●組織

▲大将軍心ゆわ(弱)ければしたが(従)ふものもかい(甲斐)なし。757

▲日本国にはかしこき人々はあるらめども、大将のはかり事つたなければかひなし。897

▲軽罪の者をばせむる時もあるべし。又せめずしてを(置)くも候べし。自然になを(直)る辺あるべし。せめて自他の罪を脱(まぬか)れて、さてゆる(免)すべし。906

▲浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。906

▲何(いか)に賤(いや)しき者なりとも、少し我より勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問ひ尋ね給ふべし。然るに悪世の衆生は、我慢偏執(がまんへんしゅう)・名聞名利に著して、「彼が弟子と成るべきか、彼に物を習はヾ人にや賤しく思はれんずらん」と、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。1046

▲常にむつ(睦)ばせ給へ。殿は腹悪しき人にて、よも用ひさせ給はじ。若しさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。1172

▲此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。四条金吾殿御返事    弘安二年四月二三日  五十八歳 1362

▲ま(曲)がれる木はすなを(素直)なる縄をにくみ、いつは(偽)れる者はたゞしき政(まつ)りごとをば心にあはず思ふなり。(新池殿御消息    弘安二年五月二日  五十八歳 1365

▲賤(いや)しき者なりとも、此の経の謂(いわ)れを知りたらんものをば生身(しょうじん)の如来のごとくに礼拝供養すべし。1458

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▲9 第六十五条【五十七条】、

法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり、謗とは乖背(かいはい・そむき反すること。)の別名なる故なり、
門徒の僧俗の中に加様の人有る時は・再三私にて教訓して用ひずんば師範の方へ披露すべきなり、
其義無くんば与同罪遁れ難き故なり云云。

第六十六条【八十四条】、

門徒の僧俗の謗法罪を見隠し聞隠すべからず、与同罪遁れ難き故なり、内々教訓して用ひざらんは師範に披露を為すべきなり云云。

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▲59 ○註解。

■「大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり」

とは謗法に付いて適切なる解釈なり、

宗祖聖人の「謗法」の名称を使用し給ふことは、対外的化他に多くして、対内的自行に少し、松野抄に十四誹謗を列挙し給ふは・常に誡め給ふ謗法の分釈にはあらず・
故に此の中の第七の「不信」と、第十の「誹謗」とを除きて余の十二の名称は使用し給ふこと少し、
「乖背」の義も亦多く対外的にして、念仏門徒等の上に被らしめ給ふ、

対内的には宗綱に違反して信行の途立たざるが「謗法」なれば、「謗法」の名は至つて重く「謗法」の罪は門徒の極刑なり、
自ら律して針?(へん)に供するは随意なりといへども・濫に他人を憎みて「謗法」の罪名を被らしむるは・「若実若不実」却つて其重罪を我身に招く恐るべし、

近来間々巷途の説に聞く・「何誰は何を為したり謗法なり」と・
悪言謹まずんばあるべからず、

宗祖聖人も阿仏房尼に告げて・
■「謗法にも浅深軽重の次第ありて強ちに悉く取り返へしのつかぬ重罪にあらず、軽き浅き謗法を知らず知らず行ふといへども・其人が色心相応の強信者ならば、強い信心の為に弱い謗法は打消されて罪とはなるべからず」
と云ふ風の仰せがありしは、全く門外折伏・門内摂受の意もありて・信徒を将護し給ふ大慈なるべし、

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参照

■ 謗法の者にも浅深軽重の異(こと)なりあり。法華経を持(たも)ち信ずれども、誠に色心相応の信者、能持此経(のうじしきょう)の行者はまれなり。此等の人は介爾(けに)ばかりの謗法はあれども、深重の罪を受くる事はなし。信心はつよく、謗法はよはき故なり。大水を以て小水をけ(消)すが如し。(阿仏房尼御前御返事 建治元年九月三日 五四歳 905)

■ 軽罪の者をばせむる時もあるべし。又せめずしてを(置)くも候べし。自然になを(直)る辺あるべし。せめて自他の罪を脱(まぬか)れて、さてゆる(免)すべし。906

■ 浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。906
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況んや末輩にありては・自他互に警策(※1)し勧奨(よいことだとすすめて励ますこと。)して、寛厳宜しきを得て・異体同心の実を挙ぐべきなり、
厳にも寛にも、折にも摂にも・根底に大慈大悲の溢るゝあらずんば・万行徒に虚戯に帰せんのみ、

