」を大聖人がやられた証拠は?笑
「全く余人が知る能わざる御境地」=誤内証こそ、日蓮正宗の邪宗たる所以だよ、おじさん。笑

 

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 メッセージ 208 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:16

 

336.唯授一人血脈相承信仰者が学問?笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時55分
NO279について

山人さん云く
注意すべきは今日、三位日順作とされる文献で「三位日順の真筆はなく、写本ばかりである」ということです。このような観点から、三位日順作の文献引用は、その内容の考察も踏まえなければならず、慎重を要されるといえます。

おじさん云く
▼ 既に指摘した。貴公は自らの都合で真偽関係なく引用している。
全くもって卑怯千万な態度でおよそ学問とは言いがたい。

△ けはっ、日達説法を明証といい、追及されれば「信じなさい」と答える。「御本尊七箇相承」を追及すれば「御本尊御書写の深義は文に表わされた七箇相承の御事のみではない」とノタマウ。「戒壇板本尊」の真偽を追及すれば「学会幹部の昔の擁護発言」ばかり。「二箇相承書」を攻めれば「人の論文のコピー」を垂れ流す。「日興跡条々事」も「以前学会も信じていたろ」で直接証明を回避・・・・これの何所が「学問」なのよ。笑

山人さん云く
◎1318年・文保2年11/24  表白  (富要 2- 11)
我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍つて日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立つて大日山と号するか、
・「我が朝は本仏の所住なるべき故に」で、「我が朝は本仏=日蓮大聖人の所住なるべき故に」と読むかもしれません。
しかし、「表白」より10年後の同じ三位日順による「五人所破抄」では、「日蓮大聖人=上行菩薩再誕」が保持されており、「上行菩薩は教主釈尊初発心の弟子」ですので、「表白=日蓮本仏」の文証とはなりえないわけです。
末法利益の正法は、今は上行再誕の日蓮大聖人によって、日本に打ち立てられている故に「我が朝は本仏の所住なるべき故に」となるのでしょう。

おじさん云く
▼ どう読んでも、山人君が無理やり持論へ文書を捻じ曲げて嵌め込んでいる様が明確になるだけである。該文の直前に
「就中づく霊鷲山・天台山・比叡山は共に法華弘通の地なり。然りと雖も彼は皆垂迹にして未だ本を顕さず、其の故は天竺をば月氏と号す、即月の国なる故なり。漢土をば震旦と名く、星の国たるによりてなり、」とあり、
該文と合わせ拝するとき、まさに本地と垂迹との相違を明白に、該文「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・云々」と続くのであるから、どう読んでも日蓮大聖人=本仏との表示である。

△ ぶぶっ、笑
「霊鷲山・天台山・比叡山は共に法華弘通の地なり。然りと雖も彼は皆垂迹にして未だ本を顕さず」⇒ 正像二千年の法
「我が朝は本仏の所住なるべき故に」⇒ 末法万年の法・妙法蓮華経の在す国・・・「諸法実相抄・釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ」
なのよ。そして山人さん指摘のとおり三位日順の著作は大聖人について「上行菩薩」なのですわ。笑
本文でも
「今・末法万年の良薬は上行所伝の本門の肝心・妙法の五字なり、」
「之を以つて之を思ふに末法は本門弘通の時節・上行の付囑分明なり、然りと雖ども白法隠沒して本門の弘通をも信ぜず、闘諍堅固なれば上行の出世をも知らず、還つて杖木の難を蒙ることは不軽菩薩の如く」
とあるわね。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:16

 

337.日蓮正宗の「らしく見せる」話術に注意しろ!
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 18時58分
山人さん云く
1328年・嘉暦3年 7月 五人所破抄 日代筆 三位日順草案 P1611
日興公家に奏し武家に訴えて云く。 日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり、(中略)
就中天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎え て恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所解釈炳焉たる者なり。

おじさん云く
▼既述したが、該書冒頭に
「爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」とある。
この意は、神力品の別付嘱を受けられた「末法の主」である御先師日蓮大聖人、という意義である。この「末法の主」とは如何なる意味であるかといえば、この冒頭の前文を見るに、「夫以れば諸仏懸遠の難きことは譬へを曇華に仮り、妙法値遇の縁は比を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて、正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩く人には弊悪の機のみ多し、何の依憑しきこと有らんや。設ひ内外兼包の智は三祇に積み大小薫習の行は百劫を満つとも、時と機とを弁へず本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。爰に先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」
ここの「正像二千の弘経も稍過ぎ已はんぬ。」との文は、当然のことであるが、釈尊二千年の脱益仏法の終焉を意味しており、その後の「末法の主」とはまさに下種の本仏との意義である。

△ 「釈尊二千年の脱益仏法の終焉」は教学の基本、「その後の『末法の主』とはまさに下種の本仏との意義である。」はおじさんの強弁。他方で「上行菩薩再誕」とある。
怪釈と「文証」では、どちらを採るかは明白だな。笑
一方で「日蓮大聖人は末法の主」更に「上行菩薩」とある場合の読み方については、一方で「教主釈尊主師親三得具備」一方で「日蓮大聖人に主師親」とある「一谷入道御書」「下山御消息」を合わせ拝せばその意は明瞭ですわ。大聖人自身の教示を基準に門下の記述は読むべし、だ。

山人さん云く
日興公家に奏し武家に訴えて云く。 日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり

おじさん云く
▼ 凡そ仏法は所対に従って法を説くのである。
諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、偏執すること勿れ。
この箇所は日興上人が「公家に奏し武家に訴えて」奏文をされた箇所である。
が故に法華経文上における上行菩薩が理の指し示すところ「日蓮聖人」であり、そのお立てになった仏法に帰依しなければならない。と訴えられたところである。
謗法の為政者に向かっては、徒な不審を起こさせるが故に、直ちに日蓮大聖人の本地が下種本仏である意義を説かれないのは当然過ぎるほど当然である。

△ おじさんの怪釈もだんだん極まってきたな。
日蓮大聖人=自身で仏とされた文証なし。日興上人=大聖人を仏とされた文証なし。(これについての反論も承知。待ってるぜ・笑)前例がないという現実、それでどうしてかような解釈ができるのかい。現在の日蓮正宗・大石寺の発想からの捉え方だな。今の思考だけで上代の文献を読むのは誤りだな。
板本尊、ニセ相承書、ないものだらけの日蓮正宗が「らしく見せる」為に必要としてきたのは「話術」だけだった、その見本みたいなものだね。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:16

 

338.二仏並座の儀式を作り顕すべき人は誰だ 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時1分

NO280について

山人さん云く
◎ 1342年・興国3年・康永元年 3/14  誓文  (富要 2-28 )
別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす、
・「別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り」で一瞬「日蓮大聖人=本仏」とも思いそうですが、前ページにこうあります。
「抑も日蓮聖人は・忝くも上行菩薩の後身・当時利益の大権なり、未了の者の為めに事を以つて理を顕すの昔は・虚空会に出現して以要言之の付嘱を受け、後五百歳に必ず流伝すべきの今は・扶桑国に降臨して広宣流布の実語を示し玉ふ、」
日順は「日蓮大聖人=上行菩薩の後身」としています。
・該当箇所は前から読めば
「或は親疎有縁の語に依つて非を以て理に処し、或は富福高貴の威を恐れて法を破り礼を乱る、若しくば妄情自由の見を起して悪と知つて改めず若しくば正直無差の訓を聞き善と知つて同ぜざる者は、仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行無辺行等普賢文殊等の諸薩た・身子目連等の諸聖・梵帝日月四天竜王等・刹女番神等・天照八幡等・正像の四依竜樹天親天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす、」
となっており、正法違背の者が「妙法曼荼羅=本尊総体の日蓮聖人」の罰を受ける様を述べるくだりでの一表現でしょう。
長くなりましたが、三位日順=日蓮本仏論者とは速断でまない、ということですね。

おじさん云く
▼ まさに我田引水・牽強付会の手本のような箇所である。
1、「別して本尊総体の日蓮聖人」とはまさに人即法・法即人の御本仏の境地を表しているではないか。
しかも前段に掲載した同じく三位日順師の五人所破抄の
「先師聖人親り大聖の付を受けて末法の主たりと雖も云々」とはまさに大聖人が末法の御本仏との意ではないか。山人君、全然、ダメ! である。

△ 「『別して本尊総体の日蓮聖人』とはまさに人即法・法即人の御本仏の境地を表している」とはね。笑
前に出た「諸法実相抄」を引用するよ。
「地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし」 と、妙法蓮華経の五字=題目を弘通する、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕す=本尊を図顕するのは地涌の菩薩の上首・上行菩薩である、と明言しているよ。鎌倉時代に妙法蓮華経を弘通し、本尊を図顕したお方は誰よ?笑
無様だね。現在の日蓮正宗・大石寺の思考で上代の文献を読むと穴に落ちるな。笑

「五人所破抄」は前出。
「まさに我田引水・牽強付会の手本のような箇所である。山人君、全然、ダメ! である。」毎回投稿の度にこういう表現で読者に印象付けるのは、内容がないからだな。諸賢は見抜いているぞ。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:16

 

339.三順とて
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名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時3分

NO287について

おじさん云く
▼ このように数こそ少ないが年号と干支の書き方は一様ではなく、山人君のようにすべてを適格で押し切ってしまう論議は乱暴と言うほかはない。

△ ここについては山人さんは以下のようにいっている。
⇒ 三位日順の他の書き物も写本ばかりですが、これらは「この時代の一般的書き方の年号・年数・年・干支・月日」となっています。

・本門心底抄  (富要 2-36 )
時に貞和五年(1349年)已丑半夏中旬の比・甲州下山・大沢草庵に於いて独住の日順・慎み敬つて憶念す。

・日順阿闍梨血脈  (富要 2-24 )
時に建武三年(1336年)大歳丙子九月十五の天、甲州下山大沢の深洞に処して日順謹んで乃を図す。

・用心抄  (富要 2-18 )
時に建武第三(1336年)太歳丙子仲冬(11月)二十四日、甲州下山大沢の草庵に於いて・且は令法久住の為め・且は門徒の繁昌を念ひ智目闇き上に肉眼盲たりと雖も、愚案を廻らす大概ね件の如し。

ここで自分が付け加えさせてもらうと

・表白  (富要 2-12 )
文保二年(1320年)十一月二十四日、重須の談所に於いて一座の論談を致す講師の表白。

・誓文  (富要 2-28 )
暦応五年(太歳壬午)(1342年)暮春十四日・駿州富士山麓・報恩会合の次でに興師の余流・本門の持者・道俗同心に評議し訖る。
本門寺学頭日順敬白。

・摧邪立正抄 (富要 2- 51)
時に貞和六暦暮春中旬の候・日学法師の邪筆に就いて富山門徒等之れを注す。

・念真所破抄
念真所破抄下山坊主日順の御作なり、文和五年(1356年)八月十五日・甲州下山大沢の御坊に於いて伝授し畢んぬ、学頭坊遺跡・治部阿闍梨日伝生年二十一歳。

◎ 三位日順の著作で年月日のあるものにつき、「摧邪立正抄」「用心抄」の「年が書かれていない」ものを除き、他の著作は「この時代の一般的書き方の年号・年数・年・干支・月日」となっているのよね。
それに対し「五人所破抄」「五人所破抄見聞」が「年号・年数・干支・年月日」となっていることにつき、疑問を呈しているわけよ。
確かにおじさんのいうように、「秋山家の書状」の如く同一人物が異なる書き方をした事例もある。しかし、三位日順の場合は、この時代としては教養のある学僧だわね。しかも重須談所二代学頭ね。そんな人物が簡単に書き方を変えるか?というところが疑問なのよ。故に富要掲載の「五人所破抄」が書写された時、更に「五人所破抄見聞」を作った?書写した?時点というのは戦国末期以降とも推測されるわけよ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:17

 

340.三位日順という人は
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時4分

NO287について

おじさん云く
▼ このように数こそ少ないが年号と干支の書き方は一様ではなく、山人君のようにすべてを適格で押し切ってしまう論議は乱暴と言うほかはない。

△ ここについては山人さんは以下のようにいっている。
⇒ 三位日順の他の書き物も写本ばかりですが、これらは「この時代の一般的書き方の年号・年数・年・干支・月日」となっています。

・本門心底抄  (富要 2-36 )
時に貞和五年(1349年)已丑半夏中旬の比・甲州下山・大沢草庵に於いて独住の日順・慎み敬つて憶念す。

・日順阿闍梨血脈  (富要 2-24 )
時に建武三年(1336年)大歳丙子九月十五の天、甲州下山大沢の深洞に処して日順謹んで乃を図す。

・用心抄  (富要 2-18 )
時に建武第三(1336年)太歳丙子仲冬(11月)二十四日、甲州下山大沢の草庵に於いて・且は令法久住の為め・且は門徒の繁昌を念ひ智目闇き上に肉眼盲たりと雖も、愚案を廻らす大概ね件の如し。

ここで自分が付け加えさせてもらうと

・表白  (富要 2-12 )
文保二年(1320年)十一月二十四日、重須の談所に於いて一座の論談を致す講師の表白。

・誓文  (富要 2-28 )
暦応五年(太歳壬午)(1342年)暮春十四日・駿州富士山麓・報恩会合の次でに興師の余流・本門の持者・道俗同心に評議し訖る。
本門寺学頭日順敬白。

・摧邪立正抄 (富要 2- 51)
時に貞和六暦暮春中旬の候・日学法師の邪筆に就いて富山門徒等之れを注す。

・念真所破抄
念真所破抄下山坊主日順の御作なり、文和五年(1356年)八月十五日・甲州下山大沢の御坊に於いて伝授し畢んぬ、学頭坊遺跡・治部阿闍梨日伝生年二十一歳。

◎ 三位日順の著作で年月日のあるものにつき、「摧邪立正抄」「用心抄」の「年が書かれていない」ものを除き、他の著作は「この時代の一般的書き方の年号・年数・年・干支・月日」となっているのよね。
それに対し「五人所破抄」「五人所破抄見聞」が「年号・年数・干支・年月日」となっていることにつき、疑問を呈しているわけよ。
確かにおじさんのいうように、「秋山家の書状」の如く同一人物が異なる書き方をした事例もある。しかし、三位日順の場合は、この時代としては教養のある学僧だわね。しかも重須談所二代学頭ね。そんな人物が簡単に書き方を変えるか?というところが疑問なのよ。故に富要掲載の「五人所破抄」が書写された時、更に「五人所破抄見聞」を作った?書写した?時点というのは戦国末期以降とも推測されるわけよ。

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:17

 

341.だから?・・・こういうことですわ
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時6分
NO288について
山人さん云く
「五人所破抄見聞」「日目・天奏四十二度説」がありますが、これは後代の室町・戦国期以降の書き物に頻繁に登場する話しです。
「五人所破抄見聞」
「日目上人・四十二度の天奏に依って禁裡より御納収の御下文・右に備ふ、広宣流布は必ず当門徒に在る可き也」(富要4-11)
・この「日目・天奏四十二度説」は、1380年より108年後の1488年・長享2年の「五段荒量」・日教著に登場します。(富要2-296)
「殊には日目上人は四十二度の御天奏最後の時、近江の篠原にて御遷化なり信行観の行者にて御座すなり。〜時に長享戊申大簇十一日 六十一戊申日教在判」
その後は「聞書拾遺」「申状見聞」「日辰抄」等、各書に記述されています。

おじさん云く
▼ だからどうなんでしょう?
山人君は、「五人所破抄見聞」が後代の偽作であるとの疑難の文献学的な根拠は上段で砕いた。
その上で「天奏 四十二度」の件で更に問難するが、これは山人君のお得の我田引水の怪釈である。
別段「五人所破抄見聞」に「「天奏 四十二度」」の表示があるからといって、それが直ちに後代の偽作説の証拠に、と持ち込みのは無理があろう。
むしろ、初出であるとすれば、何も矛盾はないのである。
但し、四十二度が史実であるかどうかは別問題である。(日亨上人は天皇家・鎌倉両方を合わせての四十二度ではなかろうか(趣意)と仰せである)

