328.勝利宣言

 

名前:宿坊  日付:6月1日(水) 17時0分

 

勝利宣言

 

 

日蓮正宗法華講・樋田昌志君は「本門戒壇の大御本尊は本物である」との立証を成せませんでした。

 

よってここに私・宿坊の勝利を宣言します。

 

 

 

彼の主張は、従来の日蓮正宗のいうところの言葉を変えただけであり、屁理屈・揚げ足取りを加えたものです。更に経典をして「脅しの道具」とする、その独自の悪しき体質も露見することとなりました。

 

日蓮正宗の孕む「オカルト性、カルト性」というものの標本ともなったと思います。

 

 

 

応援してくださった創価学会の皆様、たいへんにありがとうございました。

 

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327.大糞講頭の足元にも及ばなかった、マサシ君へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 14時40分

 

→マサシ君、君も実におめでたい考え方をしているね。

「大聖人の文証中心のお言葉の背景を説明・解説」して、「俺達のことじゃない」といいたいようだが、それら御文はそのまま今日の日蓮正宗破折に通じているのだから、心して拝するように。

 

 

※「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。

仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく『五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ』と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

 

「『五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ』と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

 

「若し謗法ならば、亡国堕獄疑ひ無し。凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

是涅槃経の文なり。爰を以て法華経には『則ち一切世間の仏種を断ず』と説く。是を即ち一闡提と名づく。」

 

 

 

→マサシ君、ここに説かれる三宝のうちの、僧というのは正法伝持の僧だぞ。

君達邪宗・日蓮正宗の坊さん達のことではないのだから、何箇所御文を引こうが「その刀は空をきるだけ」ということをしりなさい。

 

では、邪法の坊さんこそが正法を滅するという御文を拝そうではないか。(笑)

佐渡御書  957                                外道悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし、親しみより破るべし〜般泥?経に云く「当来の世・仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん、当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云

 

※ そういう極悪の者どもの報いを更に学ぼうではないか。

「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」

貴公らがん首揃えて「一同に後生は無間地獄」である。

仲良く地獄の業火に焼かれる哀れさよ。惨めさよ。

 

→マサシ君、しゃべり方がだんだん浅井センセイ一派=顕正会に似てきたね。(笑)

 

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326.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 14時28分

 

「本門戒壇板本尊」は偽作です、

大聖人・日興上人・日目上人・上代の御弟子在家はすべて存じがないのです。

まして「二箇相承」「日興跡条々の事」は偽書です。

偽書を持って創作板本尊を証明しても意味がありません。

大石寺にあるのはすべて偽物でしょう!

貴殿はそれを証明できなかったのです。

 

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325.腐った根性では到底真面目な学究は出来ようはずがない。

 

名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 14時18分

 

▼破良観等御書  仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず・専ら経文を詮とせん、1293 未決

 

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●これも正しく前段と同意である。

 

がしかし、引文の御書が 未決 であるのに貴公らは何故引けるのか?

 

自分たちに都合の悪い御書は「未決」だからと退け、自らの邪難を(文義も理解できずに)補強できる、と判断したものは、臆面もなく引用する。

 

そういう腐った根性では到底真面目な学究は出来ようはずがない。

そのような恣意的な引き方では邪難そのものの論理性すら破綻している。

 

真に頭破七分の謀者である。

 

後に言い訳がましい書き込みがあるが、一読で噴飯ものである。

当該箇所にきたら徹底的にその我田引水振りを暴くので、それからである、この段の貴公らの引文の無知さ加減を明示し裁断するのは。

 

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324.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 14時17分

 

やはりただのタヌキでしたね!

貴殿には大勢の方ががっかりします。

「本門戒壇板本尊」は偽作です、

「二箇相承」「日興跡条々の事」

マサシ君が証明しなければならないことが、

何一つ証明できませんでした。

せっかく大先生と持ち上げさせてもらいましたのに。

これからは大手を振って歩かないように。

 

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323.「山岳救助」してもらいたまえ

 

名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 14時0分

宿坊君へ

 

山人君の痴論の丸写しが出来なくなると、途端に内容が空っぽになるな。

 

山人君にもう一度懇願して「遭難信号」出して「山岳救助」してもらったら如何?

 

所詮貴公らは

 

■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」

 

まとめて一同で地獄まで「滑落」するであろうが。

 

哀れな姿である。

 

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322.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時58分

 

D 日蓮大聖人も上行菩薩として「口伝」で付属を受けたという一方で、自身は経説により法の正邪を判じ、口伝によらずとされ、文証中心をいわれています。

 

 

◎ 口伝より経文を重んずべき

妙一女御返事  弘安三年七月 P1258

求めて云く・慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり・慈覚大師の口伝真実なるべきか、

 

◎ 設い伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも

報恩抄 (建治二年[太歳丙子]七月二十一日)  P307

抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや此の事よくよく尋ぬべし、慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値い奉りての目くらべにては候へども慈覚・智証の御かたふどをせさせ給はん人人は分明なる証文をかまへさせ給うべし〜設い慈覚・伝教大師に値い奉りて習い伝えたりとも智証・義真和尚に口決せりといふとも伝教・義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん、

 

→ついでに、噴飯ものなのが「一代聖教大意」については上記箇所のすぐ後、八行目に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(398)があり、日蓮正宗はこれを悪用しているということです。続けて読めば「神力別附属を受けた上行でなければ法華経は知り難い」というのは当然でしょう。

 

→やはり、大聖人以降は口伝ではなく、文証が中心です。どこに秘法を秘伝にという現・日蓮正宗の主張の裏付けがあるのでしょうか。

 

※ あの御書もこの御書も全ては日蓮正宗・大石寺の為にある、うちだけが読み、解釈し、使用していい、という発想が抜けないのは病的といえます。どうにも大石寺というところは、日蓮仏法を密教化させたくてしょうがないようです。

 

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321.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時57分

 

C そもそも口伝というならば天台大師・伝教大師共に口伝をいいましたが、それは文証として明らかにした上でのことでした。

 

◎ 天台大師は「摩訶止観・巻第五上」で「この中、皆口決を須(もち)ふ」としていますが、一方で「法華玄義・巻第十上」で「修多羅と合すれば録してこれを用ひよ。文なく義なきは、信受すべからず」と戒めています。

 

◎ 伝教大師最澄も「守護国界章巻上之中」で「鏡像円融の義、口決にあらずんば解せず。師師の相承、良にゆえあるなり」としますが、やはり一方で「法華秀句・巻下」にて「仏説に依憑して、口伝を信ずることなかれ。誠文を仰信して、偽会を信ずることなかれ」と戒めているのです。

やはり口伝といっても、それは教相・経説を離れたものではなく、法門を明示して記述し、それを基準にするという、いわば文証が根本というのが両大師の教示です。そこに秘法を秘伝に、というものは察せられません。

 

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320.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時56分

 

B ここに説かれる口伝であればそこには私達の知れない秘法がある、という根拠はどこにあるのですか。        

 

→ありません。大石寺が願望を言っているだけです。釈尊から上行等の四菩薩への口伝も、その内容は法華経等・経典であり、公のものです。

 

特に「曾谷入道殿許御書」は続けて 

「釈尊然後・正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し・右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり、」

とありますが、ここで説かれる付属について、法華経の附属の内容と利益する時代の違いはご存知のとおりです。

 

・別附属  神力品第二十一  法華経の要を末法弘通のため、上行菩薩を始めとする四菩薩に附属したこと

・総附属  嘱累品第二十二  法華経の要以外の広・略二門と一切経を正像二千年の機と、末法弘通のための序として附属したこと

 

当該文では「法華経の別附属における口伝」を示されており、「日蓮大聖人以降の口伝の有無・可能性」を伺わせる文意はありません。又、大石寺の口伝の保証とならないことはいうまでもありません。

 

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319.マサシ君へ

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時55分

 

A 釈尊 → 上行菩薩に口伝があれば、それ以降の大石寺「だけに」口伝があるとの根拠はどこにあるのですか。

 

→そのような、滅後の誰かを指向しての文意はどこにもありませんし、ましてや大聖人滅後の大石寺だけに口伝がある、という文証にもなりえません。そのようにいうのはやはり「二箇相承書」であり「日興跡条々事」の存在がある、と確信しているからです。主要な議論はやはり、ここに行きつきますね。

 

この両書を証明できず、「おらんところに特別な口伝があるんだ」というのが許されるなら、他の富士門流寺院も好きに言えることになってしまいます。もっとも、口伝に依存して権威化している、という堕落した寺は大石寺だけでしょうが。(笑)

日蓮正宗・大石寺というのはどの御書を読んでも、都合のよさそうなものは「全て我が宗派のためにある」と勘違いすることが得意なようです。

 

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318.マサシ君へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 13時54分

 

【 指摘 】         

@ まずは平たくいきましょう。                           

さて、大聖人以前に口伝があったということですが、「曾谷入道殿許御書」は法華経の経典中のことであり、「三大秘法抄」も大聖人自信が上行菩薩であるという確信からの、やはり経典中の話しですね。この二つは物理的なものではなく、大聖人以降実際に行なわれるという先例となりえるのでしょうか。

 

「御義口伝」は「就註法華経御義口伝」といわれ、大聖人が身延山で註法華経を元に弟子達に法華経を講義されたのを、日興上人が筆記したものとされています。御義口伝上と下の末尾に「御義口伝巻上・下 弘安元年戊寅正月一日 執筆日興 」とありますように、建治年間に講義されたものでしょう。その講義録を口伝と題したのですが、日興上人一人だけが聴聞した、という証拠はどこにもないでしょう。建治年間といえば、「庵室修復書」にあるように小さく粗末な草庵だったと推測されます。そこで一人だけにこそこそと講義など、ありえないと察せられるものです。

 

弟子達が聴聞し、興師が筆録し題名に口伝と書した、ここに何か「今日の日蓮正宗がいうような特別な口伝」に通じる特殊なものなど伺うことはできません。故に、弟子門下多数が聞いたであろう御義口伝を以て、「大聖人が末代までの口伝・秘法の秘伝を志向された文証」とは間抜けな稚論というものでしょう。

 

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317.マサシ君

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時53分

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

 

※ 又日文字の口伝、産湯の口決の二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。

 

→(笑)「本尊七箇の口伝」=御本尊七箇相承

「産湯相承事」ね、神話ですよこれは。真筆持ってきなさい。御本尊七箇相承が出ていますが、これが後世のものであることは明白です。日興上人書写本尊を見るべし。

それを「ゲイカの御内証による」というのは、日蓮正宗内だけのことですね。

 

それでは残りの「問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。」を含め、日蓮正宗のいう口伝云々を一挙に破しときますか。(笑)

 

【 口伝大好きの日蓮正宗の主張 】

曾谷入道殿許御書に「慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に、諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出して要法を伝え、末法の弘通を定むるなり、問うて日く要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん」(1033)(正筆・真筆)とあり、更に三大秘法抄には「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(1023)(録外・未決)とある。法華経自体が口伝をもって釈尊から上行菩薩へと別附属され、日蓮大聖人から日興上人への「御義口伝」も、その名のとおり口伝法門だ。正法時代の仏・釈尊は口伝で附属し、末法の仏・大聖人も口伝を用いられていることからすれば、日興上人に血脈相承される際、秘法を口伝で相承したと拝されるではないか。ゆえに大石寺歴代貫主のみの秘伝、秘法は実在するのだ。

 

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316.マサシ君

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時52分

 

◎ 大聖人の在世のことですね。「此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり」についての御教示ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

 

※ 追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず=此に口伝有り。= 

 

→法華行者逢難事   /文永十一年正月 五十三歳御作

追て申す、竜樹天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ、西王母の先相には青鳥客人の来相には・鵲是なり、各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。

 

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315.マサシ君

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時51分

 

※ 答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り

 

→法華真言勝劣事

此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳般若の融通無礙なるに如かずと謂う諌暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙茲に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三北七並に華厳法相三論東寺の弘法等舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の

難の義なり口伝に存り云云。

= 文永元年甲子七月二十九日之を記す。          日 蓮 花 押

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

※ 口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。

 

→四条金吾女房御書

懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候、たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ、色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり、闇なれども灯入りぬれば明かなり濁水にも月入りぬればすめり、明かなる事日月にすぎんや浄き事蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり、信心の水すまば利生の月必ず応を垂れ守護し給うべし、とくとくうまれ候べし法華経に云く「如是妙法」又云く「安楽産福子」云云、口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。

 

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314.マサシ君!現在の大石寺に口伝が伝わるという文証は一つもないぞ!

 

名前:宿坊  日付:6月1日(水) 13時48分

 

※ 大聖人様が「口伝」を重んじられたことは明白である。

 

→まあ、随分と文証を挙げたものだね。お疲れ様

では確認しましょうか。

 

 

※ よくよく口伝あるべし

 

→聖密房御書   建治三年 五十六歳御作

華厳宗は天台已前には南北の諸師華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后則天皇后と申す人の御時法蔵法師澄観なんど申す人華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄六相なんど申す法門なり、をびただしきやうにみへたりしかども澄観は天台をはするやうにてなを天台の一念三千の法門をかりとりて我が経の心如工画師の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人大小の戒を一塵をもやぶらざれども一念三千の法門をばぬすみとれりよくよく口伝あるべし

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

 

 

※ 又三鈷なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。

 

→三三蔵祈雨事

弘法にをほせつけられてありしかば七日にふらず二七日にふらず三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給いき、而るを東寺の門人等我が師の雨とがうす、くわしくは日記をひきて習うべし、天下第一のわうわくのあるなり、これより外に弘仁九年の春のえきれい又三古なげたる事に不可思議の誑惑あり口伝すべし。

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

 

 

※ 上行菩薩結要付属口伝     建治元年   五十四歳御作

 

→当然でしょう

「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」なのですから。(笑)

 

 

※ 仰せに云はく、四弘誓願をば一文に口伝せり。

 

→御講聞書

一入末法四弘誓願の事 仰に云く四弘誓願をば一文に口伝せり、其の一文とは所謂神力品に云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑と云云此の経文は法華経の序品より始て四弘誓願の法門を説き終りてさて上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり滅後とは末法の始の五百年なり、

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

※ 慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ、威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。

 

→法華真言勝劣事

日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。

 求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

 

◎ 大聖人以前の法門ですね。どこに大聖人が自身滅後、特定の一人にのみ板本尊を付属し、唯授一人金口嫡々血脈相承を以て令法久住をはかられた、という根拠があるのかな?

 

 

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313.■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」

 

名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 13時47分

▼文永12年3月・教行証御書  我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ・人師の言語は無用なり、1278 

 

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●返す返す馬鹿丸出しの引文である。

 

貴公のような法門未熟の者を摧破する為に、また前後を出だす。

 

■「又彼が何度も爾前の得道を云はゞ、無量義経に四十余年の経々を、仏我と未顕真実と説き給へば、我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ。

人師の言語は無用なり。

涅槃経には依法不依人と説いて、大いに制せられて候へばなんど立てゝ未顕真実と打ち捨て、正直捨方便・世尊法久後なんどの経釈をば秘して左右無く出だすべからず。」

 

ここも、前段とほぼ同様である。

権実相対の辺に於いて、謗者が「爾前の得道」を主張するのあれば、「爾前経は未顕真実である」旨を御仏御自ら御説きであるのだから、我等凡夫はその「仏説」に依ってこそ成仏が叶う。その明白なる経典を離れて、訳者や、権宗の開祖等の「人師」の主張は全く無用である。信用してはならない。との謂いである。

 

まず第一に、所詮二千年で功力の失せる脱益仏法の流伝の次第と、末法下種仏法の万年に流れる仏法相伝の次第の根本的な相違を弁えず、直ちに横並びに論じること自体が、未熟・未解の虚け者である。

 

第二にその末法万年へ流伝する下種仏法の根幹は、僧宝による相伝に依るのである。

 

■「僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。

譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。

仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。

故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。

然れば僧の恩を報じ難し。

されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

 

大聖人様の下種仏法は、必ず僧宝による相伝を元として 伝持・守護・弘宣 されるのである。

が故に、その仏宝・法宝を伝持される御歴代上人を、あたかも権宗の開祖と同等の「人師」と見下す大馬鹿者を指して、

 

■「「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。

然れば僧の恩を報じ難し。

されば三宝の恩を報じ給ふべし。」

 

と戒め給うのである。

 

貴公らは「僧の恩」を報じてはおらぬ。

大聖人の御言葉に大いに反逆する者どもである。

 

貴公らは三宝を明示できないくらいだから、当然「三宝の恩を報じ」てはおらぬ。

ここも大聖人の御言葉に更に更に背反する者どもである。

 

■「若し謗法ならば、亡国堕獄疑ひ無し。

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。

三宝一体なる故なり。

是涅槃経の文なり。

爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く。

是を即ち一闡提と名づく。」

 

三宝一体の僧宝を謗るも者どもは、謗法者・一闡提人である。とはっきり御明示である。

 

そういう極悪の者どもの報いを更に学ぼうではないか。

 

■「法華不信の失に依りて皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。」

 

貴公らがん首揃えて「一同に後生は無間地獄」である。

仲良く地獄の業火に焼かれる哀れさよ。惨めさよ。

急ぎ急ぎ改心せよ。

 

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312.マサシ君!現在の大石寺に口伝が伝わるという文証は一つもないぞ!

 

名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 13時44分

 

※ この御文をこういう法門の構格も分からずして、直ちに

▼「滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?」

だなどと、得意然に吐きかけてくる者の事をまさに 

「法門未熟」というのである。

 

→自分の引いた文証で自爆したなマサシ君!

その真言等を始めとする、邪宗破折の厳しき記述が今日の日蓮正宗に当てはまらない、という思考は随分とおめでたいものだ。

それもそうだね、この時に日蓮正宗も、日蓮宗も、法華宗も存在しないのだから。

 

しかし、五老僧の分流、日興上人門下の分立、法門上の異議、異見に対する指摘の中で、大聖人在世の諸宗破折の文証を引用し、以て他の日蓮門下に対する指摘・破折として使われる、というのは理の当然というものだ。

 

ましてや、君達日蓮正宗などは大聖人よりの唯授一人血脈正統を主張し、「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」を擁するとし、血脈相承の文証として「二箇相承書」「日興跡条々事」「御本尊七箇相承」等々を出すのだから、それらに対する考察の中で「大聖人が在世に他宗を厳しく破された御文」を使うのも当然でもある。

その本質は「宗義の根幹の大半以上が手作り=創作、邪義であり、大聖人との関係を何も証明できない」邪宗教なのだからね。

3

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311.マサシ君あと30分です

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 13時26分

 

君の NO297の質問にはNO302,303で回答。

NO284の質問にはNO301で回答。

NO264の質問にはNO273で回答。

NO243,245,252,253の質問にはNO259,260,261,262,263で回答しているぞ。

 

さあ、これに対してあと30分だ、明確に再反論しなさい。

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310.目が見えずにクネクネ行き当たりばったりで探っている「ミミズ法門」の大馬鹿者、と言うのである。

 

名前: 樋田 昌志日付:6月1日(水) 12時17分

▼→ 日蓮大聖人は諸宗を破折する際、徹底した文証中心の立場をとられています。

滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?

文永9年・祈祷抄 若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、1344 真曽

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● この御書の前後を拝し、以って貴公の引文の無知さ加減を摧破しよう。

 

■「疑って云はく、大日経は大日如来の説法なり。

若し爾らば釈尊の説法を以て大日如来の教法を打ちたる事、都て道理に相叶はず如何。

答へて云はく、大日如来は何なる人を父母として、何なる国に出で、大日経を説き給ひけるやらん。

もし父母なくして出世し給ふならば、釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に、仏出でて説法すべしと云ふ事何なる経文ぞや。

若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬尽くしがたし。」

 

ここは、権実相対の辺、しかも説相明らかな経文上の論議に於いての御言葉である。

 

大日如来などは教主釈尊の説き出だした仮仏であるが故に、その父母は誰だ?何処の国に生まれたのだ?もし、父母もなし、と言うのならば、釈尊から弥勒菩薩出世までの間に仏が出生すると言う「経文」を出だせ。と言っている内容である。

そこに続くのが、当該文である。

 

こういう経文上明らかに示されている「証拠=文証」があるにも拘らず、その「証拠=文証」を出だせないことを誰が信用できるのか?こういう経文上明確な説相にない、僻事を構えるのが、権宗の輩である。との謂いである。

 

この御文をこういう法門の構格も分からずして、直ちに

 

▼「滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?」

 

だなどと、得意然に吐きかけてくる者の事をまさに 

「法門未熟」というのである。

 

大聖人様が「口伝」を重んじられたことは明白である。

 

■よくよく口伝あるべし。

 

■問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。

 

■又三鈷なげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。

 

■上行菩薩結要付嘱口伝

 

■又日文字の口伝、産湯の口決の二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。

 

■仰せに云はく、四弘誓願をば一文に口伝せり。

 

■慥かなる経文を出だすべし。若し経文無くんば義分無かるべし如何。答ふ、威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。

 

■答へて云はく、此の義は最上の難の義なり。口伝に在り

 

■口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候。則ち如来の使ひなるべし。返す返すも信心候べし。

 

■追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず=此に口伝有り。= 

 

大聖人様の御施化を拝するに、経文に顕示される内容と、それ以外に上記の如く「口伝」を以って伝えられた重要事があらせられる。

 

戒壇の大御本尊様の御事は、まさに秘伝中の最重要秘伝であり、再三論述してきているが、口伝中の極秘口伝・唯授一人の口伝によってのみ日興上人へ伝持されたのであるから、

我々が拝する形での「文証」がなくて当然なのである。

 

その御法門の従浅至深していく次第を掴まずして、ただ一様に権実相対の辺の御文を以って直ちに最重要深秘の御法門へ宛てて来る者を、目が見えずにクネクネ行き当たりばったりで探っている「ミミズ法門」の大馬鹿者、と言うのである。

 

何度も顔を洗って出直してきたまえ。

 

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309.ゲイカを凌ぐトヨダ法主

 

名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 12時9分

「二箇相承」は大石寺には元々存在しなくずっと北山本門寺にあって、

武田勝頼によって重須から奪われたと言われています。

 

それが本当なら、大聖人の血脈は当然大石寺にはなく、重須にあることになります。

貴君が「二箇相承」は大石寺のだと提示されても全く意味をなさないのです。

 

そもそも大石寺に二箇の相承書の写本がもたらされたのは日有の時代であり、

それ以前は写本すら影も形もないのです。

 

意味が理解できますか、トヨダ大先生!

大聖人滅後300年間大石寺には「二箇の相承書」が無かったのです。

どこからもたらされたのかはすでに記しました。

 

「本門戒壇の大御本尊」 と「二箇相承」を史学的に証明できない大先生は

「日興跡条々の事」「唯授一人金口嫡々血脈相承」 を証明する権利を自ら

消失したものと見なします。

 

 

日蓮消宗大石寺の正当性のために、残り二時間を有意義にお使いください。

 

第1番目の質問

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

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308.邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。

 

名前: 樋田 昌志 日付:6月1日(水) 11時15分

■「天台釈して云はく「明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る」文。

釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会せられて侍り。」

 

■「邪宗の者どもの習ひとして強(あなが)ちに証文を尋ぬる事之有り。」

 

貴公らのような道理が分からず、「文証を出せ!」「文証を出せ!」と喚いている大馬鹿者への天台大師と大聖人様からのお叱りのお言葉である。

心して拝し給え。そして心肝に染めよ。そして、深く慙愧せよ。

 

「道理」に於いて、「戒壇の大御本尊様以外に大聖人様の「出世の本懐」は在り得ない。」

と、明確に論証しているにも拘わらず、その「道理」が理解できない、頑迷固陋・無知蒙昧・低劣愚悪の謗法根性の癖に、当方から「「戒壇の大御本尊様が偽物である」という証拠を出だせ。」と再三詰問しているにも拘わらず、その「文証」も「証拠」も出せずにいるのは貴公らの方ではないか?

 

邪難のオタク的理論背景である、山人君がとうとう根負けしたので、品性下劣で嘘と悪態をつくしか能のない宿坊君は一人では戦えない状況となったか。呵々。

 

貴公らが当方から遁走するのは勝手だが、今のままでは、貴公らはまさに、「バカバカ!阿呆〜。おいらの勝ちだ〜〜!」と喚きながら、後ろ向きに走り去っていく姿である。

 

あるいはまた、試合では完全に判定負けしているのに、後の記者会見で、(相変わらず覆面をしたまま)「いや〜〜、奴の脇腹に入れたオイラのパンチは効いていたはずっすよ。ねっ?そうでしょ?」などと、言い訳にならない負け惜しみを言って、日本中から失笑をかっている、哀れな三文ボクサーの図。と酷似している。

 

貴公の名誉の為に言っておく。

当方はこのまま淡々と貴公らの邪難を細切れにし、その一々を徹底的に摧破し尽くしていく。木っ端微塵に完破し尽くすまで止める気は毛頭ない。

 

貴公がこのスレッドを一方的に閉鎖しても違う板で続行するのみである。

 

全国の方々が注目をしているようである。

貴公がこのまま「後ろ向きに走り逃げ去っていく姿」は如何なものか。

 

ここは不自惜身命の精神で、徹底的にやりあうのが仏弟子としての勤めではないか。

 

さあ、弱気な「言い訳にもならない負け惜しみ」を弄ぶのは止めて、今後も延々と続行しようではないか。

 

あと、貴公は危惧しているようだが、この対論は元々完全公開での出発であるから、貴公が仮に遁走して終了したとしても、このテキストをWEB上で有料で提供する計画はない。

綺麗にまとめて、全文UPし、貴公らの不信謗法の罪過を末永く掲示し、今後の学会破折の資料として資するつもりである。

金銭的なことはご心配無用である。

 

では、また、破折作業に入るので、楽しみにお待ち下さい。

 

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307.一言も戒壇板本尊を証明できなかったマサシ君!

 

名前:宿坊 日付:6月1日(水) 10時10分

 

※ マサシ君 NO 293で曰く

自分に都合の悪い話はまるで聞こうとせず、自分の言いたい事だけを壊れたテープレコーダーの如く繰り返し繰り返し、ただベラベラと延々と喋っている・・・・

 

 

 

→ほう、これはおもしろい。

もう一回、読み直した方がいいぞ。

君の NO297の質問にはNO302,303で回答。

NO284の質問にはNO301で回答。

NO264の質問にはNO273で回答。

NO243,245,252,253の質問にはNO259,260,261,262,263で回答しているぞ。

 

自ら吐いた呪術の毒気が自らに染み込み、分別もつかなくなっているのか?

大丈夫か?

 

マサシ君!少しは君に花を持たせ、「戒壇板本尊証明」を立派にやってもらうことを期待し、この数日「大先生」と持ち上げてやったのだが、見事にその期待を裏切り一言も「本門戒壇の大御本尊」 することができなかったね。

 

君の口から出てきたのは「戒壇ならぬ怪談ばかり」だったな。

いや、今更ではあるが、いい勉強になったよ。邪宗教は自らの非力さ、いい加減さを覆い隠す為に、いきなり相手の脳髄に「罰論」を注入しジャブジャブと洗脳するのは常だが、日蓮正宗、なかんずく妙観講はその最右翼であり、その影響下にある君も同類である、ということがよくわかった。

この板を御覧の諸賢も、その本質を見抜くことができたと思う。

 

 

結局、君がここで言ったことといえば「本門戒壇の大御本尊は大聖人の出世の本懐である」という日蓮正宗の見解を、言葉を少々変えて言っただけ、いや、もっと分かりやすく言えば「あるからある」ただこれだけに要約されるよ。

 

あと「信じなさい」「信じなければ、人間世界で考えつく限りの、身の毛のよだつ恐怖が待っているぞ」ぐらいか。

 

マサシ君、十数年前は『本門戒壇の大御本尊』であったものは、それを担ぐ日顕一派の脱会勧誘手段と化したことにより、事実上『魔界勧誘板本尊』になってしまっているのに、君の怪談談義により『怪談の本尊』になってしまっているぞ、同信の他の法華講から怒られやしないか。

 

もっともこの怪談義は、君の御内証の一端を披露しただけなのかもしれないがね。

 

さあ、「信じないと地獄に堕ちるぞ」だけではないだろう、本来の使命である「戒壇板本尊のズバリ証明」を今すぐなし給え。

 

こちらの主張をいくら破折したつもりになっていても(実際は全く破折になっていない)、「戒壇板本尊のズバリ証明」にはならないのだよ。

 

「聞き飽きた」

「彼は大商人だから、終了後のテキスト販売を考えて、枚数を増やすためにだらだらとしゃべり続けるだけ」

「あの上手な怪談話は、オウム真理教だったらもっと高く買ってくれそう」

「彼が証明したのは板本尊ではなく、日蓮正宗が器物崇拝・物質信仰・妄想信仰に堕しているということだ」

等々、当方の元には学会同志より、君に対する厳しい指摘が寄せられている。

 

更には法華講メンバーまでが

「御戒壇様を一在家が云々するなど信じられない。現場における布教の妨げになるから止めてほしい」

「従来の日蓮正宗にない新義ができそう」

「いったい彼の指導教師はなにをしているのか、どういう指導をしているのか」

「あのような恐怖心を植えつける言葉は、とても同じ法華講とは思えない」

等々、これまた手厳しい声が寄せられている。

 

 

私は思う・・・「もう勝負はついている」「あとは、マサシ君はしゃべるほど、生き恥を晒し続けるだけだ」と。

しかし、この一ヶ月弱、君とやり合ってきたのも仏縁だ、戦う男としての情けもある・・・君にあと、四時間だけの猶予を与えよう。いいか、四時間だぞ。

この時間内に「戒壇板本尊をズバリ証明」したまえ。もう、呪文、言い訳、開き直りは意味がない。嘲笑を買うだけだと知れ。

 

従来の法華講ではなしえなかった偉業を成し遂げ、宗史に名を残すのか?

世界注目の中、大役を買って出たものの、「日蓮正宗の邪教たる所以を証明してしまった」という単なるアホで終わるのか?

 

さあ、この四時間の君の努力次第だ。

それでは・・・・・カウント開始だ!

 

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306.次期法主のトヨダ大先生、気は確かですか?

 

名前:宿坊 ?? 日付:6月1日(水) 1時16分

 

※ であるから、当該御文は権実相対の上から、実教である法華経が如来出世の本懐と言われているのである。

別段この御文が、大聖人様出世の本懐が戒壇の大御本尊様であるということを否定する何等意味をなさない。

 

 

 

→ 大先生! 大丈夫ですか?

普通に読んでください。守護国家論を「戒壇板本尊を否定する」意味で引用したのではないのですよ。大聖人が出世の本懐を記述されたものにつき、一般的なものとして引用しただけですよ。

 

 

〜 以下、該当部分 〜

 

B それ以外に出世の本懐をいわれた御書・教示はあるのか?ないのか?

→他の文書では「三世の諸仏の出世の本懐」等、一般的なものだ。特定のものを指して出世の本懐とされたものは上記御書だ。

 

→参考・「釈尊出世の本懐・法華経」「三世の諸仏の出世の本懐」をいわれた書

1259年・正元元年 守護国家論 40 三十八歳  真曽

問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、

 

 

※ 二箇相承・条々事・三秘抄・百六箇抄・そして戒壇の大御本尊様 等 確たる証拠ないものは用いないのなら、この御講聞書を用いるその「特別な」理由を指し示したまえ。

 

→理由はNO 273に明示

 

大先生、次は何に因縁つけますか?(笑)

 

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305.何せ貴公の脳内は、ある小さい半径でグルグル循環しているだけだから。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 21時56分

1278〜1280年  御講聞書 815 未決  自弘安元年三月十九日・連連御講・至同三年   五月二十八日也 仍記之畢 日向記之

一仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏の事    

仰に云く仏とは釈尊の御事なり、成就とは法華経なり、第一は爾前の不第一に対し・希有は爾前の不希有に対し・難解之法は爾前の不難解に対したり、此の仏と申すは諸法実相なれば十界の衆生を仏とは云うなり、十界の衆生の語言音声成就にして法華経なり、三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、九界の智慧は及ばざれば難解の法なり、成就とは我等衆生の煩悩即菩提・生死即涅槃の事なり、

 

ということは

→ 日蓮大聖人・日興上人自らが出世の本懐を述べ、それを文の表に顕したということは、捉え方を変えれば、「後世出てくるかもしれない文証の伴わない出世の本懐を破折された」また、「否定された」ともいえる。大聖人・興師自らがエセ本懐を否定されたということは、何度でも明確にするべき重大事です。

 

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● やはり貴公らは根性腐敗の醜悪誹謗者である。

 

この御講聞書を 未決 と自ら書いているなら何故引文できるのか?

 

もしかして、本当に知能が低いのか?

 

二箇相承・条々事・三秘抄・百六箇抄・そして戒壇の大御本尊様 等 確たる証拠ないものは用いないのなら、この御講聞書を用いるその「特別な」理由を指し示したまえ。

 

内容は、それからでも充分。

 

何せ貴公の脳内は、ある小さい半径でグルグル循環しているだけだから。

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304.貴公ら(宿坊と山人)は、御書を拝する基本の学解が出来ていないから、やはりモグラ法門である。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 21時40分

▼→ 参考・「釈尊出世の本懐・法華経」「三世の諸仏の出世の本懐」をいわれた書

1259年・正元元年 守護国家論 40 三十八歳  真曽

問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、

 

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●真に真に貴公らの法門領解は未熟である。

御書の御文を引文すればするほど、その未熟さ・浅薄さは鮮明になる。

 

この守護国家論は大聖人様御一期の御化導から見て大きく分かって、佐前であり、しかも極めて初期の御作である。

 

この時期、大聖人様は三大秘法の事の上での整足はなされておらず、南無妙法蓮華経のお題目の流布の時である。

 

であるから、当該御文は権実相対の上から、実教である法華経が如来出世の本懐と言われているのである。

 

別段この御文が、大聖人様出世の本懐が戒壇の大御本尊様であるということを否定する何等意味をなさない。

 

“出世の本懐” というキーワードで「満月城岡山 ネット御書」や「御書システム」など、で検索して矢鱈に引いて並べ立ててみても、貴公ら(宿坊と山人)は、御書を拝する基本の学解が出来ていないから、やはりモグラ法門で、全体の構格が掴めないのである。

 

そういう、自ら未熟の癖に大それた誹謗の言を為す、不信謗法者への御言葉を拝そう。

 

■「「唯我一人のみ能く救護を為す」の仏の御力を疑ひ「以信得入」の法華経の教への繩をあやぶみて「決定無有疑」の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。

菩提の岸に登る事難かるべし。

不信の者は堕在泥梨の根元なり。

されば経には「疑ひを生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり。

受けがたき人身をうけ、値ひがたき仏法にあひて争でか虚しくて候べきぞ。」

 

信を以ってのみ入ることを得る、この戒壇の大御本尊様を疑い、信を取れない、のみならず疑惑を生じて誹謗を為す貴公らは、絶対に成仏は出来ない。

だけでなく、不信は堕在泥梨(=地獄に堕ちること)の大元の原因となる。

戒壇の大御本尊を信じない貴公らは間違いなく三悪道に堕ちる、との仰せである。

 

貴公らの悪徳果満の身に染むまで言い続けよう。

 

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303.トヨダ大先生の誤内緒は日顕ゲイカそのものです!

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 20時34分

 

◎ 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」である、と証明してみよ!

 

1274年・文永11年5/24 法華取要抄  与富木常忍 身延にて (338) 

( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )

是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。

 

 

 

>これが弘安元年以降の御本尊様に拝され、更に、「余は二十七年」の御言葉から弘安二年に限定される。

以下は既に詳論している如くであり、結論として「戒壇の大御本尊」様以外に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との、大聖人様御一身・御自らの御魂魄を留められた御本尊様はおわさないのである。

その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。

 

 

→大先生もいよいよニッケンゲイカと似てきましたね。眠くなります。(笑)

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302.ゲイカ誤内緒のトヨダ大先生のお言葉ですか?

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 20時30分

 

>「出世の本懐」という意義に総じての意義と、別しての二義が存するのである。

これは別段新義などではなく、凡そ仏教の法門全てに通じる基本的な捌きである。

貴公が執拗に拘っているのは(拘らざるを得ない)、総じての辺に於ける「出世の本懐」であって、別しては究竟された御本尊に窮まるのである。

まず、「建立御本尊等の事」との題号と、そして、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との御言葉を重ねて拝考すれば、御仏は御在世も御一人であられ、滅後も、ただ御「一身の当体」であられる。

つまり、幾つもその「一身の当体」はいらっしゃらないのである。

これが別した辺の「出世の本懐」の御本尊であられる。

その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。

 

 

 

→さあ、いよいよ大先生を教祖様とする新宗教の旗揚げですね。おめでとうございます。

なんと名付けますか。いや、まだ楽しみはとっておきましょう。大先生に日蓮正宗ではもったいないですからね。

 

あんな宗教団体にいても、小さすぎてつまらないでしょう。

このような法門上のやり取りを経る過程で、宗祖の内奥に迫られ、同一化し、平成の日蓮となられたのですね。(笑)

 

では、聞きますか。少々言葉はきつくなりますよ。

 

◎ 大聖人が「出世の本懐につき総別の二義を立てられた」という文証を示しなさい。

 

 

◎ 大聖人が「これは総じての辺における出世の本懐の御本尊」「これは別しての辺における出世の本懐の御本尊」と立て分けられた文証を示しなさい。

 

 

◎ そのような、出世の本懐に付き総別がある、という解釈論は「いつ、どこで、誰」より始まったのか、その根源を示しなさい。

 

 

◎ 1272年・文永9年3月13日 阿仏房御書 51歳御作 与阿仏房(1304)

あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ・信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。

 

これのどこをどう読めば、総じての出世の本懐となるのですか。

ストレートに「とはこれなり」とあり、「出世の本懐」ズバリそのものではないですか。

 

◎ 1278年・弘安元年 御義口伝巻上 717 

此の円融の三諦は何物ぞ・所謂・南無妙法蓮華経是なり、此の五字・日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、

 

これのどこをどう読めば、総じての出世の本懐となるのですか。

ストレートに「なり」とあり、「出世の本懐」ズバリそのものではないですか。

 

◎ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊である、と証明してみなさい!

 

1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書  身延にて 828 

一等雨法雨の事

此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云

 

→この御本尊につき、総別との大聖人の教示を出してみよ。

 

 

◎ 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことである、と証明してみなさい!

1273年・文永10年5/28  義浄房御書 佐渡にて 892  

( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )

寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、

 

◎ 「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊のことである、と証明してみよ!   

1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124  

日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし

 

 

→大先生!大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は総じての意義である、といわれましたか?この本尊はどなたに授与されたのですか?

まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

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301.トヨダ大先生クエスチョンさせてください

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 18時10分

 

1、では貴公が言うその「三大秘法の御本尊」は現存する大聖人様御真筆御本尊(と言われている)御本尊のうちのどの御本尊か?

 

 

大先生!本当に大丈夫か?

 

大聖人が真筆本尊につき「これは三大秘法の御本尊で、こちらは違う=三大秘法の御本尊ではない御本尊だ」といわれた文証を示しましょう。

 

 

 

2、それとも、どの御本尊でも自分が「気に入った」御本尊でもいいのか?

 

 

→「自分が気に入った御本尊を三大秘法の御本尊としよう」との大聖人の文証などあるのかな?

 

それとも、大先生の御書にだけあるのかな。

 

 

3、それは、邪宗日蓮宗系寺院が所蔵している御本尊でもいいのか?

 

→大聖人の御本尊が「所蔵寺院によって三大秘法の御本尊となったり、ならなかったり」という文証があるのかな?(笑)

 

 

4、三大秘法抄(真書であることは証明済み。疑難をするのならば偽書であることを明証せよ。)

 

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」との、

 

1、具体的な「事の戒壇」に安置申し上げる御本尊はどれか? 

 

→「事の戒壇用の御本尊」は存在しません。

 

 

2、一体か?

 

→一体ではないでしょう。

 

 

3、それとも何体か?

 

4、ありとあらゆる「大聖人御真筆御本尊」と“いわれている”全てか?

 

 

→日興上人が大聖人御真筆御本尊に「本門寺に懸け」と添え書きされている意味は・・・(笑)

 

 

5、貴公らが拝む日寛上人の御本尊を勝手に撮影・修正・複製・販売しているニセ本尊は、大聖人様御真筆ではないが、御書に書かれていない本尊を何故貴公らは拝んでいのか?御書に示されていない“本尊”なのだから、勝手に拝んではいけないのではないか?

 

 

→ご本尊を拝む行為につき、御書とセットでなければ拝めない根拠・文証は?(笑)

 

 

 

6、御書 もしくは上古の文献で、大石寺門流の江戸時代頃の御法主が ある一寺院の住職へ下賜した御本尊を、在家が勝手に文字に修正を加え、授与書きを勝手に削除し、大量に形木で摺って、配り散らかして良い、という文証を挙げてください。

 

 

→邪宗の人に断らないと、本尊下付をできない、という文証を挙げてください。

 

 

7、身延のみやげ物屋で売られている、大聖人御真筆と“鑑定済み”の御本尊の複製掛け軸は、大聖人様「出世の本懐」なのか、否か?

 

→身延の土産物屋に行き同じ質問をして、売店のおじちゃん、おばちゃんのご教示を受けてください。

 

 

 

まだまだ、疑問は尽きませんが、この辺にしておいてあげましょう。

速やかに御書を通して、証明もしくは回答して下さい。

 

→御書に及ばず

 

 

※もし、上記の論証に成功しなかった場合は、貴殿らの謗法・堕獄は治定である。

精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。

 

 

→どうも、お待たせしました。

 

で、「大先生が勝手に引用し、当方に破折されてしまった山口氏の論文をどうするのかな?(笑)

 

責任をとれるのですか?

日蓮消宗の恥さらしと聞こえてきますが。

 

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300.山口範道氏も一目おいていた、トヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時57分

 

大石寺僧・山口氏の説の検証

「二箇相承書」真筆説の大石寺僧・山口範道氏が根拠とした文献の検証

 

【 山口氏の主張@ 】

 

日頂の「本尊抄得意抄添書」に「二箇相承書」の記述があるのだ。

 

1308年・徳治3年9月28日(大聖人滅後27年)、六老僧の一人・日頂

「本尊抄得意抄添書」(日蓮宗宗学全書1-44)

 

「興上人一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第して、日興は無辺行の再来として末法本門の教主日蓮が本意之法門直受たり、塾脱を捨て下種を取るべき時節なり」

 

→ 山口氏云く「一期の弘法の附属」との記述から「二箇相承書」の実在が証明されるのです。

 

【 指摘 】 

 

@ まず与えて指摘します

 

1308年・徳治3年

「本尊抄得意抄添書〜興上人一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第」

 

記述はたったこれだけです。(笑)

 

1480年・文明12年に京都・住本寺僧・日叶著「百五十ヵ条」に、現在の二箇相承書の全文登場。

 

→ これを受け山口氏は「一期の弘法の附属を受け日蓮日興と次第」との記述から、大聖人滅後27年に「二箇相承書」の実在が証明される、と主張。

 

→ 話が逆ですよ。(笑)

上記文献から推測するならば、日頂の認識として「本尊抄得意抄添書」の『興上人一期弘法の附属を受け日蓮・日興と次第』があり、これを元にして、後世・1400年代後半以降の身延相承書の文面が創作された、という方が自然でしょう。

 

→ 山口説は本尊抄得意抄添書と、身延相承書を無理に接着したにすぎません。どこに身延相承書の全文が出ているのですか?これだけでは、「二箇相承書そのもの」が存在していた証明にはなりません。

 

A 次に奪って指摘します。

 

日頂の「本尊抄得意抄添書」なる書が、日頂真筆との根拠はどこにあるのでしょうか。

 

日宗全に編者云く「この書原本佐渡世尊寺の所蔵に係る、未だ真偽を断ずべからず。」とね。(笑)

 

 

山口氏の主張A 

 

妙蓮寺日眼の「五人所破抄見聞」に該書の記述がある。上代における存在は明らかだ。

 

1380年・康暦2年6月4日(滅後99年) 妙蓮寺日眼 「五人所破抄見聞」 (富要4-8)

「日蓮聖人之御附属弘安五年九月十二日、同十月十三日の御入滅の時の御判形分明也」

 

【 指摘 】 

 

→ この「五人所破抄見聞」がはたして1380年・康暦2年の妙蓮寺日眼の著作かどうか、ここでは一点、記しておきましょう。

 

「五人所破抄見聞」の「日目・天奏四十二度説」は後代・室町戦国期の話しです。

 

「五人所破抄見聞」

「日目上人・四十二度の天奏に依って禁裡より御納収の御下文・右に備ふ、広宣流布は必ず当門徒に在る可き也」(富要4-11)

 

→ この「日目・天奏四十二度説」は、1380年より108年後の1488年・長享2年の「五段荒量」・日教著に登場します。

 

「殊には日目上人は四十二度の御天奏最後の時、近江の篠原にて御遷化なり信行観の行者にて御座すなり。〜時に長享戊申大簇十一日 六十一戊申日教在判」(富要2-296)

 

その後は「聞書拾遺」「申状見聞」「日辰抄」等、各書に記述されています。

 

 

忠告!「人の労作を『そのまま』使うと墓穴を掘りますよ。」

自分の力で頑張りなさい

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299.富士学林 図書館長(故山口範道氏)の一の弟子、トヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時52分

 

二種類の二箇相承書は不審だらけです

「二箇相承」は全部あわせて「四箇相承」になります。

これは困った物ですね、大先生様

 

@ もう一つの二箇相承書

 

1480年の「百五十ヵ条」に続き、「二箇相承書」が登場した同じ日教著の「類聚翰集私」(1488年)には、「身延相承書」「池上相承書」が入れ替わっています。

 

1488年・長享2年(滅後207年)6月10日 大石寺・日教著「類聚翰集私」(富要2-314)

私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。

 

釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。

 

日興一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ事の戒法とは是れなり、中んづく我が門弟等此の状を守るべきなり、弘安五年十月十三日  

日蓮在御判。

 

→ 二種類の二箇相承書存在につき、日蓮正宗のいう「正確な文面が無かった、異本を元にした故」などの言い訳は大石寺内でしか通用しないものであり、客観的には、同一人物により内容の異なる「二箇相承書」が出回ること自体、後世創作の証明といえるでしょう。

 

→「開目抄下」の

「是の諸の悪人・復是くの如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して、世間の荘厳の文飾・無義の語を安置す、前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く、当に知るべし、是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」(224)

「報恩抄」の「ぼう書をつくるゆへにかかるあやまりあるか」(320)との破折どおりの現証です。

 

A 日教著「百五十ヵ条」「類聚翰集私」に史実との異なりがある

 

「百五十ヵ条」「類聚翰集私」にある「弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。」がはなはだ不審です。

 

大石寺・日教の記述は、日蓮教学の人材の一人である身延・行学院日朝の「元祖化導記」の記述と違っています。同所によると、大聖人は九月十三日には身延におらず、くれじに滞在しているのです。

 

1478年・文明10年(滅後197年)(大石寺・日有の時代) 元祖化導記 

身延山・行学院日朝

 

二十五、武州池上のこと

或る記に云く、弘安五年壬午九月八日午の刻身延の沢を出御有って、其の日は下山兵庫四郎の所に一宿、九日大井庄司入道、十日曾祢の次郎、十一日黒駒、十二日河口、十三日くれじ、十四日竹下、十五日関下、十六日平塚、十七日瀬野、十八日の午の剋に武蔵の国荏原郡千束郷池上村に着き了んぬ

 

〜御本に云く、文明十年(1478年)戊戌十月十三日これを書しおわりぬ。 日朝在判

元祖化導記下巻 寛文六年版

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298.日顕ゲイカの御庭番、トヨダ先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時44分

 

2 二箇相承書登場の過程に不審

 

@ 真筆がない

「二箇相承書」は日興上人在世に世に示されず、富士各派の発生・対立の過程で登場しました。故に不審点が多々あります。

該書を手に自山の正当を主張する者は、本来的には鑑定を要するのです、公には日蓮真筆と認定されていません。

 

A 日興上人の時代に登場せず

大聖人滅後、日興上人は他の老僧を破折するのに「附属・相承、それを証する文書」ではなく、法門上の五一の相対により、日蓮仏法の本義を鮮明にしました。「二箇相承書」などの相承書があれば、なかばその権威で、一発で五老僧を破折できたでしょう。

この史実が「二箇相承書・後世創作」を物語るものであり、該書全文の登場が、日興上人滅後に富士各派が対立するなかで、当時京都・住本寺に在した日叶により著された「百五十ヵ条」以降であることに不審点があります。

「自山を権威づけて正当化しよう」との「坊主の堕落書」に等しいものがあります。

 

B 日興上人の五老僧破折 五一の相対により

 

1328年・嘉暦三年(滅後47年)7月 日順著  「五人所破抄」 (富要2-1)

五人が武家に捧ぐる状に云はく・天台の沙門日昭謹んで言上す、先師日蓮は忝くも法華の行者として専ぱら仏果の直道を顕はし・天台の余流を酌んで地慮の研精を尽くす云云。

天台沙門日朗謹んで言上す。〜

天台法華宗沙門・日向・日頂謹んで言上す。〜

日興公家に奏し武家に訴へて云はく。

日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして・本門弘通の大権なり〜

又五人一同に云く・如法一日の両経は、共に以て法華の真文なり、書写読誦に於て相違あるべからず云云。

日興が云く・如法一日の両経は法華の真文たりといへども・正像転時の住古・平等摂受の修行なり、今末法の代を迎へて折伏の相を論ずれば、一部読誦を専とせず・但五字の題目を唱へて・三類の強敵を受くといへども・諸師の邪義を責むべきものか、此則ち勧持不軽の明文・上行弘通の現証なり、何ぞ必ず折伏の時に摂受の行を修すべけんや〜

→ このように興師は五老僧との法門信解、教義解釈の異なりにより破折をされましたが、現・大石寺が好きな、相承書を盾に「これを見よ、余は血脈正統なるぞ」などの手法は一切ありません。この史実が当時、相承書が無かった状況証拠でもあります。

 

C 「二箇相承書」全文の登場は、大石寺貫主本仏論の日教が京都・住本寺にいて、日叶と名乗っていた時以降になる

 

1480年・文明12年(滅後199年)、京都・住本寺僧・日叶の「百五十ヵ条」(富要2-182)

 

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり。

弘安五年壬午十月十三日  日蓮御判。

武州池上

御譲与の趣き眼前なり、弘安五年九月十三日の御書には富士山本門寺の戒壇を建立すべし云云、之に依つて富士の郡、重須本門寺御建立、仍末寺西山は日代の寺〜

 

※ 注意

1468年・応仁2年10月13日(滅後187年) 住本寺・日広、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く「日広云、於富士重須本門寺以御正筆奉書畢、応仁弐年十月十三日」

要山十八代日在云、先師日広上人詣富士之時如之直拝書之給也云々(雪文三十大遠日是転写本。夏期講習録2-8富谷日震)

 

→ 「百五十ヵ条」より12年ほど前に二箇相承書全文を写した、との京都・住本寺の日広の文書が堀日亨師の手元に有る、との記述も大石寺関係の書籍にありますが、文書周辺の客観的な鑑定ができない為、議論には使えません。

 

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297.貴公らは、ミミズ法門、モグラ法門、ネズミ法門の類であり、そういうのを総じて「盲法門」というのである。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 17時36分

 

▼【 破折 】

大聖人・日興上人が出世の本懐を明示されているのか、いないのか?

→ 明示されている。

 

明示された出世の本懐は、何といわれているのか。

→ 「かきあらはしまいらせた宝塔」「南無妙法蓮華経」

 

それ以外に出世の本懐をいわれた御書・教示はあるのか? ないのか?

→ 他の文書では「三世の諸仏の出世の本懐」等、一般的なものだ。特定のものを指して出世の本懐とされたものは上記御書だ。

 

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●「破折」も何も、噴飯ものの愚かさである。

→など使って、解り易くしてある分、余計に愚かさが強調されて、面白い。

 

ここなどは、既述で破折している如くである。

 

「出世の本懐」という意義に総じての意義と、別してのニ義が存するのである。

これは別段新義などではなく、凡そ仏教の法門全てに通じる基本的な捌きである。

 

貴公が執拗に拘っているのは(拘らざるを得ない)、総じての辺に於ける「出世の本懐」であって、別しては究竟された御本尊に窮まるのである。

 

■「第廿五 建立御本尊等の事

 御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。

戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり。

日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。

本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」

 

とあるがごとく、ここも紙背に徹して読み取れば、自ずと領解してくるのであるが、

まず、「建立御本尊等の事」との題号と、そして、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との御言葉を重ねて拝考すれば、御仏は御在世も御一人であられ、滅後も、ただ御「一身の当体」であられる。

つまり、幾つもその「一身の当体」はいらっしゃらないのである。

これが別した辺の「出世の本懐」の御本尊であられる。

 

その意義は、御本尊様の体相、つまり、人即法 法即人の究竟された御表示であられる、中央主題の南無妙法蓮華経の直下に「日蓮」の御名と御花押が配されるお姿、に拝される。

 

これが弘安元年以降の御本尊様に拝され、更に、「余は二十七年」の御言葉から弘安二年に限定される。

以下は既に詳論している如くであり、結論として「戒壇の大御本尊」様以外に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との、大聖人様御一身・御自らの御魂魄を留められた御本尊様はおわさないのである。

 

その他の御本尊は全て、この「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」との戒壇の大御本尊様から開会せられるのであって、それを総じての辺における「出世の本懐」といえるのである。

 

貴公はこの総別の二義に曚く、領解出来ないで闇雲に御文を突付き回す、ミミズ法門、モグラ法門、ネズミ法門の類であり、そういうのを総じて「盲法門」というのである。

 

よくよく自らの分を弁えるべきである。

また、後生の覚悟をいよいよすべきである。

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296.戒壇板本尊の前よりも、バソコンを拝む時間が増えてしまったトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 17時32分

 

B 二箇相承書と御遷化記録の順を追えば明らか

9月 日  「身延相承書」? 日興上人=本門弘通の大導師?

10月8日  「宗祖御遷化記録」・弟子六人の事不次第=六老僧は対等

10月13日 「池上相承書」?  日興上人に釈尊五十年の説法を相承?

10月13日 入滅

10月16日 「弟子六人の事不次第」の「宗祖御遷化記録」を日興上人が記述

 

・日蓮大聖人は9月?日に日興上人を「本門弘通の大導師」として、特定の一人だけを次の導師にしたのに、10月8日に六老僧選定で「弟子六人の事不次第=序列なし・地位平等」として事実上、それを取り消す。しかし13日に気が変わり?再度、日興上人にのみ「釈尊五十年の説法を相承」する?

 

そして16日には、全てを附属されたはずの日興上人が自分の手で、「弟子六人の事不次第」と記す。日興上人記述「宗祖御遷化記録」に矛盾する故に、「二箇相承書」の存在は危ういものとなります。不審書と正文書のどちらを採否するかは明白です。

 

存在を強弁すること自体、「令法久住の大事にあたり大聖人がその発言をコロコロ変えた」というのと同じであり、日蓮大聖人をおとしめていることに気がつくべきでしょう。

「真言諸宗違目・必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」(141)と教示される大聖人の精神を思うべきです

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295.日蓮正宗に新時代の新教義を確立されつつあるトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 17時30分

 

A「いちでし」なのか?「ひとつ でし」なのか? 

今日では写真公開されている、1282年・弘安5年10/13の興師筆・宗祖御遷化記録を見ますと、「定」の次は改行し少し下にさげたところに「一弟子六人の事 不次第」とあります。

 

日蓮正宗ではこの「不次第」を後段にかけ「日持から日昭に至るまで、入門順に記されているが、それは信仰上の序列をお示しになったものではないことを示されている」と説明していますが、怪文書「二箇相承書」を前提の解釈だと、こうするしかないのでしょう。

 

では、公開写真を見てみましょう。「一弟子六人事」の「一」と「弟子六人事」は明らかにつながっており、「一弟子六人事」となっています。次の行以降は六人の弟子の名を記していますが、「一」と「蓮花阿闍梨」等、六老僧の名の間は、やや間があいています。これについては「日蓮正宗 歴代法主全書」(1-80)も、原本に近い記述となっています。

 

「一弟子六人事」と次以降の六老僧の列挙では、明らかに書き振りが区別してあり、これは専門家のみならず、誰がみてもわかるものです。ですから、ここは「いちでしろくにんのこと ふしだい」と読むのが普通で、次以降は「ひとつ(いち) れんげあじゃり にちじ」と順次続いていきます。

 

「いちでしろくにんのこと ふしだい」ですから、大聖人の一弟子である六人に次第はない、という意味になります。「一弟子」とは文字通り一番弟子、第一の弟子、第一級の長老ということで、それが「不次第」ですから、この六人は区別なく、平等、対等、横一線なのです。しかも大聖人は、この「一弟子」達を「本弟子」とまでされており、この二つの表現は同義と拝されます。

 

「いちでし」と普通に読むことにより、六老僧は「日蓮大聖人門下の第一級の長老・本弟子であり、門下の依師、法燈であり、六老僧に区別はなく対等である」と理解できます。

「一弟子=本弟子・六老僧の間に次第はない」・・・これは誰あろう、大聖人が決められたことであり、しかもそれは「宗祖御遷化記録」という日興上人真筆の正文書として記録に残っているのです。

 

これに対し、怪文書をもって、この大聖人の決定、それを記した日興上人の思いに事実上、敵対しようというのが日蓮正宗です。しかもよその寺の怪文書というおまけつきで・・・。

この箇所は「ひとつ でしろくにんのこと」と読み、「不次第」を後段にかけたいところでしょうが、「一」と「弟子六人事」が「くっついちゃっているのだからどうしようもない」のです。

 

日蓮正宗としては、六老僧全員が一番弟子で次第がない、ということでは困るのです。相承書によって日興上人を「本門弘通の大導師」としたいのですから。なにしろ相承書を頂けば「学不学によらず生身の釈迦日蓮」という宗派なのですから。

日興上人も迷惑していますよ。というか、日興上人自身が、自らお書きになった「宗祖御遷化記録」をもって「二箇相承書」を破折されている、ともいえますね。

 

尚、参考として、この「一弟子」ということについては大聖人自身の御書にもあります。「浄土九品の事」(698・西山本門寺蔵)では法然の弟子の名を列挙し、一弟子として長楽寺の隆寛、小坂の善恵、筑紫の聖光を挙げ、他の成覚、法蓮等と区別しています。

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294.既に大御本尊と一体不二の尊体となられたトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 17時27分

 

富士学林 図書館長(故山口範道氏)の大論文を軽々に使用し、学会に簡単に破折され、その権威を地におとしめたままでよろしいのですね。

 

 

トヨダ大先生は「ただコピーした」だけで証明したと?

それでは、山口さんに対して失礼でしょう。

人の努力を引用して「証明だい」というのは頂けません。自らの言葉で頑張らないと、ですね。

 

 正文書と不審書、どちらを採用するかは明白です

 

@ 日興上人による正文書=「宗祖御遷化記録」

 

1282年・弘安5年10月16日「宗祖御遷化記録」(聖典-581)  

正本・西山本門寺蔵〜一弘安五年・壬午・九月十八日・武州池上に入御 地頭・衛門太夫宗仲同十月八日 本弟子六人被定置 此状六人面々可帯云々 日興一筆也

定 

 一弟子六人事 不次第

 

一 蓮花阿闍梨 日持 

 

一 伊與公   日頂 

 

一 佐士公   日向

 

一 白蓮阿闍梨 日興 

 

一 大國阿闍梨 日朗 

 

一 辨阿闍梨  日昭

右六人者本弟子也 仍為向後所定如件

弘安五年十月八日

 

→ 「不次第」つまり、六老僧は誰彼と区別するものではなく、六人は平等と明示され、一番後輩の日持を最初に、一番弟子の日昭を最後にされているのが六老僧平等をあらわされています。

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293.宿坊氏の狂った様な己義の羅列を見ておりますと、先日捕まった「谷口某」なる痴犬を思い出してしまいます。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 14時39分

▼注意せねばならないのは大聖人・日興上人は「戒壇板本尊が出世の本懐」とはいわれていないということです。見落としがちですが、これは決定的な事柄です。

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●ほとほと頑迷固陋ですね。そういえば、当方のBBSに

 

「樋田さんと宿坊氏のやりとりですが、今の宿坊氏の狂った様な己義の羅列を見ておりますと、先日捕まった「谷口某」なる痴犬を思い出してしまいます。きっと彼は「壊れたラジオ」みたいに喚き散らさないと不安で仕方無いのでしょうね。哀れですね。」

 

とあったが、まさに、その通りである。

 

この谷口某と電話で三回ほど会話をしたが、まさに貴公らと同じ印象である。

 

自分に都合の悪い話はまるで聞こうとせず、自分の言いたい事だけを壊れたテープレコーダーの如く繰り返し繰り返し、ただベラベラと延々と喋っている・・・・

 

貴公らもこのまま「病」が進行していったら、今に「事件」を起こすような事になるやも知れない。

空恐ろしい限りである。

 

その深義を秘蔵厳護しなければならない戒壇の大御本尊の大御本尊様の御事を、主に在家に宛てたお手紙を纏めた書である御書の中に見出せないのは当然過ぎるほど当然の事である、という道理がニセ本尊の猛毒で石の様に固まり切った脳髄には沁み込まないようである。

 

■「器に四つの失あり。

一には覆と申してうつぶけるなり。又はくつがへす、又は蓋をおほふなり。

二には漏と申して水もるなり。

三には?と申してけがれたるなり。水浄けれども糞の入りたる器の水をば用ふる事なし。四には雑なり。飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんどを雑へぬれば人食らふ事なし。器は我等が身心を表はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは、仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐き出だしぬ。」

 

■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」

 

貴公ら何の相伝もない謗法の輩には御本尊の御事は窺い知れない甚深の御義である。

 

■「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。」

 

同意である。御本尊様の御事はこの世で六十七人の方しか真実甚深の義は解り得ない。

それを土竜の如く、目も見えないくせにこそこそ嗅ぎ回って、我見を捲し立てているのが貴公らの無様な姿である。

 

貴公らの不信謗法の様は既に解き切られている。

 

■「涅槃経三十六に云はく

「我契経の中に於て説く、二種の人有り仏法僧を謗ずと。

一には不信にして瞋恚の心あるが故に、

二には信ずと雖も義を解せざるが故に。

善男子、若し人信心あって智慧有ること無き、是の人は則ち能く無明を増長す。

若し智慧有って信心有ること無き、是の人は則ち能く邪見を増長す。

善男子、不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。

信ずる者にして慧無くば顛倒して義を解するが故に、法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ」

 

貴公らは、まず、日顕上人を瞋恚して、憎悪して、結局は三宝を誹謗している。

また、仮に信あり、と言っても、正しい相伝に拠らない妄信であるが故に、義が全く理解できない。

益々無明の闇が深まるばかりである。

 

■「不信の人は瞋恚の心あるが故に説いて仏法僧宝有ること無しと言はん。」

 

まさに貴公らの姿ではないか。

涅槃経にまで読まれている貴公らの悪所業はいかばかりか罪深いものか。

恐れある事ども也。

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292.ゲイカの師範山崎正友を見下ろす、教学の達人トヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 14時11分

 

1277年・建治3年8/23  日女御前御返事 1243 身延にて 未決

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。

 

→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。

 それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。

 

→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、

大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。

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291.次期法主との期待が高まるトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 14時6分

 

大石寺説の矛盾

 

@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記  佐渡にて 509  真曽

「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」

 

→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?

 

A 釈尊の出世の本懐は?

→ 法華経・妙法蓮華経

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

B 天台大師の出世の本懐は?

→ 摩訶止観・一念三千

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

C 伝教大師の出世の本懐は?

→ 迹門の戒壇

・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。

 

E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。

門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?

かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)

 

 

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290.ゲイカの命を受け新時代を開いたトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時45分

 

@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?

 

A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。

大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。

 

B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。

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289.日蓮正宗の広宣流布よりも、自らのDVDが先に広宣流布しそうなトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時44分

 

@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。

→ 否定ですね。

 

A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。

→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。

 

B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?

 

→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。

 

C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。

→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。

 

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288.トヨダ大先生のお言葉と御本仏大聖人様のお言葉の内容が、まるで正反対ですがこのままだまし続けますか?

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 13時42分

 

如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848

 

法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045

 

況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068

 

今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139

 

不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174

 

あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304

 

生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340

 

倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614

 

さて、以下指摘です。

 

・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?

 

・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?

 

・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?

 

・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?

 

・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?

 

・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?

 

・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?

 

・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?

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287.ニッケンゲイカのご内証に肉薄され、成仏されたトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 13時38分

 

阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426

 

上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466

 

「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467

 

然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480

 

、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481

 

釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515

 

此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519

 

法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529

悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547

 

三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557

 

三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572

 

之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574

 

此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717

 

三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815

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286.トヨダ大先生ともあろう方が、退転した通行人@学会員と、お友達で先生の助っ人ですか?

