『宗報』第23号掲載
新宗教調査報告II(新宗教研究プロジェクト)
崇教真光

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新宗教調査報告(新宗教研究プロジェクト)

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崇教真光

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「第三次宗教ブーム」と呼ばれたり、新新宗教の擡頭とさわがれたりして、宗教の関心は高まっていると感ずる昨今である。
しかしそれは、既成の教団への関心ではなく、非既成教団に大きな関心をかたむけていて、それは教団の
数も信者の数もかなりのものであって、大きな魅力と驚きを与えている。
その新しい宗教のなかでも注目される一つ
は、「崇教真光」教団である。
高山市に黄金にかがやく超大神殿を作りあげて世間を「あっ」といわしめ、手かざしの
奇跡で若い人々を集めている。
今、この教団を知ることは、私どもの教団にとって意義深いものがあると考えられる。


現宗研においては、六月二十一日に高山市の本部において調査取材の機会を正式に得ることができた。
調査に当た
ったスタッフ一同は、高山市の本部を訪ね、事業局長であり、広報部長の平塚林司氏よりお話を伺い、スタッフの質問にお答えをいただいた。

今回の調査報告にあたっては、崇教真光の諸文献や、研究論文などを言及したうえで作成すべきであるが、膨大な
紙数の必要と文献の入手困難により、これらは参考にとどめつつ、崇教真光の「生」の声を記して中間報告としてまとめるものである。

*調査日時昭和六十三年六月二十一日
*場所高山市上岡本町崇教真光本部

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一、沿革

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1 創立者


教祖は岡田光玉(一九〇一~一九七四)であって、神名を聖鳳といい、教団では「救い主様」と尊称されている。
それは「人類を正法神向に一大方向転換させ火の聖霊によるバプテスマを施す「魁のメシア』という人類史上はじめてのみ役を与えられた人」で、神の地上代行者といわれている。

岡田光玉は、父の勧めで陸軍士官学校に入り、軍人の道を歩み、近衛師団に配属され供奉将校を拝命したという。

(●※南京関連の輸送任務であることを隠蔽か

昭和十六年に仏印で病を得て送還され、「三年の命」と医者より言われていた。

人間というこの不可思議な存在を創造することができたのは、医学などという人知をはるかに超えた何者かであったはずだ。
それが「神」というものではないか、と私は思った。
私は一切の薬を捨てて神に祈った。

と、後年に述べているが、三年の命が死なずに健康になることができ、「私は神のみ心によって救われた」という方向に彼の心が動き始めていったといわれている。
戦後に岡田光玉は、宗教に相当深く関わりをもつようになって、あら
ゆる宗教を模索し歩き、その範囲は古神道・神社神道・教派神道・仏教・新興宗教・キリスト教などまで及び、生長の家・メシア教などと関わりがあったとも言われている。

(●※ 世界救世教の信者だったことが完全に隠蔽されている。)

昭和三十年ごろにある建設会社の幹部(顧問)となり、社
業の発展に力添えしたといわれる。
その岡田光玉の五十八歳の或る日、原因不明の高熱を出し人事不省におちた。
その三日目の未明五時に神の啓示を
受けた。
それは昭和三十四年二月二十七日のことであった。


天地一切、神の声なり。神理の充満なり。
神大愛より発する万象仕組みの律動なり。

神の気吹きなり。万象息しある訳なり。
神の道といい、経文、バイブルなどなど
そのカケラを語らしめしのみ。…:
波、その奥を語らしめられん。
神理のみたま、汝の○○に入る。
汝その聞く所を語らん。
天の時至れるなり。
起て光玉と名のれ
手をかざせ。
厳しき世となるべし。

という閃光走るが如くの神命で、「手かざし」による霊術「真光の業」は、神より岡田光玉師への直接的天啓によって始まり、岡田師の使命は、神道、仏教、儒教、回教、キリスト教を統一する役目の「崇盟五道」と、主の神の力を世に広め与える役の「興崇賀従道」という二つの使命が与えられた。
それは関わった宗教の分派独立という形のもので
はなかったと教団は力説する。

教団は神田須田町で立教し、立川にて道場を建設して教勢を拡大し、「神の火は神田須田町で巣立ち、立川で立ち上がり、八王子で四方八方に広まった」と語るごとくに、昭和三十五年頃から急速に拡大し始めていった。
昭和三十八
年十一月に宗教法人「世界真光文明教団」を設立した。

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2 第二代

初代が昭和四十九年六月二十三日に神幽られるまえに、六月十三日午前二時に、養女とした岡田恵珠を「ヨのみ霊をもちて娘に与えよ」という神示にしたがって、秘儀をもって指名される。
神名は聖珠といい、教団では教え主様と
尊称されている。

初代から二代への相承はご神示によっての相承であるが、その教え主としての地位は「ヨのみ役」にあるという。
それは、主の大御神の下に実際に宇宙を動かす四十八柱神の中の「ヨニマス大天津神」が現在宇宙を動かす担当の神で、その神様の地上代行者であって、他の人には誰にでもこの業を与えることは許されていない、とその地上代行者の地位が説明されている。

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3 分裂独立

二代教え主は岡田恵珠師と指名を受けていたが、通夜と教団葬の席上、「二代は関口氏(現、世界真光文明教団代表役員)」と発表された。
爾来、「二代教え主」は誰かをめぐって、裁判による係争には八年にわたる歳月が費やされた。