※1 禅堂で用いる用具。「けいさく」ともいう。木製の扁平な,長さ 1.2mほどの棒で,修行者が坐禅中に睡気に襲われたとき,また自分の精神を鼓舞させたいときに巡回中の僧にこれで打ってもらう。

即ち六十五条の
■「門徒の僧俗の中に等」 

及び六十六条の
■「門徒の僧俗の謗法罪を見隠し」

等の文は・其教訓も披露も共に異体同心の情熱の溢ふれたる結果にして、決して浮薄なる、不親切なる、嫉妬なる底の・表面計りの与同罪呼ばゝりにあらず、

然るに他人に謗法の行為あることを見聞して、直に本条の御示しに依らず・再三再四は愚ろか一回の面談すら為さずして・濫に江湖(こうこ・世の中。世間。一般社会。)に悪声を放ち、朋党に私語を為すの類は異体同心行にあらず、

又他人の行為に疑義あるときは、此を朋党の茶話に止めず、謗法と認めなば直に本条所示の如く、本人に勧告もすべきなり、

但し謗法とも正行とも決せざるときは明師に決断を仰ぎ、又は直に本人の意見を叩くが急務なり、
決して多人の耳に軽々しく入るべきにあらず、然らざれば破和合茲に基いす慎むべし。

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第六十七条【五十八条】、
門徒の中に人を教えて仏法の義理を背かせらるゝ事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失と申すなり、自身の謗法よりも堅く誡むべきなり。

○註解。

■「人を教て仏法の義理を」

等とは・僧俗自身が他の僧俗を教唆して、大は宗旨の大綱に背く如き謗法を行はしめ・小は宗門の信条に違ふ如き非行を為さしむる・
其為せし本人は勿論、謗法背信の罪に堕する事必然なりといへども、其自ら為さゞる教唆人も亦此を為さしめし咎に依りて同罪に堕す・

其教唆の方法は自ら直接に言説を以てしたるものは、其罪重きこと勿論なれども・或は態度を以つて暗示を以つて教唆を加へたる者、亦此に準すべし、

仮令教唆の意志なしといへども・信徒を有する僧分・弟子を有する僧分・信徒を有する講頭等の非徳が、冥々の間に他を悪感化する其罪、亦己(おのれ)に帰することゝ知るべし、

■「五戒の中には破和合僧」

等とは、五戒とは通途の殺盗等にあらずして、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の五逆罪の事を云へるなり、
一人を僧といはず四人已上の共行集団を僧といふ定義なれば・其共心同行の団体中に自ら異義を唱へて退くも不可なり、
況んや他を教唆して同心共行を破するに於いてをや、

提婆達多が釈迦牟尼仏に反抗する為に・仏弟子の一部を誘拐して新教団を組織したるは・提婆の破和合僧罪とて・其罪の尤なるものなり、

現代に於いては破和合僧又破和合講に通用すべし、

宗門に於いては大なる背教破和合の徒少し、宗祖御時代の大進房の如き、中古の真超(※1)の如き、日好(※2)の如きに過ぎざるも、小背信・小破和合の徒は僧俗共に多かりしなるべし、

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※1 日蓮宗から天台宗に転じ日蓮宗批判を行った元京都妙蓮寺貫主・舜統院真超(1596〜1659)

※2 堅樹派のこと(学会そっくり)

  第三十五世日穏上人の頃(江戸後期)、日朗門下の堅樹院日好という僧が、大石寺に帰伏した。
この時代は、幕府の政策により、宗門は布教が大変難しかった、
そこでひたすら令法久住に勤めていた。
日好は、たちまち慢心を起こし、折伏をしないから謗法であると、大石寺を攻撃した。
宗内や、あろうことか猊下まで非難した。
そして「我こそ日興上人の正統である」と言って、唯授一人を否定する。
「唱題に加えて、四箇格言を唱えるべきだ」と主張し、「戒壇の大御本尊は、我胸中にあり」と大御本尊までも否定する邪義を唱えだした。
明治になり、その流れを汲んで、完器講ができ、一時は一大勢力となった。
しかれども、時の猊下、僧俗の破折・折伏で、再び富士の正義に目覚め、日好の流れを汲む者は、跡形もなく滅んでしまった。
異流義の行く末は明らかなり。
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現代に於いて信心薄き地方にては大謗法大背教に意を注ぎ、信仰強き地方にありては大謗法大背教者なんど出づべきにあらざれば、供却つて小謗法小背信に意を注ぎ・自他互に戒飾して破和合・悪宣伝・悪感化の起らざる様・未然に予防する事肝要ならんか、