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 13時34分

 

日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。

(指摘済みの「聖人御難事」を除く)

 

故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と  P73

 

此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98

 

一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99

 

如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109

 

念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116

 

又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119

 

但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121

 

法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208

 

法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414

等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415

 

迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421

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285.宿坊君・・お身内からもきついお言葉が出てますよ。 合掌。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 13時1分

 

投稿日時:2005/05/31(Tue) 12:50

 

タイトル:宿坊氏、怒られています(笑)

 

4375. >崩れているのは? 通行人@学会員  2005/05/31 (火) 11:19

 

現時の学会教学を、我見で勝手に捻じ曲げて解釈している輩を「崩れ学会員」というのではないでしょうか。

 

特に「大御本尊」や「二箇相承」に疑義をはさみ、全く組織活動もせず、「日顕を倒す!!」などと威勢ばかりで、実際には公開法論を突きつけられれば逃げ、ネット上でのTRに応じるようにいいながら「実名」が名乗れず、結局は逃げ回りごまかし続ける、このような口先だけの人物は、完璧な「崩れ学会員」ですね。

 

「日顕を倒す!!」などとは、学会活動をサボって自分の趣味である、古文書研究に没頭するため言い訳です。」

 

以上。

 

 

呵々大笑。

 

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284.貴公の精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 12時54分

 

●ここなども貴公の浅薄な教義理解の浅ましさが良く表れていて、実にいいサンプルとなった。

 

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▼日蓮大聖人出世の本懐は三大秘法の建立・確立

 

日蓮大聖人 → かきあらはしまいらせた宝塔=出世の本懐とはこれなり 

→ 本尊 → 南無妙法蓮華経=此の五字・日蓮出世の本懐なり → 題目

 

日興上人  → 日蓮聖人御出世の本懐・南無妙法蓮華経  → 題目

 

このように本尊・題目を出世の本懐とされており、それはとりもなおさず三大秘法の確立ということです。

本尊・題目があればそこに戒壇もあります。三学倶伝といい、この三大秘法は絶えず一体だからです。

( 参考 → 御義口伝 第二十此経難持の事御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒虚空不動定虚空不動慧三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと 743 )

 

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● 因みに引用文は、平成版では

 

■「第十六 是名持戒の事

 御義口伝に云はく、此の経文にて三学倶伝するなり。虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧、三学倶に伝ふるを名づけて妙法と曰ふと。」

 

である。

 

貴公の引文は、創価学会版御書の、明らかな誤植・もしくは誤読であるから速やかに訂正したら如何か?

 

その証拠に、創価学会版では、742ページに

 

「第十四」にも「此経難持」とあり、

 

「御義口伝に云はく、此の法華経を持つ者は難に値はんと心得て持つなり、されば則為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る是なり」とあり、正に、題号と文意が齟齬がない。

 

勿論平成版では、この文を用いている。

 

が、創価学会版では、その1ページ後(743)に再度「此経難持」とあり、同一題号が二度重複し、極めて不自然であり、文意とも齟齬がある。

 

古文献研究の世界では、常に新発見があり、最新版を用いるのが真に学問をする者の常識である。

 

今後は、つまらぬ恥をかかぬよう、平成版で引文されたら如何か?

老婆心ながら忠告申し上げておく。

 

 

1、では貴公が言うその「三大秘法の御本尊」は現存する大聖人様御真筆御本尊(と言われている)御本尊のうちのどの御本尊か?

 

2、それとも、どの御本尊でも自分が「気に入った」御本尊でもいいのか?

 

3、それは、邪宗日蓮宗系寺院が所蔵している御本尊でもいいのか?

 

4、三大秘法抄(真書であることは証明済み。疑難をするのならば偽書であることを明証せよ。)

 

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」との、

 

1、具体的な「事の戒壇」に安置申し上げる御本尊はどれか?

2、一体か?

3、それとも何体か?

4、ありとあらゆる「大聖人御真筆御本尊」と“いわれている”全てか?

 

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5、貴公らが拝む日寛上人の御本尊を勝手に撮影・修正・複製・販売しているニセ本尊は、大聖人様御真筆ではないが、御書に書かれていない本尊を何故貴公らは拝んでいのか?

 

御書に示されていない“本尊”なのだから、勝手に拝んではいけないのではないか?

 

6、御書 もしくは上古の文献で、大石寺門流の江戸時代頃の御法主が ある一寺院の住職へ下賜した御本尊を、在家が勝手に文字に修正を加え、授与書きを勝手に削除し、大量に形木で摺って、配り散らかして良い、という文証を挙げてください。

 

できれば、その本尊が大聖人様の「出世の本懐」であると証明してください。

 

7、身延のみやげ物屋で売られている、大聖人御真筆と“鑑定済み”の御本尊の複製掛け軸は、大聖人様「出世の本懐」なのか、否か?

 

まだまだ、疑問は尽きませんが、この辺にしておいてあげましょう。

 

速やかに御書を通して、証明もしくは回答して下さい。

 

もし、上記の論証に成功しなかった場合は、貴殿らの謗法・堕獄は治定である。

 

精一杯の屁理屈による痴論を楽しみにしています。

 

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283.大先生ここでごもまかしておきますか? 法華講ですからバレマセンネ。

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 11時24分

 

→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。

 

D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永11年5/24 法華取要抄  与富木常忍 身延にて (338) 真筆

( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )

是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。

 

→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?

答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。

 

E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽

此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。

 

→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?

どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。

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282.トヨダ大先生、大聖人の教えと矛盾いたしますがどのようにいたしましょう?

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時23分

 

@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!

1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書  身延にて 828 未決

一等雨法雨の事

此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、

 

 

A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年5/28  義浄房御書 佐渡にて 892 (録外)未決 

( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )

寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、

 

→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。

この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます

 

B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )

伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず

 

→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。

 

C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!   

1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124  未決

日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし

 

→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?

この本尊はどなたに授与されたのですか?

まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

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281.長野の大先生様!地元からブーイングです

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 11時17分

 

いわれてるよ。

 

→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。

 

で、どうなの「お受け」したの?

 

→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。

 

※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。

前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。

 

と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。

もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。

 

永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。

どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。

火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。

だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。

 

誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。

まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。

 

    間抜けな教祖様へ!

 

謹んで拝読せよ。

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280.僭越ながら御指南役トヨダ大先生を謹んで破折させていただきます

 

名前:宿坊  日付:5月31日(火) 11時14分

 

(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状

「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)

 

●だからどうしたというのですか?

「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。

 

→ では、(笑)

◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。

 

◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。

 

◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。

 

◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。

 

◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。

 

◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。

 

◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。

 

→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。

 

ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。

それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。

 

→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。

日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・

「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。

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279.僭越ながら御指南役トヨダ大先生を謹んで破折させていただきます

 

名前:宿坊  日付:5月31日(火) 11時13分

 

以前の「長野のおじさん」の書き込み

 

※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。

 

 

◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。

 

◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。

 

◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。

 

◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。

 

@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠

 

A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠

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278.トヨダ大先生様へ、冗談はよしてください。

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 11時9分

 

>未究竟御曼荼羅御本尊様  対   究竟された御曼荼羅御本尊様

 

 

日顕ゲイカの御指南役トヨダ教授がこのような陳腐なことを言われると、

皆様からおしかりを受けると思いますがいかがでしょうか?

要するにご本尊に差別が存在するわけですね。

 

『日蓮がたましひを・すみにそめながして・かきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし。』

 

その未究竟本尊はどれとどれで、『究竟本尊』はどれですか?

客観的文証を提示してください。

 

 

 

>「奉書写之」=之を書写し奉る の「之」とは何を指すのか、

 

少なくとも「戒壇板本尊」ではありませんね、トヨダ大先生様

手にとってよくご覧になってください、

違いが一目瞭然です、

まさかトヨダ大先生様は目が節穴ではありませんね!

 

しかしDVDでなくてよかったですぞ、映像でしたら法華講がかわいそうです、

赤子がひねりつぶされているのですから。

では簡単に破折と行きます、

 

「御本尊七箇相承」には、

「仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なりと遊ばさ

るる侭、書写し奉るこそ御本尊書写にてあらめ、之れを略し奉る事大僻見不相伝

の至極なり。」「日蓮正宗聖典」三七九頁

 

とあり、

 

「本門戒壇の大御本尊」 には

「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」とあるのは、

「彫刻本尊」自体が「法門相承」の書き方ではない決定的証拠なのです。

 

寛師書写本尊には『二千二百三十余年』となっており

「御本尊七箇相承」の通り書写されている。

 

寛師書写本尊と「彫刻本尊」とは違います、

あなたのその「めがね」は現在使われておりませんので、

よくお確かめになって、お書き直し願います。

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277.日蓮正宗・大石寺の教授トヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月31日(火) 10時53分

 

A 星名五郎太郎殿御返事 /文永四年十二月 四十六歳御作  1209

今・此の善導・法然等は、種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし・如来の正法を滅す、就中・彼の真言等の流れ・偏に現在を以て旨とす、所謂・畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば・彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多(あかだ)仙人は十二年の間・恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟(ぎと)仙人の四大海を一日の中にすひほし、く留外道は八百年の間・石となる、豈是にすぎたらんや、又瞿曇(くどん)仙人が十二年の程・釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば・即ち外道を信ずべし、当に知るべし・彼れ威徳ありといへども・猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや・況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり・近付くべからず畏る可し畏る可し

 

 

【 日顕宗についてるあなたが不憫でならない 】

妙一尼御前御消息   /建冶元年五月 五十四歳御作 妙一尼御前   1253

大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく、我涅槃すべし、但・心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく、仏は平等の慈悲なり、一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王・一人と・をほせあるやらん・と問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り、是の七子の中に一子・病に遇えり、父母の心・平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云、天台・摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば・七子の父母・平等ならざるには非ず、然れども病者に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云とこそ・仏は答えさせ給いしか、文の心は・人にはあまたの子あれども・父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには・一切衆生は皆子なり、其の中・罪ふかくして世間の父母をころし・仏経のかたきとなる者は病子のごとし

 

 

【 日顕宗が創価学会を誹謗する姿は「螢火が日月をわらひ」です 】

佐渡御書  /文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那  961

螢火が日月をわらひ・蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり・烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし・わらふなるべし。

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276.貴公らは、永劫に六道の巷・殊に三悪道で喘ぎ沈倫する不遇な衆生である。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月31日(火) 10時52分

▼ 原殿御返事

 

「御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば、最前には破し給うべきと強いて申し候いしを、云々」

 

概訳 は省略

 

**********************************************************

 

ここも、別段貴公らの痴論を明証する箇所とはならない。

態々、通解まで長々と書き付けて、ご苦労様。

 

ここの日興上人の仰せは、「大聖人様の「出世の本懐」は、御曼荼羅御文字本尊であり、絵像・木像の類ではない。」との御心である。

 

それは、当時通常「本尊」といえば絵像・木像の類であった“常識”に対して、それを破して、御文字曼荼羅本尊を択ぶ意であり、相対する対象が、

 

絵像・木像 対 御文字曼荼羅 

 

という立て分けである。

 

その大聖人様の出世の本懐である御文字曼荼羅御本尊の中でも、大聖人様御一期の御化導の中で、究竟された御本尊と、未究竟の御本尊様があらせられる、ということを論じているのである。

 

未究竟御曼荼羅御本尊様  対   究竟された御曼荼羅御本尊様

 

との相対の論格である。

 

AとB を比較して Aを択びBを捨て、更にAの中でも、一段と純化されたAを択ぶ。

 

こういう論証である。

(貴公らに細かく説明してあげても腐った根性では理解不能であろうから、これを見る、他の方々への、特に初門の方への解説であるから、貴公らは居眠りしていてかまいません。)

 

それは御本尊様の体相に明確に拝すことが出来、弘安元年以降の御本尊様に、なかんずく、弘安二年の戒壇の大御本尊様の体相に究竟される、と日顕上人の尊い御指南を拝して証明しているのである。

 

貴公ら「御本尊書写の大権」を、当たり前すぎるほど当たり前であるが、持ち合わせていない者どもが逆立ちして憤慨しても、所詮、門外漢の歯軋りである。

 

貴公らが拝んでる(であろう、ちゃんと魔の勤行してる?)日寛上人の御本尊様を勝手に撮影・印刷・大量販売した「ニセ本尊」のその基になった、日寛上人の御本尊様も、その体相・特に人法一箇の深義は、まさに戒壇の大御本尊を書写されているお姿であることは明々白々である。

 

もし、そうでないというのなら、「奉書写之」=之を書写し奉る の「之」とは何を指すのか、明示すべきであろう。

 

貴公らは所詮、

■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師(人法一箇の戒壇の大御本尊様)を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。」

 

の永劫に六道の巷・殊に三悪道で喘ぎ沈倫する不遇な衆生である。

 

 

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275.トヨダ大先生は味をしめていますので、DVDでまた一儲けですか?

 

名前:宿坊  日付:5月31日(火) 10時50分

 

長野のおじさんは「脅し文句で文証を使います」が、私はやさしく救済の手をさしのべましょう。しっかりと以下の御文を拝して、目を覚ましましょうね。

 

【 あなたが日顕宗についていき、無間地獄に堕ちるのが不憫でならない 】

@ 聖愚問答抄上     /文永二年   四十四歳御作 492

先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ、我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諌めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを、我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら、争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ・命をも捨つべし、諌めてもあきたらず・歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む、況や・悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや、恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず・親の命に随ひ・邪正を簡ばず、主の仰せに順はんと云う事・愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠・不孝是に過ぐべからず。

 

A 開目抄  577

我が父母(ふも)を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子(あくし)の酔狂(すいきょう)して父母を殺すをせいせざるべしや

 

【 日顕宗についていき、後悔しても遅いですよ 】

佐渡御書  959

今・謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者・父母を打て悦しが・酔さめて後・歎しが如し、歎けども甲斐なし、此罪消がたし

 

 

【 日顕宗についていけば阿鼻地獄ですよ 】

南部六郎殿御書  1374

十輪経に云く「若し誹謗の者ならば共住すべからず・亦親近せざれ、若し親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん」云云、栴檀の林に入りぬれば・たをらざるに其身に薫ず、誹謗の者に親近すれば・所修の善根・悉く滅して倶に地獄に堕落せん、故に弘決の四に云く「若し人・本・悪無けれども、悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて、悪名・天下に遍し」

 

 

【 謗法の日顕宗に供養すれば無限大城に堕しますよ 】

教機時国抄  弘長二年二月十日 四十一歳御作  439

法華経を謗ぜん者をば、正・像・末の三時に亘りて、持戒の者をも・無戒の者をも・破戒の者をも・共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り、供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、

 

 

【 仏法を行じても日顕宗では心が曲がりますよ 】

三沢抄 /建治四年二月 五十七歳御作 与三沢小次郎  1487

仏法をばがくすれども、或は我が心のをろかなるにより・或はたとひ・智慧はかしこきやうなれども・師によりて我が心のまがるをしらず、仏教を・なをしくならひうる事かたし

 

 

【 日顕宗こそ、仏教をもって仏教を失っています 】

題目弥陀名号勝劣事   115

仏教をもつて・仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず、只・善を修すると打ち思うて、又そばの人も善と打ち思うてある程に、思はざる外に・悪道に堕つる事の出来候なり

 

 

【 日顕宗に功徳の現証がある?そんなの邪教の悪現証と同じです 】

@ 報恩抄 建治二年[太歳丙子]七月二十一日   之を記す  319

古の人人も・不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳に十二年留め・或は大海をすひほし・或は日月を手ににぎり・或は釈子を牛羊となしなんどせしかども・いよいよ大慢を・をこして生死の業とこそなりしか、此れをば天台云く「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ、光宅が忽に雨を下し・須臾に花をさかせしをも妙楽は「感応・此の如くなれども猶・理に称わず」とこそかかれて候へ、されば天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも・其をもつて仏意に叶うとはをほせられず、弘法大師いかなる徳ましますとも・法華経を戯論の法と定め・釈迦仏を無明の辺域とかかせ給へる御ふでは・智慧かしこからん人は用ゆべからず、いかにいわうや・上にあげられて候徳どもは不審ある事なり

――――――――――――――――――――――

274.トヨダ大先生、日蓮大聖人様はあずかり知らぬ「戒壇板本尊」と言われていますよ

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時45分

上古の文献から拝察すれば「戒壇板本尊」 は真っ赤な

 

偽物になります。

 

日蓮消宗・大石寺の「板本尊」は

 

「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」

 

三師御伝土代 大石寺の第四世日道上人仰せに曰く、

 

「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、」

 

日蓮消宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は罪を無間に開く本尊と言われていますよ!

 

困ったな坊や、どうしますか?

 

また煙に巻きますか?

 

本尊三度相伝

 

「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」

 

重須学頭日順上人

 

「仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅」

 

御本尊七箇相承、

 

「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」

 

五人所破抄見聞

 

「仏滅度後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅と遊ばす也、」

――――――――――――――――――――――

273.トヨダ大先生、おはようございます。天下御指南役に意見をさせていただきます。

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 10時33分

 

※「原殿書、祖滅七年、日興上人より原弥六郎への返状、中古の写本要法寺に在り。」

貴公の論法で言えば、

1、この書が真書であることを「上古の文献」で証明しろ。

2、真蹟はどこにあるんだ〜?

3、偽書で無いということを客観的証拠で明確に証明しろ。

4、筆跡鑑定しなければ信じない。

この四点が明らかにならなければ偽物だ〜〜。

と、こうなるが如何か?

貴公は上記四点が明白でないのに何故この書を軽々に引用するのか?

戒壇の大御本尊様・二箇相承・百六箇抄・条々事・他 への邪難も同様の論法であろう?

ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。

 

→ 

◎「原殿書」

日興上人による身延離山自体は全日蓮門下存知の史実。(動機・解釈は異なるが)

富士一跡門徒存知の事により、身延山の本尊問題も伺われる。

阿仏坊御書、御義口伝に明示される大聖人の出世の本懐とも同義。

故に写本のみでも、状況証拠により採用できるということです。

 

◎「戒壇板本尊」

過去、指摘済みの如く、法門上の考察、歴史上の考察から存在はなし。

 

◎「二箇相承書」

過去、指摘ずみ。

 

◎「日興跡条々事」

 

◎「百六箇抄」

同。

 

→ 何も「原殿書」のみならず、写本のみの大聖人の御書も多数有る。もちろん、これらは真筆だったのか、偽書なのか、時間をかけ状況証拠を積み重ね判定をするべきですが、ほぼ全日蓮門下が横断して拝読しえるものであり、認識を共有できます。

 

→ しかし、「相承書」は違います。今日では六老僧それぞれの門流が、規模の大小はあれ確立されており、相承書の真偽は「それぞれの教団の存立に直結」する問題となります。故に「真偽判定」は全日蓮門下をして納得せしめるものがあらねばならず、一宗派内のみで「これがわが門祖への相承書だ」としたところで何の意味も無いのです。客観的な鑑定、伝承の経緯等の情報公開、それの調査・分析が必要となります。

 

なんといっても

・大聖人は相承書なるものによって、特定の一人のみへの付属を期されていたのか否か。

・大聖人は唯授一人血脈相承により、令法久住を期されていたのか否か。

・大聖人は唯授一人血脈相承を実際に行なわれたのか否か。

・大聖人の仏法は相承書などによらない、「信心の血脈」により時代、時代に確立されるものなのか、否か。

という、宗祖の教義、思想に直結してくる問題であり、内容はどちらの主張どおりになるかは別としても「一つの日蓮像」ができあがり、そこに信を取るのですから、「相承書の真偽は重要な問題」なのです。

 

「戒壇板本尊」も同じく、その意味する方向性は「相承書」とほぼ同じであり、

・大聖人は特定の一つの本尊を出世の本懐とされたのか否か

・その本尊は本門戒壇に安置の本尊なのか、否か

・それを実際に唯授一人で相承されたのか否か

などですね。

 

特に「相承書」を申告したところは過去に数多あったわけですが、日蓮正宗・大石寺を除き、今日では、ほとんどが引っ込めてしまっていますね。

「相承書」により正統とするのではなく、信仰実践により宗祖とつながりゆく、という本道の選択ですね。

 

一人日蓮正宗のみが声高に主張しているのです。「出世の本懐の板本尊だ」「御法主上人ゲイカが唯授一人血脈相承を継承される」等々と、ならば客観的な証明を求める、というのも当然至極なことなのです。

 

ですから「謗法の輩には」などと、どうのこうのというのではなく、素直にストレートに証明すればいいのです。それを頑なに拒否し、史実を「都合よく」解釈し、「憶測、推測を積み重ねて」証明しようとしてばかりいるから、破折・指摘を受け続けているのです。

 

 

 

 

※ ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。

 

全ての資料を自分らの都合の良い様に使い散らかすだけであり、貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。

真に唾棄すべき腐り果てた、醜悪・面妖な食法餓鬼どもである。

 

→ ということで、これは大先生のひとり言ですね。本当に大丈夫ですか?

こういう発言は、全部、ご自分の内面世界の一端をそのまま書き記しているのではないですか?

見ている人、みんなが心配していますよ。

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272.訂正

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 9時38分

混間→混同

 

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271.自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月31日(火) 9時36分

ここで貴公らの心根の不純さを更に明確に指摘しておかねばならないようだ。

 

日淳上人全集から

 

悪口と折伏

 

「罵詈讒謗と折伏とは混間されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。」

 

自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして却って他を言ふは悪口罵詈である。

 

一つはうちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念止む能はず彼が為に悪を除かむとする親の情により、

一つは自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。

 

此の両者は結果に於ては区別し難いがその原因に於ては千里の逕庭がある。

 

即ち正法受持の自覚があると否と、而して受持するところはたして正法なると否とによるのである。

 

他の過悪を挙ぐることは易い、その非を嗚らすことも容易である。

 

けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。

 

今の世悪口罵詈讒謗毀(此言)は多いが真の折伏は少い。

 

悪口罵詈は如何に巧なりとも一顧だにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ。

 

 日蓮大聖人曰く「体斜めなれば影曲がる」と体とは法である 影とは行人である。

 

されば行人の曲れるは法の曲がれるによる 影を矯んとならば法を糺さなければならぬ。

 

法若し正しくして影が曲ればそれは行人の罪であって法の罪ではない、五濁爛漫の当世、法をさしをいて一々の言行を批判すれば悪口に堕する、唯受持する法の邪正を決するが行伏である。

 

近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。

 

徒らに奇言を弄して衆目を悪はさんとするものの如くであるが、聞くところ見るところによれば悉く所謂悪口に過ぎない。

 

自らの智解の及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである。

 

衆人先づ悪口か折伏かを批判して然るのちにその言を聴かむことが肝要である。                 

 

昭和六年六月  (大日蓮)」

 

心して、仰ぐがよい。

 

 

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270.次期法主の樋田先生へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月31日(火) 0時22分

 

※ 百六箇抄云々

 

→ 過去、数回述べましたね。

 

→「四、結論」以後は「考えられるのである。」「ではなかろうか。」「であると思うのである。」「と思う。」ばかりで、論評するに値せず、です。「思う」のは自由ですので、自由に好きなだけ書いていただき、「信者さんだけで」喜んでいればいいことですね。

で、どこで「二箇相承書の実在」が証明されたのかな?

 

 

※ 親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。

 

→ 以下、「身延山」と「身遠山」の考察がつづきますが、それで「二箇相承書の実在」が証明されたのでしょうか?(笑)

 

※ 尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。

 

→ ここも要チェックです。

日蓮正宗・大石寺では「宗祖・日蓮大聖人よりの唯授一人血脈相承を承継される御法主上人ゲイカが正法の一切を所持される」やに言いますが「根っこの部分、日蓮・日興の相承書がなぜ、日興より日目に授与されないで、北山本門寺に存在したのでしょうか」ということになります。

もちろん、当方のスタンスとして、「相承書なんて、そんなもの一切ない」ということなのですが、彼らの主張の内容に立ち入ってみてやっても、原点の時点で既に「自己矛盾している」ということなのです。

最初から、「欠陥相承」ということになります。

 

 

※ いずれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。

 

→ ものはいいよう、というところですね。いつもの決まり文句です。聞き飽きました。(笑)

 

 

さあ、大先生!お答えなさい。大先生の肩にはおおくの友の期待がかかっています。

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269.そうでしょ、大先生!

 

名前:宿坊 日付:5月31日(火) 0時20分

 

※ 越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。

とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。

 

→ 「であると受けとれば」というのは弱いですね。「西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文」がありましても、その本成寺の方は当時どのような寺院と交流があったのか、果たして西山一箇寺だけなのか、どこの寺の誰からの流言なのか、特定はできません。「いや、西山だ」というのなら、断定できる根拠を示さなければいけません。

 

それなのに「であると受けとれば」と続け、「真実性が出てくる」と、なかば「本当なんだよ」と思わせるような記述。これでは多くの人が「コロリ」といくでしょうね。

本質は「巧みなる表現力で特定の方向に誘引している」だけなのです。騙されてはいけません。日蓮正宗流術の典型例といえます。

 

 

※ したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。

 

→ 一転、この点は大いに評価します。従来の日蓮正宗の説では「日辰一行は大聖人の御真筆を書写した。それが武田の兵により強奪された」と通り一片等の主張をしていたのですが、日蓮正宗関係者ではお初の?「重須に存したのは大聖人真筆ではなかった」としたのですから、「偽書故、真筆などあるわけない」という当方とも一理通じるものがあるわけです。「重須に存在したのは真筆ではない」という箇所でね。

 

 

※ 西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。

 

→ 「推定」ですね、で、その「日代筆写」のものが武田に盗まれたと?

ここです。またまた日蓮正宗の話術です。

越後本成寺の八代目・日現は「蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」と「似ているのではないか?ということを聞いただけ」なのです。

 

自分の目で確認、というわけではないのです。

それを現代の山口氏が「日現の推測の伝聞」に、更に輪を掛けて「推定」とし、読者に「そうか、日代の筆か」と印象付けているのですね。

「何も断定できる根拠はない」ということですよ。目くらましにかかってはいけません。

 

→ しかも、前文にこう書いてありますね。

※ これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。

→ この後の文は「根拠薄弱なのに推論の積み重ね」で「らしく」脚色しているにすぎない、ということです。

「仮定」「推量」を「であれば」でつなげ「だろう」「したがって」「である」と「本当のことのように印象付けている」だけなのです。

 

 

※ 日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。

 

→ 更にここですね。「あれば」「だろう」と続けて「したがって」とね。

この「あれば」「だろう」をいくら重ねても「推測」というか、「夢物語」になるでしょう。なのに「したがって」と接続されると、後文が「真実であるかのように感じてしまう」のです。実に上手な表現です。

 

ここで大先生がなすべきことは山口氏の「あれば」「だろう」ではなく、これを「であった」「である故に」「だったのだ」「ということなのだ」と、「断定するに足りるものを提示しなければならない」

ということです。さあ、難題が増えましたよ。

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268.教学部長、樋田大先生

 

名前:宿坊  日付:5月31日(火) 0時17分

 

これを忘れてはいけません!大先生がコピーして張り付けただけの「山口範道氏の考察」は私より指摘を受けているのです。

自分が受けたものでなく、坊さんがやられたものなら、関係ないのですか。

 

いや、私はそれでいいと思いますよ。何しろ「そこらへんの使えない末寺の坊主よりもよっぽど役に立ち、次期法華講連合会委員長になって頂きたい人物NO1ではないか、ともつぱら評判の大先生」なのですから。

 

それでも、指摘は指摘、大先生が引用した「山口説は崩壊」したことをここに宣言し、以下、その証明を再度貼り付けます。

 

日蓮正宗僧・山口氏は、下記の越後本成寺・日現の「二箇相承書に対する偽書との批判」を引用し、長々と解説しながら「二箇相承書実在を印象付ける」記述をしています。・・・「印象」ですからね、実在の証明とはなっていませんのでご注意を。(笑)

 

※「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。

 されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」

 

◎ 「蔵人阿日代と云う人の筆に似たり」と「推測」したのはどこの誰か?明確にせよ。

 

◎ その「推測」した人物が「比較した日代の文献」は何か?明確にせよ。

 

◎ 比較検討した内容を詳細に明示せよ。

 

◎ その「推測」した人物の「鑑識眼が信用できる」という根拠を明示せよ。

 

◎ 日現が「言いたかった事は二箇相承書の『肯定』なのか、『否定』なのか?」どちらか。

 

◎ これは「日現は否定論者であることは明らか」である。その傍証として「出所不明の流言」で補足したものであるが、それは本当に「特定の人物からの話し」だったのか?それとも「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」だったのか?どちらか明らかにせよ。

 

◎ 「特定の人物からの話し」であれば、上記の質問に戻る。

「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」であれば、まったくもって取るに足らない=信用できないもの、となる。

貴殿、どちらを取るか?

 

◎ 大事な点なので重ねて念押しするが、本成寺・日現は「自分の目で見て二箇相承書は日代筆」としたのか?「又聞きで日代筆」としたのか?

 

◎ どちらにしても、それが信用に値するという根拠は?

 

◎ 「謎の人物の話し」→ 人不明、判別方法不明、比較文献不明、鑑識能力不明、→ 信用性は0

 

◎ 日現の記述 → 特定の人物よりの伝聞なのか?巷間の説を聞いて書いただけなのか?判別できず。

 

◎ このような「前提」の上に「であると受けとれば」「わからないが〜考えられるのである」「推定される」

「であれば〜だろう」で接続し「したがって」と締め括る手法が「歴史考証」といえるのか。「文献学」といえるのか。是非、利害関係のない、公平、無私、客観的な立場にある学者に読んでもらうことを勧める。

 

→ 以下、少々細かく。

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267.幸道君、リタイアしちゃうの?

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月31日(火) 0時9分

とうとう、宿坊君(吉川幸道君?)はお役御免で、今まで物陰から石投げていた弱虫、山人君(金原君?)が表舞台に登場かな?

 

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266.日蓮正宗・大石寺教学部長、樋田様へ

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 23時55分

 

そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。

 

されば、「余は二十七年なり」とは、語の重複を避けて省略されているものの、理の指(さ)し示すところ、「余は二十七年にして出世の本懐を遂ぐるなり」の意であることは、誰の目にも明らかであろう。

これを、妄弁者らのごとく読むとすれば、わざわざ前文に、三国四師の出世の本懐までの年数を挙げられた理由がなくなってしまい、文意が支離滅裂となってしまう。むりな曲解は禁物である。

 

大聖人は、すでに文永12年3月の時点で、宝塔=曼茶羅(まんだら)御本尊を指して「出世の本懐」と仰せであるから、御自筆の、それも弘安2年10月1日近辺に顕(あら)わされた御本尊が出世の本懐であることは間違いない。

とすると、唯一、その脇書に「本門戒壇」とお認(したた)めがあり、かつ堅牢(けんろう)な楠板をもって建立された(御筆御本尊のうち板御本尊はただ一体である)、弘安2年10月12日の大御本尊以外に、出世の本懐と認(みと)められる御本尊はないのである。

 

 

 

→ ひとり言がすきですね。で、大先生の話では「戒壇板本尊が本物」になってしまっていますが、その戒壇板本尊の証明は?

できるの、できないの、どちらかな?(笑)

 

@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?

 

A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。

大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。

 

B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。

 

※ 以上のように、本門戒壇大御本尊についての大聖人・日興上人の御文証は、天日を仰ぐがごとく明らかであって、否定のしようがない。大石寺の本門戒壇の大御本尊以外に、大聖人「出世の本懐」も「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」もありえないのである。

 

→ 大先生!これじゃあ、まるでニッケンゲイカの説法と同じだね、何回同じことを言うのかな?

ねむくなっちゃうよ。

 

 

NO 256と257はお寺の中の話ですね。・・・で、それで?(笑)

まあ「貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れるのみ」と書いて点数稼ぎかな?

そんなこと、いちいちしなくても「多くの法華講員は大先生のことをゲイカ以上に崇拝している」からね。おめでとうございます。

 

そうそう、「大先生はこういう、戒壇板本尊の証明という話は丸で“ダメ”ですね。」

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265.猊下の御指南役、トヨダ先生様へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 23時48分

 

日蓮正宗・大石寺に、「二箇相承」が相伝されていないのに、

「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」だけが為されていたとは何処を

どのように読めばそのようになるのでしょうか?

 

大先生宜しくご教示ください。

 

「二箇相承」は北山本門寺・重須と西山本門寺の紛争が原因で、1581年、武田勝頼の手に渡って、1582年に武田の滅亡と共に紛失されたとなっていますが、

 

大先生考えても見てください、日蓮大聖人滅後300年たってから

大石寺ではなく北山本門寺・重須から強奪されたのです。

 

それまで「二箇相承」は大石寺に存在しなかったことになりますが、

この事実をどのようにご覧なりますでしょうか?

 

「二箇相承」を日興上人が所持されたまま、北山本門寺・重須に移られた事も合点が行きません。

 

なぜなら日目上人に相伝されたのなら、「二箇相承」も日目上人に譲られるのが本筋ではないのかと思いますが、トヨダ大先生はどのようにお考えでしょうか?

ご見解を宜しくお願いいたします。

 

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264.貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 23時38分

 

▼日興上人のいわれる大聖人の出世の本懐

「日蓮聖人御出世の本懐は南無妙法蓮華経」

 

1288年・正応元年12月16日(滅後7年・身延離山前年)  原殿御返事  (富要8-11)

 

●まず内容の破折に入る前に、一つ重大な点を呵責しておくものである。

 

この資料の始めに、

 

「原殿書、祖滅七年、日興上人より原弥六郎への返状、中古の写本要法寺に在り。」

 

とある。

つまり、日興上人の御真蹟は現存されておらず、しかも「中古」の写本である。

 

貴公の論法で言えば、

 

1、この書が真書であることを「上古の文献」で証明しろ。

2、真蹟はどこにあるんだ〜?

3、偽書で無いということを客観的証拠で明確に証明しろ。

4、筆跡鑑定しなければ信じない。

 

この四点が明らかにならなければ偽物だ〜〜。

 

と、こうなるが如何か?

 

貴公は上記四点が明白でないのに何故この書を軽々に引用するのか?

 

戒壇の大御本尊様・二箇相承・百六箇抄・条々事・他 への邪難も同様の論法であろう?

 

ここに貴公らの謗法の腐りきった根性でなす欺瞞の実態が明々白々となった。

 

全ての資料を自分らの都合の良い様に使い散らかすだけであり、貴公らに仏法を学する真摯な精神や態度など微塵も無い。

真に唾棄すべき腐り果てた、醜悪・面妖な食法餓鬼どもである。

 

■「諸の悪業煩悩は不信を本と為す」

 

貴公らのこういう卑劣極まりない所業はまさに不信・疑惑・誹謗の極悪根性から発するものである。

仏法即世法であるが故に、貴公らは日常生活でも斯様に卑劣・欺瞞の連発を為し、周囲からさも軽蔑され忌み嫌われていることであろう。

時に「人間の屑!」との悪罵をも蒙っているかも知れない。

また、面前で言われなくとも内心そう思われているやも知れぬ。

 

真に真に見下げ果てた下衆な衆生である。

 

この件に関し、正規な反論があるなら聞こう。

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263.法主より偉いトヨダ先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時29分

 

不毛

見識が低い

それが自覚できない

人間界から畜生界へ堕ちている

愚悪・低俗な生き物

福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物

誹謗・極悪果の「入阿鼻獄疑ひ無き」

物事の、筋道、道理、論理 が理解できなくなった哀れな生き物

小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 

即時に命根を絶つべき種

真に社会的にも迷惑千万な生物

貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない

御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している

成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている

貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来る

日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公ら

ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公ら

人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物

貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思い

成仏が程遠い、惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちる

貴公らが今後何事にも「飢渇」

自らの際限ない欲望に苛まれ

人生において様々な障りで行き詰まり

貴公のような命根の根元まで謗法に染まりきって居る者ども

惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯

犬、野干が吼えるが如きの臆病・小心者・卑劣漢・の戯言

その低脳さ

三宝誹謗を繰り返してきた報いでこのように低脳児に成り果ててしまった貴公

 

→あまりのおどろしさに薄気味悪いものを感じますが、いったい大丈夫ですか?こういう表現がスラスラと出てくる大先生の方が、むしろ、この世界に近いのじゃないの?

私達はこういう世界と無縁で生きてきましたからね、(笑)思いもしないし、人に対しても、もちろんいわないし、第一そんな脅しで人様の考え方を変えよう、なんて発想はありません。

これが「(脅しの)呪い連発の日蓮正宗」と「信頼・尊敬・友情の創価学会」のちがいというものでしょう。

ここに、現証として学会と正宗の本質的な違いが出ている、といえますね。

 

→ところで、「呪文」は山ほど吐いたようですが、戒壇板本尊の証明につながることはどれだけ書き込んだのかな。こちらに対して「貴殿の愚かさ」の連発だけで、ただ、相手の主張を破折したつもりになっているだけが現状で、進んで「戒壇板本尊の証明」をしたことがありましたか?

何のために出てきたのですか。もう一度「果たすべき使命」を確認しましょうよ。

 

※ よく幼稚園児の喧嘩で

「そんなこと、いつ言った?何月何日、何時、何分、何秒?」

と、あくまで自分が優位に立ちたいがために、相手をただやり込めたいが為に、悔し紛れに、このような不毛な反駁をしている児がいたが、貴公らはまさにこれと同類である。

 

→動機は知りませんが、随分と智慧の働く子がいましたね。

――――――――――――――――――――――

262.今や多くの法華講員が、ゲイカよりも信伏随従したいと思っているトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 23時25分

 

※ 日顕上人御指南

かの六老僧中、日興上人を除く五人までは個人授与の本尊が残されていますが、日興上人に対しては個人授与の本尊は全く残されておりません。

すなわち、それは存在しないのであります。

 その理由は、大聖人、日興上人が唯我与我一体の御境界にわたらせ給い、その上から一

期御化導の中心根幹をなす、末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊を広宣流布の

ために日興上人に委ねられたからであります。

→それでは、

・「末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊」とは何か、明示してください。

・「日興上人に委ねられたからであります」という証拠は。

 

※ 貴公らは万年救護御本尊を究極の信仰の対象とするのか?否か?

どちらであるのか、態度を明確にせよ。

 

→はい、しませんが、それが・・・何か?(笑)

 

※ もし、否ならば、何を本尊とするのか?明示せよ。

 

→はい、創価学会授与の御本尊です。

 

※ 今から、七百年近く前の出来事に対して、こういう詳細な状況が克明に文献に記録されているかどうかを吠え付いてくること自体の不毛さと見識の低さが自覚できないことが、貴公らがもはや人間界から畜生界へ堕ちている事の、何よりの証左である。

 

→自ら「戒壇板本尊を証明します」と買って出ておきながら、追求されまくると、それができずして、相手を以下のように言い続けていますが、これが「大先生の果たすべき使命」となんの関係があるのかな?

――――――――――――――――――――――

261.法華経を呪文に変えてしまう、不思議な通力をお持ちのトヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 23時23分

 

※壊れた脳髄には何べんでも教え込んであげるが、戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への「密付嘱」である。血脈の次第を内外に宣言された二箇相承に「密付嘱」された内容を表示する訳がないではないか。そういう小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。このような基礎教学はもう忘れたか?

 

→ほう、「戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への『密付嘱』である」とね。ならばお聞きしましょう。

・密付嘱とは、いつ、どこで、誰がそのように言い出したのですか。

・それが正しいという根拠はどこにあるのですか。

・「密付嘱」説に客観的な証拠があるのですか。自分たちの宗派内だけでの「そのように信ずる」ようにされた、単なる決まりごとではないのですか。

・大聖人滅後300年近くになって、突然出現した板本尊につき、所有者が「いいか、これは大聖人から日興上人への密附だぞ」と言い出して、一般社会に対して通用するのですか。

 

→「血脈の次第を内外に宣言された二箇相承」といいますが、自称正統嫡流の大石寺からではなく、他系統から先に公開され、真筆があったとも断定できず、違うものが多く、「大石寺にあった」という学僧もその証拠を提示できず、どうしてそのようにいえるのですか。

 

→「小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界」とはね。(笑)

以下、小学生でもわかる道理です。5、6年生くらいかな。

 

ものごとはまずは常識で考えてください。ある田舎の日蓮系寺院が、日蓮大聖人滅後10年たっても無い、20年、いや50年、100年更には200年たっても存在しない「今までにない特別な本尊」なるものを日蓮滅後300年近くたってから主張したところでいったい誰が信用するでしょうか。

更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

「日蓮が秘蔵厳護されたによって、今まで世に存在が知られなかったが、まがうことなき日蓮真筆なのだ」と自主申告したところで、まずは物笑いのネタになるだけでしょう。

世間に信用してもらうためには、公の機関により客観的な鑑定を受ける、文証を提示する、世に発表するに至ったまでの経緯を詳細に説明する等、寺の真摯な努力が必要だというものでしょう。

 ところがふんぞりかえって「信無きものは地獄に落ちる」「拝ましてやる」などは、坊主の傲慢さという次元を通り越し、日蓮利用の破仏法ともいえるのではないかと思えます。

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260.イエス、マホメット・・・・そしてトヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 23時19分

 

※ 御先師日達上人御指南〜

・それを見ても明らかに鎌倉時代である

・それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。

 

→自主申告で「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」としておいて、「謗法不信の輩に見せるか」とし、それで「鎌倉時代ですと解説」をして「反論してみろ」というのは一人芝居というものですよ。だれが付き合ってくれるのでしょうかね。(笑)

 

※ ここに仰せの「三世の諸仏の本初の下種」の本法・御本体であられる「戒壇の大御本尊」様を誹謗する貴公らは、まさに「一切世間の仏種を断ぜん」 

成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている。

まさに御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している。

しかも、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。

その状態で一般社会に紛れ込むのであるから、真に社会的にも迷惑千万な生物である。

貴公らの如き生き物こそ、大聖人様仰せの如く、即時に命根を絶つべき種、であろう。

よくよく、我が腐臭を放つ臭糞の体臭を嗅ぎ、自らの醜悪さを自覚するがよい。

 

→戒壇板本尊を論ずると、こういうことになるそうですが、別に「糞臭いよ」といわれませんがね。トヨダ大先生こそ、あまりにも人に言いまくっていたら「あれ、おとうちゃん、最近ウンチ臭いんじゃないの」なんて、いわれちゃいますよ。

人を脅し続けなければいけない宗教をやっていて、疲れませんか?それとも、そういうことを楽しみ、みたいに感じさせてくれる宗教なのかな?それはおかしな宗教ですよ。

外部の人に布教する時にあまり罰論を出しすぎると、日蓮そのものを嫌いになっちゃうから、ホドホドにお願いしますよ。

 

※ 1、「二箇相承」は他門流にとっては極めて都合の悪い文献であり、敢えて触れることを避けると考えるのが道理である。

 

→ならば、都合のいい富士門流に文献がないのはなぜ?(笑)

 

※ 2、二箇相承に戒壇の大御本尊様の御事が顕示されていないのは当たり前である。

 

→そうですね、存在しないのですから。よくできました。

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259.法論DVD販売という常人の考えつかない、新市場を開拓されたトヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 23時12分

 

※ まさしく真正の大聖人様の御魂魄・御悟りの根源、の大御本尊様である。

信心を持って拝してみればそのあり難さに、貴公の邪難等、即時に雲散霧消せしむ御力があらせられる。

 

→信心で拝せよ、とね。はい、拝しましたよ、何十年も。

日蓮正宗と縁が切れ、「日蓮大聖人直結・御書根本」の日蓮仏法の本道に立ち還った時、法門上、歴史上の考察、相貌の鑑定から板本尊は日蓮大聖人と直接の関わりはない後世の創作である、ということが確認されたのです。もっとも、直接相貌を鑑定し判定をしたのは今のゲイカの方が先ですけどね。

ここにおいて、日蓮大聖人の御在世という原点から見れば、現在の日蓮正宗・大石寺の信仰形態は「板本尊信仰=実質的には器物崇拝・物質信仰」「唯授一人血脈相承信仰=実は妄想信仰」であり、「本来の日蓮信仰を踏み外している」と断ぜられるのです。

 

では、聞きますが「信心で板本尊を拝す」といっても、「その板本尊がなんらかの理由で無くなってしまったら信心もなくなってしまう、又は信心をなくすしかない」のですか?

「器物信仰・物質信仰」には限界があるのです。

 

御講聞書 P828

一等雨法雨の事 仰に云く此の時は妙法実相の法雨は十界三千下は地獄上は非想非非想まで横に十方竪に三世に亘つて妙法の功徳をふるを等とは云うなり、さてふるとは一切衆生の色心妙法蓮華経と三世常住ふるなり云云、一義に云く、此の妙法の雨は九識本法の法体なり、然るに一仏現前して説き出す所の妙法なれば、法の雨をふらすと云うなり、其の故は、ふらすと云うは上より下へふるを云うなり、仍つて従果向因の義なり、仏に約すれば、第十の仏果より九界へふらす、法体にてはふる処もふらす処も、真如の一理なり識分にては八識へふり下りたるなり、然らば今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を日本国の一切衆生の頂上にふらすを法の雨をふらすと云うなり云云。

 

「三世に亘つて妙法の功徳をふる」=妙法蓮華経の功徳は三世永遠なのに、有限の物質=楠木板本尊にそれを集約し、出世の本懐・唯一絶対無二、板本尊即日蓮大聖人などとするでしょうか。これこそ、日蓮仏法のイロハというものです。

 

※ このあり難い大御本尊を拝せず、剰え、確たる根拠も提示できずに、ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公らは、まさに人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物である。前世の余りの善徳の無さを哀れむばかりである

 

貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来るぞ、との、お叱りである。

その時になって後悔しても手遅れなのである。

今も日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。

 

→邪宗の人からこういわれるということは

松野殿御返事  P1388

但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、

妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん

 

ということですね。(笑)

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258.貴公の痴問を掲載し忘れた。これを256の冒頭に差し込んで読んでいただきたい。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 22時4分

▼ 大聖人様の出世の本懐

 

 

妙法蓮華経の五字は日蓮出世の本懐

1278年・弘安元年 御義口伝巻上 717 

〜又云く一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり、此の円融の三諦は何物ぞ・所謂・南無妙法蓮華経是なり、此の五字・日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、

http://toyoda.tv

257.貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れるのみ

?

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 21時57分

日顕上人御指南

(貴公らはこの尊い日顕上人の御指南を拝し、ただただ頭を垂れ、猊下の足下に駆け寄り、今までの三宝誹謗の罪を命が消えゆるほどにお詫び申し上げるしか救われる道はない。)

 

■「人法一箇の御当体をはっきりと顕わされた御化導のうえの御本尊の御当体は、いつから存するかと申しますると、日寛上人が『観心本尊抄文段』に

  「弘安元年已後、究竟の極説なり」(日寛上人文段集四五二n)

と、明らかにお示しであります。故に、それ以前の御本尊は、本懐が未究竟であるとの意

味が存するのであります。」

 

■「この三大秘法の整足には重大な照境未窮、尽源為果の妙因・妙果を拝するのであります。

その一は、大曼荼羅本尊に法即人、すなわち自受用本仏の御境地の究竟を顕わされることであります。

一往、末法出現の凡夫日蓮の御身が上行菩薩の再誕たることを顕わすのは、その本地の開顕といえますが、再往は凡夫即極の日蓮大聖人の御当体が久遠元初の自受用身であることを、所証の大曼荼羅本尊のうえに顕わし給うのであります。

 弘安二年十月の『総勘文抄』に

  「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき云云」(全集五六八n)

と示されるところ、久遠元初の自受用本仏は凡夫の当体てありますが、これは久遠の古の

みを指し給うのでなく、末法出現の凡夫僧たる御自身の境智を示し給うのであります。

すなわち、文永年間の御本尊の日蓮御名は中央首題に対し、ことごとく左右へ著しく片寄り、法格中心にして、いまだ寿量品文底本仏の当体を顕わすことを一歩控え給うのであり、これは有名な万年救護本尊≠ノ上行出現を明記し給いながらも同じく日蓮御名は右の隅、

御判形は左隅と隔てられておることで明白であります。

 しかるに、建治の後半より弘安元年に至って、次第に日蓮の御名・御花押は中央首題の

直下にお示しであり、人に即する法、法に即する人、人法一箇の御尊容を開示なされてあ

ります。

このところよりすれば、在世の上行菩薩も久遠元初自受用と顕本あそばされた日蓮大聖人の己心に具わり給う垂迹の立場にあることを拝すべきであります。

 二十六世日寛上人が、『観心本尊抄文段』中に、弘安元年以降の御本尊において宗祖大聖

人の本懐が究竟せられたことを述べられているのも、今その真意を尋ねるとき、寿量品文底の義を御本尊に顕わし給う意、すなわち久遠元初本地難思境智冥合人法一箇の御本尊を顕わすべく、弘安以後、整足あそばされたことを拝されたのであります。

また、その一事証として建治年間までの御本尊には善徳仏、十方分身諸仏が示されておりますが、弘安以降には全く除かれており、これまた文底の義により給う意を日寛上人が同文段に触れ給うところであります。

 その他にも御本尊の体相等に関する種々の深意がありますが、ここでは省略いたします。

 要するに、末法出現の無作三身如来・宗祖大聖人の御化導中、弘安元年よりいよいよ御

本尊内証の深意を整足せられ、やがて外縁を待って本門戒壇の大御本尊顕発の本懐成就が

達せられたのであります。

日寛上人が

  「本門戒壇の本尊を亦三大秘法総在の本尊と名づく」(日蓮正宗聖典八六三n)

と述べられたのは、大聖人が世界総与の大慈悲により、一切衆生妙法帰依の戒法・戒徳を

込められて本門戒壇本尊を建立し給い、もって世界全体の成仏の根本を確定あそばすとこ

ろ、これが宗祖御一代の御施化にわたる究竟の本尊たる意義において、題目、戒壇の功能

を事実のうえに具足する故に「三大秘法総在の本尊」と呼称されたのであります。」

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256.貴公はこういう教義の本質論になると丸で“ダメ”ですね。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 21時55分

●ここも、254 と同轍である。

 

貴公はこういう教義の本質論になると丸で“ダメ”ですね。

お里が知れるというものです。

 

64総本山六十四世日昇上人

(日蓮正宗聖典「序」)

「由来法門上の異説異見は何によって起こるかといえば機根が猶お未だ熟さないうちに自らを省みず直ちに御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。

古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。

聖祖は『法華経は相伝に非ずんば知り難し』と仰せられている。

蓋し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである」

 

この御指南の通りの醜態を晒し続けているだけである。

 

では破折いきますか。

 

この御文は「円融の三諦」との法華経のみに説かれる極理とは一体その体は何ものであるか?

詰る所は「南無妙法蓮華経」なのである。

との意であらせられる。

 

しかして、その「南無妙法蓮華経」とは何に究竟されるか。

更に詰る所は三大秘法であらせられる。

 

その三大秘法は更に一大秘法に究竟せられる。

ではその一大秘法とはなんでおわせられるのか?

 

大聖人様御一身である。

 

■「第廿五 建立御本尊等の事

 御義口伝に云はく、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり。日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」

 

このお姿はまさに御本尊様の体相に顕現される。

 

即ち、法即人・人即法の御本尊様である。

 

 

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255.他論文から・修正も含む。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 20時2分

 

▼大石寺では、本門戒壇の本尊を大聖人出世の本懐だ、などと立てているが、そのような文証があるなら出してみろ。

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<出世の本懐の時期>

 

●此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがことし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり(弘安2年10月1日『聖人御難事』御書1396頁)

 

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 古来、これに疑難をなす妄弁者共は、「これは立宗以来、27年が経(た)った、という年月の経過を述べたにすぎない」だとか「立宗以来、27年間にわたり大難を受けた、ということを述べたもの」などと言って、間抜け面を晒している。

 

 だが、この御文が、そのようにしか読めないとすれば、よほど国語能力がないか、根性が曲がっているかの、いずれかであろう。

 

 この御文は、三国四師(インド・中国・日本の三国に、釈尊・天台・伝教・大聖人という4人の法華経の行者がいること)の関係において、まず前に、三師が出世の本懐を遂げるまでの年数「四十余年」「三十余年」「二十余年」と、そこに至るまでにはいずれも大難があったことを挙、(あ)げられ、次に、それと対比する形で、日蓮大聖人の場合の年数は「二十七年」で、それまでの間にはやはり大難があったことを述べられているのである。

 

 されば、「余は二十七年なり」とは、語の重複を避けて省略されているものの、理の指(さ)し示すところ、「余は二十七年にして出世の本懐を遂ぐるなり」の意であることは、誰の目にも明らかであろう。

 

 これを、妄弁者らのごとく読むとすれば、わざわざ前文に、三国四師の出世の本懐までの年数を挙げられた理由がなくなってしまい、文意が支離滅裂となってしまう。むりな曲解は禁物である。

 

 

<出世の本懐とは大御本尊>

 

さて、かくして大聖人は、この時期(弘安2年10月1日の近辺)に出世の本懐を遂げられたことになるが、それは具体的に何を指しているのか―。

 

●出世の本懐とはこれなり(文永12年3月『阿仏房御書』御書793頁)

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大聖人は、すでに文永12年3月の時点で、宝塔=曼茶羅(まんだら)御本尊を指して「出世の本懐」と仰せであるから、御自筆の、それも弘安2年10月1日近辺に顕(あら)わされた御本尊が出世の本懐であることは間違いない。

 

 とすると、唯一、その脇書に「本門戒壇」とお認(したた)めがあり、かつ堅牢(けんろう)な楠板をもって建立された(御筆御本尊のうち板御本尊はただ一体である)、弘安2年10月12日の大御本尊以外に、出世の本懐と認(みと)められる御本尊はないのである。

 

 このことは、さらに、日興上人から日目上人への譲り状であるに『日興跡条々事』に以下のごとく示されることからも裏付けられる。

 

●日興が身に宛(あ)て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す(第2祖日興上人『日興跡条々事』御書1883頁・真蹟大石寺)

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大聖人出世の本懐たる弘安2年の大御本尊は、唯授一人相承に伴い、第2祖日興上人に授与され、さらに第3祖日目上人へと伝わったのである。

 

以上のように、本門戒壇大御本尊についての大聖人・日興上人の御文証は、天日を仰ぐがごとく明らかであって、否定のしようがない。大石寺の本門戒壇の大御本尊以外に、大聖人「出世の本懐」も「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」もありえないのである。

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254.貴公らは、文に囚われて義が読めない愚か者の見本

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月30日(月) 20時1分

●>聖人御難事 ■「余は二十七年なり」

大聖人様は弘安二年十月に出世の本懐を遂げられる、と仰せである。

 

 

▼日蓮大聖人の出世の本懐

出世の本懐=宝塔・曼荼羅 

大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 のことではありません!

 

1272年・文永9年3月13日 阿仏房御書 51歳御作 与阿仏房(1304)

・・・あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ・信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。

 

**********************************************************

 

●これぞ、文に囚われて義が読めない愚か者の見本のような箇所。

 

貴公らの仏法的素養の無さを遺憾なく発揮した箇所として、記念碑的である。

 

この程度のレベルの貴公らだから大聖人様の真の出世の本懐を見失うのである。

 

もう言い尽くされていることだろうから、多言は無用である。

 

再掲する

 

●こういう邪難を正に「馬鹿まる出し」と言うのである。

 

この「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳」の御義は、法華経に説かれる「宝塔」こそまさに一身即三身の御曼荼羅御本尊の御事であり、その御曼荼羅御本尊こそ大聖人様の「出世の本懐」であるぞ、との御心であります。

 

そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。

 

貴殿のような者をこそ、「文に囚われ、義の解せぬ者。増してやその意をや。」

 

大聖人様の御聖意に通じぬ、外道の醜怪な謗法者のなれの果てである。

 

■「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る」

 

愚かなるかなや、貴殿の偏執の深さよ。

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253.幼稚園児と同レベル

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月30日(月) 17時30分

▼彫刻本尊を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何十人のわら草履が、

雪の道のないところを運んだのか?

 

原木の丸太は何年かけて乾かしたのか?

それから数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す。

 

わずか二十一日間で例えば「大石寺の弘安二年の御本尊様」をどのようにして

作ったのか、それを証明しなさいと口を酸っぱく言っているのです。

狸だからといって人をだまさないでくれる。

 

日蓮正宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は宗祖作ではないのですね!

君はそれを証明することができなかったと理解してよろしいでしょうか?

あまりくだらない駄文(ゴミ)を書かないでください。

 

 

● こういう低脳な事を書き連ねていることの無様さが貴公には解らぬか?

 

貴公がいう「証明」とは所詮この程度のことである、ということを、ここに重掲し、世の良識ある方々に再確認していただこう。

 

今から、七百年近く前の出来事に対して、こういう詳細な状況が克明に文献に記録されているかどうかを吠え付いてくること自体の不毛さと見識の低さが自覚できないことが、貴公らがもはや人間界から畜生界へ堕ちている事の、何よりの証左である。

 

よく幼稚園児の喧嘩で

 

「そんなこと、いつ言った?何月何日、何時、何分、何秒?」

 

と、あくまで自分が優位に立ちたいがために、相手をただやり込めたいが為に、悔し紛れに、このような不毛な反駁をしている児がいたが、貴公らはまさにこれと同類である。

同レベルである。

 

この段は、貴公らの品格の無さは、貴公らの問難自体で見事に証明されているから、当方が特に詳細に反論する必要はなさそうである。

 

だが、こういう三宝誹謗を繰り返してきた報いでこのように低脳児に成り果ててしまった貴公らの謗法の罪過は大聖人様の御言葉から弾呵しておく。

 

■「謗法不信の失を見ながら聞きながら、云はずして置かんは必ず無間地獄へ堕在すべし。仍って置の一字は獄卒阿防羅刹なるべし。尤も以て恐るべきは置の一字なり」

 

貴公らをこのまま放置しておくことは、我が身が無間地獄に堕ちるために、この御言葉を心腑に染め、貴公らの謗法不信を今後も更に戒めるものである。

――――――――――――――――――――――

252.貴公らは、まさに福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物らである。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 16時18分

▼大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけ。

 

●これは何によって証明されるのか?

明確な文献を挙げよ。

 

日顕上人御指南

 

■「数多の霊宝のなかで特に深い意義を拝すべきは、大聖人より日興上人へ授与された

霊宝御本尊についてであります。

 

すなわち、本門戒壇の大御本尊を始め奉り、明日、御風入れ申し上げる弘安三年三月御顕示の通称・紫宸殿の御本尊、その他弟子檀那に賜った各真筆御本尊、さらに、これは総本山ではありませんが、我が宗門の本山保田妙本寺(※注 現在は退転・離脱して日蓮正宗ではなくなった)に格護される重宝、通称・万年救護本尊等、宗祖大聖人が御化導のそれぞれの時機における重要な意義をもって顕された幾多の御本尊が現存いたします。

 

 そのなかの特に重要な御本尊は日興上人へ御授与あそばされたのでありますが、その特

徴として、御本尊の授与書きがなく、お受けあそばされた日興上人の御名が認められてい

ません。

通常、他の多くの御本尊は、大聖人の御弟子、または檀信徒への授与の場合、その名前をお認めあそばす授与書きがありますが、これは個人に賜った、いわゆる一機一縁の意味であります。

かの六老僧中、日興上人を除く五人までは個人授与の本尊が残されていますが、日興上人に対しては個人授与の本尊は全く残されておりません。

すなわち、それは存在しないのであります。

 その理由は、大聖人、日興上人が唯我与我一体の御境界にわたらせ給い、その上から一

期御化導の中心根幹をなす、末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊を広宣流布の

ために日興上人に委ねられたからであります。」

 

貴公の言い分は如何?

 

貴公らは万年救護御本尊を究極の信仰の対象とするのか?否か?

どちらであるのか、態度を明確にせよ。

 

もし、否ならば、何を本尊とするのか?明示せよ。

 

それも明白にしないで、実名も名乗れないで、ただ戒壇の大御本尊様を誹謗・中傷しているだけならば痩せ犬の遠吠えである。惨めなものである。

 

ではそういう愚悪・低俗な生き物への大聖人様の呵責を拝そう。

 

■「法華不信の人は根茎枝葉ありて増長あるべからず。枯槁の衆生なるべし」

 

貴公らは、まさに福徳枯れ切った、廃れる一方の、陰惨な末路へ向かう、生き物らである。

――――――――――――――――――――――

251.いままでの末寺講頭、妙観講講頭などとっくに乗り越え、法華講史に高名を残されるトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時18分

 

1277年・建治3年8/23  日女御前御返事 1243 身延にて 未決

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。

 

→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。

 それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。

 

→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、

大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。

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250.全国で、時期委員長に、との期待が高まるトヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 14時17分

大石寺説の矛盾

 

@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記  佐渡にて 509  真曽

「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」

 

→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?

 

A 釈尊の出世の本懐は?

→ 法華経・妙法蓮華経

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

B 天台大師の出世の本懐は?

→ 摩訶止観・一念三千

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

C 伝教大師の出世の本懐は?

→ 迹門の戒壇

・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。

 

E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。

門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?

かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)

 

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249.これまでの法華講など問題ではない、新時代を開いたトヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 14時16分

@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?

 

A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。

大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。

 

B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。

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248.日蓮正宗の広宣流布よりも、自らのDVDが先に広宣流布しそうなトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時13分

 

@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。

→ 否定ですね。

 

A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。

→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。

 

B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?

 

→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。

 

C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。

→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。

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247.日蓮正宗教学部長を越える、法門の大家トヨダ大先生

 

名前:宿坊  日付:5月30日(月) 14時12分

 

如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848

 

法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045

 

況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068

 

今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139

 

不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174

 

あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304

 

生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340

 

倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614

 

さて、以下指摘です。

 

・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?

 

・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?

 

・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?

 

・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?

 

・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?

 

・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?

 

・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?

 

・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?

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246.お友達の助っ人よりも、ゲイカのご内証に肉薄されたトヨダ大先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 14時12分

阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426

 

上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466

 

「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467

 

然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480

 

、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481

 

釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515

 

此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519

 

法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529

悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547

 

三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557

 

三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572

 

之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574

 

此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717

 

三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815

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245.小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月30日(月) 12時58分

▼「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されている。

 

●どのような根拠で、そう断定できるのか?

 

1、「二箇相承」は他門流にとっては極めて都合の悪い文献であり、敢えて触れることを避けると考えるのが道理である。

 

2、二箇相承に戒壇の大御本尊様の御事が顕示されていないのは当たり前である。

 

壊れた脳髄には何べんでも教え込んであげるが、戒壇の大御本尊様は日興上人お一人への「密付嘱」である。

 

血脈の次第を内外に宣言された二箇相承に「密付嘱」された内容を表示する訳がないではないか。

 

そういう小学生でも理解できる道理が分からなくなっている様が、畜生界 というのである。

 

このような基礎教学はもう忘れたか?

 

何事も基本が大事である。

 

謗法の罪業深重で人間界から「畜生界」へ転落して、物事の、筋道、道理、論理 が理解できなくなった哀れな生き物よ。

 

貴公らの正法誹謗の様に、また大聖人様の御指南からお叱りをいただこうではないか。

 

■「此の経を謗ずるは十界の仏種を断ずるなり。されば誹謗の二字を大論に云はく「口に謗るを誹と言ひ、心に背くを謗と云ふ」と。仍って色心三業に経て法華経を謗じ奉る人は入阿鼻獄疑ひ無きなり。」

 

貴公らは「口に謗り、心で背き」まさに誹謗・極悪果の「入阿鼻獄疑ひ無き」よくよく恐るべき衆生である。

 

当方が激しく呵責することでその罪過はいよいよ詳らかになってくることであろう。

 

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244.信・行・学において、坊主を上回ったと法華講より評判のトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時56分

 

日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。

(指摘済みの「聖人御難事」を除く)

 

故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と  P73

 

此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98

 

一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99

 

如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109

 

念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116

 

又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119

 

但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121

 

法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208

 

法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414

等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415

 

迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421

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243.、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 11時54分

▼その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

 

 

●既述である。

 

御先師日達上人御指南

 

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

 

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。

みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

 

この御指南に反論するのなら、それなりの根拠をもってせよ。

 

さて、更に貴公らの謗法の罪過を暴きだそう。

 

■「三世の諸仏の本初の下種を指して華と名づけ。此の下種の華によりて成仏の蓮を取り玉ふ。此の蓮華即ち下種なり。下種即ち南無妙法蓮華経なり。華は本因、蓮は本果なれば、華の本因を不信謗法の人豈具足せんや。経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」と。此の蓮華に迷ふが故に十界具足無し。十界具足せざれば一念三千跡形も無きなり。」

 

ここに仰せの「三世の諸仏の本初の下種」の本法・御本体であられる「戒壇の大御本尊」様を誹謗する貴公らは、まさに「一切世間の仏種を断ぜん」 

 

成仏の道は完全に閉ざされ、塞がれている。

 

そしてこの本因の下種の本法に迷うが故に、「十界具足無し」

 

貴公らには仏界は備わらず(理として認められるだけで、事の上では全く無きに等しく)六道の中でも特に三悪道・四悪趣の働き熾盛で、(それはこの書き込みを読む見識ある方々みな看取せられるところである)

 

「一念三千跡形も無きなり」

 

まさに御仏の悟りからは程遠い低劣・愚悪な境涯に堕している。

 

しかも、「臭きを溷厠に忘る」で、貴公ら自らのその腐臭を放つ臭糞の臭気を、全く自覚できていない。

 

その状態で一般社会に紛れ込むのであるから、真に社会的にも迷惑千万な生物である。

 

貴公らの如き生き物こそ、大聖人様仰せの如く、即時に命根を絶つべき種、であろう。

 

よくよく、我が腐臭を放つ臭糞の体臭を嗅ぎ、自らの醜悪さを自覚するがよい。

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242.末寺坊主よりよっぽど使えると大好評のトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時52分

 

@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!

1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書  身延にて 828 未決

一等雨法雨の事

此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、

 

 

A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年5/28  義浄房御書 佐渡にて 892 (録外)未決 

( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )

寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、

 

→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。

この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます

 

B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )

伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず

 

→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。

 

C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!   

1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124  未決

日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし

 

→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?

この本尊はどなたに授与されたのですか?

まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

 

→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。

 

D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永11年5/24 法華取要抄  与富木常忍 身延にて (338) 真筆

( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )

是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。

 

→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?

答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。

 

E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽

此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。

 

→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?

どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。

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241.すでに連合会委員長を乗り越え法華講の頭領となられた大先生

 

名前:宿坊 日付:5月30日(月) 11時51分

大先生いわれてるよ。

 

→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。

 

で、どうなの「お受け」したの?

 

→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。

 

※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。

前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。

 

と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。

もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。

 

永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。

どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。

火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。

だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。

 

誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。

まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。

 

 

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240.世界法華講の模範トヨダ大先生A

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時47分

(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状

「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)

 

●だからどうしたというのですか?

