「平成33年に法華講員80万人体制を構築せよ!そのために強盛に折伏を推進せよ!(主意)」とは御法主上人の常々の御指南であり、指導教師である落合御住職の御指導でもあります。
我々妙相寺メンバーはこの御命題を本気で達成すべく必死に取り組む折伏推進の勇士であります。

しかし、中には、この猊下の御命題である、強盛な折伏推進の方向性に着いて行けず、自身の惰弱な信心を自己弁護、自己正当化して、逆に折伏推進の方向性に怨嫉し、軽々に他寺院への移籍を考える者もいることも事実です。

そこで、今回、暁鐘出版発行の『誠心』 あるいは『慧妙』記事から、正当な法華講員として、大きな功徳を積めるために心掛けるべき必要な重要事項を列記します。
自身の信仰姿勢を正す上でよくよく肝に銘じておいていただきたいと思います。

(※印 樋田補注)
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■ 発刊にあたって

本年(※平成十四年) 六月十七日、この原稿を指導教師を通じて御法主日顕上人猊下に提出申し上げ、御校閲を願い奉ったのである。

 猊下におかれては、慶祝事業により、ことのほか御法務御繁多な中にも拘わらず、もったいなくも、時間をかけ一字一句までお目通しくださった。

 そして、六月二十二日の時点で、

 「まだ途中までだが、大聖人の御金言・御先師の御指南を、じつによく理解しており、研ぎ澄まされた見方である。さらに、細かく目を通すが、これを読めば、妙観講の在り方というものが誰にでも判ると思うし、また大いに参考になるのではないか。妙観講では、これを講員によく読ませるように

とのお言葉を賜わり、最終的に九月三十日に、

 「細かく読んだが、深く洞察し、よく書けている。すべてが大聖人の御金言・化儀抄・御先師の御指南に基づいており、全て、このとおりである」

と、御允可を賜わったのである。
 じつに有り難い極みである。

 妙観講の講員は、この御法主上人猊下のお言葉を胸に、本書の内容が自らの信心の血肉となるまで研鑽を重ね、もって広布大願への道を共々に邁進していこうではないか。

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六、大切な初発心の師との縁

「我は民部阿闍梨を師匠にしたるなり」と仰の由承り候し間、さては法花経の御信心逆に成り候ひぬ、
日蓮聖人の御法門は三界衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候を捨てゝ阿弥陀仏を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて無間地獄に堕つ可きなりと申す法門にて候はずや。
何を以って聖人を信仰し進らせたりとは知る可く候。
日興が波木井の上下の御為には初発心の御師にて候事は二代三代の末は知らず、未だ上にも下にも誰か御忘れ候可きとこそ存じ候へ。(日興上人・原殿御返事)

身延の地頭であった波木井実長は、自分の本来の師である日興上人を捨てて、耳当たりの良いことばかりを言う民部日向を「自分の師匠にした」と言い出しました。

日興上人は、この書で、波木井実長の在り方を厳しく誠められ、仏道修行において初発心の師”との縁がいかに大切であるか、を示されています。

当時、大聖人はすでに御入滅されていましたから、日興上人は第二祖の御法主の立場にあられました。
その血脈付法の御法主上人であられる日興上人に背いて、他の師匠をもつということは、もとより謗法であり、根本的に間違っています。

 しかし、日興上人がこの書で言われているのは、その根本的な意義とは別に、”初発心の師を捨ててはならない、ということであります。

 初発心の師″とは、自分を折伏教化して、初めて発心させてくれた師匠のことです。
 波木井一族は、大聖人御在世の当時に、日興上人によって折伏され、その教化を受けてきました。
つまり、波木井実長にとっての初発心の師は、日興上人に他ならないのです。

 日興上人は、”波木井実長が、初発心の師である日興上人を捨てて民部日向を師匠にしたことは、法華経の信心がひっくり返ってしまったということだと批判され、さらに、婆婆世界の衆生にとっては釈尊が初発心の本師であるのに、その釈尊を捨てて、他土無縁の阿弥陀仏を師にすれば、五逆罪となって無間地獄に堕する。
それと同じことである″と言われています。