△「だからどうなんでしょう?」ほい、だから「五人所破抄見聞」が後代の作と推測されるわけよ。
「疑難の文献学的な根拠は上段で砕いた」文献学という、「学的分野」に関して砕く、という意味合いはありえんわね。「邪義を砕く」というのはあるけどね。
「むしろ、初出であるとすれば、何も矛盾はないのである。」これこそ、「学的」ではないわな。この「1380年・康暦2年6月4日(滅後99年)」とされる妙蓮寺日眼の「五人所破抄見聞」にだけ、「日目・天奏四十二度説」が登場し、他の富士門流寺院には該記述なし。次は108年後の1488年・長享2年の「五段荒量」・日教著に登場。その後は「聞書拾遺」「申状見聞」「日辰抄」等々各書に記述されてくる。更に該書が「年号・年数・干支・年月日」となっており、100年後の記述とも推測される。これら複合要素を勘案すれば「日目・天奏四十二度説」の後代成立を推測させる、ということさ。

家中抄 (富要 5-185 )
日目伝 上京しては奏状を朝廷に捧げ、亦鎌倉に下り訴状を上げ奉る、周旋往返奏聞都合四十二度なり、其間在々処々に於て法華を説き給ふ。

祖師伝 (富要 5-54 )
「蓮蔵阿闍梨日目は高祖開山奏聞の代たる已に四十二度に及ぶ即浄行菩薩なり」
新田南条両家之事 (富要 5-317 ) 31代日因著
大聖開山自身の御天奏として上洛だにも四十二度なり、
富士大石寺明細誌 (富要 5-326 ) 48代日量著
開基日目上人。〜師宗祖在世より已来或は代官と為りて華洛に上り奏状を天子に捧ぐ、又自己の為に柳営に下り訴状を将軍に奉る、奏聞を経る都合四十二度なり、

申状見聞 (富要 4-105 ) 妙本寺・日我著
大聖と開山と自身との御天奏として上洛だにも四十二度也

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:17

 

342.日興跡条々事を証明せよ
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時10分
NO297,298について
山人さんの長文の指摘に対しおじさん云く
▼ 長々と書いてみても全く不可なのである。
日亨上人仰せである。
目師譲状、祖滅五十一年、富士開山日興上人より三祖日目上人に総跡を譲られたるもの、正本案文共に総本山に厳存す。
正本案文共に総本山に厳存するのであるから、どうしようもないではないか。
前にも書いたが山人君らこそ総本山御霊宝御虫払い法要に参詣し、最前列で拝したら如何か。

△「どうしようもない」・・・・か。笑
それはね、日蓮正宗信者の間の話だわね。大笑。
俺達が堀日亨氏のいうことをきく人間なら、最初から「戒壇板本尊」「各相承書」を云々してないぜ。笑
「最前列で拝したら如何か」・・・じゃあ、なにかね?法華講員諸氏命名の俺達・軍団に最前列の特等席を用意してくれるってか?大笑。

確か、山人さんに対して「本尊分与帳を日興上人真筆とするなら日興跡条々事も真筆とせざるをえなくなる」とカマかけて、「だからなーに」思いっきりはずされていたけど、それを彷彿とさせるな。
いいかい、大石寺には真筆御書もあって昭和四十二年に、国の重要文化財に指定されてるんだろ。
文化庁の国指定文化財等検索システムに登録されている日蓮自筆遺文二十六巻の目録

 1 諫暁八幡抄(後半) 一巻
 2 三三蔵祈雨事 一巻
 3 減却御書 一巻
 4 衆生身心之御書 一巻
 5 閻浮提中御書 一巻
 6 三論宗御書 一巻
 7 春之祝御書 一巻
 8 迦葉尊者御書 一巻
 9 南条兵衛七郎殿御書後三月廿四日  一巻
 10 宝軽法重抄五月十一日日蓮(花押) 西山殿宛 一巻
 11 食物三徳之御書 一巻
 12 芋一駄御書八月十四日日蓮(花押)  一巻
 13 上野賢人殿御返事十一月六日日蓮(花押) 上野賢人宛 一巻
 14 白米一駄之御書十二月廿一日日蓮(花押)  一巻
 15 白米一俵之御書 一巻
 16 上野殿御返事 一巻
 17 上野殿御返事九月六日日蓮(花押) 上野殿宛 一巻
 18 重須殿御返事正月五日日蓮(花押) をもんす殿宛 一巻
 19 上野尼御前御返事正月十三日日蓮(花押) 上野尼御前宛 一巻
 20 莚三枚御書 一巻
 21 上野母御前御返事十二月八日日蓮(花押) 上野殿母御前宛 一巻
 22 木火土金水御書 一巻
 23 華厳経等要文 一巻
 24 法師品云御書 一巻
 25 無量義経云御書 一巻
 26 理即御書 一巻

日蓮自筆遺文だけでなく、「日興上人御真筆」として「日興跡条々事」の鑑定も学術機関に願い出たらどうだ。これこそ鑑定して「日興上人真筆」とお墨付きを頂けばどうだい。一発じゃない。何故やらない。なぜできない。鎌倉時代には「官憲に提出することもある故、元徳○年などの年号は略した」っていうのでしょ。今は鎌倉時代ではないけど、「証明すべき時」であるのだから、公的機関に提出したらどうだい。その時の到来だな。笑

山人さんの「『二箇相承書』についてと同様、日興⇒日目の上代における日興跡条々事の存在を証明してみなさい。それができずしてかかる主張をなすのは妄想というものです。この時点=1476年・文明8年における初出、それ以前における日興門流寺院の『相承書』の存在という『史実』。そして当時の中古天台恵心流の全盛期という時代背景、これらを総合、勘案し考察するのが歴史の考証というものですよ。それでも主張するのならさあ、証明しなさい」という追及に反論不能ということだな。
どうだ、「上代における日興跡条々事の存在を証明」できるか?
それとも「今すぐ学術的鑑定をうける」か?
どっちを取る?

 

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 メッセージ 215 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:17

 

343.日蓮正宗よ、文面の解釈をしても苦しいな 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時19分
NO299について

おじさん云く
▼ 全く根拠のない妄説。もはや貴公は、聞き分けのないただの駄々っ子ですな。
はい、ここも同様。貴公の妄想を根拠にただシナリオを組み立てているだけ。
だから何?
だから何?
全く立論が粗い。ここも貴公の推測に過ぎない。

△ 笑、山人さんの考証に因縁をつけるだけ、反論不能です。

NO300について

▼ こうして、根拠が全くないところから妄想逞しくして、邪なシナリオを作り上げてみても、学問的にはまるで底の浅い、取るに足らない痴論である。
そうしてこうやって、整合性を以って破折しているにも拘らず、いつまでも邪心を元とした誹謗の言を続けるならば、貴公は罪を無間に開きその罪報を心底を恐れねばならない。

△ 反論不能だと必ず「恐れよ」とね、悪いクセだね。笑

NO304について

山人さんいわく(日興跡条々事を引用し)

⇒「本門寺建立の時は」ということは「本門寺が建立された時は」ということですが、当時から現在に至るまで「本門寺」は建立されておりません。これが史実です。

おじさん云く
▼ これも簡単である。大本門寺建立は日興上人を始め門下一同の熱誠であり、近未来に実現せん、との機運があった。日亨上人仰せである。
「興尊御門下の老若には、広宣流布に伴う大本門寺の、また大戒壇の建立が朝夕近しと期せられた。」
そのような状況下で「本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主として云々」との御表現がなされても不思議でもなんでもないのである。

△ 山人さんはただ史実を述べただけ。日興跡条々事の作者=偽作者は当然、当時の状況や、日興上人が大聖人真筆本尊に「本門寺に懸け万年の重宝」と添え書きしたことを知っているだろう。それらを踏まえた上で記述した、ということだわね。

山人さん云く
⇒「本門寺建立の時は新田郷阿闍梨日目を座主として」これは事実上「時の条件付きの座主」ということになってしまっています。

おじさん云く
▼ まさに揚げ足取りの見本である。貴公の性根の不純さが遺憾なく発揮されたところ。
近未来には必ず実現せんとの日興上人の大確信と、大激励の御言葉と拝せぬか。

△ 文面を解説すると「性根の不純さ」だってさ。偽書をどうすれば信心で拝せるのさ。正に「日蓮正宗の相承書信仰の見本」みたいなものいいだな。

山人さん云く
⇒ 史実は本門寺は建立されず。当然、日目は座主とならず、そのまま亡くなっています。この時点でこの譲り状に書かれている第一条は、ご破算。この書は空譲り状、願望だけで終わった譲り状となってしまっているのです。

おじさん云く
▼ 熱誠熾烈なれども、障魔激しく、時未だ至らず、止む無く「大本門寺」を称すること能わずとも、未来広宣流布へ向けての、令法久住の為の法統相続は断絶なく行われるのである。文字面に囚われて真意を読めない典型という浅薄な読み方である。

△ これまた史実。しかも「相承書信仰」も極まれり、偽書に対して「文字面に囚われて真意を読めない」とは。笑

山人さん云く
⇒ このような予定、予想、推定、仮定、仮説を前提とした書面は、そこに書かれている前提条件が成立しえなかったならば、文字通りただの紙切れに堕してしまいます。

おじさん云く
▼ 日興上人の熱き想いも分からず賢げにすまし顔で斯様な邪難をしても、事実の上で日目上人が将来広宣流布の暁には大本門寺となる大石寺を相続されたのは史実である。が故に貴公の邪な謗難は全く意味を為さず。

△ 「唯授一人血脈相承論証不能」「相承書論証不能」・・・手を上げ降伏か。笑

 

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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:18

 

344.日興跡条々事は戒壇板本尊の文証とはならず 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時24分
NO305について

山人さんの引用は長くなるので略す。
おじさん云く
▼ ここも貴公お得意の自見を基とした全くの妄想である。
何の証拠もない。
現に日興上人御正筆が厳存しているのに貴公の邪論など何の説得力があろう。
全く無意味である。

△ 「現に日興上人御正筆が厳存しているのに」とどうしていえるのか。日蓮正宗関係者だけだぞ、信じているのは。笑 
歴代ゲーカと「創価学会首脳の昔の擁護発言」にすがるしかない、というのが実態だな。笑

続いて
▼ 邪推に邪推を重ねた結果がこの程度の結論である。

△ と、おとしめてすまし顔、この程度なんだな、おじさんは。反論不能。

NO306について

山人さん云く
⇒ なにいってんだ、次に有るように「一日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年(五月廿九日)御下文、日目に之を授与す」と、本門戒壇の大御本尊は日目一人に相承されたのだ。ここにおいて日蓮仏法の一切を継承された日目は、同時に唯授一人の血脈相承を受けられたことにもなるのだ。
とでもいいますか。

⇒ これも残念、
A=日興上人 B=日目 C=弘安二年の大御本尊  D=自称・本門戒壇の大御本尊として、
AはBにCを授与した。しかし、C= Dという根拠は? どのようにしてCと Dを結びつけるの?となってしまうわけです。(笑)

 

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 メッセージ 217 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:18

 

345.日達説法も×だわね 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時29分
おじさん云く
▼ C= Dという根拠は、既に再三証明してある。
貴公が駄々をこねて理解できない知能にまで陥っているだけ。
貴公ら以外の学会員は貴公のような妄論を用いていない。
しかも今回の論争を見て更に貴公の分からずや振りを確認したことであろう。
分からない者に敢えて納得してもらおうとは思わない。
貴公の立論の矛盾を徹底的に打ち砕き多くの方に見ていただけばそれで十分である。

△「再三証明してある」はウソ。
おじさんが「戒壇の大御本尊様が鎌倉時代の御作であることは明証した」「どうだ反論してみろ」と自慢する日達説法の、宛てにならない根拠につき、以前、山人さんが指摘してるわね。引用するよ。

【 日達説法のあてにならない根拠 】
日達は昭和40年にこのような説法をしていた。これを以て知るべし。
なんら客観的に証明できないようなことを平然という人物である、ということを。

昭和40年2/16 第1回正本堂建設委員会 
「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです」

◎「身延山で本堂」といったら、この御書ですね。
1281年・弘安4年  11 月
「地引御書・坊は十間四面に・また・ひさしさして・つくりあげ」
十間四面の堂宇が完成との記述があります。
⇒ ここで、細井日達氏はまるで見てきたようなことをいっていますが、誰からこのような話を聞いたのでしょうか。「身延山本堂に戒壇板本尊が安置されていた」と証明しましょうね。客観的にねでないと「単なる妄想・夢で見ただけだった」ということになりますよ。

◎ あいやっ、細井日達氏に教えた人は前代の貫主であり、要は日蓮・日興の上代から口伝で「大聖人在世の身延山の御事」が伝わっているのだ、とでもいいますか。
ならば、日蓮・日興と大石寺の歴代貫主が口伝で間違いなく続いている、という客観的な証拠を示しましょう。(笑)

◎ 細かくいえば・・・「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時」存在していた証拠は。

◎「日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていた」証拠は。

◎ 参拝の信者が身延山久遠寺の本堂で、戒壇の御本尊を拝んだ証拠は。

◎ どこかのベテラン法華講員さんは「戒壇板本尊は秘仏として大聖人の御内室に安置」などといいますが、これはどうなのかな?で、信者さんが参詣した時だけ、「よっこらしょっ」と持ってきて、拝ませたわけ?終わったら「部屋にしまった」と?(笑)
これをクリアーしないと、細井日達氏の話しは「夢物語」、それを信じる坊さん、法華講員さん達も「夢見る幸せな人達」いや「妄想にとりつかれた病人」ということになりますよ。そうならない為にも、頑張って!

△ 更にさ、その日達説法に対して草薙さんも指摘してたわね。

◎ この日達の説法を文化庁等の関係機関、立正大学の教授クラスに直ちに持参し、読んでもらうべし。その結果「富士大石寺所蔵・弘安二年十月十二日造立とされる本門戒壇の大御本尊は、日蓮の真筆、板に謹刻の本物である」という結論が出たのなら、創価学会有志側もそれなりに相手にしてくれることであろう。
「それが真に学問をする者の学究態度であろう。」というものだ、わかるか。
君が引用した「説法」は学術的には何の意味もない。「本門戒壇の大御本尊の客観的証明」という主題に照らす時には、ただの駄文になってしまう。故人である日達の恥を晒し続けると、僧侶方からも怒られることだろう。
このような駄文を振り回し悦に入っているのは君だけだ。

とね。笑

 

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 メッセージ 218 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:18

 

346.唯授一人血脈相承信仰の「妄想の世界に長く居て目が見えなくなった」かい 笑
返信  引用 
名前:自由戦士    日付:6月14日(火) 19時40分
おじさん云く
▼ ここまで来ると貴公が何を囀っても空しい風が吹くだけである。
その証拠に貴公はこの6月10日以来完全に沈黙を守ったままである。
もし、当方の破折に異議があるのなら速やかに反駁すべきであろう。
それができないのは貴公自身、自らの妄論の矛盾を認めたことに他ならない。
いい加減に目を覚ますべきは貴公である。

△ どうだい、俺の投稿で少しは「唯授一人血脈相承信仰の害毒」を認識したかい。まあ、狂信状態の人にはムリだろうな。読んでいる第三者の方に認識して頂くだけでも有り難いやね。
▼ここまで来るともはや狂人の繰言である。
既に二箇相承は曽存であった事実、日興跡条々事は正本案文共に厳存を明証している。
貴公は妄想の世界に長く居て目が見えなくなったか。

△ 日蓮正宗関係者は、論証不能の事柄については「信じなさい」だけで、追及する相手には「狂人」とレッテルを貼りおとしめる。そのマニュアルどおりのカキコですな。笑

山人さん云く
⇒ いや、それでも「日興上人の『次は日目一人のみに』との御意があり、そこに唯授一人血脈相承に通じる深義が存するのだ」とでも言い張りますか。
⇒残念ですが、「仏法を令法久住し、魔から正法を守る為に、日興上人は大聖人の『一弟子』『本弟子』である六老僧選定に習い、自身も重須初期に本六老僧を、晩年には新六老僧を定められ、門下の教導、育成に励まれた。和合僧による令法久住の完璧、一閻浮提広宣流布大願成就を期された」ということになるのです。

おじさん云く
▼ それも完全に打ち砕いてある。全然、ダメ! である。

△ ということで「全然、ダメ」なのは発言当事者でした。笑 故に山人さんの指摘どおりですわ。

NO307は論評に値せず。

▼ それにしても山人君、再反論したら如何か?いつまで隠れ潜んでいるのか?
学会員からの賛辞が聞けなくなるぞ。それでは貴公の名聞名利の気持ちが納まるまい?
如何か?