「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。

 

→ では、(笑)

◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。

 

◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。

 

◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。

 

◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。

 

◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。

 

◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。

 

◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。

 

→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。

 

ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。

それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。

 

→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。

日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・

「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。

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239.世界法華講の模範トヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時46分

 

※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。

 

◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。

 

◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。

 

◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。

 

◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。

 

@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠

 

A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠

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238.妙観講をしのぐ大人気のトヨダ大先生

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月30日(月) 11時44分

 

で、その立正安国会の鑑定に因縁つければ、大石寺の板本尊が本物になるのかな?

 

方向性が違いますよ。ストレートに証明しなければいけないのはあなたですよ。

 

山中喜八氏らの鑑定は日蓮正宗はどうだか知らんが、全宗教界認知のものでありますよ。

 

日蓮正宗の坊さんよりかは、はるかに認知されているものです。

 

それとも今度は樋田大先生が全て鑑定し直すのかな。

 

やってみてはいかがですか?

 

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237.貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 11時13分

 

▼その大石寺の板本尊は本物なのか?

その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

 

●まさしく真正の大聖人様の御魂魄・御悟りの根源、の大御本尊様である。

信心を持って拝してみればそのあり難さに、貴公の邪難等、即時に雲散霧消せしむ御力があらせられる。

 

このあり難い大御本尊を拝せず、剰え、確たる根拠も提示できずに、ただ怨嫉・悪口・疑惑をなす貴公らは、まさに人間界に生まれたとはいえども、蛆虫・毛虫以下の生物である。

前世の余りの善徳の無さを哀れむばかりである。

 

■「御義口伝に云はく、法華不信の人は命終して地獄に堕在すべし。経に云はく「若人不信、毀謗此経、即断一切、世間仏種」の文是なり。法華経の行者は命終して成仏すべし。是人命終 為千仏授手の文是なり。千仏は千如の法門なり。謗法の人には獄卒迎へに来たり、法華経の行者は千仏迎へに来たるなり。」

 

貴公らは命終の時、地獄の獄卒が迎えに来るぞ、との、お叱りである。

その時になって後悔しても手遅れなのである。

今も日々夜々、更に悪業を積み続けている貴公らの命終の時を考えると、身の毛もよだつ思いである。

 

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236.惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちるという事です。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月30日(月) 10時26分

●>この例示してある御本尊が大聖人が当時顕された御本尊の全てであるという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさい。

 

 

▼すべて鑑定を受けた本尊であり、どこの宗派からも異論は出ていません。

もちろん日蓮正宗・大石寺からでも異論は出ていません。

もしあるならば出してくれますか?

 

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● はい、前回の 235 で呈した通り、当方としては疑義があるので、“鑑定”について、科学的な立証をしたまえ。

 

さて、貴公のような命根の根元まで謗法に染まりきって居る者どもに対して大聖人様がどのように仰せか、また一緒に学びましょう。

 

■「三宝荒神とは十羅刹女の事なり。所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり。今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり。荒神とは法華不信の人なり。」

 

貴公らが今後何事にも「飢渇」し、自らの際限ない欲望に苛まれ、人生において様々な障りで行き詰まり、仏道に於いては、まさに成仏が程遠い、惨めで暗く、情けなくも恥ずかしい境涯に堕ちるという事です。

 

一刻も早く、戒め、懺悔したまえ。

 

 

 

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235.えてその低脳さを指摘し、以って、三宝誹謗の報いの恐ろしさを世に知らしめるものである。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月29日(日) 23時15分

●>(※戒壇の大御本尊様が偽物であると)証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。

 

▼すでに真筆と挙げていますよ、後は自分で調べなさい。

しかし馬鹿だね! 真筆を挙げても「直接的文証」とは、どのような了見で言っているのでしょうか? 真筆は真筆なのです、それ以上の客観的資料は存在しないでしょう。

言っては悪いが賢くないね! 

おとなしく言って「バカです」

 

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●ここなどは貴公の知能の低さを自らの発言で全国に敢えて表明した記録的な箇所である。

 

知能が低い方にその低さを加減を指し示すのは酷ではあるが、貴公の極悪謗法の程度が、既に常軌を逸したレベルにいるので、敢えてその低脳さを指摘し、以って、三宝誹謗の報いの恐ろしさを世に知らしめるものである。

 

貴公が例示した「真筆」とは、一宗教団体・立正安国会が出版した図版に掲載された、大聖人様御真筆と「鑑定されたといわれる」御本尊のことだけである。

 

ここで貴公に問うが、貴公が列示した弘安二年の御真筆御本尊と「いわれる」御本尊の中で、『弘安二年九月 日 和歌山 蓮心寺蔵』 の御本尊だけ、以前にも指摘しておいたが、他の弘安二年の御本尊と明らかに異相を呈しているが、

 

その理由如何?

 

1. 一、四天王  二、愛染・不動  三、十界の内、菩薩界以下 の御認めがない。

 

この理由を明確な文献によって説明せよ。(できうるならば「上古の文献」に限定する)

 

(このお姿は御一期の御本尊を通しても異相であり、敢えて類似を探せば弘安元年三月十六日の御本尊(中山 法宣院蔵)に見ることも出来るともいえるが、

 

その解説に、

 

「東京堀之内妙法寺所蔵「正中山法華経寺御霊宝日録」(「遠沾亨師臨写御本尊鑑」一九六頁)に據ると、當時法華経寺に、『病即消滅之曼茶羅』と称する三枚綴弘安元年太才戊寅三月十六日の御本尊を格護したことを記録しているが、法宣院現蔵の當御本尊は一紙であるから、其の同異は遽に判断し難い。」

 

とあり、御真筆であるとは断定していない。

 

このような「鑑定」が果たして真正足りえるのか?

 

もし間違いのない「鑑定」と主張するならば、

 

1、 誰が、

2、 いつ、

3、 どのような鑑定式によって、鑑定し、

4、 その信憑性は 誰が、

5、 いつ、

6、 どのような評議を得て証明をなされたのか、明示せよ。

 

 

2. 弘安二年の他の御本尊の讃文は全て『一閻浮提之 内 未曾有』であるのに、この御本尊だけは『一閻浮提之 “中 ”未曾有』である。

 

何故、この御本尊だけ「中」の字を用いられたのか、この理由も、上古の文献で説示せよ。

 

以上が明確に証明されたとしても、更に貴公に詰問する。

 

この立正安国会出版の図版が大聖人御真筆御本尊のこの世に存在している(あるいは存在していた)全てであると、証明せよ。

 

それが出来なければ、貴公如きの謗法者が喚いている邪難など、犬、野干が吼えるが如きの臆病・小心者・卑劣漢・の戯言に過ぎない。

 

まさに「言っては悪いが賢くないね! 

おとなしく言って「バカです」」 呵々。

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234.どうした樋田大先生!

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 22時45分

 

妙観講本部の偽書悟達講頭に電話で教えを受けているのか。

 

それとも、ニッケンの取り巻きに「直接対決の取次ぎ」をしてくれているのか。

 

それとも、ちっともあてにならない指導教師をあてにして指導をうけているのか。

 

もっとも、大先生の教学力なら「邪宗・日蓮正宗の坊主の法門指導」など、もどかしくてしょうがないだろう。

 

大先生の信奉する邪宗・日蓮正宗に「戒壇板本尊」を「ズバリ証明してくれる」「大御僧侶様」はいらつしゃるのかな。いたら、是非呼んできてくれたまえ。

 

さあ、樋田大先生。まだまだ宿題は増え続けるぞ。

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233.(untitled)

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 22時37分

 

→ 更に、素朴なところでいえば「一代聖教大意」の当文を大聖人が自身滅後を志向されて書かれた、という根拠はどこにあるのでしょう。「解釈論で」というのなら、誰が解釈したのでしょうか。

 

※ 信なく此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義=なかんずく戒壇の大御本尊様)と血脈相伝の御法主上人への誹謗を繰り返す貴殿ら前世の悪因縁の衆生はその謗法の臭気抜けずして、千劫阿鼻獄に堕ち、その後も殆ど無限に近い年月三悪道を展転するであろう。

 

→ そうですか、まあ、「日蓮正宗でいうところの千劫阿鼻獄と三悪道を展転」というのは「今日も元気でごはんがおいしい、かーちゃん綺麗?で、いきいき学会活動」というところでしょう。(笑)

 

※ ここまで頑迷だと貴殿はもしかしたら知能が低いのではないか?と真剣に思う。

160を再度(では知能が低い方には理解できないから、再三再四)読みたまえ。

 

→ はい、何回読んでも「山口先生の説」です。(笑)

 

※ まさにこれなどは「反系」に記載される初出の文献的証拠であり、古文書研究の基本的証拠価値に於いては重要な位置を占める文献であろう。

 

→ 都合のよさそう? なものは「重要な位置」とは。(笑)

日頂の文献? にすがらないといけないとは惨めですね。しかも、真偽未決とは。

 

※ 正系ではここまで文献を提示しているのであるから、貴殿に問う。二箇相承がなかったと証明してみよ。できまい。貴殿如きに出来るわけがない。呵々。

 

→ 宗祖御遷化記録で証明されます、日興上人筆のね。(笑)

 

→ あと、「百六箇抄」「日興跡条々事」についてはおどしながら「信じなさい」という程度ですね。

 

→ で、樋田くん!戒壇板本尊の証明は? (笑)

早くしてね、タヌキ汁にしちゃうぞ!

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232.さあ、樋田大先生!数日前の書き込みは破折してあるぞ。反論したまえ

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時36分

 

※ その僧宝伝持の根本が唯授一人血脈相承である。これは信を以ってしか拝し得ない。

 

→ 誰に教わったのかな?

指導教師、講の仲間、妙観講のお友達、芸かさん、日蓮正宗と日蓮大聖人の名を冠するのなら、源は大聖人のはずですが、大聖人にかような教えの文証は?

いや、ないのが分かっているから「信を以ってしか拝し得ない」ですか。(笑)

 

※「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。→

が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

 

→ で、この「一代聖教大意」の「問う諸経の如きは或は菩薩の為・或は人天の為・或は声聞・縁覚の為・機に随つて法門もかわり益もかわる・此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し・所詮・悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣八部総じて十界の衆生の為なり」をどうすれば「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのですか?是非、詳細な説明を。

 

 

→ この書は正嘉二年(1258年)二月十四日の執筆で、大聖人は37歳の時です。曼荼羅本尊図顕は現存からすれば、「文永八年(1271年)十月九日」の所謂「楊枝御本尊」からで、13年後となります、その時大聖人は50歳です。

 

で、その曼荼羅本尊の相貌は、文永、建治、弘安と勧請諸尊が増え、座配が整足されていかれるのですが、曼荼羅の全体の構成・形態を分類し、総称として「十界勧請曼荼羅」「総帰命曼荼羅」などに分類されます。

曼荼羅の紙面に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界(十法界)すべての衆生がしたためられているものが「十界勧請曼荼羅」。「総帰命曼荼羅」は、曼荼羅に勧請された諸尊のすべてに、「南無(帰命)」の二字が冠されていることから、こういわれるのですね。

 

この正嘉二年(1258年)以降の大聖人の本尊は

文応元年5月  法華経を本尊  鎌倉

唱法華題目抄  文応元年五月   P12

問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、

 

 

文永7年 本尊の教示・釈尊を本尊にせよと  鎌倉

善無畏三蔵抄  文永七年 与義浄房浄顕房 P884

此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず〜大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、(中略)而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。

 

 

文永7年10月 法華経を本尊  鎌倉

大豆御書  文永七年十月 P1210

大豆一石かしこまつて拝領し畢んぬ法華経の御宝前に申し上候、

 

と、記録にあります。このように自身は「法華経を本尊」とし、門下には「釈尊を本尊にせよ」といわれ、曼荼羅本尊図顕13年前の段階で、「此の経=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義」と解釈できるのでしょうか。ぜひ、詳細なる説明をして頂きましょう。

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231.※ 百六箇抄云々

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 22時24分

 

→ 過去、数回述べました。

 

→「四、結論」以後は「考えられるのである。」「ではなかろうか。」「であると思うのである。」「と思う。」ばかりで、論評するに値せず、です。「思う」のは自由ですので、自由に好きなだけ書いていただき、「信者さんだけで」喜んでいればいいことですね。

で、どこで「二箇相承書の実在」が証明されたのかな?

 

 

※ 親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。

 

→ 以下、「身延山」と「身遠山」の考察がつづきますが、それで「二箇相承書の実在」が証明されたのでしょうか?(笑)

 

※ 尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。

 

→ ここも要チェックです。

日蓮正宗・大石寺では「宗祖・日蓮大聖人よりの唯授一人血脈相承を承継される御法主上人ゲイカが正法の一切を所持される」やに言いますが「根っこの部分、日蓮・日興の相承書がなぜ、日興より日目に授与されないで、北山本門寺に存在したのでしょうか」ということになります。

もちろん、当方のスタンスとして、「相承書なんて、そんなもの一切ない」ということなのですが、彼らの主張の内容に立ち入ってみてやっても、原点の時点で既に「自己矛盾している」ということなのです。

最初から、「欠陥相承」ということになります。

 

 

※ いづれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。

 

→ ものはいいよう、というところですね。いつもの決まり文句です。聞き飽きました。(笑)

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230.以下、少々細かく。

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時24分

 

※ 越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。

とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。

 

→ 「であると受けとれば」というのは弱いですね。「西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文」がありましても、その本成寺の方は当時どのような寺院と交流があったのか、果たして西山一箇寺だけなのか、どこの寺の誰からの流言なのか、特定はできません。「いや、西山だ」というのなら、断定できる根拠を示さなければいけません。

 

それなのに「であると受けとれば」と続け、「真実性が出てくる」と、なかば「本当なんだよ」と思わせるような記述。これでは多くの人が「コロリ」といくでしょうね。

本質は「巧みなる表現力で特定の方向に誘引している」だけなのです。騙されてはいけません。日蓮正宗流術の典型例といえます。

 

 

※ したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。

 

→ 一転、この点は大いに評価します。従来の日蓮正宗の説では「日辰一行は大聖人の御真筆を書写した。それが武田の兵により強奪された」と通り一片等の主張をしていたのですが、日蓮正宗関係者ではお初の?「重須に存したのは大聖人真筆ではなかった」としたのですから、「偽書故、真筆などあるわけない」という当方とも一理通じるものがあるわけです。「重須に存在したのは真筆ではない」という箇所でね。

 

 

※ 西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。

 

→ 「推定」ですね、で、その「日代筆写」のものが武田に盗まれたと?

ここです。またまた日蓮正宗の話術です。

越後本成寺の八代目・日現は「蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」と「似ているのではないか?ということを聞いただけ」なのです。

 

自分の目で確認、というわけではないのです。

それを現代の山口氏が「日現の推測の伝聞」に、更に輪を掛けて「推定」とし、読者に「そうか、日代の筆か」と印象付けているのですね。

「何も断定できる根拠はない」ということですよ。目くらましにかかってはいけません。

 

→ しかも、前文にこう書いてありますね。

※ これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。

→ この後の文は「根拠薄弱なのに推論の積み重ね」で「らしく」脚色しているにすぎない、ということです。

「仮定」「推量」を「であれば」でつなげ「だろう」「したがって」「である」と「本当のことのように印象付けている」だけなのです。

 

 

※ 日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。

 

→ 更にここですね。「あれば」「だろう」と続けて「したがって」とね。

この「あれば」「だろう」をいくら重ねても「推測」というか、「夢物語」になるでしょう。なのに「したがって」と接続されると、後文が「真実であるかのように感じてしまう」のです。実に上手な表現です。

 

ここで法華講員さんがなすべきことは山口氏の「あれば」「だろう」ではなく、これを「であった」「である故に」「だったのだ」「ということなのだ」と、「断定するに足りるものを提示しなければならない」

ということです。さあ、難題が増えましたよ。

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229.樋田大先生へ

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 22時23分

 

全世界法華講員の模範・傑出した大人材・「戒壇板本尊の証明を必ず成し遂げる」

 

日蓮正宗僧・山口氏は、下記の越後本成寺・日現の「二箇相承書に対する偽書との批判」を引用し、長々と解説しながら「二箇相承書実在を印象付ける」記述をしています。・・・「印象」ですからね、実在の証明とはなっていませんのでご注意を。(笑)

 

 

※「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。

 されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」

 

◎ 「蔵人阿日代と云う人の筆に似たり」と「推測」したのはどこの誰か?明確にせよ。

 

◎ その「推測」した人物が「比較した日代の文献」は何か?明確にせよ。

 

◎ 比較検討した内容を詳細に明示せよ。

 

◎ その「推測」した人物の「鑑識眼が信用できる」という根拠を明示せよ。

 

◎ 日現が「言いたかった事は二箇相承書の『肯定』なのか、『否定』なのか?」どちらか。

 

◎ これは「日現は否定論者であることは明らか」である。その傍証として「出所不明の流言」で補足したものであるが、それは本当に「特定の人物からの話し」だったのか?それとも「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」だったのか?どちらか明らかにせよ。

 

◎ 「特定の人物からの話し」であれば、上記の質問に戻る。

「巷間、そのように言われているもの=単なる噂話的な憶測」であれば、まったくもって取るに足らない=信用できないもの、となる。

貴殿、どちらを取るか?

 

◎ 大事な点なので重ねて念押しするが、本成寺・日現は「自分の目で見て二箇相承書は日代筆」としたのか?「又聞きで日代筆」としたのか?

 

◎ どちらにしても、それが信用に値するという根拠は?

 

◎ 「謎の人物の話し」→ 人不明、判別方法不明、比較文献不明、鑑識能力不明、→ 信用性は0

 

◎ 日現の記述 → 特定の人物よりの伝聞なのか?巷間の説を聞いて書いただけなのか?判別できず。

 

◎ このような「前提」の上に「であると受けとれば」「わからないが〜考えられるのである」「推定される」

「であれば〜だろう」で接続し「したがって」と締め括る手法が「歴史考証」といえるのか。「文献学」といえるのか。是非、利害関係のない、公平、無私、客観的な立場にある学者に読んでもらうことを勧める。

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228.日顕上人に額が磨り減るほど懺悔して許しを請うことである。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 22時10分

▼ では貴方を助けるために追加として、白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事 日興記之を付け足します、下記に示す日興第一弟子也の方は当然「本門戒壇の大御本尊」 を存じていたはずです。その方の文証でもいいのです、客観的に証明してください。

 

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● 以下 略

 

日興上人が御真筆御本尊を分与された方々をどう列挙されようとも、「戒壇の大御本尊様」が存在しなかったという証明には何等要を得ません。

 

謗法の極悪果で複雑に割れた精神構造の貴殿には、まるで精神障害者の方へするが如く、何度でも言って聞かせてあげるしかないが、戒壇の大御本尊様は大聖人様が広宣流布の暁を遠く鑑みられ日興上人へ「密付嘱」せられたのである。

 

が故に、その他の数多の御弟子方が「戒壇の大御本尊様」への言及がなくても、いささかも不思議はない。

 

また、古来からの文献のその全てが残っているはずもなく、かつては「戒壇の大御本尊」様の記述が存在していたが、長い年月の間に遺失した文献もあるはずである。

 

貴殿は、古文献研究の常識として、その可能性を否定することは出来ないはずである。

 

敢えて否定するとすれば、それは貴公が謗法の害毒によって偏向した思考回路になっているだけのことであり、一般常識人の失笑を買うだけのことである。

 

そういう、謗法不信の貴公のようなものどもを大聖人様はどのようにお説きか、また共々に拝して見ようではないか。

 

■「眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。」

 

貴公が永劫に成仏など夢のまた夢、無間に堕在して糞尿まみれの境涯に堕ちることは必定であろう。

 

速やかに今までの自らの罪業の深さを恥じ、日顕上人に額が磨り減るほど懺悔して許しを請うことである。

 

がしかし、罪業深すぎて、もう手遅れかも知れぬ。

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227.雲隠れのタヌキへ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 19時25分

 

【 もし戒壇板本尊が存在すれば、隠しおおせる身延の草庵ではなかった! 】

 

日蓮正宗・大石寺が「戒壇板本尊が造立された」と主張する弘安2年10月当時、身延山中で暮らす日蓮大聖人の住まいは「草庵」でした。

 

大聖人は1274年・文永11年5月11日に鎌倉を去り、身延に入山されました。その後「庵室修復書」(1277年・建治3年)によると、「去文永十一年六月十七日にこの山のなかに・きをうちきりて・かりそめにあじちをつくりて候いし」(1543)とあるように、文永11年6月17日に草庵が成ったものの、「やうやく・四年がほど・はしらくちかき・かべをち候へども・なをす事なくて」と4年後には半倒壊しました。この後、弘安4年(1281年)11月に「地引御書」によると「坊は十間四面に・また・ひさしさして・つくりあげ」(1375真曽)と十間四面の堂宇が完成しました。

 

前項も付け足し整理します。

1274年・文永11年  5/11  身延に入山

同年     6/17   草庵完成

 

1276年・建治2年 9月  「身延山は深山である」

同年    12月  「訪れる人はまれである」

 

1277年・建治3年      「庵室修復書・やうやく・四年がほど・はしらくちかき・かべをち候へども・なをす事なくて」草庵半倒壊  

 

1278年・弘安元年  7月  夏は大雨が三ヶ月続き河川の氾濫、山崩れで交通遮断

同年      9月  食材等が不足に

同年     11月  厳冬の身延山の惨状

           「草庵には、人の少ない時で40人、あるときは60人もいて、訪問者も多い」

1279年・弘安2年 10/12  戒壇板本尊?

1280年・弘安3年  1月  大雪積もり庵室内まで「雪を米と積む」如く。

八寒地獄のようである。訪れる人はなく「弟子等にも捨てられて候いつる」如し。

 

1281年・弘安4年  11 月 「地引御書・坊は十間四面に・また・ひさしさして・つくりあげ」十間四面の堂宇が完成

 

大石寺説ですと、戒壇板本尊は最初の庵室が建治3年に半倒壊した後に造立されたことになります。

この建治3年の庵室倒壊状況は悲惨極まりないもので、「庵室修復書」によると「よるひをとぼさねども・月のひかりにて聖教をよみまいらせ・われと御経をまきまいらせ候はねども・風をのづから・ふきかへしまいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にかふべをなげ・四方のかべは一そにたうれぬ」と、月明かりが差し込み書を読め、風が部屋を吹き抜け御経が吹きあがり、柱は傾き、壁は剥がれとボロボロの状態でした。

 

◎ 弘安2年10月もおそらく、この状態が少し改善しただけのものだったでしょう。このような草庵のどこに戒壇板本尊を秘蔵したのでしょうか。

 

◎ しかも、弘安元年11月の書簡によると「草庵には、人の少ない時で40人、ある時は60人もいて、訪問者も多い」ということがあったようです。弘安2年10月では、まだ冬季積雪期に入る前であり、同様の状況であろうことは容易に推察されるところです。このような狭い、倒壊を手直ししただけの草庵のどこにどのように戒壇板本尊を秘蔵したのか、というか、そのようなスペース自体がありえたのか?

是非、詳細な説明を聞きたいものです。

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226.目を開けて拝せA

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 19時24分

 

(以下の節は大聖人の体調不良の状況)

かかるふしぎ候はず候に去年の十二月の卅日よりはらのけの候しが春夏やむことなし、あきすぎて十月のころ大事になりて候しがすこして平愈つかまつりて候へどもややもすればをこり候に、兄弟二人のふたつの小袖わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞましてわたうすくただぬのものばかりのものをもひやらせ給へ、此の二のこそでなくば今年はこごへしに候なん。

 

其上兄弟と申し右近の尉の事と申し食もあいついて候、人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へども・これにある人人のあにとて出来し・舎弟とてさしいでしきゐ候ぬれば・かかはやさにいかにとも申しへず

(草庵には、人の少ない時で四十人、あるときは六十人もいて、訪問を断ろうとすると、私はここで修行する者の兄である、弟であると言い訪ねてくるのでなかなか断ることができずにいる)

 

 

心にはしずかに、あじちむすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず、又としあけ候わばいづくへもにげんと存じ候ぞ、かかるわづらわしき事候はず又又申すべく候。

(本心は静かに、草庵で弟子と語らい経典を読み、今のようなわずらわしい状況のないことだ。年が明けたらいずこへでも逃げだしたい)

 

 

◎ 弘安3年1月 大雪積もり庵室内まで「雪を米と積む」如く。八寒地獄のようである。訪れる人はなく、「弟子等にも捨てられて候いつる」如し。

秋元御書  弘安三年一月(二十七日) 五十九歳御作 於身延 P1077

此の山の為体・日本国の中には七道あり、七道の内に東海道十五箇国、其の内に甲州飯野御牧波木井の三箇郷の内波木井と申す、此の郷の内戌亥の方に入りて二十余里の深山あり、北は身延山・南は鷹取山・西は七面山・東は天子山なり、板を四枚つい立てたるが如し、此の外を回りて四つの河あり・北より南へ富士河・西より東へ早河・此れは後なり、前に西より東へ波木井河の内に一つの滝あり身延河と名けたり、中天竺の鷲峰山を此の処へ移せるか・将又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ、此の四山・四河の中に手の広さ程の平かなる処あり、爰に庵室を結んで天雨を脱れ木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて身を養ひ・秋は果を拾いて命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て改年の正月今に絶る事なし、庵室は七尺・雪は一丈・四壁は冰を壁とし・軒のつららは道場荘厳の瓔珞の玉に似たり、内には雪を米と積む、本より人も来らぬ上・雪深くして道塞がり問う人もなき処なれば現在に八寒地獄の業を身につくのへり、生きながら仏には成らずして又寒苦鳥と申す鳥にも相似たり、頭は剃る事なければうづらの如し、衣は冰にとぢられて鴦鴛の羽を冰の結べるが如し、かかる処へは古へ眤びし人も問わず・弟子等にも捨てられて候いつるに・此の御器を給いて雪を盛りて飯と観じ・水を飲んでこんずと思う、志のゆく所思い遣らせ給へ又又申すべく候、

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225.目を開けて拝せ@

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 19時23分

 

3 弘安年間の身延の草庵・本堂について

日蓮正宗法華講員云く

※ 戒壇板本尊は造立後、隠し秘され、人目に触れることはなかったのだ。故に語り、記述する門下もいないのは当然。具体的には大聖人の私室に厳護されたと拝察する。戒壇板本尊の御事も唯授一人の口伝で伝えられたのだ。

 

【 大聖人在山の身延山について 】

 

◎ 建治2年9月  身延山は深山である

九郎太郎殿御返事  建治二年九月  P1535

此の身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山なり、西には七面のかれと申すたけあり東は天子のたけ南は鷹取のたけ北は身延のたけ四山の中に深き谷あり・はこのそこのごとし、峯にははこうの・の音かまびすし、谷にはたいかいの石多し。

 

 

◎ 建治2年12月 訪れる人はまれである。

松野殿御返事 (建治二年丙子十二月九日) P1381

鵞目一結白米一駄白小袖一送り給畢ぬ、抑も此の山と申すは南は野山漫漫として百余里に及べり、北は身延山高く峙ちて白根が嶽につづき西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず、人の住家一宇もなし、適ま問いくる物とては梢を伝ふ・猴なれば少も留まる事なく還るさ急ぐ恨みなる哉、東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず、かかる所なれば訪う人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議なり。

 

 

◎ 弘安元年7月 夏は大雨が三ヶ月続き河川の氾濫、山崩れで交通遮断

種種物御消息 弘安元年七月七日 五十七歳御作 与南条平七郎 P1548

ただなる時だにも・するがとかいとのさかひは・山たかく・河ふかく・石おほく・みちせばし、いわうや・たうじは雨(あめ)は篠(しの)を立てて三月におよび・河(かわ)はまさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず・かつてもたえていのちかうにて候いつるに・このすずのもの給いて法華経の御うえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせ給いぬ

 

 

◎ 弘安元年九月 夏は大雨で洪水、交通遮断 食材等が不足に

上野殿御返事  弘安元年九月十九日 与南条時光 P1551

今年は正月より日日に雨ふりことに七月より大雨ひまなし、このところは山中なる上・南は波木井河・北は早河・東は富士河・西は深山なれば長雨・大雨・時時日日につづく間山さけて谷をうづみ・石ながれて道をふせぐ・河たけくして船わたらず、富人なくして五穀ともし・商人なくして人あつまる事なし、七月なんどはしほ一升をぜに百しほ五合を麦一斗にかへ候しが・今はぜんたいしほなし、何を以てかかうべき、みそもたえぬ、小児のちをしのぶがごとし。

 

 

◎ 厳冬の身延山

兵衛志殿御返事  弘安元年十一月 五十七歳御作 於身延 P1098

其の上今年は子細候、ふゆと申すふゆいづれのふゆかさむからざる、なつと申すなついづれのなつかあつからざる、ただし今年は余国はいかんが候らんこのはきゐ(波木井)は法にすぎてかんじ候、ふるきをきなどもにとひ候へば八十九十一百になる者の物語り候はすべていにしへこれほどさむき事候はず、此のあんじちより四方の山の外十町二十町人かよう事候はねばしり候はず、きんぺん一町のほどはゆき一丈二丈五尺等なり、このうるう十月卅日ゆきすこしふりて候しがやがてきへ候ぬ、この月の十一日たつの時より十四日まで大雪ふりて候しに両三日へだててすこし雨ふりてゆきかたくなる事金剛のごとしいまにきゆる事なし、ひるもよるもさむくつめたく候事法にすぎて候、さけはこをりて石のごとく、あぶらは金ににたり、なべかまは小し水あればこおりてわれかんいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくしてさしいづるものもなし。坊ははんさくにてかぜゆきたまらずしきものはなし、木は・さしいづるものも・なければ・火もたかず、ふるきあかづきなんどして候こそで一なんど・きたるものは其身のいろ紅蓮大紅蓮のごとし、声は波波(はは)大婆婆(ばば)地獄にことならず、手足かんじてきれさけ人死ぬことかぎりなし、俗のひげをみればやうらくをかけたり、僧のはなをみればすずをつらぬきかけて候、

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224.大聖人の出世の本懐がなぜ秘蔵厳護でなければならないのかA

 

名前:宿坊日付:5月29日(日) 18時46分

 

1277年・建治3年8/23  日女御前御返事 1243 身延にて 未決

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん・竜樹・天親等・天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず・多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ・普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等加之・日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等総じて序品列坐の二界・八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い・妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる・是を本尊とは申すなり。経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。

 

→ このように「聖人御難事」が著される以前、既に「観心本尊抄」や「日女御前御返事」が著されており、本門の本尊が「法華経」の「涌出品」から「嘱累品」までの八品に顕われている、それを今・末法に日蓮が図顕しているとし、両抄共に本尊の相貌を詳述されています。更にそれは日蓮が自作しているのではなく「多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊」であると本尊の本義を述べられております。

 それに対して、二年後に著された「聖人御難事」を解釈し、そこに出世の本懐・戒壇板本尊を明かされているとするのは、大石寺の思考回路ならではの牽強付会というものでしょう。

 

→「日女御前御返事」では本尊を図顕する意義につき、「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされたことは重要でしょう。現日蓮正宗・大石寺は「本尊に関する一切の権能は血脈附法の御法主上人猊下お一人にあり」などとし、本尊に関する一切を大石寺という日蓮系一寺院の住職が独占としていますが、これは事実上、本尊書写、下付、伝持を象徴として、日蓮仏法を利用して自分達の世界を作り信徒に君臨するというものであり、

大聖人の「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」とされた本尊図顕の本義、また広宣流布への不惜身命の実践、精神に対する冒?といえるでしょう。

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223.大聖人の出世の本懐がなぜ秘蔵厳護でなければならないのか@

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 18時45分

 

大石寺説の矛盾

@ 1273年・文永10年5/11 顕仏未来記  佐渡にて 509  真曽

「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す、三に一を加えて三国四師と号く」

 

→「安州の日蓮は恐くは三師に相承」とされた日蓮大聖人ですが、先師=釈尊・天台・伝教の出世の本懐を見ると、明示されています。では、大聖人はどうなのでしょうか?

 

A 釈尊の出世の本懐は?

→ 法華経・妙法蓮華経

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

B 天台大師の出世の本懐は?

→ 摩訶止観・一念三千

・それは秘法であり、世に公にされない秘蔵厳護扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

C 伝教大師の出世の本懐は?

→ 迹門の戒壇

・それは世に公にされない秘密扱いだったのですか?

→ 周知のとおり明らかです

 

D 「先師の出世の本懐は明らか」であるのに、「日蓮大聖人の出世の本懐が秘法」である根拠はどこにあるのでしょうか? 文証を示すべきです、仏法は道理です。

 

E 更に大聖人は下記にあるように、僧である弟子ではなく在家である門下に対してまでも、詳細に本尊に関する教示をされています。

門下に対し分け隔てなく自身の心情を明かされ、重要法門を教示された大聖人が、秘法を秘伝とされる道理はどこにあるのでしょうか?

かかる日蓮正宗・大石寺の主張などは、神秘の世界を創り上げそこに君臨したいという、大石寺流御書解釈の正体を露呈しているものです。

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

其の本尊の為体・本師の娑婆の上に宝塔空に居し・塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士・上行等の四菩薩・文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し・迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して・雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う・迹仏・迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し・八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し・権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す・此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏・有さず、末法に来入して始めて此の仏像・出現せしむ可きか。〜此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し・月支震旦に未だ此の本尊有さず、(254)

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222.ハヨハヨ

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時26分

 

@ 聖人御難事のどこに、どのように「出世の本懐=本門戒壇の大御本尊」と書いてあるのか?

 

A 聖人御難事に大聖人出世の本懐が説かれているとして、それがどうして戒壇板本尊と結びつくのか。

大石寺の主張は、結論が先にありそこに強引に導くための、解釈論にしかすぎないことを知るべきだ。

 

B 大石寺は「聖人御難事に出世の本懐が説かれているならば、それは何だ? 弘安2年10月の本尊は数幅有るが、本門戒壇と認めの本尊は、十月十二日図顕の『本門戒壇の大御本尊』 しかない、故に戒壇板本尊こそ大聖人出世の本懐だ」というが、日蓮出世の本懐が本尊だけ、しかも特定の本尊だけしかない、という発想はどこからくるのか。それが正しいという根拠を示せ。まさか、「猊下の御内証で」などと笑わせないように。

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221.ホレホレ

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時23分

 

@ 日興上人の訓育を受けた重須談所二代学頭・三位日順が「本門心底抄」で「広宣流布の時・本門戒壇の仏像本尊」を主張したのは、戒壇板本尊の肯定か否定か、どちらか。

→ 否定ですね。

 

A 何故にかかる仏像本尊を主張したのか。

→ 「出世の本懐・戒壇板本尊」が無かったからだ。有ればいうわけがない。

 

B「三位日順の法門信解が浅い故に、日興上人の仏像に執着する信者への善巧方便・次第誘引の教示を文上で読み、かような仏像本尊説となった」といいますか?

 

→ それは現在の日蓮正宗・大石寺の推測というものです。

 

C 重須談所三代学頭・日代が何ゆえに「仏像造立の事、本門寺建立の時なり」などといったのか。

→ 出世の本懐・戒壇板本尊が無かったからだ。有ればいうわけがない。

 

 

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220.日蓮正宗への質問B

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時20分

 

如来五十年の間は法華を以て真実と為す、是れ則ち諸仏の本懐なり抑亦多宝の証誠なり P848

 

法華経を説きおはらせ給て御物語あり、「阿難弥勒迦葉我世に出でし事は法華経を説かんがためなり我既に本懐をとげぬ今は世にありて詮なし P1045

 

況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過現未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。P1068

 

今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり P1139

 

不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、P1174

 

あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。 P1304

 

生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか P1340

 

倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、 P1614

 

さて、以下指摘です。

 

・このうち「戒壇板本尊」を示す、又はそれらしきことを伺わせる文があるのですか?

 

・大聖人の教えに無いものを「出世の本懐」といえるのですか?

 

・これらの御文のどこに「出世の本懐が特定の一つのものに限る」という文意があるのですか?

 

・大聖人滅後○百年たってから日蓮系の一寺院が「出世の本懐はこれだ」と主張して、それがそのまま通用する、という道理がどこにあるのですか?

 

・大聖人の教えに無い「自称・出世の本懐」を誰がどうして信用できるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ、拝まなければならない、という教示があるのですか?

 

・なんの裏付けもない「自称・出世の本懐」でもそれを信じ拝まなければ成仏は叶わないという教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「頭破七分で堕地獄必定」という教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」に対し指摘すると「その文証はこれだ」と、一日蓮系寺院の相承書?が出てきました。それが真筆か否かを問うのはいけないことなのですか?それをとにかく信じなさい、という大聖人の教示があるのですか?

 

・根拠なき「自称・出世の本懐」と「真筆ではない相承書」のセットを根幹とする一日蓮系宗派が「わが宗は大聖人より唯授一人血脈相承で正しい」ということは正しいのですか?

 

・そのような宗派が「一閻浮提広宣流布・立正安国」とか「御遺命の本門戒壇の建立」などという資格があるのですか?

 

・そのような宗派が「大聖人直結・御書根本」の実践に励む他の教団に対し「直結は謗法だ」とか「御書根本は経巻相承だ」などという資格があるのですか?

 

・だいたい大聖人の一代の御化導のどこに、秘密のものを造り上げ、秘密にして、秘伝としよう、などと伺わせるものがあるのですか?

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219.日蓮正宗への質問A

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時19分

 

阿含方等般若も亦爾なり後番の五味皆成仏道の本懐なる事能わず P426

 

上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、P466

 

「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ順縁逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり P467

 

然れば四十余年に所被の機縁を調へて後八箇年に至つて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へりP480

 

、此の経は一字も諸仏の本懐一点も多生の助なり一言一語も虚妄あるべからず P481

 

釈尊出世の本懐道場所得の秘法末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此の文なり P515

 

此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、P519

 

法華は釈尊乃至諸仏出世の本懐なり止観は天台出世の己証なり[是三]法華経は多宝の証明あり P529

悲しいかな大小権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし恐るべし、P547

 

三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり P557

 

三世の諸仏の総勘文なり敢て人の会釈を引き入る可からず三世諸仏の出世の本懐なり一切衆生成仏の直道なり P572

 

之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり P574

 

此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、P717

 

三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、P815

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218.日蓮正宗への質問@

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 18時19分

 

日蓮大聖人の御書に教示された「本懐」を以下、列挙しました。

(指摘済みの「聖人御難事」を除く)

 

故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃と勝劣を定むる時・法華経を以て般若経に同じて同じく第四時に摂したり豈正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為んや如何、答て云く法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し、方便品に云く「今正しく是れ其時なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す何を以てか衆生をして無上道に入ることを得・速かに仏身を成就することを得せしめん」と  P73

 

此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり P98

 

一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、P99

 

如来在世に前の四十余年には大小を説くと雖も説時至らざるの故に本懐を演べ給わず、機有りと雖も時無ければ大法を説き給わず、霊山八年の間誰か円機ならざる時も来る故に本懐を演べたもうに権機移つて実機と成る P109

 

念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、P116

 

又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給うなり、日蓮管見を以て一代聖教並びに法華経の文を勘うるに未だ之を見ず、P119

 

但し華厳は法華経より先なり華厳経の時仏最初に法慧功徳林等の大菩薩に対して出世の本懐之を遂ぐ、然れども二乗並に下賎の凡夫等根機未熟の故に之を用いず P121

 

法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、P208

 

法華経に法譬因縁と云う事あり法説の段に至つて諸仏出世の本懐一切衆生成仏の直道と定む、P414

等覚以下は仰いで此の経を信ず可し況や諸仏出世の本懐なり、禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其は四種の一面なり、P415

 

迹門は二乗作仏が本懐なり故に「彼の土に於いて是の経を聞くことを得」と説くP421

 

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217.反論できるか?

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 18時16分

 

@ 日本国の一切衆生の為に付属し給う「日蓮建立の御本尊」は戒壇板本尊ではない!

1278年・弘安元年〜1280年・弘安3年 御講聞書  身延にて 828 未決

一等雨法雨の事

此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂・日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、

 

 

A 大聖人が成就した三大秘法は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年5/28  義浄房御書 佐渡にて 892 (録外)未決 

( 参考 本書は本尊図顕1年8ヶ月後。 翌年10/5、身延在山時に蒙古来襲 )

寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、

 

→ 義浄房御書から「出世の本懐=三大秘法の確立」と拝せます。「日蓮が己心の仏界を寿量品の事の一念三千の三大秘法として成就せる」と・・・。

この「日蓮己心の仏界」を「成就」したということは、自身の境涯・仏界を三大秘法として確立した。更に自身の願い・目的とされていたものを達成されたということであり、そこに「出世の本懐」を遂げられた意義が拝されます

 

B 「此の国に立つ一閻浮提第一の本尊」は戒壇板本尊のことではない!

1273年・文永10年4/25 観心本尊抄 佐渡にて 254 真筆

( 参考 本書は本尊図顕1年7ヶ月後。 翌1274年・文永11年10/5、身延在山時に蒙古来襲。 同年12月、通称・万年救護本尊図顕 )

伝教大師・日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り・末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く・猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時・地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す・一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月支震旦に未だ此の本尊有さず

 

→ 自界叛逆・西海侵逼の二難という国家・民族存亡の危機の時に、此の国に立つ一閻浮提第一の本尊(=一般図顕本尊)は戒壇板本尊ではありませんでした。

 

C「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」本尊は戒壇板本尊ではない!   

1273年・文永10年8月 経王殿御返事 佐渡にて 1124  未決

日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候ぞ・信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり・日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし

 

→ 大聖人がその「たましひ」を「すみにそめながしてかき」更に「信じさせ給へ」といわれる御本尊は「戒壇板本尊である」といわれましたか?

この本尊はどなたに授与されたのですか?

まさか「弥四朗国重」などといわないでしょうね(笑)

 

→ もちろんこの特定の本尊に対する教示を通して、全日蓮図顕本尊に「日蓮がたましひを・すみにそめながしてかきて候」は当てはまるのが道理ですが、存在なしの「戒壇板本尊」には当てはまりません。

 

D 上行等の聖人が出現し・建立された本門の三つの法門は「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永11年5/24 法華取要抄  与富木常忍 身延にて (338) 真筆

( 参考 5/17の身延入山以降直近の書 10/5の蒙古襲来の約4ヶ月前 )

是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し・本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布・疑い無からん者か。

 

→ 大聖人が三大秘法を確立せられた時、その脳裏に「戒壇板本尊」があった、もしくはそれをこれから建立しようと思っていたのですか?

答えは簡単、あるわけないし思ってもいません。文永11年にも、板本尊の日付・弘安2年10月にも、その存在はないのですから。

 

E 日蓮大聖人が広宣流布するのは「本門の本尊」であり「戒壇板本尊」ではない!

1274年・文永10年5/11 顕仏未来記 507 真曽

此の人は守護の力を得て・本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。

 

→ 大聖人は何を「閻浮堤に広宣流布」されるのですか?「戒壇板本尊」ですって?

どこに書かれていますか?大石寺流解釈で押し切ってはいけません。「本門の本尊」ですよ。

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216.長野のおじさん!

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 18時14分いわれてるよ。

 

→ お前を大商人と命名する。謹んで受けるように。

 

で、どうなの「お受け」したの?

 

→ いけませんねー、余計な部分まで引用しては。

 

※ 樋田教としましては「不信は堕獄の因なり。」だけを、切り文として引用するのが正しい化儀でございます。

前文まで引用しては、唯物論を教義の根底に置く当教団の大前提にヒビが入ります。

 

と、貴方の兵隊講員からブーイングが聞こえてきますよ。

もっとも、あの兵隊たちの頭では、理解も出来ませんが。

 

永遠の法を説いた大聖人が、永遠の法体を現すのに有限な木材を選定する訳がないことぐらい、誰にでも少々考えれば解ることです。

どうせなら、木材よりは石材、金属のほうが長持ちしますが、所詮同じ物質です。

火災や災害でもっとも大事な信仰の対象物が無くなってしまったら、その教団の消滅になります。

だから「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり」でしょ。

 

誤って書き込んでしまった前文で唯物論教団は自爆ですね。

まさに、樋田教の「元品の無明を切る」御文でした。

 

    間抜けな教祖様へ!

 

謹んで拝読せよ。

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215.破折 2

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 18時12分

 

(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状

「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)

 

●だからどうしたというのですか?

「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。

 

→ では、(笑)

◎ なぜこの時、突然その「存在?」を言い出したのですか。

 

◎ なぜこの時まで、その「存在?」を言わなかったのですか。

 

◎ で、この日主・日俊の時点での発言を、法華講員さんは「存在の傍証」といいますが、この発言内容から、どのようにして「戒壇板本尊は本物だ=日蓮大聖人が戒壇板本尊の相貌を図顕し、その造立に関わった」と判断できるのですか、具体的にその根拠を示してください。

 

◎「御法主上人ゲイカがいわれたことだから間違いない」ですか、ならばその「御法主上人ゲイカがいわれることに間違いはない」といえる根拠を示してください。それは盲信にすぎず、世間の晒し者になるだけです。

 

◎ 他の日蓮系教団が「○百年後に出世の本懐の板本尊」を主張し出して、それをそのまま法華講員さんは「そうだね。存在の傍証だね」というのですか。

 

◎「いや、大石寺だけは別なのだから」というのなら、その根拠を示してください。

 

◎大聖人滅後○百年後に「うちの寺に大聖人の相承書があった」といえば、それがそのまま「そうだね。存在していたんだね」といえるのですか。

 

→ 大聖人滅後300、400年経過して、日蓮系一寺院が「うちの寺に出世の本懐・本門戒壇御本尊」といえば、それが「正しく、本当に、大聖人出世の本懐の本門戒壇御本尊が存在したことになる」というのが、世の正しい道理である、と証明してもらいましょう。

 

ここ十数年の間でも、日蓮大聖人の真筆か?といわれる本尊が確認され、鑑定の結果、数体は「大聖人の真筆本尊」とされました。

それに対し「我が寺に大聖人の真筆・曼荼羅本尊があるよ。しかも出世の本懐で、本門戒壇堂用のね」といわれても、「はあ、だからどうしたというのですか?お宅の宗派の自己申告にすぎません。それで」となるのが道理というものです。

 

→ 日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・これを受け法華講諸氏云く「存在の傍証だ」・・・正に「ゲイカの御内証を信じる人間ならではの思考回路」ですね。

日蓮大聖人入滅後300年、400年経過して、出てくる「出世の本懐・本門戒壇の大御本尊」・・・

「なにそれ?どうして今迄言わなかったの?なんでその時に言い出したの?で、もって、それが本物であるという証拠は?」となるのです。

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214.破折 1

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時11分

 

以前の「長野のおじさん」の書き込み

 

※ 御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。

 

◎ ここの主題は何か、一人パソコンに向かい今一度復唱せよ。

 

◎ 貴殿がここに登場する以上何をせねばならぬのか、再度認識せよ。

 

◎ 貴殿は当方に対し「本門戒壇の大御本尊の真偽を問うことの愚かさ」の例示と解釈できる記述として、本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人であるかのような書き込みをした。ならば、本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である、と証明せよ。できるのか、できないのか?貴殿の宗派内の約束事を書き記したものは違う宗教である故、当方とは関係ない。

 

◎ 貴殿は、自身の信奉する宗派内では「極悪謗法不信の輩」に対し、いきなり貴殿の「宗派内の教義(当方にとっては関係ない)」を前提としていったのだ。発言した以上、貴殿にはその「極悪謗法不信の輩」をも納得させるべく直ちに「本門戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である」とストレートに証明してみよ。

 

@ 「本門戒壇の大御本尊」 の相貌を日蓮大聖人が図顕した証拠。その造立に大聖人が関わった証拠

 

A 日蓮大聖人が「本門戒壇の大御本尊」 を即御自身とされた証拠

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213.タヌキに救済の手A

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 18時6分

 

A 星名五郎太郎殿御返事 /文永四年十二月 四十六歳御作  1209

今・此の善導・法然等は、種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし・如来の正法を滅す、就中・彼の真言等の流れ・偏に現在を以て旨とす、所謂・畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば・彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多(あかだ)仙人は十二年の間・恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟(ぎと)仙人の四大海を一日の中にすひほし、く留外道は八百年の間・石となる、豈是にすぎたらんや、又瞿曇(くどん)仙人が十二年の程・釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば・即ち外道を信ずべし、当に知るべし・彼れ威徳ありといへども・猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや・況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり・近付くべからず畏る可し畏る可し

 

 

【 日顕宗についてるあなたが不憫でならない 】

妙一尼御前御消息   /建冶元年五月 五十四歳御作 妙一尼御前   1253

大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく、我涅槃すべし、但・心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく、仏は平等の慈悲なり、一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王・一人と・をほせあるやらん・と問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り、是の七子の中に一子・病に遇えり、父母の心・平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云、天台・摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば・七子の父母・平等ならざるには非ず、然れども病者に於ては心・則ち偏に重きが如し」等云云とこそ・仏は答えさせ給いしか、文の心は・人にはあまたの子あれども・父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには・一切衆生は皆子なり、其の中・罪ふかくして世間の父母をころし・仏経のかたきとなる者は病子のごとし

 

 

【 日顕宗が創価学会を誹謗する姿は「螢火が日月をわらひ」です 】

佐渡御書  /文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那  961

螢火が日月をわらひ・蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり・烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし・わらふなるべし。

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212.タヌキに救済の手@

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 18時5分

 

長野のおじさんは「脅し文句で文証を使います」が、私はやさしく救済の手をさしのべましょう。しっかりと以下の御文を拝して、目を覚ましましょうね。

 

【 あなたが日顕宗についていき、無間地獄に堕ちるのが不憫でならない 】

@ 聖愚問答抄上     /文永二年   四十四歳御作 492

先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ、我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諌めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを、我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら、争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ・命をも捨つべし、諌めてもあきたらず・歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む、況や・悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや、恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず・親の命に随ひ・邪正を簡ばず、主の仰せに順はんと云う事・愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠・不孝是に過ぐべからず。

 

A 開目抄  577

我が父母(ふも)を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子(あくし)の酔狂(すいきょう)して父母を殺すをせいせざるべしや

 

【 日顕宗についていき、後悔しても遅いですよ 】

佐渡御書  959

今・謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者・父母を打て悦しが・酔さめて後・歎しが如し、歎けども甲斐なし、此罪消がたし

 

 

【 日顕宗についていけば阿鼻地獄ですよ 】

南部六郎殿御書  1374

十輪経に云く「若し誹謗の者ならば共住すべからず・亦親近せざれ、若し親近し共住せば即ち阿鼻地獄に趣かん」云云、栴檀の林に入りぬれば・たをらざるに其身に薫ず、誹謗の者に親近すれば・所修の善根・悉く滅して倶に地獄に堕落せん、故に弘決の四に云く「若し人・本・悪無けれども、悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて、悪名・天下に遍し」

 

 

【 謗法の日顕宗に供養すれば無限大城に堕しますよ 】

教機時国抄  弘長二年二月十日 四十一歳御作  439

法華経を謗ぜん者をば、正・像・末の三時に亘りて、持戒の者をも・無戒の者をも・破戒の者をも・共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り、供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、

 

 

【 仏法を行じても日顕宗では心が曲がりますよ 】

三沢抄 /建治四年二月 五十七歳御作 与三沢小次郎  1487

仏法をばがくすれども、或は我が心のをろかなるにより・或はたとひ・智慧はかしこきやうなれども・師によりて我が心のまがるをしらず、仏教を・なをしくならひうる事かたし

 

 

【 日顕宗こそ、仏教をもって仏教を失っています 】

題目弥陀名号勝劣事   115

仏教をもつて・仏教を失ふこそ、失ふ人も失ふとも思はず、只・善を修すると打ち思うて、又そばの人も善と打ち思うてある程に、思はざる外に・悪道に堕つる事の出来候なり

 

 

【 日顕宗に功徳の現証がある?そんなの邪教の悪現証と同じです 】

@ 報恩抄 建治二年[太歳丙子]七月二十一日   之を記す  319

古の人人も・不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳に十二年留め・或は大海をすひほし・或は日月を手ににぎり・或は釈子を牛羊となしなんどせしかども・いよいよ大慢を・をこして生死の業とこそなりしか、此れをば天台云く「名利を邀め見愛を増す」とこそ釈せられて候へ、光宅が忽に雨を下し・須臾に花をさかせしをも妙楽は「感応・此の如くなれども猶・理に称わず」とこそかかれて候へ、されば天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも・其をもつて仏意に叶うとはをほせられず、弘法大師いかなる徳ましますとも・法華経を戯論の法と定め・釈迦仏を無明の辺域とかかせ給へる御ふでは・智慧かしこからん人は用ゆべからず、いかにいわうや・上にあげられて候徳どもは不審ある事なり

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211.待ちくたびれた日暮れ道

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 17時57分

 

上代の文献から拝察すれば「本門戒壇の大御本尊」 は真っ赤な

偽物になりますが!

 

コピペなどせずに早く出てきて客観的に証明してください。

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210.日蓮大聖人様から見ればニセ本尊

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 17時53分

日蓮消宗・大石寺の「板本尊」は

 

「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」

 

 

 

三師御伝土代 第四世日道上人仰せに曰く、

 

「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、」

 

日蓮消宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は罪を無間に開く本尊と言われていますよ!

 

困ったな坊や、どうしますか?

 

また煙に巻きますか?

 

 

 

本尊三度相伝

 

「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」

 

 

 

重須学頭日順上人

 

「仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅」

 

 

 

御本尊七箇相承、

 

「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」

 

 

 

五人所破抄見聞

 

「仏滅度後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅と遊ばす也、」

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209.タヌキの首は皮一枚

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 17時13分

 

>この上記の御本尊で御真筆御本尊様は全てであると、その他にあらせられないと、どうして言えるのか、証明せよ。

 

 

「立正安国会 大聖人真筆本尊」は鑑定済みの真筆なのです。

 

まして日蓮大聖人、日興上人は「彫刻本尊」を顕されていないのが

史実なのです。

これは変えようがありません。

 

創作本尊「本門戒壇の大御本尊」 を【放射性炭素年代測定法】で

鑑定してみますか?

 

一発でわかります、人を騙し続けるためにはそのようなことをすれば、

日蓮消宗は完全に消滅します。

おもしろいだろうね!

――――――――――――――――――――――

208.タヌキがまた騙した、困ったな!

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 16時53分

 

>「奉書写之」 と御認めの「之」とはまさに「弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊様」の御ことである。

 

 

「御本尊七箇相承」には、

「仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なりと遊ばさ

るる侭、書写し奉るこそ御本尊書写にてあらめ、之れを略し奉る事大僻見不相伝

の至極なり。」「日蓮正宗聖典」三七九頁

 

とあり、

 

「本門戒壇の大御本尊」 には

「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曾有之大曼陀羅也」とあるのは、

「彫刻本尊」自体が「法門相承」の書き方ではない決定的証拠なのです。

 

寛師書写本尊には『二千二百三十余年』となっており

「御本尊七箇相承」の通り書写されている。

 

寛師書写本尊と「彫刻本尊」とは違いますよ、

よくお確かめになって、お書き願います。

――――――――――――――――――――――

207.迷妄深き、性格暗曲、前世極悪、来生悶絶 の貴公の悪果報

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時35分

▼下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。

大石寺で言う「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久

 

●この上記の御本尊で御真筆御本尊様は全てであると、その他にあらせられないと、どうして言えるのか、証明せよ。

 

この表記は「宗教法人 立正安国会」が知り得る「大聖人様御真筆御本尊」の例示であって、世に存在する(或いは存在した)全ての御真筆御本尊のことを完全に網羅しているという訳ではない。

 

大石寺の「戒壇の大御本尊様」は大石寺に秘蔵されている秘法であるから、邪宗の宗教団体である「立正安国会」の知るところにない秘仏であられる。

 

が故に、上記の一覧表にないのは当然過ぎるほど当然の理である。

 

こういう理が解らない迷妄深き、性格暗曲、前世極悪、来生悶絶 の貴公の悪果報を更に勉強しようではないか。

 

■「不信とは疑惑なり、疑惑を根本無明と云ふなり。」

――――――――――――――――――――――

206.薄汚れた謗法根性腐敗の貴公

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時19分

▼D 寛師書写本尊は「本門戒壇の大御本尊」であるのか?

(全て「戒壇の大御本尊様」を書写されている?)

 

●間違いなくそうである。

 

「奉書写之」 と御認めの「之」とはまさに「弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊様」の御ことである。

 

もし、そうでないというのならば、この「之」とは何を指すのか明証せよ。

 

御本尊御書写の立場でもない、薄汚れた謗法根性腐敗の貴公が、御本尊様の御事をどう反証するのか見ものである。

 

貴殿のような腐り果てた謗法者について更に更に御文を拝そう。

 

■「此の経文は謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くと云ふ事なり。」

 

 

――――――――――――――――――――――

205.アホへ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 16時16分

 

>(日顕は偽法主?)

勿論真正且つ神聖であらせられる。

 

「板本尊」を証明するところに、パイプカットの蛇カンチョが

出てきたらおかしいだろ?

 

タヌキは人を騙すと言うが、君は煙で巻こうとしているのか?

キツネはどちらに行ったのか?

 

――――――――――――――――――――――

204.おい、去年の暦の黒タヌキ

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 16時12分

 

>B「日興跡条々の事」は本物か?

真正の文証である。

もしそうでないというのならば、明確に証明して見せよ。

 

 

お前アホだろ!

証明するのはお前の役目なの。

日蓮正宗宗規に三祖日目上人と書かれているだろうが?

何によって相承されたのか?

「日興跡条々の事」ではないのか?

 

「第二条 に宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」

 

だからそれを客観的に証明しなさいと、

タヌキの口から真正の文証と言われても、誰も信じませんよ。

 

日蓮大聖人入滅194年後に世に登場し、相承とやらの内容を掌握している大石寺貫首が、400年かけて出した文面が全て違っている。なぜでしょう?

 

近代に至り、大石寺貫首等が「本書、下書きが有るんだ」などと言いだした。指摘、 批判され、その後に出てくる「本書、下書き説」とは?

 

過去に公開した歴代貫首は「本書、下書き説」など一言もせず。それが正しかったら、なぜ言わなかったのか?

 

それ自体が「本書、下書きの存在など無かった」ことの証明といえる。

 

真偽を追求されて出てきた「本書、下書き説」こそ辻褄合わせが、ばればれだ。

 

それじゃぁ、タヌキ君に質問です。

1476年に世に出現した最古の文献

「日興跡条々の事」にはなんと記されているのか?

それを提示しなさい。

――――――――――――――――――――――

203.詐侮を生業にする極悪誹謗者には、最早多言は無用である。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 16時8分

 

▼C「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」は本物か? (日顕は偽法主?)

 

●勿論真正且つ神聖であらせられる。

 

そうでないというのならば、明確に証明して見せよ。

 

詐侮を生業にする極悪誹謗者には、最早多言は無用である。

貴殿らの行く末を更に御文に拝そう。

 

■「御義口伝に云はく、酒とは無明なり。無明は謗法なり。臥とは謗法の家に生まるゝ事なり。三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔ひ廻りて今謗法の家に臥したり。酔とは不信なり、」

――――――――――――――――――――――

202.前言を簡単に翻す無節操な長野の珍タヌキ!

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時58分

 

>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。

 

 

嘘つくなよ、このタコは

 

○波木井殿御報(大聖人御書全集一三七六頁)

 

「みちのほどべち事候はで・いけがみまでつきて候、みちの間・山と申しかわと申しそこばく大事にて候いけるを・きうだちにす護せられまいらせ候いて難もなくこれまで・つきて候事をそれ入り候ながら悦び存し候、さては・やがてかへりまいり候はんずる道にて候へども所らうのみにて候へば不ぢやうなる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へばいづくにて死に候ともはかをばみのぶさわにせさせ候べく候。又くりかげの御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に・いつまでもうしなふまじく候、ひたちのゆへひかせ候はんと思い候が…」

      九月一九日          日蓮

進上 波木井殿御報

 

所らうのあひだはんぎやうをくはへず候事恐れ入り候。

(弘安五年九月十九日 御年六十一歳)(一二八二年)

 

◎弘安五年九月十八日に池上に到着なされ、その翌日、九月十九日に波木井実長に出されたお手紙である。

 

お前また死んだな!

これで何回目だ?

 

チコウヨレ、クルシュウナイ

 

ρ(⌒◇⌒)ノ ρ(⌒◇⌒)ノ

 

 

――――――――――――――――――――――

201.不信の者には授けざるなり、又之を受けざるなり。

名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 15時57分

 

▼B「日興跡条々の事」は本物か?

 

●真正の文証である。

 

もしそうでないというのならば、明確に証明して見せよ。

出来ない癖に、醜怪な邪難ばかりをしている者どもに対しての大聖人様の御教えを更に拝そう。

 

■「記とは南無妙法蓮華経なり、授とは日本国の一切衆生なり。不信の者には授けざるなり、又之を受けざるなり。」

――――――――――――――――――――――

200.貴殿は心根の奥深くを臭糞のヘドロの如くに汚染されている状態である。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 15時52分

 

▼A「二箇相承」は本物か?

 

●真正であられる。そうでないというのなら、二箇相承がなかったということを証明して見せよ。

 

貴公は最早、まともな正しい道理が理解できないほど、ニセ本尊の猛毒、及び 三宝誹謗の醜毒が脳内を巡り、心根の奥深くを臭糞のヘドロの如くに汚染されている状態である。

 

そういう、不信者についての、大聖人様の御教示をお互いに更に仰ごうではないか。 

 

■「日蓮は父の如し。法華不信の失に依り無間大城に堕ちて返って日蓮を恨みん。」

――――――――――――――――――――――

199.ちょっとみんな訊いたぁ〜〜〜! タヌキさんが、さあ〜〜〜。

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 15時46分

 

>●真正の御本尊様である。

 

だから証明しなさいと言っているだろうが、本当にバカだよ!

反論不可能と見るや(「百六箇抄」)前言を翻す長野のタヌキ!

しかしみっともないね、これが論客とは?

 

 

日蓮一期弘法

  白蓮阿闍梨

  日興付嘱之

  可為本門弘

  通大導師也

 国主被立此法

  者 富士山

  本門寺戒壇

  可被建立也

  可待於時耳

   事戒法謂

   是也就中

   我門弟等

   可守此状

  也

 弘安五年壬午

 九月 日

  日 蓮 花 押

 血脈次第 日蓮 日興

 

@坊や、日付が入っていないよね、

相承書と言ってもさぁ〜、遺言状だよこれは。

公文書・普通の領収書でも日付なき物は無効ですよ。

後になって書き記すのは嘘です、常識的に考えなさい。

 

 

「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」

 

日興上人が「富士一跡門徒存知事」にこのように記されている。

 

「一、本門寺を建つべき在所の事。五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに彼の本門寺に於ては先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と。」

 

先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と

日蓮大聖人は定められていないと言われている、

矛盾すだろうが?

おい、嘘つきよ

 

「板本尊」を早く証明しろ。

――――――――――――――――――――――

198.■「不信は堕獄の因なり。」よくよく心すべきである。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 15時34分

 

●>日寛上人が「戒壇の大御本尊様」を書写された

 

▼一つ追加ですか?

 

@「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」は本物か偽物か?

 

●真正の御本尊様である。今まで縷々理を尽くして証明しつくしている。

貴殿が暗愚・愚鈍・低脳・不信謗法・根性醜悪・性格歪曲・などなどにより理解できないだけであり、不信謗法の罪過を晒し、更に積み続けているだけのことである。

「偽物である」というのならば、その事自体を証明せよ。と何度も言っているが、貴公は耳を覆い、というより六根不浄で耳根が腐っていて正言が受容できないだけである。

 

■「一乗とは妙法蓮華経なり。不信の故に三悪道に堕すべきなり。」

■「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は元品の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり。解とは智慧の異名なり。信は価の如く解は宝の如し。三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。」

 

■「不信は堕獄の因なり。」よくよく心すべきである。

――――――――――――――――――――――

197.ちょっとみんな訊いたぁ〜〜〜! タヌキさんが、さあ〜〜〜。

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 15時26分

 

>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。

 

 

坊やの言い出しっぺだが、

これは日蓮正宗・大石寺の公式発言なのですか!

 

「百六箇抄」の年月日「弘安三年」をやめて「弘安五年十月八日以後」に。

阿部日顕カンチョが言われたのですか?

ちゃんと客観的資料に基づいて証明しなさい。

 

――――――――――――――――――――――

196.腹ボテのタヌキさん、

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 15時13分

 

「本門戒壇の大御本尊」 を証明するのに「百六箇抄」講義ですか?

だめだめ、それではこちらが抗議します。

貴殿が遁走してもうじき一ヶ月がになります。

早く証明しなさい、皆さんお待ちかねです。

 

 

日蓮正宗宗規 第二条に

弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、

とある。

 

何を根拠に言っているのか?

その文献を提示しなさい。

 

「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、

「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。

 

その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?

 

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?

 

「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが必ず記されているはずです。

なぜそれがないのか?

 

その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?

 

前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。

すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。

 

 

大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、

雪の道のないところを運んだのでしょう。

 

原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?

 

数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、

わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、

常識的に考えて矛盾するでしょうが。

客観的に証明しなさい。

 

――――――――――――――――――――――

195.一つ一つ、じっくりローラーで伸しますか。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 15時5分

 

さて、愚問を偏執狂的に繰り返しているだけのようだから、じっくりいきますか。

 

**********************************************************

 

●>65日淳上人と3【池田指導】(百六箇抄講義)

 

▼何の意味もなさない。

全く証明にはなりません。

文献を出すのであれば上代にしなさい。

 

**********************************************************

 

なんで「何の意味もなさない」のかな?

 

仮に百億劫経っても無間地獄で喘いでいて、御相伝を受ける立場に成り得るはずもない、学会内でも“屑”扱いの貴殿らが、正嫡血統正しい日淳上人のお言葉に何を根拠にこういう偉そうな口をきけるのかな?