■「自身の謗法よりも」

等とは・他を教へて仏法の義理を背かしむる罪は自ら為す罪よりも罪積も多くなり、且つ無智の他人を無間に苦しむる事になれば・深く誡めて此罪に触れざるやうに心すべしと訓誡と給へるなり

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●育成
▲甲斐(かい)無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健(けなげ)の者も独(ひとり)りなれば悪(あ)しきみち(道)にはたうれぬ。三三蔵祈雨事 建治元年六月二二日  五四歳 873

▲されば仏になるみちは善知識にはす(過)ぎず。わがちゑ(智慧)なににかせん。たヾあつ(熱)きつめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせち(大切)なり。873

▲人に物をほどこせば我が身のたすけとなる。譬へば人のために火をともせば我がまへ(前)あき(明)らかなるがごとし。1321

▲人のものををし(教)ふると申すは、車のおも(重)けれども油をぬりてまわり、ふね(船)を水にうかべてゆきやすきやうにをし(教)へ候なり。1529

●異体同心
異体同心なれば万事を成(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷(いん)の紂(ちゅう)王は七十万騎なれども同体異心なればいくさ(軍)にまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たが(違)いて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。(異体同心事 弘安二年八月 五八歳 1389)

▲三十一世の日因上人は、金沢法華講衆に
「講中異体同心に未来までも相離れ申すまじく候。中に一人地獄に落ち入り候はば講中寄り合うて救い取るべし」

講中制度に就いて

我が国の仏教界に於て信徒の組織として採用してきました特徴ある制度は講中であります。此の制度が何時頃から初まって如何にして発達したものであるかは浅学の私は知りませんが想像すれば恐らく平安時代から盛んに行はれた御講の催しが漸次かゝる習慣を醸成しそうして宗教の社会性が能く此の傾向を助長したのではないかと考へます。
歴史の詮議だては措いて現在行われてゐる講中に就いて考へて見ると此の制度はなかなか価値のある立派なものと思はれます。本来講中は信仰の社会性の上に成立する組合であって他の商工業の組合の如くに自家の擁護と対他的の必要の目的によって存在するものでありません換言すれば信仰の本質的要求として講中は存在の意義をもって居るのであります。しかし此れは個人的に見た場合本来の意義でありますが宗門的に見れば此れ程重要な役目を帯ぶるものはないでありませう。宗教界に於て布教と教化との二つの目的に能く講中を手段としてはたすことができると考へます。
もとより此等の機関は多くあって印刷物講演等の方法がなくてはなりませんが尤も堅実に其の効果を挙ぐるのは講中を母体としての布教でありませう。若し今日の宗教界に於て此の講中制度を廃棄したならば布教と教化に於てどれ程の結果を将来することができるか疑問でありませう。又一度信仰に入った人々を教化してゆくに此れ程便宜な制度はあるまいと考へられます。細かい化儀の作法から信仰気質まで尤も有効に薫化してゆくことができますむしろ今日は寺院教会より受くる影響よりも講中より直接受くる方が幾倍か大きいでありませう。今日の如く人々が多忙の生活を営まなければならぬ時に悠々と寺院教会の門を叩いて常に教化を受けるといふことは不可能であります。しかし講中の人々は大体社会生活の上に一集団を為すのでありますから常に面接せる機会をもって居ます此れが教化に此の上もなく便宜であります。又何等信仰に気注かない人を誘導したり漸次信仰の増進と教法を知らしめるに講中を通じて為すことは唯一の最良方法であると信じます。講中の価値と機能とは私が此処にくどく説くまでもなく何人も容易に認むることができるでありませう。若し講中制度を尤も有意義に働かしめる時は懺悔告白等のことを為さずにすむでありませう。今日或る宗門に於ける懺悔の式が著しく衆人の忌避に触れて、むしろ無効なる此の式が非常に禍ひしてをるのも見うけるところであります。扨て上の如く信仰の本質的要求に契合する講中制度其れ自体莫大の価値をもって居りますがその宗教に貢献するところ其れ以上であります。講中制度を認めて居る宗教団体は堅実でありますが認めて居ない宗教は基礎が動いて居ります。此のことは現在我が国の宗教界を眺めるならば直ちに了解できませう。