△ 俺達は最初からHNですから「賛辞」もなにも関係なし。故に「名聞名利」も知らないね。笑
ただ、「日蓮正宗の正体を明らかにする時の到来」を感じ、指摘・追及しているのみ。
おじさんこそ、「名聞名利」「賛辞」とは無関係かい?笑

 

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 メッセージ 219 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:19

 

347.ご意見お聞かせください
返信  引用 
名前:神様    日付:6月14日(火) 20時26分
返信ありがとうございます。引用をしてまた返信をお返ししようと思ったのですが、手違いで消えてしまいました。あぁ最悪です。
そこで前にも書いた僕の意見についてのご意見を聞きたいと思いました。御書の表面的事実に固執せず、科学、現代哲学と合致した御精神が重要だと考えました。物質は限界があり、永遠の中では無意味で、特別な力、形式などないとする考えです。
大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と
つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!
では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、
南無、つまり帰依
法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著
つまり自分の成仏=幸福境涯の追求
これを比喩的に伝えたかったんだ!
本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?
本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!
つまり三大秘法は
本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!
仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。
法宝とは、この思想そのもの
そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。そうでなければ真の理想は達成できません。

 

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 メッセージ 220 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:19

 

348.戒壇の大御本尊様こそが法華経の本体・実体なのです。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時26分
>そこで思ったんです。日蓮はこんな非科学的で神秘主義的なレベルの存在なのだろうか?宗教は科学で淘汰されるべきだ、
そこで思ったんです。それは違う、
大御本尊根本とは何か、日蓮は当時一番後世に残る方法で、どんな精神を伝えたかったのか?それは一閻浮提総与、つまり大衆の救済、平和社会の実現にある。その気持ちを伝えたかったんだ!根本が法なら世界に残るし、例え宇宙人でも、動物でも、平和社会は理想だ、と
つまり比喩的にこれを伝えたかったんだ!

●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。
ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

——————————————————————

>では題目とは何か?単なるマントラか?功徳は幻想か?違う、
南無、つまり帰依
法華経への帰依、法華経とは何か、つまり何千年にもおよぶ仏教の人生哲学の最高、永遠の生命、輪廻、救済がとかれた魂の開放の著
つまり自分の成仏=幸福境涯の追求
これを比喩的に伝えたかったんだ!

●貴方の前提が戒壇の大御本尊はいつか滅びる、ですが、このことに関しては既に詳述してあります。
結論から言えば、滅びないように僧俗相和してあらゆる方途をも講じていくのです。
それが僧俗共に為して行く広宣流布への道程なのです。

その上で、ここは御文に明確です。
法華経とは観念的な何物かではありません。
既に示しましたが、
■法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。

つまり戒壇の大御本尊様こそが法華経の本体・実体なのです。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 221 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:19

 

349.「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時34分
>本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?
本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!
つまり三大秘法は
本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

●この辺からは少々混乱していると思います。
では整頓する為にも考えてみてください。

その貴方の理想を実現する為には、一人一人の方々へ一体何をどうしたらいいのですか?
何を広めればその方々は根本的な幸福を獲得できるのですか?

この答えはとても重要ですよ。

——————————————————————

>仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。
法宝とは、この思想そのもの

●ここでも少し整頓しましょう。
「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 222 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:20

 

350.ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 21時47分
>そして僧宝とは、日蓮はこのような絶対的根本思想を説き、教えたが、六老僧のうち、日興上人以外は本質がわからず、形式ばかりに固執した。
よって日蓮宗は本質に迫っていない、葬式仏教とかした。
本来なら日興上人から代々この本質に迫る、最大の仏教哲学が広められるべきだったが、時代と共にすたれ、いまや形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。

●さて、ここはどうでしょうか?
貴方は何を以って日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」と言うのでしょうか?
大聖人の仏法は化儀即化法と申しまして、日蓮正宗に伝わる化儀の中に大聖人の仏法の本質が伝わっているのですね。
物事の道理として、製作者が決めた決まりごとをそのまま実践してこそその製作されたものの力用を発揮でき、恩恵に預かる事ができるのではないでしょうか?
もし具体的に日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」事例があるのならばお聞きしたいです。そうしてお互いに力を合わせて改善していかねばなりません。
——————————————————————
>つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。
そうでなければ真の理想は達成できません。

●大聖人様の仏法の本質とは何でしょうか?
先ほどの問いとも同様ですが、ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?

——————————————————————

>いまの日蓮正宗は正しい。
大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。
でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。
五老僧と同じレベルである。
僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。

●ここも上段と同様であります。
具体的には何を指して言われているのでしょうか?
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 メッセージ 223 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:20

 

351.以上の内容をまずよく熟考してみてください。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 22時9分
>今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。
牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。
つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。
こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。
僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う

●果たして最近の学会の行動は大聖人様の仏法の本質に迫った行動でしょうか?

日蓮正宗第26世日寛上人が仰せです。

■顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」と云云。これを思い合すべし。但受持せざるのみに非ず、剰え捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず。また身に供養せず、意に尊重せず、口に讃歎せず。文底受持の行者を見て能く尊重讃歎供養せず。故に諸天をして三箇の秘法の妙法を聞くことを得ざらしむ。故に三箇の秘法の食味に飢え、三箇の秘法の水流に渇く。故に威光勢力あることなし云云。

ここは、大聖人様が民衆救済の為には何が必要かとの仰せには、戒壇の大御本尊に通じる御本尊を世界に広宣流布しなさい、と。
しかし、今、創価学会はその戒壇の大御本尊様からの血脈正しい御本尊を受持しないだけでなく、その御本尊を捨てさせ(日顕上人の御本尊を回収し破却している)。
また戒壇の大御本尊様へ身の三業を以って参詣をしない。
また、歴代の御法主上人を侮蔑し軽蔑してる。
が故に諸天が三大秘法の法味に飢え、威光勢力がない。
⇒学会が破門されて以降日本がどうなってきたか、
公明党が政権与党の一角になってから更に日本がどうなってきたか、
よくよく考えてみる必要があるのではないですか?
——————————————————————
>いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。
今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!
しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。
樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。
僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。

●以上の内容をまずよく熟考してみてください。
貴方は頭が良い方なのできっと何かを感じてくださると信じています。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 224 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:20

 

352.神様くん、言葉に気をつけよう
返信  引用 
名前:れいな    日付:6月14日(火) 22時22分
創価学会員は最近、末法の御本仏のことを「日蓮」と呼び捨てにしたり、「日蓮仏法」等とまるで何の関係もないアカの他人のような非常に粗末な言葉を使用しますね。あなたは自分の御両親を「あんた」、「キミは」と呼び捨てにしますか? あなたは「形式などどうでもいい」と思いますか? 表に現れている言葉はあなたの心の中身です。スポーツの世界でも「形式などどうでもよい、勝てばいい」のではありません。そこにはルール・マナーがあるのではありませんか?

 

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 メッセージ 225 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:20

 

353.また、じっくり語り合っていきましょうね。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月14日(火) 22時39分
>■「仏法法宝は必ず僧によて住す」
僧宝を、本質を見極め、広めよ!とする日蓮の御意思のあらわれとすると、仏法法宝は必ず本質を見極めることが大切ということになり、自分もしっくりくるんです。

●今まで述べてきたように、僧宝の定義そのものがやはり貴方の立論であるから、それはそれであらゆる御仏の御言葉ときちんと照らしあわさないと、ともすると我見に陥ってしまって、大事な御聖意を見失うことになってしまうと思うのですね。
——————————————————————
>僧宝を御書を表面的に解釈した法王自身と考えれば、法王の権威そのものであり、同じ人なのに特別な力があるの?などの疑問が生じ、科学や現代思想に反すると思います。

●既述の如く、人には因縁によって平等に即してやはり自ずから差別(個体差)があるのであります。
世の中の事象全てが現時における科学で解明されているわけでもないのであるから、現時の科学の成果だけを以って未知なる現象を全て否定はできないと思いますよ。
むしろ謙虚に考えれば今の科学の解明点がまだまだあらゆる事象に未到達なのだから、その現時に於ける解明点を根拠に未解明の分野を「非科学的」と下すことこそ、真の科学的な態度ではないと思います。
——————————————————————

>このような日蓮の真髄の思想を広めることが大切です。学会が原点に立ち返り、選挙などの社会表現の根本を再確認し、池田氏との師弟観から日蓮との師弟観にもどり、形式的な側面ばかりを重視する宗門は僧宝をきちっと理解し、本質を見極めていくことが大切です。

●ここは小異を捨てて考えるに共感できます。
宗門も今後の広宣流布への道程を真剣に命がけで考えたときには改善すべき点は多々あると思います。

——————————————————————

>大事な日蓮の御意思を受け継ぐ日顕氏が五老僧と同じレベルの表面的仏教解釈をしていてはいけないと思います。でもその教学を次世代の法王に伝えていけば、中興の祖のような、きちっと日蓮の思想の源流を理解した方が現れると思います。法華講のみなさんも本質をみてほしいです。そして末端の信徒の方から宗門を変えてほしいです。

●う〜〜ん、ここも小異を捨てて賛同しましょう。

——————————————————————

>僕も、学会の教学の幹部の方と合わせていただく機会を作るなど、学会を変えていきたいです。
そうすれば一緒になる可能性は0ではありません。広く御仏意とうけとめ、真の法を広めたいです。
と僕は思います。僕自身大石寺に参拝し、純粋に大御本尊を拝みたいです。それはそうしなければ成仏できないということではなく、日蓮が万感の思いを託された大御本尊を直接見て、それにこめられた平和社会実現(立正安国)の思いを感じ、大衆の救済の決意、世界を変えていこうという決意をしたいからです。でも僕は今でも大御本尊根本です。

●やはり貴方は根底では尊い使命を担った方だとつくづく感じましたよ。
ここでも涙が出ました。
また、じっくり語り合っていきましょうね。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 226 / 275 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:21

 

354.素朴な疑問ですが・・・
返信  引用 
名前:通りすがりの学会員です。    日付:6月14日(火) 23時5分
樋田さまへ

@創価学会はその戒壇の大御本尊様からの血脈正しい御本尊を受持しないだけでなく、その御本尊を捨てさせ(日顕上人の御本尊を回収し破却している)。

→学会に下付をしないと決めたのは、大石寺側だった記憶があるのですが・・・

Aまた戒壇の大御本尊様へ身の三業を以って参詣をしない。

→登山停止を決めたのも、大石寺側だったような?

Bまた、歴代の御法主上人を侮蔑し軽蔑してる。
 
→歴代チャクチャク日蓮正宗の師弟の道から、破門して師弟でもなんでもないとしたのも、大石寺ではなかったでしょうか?

C学会が破門されて以降日本がどうなってきたか

→悪鬼が王臣・比丘・比丘尼の心身に入って法華経の行者を迫害するため、諸天がこの国を捨てるのではなかったでしょうか?

自由戦士さんのすばらしい書き込みのあとに、場をよごすようで恐縮ですが
素朴な疑問が浮かんだもので・・・
とにかく自由戦士さんへのお答え期待しております。

 

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 メッセージ 227 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:21

 


355.Re: 神様くん、言葉に気をつけよう
名前:神様    日付:6月14日(火) 23時27分
> 創価学会員は最近、末法の御本仏のことを「日蓮」と呼び捨てにしたり、「日蓮仏法」等とまるで何の関係もないアカの他人のような非常に粗末な言葉を使用しますね。あなたは自分の御両親を「あんた」、「キミは」と呼び捨てにしますか? あなたは「形式などどうでもいい」と思いますか? 表に現れている言葉はあなたの心の中身です。スポーツの世界でも「形式などどうでもよい、勝てばいい」のではありません。そこにはルール・マナーがあるのではありませんか?

れいな様、この度は誤解をさせてしまってすいませんでした。確かに日蓮という言い方は不適切でした。日蓮大聖人と毎回書くのが大変だと思った、ただそれだけの理由です。すいませんでした。
ルールやマナーは必要です。勝利やルールのとらえ方の違いですね。
僕は法華講員さんを生理的に嫌悪や、軽蔑は一切しておりません。
彼も人なら我も人です。
れいな様も学会員も同じ感情をもった人だと思ってほしいです。

 

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 メッセージ 228 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:21

 


356.大御本尊
名前:神様    日付:6月14日(火) 23時42分
●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。
> ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

わかります。今後の科学の発達は未知数だと思います。でも物質は必ず必ず限界があります。永遠の時間は絶対絶対残りません。法とは永遠、宇宙大の壮大な時空をもつかさどっていると思います。そこは純粋にそう思われませんか?だから僕は単純にそこにこめられた日蓮大聖人の思想、思いが法であり、重要だと思うのです。わからずやかと思われたらすいません。でも単純にそう思うし、おまわれませんか?

 

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 メッセージ 229 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:21

 

357.どうすればよいか?
名前:神様    日付:6月15日(水) 0時4分
本尊とは何か?単なる紙切れか?違う、これにはどのような思想がこめられているのか?
本尊を拝めば自分と相手になる。他者の救済だ!題目では声聞、緑覚だ!つまり仏界の境涯をあらわしているんだ!
つまり三大秘法は
本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
これは僕の言う、幸福主義や、世界の普遍的真理と合致する。科学にも反しない、立証不可能な神秘主義でもない!

●この辺からは少々混乱していると思います。
では整頓する為にも考えてみてください。

その貴方の理想を実現する為には、一人一人の方々へ一体何をどうしたらいいのですか?
何を広めればその方々は根本的な幸福を獲得できるのですか?
この答えはとても重要ですよ。

確かに重要ですね。単純に相手を思いやり、相手のために行動する。学校でも社会でも、基本とされる道徳観だと思います。具体的には、暴力はしない、人を傷つけない、殺さない、とかですかね、無数にありますね。それを確認するために向き合うんだと思います。その思いが込められていて、それを常に確認し、祈る。世界はわかっているようで、この考えをわかっていないから戦争が起こると思います。

仏法とは、この日蓮の説いた普遍的真実に忠実であれ、そして広めていけということ。しいては日蓮との師弟観。
法宝とは、この思想そのもの
●ここでも少し整頓しましょう。
「日蓮の説いた普遍的真実」とは一体具体的には何をどうすることなのでしょうか?


本尊、仏界の境涯、慈悲、他者の救済
題目、幸福境涯の追求と、最高の人生哲学、人生観
戒壇、大衆の救済と、平和社会の実現だ!
を世界に広めることです。

 

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 メッセージ 230 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:22

 


358.思い
名前:神様    日付:6月15日(水) 0時29分
書いていて思ったんですが、僕は法というものを世界がみな幸せに暮らせる、平和な世の中の実現、その思想だと思っていると思いました。でもこれは共産主義も、資本主義も、組織も、お金も、秩序も、政治も、動物も、ありとあらゆるものの目的だと思います。
題目をして法と合致するのはこの思想を実感し、共感し、行動することだと思うのです。日蓮大聖人もこれを思ったと思います。
やはり法や題目や本尊に立証できない絶対的特別な力があると思えないのです。ここは単純にわからないと思います。みな少しは疑問はあるがこの思いを確信で押し殺しているとしか思えないのです。どうですか?
その点で日蓮大聖人そのものとその宗派、関連する歴史は、他の宗教や、政治、組織、民族などさまざまな森羅万象と違う異質で唯一の真理ではなく、みな同じところから生まれ、同じ理想を目指し、その方法を説いてきたが、日蓮はそれを本尊にたくし、祈りによる確信と、行動と、立正安国とされたのです。これが一番洗練されたものです。
またよくわからないことを書いてしまいました。

 

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 メッセージ 231 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:22

 

359.Re: ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?
名前:神様    日付:6月15日(水) 0時47分
●さて、ここはどうでしょうか?
貴方は何を以って日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」と言うのでしょうか?
大聖人の仏法は化儀即化法と申しまして、日蓮正宗に伝わる化儀の中に大聖人の仏法の本質が伝わっているのですね。
物事の道理として、製作者が決めた決まりごとをそのまま実践してこそその製作されたものの力用を発揮でき、恩恵に預かる事ができるのではないでしょうか?
もし具体的に日蓮正宗が「形式に固執する、五老僧と同じレベルになってしまった。」事例があるのならばお聞きしたいです。そうしてお互いに力を合わせて改善していかねばなりません。
つまり、僧宝とは、本質を見極めよ!ということです。
そうでなければ真の理想は達成できません。
●大聖人様の仏法の本質とは何でしょうか?
先ほどの問いとも同様ですが、ではどうしたら一切の衆生を救済できるのでしょうか?