少しは自らの分を弁えたら如何か?

 

正しい三宝帰依による果報が全くないが故に、貴殿には、何度も同じ事を繰り返し教えて躾けないと解らないらしい。

 

■「軽慢止まざれば舌口中に爛る」

 

今にその口が爛れて使えなくなるぞ。

 

■「?を蔵して徳を揚げ自ら省みること能はず。是無慙の人なり。」

 

■「?を蔵して徳を揚ぐは上慢を釈す。自ら省みること能はざるは我慢を釈し、無慙の人とは不信を釈す。」

 

自らの分を弁えない上慢の貴公は成仏は思いの他、不信謗法の報いで永劫に三悪道に沈倫するだろう。よくよく慎みあるべし。

――――――――――――――――――――――

194.どうだい、コピーやってるかい。

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 15時2分

 

おいおい、三時間もすぎていので、返答不能と解釈した。

 

今度は誰の資料かな。

高橋粛道氏の日蓮正宗史の研究かな?

日興上人身延離山史かな?

日興上人御述作拝考 高橋粛道氏かな?

 

まあ、がんはりなさい。

もっとも、その本には「本門戒壇の大御本尊」の研究成果はないけどね。

 

そうそう、貴殿をドラえもんパパという人もいたよ。

にているかねぇ。

にてないよね、どこから見てもタヌキパパしか見えないもの。

 ――――――――――――――――――――――

193.あなぐらキツネに、逃げるタヌキ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 11時9分

>百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。

 

 

坊や言い出しっぺ!

「百六箇抄」を「弘安三年」をやめて「弘安五年十月八日以後」に。

日蓮大聖人がそのように言われたのか?

客観的に証明しなさい。

 

墓穴掘るから質問が増えて仕方がないな?

ほれほれ、早くしなさい

見ている法華講さん達もタヌキの尻を蹴飛ばしてあげてください。

 

 

後一時間の間に回答しなさい。

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)

 

邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

 

とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)

 

これをどのように読めば正しいのか?

――――――――――――――――――――――

192.これを答えたらどうだ! 逃げ回るな。

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 11時2分

 

日蓮正宗宗規 第二条に

弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、

とある。

 

何を根拠に言っているのか?

その文献を提示しなさい。

 

「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、

「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。

 

その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?

 

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?

 

「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。

なぜそれがないのか?

 

その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?

 

前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。

すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。

 

 

大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、

雪の道のないところを運んだのでしょう。

 

原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?

 

数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、

わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、

常識的に考えて矛盾するでしょうが。

客観的に証明しなさい。

――――――――――――――――――――――

191.タヌキ坊や!

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月29日(日) 10時54分

 

コピペご苦労さん。

それで「板本尊」の証明は?

「二箇相承」の証明は出来たのですか?

推測、憶測だけでは意味がありません。

皆さんは真実を知りたいのです、嘘ごまかしはやめにしませんか?

 

 

「百六箇抄」云々にしても、君たちの相伝書ではないのだよ。

所詮ニセ物をニセ相伝書を持って証明するのがおかしな話ではないのか?

 

邪宗日蓮正宗・大石寺に相伝書は存在しません。

あるのは邪宗の相伝書だけです。

あるのなら証明しなさい。

 

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)

 

邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

 

とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)

 

これをどのように読めば正しいのか?

 

タヌキ君やキツネ君に出来るのであれば、

 

書き記しなさい。

 

別段ハゲに訊いてもかまわんよ!

 

午前中までに回答しなさい。

 

 

 

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190.ほらほら太字になるときは貴殿の「動揺」の表れですよ。合掌。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月29日(日) 1時41分

 

『大日蓮』昭和33年2月1日発行「日亨上人奉悼特集」に、

「当時日蓮宗宗学全書が発刊されてゐたが『日蓮正宗部』『興門集』『興尊全集』は凡て堀猊下の手に依って完成されたものであって、このことは立正大学講堂にてその全書完成祝賀会の時、代表者富田海音、稻田海素の両氏は堀猊下の仏教学、宗学に対する学識は現代の一大権威であると称歎し万一堀猊下なかりせば、この宗学全書を完成することは、できなかったであろう」

と言われている。

 

この宗学全書は、資料を掲載するという意味で添削はされていない。(要集のように一本線二本線は無い)

 

 

大正14年6月15日に、この宗学全書18巻が完本になっている。(年表)

 

日亨上人は、大正14年10月9日から11月28日まで、立正大学特別講座日蓮正宗部を担任され講義をされている。(年表)

 

日亨上人は明治35年に、富士宗学全集134巻の編集に着手された。(年表)

 

仏教哲学大辞典の「富士宗学全集・要集」の項の

 

「全集」に、

「正傍反の三系を集録してあるゆえに、すべての資料がそのまま正しい宗義を伝えるものと誤解して用いることは、編者の意志に反することになる。」

 

「要集」の項に、

「正、傍二系のうちより重要なものを選んで抽出しこれに若干の研究注解を追加し、集録したもので十巻および索引一巻より成る。昭和十年全十巻が発刊され」

とある。

 

日亨上人、昭和11年1月19日、東京本行坊に『富士宗学要集』の講を始む。(年表)

 

日亨上人、昭和13年11月25日、「富士宗学全集」134巻完成(年表)

 

日亨上人、昭和14年10月31日、『富士宗学要集』10巻刊

 

「宗門古典 扱方諮問録」とは、上記の時系列の経緯を鑑みて現時で拝察した時、

昭和2年当時、「日蓮宗宗学全書」が既に発刊されており、添削訂正されていない箇所の誤解に対する対応に宗内有識学僧方に御意見を聞かれたと拝するのである。

 

更に詳述すれば、相伝書は追加される性質がある。

そのような性質を持つ、正宗のみに伝わる相伝書を、他門下との交流は大変まれだが、他宗に紹介するとき、日亨上人はこれから先のことを見越され、どこまでを基準とするか、どのように扱うべきか、ということを検討された記録が「宗門古典 扱方諮問録」であると拝するのである。

 

その結論として、富士宗学要集にも一重線はあるものの、それを是として掲載されていると言うことは、この昭和2年からの諮問を通じた結果であるといえよう。

また、学会版の御書全集にしても同じである。

 

さらに、破門後に出版された仏哲にも、百六箇抄は僞作であるなど書かれていない。

 

追記すれば、最終的に日亨上人が編者となった「百六箇抄」の「五行削除」の箇所も学会版御書に掲載されている。

 

この昭和2年7月の話し合い以降、どのような経過をたどったのか、明らかにされていないが、当然、この諮問も参考にされて編纂されたのが、富要集であり、御書全集である。

 

これを見れば、案件の会議でどんな意見が出ようが、それをもってこれは偽書であるとは言えない。

 

結論は富要集や全集に掲載されたとおり、五行削除も、題号の削除もない。

 

ちなみに、日蓮宗宗学全書にも以上二書と同文である。

 

以上詳細に貴殿らの謀難を摧破したが、こんな「学会公式見解」と違う事を縷々述べ立てた貴殿らの明日を今更ながら憂うものである。

 

合掌。

――――――――――――――――――――――

189.逃げ回るタヌキへ

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 1時13分

 

タヌキでは無理だと言っているだろうが!

 

>勝手に作文して「相承書の後加について真偽を判定した記録」などと浅識な頭で判断するな。

 

おまえのアホが勝手に作文をしているのだろが!

 

このバカが。

 

タヌキは「宗門古典 扱方諮問録」を持っていないし、見たこともない。

 

すでにバレバレ。

 

蛇日顕に訊いてごらん、知っているはず。

 

君の先輩に訊いても知らないよ、

 

はっきり言って無理です。

 

所詮アホしかそろっていないアホ華講。

 

何度記せばいいのか、アホはアホらしく

 

「百六箇抄」は日蓮正宗・大石寺の相伝書ではない。

 

邪宗の相承書である。

 

大石寺とどのような関係があるのか述べよ。

 

――――――――――――――――――――――

188.ここまできて、まだ実名を名乗れぬ、腰抜けで臆病で暗愚な「宿坊」達よ。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月29日(日) 0時57分

 

▼「宗門古典 扱方諮問録」

(相承書の後加について真偽を判定した記録)

〜〜「百六箇抄」はそもそも大石寺の文献ではない。

 

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について。

 

今回平成2年、学会問題が起って以降、2000年11月18日発行されている『仏教哲学大辞典』の「百六箇抄」の項に、「百六箇抄」が、貴殿の云う「▼全く使えません、おわかりかな坊や!」と書いてあるのか否や。

明確に返答せよ。出来まい。

貴殿如きの学会の“屑”には出来る訳がない。

何故なら、貴殿は学会内でも、“屑”扱いで、同会員からでさえも顰蹙されている「「行」無し“有解無信”の腐臭を放つ“腐れオタク”」とのレッテルを貼られている人物及びその周辺メンバーであるからである。

ああ、可愛そう。

 

貴殿の学会内での今後の扱いを慮ると、対戦相手ながら同情を禁じえない。

関係上部幹部に煽てられ、良い様に使い回されて、都合が悪くなると今に使い捨てられる、惨め哀れな、人望なき醜悪・面妖な“パソコンオタク”の末路は眼前にある。

よくよく自らの行く末を、熟慮・黙考すべきであろう。

 

【破折】

 

● 貴殿は、昭和27年4月28日発行以来「全く使え」ない御書「百六箇抄」を学んできたのか。

 

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▼ 「◎百六箇抄の部「具謄本種正法実義」より同五行削除。」

 

● と書かれている箇所が、学会版御書に削除されているか否や。

 

学会発行の『富士宗学要集』一巻P9の箇所を見よ。一本線で削除されずに学会版御書に掲載されているではないか。

 

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 「▼「宗門古典 扱方諮問録」

(相承書の後加について真偽を判定した記録)」

 

● と貴殿は言っているが、カッコの文字は、「宗門古典 扱方諮問録」に書かれていない文字である。勝手に作文して「相承書の後加について真偽を判定した記録」などと浅識な頭で判断するな。

 

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▼ 昭和二年七月二十六日〜

 

● には、日亨上人が現御法主である。

「宗門古典 扱方諮問録」が問題あるものかどうかを、全文を公開せよ。

 

学会は偽造捏造を生業としている謀略団体である。

それは今項の前段を見れば、明々白々である。

幾ら、お得意の「切り文」で邪難を仕掛けてきても、既に見切っている。

 

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● 最近の貴会・学会は全く統一的な論法がない。

今回の疑難は、貴殿らのただ個人的な見解か?

それともこの“発言”は、創価学会の公式な考えなのか?

明確に返答せよ。

それによって、当方の対応も変化する。

重ねて詰問する。個人的意見なのか、公式教学的見解なのか、明確にせよ。

ついでに重ねて要求するが、実名を明かせ。

卑怯者。

学会員からも蔑まれているぞ。

 

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187.妙観のキツネへ、たまには反論しな

 

名前:宿坊  日付:5月29日(日) 0時48分

 

大石寺第九世日有上人の弟子日教によって、初めて「二箇相承」「本因妙抄」「百六箇抄」を大石寺にもたらしたのです。

 

それまで相伝書が大石寺に存在なんかしませんよ。

 

あるのなら証明をしてご覧なさい。

 

出来ないでしょ、当然です。

 

何から何まですべて盗んできたのですから。

 

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186.タヌキに質問

 

名前:宿坊 日付:5月29日(日) 0時23分

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」(身延相承書)

 

 

 

邪宗日蓮正宗・大石寺にては「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

 

とごまかして読んでいるが、このように読むためには「可被建立富士山本門寺戒壇也」でなければならないことは当然のことである。

 

「富士山本門寺戒壇可被建立也」 (身延相承書)

 

 

 

これをどのように読めば正しいのか?

 

タヌキ君やキツネ君に出来るのであれば、

 

書き記しなさい。

 

別段ハゲに訊いてもかまわんよ!

 

明日の午前中までに回答しなさい。

 

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185.「ズバリ証明」に入れないタヌキさん

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 22時13分

 

>百六箇抄の写本には系年の無いものと、有るものとがあるが、この書を弘安三年一月に系けると「就中定六人遺弟」の時期と、三大秘法抄の「最勝の地を尋ねて」の文に矛盾が出てくる。このような矛盾のある百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。

 

 

あらららら、舌の根も乾かないうちに日顕と同じ蛇の「二枚舌」

いや、それを上回る「三枚舌」だよね。

では貴殿の駄文を再掲してみよう。

 

 

 

>もしかして本当に ○゙か か?

しかもこの箇所は日亨上人仰せの、後加文であるが、「義に於いて支吾(枝×梧=逆らうこと。食い違うこと。)なき所」である「一線」のみである。

後加文であるが故に、「六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し」との御記述があっても何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしない。

 

 

 

坊やの言う「「六人の遣弟を定むる表事は」とは「六老僧」の事なのだよ。

おまけに何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしないと、

言い切っていたのにこれを覆す、

すでに何回も注意しているはずです。

 

これは大石寺の資料でもなく、君たちが言うところの

「邪宗」の相伝書なのです、なぜそれを盗み入れて自宗の相伝書として

騙して使うのか?

 

日蓮正宗・大石寺において「宗門古典 扱方諮問録」

(相承書の後加について真偽を判定した記録)に

◎百六箇抄の部

「具謄本種正法実義」より同五行削除。

となっており偽書扱いであることは、前述に無知な貴君に教えました。

もういい加減にあきらめなさい。

 

 

 

◎ 要法寺・日辰「辰春問答」(富要 6-42 )

興上本因妙抄・百六箇両巻の血脈書を以て日尊に付属すと云ふ事・西山・重須・大石諍ひ無し

 

◎ 日辰 「祖師伝」(富要 5-42 )

然るに日興一百六箇の本迹血脈書を以て日尊に付属して云はく。

 

◎ 「百六箇抄」文中に、

 

三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云(富要 1-18 )

 

何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり P22

 

然る間・玉野太夫法印は王城の開山日目弘通の尊高なり、花洛並に所々に上行院建立有り云云、仍て之を授与するのみ。

正和元年壬子十月十三日  日興日尊に之を示す

 

康永元年壬午十月十三日  日尊・日大日頼に之を示す P24〜25

 

これが大石寺と何の関係があるのか証明しなさい。

この泥棒タヌキが!

とっとと出て行け!

 

 

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184.逃げ足の早い、コピー魔のトヨダくんへ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 21時50分

 

この「板本尊」を証明できずにガタガタ言うんじゃないの!

偽書である「二箇相承」を簡単に破折するのには興師記述「宗祖御遷化記録」です。

 

 

 偽書写本「二箇相承」と真筆「宗祖御遷化記録」の対比

 

9月 日  「身延相承書」 日興上人=本門弘通の大導師

10月8日  「宗祖御遷化記録」・弟子六人の事不次第=六老僧は対等

10月13日 「池上相承書」  日興上人に釈尊五十年の説法を相承

10月13日 入滅

10月16日 「弟子六人の事不次第」の「宗祖御遷化記録」を日興上人が記述

 

日蓮大聖人は9月 日に日興上人を「本門弘通の大導師」として、特定の一人だけを次の導師にしたのに、10月8日には六老僧選定で「弟子六人の事不次第=序列なし・地位平等」として事実上、それを取り消す。

 

しかし13日に気が変わり? 再度、日興上人にのみ「釈尊五十年の説法を相承」する?

 

そして16日には、全てを附属されたはずの日興上人御自ら認められ

「弟子六人の事不次第」と記されている。

 

興師記述真跡「宗祖御遷化記録」に矛盾する故に、偽書「二箇相承」の存在は危ういものとなる。

 

偽書写本の不審書と真筆正文書のどちらを採否するかは自ずと明瞭だと思います。

皆さんどう思われますか?

 

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183.三週間たったも「板本尊」を証明できない、タヌキ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 21時45分

 

タヌキさんよ、人を騙したらあかん。

「本門戒壇の大御本尊」 すなわち「板本尊」を証明できてこそ、

「二箇相承」が脚光を浴びてくるものなのです。

 

その「板本尊」造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのですか?

 

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのですか?

 

「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。

なぜそれがないのか?

 

その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?

 

前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。

すべて紙幅ですよ、「彫刻本尊」が本物と言うのなら鑑定を受けましょう。

 

 

大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、

雪の道のないところを運んだのでしょう。

 

原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?

 

数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、

わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして作ったのか、

常識的に考えて矛盾するでしょうが。

客観的に証明しなさい。

 

 

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182.二箇相承、日付けの異同についての御高察

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月28日(土) 21時4分

 

四、結論

 

古来身延相承書は、その日附について九月十二日と、十月十三日の二説があるが、九月八日身延御出立であるから本文は山中で、日附は出立後書き入れられたものであろうということが考えられるのである。

 

九月十二日と十月十三日の両説については、最古の文献である日眼の五人所破抄見聞の十二日を用いるのが隠当ではなかろうか。

 

このように考えて身延相承は弘安五年九月十二日とすれば「甲州波木井山中圖之」の文字は、末だ波木井山中を出ない時期に本書を認められたことを意味する文であり、この九字は当然身延相承に書き添えられるのが妥當であると思うのである。

 

一期弘法書は既に論を重ねて来た如くであって、十月十三日御入滅の日であることは動かせないと思う。

 

   五、後記

 

親本を誤りなく書写することは実に難しい。日耀(日辰本)に「身延山」を「身遠山」と書いているのは恐らく書写の際の誤りであろう。それは日耀以前の写本全部が「身延山」となっているからである。

 

このことについて日辰は「身延山抄見聞」の中に「身延山一書(に)身遠山(に)作玉(ヘリ)定(テ)有(二)意趣(一)か」と書いている。

 

一書とは或書と取るべきか、若し伝承本三本(大石寺・重須・小泉)の中の一書と解釈すれば、重須本か小泉本の何れかである。

 

伝承本三本共に「遠」であれば一書と書くかどうか、恐らくは書かないものと思う。そうすれば伝承本三本の中の一本が「遠」で、二本が「延」であれば「遠」は誤りであると見てよいだろう。

 

 この日辰の記を見れば、重須本が「遠」であったのであろうということも一往は考えられるが、これは日耀が写し誤ったのではなかろうか、何故ならば、日廣(十六代)と日辰(十九代)の写本は約九十年の隔りはあるが、同じ重須本を見て書写しているのである。にもかかわらず日廣本は「延」となっているからである。

 

 又、日廣本は要山所蔵で其の全形は見られないが、多宝蔵の大遠日是の転写本は、「延」となっているし、富谷日震が日耀本の「遠」の字を取り上げて論考しているが、日廣本には何も触れていない。

 

 したがって、比の点から考察しても重須本は「延」であったのだろうということは推定できる。

 

身延山が身遠山となっていても(「遠」の)←(※おそらく誤植か)身延山と身遠山の「延」と「遠」とは、その字義は研究を試みても全く会通がつかない。

 

 日辰も一往は考えたのであろうが「身延山一書身遠山作玉定有(二)深意(一)か」と書いているだけであって、これでは遠の字に対する深意ある明解とは云えない。

 

 富谷日震も此の問題を取り上げてはいるが確たる結論も出ていない。して見れば御正本は「延」であり「遠」は間違いということになる。

 

 尚現行の御書全集(※学会版のこと)等には身延相承書(大石寺系のみ収録)が十月となり、一期弘法書が九月となっているのは、各山互に壁を高くして、同門内の者にも相承書の如き重宝を拝観させることをしなかった封建的な時代に、唯だ日辰のみが、正本として伝承する重須本を書写せしめて世に開版したので、一躍日耀書写の二箇相承(世に日辰本という)が余りにも有名になり、各門流挙って日耀本を取り上げたためであろう。

 

 富谷日震も「此の一期弘法抄が坊間に喧伝公開されたのは我中興日辰上人に濫觴するか」と迄述べている(講習録ニー九)

 

いづれにせよ日附の異りに古来異義のなかったことは不思議であるが、これは大石寺が宗祖大聖人の正義を厳護し来って他山に迎合せず、近来迄御書・相伝書・古文書等の重宝は堅く秘蔵して公開せず、又他山に於ては二箇相承の如きものは、つとめて敬遠していたからであろう。

 

 唯だ多くの写本の中で、当山十四世日主上人の写本のみが日附は日耀本と同じではあるが、身延相承を先に、一期弘法書を後に次第してお書きになっておられるのは、其処に意を留められ疑問をお持ちになっておられたのではなかろうかと拝察するのである。

 

 いずれにしても、二箇相承は古来、日附について異同があること、又真蹟が紛失したと云われてから三十年後に真蹟を拝したという記録があること、又二系統の二書の文字に余りにも多くの異同があること等を考えれば、この問題は今後の研究に俟つところが多分にあると思うのである。

                 (昭和五十三年六月二十三日稿)

 

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181.二箇相承、御正本の本来のお姿。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月28日(土) 20時49分

 

三、日興上人阿闍梨号授与の時期からの考察

 

左京日数の類衆翰集私と六人立義破立抄私記の中に引用する身延相承は共に「白蓮日興」となってをり、一期弘法書は「白蓮阿闍梨日興」となっている。

 

 これに対して日現・日耀本は両書共に「白蓮阿闍梨日興」となっている。

 

大聖人の門下の阿闍梨号には、大聖人から授与されたものと、門下に入った時既に阿闍梨号をもっていたものとの二た通りがある。

 

弁阿闍梨  (文永十一、異体同心事   新定ニー二二三二)

大進阿闍梨 (文永 八、五人土龍御書  新定一−七二〇)

大和阿闍梨 (文永十一、法華行者値難事 新定ニー一〇五五)

助阿闍梨  (文永十二、新尼御前書   新定ニー二三四)

大貳のあさり(弘安元、兵衛志書     新定ニー一八二八)

 

は後者に属し、日興上人・日持・日朗は、大聖人から授与されているが、中でも日興上人は最も晩年に授与されている。

 

 そこで日興上人への阿闍梨号授与の時期を二箇相承以外の文献から判定して、そこから立返って二箇相承の次第を考察してみることにする。

             

(※1)最も早い時期では、弘安三年正月十一日の百六箇抄で、その末文に「白蓮阿闍梨」の名が見えるが、同文の中に

「就(レ)中定(二)六人遺第(※弟の誤記か)表示如(二)先々沙汰(一)」と書かれている。(聖三七〇)

 

 而るに六人の弟子を定めたのは弘安五年十月八日(御遷化記録中文、聖五八一)であるから、この百六箇抄は、それより以後ということでなければならないということになる。

 

ところが百六箇抄のこの「就中定六人」より下文は後加文であるというから、もともと百六箇抄に付いていなかったものとすれば、此の百六箇抄の系年は再検の余地がある。

                                                

 今一つは、百六箇抄の下種本迹勝劣四十三条に「三箇の秘法建立の勝地は富士山」云云(聖三六七)と、最勝の地を富士山と指定してされている。にもかかわらず、弘安五年四月八日の三大秘法抄に「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(聖三〇二)と仰せられて、未だ富士山とは明示されていない。

 

 百六箇抄の写本には系年の無いものと、有るものとがあるが、この書を弘安三年一月に系けると「就中定六人遺弟」の時期と、三大秘法抄の「最勝の地を尋ねて」の文に矛盾が出てくる。このような矛盾のある百六箇抄を弘安三年一月に系けるには疑点があると思う。したがって百六箇抄は後加分を切離し無年号として弘安五年十月八日以後に置くべきであろう。

 

 故に弘安三年一月に日興上人の阿闍梨号を初見とすることはできないので、この時期は問題外となる。(※2)

 

(※ 宿坊らがこの ※1〜※2にかけて噛み付いて来るだろうが、当方ではこの問題は完全に解決済みである。どのような陳腐な疑難を吐き垂れて来るのか見届けてから完砕しよう。)

 

 次に「五大のもとへ御書」である。此の書の中に伯耆阿闍梨の名があるが、此の書は系年不明である。晩年の御筆法であるが、書中の伯耆阿闍梨は白蓮阿日興上人を指しているのかどうか、文の内容から考えて決定し難い、或は同名異人説も考えられる。

 

 次に弘安五年二月二十五日日朗代筆の伯耆公御房御消息(新定三−二二七六)では「はわき公御房」となっているから、それ迄は房号を用いていたのであろうということが考えられるので阿闍梨号授与の時期は弘安五年二月二十五日以後ということになる。

 

 したがって此処ではっきりするのは、御遷化記録中の文の弘安五年十月八日に「白蓮阿闍梨日興」(定弟子六人之事中)とあるのが明白な初見ということになる。故に日興上人への阿闍梨号授与の時期は文献上に見るかぎり御入滅五日前の十月八日であると見るのが正しいと思うのである。

 

 故に異日二箇相承の中で、身延相承は未だ阿号の授与されていない時の弘安五年九月付で阿闍梨の文字のないもの、又一期弘法書は弘安五年十月八日阿号授与以後である十月十三日の阿闍梨の文字が付されているものが正本の形を留めるものであり、正しい両書の順序を示す写本でああるということが考えられるのである。

 

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180.貴殿らの卑劣さはまだまだ続いている。正に「人の皮を被った畜生」である。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 20時35分

 

▼坊や、正筆に非ず偽書謀判也と言っていますよ!

よく読みなさい。」

 

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● さあ、ここも貴殿の悪辣な、嘘つき、不誠実 且つ 不正直、の腐った根性が更に露見した箇所であり、ニセ本尊を拝んでいると、まさにこのように愚悪・愚劣・卑劣な変節漢と成り果てるという現証を目の当たりに見聞できて、全国の法華講員・学会員双方にとって、貴重な資料となった。ありがとう。

 

今後もこの調子でこのような俗悪な「切り文によるスリカエ」を連発してこのスレッドを賑わして下さい。

 

では、範道師の既戴の論文の以下の部分を掲載させて頂き、まず宿坊氏らの欺瞞を暴き、更には今後の二箇相承に対する疑難への破折の手引きとさせて頂きたい。

 

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 さて重須本のことであるが、日廣や日耀が写したものや、駿府城に奉持したという重須の伝承本は正本ではなくて、花押迄模写したところの古写本であったのではと思うのである。これは次のことから推定できる。

 

▼▼▼即ち越後本成寺の日現は「五人所破抄斥」の中に二箇相承を挙げて次のように書いてある。

 

  「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。

 されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」(宗全七−一八二)▼▼▼

 

(↑ここが今回の宿坊氏らの引用箇所。

 

前段から読めば明白であるが、ここの意は「重須の伝承本は正本ではなかったのではないか?というという仮説に対しての傍証としての文献を例示したまでのことである。

 

決して範道師が「二箇相承の御正本がかつて存在していた。」という事実を否定しているのではない、と言うことは、高校生レベルの読解力があれば容易に理解できるところである。

 

宿坊氏らはニセ本尊の猛毒によって、おそらく、高校生程度の知能をも失ってしまったのであろう。真に哀れむべき生き物たちである。)

 

 

 

 これでは日現は何処にあったものを書写したものか、又何処から「日代筆に似たり」と云うことを聞いたのかはわからないが、他門には早くからこのような云い伝えがあったのだろうということは考えられるのである。

 

 越後本成寺は門祖に日朗を立てて日現は八代となっている。不思議なことに、西山本門寺十一代日心の頃の過去帳に、本成寺九代目覚の序文が載っている。

 

 西山本門寺と越後本成寺との関係は研究の余地はあるが、何れにせよ古くから両寺の交流のあったことは認めてよいと思う。

 

とすれば、日現の「重須の二箇相承は日代筆に似ている」という説は、直接西山本門寺から本成寺への流言であると受けとれば、この聞き伝えは真実性が出てくる。

 

次に西山本門寺蔵の日耀写本(世に日辰本と云う)は臨写本であると云い伝えられているが、古文の書写の方法には四種類ある。

 

即ち、双鉤?墨と影写・臨写・見取書きである。このうち臨写法というのは、親本を横に置いて、これを見ながら、親本の書体、字配り、行数等を出来るだけ忠実に写し取る方法で一般には模写とも云われている。

 

 故に臨写本というのは行数や字配り、筆法が親本(真書)に良く似ていなければならない。然し乍ら、正本を臨写したという西山蔵の日耀本は、その筆法を校合してみるに、大聖人の御筆法に似た点がないということである。

 

したがって日耀が親本とした重須本は大聖人の真蹟ではなかったということが考えられる。

 

西山本門寺と本成寺の関係や日現の記文等を考え合わせてみるに、重須所蔵(曽存)の二箇相承は日代筆写のものであったのではなかろうかと推定されるのである。

 

日代は聖滅十三年に出生して、開山上人に常随している。日代筆写の二箇相承であれば先づ門下最古の全文写しの写本であると見て良いだろう、したがって重須では之を重宝中の重宝として取り扱い、正本であると誇示し伝承するぐらいの価値は充分であると思うのである。

 

さて両系の選択であるが、端的に云えは、一期弘法書が九月となっている重須・要山の一系統に対し、十月十三日となっているのは大石寺(日教)と別系(日現)の二系統があるということは、先述の文献的考察からみれば同一のものが二系統あるものの方が有力となると考えるのであって、身延相承書は九月、一期弘法書は十月となっているのを正統なものとして取り上げて良いと思うのである。

 

 

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179.キツネやタヌキ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 17時0分

 

最近妙観講のキツネが出てこないな!

何処をほっつき回っているのか!

 

早く出てきて、「彫刻本尊」を客観的に証明しなさい。

タヌキは悲鳴を上げているぞ!

 

『日蓮正宗史の基礎的研究 故山口範道御尊師』が

日頂の「本尊抄得意抄添書」に「二箇相承書」の記述があるのだと

言ったところで、

 

日頂自身がそもそも存在しない「二箇相承」を見ることはありえません。

 

歴史舞台に現れる順番が大切なのです、

 

本尊抄得意抄副書が「二箇相承」以前に書かれていて、その時点で「二箇相承」の

 

記述がなければ、本尊抄得意抄副書をモデルに、「二箇相承」を創作した。

 

本尊抄得意抄副書は日蓮宗宗学全書でも偽書扱い。

 

君たちは証明もできず、

大石寺という日蓮系一寺院だけの

「自主申告・出世の本懐本尊」となるのだよ。

 

わらぶき正宗に「戒壇の大御本尊」・「二箇相承」・「日興跡条々の事」

日目から日道に金口嫡嫡唯授一人血脈相承なんて、

あるわけ無いだろ、坊や。

 

日顕とすべて同じ!

すべて偽物!

だいたいおまえ達が本物と証明出来ないジャン。

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178.樋田君、

 

名前:宿坊 日付:5月28日(土) 16時36分

 

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

 

身延に「本門戒壇の大御本尊」 があったと言うことを早く証明しなさい。

 

 

弘安2年の大本尊は

 

@万年救護本尊  A戒壇本尊

 

日道上人の「三師御伝土代」並びに、本尊書写の文献

「御本尊七箇相承」 「本尊三度相伝」がある。

 

本尊三度相伝には

「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、」

 

 

三師御伝土代には

「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼陀羅なりと図シ給フ御本尊に背ク意は罪ヲ無間に開く」

 

 

本尊七箇相承

「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ」とある。

 

このうち、弘安二年で「二千二百三十余年」の条件を満たす、

御本尊は現存しない。

 

大石寺の創作板本尊「本門戒壇の大御本尊」 が「二十余年」であり、

石山きっての論師「れいな殿」は「三十余年」と啖呵を切って無知をさらけ出したが、

貴君は上古の文献宗祖の教えに反することを認めるか?

 

困ったね、樋田君どうする〜〜〜〜〜?

 

しかし「百六箇抄」は君が敗北したのですよ、

ちゃんと謝らないと、人の道に外れています。

 

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177.横レスさんへ

名前:宿坊  日付:5月28日(土) 16時0分

 

>徳川幕府の史伝である徳川実記には北山本門寺が徳川家康に二箇相承を

示して北山本門寺こそ日蓮聖人の中心門下であるということを

ときの為政者に働きかけているのですよ。

 

 

当然知っています、坊やが言う前に。

大石寺の言うところの「二箇相承」は大石寺の文献ではないのです。

他宗のをいい言葉で言えば拝借し、悪い言葉で言えば盗んでと言うことでしょうか。

 

それも大石寺歴代法主自ら

「亦古来より貴山(北山本門寺)に蔵せりと聞く所の二箇の御相承の如きは」

とすでに大石寺の相承書ではないと認めています!

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176.二箇相承書は日興上人から日目上人に相伝されなかった。

 

名前:宿坊  日付:5月28日(土) 15時53分

 

二箇相承は武田勝頼によって奪われる以前、北山本門寺・重須にあったとされている。

 

大石寺歴代の血脈相承について、日蓮大聖人から日興上人の血脈は、「二箇相承」によって証明されるとしている。

 

又、日興上人から日目上人は、「日興跡条々の事」によっての証明されると言って来ました。

しかしながら、「二箇相承」は、大石寺の後継「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」を証明する一番大切な相承書が、大石寺に存在しなければならないはずであり、武田勝頼によって奪われたにしても、それは日蓮正宗・大石寺にあって、そこから「二箇相承」が奪われたという事でないと筋道が通りません。

ところが奪われたのは北山本門寺・重須から奪われたのです。

 

 

日興上人が、重須に日代という後継者を立てられていて、いろいろな重宝を譲られている事からも大石寺の血脈相承、蓮→興→目→道は存在しなかったのではないですか。

 

 

身延離山史の「類聚翰集私」に二箇の相承を記録していると記載されています。

 

【類聚翰集私】

「私に云はく此の御仏法を聖人・白蓮に御付属の御判右に在り。

釈尊五十余年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出出家共の輩は非法の衆たるべきなり・弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図す。」

 

武州池上ではなく甲斐の国波木井郷・山中に於いて之を図すと書かれています。

 

【御書】 1600頁

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。

身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年壬午十月十三日 武州池上

   日蓮 在御判

 

中身が違って日付も違います、9月と10月とでは  「付属す」と 「相承す」も。

 

同じ文面の相承書が何故、池上と身延になるのか?

 

同じ内容の相承書の日付が一ヶ月違っています。

 

日蓮宗宗学全書第二巻33頁に「日蓮日興一本有ニ甲斐国波木井郷於山中図之十二字」

ににも、甲斐の国波木井郷・山中に於いてと書かれています。

 

日興・日目・(大石寺系)日道・日行・日時・日有・並に本弟子6人・新弟子6人の

「二箇相承」に関しての記述の文献が存在するのでしょうか?

 

日興上人の時代に、身延もしくは石山に弘安二年十月十二日の「本門戒壇の大御本尊」 が存在していたことを是非証明なさってください。

 

大聖人は湯治のために9月8日に身延を出発されていますが、本来身延にいらっしゃらないはずなのに何故9月13日の日付が記入され、身延在中に執筆を示す身延相承書が存在するのですか。

 

大石寺が引用する「二箇相承」は日辰本の写しですが、その中に身遠山の「遠」字の写しが間違っています、大聖人の遺文には(真蹟 ・録内)、まさしく身延山と間違わずに書かれていますが、日辰本と矛盾しますよ。

 

 

大石寺の公式見解ではたしか、日興上人は重須に隠居されたことになっているはずです。

当然相伝書等の重宝は、日目上人に相伝され大石寺建立の翌日にお座代わりをし、

法を内付されています。

 

日興上人御遷化の前年に日目上人に対して、「日興跡条々の事」を認められて

「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」されたことになっています。

それでも尚かつ、「二箇相承」や、「宗祖御遷化記録」を日目上人になぜ相伝されなかったのでしょうか?

 

これこそ逆に不自然で、到底考えられないことです。

北山本門寺・重須にて日興上人は、日代上人と言う後継者を立てられたのですから。

 

「二箇相承」の 「身延相承書」には、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」とあります。

これは日興上人に個人的に与えられたものではない物事の中心となるおもむきが書かれており、この文面は血脈相承が今何処にあるかを示す意義が含まれている事になります。

もし日目上人に「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」がされていたのなら、

「二箇相承」は当然それを所持している日目上人に、宗祖の血脈が流れていることを証明する大変重要な公式文書として、日目上人に相伝されたものと考えるのが一般常識だと思いますが、どうでしょうか?

 

 

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175.家中抄には

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月28日(土) 15時42分

 

大石寺が今まで言って来たことは、これは真実なのですか?

それとも歴代法主が言って来たことは事実に反し、嘘偽りを言って

在家を騙してきたと思うのですが、是非ここで真実を述べてください。

この文献は間違っているのですか?

それとも正しいのですか?

 

@ 1662年・寛文2年12/18 (滅後381年) 17代日精 「家中抄下」(富要 5-244 )

或る時・日法・御影を造り奉らんと欲す・七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか・浮木出来せり、此の木を以って戒壇院の本尊を造立し・次に大聖の御影を造ること已上・三躰なり、其の一躰は纔に三寸なり・上行所伝抄の意なり、大聖戒壇院の本尊を書し日法之を彫刻す・今の板本尊是れなり

 

戒壇板本尊は、日法が七面大明神に祈念し、手にした木により造立されたのですか?

 

違うというのなら、大石寺において「大聖人出世の本懐」と位置付けられる戒壇板本尊を表現するのに何故、日精はかようなことをここに記述したのですか?

 

伝説資料を引用しただけというなら、何故に戒壇板本尊と伝説資料をセットで記述するのですか?どこにその必要性があるのですか?日精は伝説ではなく、事実だと思っていたのではないですか?

 

「事実だと思うわけがない」というのなら、日精がここに七面大明神を引き出した意味、理由を明確に説明しましょう。

 

日蓮系の各派を問わず、大聖人の真筆(とされている、自称している)本尊を述べるくだりで、理由はともかく、「七面大明神」を引用記述している宗派がありましたら是非教えてください。有ったとしたら、日蓮正宗はそれと同類ですね。無かったら、自山で日蓮出世の本懐と位置付ける戒壇板本尊(当方は認めてないが)に、七面大明神をセットする日蓮正宗は、やはり異常ですね。

 

ひょっとして、日精にしてみれば、戒壇板本尊は後世の創作物だからどうでもいいや、とかようなことをいったのですか?

 

違うというのなら、やはりその理由を明確にするべきです。

 

大聖人が御本尊を教示される際、「門下某が七面大明神に祈念し、手にした木により造立」という文証はあるのですか?

 

無いのなら、大聖人の教示にないことを平然と行なうのは師敵対とならないのですか?

 

「いや、それは伝説だからいいんだよ」というのなら、大聖人が本尊の教示に伝説を引用してもよい、とされた御文を示しましょう。

 

A 1823年・文政6年5月 (大聖人滅後542年) 48代日量「富士大石寺明細誌」には

(富要 5-334 )

「 一、本門戒壇の板大漫茶羅 一幅

日蓮聖人筆十界勧請御判の下横に並べ、現当二世の為め造立件の如し、本門戒壇の願主、弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日と、末代不朽の為に楠の板に書く厚さ二寸二分竪四尺七寸五分横二尺一寸五分なり、彫刻は中老僧日法に之れを仰せ付けらる、地黒塗文字金色なり、広宣流布の時に至り勅宣御教書を申請け冨士山に本門寺戒壇を築く可き用意と為て兼て之を造り置かる、此御本尊は宗門の肝心蓮祖出世の本懐日興所属の簡要当山霊宝の随一なり、」

とあります。

 

少し前には

「同(弘安)二年・弥四郎国重なる者・一説に南部六郎実長の嫡男と云ふなり、霊端に感じて良材を得以て蓮祖に献ず、蓮祖満悦し本門戒壇の大御本尊を書して日法に命じ之を彫尅せしむ、日法材端を以て蓮祖の小影を作る、作り初の御影とも最初仏とも号す、右二種大石寺宝庫に安ず、蓮祖又日法に命じて等身の像を模刻せしむ・生御影と号し重須の寺に安す、此三種を師(日興)に付与せらる」(P320)

とあります。

 

その弥四郎国重の霊瑞の内容は

「古伝に云わく、此木甲州七面山の池上に浮び出て夜々光明を放つ、南部六郎実長の嫡男弥四郎国重之を取り上げ聖人に献ず等云云」P334

ということです。

 

「七面山の池上に浮び出て夜々光明を放っていた材木を弥四郎国重が取り上げ、大聖人に献上し、大聖人が筆で認め、日法が彫刻した」この話しは事実なのですか? 伝説なのですか?

 

伝説なら、何ゆえ、大石寺の戒壇板本尊を大石寺の什宝として紹介するところに、かかる記述があるのですか? その理由を明確に説明しましょう。

 

大聖人が御本尊を教示される際、「池上に浮かび出て夜な夜な光明を放っていた材木を使用して」といわれた文証を示しましょう。もし、無いのなら、宗祖の教えにないことを平然と行なうということは師敵対ではないのですか?

 

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174.コピペの論文は駄文

 

名前:宿坊  日付:5月28日(土) 15時40分

 

山口氏の論文をいくらコピーしたとて、「本門戒壇の大御本尊」の証明にはなりません。

 

その板本尊造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

 

「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されているはずです。

その文献を出してくださいと言っていますが無理なのでしょうか?

 

前にも記しましたが、大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけです。

 

大石寺から「彫刻本尊」を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していましたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何人の御弟子さんが、

雪の道のないところを運んだのでしょう。

 

原木の丸太は何年かけて乾燥させたのですか?

数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す行程を、

わずか二十一日間で「彫刻本尊」をどのようにして

作ったのか、それを証明してくださいと言っていますが、

まだ客観的に証明されていません、宜しくお願いいたします。

 

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173.横レス失礼→ 宿坊殿

 

名前:大山  日付:5月28日(土) 12時50分

 

 宿坊殿、あいかわらずれいな氏や法太郎氏に反論不能であったものを

だれかれなしに相手を変えて論じているようですね(笑)。

 

 

 あなたの出来るせいいっぱいの最後の砦とは。

 

 法華講員に負けたらつぎの法華講員をさがして。

 

 れいな氏や法太郎氏には反論はできなかったが。

 

 ほかの法華講員を探して同じ論題で勝負するということでしょう(笑)。

 

 それも除々に突き崩されているようですね。

 

 ご愁傷さまです。

 

 あちらこちらで創価学会員が逮捕やら事故やらで世間の話題を集めています。

 

 遠山の金さんならず、創価の金さんのご活躍を期待しています(笑)。

 

 

 

 徳川実記 が俎上にのりましたか。

 

 桶田氏の指摘の通りのそのとおりなんです。

 

 徳川幕府の史伝である徳川実記には北山本門寺が徳川家康に二箇相承を

 

 示して北山本門寺こそ日蓮聖人の中心門下であるということを

 

 ときの為政者に働きかけているのですよ。

 

 事実はいかに。ということです。

 

 

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172.さあ!

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月28日(土) 0時36分

 

潔く実名を名乗り、謝りなさい!

 

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171.よくもまあ、こういう嘘をぬけぬけと言えるものである。唾棄すべき人間性である。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月28日(土) 0時34分

 

 

したがって両相承書は大石寺系(正)と重須要山系(傍)と反系の三系統となるが、目附の系統から分けると二系統となるのである。この両系の異日のどちらを取るかということであるが、その前に重須の真蹟曽存というのは最古の写本ではなかっただろうかと思うのである。

 

 何故ならば、.二箇相承が武田方に奪われて紛失し、日我等の紛失証明が残っているいるにもかかわらず、その後三十年して重須の養蓮坊(日建代)が二箇相承を駿府城に捧持して家康に拝見させたという記録があるからである。

 

     駿府城奉持の事 駿国雑誌に云く、

 

「日蓮校割相承文」富士郡北山村字重須多宝富士山本門寺日蓮宗寺領にあり。

駿府政治録云、慶長十六年十二月十五日今晩不二本門寺校割二箇相承後藤庄三郎光次備(二)御覧(一)其詞云、是以按之、日蓮爾前経不(レ)捨事分明也。後「未」=(未に「ノ」を加える)到釆未派暗(二)本源(一)而僅以(二)四十余年未顕真実(此ノ文無量義経ニアリ)之一言(一)爾前之教可(レ)棄(二)損之(一)。是非(二)祖師之本意(一)者也。

於(二)御前(一)有(二)沙汰(一)云云。北山本門當住職日■云、慶長十六年十二月仏法相承之儀被(レ)為(二)聞召(一)十日御尋沙汰有(レ)之、其時之住持日健眼病相(二)愁之(一)則役僧養蓮坊を以同十四日駿府に着同十五日登城後藤庄三郎取次を以奉備上覧二箇相承文に日(以下二箇相承全文記せり)

         以上(駿国雑誌巻之三十一中七四頁)

 (註)交割(引渡し)校は借字、新旧両官が事務の授受をなすことを云う。

 

又紛失後三十五年して要山日陽が重須に至り二箇相承を拝したという記録があり(要五−六〇)

更に又近代では興門口決初(妙観文庫本)に

「明治十年六月十三日来た山本門寺に而御風入之節御相承二箇相承御真筆奉拝也 信領坊日體(妙蓮寺三十九代)」 と書付ている。

  (註)明治十年のものは現存しているものを指すと思うが、これは花押もついているが明らかに写本である。(写真図書館)

 

御真筆が紛失したという文献より三十年も後において、御真筆が存在したという文献が残っているというのは実に符におちないことである。

 

  日我は天文十四年(一五四五)の申状見聞に

「両状の御大事血脈相承は目上への御付嘱也。然るに開山重須に御住の時、日々従(二)大石(一)御出仕と」(要 四ー〇六)と記されている。

▼▼▼「二箇相承は武田方に奪われて紛失した」と今も伝えられているが、それは真実真蹟であったかどうかは少々疑わしいと考える。▼▼▼(=ここが今回の学会側の引用文。まさに切り文によるスリカエの典型とも言える。)

 

 以上のことから考察すると、御正本は大石寺創立當時には現存し、これが上代から日有上人の頃の書き物の中に引用され、それがたまたまの日教の書き物の中に、その原文が写されて残ったのであろうということが考えられる。

 

 日教は類衆翰集私の中で「聖人白蓮 御付嘱 御判在(レ)右」(正本雪目一一七・研教三−三三)と迄書いているから、真蹟二箇相承の大聖人の花押が特に右寄りであるのを日教が拝したものか、或は又、客殿の譲座本尊の日興上人の御署名花押が他の本尊と異って右に在るように、「御判在(レ)右」という相伝的口伝を聞いて入念に書き留めたのではなかろうかとも思うのである。

 

以下次回。

 

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170.学会のお家芸、「切り文によるスリカエ」の犯行現場を押さえた!

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月28日(土) 0時33分

 

●>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』

 

 

▼山口範道氏が御正筆に非ず偽書謀判也と既に破折をしている。

富士学林 図書館長(山口範道)

「二箇相承は武田方に奪われて紛失したしと今も伝えられているが、

それは真実真蹟であったかどうかは少々疑わしいと考える。」

             (日蓮正宗史の基礎的研究42頁)

 

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●ここは貴殿ら創価学会のお家芸「切り文によるすりかえ」の典型である。

こうまであからさまなこの手の犯罪的行為の現行犯現場に出くわすとは真に幸甚である。

 

では貴殿らの浅知恵による謀略を暴く為に、また法華講員さんへの研鑽の為に、当該章の全文を掲載し、二箇相承への義難の全てを粉砕する。

 

『両系二箇相承日附の考察』

 

   二、両系古文献の選択について

 

 正筆の鑑定が出来れば問題はないが、古文書の真偽論は正筆の無い場合に起る問題であるということは当然の事であろう。

 

 正本のない古文書は、時代写しか又は正本年代に最も近い写本が原本の形状を最も多く留めていると見るのが一往の常識で、その価値も最高であることは通論であろうと思う。

 

一つの事蹟に対して数通の異説古文献があって、その中より一つの事実を証拠立てようとする場合、その原本の形状を留める文献が一通しかない場合は立証価値が弱く、証拠文献が二通以上あるものは立証価値が強くなるものであると考える。   

            

 この二箇相承の場合、重須の伝承本と大石寺の伝承本(或正本か)と、他の反系に流れていた伝承本との三系統があったものと推測されるのである。

 

 これを証明するに足る理由は、次の文献より窺えるのである。

 

 すなわち、真蹟か写本かの区別はわからないが、大石寺と重須と小泉に、それぞれ伝承本が一本づつあったということは、会津実成寺の宝物記録に左の如き日辰の記がある。

 

『血脈相承三幅、二幅は裏に「弘治二 (一五五六)丙辰年七月七日目優宗純寂円幸次等於駿州富士郡重須木門寺令拝見之畢今欲趣泉州故記之千時永禄三庚申年八月十三日 又永禄二己未年正月十二日奉拝見之日辰」と書し。

 

一幅には「永禄二己未年正月十八日於小泉久遠寺書之重須日出上人寺僧本行坊日輝丹後讃岐民部卿京主目玉等熟披見此書写老也。此外大石寺有一紙御付嘱状是廣格異耳 要法寺日辰」と書す。共に華押あり。(新編会津風土記巻之十五−二一六)

   (註) 廣格異耳  三幅共に堅横の寸法が異っていたという意味

 

 右記によれば、大石寺と重須と小泉に伝承本があったことを日辰は証明していると云えるのである。

 

 其の他にもう一つの伝承系があったということは、日教と越後本成寺日現は両相承書の配列次第と日附は同じであるが、日教と日現のものは先掲(十八・十九頁) の如く文字の異同が余りにも多い。

 

これだけの僅か八十字位の短文の二紙の中でそれぞれ十二ヶ処も異なっているということは、日教と日現は同一系統の伝承本を見て書写したのではなく、全く別系統であると考えられるのである。

 

 小泉のは転写本も無いので茲で取り上げられないが、日廣・日耀(日辰本)は共に同一の重須にあったものを書写したのであるから重須系であり、日教は大石寺系であり、日現は反系伝承で別系である。

 

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169.「百六箇抄」は大石寺の相承書ですか?

 

名前:宿坊  日付:5月27日(金) 20時19分

 

戒壇板本尊は創作物、二箇相承書はよその寺の偽書を借用、日興跡条々事は手作り、唯授一人金口嫡々血脈相承は日蓮・日興と関係なし、両巻血脈抄も日尊門流のものを借用、御本尊七箇相承は偽書、各種相承書も真筆なし、相承箱は正体不明、おまけに「相承を受ければ学不学によらず生身の釈迦・日蓮」「ゲイカは生身の御本尊さま」「ゲイカは現代の生身の大聖人さま」「教義の裁定権・法門の解釈権はゲイカの権能」等々・・・。

こんな宗派に入り、従わなければならないとは哀れ哀れ。

事実上「判断停止・思考停止、信伏随従とにかく盲信」が一番大事とはね。

 

 

「後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり。」(富要1-25)

 

と注記しているのを引いて、何を考えたか「この部分は一本線だから正義である」と言い訳をしています。おそらく、「支吾」の意味を「誤り」とでも解釈したのでしょう。「誤り」がない=正義である、という短絡思考の日顕宗らしい早とちりですが、正しくは「支吾」とは「枝梧」と書き、「ひっかかり」というほどの意味なのです。

 

日亨上人は、後加文だがカチンとは来なかったので一本線にしたということなのでしょうが、これを「正義」とまで祭り上げられては、草葉の陰で苦笑いされておられることでしょう。

 要するに我々は、大聖人の言葉を根本として仏法を実践するのであって、どこの誰が書き加えたか分からない代物を根本にはしない、ということなのです。

 実は、この文の直後には、堀上人が二本線を引かれた文章で、

 

「六老僧をないがしろにする事勿れ」(富要1-21)

 

というものがあり、邪宗日蓮宗の者が書いた後加文だということが明らかなのです。

 また、「疑義ある所」として二本線が引かれている箇所に、相承書である「御本尊七箇相承」の「又本尊書写の事・予が顕し奉るが如くなるべし」から始まる重要な文章が3行にわったて含まれているのです。

 

日顕宗ように後加文を根本にする誤りを基準とすると、二本線を全て邪義であるとした場合は「御本尊七箇相承」も邪義だということになり、逆に二本線でも正義であるとした場合は、誤りを犯さないはずの法主(ここでは日亨上人)が誤りを犯したということになるのです。要するに結論は、後世の誰だか分からない人間が勝手に書き込んだ言葉は、基準にしてはならない、ということなのです。

 たまには後加文ではなく、ちゃんと「大聖人の言葉」を引いたらどうだ!と責めてやりましょう。

 

 

「宗門古典 扱方諮問録」

(相承書の後加について真偽を判定した記録)

 

 

一、興起

昭和二年七月二十六日午前に水谷宗務総監、有元権僧正、阿部権僧正を大奥に招き左

の四項に付て法主より諮問したる上、第三項に依ることを決定し更に此三名の外に小

笠原教頭、福重講習会講師を加ふる事に決す。(有元.阿部両僧正は態と招致せられ

たる者、他は常住又は居合せたる者なり)

 

《惣問案》

宗門古典たる本因妙抄、百六箇抄、産湯相承、本尊七箇、教化弘経七箇、文底口伝、

引導口決、神天上、本因妙口決等已上。宗内外に疑議ある古典の扱ひ方決定を要する

に付て左の四案を得たり。

 

第一項

全然依憑すべき聖典にして此れ修正を加ふる等は恐擢も甚し。唯仰いで信ずべし。

(若し然らば疑点の会釈如何)

'

第二項

全然偽書にして宗典より除却し更に此を宗内外に公表すべし。

(若し然らば全然偽書たるの明細なる理由及び此を引用せる先師をも謬見者と定むべきか如何)

 

 

◎百六箇抄の部

「具謄本種正法実義」より同五行削除。

全く使えません、

おわかりかな坊や!

「百六箇抄」はそもそも大石寺の文献ではない。

 

そうそう、「宗教に関心を持とう掲示板」の「通行人@学会員」さん、よろしかったら、下記へへどうぞ。

 

http://www.sfken.net/easyBBS/bbs.acgi?r=room_01&BBS_MSG_050527123056.html

 

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SF研です。懐かしいですね、復活していたようです。学会員同士で「学会の信心は、今も昔も『大御本尊根本』か?」でスレッドが立ち上がっています。

「お寺の掲示板」もいいけど、「同志主催の掲示板」でもいかがでしょうか。

お待ちしています。

 

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168.口中癌になるかもよ。御文から推して。気をつけなさい。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 15時41分

 

▼>日興跡条々事

 

「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。

 

日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。

 

●まず、御霊宝御虫払い法要に来て、しっかり目の当たりに拝したら?って貴殿には最早永久に出来ぬ相談か。

 

では日興上人御真筆ではなく、更に偽書である、と、客観的な事実において明確に証明してみせよ。出来まい。出来るわけがない。

 

それも出来ずにただ難癖をつけていうのは、物陰から覆面を被ったまま妬んで悔しくて吼えまくっている臆病者で弱虫な卑劣漢の仕業である。

よくよく根性の腐り果てた人間である。

 

もし、真筆が確認されていないものを信じないのならば、生死一大事血脈抄他御真蹟の所在が不明の御書の御文を今後一切用いるでないぞ。よろしいな。

 

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●>日布上人仰せの如く、

 

▼日布は「板本尊」に何の関係もありません。

 

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●いけませんね。こういうものの言い方は。

 

御本尊書写の資格のない者、どころか一大秘法・三大秘法から転落して奈落の底まで転げ落ちて、その暗闇から誹謗の言を吐くことしか能のない貴殿が、こういう生意気な事を言ってはいけませんね。

 

■「軽慢止まざれば舌口中に爛る」

 

貴殿のその口がN副会長のように口中癌か何かに罹って、顔下半分近くも削り取られてその惨めな様を晒しながら絶命するようになりますよ。

 

いよいよ慎みなさい。恐れなさい。

 

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167.疑義の二線箇所も知らないとは!本当に大丈夫?

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 15時12分

 

●>百六箇抄

「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

 

▼そのすぐ後に「六郎僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、

これはいいんですか?

御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と

書かれているだろ、坊や。

「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。

日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。

坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。

弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?

これだけでも完全にタヌキの首は落ちている。

 

**********************************************************

 

 

●本当に貴殿は勉強したことがあるのか?と真剣に問いたい。

いや、きっと知能の程度的に何度教わってもきっと理解できなかったんだろう。

 

それとも当方からの破折に悩乱したか?

 

1、当該御文

 

■「就中六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し云云。但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

が「後加文」であることも知らないの?

 

もしかして本当に ○゙か か?

 

しかもこの箇所は日亨上人仰せの、後加文であるが、「義に於いて支吾(枝×梧=逆らうこと。食い違うこと。)なき所」である「一線」のみである。

 

後加文であるが故に、「六人の遣弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し」との御記述があっても何等不思議でもなければ、時系列的にも矛盾はしない。

 

2、▼「そのすぐ後に「六郎(※ママ 郎=老)僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、

これはいいんですか?」

 

●あまり言いたくはないが、馬鹿の見本のような箇所である。

 

その文は日亨上人が「後加文と見ゆる分の中に・・疑義ある所」として「二線」が引かれているところである。

 

そんな「疑義ある」文証を引き出してきて「▼これはいいんですか?」だなどと、得意然として吠え掛かるとは。貴殿の気は確かか?

実に赤面の至り、惨めである。

 

しかも「六郎」君だもんね。

 

(一郎二郎三郎四郎五郎)六郎ちゃんをないがしろにしてはいけないんだね。よしよし。貴殿は身延系だったんだね。呵々大笑。

 

二箇相承・条々事・百六箇抄・三秘抄等の真偽を疑う前に、眼前の明白な「疑義ある二線」の文証を引く自らの不明を恥じたら如何か?

 

ああ惨め。

 

「タヌキの首を落とす」前に、まず顔を洗って出直すことですね。

 

ああ、恥ずかしい。

 

おそまつ 。

 

――――――――――――――――――――――

166.駄文

 

名前:宿坊  日付:5月27日(金) 14時35分

 

三大秘法抄は宗祖が己心に秘していた三大秘法の法門を、大田乗明を通し門下に示された法門書であり、冒頭『神力品』の結要付嘱の文を掲げられ、その付嘱された法とは何ぞやというに、『寿量品』の本尊と戒壇と題目であると、その名目があげられる。

 

どこに弘安二年十月十二日「本門戒壇の大御本尊」 の記述があるのですか?

すでに顕されてから三年後ですよ、

 

三年後の「二箇相承」に今度は「本門戒壇」を作りなさいと認められているのですね。

もうすでに顕されたのであるから、六老僧、本弟子、新弟子、出家在家とも

「本門戒壇の大御本尊」 は十分知っていたはずです。

大勢が知っていたにもかかわらずその文献が全く存在しない。

日蓮正宗宗規 第二条の

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により」

と書かれているが、この第二条に「三秘抄」に基づいてと書かれているのですか?

 

まずは「三秘抄」が日蓮大聖人が書かれたと証明できなければなりません。

真筆が存在するのですか?

録内御書40巻148通の中に「三秘抄」があるのですか? 坊や!

 

 

 

>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』

 

破折されてぐうの音も出ないですね!

 

>二箇相承  釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。

 

「板本尊」が出てこないよ、どうして?

「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?

まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?

「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。

 

「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。  弘安五年壬午九月 日」     

 

しかし不思議に日付がありませんね、

相承書と言っても遺言書です、日付が無い物は無効です。

 

 

>百六箇抄

「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

 

そのすぐ後に「六老僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、

これはいいんですか?

御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と

書かれているだろ、坊や。

「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。

日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。

坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。

弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?

これだけでも完全に貴君の首は落ちている。

これにも反論がありません。

 

 

>日興跡条々事

 

「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。

 

日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。

 

はっきり言って君は役不足、タヌキでは無理なのです。

百六箇抄だけでも、もう「オダブツ」です。

ご覧になっている方はすでにおわかりかと思いますが。

 

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165.もしかして本当は知能が低いのでは?

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月27日(金) 14時30分

 

▼「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?

まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?

「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。

 

 

●ここまで頑迷だと貴殿はもしかしたら知能が低いのではないか?と真剣に思う。

 

160を再度(では知能が低い方には理解できないから、再三再四)読みたまえ。

 

再掲 部分

 

「今日二箇相承が存在しなかったという証拠を上げることは難いが、存在したという証拠は多分にある。

今、二箇相承が存在したという証拠文献を大略次第してあげてみると次の通りである。

 

(一)聖滅二十七年(1308)

徳治三年九月二十入日日頂の本尊抄得意抄添書?に「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」の文あり(宗全一−四四)・・・・・」

 

まさにこれなどは「反系」に記載される初出の文献的証拠であり、古文書研究の基本的証拠価値に於いては重要な位置を占める文献であろう。

 

以下。二十 まで。(参照 160)

 

「以上の二十項目は二箇相承の曽存を裏付けするに充分な正系・傍系・反系の史料である。尚日興上人は大聖人よりの二箇相承という譲り状があったので之に例して日日譲状なるものを作られたのであるということを思い合わせるとき、これらの文献によって二箇相承の曽存は認めざるを得ないであろうと思う。」

 

貴殿のような僻目・邪眼でものを見ている醜悪で面妖な謀徒と違い、まさに真面目な学究的態度である。

 

正系ではここまで文献を提示しているのであるから、貴殿に問う。二箇相承がなかったと証明してみよ。できまい。貴殿如きに出来るわけがない。呵々。

 

――――――――――――――――――――――

164.千劫阿鼻獄 ですって。どうします?

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月27日(金) 13時49分

 

●>次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。

 

▼何を言いたいのかわからんが、淫乱法主日顕が僧でないことは確かだ。

 

**********************************************************

 

●この引文の意義が解らないことからして貴殿が仏法の初門にすら辿り着いていないことが明瞭である。

 

成仏を期するには三宝に帰依しなければ叶わない。

三宝のうち仏宝と法宝はそのまま単独では存在し得ない。

僧宝の方が伝持して初めて末代の衆生は仏宝・法宝を拝することが出来る。

その僧宝伝持の根本が唯授一人血脈相承である。これは信を以ってしか拝し得ない。

 

■「此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義)は相伝に非ざれば知りがたし」である。

が故にこの世で御本尊書写の出来る方は御法主上人御一人である。

■「妙法蓮華経の第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗し、経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。乃至是くの如く展転して無数劫に至らん」と。第七に云はく「千劫阿鼻獄に於てす」と。」

信なく此の経(=大聖人様御図顕の御曼荼羅御本尊の深義=なかんずく戒壇の大御本尊様)と血脈相伝の御法主上人への誹謗を繰り返す貴殿ら前世の悪因縁の衆生はその謗法の臭気抜けずして、千劫阿鼻獄に堕ち、その後も殆ど無限に近い年月三悪道を展転するであろう。

 

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163.え?くだらなくないでしょ?実に面白くなってきたではないですか。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月27日(金) 13時24分

 

▼三大秘法稟承事(三大秘法抄) 弘安4年4月8日

日興上人宛でなく大田乗明 です。

大石寺本では(旧『日時本』)本状奥には「弘安5年4月」との年次の記載があり、

「本門戒壇の大御本尊」 が記されていない。

弘安2年の「板本尊」であれば、「三秘抄」に記されていなければならないはずです、

なぜないのか?

 

●ここは貴殿の無知蒙昧振りが顕著に表れて大いに笑わせて頂いた。

 

貴殿に言われるまでもなく、最新の検討により、平成御書では弘安5年4月8日に系けてある。お世話様。

 

在家のしかも当然御相伝を受ける立場ではない大田金吾殿に当てた御書であるからこそ、究極の御相伝であられる『「本門戒壇の大御本尊」 が記されていない。』のは当然過ぎるほど当然である。

 

それは戒壇の霊地にしても「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。」と、後の御相伝書である「百六箇抄」御相承書である「二箇相承」に御示しの「富士山」との特定地域が記されていない点からも領解出来る道理である。

 

大聖人様の御書は対告衆の機根・法門の領解の程度等によってその内容に対しての御表現に差異があって当然である。

 

それとも何か?在家に宛てた三秘抄に「本門戒壇の大御本尊」の御事が如実に御認めにならなければならない必然性があるというのなら、立証してみよ。

 

**********************************************************

 

▼まして「三秘抄」は真偽未決でしょ?

 

●「でしょ?」と自信なさげに訊いてくるのなら示そう。

 

もし、偽書というのなら、貴殿ら謀徒らが100人束になってかかっても及びもしない、日亨上人の御研究を否定するわけであるから、それなりの絶対的な客観証拠を明示して、更に貴殿らが用いる学会版御書から全文削除してから言いたまえ。

 

関連資料

 

文献の計量分析

 

村上 征勝

 

.4〜2.3

 

文献の数量的な性質を調ベ,その計量分析に基づいて文献の真偽の判定,執筆者の推定,執筆年の推定,執筆順序の推定などを行う研究を続けている。具体的には,日蓮の「三大秘法抄」の真偽判定問題と法華経28品の著作順序の推定問題を中心に研究を進めた。

 

【新聞記事・放送・雑誌等での紹介】

 

「日蓮の論文三大秘法抄・真作の可能性が強い」,毎日新聞,朝日新聞,日蓮宗新聞,1980年,6月7日

 

「三大秘法稟承事の真偽判別研究とは何か」,中外日報,1982年,2月5日

 

「日蓮著作の真贋論争」,サンケイ新聞,1988年,6月15日

 

「統計学の手法を使い日蓮の著作,真偽判定」,毎日新聞,1988年,8月15日

 

「仏教書の三大秘法稟承事・日蓮本人の作」,朝日新聞,日本経済新聞,読売新聞,毎日新聞等,1991年,8月23日

 

「三大秘法抄は真作」,仏教タイムス,1991年,8月25日

 

「三大秘法稟承事は日蓮聖人の真作」,中外日報,1991年,8月30日

 

「三大秘法の新研究に思う」,中外日報,1991年,9月4日

 

「日蓮遺文の数理研究」, 1990年6月, 日本印度学佛教学会

 

「日蓮遺文にみる思想の変化と文体の変化」, 1990年9月, 日本行動計量学会第18回大会

 

「日蓮遺文と偽作の文体差に関する計量分析」, 1991年3月, 第3回文献情報のデータベースとその利用に関する研究会

 

「計量文献学−クラスター分析・数量化V類による日蓮遺文の解析−」, 1991年6月, 多変量解析研究会

 

「計量文献学の現状」, 1991年6月, 人間科学コンピューティングシンポジウム

 

「日本語文献の計算機処理」, 1991年7月, 日本統計学会第59回大会

 

「日蓮遺文の計量的特徴」, 1991年8月, 日本行動計量学会第19回大会

 

「日蓮の『三大秘法禀承事』の真偽判定」, 1991年8月, 日本行動計量学会第19回大会

 

「クラスター分析の一改良法」, 1991年11月, 日本分類学会

 

UNIXシステムを使った古文の単語処理」, 1991年12月, 第3回「国文学とコンピュータ」シンポジウム

 

「日蓮遺文の真偽判定」, 1992年3月, 第4回文献情報のデータベースとその利用に関する研究会

 

伊藤 瑞叡「三大秘法禀承事の計量文献学的新研究 クラスター分析による真偽判定−本研究に対する批判疑義をも消通する」大崎学報, 第148号

 

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162.くだらない

 

名前:宿坊  日付:5月27日(金) 0時56分

 

>「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、

 

 

三大秘法稟承事(三大秘法抄) 弘安4年4月8日

日興上人宛でなく大田乗明 です。

大石寺本では(旧『日時本』)本状奥には「弘安5年4月」との年次の記載があり、

「本門戒壇の大御本尊」 が記されていない。

弘安2年の「板本尊」であれば、「三秘抄」に記されていなければならないはずです、

なぜないのか?

