折伏教典 創価学会教学部編





87    四、御本仏日蓮大聖人と御本尊

 末法に大聖人は御本仏としてご出現になり、われら無知の衆生をどうして救おうとなさったかといえば、三大秘法の南無妙法蓮華経をもってわれわれに真の幸福を与えようとされたのである。
すなわち本門の題目・本尊・戒壇の三大秘法の南無妙法蓮華経である。
 この末法の一切衆生を救おうとしてご建立なされた大御本尊について、御書には次のように説かれている。
 日女御前御返事(御書一二四三n)にいわく、
「爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はぎる大曼荼羅を・末法二百余年の比(ころ)はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏す(摺)りかたぎ(形木)たる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚痴の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇(じんぎ)等・体の神つらなる・其の余の用の神豈(あに)もるべきや、宝塔品に云く『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等二人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」

 しかして根本の本尊たる一閻浮提総与の大御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱題することによって、末法の一切衆生は救われるのである。
この一閻浮提総与の大御本尊は弘安二年十月十二日に顕わされ、この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は根本的に幸福にはなれないのである。

日寛上人はこの大御本尊に関して、次のように仰せになっている。(富要集第四巻二一三n)

「是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。
故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。
譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。
故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。
故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。」

 日蓮大聖人は文永年間から弟子檀那にそれぞれ御本尊を授与された。
しかし、これは、その人個人に与えられた御本尊で、一機一線の御本尊といっている。
日蓮大聖人の出世のご本懐は、末法の一切衆生に一閻浮提総与の御本尊をお与えくださることであり、この御本尊が、すなわち弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊であり、
今日、厳然として日蓮正宗富士大石寺に厳護され、学会員は登山して御開扉をうけ、拝することができるのである。    







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    五、ご真筆ならなんでもよい

本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇という順序が、大聖人の仏法流布の段階であることは、三大秘法抄に明らかである。

 現段階は題目はすでに流布され御本尊流布も、大いに進み、本門戒壇建立の時代である。
すなわち、この大御本尊の偉大な功徳を身に体験し、その大威力に確信をもった信仰に立たなければならないのである。
 この大御本尊に直結した曼荼羅を拝む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないときである。

大聖人はご在世中、弟子や信者に御本尊を御与えくださったのであるが、これは一機一縁の御本尊と申し上げるのである。
弘安二年十月十二日、一閻浮提総与の御本尊ご出現の後は、おのおの弟子や信者たちの手元にあそばす一機一縁の御本尊は、すべて二祖日興上人の手元にとりまとめられた。
それにもれた一部のものが、ある人々へ移り伝わって今日、ご真筆として勝手に信仰の対象とされているのである。

 ただし、これはちょうど電灯にたとえて考えてみると、(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。
御本尊が大聖人のご真筆であっても大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。
したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

「日蓮が魂は謗法の山には住まず」と仰せられた大聖人のお言葉があるが、日向・波木井等の謗法により身延山は謗法の山となり、大聖人の御魂は住まわれないことが明らかとなったので、日興上人は身延の山をお捨てになって、現在の富士大石寺に移られたのである。
謗法のところには大聖人の御魂は住まわれないのである。
大御本尊は、
「日蓮が魂(たましひ)を墨(すみ)に染めながして・かきて侯ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿殿返事)と仰せられているごとく、大聖人ご自体として拝すべきであるから、富士大石寺に背く謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがないのである。
(中略) 
勝手な本尊を拝むことが大きな誤りであることがはっきりと分かるのである。                              
 これは不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる。