創価外郭団体に長年勤務していて創価信濃町本部の内部の事情に詳しい婦人部がとうとう脱会に踏み切られました!
その方の貴重な体験談です。

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平成228月に私の父が73歳で他界しました。

 

父は副本部長、儀典部長、あとは諸々の役職をうけていました。

 

学会活動と儀典部で毎日忙しく、 「疲れた疲れた」 といつも言っていました。

 

好きだったお酒があまり飲めなくなった、と外部の方に話したようで、その方の強い勧めで受けた健康診断で 『十二指腸の末期ガンだ』 と宣告され、転移した肝臓は水玉もようのようにガンだらけでした。

そして宣告から3ヶ月で亡くなりました。

 

亡くなる3日前、私は父の病室に泊まり

同じベッドで一緒に寝ました。

子供の頃に返り、父に抱きつき一緒にテレビを見ていました。

父も久しぶりに笑顔を見せ安心したのもつかの間、父を激痛が襲い獣のように叫び吠えたのです。

慌ててナースコールを押して、鎮痛剤を点滴してもらいましたが、痛みが治まらないので暴れて叫んでいました。

あとはモルヒネしかないところまできて、 「モルヒネを使うと眠ってしまうので会話ができなくなります」 と説明を受けました。

それを聞いていた父が言葉にならない叫びで、 「モルヒネを打ってくれ!」 と訴えるので仕方なくお願いしました。

痛みが治まってからは、当然会話は出来なくなりましたが 「楽になって眠ります」 と言われていたのに、ずっと目を開いて私を見ていました。

 

父も私も新聞長をやっていたので、父の最後に学会が正しいか確かめたいから 「今までで最高の新聞啓蒙をしてみようよ!」 と父に話しかけると、顎を引いてまばたきをしたのです。

血圧もさがりだし、 「危ないです」 と言われたので、それから病室で電話をかけまくり2日間で32部啓蒙しました。

「新記録が出来たからもういいね」 と父に告げてから間もなく息を引き取りました。

新記録が出るまで待っていたとしか思えません。

 

「お父さん死んじゃイヤ!」 と抱きついた私に父がしがみつき、大きな目を開いて何かを訴えていました。

抱き合っていたので息を引き取る瞬間はよくわかりました。

しかし充血した目は見開いたまま、しがみついた腕もそのままで硬直してしまい看護師が二人がかりで私と父を引き離し寝かせてくれました。

 

500名の参列者に来ていただいて、しぶしぶ友人葬でやりましたが、私の心はこの父の死をもってニセ本尊への確信の決定打になりました。

そしてそれから私はパニック障害と鬱を併発し半年間引きこもりになるのです。

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★ 新旧の人間革命がゴーストライターの著書だと世間で騒がれています。

私は旧人間革命を書いた本人からハッキリ自分が書いたと聞きました。


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★ 学会員の家に子供が産まれると、池田先生に名前をつけていただく方が沢山います。
が、実際その現場で仕事をしていた本人から聞きました。
実は池田が考えた名前が沢山あって、全国から寄せられた両親の名前の一字を合わせた名前などを選んでいるのは学会の職員です。

しかも古臭い名前ばかり、学会員の中には同じ名前の子が沢山いるのも事実です。


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★ 池田が書いた色紙など全国で会員に向けて激励などどで使われ、いただいた学会員は家宝の如く大切にしています。
が、池田の筆体に似ている字を書けるゴーストライターが全国に沢山いるのです。
色紙に留まらず学会の建物や店の看板に池田の文字として書かれている者も実は全くの別人なのです。
私の知り合いにゴーストライターがいますので事実です。

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★ かつて池田が元気だった頃、大きな会合に参加する時は、「池田先生が入場されます!」と言って笑顔で登場していました。
が、登場前に裏で控えている時の池田はいつもイライラして側近を怒鳴り散らしていました。
みな当たり前のようにひざまずきヘコヘコしていましたが、私は呆気にとられていました。
注意するにしてもいい方があるし、絶対服従の体制にいつも違和感を感じていました。

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★ 御法主猊下様を極悪と言い、ニセ本尊を平気で作る池田ですから、今考えればゴーストライターなんて何とも思っていないのでしょう。