 もちろん、釈尊は末法における主師親とはなりえませんが、ここでは、師弟子の法門を述べるための例として、権実相対の法門の中から取り挙げて、”自分を教化してくれた初発心の師を捨てることは、五逆罪の中の殺父・殺母の罪に該当するがゆえに、無間地獄に堕ちるという道理を示されているのです。

 では、今日、私どもの初発心の師は誰か、といえば、それは教化関係によって定まります。
つまり自分は誰かの折伏・再折伏によって初めて信心を発したわけですが、その折伏をしてくれた人は、元を辿れば、所属寺院の指導教師御住職の指導・督励によって、折伏を行なっているのであります。

言い換えれば、指導教師御住職の教化が自分にまで及んだのですから、新たに入信・入講した自分にとっても、その指導教師が、初発心の師、手続ぎの小師、ということになります。

 そのようにして定まった師弟の関係は、法華講の信仰の基軸であり、その師を自分の都合で捨てたり、いとも簡単に乗り換える、などということは、あってはならないことなのであります。

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● 固く小筋を正せ

@ ■ 「私の檀那の事、それも其の筋目を這わば、即身成仏と云う義はあるべからざるなり。其の小筋を直すべし。血脈違わば大不信謗法なり、地獄なり。
信心の人は、譬へば歴縁対境すると云へども終には成仏を為すなり。」(第九世日有上人御指南・歴代全書一巻三三七頁)

 ここで日有上人が言われている 「私の檀那の事」 とは、末寺の御住職と檀信徒の関係をさしています。
寺院の御住職と、そこで教化された檀信徒との関係、この筋目を違えたならば、即身成仏はありえない。
小筋―すなわち、檀信徒にとっては御住職が手続ぎの小師である、との師弟関係−をきちんと正していきなさい。
 その小筋をはっきりと定めていかなければ、いくら戒壇の大御本尊と御法主上人を信じていると言っても、その人には血脈が流れ通わず、大不信謗法となって地獄に堕ちる。

小筋(※手続きの師匠=最初に入信した菩提寺の御住職)を定めた人は、たとえ、いろいろな環境の変化によって苦しむようなことがあったとしても、結局は全部乗り越えることができ、ついには成仏を遂げることができるのである。

 私達は、この御教示を肝に銘じて、所属寺院の御住職を手続きの小師と固く定め、そこに師弟相対していかなければならないのであります。

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● 師弟子の本末を弁えよ


■ 「本寺住持の前においては我が取り立ての弟子たりとも等輩の様に申し振る舞うなり゜」
                           (第九世日有上人化儀抄・聖典九八六頁)


 師匠と弟子という関係の中にも、本末関係があります。
私達は、この本末の筋道をしっかりと弁えておかなければなりません。
 その本末の関係について、

 ■ 「本寺住持の前に於いては我が取り立ての弟子たりとも等輩の様に申し振舞うなり」

すなわち、末寺の御住職は、たとえ自分が育ててきた弟子・信者であっても、一緒に御法主上人の御前に出るときは、その弟子・信者と同じ立場において振舞わなければならない、と示されています。

 これはどういうことか、といいますと、寺院や講中において、御住職(指導教師)とその御弟子や信徒は、師匠と弟子檀那という関係になります。
しかし、これは一往のものであって、ひとたび本師である御法主上人の御前に一緒に出れば、その御住職(指導教師)も、共に弟子分のほうに入り、弟子・檀那の側の立場になるのであります。

 現実に、たとえば、私達が講中としてお目通りさせていただいた時、指導教師御住職が、私達信徒と同じ側に座り、共に合掌して猊下をお迎えされていたことを、多くの講員が拝見して知っているはずです。

そのお姿が、 「等輩のように振舞う」 ことなのです。

 ともあれ、この御文からも明らかなように、根本はやはり本師であり、小師と講中信徒は師檀の関係にある、といっても、本師の前には、共に弟子分に摂せられるのであって、私達は、この本末関係をよくよく弁えておかなければなりません。

 日蓮正宗の歴史の中でも、稀な不祥事として、近年、正信会問題や、学会絡みで離脱した寺院の問題−などが発生しました。
これらのケースは、手続ぎの小師であるべき寺院住職が、本師である御法主上人猊下に背き、邪師となってしまったものです。