裁判の上では、昭和五十二年に「関口氏が二代として代表役員であることを仮に決める」と判決が出たが、岡田恵珠師は、係争による歳月の空費と神御経綸(神が宇宙を運営する計画)への参画の乗り遅れを恐れて、和解による解-決を決められた。

(●※ 高裁裁判長の強い和解勧告による)


昭和五十三年八月に、岡田師は宗教法人「崇教真光」を設立しつつ、昭和五十七年七月に和解を成立させ裁判を終結させた。

「崇教真光」教団は、教え主の岡田恵珠師によって設立されたわけであるが、初代救い主の「世界真光文明教団」
の名こそとれなかったが、その実をとって初代の意志を継いだといえる。

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4 教勢

教勢の中心は東京から始まったことにより、関東が多く、教勢が遅れているのは中国・四国方面であるといわれている。
「宗教年鑑』(昭和六十二年度版文化庁編)によれば、信者は三四万三〇九七人、教師は四五二人である。
のなか、信者は女性が圧倒的に多く、三十代で分けると若い人のその力が大きいという。
また海外への教勢は、七十カ国九十民族にまで広がり、外人の幹部が生まれており、毎年二十~三十人来日して研修を受けているほどであるという。
某レポートにおいては、海外神組み手(邦人を含む)の概数は約五万人いるとの
報告があり、海外道場は、ヨーロッパ・アフリカ方面が百五十カ所、オーストラリア方面が約五十カ所、南アメリカ方面が約七十カ所、北アメリカ方面が約三十カ所になるという。

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二、教義

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1 教え

救い主岡田光玉師につかわされた世界の宗教にあかされていない神界の秘義は、教団の教えの軸となっていて、独自の史観を披露している。
教えによると、天地を創造された主神は、御経綸を進めるため、まず神々を産み、神の世界を創造し万物万象の創造を完成された後に、人の霊成型(ひながた)を創り人体として物質化した。 
神代さながらの天国を地上に現わすた
めに、人々に欲心を与え物質文明を興された。
そのために文明は向上したが、人は自分の欲望を満たすためのみに使
い出し、その行きすぎた欲心にブレーキをかける役目の方、聖雄・聖者(イエス・釈尊等)をつかわした。
が、その警告も忘れ去り、我利我欲の物質主義一辺倒になり人類自滅の道を歩み始めたので、神の意に帰一する時期が来たと、「天意の転換」をして毒化された全てを浄化するために、「火の洗礼」(終末)をむかえるという。
そうし
た現状のまま火の洗礼を迎えると、人類が本当に滅亡するので、主神は救い主を通されて神の光の「真光の業」を与えて、人類を滅亡から救い、霊主文明を造らせるという。
神中心の生活に切り替えることが求められ、それが明か
される。

「陽光子祈言集」にある教示を抜粋して、「教義」の一端をのせてみよう。

一、神・幽・現の三大宮界即三千大千世界は観念界哲学界のものに非ずして実在界即実相界にして:……:主の神の大深霊、光の息吹きの界なり。
元主一(もとスはじまりかむ)は万象界創造化育繁茂悠遠の弥栄えの為、それ等一切を統一運営し給う:::ヒト万霊万物共通の主たり。
………モウシュ・釈尊・イエス・孔子共に主に神向きせる権化なり。


二、万世界のヒトたるもの、主の大神の大愛とマコトの御想念に帰する外、来たるべき天国文明聖紀を人造り得ざるは、人類の大宿命なり。
如何なる宗門の人と雖も世界万人朝な夕な本書に記されしコトを修し行ぜられよ。

……正法神向の法は真光教団のみの為のものに非ざるなり。

三、真如逆法仮の教え、寂光、白光、弱光の数いの世は終りぬ。:…未だ世に出でざぎりし乗り法の出現なるが故に。
.::今や霊文明の暁はもたらされたるなり。
神政復古神策御成就への新真文明出発時代なり。
………崇盟
五道・与主力のみ代。真吼えの友と化すべき天の時なる哉。

四、宗門宗派超越の万教活機の秘術「真光の業積みの修験」と真ス真な「正法体得」とによりて、次期文明聖紀への種人と化さん哉。
.………主神の使徒たらん哉。人類最高の生き果いの時なり。


五、此の祈りは万教の基なり。:::正道万教への活入れの妙法なり。人類一人残らず無病化脱貧無対立愛和実現の奇跡奇跡に感泣せん。

このように五項目にわたって教示がある。
「崇教真光」の基本理念は、天地人創造の神に神向(かみむ)き、信仰のもと「地球は元一つ、世界は元一つ、人類は元一つ、万教の元又一つ」に要約されるであろう。
大御神への神向(信仰)そのものが神に近付く生活であって、
神仕組みの置き手(掟)をそれぞれの組み手(信者)が心の下座により間釣り(祭り)たてまつると述べられているように、主神へのご無礼をお詫びし、正法(せいほう)の世に立てもどすことを眼目に、日々実行することにある。
そしてそこには、


下座の業、積みゆく姿は神愛でて他人の押しあぐる人となるらん

只有難し 一切ありがたしと心より感謝の祈りに感謝降りくる


と述べられているように、下座と感謝が重んじられる。
そして、正法の世の立てもどしには真光の業、即ち手かざしによる霊・心・体の救いの術があり、

真光に浄むと日頃怠らず進む神の子 健・和・富の霊智

と教えにあるように、「手かざし」による抜苦・脱苦・無病化が与えられ、奇跡が表われる。
それは、「霊主心従体属
の法則忘れなば健和富の世界に住むは夢と知」らなければならないと、霊中心の視座を求めている。