まして「三秘抄」は真偽未決でしょ?

 

 

>次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。

 

何を言いたいのかわからんが、淫乱法主日顕が僧でないことは確かだ。

 

 

>二箇相承

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。

 

「板本尊」が出てこないよ、どうして?

「一期弘法付嘱書・身延相承書」並びに「池上相承書」の「二箇相承書」は、いつ、どこで、登場したの?

まるで大石寺の相承書であるかのような書き方ですが、その証拠はどこにあるのですか?

「身延相承書」「池上相承書」は真筆は無く文証たりえませんよ。

 

 

>百六箇抄

「但し直授結要付嘱は唯一人なり。……日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

 

そのすぐ後に「六郎僧をないがしろにする事勿れ」と書かれており、

これはいいんですか?

御書869頁の真ん中の下に小さな字で「就中六人の遺弟を定む」と

書かれているだろ、坊や。

「就中六人の遺弟を定む」とは御遷化前に定められた六老僧の事だよ。

日蓮大聖人が「六老僧」を定められたのは弘安5年の10月。

坊やが引用した「百六箇抄」は弘安3年庚辰正月11日。

弘安3年に「六老僧」を定められていたというのですか?

これだけでも完全にタヌキの首は落ちている。

 

 

 

>日興跡条々事

 

「御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。」とは、誰にむかって言っているのかな。法華講員サン達だけ、だったらいいけど、まさか、こちらに向かって言っているのかな。(笑)だったら、「日興跡条々事」を客観的に証明しましょうね。

 

日興真筆と証明されているのですか、で終わりです。

 

 

>日布上人仰せの如く、

 

日布は「板本尊」に何の関係もありません。

 

 

>二箇相承否定についてついて

>『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』

 

 

山口範道氏が御正筆に非ず偽書謀判也と既に破折をしている。

富士学林 図書館長(山口範道)

二箇相承は武田方に奪われて紛失したしと今も伝えられているが、

それは真実真蹟であったかどうかは少々疑わしいと考える。

             (日蓮正宗史の基礎的研究42頁)

 

 

即ち越後本成寺の日現は「五人所破抄斥」の中に二箇相承を挙げて次のように書いてある。

「日現申す、前の御相承(九月十三日)は身延相承、後は(十月十三日)池上相承と云云。御判形現形也。されども一向御正筆に非ず偽書謀判也。又日興の手跡にもあらず、蔵人阿日代と云う人の筆に似たりと承り及也」

        (宗全七−一八二)(日蓮正宗史の基礎的研究43頁)

 

坊や、正筆に非ず偽書謀判也と言っていますよ!

よく読みなさい。

 

 

 

65日淳上人と3【池田指導】(百六箇抄講義)

 

何の意味もなさない。

全く証明にはなりません。

文献を出すのであれば上代にしなさい。

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161.百六箇抄否定の虚け者へ。続き

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月26日(木) 23時8分

 

65日淳上人

 

百六箇抄については香浦氏は「その成立を大聖人の時ではなく後世であるか」の如く評してをるが、(中略)しかし察していへば恐らく同抄の後尾に明らかに大聖人の御時でないことが書かれてをるからそれを理由に言ふのであらうと思ひます。若しそうであるならばそれは御相伝書の拝し方を知らないのによります。御相伝書は順次相ひ伝へるに従つて加筆があつてもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで僞作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗つて拝し直すことです。

 

▼3【池田指導】(百六箇抄講義)

 

本抄(百六箇抄)には歴代の法主上人が拝読されたおり、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故にこの部分も、私達が大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可決の記述といえましょう。(中略)百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。

 

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160.二箇相承否定の馬鹿者へ。続き

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月26日(木) 23時6分

 

二箇相承否定についてついて

 

 

『日蓮正宗史の基礎的研究 山口範道御尊師 』

 

今日二箇相承が存在しなかったという証拠を上げることは難いが、存在したという証拠は多分にある。

今、二箇相承が存在したという証拠文献を大略次第してあげてみると次の通りである。

 

(一)聖滅二十七年(1308)

徳治三年九月二十入日日頂の本尊抄得意抄添書?に「興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第 」の文あり(宗全一−四四)

 

(二)聖滅99年(一三八〇)康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼の五人所破抄見開に

「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」の文(富要四−八)

 

(三)聖滅一八七年(一四六八)応仁二年十月十三日、住本寺十代(要山十六代)日廣、重須にて二箇相承全文書写、其の奥書に云く、

「日廣云、於 富士重須本門寺 以 御正筆 奉書畢、応仁貳年十月十三日(傍系)

要山十八代日在私云、先師日廣上人 詣 富士 之時 如此 直拝 書之 給也云云(雪文三十大遠日是転写本。夏季講習録二−八富谷日震)

 

(四)聖滅二〇七年(一四八八)長亨二年六月十日、左京日教「類聚翰集私」に二箇相承全文引用(富要2−314)(正系)

 

(五)聖滅208年(一四八九)延徳元年十一月四日、左京日教「六人立義破立抄私記」に全文引用(富要四−四四)

 

(六)聖滅二三三年(一五一四)永正十一年、越後本成寺日現「五人所破抄斥」に全文引用(宗全七−一八一)(反系)

 

(七)聖滅264年(一五四五)天文十四年四月、日我申状見開に「身延池上の両相承」云云の名目を出す(富要四−81、112)

 

(八)聖滅266年(一五四七)天文十六年、要山日在、富士立義記(日叶作)を添削前後補接百五十箇条として二箇相承全文引用(富要2−182)

 

(九)聖滅275年(一五五六)弘治二年、要山日辰重須に於いて日耀をして二箇相承を書写せしむ(西山蔵)

 

(一〇)聖滅278年(一五五九)永禄二年、重須日出、要山日住に二箇相承を拝見せしむ(要五−五六)

 

(一一) 聖減二九二年(一五七三)天正元年、日主上人二箇相承書写(大石寺蔵)

 

(一ニ) 聖滅二九八年(一五七九)天正七年、北山本門寺宝物目録に二箇相承を挙ぐ(富要九−ニ○)

 

(一三) 聖滅300年(一五八一)天正九年三月、武田勝頼の臣重須を襲い二箇相承等を奪う(要九−一七・ニ○)

 

(一四) 聖滅三〇一年(一五八ニ)天正十年、重須日殿二箇相承返還を訴え憤死す(富士年表・日蓮教団史九ニ)

 

(一五) 聖滅三〇一年(一五八二)天正十年十月十五日西山日春甲府総檀中へ書をおくり二箇相承返却方を促す。(西山蔵・蓮華三−ニ二)

(一六) 聖滅三〇〇余年、房山日我等二箇相承紛失証明を記す(要九−二二)

 

(一七)聖滅三三〇年(一六一一)慶長十六年、家康駿府城に於て重須より奉持の二箇相承を拝す(駿府政事録・駿国雑誌三十一−中−七四)

 

(一八) 聖滅三三〇年(一六一一)本光国師二箇相承を道春(林羅山)より得て日記中に記す(仏教全書、本光国師日記一−一六五)

 

(一九)聖減三三六年(一六一七)元和三年、要山廿四代日陽、重須に至り二箇相承を拝す(要五−六〇)

 

(ニ○) 聖滅三七五年(一六五六)明暦二年、西山一八代日順、日耀写しの二箇相承の日辰奥書に重ねて奥書す(西山蔵・富士門徒の沿華と教義四五)

 

以上の二十項目は二箇相承の曽存を裏付けするに充分な正系・傍系・反系の史料である。尚日興上人は大聖人よりの二箇相承という譲り状があったので之に例して日日譲状なるものを作られたのであるということを思い合わせるとき、これらの文献によって二箇相承の曽存は認めざるを得ないであろうと思う。

 

――――――――――――――――――――――

159.どうした?急ぎ急ぎ反論せよ!もう限界か?だったら降参せよ。続き

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月26日(木) 23時1分

 

▼唯授一人血脈相承やら、法主は生身の大聖人さまなどの邪義は、天台真言・天台密教の影響をもろに受け、その邪義をたっぷりと吸収した京都の坊さん(日教)が、さびれ、衰亡していた大石寺に持ち込み、根付かせたのです。

 

1480年・文明12年(滅後199年) 京都・住本寺 日叶作 百五十箇条 (富要2 -245) 

若末法弘通の志の行者・法華金口の明説に於ての事、金口の明説とは法華なり、金口に付ては台家には金師の祖承・金口の相承とて二筋の法門有ること常の如し、当宗の金師・金口共に伝たるなり、」

 

今ではその邪義は「唯授一人血脈相承信仰」として、根を張り大木となってしまっているのです。正に大石寺の故郷は天台密教・比叡山延暦寺であり、本家は真言宗・高野山金剛峰寺なのです。日蓮正宗は公称ですが、本質は日蓮真言・日蓮密教なのです。

こんな輩に遠慮はいりません。私達、和合僧有志の徹底破折により、彼ら日蓮真言・日蓮密教を終わりにしてさしあげましょう!

 

 

1、上記の文書が「左京日教師」により大石寺へ流入してきたと断定できる根拠を明示されたし。当方の文献では確認できず。もし明証されたならば素直にその史実に関しては受容する。

 

 

2、が、別に今殊更に、この文を以って、「唯授一人血脈相承信仰」の“根本要因”とでも言うが如き説は如何か?

この段の全文は以下の如くである。

 

「百四十八

若末法弘通の志の行者法華金口の明説に於ての事、金口の明説とは法華なり金口に付ては台家には金師の相承・金口の相承とて二筋の法門有ること常の如し、当宗の金師金口共に伝たるなり、釈迦の金口を動かず塔中にて別付属せし上行菩薩なり、取りも直さず唱るは金口なり、金師は釈迦も三十二相地涌の菩薩も身皆金色にて請取玉ふなり金師なり、此の金口の明説を上行に授け上行再誕の日蓮日興に授く、されば日興を以て解悟の智識と申すなり。」

 

この中で貴殿が掲載しなかった特に最後の部分、「此の金口の明説を上行に授け上行再誕の日蓮日興に授く、されば日興を以て解悟の智識と申すなり。」は当宗の教義信条として古来からの宗是であり、別段「新義」ではないが?

 

■『真言見聞』

「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)

 

■次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。269 四恩抄 弘長二年一月一六日  四一歳

 

■修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。589

 

■此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。

 

■二箇相承

「身延山付嘱書   弘安五年一〇月一三日  六一歳

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年=壬午=十月十三日   武州 池上    日  蓮 花 押」

 

■百六箇抄

「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」

 

 

あらあら挙げても以上の如くであり、大聖人様の仏法には大聖人御自ら「唯授一人・血脈相承」のお考えとその現証があらせられたことは明白である。

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158.脳髄が痙攣起こしてショートしてませんか?続き

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月26日(木) 21時11分

 

(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状

「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)

 

更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)

 

●だからどうしたというのですか?

 

「戒壇の大御本尊様」の存在の傍証になりこそすれ、反証とはなり得ないではないですか。

 

 

1、大聖人様が、

 

■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。」

 

と仰せになったその事の戒法の根本法体を顕さず御入滅になられるはずはないではないですか。

 

もし、後に譲られたとするならば、誰がどのような資格・立場で顕すのかが明確ではない。

またその御教示がない。

 

故に大聖人様御自ら御存生中に顕されたことは間違いない。

 

2、日興跡条々事

 

■「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」

 

の御文から、その根本の御本尊様は「弘安二年」に顕された「大御本尊」であることは明確である。

 

では、弘安二年御顕示の御本尊様を宿坊君の例示した表に即してその御尊体の御寸法を例示してみよう。

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心          88.8センチ?48.5センチ

弘安2年2月 日 釈子 日目       94.9センチ?52.7センチ

弘安2年4月8日 日向法師        89.4センチ?47.6センチ

弘安2年4月8日 優婆塞日田       97.3センチ?51.5センチ

弘安2年4月 日 比丘日弁        100.0センチ?53.0センチ

弘安2年6月 日 比丘尼日符       94.9センチ?53.3センチ

弘安2年7月 日 沙門日法        104.5センチ?54.5センチ

弘安2年9月 日 日仰優婆塞        不詳

弘安2年10月 日 沙弥日徳       91.2センチ?49.1センチ

弘安2年11月 日 優婆塞日安      78.5センチ?46.1センチ

弘安2年11月 日            59.8センチ?40.8センチ

弘安2年11月 日 沙門日永       68.8センチ?45.2センチ

弘安2年11月 日 優婆塞日久」     45.1センチ?30.0センチ

 

因みに「弘安2年9月 日 日仰優婆塞 不詳」の御本尊は未だ四天王・愛染・不動が顕示されておらず、しかも中央主題の南無妙法蓮華経の直下に日蓮大聖人の御名も顕されていない御相貌であられる。

 

しかして、戒壇の大御本尊様は「本門戒壇の御本尊の寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、」である。

 

真に勿体無い話であるが、今の寸法で御身の丈は、長143.9センチ 横65.7センチとなられる。

 

■「殊に戒壇の御本尊は大聖人都ての御真筆本尊の内に比類なき広大なる板御本尊・御筆勢も格別にして決して後人の贋造杯の及ぶべからざる正真の御本尊なる上は、設ひ戒壇の名義之れ無くとも外に定まれる戒壇の本尊之無くば広布の時是れを戒壇院へ安置するとも誰か至当にあらずと言ふべき。況や本門戒壇の文字顕然なる上は是れを以て本門戒壇之大本尊と称し宝庫に安奉し師檀の信心を堅固ならしめ、事の広布を待たんに何の不可か之れ有る可き、」

 

と日布上人仰せの如く、正に群を抜いての大幅であられる。

 

しかも、他の御本尊様は全て紙幅であるが、戒壇の大御本尊のみ板御曼荼羅である。

 

更に「本門戒壇」の御銘記があられる。

 

この事からも、未来本門寺の本堂御安置の本門戒壇の大御本尊様はまさに、今大石寺奉安堂に厳護されている「戒壇の大御本尊様」に間違いないのである。

 

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157.半人前

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月26日(木) 18時27分

 

「広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。」

 

「若し一大秘法というは即ちこれ本門の本尊なり。この本尊所在の処を本門の戒壇と名づけ、この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく。故に分ちて三箇の秘法と為るなり。」

 

 

ご苦労さん、

日寛文書を持ち出してきても意味のないことぐらい理解できないのか!

いい年こいて、本当に馬鹿たれです。

 

第1番目の質問

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

 

坊や、上古の文献で証明するのです。

前から言っているだろうが、おまえでは無理だと!

ハゲを出しなさい。

 

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156.樋田氏へ

 

名前:矢車寿司  日付:5月26日(木) 16時51分

 

キミの信心の真面目さは、教区の知るところです。

で、本当にこいつも真面目なのです。《地獄行きは決定ですが」》

この男、ちょっとばかり学者扱いをされてしまいましたので、勘違いしてしまっただけなのです。

金ちゃん。もう、よそうよ。戒壇の大御本尊さまは、本物です。

そんなことは、キミが一番わかっているのでしょうが。

 

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155.じっくり切り刻みますね。その2

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月26日(木) 16時29分

 

▼宗祖大聖人並びに日興上人は板漫荼羅を顕していないのが史実なのですよ。

 

●その証拠を挙げて下さい。

 

■「若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。かゝる僻事をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。」

 

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▼次にこの中で「本門戒壇」と言っているが、本尊が安置されているところは、

すべて「本門戒壇」なのですよ、坊や!

それ位は常識ですよ。少しは賢くなりなさい。

 

●戒壇に事と義の理があることすら忘れたか。

もともと居眠りばかりで知らなかったか。

「それ位は常識ですよ。少しは賢くなりなさい。」

 

■「若し一大秘法というは即ちこれ本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門の戒壇と名づけ、この本尊を信じて妙法を唱うるを本門の題目と名づく。」

 

一大秘法=戒壇の大御本尊所住の処を「本門の戒壇」という。

 

■「一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。」

 

戒壇の大御本尊様以外の御本尊様を安置する処を「義(理)の戒壇」という。

 

■「戒壇の本尊を書写してこれを掛け奉る処の山々、寺々、家々は皆これ道理の戒壇なり。当に知るべし、「是の処は即ち是れ道場」等云云。」

 

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▼「大本尊」と認められているのは「万年救護本尊」だけであり、

後は「大曼荼羅也」となっている。

 

●だから何?

 

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154.久しぶりにネットを見ました

 

名前:矢車寿司  日付:5月26日(木) 16時3分

 

金ちゃんこと宿坊クン。樋田君も黄倉君もたいしたことない(両氏ゴメン)ので、実名をあげて闘いに臨めばいいのではないですか。《※信心は、私たちは追いつきもしませが。》でも、キミにはできないよね。キミの生活環境からはできないことは十分わかっています。で、オタッキーの数人かが、マニアックな論を書き込んでいますが、100%折伏が出来ていない輩と理解できます。センセーが一番嫌いな連中であることを、本人たちは、まったく気づいていません。というわけで、一瞬で消えてしまいますが、キミみたいなアホが一人前な論を述べると、ナガサキネットを使うような信者さんも出てきますので(普通は使わない)、早く終了してください。キミの首を落とすことは、わけがないので、自信があったら、当方をお尋ねください。

 

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153.ありがとう。貴殿のお陰です。その1

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月26日(木) 14時57分

 

お陰様で、御本尊送りを無事終えました。

 

貴殿のような邪義を吐き垂れている者を徹底的に破折し続けていると、不思議と自分でも講中でも折伏が決まるのですね。

 

貴殿らのような謗法のきつい者どもを破折する事に依って、こちら側の魔が切れ、順縁の衆生が吸い込まれて来るようです。

 

そう言う意味では貴殿らは「広宣流布の打ち出の小槌」

叩けば叩くほど、折伏は進むのです。本当にありがとう。

 

さて、ぼつぼつ続き行きますかね。

 

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●>「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

貴殿がその学会もかつて上は会長から下は一般会員まで周知であった従前の事実を否定するのは、何を根拠にしているのですか?「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」

 

 

▼坊やもよほどバカかなのでしょう、

「弘安二年十月十二日本門戒壇の大御本尊」を証明するのに

創価学会の会長が云々とは、日蓮正宗・大石寺の「正依」に基づいて言われているのか?

ならば今現在の池田SGI会長の言葉すべてが日蓮正宗・大石寺「正依」と認識していいのか?

またこれを将来用いるのか?

都合のいいとこだけ、おいしいとこだけ用いるのはどうなのですか?

都合よくございませんか?

 

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●貴殿ほど頑迷な者に「バカ」と言われるとはね〜。罪障消滅ありがとうございます。

 

まあ、頑迷な者は道理が分からないから、普通に道理を指し示すとそれが歪んで見えるんでしょうね。

 

■「彼の阿闍梨等は自科を顧みざる者にして嫉妬するの間、自眼を回転して大山を眩ると観るか。」

 

自分が謗法の酔いで酔っ払って目が回っているのにそれに気がつかず、正統門家が回って見える、真に、■「笑ふべし、返す返す。」である。

 

謗法の醜情深き頑迷な貴殿には一々噛み砕いて教えてあげないと(あげても)解らないようですね。貴殿の周りにいる人も貴殿に対しては辟易していることでしょう。お察しあげます。

 

「学会もかつて上は会長から下は一般会員まで周知であった従前の事実」であった、「戒壇の大御本尊様は御生身の御本仏日蓮大聖人様」という「事実」は一体何を基にして言われていたのか?

 

「日蓮正宗・大石寺の「正依」に基づいて言われてい」たのではないか?

 

でなければ何を根拠にしていたのだ?

 

もし、嘘だったのなら、公式見解として謝罪し訂正するべきであろう?

 

もしかして貴殿は学会の公式見解と違うことを言っているのか?

 

もしそうであるならば貴殿は学会からも相手にされない異端と言うことではないか?

 

いずれにせよ、学会発足当初からの根本的教義信条を覆すのならば、それなりにきちんとした客観的証拠を挙げよ!と言っているのである。

 

妄執深き貴殿の脳髄ではやはり解りませんか?

 

反論不能より以前に理解不能ですか?

 

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152.そうそう

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月26日(木) 9時13分

 

昨日対面した支部長との会話の一部です。

 

当 方「学会の法宝は戒壇の大御本尊様でいいんですよね?」

支部長「当たり前だよ!」

当 方「でも、最近ではネット上で戒壇の大御本尊を否定している学会員が出来きてますよ?」

支部長、すかざす「そんな奴、学会員じゃないよ!!」

とえらく怒っていました。

 

宿坊さん惨めで無様ですね。

 

でも、ある意味、こうしてまだ若干の信心が残る学会員に、学会全体の無軌道さや教学的な混乱を示して「動執生疑」を起こさせる「重大な使命」があるのかも知れませんね。

 

三位房の悲惨な末路が他の人たちへの警鐘になったように、貴殿も自ら進んで大謗法の果報を背負い込んで他を啓発するなんて、本当に偉いですね。

 

共々に頑張りましょう。

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151.長野の「かちかち山のタヌキ」へ

 

名前:宿坊  日付:5月26日(木) 1時19分

 

ここは日記帳ではありません。

「本門戒壇の大御本尊」 の法論をしているはずです。

その反論を書き込むところなのですよ。

何を血迷っているのですかな?

君では役不足ですので、坊主を出しなさい。

 

>「対面対論」

 

長野のタヌキと対面しても何の価値もないでしょうよ。

まだ多少の価値があるとするならば、淫乱法主日顕の首ですがな。

なんならきみが大役つとめますと、淫乱法主のお墨付きがあるのなら

長野のタヌキ汁でも仕方がないので、相手してさしあげます。

しかし全く価値なしですが、所詮ゴミ箱行き。

日顕宗はアホしかいないのか?

アホよ、勇気ある者はいないのか?

日顕宗のカスよ!

ここまでバカにされて黙っているとは。

 

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150.先程まで

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月26日(木) 0時51分

 

貴殿が出来ない「対面対論」を当地の学会支部長としていました。

貴殿に比べては申し訳ないが、大変勇気ある人格者でしたよ。

今までもしてきたし、今後も定期的に継続していくことで合意しています。

 

貴殿には無理でしょうが、でも今一歩ここで勇気を出されて、当方と、「対面対論」しませんか?

 

さすれば今までの変質的な謗言の繰り返しや、今回の似非教学の乱示の本質を劈いて差し上げますのに。

 

文章で不勉強の邪義を吐き散らかすのと同じようにはいきませんよ。対面対論では。

 

やはり身口意総合して破折されると減らず口は叩けなくなりますからね。

 

どうですか?一つ、『人間革命』して物陰から正統門家へ無闇に石礫を投げつけるマンネリを打破してみたら。

 

明日も日蓮正宗の正統な血脈の通じた御本尊様を下付していただける方がいます。当方も関係しておりますので、貴殿とのお付き合いはその後ですね。

 

しばしゆっくりとお休み下さい。

 

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149.ご愁傷様

 

名前:宿坊  日付:5月25日(水) 18時46分

 

>百六箇抄に仰せの「富士山本門寺の本堂」に建立せられる「本門戒壇」のことである。

 

 

「百六箇抄」(P867)の「下種弘通戒壇実勝の本迹三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」についても、当書自体が日尊系の相承書であるということを踏まえなければなりません。

 

内容に立ち入り解釈しても、「ここに示される『富士山本門寺本堂が大石寺であるという根拠』はどこにもない」ということを知るべきです。

 

日蓮正宗関係者が本書を読む時「百六箇抄は大石寺の相承書である」という前提から始めてしまっていますので、「百六箇抄に示される富士山本門寺本堂は、広宣流布の時の大石寺」としてしまいます。

 

しかし、百六箇抄は1400年代後半以降、住本寺僧であった日教乃至それ以降の人物によって大石寺に持ち込まれたと推考されます。

少なくとも「大石寺の相承書では無い」ということは明らかになっています。

 

 

「富士山本門寺の本堂なり」のすぐ下に「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」

            【富士宗学要集 一巻十八頁】

 

とあるところからも明らかなように、本書は日尊系住本寺・上行院で伝承されてきたのであるから、この門流の派祖・日尊が、日興上人から聞かされたであろう「本門寺構想」を、「当門流=日尊」として理想の「富士山本門寺」として記したと推察される。

結果、この「富士山本門寺」とは日尊門流待望のものである、ということになる。

 

この「百六箇抄」の大聖人真筆、日興上人写本等は無く、「上代において日尊門流に存在した」ということだけが史実なのです。故に、大聖人が「富士山に本門寺を建立せよ」といわれた「直接証拠」とはならない。

 

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148.ご愁傷様

 

名前:宿坊  日付:5月25日(水) 18時28分

 

>日興跡条々事 ■「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」(これ、前にも掲載しませんでした?日興跡条々事 が偽書であると言うのならそれを立証してください。)

 

 

 

「日興跡条々の事」に「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」との重要極まりなく尊い御指南が遺されている。

(貴殿はこれを偽書と言いたいのだろうが、宗門古来からこの書は最重要書のお取り扱いであり、学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのであるから、貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。)

 

主張する側に「証明責任」があります。絵画の展示会に行って「この絵は○世紀の○さんの絵で」といわれて買おうと思いました。一応「本物? 本当に大丈夫なの?」と聞いたら係員が鑑定書も示さず「貴殿がもし偽作と主張したいのならば古画の研究としての、その明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。」とお客さんにいうのかな?

 

是非、ここをご覧の「日蓮正宗にとって哀れな衆生」を救済する意気込みで、「本門戒壇の大御本尊だけではなく、これが文証だというのなら日興跡条々事もセットで証明」してくださ。

 

「日興跡条々の事」は使えないことを知るべきです。

かかる「偽書」を資料として引用しても無意味です。

大石寺という「手作りの山」に満ちた「信者だけにしか信じてもらえない」

「ただの紙切れ」はいきなり出しても私たちには「だから、なに? 日興真筆と証明されているのですか」で終わりです。

 

まず「日興跡条々事」が日興真筆であると証明しましょう。

 

続いて「本門戒壇の大御本尊」が本物と証明することです。

これが前提として行なわれて初めて、あなた方日蓮正宗の解釈が成り立つのです。

 

それなくしては「客観的な証明のない偽書を元にして、偽書に書かれている本尊は、これまた客観的な証拠のない板本尊だ」というのと同じです。

 

それで「本門戒壇の大御本尊は大聖人の真筆だ」といわれても、いやはや、辟易しますね。

大聖人は「出世の本懐をこの板本尊で遂げた」といいますが、「弘安2年10月」以降、57幅の御本尊を図顕されています。

 

「これは出世の本懐の本尊で、こちらは出世の本懐ではない本尊」という大聖人の教えを示してください。

 

「日興跡条々事」も後世の偽作ですから、上代にあるわけありません。

戒壇板本尊の文証として「日興跡条々事」を使用した初出は、何年で

いったい誰かご存じなのでしょうか? (笑)

 

迷妄というか、妄想・幻想にとらわれ、「日蓮正宗・大石寺の信仰」で証明できると思い込んではいけませんよ。

穴に落ちます・・・哀れ

 

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147.ご愁傷様

 

名前:宿坊 日付:5月25日(水) 17時55分

 

>■「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」

 

 

1281年・弘安4年4月 三大秘法禀承事 与大田金吾 P1022

霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か

 

 

富士一跡門徒存知事でも「日蓮大聖人は戒壇建立の場所は特定されていなかった。日興上人が奏聞した」ということが記述されています。

 

一 本門寺を建つべき在所の事。(聖典542) (日蓮宗宗学全書2-125)

 

彼の天台・伝教は存生に之れを用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに此の本門寺に於ては先師何れの国何れの所とも之れを定め置かれず。

 

爰に日興が云わく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河国・富士山は、是れ日本第一の名山なり。最も此の砌に於いて本門寺を建立すべき由、奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時必ず富士山に立てらるべきなり。〜 (御書p1607)

 

 

ご愁傷様です。

 

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146.坊やでは無理

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月25日(水) 17時46分

 

日蓮大聖人出世の本懐は三大秘法の建立・確立

 

日蓮大聖人 → かきあらはしまいらせた宝塔=出世の本懐とはこれなり 

→ 本尊 → 南無妙法蓮華経=此の五字・日蓮出世の本懐なり → 題目

 

日興上人  → 日蓮聖人御出世の本懐・南無妙法蓮華経  → 題目

 

このように本尊・題目を出世の本懐とされており、それはとりもなおさず三大秘法の確立ということです。

本尊・題目があればそこに戒壇もあります。三学倶伝といい、この三大秘法は絶えず一体だからです。

( 参考 → 御義口伝 第二十此経難持の事御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒虚空不動定虚空不動慧三学倶に伝うるを名けて妙法と曰うと 743 )

 

注意せねばならないのは大聖人・日興上人は「戒壇板本尊が出世の本懐」とはいわれていないということです。見落としがちですが、これは決定的な事柄です。

 

【 破折 】

大聖人・日興上人が出世の本懐を明示されているのか、いないのか?

→ 明示されている。

 

明示された出世の本懐は、何といわれているのか。

→ 「かきあらはしまいらせた宝塔」「南無妙法蓮華経」

 

それ以外に出世の本懐をいわれた御書・教示はあるのか? ないのか?

→ 他の文書では「三世の諸仏の出世の本懐」等、一般的なものだ。特定のものを指して出世の本懐とされたものは上記御書だ。

 

 

→ 参考・「釈尊出世の本懐・法華経」「三世の諸仏の出世の本懐」をいわれた書

1259年・正元元年 守護国家論 40 三十八歳  真曽

問うて云く涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何、答えて云く法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、

 

1278〜1280年  御講聞書 815 未決  自弘安元年三月十九日・連連御講・至同三年   五月二十八日也 仍記之畢 日向記之

一仏所成就第一希有難解之法唯仏与仏の事    

仰に云く仏とは釈尊の御事なり、成就とは法華経なり、第一は爾前の不第一に対し・希有は爾前の不希有に対し・難解之法は爾前の不難解に対したり、此の仏と申すは諸法実相なれば十界の衆生を仏とは云うなり、十界の衆生の語言音声成就にして法華経なり、三世の諸仏の出世の本懐の妙法にして、優曇華の妙文なれば第一希有なり、九界の智慧は及ばざれば難解の法なり、成就とは我等衆生の煩悩即菩提・生死即涅槃の事なり、

 

ということは

→ 日蓮大聖人・日興上人自らが出世の本懐を述べ、それを文の表に顕したということは、捉え方を変えれば、「後世出てくるかもしれない文証の伴わない出世の本懐を破折された」また、「否定された」ともいえる。大聖人・興師自らがエセ本懐を否定されたということは、何度でも明確にするべき重大事です。

 

→ 日蓮大聖人は諸宗を破折する際、徹底した文証中心の立場をとられています。

滅後300年の人師の言葉=14代日主の「日興跡条々事示書」と、御書のどちらを取るのですか?

文永9年・祈祷抄 若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり、1344 真曽

 

文永12年3月・教行証御書  我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ・人師の言語は無用なり、1278 

 

破良観等御書  仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず・専ら経文を詮とせん、1293 未決

 

戒壇板本尊に文証はあるのか?  ないのか?

→ 無い! 

 

いわゆる板本尊そのものの物証だけ。これでは客観的な証明はできず、大石寺という日蓮系自一寺院だけの「自主申告・出世の本懐」となる。

 

「ここに本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と大石寺が主張しても通用するのは盲信者の間だけ。

 

例えば西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺や、他の日蓮系寺院が全く同じく「内の寺に本門戒壇堂安置の板本尊が有るのが、日蓮大聖人出世の本懐の証明だ」と言ったらどうする? 単なる笑い話、ひとり言、妄想にとりつかれた随分とお気楽、おめでたい話にすぎないことだろう。

 

大石寺が主張するのも同じで「自主申告出世の本懐」などは、笑い話のネタにしかすぎないことを知るべき。「自分達は血脈正統」という潜在意識から、絶えず高みから下を見下ろす習慣でものをいっても、一般常識の前には、はかなく消えることを知るべきだろう。

 

 

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145.坊やでは無理

 

名前:宿坊  日付:5月25日(水) 17時42分

 

>聖人御難事 ■「余は二十七年なり」

大聖人様は弘安二年十月に出世の本懐を遂げられる、と仰せである。

 

 

 

日蓮大聖人の出世の本懐

出世の本懐=宝塔・曼荼羅 

大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 のことではありません!

 

1272年・文永9年3月13日 阿仏房御書 51歳御作 与阿仏房(1304)

今・阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず・我が身を供養し給う、我が身又・三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔・其の前に涌現す」とはこれなり、あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ・信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。

 

 

妙法蓮華経の五字は日蓮出世の本懐

1278年・弘安元年 御義口伝巻上 717 

〜又云く一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり、此の円融の三諦は何物ぞ・所謂・南無妙法蓮華経是なり、此の五字・日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す、

 

 

日興上人のいわれる大聖人の出世の本懐

「日蓮聖人御出世の本懐は南無妙法蓮華経」

 

1288年・正応元年12月16日(滅後7年・身延離山前年)  原殿御返事  (富要8-11)

日興は今年問答講仕らず候いき。 此れのみならず、日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わばさも候いなん。

それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば〜

 

概訳

日興は今年問答講をしませんでした。これのみならず、日蓮聖人の御出世の本懐たる南無妙法蓮華経の、教主釈尊・久遠実成如来の画像は一人二人書き奉った人はあるが、いまだ木像は誰も造っておりません。波木井入道殿が微力で形ばかり造立しようと思われた。   

 

それならば大国阿闍梨日朗のうばい取った仏の代わり程の仏を造りたまえと固く教示した。さらに日興の教示として故・日蓮聖人の安置した仏ならばともかくも、それもその仏は上行等の脇士もない始成の仏でした。その上、その仏は大国阿闍梨が取ってしまいました。それをなぜ、欲しいことがありましょう。立派な仏を造る力がなければ御子孫の中に造ることができる人が出るまでは聖人の文字にしたもの、曼荼羅を安置しなさい。〜続いて聖人出世の本懐・南無妙法蓮華経の、教主の木像・・・と続きます。

 

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144.君ではだめです

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月25日(水) 14時9分

 

日蓮正宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」 は宗祖作ではないのですね!

君はそれを証明することができなかったと理解してよろしいでしょうか?

あまりくだらない駄文(ゴミ)を書かないでください。

 

貴方の無知蒙昧を隠すためのパフォーマンスはここでは通用しないのが

よくわかったと思います。

 

第1番目の質問

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

 

これにたいして反論ができないと思うが、本当にギブアップであるのなら

日蓮正宗・大石寺の坊主を出してきなさい。

いい加減に皆様方が飽き飽きしています。

 

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143.世間では「愚か者、もしくは馬鹿者」と言うようですが?

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月25日(水) 13時32分

 

●>聖人御難事に曰く、日興跡条々事 に曰く

貴殿の朦朧とした脳髄には何度でも言い聞かせないと

 

▼だからその文証の提示をしてくださいよ、

そこから議論が始まるのでしょ。

 

**********************************************************

 

●こんな定石の初手・二手からやるのですか?

 

貴殿の思考の固陋・低迷振りを更に鮮明に表明していますね。

それとも、当方からの詳細な破折によって、もう破れかぶれになっているのでしょうか?

 

聖人御難事 ■「余は二十七年なり」

 

大聖人様は弘安二年十月に出世の本懐を遂げられる、と仰せである。

 

■「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。」

 

日興跡条々事 ■「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」(これ、前にも掲載しませんでした?日興跡条々事 が偽書であると言うのならそれを立証してください。)

 

■ 四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり。

 

三大秘法抄に仰せの「戒壇」とは、広宣流布達成の暁に建立される「事の戒法」のことであり、それは百六箇抄に仰せの「富士山本門寺の本堂」に建立せられる「本門戒壇」のことである。

 

それはまた日興跡条々事に仰せの、「本門寺」のことである。

 

その「本門寺本堂」に御安置される大御本尊は大聖人様「出世の本懐」である、「弘安二年の大御本尊」であり、その大御本尊は「日興が身に宛て給はる」つまり、大聖人様から日興上人の御身へ御内証が御相伝され、密付嘱された「弘安二年の大御本尊」である。

 

弘安二年のみならず、大聖人様御一生を通して「本門戒壇」との御銘記のあられる御本尊様は「弘安二年十月十二日御建立の大御本尊様」以外にはないのである。

 

しかも、この戒壇の大御本尊の御彫刻には、鎌倉時代の手斧(ちょうな)が用いられており、後世の室町時代に使われた鉋(かんな)の削り跡とは明らかに違う、よって後世の作とする疑難は当たらない。

 

以上の文献及び傍証及び宗教的信条からして、その弘安二年十月十二日御建立の「本門戒壇」の大御本尊様を日興上人以来御歴代上人方が連綿と奉侍せられてきたことは上古の他門の文献が有る無しに拘わらず、揺るがし難い歴史的事実であり、もしこれに疑義を差し挟むのであれば、戒壇の大御本尊様御建立の文献的証拠を要求する前に、貴殿がこの大御本尊様がいつ、どのようにして偽物として作られたのかを証明すべきである。

 

何度言っても解らない者を世間では「愚か者、もしくは馬鹿者」と言うようですが?

 

その4

 

 

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142.忙中閑話

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月25日(水) 11時50分

 

笑えたんで、当方のBBSから転載

 

投稿者:やまさん40 投稿日:2005/05/25(Wed) 00:25 No.126

 

 私が創価脱会した平成3年の暮れに圏男子部長に呼ばれまして、

 

「ノイローゼになった女子部がいるので、商標登録を末端会員に見せないでくれないか?」

 

と頼まれました。

 

それから1時間半ほど続いた不毛なやりとりに辟易した私の連れが圏男に

 

「池田名誉会長が、はっきりと<なんみょうほうれんげきょう>と発音できないのは最大の罰ではないか?」

 

と質問したのですね。

 

すると、圏男は

 

「池田先生は言語障害があって、時々ちゃんとしゃべれなくなることがあるんだ。」

 

と言って泣き出してしまいまいました。

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141.同じことしか繰り返せないことを「反論不能」という。その3

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月25日(水) 11時32分

 

●>この例示してある御本尊が大聖人が当時顕された御本尊の全てであるという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさい。

 

 

▼すべて鑑定を受けた本尊であり、どこの宗派からも異論は出ていません。

もちろん日蓮正宗・大石寺からでも異論は出ていません。

もしあるならば出してくれますか?

 

**********************************************************

 

●こういうことを書いているから、「基礎的な学習を受けていないのではないか?いねむりが過ぎて。」と指摘される訳である。

 

当方は、貴殿が列挙した「大聖人様真筆」御本尊様の御事を論じているのではない。

 

再掲『それ以外には日蓮大聖人様御図顕の御本尊様が「ない!」と、また「▼宗祖が顕されたの(御本尊様)は“紙幅”の本尊だけ」と、断定できる根拠・証拠は一体何処に存在しているのか?と、貴殿に問うているのであります。

 

この質問の日本語の文法的な構成すら解りませんか?』

 

**********************************************************

 

▼おそらく偽物と言うのなら、鑑定を受けていない貴君が言うところの「本門戒壇の大御本尊」ではないですか?

 

●ここでも図らずも貴殿自身の発言からも、戒壇の大御本尊様が偽物ということが単なる貴殿ら謗法者達の邪推に過ぎないことが、吐露された。

曰く

「▼おそらく偽物というのなら、」云々。

 

これ正しく貴殿自身が、何の確証も、客観的な証拠も持ちあわさず、「おそらく偽物ではないかな〜〜。そうでないと都合が悪いぞ〜〜。」と言い出した事の“白状”に他ならない。

 

浅はか、宿坊氏。頭隠して尻隠さずの無様さである。

 

■「悪行猶以て飽き足らずして、法華経の行者の跡を削らんが為に、謀案を構へて種々の不実を申し付くるの条、豈在世の調達に非ずや。」

 

正に貴殿は釈尊在世の提婆達多・大聖人様御在世の良観等の「法類」か。後生おそろし、おそろし。

 

**********************************************************

 

▼逆に君が(日蓮正宗・大石寺)鑑定を受けさせれば永遠に追求されることはありません。

そのようなことができますか?

ここではっきりとみんなの前で証明しますと、宣言しなさい。

 

●わざわざ「謗者による鑑定」など受ける必要など全くないほど、大御本尊様の尊厳な御存在は確定的であらせられる。

 

貴殿にはそれが拝し得なかっただけであり、まさにその信心未熟・罪業の深重ぶりを満天下に晒し続けているだけのことである。

 

大体にして御霊宝の御本尊様を偽物と謗るか、ただの蔵の宝と見るか、消滅の物質と見るか、あるいは又彫刻と見るか、仏様と拝するかは、見る人の果報によって違うのである。

 

『法蓮抄』には

■「今の法華経の文字は皆生身の仏なり」とも、又

 

■「此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る、されば経文に云く『若し能く持つこと有るは・即ち仏身を持つなり』」

 

と御教示あそばされてる。

 

又、日寛上人の『観心本尊抄文段』には

 

 ■「今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ」

 

と御注意された上

 

 ■「一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり」

 

とあるように、直ちに御本仏様と拝し、信行に徹するところに即身成仏の大果報が勿体無くもこの三毒強盛の凡身に頂くことが出来るのである。

 

その究極の御尊体であらせられる「戒壇の大御本尊様」を「御本仏日蓮大聖人様」と拝せず、即身成仏の果報を頂けぬ、謗徒の身分である貴殿がどんなに悔しがって誹謗しても、痛痒も感じない。

 

貴殿が堕獄した後を哀れむばかりである。

 

その3

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140.前置きが長いぞ

 

名前:宿坊  日付:5月24日(火) 23時32分

 

>例えば「大石寺の弘安二年の御本尊様」など、

 

坊や前置きが長いぞ!

大石寺の弘安二年の本尊とはどの本尊だ?

 

その大石寺の板本尊は本物なのか?

その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

 

「二箇相承」が当然存在するのなら、六老僧、本弟子、新弟子、在家の文献が

必ず存在するし「本門戒壇の大御本尊」 のことが記されている。

 

大聖人が興師に授与された本尊は「万年救護本尊」だけ。

 

彫刻本尊を遷座した時は10人ほどで担ぎ出していたが、

いつ、原木の丸太を明星池から取り出して、何十人のわら草履が、

雪の道のないところを運んだのか?

 

原木の丸太は何年かけて乾かしたのか?

それから数年後にカットし、掘り下げ、漆を塗って、金箔を施す。

 

わずか二十一日間で例えば「大石寺の弘安二年の御本尊様」をどのようにして

作ったのか、それを証明しなさいと口を酸っぱく言っているのです。

狸だからといって人をだまさないでくれる。

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139.その2

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月24日(火) 23時3分

 

●>「宗祖はこれ以外に本尊を顕されてい」ないという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。

 

▼すでに提示済みです。

違うのなら逆に客観的証拠を持って証明しなさい、坊や!

**********************************************************

●ここも、上記と同様ですね。

ここは、もう、貴殿が、色んな家庭事情があって、きちんとした躾のされてない、聞き分けのない幼稚園児程度の理解度であると斟酌して、とことんお付き合いする以外はないですね。

ではいきます。

 

貴殿が「提示」した、

「▼下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久」

**********************************************************

●これが「大聖人様が顕された御本尊様の全てである」、とどうして、断定できるのか?「これ以外に(大石寺の大御本尊様を含め、)他に存在しない!」と、検証学的に、歴史学的に何を根拠に言えるのですか?と単純に訊いているのであります。

 

上記の貴殿が例示した御本尊は「現実に今、世に出ている“大聖人御真筆御本尊”と言われているものの中で、筆跡鑑定など種々の鑑定の必要があって、それがなされた御本尊の一覧表」であって、それ以外に例えば「大石寺の弘安二年の御本尊様」など、(他にも人知れず存在しているかも知れないが、)その所持されている教団、もしくは個人の種々の信条や理由、あるいは歴史的な状況証拠としての経緯で証明されているが故に、わざわざ“筆跡鑑定”や、その他種々の“鑑定”を必要としていない、“大聖人様御真筆御本尊”についてまでの“真偽”を云々できる科学的・客観的資料とはなりませんよ。ということであります。

 

ちょっと長い文章になったので“家庭でのきちんとした躾や、教育機関での基礎的教育をややもするとまともにされていないのではないかと推測される、幼稚園児並み”の貴殿にはこういう“難しい構文”が理解できたかどうか心配ですが?

 

ここは日本語の理解力が乏しいであろう貴殿にとってちょっと“難所”になりましたかね。

 

もし、この“構文”の意味が解らなければいつでも正直に言ってきて下さいね。もう少し解り易く解説して上げますからね。

 

その2

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138.宿坊氏の日本語が読めない、その低脳さを指弾する。その1

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月24日(火) 22時29分

 

●>証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。

 

▼すでに真筆と挙げていますよ、後は自分で調べなさい。

しかし馬鹿だね! 真筆を挙げても「直接的文証」とは、どのような了見で言っているのでしょうか? 真筆は真筆なのです、それ以上の客観的資料は存在しないでしょう。

言っては悪いが賢くないね! 

おとなしく言って「バカです」

**********************************************************

●当方が言った全文は以下の如くであって、貴殿のヒステリックな反叫は既に筋道が通っていませんね。

**********************************************************

●「▼宗祖が顕されたのは紙幅の本尊です、「彫刻板本尊」は顕されていない。云々」と証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。これに答えられないで、一方的に誹謗の言のみ為しても、それは「精神に異常をきたした者の独り言」ですよ、と「繰り返し貴君にお教えしていますよ」

まだ解りませんかね?愈々、謗法の罪業による病、膏肓に入る、ですね。」

**********************************************************

●つまり、何度も繰り返し指摘しないと妄執深き貴殿の脳髄の深部まで染み渡らない様なので、読者には真に申し訳ないが、同じ箇所を再三再四宿坊氏に言い聞かせるが、

「▼宗祖が顕されたのは紙幅の本尊です、「彫刻板本尊」は顕されていない。」と貴殿が勝手に断定している証拠は何処に存在しているのか?ということです。

 

当方は、貴殿が列挙した「大聖人様真筆」御本尊様をそのまま闇雲に否定しているのではなくて、それ以外には日蓮大聖人様御図顕の御本尊様が「ない!」と、また「▼宗祖が顕されたの(御本尊様)は“紙幅”の本尊だけ」と、断定できる根拠・証拠は一体何処に存在しているのか?と、貴殿に問うているのであります。

この質問の日本語の文法的な構成すら解りませんか?

そう言う人を世間では「馬鹿」もしくは、「小中学校時代に勉強が出来なかった人」、と言うんですよ、と貴殿に噛み含めて言い聞かせてあげているのであります。それでも、解りませんかね?

 

その1

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137.長野の狸へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月24日(火) 1時19分

 

>証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。

 

すでに真筆と挙げていますよ、後は自分で調べなさい。

しかし馬鹿だね! 真筆を挙げても「直接的文証」とは、どのような了見で言っているのでしょうか? 真筆は真筆なのです、それ以上の客観的資料は存在しないでしょう。

言っては悪いが賢くないね! 

おとなしく言って「バカです」

 

>「宗祖はこれ以外に本尊を顕されてい」ないという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。

 

 

すでに提示済みです。

違うのなら逆に客観的証拠を持って証明しなさい、坊や!

 

>この例示してある御本尊が大聖人が当時顕された御本尊の全てであるという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさい。

 

 

すべて鑑定を受けた本尊であり、どこの宗派からも異論は出ていません。

もちろん日蓮正宗・大石寺からでも異論は出ていません。

もしあるならば出してくれますか?

 

おそらく偽物と言うのなら、鑑定を受けていない貴君が言うところの「本門戒壇の大御本尊」ではないですか?

 

逆に君が(日蓮正宗・大石寺)鑑定を受けさせれば永遠に追求されることはありません。

そのようなことができますか?

ここではっきりとみんなの前で証明しますと、宣言しなさい。

 

 

>聖人御難事に曰く、日興跡条々事 に曰く

貴殿の朦朧とした脳髄には何度でも言い聞かせないと

 

だからその文証の提示をしてくださいよ、

そこから議論が始まるのでしょ。

 

 

>「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

貴殿がその学会もかつて上は会長から下は一般会員まで周知であった従前の事実を否定するのは、何を根拠にしているのですか?「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」

 

 

坊やもよほどバカかなのでしょう、

「弘安二年十月十二日本門戒壇の大御本尊」を証明するのに

創価学会の会長が云々とは、日蓮正宗・大石寺の「正依」に基づいて言われているのか?

ならば今現在の池田SGI会長の言葉すべてが日蓮正宗・大石寺「正依」と認識していいのか?

またこれを将来用いるのか?

都合のいいとこだけ、おいしいとこだけ用いるのはどうなのですか?

都合よくございませんか?

 

しかし坊やは全く反論になっていないよ、

せっかく狸に知恵を授けてあげても、意味不明の反論では全世界納得しないでしょうよ。

やはり日顕宗の禿を出しなさいよ。

全部めった切りしてあげますので。

 

日蓮正宗・大石寺の日蓮正宗宗規 第一章 宗綱では、

 

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

これは何を根拠に記されているのですか?

客観的に証明をしてください。

これだけお願いをしても答えられないの?

――――――――――――――――――――――

136.その前に一つ一つ片付けて行きましょうね。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月23日(月) 23時53分

 

▼宗祖が顕されたのは紙幅の本尊です、「彫刻板本尊」は顕されていないのですと、

繰り返し貴君にお教えしていますよ

●ですから、再三申し上げているようにですね、▼「宗祖が顕されたのは紙幅の本尊です、「彫刻板本尊」は顕されていない」と証明出来得る、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。これに答えられないで、一方的に誹謗の言のみ為しても、それは「精神に異常をきたした者の独り言」ですよ、と「繰り返し貴君にお教えしていますよ」

まだ解りませんかね?愈々、謗法の罪業による病、膏肓に入る、ですね。

**********************************************************

▼下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。

●上記と同様です。「宗祖はこれ以外に本尊を顕されてい」ないという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げて下さい。提示出来ないとすれば、貴殿は自らの反論の根拠を持たずただ単に他を誹謗するのみの三宝を持たない薄汚れた一介の謗法者の類であるから、貴殿の敗北です。素直に敗北を認め、当方が見ている前で、大石寺の大御本尊様と日顕上人対して遥拝し、深々と頭を地面に擦り付け、涙を流してお詫び申し上げなさい。

**********************************************************

▼大石寺で言う「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

●この例示してある御本尊が大聖人が当時顕された御本尊の全てであるという、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさい。出来なければ、敗北→遥拝→懺悔→帰伏 しなさい。

**********************************************************

▼あるのかないのか返答しなさいよ!

DVDではないのですよ、

世界が注目しているのです。

●大聖人御真筆が上記の全てで「あるのかないのか」、戒壇の大御本尊様が明らかに偽物であるのか、物的証拠、もしくは直接的文証を挙げなさいよ!DVDではないのですよ、

世界が注目しているのです。早くしなさい。いい加減に。何手間取っているのか?もっと大石寺の大御本尊様を誹謗するからには、それなりに腹を括って、真剣に勉強しなさい!覚悟の程が、まだまだ生温いですぞ。

**********************************************************

▼日蓮大聖人の門下としては六郎僧、云々。

・・・であり、「本門戒壇の大御本尊」を知らないわけがないのである。

そうでしょ?

●それは貴殿の低い境涯から見たただの、良く言って憶測、はっきり言えば邪推の類であって、確証がないから「そうでしょ?」などと対論者である当方へ確認のお追従を言う様になるのである。ここも思わず噴出したところである。「そうでしょ?」ちがう?

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▼「背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」と違うのですか?

●ここはこの御文を引文する意味としての論理性を全く妄乱している。課題提出やり直し。

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▼その客観的証拠を提示しなさいと簡単なことを言っているのですが、

貴殿では無理なのでしょうか?

●戒壇の大御本尊様が明らかに偽物であるのか、「その客観的証拠を提示しなさいと簡単なことを言っているのですが、

貴殿では無理なのでしょうか?」呵々。やはり、無理なんだ。残念!

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▼では日蓮正宗・大石寺の日蓮正宗宗規 第一章 宗綱では、・・

 

 

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

これは何を根拠に記されているのですか?

客観的に証明をしてください。

●全く不勉強極まりない輩である。

もう言い尽くされてるので、省略する。

聖人御難事に曰く、日興跡条々事 に曰く、云々。

ではくどいようだが貴殿の朦朧とした脳髄には何度でも言い聞かせないと入らないらしい。読者の皆さんには真に申し訳ないが、この謗法の害毒で人間としての会話が理解できない固陋な脳髄に更に追問する。

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

貴殿がその学会もかつて上は会長から下は一般会員まで周知であった従前の事実を否定するのは、何を根拠にしているのですか?

客観的に証明をしてください。

早くせよ。明日の12時まで。頑張れ。食法餓鬼界の宿坊君。世界が注目しているぞ。

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135.そろそろ、はじめましょうねA

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月23日(月) 23時10分

 

白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事(永仁六年戊戌) 

一、甲斐国蓮花寺住僧寂日房者、依爲日興第一弟子所申与如件。

一、新田卿公日目者、日興第一弟子也。依所申与如件。

一、富士下方市庭寺下野公日秀者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、駿河国富士上方河合少輔公日禅者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国西郡小室摂津公日仙者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、鎌倉住人了性房日乗者、日興第一弟子也。聖人御遷化後間日興所与書写如件。

此六人者、日興第一弟子也。聖人御遷化之後不惜身命訴国方責謗法雖自今以後不可有緩怠、故聖人御弟子六人中、五人者一同改聖人御姓名号天台弟子爰欲被破却住坊之刻、行天台宗而致御祈祷之由、各各依捧申状免破却難了具見彼状文。

一、松野甲斐公日持者、日興最初弟子也。而経年序後給阿闍梨号被召具六人之内、蓮華阿闍梨是也。

 

一、富士下方市庭寺越後房者、日興弟子也。仍所申与如件。但弘安年中背白蓮了。

一、武蔵国住泉出房者、越後房後子也。仍日興申与之、越後房逆罪時同時背了。

一、駿河国岩本寺住肥後公者、日興弟子也。仍所申与如件。但弘安年死去後、楠王母尼伝領之。

一、富士上方会比奈郷住人楠王児者、肥後房弟子也 仍日興申与之、但聖人御在生弘安二年十二月二十五日死去十七才これも母尼安置之也。

 

一、甲斐国南部遇俟志入道者、六郎入道殿弟子也。仍日興申与之。

一、甲斐国波木井住越前房者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国南部六郎入道者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国波木井藤兵衛入道者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国南部六郎次郎者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国南部六郎三郎者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国南部イホメノ宿ノ尼者、播磨公弟子也。仍日興申与之。

一、甲斐国南部弥六郎者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国波木井弥次郎入道者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国波木井弥三郎兵衛入道者、日興弟子也。仍所申与如件。

一、甲斐国波木井播磨公者、日興弟子也。仍所申与之。

次俗弟子分

一、南條兵衛七郎子息七郎次郎平時光者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、高橋六郎兵衛入道者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、石河新兵衛入道道念者、日興第一弟子也。仍所申与如件。但嫡家孫三郎伝領。

一、河合入道者、日興祖父也。仍所申与如件。

一、富士西山河合四郎光家者、日興第一弟子也。仍所申与如件。

一、遠江国前住甲斐国大井橘六三男、橘三郎光房者、日興舎弟也。仍所申与如件。

一、武蔵国綱島九郎太郎入道者日興継父也。仍所申与如件。但此御本尊者、於佐土島御筆也。死去後、子息九郎次郎伝之。

(以下省略)

日蓮正宗・大石寺の日蓮正宗宗規 第一章 宗綱では、

 

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

これは何を根拠に記されているのですか?

客観的に証明をしてください。

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134.そろそろ、はじめましょうね@

 

名前:宿坊  日付:5月23日(月) 23時10分

 

>日寛上人が「戒壇の大御本尊様」を書写された

 

一つ追加ですか?

@「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」は本物か偽物か?

A「二箇相承」は本物か?

B「日興跡条々の事」は本物か?

C「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」は本物か? (日顕は偽法主?)

D 寛師書写本尊は「本門戒壇の大御本尊」であるのか?

(全て「戒壇の大御本尊様」を書写されている?)

 

まず@番から順番にいきますので、坊や早く答えてね!

 

下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。

大石寺で言う「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久

 

 

日蓮大聖人の門下としては六郎僧、日興上人の本弟子六人、新弟子六人、後世、中老十二名、或は十八名等が数えられているが、中老として、岡ノ宮日法 鷲巣日辨、碑文谷日源、築地日門、中山日高、野呂日合、相橋日忍、濱戸日祐、池田日位、小港日家、小室日傳、村松日賢・興津日保・沼津日實・佐渡日得・曾谷日禮・小勝天目・墨田日秀の十八名を列記されており、また在家がおられるのであり、「本門戒壇の大御本尊」を知らないわけがないのである。

そうでしょ?

「背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」と違うのですか?

 

その客観的証拠を提示しなさいと簡単なことを言っているのですが、

貴殿では無理なのでしょうか?

 

では貴方を助けるために追加として、白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事 日興記之

を付け足します、下記に示す日興第一弟子也の方は当然「本門戒壇の大御本尊」 を存じていたはずです。その方の文証でもいいのです、客観的に証明してください。

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133.世間では「馬鹿」と呼ぶ。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月23日(月) 17時46分

 

DVDで荒稼ぎの樋田君へ」

 

まず、このタイトルに笑わせていただいた。

 

辞書によると、

 

「荒稼ぎ」

1 手段を選ばないで、一度に大金を稼ぐこと。

 

2 強引な方法で不当に金品を奪うこと。また、その者。強盗や追いはぎなど。

 

となっており、嘘偽りなく、噴出してしまった次第である。

まあ、創価学会関係の方々からは、そう感じられても仕方がないかもしれませんね。

それにしても自らの内心を図らずも顕す、微笑ましい語句を選ばれたものである。

 

そこで、どうですか?宿坊さん、本当に「荒稼ぎ」なのか確認するためにも、今度「対面対論」して、その記録をDVDで発表しませんか?勿論今回は貴殿にその「手段を選ばず、一度に稼いだ「大金」」や、あるいは「強引な方法で不当に金品を奪い取ったその「金」」の半分を差し上げましょう。貴殿はその受け取った金額を見て悄然とすることでしょう。呵々。

 

また、他人の収入が気になるのは、餓鬼界・畜生界・修羅界あたりの根性が盛んなんでしょうね。

声高に「戒壇板本尊に関する考察」などという愚論・痴論を叫んでいる割には案外実際の境涯は低劣な所で喘いでいるようですね。お察し申し上げます。

少しは「ニセ本尊の功徳」を、貴殿の人間性からみせて欲しいものですね。

■「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。」

 

貴殿のこのところの畜生の如き「癡」な文章では、およそ『人間革命』しているとは到底思えませんが?如何か?池田センセ〜〜に叱られませんか?こんな程度では。

 

因みに、今回貴殿ははっきりと創価学会の立場を鮮明にされましたので、貴殿の日々の修行についてから考察してみましょう。

 

貴殿が日々拝んでいる、(であろう)本尊は何でしょうか?

 

1、日寛上人が「戒壇の大御本尊様」を書写された一機一縁の授与者が特定されている常住御本尊様を、学会が勝手に撮影・改竄・大量印刷(一枚の紙に掛け軸状態に見せ掛けた多色刷り印刷→大変安く仕上がる。)・大量販売 している模造掛け軸状の「もの」。

 

2、またはこれの大き目の「もの」。こちらは一応「掛け軸化」してある。つまり、掛け軸に「本尊に見せ掛けた紙」を貼り付けてある。

 

3、日達上人が「戒壇の大御本尊様」を書写された御本尊様の御形木御本尊様。その一般御形木様。

 

4、または、特別御形木御本尊様。

 

5、創価学会草創期に御貸し下げ下付された日寛上人の「戒壇の大御本尊様」を御書写された御本尊様の御形木御本尊様。

 

6、日顕上人の御形木御本尊様。

 

7、か、特別御形木御本尊。

 

8、また、常住御本尊様。

 

9、あるいは、万々が一に大聖人御真筆御本尊様。

 

この何れかであろうが、9の可能性はゼロに限りなく近いので、残り全ての状態は、ニセ本尊・真正の御形木御本尊様を含めて、全て「戒壇の大御本尊様」を書写されている御本尊様である。

 

貴殿はその大元の「戒壇の大御本尊様の真正を疑い、否定しながら、日々その自らが否定している「戒壇の大御本尊様」を歴代御法主上人が書写された御本尊(御形木も含む)、もしくはその御本尊の変造コピーを拝んでいる。こんな大矛盾があろうか?

 

こういう小学生でも解る簡単な道理の矛盾を、何回指摘しても改めようとしない頑迷な者の事を世間では何て呼ぶのであろう。おそらく、「馬鹿」というのではないだろうか?

 

詳論に入りたいが、まずもって総論に於いて貴殿の頑迷・妄執ぶりを指摘し、世間の方々にも確認して頂きましょう。

「仏法は道理。」道理が分からない者は「畜生」ですよ。

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132.DVDで荒稼ぎの樋田君へ

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月23日(月) 0時44分

 

>御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」

 

坊やまだわかっていないのかね!

宗祖が顕されたのは紙幅の本尊です、「彫刻板本尊」は顕されていないのですと、

繰り返し貴君にお教えしていますよ。

 

下記はすべて真筆です、宗祖はこれ以外に本尊を顕されていません。

大石寺で言う「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久

 

あるのかないのか返答しなさいよ!

DVDではないのですよ、

世界が注目しているのです。

 

 

日蓮大聖人の門下としては六郎僧、日興上人の本弟子六人、新弟子六人、後世、中老十二名、或は十八名等が数えられているが、中老として、岡ノ宮日法 鷲巣日辨、碑文谷日源、築地日門、中山日高、野呂日合、相橋日忍、濱戸日祐、池田日位、小港日家、小室日傳、村松日賢・興津日保・沼津日實・佐渡日得・曾谷日禮・小勝天目・墨田日秀の十八名を列記されており、また在家がおられるのであり、「本門戒壇の大御本尊」を知らないわけがないのである。

そうでしょ?

「背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」と違うのですか?

 

その客観的証拠を提示しなさいと簡単なことを言っているのですが、

貴殿では無理なのでしょうか?

 

では日蓮正宗・大石寺の日蓮正宗宗規 第一章 宗綱では、

 

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

「弘安二年本門戒壇の本尊を建立」と書かれています。

これは何を根拠に記されているのですか?

客観的に証明をしてください。

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131.宿坊氏、貴殿は、真に以って悪業深い出生の輩である。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月23日(月) 0時6分

 

▼弘安二年の真筆本尊と記しましたのは、すべて鑑定され真筆と認められているのです。

大石寺の「彫刻板本尊」 は鑑定を受けたのですか?

 

●御仏御自らに向かって「貴方は仏ですか?ちょっと疑わしいので調べさせてくださいね。」と、身長や、手や足の長さを測ったり、肌に触ってみたり、体温を測ったり、口を開けていただき口内をを覗いたり、胸に聴診器をあてたり・・・そういうことを平気でする馬鹿者が何処にいる?それこそ不信謗法ここに極まれり。である。

 

当初から貴殿に詰問し、貴殿から未だ明確な回答を得ておらぬが、

「戒壇の大御本尊様が偽物であり、宗祖大聖人様が顕された御本尊様ではない。」と断定できる物的及び直接証拠、あるいは文献はあるのか?と問う糾しているにも拘わらず、貴殿は精神障害者の如く、自らの主張のみ為し、自らに都合の悪い他者からの問い掛けには一切耳を貸さず頬被りを決め込み、ただ壊れたテープレコーダーの如く(事実今までの文章を閲するに、貴殿の脳髄は通常の理性的な思考回路の殆どがショートし、機能していない状態であると見受けられるが)ただ、無闇に御戒壇様を誹謗するのみである。

 

ではそう言うことを平気で言える貴殿の信仰する「三宝」とは何なのか?

 

貴殿が一心欲見仏・不自惜身命で求める「仏・法・僧」とは何なのか?

言えまい。言える筈がないのである。言えもしないで、ただ正統門家・深秘の相伝である「戒壇の大御本尊様」に邪難を乱問するだけの謗法者に何が解る?

 

貴殿はかつて御戒壇様を拝してそのお姿に、久遠元初自受用報身如来様即御本仏日蓮大聖人様の尊き御姿を拝し得なかったのか?

 

また、■「末学疑網を残すこと勿れ。日蓮霊山会上多宝塔中に於て、親り釈尊より直授し奉る秘法なり。甚深甚深、秘すべし秘すべし、伝ふべし伝ふべし。」の御姿を拝することができ得なかったのか?