物ごとに一面利があれば他面に弊害の生ずるのは免れないところでありませうが現在行はれて居る講中なるものははたしていくばくの意義と価値とをもってゐるでせうか。全く感情の上からいったなら今日一般の講中なるものは存在しなくてもいゝと思はれます。
 今日の講中はあまりに堕落してゐます。その本来の意義を誤り目的を忘れて居りはしないでせうか。隊を為して各地を歩き廻り寺院の殿堂や門柱に札を張りつけて我が講中は今年何処と何処に参詣したといふ様なことを仕事として肝心の布教と各自の信仰増進は忘れて居るのが多くあります。しかし幸に我が宗内に於てはしかく左様なる講中のあることを見聞しないのは意を強ふするところであります。しかし此れは未だ講中に名をかりた遊山団体であるから益もないが害も少い、尤も恐るべきは講中制度の誤用であって此れから起る弊害は一段であります。先ず弊害の第一に挙ぐべきは講中制度に周到の用意をもたない場合は教義の混乱を生じやすいのであります。それは在家の士が布教するのであって講員に対してはむしろ僧侶が間接の立場にあるが為であります。信徒の多くは自己の一つの要求から入信するために法を其のまゝに了解するが困難であり稍々もすると一面に偏しやすいのであります。そうして其れをもって他を導かんとするから漸次教義が曲解されてきます。此の尤も著しい標本は天理教中山系日蓮宗等でありませう。彼等は講風或は組長の如きものを重用して先生教師たらしめ多く金力労力によってそれを認める為に一面量の上に異常な発展を来たしましたが教義の堕落質の下落は譬へやうもない程であります。如何に天理教といへ幹部の手輩に於ては今日坊間に行はれてゐるやうな噴飯に価する教義を説いてはゐないでありませう。中山系日蓮宗の教義の荒唐無稽なことも此れにゆづらないのであります。此等は講中制度を認める宗門に於て他山の石とすべきであると考へます。由来教義の混乱は目立たずに長い間には何時となく混乱してゆくのであります此の弊害は常に能く講中が全部僧侶に接近してゆくことによって矯正せられたのであります。此の点に於ては我が門下の講中は留意することを怠たっては居はしないでせうか、又常に述べるやうに教化といふことは理論をのみ説いて理解ができたといふことが必要には相違ないがそれと同等に当門の気風精神或は心持ちといったものが大切であります此れは講中の間に於て確かに宗化されますが寺院教会と近くしない間に漸次退化するのであります。宗祖より日興上人其の後代の僧侶の間に伝はってきましたいはゞ正気気質が消失して了ひます。此の事は特に心得て貰ひたいことであります。教義は結局正気気質の表徴であります。此の両面からして教化といふことは全ふされるのであります。
当門に於ては、講頭並に講中の役員は決して教師の意味を含むではいない筈であります。それは講中の内部講員に対してより、むしろ寺院僧侶ん対して意味を有するものであると考へます。もとより布教等の場合には一分教師の役目を為すも差支へないが若し講員に対して純然たる教師のことを為すならば、あまり分を知らないことと考へます。但し講員の信心倍増の為に僧侶教師と協力してゆく時は、或る点までは許されなければなりません其の際に於ては教師でないといふことを充分自覚しなければならぬのであります。しかし此のことは次の如き問題に関聯します。
当門に於て現在の上から量の上に急速の発展を期するにはどうしても講頭若くは或る種の信者には教師たることを認め、何等かの方法に於て生活の安定を保証することのできるやうにしなくてはなりますまい。さすればその人々は専心布教に努力することができます。当門の如く講頭或は役員に対して教師とせず、単に世話人の意味にのみ解して居ては充分活動してゆくことができません。従て目醒ましい発展を来たすことはできないのであります。此の点は今後大いに考慮すべき問題であると信じます。前にも述べたやうに教師の濫造は教義の堕落を来たさしめる憂があるが、宗門発展には一面に信徒の力に俟たねばならないといふ二重体に於て。此等は将来のことに属し現在は教師の意は一般に許されてゐないのであります。若し許されるとすれば寺院教師と協力といふ条件の下に一分許されるのであります。