そして「正法神向し初めて信仰強ければ強き程 神 汝を信じ」るのであって、「霊相浄化霊層昇華改魂自捨新生」すると永遠に神の使徒、即ち世をすくう種人となることができ、

主座(スザ)人造り成すを得ん、これが霊(陽)の本つ国に許されし時、人類はエデンの置文明に還るミチ開けん


と教えにあるように、火の洗礼をのりこえて霊主文明づくりに遵進することをすすめるのである。

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2 教典

陽光子祈言集
衛聖言

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三、本尊

御親元主真光大御神(みおやもとすまひかりおほみかみ)が主祭神。
配祀神は、伊都能売大国魂大国主之大神(いづのめおほくにたまおほくにぬしのおほかみ)。

主祭神は天地創造の神で、通称「王(ス)の神」ともいわれる。
この神は誰でも信仰できる神ではなく、信仰しな
くてはならね大根元の神様で、大親神様であるという。
この「主の神様」は、
惟神(かんながら)の道で述べると、御親元主「天之御中主」真光大御神、又は御親元「天照主」真光大御
神、
仏教で述べると御親元主「正(聖)観音」または御親元主「アミダブハ」、
キリスト教で述べると御親元主「弥栄
(ヤハエ・アーラご真光大明神と称えられるもので、

神道の天照大御神、
仏教の聖観音、
キリスト教の「ヤハェ」、
回教の「アラーの神」と、

各々称名されているのと同じであるとしている。


それは「神向き讃詞」に

御親元主真光大御神(みおやもとすまひかりおほみかみ)此の土に現われまし給いては

弥栄(※ヤハウェ)
正観音
法身大日如来
アミダ

と化し、
又或る時は

観世音菩薩

ともなり仏界に救いのみ業をなし給い、

或る時は

応身五六七救世主ともなり

顕現し世の大立て直し み救いの大きな み業を成し給う

と述べ、すべて御親元主真光大御神の化した姿として述べられ、大御神に帰一されることが述べられている。

更に「神の義」には

正観音も幽界(かくりよ)ゃや現世(うつしよ)に下生致せば、如来にも菩薩にも応身の仏にも、女夜叉にも自在に化け申して、救いに降てしたるなり。
本来は神なり。
神仏元一つなり。
何れが上何れが下にてもなし。
神の子
の為、心の下座行致させたり。
観音下座の行なり。


と述べ、神仏元一つと説明している。

この「主の大御神」の存在証明は、


▼ 今一つ汝のヨあり。”神は光なり”コトバなり”と示されある通り、汝はその”証人”となりて世に光とコトダマ、四十八神(ヨトヤガミ)のみ働きのサトリを与える役もあるなり。
いまだ真その証をなし 得しもの出さざりし
による。
……神と共に生き、神の光とコトダママ証致し、神の光、陽の光なることを証致せよ。
証できる人魂を次々
造り育てよ 捧げよ
(昭和三十四年五月十五日の神示) にある。

即ち、救い主岡田光玉の存在がその証であり、また証明できる「種人」を育てることがその証明を示し、そのための霊術「真光の業」という神業が特に与えられていることを以ってするのであろう。

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四、組織・機構並びに機能

1 本部 岐阜県高山市上岡本町二|五九オーー
2 世界総本山 岐阜県高山市岡本町六|八三
3 機構 不明
4 組織本部 指導部二十一カ所
         大魂霊修験道場
            中魂霊修験道場
                小魂霊修験道場
                  準道場・お浄め所・連絡所
         久々野教場
         陽光農園

各道場においては、道場長を中心に整然と組織が作られているようである。



信者となったものは、「班に入ることになる。
中道場クラスになるとその傘下には拠点をいくつも持ち、お浄め所・
連絡所など、ある程度の独立性が認められる拠点のほか、直轄地区を持ち、それぞれのお浄め所・地区には所長・地区長がいて、その下部組織として班があり班長がいる。
班単位、地区単位をもとにきめ細かく把握する形がとられて
いる。

また、どこに所属するかは不明であるが、教師は教育部会、医者は医療部会、経営者は会社経営部会等とまとめさきせ、同じ立場の人々が集まってまとめてゆき、励ましあい助けあっていくグループを作成しているという。

組織・機構などは明確にお答えをいただけなかったが、参考にした本などによって前述のごとくに書き示した。

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五、未信徒の教化と信徒の教育法

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1 未信徒の入信に関して

>教団では未信徒に対しては、神の教え・神の光を人々に広めることを「布教」と表現し、「真光の業」-手かざし」-を伝える実践をすすめている。
それは、出版物を配る「真配り」、教えをアピールする「真伝え」、「パネル展」-戸別
訪問」と、さまざまな形で神向き神向きをすすめている。
しかし、パネル展などの布教活動によって入信した信者より、
家族の一人から家族全員に拡まるものと、近隣地縁からち拡まるものと友人のみちびきにより拡まるものとの傾向が強いといい、教団にしても、特に「家ぐるみ信仰」としてすすめているという。

関東、関西地区の崇教真光の若者を対
象としたアンケートをみると、

「入信を勧めた人」
家族― 三九・二%
友人― 一七・五%
別に無し― 一三・二%
職場の人― 七・三%
親類― 五・三%
近所の人― 三・七%
信者― 八・〇%
その他― 五・二%
不明― 〇・八%