 

更にまた、■「第十四 時我及衆僧 倶出霊鷲山の事

 御義口伝に云はく、霊山一会儼然未散の文なり。時とは感応末法の時なり、我とは釈尊、及とは菩薩、聖衆を衆僧と説かれたり。倶とは十界なり、霊鷲山とは寂光土なり。時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出づるなり。秘すべし秘すべし。仍って事の一念三千の明文なり。御本尊は此の文を顕はし出だし玉ふなり。」

 

この御文を、御戒壇様を拝し奉って、貴殿は読めなかったか?

 

真に、無慙極まりない宿善薄弱な前世・今世の不憫な輩であり、後生恐るべし、の者である。

 

各詳論に入る前に、貴殿の謗法の根性の醜さをとくと呵責しておく。

よくよく、その己が醜面を鏡に晒し凝視して見るがよい。

 

 

 

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130.貴殿の不信謗法の罪過を呵責する。

 

名前: 樋田 昌志 ?? 日付:5月23日(月) 0時5分

 

123.可愛い狸

 

名前:宿坊 日付:5月22日(日) 1時35分

について。

 

瑣末なことではあるが、貴殿の人となりを知る興味深い箇所なので一筆。

 

タイトルでは「可愛い」と言ってみたり、本文中では「可愛くない」と言ってみたり、貴殿の悩乱振りがよく現れた箇所ですな。

あるいはまた、心中の悔しさを押し殺して強がって「可愛い」と題しては見たものの、やはり、悔しさ堪忍ならず図らずも本音を吐露して「可愛くない」と出たか。

実に「可愛い」食法餓鬼さんですな。

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●以上、実名を名乗りながら明確に返答せよ。

 

▼実名を名乗りはすでに回答済みである。

 

●いや、回答は済んでいない。

「▼貴君は時間稼ぎの支離滅裂で、2度敗北しています。

●当方が貴殿が一方的に指定した期限を守らなければならない根拠を明かせ。」

これについての「回答」はまだ頂いていない。故に再度要求する。「実名を名乗りながら明確に返答せよ。」

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▼しかし坊やも、あまり可愛くないね!

「仏は所生・法華経は能生・仏は身なり・法華経は神なり。」を全く理解していない。

ここでは趣旨に反するので書き記さない。

 

●この御文は■「仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。」(本尊問答抄)ですね。

 

貴殿が知ったかぶりをして、尤もらしく御書を引き、「全く理解していない。」等と、強がりを言って力んでみても、その真意を「全く理解していない」のは貴殿である。

 

御法主日顕上人猊下御説法 (昭和六十年十月四日)において、勧心本尊抄の御講義に本尊問答抄の御文に触れられ、以下の如くの御指南をされている。

 

■「その所生というのは「生ぜられる」あるいは「生ずるところ」ということです。それから能生とは「能く生ずる」ということです。それでは、親と子を考えてみなさい。子供が親を産みますか。そのようなことはないでしょう。子供は親によって生ぜられたわけです。また、親は子供を能く生じたわけです。そういう場合は、親が能生であり、子供は所生なのです。だから、元があって生まれてくる場合には、その元のほうが能生であり、生ぜられるところのほうは所生です。その能生・所生の義をはっきりしなければなりません。」

 

まさに、一切の書写御本尊様はその御名の示す如く、「書写」であり、何かを「書き写された」のである。その書き写された大元の御本尊様を「能生」と申し上げ、書き写された御本尊様を「所生」と申し上げる。正に、その義ではないか?

 

明確な反論も出来ないくせに、「ここでは趣旨に反するので書き記さない。」だなどと生意気な口をきくものではない。みっともないからお止めになるべきであろう。

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129.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊  日付:5月22日(日) 12時15分

 

1480年・文明12年(滅後199年) 京都・住本寺 日叶作 百五十箇条 

(富要2 -245) 

若末法弘通の志の行者・法華金口の明説に於ての事、金口の明説とは法華なり、金口に付ては台家には金師の祖承・金口の相承とて二筋の法門有ること常の如し、当宗の金師・金口共に伝たるなり、」

 

今ではその邪義は「唯授一人血脈相承信仰」として、根を張り大木となってしまっているのです。正に大石寺の故郷は天台密教・比叡山延暦寺であり、本家は真言宗・高野山金剛峰寺なのです。日蓮正宗は公称ですが、本質は日蓮真言・日蓮密教なのです。

こんな輩に遠慮はいりません。私達、和合僧有志の徹底破折により、彼ら日蓮真言・日蓮密教を終わりにしてさしあげましょう!

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128.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊  日付:5月22日(日) 11時15分

 

大石寺のいう「本門戒壇の大御本尊」が大石寺の文書に、史上初登場したのは中世以降です。大聖人滅後300年近くたってからなのです。

これは変えることのできない、史実なのです。唯授一人血脈相承やら、法主は生身の大聖人さまなどの邪義は、天台真言・天台密教の影響をもろに受け、その邪義をたっぷりと吸収した京都の坊さん(日教)が、さびれ、衰亡していた大石寺に持ち込み、根付かせたのです。

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127.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月22日(日) 11時11分

 

例えとして善し悪しはありますが、もし、今から300年後のある人が「実は牧口会長から付属を受け、我が家に秘蔵厳護の大御本尊があるのだ。今から皆の為に拝ませてあげよう」などと言い出したらどう思われるでしょうか。

相手にされず、無視されて一人わびしく自滅するだけでしょう。これが常識というものです。又、創価学会はそんなものに騙される愚か者ではありません。

ところが、これを平気のヘイサでやっているのが日蓮正宗・大石寺なのです。こんな馬鹿なことがまかり通る世界、それが出家とやらの閉鎖・独善集団の異常性なのです。

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126.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月22日(日) 11時4分

 

日蓮正宗・大石寺・・・その本質は、坊主は「大聖人より唯授一人血脈相承正統だから」と後世作り上げた邪義の上にあぐらをかいているだけ。信者は「血脈正統で正しいのだろう」と妄信しているだけ。

坊主・信者ともに妄想にとりつかれ、迷信状態に陥っている、それが日蓮正宗・大石寺の正体なのです。

 

日蓮正宗・大石寺の「本門戒壇の大御本尊」「相承書」「血脈相承」などは、日蓮大聖人に直結し御書根本に、更に世に公になった史実を調べれば、誰にでもその正体がばれてしまう程度のものです。彼らの迷信を御書・史実を元に指摘し、夢物語を終わりにしてあげましょう!

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125.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊  日付:5月22日(日) 11時2分

 

(1573年・天正元年・滅後292年に大石寺14代となった日主の書状

「日興跡条々事示書・年月日なし」に「大聖より本門戒壇御本尊」とあります)

 

更にその本尊を「日蓮出世の本懐」と言い出したのは100年も後のことになります。

(1682年・天和2年(滅後401年)11/13よりの「日目350年忌の説法」22代日俊、「此の如く蓮祖御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に〜」大石寺にて)

 

「日蓮が秘蔵厳護されたによって、今まで世に存在が知られなかったが、まがうことなき日蓮真筆なのだ」と自主申告したところで、まずは物笑いのネタになるだけでしょう。

世間に信用してもらうためには、公の機関により客観的な鑑定を受ける、文証を提示する、世に発表するに至ったまでの経緯を詳細に説明する等、寺の真摯な努力が必要だというものでしょう。

 ところがふんぞりかえって「信無きものは地獄に落ちる」「拝ましてやる」などは、坊主の傲慢さという次元を通り越し、日蓮利用の破仏法ともいえるのではないかと思えます。

 

と、このようなことを前述のように、どこかの田舎寺が行なったら社会から無視、抹殺されるだけなのですが、大石寺だとなぜ通用してしまうのでしょうか。そこに日蓮正宗・大石寺の坊主によって植え付けられてしまった「大聖人よりの血脈正統」「御僧侶は法門の専門家だし」との妄信があるように感じますし、「大石寺教学病」の害毒は、日蓮正宗の内外でいまだ根深いものがあると思います。

要は「袈裟衣を着ている人をついつい特別扱いしてしまう徳川・江戸期以降の純日本人的意識」が遺伝子にしっかり刻まれてしまっているのでしょう。

 

しかし、目を覚まさなければいけない「新しい時」は来ています。大石寺の坊さんの時代はとっくに終っているのです。私達、和合僧・創価学会員の一人ひとりが「21世紀の新しき日蓮仏法」の当事者であり、主役であると思います。

何が日蓮・日興の教えで何が後世創作された日蓮正宗・大石寺の邪義・邪説なのか、明白にすべき時は今この時でしょう。

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124.戒壇板本尊に関する考察

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月22日(日) 11時0分

 

戒壇板本尊に関する議論の出発点は日蓮大聖人の御書、続く日興上人の教示です。日蓮大聖人が自らいわれ、不二の弟子である日興上人もいわれた「大聖人の出世の本懐」を明確にしてしまえば、後世に創作された「出世の本懐らしき物」のおかしさが明白だ、というものです。

 

ものごとはまずは常識で考えてください。ある田舎の日蓮系寺院が、日蓮大聖人滅後10年たっても無い、20年、いや50年、100年更には200年たっても存在しない「今までにない特別な本尊」なるものを日蓮滅後300年近くたってから主張したところでいったい誰が信用するでしょうか。

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123.可愛い狸

 

名前:宿坊  日付:5月22日(日) 1時35分

 

>1、この掲載されている御本尊が「すべて」であると言うことを御書及び「上古の文献」によって証明せよ。

2、この中で「本門戒壇」と記されている御本尊を挙げよ。

3、大聖人様仰せの「出世の本懐」であられる御本尊様は「本門戒壇」と記されている大御本尊様以外のどの御本尊様なのか例示せよ。

以上、実名を名乗りながら明確に返答せよ。

 

 

実名を名乗りはすでに回答済みである。

 

しかし坊やも、あまり可愛くないね!

「仏は所生・法華経は能生・仏は身なり・法華経は神なり。」を全く理解していない。

ここでは趣旨に反するので書き記さない。

 

弘安二年の真筆本尊と記しましたのは、すべて鑑定され真筆と認められているのです。

大石寺の「彫刻板本尊」 は鑑定を受けたのですか?

 

宗祖大聖人並びに日興上人は板漫荼羅を顕していないのが史実なのですよ。

だから坊や達が言うところの「本門戒壇の大御本尊」「彫刻板本尊」は本物ですか

と訊いてまんねん?

客観的証拠を出してからものを言いや。

 

 

次にこの中で「本門戒壇」と言っているが、本尊が安置されているところは、

すべて「本門戒壇」なのですよ、坊や!

それ位は常識ですよ。少しは賢くなりなさい。

 

「大本尊」と認められているのは「万年救護本尊」だけであり、

後は「大曼荼羅也」となっている。

 

弘安二年十月十二日「本門戒壇の大御本尊」を上代の文献で

客観的に証明しなさい。

 

「二箇相承」は何で使わないの?

老婆心ながら心配しています、

――――――――――――――――――――――

122.更に更に追問する。食法餓鬼へ。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月21日(土) 23時30分

 

次。

▼「偽相承書である「御本尊七箇相承」をしきりに持ち出し、日興上人が書写された本尊を説明しているが、逆に日興上人を貶めているのを学会員に指摘されている。」

1、「御本尊七箇相承」が「偽相承書である」ことを状況証拠ではなく直接証拠によって証明せよ。

2、上記の状況など実際の対論(貴殿が臆病で未だ実行できずに遁走している)では、なかったが?

 

チャプター 36(37)、七箇相承      02:19:52:20

【学 会】 七箇相承は何時誰が書いたかは疑問だが、御本尊書写の基準として存在していたから相貌に乱れがなかった。そこは宗門を評価したい。

【法華講】 身延の土産本尊はまさに御真筆。しかも七箇相承の通りに書かれている。では身延の功績は莫大なのか?

【学 会】 身延の土産本尊に「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」があるか?

【法華講】 確認はしていない。だが御真筆である。「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」があるかないかで本尊の真正を分別するのか?四天王のお認めがなされていない大聖人の御本尊もある。

だから結論として出世の本懐である大御本尊を元にしなくてはならないではないか。

では七箇の大事によって、宗門に御本尊の書写の形式が伝持されてきた事だけが尊いのか?

書写の姿だけだったらそれほど複雑なものではないから誰でも理解できる。

問題は誰が書写できて、誰が書写してはいけないのか。ではないか。

しかもその『御本尊七箇之相承』に

■「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九n)とあり、ここはどう読むのか?

【学 会】 江戸時代 自讃毀他を禁じる。そのため各宗派が自宗を正当化することから生じた言辞である。

【法華講】 七箇相承は興師時代のものである。日亨上人は一重線(御加文であるが義に於いて正しい)も二重線(後加文であり、疑義もある)も入れていない。

【学 会】 日興上人自身の七箇相承と違う相貌の御本尊があるからこの文は興師の文献ではない。

【法華講】 日亨上人が何故正文書として掲載されたのか。何を根拠にその事実を否定するのか?

【学 会】 今は答えられないから、宿題として次回へ。

**********************************************************

▼ではお聞きします、

弘安二年に日蓮大聖人が顕された本尊すべては下記に記しました。

「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

1、この掲載されている御本尊が「すべて」であると言うことを御書及び「上古の文献」によって証明せよ。

2、この中で「本門戒壇」と記されている御本尊を挙げよ。

3、大聖人様仰せの「出世の本懐」であられる御本尊様は「本門戒壇」と記されている大御本尊様以外のどの御本尊様なのか例示せよ。

以上、実名を名乗りながら明確に返答せよ。

**********************************************************

ついでに

▼樋田昌志君、少しは世間の常識を持ちなさい。

貴君は時間稼ぎの支離滅裂で、2度敗北しています。

●当方が貴殿が一方的に指定した期限を守らなければならない根拠を明かせ。

以上。

――――――――――――――――――――――

121.更に詰問する。不勉強の落第児へ。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月21日(土) 23時29分

 

●>日寛上人は戒壇の大御本尊を「書写」された訳だから、「仏法と申すは道理なり」であるが故に、明らかにそこに能所の立て分けがあり、戒壇の大御本尊が「能開」の御本尊であり、寛師御書写の御本尊は「所開」の御本尊である。

 

▼寛師書写本尊が「所開」とは訊いてあきれますが、 云々。

 

とは貴殿はどう「あきれたのか」?

「能所」の法義を知らない虚け者が、御本尊様の能所の筋目としての立て分けの法義を初めて聞いて驚愕している様が見て取れて、微笑ましい。

正に不勉強極まりない輩である。

 

【能開・所開】

■ 「法華経に二事あり。一には所開、二には能開なり。」唱法華題目抄   文応元年五月二八日  三九歳 98n

■ 「諸仏諸経の題目は法華経の所開なり、妙法は能開なりとしりて法華経の題目を唱ふべし。」十章抄   文永八年五月  五〇歳 230n

―――――――――――――――――――――――――――――

Q、池田大作氏は「もはや本尊はどれも同じ」といっていますが、正しいのでしょうか。

A、池田氏は本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊を混同し、会員の心を本門戒壇の大御本尊から離れさせようと企てているのです。

 御本仏日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に御図顕された人法一箇の「本門戒壇の大御本尊」が本宗の根本の御本尊です。

 これに対して、各家庭や各人に下付される御本尊は、その根源の本門戒壇の大御本尊の御内証を、唯授一人血脈付法の御法主上人が、その権能において書写され、本宗僧俗に下付されるのです。

 したがって、本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊は、もとより能開と所開の関係にあることを知らなければなりません。

 かつて創価学会では「私どもが留意すべき点について申し上げます。それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト 五六頁)と指導していました。

 大聖人は『題目弥陀名号勝劣事』に、「能開所開を弁へずして物知りがほに申し侍るなり」(全集 一一五頁 取意)と仰せですが、現在の池田氏率いる創価学会は、まさに大聖人のこの厳しい責めをこうむる大謗法を犯しているのです。(創価学会『ニセ本尊』破折 ――100問100答)

**********************************************************

次に「讃文」について。

●>法華講が「「若悩乱老頭破七分」と「有供養者福過十号」は“讃文”という呼称ではない。」と主張するが、宗内書籍にも少数ではあるが「讃文」との表現があるので訂正する。

 

▼宗内書籍と言い逃れを打っていますが、最初から「讃文」ですよ、

困った坊や達!

ここなども、不勉強で居眠りばかりしていた落第児の面目躍如である。

御書をはじめ、歴代法主上人が「若悩乱老頭破七分」と「有供養者福過十号」を直ちに「讃文」と表現された文証があるのか?提示してみよ。

当方は、そう記憶していたが故に、対面対論(貴殿が臆病で未だ実行できずに遁走している)では、「「若悩乱老頭破七分」と「有供養者福過十号」とういう御認めには「讃文」という表現は使わない」と主張したのである。が後の調査で御法主上人ではないが宗内文書で「讃文」と表現してあるものが僅かではあるが散見したので、こう訂正したのである。

今、貴殿のお陰で更に真偽を問うことが出来て幸甚である。

繰り返す。

御書をはじめ、歴代法主上人が「若悩乱老頭破七分」と「有供養者福過十号」を直ちに「讃文」と表現された文証があるのか?提示してみよ。あれば、素直に認めよう。頑張ってみたまえ。どの道、戒壇の大御本尊様が本物・偽物の論議には枝葉である。

**********************************************************

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120.敗者へ

 

名前:宿坊  日付:5月21日(土) 19時29分

 

樋田昌志君、少しは世間の常識を持ちなさい。

貴君は時間稼ぎの支離滅裂で、2度敗北しています。

 

今頃になって実名とは片腹痛いというものでしょう。

 

 

>共々に研鑽して大謗法集団創価学会の邪義を破折し破折し破折し抜いて御法主日顕上人に御奉公の誠を尽くしてまいりましょう。     樋田 昌志

 

 

御法主日顕上人に御奉公して差し上げなさい。

もしこれに答えることができないのなら、代わりの坊主をよこしなさい。

 

弘安二年に日蓮大聖人が顕された真筆本尊すべては下記に記しました。

「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久

 

 

――――――――――――――――――――――

119.とりあえず貴殿の無知振りを哂う。呵々

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月21日(土) 17時36分

 

きちんとした法論約定も決められないで、いよいよ、焦れて来て詳細な内容に入ってきましたね。

 

こういう論議をするのなら、まず「実名」を名乗りなさいよ。貴殿も心底性根の腐った方ですね。

 

でも、それも貴殿がニセ本尊の害毒によって「人間界」の道理や良識が理解できない三悪道の境涯に堕ちてしまったのだからしょうがないでしょうね。これを読まれる方々に貴殿の卑劣漢ぶりが克明に解って却って好結果です。

 

さて、貴殿のいうのは富士大石寺明細誌の

 

■「古伝に云く、此木甲州七面山の池上に浮び出て夜々光明を放つ、南部六郎実長の嫡男弥四郎国重之を取り上げ以て聖人に献ず等云云、又弥四郎国重の五字に就て表示し有りと相伝云云。」との箇所ですね。

 

この文書については編者である日亨上人が章末にこのように記載されています。

 

■「編者曰く量師の正本を見ず一二の転写本に依る誤字多けれども強いては改めず、少しく訂正を加へ全文延べ書と為す、又此書は先師も曽て怪奇の書と貶せられたれども写伝八方に飛びをれるより正評を加へて誤解なきやうに努むる必要あるより、全然誤謬に属する所には傍に○○点を附し、疑義に属する分には△△点を施して、読者の注意を惹かんとす」

 

そして当該文書の

『古伝に云』 『嫡男弥四郎国重』に△印がついており、疑義ある箇所と示されています。

 

つまり、この部分は伝説です。

 

だからと言って、今厳然と奉安堂にまします戒壇の大御本尊様が偽物という、物証にも、文証にもなりませんが?

何か問題でも?

 

それより、貴殿の信仰する「三宝」はまだ、明示できませんか?哀れですね。惨めですね。愚かですね。

 

続きはまた。

 

――――――――――――――――――――――

118.妙相寺 壮年部副部長 樋田殿

 

名前:宿坊  日付:5月21日(土) 15時50分

 

>法華講が「「若悩乱老頭破七分」と「有供養者福過十号」は“讃文”という呼称ではない。」と主張するが、宗内書籍にも少数ではあるが「讃文」との表現があるので訂正する。

 

 

宗内書籍と言い逃れを打っていますが、最初から「讃文」ですよ、

困った坊や達!

 

このような一般常識もわからずに、「所開」とか「能開」と無知をさらけ出していますが、

寛師書写本尊「所開」だと、小生が初めて訊いたのも「しょかい」です。

 

偽相承書である「御本尊七箇相承」をしきりに持ち出し、日興上人が書写された本尊を

説明しているが、逆に日興上人を貶めているのを学会員に指摘されている。

 

この程度の狐や狸が「本門戒壇の大御本尊」の真偽ができるわけがないのは一目瞭然です。

 

 

>共々に研鑽して大謗法集団創価学会の邪義を破折し破折し破折し抜いて御法主日顕上人に御奉公の誠を尽くしてまいりましょう。     樋田 昌志

 

 

ではお聞きします、

弘安二年に日蓮大聖人が顕された本尊すべては下記に記しました。

「本門戒壇の大御本尊」はどれですか?

 

図顕日付 通称/授与

弘安2年2月 日 妙心

弘安2年2月 日 釈子 日目

弘安2年4月8日 日向法師

弘安2年4月8日 優婆塞日田

弘安2年4月 日 比丘日弁

弘安2年6月 日 比丘尼日符

弘安2年7月 日 沙門日法

弘安2年9月 日 日仰優婆塞

弘安2年10月 日 沙弥日徳

弘安2年11月 日 優婆塞日安

弘安2年11月 日

弘安2年11月 日 沙門日永

弘安2年11月 日 優婆塞日久

――――――――――――――――――――――

117.寛師書写本尊が「所開」? ? (^O^)

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月21日(土) 11時21分

 

妙相寺 壮年部副部長 樋田

妙観護 支区幹事   黄倉

 

>日寛上人は戒壇の大御本尊を「書写」された訳だから、「仏法と申すは道理なり」であるが故に、明らかにそこに能所の立て分けがあり、戒壇の大御本尊が「能開」の御本尊であり、寛師御書写の御本尊は「所開」の御本尊である。

 

 

寛師書写本尊が「所開」とは訊いてあきれますが、「仏法と申すは道理なり」の

「本門戒壇の大御本尊」を未だに話術、幻術・妖術・口八丁でその場をしのいでいます。

 

君たちの技量では最初から無理だと申していました。

もうウンザリしていますので上代の文献で証明してください。

できなければ大石寺の妖怪偽法主日顕を連れてきなさい。

――――――――――――――――――――――

116.法華講1さんへ

 

名前:宿坊  日付:5月21日(土) 10時54分

 

ここは「本門戒壇の大御本尊」を論じるところです。

 

>大御本尊様を偽物といっているが

 

日蓮大聖人が直接顕されたのであれば問題ありませんが、

日興上人日目上人大聖人様もご存じないとすれば、れっきとした「偽物」ですよ。

 

「七面山の池上に浮び出て夜々光明を放っていた材木を弥四郎国重が取り上げ、大聖人に献上し、大聖人が筆で認め、日法が彫刻した」この話しは事実なのですか? 

それとも伝説なのですか?

 

弘安二年十月十二日に出世の本懐とげられたのであれば、

上古の文献を持って客観的に貴方が証明しなさい。

すでに狐と狸は遁走しています。

 

 

――――――――――――――――――――――

115.君は、創価学会をどう思うかを

 

名前:法華講1  日付:5月21日(土) 7時58分

 

宿坊へ。君は大御本尊様を偽物といっているが、

学会をどう思う。学会は将来か一部の人では現在、大御本尊様が偽物だと君のようにいっているのもいるようだが。

君は、創価学会をどう思うかを、聞きたいね。

 

――――――――――――――――――――――

114.初信の方も貴殿に呆れていますよ。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月21日(土) 0時26分

 

よく精神に異常をきたした方で、人の言う事は丸っきり聞こうとしないで、一日中自分の世界に閉じ篭ってブツブツと独り言を言い続けている方がいるようですが、貴殿もそのような状態に陥っているらしいですね。

真に三宝誹謗の恐ろしさを現身に体現しているようです。

 

最近入信したばかりの私の親友から以下のような率直な感想のメールが届きました。

 

『連日、濡れ落ち葉、腐れ堆肥の宿坊さぁんのお相手でお疲れになっていませんか??本当に大丈夫??ですかぁ??』

 

『宿坊さんて、樋田さんの書き込みをちゃんと読んでいるのでしょうか?樋田さん、大変ですね。』

 

仏法の深い法義を知らないまだ入信間際の方がこのように貴殿を評している。

まさに初信の方にでさえ、貴殿の謗法の果報による頑迷固陋で、醜悪・卑劣な本質を見抜かれてるということであろう。

 

■「抑各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ。能く能く過去を御尋ね有らば、なにと無くとも此の度生死は離れさせ給ふべし。すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり。敢へて人の上と思し食すべからず。」

この大聖人様の尊い御指南のごとく、入信したてで健気に正しい仏道を求めるこの友は、まさに過去世に深い宿善があり、■「すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。」との御本仏の御言葉の如くに、今生で必ずや成仏の境涯を感得することでありましょう。

 

翻って貴殿を観察するに、正に■「提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり。敢へて人の上と思し食すべからず。」との御指南のごとくの浅ましい姿に他ならないでしょう。

 

無間地獄に堕ちる前に早く、とにかく一刻も早く目を覚まして下さい。

そして正しい「三宝」に帰依して下さい。

これ以上罪を重ねるのをお止め下さい。

――――――――――――――――――――――

113.いつまでかかっているの 

 

名前:宿坊 ?? 日付:5月20日(金) 0時11分

 

坊や、スレッドは「本門戒壇の大御本尊」です、しっかりしなさい。

上古の文献で早く証明しなさいよ。

世界中が注目しています。

坊やの肩に日蓮消臭の運命はかかっています。

がんばりなさいよ。

――――――――――――――――――――――

112. 仏法と申すは道理なり 

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月20日(金) 0時4分

 

「道理」が分からなくなっている方は、「仏法」の信仰・修行されていないということであり、まさに「外道」もしくは「無宗教」の類ですね。

 

まずは三宝帰依の必要性と正しい三宝への信仰をしないとどうなるかということから説かなくてはいけませんね。

 

正しい三宝に純真に帰依しないとどのような末路になるんでしたっけ?

 

詳細はまた。

 

――――――――――――――――――――――

 

111.あほくさ

 

名前:宿坊  日付:5月19日(木) 23時48分

 

もう少しましな回答はできんのか?

上代の文献では答えられないのだな。

「三師御伝土代」に本尊に関して記述がある。

ひょっとして 「本門戒壇の大御本尊」に関係あるかわからん。

もう少しだけ時間を上げるので頑張りや、坊や。

――――――――――――――――――――――

110.最早思考停止状態ですね?三宝誹謗の極悪果報の恐ろしさよ。

 

名前: 樋田 昌志 日付:5月19日(木) 23時24分

 

さてここまで貴殿が頑迷だとは思いませんでした。期待はずれで残念です。

こういう状態を、以前にも指摘しておいたが「馬鹿の一つ覚え」「唖法を受けたる婆羅門」と言うのである。こんな様ではこれを読む読者に失礼というものである。

 

三宝誹謗で破壊され切った貴殿の脳髄には最早「人間界」の言葉は通じないであろうから、以後は貴殿を当方の触発の縁としてこれを読まれる方々の今後の信仰活動の一助となればとの思いで破折する事にします。

 

戒壇の大御本尊様は久遠本因下種の不可思議の御妙体であり、広宣流布の暁の根本法体であるが故に、「時を待つべきのみ」で、その深義は唯授一人の御相伝により日興上人へ「密付嘱」せられた。

「密付」という御相伝であるが故にその深義そのものを明確に顕す御文が正統門家内にすら公開されていないことは当然である。

しかも上足の五老僧以下門下の僧俗全てが大聖人の御本意が「御曼荼羅御本尊」であることすら信解できていなかった。

五老系は、畏れ多い事であるが、曼荼羅御本尊を死者と共に葬るほどの程度であったが故に曼荼羅本尊なかんずく戒壇の大御本尊の尊く深き意義など知ろうはずもなければ、知る機根にもなかった。

当然戒壇の板大御本尊を文献に残すほどの関心ももちろん信心もなかった。

が故に上古における戒壇板大御本尊の記述が希少であることは、理の当然である。

がしかし、「日興跡条々の事」に「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」との重要極まりなく尊い御指南が遺されている。

(貴殿はこれを偽書と言いたいのだろうが、宗門古来からこの書は最重要書のお取り扱いであり、学会も発足以来真書であるとの主張をしてきたのであるから、貴殿がもし偽書と主張したいのならば古文献の研究としてのその明確且つ論理的な根拠を提示すべきである。)

弘安二年のみならず大聖人御一期に御顕しになられた御本尊様の中で「本門戒壇」の御銘記があられるのは弘安二年十月十二日御建立の正に今、日蓮正宗奉安堂に御安置申し上げる大御本尊様以外にはない。

もし他にあると言うのならそれを提示すべきであるし、宗門上古から並々ならぬ御苦労をして厳護申し上げてきた現におわします「戒壇の大御本尊」が後世の偽作であると主張したいのなら、(学会も歴代会長をはじめ全ての会員がそう主張し、そう信解し、多大な功徳を賜ってきたのであるから、)その明確な根拠を示すべきである。しかも、もし、偽物であると主張するならば、学会発足当初から破門されるまでの期間にここで表現出来えないほどの多くの功徳を学会員が享受してきた事実をどう説明するのか。

また、もし偽物と主張するならば、それは「魔仏」であるわけで、それを自ら率先して拝み、会員をも拝ませてきた歴代会長、なかんずく池田会長以下全ての学会員の謗法の罪過はどう説明するのか。明晰な回答をするべきであろう。

こういう中学生でも理解できる道理・筋道・論理が貴殿には理解できないほど謗法の報いで脳髄が破壊されてしまった訳で、壊れている本人はその事には気がついていないだけである。「臭きを溷厠に忘る」・・・貴殿の日常生活を推測するにその壊れぶりでは如何か、と肌寒くなる思いである。

 

では続きはまた。

――――――――――――――――――――――

109.もうすこしだ 名前:宿坊  日付:5月19日(木) 23時6分

 

戒壇の大御本尊を証明する時間は後一時間だけ!

 

全世界がみています、君の力で、覆してみなさい。

 

今晩0時までだ!

 

さあ、頑張りなさい。

 

法太郎も、日顕も君に期待しているぞ!

 

がんばれ!

――――――――――――――――――――――

108.頑張りたまえ

 

名前:宿坊  日付:5月19日(木) 17時50分

 

樋田くん、きみこそ全宗教界の期待に応え、戒壇の大御本尊は本物と直ちに証明してみよ!

 

私が後世の創作物と論証せずとも、日蓮正宗以外の日蓮系宗派は、偽物・創作物との共通認識なのだよ。

 

君の力で、それを覆してみたまえ。

 

今晩0時までだ!

 

さあ、頑張りなさい。

 

揚げ足とリ、屁理屈、呪いの呪文だけでは証明とはならないのだよ。

 

全宗教界、日顕も君に期待しているぞ!

 

――――――――――――――――――――――

107.頭の悪いタヌキに再掲 

 

名前:宿坊 日付:5月19日(木) 11時23分

 

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

 

 

日蓮正宗宗規 第二条の正当性を客観的に証明しなさい。

――――――――――――――――――――――

106.おやおや・・「瞋るは地獄」ですよ。名前: 樋田 昌志  日付:5月19日(木) 7時19分

 

もう手詰まりですか?

 

当方の反駁に対し、少しは堂々と反論したら如何ですか?

やはり、信仰する三宝がないのに、末法の真の三宝を誹謗し続けている悪果報で、直ぐに感情的になり、熟慮考察することが苦手になってきているのでしょうかね。

 

だいたい、反論不能になると「アホ」だの、「磔獄門」だの、「タヌキ汁」だのと、凡そ仏法を論ずるに不適切な言辞が出てくるのも、学会員共通の習癖でしょうか。

 

まだ顕正会の方が貴殿らよりは潔いところがありますね。

頑迷さは同類ですが。

 

さあ、今日一日、昨日の当方からの反駁及び破折に対しての再反論を試みなさい。

期限は今日の夜の12時まで。

 

では頑張って。

 ――――――――――――――――――――――

105.アホくさ

 

名前:宿坊  日付:5月18日(水) 23時43分

 

坊やは全く反論になっていないよ。

「本門戒壇の大御本尊」の証明するのに、日達とか日寛はいりません。

的はずれです、少しは常識を持ちなさい。

本来ならこれだけで磔獄門行きです。

再掲するのでよく読みなさいね、坊や!

 

 

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

 

 

日蓮正宗宗規

第一章 宗綱

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

 

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

 

「本門戒壇の大御本尊」の正当性は君たち「日顕宗」が証明しなくてはならないのです。

出来ないというのは偽物だからでしょ?

 

明日一日あげますので「本門戒壇の大御本尊」を証明しなさい。

冷やかしはタヌキ汁にしますから。

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104.さあ、明日一杯に返答せよ。そして実名と三宝はどうした?

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月18日(水) 23時14分

 

B 細井日達氏の説法「広宣流布まではしまっておく」

日蓮正宗機関誌『大日蓮』163号

■「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇建立ということになるのでございます。それまでは戒壇の御本尊をおしまい申しかたく護る。先師方が客殿の後ろの奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すということを仰せられております。わが本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後ろに奥深く戒壇の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁までは、しまっておくということになる。・・・・戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にあるのでございます。・・・」

 

▼話しの内容が@からBにかけ、変化しているのがお分かりでしょう?

 

●簡単である。変化していって当たり前である。貴殿は「戒壇の大御本尊様」の御義が時代と共に伝播されていったことを知らないのであろうか?

上古は本門事の戒壇のその唯一絶対の御義が全く流通・伝播されておらず、戒壇の大御本尊様の真の尊さ、有り難さは余人には理解できなかった。が故にある意味、他の大聖人様御真筆御本尊と同様の考えであった訳で、格段の厳護を要する状況ではなかったと拝察されるのである。がしかし、時代が下ると共に、正系門家の最重要法門が他へ伝播されるにあたり他門ら及び国中の謗法者らの怨嫉・嫉妬・憎悪の矛先がまさに戒壇の大御本尊へと向けられる状況となり、上古に比して格段の厳護を要する時代状況に移り変わって行ったのである。そういう700年以上にも亘る時代の変遷を踏まえての御法主上人の御指南であり、何ら矛盾はないである。(ちなみに貴殿ら創価学会は高々50・60・70年ぐらいの歴史しかないのに、特に破門以降のここ10数年で従前の主義・信条を悉く捨て去り、全く正反対の主張をなしている。この変節漢どもが歴代の法主上人の御指南をシ邪難するなど、実に滑稽極まる醜態である。自らの根性の下劣さを省みず、他を闇雲に批判している世間にも多々いる下衆で卑しい種族である。)

ただ、学会のお先棒担ぎ・提灯持ち・太鼓持ち等の邪眼・邪心の者にはそういう至極当然の道理が理解できないだけの話である。

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▼速やかに上代の文献で「本門戒壇の大御本尊」を証明しなさい。

 

●速やかに上代の文献で「本門戒壇の大御本尊」を「偽物である」と証明しなさい。

早くし給え。いつまで待たせるのか?不勉強ではないか。そんなことでは、学会のお偉いさんの機嫌を損ねてしまうぞ。「太鼓持ち」が失業してしまうではないか。この不況の寒空の下、どうしていくのか?老婆心ながら忠告しておく。

急ぎ急ぎ上古の文献で「偽物」と証明して見せよ。

 

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103.お待たせ。宿坊君 

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月18日(水) 23時13分

 

●>日亨上人仰せあり。

 

▼堀日亨上人は何を根拠にしてそのように言われているのでしょうか?

「日蓮正宗」の僧侶だからかばってそのように言われているのでしょう。

 

●あいも変わらず「愚か=癡」ですね。

そう言う貴殿は「何を根拠にして「戒壇の大御本尊様が偽物」と言われているのでしょうか?学会のお先棒担ぎ・提灯担ぎ・太鼓持ち役として、学会をかばってそのように言われているのでしょう?」呵々

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▼寺の中での信者相手の「マニュアル」は、外部には無効で通用しないのです。

 

●謗法者達の道理を見失った醜怪な妄論は、外部には無効で通用しないのです。

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▼要はズバリ証明するしかない。

出来ますか、坊やには?

 

●要はズバリ「戒壇の大御本尊はん偽物!」と証明するしかない。

出来ますか?貴殿に。

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▼大石寺の板本尊は本物なのか?

その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

たった、これだけなのです。

 

●大石寺の板本尊は偽物なのか?

その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとらずに、後の誰がどのように彫刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木じゃないと証明できるのか?

たった、これだけなのです。

**********************************************************

▼日蓮正宗は「密附」「完全秘蔵厳護」説、

日達上人は「門下なら誰でも拝せた」・・・この矛盾をどうするのでしょうか。

 

●後に解説するが矛盾でもなんでもない。貴殿が蒙昧なだけ。

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▼というか、日蓮正宗の体質では、既に大聖人を密教の教祖に貶めている、とも思いますが。

 

●その道理・文証・現証は?当方は全くそうは思いません。貴殿の思い込みの主観とお付き合いする時間も義務もない。

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▼現日蓮正宗と過去の日達上人並びに、堀日亨上人の大正15年8月8日と 大正14年11月20日の戒壇本尊関連部には、「日亨上人仰せあり」が吹っ飛んでしまうことが記されている。

 

●ほう?ではその日亨上人の全文を掲載し給え。それから徹底的に破折する。

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▼両上人の発言は、自宗の宗義の根幹に関するスタンスなど、その時の都合で簡単に変わる、という見本のようなものです。

 

●上記提示してから言い給え。文証も提示せず、一人合点で妄断するべきではないでしょう。

**********************************************************

▼要するに本音と建て前が使われていたと言うことです。

 

●貴殿の根拠のないところから導き出される主観的な判定をそのまま用いられるはずもない。上記の如く日亨上人の全文を出し給え。

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▼@ 弘安4年11月、身延山中に十間四面の堂宇が完成した後のことについての、細井日達氏の説法「参拝信徒が皆拝んだ」

 

昭和40年2/16 第1回正本堂建設委員会での指南 

■「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・」

 

●当然でしょう。大聖人様が日興上人へ「密付嘱」されたのは、弘安二年十月十二日の大御本尊様が実は正しく上行所伝の三大秘法・更には根本の御法体・一大秘法であり、将来本門寺・事の戒壇の正中が正の大曼荼羅である、という御義であり、他の門下は全く計りし得ない深淵・深秘な御法門・御境地であられるのであって、その義を知りえない僧俗が自然の形の中で合唱礼拝していても何の不思議も不自然もない。

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■A 細井日達氏の説法「身延の十間四面の堂に安置した」

昭和47年1月号  「大白蓮華」に寄せた指南

「身延の日興上人御在住の時の十間四面の堂には・・・戒壇の大御本尊を安置してあったことは明らかであります。・・・」

 

●上記の如く全く何も問題は見出せないが?

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102.大石寺の神話

 

名前:宿坊  日付:5月18日(水) 13時41分

 

>日亨上人仰せあり。

 

堀日亨上人は何を根拠にしてそのように言われているのでしょうか?

「日蓮正宗」の僧侶だからかばってそのように言われているのでしょう。

 

寺の中での信者相手の「マニュアル」は、外部には無効で通用しないのです。

要はズバリ証明するしかない。

出来ますか、坊やには?

 

 

大石寺の板本尊は本物なのか?

その造立に当たり、日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

たった、これだけなのです。

 

日蓮正宗は「密附」「完全秘蔵厳護」説、

日達上人は「門下なら誰でも拝せた」・・・この矛盾をどうするのでしょうか。

 

というか、日蓮正宗の体質では、既に大聖人を密教の教祖に貶めている、とも思いますが。

 

現日蓮正宗と過去の日達上人並びに、堀日亨上人の大正15年8月8日と 大正14年11月20日の戒壇本尊関連部には、「日亨上人仰せあり」が吹っ飛んでしまうことが

記されている。

 

両上人の発言は、自宗の宗義の根幹に関するスタンスなど、その時の都合で簡単に変わる、という見本のようなものです。

 

要するに本音と建て前が使われていたと言うことです。

 

@ 弘安4年11月、身延山中に十間四面の堂宇が完成した後のことについての、細井日達氏の説法「参拝信徒が皆拝んだ」

 

昭和40年2/16 第1回正本堂建設委員会での指南 

「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです」

 

A 細井日達氏の説法「身延の十間四面の堂に安置した」

昭和47年1月号  「大白蓮華」に寄せた指南

「身延の日興上人御在住の時の十間四面の堂には・・・戒壇の大御本尊を安置してあったことは明らかであります。その大御本尊を日興上人が大石寺の本堂に安置され、大聖人生身の御影は御影堂に安置せられましたが、その後、本山の陵夷により本堂御影堂が一堂となり、戒壇の大御本尊は御影とともに安置されてあったようであります。しかしその後、御宝蔵が大きく造立せられてから、大御本尊は御宝蔵にお移し申し、御影堂には日精上人の板本尊が安置せられたと思われます」

 

B 細井日達氏の説法「広宣流布まではしまっておく」

日蓮正宗機関誌『大日蓮』163号

「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇建立ということになるのでございます。それまでは戒壇の御本尊をおしまい申しかたく護る。先師方が客殿の後ろの奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すということを仰せられております。わが本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後ろに奥深く戒壇の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁までは、しまっておくということになる。・・・・戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にあるのでございます。誰がみても今の奉安殿は外から見ても立派である。しかし戒壇の御本尊様のまわりをご覧なさい。石である。石で囲ってあるきりで、蔵ではないか。そこに何を供えてあるか。・・・シキミの花を供えるのが本意であります。奉安殿の中にシキミがありますか。ないじゃあないですか・・・そのシキミは客殿にあります。客殿にみなさまが(丑寅)勤行において二回目に唱える奉安殿に向かって遥拝する、あそこにシキミがある。だからこれを以て推していくと、戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にしまってある。蔵してあって拝むのは、外から遥拝する。ただ特別に内拝のために(戒壇の御本尊の)そばまで行って拝めるというのである。だから今度はその戒壇の御本尊のお出ましを願って、はじめてそこに本門寺の戒壇建立ということが出来上がるのでございます。お出ましは先程から申すところの、いわゆる広宣流布の暁である」

 

話しの内容が@からBにかけ、変化しているのがお分かりでしょう?

速やかに上代の文献で「本門戒壇の大御本尊」を証明しなさい。

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101.更なる破折

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月18日(水) 9時54分

 

>保田妙本寺の第十四代・日我は「久遠寺の板本尊、今は大石寺にあり。

 

▼いけませんね、坊や!

日我は永正5年(1508)〜天正14年(1586)。保田妙本寺ですよ。

1279から1300年代の文献で証明してみなさい。

 

●今まで再三反詰して貴殿の愚昧な痴問そのものが本門戒壇の大御本尊様への疑難として論理的な設問の体を為していない、と提示しているのにまだ理解できないのですね。

 

貴殿の、その簡明な道理すら理解できなくなった謗法の果報には今更ながら驚かされます。

 

人間として生まれてきて、ここまで愚昧になってしまうとは、げに三宝誹謗の極悪果の報いの恐ろしさを貴殿の言動において思い知らされます。まさに三毒熾盛で三悪道の姿を現身に顕している様ですね。

「癡」がこれほど進行しているということは、他の「貪り」の根性・「瞋」の性分もいや増して盛んなことでしょう。(それらも貴殿の今までの言動に如実に顕れているが)

 

また、それはこれを見る法華講・学会双方の方々にも感じ取れることでしょう。散見する関連スレッドへの各種書き込みにもそれが看取できます。

そう言う意味では貴殿が果たす役割は大であると言えましょう。

 

かの三位房が己が慢心により大退転して悲惨な末路を遂げたように、貴殿も自ら信仰する三宝もないまま、本門戒壇の大御本尊様と血脈承継の日顕上人をここまで悪し様に誹謗し続けていけば、その極悪謗法の報いを内外に示し、「あれよ、大謗法者の末路のおそろしさよ。」と後学の大いなる戒めとなることでしょう。

 

今後も、貴殿の大謗法の果報で歪み切った醜面をとことん暴き切って貴殿の狂乱振りを更に更に公にしていきましょう。その狂体を見て呆れかえって正信に目覚める方もでることでしょう。そうなれば貴殿も無量劫が間地獄に堕ちた後、救われる功徳の一分ともなりましょう。

 

さて、上記の愚問に対する反駁だが、上代の文献で明示されていない出来事など数え切れないほどあり、(それは何も日蓮正宗の宗史に限らず、あらゆる歴史的事象に言えることであるが)戒壇の大御本尊様の御事だけに文献がない訳ではない。

 

日亨上人仰せあり。

「本門戒壇にはむろん本門の大曼荼羅を安置すべきことが、とうぜんであるので、未来建立の本門戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのがいまの本門戒壇大御本尊であり、(中略)開山上人は、これを弘安二年に密付せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、」云々。( 富士日興上人詳伝 下  聖教文庫 59ページ)

 

大聖人様は日興上人お一人に「密付嘱」せられたのであるから、当然内外に文献が希少なのは当たり前である。

 

学会でも認める碩学の大学匠・日亨上人がこうはっきり断言されていることに貴殿は唾を吐き掛けているわけである。

 

以下の詰問に論旨明瞭に返答せよ。

 

1、貴殿は日亨上人より優れた研究と見識をお持ちというのか?

 

2、もし、日亨上人の御見解が間違っていて「本門戒壇の大御本尊が偽物」というのならば、日亨上人の「邪説」を何故「聖教文庫」で発行したのか?その「大謗法」を諌めなかったのか?

 

3、それとも、日亨上人がこの「富士日興上人詳伝 」を著された後に、「戒壇の大御本尊様が偽もの」であるという「新証拠」でも発見されたのか?

 

この「富士日興上人詳伝 」から現在までにある大きな変化といえば、創価学会が大退転してこの本門戒壇大御本尊に御内拝できなくなったという真に無慙極まりない厳たる事実である。

 

その悔しさと自己正当化の為だけに、以前「白」と言っていた事を何の根拠もないまま「黒」と言いくるめるがごときの無節操な変節漢と成り果てたのが創価学会であり、貴殿はその

▼お先棒担ぎ(軽々しく人の手先になって働く。)である。

▼提灯持ち(ある人の手先となってその人をほめてまわること。また、その人。)である。

▼太鼓もち(宴席に出て客の遊びに興を添えることを職業とする男性。幇間(ほうかん)。人にへつらって気に入られようとする者。)である。

 

よくよく見下げ果てた根性であり、急ぎ急ぎ改心すべきである。

 

以下の痴問にはまた今度。

 

 

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100.狐は去りなさい、役立たず

 

名前:宿坊  日付:5月18日(水) 1時14分

 

>「戒壇の大御本尊が顕わされて大聖人様の御化導が完結するんですよ。」

 

その文証を「正依」に基づいて出したくださいとお願いしているのですよ。

未だに出せないではありませんか?

 

「本門戒壇の大御本尊」は日蓮大聖人作ではないため、客観的証拠を

提示できないのでしょ?

 

 

>大御本尊以外に大聖人御化導の完結が

 

それを君たちが証明できなかったのです。

気にしなくてもいいのですよ、元々存在しないのですから。

何だったら「放射性炭素14年代測定法」で鑑定してみますか?

すぐに「日蓮正宗」は潰れるでしょ。

妙観講はどのように責任をとるのですか?

日顕も偽法主だから別にどうでもいいとか?

妙観講代表ですからもう少し骨があると思っていましたが、

所詮ゴキブリ法太郎、アホのれいな、裏山のタヌキ、キツネの類です。

後残るは淫乱法主日顕だけ、

連れてきなさい、介錯しますので。

そのように申し伝えておきなさい。

――――――――――――――――――――――

99.みなさん、ありがとうございました。

 

名前:黄倉です。  日付:5月18日(水) 0時2分

 

みなさん、ありがとうございました。

 

宿坊さん、ぜんぜん、ダメです。。

 

最後に一言、「戒壇の大御本尊が顕わされて大聖人様の御化導が完結するんですよ。」

みなさん、大聖人の化導の全体を知らない者の戯言に付合うのは、もう辞めましょう。

 

どんな立場で戒壇の大御本尊を否定するのか、戒壇の大御本尊以外に大聖人御化導の完結があるというのか、楽しみにしていましたが、自ら信じる三宝もなく(人類も大切な友人も救えない)、しかも、大聖人を信じているかのように装い、大聖人の化導を破壊する行為に執着する変態学者であることが、ほぼ明かになったので、この辺で一度〆たいと思います。(狂人走って、不狂人走るの愚は、馬鹿らしい)

 

では、日蓮正宗法華講の勝利です!! みなさんありがとうございました。

 

・・みなさん、もう遠慮なく書き込みしましょう!

 

(宿坊さん、ホッとしたでしょう?)

――――――――――――――――――――――

98.バカなことを書くものではない。

 

名前:宿坊  日付:5月17日(火) 21時3分

 

君は一体何を遊んでいるのか。

ここの掲示板は駄文を書く場所ではない。

君は上代の文献で、本門戒壇の大御本尊を証明することができなかった。

 

だから最初からいいっているでしょ!

狸の出る幕ではありませんと、

さっさと日顕宗のハゲを出しなさい。

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97.ご予定はいつ頃?

 

名前:黄倉です。  日付:5月17日(火) 19時18分

 

ご予定はいつ頃?

 

まだ、宿坊さんの三宝、きまらないですか?

 

強がるの・・もう辞めた方がいいんじゃないですか?

 

では、宿坊さんの三宝が決まるまでの間、法華講員での会話・・

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法華講A:「彼ら、誰かにそっくりじゃない?」

 

法華講B:「そう、大乗非仏説論者と似てるよね?」

 

法華講C:「釈迦の活動した地方ではパーリ語だった、でも大乗経はサンスクリット語だからおかしい・・」

 

法華講A:「なんか似てるよね。」

 

法華講A:「経典の結集は小乗経の方が先、大乗経は後だから、後世の偽作だ?」

 

法華講A:「なんか似てるよね。発想そのものが・・」

 

法華講A:「後から結集したということであれば、小乗も数百年くらい経過しているし、大乗と同じ、如是我聞で結集された条件は同じ。また、小乗結集から大乗結集が100年以上経過しているといっても文字にしてなかっただけのことで、当時の暗記を託された修行者の記憶力は大変良かった訳で、現代人の記憶能力から考えて「おかしい」ととらえるのは、教えの高低を理解できない者の論理、木を見て森を見ない愚か者とは大乗非仏説論者のことだよね。 教えの高さを持って取捨しなければならない。」

 

法華講B:「そうそう、さらに大乗では、「未顕真実」「二乗作仏」「久遠実成」等、真の一念三千は法華経本門にしか説かれていない。法華経本門が存在して小乗大乗すべての教えが円満な教えと開かれるんだから・・木を見て森を見ない愚か者だね。」

 

今回の宿坊氏の議論でいえば・・<お〜っと ストップ!>

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ところで、宿坊さん!三宝決まりました?

 

真面目そうな議論に見せかけて、純真な人を騙すのは辞めて、新興宗教としての道を思い切って進んだらどうでしょう。

 

この際、裏山タヌキを真剣に検討されてはいかがか?

 

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96.まりは けりたし まりはなし

 

名前:宿坊  日付:5月17日(火) 10時52分

 

裏山の狸は「本門戒壇の大御本尊」を証明できなかったことは、

世界中の方がご存じである。

 

君たちは本物の邪宗「日顕宗」である。

「日蓮正宗」と名乗りたいのなら日蓮正宗宗規第二条を客観的に証明しなさい。

 

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

 

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

出来ないのであれば世迷いごとを述べるでない。

 

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95.横レス 失礼

 

名前:keiraku  日付:5月17日(火) 1時49分

 

始めまして 樋田昌志さん keirakuと言います。

この板知ってますか?

法太郎「戒壇の大御本尊」は本物か? 

http://www2.ezbbs.net/11/owrokdb5mu/

 

ここも一度行って見るとよろしいかと思いますよ。

 

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94.まあまあ、そう慌てずに、ね。宿坊さん。ゆっくりしていきましょうよ。

 

名前: 樋田 昌志  日付:5月17日(火) 1時17分

 

学会員と学会員とのやりとり。

下記の続き、抜粋

 

>(※学会員の信仰が)自立して自律したその信仰によって功徳の体験に満ち溢れてきたと思いますがどうでしょうか?

 

違います、学会の根本は今でも大御本尊です。

大御本尊への信仰が根本にあって初めて「自立して自律したその信仰によって功徳の体験に満ち溢れてきた」のです。

破門以来の教学試験の教材を見ても、弘安2年10月12日は、大御本尊建立の日としており、学会版過去帳の「12日」のところには、弘安2年10月大御本尊建立とあります。

 

学会のオフィシャルサイトにも、10月12日は大御本尊建立の日として、記念行事を会館を使用して開催するとあります。

http://www.sokagakkai.or.jp/data/katsudou/katsudou03.html

 

したがって日顕憎しのあまりに、「本門戒壇の大御本尊」まで偽物などというのは、大御本尊根本の信仰を指導してきた、師匠に対する師敵対であり、会員の信仰を壊す天魔です。

 

あわせて「二箇相承」についても、学会オフィシャルサイトでは偽書などと一言もありません。

http://www.sokagakkai.or.jp/member/download/data/data042.html

 

よくよく学会の信仰のあり方を認識すべきです。

 

「大御本尊偽物」や「二箇相承偽書」は、すでに過去に日蓮宗の学者らがいっており、学会はそれらの盲説と真っ向から対決してきたのです。

 

「大御本尊偽作説」については黒柳明氏が、「二箇相承偽作説」には渡辺通子氏が、助教授論文として過去の大白蓮華に発表しています。

 

今読み返しても立派な論文であり、宿坊氏はじめ大御本尊や二箇相承に疑義を申す、最近の学会員の論評など過去の日蓮宗の盲説を取りまとめただけであることがよくわかる。

 

――――――――――――――――――――――

93.終わったのです

 

名前:宿坊  日付:5月17日(火) 1時14分

 

>本門戒壇の大御本尊は、宗祖の出世の本懐である。

 

だからそれを証明してくださいと何週間前から言っているのです。

しかし坊やは証明できなかった。

 

君たちでは無理だと思いますので、ハゲを連れてきなさい。

そして君が望むなら第三次敗者復活戦をしてあげます。

 

――――――――――――――――――――――

92.これは愉快!転写させていただきます。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月17日(火) 1時0分

 

通行人@学会員 [URL]  2005/05/14 (土) 00:49

 

本門戒壇の大御本尊は、宗祖の出世の本懐である。

 

二箇相承も日興跡条々事も、大石寺に正当な宗祖以来の血脈が伝わってきた文献的証書である。

 

日顕憎しのあまり、根本まで否定するやからは、宿坊氏のように地元では退転者扱いとなってしまうのだ。

 

彼を重宝するのはoni-oniだけだ!

 

「長野法論」や「埼玉対決」などを見てもわかるとおり、oni-oniのメンバーは、学会教学とはまるで違った邪義・我見を撒き散らし、結局は脱会者づくりに加担している結果となっている。

 

そんなくだらん邪義・我見を考える暇があれば、東京でも行って来い。

 

行けん距離ではなかろう。

新聞も選挙も戦わず、家庭指導にもまわらず、ただ「日顕を倒す」といって組織活動から逃げているだけじゃないか。

自分でつくった掲示板でも、妙観講の黄倉氏や妙相寺の樋田氏に攻められ、反論不能ではないか。

あれでは学会員として、どんなに色眼鏡をつけてみても、宿坊氏の負け戦だ。

「日顕を倒す」どころか、日顕宗の信者にもかなわないではないか。

 

大体「本門戒壇の大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々事」が偽物ならば、池田先生も戸田先生も詐欺師じゃないか。

創価学会も詐欺集団だったということになる。

 

「本門戒壇の大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々事」を偽物といいたいならば、学会をやめ日蓮宗の信徒にでもなって言えばいい。

 

学会はどこまでも「本門戒壇の大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々事」の真偽など問題にしないのだ。

 

――――――――――――――――――――――

90.以下の文を「若鷹」に書き込んだ。実名を送付し給え。宿坊君?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月17日(火) 0時39分

 

あいも変わらず貴殿の程度の低い書き込みには学会員も法華講員も落胆・失望していることでしょう。

 

さて、貴殿が図らずも紹介して下さった、「正顕」氏の論文を拝読しました。正に正論と存じます。氏の正々堂々とした論に感服いたします。

 

そこで貴殿の痴問に対する

当方からの宿坊への破折

 

1、▼「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳。

文永9年  →   1272年

「本門戒壇の大御本尊」は 

弘安2年  →  1279年

坊やが引用した文証には、文永9年に「出世の本懐とはこれなり」と仰せであるから、

弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊は「存在しない」となる。」

 

●こういう邪難を正に「馬鹿まる出し」と言うのである。

この「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳」の御義は、法華経に説かれる「宝塔」こそまさに一身即三身の御曼荼羅御本尊の御事であり、その御曼荼羅御本尊こそ大聖人様の「出世の本懐」であるぞ、との御心であります。そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。

 

貴殿のような者をこそ、「文に囚われ、義の解せぬ者。増してやその意をや。」大聖人様の御聖意に通じぬ、外道の醜怪な謗法者のなれの果てである。

■「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る」

愚かなるかなや、貴殿の偏執の深さよ。

 

2、▼「宗祖書写本尊の中で「大本尊」と認められているのは、

文永十一年十二月の万年救護の本尊だけである。」

これまた、表層の文に囚われ深意を読み取れぬ浅見の浅はかさを思いっきり露呈した愚問である。「大本尊」との御認めには深慮が拝せられるが、ここでは本題ではないので省略するが、

まず、

 

第1、「「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す」(御書P.883)との如く、この大聖人様から日興聖人へ、その後日目上人へと御相伝された「大御本尊」は「弘安二年」との御記述である。万年救護の「大御本尊」は「文永十一年十二月」御作であるから、既に「大御本尊」との脇書のみでの邪証は破綻してる。

それ以上の深義は謗法の極悪を重ねきった貴殿らに説明してあげることもないから、反詰だけして、貴殿の不勉強ぶりとその迷妄の深さを浮き彫りにしておこう。

 

第2、

1、 万年救護の「大御本尊」様には四天王が御認めか否か?それは何故そうなのか、「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。

 

2、 「日蓮」の御名と「御花押」は何処に御認めか?それは何を意味するのか?「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。

 

3、 十界の御配列にはどなたまでが存して、どなたからがいらっしゃらないのか?それは一体どういう意義を御表わしになられているのか?「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。云々。

 

今日はこの辺で留めておくが、貴殿らには全く正当な返答は不可能であろう。

 

さて、貴殿らの実名は?まだ名乗れませんか?この経緯を見ている学会員が、表面上では貴殿らに媚び諂ってはいるが、内心ではさぞや情けなく思っていることであろう。心ある法華講員からは直接貴殿らの無様さを嗤うメールがしばしば送信されて来ている。

 

さあ、今回の当方からの詰問にまともに返答してみよ。

できなければ貴殿らはトランクス一枚で覆面を被ったまま、頓死。死後は無間地獄必定である。今からでも前非を悔いて脱会することだ。よろしいか?

 

さて、貴殿の要求通り、「若鷹」へ書き込んだ。

**********************************************************

● >貴殿らの実名は?まだ名乗れませんか?

 

▼若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)に書き込みなさい

すぐにお送りします。貴殿宛にね。

**********************************************************

との約束通り、実名を当方へ送信して頂きましょうか?

当然であるが、その「実名」が実在の人物であり「宿坊」であると証明できる何らかの証拠添付のこと。

よろしく。

 

 

――――――――――――――――――――――

83.反証になっていませんよ

 

名前:宿坊    日付:5月16日(月) 0時33分

 

>保田妙本寺の第十四代・日我は「久遠寺の板本尊、今は大石寺にあり。

 

いけませんね、坊や!

日我は永正5年(1508)〜天正14年(1586)。保田妙本寺ですよ。

1279から1300年代の文献で証明してみなさい。

 

 

>第1、「「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す」

 

「日興跡条々の事」が日興真筆であると証明して下さい。

 

 

>大聖人様から日興聖人へ、その後日目上人へと御相伝された「大御本尊」

 

推測、憶測はいけません。上古の客観的文献を提示して下さい。

 

 

>第2、1、2、 3、

 

「本門戒壇の大御本尊」の証明にはなっておらず、質問替えしは認められません。

 

ここで判明することは「本門戒壇の大御本尊」の何の反証ともなっていないことです。

日蓮正宗の「正依」もしくは上代の文献にて証明して下さい。

 

 

 

>貴殿らの実名は?まだ名乗れませんか?

 

若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)に書き込みなさい

すぐにお送りします。貴殿宛にね。

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

82.まだ続きがったんだよ。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月15日(日) 23時32分

 

正顕へ

>大聖人は『阿仏房御書』(P.793)に、宝塔=曼荼羅本尊を指し給いて「出世の本懐とはこれなり」と仰せであるから、明らかに、弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊の御事を指されて、このようにお示しになられているのである。

 

 

阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳。

 

文永9年  →   1272年

 

 

「本門戒壇の大御本尊」は 

 

弘安2年  →  1279年

 

坊やが引用した文証には、文永9年に「出世の本懐とはこれなり」と仰せであるから、

弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊は「存在しない」となる。

 

 

>「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す」(御書P.883)と示されていることからも、本門戒壇の大御本尊の存在が裏付けられている。

 

 

宗祖書写本尊の中で「大本尊」と認められているのは、

文永十一年十二月の万年救護の本尊だけである。

 

お疲れさん

ご苦労さん。

 

尚、敗者復活戦を望むのなら申し出よ。

以上

 

**********************************************************

当方からの宿坊への破折

 

1、▼「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳。

文永9年  →   1272年

「本門戒壇の大御本尊」は 

弘安2年  →  1279年

坊やが引用した文証には、文永9年に「出世の本懐とはこれなり」と仰せであるから、

弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊は「存在しない」となる。」

●こういう邪難を正に「馬鹿まる出し」と言うのである。

この「阿仏房御書(宝塔御書) 執筆 文永九年三月十三日。五十一歳」の御義は、法華経に説かれる「宝塔」こそまさに一身即三身の御曼荼羅御本尊の御事であり、その御曼荼羅御本尊こそ大聖人様の「出世の本懐」であるぞ、との御心であります。そして、「聖人御難事」の仰せを重ねて拝すれば、その「出世の本懐である御曼荼羅御本尊の中でもなかんずく、弘安二年の十月十二日の「本門戒壇」との脇書のあらせられる「大御本尊」様が「出世の本懐中の本懐」であるぞと、そういう立て分け、筋目によって判ずる御法門である、と拝するのである。

貴殿のような者をこそ、「文に囚われ、義の解せぬ者。増してやその意をや。」大聖人様の御聖意に通じぬ、外道の醜怪な謗法者のなれの果てである。

「明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る」

愚かなるかなや、貴殿の偏執の深さよ。

2、▼「宗祖書写本尊の中で「大本尊」と認められているのは、

文永十一年十二月の万年救護の本尊だけである。」

これまた、表層の文に囚われ深意を読み取れぬ浅見の浅はかさを思いっきり露呈した愚問である。「大本尊」との御認めには深慮が拝せられるが、ここでは本題ではないので省略するが、

まず、

第1、「「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す」(御書P.883)との如く、この大聖人様から日興聖人へ、その後日目上人へと御相伝された「大御本尊」は「弘安二年」との御記述である。万年救護の「大御本尊」は「文永十一年十二月」御作であるから、既に「大御本尊」との脇書のみでの邪証は破綻してる。

それ以上の深義は謗法の極悪を重ねきった貴殿らに説明してあげることもないから、反詰だけして、貴殿の不勉強ぶりとその迷妄の深さを浮き彫りにしておこう。

第2、

1、 万年救護の「大御本尊」様には四天王が御認めか否か?それは何故そうなのか、「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。

2、 「日蓮」の御名と「御花押」は何処に御認めか?それは何を意味するのか?「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。

3、 十界の御配列にはどなたまでが存して、どなたからがいらっしゃらないのか?それは一体どういう意義を御表わしになられているのか?「日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で」証明せよ。

云々。今日はこの辺で留めておくが、貴殿らには全く正当な返答は不可能であろう。

さて、貴殿らの実名は?まだ名乗れませんか?この経緯を見ている学会員が、表面上では貴殿らに媚び諂ってはいるが、内心ではさぞや情けなく思っていることであろう。心ある法華講員からは直接貴殿らの無様さを嗤うメールがしばしば送信されて来ている。

さあ、今回の当方からの詰問にまともに返答してみよ。

できなければ貴殿らはトランクス一枚で覆面を被ったまま、頓死。死後は無間地獄必定である。今からでも前非を悔いて脱会することだ。よろしいか?