南伝仏教徒の方々は釈迦の教えに忠実に修行し、行動し、戒律を守り、
日々暮らされています。これは決まりをそのまま実行しています。
でもこれは本質ではありませんね、大乗仏教はこれに解釈を加えます。だからこそ釈迦のされた、言われたことを表面的ではなく、哲学、宇宙大の壮大な思想として理解できるのです。と思います。日蓮正宗は教えを忠実に、厳格にやられているわけですから決して日蓮大聖人の意思に反するものではなし、純粋な信仰心を感じます。事例、、、やはり開眼などにこだわるところ。ではと思います。

いまの日蓮正宗は正しい。
大御本尊根本、開眼も、法王もすべて教えに忠実である。
でも形式にばかり固執し、そこにとかれている真実を見極めようとしない。
五老僧と同じレベルである。
僧宝にとかれた本質を見極めよ!との教えを自らないがしろにしているのである。

●ここも上段と同様であります。
具体的には何を指して言われているのでしょうか?


やはり僕は文字は文字、紙は紙、人は人、言葉は言葉、という考えが抜けませんどうしても物質ではなく思想と思ってしまうのです。

 

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 メッセージ 232 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:22

 


360.Re: 以上の内容をまずよく熟考してみてください。
名前:神様    日付:6月15日(水) 1時15分
今の学会は、その本質に迫るということをやってきた。
牧口氏の価値論、戸田氏の生命論、池田氏の平和主義、哲学、宇宙、宗門から見れば新興宗教的と思われようが、これも教えに忠実なあまりの行動である。
つまり、学会も宗門も、教えを忠実にまもる、本質に迫る、という両者とも正しい行動をしてきたのである。
こう考えれば宗門と学会とのあつれきはパズルが解けたようにわかりやすくなる。
僕はこれが日蓮仏法の本質、真実、真理だと思う
●果たして最近の学会の行動は大聖人様の仏法の本質に迫った行動でしょうか?


確かに、学会のいままでの行動は決して良いと思われないものがあります。でも学会が単なる金目当ての集団ならなぜこれだけ発展し(破門後も壊滅せず)、みな幸せなのか(もちろん悩んでいる人もいるのは認めます。でも少なくとも僕の周りの人たちは幸せす。)だから学会の存在は肯定します。選挙も、会合も、池田氏も仏法の平和主義、幸福主義を見失ってはいけないと思います。

ここは、大聖人様が民衆救済の為には何が必要かとの仰せには、戒壇の大御本尊に通じる御本尊を世界に広宣流布しなさい、と。
しかし、今、創価学会はその戒壇の大御本尊様からの血脈正しい御本尊を受持しないだけでなく、その御本尊を捨てさせ(日顕上人の御本尊を回収し破却している)。
また戒壇の大御本尊様へ身の三業を以って参詣をしない。
また、歴代の御法主上人を侮蔑し軽蔑してる。
が故に諸天が三大秘法の法味に飢え、威光勢力がない。
⇒学会が破門されて以降日本がどうなってきたか、
公明党が政権与党の一角になってから更に日本がどうなってきたか、
よくよく考えてみる必要があるのではないですか?


ぼくも学会員なら、あなた様も法華講員です。互いの組織を見るには少し偏見がはいるのは仕方ありませんね。僕は政治が好きなので、公明党という社会表現は正しいと思います。公明党の国会議員と2時間会談し、いち学生の思いをじかに伝えることができるのも素晴らしいことだと思います。僕も外国人の地方参政権は断固反対です。きちっとかいこう一番訴えてきましたよ!憲法から、学会のことまでさまざま話してきました。僕は学会も宗門も蜜月な関係にあり、互いの裏まで見ていたわけですから、学会の批判も宗門批判もあるていど的を得ていると思います。学会も大御本尊(平和社会、幸福社会の実現というぼくの考えにすれば)根本です。確かに破却はいけないとおもいます。でも学会からすれば学会の本尊はどうなさっているんですか?偽本尊だからいい!なら学会も同じ考えですよ。



いままで言いたいことがたくさんあり、少し支離滅裂な部分があったが、何とか自分の言葉で言いたいことが言えた気がする。
今のスキャンダル合戦、脱講、脱会の庶民を無視した組織活動、は絶対的に無意味であり、これこそがホウボウである!
しいては、登山、布施、財務、選挙も組織活動、社会表現であり、根本がなければ何の意味もない。
樋田さんは頭のいいかたなので、僕の考えをわかっていただけたと思います。
僕もあなた様のおかげでこれを考えさせていただきましたし、少しばかりでも若輩者の考えが信仰に参考になればと思います。
●以上の内容をまずよく熟考してみてください。
貴方は頭が良い方なのできっと何かを感じてくださると信じています。


感じました。樋田氏の信仰心と人のあたたかさに触れ、現実的に今一番変わったのは法華講員への偏見です。

 

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 メッセージ 233 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:22

 


361.Re: また、じっくり語り合っていきましょうね。
名前:神様    日付:6月15日(水) 1時40分
■「仏法法宝は必ず僧によて住す」
僧宝を、本質を見極め、広めよ!とする日蓮の御意思のあらわれとすると、仏法法宝は必ず本質を見極めることが大切ということになり、自分もしっくりくるんです。

●今まで述べてきたように、僧宝の定義そのものがやはり貴方の立論であるから、それはそれであらゆる御仏の御言葉ときちんと照らしあわさないと、ともすると我見に陥ってしまって、大事な御聖意を見失うことになってしまうと思うのですね。
僧宝を御書を表面的に解釈した法王自身と考えれば、法王の権威そのものであり、同じ人なのに特別な力があるの?などの疑問が生じ、科学や現代思想に反すると思います。
●既述の如く、人には因縁によって平等に即してやはり自ずから差別(個体差)があるのであります。
世の中の事象全てが現時における科学で解明されているわけでもないのであるから、現時の科学の成果だけを以って未知なる現象を全て否定はできないと思いますよ。

そうですね。ひとはちがいがありますね。でもその地位に儀式でなった瞬間に本尊を書く力と、開眼の力をえるのですか?でもなるということはやはり教学力と指導力があるのでしょうが。日顕氏は85歳ぐらいですよね?それを知ったとき、うちのおじいちゃんと変わらない!かわいそうだと純粋に思いました。池田氏も77歳です。でも両者元気ですね〜。立正佼成会の庭野氏は92歳まで生きました。信仰は人を豊かに長生きさせますね。


むしろ謙虚に考えれば今の科学の解明点がまだまだあらゆる事象に未到達なのだから、その現時に於ける解明点を根拠に未解明の分野を「非科学的」と下すことこそ、真の科学的な態度ではないと思います。

確かに科学はこれからも進化しますね。


このような日蓮の真髄の思想を広めることが大切です。学会が原点に立ち返り、選挙などの社会表現の根本を再確認し、池田氏との師弟観から日蓮との師弟観にもどり、形式的な側面ばかりを重視する宗門は僧宝をきちっと理解し、本質を見極めていくことが大切です。
●ここは小異を捨てて考えるに共感できます。 宗門も今後の広宣流布への道程を真剣に命がけで考えたときには改善すべき点は多々あると思います。
    

僕は学会の展望をきちっと僕なりに伝え、変えていきたいです。では 樋田氏は日蓮正宗のどこが改善点だと思われるのですが?
ぜひ聞きたいです


大事な日蓮の御意思を受け継ぐ日顕氏が五老僧と同じレベルの表面的仏教解釈をしていてはいけないと思います。でもその教学を次世代の法王に伝えていけば、中興の祖のような、きちっと日蓮の思想の源流を理解した方が現れると思います。法華講のみなさんも本質をみてほしいです。そして末端の信徒の方から宗門を変えてほしいです。

●う〜〜ん、ここも小異を捨てて賛同しましょう。

ありがとうございます。お互い末端からがんばりましょう。前、」他の法華講の人に変えていきましょう!といったら、私は私でよければ何にでも使ってくださいという気持ちです、とおっしゃりましたがそれは違いますよね。一人一人が一番重要です。


僕も、学会の教学の幹部の方と合わせていただく機会を作るなど、学会を変えていきたいです。
そうすれば一緒になる可能性は0ではありません。広く御仏意とうけとめ、真の法を広めたいです。
と僕は思います。僕自身大石寺に参拝し、純粋に大御本尊を拝みたいです。それはそうしなければ成仏できないということではなく、日蓮が万感の思いを託された大御本尊を直接見て、それにこめられた平和社会実現(立正安国)の思いを感じ、大衆の救済の決意、世界を変えていこうという決意をしたいからです。でも僕は今でも大御本尊根本です。
●やはり貴方は根底では尊い使命を担った方だとつくづく感じましたよ。
> ここでも涙が出ました。
> また、じっくり語り合っていきましょうね。

はい、7割が信仰を持っていないという日本で、お互いこのような特殊な家庭に生まれなけば出会わなかったし、こんは深いお話もできませんね。ほんとに一期一会ですね。

 

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 メッセージ 234 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:23

 

362.感謝
返信  引用 
名前:神様    日付:6月15日(水) 1時49分
いちおすべての返信に対してまた返信させていただいたので、お読みください。またどんどんご指導お願いします。
山崎正友氏をよくしらないようですが、この問題のキーパーソンです。学会は日顕氏よりこの方個人の批判本が多いです。なかには日顕氏もこの方に利用されたと書いてあるのもあります。盗聴や出版弾圧もこの方発案とか。杉田かおるさんの自伝にもこの方らしき記述があります。逮捕歴もあり、学会、正信会、宗門とてんてんとし、宗教界の小沢一郎です。作り、壊し、裏切り、創造し、
正信会からいきなり宗門へ行って、血脈を語るとはこの方の信仰を疑います。今は宗門にいますのでどのように思われるているのか聞きたいです。

 

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 メッセージ 235 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/15 14:23

 

363.思うこと
返信  引用 
名前:神様    日付:6月15日(水) 2時21分
学会員は大御本尊、法王否定ではないです
今でも最新の教学本も会則もそんなことでないですよ。学会員だって日達法王の本尊拝んでいるし、会館にもある。それはちがいます。

 

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 メッセージ 236 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:28

 

364.山人君の次にはこんな宿坊君や草薙君や自由戦士君程度の基礎学力のあまり無い方がたしかいないのか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 16時5分
自由戦士曰く

それでは、こっちにも投稿しとくよ。
「大法論掲示板」で「ふまじめ」として消されちゃったのも含め、最初から行くね。

あと、NO、○○○というのは、「大法論掲示板」でのNOだから、併せてみてもらうといいかも。笑
▼はおじさん △は俺です

それでは

NO217について

▼山人君曰く
このように門下全般に法門を教示したこと自体が、「特定の個人にのみ全てを与え法を継承させよう」との意志はなかったということであり、和合僧が魔から正法を守り、それによる令法久住、更には広宣流布を期されていた証拠です。そこには、一人の門下に説示した法義がその門下を通し、未来まで継承されることへの大聖人の願い、思いが拝されます。

おじさん云く
▼以上の御書が在家に送付されたことを以って大聖人の仏法がこれで全てであり、なおかつ唯授一人の血脈相承を否定する何の証拠にもならない。

△こらっ、また騙しの話術を使う!どこに「唯授一人の血脈相承」なんて存在してるよ。
おじさんの宗派だけだろが、「血脈依存症」なのは、そんなのと大聖人となんの関係があるのよ、さっ。じゃあ、「唯授一人の血脈相承」を証明してみろよ。「唯授一人血脈相承」信仰のおじさん!

——————————————————————
●山人君曰く 「特定の個人にのみ全てを与え法を継承させよう」との意志」 
これを言い換えれば「唯授一人の血脈相承」というのである。
自由戦士君はまず日本語の読み方から学習する必要がありそうである。
基礎学力のあまり高くない方のようである。

——————————————————————
自由戦士君曰く NO218について
おじさん引用「御文を拝しても大聖人が唯授一人の相承をなされたことは明白である」という文証について

尚、数字の横の文証はおじさん引用の切文。笑

1文は口伝すべし。
法華真言勝劣事
日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。
求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

◎ 大聖人以前の法門だね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるの?

——————————————————————
●やはり自由戦士君は基礎学力に問題がかなり多い御仁か。

大聖人に「口伝」=御法門の御大事を、書に依らず、面受口決されるお考えがあられ、且つ又、口伝を以って伝えられていたということを論証する為にあらあら御文証を引いたのである。
これらの御文証がそのまま直ちに唯授一人血脈相承のそのものの御文証で無いくらい、中学生以上の知能と読解力があれば容易に理解できるであろう。

以下、この「口伝」あるいは「相承・相伝」に関する痴難は一切全くの的外れである。
実に労多くして益の無い、無駄が多い人である。

以下、575まで全く反駁にならず。自由戦士君の品性下劣振りが遺憾なく発揮されているだけ。

偽書云々の痴難も若干散見したが、学問的な根拠も提示できず。

こう言っては何だが、山人君に比べると、随分とレベルの低い御仁である。
山人君の次にはこんな宿坊君や草薙君や自由戦士君程度の基礎学力のあまり無い方がたしかいないのか?
真にうら寂しい荒涼たる状況である。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 237 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:29

 

365.文中の番号は
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 16時9分
法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か

http://www2.ezbbs.net/11/owrokdb5mu/

に依る。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 238 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:29

 

366.素朴な疑問ですが・・
名前:通りすがりの学会員です。    日付:6月15日(水) 17時12分
ご質問
 上「法華真言勝劣事」の中で、「口伝すべし」といわれているのは大聖人でしょうか?真言師なのでしょうか?
 基礎学力がない私のため、このご文を、現代語の訳して再掲載していただけるとたすかるのですが・・・

 

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 メッセージ 239 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:29

 

367.日本語のみならず、算数も苦手か?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 17時17分
自由戦士君曰く

NO221について・・・・ね。笑

●この段は219である。

日本語のみならず、算数も苦手か?
全く先が思いやられるレベルである。
——————————————————————
おじさん云く
▼別に貶めているわけではない。別しての血脈相承を度外視しては上記御書の真意は領解できない、と言っているのである。

△「別しての血脈相承」どこにあるの?そんなもの

●池田大作監修 仏哲でも読んで少しは日本語の勉強をしたら如何か?