とあり、入信のすすめが家族と友人に多いことが知らされ、友人と家族親類を中心に、近所(地域)・職場関係を周囲
に付置した幅広いネットワークを教団内に編み上げている。
そして若者においては、友人の存在が大であろうことが
知らされる。

また若い人の年令の下の方は、親にひかれて入信する傾向が強いが、大学生、勤労者はオカルト霊術にひかれての入信傾向があり、それと同時に、大学生、高校生は友達関係によって仲間を求めて入信する傾向もあるという。

前述のアンケートの「入信動機」をみると
健康の問題で― 二一・九%
経済的な問題で― 〇・三%
家族の問題で― 七・一%
仲間を求めて― 二・四%
オカルト霊術に関心があって― 二三・九%
神の御経綸に関心があって― 五・八%
特に無し― 二二・七%
その他― 六・三%

とあって、オカルト霊術への関心度の高さが目を引き、入信の動機のポイントが知られる。

入信した信者をみると、女性が圧倒的に多いといわれていて、三十歳台で分けると若い人が多く、その力が大きいといわれている。

また、それは「手かざし」をすると奇跡がいただける体験によってひかれ、それが神の実在を身を
もって感じさせるからではないかと説明されている。

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2 「御み霊(おみたま)ご拝受

教団の研修は、初級・中級・上級に分かれ、初級研修会は全国の道場で月一回開催されているという。

この研修は、
初級・中級は三日間、上級のみ四日間の受講期間である。

初級研修会は十歳以上の者で、原則的に道場にかよって十
回以上「真光の業」を受けた体験を有する者のうち、道場長の面接を受け許可の下りた者のみが受講できるという。

また二人を導くと中級研修、さらに五人を導くと上級研修を受けられるなどの諸条件を満たすと、各研修が受けられるという。

「御み霊」は、主神と霊波線をつなぐためのもので、いわば神の光と力を受けて真光の業が出来るようになるアン
テナのようなものであるという。
「御み霊」を拝受し、岡田恵珠二代教え主の体を通して主神と霊波線によってつ
ながらなければならなく、これによって「真光の業」(手かざし)が許されるという。

一、霊の実在を万人に知らしめる。
二、霊障を発見しこれを解消する。
三、健・和・富へと導き神の御経綸への参画

の三つが許され、「神組み手」になれるという。
そして、教え主様を通して神様につながっていなければ、手かざしの
奇跡はいただけず、神様からいただいていることは、神様の御心からしかいただけないことを教えられる。

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3 信者の務め

信仰者となった人は、班の単位で「神向き会」に集まったり、活動が不活発になった信者(潜在という)を訪ねたり、真配りをして活動しなければいけない。
それが、信者の自覚と神向きの心を高めてゆくという。


また、道場においては「月並祭」、様々な行事の準備、道場の清掃、受付の「御奉仕」が求められ、「神の御役」を務めることによって信者自らが浄められると同時に道場との一体感が強められる。

更に、家族全員が信者になる(一
家総神向き)と道場長の推薦を受けて、自宅に御神体がいただける形をとっている。
これが、その地域での信仰の核
になり、連絡所、お浄め所へと育つ芽になるという。

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4 農園


病める文明から健康な文明へと考える教団は、真光の業によってすべてを浄めてゆくなら、神様から貸し与えられのている貴い大地を護り、耕し作り育てていくべきと、有機農法による農園を建設している。

それは、「すべてに神謝(感
謝)という真光の教えの道場であって、浄められた心の神組み手の真光の業と言霊で大地を蘇らせる実践体験の場としている。

野菜作りも、農地農作物への手かざしのお浄めと、愛情のこもった言霊のあいさつをして、陽気に自然に語りかけて(想念転換)始める。
この小さな農園においても、教義に従い、食づくりを実践体験させる。

簡単にいえば、最初
から土地・種を浄めてから蒔き、手かざしと言霊で育て、毒の無いものを食するということで、神様によって浄められた肉体を、毒を有する食物で汚してはいけないと、日常生活のうえから真光の教えを生かしているといえる。
そし
て、農園のみではなく、各地の道場でも畑・田を保育して食物を作り始めているという。

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5 導士

教団の将来の幹部候補養成のため、岐阜県大野郡に久々野教場が設けられている。
それは導士と呼ばれるが、久々
野教場に入場する訓練生は、三十歳位までの若い人が中心であって、資格は高校卒業し中級研修を経ているものとなっている。
期間は一年間であって、毎年八十〜百名くらい入場希望者がいると説明されている。


訓練生は、一年を五期に分け、一、三、五期は教場ですごし、二、四期は各地の道場に配属されるという。
また三
期のときに審査の仕方が講義されるといい、これは導士の資格のあるものしか出来ないという。

また、訓練生の間に上級研修を受け、最後に試験を受けて導士の資格がもらえる。
そのあと各地の道場で二年間ほ
ど実際の現場で習うことがなされている。

またこの久々野教場には、海外からの幹部候補生が訓練生として入場している。
それは、日本人と同じ研修内容を
習い、毎年、二、三十人来日して研修を受けて幹部となっているという。

昔は、体験をもとに布教することを許され
ていたが、現在では、外人の若い人は、日本で研修を受けて導士となったうえで幹部として海外で活躍するという。

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6 海外の組み手

教勢で述べたように、その奇跡の広がりは驚くほど世界に拡まっている。
『現代のこころ崇教真光』の報告によれ
ば、海外道場の幹部の六割は日本人であり、教団の本部から派遣された専任で、外国人幹部は生業をもっていて布教しているという。
外国の人も同じように、「手かざし」の奇跡によって入信するという。
病気、とりわけ神経系の病気をもっている人々
の痛みが緩和されたり、ストレスの強い人がほぐされたりして、精神が平穏になるという体験により納得して入信し、周囲の人々に勧めるようになるという。
現実的で実証的である。