 このようなケース ―つまり、小師が本師に違背して邪義に堕してしまい、そのことがはっきりと本師から指摘された場合にはどうすればよいか、ということですが、もとより本師と小師の本末関係は明らかなのですから、その寺院に所属していた信徒は、迷わず小師を捨てて、本師に付かなければいけません。

 ところが、正信会問題の時などは、何万人という信徒が、この本師と小師の本末関係を弁えていなかったために、「手続きの師に従わなければ、成仏できないから」といって末寺の住職に付き、猊下に背いていってしまったのです。

 また、これ以外に、顕正会(元妙信講)や創価学会という異流義も発生しましたが、これらは、在家の幹部を絶対的な師と仰ぎ、その上の師匠を拝さなかったために、いずれも日蓮正宗から脱落したものであり、やはり、師弟の本末関係を弁えていなかったために道を誤ってしまった事例、といえます。

 まず、顕正会(元妙信講)の場合は、講中の役員であった浅井甚兵衛(故人)と昭衛という親子が、「国立戒壇論」に固執して本師に背き、それがために宗門から講中解散命令を言い渡されたにも拘わらず、一般講員は浅井親子に付いていってしまったのです。

 また、創価学会は、本宗の信徒団体であった時から牧口・戸田・池田等の会長を師としていましたが、宗門としては、そのこと自体をとくに否定はしていませんでした(在家間で、信行学に抜きん出た先達と、後進の人々との間に、一往の師弟の関係を立てること自体は、仏法上、誤りでも何でもないため)。

事実、六十五世目淳上人も、

 ■ 「師弟の道が信心の要である。創価学会の方々は、戸田会長が師匠として教えられた道を、一歩も踏み外さずに遵奉して、ますます邁進するところに、真の仏道修行ができる」(要旨)

等と仰せられていたわけです。

 しかし、三代会長の池田大作が宗門を誹謗し、御法主上人に背反した時に、それでもなお、会員達は池田を師と仰ぐことをやめなかったために、地獄への道に堕してしまったのです。

 以上、正信会のように、手続きの小師を信ずることを知って、本師を信ずることを知らなかったケース、
あるいは、顕正会や創価学会のように、在家の幹部を師として、本師−小師−講中信徒という筋道を知らなかったケースと、そのケースに違いはあっても、詰まるところ、異流義の徒と成り果てた原因は、いずれも師弟子の本末関係を弁えていなかったところにあるのであります。

 とはいえ、これらの事例を見て、もう一つ、別な捉え違いをするようなことがあってはなりません。

 それは、たとえば正信会問題について、「御住職を信じたのがいけなかったのだから、あまり御住職を信じすぎないほうがよい。御法主上人だけを信じていけばよい」というような捉え方です。

 実際にそう言い出した人がいましたが、これは「直の弟子」と言っていることと同じでありますから、直結信仰となり、地獄への道になります(「五、手続ぎの小師を仰ぐ」を参照)。 
               ・
 また、顕正会や創価学会の問題については、「在家である役員幹部を信じすぎたのがいけなかったのだから、講中の幹部に対しては疑いをもって信仰していくべきだ」などと言い出す人もいました。

 しかし、こういう気持ちでやっていきますと、日常の素直な心での信仰が成り立ちませんし、講中の中で相互不信となり、互いに批判し合うようなことになって、ついには破和合講になってしまいます。

 誤解のなきよう重ねて述べますが、要は、本宗から異流義となって脱落していった人達の誤りというのは、「御住職や幹部を信じすぎた」ことでなどではなく、「本師−小師−講中」という筋道を弁えない、偏った師弟子の道を立てたところにこそ、あったのであります。

したがって我々は、この師弟子の筋道・本末関係をきちんと弁えていけば、もとより道を誤ることはありません。

このことを、よく理解しておいてください。

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慧妙2013-2-16 二面

"寺院の御住職と、そこで教化された檀信徒との関係、この筋目を違(たが)えたならば、即身成仏はありえない。
小筋――すなわち、檀信徒にとっては御住職が手続(てつ)ぎの小師である、との師弟関係をきちんと正していきなさい。

 その小筋をはっきりと定めていかなければ、いくら戒壇の大御本尊と御法主上人を信じていると言っていても、その人には血脈が流れ通わず、大不信謗法となって地獄に堕(お)ちる。

 小筋を定めた人は、たとえ、いろいろな環境の変化によって苦しむようなことがあったとしても、結局は全部乗り越えることができ、ついには成仏を遂(と)げることができるのである。