 

――――――――――――――――――――――

81.少しは人間らしく振舞ったら如何か?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月15日(日) 23時31分

 

あいも変わらず貴殿の程度の低い書き込みに学会員も法華講員も落胆・失望していることでしょう。

さて、貴殿が図らずも紹介して下さった、「正顕」氏の論文を拝読しました。正に正論と存じます。氏の正々堂々とした論に感服いたします。依って今回は、その論を全文引用掲載させていただき、更にその論ついて宿坊なる痴犬が、自らの偏狭な妄見を元として苦し紛れの邪難を吐き掛けているのを、僭越ながら摧破させていただき、次の破折への一区切りと致します。

 

邪説は粉砕してあげるね  

正顕

宿坊君、お前さんは破門されて異教徒となった学会池田教の邪説のお先棒を担ぎ、本門戒壇の大御本尊を偽作呼ばわりしている。云く『日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」は偽物か?』等と大謗法を犯し、一人悦に入って、勝手に勝利宣言とやらを決め込んでいるが、拙者がその迷妄を砕いてあげよう。

 

まず、本門戒壇の大御本尊が日蓮大聖人の出世の本懐であることの文証を挙げれば、弘安二年十月一日に顕された『聖人御難事』にある文を見れば明らかである。すなわち「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし、先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」(御書P.1396)とある。

 

この御文は、三国四師といわれる四人の法華経の行者のうち、釈尊、天台、伝教の三師が出世の本懐を遂げるまでの年数を「四十余年」「三十余年」「二十四年」として示され、そこに至るまでの間、いずれも大難に遭った事を挙げられているのである。

 

次いで、それに対比する形で、日蓮大聖人の場合は「今に二十七年、弘安二年なり」と仰せられる。すなわち「余は二十七年、弘安二年なり」とは、語の重複を避けながら、その理の示すところ、「余は二十七年にして出世の本懐を遂げるなり」と仰せられた意味以外にはないのである。

 

されば、大聖人は『阿仏房御書』(P.793)に、宝塔=曼荼羅本尊を指し給いて「出世の本懐とはこれなり」と仰せであるから、明らかに、弘安二年十月十二日御図顕の大御本尊の御事を指されて、このようにお示しになられているのである。更に、その大御本尊の脇書きには「本門戒壇」とのお認めが記されている事からも疑う余地はない。したがって、弘安二年十月十二日の大御本尊以外には、出世の本懐と認められる御本尊は存在しないのである。宿坊が振りまく「偽物か?」との邪説は、悪質にして為にする的外れな誑惑なのだ。

 

続いて「蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。」等と。

 

これも、宿坊が知ったかぶりを鼻にかけて偽書と言っている『日興跡条々事』には「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を相伝す」(御書P.883)と示されていることからも、本門戒壇の大御本尊の存在が裏付けられている。

 

余談になるが、五老僧なるバカ者等は、「天台沙門」を自認し、釈尊一体仏に執着して大聖人御筆の御本尊を、あろうことか、死人に被せたり巻き付けたりして、死人と一緒に埋葬してしまうような認識しか持ち得なかったのであるから、本門戒壇の大御本尊に対しての、その重大意義など知る由もないし、彼等の書き物とて、存在しないのは推して知るべしというもの。

 

序でに傍証として明らかにすれば、保田妙本寺の第十四代・日我は「久遠寺の板本尊、今は大石寺にあり。大聖御存日の時の造立也」(富要集四巻P.170)と記されている。さらに、京都要法寺の第十八代・日陽も「駿洲富士大石寺は御開闢の地也(中略)日本第一の板本尊、高祖眉間の骨舎利、水精の瓶塔に入れて親しく拝見す」云々。(富要集五巻P.59)と記されているのである。

 

以上のとおり、文証、道理、現証のうえからも明らかであり、宿坊如き謗徒にオチョクラレル理由は存在しないのである。

 

――――――――――――――――――――――

80.裏山の狸さん

 

名前:宿坊    日付:5月14日(土) 23時6分

 

次は君の番ですよ

 

いらっしゃい〜〜

 

そこのガリガリの妙観も連れて来なさい。

 

――――――――――――――――――――――

79.太り目の狸(たぬき)さん

 

名前:宿坊    日付:5月14日(土) 22時45分

 

>「では本気を出しますか。」

 

全世界が笑わしてもらいました。

 

坊やの実力は「「慧妙」」の新聞と同じ、便所のケツ拭きにもならない。

 

だから入り口に立って「ボソボソ」と言うのは気持ち悪いのでよしなさい。

 

君を出し抜いて正顕と言うバカが先に書き込んでいるが。

 

坊やよりよっぽど学がありそうに見える。

 

――――――――――――――――――――――

78.ほとほと腐り果てた根性ですね。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月14日(土) 21時55分

 

貴殿の腐り果てた性根にはただただ驚嘆するしかない。

がしかし、この往還を見る方々にとってはそれが法華講員であれ、学会員であれ、貴殿が三宝誹謗の罪過及びニセ本尊の害毒で如何に人格が破壊されたか、如何に人間としての尊厳を捨て去り、畜生同然、否、畜生にも劣る醜悪な心根の持ち主に成り果てたかを鮮明に浮き彫りにすることで三宝誹謗の罪業やニセ本尊の害毒の深さを感じ取っていただければ大きな成果である。貴殿の現の姿、これこそまざに人界から畜生界へ転げ落ちた様そのままであり、仏法の賞罰の厳しさ・峻厳さに身も凍るのである。

 

今回の段では、こうして本格的な論議に入っているのも拘わらず、貴殿は当初の約束の実名を明かさず、言を弄して卑劣に逃げ回っている。再三明示するが、以下の貴殿の自らの言に対して余りにも無慙・無愧の、凡そ良識を持った人間にはあり得ない醜態を全国に晒している。

 

▼公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致します。

 

当方は貴殿のこの言を信じて法論を承諾しその準備に入ったのである。しかし、貴殿はこの期に及んでも、この明白な自らの言を履行しようとしない。最早貴殿は人間の皮を被った畜生以下の存在であることを自ら全国に証明し、また、その臆病且つ卑劣な性根を自覚できないほどニセ本尊の害毒が心中深く入り込んだ、毒気深入の生物である。斯様な生き物には人倫の言葉は理解できず、人間以外の他の生物に、例えばミミズとか、毛虫、蛇の類に、人間の言葉で話しかけても無駄な如くの様態を呈している。

 

ではあるが、これは最早貴殿との応対でなく、貴殿の心中深く入り込んだ魔性との対決として、論を進める。貴殿の破壊され切った脳髄などもはや問題ではない。貴殿の役割は、その根源の魔性の触媒でしかない。哀れなものである。

 

本題に入る前にここで貴殿の三宝誹謗の罪報の現証を鮮明に指摘し、今後の本格的な貴殿を触媒とした魔性への破折を開始することを念告するものである。

 

――――――――――――――――――――――

77.山寺の狸(たぬき)さん

 

名前:宿坊    日付:5月14日(土) 11時9分

 

 

>実名を明確に名乗り、いよいよ法論本戦を始めようではないか。

 

敗者復活戦を望むのなすぐに開始してあげよう。

君らでは役不足なのでもう一人日顕宗のハゲを連れて三人でやろう。

三人を許可してあげるのだから、寝言の駄文は書かないように。

 

まず上代の文献で身延在住に「本門戒壇の大御本尊」弘安二年十月十二日が存在していたことを客観的に証明しなさい。

偽書はだめ。

 

反論文書確認後、貴殿宛にメールする。

このような簡単なことも答えられず、いつまでも逃げ回っていること自体

日顕宗の恥だと心得なさい。

 

――――――――――――――――――――――

76.新参狸へ

 

名前:宿坊    日付:5月14日(土) 10時48分

 

戒壇の大御本尊様御自らが絶対なる「証拠」であられると、

子供だましは通用しないことぐらい、頭の悪い貴殿にも理解できるものと思います。

 

日蓮大聖人が筆をとり認め、それを日法が謹刻したのか?

その板は本当に鎌倉時代の楠木なのか?

それを客観的に証明できる文証を提示しなさい、

 

大石寺の伝統芸である、話術、騙しのテクニック、枝葉の言葉の揚げ足取り、

日達さんの言を出しても駄文で反論にはなっていません。

身延に「本門戒壇の大御本尊」弘安二年十月十二日に存在していたこと。

要はズバリ証明するしかない、やってごらんよ、坊や達!

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

75.では本気を出しますか。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月14日(土) 10時25分

 

ここまで貴殿が卑劣にも逃げ回るのであれば、いよいよ貴殿の「無法レベル」まで降りていきますよ。

 

▼日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

 

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)

 

との設問だが、

1、「文献による証拠」も何も、戒壇の大御本尊様御自らが絶対なる「証拠」であられるのですよ。

 

御先師日達上人御指南

■「大御本尊は楠の板で、その時分は鉋(かんな)がなかった、鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。だから、あの御本尊は手斧削(けず)りである。それを見れば、すぐわかる。それを知らないで、『漆を塗ってあるから、あれは足利時代にできた』とか、最近は『徳川時代にできた』などと、とんでもないことを言う。ところが、あれは、後ろを見ると、みんな、削った跡がちゃんと残っている。それを見ても明らかに鎌倉時代である」(昭和四十七年九月十二日)

 

■「その御本尊様は、もう六百八十年も前にできた板御本尊でございまして、これは、当時、鉋(かんな)というものがなかった、鎌倉時代でございますから。あの板御本尊様は、明らかに鉋では造ってないのであります。

みんな手斧(ちょうな)、手斧といっても戦国時代あるいは室町時代にできた丁飽(ちょうな)でなくて、もっと古い、まさかりみたいな手斧で削られておるのでございます。それが歴然としてあの板御本尊に残っておるのでございます。それを見ても鎌倉時代、大聖人の時代にお造りになった御本尊様である、ということがはっきりしておるのでございます」(昭和四十七年十一月二十日)

と仰せられ、大御本尊が鎌倉時代(大聖人御在世)に建立されたことを証明なさっている。

 

文献云々よりも現実の「証拠」が何よりも雄弁に真実を証明する、ということは、世間・仏法の通規・通例ではなかろうか?

 

これについての論理明晰な反論を求めます。

 

さて、こうして法論条件も何も決めていないのに貴殿の「我が侭」にお付き合いして真っ向から答えたのであるから、貴殿はいよいよ、実名を名乗るべきであると考えるが如何か?

 

貴殿の「応援団・・もしかして貴殿自身?」である、SGI-USA有志 君も以下のように言われている。

 

法論開始を要望 投稿者:SGI-USA有志 投稿日:2005/05/12(Thu) 22:40

「まずそちら(※当方)が法論の応戦の第一歩を示したあとで、

そしてその直後に宿坊氏が実名を公開しなければ、それはそちらの勝利になり、法論はその場で決着する。」

 

当方は本来貴殿の一方的な条件の下での法論には反論する必要はないのであるが、今般貴殿の迷妄を破すために、敢えて「応戦の一歩を示した」のである。(もう既に上記の痴問の本質的な矛盾点は打ち砕いてあるが)であるならば貴殿は直ぐにも「実名を公開しなければ、それはそちら(当方)の勝利になり、法論はその場で決着する。」まさに貴殿の応援団SGI-USA有志君の言うとおりである。

 

さあ、宿坊君、実名を明確に名乗り、いよいよ法論本戦を始めようではないか。

(法論条件の詳細な詰めは貴殿の今までの応対から推測してまず不可能であろう。当方は貴殿らの提示した極めて不平等な条件を受けないことを明示し、本格的な論議を開始する。)

 

では、実名の明示と、明晰で理知的な反論をお待ちする。

 

――――――――――――――――――――――

74.申し渡す

 

名前:宿坊    日付:5月14日(土) 0時23分

 

淫乱法主日顕の弟子、樋田・黄倉両名は、

宿坊との法論において一矢報いることも出来ず、

「身延在中に弘安二年十月十二日、本門戒壇の本尊が存在していた」

客観的証拠を提示することなく敗北し遁走した。

 

よってここに勝利宣言をするものである。

尚、敗者復活戦を望むのなら申し出よ。

                        以上

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

73.貴殿らが哀れでしょうがない・・

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月14日(土) 0時10分

 

本当にしょうがない人(達)ですね。

これほど明確に貴殿らの論理破綻を指摘しているのに分からないんでしょうね。

 

■「盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。」立正安国論

 

貴殿らは、仏教の根幹の三大秘法について全く盲目で、物事の筋道や道理が分からなくなっていて、しかも煩悩の惑に迷っている、が故に、浅はかにも邪な説をそのまま信じており、従って正しい教えと、その法体がまるで見えない哀れな境涯となっている。

 

謗法・邪宗教の本当に怖い報いは 貪・瞋・癡 が増すことなんですよね。

つまり、貪欲が燃え盛り、足ることを知らない餓鬼道を現じ、常に何事にも瞋りを感じ、つまらぬ事でムカムカしている、これは地獄です。そして、物事の道理がまるっきり分からなくなり、人間の皮を被った畜生の如くに物事を判断しそのまま行動する境涯となる・・・貴殿らの書き込みを見るとまさにこの三悪道の境涯ですね。

今からでも心から懺悔すれば遅くないですよ。

一刻も早くニセ本尊を破却して、日蓮正宗に戻って来給え。

 

――――――――――――――――――――――

72.宿坊殿へ

 

名前:反創価    日付:5月13日(金) 21時49分

 

宿坊殿は、「HN」 はどのくらいあるのですか?

 

言うことと、やることが一致しません。そんな方は、法論には不向き

 

です。即刻退場勧告する。

 

――――――――――――――――――――――

71.みんなの声を聞け、直ちに証明せよ。

 

名前:宿坊    日付:5月13日(金) 17時0分

 

既に君たちは敗北している。

 

死に体なのだ。ゾンビが御託を並べてもうるさいだけだ。

 

 

 

生き返りたければ、ストレートに本門戒壇の御本尊を証明してみよ。

 

その君たちの証明を今度は検証してやろう。

 

 

 

さあ、全宗教界の要望に答えてみ。

 

スレッドのテーマを見てみよ、

 

君たちが証明しなければならないステージなのだよ、ここは。

 

 

ゾンビよ、繰り返す、ストレートに本門戒壇の御本尊を証明してみよ!

 

今、君たちにみんなが求めているのはそれだけだ。

 

 

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

70.え?まさか、こんな準備段階で反論不能? うぞ!

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月13日(金) 12時35分

 

そうそう、吉川幸道氏がかつて当方を訪問してきた折、「ああ、あなたが有名な"居眠り幸道"さんですか。ただの禿頭(とくず)の・・」と言った当方の一言に随分怒りを露にしていましたね。

 

それから当方の所属寺院・妙相寺に一緒に行き、唱題会で集まっていた婦人部に開口一番「あなたは何宗の僧侶ですか?」と聞かれ、いきなり絶句してましたっけ。

 

そのうちに、幸道氏が日顕上人をあまりに誹謗しているから「では、あなたは一体どなたの御書写の御本尊を拝んでいるか?」と婦人部が問い詰めたところ、なんと日顕上人の常住板御本尊様であることを渋々白状したのです。で、すかさず媚笑いをしながら「30万で買わない?」って言ってきましたね。

今はどんな本尊を拝んでいるんでしょうかね?

貴殿らは知りませんか?

 

さあ、昼休みの息抜きタイムは終わりにして、きちんと反論してき給えよ。

課題提出の締め切りまであと、11時間25分ですぞ。

 

――――――――――――――――――――――

69.これで遁走しないでね。毎日が楽しみなんだから。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 23時59分

 

1「大聖人様御真筆の御本尊の御事は全て「上代の客観的文証」に表現されているのでしょうか?これに明確に答えられたら、花丸を差し上げます。そしてその御褒美に上記の設問に答えてあげましょう。

さて、こうして貴殿のレベル迄降りて論題の一端に触れてあげたのだから、「すぐにでも当方宛に実名をお送り」下さい。

よろしいですな?」

 

この反問で貴殿の稚拙な設問の愚昧さが分かろう筈なのだが貴殿には無理だったらしいので、さらに噛み砕いて提示する。

 

2「大聖人様の御遺しになられた全ての御本尊について、御書もしくは日興上人・日目上人・日道上人等の上古の文献にその全ての記述が遺されているのですか?

と訊いているのですが、この反問されている意味が理解できれば、貴殿らの設問自体不毛だということが自ずと理解できるのですが、覆面したままトランクス一枚で興奮している貴殿(ら)には無理ですかね?」

 

そして、自分が信仰している三宝を立てられない貴殿らに三宝の尊厳を説かれた様々な御書を示し、更には地獄界の恐ろしさを説き示し、次の事実を提示して更に貴殿らの設問の自己矛盾を突いた。

 

●「昭和33年に戸田城聖が死去し、昭和35年5月3日、池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任しました。その就任式の席上、池田氏は、

「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」

と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表しました。

 

すると、この時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのでしょうか?それともこの時はまだお若かったから、教学的に未熟だったから知らなかった?功徳はあったのでしょうか?無かったのでしょうか?古い学会の皆様どうでした?それとも、いつの間にか、すりかえられたのでしょうか?いつまでが「本物」でいつからが「偽物」になったのですか?破門されてから急に?・・・・いや〜疑問は尽きませんね。

 

で、貴殿らの実名と、帰依する三宝は?言えない?そうですか。」

 

これほど明確に貴殿らの愚昧な脳髄に、分かり易く貴殿らが提示した邪難の滑稽さを指し示してあげているのに、貴殿らは故意にか、もしくは本当に理解できないほどニセものペラペラ本尊様の掛け軸の害毒が脳髄の奥深くまで沁み込んだか、ここでも、頬被りを決め込んで反論できずにいるので、更にもっと噛み砕いて以下の文を提示した。

 

●「池田センセ〜〜(万歳(まんせ〜〜))もかつてこのように仰っていたじゃないですか?

 

▼ 「仏・法・僧の『三宝』を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(広布と人生を「騙る。」いや、もとい、「語る。」六― 一九八n)(大拍手)

 

この書物は昭和52年ぐらいから60年ぐらいのものでしょう?

すると、いつ「戒壇の大御本尊様」は「偽物」と交換されたのでしょうか?

その年限を明示してくださいな。

 

でなければ、池田センセ〜〜・(まんせ〜〜、大拍手)は、「偽物を信じろ!供養しろ!」と私たち無知の信徒に強要していたのですかね?

 

そのどっちでしょうか?

御高名な「宿坊」さん等にお訊きしますよ。よく意見を纏めてからお答えくださいな。」

 

これに対して、貴殿らは、対論条件についても、実名に於いても、当方からの反詰内容についても全く返答不能状態になっている。という醜態を晒し続けているのである。

 

一刻も早く上記の実名、対論条件、当方からの反問の全てに返答せよ。

貴殿に準えて当方でも期限を「明日一杯」と設定する。

 

がその反論に成功しない場合でも当方は貴殿を末永く破折し抜く心算なので、そう心配しなくても良い。

 

――――――――――――――――――――――

68.イライラしてました?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 23時57分

 

> (10)その他の規則及び判断・判定、追加規則、掲示板におけ

> る納得いかないこと等があれば、これらは若鷹の掲示板で意見

> を聴聞並びに収集し、確認並びに決定する。それらの最終確認

> ・判定は原則として管理人が行う。又、ギャラリーの意見や管

> 理人の判定を含め双方それらの状況を確認するために、若鷹の

> 掲示板(http://www2.ezbbs.net/26/wakataka/)を必ず参照する

> こと。

 

上記の趣旨と同様。管理人に「規則及び判断・判定」の権限を与えるのならば、法華講側からも判定役を立て、同等の権限を与えるべき。

それが公平性というものであろう。

また、法義対論そのものの内容が重要なのであるから、若鷹の掲示板を参照する義務は負わない。

 

> (11)進行役・ジャッジを『若鷹の掲示板』管理人が兼務する

> 。但しあくまでも法論の当事者が基本的には中心となって議論

> を進めつつも、「ボタンの賭け違い」「反論になっていない」

> 場合など、管理人は必要最低限の進行役・ジャッジを試みるこ

> と。また管理人はギャラリーの指摘・意見に耳を傾けつつ、公

> 正なジャッジを行うこと。

 

上記の趣旨により 不可。

ただし法華講側からの司会者を認めるのであれば 可。

管理人・司会者等が必要以上に介入する場合はそれを排除する権利を対論者は有することとする。

 

> (12)法論開始時においては規則を以上とするも、新たな規則

> が法論進行中にできた場合にはこれを追加する。また判定結果

> を対戦両者は真摯な姿勢で受け止めること。

 

判定は双方の管理人・司会者の協議によること。

 

ただし、勝敗基準は

 

1.反論不能

2.反論の趣旨逸脱

3.反駁を無視し同様の設問を繰り返す

 

以上の状態を3回忠告しても続けた場合とする。

 

当然のことであるが上記の判定により敗北が決定した場合は勝者の宗旨への改宗をすること。

 

また、この対論集は必要とあらば実名にて出版されることとし、その際の金員の授受は承認することとする。

またその際内容に関して名誉毀損等の訴えを双方起こさないことを確認する。

 

概ね以上であるが、ご意見を伺いたい。

 

テーマについても貴殿らの一方的な論題ではなく、再度検討しあうべきと考えます。」

 

等と、諸条件についての調整を提案した。

この件に関しては、貴殿は未だ全く未回答である。

更に

 

●「また、いづれにせよ、こうして既に公開法論に向けての約定の取り決めに入っているのであるから、実名を明かしたら如何でしょう。

当方ははじめから実名を明かし貴殿に法論要請をし、貴殿もそれを承諾したのであるから、貴殿も明かすべきではないでしょうか?

 

では貴殿の実名とそれが「宿坊」氏であると証明できるものを開示していただける事をお待ちしています。

誠意ある対応を宜しくお願いします。」

 

との再確認を行い、それに対して「誠意ある対応」を頂けないまま、今に至るのである。

またこの後、法論約定が確定していないのでは、本来では法論内容に踏み込む状況ではないのであるが、貴殿の遁走を防ぐために、何点か貴殿らの設問の稚拙さを詳らかにするための反問をしている。

 

――――――――――――――――――――――

67.お待たせしましたね。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 23時56分

 

今まで顕正会の方々と「対面対決」してきましたんで、遅くなって申し訳ありませんでした。

では、貴殿が提示した期限などに当方が拘束される謂れは全く無いが、ここで今までの経緯を整理しておきましょう。

 

まず貴殿からの提案に対して、当方からの返信の中の要点は、

 

●「1.実名による、

2.ビデオ撮影あり、後に公開あり、

3.見学者あり、

4.反論不能な場合は勝者の宗旨への改宗。

との条件での公開対論を望んでいます。

もしくは、「実名による公開文書対論」でもかまいません。

「宿坊」と仮名を用いる貴殿が堂々と実名(当人であることの証明が必要)を明かし、当方との公開対論を受諾できるのなら、いつでもお相手しましょう。(中略)

それでは重ねてのお願いですが、貴殿の「公開対決了承」の潔いお返事お待ち申し上げます。」

 

であり、対面対決=優 文書対論=劣 の位置付けの提案であった。

それに対し、貴殿からの返信のポイント。

 

▼「公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。」

 

との重要なコメントと対論条件の提案を頂いた。

そこで当方は以下の如くの法論条件について確認と提案を行っている。

 

> 公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

 

貴殿の実名を虚偽でないと確認する方法は?

 

> 各々の発言が、誹謗中傷する言葉、中傷記事を下とした発言や

> デマか否かは若鷹の掲示板ギャラリー(学会員・法華講員)が判

> 断する。

 

学会側・法華講側で価値観が大きく異なっており、また、掲示板に記入する総数も均等ではないであろう。

また、ギャラリーの判断それ自体も紛糾することが予想される。

よってギャラリーの意見は意見として参考にしつつ、あくまで当事者が指摘しあい、是正させるべきと考える。

 

> (3)原則として質問は一回、一問とする。

 

確認だが、先手 一質  以後双方 一答一質  という解釈でよいか? 

   

> (4)相手の質問への回答を飛ばし質問をすることは禁止する

> 。 3回、回答を飛ばした場合は自動的に敗北とみなす。但し

> 、ここで言う「回答」とは、相手がその回答に納得した場合を

> 除き、それが回答に値するか否かは宿坊の掲示板(学会員・法

> 華講員)のギャラリーが判断しうることをここに確認する。

 

上記と同様。

ギャラリーを巻きこむとギャラリー間の論争に発展していき、混乱の元となる。

回答に納得しない場合はあくまで当事者間でとことん詰めていくべき、と考える。

 

> (6)当事者及び管理人以外の、他人の横レスは、原則として

> これを全て削除する。

 

下記でも触れるが、法論に介入する管理人はその身分、実名を明かすべき。

また、法華講側からの司会役の参入を許可すべき。

そうでなければ公平とはいえない。

当方としては、当事者以外の書き込みは禁止すべき。と考える。

 

> (7)書き込みの削除はこれを禁止する。誤字・脱字は別レス

> で訂正することとする。但し管理人へ投稿者の要望があった場

> 合並びに、公序良俗に反すると判断されうる投稿は管理人の判

> 断でこれを削除する。

 

これは、一方的な価値判断で相手方の書き込みを削除される可能性があるので、認められない。

一度投稿した文献を削除することには反対。もし内容に不満がある場合は、あくまで当事者が反論すべき。

また、今対論は実名をもってなされるのであるから、中傷はそのまま名誉毀損罪を成立させる可能性がある。この旨を双方重々理解しあって投稿すること。万一にも相手方を毀損した場合はそれが重要な法的証拠となるので、削除すべきではない、と考える。

 

 

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66.君達二人でだめなら、ハゲを呼んでいらっしゃい。

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 23時56分

 

君達恥ずかしくて外歩けないよ

 

残り5分

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

65.君達二人でだめなら、ハゲを呼んでいらっしゃい。

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 23時51分

 

残り10分

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

――――――――――――――――――――――

64.君達二人でだめなら、ハゲを呼んでいらっしゃい。

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 23時6分

 

残り55分

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

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63.法論開始を要望

 

名前:SGI-USA有志    日付:5月12日(木) 22時42分

 

法論を始めるか、始めないのかの「前提条件」として実名を公開するというのは、

法論開始のための自然拘束条件となりえない。

宿坊氏の実名を拾っただけで、その直後そちらが遁走する可能性があるからだ。

それにそちらが実名であるという保証は現段階において、どこにもない。

 

まずそちらが法論の応戦の第一歩を示したあとで、

そしてその直後に宿坊氏が実名を公開しなければ、それはそちらの勝利になり、

法論はその場で決着する。

 

あなた達が偽名・偽メアドの場合は、宿坊氏からのメールが届かない可能性があるのだから、

それを宿坊氏が確認できた段階で、あなたたちの敗北が決定する。

 

こうしてはじめて見知らぬ双方が同じ土俵(法論)の上に乗れる。

法論上での決着は、これは法論で決着できる「はず」であるから問題がない。

現段階において、決着があるとすれば、それは法論の第一歩をふみだすしかありえないのです。

 

どっちにとっても条件はそこで初めて同じになる。

ぜひ法論を開始していただきたい。

創価、法華講、いずれの陣営もこの法論を楽しみにしているのです。

 

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62.君達二人でだめなら、ハゲを呼んでいらっしゃい。

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 21時49分

 

残り2時間

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

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61.BBS開始しました。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 13時44分

 

この法論開始準備段階の論戦に対するご感想をお寄せ下さい。

 

http://toyoda.tv/e_pad/epad.cgi?

 

↓ここからもいけます。

http://toyoda.tv

 

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60.あらあら

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 11時33分

 

随分カリカリきてますね。「瞋るは地獄」ですよ。

この大書きの赤字は地獄に堕ちて咽び泣く炎を暗示しているのでしょうか?

真に恐ろしい限りです。

法華講員の方は結構これはこれで楽しんでいるみたいですよ。

もうじきこちらサイドのBBSを立ち上げますので、ご意見を伺ってみましょうね。

 

ところで「1対3」って誰と誰のことですか?

僕らは2人ですがね。悩乱してませんですか?

自分らが複数人であるのにそれを押し隠し「1人」であることを強調しようとして、スリップしてその「宿坊」の構成してる人数を思わず当方の人数へ書き込んでしまいましたか?呵々

 

では次はこの御文を共々に拝しますか。

 

■「地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣いて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。無益の事には財宝をつくすにおしからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。」

 

きちんと仏・法・僧の三宝へ供養しないとまたまた地獄ですよ。懲りない方々ですね。折角やっと人間に生まれてきたのに。では、貴殿らの仏・法・僧の三宝は何でしょう?そこが明確でなければ「諸事を閣いて」供養しようがありませんものね。それともあれですか?「名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。」ですか?

 

そうでしょうね。こんな駄文を書いていても、無知な学会員には喝采されていることでしょうから。それで正しい「仏道修行の灯は」完全に消えてしまったのですね。

 

■「死する時は黒皮隠々として骨其れ露ると申して無間地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。」

 

貴殿らはこのまま行くとこのような死に様になりますよ。こんな惨めな死に方をしたくはないでしょう?早く実名を名乗り、三宝を明示し、当方からの徹底した破折を受け切って、目を覚ましなさいね。

 

池田センセ〜〜(万歳(まんせ〜〜))もかつてこのように仰っていたじゃないですか?

 

▼ 「仏・法・僧の『三宝』を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(広布と人生を「騙る。」いや、もとい、「語る。」六― 一九八n)(大拍手)

 

この書物は昭和52年ぐらいから60年ぐらいのものでしょう?

すると、いつ「戒壇の大御本尊様」は「偽物」と交換されたのでしょうか?

その年限を明示してくださいな。

 

でなければ、池田センセ〜〜・(まんせ〜〜、大拍手)は、「偽物を信じろ!供養しろ!」と私たち無知の信徒に強要していたのですかね?

 

そのどっちでしょうか?

御高名な「宿坊」さん等にお訊きしますよ。よく意見を纏めてからお答えくださいな。

 

――――――――――――――――――――――

59.寝言は寝て言いなさい

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 10時36分

 

法華講員がガッカリするのは目に見えています。

 

折角「一対三」を許可してあげているのですから、

 

入り口に突っ立っていないで中にお入りなさい。

 

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58.おやおや

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 7時43分

 

いよいよ内容のない野卑な書き込みになってきましたね。

やはり貴殿らの本性は所詮この程度の境涯です。

 

一言、当方には貴殿らが勝手に設定した「期限」など遵守する必然性は全くありません。

それはもしかして貴殿らが早めに逃げ出したいために焦っている表れでしょうか。

まあ、そう慌てずに、ゆっくりじっくりやりましょう。

 

昭和33年に戸田城聖が死去し、昭和35年5月3日、池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任しました。その就任式の席上、池田氏は、

「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」

と述べて、本門戒壇の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表しました。

 

すると、この時池田氏は「偽物」の本尊へ自他共に帰依することを内外に宣言したのでしょうか?それともこの時はまだお若かったから、教学的に未熟だったから知らなかった?功徳はあったのでしょうか?無かったのでしょうか?古い学会の皆様どうでした?それとも、いつの間にか、すりかえられたのでしょうか?いつまでが「本物」でいつからが「偽物」になったのですか?破門されてから急に?・・・・いや〜疑問は尽きませんね。

 

で、貴殿らの実名と、帰依する三宝は?言えない?そうですか。

 

では次の破折いきますね。

 

■経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。

 

そうでね、本当に御仏のお言葉は尊いです。

貴殿らの文章が正に修羅根性丸出しであり、そういう者どもが国に増えて来るから一国が今正に修羅道を現じ、そして死して後は池田センセ〜〜を筆頭に貴殿らを先頭集団として、無間地獄に頭からまっさかさまに突き刺さり、無限に近い永劫の年月、言語を絶する苦痛にもがき苦しむ事になるんですよ。

よくよく、恐れなさい、慎みなさい。

 

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57.本日で期限切れです

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 1時23分

 

君達二人でだめなら、ハゲを呼んでいらっしゃい。

 

酒のあてにちょうどいいでしょう。

 

宿坊が三人を相手にしてあげます。

 

そんなところに突っ立っていないで、中へ入りなさい。

 

三名ご案内〜〜〜〜〜〜。

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

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56.木曜日だよ

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 0時36分

 

 

>戒壇の大御本尊様を否定した場合、

 

その前に戒壇の大御本尊を証明しなくては、ケツの青いアホの坊やよ!

 

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55.補足

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 0時15分

 

=無間地獄へ堕ちる前の痩せ我慢。

 

 

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54.こういうのをまさに

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 0時14分

 

"曳かれ者の小唄"

=無間地獄へ曳かれていく者の小唄 

 

と言うのではなかろうか?

 

――――――――――――――――――――――

53.木曜日だよ

 

名前:宿坊    日付:5月12日(木) 0時10分

 

行きはよいよい帰りは怖い 怖いながらも とうりゃんせ

とうりゃんせ

 

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52.もう「唖法を受けたる婆羅門」ですか?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月12日(木) 0時8分

 

思考停止状態で気の利いたこと一つ言えず、同じ言を繰り返すことを、世間では「馬鹿の一つ覚え」と言いますよね。専門的には「反論不能」と言います。

そう言えば世田谷の男子部長とか言う「中田成樹」君も同様の状態ですね。(参照下記HP)

 

■外には賢善を現はし、内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん

 

まさに脱落僧の方々の様態を言い当てていますね。

 

■真実の法華を信ぜざらん者は、無間地獄に堕つべきなり。

 

さて、戒壇の大御本尊様を否定した場合、貴殿らの「真実の法華」とはどこにどのように存在しているのでしょう?

つまり、法宝ですね。それを明確にできなければまさに無間地獄行きです。

何も信じていないのならば、ただの謗法者でやはり無間地獄行き。

そのことはこの御文からも明白です。

 

■第十三 常不値仏 不聞法 不見僧の事

 御義口伝に云はく、此の文は不軽菩薩を軽賤するが故に三宝を拝見せざる事、二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云へり。

 

貴殿らは三宝が明確でないが故に当然胸を張って明示できない。とすれば、「二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受く」と言う事になりますよ。

貴殿らはただ大御本尊様や日顕上人を遠巻きで誹謗しているだけであり、その代わりとなる自らが信奉する三宝なり、法宝を明示できずにいる。できないはずです。迷乱してるのだから。そんな者どもが吠え掛かってくるものなど、犬野干の遠吠えです。

貴殿らの本尊はでは何ですか?答えられまい。「諸宗は本尊にまどえり」どうしていいか分からなくなっていることだろう。

 

それと貴殿は自分がおかれている状況が未だ諸根暗鈍で理解できていないようですから、再再度指摘してあげましょう。

 

▼ 公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致します。

 

この言葉通りにまずは実名を明かすべきでしょう、と申し上げているのです。

こんな簡単な道理が理解できませんか?

 

法論条件については未だ全く手付かずの状態です。

そんな状態のまま好き勝手に吼えつく貴殿らの邪難には、まだまだ真剣にはお付き合いできませんよ、と言っているのであります。

 

それでも貴殿らの言いたい事の本質はもう分かりきっていますから、その謗法の深さ加減からじっくりと破折していきましょう。

 

馬鹿の一つ覚えで吼えながら、次第に消え去らないようにお願いしますね。

 

 

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51.早くしましょうね、怖いの?

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 23時2分

 

日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」は偽物か?

↓ ↓ ↓

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

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50.これなんかもよく読んだほうが御身のためですよ。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月11日(水) 22時59分

 

重複しますが貴殿のために重ねて戒告します。

 

 

「法華経にはこのように説かれている。

 

貴殿のように日顕上人を誹謗する者は、日顕上人の血脈の当初は三宝一体であるが故に、「此の経」=法宝である本門戒壇の大御本尊を誹謗することになり、その極悪の報いは、永劫に地獄・餓鬼・畜生の三悪道を彷徨った後、人となってくることがあれば、身体の諸器官が鈍く、人より劣っており、頭も暗愚で、また盲目、聾(ということは唖でもある)また背が曲がって背虫男のような姿になるであろう。

 

また、常に口臭を周囲に放ち、物の怪、悪鬼の類に捕り憑かれるであろう。

 

貧乏で金がなく、いつも困窮し、下品で卑しい家に生まれたり、またそういう境涯になり、常に人からこき使われる身分で、病が頻繁に起こり、やせ細って、頼りになる人も場所もなく、親・兄弟・妻子・友人など周りの人にも裏切られ、背を向けられ、見捨てられ、また、よく物を騙し取られたり、盗まれたりする。

 

このような罪報がわが身に次々と休みなく襲い掛かってくるのである。

 

 

 

また、普賢菩薩勧発品第二十八にはこのように説かれている。

 

三大秘法である本門戒壇の大御本尊を受持信行する者の(日顕上人は勿論のこと、日蓮正宗に連なる全ての僧俗。当方もその端くれに加わっている)過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等などの罪をあげつらう者は、たとえその内容が真実であっても、ましてやただの悪口、虚偽、捏造、誤解であった場合はなお更のこと、その誹謗した者は、現世において皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種やそれに類する医学で治療できない重病などに罹るであろう。

 

また、日顕上人をはじめ本門戒壇の大御本尊を受持信行する者を軽蔑し、嘲笑する者は、来世以降、生まれてくる度に、歯が部分的に欠損していたり途中で欠けたり、唇が醜く、鼻も低く醜悪。手足がねじ曲がり自由に伸びない状態となり、瞳の方角が偏り、正常にものを見る事が出来ない姿となり、身体は醜く汚く臭く、悪性のできもの、腫れ物が多発し、血の中に膿が混じったり、また膿の血が染み出してきたり、腹部に濁水が充満し腫れ上がり、酷い喘息などで息が詰まり呼吸困難になったりする。その他諸々の悪重病に侵され続けるであろう。」

 

 

 

貴殿は、今のままでは間違いなくこういう惨めな姿を未来永劫に繰り返し繰り返し現じ続けるでしょう。

 

一刻も早くその誹謗を止め、心より反省懺悔して日顕上人に許しを乞わないと、取り返しがつかないことになりますよ。

 

 

――――――――――――――――――――――

49.後の続き

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月11日(水) 22時50分

 

中略

 

常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く(常に悩みや苦しみにさいなまれ、)

余の悪道に在ること 己が舎宅の如く(とめどない欲望に取りつかれ、足ることを知らない貪欲な境涯となり、そのほか、動物のような、本能だけで行動するような生活となり)

 

中略

 

若し人と為ることを得ては 聾盲??(おんあ)にして

(人間と生まれてきては、耳が聞こえず、眼が見えず、言葉をしゃべれず、)

貧窮諸衰 以て自ら荘厳し(貧乏のどん底で、常に惨めで疲れ切った姿でしかなく)

水腫乾?(しょう) 疥癩癰疽(けらいおうそ)

(体に、水泡やかさぶた、白斑やできものなどの病が起こり、次第に広がっていく。)

是の如き等の病 以て衣服と為ん(このような病が常にまとわりついている)

身常に臭きに処して 垢穢不浄に(体はいつも臭く、垢やよごれで汚い)

深く我見に著して 瞋恚を増益し

(自分勝手な考え方に執着して、そのために腹立たしさを増し)

婬欲熾盛にして 禽獣を択ばじ(婬欲が盛んになり、動物のような行いになる)

 

どうですか?

来世はこの様になりますよ。

あれ?今でも随分当て嵌まる所が多いのかな?

 

名を名乗って、三宝を明示しましょうね?

 

 

――――――――――――――――――――――

48.トランクス一枚で覆面被ったまま地獄行き?そりゃ惨めだわ・・

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月11日(水) 22時49分

 

しょうがないですね。

ではまず地獄の恐ろしさを軽く考えているようなので、そこからいきますか。

 

※ ●法華経譬喩品第三

若し人信せずして 此の経を毀謗せば 

(もし法華経(今では大御本尊)を信じないで謗るならば)

則ち一切 世間の仏種を断ぜん(世の、真実の幸せになるべき種を完全に断たれるだろう)

或は復?蹙(ひんじゅく)して 疑惑を懐かん

(または、顔をしかめ、疑いの心を持つならば)

汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし(この人の罪の報いを聴きなさい)

若しは仏の在世 若しは滅度の後に(仏のこの世にいる時、もしくは亡くなった後に)

其れ斯の如き経典を 誹謗すること有らん(この法華経=大御本尊様を謗るものがいるであろう)

経を読誦し 書持すること有らん者を見て(この法華経を読み、修行するもの=大御本尊を信行する日顕上人をはじめとする僧俗一同 を見て)

軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん

(軽蔑し、いやしみ、憎み、ねたみ、強い恨みを懐くであろう)

此の人の罪報を 汝今復聴け(そういう類の者の罪の報いを今また聴きなさい)

其の人命終して 阿鼻獄に入らん(そういう者は死んだならば無間地獄に堕ちるであろう)

一劫を具足して 劫尽きなば更(また)生れん(一劫の間、無間地獄に住し、その限りなく長い年限を終えたら、更にまた無間地獄界に生まれるであろう。)

是の如く展転して 無数劫に至らん

(このように、繰り返し、繰り返し、無限の年月を過ごすことになろう。)

 

(中略)(この間、犬や、狐、ラクダやロバ、大蛇、などに生まれて受ける壮絶な苦を説かれる。)

 

若し人と為ることを得ては 諸根暗鈍にして

(また、もし、人間に生まれることができたら、見たり、聴いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、感じたり、等の感覚が、働かないか、とても鈍かったり、)

?陋れん躄(びゃく) 盲聾背傴ならん(奇形や不具、身体障害、といった姿を現じる。)

言説する所有らんに 人信受せじ(周りに何か語っても、信じ、受け入れてもらえない。)

口の気常に臭く 鬼魅に著せられん(口よりは常に悪臭を放ち、(そういえば吉川幸道氏と出会ったときに・・・・・言えません。)しばしば、金縛りにあったり、幽霊、物の怪などが見え、とり憑かれたようになる。)

貧窮下賎にして 人に使われ(貧乏で、賎しい境遇となり、人に酷使される立場となる。)

多病?痩(しょうしゅ)にして 依怙する所無く

(いつでも病気をしていて、痩せ細り、頼るべき所も人もなく、)

人に親附すと雖も 人意に在かじ

(人に親しげに近づいて行っても、大事にも相手にもしてもらえない。)

若し所得有らば 尋(つ)いで復(また)忘失せん

(仮に収入があっても、すぐになくなっていってしまう。)

若し医道を修して 方に順じて病を治せば

(また仮に、医者になって、教わった通りに治療をしても、)

更に他の疾を増し 或は復死を致さん

(かえって他の病気を引き起こしたり、死亡させたりしてしまう。)

若し自ら病有らば 人の救療すること無く

(また、自分が病気になったときは、その病をよく治すことができる人がなく、)

設い良薬を服すとも 而も復増劇せん

(たとえ特効薬を服用しても、かえって病状が悪化したり、他の病気をも併発してしまう。)

若しは他の反逆し 抄劫し竊盗せん

(また、人に裏切られたり、財産などを騙し取られたり、盗み取られたりする。)

是の如き等の罪 横さまに其の殃(わざわい)に羅(かか)らん

(これらのことごとが、次々と起こってくるのである。)

 

 

――――――――――――――――――――――

47.明日は木曜日だな〜〜

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 22時22分

 

日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」は偽物か?

↓ ↓ ↓

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

 

――――――――――――――――――――――

46.さてさていよいよ謗法の本性が露呈してきましたね。宿坊さん?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月11日(水) 22時11分

 

あれあれ、三宝を立てられない者は以下の大聖人様の御文の如く、およそ仏教を学ぶ者ではなく、成仏は思いの他、堕獄必定ですよ。

黄倉氏が言うが如く、まず貴殿らの立てる三宝を明示したらいかが?

 

第十三 常不値仏 不聞法 不見僧の事

 御義口伝に云はく、此の文は不軽菩薩を軽賤するが故に三宝を拝見せざる事、二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云へり。

 

経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。

 

地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願はくは今度人間に生まれて諸事を閣いて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。無益の事には財宝をつくすにおしからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。

 

今身より仏身に至るまで、爾前の謗三宝罪を捨て、法華寿量品の久遠の不謗三宝戒を持つや不や、持つと=三返=。

 

十重禁とは、一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不邪淫戒、四には不妄語戒、五には不\06661酒戒、六には不説四衆過罪戒、七には不自讃毀他戒、八には不慳貪戒、九には不瞋恚戒、十には不謗三宝戒なり。

 

四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし。但し時に随ひて勝劣浅深わかれて候。

 

邪見なれば三宝にもすてられたり。

 

十方の三宝にすてられ奉りて、現身には我が所従等にせめられ後生には地獄に堕ち候ひぬ。

 

如来の滅後に邪見顛倒を廻らして正道に入らしむるを以ての故に、三宝清浄の信、菩提功徳の業なり

 

設ひ科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか。

 

父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざればさてこそ候へ。

 

日蓮を父母にも三宝にもをもひをとさせ給はゞ、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄に堕ちさせ給ふべし。

 

仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。

 

始め?りし大重罪消えかねて、千劫大阿鼻地獄に入って、二百億劫三宝に捨てられ奉りたりき。

 

梵網経疏に云はく「第十に謗三宝戒。亦は謗菩薩戒と云ひ、或は邪見と云ふ。謗は是乖背の名なり。

 

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

 

謗法は一業引多生なれば、一度三宝を破すれば度々悪道に堕するなり。伝教大師の守護章に云はく「不正義の一切学人は信受すべからず。所以は何。其の師の堕つる所弟子も亦堕ち、檀那も亦堕つ、金口の明説、何ぞ慎まざるべけんや、慎まざるべけんや」と。

 

外道は三宝を立て、其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱へしかば、仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。此をもって内外のしるしとす。

 

三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す。世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり。無量無辺阿僧祇の罪を得已はって則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受くるなり」

 

末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。

 

三宝の恩を報じ給ふべし。

 

仁王経に云はく「大王我が滅度の後未来世の中の四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子、乃ち是住持して三宝を護らん者転更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食らふが如くならん。外道に非ざるなり。多く我が仏法を破り、大罪過を得ん、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為すを以て其の寿日に減じて百歳に至らん。人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん」と。亦次下に云はく「大王、未来世の中の諸

の小国の王・四部の弟子自ら此の罪を作るは破国の因縁なり。乃至諸の悪比丘多く名利を求め、国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁、破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し乃至其の時に当たりて正法将に滅せんとして久しからず」

 

 

 

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45.はよう、

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 20時14分

 

法華講の論師と聞いていたが、

お前たちはオカマなのか?

男ならシャキッとしなさい。

 

法論掲示板は

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

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44.意気地なし

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 19時51分

 

ここにも何か書かれているよ。

http://www2.ezbbs.net/11/owrokdb5mu/

 

坊や達、何しにここへ来ているの!

授業が始まっているのだけど。

遅刻だよ!

 

ここのスレッドは

日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」は偽物か?

宿坊と樋田昌志氏・ 黄倉光治氏との公開法論

 

となっています。

 

法論会場は↓↓

 

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

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43.怨念を持って物事を見てると視野狭窄になりますよ。

 

名前:黄倉です。    日付:5月11日(水) 19時9分

 

怨念を持って物事を見てると視野狭窄になりますよ。

 

こりゃ大変だ。ずいぶん共産党に恨みをもっているようですね。

また、日蓮正宗への怨念も伝わってきますね。(怖)

 

怨念で物事を見てると視野狭窄になるから、ほどほどにしておいた方がいいですよ。

イライラしてしまうのでは、やはり信心が弱くなっているか、もしくは、信仰の対象が間違っているからかもしれませんよ。

 

いいですか?

 

宿坊さんは日蓮正宗を信仰してませんよね。あなたの信じる宗教は別の団体なんだから、自宗の三宝について返答する義務があるですよ。もちろん我々も答えますが。

 

一問一答で、双方が質問し、それに答える。それ以外に正邪を明かにする方法がありますか?

 

例えばですよ、貴方が、池田大作氏を仏以上の指導者として信仰していたとしますよ。

しかし、当然あなたは、御書から、大聖人の仰せから「池田大作氏を仏以上の指導者だ」という文証はあげられないですよね。

 

例えばですよ。

 

こんな信仰をもった人、どう思います?

 

狂っているでしょう。

 

例えば、こんな、文証もあげられない「狂信・盲信」でどうやって世界の人や、大切な父母兄弟、友人を救えるでしょうか。

 

また、自分すら成仏させる事ができない、狂った信仰を持つものが、戒壇の大御本尊を偽作だと言っているなら、まずは罰で狂って、道理がわからなくなっているということが想像できるし、それなりの返答をしなくてはならないと判断できるんですよね。

 

そのような狂信の人には、各論で論ずるだけの資格も能力もないですから、それなりの対応が必要になると思います。

 

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さあ返答してください。ただ日蓮正宗に難癖をつけているだけではダメです。

 

宿坊さんは、何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

宿坊さんは、何を信仰することで自分の家族や友人が成仏すると信じるているのか?

宿坊さんは、何を信仰することで世界や人類が救われると信じているのか?

 

・・何か別なもので成仏できるというなら、信仰の対象名をあげてください(3度目ですよ)

---------------------------------------

あと、あなたは、創価学会員ですか?創価学会員として「戒壇の大御本尊を偽作と否定しいる」と立場を明確にしてください。

---------------------------------------

必ず本人確認の為の住所・電話番号を当方だけに知らせてください。(本人確認の為以外には使用しません)

---------------------------------------

それでは再復習です。(3度目ですよ)

 

1.何を信仰しているのか?

2.所属は創価学会か?

3.そして実名(本人確認の為の住所・電話番号を当方だけに知らせる048-961-3378へFAX)

 

以上3点が法論の準備を進める基礎になります。

この3点があきらかになって

 

4.対面か、文書か?

5.法論の決着基準や処置(脱会・脱講をかける)や文書なら字数制限などの細かい部分の約定書を作成し、一気に法論に入りましょう。

 

まず、1.何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

     (信仰する仏、本尊、僧は?)

   2.所属は創価学会か?

を明かしてください。(3度目ですよ)

 

★注:信仰の対象は、日蓮大聖人の仏法・・なんて抽象的な返答はダメですよ。信仰する仏、本尊、僧(現代に仏法を伝える人)を具体的に挙げてください。

 

これが最後ですよ。(こんな一丈の堀を越えられないようでは・・)

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42.両氏へ

 

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 13時26分

 

実績の横取り、ネコババをした共産党は存在するが、まさにそれに劣らぬ

宗派が存在する。

「偽物」「偽書」「偽相承」で人を騙し金品横領をしている集団に意見を言うと、

 

>1.何を信仰しているのか?

>2.所属は創価学会か?

>3.そして実名

 

このようなバカな返答が帰ってくる。

 

大聖人の血脈があり一番正しいといいながら、何一つ反論できずに

「何を信仰することによって成仏すると信じるのか?」とふぬけな言を

発している。

 

他宗の相承書をパクリ自宗の物にして人を騙してきた犯罪集団が

どこの所属ですか? そして貴方の実名は? 

そうでないと返答致しませんとは、どのような了見で仰っているのでしょうか。

 

もう少し物事を現実的、リアルに見て、複合的にとらえた主張をなさってください。

 

何でも反対、反対は共産党でしょ。

日蓮正宗の清流を証明する絶好の機会を与えてあげているのですから、

これを逃すべきではないと思います。

 

速やかに反駁されることを切に希望します。

それを確認させていただいた時点で、実名をメールにてお送りします。

時間を無駄にしないで下さい。

 

君達の首を落としたところでなんの価値ももありません。

ねらうのは「蛇法主」だけです。

 

 

>貴殿のレベル迄降りて論題の一端に触れてあげたのだから、「すぐにでも当方宛に実名をお送り」下さい。よろしいですな?

 

これは条件をのんだという風に理解しています。

 

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41.宿坊さ〜ん、こっちにも答えてね。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月11日(水) 6時54分

 

「戦う競技のルールもレフェリーも会場も決めていないのに、一人EXCITEして、記者会見場からトランクス一枚で覆面を着けたまま公道へ飛び出して、「パンチだ!フックだ!ストレートだ!も一つおまけにアッパーだ!」と空振りをして「かかって来い!」と裏声で絶叫している、扁平胸で貧弱な体型の、ちょっとオタク的且つ変質的で、風変わりなボクサー」  という感じの貴殿には、当方からは貴殿の愚問に対して未だ正当に論じ返す必然性はないものの、貴殿がそのまま走り去るのを防ぐために出だした、

●>大聖人様御真筆の御本尊の御事は全て「上代の客観的文証」に表現されているのでしょうか?という反問の意味が理解できないようですね?

 

折角、その義務も負わないのに貴殿の設問自体の無意味さを砕いてあげたのに、理解できないのでは情けない。

 

一人(もしくは複数者か?)興奮してトランクス一枚で覆面したまま、自分(達)の所属ジムも、流派も名乗らずに、「試合しろ〜〜」と、馬鹿の一つ覚えのように叫んでいる貴殿(達)に、噛み砕いて質問し、以って貴殿らの愚問の愚問たる所以を明示しましょう。

 

大聖人様の御遺しになられた全ての御本尊について、御書もしくは日興上人・日目上人・日道上人等の上古の文献にその全ての記述が遺されているのですか?

と訊いているのですが、この反問されている意味が理解できれば、貴殿らの設問自体不毛だということが自ずと理解できるのですが、覆面したままトランクス一枚で興奮している貴殿(ら)には無理ですかね?

 

はい、ではこれに答えながら覆面をとりましょうね。約束ですから。

繰り返し言いますが、未だ試合場所も、ルールもレフェリーも正式に決まった訳でないのだから、当方には貴殿に対し、返答する義務は全く負わないのですが、貴殿の雲隠れを防ぐために、更には貴殿の無礼を叱る為に、顔面中央、ちょうど鼻の部分に一発軽く打ち込んでいるだけなのですよ。

 

では、次の貴殿の投稿の内容を見て、今後の方向性を考えましょうか。

 

黄倉氏の投稿に対しても、きちんと返答しなさいよ。

何でも食べ散らかして、後片付けもせず、うろつきまわらない事。

お父さんお母さんにどんな躾されてきたんでしょうかね。

 

では、よろしく。

 

――――――――――――――――――――――

40.始まっていますよ、

 

名前:宿坊    日付:5月11日(水) 0時2分

 

黄倉さん、文書をよく読んで下さいね、そしてよく理解して下さい。

法論の掲示板に書き込めるのは小生とあなた方二人です。

すでに「戒壇の大御本尊」の質問をしていますので、反論なさって下さい。

ここに来られているのは反論するためだと理解しています。

それほど難しい質問ではないはずです。

証明ぐらいは簡単だと思いますよ、憲法で定める日蓮正宗宗規に記載されているのですから。

問題はそれが本物か偽物かです。

日顕猊下と同じですよ、

意味が分かるでしょ?

 

 

(1)法論の総合テーマは、『富士門の700年は清流か濁流か?

・・・はたして大聖人の仏法が現67世日顕上人猊下に正しく伝わっているか否か?

(「戒壇の大御本尊」「二箇相承」「金ロ嫡々唯授一人血脈の相承」。)』とする。

総合テーマ:『大石寺700年は清流か濁流か?』

サブテーマ1:「戒壇の大御本尊」

サブテーマ2:「二箇相承」

サブテーマ3:「金ロ嫡々唯授一人血脈の相承」

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39.宿坊さんこっちこっち!

 

名前:黄倉です。    日付:5月10日(火) 23時46分

 

宿坊さんこっちこっち!

 

あの〜、まだ黄倉の質問に答えてないようすが・・

 

宿坊さんの信仰する対象が明示されてないですね?

 

2度目ですよ・・互いの信じている宗教の高低・正邪を決するのが法論ですよね。

 

自分の信仰を明かさず、自分の信仰に関する質問は受けないでどちらが宗教が高いか解りますか(笑)

 

信心がないということですか?

 

信心がないなら、法論なんて100年早と思いますが。

「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。」

つまり宿坊さんは成仏できない、地獄に落ちるということです。といういうか、もう落ちてるかもしれませんよ。

 

ただ日蓮正宗に難癖をつけているだけではダメです。

 

宿坊さんは、何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

宿坊さんは、何を信仰することで自分の家族や友人が成仏すると信じるているのか?

宿坊さんは、何を信仰することで世界や人類が救われると信じているのか?

 

仏教においては、どのような三宝を信じているのか?ということが問われるはずですが・・何か別なもので成仏できるというなら、信仰の対象名をあげてください(2度目ですよ)

 

そして、自分の信ずる宗教が低となったら潔く、高い宗教につくべきです。それが信仰者の道では?

 

自らの信仰も明かさず、所属も実名も明かさず、信義に則った法論など存在しないのですよ。

---------------------------------------

あと、あなたは、創価学会員ですか? 耳があるなら返事してください。

創価学会員として「戒壇の大御本尊を偽作と否定しいる」と立場を明確にしてください。

---------------------------------------

あと開始してから実名を送ってくれるそうですが、必ず本人確認の為の住所・電話番号を当方だけに知らせてください。(本人確認の為以外には使用しませんので)

---------------------------------------

それでは復習です。(2度目ですよ)

 

1.何を信仰しているのか?

2.所属は創価学会か?

3.そして実名(本人確認の為の住所・電話番号を当方だけに知らせる048-961-3378へFAX)

 

以上3点が法論の準備を進める基礎になります。

この3点があきらかになって

 

4.対面か、文書か?

5.法論の決着基準や処置(脱会・脱講をかける)や文書なら字数制限などの細かい部分の約定書を作成し、一気に法論に入りましょう。

 

まず、1.何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

     (信仰する仏、本尊、僧は?)

   2.所属は創価学会か?

を明かしてください。(2度目ですよ)

 

★注:信仰の対象は、日蓮大聖人の仏法・・なんて抽象的な返答はダメですよ。信仰する仏、本尊、僧(現代に仏法を伝える人)を具体的に挙げてください。

 

------------------------------------------------------------------------

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38.邪宗日顕宗の坊やへ

 

名前:宿坊    日付:5月10日(火) 23時9分

 

>大聖人様御真筆の御本尊の御事は全て「上代の客観的文証」に表現されているのでしょうか?

 

ここに書き込む暇があれば反論しなさい。

坊や今頃になって何を言っているのですか。

すでに始まっています、泣いても笑っても後二日しかありません。

すぐにでも書き込んで下さい。

そうすれば実名を貴殿宛にお送りします。

 

日蓮正宗宗規に定められている第二条 

.........弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

これを証明すれば坊やの勝ちです。

早くしてよ、怖いのなら坊主を出せばすむことです。

なんなら日顕法主を出してくれますか?

 

もう一度坊やに言います。

速やかに反論して下さい、そうすれば実名を貴殿宛にお送りします。

 

――――――――――――――――――――――

37.あらあら、こんな段階でもう反論不能ですか?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月10日(火) 22時47分

 

▼「公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。

貴殿の云う「実名による公開文書対論」でもかまわないならば

、タイムリーに全国で閲覧できるほうが良いでしょう。

法論は下記サイトで行う。」

 

▼となっており、

 

▼「【若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)】

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

(1)法論の総合テーマは、『富士門の700年は清流か濁流か?

・・・はたして大聖人の仏法が現67世日顕上人猊下に正しく伝

わっているか否か?(「戒壇の大御本尊」「二箇相承」「金ロ

嫡々唯授一人血脈の相承」。)』とする。

総合テーマ:『大石寺700年は清流か濁流か?』

サブテーマ1:「戒壇の大御本尊」

サブテーマ2:「二箇相承」

サブテーマ3:「金ロ嫡々唯授一人血脈の相承」」

 

▼これに同意したものと思っております。

「本門戒壇の大御本尊」が弘安二年十月十二日に建立されたという

上代の客観的文証の提示をしなさい、偽書はだめだよ。

 

であるなら、すぐにでも貴殿宛に実名をお送りします。

逃げないでね、坊や!

みんな楽しみにしているのだから、いつまで持つやら。

 

●やはり予想していた通り、貴殿は法論条件の明確な双方の承認を経ないまま、なし崩し的に論議を始めたいのですね?

 

当方からの詳細な反論に対しての再反論の期限、本日19時は見事に過ぎました。

まずはここで、貴殿は「法論準備段階での論駁不能者」としてポイント1もしくは2ぐらいは失った、もしくは大振りのスイングでスリップダウンして観客が思わす失笑した。と認識します。

さて、その上で、上記の貴殿からの書き込みに反論しますが、

まず、どこの世界に戦う競技のルールを定めないままリングに上がる競技者が居ますでしょうか?

貴殿の姿は、戦う競技のルールもレフェリーも会場も決めていないのに、一人EXCITEして、記者会見場からトランクス一枚で覆面を着けたまま公道へ飛び出して、パンチだ!フックだ!ストレートだ!も一つおまけにアッパーだ!と空振りをして「かかって来い!」と裏声で絶叫している、扁平胸で貧弱な体型の、ちょっとオタク的且つ変質的で、風変わりなボクサー  という感じに酷似していますでしょうか。

 

まず、冷静になって、法論のルールを決めましょう。

そして勿論実名を名乗りましょう。今対論は貴殿が「実名を当方に明示する」という条件の基に出発したのですから。

 

更に以上のことを念告した上で、貴殿がこのまま遁走しないように貴殿のレベルまで少し降りて論じましょう。

 

大聖人様御真筆の御本尊の御事は全て「上代の客観的文証」に表現されているのでしょうか?これに明確に答えられたら、花丸を差し上げます。そしてその御褒美に上記の設問に答えてあげましょう。

さて、こうして貴殿のレベル迄降りて論題の一端に触れてあげたのだから、「すぐにでも当方宛に実名をお送り」下さい。

よろしいですな?

 

 

――――――――――――――――――――――

36.かわいい坊やへ

 

名前:宿坊    日付:5月10日(火) 0時30分

 

君に反論できるとは思っていませんが、

楽しみにしています。

猶予は三日間です。

本気でかかってきなさい。

法華講員もご覧になっていますので。

 

――――――――――――――――――――――

35.門限は過ぎました。宿坊さん。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月10日(火) 0時6分

 

でも、明日(今日)からもじっくりお相手してあげますから、ね。

 

しかし、貴殿は思っていたより律儀で可愛いですね。

12時を前に焦っていた姿が思い浮かびます。

 

では、当方からの詳細な反論文書に反駁してください。

明日の夜までとしましょう。

 

貴殿の苦し紛れの論の展開が楽しくてしょうがありません。

 

では、明日の夜19時までとしましょうか?

宜しく。

今日は疲れたでしょうからよくお休みくださいね。

 

 

――――――――――――――――――――――

34.法華講の皆様へ、尻をたたいてあげてください。

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 23時53分

 

やはり逃げるようですね。

樋田君は若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)にて

反論をされていません。

 

樋田君、「本門戒壇の大御本尊」は弘安二年十月十二日なのですか?

 

はっきり言って君達は「本門戒壇の大御本尊」の事に関して、

発言できる立場にあるのでしょうか?

 

貴殿らは「本門戒壇の大御本尊」の中央主題の「南妙法蓮華経」が

上位の「南」から下位の「経」まで何センチか知っているのですか?

 

日顕法主を出した方が君達のためでもあると忠告します。

所詮偽物を偽書で説明するのは無理です。

 

君達に出来る自信があれば、日蓮正宗の「正依」に基づいて回答してみなさい。

採点をしてあげます。

君達では重荷だと感じたのなら、日顕宗のハゲを出しなさい。

介錯をしてあげますから。

では反論を楽しみにしています。

猶予は三日間です。

頑張りなさい。

法華講の皆様、応援をしてあげて下さい。

 

 

――――――――――――――――――――――

33.あきれています

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 23時52分

 

坊や、反論してからにしなさい。

君のレベルでは所詮無理です。

だから反論ができないのです。

法華講員から笑われますよ、世界中から見られています。

しかし君達では太刀打ちできないのですか。

日蓮正宗の「正依」に基づいて反論しなさい。

 

――――――――――――――――――――――

32.あと、17分ですよ。宿坊さん。逃げるんですか?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 23時43分

 

▼明日から三日間の間に(5月12日まで)反論を試みて下さい。

反論なき場合は「戦わずして敗北」と見なします。

 

●これは貴殿に何の権限があって、対等の立場である当方へ指示できるのですか?

まずはその根拠を明示してください。当方は名も年齢も素性も立場も知らない貴殿の「命令」に従う謂れは全く存在しません。

正に、この言は貴殿が後ろ向きに走り去りながら「勝った。勝った。」と逃げ去る姿の伏線ではないのですか?折角誇り高い宿坊さんと当方がこうして相まみえたのですから、そう焦らずにじっくりいきましょうよ。

ます何より、貴殿の※1の発言の如くに『実名の明示』からでしょう?

 

▼記述のネット界の常識を身に付けた多くの創価学会員、法華講員が待ち望んでいることをお忘れなきよう。

 

●まさにその通り。当方も貴殿がきちんと速やかに実名を明示していただきまして、早く本題に入りたく存じます。

宜しくお願いしますね。

 

 

――――――――――――――――――――――

31.法華講の皆様へ

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 23時42分

 

樋田君は若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)にて

反論をされていません。

 

「本門戒壇の大御本尊」は弘安二年十月十二日なのですか?

 

はっきり言って君達は「本門戒壇の大御本尊」の事に関して、

発言できる立場にあるのでしょうか?

 

貴殿らは「本門戒壇の大御本尊」の中央主題の「南妙法蓮華経」が

上位の「南」から下位の「経」まで何センチか知っているのですか?

 

日顕法主を出した方が君達のためでもあると忠告します。

所詮偽物を偽書で説明するのは無理です。

 

君達に出来る自信があれば、日蓮正宗の「正依」に基づいて回答してみなさい。

採点をしてあげます。

君達では重荷だと感じたのなら、日顕宗のハゲを出しなさい。

介錯をしてあげますから。

では反論を楽しみにしています。

猶予は三日間です。

頑張りなさい。

法華講の皆様、応援をしてあげて下さい。

――――――――――――――――――――――

30.あと、18分

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 23時41分

 

▼貴殿の主張を言い換えれば「聖教新聞社だって有料販売で出版活動しているではないか。

故に云々される筋合いはない、私も個人法論を有料販売してもいいのだ」ということにもなりますが、聖教新聞社は「広宣流布推進の言論活動としての出版販売」であり、個人法論をかつて出版販売したなど聞いたことがありません。それは日蓮正宗宗門においても同じでしょう。

いちいち個々の会員、講員の対論を有料販売していたのでは、きりがありませんからね。

 

●ここも貴殿は前項と同様に論理矛盾を犯している。

「個人法論を出版販売」することが「広宣流布推進の言論活動としての出版販売」とどう違うのか、論旨明快に説明してください。「きり」があるとかないとかは、それは数や頻度の次元の話で、この命題に関する問題ではないと思うが?

池田氏の講演集は全200数十巻?だかなんだかの計画ですか?これなども「広宣流布」の為にもならず「きりがありません」ね。

 

▼またこれまでは創宗問わず、個人にあっても、対論という分野は一切の掛け値なく、「不惜身命」「身軽法重」「死身弘法」の信仰世界の最重要に属するものであり、そこに個人の収益活動を持ち込むべきではない、というのが双方の認識であったと思いますし、同時にそれは私自身の最低限のモラルでもあります。

●『「不惜身命」「身軽法重」「死身弘法」の信仰世界の最重要に属するもの』 であるならば、自らの名を「不惜身命」「身軽法重」「死身弘法」の覚悟で発表できるのではないですかね?いかが?当方は勿論そういう覚悟で臨んでいますよ。貴殿はどうですか?