その入信のスピードは早く、個人個人が決断して入り、家中心の日本の社会とは異なるという。

また神組み手の三
分の二は女性であるともいい、日本と同じように女性の力が目立つようである。

また海外における「崇教真光」は、教義、戒律、修行を軸として捉えられる宗教とは違って、日常生活のなかのレベルまでに浸透しているといい、どこでも未知の霊的世界を体験できる速効性が受けていると見られる。

しかし、真光の教義、神の御経綸に引き入れるには、神の言葉として使っている日本語の理解がむずかしいと説明されていた。

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7 布教にはげむ気持

神組み手として布教にはげむ姿勢はどこから出てくるのかは、霊主文明づくりの種人としての自覚にあるようである。
その説明は次のように述べられていた。


人種、富、貧など関係なく、人間として生まれたら信仰させていただかなければならない神様より、神様の御光をいただいて真光の業の浄めによって霊障を取り、神理を説くという。
これが、「人すくい」「世界すくい」「世直し」の使
命感であるという。
早く広めれば世界が救われるという使命をいただいた、という神謝(感謝)にあるという。
じっ
としていられないで、手かざしをすれば奇跡がいただけるので、一人一人が震い立って布教に出ていき、歩けば歩くほど体験と実感が得られ、じゃまをされるそのなかに道が開けて行くことを知らされる。

思うようならぬはこの身心行の神のみ旨に合わぬとぞ知れ

との教えがさとすように、「神鍛え」「神試し」と感謝をもってのりこえてゆくことを導いている。

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六、宗教体験の意義づけと実際

崇教真光の教えの軸は、「霊主心従体属」にあろう。
宇宙一切のものと現象の源泉は霊が中心で、心や体にたいして
主体的根本的な、働きと影響をもっているとしていて、全てにわたって「霊」をもとに回っているといえる。
我々日本人は、教えによれば本来

真我の姿は本来"神の分けみ魂"と神の創り給いし"人の霊成型(ひながた)"を内蔵するマコトの"神の子"


であるべきが、現実に不幸現象(病・貧・争・災等)にもまれている。
それは、罪穢(魂霊の曇りで、仏教でいう業
にあたると説明する)でもって、また憑霊現象によるものとする。
現代人の八割以上が、憑依されて霊障に苦しめら
れていると説明する。

それ故に霊障をとりのぞき、また霊が浄化されれば人類が幸福になると意義づけている。


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1 ミソギハライ(清浄化)

霊体が曇っていたり汚れていたりすると、不幸な生活を余儀なくされるという。
再生転生を繰り返す我々は、無意識に行なう行為による罪穢の積重ねが曇りを生じさせ、また悪想念をいだいたり、

● 医薬品や化学品(医薬品・食品添加物・農薬等)の毒を肉体に注ぎ込んだりすると、肉体を劣化し心までも汚れていくという。


それは、
清浄無垢な魂霊を入れる「汝は全智全能のみ祖の創り給いし最高の芸術品神宝」たる肉体を毒化させる点に、神に対する冒涜とみていいかもしれない。

”曇り”をとるにはどうするのか。

「陽光子祈言集』に


人体本来 健・和・富の仕組みにみ手内に在り。
されば神大愛の霊・心・肉三位一体の霊祓い浄め(みそぎハラ
ヒ)クリーニングあれど病無し。
本来不幸不運なし。
一切良くなるための変化あるのみ。


とあるように、この。曇り・をとるにはクリーニングが不可欠である。
この清浄化現象は、一般では不幸現象として
見られるが、それは本当は。霊の曇り・の解消現象とみる。
そして体内の毒素が下痢、、膿、汗などによって接
池されると、清浄化していくという。

また病気に関しては、医者にかかっても治らないとみているようである。

神は人に病を与え給わず。
神も宇宙も本来一切健・和・富、狂いなし。
人間本来健にして病なく不幸なし。
病は政
神の魔語なり邪霊の操りなり。
唯有るは霊・心・肉三位一体の霊祓い浄め(みそぎハライ)の浄めあるのみ。


病気とは不幸不運とは、波が心の曇りに乗ぜし邪神の魔語なり。
雪が迷いなり妄想なり


との教えによると、病気と考えていたのは、実に心の曇りに乗じた邪神の魔語や邪霊の操りに過ぎなく、ただあるのはミソギハライの真光の業しかない。
つまり、人間は本来健康で病なく不幸がないもので、病気と思っていたのは清
浄化現象なのであって、真光の業で一切快癒し一生無病で生活できるという。
一時的に病気の進行を医者によって食
いぃ止めても根本的には治せないとし、そればかりか薬によって病気が悪化するとみるようである。

浄まってゆく段階の中で心も肉体も浄まり、病気が消えてゆくのであるから、教団としては、病気が治るから来な
さいとはいわないという。

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2 手かざし

三日間の研修で出来るという「手かざし」は、昔は大聖者しかできなかったといい、イエスも釈尊もしたものであると説明されている。
手かざしは、「天意の転換」で神様の御計画が変り、今迄の宗教では救いができなくなり、ヶfe4
とがえり「崇教」が表にでなくてはならなくなって、誰にでも手かざしができるようになったという。