 "私達は、この御教示を肝(きも)に銘(めい)じて、所属寺院の御住職を手続ぎの小師と固く定め、そこに師弟相対していかなければならないのであります。

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● 移籍の四つの事由

 すでに述べたとおり、本宗の信仰をしていく上では、信心の小筋(しょうすじ)−−つまり自分がどこから折伏教化を受けたのか、という関係の上から、小師(しょうし※=所属寺院の御住職)との師弟の筋目(すじめ)を正し、その折伏系統の中で信仰を貫かなくてはなりません。

 しかし、例外として、以下の四つの事由によって、手続(てつ)ぎの小師(※菩提寺の御住職)を変え、所属寺院を移ることが許されています。

@御法主上大の御意向である場合

A婚姻(こんいん)・養子縁組(ようしえんぐみ)等の場合

B小師が本師に違背したとき

C退転に至らせぬため

(※@〜Bは正当な事由なので、ここでは詳述を省く)

先に挙げた三つが、何の問題もない、正当なる移籍の事由であるのに対し、やむをえず移籍を認める、という場合があります。

 すなわち、前述したとおり、自分自身の都合で初発心(しょほっしん)の師を変える、ということは五逆罪に相当します。

 ですから、けっして良くないことなのですが、そこにそのまま置いておくと、信心を退転して謗法不信の人になってしまう、という場合は、勝(まさ)れる大謗法を犯すことになりますから、やむをえず移籍を認めることがあるのであります。

 たとえば、お寺や講中の先輩から離れた遠隔地に住んでいて、本来は、それでも信仰を貫けなくてはいけないのですが、いまだ信心が弱く、このままだと信仰を失ってしまう可能性がある、そのような場合、やむなく地元のお寺への移籍を認める、ということがあります。

 また、怨嫉(おんしつ)を起こして、「あの人とは一緒に信心できない。ここではもうやっていけない、自分はもう信心できない」
などと言い出す人が出てくる場合があります。
本来なら、その講中の中で自らの怨嫉の心を戒め、軋(ただ)していかなくてはならないのですが、どうしても怨嫉の心を改めることができず、それが昂(こう)じて、退転する恐れが出てきたり、破和合講を引き起こす可能性が出てきたとき、この場合も、大謗法の者にさせてしまってはかわいそうなので、やむをえず、悪いことだけれども移籍を認める、ということがあるわけです。

 結局、こうしたケースは、本人の都合で師匠を変えるわけですから、本来の弟子の道に外(はず)れた行ないであります。
しかし、勝れる大謗法を犯させないため、あえて罪に目をつぶって移籍を認めるという、
まさに慈悲の処置であるといえましょう。

 したがって、この四番目のケースは、けっして、先の三つのような正当な移籍の事由ではありません。
 この辺をよく見極(みきわ)めて、身勝手な移籍を望む人には、まず、小筋を正し守るべきことの大切さを教え、それを、どうしても弁えられないならば、師と相談の上、慈悲をもって対処するーーということになりましょう。

 以上、四つの事由について述べてきましたが、いずれの場合でありましても、実際に移籍をする際の手続きとしては″双方の住職同士の了解″が必要である、と宗制宗規に定まっております。(むろん三番目の事由は、これに当てはまりませんが)。

 この辺にも、″すべて手統ぎの小師を通じて″という伝統的な形があるわけです。

 ただし、こうした宗制宗規の定めがあるにも拘(かか)わらず、何の手続き踏(ふ)まずに、いつのまにか、信徒が他の本宗寺院の徒となってしまった(あるいは、勝手に他の寺院に頼み込んで、そう決めてきてしまった)という事例があるとすれば、それは、その信徒がすでに本宗の信仰を退転してしまっている、と見倣(みな)されて、他の寺院の方で改めて教化したものとして扱われている、としか考えられません。

 その場合は、本宗信仰からの退転者を先方の寺院で再折伏されたわけですから、双方の間での手続きは基本的に不要であるといえましょう。

(※ この原理からすれば、他寺院から移籍を勧められる、などと言うケースは、上記の師弟の筋目の大原則を破る行為と言うべきであり、厳しく言えば謗法行為であるということを我々は弁えておかなければなりません。)