尚、もしこの池田大作さんの意見が違うというのなら、いつから、どういう理由で、変更になって、いつ公式に変更点を発表したか、明示せよ。
自由戦士君には絶対に無理だろうが。一応筋道として言い置く。

『法華経では上行菩薩が別付属中の別付属をうけているが、日蓮大聖人の仏法では別付属中の別付属を日興上人がうけられている。

 二箇相承にも総別の付属がある。身延相承書は総付属書であり、池上相承書は別付属書である。

そして戒壇の建立の付属は、別しては日興上人にのみあり、総じては弟子檀都一同に対してあったのである。

また「日蓮一期の弘法、白蓮阿蘭梨日興に之を付嘱す」の付属は、第二祖日興上人への別付属を意味し、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」とは弟子壇那への総付属を意味する。

また日興遺誠置文に「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」とある。
この文は日興上人が重ねて滅後の弟子檀那へ総付属されたものと拝する。』
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 メッセージ 240 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:29

 

368.そのような浅薄な教育程度で文脈を読めず、浮かれはしゃいでいる様は、真に、惨め極まりない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 17時35分
▼ ここも山人君の愚昧なところ。
750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。

△ほう、じゃあ、大石寺歴代貫主の唯授一人血脈相承なんて、やっぱいいかげんだったんだ!
あはは、こりゃ、「御法主上人猊下をお守り申し上げ」みたいなこといっている法華講員がこのテイタラク。
大石寺歴代貫主の唯授一人金口嫡々血脈相承なんて、真筆などない!ってーことを法華講員が白状したよ。こりゃ、使えるわ。どんどん現場で言ってやろうぜ。笑

——————————————————————
●本当に自由戦士君は、気の毒な位日本語が読めぬらしい。

二箇相承書は現時では錯失して所在が不明である。
が、曽存だったことは詳細に明証した。
しかも二箇相承が喪失した経緯もはっきりしている。

斯様な状況下で、「750年前後も前の出来事の全てに御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。」と言っているのである。

この文の意義には、当然のことながら、「750年前後も前の出来事の全てに(現存する)御真蹟が無ければ信じることができないとは、世間の道理からもはずれ、物笑いの醜態である。」という意義が含まれている。

もしこれを読み取ることができないとすれば現代国語の基礎学力が無いだけであり、そのようなまともに現代語も読み込めないような、成績の芳しくなかった者が、古文・漢文の世界など到底ご無理というものである。

そのような浅薄な教育程度で文脈を読めず、浮かれはしゃいでいる様は、真に、惨め極まりない。
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 メッセージ 241 / 275 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:29

 

369.実名を名乗り、正規の学術論文として発表し、尚且つ池田先生から御認可をいただきたまえ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 18時6分
(以下、宗祖御遷化記録につき)
▼ まず第一に、六老を定置するという御考えの中に嫡弟という概念がある筈はない。
この概念のない文書を挙げて全く別の事項を判断することはできない。
それは各々別個で表示されている。まずこの大前提を山人君は外している。

△ 六老僧全員「一弟子・本弟子」でずぜ。
おじさんは嫡弟が前提になってるわね。どこに根拠あんのよ。やっぱ妄想宗だな。

▼ もし仮に五老僧の門下や山人君が言うように、大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、「不次第」と記されながら、その名前を法臘の順に挙げられるはずがない。

△ あのさぁ、「大聖人の仏法が六人の弟子に平等に相伝付嘱されたものならば、」って、そういう発想自体必要ないよ。なんで「相伝付属」せにゃいかんのよ。前提が日蓮正宗なのよね、この人は。

▼ しかしもう一歩進んで考えると法臘の順に記録なされ、そこに自ずから上位者から下位者への「順位」が明示されているにも拘らず「不次第」と仰せられたのは、簡明にいえば「上を抑えて下を挙げる」という意味である。
つまり、次第不順で、六老の相違を、法臘以外に御認めなされたからというべきである。
つまり六老の「次第」は世間の例にならって授戒の前後に依るが、相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位、すなわち授戒の順位には拘束されないことを強調するために、「不次第」の三字を敢えて念記されたのである。

△「上を抑えて下を挙げるという意味である。」「六老の相違を、法臘以外に御認めなされた」っていうけど、それはおじさんの「唯授一人血脈相承はある」という思考を前提にした怪釈論ですな。全員「一弟子、本弟子」だよ。それが不次第ですぜ。笑
「相伝の有無、法嗣の選定は六老の順位」っていってんならさ、証拠出しなよ、証拠をさぁ。

▼ ここに本弟子六人の選定と、血脈相承すなわち法体の付嘱とは、まったく別の問題であり、かつまた唯授一人の相承は法臘の順位に依らないことを知るべきである。

△「血脈相承すなわち法体の付嘱」「唯授一人の相承」なんてさぁ、もう、妄想ばっかりでどうすんのよ。

敗北三回のおじさんの妄想の産物がこの怪釈ですぜ。笑

——————————————————————
●ここも自由戦士君の執心深い迷妄ぶりと、論理的思考ができなくなっている頑迷固陋な頭脳と、野卑な人格とが露呈している貴重な箇所である。

またここも池田大作先生監修の 仏哲 から見てみよう。

繰り返すが、この池田大作先生の見解を覆すには本名も名乗れぬ貴公らでは到底役不足というものであろう。
学術的に池田先生の論に反証したのであればきちんと実名を名乗り、正規の学術論文として発表し、尚且つ池田先生から御認可をいただきたまえ。
宜しいな、自由戦士君

【六老僧】 
日蓮大聖人門下の六人の高僧をいう。
日興上人と日昭・日朗・日向・日頂・日持の五老僧である。
日蓮大聖人は弘安五年(一二八二年)十月八日、御入滅に先き立ち、六人の本弟子を選んだ。史料類衆(富要八巻二頁)に「御遷

化記録、祖減の年より二年に亘る、日興上人の正本、西山本門寺に在り……定、一、弟子六人の事不
次第。一、蓮華阿闇梨日持。一、伊与公日頂。一、佐土公日向。一、白蓮阿蘭梨日興。一、大国阿聞梨日朗。一、弁阿閣梨日昭。

右六人は本弟子なり依って向後の為に定むる所件の如し。弘安五年十月八日」
とある。
ここに弟子六人の事不次第とあるのは、
当流行事抄(富要三巻二一四頁)に「六老の次第は受戒の前後に由り伝法の有無は智徳の浅深に依る」
とあるように六老僧が血脈付属とは関係のないことを示している。
すなわち日蓮大聖人は日興上人に対して、二箇相承にあるとおり、唯授一人の血脈相承をなされたのである。
さらに日蓮大聖人の滅後において、日興上人を除く五老僧は、日蓮大聖人の本義から離れ、幕府の弾圧に屈し、難をさけるため、
天台沙門と名のって、退転していった。
日興上人のみが、日蓮大聖人の正義を厳護したのである。
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 メッセージ 242 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

370.樋田 昌志 さんへ
返信  引用 
名前:れいな    日付:6月15日(水) 21時26分
自由戦士とかいうアホタンを相手にしても仕方がないですよ。

次ぎから次ぎへとアホタンがやってきます。


371.Re: 樋田 昌志 さんへ
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 21時38分
御忠告ありがとうございます。

宿坊君・草薙君・自由戦士君 などほぼ同レベルであり、学生時代
どうもまとまな勉強をしてこなかった(できなかった?)ようでもありますが、(もしかして同一人物?)これらが邪義を吐き垂れているのをどうしても看過できない性質なのです。

もう少し相手をさせていただけませんか?

山人君などは引き篭ったようですから、忍耐強く破折を繰り返していけば、いつかは彼らもネタが尽きることでしょう。

また、このやり取りをみる法華講員・学会員双方にとってもまるっきり無駄なことでもないと思います。

ご迷惑でなければよろしくお願いいたします。
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 メッセージ 243 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

372.掲示板小休止のようですので再度質問させていただきます。
返信  引用 
名前:通りすがりの学会員です。    日付:6月15日(水) 21時53分
樋田様の所論拝見しますに、当方のごとき「浅薄な教育」しかないものにとっては、理解しかねる「深秘の法門」が多く見受けれれますようで、再度お教えを乞う次第でございます。

樋田様は218に付いて
 @法華真言勝劣事よりの「文は口伝すべし」の文をあげ、
 A「大聖人に「口伝」=御法門の御大事を、書に依らず、面受口決されるお考えがあられ、且つ又、口伝を以って伝えられていたということを論証する為にあらあら御文証を引いたのである。」といわれておりますが、
 
私の考え
 「文は口伝すべし」は、大聖人様が「理は法華経と大日経と斉等なり」の経文上の文証を真言師に求めた結果、真言師側が経名を上げ・文に関しては「文は口伝すべし」と以降この文証に関しての大聖人様の難詰が続くと、解釈しています。同様の法華真言勝劣に関してのべた「妙一女御返事」でも慈覚大師の口伝と伝教大師の御釈を相対して、「父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか」と批判されていますことは、浅はかな教育程度からかけ離れた古文漢文にもひいでた樋田様もご存知の事と思います。

そこで、樋田様が、「大聖人に「口伝」=御法門の御大事を、書に依らず、面受口決されるお考えがあられ、且つ又、口伝を以って伝えられていたということを論証する為」にひかれた、法華真言勝劣事よりの「文は口伝すべし」の文について再度ご質問させていただきます。
お手間を取らせぬよう、箇条書きにてかんたんに質問させていただきますのでかんたんでも結構ですのでご教示願いたいと思います。

 @ 「文は口伝すべし」は、破折さるべき真言師の言葉と解釈していいのでしょうか?または、大聖人様が御法門の御大事を含めて著された言葉なのでしょうか。

 浅学の身ゆえ、かんたんすぎる疑問点にて申しわけありませんが、ご会通願えれば幸いです。

 宜しくお願い申し上げます。

 

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 メッセージ 244 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

373.自由戦士君も山人君の恥論に信伏随従して得意然として喚いているから、一緒になって大恥をかくのである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 22時25分
自由戦士君曰く

△いいかい、「一弟子六人事」と次以降の六老僧の列挙では、明らかに書き振りが区別してあって、これは専門家のみならず、誰がみてもわかるものだよ。だから、ここは「いちでしろくにんのこと ふしだい」と読むのであって、次以降は「ひとつ(いち) れんげあじゃり にちじ」と順次続いていくわけね。

「一弟子=本弟子・六老僧の間に次第はない」これは誰あろう、大聖人が決められたことであって、しかもそれは「宗祖御遷化記録」という日興上人真筆の正文書として記録に残っているのだよ。

これに対し、怪文書をもって、この大聖人の決定、それを記した日興上人の思いに事実上、敵対しようというのが日蓮正宗だな。しかもよその寺の怪文書というおまけつきで・・・ね。笑
この箇所は「ひとつ でしろくにんのこと」と読み、「不次第」を後段にかけたいところだろうが、「一」と「弟子六人事」が「くっついちゃっているのだから」ね。笑

日蓮正宗としては、六老僧全員が一番弟子で次第がない、ということでは困るのだわな。相承書によって日興上人を「本門弘通の大導師」としたいのでしょ、なにしろ相承書を頂けば「学不学によらず生身の釈迦日蓮」という宗派なのだからね。笑

——————————————————————

●ああ成る程、 自由戦士君は山人君の以下の恥論を根拠として主張したい訳ですね?
今まで立論自体があまりに愚昧なので細部を見ていなかった。
いや〜自由戦士君、ありがとう。

これこそ一読噴飯・再読抱腹絶倒の迷論ですね。
以下よく見てみよう。

山人君曰く

▼「いちでしろくにんのこと ふしだい」ですから、大聖人の一弟子である六人に次第はない、という意味になります。「一弟子」とは文字通り一番弟子、第一の弟子、第一級の長老ということで、それが「不次第」ですから、この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。しかも大聖人は、この「一弟子」達を「本弟子」とまでされており、この二つの表現は同義と拝されます。

これにより、六老僧は「日蓮大聖人門下の第一級の長老・本弟子であり、門下の依師、法燈であり、六老僧に区別はなく対等である」と理解できます。
——————————————————————

●これは、思わず誇張でなく笑い出したくなるようなこじつけであって、しかも全く外している。
滑ってひっくり返って後頭部を強打している様である。
ほとんど、ズレきったオヤジギャクのレベルである。
以下完摧しよう。

該文は、富要集8−2には

@ 「一、弟子六人事不次第」  とあり、明確に「一つ、弟子六人の事 不次第」と読むように読点「、」が入っている。

A 山人君の大好きな 宗全 には 確かに「一弟子六人事不次第」とあるが、しかし、他の項目も全て「一御葬送次第」とか「一御所持佛教ノ事」とか、「一」と次項目の間に「、」が入っていない。

以上@Aを考え合わせれば、これは山人君の読み方とそれにより強引に導き出した「この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。」などという真に馬鹿馬鹿しい結論は、全くの失当。大外れ。大降りしたくせに空振りで尻餅・・といった醜態である。

自由戦士君もこんな山人君の恥論に信伏随従して得意然として喚いているから、このように一緒になって大恥をかくのである。
以後は少し慎んだほうが貴公の名誉の為である。

山人君も斯様な有様であるから、寺に篭って何かをみつけているそうであるが、二度と表に出てこない方が身のためである。
まっ、どうせ、もはや「山人」の屋号では出てきても惨めなだけであるから、屋号を変えてくるであろうが。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 245 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

374.Re: 掲示板小休止のようですので再度質問させていただきます。
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 22時33分
おお!ここは当方の読み違えでありました。

教えてくださってありがとうございます。

感謝します。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 246 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

375.ご苦労様。ただ恥の上塗りをしただけである。「不自由賎氏」君である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月15日(水) 22時57分
自由戦士君曰く

尚、参考として、この「一弟子」ということについては、他の御書にもありますわ。「浄土九品の事」(698・西山本門寺蔵)では法然の弟子の名を列挙し、一弟子として長楽寺の隆寛、小坂の善恵、筑紫の聖光を挙げ、他の成覚、法蓮等と区別しているね。

●だから何?
釈尊から唯授一人血脈相承において上行菩薩が受けた神力品の別付嘱=一大秘法=三大秘法 をご所持なされて末法に御出現の日蓮大聖人がその御法体を相伝なさるその御所作振る舞いと、法然如きの三大秘法の何たるかを全く解せない、放蕩・謗法の大悪人の後嗣を定める方途を一緒に論じることができると本当に思っているのであろうか。
全くの翳眼の者である。

しかも既に御遷化記録の誤謬は根本から打ち砕いてある。全くの牽強付会の妄論である。
ご苦労様。ただ恥の上塗りをしただけである。
「不自由賎氏」君である。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 247 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:30

 

376.神様氏へ。お答え、遅れました。申し訳ありません。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 0時2分
●今まで申し上げてきたように、戒壇の大御本尊様は血脈相承されたその時代時代の御法主上人の御裁断によってあらゆる形をとって永存されるでしょう。ですから、貴方の心配は杞憂ということになると思います。

>わかります。今後の科学の発達は未知数だと思います。でも物質は必ず必ず限界があります。永遠の時間は絶対絶対残りません。法とは永遠、宇宙大の壮大な時空をもつかさどっていると思います。そこは純粋にそう思われませんか?だから僕は単純にそこにこめられた日蓮大聖人の思想、思いが法であり、重要だと思うのです。わからずやかと思われたらすいません。でも単純にそう思うし、おまわれませんか?

●ここの疑問が実は真に深く、大重要事だと思います。

ここが難信難解・難解難入 なんだと思うのですね。

つまり、宇宙の法そのものが永遠、というのは信じ易い。理解し易い。⇒ 法身如来 なんです。
で、この法そのものを悟る働きとしての智慧の永遠性・・ここもまぁ、何とか信じれる。  ⇒ 報身如来  ですね。
で、ここです、ここが大問題なのですね。 
この法身如来と報身如来が相合するところに衆生を救う具体的な仏様の働きが現れる。 ⇒ 応身如来 です。

この応身如来様も永遠なのです。・・え〜〜!となるんですよね。真面目に考えると。

この三身は即一身で、そのまま大聖人様であり、大聖人様の御身御一身はそのまま即三身なのですね。
そしてその大聖人様はそのまま戒壇の大御本尊様なのであります。
戒壇の大御本尊様は報身如来様を表に顕されていらっしゃいますけれども、一身即三身・三身即一身の御本仏であらせれられ、三世常恒なのです。
つまり永遠に存在されるのです。

ここが信じれるか否かの具体的な面での瀬戸際です。

この一身即三身・三身即一身の仏様の寿命は永遠無限であると、釈尊は寿量品で説かれた。
ここは到底信じがたいけどもしかし信じなさいよ、と。

それが開目抄に
■「本門十四品も涌出・寿量の二品を除きては皆始成を存せり。雙林最後の大般涅槃経四十巻、其の外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども、応身・報身の顕本はとかれず。」
とあるところだと思います。

根本的にはそう信じ拝しまさに血統正しい御本尊様と境智冥合した時に、真の成仏の悟りがえられるのだと思います。

しかし、少しでも理解をしていただく為に敢えて更に砕いて考えますと、先にも言いましたように、戒壇の大御本尊様の御文字が大聖人様なのですから、御文字ならばどのような方法であっても厳護は可能だと思います。

それと、今現時にある物質だけを考えれば、確かに変化していくことは当然ですが、現の戒壇の大御本尊様も御衣替えや御化粧直しをされて、大聖人様御建立当時そのままではないですから、今後も、あらゆる手立てを尽くして、御文字を厳護されていくのです。

でも、その為には新たな保存の為の物質も加わっていきながら、しかし厳然と御護りされていくのです。

つまり変化しながら永存していただくのです。

貴方が戒壇の大御本尊様に絶対信をとれる、一段階として、今までの状況と今後の状況を説明しました。

今直ちに永劫の未来まで想いを馳せてしまうと確かに貴方の言うような気持ちになりますが、ここはしかし、凡慮を絶した仏の智慧を、そして御指南を勇気を出して心開いて信じる以外ないのですよ。

そして信じて戒壇の大御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えたとき、間違いなく生まれてから今までに感じたことのない境地を感得することができるのです。

貴方が私と共々に戒壇の大御本尊様を拝する日を祈っていますよ。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 248 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:31

 

377.何言ってんだか…┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
返信  引用 
名前:浜春    日付:6月16日(木) 0時38分
宗祖御遷化記録は国指定重要文化財で日興上人真蹟ですわな。
字の位置を見れば誰にでもわかるのですよ。

自由戦士さん曰く

△いいかい、「一弟子六人事」と次以降の六老僧の列挙では、明らかに書き振りが区別してあって、これは専門家のみならず、誰がみてもわかるものだよ。だから、ここは「いちでしろくにんのこと ふしだい」と読むのであって、次以降は「ひとつ(いち) れんげあじゃり にちじ」と順次続いていくわけね。


これ正解なんですよ。


宗祖御遷化記録に記述が存在することによって、二箇相承は完全なる後世偽作ですよ。

 

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 メッセージ 249 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:31

 

378.浜春さん
返信  引用 
名前:通りすがりのホッケコウ    日付:6月16日(木) 1時9分
>宗祖御遷化記録に記述が存在することによって、二箇相承は完全なる後世偽作ですよ

浜春さんがどの宗教に属しているか知りませんが、本当にこんなこと断言していいのですか?
平成になって日蓮正宗から破門されたとある団体は、二箇相承の正当性により、身延への折伏大行進をされたのでしょう?違いましたかね?

では、大聖人から、日興上人への相承は真っ赤なウソだと言うのですね?


379.浜春さん=七つ頭軍団の一員=つまり○○さんですね。
名前:terry    日付:6月16日(木) 1時31分
樋田さん。
横からの書き込みを御許し下さいませ。
よっぽど気になるらしく「七つ頭軍団員」の方がやってきましたよ。
この覆面は「浜春子」さんでございます。
覆面脱いで頂きましょうか?自信がおありならね。
多分覆面の下は「ただのスキンヘッド」でしょう。(笑)
http://groups.msn.com/t6dfjvoddibb0g38d1gj9eipf7

381.Re: 浜春さん
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 11時17分
この浜春さん、皆さんで遊んであげてくれませんか?
上品に格調高く。

その中でもし少し複雑で面白いこと言ってきたら、私も突き刺します。

確かに宿坊さんと同様で、言っていることがエンドレステープみたいですから・・・・

よろしくお願いします。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 250 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:31

 

380.(untitled)
返信  引用 
名前:通りすがりの学会員です。    日付:6月16日(木) 7時45分
樋田様>
おお!ここは当方の読み違えでありました。
教えてくださってありがとうございます。
感謝します.

ご回答ありがとうございます。
「検索かけて、コピー」する際は、是非御文を読んでからにいたしましょう。

それでは、様々な場所にて貴殿が問われております「二箇相承」「唯授一人血脈相承」「大御本尊様」等の真偽・文証の提示等、楽しみに拝見させていただきます。

「法華真言勝劣事」における真言師のごとく「口伝にあり」と繰り返すのみとならぬことを、期待させていただきます・・・・。

 本当にありがとうございました。

 

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 メッセージ 251 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:31

 

382.知らないのであれば、今回が初出であろうか。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 12時34分
NO221についての補足
▼この疑難はもはや出尽くして、完膚なきまでに破折し尽くされているのである。
今更この難を持ち出してくるとは、山人君も底が浅い。山人改め平人にでも改名したら如何か?

△ 強がらなきゃいけない宗教ってーのは、疲れるな。ところでさ「いつ、どこで、誰が破折し尽くしたのかな」
俺は「いちでしろくにん」を破折した日蓮正宗の文献を知らないや。教えて。
——————————————————————
●知らないのであれば、今回が初出であろうか。
373 を再度読みたまえ。
http://toyoda.tv

 

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 メッセージ 252 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:32

 

383.君、本当に大丈夫?ちょっとあまりにも低脳過ぎないか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 13時0分
自由戦士君曰く

NO223について

おじさん引用の文献の検証、数字の横はおじさんの引用。笑
1 然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。

◎ 曾谷殿御返事ね。別しての血脈が何故いきなり、大石寺貫主となってしまうのかいな、思い上がりだぞ。それにこの書を頂戴した曾谷さんはどこの人だい?中山法華経寺にさ、別しての血脈でもあるのか?笑
御書は全て大石寺の血脈信仰のためにある、との病気が出ているぞ。

——————————————————————
●池田さんを「思い上がりだぞ!」と叱り付けるとはたいした度胸ですね。

池田大作監修 仏哲

【別付属】総付属に対する語。

法華経神力品第二十一における地涌の菩薩への付属をいう。
付属は相伝・相承と同義で仏法上不可欠のものであり、神力品の付属を結要付属、本化付属ともいう。
教行証御書に「地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき仏の勅使なれ
ば・八十万億の諸大菩薩をば止善男子と嫌はせ給しか等云云」とある。
しかして神力品で釈迦が本化上行菩薩に別付属した妙法蓮華経こそ末法今時の大白法・三大秘法の南無妙法蓮華経なのである。
 また日蓮大聖人の仏法では、日興上人が日蓮大聖人より別付属をうけられており、二箇相承の一つ池上相承書は別付属書である。

▼ 曾谷さんはどこの人だい?中山法華経寺にさ、別しての血脈でもあるのか?笑

●ここはまさか本気で言っているのではないでしょうね?
もしマジで言っているとしたら、貴公はやはりダメですね。
当方へ問難してくるのだったら、もう少し基礎学力を向上させてからにしましょう。徒に恥をかくだけですよ。

この御書を頂いた当時、中山法華経寺 なんて異流儀はまだ存在してない。

君、本当に大丈夫?ちょっとあまりにも低脳過ぎないか?
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 メッセージ 253 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:32

 

384.「顔洗った」だけで足りないから、いっそのこと生まれ直して出直してきますか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 13時47分
自由戦士君曰く

▼◎ 当該文の次の「例せば」以降には何をいわれているかな?

⇒ 「爾前権経」で成仏かなわず、「法華経」で成仏できたことが述べられているね。

●はい、ここからして、貴公の怪釈は的外れである。
この御書は権実相対をお述べになっているのではない。
つまり、法華経と爾前権教とを対比された御文ではないのである。
その証拠に全文通してどこに権実相対のお言葉があるか。
全くないのである。
こういう基本的な綱格が分からずしてどんなに御文を怪釈しても無駄である。むしろ有害である。
顔を洗って出直してきなさい。貴公では顔を洗っても無理である。

本文は、冒頭から一貫して「境智の二法」を説かれ、この「境智の二法」こそが三大秘法である、と仰せであり、この三大秘法の付嘱に総付嘱と別付嘱があると仰せである。そしてこの総付嘱・別付嘱の二義の謂れを見誤って、その次第・筋道に背けば、成仏は絶対にできない。と仰せなのである。
つまり、別付嘱を蔑ろにして総付嘱のみに心を奪われ付き従うならば六道を輪廻し、生死の苦界を喘ぎ巡る、と仰せなのである。
そして、その事が真の師弟の本従関係で、その本従関係を厳密に守ってこそ成仏が叶うと仰せなのである。

その例えとして、
「大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀薬師に遇て成仏せず」
大通結縁の衆生は今日その後身の釈尊を師としてしか成仏しない。ととかれ、

「大海の水を家内へくみ来らんには家内の者皆縁をふるべきなり、然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案なり、大愚癡なり」
三大秘法の法界全体の功徳を眼前に汲み来るに、その眼前にある功徳の法水を直接下す師を離れて、法水を所持していない他師を崇めることは大いなる曲がった考えであり、道理の分からぬ大馬鹿者である、ということである。

——————————————————————
自由戦士君の怪釈

▼例せば、大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀薬師に遇て成仏せず、譬えば大海の水を家内へくみ来らんには家内の者皆縁をふるべきなり、然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案なり、大愚癡なり
意味  例えば、大通智勝仏の第十六王子(釈尊の前身)に下種され、釈尊在世に声聞界と生まれた者達(富楼那等)は、全く阿弥陀仏、薬師如来に逢っても成仏することはできなかった。(法華経迹門に至って成仏した、二成作仏)更に例えば、大海の水を家の内に汲んでくれば、家の内の者は皆縁を濡らし潤うことができる(法華経を信ずれば、その利益に潤う)。けれども、汲んできた大海の一滴をさしおいて、他方の大海の水を求めるのは大変愚かなことである(法華経をさしおき、爾前権経を求めては成仏はかなわない)

◎「例せば」ということは「前文の例えとして」であり、「後文」が「法華経による成仏」なら、前文=当該文は何だろか?
⇒ 前文=当該文も当然、法華経に関することであり、「法華経の範疇」を出ないのは当然。

——————————————————————
●はい、この通りに、自由戦士君の通解は法門の筋目から全く外れていて、貴公が総別を違えて崇拝する「師匠山人君」と同様、大振り・三振・転倒・尻餅・・の醜態である。
中学の時の基礎学力が悪かった方があまり力むと更に恥かいて惨めですよ。

「顔洗った」だけで足りないから、いっそのこと生まれ直して出直してきますか?
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 メッセージ 254 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:32

 

385.日蓮大聖人の仏法では別付属中の別付属を日興上人がうけられている。←全く正解
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 15時13分
自由戦士君曰く

◎ 「是には総別の二義あり」とは?
⇒ 「法華経の附属には総別の二義がある」を意味し、「別附属たる法華経の要=妙法蓮華経によって成仏がかなうのであり、総附属たる爾前権経等によっては成仏できず、輪廻生死を繰り返す」との文意だな。この「法華経によって成仏できる」例えとして、後文が続くのよね。
⇒ 法華経の附属の内容と利益する時代の違いを確認すべし

別附属  神力品第二十一 法華経の要を末法弘通のため、上行菩薩を始めとする四菩薩
に附属したこと

総附属  嘱累品第二十二 法華経の要以外の広・略二門と一切経を正像二千年の機と、末法弘通のための序として附属したこと

当該文では末法は「法華経の総別附属」中の、どの教えによるべきかを示されていて、「日蓮大聖人以降の総別附属」を伺わせる文意はないね。

——————————————————————
●おいおい、本当にこんなこと断定していいのか?
既述したが再掲する。
池田大作さんに怒られないか?

仏哲 池田大作監修

別付属 総付属に対する語。特別の伝承。
                           
 法華経神力品第二十一に「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者、皆仏前に於いて一心に合掌し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく。世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし」とある。
これは別付属の文である。
此の経を説くべしまでは地涌の菩薩の発誓である。
勧持品の発誓は本化迹化ともに通じてあった。
また嘱累品では総付属が迹化等に対してあったが、神力品では発誓も付属もともに地涌の菩薩だけに限られている。
また神力品第二十一には「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく……嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶尽すこと能わじ。要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
これは結要付属の文であるがこの文に二義がある。
「此の経の功徳を説くと雖も猶尽すこと能わじ」までは称歎付属の文で本尊の功徳を称歎している。
「要を以って言わば」からは結要付属の文である。
その法体は三大秘法の南無妙法蓮華経の御本尊である。
ゆえに三大秘法の御本尊を上行菩薩が別付属中の別付属としてうけられた。
高橋入道殿御返事に「末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勧菩薩等・葉王・観音等のゆづられし・ところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」とある。

こうして法華経では上行菩薩が別付属中の別付属をうけているが、日蓮大聖人の仏法では別付属中の別付属を日興上人がうけられている。

 二箇相承にも総別の付属がある。身延相承書は総付属書であり、池上相承書は別付属書である。そして戒壇の建立の付属は、別しては日興上人にのみあり、総じては弟子檀都一同に対してあったのである。また「日蓮一期の弘法、白蓮阿蘭梨日興に之を付嘱す」の付属は、第二祖日興上人への別付属を意味し、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」とは弟子壇那への総付属を意味する。また日興遺誠置文に「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」とある。この文は日興上人が重ねて滅後の弟子檀那へ総付属されたものと拝する。
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 メッセージ 255 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/16 16:32

 

386.384 修正
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 15時41分
▼◎ 当該文の次の「例せば」以降には何をいわれているかな?

⇒ 「爾前権経」で成仏かなわず、「法華経」で成仏できたことが述べられているね。

——————————————————————
●はい、ここからして、貴公の怪釈は的外れである。
この「総別の二義」という該文は権実相対をお述べになっているのではない。
つまり、法華経と爾前権教とを対比された御文ではないのである。
その証拠に該文のある段、全文通してどこに権実相対のお言葉があるか。
全くないのである。
こういう基本的な綱格が分からずしてどんなに御文を怪釈しても無駄である。むしろ有害である。
顔を洗って出直してきなさい。貴公では顔を洗っても無理である。
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 メッセージ 256 / 275 

 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:18

 

387.自由戦士君曰く
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 16時49分

◎ 曾谷教信の信仰状態  1276年・建治二年8月、本書「曾谷殿御返事」を賜った時の、曾谷教信の信仰状態を知ってるかい?

1273年・文永十年
観心本尊抄 「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」の文を誤読し、迹門不読の我見を構える。

1275年・建治元年11月
日蓮大聖人はその我見を厳しく破折し、曾谷教信に対する善導を、富木常忍に託す。
観心本尊得意抄                         抑も今の御状に云く、教信の御房、観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に、此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが、其の通りを以て御教訓有る可く候、所詮・在在処処に迹門を捨てよと書きて候事は、今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり 、設い天台伝教の如く法のままありとも、今末法に至ては去年の暦の如し

1276年・建治二年8月  曾谷教信は、本書「曾谷殿御返事」をいただく。

1279年・弘安二年5月
曾谷教信と同郷の太田乗明も、「法華経迹門不読」の我見を構え、大聖人は厳しく破折する。                                      
四菩薩造立抄                          一御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由其の聞え候と是は以ての外の謬なり〜迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり、私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし

⇒ 日蓮大聖人は、「不相伝の僻見」「天魔波旬の其の身に入り」と叱責した法華経迹門読誦に我見を構える門下に対して、日浅からぬうちに自身滅後の令法久住に関わる血脈義を説示するわけないでしょ。

⇒ 1275年・建治元年11月に、「観心本尊得意抄」で破折されたわずか十ヵ月後に、かかる教示は道理としてありえませんな。 
この前後の、大聖人の曾谷教信に対する指南は、法華経の構成に関することが中心ですよ。

1275年・建治元年 「法蓮抄」 1046 
今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり

1276年・建治二年八月 「曾谷殿御返事」 1056           返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし、釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う                                     
1277年・建治三年十一月 「曾谷入道殿御返事」 1058        南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり
大丈夫か?おじさんょ。
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 メッセージ 257 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:18

 

388.自由戦士君の論述などまさにそよ風にでも吹き飛ぶような軽率さである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 16時50分
●真に貴公の法門の領解は浅薄である。

1、曽谷殿の法門領解が斯様であったから、「本従の師」を明確に仰せになったのではないか。
本従の師を違えて我見に走ったら輪廻生死をさすらうことになる、と。

2、曽谷殿に対し直ちに大聖人御「▼自身滅後の令法久住に関わる血脈義を説示」された訳ではない。
曽谷殿に対しては
■「上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、先づ序分にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。」
とお示しになられ、まさに大聖人様が本師であられることを御教示されたのである。
しかし、それは大聖人御在世当時の、曽谷殿の機根に対する一往の辺であり、再往その元意を拝するに、

釈尊⇒別付嘱⇒上行菩薩(日蓮) ■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。」   
日蓮⇒総付嘱⇒衆生        ■「然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。」

という総別の二義を弁えなければ成仏は叶わぬと厳戒せられるのである。

この原理はそのまま

日蓮⇒誰かこの時では分からないが、上行菩薩が受けられた三大秘法の法体を付嘱される方(日興上人)(別付嘱)
その方(日興上人)⇒衆生(総付嘱)

以下、日目上人・日道上人と次第していく。

この義が含まれているのである。

その証拠に次下に
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」
とあるのである。
ここは曽谷殿に対しては大聖人様は未だ自らを上行再誕の菩薩であることをほぼ示しているだけであるから「法華経の大海」つまり久遠実成の釈尊から別付嘱を受けた「智慧の水を受けたる根源の師」というお立場を示され、「根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」と御教戒せられたのである。

ここを再往・元意を拝せば、「法華経の大海」とはまさに一身即三身・三身即一身の久遠元初の自受用報身如来であり、「智慧の水を受けたる根源の師」とはその久遠本仏の再誕日蓮大聖人様から別付嘱を受けられた日興上人以下御歴代御法主上人であることは、理の指し示すところ明白である。

また後段で
■「「在々諸仏の土に常に師と倶に生ぜん」と。又云はく「若し法師に親近せば速やかに菩薩の道を得、是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん」と。釈に云はく「本此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退の地に住す」と。又云はく「初め此の仏菩薩に従ひて結縁し、還此の仏菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給ふべし。」
とあるがここでもその元意を拝すれば、師弟の因縁に於いて、如何に時代が下っても「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師」=別付嘱を受けられた方が本従の師であることを念述されているのである。