その手かざし
は、神の振通りス直になりて神の真光受け施せば、一切快癒してあまつさとえ一生無病化する易々たりと教えているように、その力は絶大であって、神真光の業に世人を覚まさずば神にはナマケの罪とならんとあるごとく、絶対のものと教えている。

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3 手かざしの仕方

真光の業を施す場合には、単に手をかざすのではなく、「天津祈言(アマツノリゴト)」という言霊を明瞭に唱え、それから手をかざすのであって、日常の神向生活における想念の持ち方を大切にする。
想念転換して、本当にありが
たいと思って神謝の念をもってしなければならない。
手かざしの基本型は二人が正座して向い合うことから始まる。

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二 施光者の作法

@ 手かざしをする(お浄めする)者は、必ず上座に座る。
A 座り方は、左足の親指を右足の親指の上に乗せる。ひざの間をひと握りかふたにぎり離す。
B 神前でお浄めをする場合は、施光者も受光者も神前に向かって二拝、三拍手、一拝の略式で参拝してから、向き合って、施光者は「お浄めさせていただきます」と言い、受光者は「お浄め、なにとぞよろしくお願いいたします」と、互いにあいさつをする。
神前でない場合は、互いに神に念じてからち向き合ってあいさつし、施光を開始する。

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伺主魂(額)のお浄め人

@ 本霊(本人自身の魂・額の奥約一Oセンチのところに宿っているため、主魂ともいう)を浄める時は、普-通、施光者は教団の祈言である「天津祈言」を奏上する。
他宗教の人や、神というと嫌がる人には奏上しな
くてもよい。

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ご手のかざし方

@ 手をかざす時は力を入れない。
A 右手が疲れたら左手、左手が疲れたらち右手でお浄めをする、というようにかわるがわる手をかえてもかまわない。
B 浄める面積が広い場合は、手のひらで浄める。小さい場合は親指の先で浄める。
C 本霊を浄める時は、それが宿っている額に光が集中するような想念で行なわなければならないぃい。
また体の
内部を浄める場合は、光が体を貫くという想念で行なう。
ヤケドの場合だけは、皮膚上で光が止まる想念で
行なう。
ED 手を受光者に近づけすぎてはならない。
必ず相手との距離をとって海める。
たとえば、本霊を浄める場合
は、額から三〇センチぐらい離れたところで手をかざす。
体を浄める場合は、お浄めの個所がはずれない程
度に離す。
より接近して手をかざした方が効果があると考えるのは間違いだ。
浄めるのは肉体ではない。
手の霊体である。
手を近づけ過ぎると、光が通らない。

E お浄め中、体の力は抜いても精神は施光に集中していなければならない。
従って、施光中に無駄口をきく
などは論外である。

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公鎮魂のわざ

@ 時間がきたら、鎮魂のわざぎの「おしずまり」を必ず掛ける。
「おしずまり」という言霊とともに、頭の上
から両肩にかけて「ハ」の字を描くように、両手で相手の霊体を抑える。「おしずまり」を掛ける時は、下腹に力を入れ、「おしずまり」の言霊とともに三回鎮魂のわざを掛ける。
憑依霊は「おしずまり」の言霊と、両
手から発する光で鎮まる。

A-「おしずまり」を掛けたら、静かに目をあけてもらう。

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伝お浄めの時間

@ 本霊を浄める場合は七分から一五分程度。
@A@一人一回のお津めの時間は合計四〇分から五〇分が普通。
長時間施光したら効果が大きいというものでは
ない。
伏お浄めを受けた体験が役立つ

お浄めを受けた体験は、今度自分が施光するうえで非常に役立つ。
だから、はじめの一週間ぐらいは導士に
お浄めをしてもらい、受光者としての体験を積むことが大切だ。
この経験が、他人をお浄めして救う時の力に
なってくる。

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化受光者はどうするか

受光者の心得について述べよう。

@ 受光者は下座に位置し、施光者をエンゼルと思って受光する。
A 施光者が誰であっても気にしない。どんな施光者でもきちんと施光すれば必ず奇跡が起こる。
B 本霊を津めてもらう時、受光者は下座に体を楽にして座り、軽く目をつむって合掌して受光する。
そして
体のつらい人など、最初から座っていられないこともある。
そういう人は横になって楽にしてもらう。


(みよ/真光の大奇跡、現代のこころ崇教真光等より)ア

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4 手かざしのちがい

この手かざしの霊的な能力と社会一般の霊能力者とのちがいは、次のように説明する。
霊能力を持つ人々が存在す
るが、たとえいかなる能力を持っていても、その人は教え主様のように誰にでもその力を与えることができないところに厳然とした違いがあるという。
誰にでも与えられるという、時代の変化(天意の転換)を認めなくてはいけない
と説明する。

真光の業によく似た業は他に存在している。
古神道でも
初の座=真手(まなて)の業の業の座=真光の業といって三通りが知られている。

清水雅人氏の説を引用すれば、「真手の業」は手あて療法で、直接患部に手をあてる
業で、真の道教団の「真手」、聖幸教の「まな手」などが知られている。

「真息吹きの業」は、患部に息を吹きかける業で、伯家神道の道統に「息吹永世(いぶまきながよ)の衛」として伝えらちられている他、吐普加身神道系、松下祖神道系の諸教団にも伝えられている。

「奥の座」の真光の業によく似ているのは、大本教の出口王仁三郎の「御手代」を使った治療や、救世教の岡田茂吉の「-浄霊」や、黒住教の黒住宗忠の陽気を吹きかける病気治療法が知られている。
また中国での「気功法」も非常
に似ているといえる。