現在の講中制度より起り易い第二の弊害は宗門の組織を破りがちであるといふことであります。何故かといふならば講中は形式に於て宗務院より認められた公の団体であり直接辞令を受けますから稍ともすると全く独立したものの如く考へて其の行動は他から制肘を受けることなく自由なものと解されるのであります。其れ故地方教師の指揮は一向に重ぜられないやうになり甚しきは末寺を無視するやうな態度になるのであります。此れは講頭が教師であるといふ誤解から認可の場合宗務院からの辞令が直接の関係を生じたものの如く思はしめるからでありませう。此処の後者の関係に就いて一言しなければならないのであります。昔は講中に対して本山より辞令が出づるのは一切内事部の取扱ひであったと聞きますから其の場合は本山との関係は直接であったと考えられます。しかし現在では宗務院扱でありますから講中なるものは認可によって決して直接関係が生ずるものでありません。必らず末寺を差し挟さんでの関係であります。更に宗務院との間もそれと同じであります。此のことは申請の手続を見れば一目瞭然たるものであります。それならば何故に講中が存在し之を公に認可するのであるかが又問題となるのであります。
当門には講中制度に対する具足した規則はないのであります。唯従来の習慣の上よりする不文律でやってゆくのであります。従って是々と規定された講中の機能と取扱ひはありません。それならばどういふ訳で講中ををいてきたかは私は知りませんが而し唯私一個の考へは最初に述べた通りであります。或る論者は講中をもって無意義であるとして無用論を唱ふるものもあります又一歩進んで却て講中の存在するが為に弊害のみ生ずるといふ講中有害論者もあります。けれども講中なるものは最初から宗門に或る政治的の意味目的をもって進んできたものでなく信仰本来の要求からきたものであると考へますから別に特種の権利が認められる必要がないと思ひます若し要求するならば誤ってゐるといへませう。
昔と違って交通機関が発達して極めて距離が時間上短縮されてきましたが為本山と直接関係を結んでも大した不都合を感じないのであります。(多く今日の寺院を単なる参詣所とし法要を営むところといふやうにとってゐる方よりいへば)電報一本にて僧を招ずることができ一夜一日にて登山ができるから昔の如く寺檀の間のことは本山との間にしても少しも不便ではないでありませう。しかし肝心な説法教化を成るべく多く受けて充分信仰修行の功を積むといふことは末寺をさしをいては不可能のことであります。私は近頃末寺僧侶には殆んど知られぬ人が本山で良く知られてゐるといふ珍現象を見聞します。此のことは講頭或は有力なる信徒と宿院の無理解から起るのでありませう。当門に於ては信仰の帰趨と政治の中心等凡て本山にあってその上に一宗が求心的活動を為すに相違ありませんそれ故に本山末寺信徒といふ三角関係の星座を乱すことはできないのであります。月は地球との関係を抜きにして単に太陽とのみ関係があるといへば誤りであります。
以上によっても講中が末寺を離れた独立団体でなく必らず附属したものである筈であります。故に又末寺に監督の義務があるのでありますから本来は講中はその内規から仕事まで一々末寺教師に相談すべきであります。
已上講中制度に就いて一言したのでありますが、繰り返していへば講中は本来信仰上大きな意義と価値とをもってゐますが自体功利的でないものを稍々もすると誤て用ひ易いのであります其の弊害として此処には二つの主なるものを挙げたにとゞめて尚続けて現代社会と講中或は制度(習慣としても)の改造について述べたいが不明な私がそれを敢てして世の冷笑を蒙りたくはありません。唯此れを機会に諸賢の御考へを煩し御高見を伺ひたいのであります尚当局者にも御一考を願ひます。
私は宗門の発展は一つに適当なる講中制度を規定して活用に力を尽すにあると固く信じて居ます。
大正十二年六、七月(大日蓮)

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