以上自由戦士君の論述などまさにそよ風にでも吹き飛ぶような軽率さである。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:18

 

389.ありがとうございます
返信  引用 
名前:神様    日付:6月16日(木) 21時37分
●ここの疑問が実は真に深く、大重要事だと思います。ここが難信難解・難解難入 なんだと思うのですね。つまり、宇宙の法そのものが永遠、というのは信じ易い。理解し易い。⇒ 法身如来 なんです。で、この法そのものを悟る働きとしての智慧の永遠性・・ここもまぁ、何とか信じれる。  ⇒ 報身如来  ですね。で、ここです、ここが大問題なのですね。 この法身如来と報身如来が相合するところに衆生を救う具体的な仏様の働きが現れる。 ⇒ 応身如来 です。この応身如来様も永遠なのです。・・え〜〜!となるんですよね。真面目に考えると。この三身は即一身で、そのまま大聖人様であり、大聖人様の御身御一身はそのまま即三身なのですね。そしてその大聖人様はそのまま戒壇の大御本尊様なのであります。戒壇の大御本尊様は報身如来様を表に顕されていらっしゃいますけれども、一身即三身・三身即一身の御本仏であらせれられ、三世常恒なのです。つまり永遠に存在されるのです。ここが信じれるか否かの具体的な面での瀬戸際です。この一身即三身・三身即一身の仏様の寿命は永遠無限であると、釈尊は寿量品で説かれた。ここは到底信じがたいけどもしかし信じなさいよ、と。しかし、少しでも理解をしていただく為に敢えて更に砕いて考えますと、先にも言いましたように、戒壇の大御本尊様の御文字が大聖人様なのですから、御文字ならばどのような方法であっても厳護は可能だと思います。それと、今現時にある物質だけを考えれば、確かに変化していくことは当然ですが、現の戒壇の大御本尊様も御衣替えや御化粧直しをされて、大聖人様御建立当時そのままではないですから、今後も、あらゆる手立てを尽くして、御文字を厳護されていくのです。でも、その為には新たな保存の為の物質も加わっていきながら、しかし厳然と御護りされていくのです。つまり変化しながら永存していただくのです。貴方が戒壇の大御本尊様に絶対信をとれる、一段階として、今までの状況と今後の状況を説明しました。今直ちに永劫の未来まで想いを馳せてしまうと確かに貴方の言うような気持ちになりますが、ここはしかし、凡慮を絶した仏の智慧を、そして御指南を勇気を出して心開いて信じる以外ないのですよ。そして信じて戒壇の大御本尊様に南無妙法蓮華経を唱えたとき、間違いなく生まれてから今までに感じたことのない境地を感得することができるのです。貴方が私と共々に戒壇の大御本尊様を拝する日を祈っていますよ。



今までの返答の中で一番僕の中ではわかりやすかったです。ぼくがあまりにもしつこいので、一番の核心が聞けたと思います。
「ここは到底信じがたいけどもしかし信じなさいよ、と。」
「凡慮を絶した仏の智慧を、そして御指南を勇気を出して心開いて信じる以外ないのですよ。」
僕は人間の知恵、科学では絶対にわからないことがあると思っていました。大御本尊、題目の功徳、これはみんな疑問を体験や、教学の核心で思い込んでいるところがあると(他宗教、哲学も同じ)。上の二つの意見から、樋田氏の核心が聞けた気がします。でもこれは創造や思い込みではなく、凡慮を絶した仏の智慧と、樋田氏がこの疑問を消化なさり、ぜんぷくの信頼を信仰におき、功徳を得られているのだと思いました。

「戒壇の大御本尊様の御文字」
からは物質の限界や、科学、現代思想をきちっと受け止めている樋田氏の考えがうかがえました。僕はさらに深く、文字も地球という天体の、この現代文明の中で生まれたもので、やはりそこにこめられた思想が重要と思ってしまいす。やはりこれも凡慮を絶した仏の智慧と受け止められたのでしょう。他のたくさんの質問の中から、愚問ともいうべき私の質問に、毎回真剣に答えていただき、ありがとうございます。

 

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 メッセージ 259 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:18

 

390.Re: ありがとうございます
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 23時18分
まだ他にもお答えすべきことが残っていますよね。
その前に今のこのことに関連して。

大聖人様の仏法はご存知の通り下種仏法ですよね。
つまり、仏に成る種を衆生に植える。

ということは、永劫の未来のいつかは・・・例えば久遠元初から、五百塵点までと同じくらいの時が経過したら、と言ったらいいでしょうか、・・・今度は末法今時に下種されて成仏から漏れた衆生を救う為に熟益の教主と仏法が現れることになるのですね。(これは宗門関係の方がたでも意見が分かれるところですが・・)

久遠即末法、末法即久遠 と言いますから、久遠の御本仏の御化導はそのまま末法の日本・鎌倉での大聖人様の御化導と全く同じということなのです。ここなども俄かには信じ難いところですが。

そうしますと、脱益仏法時には戒壇の大御本尊は目に見える形ではいらっしゃらなかった訳ですから、・・・つまり、鎌倉 弘安二年十月十二日までは、目に見える形としてはいらっしゃらなかった。

そういう意味では貴方の仰る、想像している形としては、有り得ると思うのです。
が、しかし、ここが毎日読誦している法華経・寿量品、自我偈にも説かれているところですが、

我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数
無量百千万 億載阿僧祇なり
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して
仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見えざらしむ

三身が常住なんです。
我々には直ちに見えないけれでも。
ここを信じるんですね。
でも心がけ一つでちゃんとその常住の御仏を拝することができるんですね。

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず

ここですよ。

三大秘法の血脈正しい本門の本尊に向かって、本当に御仏に会いたい(≒真の悟りを得たい)と心から念じ、自分の命をも顧みず、本門の題目を唱え(自行化他の題目ですから、折伏も当然果敢に行うことも含む)本当に一生懸命に励む時、まさに大御本尊様に大聖人様はじめ三世十方の仏菩薩・諸尊・諸天・・・が厳然と現れるのであります。

それはまさに三世常住のお姿なのですね。

ですから、血統正しい御本尊を信じ拝した時に、御仏のお言葉は本当に間違いなかったーーー!と感涙止めどなく溢れるのです。

貴方が一日も早くこの境地を感得せられることを念じてますよ。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:18

 

391.当方のBBSへの書き込み。全く同感です。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月16日(木) 23時27分
卑劣な、宿坊さんへ 投稿者:ミュン 投稿日:2005/06/16(Thu) 20:29 No.286 [返信]


卑劣な、宿坊さんへ

樋田氏との法論をしても、樋田氏に書き込みをさせずに、勝利宣言をするなんて、宿坊さんはくずで卑劣です。
どんなにずるいやり方をしても、大御本尊様は宿坊さんのしたことをすべて見ていますよ。必ず宿坊さんがこのようなことをしたことの後悔をする状態、人生になるでしょう。それが今世か来世かはわかりませんが。でも宿坊さんのこれからの輪廻転生をする永遠の未来が、悲惨なことは決定していますよ。
勝つために形を取り繕っても、大御本尊様はおみとおしです。
早く大御本尊様にあやまりなさい。早くばかなことはやめて日蓮正宗に入信しなさい。世界で正しいのは、日蓮正宗の大石寺だけで他の宗教はみな不幸にする宗教だから。

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 メッセージ 261 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:19

 

392.沖浦くんより
返信  引用 
名前:sinn    日付:6月17日(金) 0時2分
249.法華講の皆さん、どうします?
名前:沖浦克治 日付:6月16日(木) 22時3分
 束になって会いに来なさい。
 日時場所の検討に移ります。
 お前は、逃げるなよ!!!

こんな挑戦状が舞い込みました。たぶん、「お前」とは私。でも、「束になって」いいそうです。どうしましょう??

 

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 メッセージ 262 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:19

 

394.Re: ありがとうございます
名前:神様    日付:6月17日(金) 0時28分
今回の返信も今までで一番心に響きました。科学を無視して本尊や題目を信じるのは愚かだと思っていました。だが、樋田氏はもっと深い境地におられたのですね。ですが僕は創価学会は否定できません。父の境涯と母の幸福な姿は絶対に無間地獄の境涯ではないからです。すいません。あと心無い学会員の書き込みは確かに意図的に樋田氏を挑発するものです。しかし、それに対して同じ姿勢で樋田氏が反論されれば、相手も絶対に心は開けません。法論もそうです。相手を打ち負かすのがもくてきですか?相手を救うことでしょう。樋田氏の優しさにふれればもっと分かり合えると思います。余計なこと書いてしまい、すいません。

 

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 メッセージ 263 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:19

 

396.法門理解の素養がないので、生まれ変わってくるべし。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 11時59分
自由戦士君曰く

2「此の経は相伝に非ざれば知りがたし」

◎ これについてはおじさんは以前、こういうこといったの覚えてるかい?
▼「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

◎で、まずはさ、この「一代聖教大意」の「問う諸経の如きは或は菩薩の為・或は人天の為・或は声聞・縁覚の為・機に随つて法門もかわり益もかわる・此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し・所詮・悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣八部総じて十界の衆生の為なり」をどうすれば「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのかいな?是非、詳細な説明をしてくれ。

——————————————————————
●貴公はまだこんな所で蹴躓いているのか。およそ成仏は思いの外、三悪道へ堕つべし、である。

『一代聖教大意』の
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女人、四趣八部、総じて十界の衆生の為なり。(中略)此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す、仏意恐れ有り」     (新編九二頁)

との仰せは、権実の違いを示されたものである。

 すなわち、権教(爾前経)では、悪人や女人や二乗は成仏できないとされてきたが、実教である法華経は、悪人善人・有智無智・有戒無戒——等々、総じて十界の衆生がすべて成仏するための教えである、と言われ、そして、不相伝の者≠ヘこのことがわからないので、「法華経は我等凡夫のためには有らず」などと言うのだ、と示されているのである。

 権実相対ということは相伝に依らなければわからない、というのがこの文の面に表われたところの意味(附文の辺)であるが、しかし元意(がんい)においては、権実相対ですら相伝に依らなければわからないので、ましてや本迹相対も種脱相対も、ましてや、三大秘法の深旨、なかんずく、一大秘法の深義=御本尊の深旨などは、相伝に依らなければわからない、との意が存するのである。

■「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。」

法華経とは煎じ詰めれば、三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊、となるのである。

 このことについては、日寛上人も、『撰時抄愚記』に

 「若(も)し法華経の謂(いわ)れを知らざれば法華も仍(なお)これ爾前の経なり。(中略)若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり。(中略)若し文底の謂を知らざれば文底は仍熟脱なり。(中略)
 宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云。これ知る所に非ざるなり」(文段集二七一頁)

とお示しである。

詳細な説明をしたが、これでも分からんか?

だとすれば、それは日本語が理解できないか、法門理解の素養がないので、生まれ変わってくるべし。

来世は順縁で生まれることだろう。
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 メッセージ 264 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:22

 


393.Re: 沖浦くんより
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 0時14分
いや〜〜、願ってもないことです。

是非是非、大法論しましょう。

彼は当方のDVD普及には猛烈に反対の方でしたから、今回は記録に撮ったら、法華ちゃんねるで無料大公開しましょう。

だったら彼にも不満・不足はないはずでしょう。

お互いの正邪を決して、全国の皆様に見ていただきましょう。

是非進めてください。

当方は喜んで参加したいです!
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 メッセージ 265 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/17 12:23

 


395.Re: 沖浦くんより
名前:sinn    日付:6月17日(金) 0時31分
思っていたとおりの御返事ありがとうございます。

遅くまで、板のチェックご苦労様です。

今回の提案は沖浦君からの提案ですので、「遁走」はないでしょう。
もし、遁走したら「遁走王」の勲章でも差し上げましょう。

 

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 メッセージ 266 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:03

 

396.法門理解の素養がないので、生まれ変わってくるべし。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 11時59分
自由戦士君曰く

2「此の経は相伝に非ざれば知りがたし」

◎ これについてはおじさんは以前、こういうこといったの覚えてるかい?
▼「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

◎で、まずはさ、この「一代聖教大意」の「問う諸経の如きは或は菩薩の為・或は人天の為・或は声聞・縁覚の為・機に随つて法門もかわり益もかわる・此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し・所詮・悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣八部総じて十界の衆生の為なり」をどうすれば「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのかいな?是非、詳細な説明をしてくれ。

——————————————————————
●貴公はまだこんな所で蹴躓いているのか。およそ成仏は思いの外、三悪道へ堕つべし、である。

『一代聖教大意』の
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女人、四趣八部、総じて十界の衆生の為なり。(中略)此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す、仏意恐れ有り」     (新編九二頁)

との仰せは、権実の違いを示されたものである。

 すなわち、権教(爾前経)では、悪人や女人や二乗は成仏できないとされてきたが、実教である法華経は、悪人善人・有智無智・有戒無戒——等々、総じて十界の衆生がすべて成仏するための教えである、と言われ、そして、不相伝の者≠ヘこのことがわからないので、「法華経は我等凡夫のためには有らず」などと言うのだ、と示されているのである。

 権実相対ということは相伝に依らなければわからない、というのがこの文の面に表われたところの意味(附文の辺)であるが、しかし元意(がんい)においては、権実相対ですら相伝に依らなければわからないので、ましてや本迹相対も種脱相対も、ましてや、三大秘法の深旨、なかんずく、一大秘法の深義=御本尊の深旨などは、相伝に依らなければわからない、との意が存するのである。

■「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。」

法華経とは煎じ詰めれば、三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊、となるのである。

 このことについては、日寛上人も、『撰時抄愚記』に

 「若(も)し法華経の謂(いわ)れを知らざれば法華も仍(なお)これ爾前の経なり。(中略)若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり。(中略)若し文底の謂を知らざれば文底は仍熟脱なり。(中略)
 宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云。これ知る所に非ざるなり」(文段集二七一頁)

とお示しである。

詳細な説明をしたが、これでも分からんか?

だとすれば、それは日本語が理解できないか、法門理解の素養がないので、生まれ変わってくるべし。

来世は順縁で生まれることだろう。
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 メッセージ 267 / 275 

投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:03

 

397.不相伝家の輩が大聖人の御真意を知り得ない理由があるのである。←全く正解
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 12時37分
●書けば書くほど、無様である。

開会の法門すら知らないのか?
佐前の御法門は佐後の御法門から開会するのは、初門、基本中の基本。
そんなことも知らないで、御書を齧っても全然 ダメ!。腹を下すだけである。

再三登場、池田大作監修  仏哲

これを読んで自由戦士君、脇汗かかないか?