これらと崇教真光の手かざしの違いはというと、鎮魂の業の「オ・シ・ズ・マ・リ」が他のものにはないことと、受光者の身体に一番?二十七番までの急所をもうけて、その急所に手かざしするときの想念の持ち方まで、神示によって示されている点と思われる。
単なる-浄霊」の病気直しに使われるのみとちがうと説明される。
また、それだけの業を誰にでも出来るように資格を与える、というのが教え主様の特質性を証明することとなっているのであろう。

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5 祖霊祀り

霊障について先祖の影響は多大とし、位牌を正して祀ることによって霊障が消え、不幸現象が消えるといい、先祖供養の徹底化を大事なこととする。
説明によると、位牌は幽界で修行する先祖霊にとって重大なもので、その位牌を通して家族が供える食物の供養を受け、それらの。気・を吸い、飢餓感を感じることなく幽界修行をいとなめるという。
祖霊をそまつに扱い供養しな
>いと、「-警告」を与え諸々の現象を起こし、正しい供養を望んでいることを知らせる。
それによる不幸現象は、現代の
不幸の約半数に及ぶという。

その祀り方も、供養と一緒に正しい祀り方があるという。
しかし、位牌そのものに手かざしして浄めるという方法
もあるが、殆どしないと説明されている。
更に、先祖霊の代表者が現世の人々を守護霊として守っているが、供養をうけないと守護霊・背後霊グループまでよふくめて霊の力がなくなるともいう。

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次に教団のいう祀り方の説明を参考に記してみる。

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一、仏壇や和祀る場所や方向も説明するが、とりたてて記すことはないので略す。

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二、位牌

@ 位牌は通信の中継機的役と考え、位牌の文字と先祖は霊波線でつながっているとして、その和霊波線を通して食物の気を吸うという。
A 原則として戸籍に載っている人を必ず祀ること。作
B 必ず先祖代々の位牌を祀る。
C 物故して三十年で区切りをつけ、それ以上は先祖代々の位牌に移ってもらい、その残った位牌はお焚き上げをして川に流す。
それは先祖の霊の々執着がとれなくなり修行の妨げとなるという。

D 俗名ではだめで、個々の戒名を用いるものとしている。
E 位牌は黒塗りの金文字が良いとし、くり出し位牌や紙の位牌は否とする。
F 夫婦は一緒にし、兄弟は生まれた順に|まとめにする。
G 五ヵ月以上の胎児には、戒名をつける。
H 妻の実家の位香は、仏壇を別々にして下座に祀る。

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三、入り方

@ 向って右を上座として並べかたに注意。
A 新しい位牌に変わるときは古い位牌を新しい位牌の前か側に置いて、古いものから新しいものに移っていただくこと。
B 先祖あっての自分であり、守護霊に守ってもらっていることの感謝の理念で祀る。
BCリンは二打とする。

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四、お供え


@ 供養は、供えて養うという文字どおりに、我々と同じ食事を供え、酒・タバコまでも必要で、赤ん坊の霊にはミルクも供え、本当に育てる如くに供養する。
A 写真はかざらない。
B 一日に一度さしあげ、二~三十分で下げる。

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七、信徒の守るべき事項

教団では、信徒が何かをしなければいけないという形の枠組はないという。
しかし教団の活動の定期的な祭儀の参
加は求められ、主なものとして四つ挙げられる。

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B@ 立春大祭

天地創造の「王の大御神」以下の神々を神霊界で最初に祭ったのが立春の祭りという。
二月四日あるいは五日
とする。

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A 秋季大祭

立教のお祝いと真光の業によって救われることを感謝する日。

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B 大炎開陽霊祭(おほはらひさい)

一年間に積んだそれらの罪の穢れを年の終りに「霊の洗礼(ひびのバプテスマ)ご」によって浄めはらう。
特に地上
代行者教え主の「両手かざし」(教え主しかできない)による一斉のお浄めがある。

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C 月始祭

天地創造の神様との波長を合わせていただくため、月の初めに祈る。
過ぐる一カ月間の賜った御守護に感謝
し、あわせて向こう一カ月間のお導きとご守護を願う。
まず本山の月始祭が行なわれ、次に各地の道場が月並祭をする。

また、信者として月々心に留めて生活すべき約束事が「神組み手の想念」であり、

一、朝な夕な、事々一切、徹底して主神に感謝せん。
二、業と正法ス直に体得、進んで真伝えの実践隊。
三、みのる程、心の下座してニッコリと、威張りたがらず愛和の家庭おつきあい。
四、川上浄めば川下清む、霊相浄化・霊層昇華、自(我)捨新生せん神の子に、健・和・富捷路即妙法。
五、愛と真の言行に、誓い忘れず、利他愛顕現、真光業罪穢祓い行者。
六、崇盟五道ヨスカの道、神・師と友の一体化、主の大神の大経綸、地に成らしめん神組み手。
御用は受けて立つ、身清浄行。
七、世の大建て替えの時来たる。中心確立順序立て、ガッチリ愛和団結し、陽光文明正法の神来電鐘を打ち鳴らせ。
霊文明の太陽、十字文明、新真聖紀への暁ぞ。

