就中(なかんずく)法然其の流れを酌(く)むと雖も其の源(みなもと)を知らず。所以(ゆえん)は何(いかん)。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の字を置いて一切衆生の心を薄(おか)す。(立正安国論 文応元年七月一六日 三九歳 242)


法然の撰択(せんちゃく)に云はく「道綽禅師聖道・浄土の二門を立てゝ聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文。初めに聖道門といふは之に就いて二有り。乃至、之に准じて之を思ふに、応に密大及び実大を存すべし。然れば則ち今真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在り。浄土宗の学者先づ須(すべから)く此の旨を知るべし。設ひ先に聖道門を学するの人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし。(中略)第五に讃歎供養雑行といふは、上の弥陀仏を除いて已外の一切諸余の仏菩薩及び諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く讃歎供養雑行と名づく。乃至、此の文を見るに弥(いよいよ)須く雑を捨てゝ専を修すべし。豈百即百生の専修の正行を捨てゝ堅く千中無一の雑修雑行を執せんや」と。又云はく「貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より終はり法常住経に至るまで、顕密の大乗経総て六百三十七部、二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の句に摂すべし。夫(それ)速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中且(しばら)く聖道門を閣(さしお)いて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を抛(なげう)って選んで正行に帰すべし」云云。(釈迦一代五時継図 1662)



法然の撰択(せんちゃく)に云はく

「道綽禅師聖道・浄土の二門を立てゝ聖道を 「捨」 てゝ正しく浄土に帰するの文。初めに聖道門といふは之に就いて二有り。乃至、之に准じて之を思ふに、応に密大及び実大を存すべし。然れば則ち今真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在り。浄土宗の学者先づ須(すべから)く此の旨を知るべし。



●設ひ先に聖道門を学するの人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を 「棄」 てゝ浄土に帰すべし。

(中略)

第五に讃歎供養雑行といふは、上の弥陀仏を除いて已外の一切諸余の仏菩薩及び諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く讃歎供養雑行と名づく。乃至、此の文を見るに




●弥(いよいよ)須く雑を 「捨」 てゝ専を修すべし。


豈百即百生の専修の正行を捨てゝ堅く千中無一の雑修雑行を執せんや」と。又云はく




「貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より終はり法常住経に至るまで、顕密の大乗経総て六百三十七部、二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の句に摂すべし。

●夫(それ)速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中且(しばら)く聖道門を 「閣」(さしお)いて選んで浄土門に入れ。



●浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を 「抛」(なげう)って選んで正行に帰すべし」



云云。(釈迦一代五時継図 1662)




●「随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還りて定散の門を 「閉」ず
。一たび開きて以後永く閉じざるは唯是念仏の一門なり」


まとめ




●弥(いよいよ)須く雑を 「捨」 てゝ専を修すべし。



●「随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還りて定散の門を 「閉」ず。



●夫(それ)速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中且(しばら)く聖道門を 「閣」(さしお)いて選んで浄土門に入れ。



●浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を 「抛」(なげう)って選んで正行に帰すべし」