貴殿の「最低限のモラル」というのは随分と自分に都合にいい事だけに発動する基準なのですね。それも道理に曚い顕れですよ。

 

▼はっきり念告しておきます。

「対論を初めから販売目的にしている人間とは会いたくありません」これは私の信念です。

また、対論そのものの中味ではなく、このような前提の段階でのやりとりまでもテキスト化して販売するかもしれないという貴殿に、これ以上、前置きのやり取りは行ないません。

速やかに対論の中に入ることを要望します。

 

●ここもすり替えの露見した箇所ですね。

直接対面対決ができない貴殿であることはもう十二分に分かりましたよ。

所詮貴殿には無理な要求でした。貴殿は直接対論でできない、総合力の欠如した、大聖人様を信奉しているのは形だけで、以下の御文を『「不惜身命」「身軽法重」「死身弘法」』で身をもって実践できない、似非信行者という事実が貴殿の好きなネット上に明確に刻印されただけのことです。

再掲

『■「書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉々公場を期す。」

との御言葉の御義はどう読まれますでしょうか?

貴殿はご自分の価値判断で「ネット対論が最良」と言われていますが、大聖人様は上記のお言葉の如くに、「書いたものでは、実際に話した言葉の全てを顕し尽くせない、言葉もその本心を伝えきれない、が故に公の場で行き会って対決を致しましょう。」と邪僧強仁に仰せになられているのであります。

貴殿は

1、実名は名乗らない。→強仁以下。

2、公場での対決は避ける。→上記の尊き御指南にも背く。

また曰く

■「一 日蓮が弟子臆病にては叶ふべからざる事 (中略)所謂南無妙法蓮華経の大音声を出だして諸経諸宗を対治すべし。「巧於難問答、其心無所畏」とは是なり云云。」

■「一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事。」』

 

また、このやりとりは既に貴殿の好きなネット上にアップされている以上、既に公知の事実であり、当方が販売する必然性など皆無であるにも拘らず、(そんなことは中学生以上の知能があれば用意に理解できることだが)当方へ非を擦り付け、法論の準備段階の往還を逃避する貴殿の(こう言っては失礼かもしれませんが)卑劣な性根が仄見えてきますね。

――――――――――――――――――――――

29.あと、20分です。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 23時40分

 

▼「※「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。」減劫御書 建治元年 五四歳 925頁 との御文の如くであります。

 

 私が「他宗教と議論することにより結果、金儲けをなす。かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?」と聞いた答えがこの御文のようですが、もう少し詳しくいわないと、いけないようでしょうか?

日蓮大聖人が門下に対して「他宗・他門との法論が終ったらそれを文書化して、他の門下に有料配布してもいい」とされた教示があるのですか?

また、かかる先例となる門下の事例を是非示していただきたい。」

 

●ここで貴殿の教学的な浅薄さが看取できました。やはり、想像していた通り、貴殿の教義的解釈のレベルはこの程度なのですね。当方こそ貴殿へ「もう少し詳しくいわないと、いけないようでしょうか?」

癡の塵の山高きが故に道理に曚く、瞋り激しく、聞き分けのない貴殿の様な方には繰り返し繰り返しご説明申し上げなければ分からないようですね。(読者の皆さん申し訳ありません。)

再掲

「●凡そ、何を発表するにもそれなりの経費を必要とすることは一般社会常識であり、殊更に問題視する必要はないかと思います。

当方は、破折DVD及び破折テキストの作成、HPの運営、受注発送業務、等など、自社に於いては従業員を用い、また他社へも発注しています。ここに当然ながら経費が発生し、発表物に応分の価格が設定されることには整合性があると存じます。もし、価格に不満があるのならば当然ながらそれを求めなければいいのであるし、現に今までの発表物に対してその告知されている内容に納得した方々からは注文がなされ、特に問題は発生していないのであります。更に様々なルートからの"口コミ"によって注文される方々の地域は次第に拡大傾向にあり、しかもその多くの方々は新たに発表されるものを望まれお求めになられています。それは取りも直さず価格が設定されている発表内容に対して問題を感じておられない証左であると存じます。」

 

この説明で普通の感覚をお持ちの方は充分にご理解いただけたかと思いますが、宿坊氏には無理だったようなので更に詳論します。

このように当方のDVD頒布事業は、「一切世間の治生産業」の一分であり、そこに金銭の授受があっても「一切世間の治生産業」である限り至極当然のことであると言うことです。しかも、それは「皆実相と相ひ違背せず」であるから、実相、つまり御仏の御意思とこの世界の根本的な法理・原則と何ら相違背するものではない、との御意と拝します。

智者とはそのような世間の生活法とかけ離れたところで仏法を論じたり行じたりせず、また、広くは一国統治の術を(仏法の眼から)よくよく熟知している方を智者というのである。と。敷衍すれば、自らの為す世業・生業についてその意義をよく知り、興行すべき方途に精励する事がそのまま仏法に於いても智者である、と。こういう御心と拝します。

この道理からして当方の頒布事業にはなんら問題視される謂れはないと思います。

また、自らの卑屈な了見から見ると、その僻み根性から、当方が「大儲け」しているようでそれが「醜悪」であり「卑劣」である、と思い込んでいるようであるが、御自分で運営してみれば分かることで、決して「大儲け」などできませんね。

以上貴殿にもお分かりいただけたでしょうか?道理に曚い貴殿にはやはり無理かな?

 

▼「※ 聖教新聞それ自体も〜云々。」

 

 随分と飛躍していますが、私が貴殿の信奉する日蓮正宗宗門や、大石寺、他末寺の収益事業・販売行為を批判したのならそれも当たりましょう。

私が指摘したのは「学会員と議論してはDVD、テキストにして販売するという行為は、私個人としては、かつて見聞したことがありません。貴殿にはいらぬ忠告かもしれませんが、法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に『お金が手元にいってくる』というようなことはやるべきではないと思います。」ということです。

 

●では貴殿は

「日蓮正宗宗門や、大石寺、他末寺の収益事業・販売行為」なら領とするのですね?

では貴殿が言う、『法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に『お金が手元にいってくる』というようなことはやるべきではない』と言う論理は、取りも直さずそのまま「日蓮正宗宗門や、大石寺、他末寺の収益事業・販売行為」とへの批判になるのではないか?如何か?

 

 

――――――――――――――――――――――

28.貴殿が明示すると言ったのですよ。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 23時38分

 

▼貴殿はネットの世界に入ってきているのですよ。この世界というのは前述したような、まずは「HN」で語り合い、信頼関係ができてオフ会等で初対面、というものです。ここに創価学会・法華講いや、宗旨宗派関係なく、この世界の一般常識でもあります。

 

●もしこの主張をするのならば、当方からの対論申し込みの時点で展開すべき論理であり、今上記※1の発言を為した後に言い出してもそれは、「後の祭り」「遅参その意を得ず」等の謗りは免れないでしょう。つまり、この主張は不可です。

 

▼そこに貴殿の原理原則を持ち込んで、

「※ 幼稚園でもまず自分の名前を名乗ることから始めるでしょう。

そういう躾もされていない、お名前もきちんと名乗れないような、世間の道理が分からない方が何をどう叫ばれようともその言い分はまともな人からは信用されませんし、相手にされませんよ。ですから、まずはお名前を名乗りましょうね。」

というのは私や学会員のみならず、法華講員のネッター諸氏を揶揄するものである、ということを認識すべきでしょう。

 

●以上の論理と経緯から、ここの貴殿の主張も全く不可です。

つまり、ネット上の一般論を今回貴殿が上記※1の書き込みをした後の状況と同一視して論じても不毛であるということです。この道理が分からないとすれば貴殿は正しく「癡」の甚重であるし、もし分かっていて上記のような論を展開しているのであれば、そいは卑劣漢そのものでしょう。

 

▼ネットの世界に実名で飛び込んだ、というのは貴殿自身の決断であり、それはそれで自由であり、私も云々するものではありません。しかし、既述のような世界に来て、「実名だせ」というのは「ネット界ではありえない。おそらくネッター諸氏には反感を呼べど理解はされえない」主張であり、ましてや私がそれに従わなければならない、という道理はどこにもありません。

 

●はい、ここも上述の如く、今回は貴殿が※1の返答をしたが故の反糺です。ですから、ネットをHNで利用される全ての方々へ対してそのまま適応する論理ではありません。

貴殿はこの異なる二つの状況を混濁し一まとめに論じているから自らも混乱しているのです。知らずにしているとすれば正に読解力の未熟さを露呈し恥を晒した訳だし、敢えてしているとしたら"狡知に長けた悪賢いすり替えのペテン師"との悪名をその仮名に蒙る事でしょう。

 

▼ みなさん、速やかなる対論の開始を待ち望んでいるのです。

 

●当方も全くそれは同感です。

 

▼過去、ネット界で「実名出せ」「前提条件云々」を言い続け「出す出さないのやりとりだけだった」「前提条件闘争だけで教義論争をしなかった」「結局なにもしなかった」という人は誰もおりませんでした。

 

●ここも上記の通り、貴殿の悪賢いすり替え以外の何物でもありません。

分かりの悪い方には繰り返すしかないのですが、今回は貴殿が※1の発言した特殊なケースなのです。ですから、当然の如く貴殿に実名の明示を要求します。貴殿が言ったことなのですから。もし、貴殿が成人式を過ぎた大人ならば当然自らの発言に責任を持たなければならないでしょう。

 

▼あなたはご存知なくても、ネット界では私も百戦錬磨と認知する「法太郎」氏、更に「れいな」氏もすぐに議論の中味に入ったものです。

ネット界ではこれらの人物が貴殿の先輩ともなるでしょう。先輩諸氏に続き、速やかなる対論の開始を要求します。

 

●はい、ここも論理のすり替え、もしくは貴殿の思考の混濁です。

上記の方々はもとより仮名同士での法論であり、今回のケースとは出発点からして様態を異にしています。ですから、そのケースを引き合いに出して云々しても全く的外れ、空滑り、つまり不可です。

 

――――――――――――――――――――――

 

27.今日は実名無理ですか?

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 23時36分

 

貴殿が自分で宣言した

「▼はじめまして、

公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。」

との主張に基づいて、当方は貴殿が当方に実名を明示するように再度念告しました。

その期限は勝手ながら今日中にとさせて頂きました。

これは貴殿が一方的に

「▼明日から三日間の間に(5月12日まで)反論を試みて下さい。

反論なき場合は「戦わずして敗北」と見なします。」

との通告をしてきたことに準えたものです。

 

しかしながら今回の貴殿からの投稿を見るに何点か論理的矛盾が散見されるが故に、再度究明するものです。

**********************************************************

▼私の主張を再掲します。

現在はIT化の時代・・・〜〜〜でなければ、双方の議論が成り立たなくなるのですから。

 

●この間の主張はそれなりに首肯できます。

 

▼ここにおいて、貴殿は実名で登場し

「※ 貴殿にお訊きしたい。実名も名乗らずに自分の主張だけを得々と為す、かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?如何?」

と問い、更に

「※ そうすると既に提示した大聖人様の、

「書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉々公場を期す。」

との御言葉の御義はどう読まれますでしょうか?

貴殿は

1、実名は名乗らない。→強仁以下。

2、公場での対決は避ける。→上記の尊き御指南にも背く。

これでは

「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

との御文の如くに貴殿は「自らの我意・我見により己見を主張しているだけ」であり、もしその正当性を主張するのであれば大聖人様の御言葉の中より根拠を出だすべきと考えるが如何か。」

 

と言いますが、これは私個人や学会員のみならず、ネット上で「HN」で対論・議論を進める全法華講員に当てはまってしまうのです。

 

●これについては当方は明確に

「●貴殿にお訊きしたい。

「実名も名乗らずに自分の主張だけを得々と為す、「▼かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?」」如何?

(ただし仮名同士でやりあうことについては当方は別にとやかく言うつもりはありません。存分にやって下さい。)」

と、主張しています。

つまり、仮名同士でやりあうことに於いては貴殿の主張は首肯できますよ。ということです。ですから、

「▼これは私個人や学会員のみならず、ネット上で「HN」で対論・議論を進める全法華講員に当てはまってしまうのです。」

との反論は的を外しており、正鵠を得ておりません。

 

今回のケースは、まず貴殿から

「▼日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」は偽物か?

宿坊と樋田昌志氏・ 黄倉光治氏との公開法論」

との論議提示があって、それに対して当方がそれを受けて立つ形で、

「●はじめまして。「宿坊」殿

当方は、

1.実名による、

2.ビデオ撮影あり、後に公開あり、

3.見学者あり、

4.反論不能な場合は勝者の宗旨への改宗。

との条件での公開対論を望んでいます。

もしくは、「実名による公開文書対論」でもかまいません。

「宿坊」と仮名を用いる貴殿が堂々と実名(当人であることの証明が必要)を明かし、当方との公開対論を受諾できるのなら、いつでもお相手しましょう。」

との返答をし、貴殿はそれに対し、

「▼※1 はじめまして、

公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。」

と受けたのではないですか?

この経緯からすれば、貴殿は公開対論を「承諾した」と言うのであるから、「実名を当方へ明示」すべきである、と主張しているのです。この経緯と道理は小学生高学年でも理解できるレベルだと思いますが。如何か?

 

 

――――――――――――――――――――――

26.逃げたらだめです

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 22時29分

 

公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。

貴殿の云う「実名による公開文書対論」でもかまわないならば

、タイムリーに全国で閲覧できるほうが良いでしょう。

法論は下記サイトで行う。

となっており、

 

【若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)】

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

 

(1)法論の総合テーマは、『富士門の700年は清流か濁流か?

・・・はたして大聖人の仏法が現67世日顕上人猊下に正しく伝

わっているか否か?(「戒壇の大御本尊」「二箇相承」「金ロ

嫡々唯授一人血脈の相承」。)』とする。

総合テーマ:『大石寺700年は清流か濁流か?』

サブテーマ1:「戒壇の大御本尊」

サブテーマ2:「二箇相承」

サブテーマ3:「金ロ嫡々唯授一人血脈の相承」

 

これに同意したものと思っております。

「本門戒壇の大御本尊」が弘安二年十月十二日に建立されたという

上代の客観的文証の提示をしなさい、偽書はだめだよ。

 

であるなら、すぐにでも貴殿宛に実名をお送りします。

逃げないでね、坊や!

みんな楽しみにしているのだから、いつまで持つやら。

 

――――――――――――――――――――――

25.「瞋るは地獄」ですよ。宿坊さん。

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 22時16分

 

おやおや。早くも逆切れですか?

もう少し辛抱が効く人かと買い被っておりました。残念です。

やはり、三毒の中でも前回の「癡」(おろか=道理・因果に暗いこと)に続いて今度は「瞋」(いかり・瞋るは地獄)の毒がまだまだ転換されていないのでしょうか。貴殿の信仰姿勢が窺われる貴重な箇所ですね。

貴殿がそう言って来ることは既に予見していましたよ。

だから次の行を一緒に引用添付していたのではないですか。

貴殿は思ったよりも「あまり賢くないのでしょう」か?

 

『公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し"承諾致し

ます。"』

とは一体どなたの言ですか?(""は当方が添加)

 

この3行は貴殿の言であり、貴殿にとっては致命的でしたね。

『公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。』

と言った直下に

『公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し"承諾致し

ます。"』

これでは『公開法論を承諾しましたから貴殿(当方)へ実名を明示しますね』と言っていることではないですか?

もし、貴殿が書き込んだこの文章をそう読めないとしたら、小学5年生くらいからの国語をやり直すことでしょう。

 

さてさて、今10時15分

1時間45分ですよ。

 

実名明示楽しみです。

 

 

――――――――――――――――――――――

24.「貴殿こそ健忘症ですか?」樋田氏へ?

 

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 21時28分

 

>公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

 

あまり賢くないのでしょう!

承諾後と書いていますよ、ならば承諾致しましたとか

掲示板にて反論がなされているのならともかく、

子供の使いで出てきているのですか。

ふざけるのはよしなさい。

 

――――――――――――――――――――――

 

23.宿坊氏へ「健忘症ですか?それとも・・・?」

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 19時29分

 

●百万の言い訳も以下の貴殿の当初の返信の一言で吹き飛ぶことでしょう。

 

「▼はじめまして、

公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。」

 

●貴殿が公開対面対決ができない方であるとの言い訳は充分に分かりました。もう結構ですよ。ご苦労様でした。全国の皆様にも貴殿のレベルがご理解いただけたかと思います。

 

さて、では公開文書対論との事ですが、上記の貴殿の発言の通り、実名を当方に明示してください。

この宣言はまがうことなく貴殿がされたものですから、きちんとその通り実行しましょう。

 

では貴殿の実名の明示を楽しみにお待ちします。

期限は今日中とします。

 

では、宜しく。

 

――――――――――――――――――――――

22.樋田・黄倉両氏へB

 

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 18時10分

 

みなさん、速やかなる対論の開始を待ち望んでいるのです。過去、ネット界で「実名出せ」「前提条件云々」を言い続け「出す出さないのやりとりだけだった」「前提条件闘争だけで教義論争をしなかった」「結局なにもしなかった」という人は誰もおりませんでした。

 

あなたはご存知なくても、ネット界では私も百戦錬磨と認知する「法太郎」氏、更に「れいな」氏もすぐに議論の中味に入ったものです。

ネット界ではこれらの人物が貴殿の先輩ともなるでしょう。先輩諸氏に続き、速やかなる対論の開始を要求します。

 

 

※「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。」減劫御書 建治元年 五四歳 925頁 との御文の如くであります。

 

 私が「他宗教と議論することにより結果、金儲けをなす。かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?」と聞いた答えがこの御文のようですが、もう少し詳しくいわないと、いけないようでしょうか?

日蓮大聖人が門下に対して「他宗・他門との法論が終ったらそれを文書化して、他の門下に有料配布してもいい」とされた教示があるのですか?

また、かかる先例となる門下の事例を是非示していただきたい。

 

※ 聖教新聞それ自体も〜云々。

 

 随分と飛躍していますが、私が貴殿の信奉する日蓮正宗宗門や、大石寺、他末寺の収益事業・販売行為を批判したのならそれも当たりましょう。

私が指摘したのは「学会員と議論してはDVD、テキストにして販売するという行為は、私個人としては、かつて見聞したことがありません。貴殿にはいらぬ忠告かもしれませんが、法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に『お金が手元にいってくる』というようなことはやるべきではないと思います。」ということです。

 

貴殿の主張を言い換えれば「聖教新聞社だって有料販売で出版活動しているではないか。

 

樋田・黄倉両氏へC

故に云々される筋合いはない、私も個人法論を有料販売してもいいのだ」ということにもなりますが、聖教新聞社は「広宣流布推進の言論活動としての出版販売」であり、個人法論をかつて出版販売したなど聞いたことがありません。それは日蓮正宗宗門においても同じでしょう。

いちいち個々の会員、講員の対論を有料販売していたのでは、きりがありませんからね。

 

またこれまでは創宗問わず、個人にあっても、対論という分野は一切の掛け値なく、「不惜身命」「身軽法重」「死身弘法」の信仰世界の最重要に属するものであり、そこに個人の収益活動を持ち込むべきではない、というのが双方の認識であったと思いますし、同時にそれは私自身の最低限のモラルでもあります。

 

はっきり念告しておきます。

「対論を初めから販売目的にしている人間とは会いたくありません」これは私の信念です。

また、対論そのものの中味ではなく、このような前提の段階でのやりとりまでもテキスト化して販売するかもしれないという貴殿に、これ以上、前置きのやり取りは行ないません。

速やかに対論の中に入ることを要望します。

 

明日から三日間の間に(5月12日まで)反論を試みて下さい。

反論なき場合は「戦わずして敗北」と見なします。

 

記述のネット界の常識を身に付けた多くの創価学会員、法華講員が待ち望んでいることをお忘れなきよう。

 

 

――――――――――――――――――――――

21.樋田・黄倉両氏へA

 

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 18時8分

 

と問い、更に

 

※ そうすると既に提示した大聖人様の、

「書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉々公場を期す。」

との御言葉の御義はどう読まれますでしょうか?

貴殿は

1、実名は名乗らない。→強仁以下。

2、公場での対決は避ける。→上記の尊き御指南にも背く。

これでは

「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

との御文の如くに貴殿は「自らの我意・我見により己見を主張しているだけ」であり、もしその正当性を主張するのであれば大聖人様の御言葉の中より根拠を出だすべきと考えるが如何か。

 

 

と言いますが、これは私個人や学会員のみならず、ネット上で「HN」で対論・議論を進める全法華講員に当てはまってしまうのです。

貴殿はネットの世界に入ってきているのですよ。この世界というのは前述したような、まずは「HN」で語り合い、信頼関係ができてオフ会等で初対面、というものです。ここに創価学会・法華講いや、宗旨宗派関係なく、この世界の一般常識でもあります。

 

そこに貴殿の原理原則を持ち込んで、

 

 

※ 幼稚園でもまず自分の名前を名乗ることから始めるでしょう。

そういう躾もされていない、お名前もきちんと名乗れないような、世間の道理が分からない方が何をどう叫ばれようともその言い分はまともな人からは信用されませんし、相手にされませんよ。ですから、まずはお名前を名乗りましょうね。

 

 

というのは私や学会員のみならず、法華講員のネッター諸氏を揶揄するものである、ということを認識すべきでしょう。

 

ネットの世界に実名で飛び込んだ、というのは貴殿自身の決断であり、それはそれで自由であり、私も云々するものではありません。しかし、既述のような世界に来て、「実名だせ」というのは「ネット界ではありえない。おそらくネッター諸氏には反感を呼べど理解はされえない」主張であり、ましてや私がそれに従わなければならない、という道理はどこにもありません。

 

 

――――――――――――――――――――――

20.樋田・黄倉両氏へ@?

 

 

名前:宿坊    日付:5月9日(月) 18時7分

 

私の主張を再掲します。

現在はIT化の時代・・・ネットの恩恵は計り知れないものがあります。自身の力量では知り得ぬレベル、分野も、その道の達人がHP、掲示板などで情報発信されています。それを見れば自身が肉化、消化し自らの血肉とし、さらなる向上へとつながります。

 

日蓮正宗、創価学会の対論、議論も活発に行なわれ、それを少し見ただけでも「そうか、そうだったのか」「いや、それは違うだろう」と双方の触発、意識啓発、信仰心の向上に寄与するところ大でしょう。又、そこに勇気を奮って参加することにより、自身の信仰の成長になった、という方も多々おられます。

 

更に所属宗教団体内でも自由な意見交換、議論が行なわれ、ここでは向上・発展もあれば、息抜きもあり、ネットでなければなしえないものでもあります。

 

当たり前のことですが、日蓮大聖人の御在世にないもの、飛行機、電車、自動車、電話等々、これら時代の利器により広宣流布への布教は多角的、全世界的な進展を遂げております。(双方の正邪は別として)

 

同時に、時代の情報ツールであるネットの普及により、多くの人がつながり、見ず知らずの間柄でも対話を重ねる過程で認識し、打ち解けあい、理解し、時には双方の対論ではなく、意見交換の場を持てたりもするのです。

ただ、ネット・掲示板の世界というのはご存知のとおり、同時に全世界で不特定多数の人物が閲覧可能という利便性が、そのまま裏返しの要素もはらんでおり、故に「HN」で名乗り、語り合う、ということは「当然の前提」として定着しています。

 

この十年間近く、創価学会員・法華講員諸氏、時には僧とおぼしき人物も「HN」による登場であり、その前提を踏まえた上での対論・議論の進展でありました。

この形は今後も変わらないことでしょう。又、であるが故に「いつでも、どこでも、誰でも、自由に、気軽に」投稿できる、というものです。もし、この前提が無くなるならば、書き込む人はいなくなり、ただ、双方の主張が文字通り「お寺の前の掲示板」のようにHPに張り付いているだけの事態となり、なんの味気、おもしろみもないものとなるでしょう。ネット掲示板の白熱する議論により、創宗問わず双方大いに「それぞれのパワー」に益しているのです。

故に私の「ネット対論」路線は不変です。これについては学会のみならず、ネット上で奮闘される多くの「HN」の法華講員諸氏も支持していただけるものと思うものです。

でなければ、双方の議論が成り立たなくなるのですから。

 

ここにおいて、貴殿は実名で登場し

※ 貴殿にお訊きしたい。実名も名乗らずに自分の主張だけを得々と為す、かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?如何?

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19.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 6

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 14時34分

▼私には一人で「日蓮正宗の宗義の根幹を徹底的に破折するだけの自信」があります。

始まったら容赦はしません。とことんまで破折・追求させて頂きます。

 

●貴殿の今の姿は藪の中に身を隠したまま、堂々と道を歩いている当方に向かって、ヘリウムガスなどを吸い込んで声を変えてしかも大声で吠え付いているという状況ですが、それを感じることができませんか?だとすれば三毒の病は相当に進んでおり、お早めに気付かれることをお祈り申し上げます。

 

▼既に「れいな」「法太郎」は破折済みです。貴殿に比すれば彼らは前提条件に拘泥せずに対論を開始し、それなりの力量は示した、と評価しています。

 

●ここにネット対論上のどなたのHNを持ち出されても当方にはあまり意味がありません。

 

▼「ネット上で登場したものの、HNのれいな、法太郎以下のレベルだった」

「ちょっとクビを突っ込んだものの、条件を言うだけで結局議論の中味に入れないお騒がせ屋さんだった」

「日蓮を語りながら日蓮に背く議論屋稼業」と語られ終りたくなかったら、いますぐ下記への書き込みを開始することを要求します。

 

●再三繰り返しますが、まずは貴殿のお名前は?

幼稚園でもまず自分の名前を名乗ることから始めるでしょう。

そういう躾もされていない、お名前もきちんと名乗れないような、世間の道理が分からない方が何をどう叫ばれようともその言い分はまともな人からは信用されませんし、相手にされませんよ。

ですから、まずはお名前を名乗りましょうね。

宜しくお願いしますよ。

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18.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 5

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 14時15分

▼貴殿は私のこの半年間に亘る主張は承知しているのでしょう。

 

●既述の通り。貴殿など残念ながら眼中にありませんでした。

 

▼従来、この分野は日蓮正宗にあっては「御法主上人猊下の権能」であり、せいぜい一部の坊さん達が「なんとかしのいできた」分野でした。

私はこの分野以外は一切やりません。

「三宝論」・・・現在は邪宗と化した日蓮正宗の宗派内の約束事を議論してなんになるのでしょう。

「会長本仏論」・・・元々そういったものはありませんが、創価学会は現在でも日蓮正宗の枠内なのですか?

これをいう法華講員は前提として、創価学会と日蓮正宗の区別も認識できていないようで、

この場で一言だけ指摘しておけば「おたくの宗派内ならば、謗法となるのでしょうが、創価学会は日蓮正宗ではないのですよ。故に云々される筋合いはありません」とだけお伝えしておきましょう。

 

●どのように法論を進めていくかという条件を論じ合っている場ですから割愛します。ここでも貴殿が「道理に曚い」という三毒の中の特に「癡」が強く盛んであるということが明白に露見しただけです。

 

▼貴殿に問います。

あなたには「日蓮正宗の宗義の根幹の証明を一人背負って立つ」という勇気、決意、力量があるのですか?

 

●他者に対して、まあそう大仰に構える前に、御自分が匿名でしか論じていないというお寒い現状について我が身をよく省みたら如何でしょう。

■「自ら其の過を見ずとは、三失をもって心を覆ふ。?(きず)を蔵(かく)して徳を揚げ自ら省みること能はず。是無慙(むざん)の人なり。(中略)?を蔵す等とは三失を釈せるなり。?を蔵して徳を揚ぐは上慢を釈す。自ら省みること能はざるは我慢を釈し、無慙の人とは不信を釈す。若し自ら過を見るは此の三失無し。未だ果を証せずと雖も且く有羞と名づく」と。」

如何でしょうか?貴殿の信仰姿勢は正に、上慢・我見・不信なのではないでしょうか。

 

 

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17.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 4

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 14時14分

▼書いたことが記録として残ります、

 

●きちんとビデオ撮影をすれば、「▼記録として残ります」

 

▼大声で言い放って圧倒してその場しのぎでごまかして、は通用しないのです。

 

●当方の法論が「大声で言い放って圧倒してその場しのぎでごまかして」いるのかどうか、ご自身の目でお確かめになたれたら如何ですか?

 

▼同時に多くの方に判断していただけます。

 

●これは法論の映像記録を後に皆さんで見ていただければ「多くの方に判断していただけます。」

 

▼そして、「お金」は接続代だけであり、現在は大半の方が所謂「つなぎ放題」の回線でしょうから、それほど負担をかけないでしょう。ネット環境にない方には「コピーして」さしあげればいいだけのことです。

 

●今まで対論DVDを見ていただいた方々の感想から言いましても、視覚的に音声と共に伝えられる情報の濃厚さとその印象深さは文書の比ではなく、正邪が大いに明確に分かるとの事。また初心の方にも直ちに大きな感動を以って邪正が詳らかになる絶大な効果があるようです。

いずれにせよ貴殿がネット対論に拘る必然性は極めて脆弱で、所詮貴殿の対面対決できない総合的な実力のなさと臆病さをますます露呈している状況です

 

▼もし、本当に創価学会を邪宗とし、大謗法団体と確信するのなら、見苦しい前提条件闘争に入るのではなく、今すぐ対論に入りなさい。舞台は用意してあるのです。

 

●ではまず実名を証明できる形で発表してください。それが筋道でしょう。それが道理というものでしょう。

■「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか。」

そいう道理が分からないとすれば貴殿の振る舞い自体が、貴殿が正しい信仰をしている者でないという証明を自らしていることになりますが如何か?ここもじっくりお聞かせ願いたい。

1、貴殿が信仰者として至らないから、道理が分からないのか。

2、貴殿が所属しているらしい創価学会の信仰が間違っているから、貴殿が道理が分からなくなっているのか。

3、それともその両方の要因が重複しているのか。

 

実に興味深い箇所です。

 

 

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16.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 3

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 14時14分

▼・・正に時代相応の「新法論」といえます。

 

●ネット対論の有効性もそれなりに認識しておりますが、そうであるならば、当方は既に実名を明示しているのであるから、貴殿も対論者として堂々と実名を名乗るべきでしょう。如何か?

 

▼貴殿のいう「直接対論」は当方の仕事との兼ね合い、生活のリズム・・

 

●具体的にはどのような問題点でしょうか?当方は貴殿の「仕事」「生活のリズム」にとことんお付き合いをする準備はあります。どうぞご遠慮せずに仰ってください。

 

▼更に上記の理由により、行なえるものではありません。

 

●「上記の理由」は「ネット対論の有効性」の説明であり、「対面対決」を回避するための正当な得心の行く説明にはなっておりません。

もう一度対面対論ができない理由を明確にしてください。

 

▼念の為、添えますが、それで「逃げた」というのも当たりません。貴殿が「直接対決を避ける理由は全くありません。」というのと同様、私にも「直接対決を行い、貴殿の販売行為の手助けをする必要はどこにもないし、現代ではネット対論こそふさわしいと考える」からです。

 

●そうすると既に提示した大聖人様の、

■「書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉々公場を期す。」

との御言葉の御義はどう読まれますでしょうか?

貴殿はご自分の価値判断で「ネット対論が最良」と言われていますが、大聖人様は上記のお言葉の如くに、「書いたものでは、実際に話した言葉の全てを顕し尽くせない、言葉もその本心を伝えきれない、が故に公の場で行き会って対決を致しましょう。」と邪僧強仁に仰せになられているのであります。

貴殿は

1、実名は名乗らない。→強仁以下。

2、公場での対決は避ける。→上記の尊き御指南にも背く。

これでは

■「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。」

■「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

との御文の如くに貴殿は「自らの我意・我見により己見を主張しているだけ」であり、もしその正当性を主張するのであれば大聖人様の御言葉の中より根拠を出だすべきと考えるが如何か。

 

▼私はネットによる公開対論のみを行います。

 

●上記の如くであります。明確に自身の主張の正当性の根拠を大聖人様の御文から証明してください。それにつけても実名を名乗りそれを宿坊氏であると証明してください。

 

▼直接では、2〜3時間の短時間で終ってしまうでしょう。これではとても「日蓮正宗にとって宗義の根幹である戒壇の御本尊・二箇相承書・日興跡条々事・唯授一人金口嫡々血脈相承」を論じきれるわけがありません。一回で終らぬならば二回、三回などとなるでしょうが、貴殿の過去の議論内容を聞くにつけ「答え切れない」と判断できるからです。

 

●また、ここでも貴殿は「伝聞による推測」で他者を誹謗断定しております。ここも、どういう根拠で実名樋田昌志を名乗る当方が「「答え切れない」と判断できる」のか明示、説明してください。もし、その根拠の提示が不鮮明で当事者である当方が貴殿の言が不当であると判断した場合は貴殿を匿名のまま告訴する根拠とするので、ここは慎重に納得できるお答をお願いします。

 

▼内容が内容です、ここで明言しておきますが、私個人が直接対決する相手は「日蓮正宗管長・阿部日顕」若しくは「全権委任の代理人」のみです。それ以外とは一切、直接対決はやらない、ということを明言しておきます。

 

●匿名の貴殿がどういう根拠でそのような立場を主張できるのか、再度明示してください。世間ではそういうことを言う方を指して「身の程知らず」とか「思いあがりの強い人」とか「自意識過剰」とか「誇大妄想狂」とか呼んでいるようですが。まさか貴殿ほどの方がそのような揶揄をされる方ではないでしょうから、御自分が「日蓮正宗管長・阿部日顕上人」と直接対決できると主張する根拠を明示してくださいませ。

 

▼「阿部日顕」若しくは「全権委任の代理人」以外とはネット対決を行います。

 

●ここも根拠薄弱ですね。どうして、日顕上人とは直接対決できて、その他はネットなのでしょうか?論旨明瞭にお願いします。

 

▼じっくり考えて書き込めるでしょう、

 

●確かにそうですが、対決をしたその場で即座に反論できる信心と教学力を身につけるべく努力をされたら如何か?

■「一 日蓮が弟子臆病にては叶ふべからざる事 (中略)所謂南無妙法蓮華経の大音声を出だして諸経諸宗を対治すべし。「巧於難問答、其心無所畏」とは是なり云云。」

■「一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事。」

の如くであります。

 

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15.宿坊さんの信仰する対象は?

 

 

名前:黄倉です。    日付:5月9日(月) 13時14分

宿坊さんの信仰する対象は?

 

一言、法論に向けての基礎を明かしてもらいたい。

 

まず、宿坊さんは何を信じているのですか?そして所属と実名です。

 

1.何を信仰しているのか?

2.所属は創価学会か?

3.そして実名(本人確認の為の住所・電話番号を当方だけに知らせる048-961-3378へFAX)

 

以上3点が法論の準備を進める基礎になります。

この3点があきらかになって

4.対面か、文書か?

5.法論の決着基準や処置(脱会・脱講をかける)や文書なら字数制限などの細かい部分の約定書を作成し、一気に法論に入りましょう。

 

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>私はこの分野以外は一切やりません。

 

寝言を言っていてはだめです。

 

裏山のタヌキを信仰している人が、日蓮正宗の戒壇の大御本尊について難癖つけていたら、おかしいでしょう。

オウムのシバ神を信仰している人が、唯授一人金口嫡々血脈相承に難癖をつけていたらお笑いでしょう。

 

宿坊さんは、何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

宿坊さんは、何を信仰することで自分の家族や友人が成仏すると信じるているのか?

宿坊さんは、何を信仰することで世界や人類が救われると信じているのか?

 

互いの信じている宗教の高低・正邪を決するのが法論でしょう。

そして、自分の信ずる宗教が低となったら潔く、高い宗教につく、それがお互いの信義則に叶った法論というものでしょう。自らの信仰も明かさず、所属も実名も明かさず、信義に則った法論など存在しないのですよ。

 

仏教においては、どのような三宝を信じているのか?ということが問われるはずですが

・・それとも宿坊さんは、何か別なもので成仏できるというなら、信仰の対象名をあげてもらっていいですが・・

また、日蓮大聖人の仏法・・なんて抽象的な返答はダメですよ。信仰する仏、本尊、僧(現代に仏法を伝える人)を具体的に挙げてください。

 

まず、1.何を信仰することによって成仏すると信じるのか?

     (信仰する仏、本尊、僧は?)

   2.所属は創価学会か?

を明かしてください。

 

それから3以降へ進みましょう。

 

 

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14.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 2

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 12時7分

▼学会員と議論してはDVD、テキストにして販売するという行為は、私個人としては、かつて見聞したことがありません。貴殿にはいらぬ忠告かもしれませんが、法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に「お金が手元に入ってくる」というようなことはやるべきではないと思います。

 

●これは既述の如くですが、更に加論すれば、例えば聖教新聞それ自体も「法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば」「「お金が手元に入ってくる」というようなことはやるべきではないと思います。」となりますし、更に聖教新聞社の出版物の全ても貴殿の言うこの概念に相当するのではないでしょうか?

更に、池田大作氏の講演集なども、一度は聖教新聞誌上等に出ている内容を纏めて再度出版しているのものと伺っておりますが?そうであるならば「▼法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に「お金が手元に入ってくる」というようなことはやるべきではないと思います。」との言は、まさに創価学会の出版事業そのものに対して為される痛烈な批判の言、ということになりましょう。この件についての貴殿の再反論を楽しみにお待ちしています。

 

▼他宗教と議論することにより結果、金儲けをなす。かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?

 

●■「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。」減劫御書 建治元年 五四歳 925頁 との御文の如くであります。

 

▼私が今迄学んだ教学にそのような大聖人の教示はありません。

 

●それは上記の御文等の御仏の御意を貴殿が知らなかった故でありましょう。自らの不勉強ぶりを満天下に晒しただけであります。よくよく恥ずべし。恥ずべし。ですね。

 

▼又、私も純粋な法義論争のつもりが、結局は謗法者の資金稼ぎの一助となっていた、ということならば、かかる行為の万分の一でもお手伝いするつもりはありません。対論終わって販売行為・・・実に醜悪な行いです。

 

1、貴殿の個人的な価値判断によって他者を「謗法」扱いは感心しませんね。

■「又八の巻に云はく「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は当に世々に牙歯疎き欠け・醜き脣平める鼻・手脚繚戻し、眼目角らいに、身体臭穢・悪瘡・膿血・水腹・短気諸の悪重病あるべし」文。」となりますよ。よくよくお気をつけなさった方が貴殿の為です。

 

2、既述の聖教新聞社の出版事業についての再反論を明確に成し遂げてから、「▼対論終わって販売行為・・・実に醜悪な行いです。」との言を為すべきでしょう。もし論旨明快な反論に失敗した場合は、まず貴殿は当方を故なく「醜悪な行為の実行者」と断定し公表したことになり、当方としては謝罪を要求します。繰り返しますが、当方は実名で投稿しており、貴殿の不用意な発言はそのまま法律的な問題を孕む可能性が存在しているので、今後も細心の注意を払うべきであります。尚、最近の判例では匿名の投稿でも名誉毀損罪は問える事案がありますので、貴殿の為に念告しておきます。

 

▼又、貴殿も承知していることと思いますが、この半年以上、私は「本門戒壇の大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々の事」「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」とのテーマで法華講諸氏と対論を重ねて参りました。

 

●申し訳ありませんが当方は仮名で論じ合う系統のHPにはあまり興味・関心がないので「宿坊」氏の書き込みは散見した程度で熟読も熟考もしておりません。例えて言えば幾らローカルでマナーな演歌歌手としてCDを発表していて、ご本人は「この世界では少しは名が通っているはずだから世の多くの人は自分を知っているはずだ」と思い込んでいても、それはただの独りよがりの思い上がりであって、全く演歌に関心のない人から見ればどうでもいい事なのです。増してや、ローカルでマイナーとなれば尚更の事。田舎町のおじさん、おばさんにそう言う人を時々見受けますよ。そう言う方が経営するスナックなどに行くとそれはもう自分の自慢話ばかりで、客が辟易して商売も傾き加減だと。貴殿もそうならないように、堂々と実名を名乗り、堂々と爽やかに潔くやりましょう。

貴殿にお訊きしたい。

「実名も名乗らずに自分の主張だけを得々と為す、「▼かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?」」如何?

(ただし仮名同士でやりあうことについては当方は別にとやかく言うつもりはありません。存分にやって下さい。)

 

 

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13.未だ実名を明かせない臆病もしくは卑劣漢の「宿坊」氏へ反論 1

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月9日(月) 10時50分

▼先ほど仕事から帰ってきました。

 

●それはそれは日曜日なのにご苦労様です。

 

▼すでに『触れていない項目については了解したと承知してください。』と言ったのは貴殿のほうです?(笑)

後でどうこう言ってももはや遅いのではありませんか。既に全世界に発信されているのです。

 

●確かにそうですね。ですが、当方の初回の投稿を通読すればよくお分かりと思いますが、最優先の希望は「対面対決」であるということです。しかし貴殿が対面対決をする実力と勇気がないのであれば、公開文書対論でもかまいませんよ。という最大限の譲歩の方途としての文書対論です。ですから上記の文言は、優としての対面対決、劣としての文書対論という優劣の中の「劣」の辺についての条件認定の言であります。貴殿が対面対決をする勇気と真の巧於難問答の実力がないことは当方は既に大方予想済みであり、対面対決を逃れるための、今回のような貴殿の縷々とした弁疏が投稿され、それを当方が細かく反駁するその過程を全国の皆様に見ていただくだけでも、法論を前提とした序盤戦としては価値のあることと考えています。

 

▼そして貴殿のHPを拝見しました。

DVD 1200円 テキスト 500円 300円・・・

「法華講員には勇気の糧に、また大謗法団体に絡め取られている方々においては、一刻も早く目を覚ましていただく一助になることを願って止まない。」と、大義名分を書いていますが、これではまるで法論屋の金儲けではありませんか。

 

●凡そ、何を発表するにもそれなりの経費を必要とすることは一般社会常識であり、殊更に問題視する必要はないかと思います。

 

当方は、破折DVD及び破折テキストの作成、HPの運営、受注発送業務、等など、自社に於いては従業員を用い、また他社へも発注しています。ここに当然ながら経費が発生し、発表物に応分の価格が設定されることには整合性があると存じます。もし、価格に不満があるのならば当然ながらそれを求めなければいいのであるし、現に今までの発表物に対してその告知されている内容に納得した方々からは注文がなされ、特に問題は発生していないのであります。更に様々なルートからの"口コミ"によって注文される方々の地域は次第に拡大傾向にあり、しかもその多くの方々は新たに発表されるものを望まれお求めになられています。それは取りも直さず価格が設定されている発表内容に対して問題を感じておられない証左であると存じます。

 

▼更に対論内容を知人から伺いましたが、その程度では単なる「議論」屋ですね。とても「法」論などと呼べません。

 

●貴殿は「御知人」からの伝聞によって、ものの是非を安易に評価なさる前に、まずご自分の目でお確かめになられたら如何でしょうか?どのようなことでも、全て評価には主観が伴うものであり、その「知人」の方の主観を交えた評価を通して物事の良し悪しを判断することは間違いの元となるでしょう。ですから貴殿の言う「▼その程度では単なる「議論」屋ですね。とても「法」論などと呼べません。」との断定の言は、実際に自らがその目で見て判断していないことですので、正当な評価とはなり得ません。これは別に当方の法論を過大評価して申し上げているのではなく、全てものの評価をなすに於いての正当な基本的姿勢であるという意味です。

 

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12.結局逃げているのは宿坊の方だ。

 

 

名前:日蓮正宗信徒    日付:5月9日(月) 6時18分

まずどこの誰とも名乗らない。これは無責任である。

「私個人が直接対決する相手は〜」などと言って相手を選んでいる。

もしこれが許されるなら「池田大作を出せ、そうしたら匿名の俺が相手してやる」というのも通ることになる。結局逃げているではないか。

 

「おたくの宗派内ならば、謗法となるのでしょうが、創価学会は日蓮正宗ではないのですよ。故に云々される筋合いはありません」

は噴飯ものである。馬鹿に付ける薬なしとはこのことだ。自ら日蓮正宗ではないと認めるならば池田教が日顕宗と称して誹謗攻撃しているのは日蓮正宗であることも認めよ。

また、池田教とはたかだか70年前に出来上がった新興邪宗教であった事を認めていることになる。

襟を正すとはそう言う事だ。自分の立場も明確にしないで放論など成立するはずがない。宿坊は、以上の点で「逃げている」と結論する。

要するに、宿坊は言を左右にした暴論しかできない腰抜けだということだ。

 

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11.樋田 昌志殿へA

 

 

名前:宿坊    日付:5月8日(日) 21時58分

 

貴殿のいう「直接対論」は当方の仕事との兼ね合い、生活のリズム更に上記の理由により、行なえるものではありません。念の為、添えますが、それで「逃げた」というのも当たりません。貴殿が「直接対決を避ける理由は全くありません。」というのと同様、私にも「直接対決を行い、貴殿の販売行為の手助けをする必要はどこにもないし、現代ではネット対論こそふさわしいと考える」からです。

 

私はネットによる公開対論のみを行います。直接では、2〜3時間の短時間で終ってしまうでしょう。これではとても「日蓮正宗にとって宗義の根幹である戒壇の御本尊・二箇相承書・日興跡条々事・唯授一人金口嫡々血脈相承」を論じきれるわけがありません。一回で終らぬならば二回、三回などとなるでしょうが、貴殿の過去の議論内容を聞くにつけ「答え切れない」と判断できるからです。

 

内容が内容です、ここで明言しておきますが、私個人が直接対決する相手は「日蓮正宗管長・阿部日顕」若しくは「全権委任の代理人」のみです。それ以外とは一切、直接対決はやらない、ということを明言しておきます。

「阿部日顕」若しくは「全権委任の代理人」以外とはネット対決を行います。じっくり考えて書き込めるでしょう、書いたことが記録として残ります、大声で言い放って圧倒してその場しのぎでごまかして、は通用しないのです。同時に多くの方に判断していただけます。そして、「お金」は接続代だけであり、現在は大半の方が所謂「つなぎ放題」の回線でしょうから、それほど負担をかけないでしょう。ネット環境にない方には「コピーして」さしあげればいいだけのことです。

 

もし、本当に創価学会を邪宗とし、大謗法団体と確信するのなら、見苦しい前提条件闘争に入るのではなく、今すぐ対論に入りなさい。舞台は用意してあるのです。

 

貴殿は私のこの半年間に亘る主張は承知しているのでしょう。従来、この分野は日蓮正宗にあっては「御法主上人猊下の権能」であり、せいぜい一部の坊さん達が「なんとかしのいできた」分野でした。

私はこの分野以外は一切やりません。

「三宝論」・・・現在は邪宗と化した日蓮正宗の宗派内の約束事を議論してなんになるのでしょう。

「会長本仏論」・・・元々そういったものはありませんが、創価学会は現在でも日蓮正宗の枠内なのですか?

これをいう法華講員は前提として、創価学会と日蓮正宗の区別も認識できていないようで、

この場で一言だけ指摘しておけば「おたくの宗派内ならば、謗法となるのでしょうが、創価学会は日蓮正宗ではないのですよ。故に云々される筋合いはありません」とだけお伝えしておきましょう。

 

貴殿に問います。

あなたには「日蓮正宗の宗義の根幹の証明を一人背負って立つ」という勇気、決意、力量があるのですか?

 

私には一人で「日蓮正宗の宗義の根幹を徹底的に破折するだけの自信」があります。

始まったら容赦はしません。とことんまで破折・追求させて頂きます。

 

既に「れいな」「法太郎」は破折済みです。貴殿に比すれば彼らは前提条件に拘泥せずに対論を開始し、それなりの力量は示した、と評価しています。

 

「ネット上で登場したものの、HNのれいな、法太郎以下のレベルだった」

「ちょっとクビを突っ込んだものの、条件を言うだけで結局議論の中味に入れないお騒がせ屋さんだった」

「日蓮を語りながら日蓮に背く議論屋稼業」と語られ終りたくなかったら、いますぐ下記への書き込みを開始することを要求します。

 

 

――――――――――――――――――――――

 

10.樋田 昌志殿へ@

 

 

名前:宿坊    日付:5月8日(日) 21時57分

 

先ほど仕事から帰ってきました。

すでに『触れていない項目については了解したと承知してください。』と言ったのは貴殿のほうです?(笑)

後でどうこう言ってももはや遅いのではありませんか。既に全世界に発信されているのです。

 

そして貴殿のHPを拝見しました。

DVD 1200円 テキスト 500円 300円・・・

「法華講員には勇気の糧に、また大謗法団体に絡め取られている方々においては、一刻も早く目を覚ましていただく一助になることを願って止まない。」と、大義名分を書いていますが、これではまるで法論屋の金儲けではありませんか。更に対論内容を知人から伺いましたが、その程度では単なる「議論」屋ですね。とても「法」論などと呼べません。

 

学会員と議論してはDVD、テキストにして販売するという行為は、私個人としては、かつて見聞したことがありません。貴殿にはいらぬ忠告かもしれませんが、法の為、広宣流布の為との真摯な信仰が一分でもあるならば、事が終った後に「お金が手元に入ってくる」というようなことはやるべきではないと思います。

 

他宗教と議論することにより結果、金儲けをなす。かかる日蓮大聖人の教えがあるのですか?

 

私が今迄学んだ教学にそのような大聖人の教示はありません。

又、私も純粋な法義論争のつもりが、結局は謗法者の資金稼ぎの一助となっていた、ということならば、かかる行為の万分の一でもお手伝いするつもりはありません。対論終わって販売行為・・・実に醜悪な行いです。

 

又、貴殿も承知していることと思いますが、この半年以上、私は「本門戒壇の大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々の事」「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」とのテーマで法華講諸氏と対論を重ねて参りました。

 

法華講員でも、信仰としては「戒壇の御本尊」を信奉しても、学術的にはどうなのか、と疑問を抱く人もおり、創価学会員のみならず法華講員でも本当のことを知りたい、という人が多いのです。

 

このネットでの対論の利点は

「同時に不特定多数の方の閲覧が可能であり、双方の主張が瞬時に伝わり、公にされる。生の対論にありがちなその場しのぎのいいっ放し、はったりがきかない」

ということであり、又、双方共に「公式見解」を踏まえながらも一歩踏み込んだ主張ができる、ということです。

 

故に、日蓮正宗にあっては「御法主上人猊下一人の御権能」とされている本尊論についても、彼ら法華講諸氏はネット上では堂々と(当否はともかく)論を展開していますし、こちらも縦横に議論を展開させてもらっているところでもあります。

もちろん双方、法律的なものは前提にした上での話しの展開ではあります。

 

繰り返しますが、なんといっても、今、ここで、すぐに対論を始められるということ、公式対論ではないものの双方それぞれの宗教団体がバックにあり、それ相応の責任を伴う、ということ。それを第三者に見てもらい評価が頂けるということ、がネットの良いところで、正に時代相応の「新法論」といえます。

ただし、不特定多数であるが故にある種の混乱を伴う、というのもネット世界である故当然ともいえ、それが嫌なら最初から関わるな、としかいえません。第三者を制御するなど、できようはずもないのですから。

 

 

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9.宿坊殿へ

 

 

名前:反創価    日付:5月8日(日) 18時50分

宿坊へ

 

貴方の本当の名前は、何ですか?

対論する相手は、正式な名前を述べているのに、宿坊と言う

方は、本名は何ですか?

本名を名乗ってから対論すべきです。

 

 

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8.(untitled)

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月8日(日) 9時51分

当方の原文は

「この「第一番目の質問」の(※誤字→に)対する答えは、"対面した時"にお答えしましょう。」です。

「対面"(対論)"」などという言辞は挿入しておりません。

 

貴殿が堂々と直接当方と"対面"し「公開法論」をする時に、「「第一番目の質問」に対する答え」を、「お答えしましょう」と言っているのであります。

 

当方としては基本的には公開対論、ビデオ撮影あり、後にそれを一般に向けて公開あり、との条件を優先したい意向です。

 

貴殿には直接対論できない何か理由がありますでしょうか?

当方には直接対決を避ける理由は全くありません。

 

「書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉々公場を期す。」

 

その方が正邪が詳らかになると思いますが。

 

また、いづれにせよ、こうして既に公開法論に向けての約定の取り決めに入っているのであるから、実名を明かしたら如何でしょう。

当方ははじめから実名を明かし貴殿に法論要請をし、貴殿もそれを承諾したのであるから、貴殿も明かすべきではないでしょうか?

 

では貴殿の実名とそれが「宿坊」氏であると証明できるものを開示していただける事をお待ちしています。

誠意ある対応を宜しくお願いします。

 

 

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7.樋田氏へ

 

 

名前:宿坊    日付:5月7日(土) 22時53分

 

>テーマについても貴殿らの一方的な論題ではなく、再度検討しあうべきと考えます。

 

 

貴殿はこの「第一番目の質問」の対する答えは、対面(対論)した時にお答えしましょうと、すでに了承されておられます。

 

小生の一貫して主張してきたテーマは「本門戒壇の大御本尊」・「二箇相承」・「日興跡条々の事」・「金口嫡嫡唯授一人血脈相承」である。

 

日蓮正宗宗規

第一章 宗綱

第一条 本宗は、日蓮正宗という。

第二条 本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。

 

このテーマを外せば法論の意味がないではないですか。

怖じ気づいていると皆様から思われますがよろしいのですか。

 

是非富士の清流700年を日蓮正宗の「正依」に基づいて、客観的に証明されることを

楽しみにしています。

 

 

 

******************************************************

当方としては、当事者以外の書き込みは禁止すべき。と考える。

******************************************************

ならば管理人・司会者無しでも構わないという意味でしょうか。

 

******************************************************

「また、この対論集は必要とあらば実名にて出版されることとし、その際の金員の授受は承認することとする。またその際内容に関して名誉毀損等の訴えを双方起こさないことを確認する。」

******************************************************

というのは金儲けに使うということでしょうか?(笑)

人との法論を金儲けに使うとは何事ですか!

 

最初から本出版の要素を匂わせていますね。また改竄しない保証や流れを無視した部分的な発言の採用とならない保証もないため、「またその際内容に関して名誉毀損等の訴えを双方起こさないことを確認する。」は認められません。

その部分は削除さてもらいます。

 

文面が出来上がればアップします。

 

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6.追加

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月7日(土) 22時29分

テーマについても貴殿らの一方的な論題ではなく、再度検討しあうべきと考えます。

 

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5.続きです

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月7日(土) 15時49分

> (10)その他の規則及び判断・判定、追加規則、掲示板におけ

> る納得いかないこと等があれば、これらは若鷹の掲示板で意見

> を聴聞並びに収集し、確認並びに決定する。それらの最終確認

> ・判定は原則として管理人が行う。又、ギャラリーの意見や管

> 理人の判定を含め双方それらの状況を確認するために、若鷹の

> 掲示板(http://www2.ezbbs.net/26/wakataka/)を必ず参照する

> こと。

 

上記の趣旨と同様。管理人に「規則及び判断・判定」の権限を与えるのならば、法華講側からも判定役を立て、同等の権限を与えるべき。

それが公平性というものであろう。

また、法義対論そのものの内容が重要なのであるから、若鷹の掲示板を参照する義務は負わない。

 

> (11)進行役・ジャッジを『若鷹の掲示板』管理人が兼務する

> 。但しあくまでも法論の当事者が基本的には中心となって議論

> を進めつつも、「ボタンの賭け違い」「反論になっていない」

> 場合など、管理人は必要最低限の進行役・ジャッジを試みるこ

> と。また管理人はギャラリーの指摘・意見に耳を傾けつつ、公

> 正なジャッジを行うこと。

 

上記の趣旨により 不可。

ただし法華講側からの司会者を認めるのであれば 可。

管理人・司会者等が必要以上に介入する場合はそれを排除する権利を対論者は有することとする。

 

> (12)法論開始時においては規則を以上とするも、新たな規則

> が法論進行中にできた場合にはこれを追加する。また判定結果

> を対戦両者は真摯な姿勢で受け止めること。

 

判定は双方の管理人・司会者の協議によること。

 

ただし、勝敗基準は

 

1.反論不能

2.反論の趣旨逸脱

3.反駁を無視し同様の設問を繰り返す

 

以上の状態を3回忠告しても続けた場合とする。

 

当然のことであるが上記の判定により敗北が決定した場合は勝者の宗旨への改宗をすること。

 

また、この対論集は必要とあらば実名にて出版されることとし、その際の金員の授受は承認することとする。

またその際内容に関して名誉毀損等の訴えを双方起こさないことを確認する。

 

概ね以上であるが、ご意見を伺いたい。

 

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4.法論約定再検討

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月7日(土) 15時48分

早速のご返答ありがとうございます。

実施に当たって何点か確認です。

尚、触れていない項目については了解したと承知してください。

 

> 公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

 

貴殿の実名を虚偽でないと確認する方法は?

 

> 各々の発言が、誹謗中傷する言葉、中傷記事を下とした発言や

> デマか否かは若鷹の掲示板ギャラリー(学会員・法華講員)が判

> 断する。

 

学会側・法華講側で価値観が大きく異なっており、また、掲示板に記入する総数も均等ではないであろう。

また、ギャラリーの判断それ自体も紛糾することが予想される。

よってギャラリーの意見は意見として参考にしつつ、あくまで当事者が指摘しあい、是正させるべきと考える。

 

> (3)原則として質問は一回、一問とする。

 

確認だが、先手 一質  以後双方 一答一質  という解釈でよいか? 

   

> (4)相手の質問への回答を飛ばし質問をすることは禁止する

> 。 3回、回答を飛ばした場合は自動的に敗北とみなす。但し

> 、ここで言う「回答」とは、相手がその回答に納得した場合を

> 除き、それが回答に値するか否かは宿坊の掲示板(学会員・法

> 華講員)のギャラリーが判断しうることをここに確認する。

 

上記と同様。

ギャラリーを巻きこむとギャラリー間の論争に発展していき、混乱の元となる。

回答に納得しない場合はあくまで当事者間でとことん詰めていくべき、と考える。

 

> (6)当事者及び管理人以外の、他人の横レスは、原則として

> これを全て削除する。

 

下記でも触れるが、法論に介入する管理人はその身分、実名を明かすべき。

また、法華講側からの司会役の参入を許可すべき。

そうでなければ公平とはいえない。

当方としては、当事者以外の書き込みは禁止すべき。と考える。

 

> (7)書き込みの削除はこれを禁止する。誤字・脱字は別レス

> で訂正することとする。但し管理人へ投稿者の要望があった場

> 合並びに、公序良俗に反すると判断されうる投稿は管理人の判

> 断でこれを削除する。

 

これは、一方的な価値判断で相手方の書き込みを削除される可能性があるので、認められない。

一度投稿した文献を削除することには反対。もし内容に不満がある場合は、あくまで当事者が反論すべき。

また、今対論は実名をもってなされるのであるから、中傷はそのまま名誉毀損罪を成立させる可能性がある。この旨を双方重々理解しあって投稿すること。万一にも相手方を毀損した場合はそれが重要な法的証拠となるので、削除すべきではない、と考える。

 

 

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3.樋田 昌志殿

 

 

名前:宿坊    日付:5月7日(土) 12時58分

 

はじめまして、

公開法論承諾後に実名を貴殿に明示致します。

公開文書対論をインターネット上にて行うことに対し承諾致し

ます。

貴殿の云う「実名による公開文書対論」でもかまわないならば

、タイムリーに全国で閲覧できるほうが良いでしょう。

 

法論は下記サイトで行う。

***********************************************

【若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)】

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

***********************************************

なお上記サイトの元の掲示板である『若鷹の掲示板』(http://www2.ezbbs.net/26/wakataka/)

は長年に渡り、法華講・学会員が投稿している掲示板であり、

貴殿が希望するならば、

宿坊と樋田昌志氏・ 黄倉光治氏との公開法論

(http://www2.ezbbs.net/24/owrokdb5mu/)

で法論を進めても構わないが、私が管理人を務めるサイトであ

るため、私と君らのどちらのサイトでもない

若鷹「バトルトーク」掲示板2(法論専用)

http://www3.ezbbs.net/24/tairon2/

で法論を行う。

 

 

(1)法論の総合テーマは、『富士門の700年は清流か濁流か?

・・・はたして大聖人の仏法が現67世日顕上人猊下に正しく伝

わっているか否か?(「戒壇の大御本尊」「二箇相承」「金ロ

嫡々唯授一人血脈の相承」。)』とする。

 

総合テーマ:『大石寺700年は清流か濁流か?』

サブテーマ1:「戒壇の大御本尊」

サブテーマ2:「二箇相承」

サブテーマ3:「金ロ嫡々唯授一人血脈の相承」

 

(2)双方紳士的に答えること。

双方誹謗中傷する言葉・絵文字などは使用しないこと。

なお、中傷記事を下とした発言やデマが明らかなことの垂れ流

しは差し控えること。

各々の発言が、誹謗中傷する言葉、中傷記事を下とした発言や

デマか否かは若鷹の掲示板ギャラリー(学会員・法華講員)が判

断する。

 

(3)原則として質問は一回、一問とする。

 

(4)相手の質問への回答を飛ばし質問をすることは禁止する

。 3回、回答を飛ばした場合は自動的に敗北とみなす。但し

、ここで言う「回答」とは、相手がその回答に納得した場合を

除き、それが回答に値するか否かは宿坊の掲示板(学会員・法

華講員)のギャラリーが判断しうることをここに確認する。

よって当事者各々が納得いかない場合はそれを明確に発言する

こと。

 

(5)回答は相手の質問日から加算して7日以内とする。

但し、回答が遅れる場合は、掲示板において相手にその旨を通

達し、期限を指定し延長出来るものとする。

通達なしに回答が期日以内になされなかった場合は敗北したこ

ととみなす。

 

(6)当事者及び管理人以外の、他人の横レスは、原則として

これを全て削除する。

 

(7)書き込みの削除はこれを禁止する。誤字・脱字は別レス

で訂正することとする。但し管理人へ投稿者の要望があった場

合並びに、公序良俗に反すると判断されうる投稿は管理人の判

断でこれを削除する。

 

(8)公正を図るため双方全掲示板のログをPCに残すことと

する。

(但し後日、ログを勝手な改竄・削除を行い各々のホームペー

ジに使用することを禁止する。)

 

(9)双方、自分のホームページにこの掲示板をリンクするこ

とを了承した事とする。

 

10)その他の規則及び判断・判定、追加規則、掲示板におけ

る納得いかないこと等があれば、これらは若鷹の掲示板で意見

を聴聞並びに収集し、確認並びに決定する。それらの最終確認

・判定は原則として管理人が行う。又、ギャラリーの意見や管

理人の判定を含め双方それらの状況を確認するために、若鷹の

掲示板(http://www2.ezbbs.net/26/wakataka/)を必ず参照する

こと。

 

11)進行役・ジャッジを『若鷹の掲示板』管理人が兼務する

。但しあくまでも法論の当事者が基本的には中心となって議論

を進めつつも、「ボタンの賭け違い」「反論になっていない」

場合など、管理人は必要最低限の進行役・ジャッジを試みるこ

と。また管理人はギャラリーの指摘・意見に耳を傾けつつ、公

正なジャッジを行うこと。

 

12)法論開始時においては規則を以上とするも、新たな規則

が法論進行中にできた場合にはこれを追加する。また判定結果

を対戦両者は真摯な姿勢で受け止めること。

 

以上

 

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2.「宿坊」と名乗る方へ。実名による公開対論を望む

 

 

名前: 樋田 昌志    日付:5月7日(土) 9時48分

はじめまして。「宿坊」殿

 

当方は、

 

1.実名による、

2.ビデオ撮影あり、後に公開あり、

3.見学者あり、

4.反論不能な場合は勝者の宗旨への改宗。

 

との条件での公開対論を望んでいます。

 

もしくは、「実名による公開文書対論」でもかまいません。

 

「宿坊」と仮名を用いる貴殿が堂々と実名(当人であることの証明が必要)を明かし、当方との公開対論を受諾できるのなら、いつでもお相手しましょう。

 

よって、この「第一番目の質問」の対する答えは、対面した時にお答えしましょう。

 

もし、貴殿が当方からのこの公開対決の提案を受けることができないとすれば、それは、

1.貴殿に対面対決で正邪の決着をつける真の実力と自信がないのか、

それとも

2.藪の中から身を隠してしか吼えることのできない臆病な卑劣漢か、

 

云々

 

との謗りを、当方をはじめ全国の皆様から受けることになりましょう。

 

それは「名誉を重んじる」貴殿としては、到底受け入れ難い状況ではないでしょうか?

 

そのような評価が貴殿に下されないためにも、速やかに当方からの対面対決の要請を受諾していただきたいものです。

 

では貴殿の勇気ある返答をお待ちしています。

ご返答は当方のメールアドレス宛てに送付してください。

 

尚、この経緯は当方のHPにて掲載していきますので、その旨ご了承下さい。

 

http://toyoda.tv

 

それでは重ねてのお願いですが、貴殿の「公開対決了承」の潔いお返事お待ち申し上げます。

 

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1.第1番目の質問

 

 

名前:宿坊    日付:5月6日(金) 19時20分

 

日興上人・日目上人正伝大石寺(第六百五十遠忌記念)において、身延離山313頁に、二祖日興上人は大御本尊を奉持して身延を離れと記されています。

 

当然の事ながら身延在中に本門戒壇の本尊が存在していたということだと思いますが、蓮祖が定められた五老僧 ・日昭・日朗・日向・日頂・日持または、蓮→興→目→道(大石寺系)の文献で、宗祖・興師存命中に戒壇の本尊が存在していた証拠を挙げてください。

(偽書は適用除外)