八、大神業、地に拡弘の三役たらん。
>全人類魂霊浄めと毒気消除の明疾役。
全人類罪穢れの輸血役。
全人類真如正法の激流方向転換舵役。

の八項目がある。
そのうち、特にっ五大想念」として


一の「感謝」
二の「ス直に体得」
三のに心の下座」
四の「自捨我捨」
五の「愛と真の言行」

の五箇条が信者の務めとして挙げられる。
そしてその実践として、「御用は受けて立つ」という気持で、「道場への活
動参加、奉納、布教への参加」の奉仕が求められる。

参拝については、もちろん神道系の参拝方法であるが、火の洗礼の終末期では今迄と同じようなことはしてはいけないとする。
今までは月の神様の時代で二拍手であったが、天意の転換で火の系統の神様への時代に入ったので(昭和三十七年から)、.二拝、三拍手、一拝(了祈り|)四拍手、一拝の参拝方法が決められている。

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八、財政

会費は、毎月五百円(学生は二百円)を霊線保持御礼として、前の月に納める。
>また初級研修には、受講御礼として一万三千円と実費を納める。
専従の職員・導士の給料については、正業をもっていない人には、御奉仕料・御礼は差し上げているという。
また
導士は職業にはなっておらず、給与で生活しているのは本部に勤めている少数の人であるという。

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九、入信して良かった点、悪かった点

これについては、直接信者に取材することが出来ず、今後に期待する。
入信した信者の言葉をみると、手かざしの奇跡の一言に尽きている。

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一〇、既成仏教との相違点と魅力

前項とこの項については、信者に直接取材すべきものと思われ、報告書作成までにその機会を作れなかったため、今後に期して課題とする。
ただ、既成仏教をいかに見ているかを略述して紹介する。
「陽光子祈言集」や「御聖言」においては、ER


真大神現われます先に地海めよとヨニマス神を世には現われしむ
モウシュ釈迎イエス也秀皆共に主神拝めし権化なりけり

と、釈尊等はすべて主の大神の遣わされたものと見ている。

そして


悟りより覚りのみ代もはやすぎぬサトリ(差取りなり神人一体化)術積め真光りの業

!人血らん堂社殿の繁より降り立ちて救え万を法衣隊ぎ捨て
|穴門夫派技統護持の世はすぎて神策成就参画のみ代

!と述べていて、正しい祖霊配りと手かざしの病気直しをすれば、信者がふえて寺院が繁栄して変わるとすすめ、手かざしして救って直し、教とえを示すべきだと説明し、「宗教者は崇教者に復活する他なし」と決めている。
更に既成の宗教家は、
「大神大仏の今の涼主いつきの庭のものども(神職・仏職・宣教師)案外このことに気づき
あらず気付かんと」
しない人々であって、
「神の子への昇華致す精進とみ意成就世界の建立は全くおき去り致」
しし、
「宗
門宗派に別れて争い、おのもおのも生存の具に供し」
ていて、宗教を
「神より見れば感教なり、衆手」
としてしまっ
ていると見る。
そして
「諾の宗教あれど人わざりし人生霊障解消の霊智此のミチに逢わずとすれば一生の家庭を
救う術は得られ」
ないぃ救いのない宗教と決めている。

即ち、。手かざし・をするか否かの相違を明確に持っていること
が示され、そこには

一、言語を以って語りあわれる宗教から霊術でもって現証を示しあう宗教へという点
二、それが三日間での短期達成という速効性
三、現代文明批判と神話的世界の主張
四、神向きされた者が即教化者となり、みちびくことが種人として求められる姿勢
五、生神様の存在

などが魅力のポイントとして存在すると思われる。

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ーー一、崇教真光に関する参考文献・資料

参考文献
@『新宗教辞典』松野純孝編 東京堂出版
A『新しい宗教とは何か』清水雅人著 稜北出版
B『世紀末の宗教』同 同
C『宗教新時代』島田嘉則著 宗教時事研究所
D『崇教真光と真光裁判の意義』同 同
E『教祖誕生』上之郷利昭著 新潮社
F『超能力宗教その謎と正体』段勲著 あっぷる
G『霊もピチピチ生きている』小山高男著リヨンブックス
H現代のこころ崇教真光』畑中幸子佼成出版社
I『崇教真光』毎日新聞社
J『みよ 真光の大奇跡』関口栄著 現代書林
他に世界真光文明教団関係の参考文献あり
資料
@-天意(あい)」崇教真光L・HH陽光出版
A『崇教』同 同
B、陽光子祈言集』岡田光玉述
C『御聖言』同 同
D『大聖主』崇教真光 L・H陽光出版
E岡田光玉師御対談集』同同
F『神向き讃詞解説』岡田光玉述 同
G『主座へ至るミチ』岡田恵珠著 同
機関紙
@「真光」

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ーー二、結びとして

崇教真光の歴史と教えと現状については、「生」の声をもとに一通り概略を知る事が出来たと思われる。
教化される
側としての信徒からの直接の取材の機会がなかったために、その項目は筆がとれなかったことは残念であり、第二、第三回の調査に期待したい。

特に奇跡を看板にしている教団であるから、そこには不幸現象をもつ信者が訪ね、その非信者が奇跡を求める信者と変り、その奇跡を求める信者が種人としての教えを弘める信者に変わっていく作用がある。
それは、現代の問題に
答えを出すプロセスとメカニズムがあることといえる。

信者を吸収し定着化させる問題は、本宗にとっても他山の石
とすべき点が多くあると思われ、今後もきめ細かく掘り下げての研究が必要と思われる。

※調査スタッフ赤堀正明主任、木村康之・竹岡智大所員、植田観樹・勝呂昌信・片野博義研究員
※執筆担当者片野博義研究員