では自由戦士君池田先生に破折してもらいましょう。

■「【佐前佐後】 佐渡以前、佐渡以後という意。

日蓮大聖人が文永八年(一二七一年)九月十二日に首をはねられようとした、竜のロの法難とそれに続く佐渡流罪を境にして、それ以前を佐渡以前、それ以後を佐渡以後という。

 日蓮大聖人御一代の御化導の次第を拝するに、建長五年(一二五三年)四月二十八日に宗旨を建立されて以来、文永八年(一二七一年)の佐渡御流罪にいたる十八年間は、ただ、題目の流布にとどまり、いまだ三大秘法の名目すら説かれていない。ゆえに御抄には佐渡以前の御書は、仏の爾前経とおぼしめせと仰せられている。

三沢抄(一四八九頁)に「又法門の事はさどの国へながされ候いし己前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめ…去る文永八年九月十二日の夜たつのロにて頸をはねられんとせし時より・のちふぴんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」
とあるように、日蓮大聖人は、竜の口の頸の座において凡身、上行菩薩の再誕としての迹の姿を発って、久遠元初の自受用身としての本地を顕わされたのである。
このことを発迹顕本という。

 百六箇抄(八五四頁)には、「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」とあり、
また開目抄下(二二三頁)には「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂塊・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」とある。

このように、佐渡御流罪以前にあらわされた法門はいまだ、日蓮大聖人の真意を尽くした法門ではないのである。
この相違を知らないところに、不相伝家の輩が大聖人の御真意を知り得ない理由があるのである。

 例えば、佐前の御書で十大部の唱法華題目抄(一二頁)に次のような一節がある。

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造っても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし……」と。

ここにお述べの本尊については、大聖人の御真意ではない。

すなわち、佐渡以前においてはいまだ身業読誦が終わらず、佐渡にいたって初めて、内内申す法門とて開目抄および観心本尊抄を御述作遊ばされたのである。

しかして、開目抄には日蓮大聖人こそ上行菩薩の再誕であらせられ、また末法に入っては主師親三徳の御本仏で、あらせられるとて、末法に建立される人の本尊を開顕遊ばされたのである。

次いで観心本尊抄には法の本尊を開顕遊ばされ、末代三毒強盛の我等衆生が即身成仏できる大御本尊の相貌を、正しく御教示になったのである。

 然らば、佐渡において初めて大御本尊を建立遊ばされ、終窮究寛の御本懐を達せられたかというにそうではない。

大御本尊の建立は、広宣流布の暁に本門戒壇が建立されることを予期なされて、その時が至って本門の大戒壇に安置されるべき本門戒壇の大御本尊の御建立こそ真に極説中の極説として、身延入山後、弘安二年(一二七三年)十月十二日に出世の本懐をとげられるのである。

ゆえに、聖人御難事(一一八九頁)には「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」と述べられ、建長五年(一二五三年)以来、二十七年を経て、戒壇の大御本尊を御建立になったことを出世の本懐とされている。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:03

 

398.自由戦士君池田先生に破折してもらいましょう。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 12時37分
 さらに佐後の諸御抄には、許細に末法流布の御本尊の相貌が説かれている。

すなわち、本尊問答抄(三六五頁)には「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、…‥不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり……本尊とは勝れたるを用うべし」とあり、

日女御前御返事(一二四三頁)には「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ……総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」とある。

また、三大秘法抄(一〇二二頁)には「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁
深厚本有無作三身の教主釈尊足れなり」とある。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:04

 

399.今度、当方へ邪難を仕掛ける時にはもう少し基礎を勉強してからにせよ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 13時1分
自由戦士君曰く

◎ あとさ、素朴なところでいえば「一代聖教大意」の当文を大聖人が自身滅後を志向されて書かれた、という根拠はどこにあるのでしょうかね。「解釈論で」というのなら、誰が解釈したのでしょうかね。笑

大丈夫か?おじさんよ。笑

——————————————————————
●前段と同義であるが、真に仏法の初門にすら達していない虚け者の代表「戦士」である。

池田大作監修 仏哲  

開会 抜粋

また文底の南無妙法蓮華経が顕われれば、三世諸仏のいっさいの経は、みな妙法の一法に収まり、一代聖教ことごとく南無妙法蓮華経の一法に会入するのである。ゆえに文底独一本門の義によって、一代聖教の経文を判じるのである。

本門の本尊が顕れたれば、その義から佐前の御法門中の 「此の経」 「相伝」 なりの御文を判ずるのは初学の者でも知っている常識である。

此の経=法華経⇒三大秘法=一大秘法⇒戒壇の大御本尊

相伝=唯授一人血脈相承による戒壇の大御本尊の深旨・御内証

故に、以下の表現になって当然である。

▼「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

これが分からないのは、貴公が法門未熟であるからである。

今度、当方へ邪難を仕掛ける時にはもう少し基礎を勉強してからにせよ。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:04

 

400.396 と 397の間に挿入  自由戦士君の言い分も載せてあげましょう。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 13時4分
自由戦士君曰く

この書は正嘉二年(1258年)二月十四日の執筆で、大聖人は37歳の時ですわ。曼荼羅本尊図顕は現存からすれば、「文永八年(1271年)十月九日」の所謂「楊枝御本尊」からで、13年後となるのよ、その時大聖人は50歳ですよ。

◎で、その曼荼羅本尊の相貌は、文永、建治、弘安と勧請諸尊が増え、座配が整足されていかれるのですが、曼荼羅の全体の構成・形態を分類し、総称として「十界勧請曼荼羅」「総帰命曼荼羅」などに分類されるのよね。
曼荼羅の紙面に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界(十法界)すべての衆生がしたためられているものが「十界勧請曼荼羅」。「総帰命曼荼羅」は、曼荼羅に勧請された諸尊のすべてに、「南無(帰命)」の二字が冠されていることから、こういわれるのですね。
この正嘉二年(1258年)以降の大聖人の本尊は

文応元年5月  法華経を本尊  鎌倉
唱法華題目抄  文応元年五月   
問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、

文永7年 本尊の教示・釈尊を本尊にせよと  鎌倉
善無畏三蔵抄  文永七年 与義浄房浄顕房 
此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず〜大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、(中略)而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。

文永7年10月 法華経を本尊  鎌倉
大豆御書  文永七年十月 
大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候、

と、記録にあるのよね。このように自身は「法華経を本尊」とし、門下には「釈尊を本尊にせよ」といわれ、曼荼羅本尊図顕13年前の段階で、「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのはなぜかな。坊さんのデタラメ説法をまに受けたか。ぜひ、詳細なる説明をして頂こうじゃない。笑
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:04

 

401.自由戦士君、やはり、君ではダメだね。話にならない。全く得るものがない。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 14時9分
自由戦士君曰く

3、4、5はまとめて
3 凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり
真言見聞 
4 次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す(略す)
四恩抄
5修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり

◎ ここに説かれる僧が大石寺の坊さんである証明は?笑
「唯授一人血脈相承」信仰の、大石寺の坊さんのことではありませんよ。

——————————————————————
●哂うべし。自由戦士君の悩乱ぶり。
では、誰かな?
五老の日昭・日朗あたりか?
自由戦士君は一体何を拝んでいるのでしょう?
大石寺二十六世日寛上人が戒壇の大御本尊を書写した御本尊を撮影・改竄・した掛け軸ではないか?

それとも、久遠実成の釈尊に脇士に四菩薩でも並べて拝んでいるかな?

まさに哂うべし。御曼荼羅本尊のみを拝する化儀は一体どこの法門で誰から伝わったのだ?

自由戦士君、やはり、君ではダメだね。話にならない。全く得るものがない。
次回もしこのレベルならば、もう貴公は相手にしない。
もう少しましな邪難を頼みます。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:05

 

402.実名を名乗り、教学的な学術論文を学会本部へ提出し池田せんせ〜の認可をもらいたまえ。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 14時26分
続いておじさん云く
▼ これら御文の義から言って、神力品の別付嘱(別しての血脈)は
在世  釈尊=上行(内証日蓮大聖人)
末法  日蓮大聖人=日興上人=  =   =   
となるのが道理だが、もしこれを否定するのならば、教学的に詳細に説示せよ。

△ 神力品の別付嘱は在世にはあるけど、滅後に別付属はないよ。大聖人は別しての血脈なんてやってないからね。文証は上記破折済み。笑

●池田大作監修 仏哲を再三再四読み返すべし。
もしそれを否定するのなら、実名を名乗り、教学的な学術論文を学会本部へ提出し池田せんせ〜の認可をもらいたまえ。

口伝・相伝・相承 についての邪難は摧破済み。

更に大聖人が口伝によって深義を伝持された証拠を例示しよう。

■寿量品文底大事
 問うて云はく、開目抄の上に云はく「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」と云ふ意趣如何。
 仰せに云はく、当流の相伝惟に谷まれり。口外すべからずと雖も末代の為に一筆之を残さん、

■秘すべし秘すべし、唯受一人の相承なり、口外すべからず。

■秘すべし秘すべし、口外も詮無し。

■慥かに塔中相承の秘文なり。下種の証文秘すべし

■所詮今末法に入りての如法相是は塔中相承の本尊なり。

■相承の意を相伝せんが為なり

■聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。

■日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:05

 

403.真に池田先生、世界の大指導者。まさに正論である。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 14時43分
自由戦士君曰く

▼ 上行菩薩への別しての血脈が、仏法三世の通規であるが故に、末法でも大聖人からただお一人へ相承されなければならない。

△ 文証が文証になっていない。自らの唯授一人血脈相承を正当化するちめの日蓮正宗だけの妄想だな。「ならない」ってのは根拠なし、というか、これこそ日蓮正宗が大聖人に敵対し、利用し、幻を実物であるかのように見せかけるための典型的な話術だわね。騙されてはいかん。

●よく読め。仏哲。 池田先生はこう仰せである。

【唯受一人の相承】

 総付属に対する別付属であり、血脈相承のことをいう。師よりただ一人の弟子を大導師と定めて民衆救済の大法を伝授することをいう。
仏法上の肝要である。(中略)日蓮大聖人は身延相承書において「日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す……血脈の次第 日蓮日興」とお認めのごとく日興上人ただ一人にその所持の大法を相承している。

【血脈相承】

仏法は、三世にわたって、一切衆生を救うべき大法であるから、血脈相承の付属が大原則であり、清純に後世へ伝弘されていくのである。

仏法を流通するには師匠から弟子への、唯授一人の血脈相承によるのである。

 日蓮正宗の法門は、日蓮大聖人から日興上人へ、日興上人から日日上人へと、その後、代々と相承され、法燈連綿として、七百有余年間、広宣流布、王
仏冥合の時を待ちつつ、清らかに伝授され、血脈相承されているのである。

日蓮大聖人はこの血脈相承について、本因妙抄(八七七) に「日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ」とあり、
また、御着口伝(七八三) に「秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず」と、唯授一人の血脈相承であることは明々白々である。

日蓮大聖人から、二祖日興上人におゆずりなされたことは、身延相承書に「血脈の次第 日蓮日興」とおしたためになっている。

 血脈相承の大事なことは、立正観抄(五三〇)に「当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり」とある。

相承とは、ゆずった者とゆずられた者がなくてはならない。
仏法の奥義は、あくまでも師弟相対のうえに立っての、唯授一人の血脈相承以外にないのである。

●真に池田先生、世界の大指導者。まさに正論である。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:05

 

404.まことに自由戦士君、おめでたい限りである。
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 15時29分
自由戦士君曰く
——————————————————————
▼ これが末法万年仏法伝持の基本である。その綱格の上に、六老僧は定められたのである。(「順不次第」の意味するところの真意はここにあるのである)

△ 日蓮正宗のいう「基本」「その綱格」は存在しとらんのだわ。大聖人がやってもいないことを「基本」「その綱格」だなんて、デタラメもいいとこ、破仏法の妄言だね。
六老僧を全員、一弟子・本弟子とし、そこに次第無く、六門徒・和合僧体制を定められたということよ。

●前段を目を皿のようにして読め。以上。

——————————————————————

▼ そうした上行所伝の、別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老、そしてまたそれに連なる弟子・檀那 と、斯様な成仏の血脈の次第と組織構成である。

△ 「別しての法体を所持される本師を中心とするところの六老」なんて、日蓮正宗の妄想の中にしかなく、文証も根拠も存在しませんよ。めでたいな。

——————————————————————
●【血脈の次第】仏哲

仏教の真髄は、口決相承・血脈相承でなくてはならない。

また日蓮大聖人の相承は、六老僧に対して平等になされたなどという迷論もあるが、それは血脈相承の本質からいっても歴史的にみても誤りである。

●まことに自由戦士君、おめでたい限りである。
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投稿者 : MSN ニックネームterry-44

投稿日時 : 2005/06/22 0:05

 

405.「御書を持たせりゃメクラ撃ち、富要を振れば空を切る」の「不能人」ではないか?
返信  引用 
名前:樋田 昌志    日付:6月17日(金) 15時30分
▼しかしこれを以って、六老の現時の行動を日興上人が肯定していることは断じてないのである。—山人君、いや惨瞋君 いや 浅瞋君 よく分かりましたか?

△ 笑うね。「人がいってもいないことをいったとし、それを破折したつもり」ってのはなんだ「一人芝居」ってんだよ。そういうふうに強がって見せ続けることでしか「勝っている」という印象をつけられない宗教ってのは慢心・増上慢の塊だね。
「日蓮大聖人と関係ない日蓮正宗の教義など認識・破折の対象であり、信仰として理解などしたら地獄行き」だよ。笑

——————————————————————
●あらあらとうとう池田大作先生を地獄行き、とは!大丈夫か?貴公の組織的な行く末が心配である。

池田せんせ〜 監修  仏哲

血脈

血脈相承の略 

血脈相承とは師資相承ともいい師とは師匠、資とは稟(うけ)る意味で弟子、師弟相対して法門を相伝すること。

@日蓮大聖人より日興上人への唯授一人嫡々の相承のこと。総じては、大聖人直流の門下に相伝があるといえるが、法体の相伝は唯一人に限るのである。
(中略)
化儀秘決(富要一巻三〇〇頁)には
「御大事御抄等の内意、代々の置文等を以って之れを勘うるに、中央に題目、左右に釈迦多宝を遊ばす、文の上は在世の様なれども末法の釈迦とは日蓮なり多宝とは日興なり、題目とは事行の本尊なり、謂わく十界互具して人法一個する題目なり、墳母法身の日興は左に居し智父報身の日蓮は右に居し境智冥する時中央の浸茶羅なり、然る間、日蓮の魂も題目なり、日興の魂も題目なり、唯我与我、唯仏与仏乃能究尽とは爰元なり、末法一切衆生の父は日蓮、母は日興、我れ等当体蓮華仏となる種子は題目、此の種子を高祖は授け給う日興は受け取りて九界惣在して是れをはらみ給うなり、其の種子は境智冥合定恵和融して父母をはなれざる処が中央の題目なり、其の題目成仏の子と生るる時は日日と習うなり、下種とは是なり、題目、日目同意なり名詮自性に叶うなり、夫れは血脈の次第なり」とある。
             
A大聖人より血脈相承を受けつぐ正統相伝家たる日蓮正宗富士大石寺門流をさす。
類衆翰集私(富要二巻三四五頁)に
「仏法に背く人・地獄に処すべきなり、当世の法華宗は大段・本尊と血脈とを知らざれば獅子身中の身に三衣を借る法盗罪の者なり」とある。

一般日蓮宗の本尊雑乱と御相伝を知らず、謗法をかさねるのを破折されている。

同じ意味で富士門流に次のような諸記がある。

六人立義破立抄私記(富要四巻二九頁) 
「心は血脈乱れざる付弟代々上人は日蓮聖人の如き御本尊なり」と。

● ▼「日蓮正宗の教義など認識・破折の対象であり、信仰として理解などしたら地獄行き」だよ。笑」などと言うなら、これ程、「日蓮正宗の教義」を「信仰として理解など」している池田先生は真っ先に「地獄行き」って言うわけですか。

おそろし、おそろし。

——————————————————————
自由戦士君曰く

山人さんは言っているよ。
「『富士一跡門徒存知の事』『五人所破抄』は、五老側が天台沙門と号したこと、一部如法経を修したこと、曼荼羅本尊の扱い等、法門上の異解『五一の相対』により、五老僧を破折する内容となっております。」
「日興上人は五老僧を自身の門流の傘下にされようとはせず、それぞれの系統自体を云々することはありませんでした。」
「日興上人は大聖人の立てられた法門を守るという姿勢で他に臨まれており」ってね。笑

「鉄砲持たせりゃメクラ撃ち、刀を振れば空を切る」のとおりだな。笑

●日興跡条々事・御遷化記録は詳細に摧破してある。
山人君など当方からの破折の鉄槌に怯え、あろうことか、「寺篭り」しているというではないか。
どこの寺か?
五老系か?
それともいっそ、念仏か、禅寺か?
しかも貴公はその引き篭もりの臆病で弱虫の山人君が師匠で、その文章を文証として出してくるとは、まさに悩乱の極みか。
山人君は人を成仏させることができるほど根拠確かな者なのか。

「御書を持たせりゃメクラ撃ち、富要を振れば空を切る」の「不能人」ではないか?

貴公も同穴である。
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406.Re: 「御書を持たせりゃメクラ撃ち、富要を振れば空を切る」の「不能人」ではないか?
名前:準レギュラー    日付:6月17日(金) 16時24分
じゃさあ〜 平成二年までの大白蓮華の猊下の「新年の辞」とかはどうなったの?学会や池田先生を絶賛してたよね?
分かってるって(´∀`)状況が変わったって言いたいんでしょ?
こっちも同じだよマサ〜シ さんざん守ってやったけど広布破壊の魔の住処となったら大石寺なんか切り捨てて当然だ。一番新しい創価ルネサンス後の「仏教哲学大辞典」は読んだのかね?マサ〜シ、いまどき教育勅語読んでる輩はおらんだろ?
今 学会会則からは「日蓮正宗の教義に云々」「弘安二年の大御本尊」の二項は消えてんだなあ! だからマサ〜シの引用は×だな!
だから山人君や自由戦士君やらが何を語ろうが御書に載っとる限りはフリーハンドなんだなこれが。まあご苦労さん、チミが負けず嫌いなのはよ〜く分かったよ、笑